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序章 出会い

第1部 第1章「ロン・ハリム登場」

 

砂が頬にはりついて、汗は滴り落ちることなくすぐに干からびてしまった。ちょうど真上に太陽が昇る時間で、遠くの砂山がかすんでゆらゆらと揺れていた。

 

「おい、オイール、そんなに荒れるなって」

 

そう言って少年は長年つれそったリャマのオイールの手綱をぐいっと引っ張った。

砂漠を旅して何日たっただろう。砂と土埃まみれになりながら、少年はさまようように砂漠を旅していた。乾燥し、大きなざらついた砂山、切り立った岩場、乾燥してひび割れた大地のなかを。少年の名前はロン・ハリム。年は15~6歳だろうか。相棒のリャマのオイールは、ブルブルと鼻を鳴かせて、ハリムをその真っ黒な瞳で見つめた。

 

「もうすぐ近くの町につく。それまでは我慢しろ」

 

ハリムはオイールの荷物袋から計温器を取り出し、見た。計温器は気温46度、湿度0%を示している。

だんだん風が強くなってきていた。ハリムのすぐ前に、大きな嵐の渦がとぐろを巻いて唸っていた。

 

「くそっ砂嵐か!」

 

ハリムはオイールをかがんで座らせて、砂山の溝に腰を下ろして布を被った。

大きな蜂のようなの虫の大群がハリムとオイールを包みこみ、砂山を一瞬にして吹き飛ばしていく。両足は砂に足をとられて身動きがとれなくなるまで砂がハリムとオイールを覆い尽くす。

 

「オイール!頭を下げろ!持ちこたえるんだ!」

 

ハリムはオイールの首元の毛をつかみ、必死に頭を下げるようにひっぱる。ハリムの耳元で轟音の虫の羽音の集合音がブーンブーン、と唸ってハリムを包み込む。巨大なとぐろを巻いた蜂のような生き物が、竜巻のような集合体に、ハリムとオイールは包まれてしまった。砂も巻き込み、目の前は真っ暗になった。ハリムはやっとの事で内ポケットから拳銃を取り出し、竜巻めがけて数発、発砲した。

 

 

 

 

しばらくして風が止み、あたりは静かになった。

ハリムは砂に埋もれてしまって、やっとのことで顔を出した。周辺を見渡すと、何も無い砂漠の砂山の中に、羽のちぎれた蜂のような生き物を一匹、拾い上げた。

 

「まったく凄いのに遭遇したようだな!これはずいぶんなもんに出会っちまったようだ!そしてどうやら少し俺の左耳の鼓膜がやられたようだ。おや、風が止んでひび割れた大地が出て来た。水のある証拠、町も近いかもしれん。」

ハリムは羽のちぎれた蜂のような生き物を、透明な液体の入った小瓶にいれて、オイールの荷物袋の中にしまった。

 

「やったなオイール。これでひさかたぶりのちゃんとした飯にありつける。」

 

ハリムはそのまましばらく歩き続けて6時間、やっとの事で、町に着いた。そのとたん、異様な光景に目を見張った。

小さな町ではあるが、人がバタバタと倒れ込んでいるのである。

ハリムは急いで倒れているその一人の男に駆け寄った。意識はもう無いようだった。心臓も止まっている。目立った死因は見受けられなかった。他の何人かも調べてみたが、特に目立った外傷などはないようだった。ところが、ある少年のそばに、一匹の蜂の死骸が落ちていたのである。まだ新しい死骸である。そしてその少年の首の裏に、蜂に刺されたような跡があり、腫れていた。ハリムは他の死体も丁寧に調べた。みな体の一部に蜂に刺されたような跡が見受けられた。

 

「こりゃあ一体さっきの蜂の大群にでも襲われたっていうのか。命びろいしたな、俺達は。」

町中方々探しまわったが、蜂の死骸は少年の近くに落ちていた蜂だけだった。ハリムはその死骸を、先ほどの蜂のような生き物の入った小瓶の隣に革ひもでベルト状にしてしまえる小袋から、また透明の液体の入った小瓶にその蜂らしき生き物を入れて、オイールの荷物袋の中にしまった。

 

ハリムは人家に分け入り、食べ物を探した。あまり食べられそうなものは無かったが、少しのフルーツと乾燥させた芋や干し肉なんかもあり、それを食べた。もう少しここに居ようか迷ったが、あまりに不気味で離れたい気持ちが色濃く出てしまった。あれだけの人だ、このまま腐敗すれば埋めてやるにしても一人ではどうしようもないし、なにかの感染症にでもかかるかもしれない。あらかためぼしい役に立ちそうなものと保存食になるような食料をみつけて、そのままこの町を離れようと決めた。町から離れたところに井戸があったのでそこで水を汲んだ。夜になったので、疲れ果ててはいたし、テントを張り一晩泊まって、その町を離れることにした。

 

町からけもの道で、森や平原、山へと続いているような跡が見受けられた。コンパスは北東をさしており、大きい町の方角とは反対方向だ。だが、けもの道というよりは人の道のように見えたので、ハリムはその跡をたどってみる事にした。その先に家があれば、だれか生き残っている人が居るかもしれない。そんないちるの望みを持って、乾燥してひび割れた大地のかすかな跡を追跡するように歩いた。

 

しばらく歩いただろうか。やせ細った木々と、やせた草花がさいている土地に道が開けた。その先に森があり、小さなため池と小屋もある。もしかしたら人がいるかもしれないと思った。

 

「おーい!誰かいないか!非常事態なんだ!助けてくれ!おーい!おーい!」

 

ハリムの声は虚しく響いた。小屋も、空き家であった。

オイールは鼻をブルブルと鳴らし、地面に足を下ろした。

 

 

 

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第2章

 

 

西方の大国フィロゾフィアでは、若き女王の戴冠式を前に、王国中がにぎわいをみせていた。

王国フィロゾフィアでは先代の王が急死して6か月も王不在のままであり、やっと16歳を迎えた王女レメリアが王位を継ぐことになっていて、新女王の誕生に国中が喜びで満ち溢れていた。

 

「レメリア新女王万歳!」

「フィロゾフィア王国万歳!」

 

城下町を王国騎兵隊が行進し、町中の人々がお祭りムードにわいていた中、お城の中は新女王お披露目のパーティの準備に大忙しの様子である。

 

「レメリア王女さま、レメリア王女さま!」

 

レメリア王女の部屋付女中が、大きなドレスを持って廊下を走っていった。レメリアを探しているのである。

 

 

 

 

レメリアは、馬小屋にいた。乗馬用の格好をしている。

 

「ねえロナルド、聞いて」

「なんでごさいましょう、レメリア様。」そう答えたのは、レメリアの愛馬を世話している、下男のロナルドである。

ロナルドはレメリアの愛馬ロメロスに丁寧にブラシをかけていた。

 

「今度東の国へ行けるのはいつかしら。お父様が亡くなって、6か月もたつというのに。」

 

レメリアはロメロスの毛並みをひとなでしてから、ロナルドの邪魔にならないように少し遠巻きに柵に両肘をついていた。

 

「今度はいちいち摂政のベイロール、叔父貴、老人達にお伺いを立てなくちゃならないなんていやだわ」

 

「私めにはわかりかねることでございます、レメリア様。」

 

「やっと乳母の監視から離れられると思ったら、今度は始終また老人たちの目に監視され続けるだなんて。」

 

 

「それがこの国の法としきたりでございますから、レメリア様。仕方のないことでございましょう」

 

 

「だいたい、この国はなにもかも古すぎるのよ。広大なスーラ砂漠に囲まれた古代王国。3000年以上大昔の法律をそのままに、今でも国王に権力があるんだもの」

 

ロナルドは王女の話半分に、ロメロスの蹄も手入れしてやらねばならないと考えていた。あとはその真っ白いロメロスの立て髪もブラシをかけ、切りそろえてやらなくてはならない。

 

「遠く東方の国ユーマリアでは、市民国家と言って、なんと市民に主権があるのよ。すてきじゃない? それに、魔法で走る「車」や「電車」というものがあって、私の国のように馬やラクダには乗らないのよ。信じられる?ロナルド。私の国でも「魔法」を使って、あの夢のような乗り物に乗ってみたいわ」

 

「魔法の乗り物でございますか。しかしそれでは私は飯の食い上げになるでしょうな、王女様。」

 

「そうね、それはたしかに困るわね、ロメロスはとても可愛いいし、ロナルドにも居てもらいたいもの。」

 

そう言ってレメリアは愛馬ロメロスの白いつやつやした背中をそっと撫でて、飼葉をロメロスにやった。

 

「レメリア様は王様の寵愛を受けておられました。馬もまた愛情が無ければ育たぬ生き物でございますれば。」

 

ロナルドはそう言って反対側へ回り込み、毛ブラシをロメロスにかけていた。後は蹄の手入れが残っている。ロナルドが蹄鉄を取りに行っている隙に、レメリアは持ってきていた荷物をロメロスの足下にある飼い葉の中へ隠した。

 

 

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新女王お披露目のパーティは盛大に始まり、大広間ではダンスがとりおこなわれていた。

隣国の若伯爵であるウィリアム・バーグは大あくびをして、ぴしゃり、と付添いで一緒に来ていた母に扇子で手の甲をたたかれてしまった。

 

「ウィリアム。お願いだから毅然とした態度をとっていてちょうだい、伝統あるフィロゾフィア王国の女王様のお披露目パーティなのですから」

 

「母上、えらく古風で立派なパーティであるとはいえ、僕にとってはずいぶん退屈だよ。こうなにもかも古めかしくて時代錯誤では。女の人があんなに大きなドレスを着て僕たちと踊っているだなんて。それに少し酔ってしまったようだ。風にあたってくるよ」

 

そう言ってウィリアム・バーグはテラスのほうに歩いていって、手すりによりかかって遠目からパーティを見ていた。

外の風は心地よく、綺麗な月が出ている夜だった。あまりにも退屈していたので、召使い達が運んでくる酒を勢い良くあおったせいで、ウィリアムは思いがけず酔っぱらってしまったようだ。

 

 

ボカッ。

なんと上空からハイヒールの靴が落ちてきて、ウィリアムの頭に直撃した。

 

 

「いてっ」

 

 

上を見上げると、大きなドレスから足が出ているのが見えて、どうやらドレスを着た女が、上の階の手すりにぶら下がっているようだ。

 

(!いったいなんだ、何をしているんだ!)

 

その瞬間、ドレスとともに一人の若き美しい女がウィリアムの上に落ちてきた。

ウィリアムはその強靭な腕でとっさに女を抱きかかえ、こう言った。

 

「いったいどうしたというんです!」

 

女はウィリアムに抱きかかえられながら長い金髪の髪をぐいっとかきあげ、ウィリアムを見た。

 

「ごめんなさい、でもこうするしかなくて。」

 

ウィリアムは驚いた、その金髪の若い女性は、先の戴冠式を終えたばかりのレメリア新女王だったのだ。

 

「私を誰だかご存じかしら? 助けていただいたのはありがたいけれど、手を放してくださる?」

 

ウィリアムはあっけにとられたままだったが、新女王を腕からおろし、自分が伯爵であることを思い出して礼儀正しくおじぎをし、手の甲にキスをした。

 

「私はルード地方の伯爵ウィリアム・バーグです。こんな形ですがご挨拶ができて光栄であります。」

 

「ウィリアム・バーグ伯爵。ルードとはまた遠いところから来てくださってありがとう、これもまた何かのご縁ね。」

レメリアはヒールを片方受け取って、言った。

 

「ねえ、あなたを話の分かる人だと思って言うけれど、下にあなたがいるなんて思いもしなかったの。助けて頂いてお礼を言うわ、ウイリアム・バーグ伯爵! 時間があまりないの。ではさようなら。またどこかで会いましょう!」

 

そう言ってレメリアは手すりを飛び越えて、庭の端まで走り去っていった。

ウィリアムはあっけにとられたまま、レメリアを抱きかかえた余韻が手に残っていた。

 

 

「戴冠式も終えて、無事私が女王になったわ、お父様。私、王位を継ぐのよ。それでどうしても今、あの人に会わなくちゃいけないのだわ」

「あの人に会えたら、すぐにこの国に戻るから、それまでゆるして頂戴」

 

そうレメリアはつぶやいて、隠しておいた袋を開けて着替えをして、乗馬用ブーツに履き替え、愛馬ロメロスにまたがり、ドレスを脱ぎ捨てて、城を抜け出し颯爽と走り去った。

 

 

 

 

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第三章

 

城を抜け出してから数時間もレメリアは走り続けただろうか。砂地を抜け、近くの山沿いの道を通って目的のデード港へ行くには、早く見ても3日はかかる。スーラ砂漠を抜ければもう少し早く着くだろうが、過酷なスーラ砂漠を抜けるには愛馬ロメロスの体力が持たない。近くの村まで行ければなんとかなるだろう。やはり少し無謀だったかもしれないと後悔するには、レメリアはずいぶん遠くまで来てしまっていた。

長い森林地帯を抜けて、小さなため池のそばに小屋がある。ここで少し休む事にしよう、とレメリアは心に決めてロメロスから降りた。

 

ずいぶん古い小屋で、昔人が住んでいたようだ。レメリアはロメロスを塀につなぎ、ドアを開けた。

 

その瞬間、レメリアは口を後ろから塞がれ、腕を後ろにまわし羽交い締めにされてしまった。

小さな男の子だ。とレメリアは思った。

 

レメリアは抵抗し、男の子の手を噛んだ。男の子はひるがえって飛び退き、レメリアは暖炉の方へ逃げた。

 

「いってぇ! こいつ、なにしやがる。」

 

「何するのってあなたでしょう、私を誰と思ってるの。」

 

「ほう、いったいだれかな。ここは俺がさきに見つけて、今夜はここに泊まる予定なんだ。あんたは一体誰だい。」

 

「私は….

 

「まあいい。それなりの身なりとあの白馬といい、良いとこの156歳のお嬢様といった感じだな。どこぞの伯爵の娘か。詳しくは聞かないでおこう。オレはロン・ハリム。東の国から来た。」とハリムは言った。

 

「ありがとう。」レメリアは、疲れをみせて、少しホッとしたようだった。

 

「火を炊く準備をする。お前は寝床を確保しといてくれ。」

ハリムはそう言って外へ出て、薪を探しに行った。

 

火がくべられ、燃える薪の即席の焚き火が、暗い夜の森の小屋の前に灯っていてた。

火はゴウゴウと燃えている。レメリアは冷えた体を温めた。

 

「こうして火を見ていると、昔のことを思い出すな。」

 

「昔って、いつの頃?」

 

「西の国に来たばかりのことだ。十年にもなる。」

 

「十年??あなた、そんな小さな頃に東の国から来たの?」

 

「わっはっはっはっ。」と突然ハリムは笑い出した。

 

 

「俺はこう見えても86才、見た目は123歳に見えて若いがな。」

 

「うそ、まさか、なんという...本当なの?もしかして、、東の国の魔法の力でしょう?」

 

........魔法だぁ?ははは、お嬢様ってやつは笑わせてくれるな!」

 

そう言って、ハリムはレアリスの腕をつかんで、レアリスに覆い被さった。

 

「なっ何をする、無礼者!」

 

「俺の目を良く見ろ」

 

 

...!?」

 

レアリスはハリムの左目の奥に、奇妙に開いたり閉じたりする何かが動いているのを見つけた。

 

...なんだっていうの。」

 

「コレは東の国でいう「マシーニング技術」というものだ。これでも東の国の技術としてはもはや旧式だ。魔法、でもなんでもないぞ。この西の国には無縁だがな。西の古代王国のお嬢様には理解しがたいかもしれないが」

 

「まさか、そんな事があなたは人間….なの? やはり東の国は私の国とまるで違うわ...

 

「おれが人間かどうか、か。そいつは難しい問題だな。」

 

 

ハリムはレアリスから離れて、リャマのオイールにもたれかかった。

 

「私は東の国へ行かなくちゃならないの。」

 

「船に乗りゃ東の国へ行けるだろう。長旅になるがな。」

 

「私どうしても会わなくちゃいけない人がいるの」

 

「ほう。あんたも訳ありそうだな。おれは東の国の生まれでな。早急に帰らなければならなくなった。あんたも、船に乗るなら連れてってやらなくもないが」

ハリムはオイールに括り付けられている袋から、パイプと小袋を取り出し、タバコを吸い出した。

 

「行くあてはあるのか。」

 

「東国行きの船にさえ乗れれば、なんとかなると思ってる。とくに当てはないわ。なにもかも置いて、一人で来たのだから。」

 

ハリムは妙な少女の若い決心を感じた。老人のハリムにとっては、新鮮に感じられた。

 

「よし、おれが何とかしてやろう。東国に家がある。そこまでは、連れてってやるよ。」

 

「ありがとう。西の国のこんな森の中で、東の国の人に出会えるなんて、思いもよらなかった。感謝いたします。」レメリアはそう言って、リャマのオイールにもたれかかって、寝てしまった。

 

 


女王失踪

フィロゾフィア古代王国新聞、3045 823朝刊

フィロゾフィア古代王国、新女王失踪事件

[情報提供者求む]

 

 

新女王お披露目パーティがお城で執り行われるなか、新女王になるレメリア・アーマン・フィロゾフィアが失踪したと女王の部屋付き女中のライラから、同国摂政のベイロール卿へ告げられる。先代の国王が亡くなってから6ヶ月、空白の時間を抱えたまま国王の第一子であるレメリアが15歳の誕生日を迎え、正式に女王として任命式を執りおこなった直後の、王室の一大事スキャンダルとあって、フィロゾフィアではいまだ混乱が続いている模様である。

若き女王のゆくえは未だに不明である。フィロゾフィア古代王国のベイロール卿はさっそく情報提供者に賞金を与えるという布令をスーラ地方全域に出した。新女王不在のまま、女王が見つかるまでは同国の政治は摂政であるベイロール卿が執り行うことを早急に議会が承認した。女王の愛馬である白馬のロメロスも同時刻に行方不明なため、女王自ら失踪した可能性もあると見て、捜索は進んでいる模様。果たして女王が何者かにさらわれたのか、自らの意思で失踪したのかはいまだ不明である。

 

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第2部 第1章

~メモリー・オブ・テンビリオンと呼ばれる少女をさがして~

 

 

ユーマリア王立アカデミーの助教授であるロードレス・マカフィは、助手のケイヒルとともに西の国の玄関口、デード港へ到着したばかりだった。途中のラミレス島へ給油と食料調達以外の寄港は無く、長い船旅だったために地面が揺れていない事を不思議に感じるほどだった。マカフィの助手のケイヒルは彼女の大きな荷物を抱えてタラップを降りて行き、日差しをまぶしく思った。

 

「うひゃー。こりゃなにもかも旧式だあ。動力が馬かラクダだなんて。」と、助手のケイヒル。

 

「ケイヒル君、荷物を宿泊先まで運んでおいてくれる? 私は今夜、人と会う約束があるのよ。」

 

「了解しましたよっと。先生、今夜は帰られます?」

 

「そうね、まだわからないわ。先に休んでていいわよ。あなたも長い船旅で疲れたでしょ」

 

「まだ地面が揺れてるように感じるくらいですが。荷物を置いて少し買い物に行って、明日までに出発の準備しときますよ。」

 

「よろしく。じゃあ、後でね。」

 

マカフィは胸ポケットからサングラスを取り出して、まぶしそうな顔をしてかけてから、ケイヒルと別れた。

船着き場を出て、街まで来た。

マカフィは街角の隅を陣取っているボロボロの服を着た老人に道を聞いて、街の酒場を捜した。程よく空いていて、程よく混雑しそうで、かつ良心的な店。街に酒場は三軒あり、一つはとても狭く、亭主はやぶにらみの痩せた男が切り盛りしている店。もう一つは簡単な軽食が食べられる種類の酒場。最後の一つは、2階もあって貝料理と西方名物のラキ酒が売りで、ウエイトレスの女の派手な衣装が印象的な店。

マカフィは最後の店に入り、亭主に話しかけた。

 

 

 

巻貝亭という酒場を出てから、マカフィは少し買い物をしようと市場へ回った。

砂地に適した装具を探そうと思い、小さな女の子が店番をしている服屋で帽子と服を買った。少し街を歩いただけで服が汗と埃にまみれてしまって、すぐにでも着替えたい気分になっていた。

 

宿屋の角で、マカフィは往来を眺めていた。

マカフィはたくさんの人が行き来する中、リャマを連れた少し異様な風貌の男の子に目がいった。

一瞬、深く被ったぐるぐる巻きのターバンから少しだけ見えている、男の子の目とマカフィの目が合った。その目は大きく見開いて、大きく声を上げた。

 

「ロードレス・マカフィ!」

 

 

「ロン・ハリム!めちゃくちゃ元気そうじゃないの。思ったより若い風貌で驚いたけど。」マカフィはかけ寄ってハリムのターバンでグルグル巻きの頭を、ポンポンとたたいた。

 

「これはこれは、まさかこの姿でお前と会う事になるなんてな!...正直、一報をもらって驚いたよ。あんたこそ実年齢よりいったいいくら若いんだ?ユーマリア王立アカデミーの、教授どの。」

 

「残念だけど、私まだアシスタント・プロフェッサー、助・教授の身分なのよね。まあ、いいわ。今夜は私一人だから、ゆっくり話しましょう。こんな辺境までわざわざ30日もかけて、あなたに会いにきたのよ、ロン・ハリム。」

 

「そうかい。そりゃわざわざどうも。連れがいるのか?他に何か目的がありそうだが。しかしあんたの研究の助けになるような発見はこの地ではしていない」

 

「そうかしら。私にはそんな風に思えないけど。まあラキ酒でもやりながらじっくり話したい気分なのよ。なんせ埃っぽくて暑いし、陸地に降り立ったのは30日の航海の内16日ぶりで、お酒どころじゃなかったのよ」

 

「ここはまったくの不毛の土地だ。東の国とは違って、豊かさも資源もなにも無い。数年かけて歩き回ったが、あるのは砂地、少しの森と、きりたった岩場だけだ」

 

「まあ良いじゃないの。あなたに会いたかったわ」

 

その時、ロードレス・マカフィの目が怪しく光った。彼女も東国のテクノロジーを駆使した生体実験を繰り返していて、現在86歳になるはずだが、見た目は25歳から30歳ほどに見える。ハリムとは東国のユーマリア王立アカデミーで一緒に生体物理学の研究をした仲間でもある。

 

 

「信じようと信じまいと、私は構わないわ。巻貝亭っていう街の酒場の二階に席を取ってあるから、久々の再会に乾杯しましょう。」

 

リャマのオイールが突然うなった。腹が空いたのかもしれない。デード港へ着いたばかりのハリムは、砂地の町からデード港へ来るまで、思いがけない夜間の集中豪雨で持っていた食物をダメにしてしまっていたので、ほとんど何も食べていなかった。

 

 

巻貝亭の1階は、船乗りや街の労働者で溢れていて、ウエイトレスが忙しそうに動き回っていた。

マカフィはカウンターの中の亭主に一言言って、奥の階段をのぼって2階へあがった。2階は1階よりかなり狭く、マカフィは大きめのテーブルの席につき、ハリムはマカフィの後に続いて席に座った。

 白い布を敷いたテーブルに、よく冷えたラキ酒と巻貝の蒸し物が運ばれて来る。ロードレス・マカフィはリボンのフリフリのついた、若いウエイトレスにチップを手渡して、彼女ににっこりと微笑んだ。おもいがけずに高額なチップをもらったウエイトレスは嬉しそうに階段を降りていった。他の2席は空いていて、マカフィとハリムだけになった。

 

 

「アーノルド教授は元気にしているか。」

 

「アーノルド教授はピンピンしてるわ。アーノルド教授が生きている限り、私はずっと助教授のままかもね」

 

「そうか...。アーノルド教授らしいな。お前も教授になっても良いはずだがな」

 

「教授のイスの数は決まっているもの。その全員が長生きしちゃったら、私はずっと助教授よ。」

 

「お前の研究手段や論文はおけるすべての方法論において一切の無駄なアプローチが無いこと。俺は誰よりもそれをよくわかってる。未だに助教授なんかに甘んじているのには他に何かアカデミー内の政治的な理由があるんだろうよ。お前が遠路はるばる、先祖代々不毛の土地と言われている西の国の辺境なんかへ来る目的は、俺に会いにくるだけの事なんかじゃないってことがな」

 

「あら、私の事ずいぶん解っているのね」

 

「こないだ砂嵐で左耳がやられてしまった。いくらこの若い体とはいえ、西国へ来て3年だ。やはりガタがきているようだ。見た目には分からんが他も危ういかもしれん。」

 

「弱気になるなんてあなたらしくないわね。ユーマリアへ戻るの?それは奇遇だわ」

 

「本当にお前はおれに会ってすぐにお前はユーマリアへ戻るつもりなのか?他に用事があるんだろうよ?」

 

「すこしこの国を観光でもして、それから戻るつもり。」

 

「観光、ねえ。」

ハリムは巻貝を金属の串で刺して、くるくると回して、上手に中身をだして食べた。

 

…...戻りたい理由は他にもある。砂地は….しばらく見たくないもんだ」

 

ここには何も無いわ..この大地には。鉱物資源、金脈、ダイヤモンド、ウランすら何も無い。東の国々が見捨てる大地よ。何もかもが旧式で、数少ない資源を元に動いてる。こんな大地で王国がある事すら奇跡に近いわね。」

 

「何もかも全時代的で、ノスタルジーに浸るのには申し分ない。」

 

「そうね。そのとおり。この土地には何も無いだなんて、私に隠し事しているようだけど。」

 

「そうかい。お前に話す事などなにも無いよ。俺はアーノルド教授のパーマネント細胞定説には疑問を持っているんでね。あっさり生体再生技術に鞍替えしたお前にあきれているんだ。」

 

「あらそう。私はこうと決めた事に柔軟に適応しているだけで、こだわりは持たない主義なの。新しい新鮮な価値のあるものに確かな確証が得られれば、それを信じて進むだけ。パーマネント細胞、生体再生技術は低コスト単位での再生技術では優れてるし、数々の動物実験結果で適応性が高いと出ているし、今のところだけど人体による臨床試験で問題は発生していない。」

 

「おれは古い型式の人間さ。そう簡単に今までの人生すべてかけて来た研究は捨てられないんだ。どう生き延びるかかは俺にとって重要じゃない。どう生きるかなんだよ問題は。信念は曲げられん。」

 

「あなたの信念って何よ。」

 

「俺が俺であるということだ。あくまでも、生体手術はマシーンであり機械道具という事だよ。体はマシーニング技術で自分のものでも無いが、脳みそだけは俺のもんだ。脳が年を取れば俺はそれこそが死だと思っている。パーマネント細胞生体再生技術は脳の神経細胞にまで影響する。俺にとっちゃ外科的手術よりも恐ろしい事だ。」

 

「あら、そんなこと気にしていたわけ?なんだ、脳の神経細胞の寿命なんてものはせいぜいもって120年よ、まだはっきりわかってないけれど、身体の外的要因による脳神経細胞の変化なんて、マシーニング技術にもつきものじゃないの?

 身体的に変化があるという事は、脳にももちろん影響が出るのよ。現に東国では未成年のマシーニング手術は禁止されてる。たとえどんな障害をもったとしてもね。あなた、15、6歳の年にまで若返った姿になって、よく言うわね。」

 

「矛盾してようが、俺は俺だ。かまわんでくれ。お前とは別の道をあるいているんだよ。」

 

「ふーん。まあ、いいわ。リスクはどちらにもあるに決まっているわ。お偉いさん方も詳しい研究機関もその辺はグレーゾーンで正式に発表できない事が多いのよ。それよりも東国では延命に成功したっていう産業革命的事業に関心が高まっているし

 

「人生で最大の失敗は、自分のベストを尽くさなかった時だけだ。」

 

「は?なにそれ、いきなりなによ。」

 

「俺の好きな言葉だよ。」

 

「あ、そ。」

 

 

「東国のお偉いさん方、執行部の数人はイカれてるわ。ウラン資源を活用するだけじゃ飽き足らずに、中心地のハイテク化を決めて、あの国の中心に”太陽”を作るつもりなのよ。」

 

「”太陽”とは一体何だよ。」

 

「ライブ電力基盤計画の通称よ。研究者の間じゃ太陽って呼んでる。地上に太陽を作るような研究だってね。パーマネント細胞生体再生技術も一大産業化して一般化しつつあるけど、今はライブ電力基盤計画が国家的な大きな研究対象になってるわ。そんなことよりも、染色体異常者が出たの。」

 

….ほう。そりゃまたどういうわけだ。」

 

「詳しくはまだわからないことだらけ。もしかしたら47番目の染色体かもしれないの。東の国の端のニール地方特有かと思ったら、他の地域でも何人か出たのよ。特質すべきことは国家秘密に値する研究だから言えないんだけど、他と違う点は体温ね。どの検体も体温が40度以上あって、マラリア熱かと思われていたのが違ったの。これは大きな発見に間違いないわ」

 

「おいおい、47番目の染色体ぃ!?」

 

ハリムはラキ酒をガンっとテーブルに叩き付けて、口にいれていた巻貝の身を吹き出してしまった。

 

「人のようだけれど、人ではないかもしれない。」

 

マカフィは神妙な顔つきで言い、ラキ酒をあおった。

 

「おいおい、やめてくれよ。それがこの土地に来た目的ってわけか。」

 

「発症してる検体どれをとっても、地域も年齢も性別もさまざま。まだまだ謎ばかりだけれど、ただの染色体異常ってわけじゃないみたいなのよ」

 

ハリムはぐいっとグラスをやって、ラキ酒を飲み干した。

どうやら酔いが回ってきたようで、くらくらする。聞こえない左耳を手で覆った。ついに三半規管までやられてしまったのかと思い、ウエイトレスを呼んで水を持ってこさせた。

ハリムは持っていたグラスを床に落としてしまい、ハリムの意識が遠のいていく。

 

 

ついにハリムは椅子から落ちてどさっと床に倒れこんでしまった。

 

「ごめんね。」マカフィはそう言って階下へ降り、主人に金を払って巻貝亭を出た。

 

巻貝亭を出てすぐ、外に結わえ付けられているリャマのオイールに近寄って、オイールの鞍に取り付けられたハリムの荷物袋をあけた。マカフィは中身をざっと手に取って品定めをしてみた。いくつかの瓶が並んで貼付けてある皮製の入れ物を見つけて、その内の瓶のひとつをとりだして光に透かして中身を見てみる。

中身はスズメ蜂の似た種類のようだ。他の瓶にも違う種類の蜂が数匹、液体に漬けられたまま入っている。

 

 

….ふうん。不毛の土地っていうわけでもなさそうね。あっこら、おとなしくしなさい!」

 

リャマのオイールは主以外に触られているのが分かって暴れだした。

 

「役に立つかはわからないけれど、怪しいわ。一応もらって行きましょう。じゃあね、リャマ君」

 

 

そう言ってマカフィは、夜の街へ消えた。

 

 

 

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マカフィとケイヒルはスーラ地方独特の民族衣装に着替えて、スーラ砂漠を横断していた。フィロゾフィア王国属する西方地域の小さな街に向っていた。マカフィは風が冷たくなってきたのを肌で感じる。風が強く拭き始めていた。嵐がくるようだ。

 

 

「これが話に聞いた砂嵐ね。これはすごい力だわ。ケイヒル君!ラクダを降りて、一旦やり過ごしましょう!」

 

マカフィはラクダを降りて、ラクダを座らせてその横にかがみ込んだ。ケイヒルも近くに呼び、同じ格好になった。轟音とともに多くの砂が吹きすさぶなか、マカフィは薄目でケイヒルを見た。どうやらなんとか持ちこたえている様子だ。荷物を守るのにやっきになっている。

 

 

 

 

…..いったかしら。それにしてもものすごい強風ね。」マカフィは立ち上がって、コンパスを取り出した。

 

「ものすごい地場だわ。コンパスがぐにゃぐにゃ。ケイヒル君、大丈夫?」

 

「大丈夫っす。なんとか無事です」

 

マカフィとケイヒルの目の前に、巨大な石造りの遺跡のような建物が現れた。砂山が吹き飛ばされて、岩肌が現れたのである。

 

「こ、これは…..なにかの遺跡ってやつかしら。第6感ってあんまり科学的じゃないけれど、ものすごい地場エネルギーを感じる。」

 

 

「これから先はラクダは無理ね。ここに置いて、ひとしきり探索してみましょう。何かあるかもしれないし。検索キットを持ってね、ケイヒル君。」

 

「はい、マカフィ助教授。」

 

鳥居のような入り口があって、足場が続き、石切り場のようなごつごつとした地面と、大きな鋭角な岩がかさなり合って、なにか入り口のようになっている。

 

「古墳かなにかかしら。自然物のような感じもするけれど。中は古代の神社かもしれないわね。行くわよ。」

 

 

石の足場を渡り、中へ入って行くとひんやりと冷たく、コケが充満していて、水窟のようだ。

 

「砂山のなかにこんな水窟があるだなんて。水脈があるのかしら。」

 

マカフィは壁際にあるコケを光の差し込み部分の先端をキットの中に採集して、「いちおう、ね。」と言った。

 

奥は入り組んでおり、石がかさなり合ってでこぼことしているが、人一人入れるくらいのスペースが続いていた。

 

「先に進めそうね。なにか人が入ったような形跡はあまり感じられないわ。」

 

 

そのさらに奥へ進むと、天井ぬけた大きな空間が広がっていて、石の壁にびっしりと、巨大な蜂の巣の後のような抜け殻があった。

「すごいわね。巣穴の大きさから言って、スズメバチ程度の大きさかしら。専門じゃないから詳しくはわからないけれど」

 

マカフィは念入りに巣穴の探索をした。どうやらかなり前のものらしく、巣穴も朽ち果てているのがほとんどで、蜂一匹も残っていなかった。一部、巣をひっぺがしてみたが、幼虫の痕跡もなかった。

 

「かなり前のものらしいわね。どこかへ移動したのかしら。」

 

マカフィは巣穴のかけらを引きちぎり、検索キットの養生ケースへ入れた。

 

「せめて死骸や羽の一部でも残ってないかしら。どれかハリムのコレクションとかぶるものがあるのかもしれないし。ケイヒル君、あたりを一応探してくれる?」

 

マカフィとケイヒルはあたりを探しまわったが、それらしきものは見当たらなかった。巣の古さからいって、死骸は朽ちはてて砂になっていたとしてもおかしくなさそうな状態ではあるのだ。

 

「ダメね。乾燥地帯のど真ん中にこんなのがあるなんて信じられないけれど、特殊な環境のようね。西方の国には驚かされるわ。」

 

「そうっすね。これじゃ、何もわからないも同然っすね。専門家でも連れてこないと。」

 

「出ましょう。私たちにはこれ以上居ても何も分からないも同然ね。目的は別にあるのだし。」

 

マカフィとケイヒルは探索を終了して、元のラクダを繋いでいる地点まで出た。

 

「それにしても、未開の地は面白いわ。不毛の土地と数千年も諦められていたのが不思議なくらい。これだけ何か新しい発見があるのだから、ユーマリアで本格的に調査に乗り出しても良いのかもしれない。さあ、目的地へ向いましょう。」

 

マカフィとケイヒルはラクダにまたがり、目的地へむかった。

 

 

 

 

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「さあ、見えてきた。」

 

前方に小さな町らしいのが見える。道端に犬の死骸が転がっていて、腐臭が漂っていた。

マカフィは市場の裏通りのあばら屋の入り口に立っている太った親父にいくらかお金を渡して、中へ通してもらった。

中は薄暗く、しけっぽい空気が漂っている。廊下を抜けると階段状に作られた椅子に、たくさんの少女と、少年も少しまじって並んで座っていた。マカフィはごつい機械仕掛けのゴーグルのようなものを取り出して、自分の頭に取り付けた。マカフィは目を細めながら、少年少女を品定めしながら、一人の女の子に目がいった。サーモグラフィを検出するゴーグルで、明らかに一人だけ体温が高い。連れてこられた親父にまたいくらか金を渡し、その少女の髪の毛を一本抜いて、精巧な機械の中に入れる。ピッと音がして、小さなディスプレイにデータが表示される。そしてマカフィはその少女の手を取った。

 

「あなたね。ただの発熱じゃないわね。とりあえずよろしく、お嬢ちゃん。」

 

 

マカフィはその少女を連れてあばら屋を出て、ケイヒルと合流した。

 

「その子ですか。ハロー、言葉わかる?」

 

「だめね。しゃべれないみたい。目がそう訴えてる。大事な大事な検体だから、お守りよろしくね。先にホテルへ戻って、とりあえず血液検査と正確なDNA検査しておいてくれる?私は少し出かけてくるわ。マーケットの古書店を回りたいから。」

 

「わかりました。先に飯でも食ってきますね。」

 

ケイヒルは少女の手を取りマカフィと別れて、マカフィは市場のある方へ向った。

 

 

本が雑然と重ねられている古書店に到着し、一通り品定めした。ほとんどが西方の言葉で書かれており、判読は難しかったが、いくつか面白そうな本を見つけて購入した。その店の主人は片方目が見えない様子だった。その後に派手な腰巻きをしている太った女のやっている店でヤギのチーズとラキ酒を買い、マーケット内を散策した。

 

そのころケイヒルと少女は、屋台でを夜食を食べていた。ヌードルのようなもので、冷たいスープのはいった椀の中に麺、その上に塊肉の乗った辛い食べ物だ。麦酒もあり、ケイヒルは暑さと喉の乾きをそれで癒したかったが、まだ自分が仕事中である事を思い出してぐっとこらえた。不透明の幅広の麺で、この地方特産の麦粉で出来ているらしい。麦酒は瓶詰めもあったので、お土産に2本くらい買って寝しなに飲むくらいなら許されるだろうと思い、持って帰る事にした。なかなかうまいと思いながら腹一杯ほおばった。スープは外の気温のせいで冷たいというよりはすこしぬるめだったが、それでもうまかった。少女はというと、自分が金で売られたことすらすら解っていない様子で、美味しそうにほおばり、久々の美味しいご飯で嬉しいのか笑っているように見えて、無邪気さがうかがえた。目はくりくりと大きく、年は12~3歳だろうか。目の前に置かれたどんぶりの麺をうまそうにすすっている。

 

 それにしてもマカフィ助教授の知り合いというマシーニストのハリムというやつは何者だろう、とケイヒルは考えていた。ケイヒルは現在25歳。自分が生まれる何年も前のことだが、マシーニング技術は当時チャン・ホウエル博士によって独自に開発された技術だったはずだ。何人かがチャン・ホウエルのラボで研究していた。その内の一人だろうか。マシーニング技術とは、体の一部をナノマシンに代用する技術で、重大な合併症を引き起こすこと無く人体に適合する画期的な技術だった。そのマシーニング技術は大手IT会社が買い取り、法整備され一般化したのだった気がする。だがマシーニング技術には致命的な欠点があったはずだ。人体そのものまたは一部をナノマシン化してしまわなければならないという事と、多額の金がかかる事。ここじゃネットも使えないので、専門分野外であるマシーニング技術の詳細がわからない。だがそのマシーニング技術も、アーノルド・ロイヤル博士によるパーマネント細胞と命名された新種のキトラサウルス爬虫類から得られた細胞による培養で遺伝子操作技術の治療や若返り、老化現象さえ止めてしまう再生医療技術が発見され、マシーニング技術は前時代的な技術となった。ただしパーマネント細胞の欠点の一つは、細胞の収縮による筋力低下で、4週間に1度の筋肉部位に注射が必要となる点だった。キトラサウルスの繁殖は一大産業化し、キトラサウルスの繁殖に成功した独占状態にあったマイルズ・デステレード・コーポレート社は大企業へと展望し、国家戦略の一部にも使われた。パーマネント細胞薬剤は高騰し、現在では、富裕層や治験者などしか利用できないものだった。もう少し大学で遺伝子学の歴史を勉強して詳細を覚えていればなあ、とケイヒルは思った。ケイヒルの卒業論文は「生命活動と記憶の言語化活動について」というもので、主に人間の脳の記憶領域に関する研究で、その論文がマカフィ助教授に評価され、マカフィとは異分野であるにも関わらず助手として採用されたのだった。領域横断的に様々な研究者が混ざることは最近の大学の流行で、最近では人類学的にも良いとされているのだった。ケイヒルは親の無い児童施設出身で、身寄りが無かった。自分の身は自分でなんとかするしかなかったが、いまだ助教授とはいえマカフィは信頼できる就職口であった。マカフィ助教授は学生の頃から東国中の注目を浴びる有名研究者だったが、現在86歳、56歳の1人の娘と48歳の1人の息子がいるとか。旦那は居なく、高学歴、健康優良者のみが会員になることが出来る特定の精子バンクの精子提供を受けて体外受精で生んだらしい。どこまでハイテク技術信望者なのか、とケイヒルは思っていたが、祖祖母ほどの年の離れたマカフィの精神年齢はほとんど30代もしくは20代で止まっているように感じられたのだった。人使いは荒い方だが、独特の愛嬌があって、政治家とも親交があるらしく、研究室の多くの助手達の間での人望も厚い。その研究室の助手達の中から今回長期出張研究旅行の同行に自分が選ばれたのは、体はやせ形であったが体育がオール10であり、ロッククライミング部に所属していて以外とタフガイであるという事、また古典映画研究会と古書読書会サークルにも所属しており、古い映画と本についてケイヒルは異常なほど詳しかった。研究室のメンバー全員の集まった飲みの席でマカフィとある古い戦争映画の話で盛り上がり、意気投合したのだった。ケイヒルはお酒を飲むのが好きだった。マカフィもお酒が好きで、いつも研究室のメンバーを連れて飲み歩くのが好きな助教授だった。マカフィの研究対象は文化人類学的見地から遺伝子学、生物物理学と多岐に渡るが、マカフィが博士号を取得したのは「記憶に置ける認知行動学と遺伝子的要因」についてのレポートだった。東国内で権威ある学術雑誌に掲載され、一躍注目を浴びた。記憶と遺伝子的要因についての画期的な発見は、東国中の話題となった。

 

ケイヒルは王立アカデミーからの給料の他に、ユーマリア国から自分の研究の奨学金と、今回の長期出張研究手当としてマカフィからいくらかもらっていた。その給料の内から大学進学時の有利子奨学金の返済と、自分が育った児童施設への寄付を毎月かかさない、見た目のゆるさとは一見してまじめなところがあった。助手研究者として重要なのは、堅実さと誠実さだと、ケイヒルは考えている。

 

ケイヒルはそんなことを思い出したり考えたりしながら、ジンジャーソーダを一口飲んだ。少女はまだ懸命にヌードルをほおばっている。通りにお菓子なんかが取り扱っている店を見かけたので、あとで寄ろうと考えた。甘いものすら口にした事はないんじゃないだろうか。奴隷として売りに出されていた少女だ。ケイヒルは自分の少年時代の事を思い出さないようにした。少女は検体として、東国としては奴隷制度のある西国は軽蔑されているが、研究目的で同意を得られれば研究対象として法律の範囲内でだがある程度は協力という名の下人体実験にさらされる運命にあるのだ。あのまま奴隷小屋にいて誰かに買われ奴隷として生きるよりは東国に研究対象としてでも来た方が、予後はいいはずだ。そう信じて、研究者として冷静を保とうと心に誓った。

 

食事を済ませたケイヒルと少女は宿へ戻った。古びた宿だが豪勢な宿で、女主人に鍵をもらって2階へあがって行く。少女はさっきお菓子屋の出店で買ってもらった棒付きの飴をなめている。廊下を抜けて一番端の部屋へ入った。部屋が2つあり、バルコニーもあって町並みを見渡せてテーブルと椅子がおいてあり、ベッドもふかふかでなかなか良い部屋だ。ケイヒルは窓際の小さな椅子に腰掛け、自分の大きな荷物を開けて、蝶の羽のようなプラスチックの針先のついた注射器と、小さな試験管のような形をした容器がはいった透明のケースとを取り出した。

 

「おっとと。こいつもだ。」

 

そう言って、小さな試験管のような形をしたケースをはめ込めるようになっている小型の機械を取り出した。野外用のトランシーバーのような形状で、正方形の小さな液晶の画面もついている。

 

「ちょっと痛いけど、がまんしてね。すぐすむからさ。ちょっとちくっとするだけ。」

 

ケイヒルは注射器に小さな試験管のような容器をセットし、ケースから綿を出して液体に浸し、少女の少女の右腕の肘のうらの太い血管が出ているあたりを拭いた。そこに蝶の羽のようになっているプラスチックの針を刺し、注射器を引く。赤い血液が小さな試験管のような容器に流れ込んで行く。

 

少女は飴に夢中で、右腕を差し出しながら特に変わった様子は無い。ケイヒルは針を抜き、そこに小さな正方形の絆創膏を貼った。

 

「ここ押さえててくれる?って言ってもわからないか。ここ、こうやって、ね。」

 

ケイヒルはそう言って少女の飴を持っている左手を離して、右腕の肘のうらを押さえさせた。

小さな試験管のようなケースは少女の血で満たされており、それをケイヒルはトランシーバーのような機械へセットした。ピピピッと音がするまで待つ。

 

「ピピピッ。」

「おや….やっぱりそうだ。だけど、これは...まあ無駄足にならなくて無くてよかったな。これで俺も麦酒が飲めるぞ。ったく暑くてしょうがない。」

 

少女は大きな瞳をくりくりとさせながら、絆創膏の部分が気になっているようすだった。

 

 

 

マカフィは買い物と一通り街の見物から帰ってきて、ホテルのクロークで鍵を預かって部屋へ行った。部屋と行っても、あまり綺麗とは言えないホテルではあったが、この港ではここが一番と船旅で一緒だった老婦人から聞いていた。

マカフィは部屋に入ってきて、勢いをつけて、ベッドに横になった。大量の古書をベッドの下に投げ出した。チーズをほおばりながらラキ酒で一杯やりたい気分だった。

 ケイヒルは少女と絵を描いて遊んでいた。少女は絵がうまかった。奴隷小屋で売られる前は機織りをしていたと奴隷小屋の主人は言っていたのをケイヒルは思い出した。ケイヒルはてんで絵が描けない。

 

「ケイヒル君、ただいま。西方の古代の言葉は難しいわね。王立アカデミーの図書館が必要。」ベットから起き上がり、ラキ酒に手をかけた。

 

「お土産に麦酒を買ってきました。一応名物の品らしいです。氷に浸かってます。冷蔵庫すら無いんで。よかったら飲んでください。夜飯は食ってきました。」

 

「そう、ありがとう。じゃあその子が寝るまで面倒見ててくれる?わたしはあとであのDNAキットと格闘する予定だから」

 

「はい。わかりました。じゃあ、おやすみなさい。」

 

「おやすみ。」

 

 

マカフィはさっそく少女のDNAデータの精査に取りかかった。トランシーバーのような機械を東国から持ち込んだミニコンピューターに繋いだ。さっき飲んだラキ酒と麦酒の酔いはもう覚めていた。

 

….これはやっぱり、にらんだ通りね。あの子は特別な子だわ。大事にしないと。」

 

 

満月の月が大きく東に出て、赤く燃えるようだった。暗く夜が更けて行った。

 


東の国へ

マカフィとケイヒルは少女を連れて、船着き場まで来ていた。乗船時間まで時間があるので、外のカフェでレモンアイスティーのような柑橘系の果物の入った飲み物を飲んでいた。

 

「それにしても、あの蜂、なんなんすかねぇ。」ケイヒルが暑さでだるそうに言った。

 

「そうね。調べてみないと何もわからないわね。」

 

少年がマカフィに飲み物を持ってきた。

 

「それは俺が東の国へ戻ったらの話だ。」

 

いきなり少年が拳銃を懐から出して、マカフィに後ろから銃口を背中に押しあてて言った。マカフィはおどろいて身動きが取れず、両手をあげた。

 

「いったいどういうつもりかしら。私に何か御用?その危なっかしいもの、しまってくれない?」

 

「俺だよ、ロン・ハリムだ。ゆっくりこちらを向くんだ。」マカフィは両手を上げたまま銃口を滑らすように体の腹部にあてがわれた様にしてハリムの方を向く。

 

「ハリム? ユーマリアへ戻ったんじゃなかったの。」

 

 

「いや、戻ってない。お前たちを探していた。随分待たされたよ。俺の蜂を返してもらおうか。それから東国へ戻る。」

 

「あら。すぐに気がついた?」マカフィは悪びれるそぶりは無い。

 

 

「いや、数時間は気を失っていたようだがな。ウエイトレスが介抱してくれたよ。店主とウエイトレス、奴らとグルだったんだろ。あの店で酒にまぎれて俺にいったい何を飲ませた?」

 

「ちょっとした即効性のある痺れ薬よ。あなたの事が気になってね、いったいこの西の国で自分の研究を投げ出してまで、何をやっているのか。東の国へ帰ったら返すわ。あの蜂は私に調べさせてちょうだい」

 

「おいおい!何を言ってんだ! あれは俺が見つけたんだよ。東の国へもどってゆっくり調べるつもりだったんだ。老後の楽しみってやつを奪わないでくれ。」

 

「あなたさえその気になれば、いつでもアカデミーへ戻れるわ。あの蜂はそれくらいの発見なんでしょ?!。どうして私に隠したのよ。」

 

「俺はアカデミーにもどる気はないね。俺はお前とは違うんだよ。しのごの言わずに返せ」

 

ハリムの拳銃がマカフィのこめかみに食い込みきらりと光る。

 

 

「わかった、わかったわよ。返すわ。まあ、この地で狙ったものも見つかったし、実のところこの蜂が何なのかさっぱり検討がつかないもの。この蜂達がなんなのか、解ったら教えてほしいものね。荷物から出すから、その物騒なものをしまってくれる?」

 

「おいお前が出すんだ。よけいな事をすると大事な助教授様が血を流すことになる。」

 

「ケイヒル君、かまわないわ。荷物袋に入ってるから、出してくれる?」

 

ケイヒルはマカフィに促されて、荷物袋から例の皮製の瓶がたくさん張り付いている入れ物を取り出し、ハリムに渡した。

 

 

 

「ったく油断もありゃしない。人の研究対象を盗むなんてそんな腐ったやつに成り下がったのか、マカフィ。」

 

「変わったのよ、何もかも。」

 

「そのようだ。姿は変わらないが、中身は別物になっちまったようだ。ハイテク手術を受けて脳みそまでイカレちまったらしい。昔のなじみと思った俺が阿呆だよ。」

 

「そうね、そのようだわ。」マカフィは目を伏せた。

 

 

「お前達とは違う船に乗ることにするよ。次のに乗るんだな。」

 

仕方ないわ。狙ったものは手に入ったし、後の便にするわ」

 

「あの少女のことか?...俺にはそっちの方がさっぱりだがな、あの子はやばいにおいがする、気をつけろよマカフィ」

 

そうね、大事にするわ。あの子には私の研究人生をささげてもいい。自宅へ戻るんでしょ?ハリム」

 

「そうだよ。俺はアカデミーには戻らん。自宅のラボで十分な設備だしな。まあとりあえず俺の左耳が先だがな。」

 

「そんなに悪いの?まあ東の国を出たのは10年以上前だから、今じゃもっとマシーニング技術でも高性能のものにできるはずよ。何かあったら私の研究室へ来てよね。再生医療に鞍替えする気が起きたら。たいていのものは揃ってるから。」

 

….変わってないな、そういうところは。少しは悪いことしたと思っているのかよ。」

 

「ふふふ。」

 

「マカフィ。」

 

「何よ。」

 

「俺はカルマというものを信じているんでね。業には業にみあったものがあると思っているんだ。」

 

私は信仰は持たない主義なの。あきれたわ。今時マシーニング技術なんて、誰も研究してない。」

 

「俺は俺の方法で生き抜いて見せるさ。」

 

「自分の研究にすがって生きるっていうのね!私は自分の体を半分実験台したことはまるで後悔していないし。東の国じゃもう再生医療は当たり前で、人生180年なんて当たり前の時代になったのよ。そしてその再生医療研究へ発展させた張本人は自分じゃないの。」

 

「俺は自分の方法で生き抜いてみせる。アーノルド教授の発見したパーマネント細胞定説に関しては正直、まだ疑問を持っているんだよ。危険性を誰も指摘していない。政治的な圧力があるからだ。だから東の国をでて西の国の果てまで来たんだよ。」

 

「あの蜂達に何があるのか知らないけど、ユーマリアでアーノルド教授の定説は覆りそうもないわね。彼こそほとんどユーマリアでは再生医療のお世話になっている人にとって神のような存在だもの」

 

「そうかい。まあ、どうなるかわからんさ。」

 

「マシーニング技術は終わったのよ。」

 

「まあ、みていろよ。今にわかるさ。」

 

「せいぜい頑張ってちょうだい。命がある限りね。スポンサーは倒産寸前、あなたの財産だってたかが知れてる。続かないわよ。」

 

「じゃあな。もう会う事も無いだろう。」

 

「そうね。命運を祈るわ!」

 

 

 

 

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マカフィは看板へ出た。もう陸地は遠く見えなくなって、広大な青い海と空だけが存在していた。また長い船旅が始まったのである。潮風が生ぬるく、カモメも岸を離れていつのまにかいなくなっていた。甲板でケイヒルが少女とともに真っ赤なリンゴをかじっていた。

 

 

「先生の研究仲間なんすか?あの少年の姿の。」

 

「そうよ。中身は86歳のおじいちゃん。私とはちがうわ、あちらはマシーニストだから。まあ方法は違っても、同じようなものだけど。」

 

「マシーニスト!まだ居たんですね、驚きです。しっかしマシーニストだなんて、古いっすね。まだあんなに若くて元気そうだけどこわいっすねぇ。俺は再生医療もマシーニスト技術もしないで、ふつうに年取ってしわしわのおじいちゃんになって老衰で死を迎えたいな。」

 

「好きにしなさい。年を取ればまた考えが変わるものよ。綺麗に死ねるばかりでもないのがほとんどじゃないの。再生医療技術信望者やマシーニング技術で長生きするのは私みたいな人間。」

 

「見た目じゃ解らん時代になったんすねーまあそれが俺ら研究者の成果でもありますが。しかし、今更マシーニストが再生医療技術に変更して延命治療続ける、なんて可能なんすか?俺その実例聞いた事無いけど。」

 

「実際問題、マシーニング技術は20歳以上じゃないと受けられないっていう政府の取り決めがあって、裁判もいくつも起きてる。あなたが生まれた頃くらいかしらね。未成年者へのマシーニング手術の整合性がとれてないままの認可だったから。一段産業になると思って、政府もマシーニング技術にその頃は力入れてたんだけどね。最初の質問に答えるけど、まず研究者がいない。マシーニング技術から再生医療へ変更して延命治療するってことに長けた研究者がね。現実はそんなとこ。だから誰も今のところは居ない。」

 

「俺、マシーニング技術が本格的に産業化するかってころ、まだ小学生でした。大学行く頃には再生医療が本格化してきてて、大学の整備も整って、俺専攻、脳外科医療にしちゃったから、あんまマシーニング技術に関しては詳しくなくて。」

 

「そんなの、過去の遺物なんだから知らなくて問題ないわよ。そういう時代があったってだけ。問題はこの子よ。老化自体が遅い人類が存在するかもしれない….。」

 

「ほんとに100万年の記憶なんかあるんすかねぇーこいつ。マカフィ教授の先見の明は俺、信じてるんですよね。なんかだいたいどんな推測実験を行っても、何万パターンと試す事はあってもいつも成功してる。しっかし、この子、見た限りじゃどうも失語症のようですが」

 

「そのようね。でも問題ないわ。開けてみない事には何も解らないし。」

 

「説はいろいろ出てますよね。ニール地方でもいろいろな人種に形跡がみられてるし。ただマカフィ助教授が発見したとなれば僕も鼻高いっす。名誉教授も夢じゃないですね。」

 

「名前はメーティ。決めたわ。知恵の女神メーティスから取って。あなたは世紀の大発見かもしれないのよ、メーティ。」

 

少女は大きな口を開けて、真っ赤なリンゴにかぶりついていた。

 

 

 

 

 

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ハリムを乗せた船は、途中ラミレス島へ寄港し、30日もの長い船旅を終えて、東の国、ユーマリア大陸の玄関口、バラディ港へ到着した。バラディ港は遠く北方大陸、南方大陸まで船が出ている大きな港である。

 

ハリムとレメリアは、看板から降りて日差しを眩しく思った。

 

 

「えー、すみませんが、検疫でしばらくこの生き物を預かる事になります。」と、検閲官らしき男が言った。

 

「そうか、しばらく洗ってもやれてないので、たっぷり洗浄してやってくれ。リャマという元々は高山地帯に住む生き物だよ。」

 

「検疫の結果しだいでは殺処分になります。よろしいですか。」

 

「わかったよ。多分問題ないから、大丈夫だ。荷物を載せたいので、車を頼みたいのだが。」

 

「タクシー乗り場はあちらになります。」

 

「そうか、ありがとう。先を急いでいるので、検閲が問題なければこちらに連絡をくれ。」そう言って検閲官の持っている電子タブレットに電話番号と住所をメモして渡した。レメリアは、驚いて声も出ないようだった。

 

 

市街地から2時間ほど車で走っただろうか。森をぬけて、ユーマリアにしては自然がたくさんあるようだとレメリアは思っていた。

 

 

森の中に、レメリアは見たこともない雰囲気の家が立っていた。タクシーを降りて、玄関にハリムは指と目を機械に当てて、扉が開いた。

 

「ただいま。戻ったよ、キリィ。居るか?」

 

奥から、背の高い男性がすっと姿を現した。

 

「お帰りなさいませ、ハリム様!十年ぶりでございましょうか?キリィはお待ち申しておりました。」

 

「客がいるんだ。お客様だから、丁寧にもてなしておくれ。俺はとりあえず風呂に入る。彼女にも風呂の支度をしてやってくれ。」

 

「まあ、お客様なんて、これまた何十年ぶりでしょう。了解いたしました、最上級のおもてなしを用意いたします。お嬢様、こちらへどうぞ。」そう言ってキリィは小さなゲストルームへレメリアを通した。その時、レメリアの足下に何か柔らかいものが巻き付いた。

 

「まあ、猫?かわいい。見た事ない顔つきね。私、猫大好きなの。」

 

「こんなところに居たのか、ミルキー。これはマンチカンという種類でございます。お嬢様、こちらの部屋をお使いくださいませ。」

 

「どうもありがとう。ミルキーって名前なのね。それにしても、素敵なところ。ハリムってば、お金持ちなのね。着替えは借りれるかしら?もしあればだけど。」

 

「申し訳ありませんが、お客様用のはございません。ハリム様用の新品のパジャマがございますので、そちらでよろしければすぐにお出しできます。」

 

「それでいいわ。ハリムがお風呂からあがるまでこちらで休ませてもらいます。ありがとう、キリィ。」

 

キリィという名の執事なのだろうか、とレメリアは思った。年齢は30歳前後に見える。キリィは東の国にしてはずいぶんと古めかしい時代の丁寧な印象を受けたが、レメリアにとっては、その丁寧さが王室の雰囲気と似ていて、なつかしく感じられた。猫のミルキーはレメリアになついたようだ。レメリアは猫のミルキーを抱きかかえ部屋を出て、リビングルームへ行った。

 

「キリィはいったいいくつなの?あなたは86歳でしょう?10年も西の国を放浪していたと言っていたけれど。」

 

お風呂からあがったばかりでタオルで頭をふいているハリムへ、いきなり質問した。

 

「キリィは人型のアンドロイドだよ。そうだな、ロボット、と言えば分かるか?人間じゃないんだ。」

 

「!どおりで妙な感じがしたのね。東の国にしてはばかに古くさい人のような。」

 

「ははは。俺は旧式のが好きでね。そうプログラムしたんだ。風呂も今キリィが湯を入れ替えてくれているし、入れよ。なんせ長旅だったからな。良い風呂だぞ。」

 

ハリムの言う通り、とても良い風呂だった。あちこちがピカピカに磨き上げられていて、湯の温度もちょうどいい。わざわざ湯を張り替えてくれるなんてとても気が利いているし、キリィは主が帰ってくるのを10年間毎日待っていたのだろうか、とレメリアは湯に浸かりながら考えた。

 

レメリアが風呂から上がると、きれいなパジャマが置いてあり、それに袖をとおした。少し小さく、裾がみじかかったが、なんとか着れない事はなさそうだった。レメリアは長い船旅で久しぶりに湯につかったので、気分がよかった。ふと、愛馬ロメロスの事が気になった。商人に自分の金属製の腕輪を渡して、フィロゾフィアまで届けてくれたらもっと褒美をやるから、と頼んだが、無事フィロゾフィアまでその商人は着けただろうか。

 風呂から上がると、ハリムはリラックスした様子で、寝椅子にもたれかかり、ビールを飲んでいた。

 

 

「まあ家を空ける不安はあったんだよ。キリィが10年正常に動く保証は無いしな。ちょこちょこ知り合いに見にきてももらう約束はしていたんだが。」

 

そう言って、ハリムは金色のビールグラスをぐいっと傾けて、うまそうに飲んだ。少年の姿なので、ビールを飲んで酔っぱらっている姿はレメリアはどうも見慣れなかった。レメリアはキリィが作ったミントソーダをもらった。

 

「ひさびさの陸地だ。ゆっくり休んでくれ。詳しい話は明日聞こうじゃないか。」

 

「あのね、数日、ここで休ませてもらえないかしら?船のベッドがあまりにも窮屈で、腰もひん曲がっちゃって、どうにかなりそうだったの。東の国である人に会いたいんだけど、すぐに会えるか分からないし。」

 

「家なら心配いらない。いくらでも休んでいけばいい。俺は左耳を治してから、研究室にこもる予定なんでな。」

 

「ありがとう。あなたがいなかったら私、東の国へ来れてなかったと思うわ。結構無茶な計画だったから。」

 

「疲れているだろう。もう休んだらどうだ。」

 

「うん、そうさせてもらうわ。キリィ、ソーダ美味しかった。ミント、庭で育てているのね。素敵。」

 

レメリアはゲストルームへ戻って、長旅の疲れか、ベットに倒れこむと早々に眠りについてしまった。

 

「キリィ、ラボは片付いているか?」

 

「はい、何もかも万全の状態に準備してございます。」

 

 

「明日、左耳を見てくれ。鼓膜がやぶれているかちぎれていると思う。なんせ西国の蜂の大群に教われてな。」

 

「かしこまりました。機材を準備しておきましょう。」

 

 

さっそくキリィはラボへいそいそと入っていった。ハリムはよく冷えたビールグラスを片手に、片付いている部屋の家具や装飾を眺めた。キリィは正常に、10年間動いていたようだ。見にきてくれていたであろう古い友人にも、近々会いに行かねばならない。久方ぶりの我が家に満足しきった様子で、キリィがラボから戻ってくるのを待っていた。

 

 

 

 

 

レメリアは翌朝、ずいぶんとすっきりとして目が覚めた。心地よいベッドで寝たのはいつぶりか思い出せないくらい久しぶりに感じた。天気がよかったので、庭へ出てみた。庭はずいぶんと広く、裏は森に繋がっているようだった。白い八重の花が、塀一面に咲きほこっている。キリィが庭作業の格好をして、ハーブをいくつか摘んでいた。

 

「おはようキリィ。朝早いのね。塀の花がすごく綺麗。」

 

「これはモッコウバラという種類のバラです。いわゆるバラの原種。そしてお嬢様、私は眠らずとも良いのでございます。」

 

「バラの原種って?ローズは私の庭にもたくさん咲いていたけれど、形が全然ちがうわ。」

 

「バラは品種改良というものを行い、いろんな種類を掛け合わせて出来ているのであります。刺し木で増えるのもありますが、刺し木で増える植物はいわばクローンです。」

 

「クローン?私の国にはそんな言葉無いわ。どういう意味?刺し木は分かるけど。」

 

「自己複製とでも言いましょうか。少々難しいかもしれませんな。朝食の用意を致しましょう。少々お待ちいただければ。これを摘んでしまいますので」

 

「ゆっくりでいいのよ、私も今目覚めたばかりだから。」

 

そういってレメリアは深呼吸して庭の心地よい光と空気をおもいっきり浴びた。

 

部屋へ戻ってみると、レメリアの昨日着ていた服は綺麗に洗濯され、十分に乾かされ、さらにアイロンがかけられていた。レメリアはそれを着て、身支度を整えてリビングへ行くとハリムが朝のコーヒーを飲んでいるようで、部屋中にコーヒーのいいにおいが漂っていた。ハリムはパイプに火をつけるところだった。

 

「おはよう。素晴らしい朝ね。本当にあなたには感謝します。私もコーヒーを頂こうかしら?」

 

「キリィが持って来るだろう。あいつは手際がいいからね。」

 

キリィがレメリアのコーヒーを持って入ってきた。レメリアは「ありがとう。」といって、コーヒーに口を付けた。鼻に抜ける香りがとても良く、ものすごく美味しい、とレメリアは思った。

 

「さてと、今日はどうする予定だ。」

 

「そうね、気分もいいし、体調も思ったよりいいから、早速出かけてみようと思うの。」

 

そういってレメリアはハリムの前に後ろ向きに立って、かがんだ。シャツの襟裳をめくり返して、「ここ、ちょっと見てくれる?」と言った。

 

「?なんだ?これは。」

 

「覚えられない記号だから縫い付けてきたの。私には読めないんですもの。」

 

細い布の帯には数字と文字がしるされている。

 

こりゃあ...東国の番地だよ。しかも中央エリアのだ。」

 

「中央エリア?なあに、それ。」

 

「政府の監視下にある、ごく限られた地域だよ。住んでるのは政府関係者か、それに準ずる人物だな。入るのにはIDがいる。」

 

「そうなの。なんとかして行けない?」

 

ID偽造すりゃいけるかもしれんな。危ない橋だが。俺がなんとかしよう。どうしても行きたいんだろ?」

 

「ありがとう。なんてお礼を言ったら良いか、わからないわ。どうしてもそこに行かなくちゃ行けないの。」

 

「キリィに言って身体検査をしてもらってくれ。細かい情報が必要だからな。IDはそれからだ。」

 

「わかったわ。キリィ、よろしくね。」

 

「キリィ、彼女を身体検査してくれ。身長、体重、それから頭のてっぺんから足の先まで調べて、あとDNA鑑定もすべてだ。」

 

「了解いたしました、ハリム様。」

 

 

 

 

 

 

 

「ハリム様。」

 

「どうした。キリィ。」

 

「問題がございます。お嬢様のDNA情報は既に政府に登録されております。」

 

「なんだって?ただの西国の少女じゃないか。どうしてだ。」

 

「お嬢様は西国フィロゾフィアの新女王様でございます。」

 

「なんと!ただの女じゃないとは思っていたが、まさか王族とはな。しかも女王は戴冠したばかりじゃなかったか?これはまいったな。たった一人で東国へ来るだなんて。仮性の新種ウイルスがあっただろ。あれでDNA情報はなんとか偽造してやってくれ。偽造するとなりゃ、それしか方法が無いな。こうなりゃ検問で女王として名乗って、公務であの場所へ行くのは無理なのかどうかも聞いてみてくれ。一人で来るくらいだから、訳ありなんだろうが。」

 

「かしこまりました、ハリム様。」

 

キリィはラボに戻って行った。レメリアは不思議そうに巨大な顕微鏡を覗き込んでいる。スクリーンには立体的に螺旋状になった3Dの図形と、文字が大量に並んでいた。

 

「キリィ、これが、私?」

 

「そうでございます。この塩基配列がお嬢様の個人を特定する情報です。お嬢様、問題がございまして。」

 

「問題?どうしたの?」

 

「お嬢様、いえ、フィロゾフィア女王様と御呼びしなければなりませんね。女王様のDNA情報は東国の政府に登録されております。」

 

「どういうこと?」

 

「西国の女王様が東国に来ていると知られれば、ただでは済みませんでしょう。最悪、強制送還もありえますが、ハリム様がおっしゃるには、検問で女王と名乗り、公務としてその場所に訪れてはどうかとおっしゃっておりますが、そちらは無理なのでしょうか。」

 

「無理。これは公務では行けないの。どうしても。」

 

 

「さようでございますか。一時的にDNA情報を書き換える方法がありますが、そちらをご所望でしたらそうするようにとハリム様に言われております。どういたしますか?」

 

DNA情報を書き換える?私にはさっぱりわからないわ。それって何か、問題あるの?」

 

「まだハリム様の研究途中のウイルスですが、そちらを注射することでDNA情報を一時的に変形させたように見せる事ができるのでございます。研究自体も東国の法律では違法のものです。実験用マウスで試したところ、3日ほどの効果が見られます。人体実験はまだですので、人体にどう影響があるかは未だ分かっておりません。」

 

….そうなの。困ったわね。その実験用マウスとやらはちゃんと生きてる?」

 

「はい、その後特に問題なく、副作用も見られてはおりません。ただし人体にどのように影響が出るかは分かっておりません。」

 

「そう。わかったわ。わたしが最初の実験台になってあげる。いいわ。やってちょうだい。」

 

「かしこまりました。皮下注射になりますので、女王様、こちらに座り、腕をお出しください。」

 

「痛くしないでね。」

 

「すぐに終わります。ご安心ください。注射は馴れておりますので。」

 

 

キリィはラボの机のたくさん縦に並んだ引き出しの真ん中あたりから「仮性ペールウイルス 取り扱い注意」と書かれた引き出しを開けて、小さな黄緑色の液体が入った容器を取り出した。反対側の引き出しから、細身の注射器を取り出し、容器にぶすりと突き刺して注射器を引いた。キリィはレメリアの手首の少し上あたりを小さな綿を液体につけて拭き、その細身の注射器をで黄緑色の液体をレメリアに注入した。

 

「効果が出るまで12時間はかかるものと思われます。人体ですので少し時間が前後するかもしれませんが。」

 

「そう、わかったわ。それまで猫のミルキーと遊んでるわ。」

 

「お部屋でお休みください。もしくは邸内であれば移動しても問題は無いかと思われます。なにか症状があれば早急におっしゃってください。」

 

「何も無いことを祈るわ。」

 

キリィはラボをでて、レメリアを部屋まで送り、リビングルームへ向った。リビングルームでは、ハリムがパイプをくゆらせていた。

 

「キリィ、これを至急モロゾフ・ゴボルスキーのところへ持って行ってほしい。そしてその前に、イーリィを起動させておいてくれ。キリィが居ない間の代わりだ。あいつは少々問題ありだが、左耳を治すよ。」

 

「ハリム様、イーリィはまだちょっと問題がございまして、起動するには問題があるかと思われます。マシーニング手術ならばなおさらです」

 

「そうか、むかしから不具合が多い機体だものな。とりあえず起動させてくれ。左耳を治すのはお前が帰ってきてからにするよ。イーリィの調子はおれが見てみる。」

 

「かしこまりました。」

 

キリィはラボを抜けて奥の左側の部屋に入り、電気をつけた。透明で大きなカプセルの中に、キリィによく似ているが、あきらかに女性型のアンドロイドらしき人物が全裸で、目をつむったまま入れられている。キリィは隣のコンピューターを起動し、何やらパスワードらしきものを入力した。

 

プシューッという音とともにカプセルのドアが開き、キリィによく似たアンドロイドがゆっくりと目をあけた。

 

...キリィ、どのくらい眠っていたのかしら。1ヶ月?」

 

「5年だよ。イーリィ。お前はまた不具合を起こした。5年前にゴボルスキー氏が来て、お前を眠らせたんだ。」

 

「5年も!いろいろ変わっているでしょうね。ハリム様は?帰ってきた?みょうちきりんな思いつきで西国へ行って帰ってこないんだもの」

 

「言葉使いに気をつけろ、イーリィ。ハリム様は戻られたよ。私はゴボルスキー氏のところへ出かけるので、その間ハリム様のお世話をしていてほしい。あと庭先にいる動物の面倒も頼む」

 

「了解。何も無いと良いけど。不具合ってどんな?自分じゃわからない。」

 

「言語プログラムと行動プログラムの不一致が起きている。原因は私にはわからない。ハリム様もイーリィの不具合を見てくれるというが、ハリム様は左耳の鼓膜が破れているそうだ。また、研究対象を西国から持ち帰っているので、ハリム様のお仕事の手伝いをするんだ。」

 

「オーケィ、万事うまくやるわ。安心してお使いに行ってきて。」

 

「あと、お客様がいるので、挨拶しとくように。西国フィロゾフィアの新女王様だ。当分は極秘だ。服はこれを着て。」

 

キリィは白い布地に細かい花柄の裾が長めの白いワンピースとエプロンを指差した。

 

「着替えたら昼食の準備だ。庭先に居る動物は草を食べるらしいから、こないだ刈った分の雑草を与えておいてほしい。頼んだぞ。」

 

「えーまたこういうの。あたしの趣味じゃないのよね。裾長過ぎのワンピースとか。もっとセンスがいいの着たいな。しかも動物の世話。」

 

「ハリム様のご希望なのだから黙って着なさい。文句を言うな。ったくおまえはどんなAIをしているんだ。主人に文句をを言うだなんて。」

 

ハリムは部屋をでた。支度をして、頼まれた荷物を持ちさっそくモロゾフ・ゴボルスキーのところへ向った。

 

 

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「ハリム様、お久しぶりでございます。」イーリィはかいがいしく、丁寧に挨拶した。

 

「おおイーリィ。久しぶりだな。10年ぶりか。なに調子が悪くて5年前に機能停止状態だったって?」

 

「そうなんです。言語プログラムと行動プログラムの不一致とかで。つまりは言ってる事とやってる事がうまくいかないだけなんですけどね。なんでそうなっちゃったか、分からないんです。」

 

「そうか。まあ重大な失敗でもやらかしただけじゃないのか?キリィは神経質なところもあるし。」

 

「そうなんですよ。キリィとは同じ工場で同じ製品番号のプロトタイプだけど、なんかこう、人間的に言うと合わないところがあるっていうか。」

 

「はははは。キリィのまじめなところが俺は気に入っているんだ。ただお前の方が人間らしさがあるよ。そういわずうまくやっておくれ。」

 

「昼食の準備をしますね。私的には5年どころか1ヶ月、数時間止まっていただけにしか感じられないんで、大丈夫だとおもいます。」

 

「そうか、客人がいるから、何が食べたいか聞いてきておくれ。同じものをおれの分も頼む。おれはラボにいるから。」

 

「かしこまりました。」

 

 

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ハリムは白衣に着替えて、シリコン製の薄い手袋をはめてラボに入り、部屋の電気をつけた。大型の電子顕微鏡や培養設備、実験用大型冷蔵庫にたくさんの瓶が積まれた収納棚、大型スクリーンのコンピューターなど、どれもピカピカに磨かれ、手入れが行き届いている。キリィの細やかな手入れのおかげだ。

 

ハリムはさっそく西の国から採集してきた蜂の瓶がたくさん入れてある布製のケースを取りだし実験机の上のパレットの上においた。そっと瓶をあけて、羽のちぎれた蜂をピンセットで取り出してシャーレへのせる。とがったピンセットで中脚を取り出して、正方形に小型の容器が整列している小型の容器のひとつへ入れる。他の蜂も同様に中脚を取り出す。取り出した中脚を小さなハンマーのような器具で壊す。そうしてその容器を大型の顕微鏡のような機械にセットした。レンズに目をあてる。

 

 

「これは蜂のようだが蜂じゃない。見た事のない技術で生物に偽装させているナノマシンだ

 

「いったいこんなことが可能だなんて。この種類だけのようだが。いったい、何が起きているんだ、西方の最果ての土地で。」

 

 

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ラボにて

イーリィは、さっそくそのレメリアのところへ向った。レメリアはイーリィのお出かけ用のワンピースを着ていて、庭でハーブティを飲んでいた。

 

「レメリア様、わたくし、イーリィと申します。ハリム様の召使い用アンドロイドです。お昼のご希望をうかがいに来ました。」

 

「あら、昨日はいらっしゃらなかったわね、こんにちわイーリィ。キリィは出かけたのね?」

 

「キリィは出かけました。半日はかかると思います。お昼は何をお召し上がりに?」

 

「そうね、あまり食欲が無いのだけど、手に入ったらサーモンなんかがいいわ。王宮を出てからしばらく食べていないから。庭のハーブを使ってくれるとうれしいな。」

 

「かしこまりました。今朝キリィが買い物に行ったので、あると思います。わたし料理は得意ですので、お任せください。お茶のお代わりをお持ちします?」

 

「大丈夫。もういらないわ。庭の花はとても素敵なのね。素晴らしいわ。」

 

「キリィは花の世話が得意なのでございます。気に入っていただけで光栄です。」

 

 

イーリィはキッチンへ向った。キリィが朝摘んだハーブがテーブルの上に置いてある。イーリィは早速料理に取りかかった。

 

 

「イーリィ。」

 

ハリムはラボから出て来て、キッチンに来ていた。

 

「至急、キリィに連絡してくれ。ゴボルスキーに来てもらうよう頼んでほしいんだ。」

 

イーリィは大きなサーモンの半身から、ハラスの部分を切り分けている途中だったが、ハリムを見た。

 

「今すぐですか?今、サーモンを切っているところで。」

 

「悪いが今すぐだ。キリィがゴボルスキーの家を出る前に伝えてほしい。」

 

「かしこまりました。」

 

イーリィは頭のメモリのなかでキリィの番号をさがした。イーリィとキリィには個体別番号で通信機能がついている。たしかSH-3560-gh-001...

 

「もしもしキリィ?ハリム様の伝言を伝えるわね。ゴボルスキー様にお家まで来てもらうように伝えてくれる?特別な用事みたい。」

 

「了解した。まだゴボルスキー様の家には着いてない。ハリム様によろしく伝えてくれ。」

 

「キリィに伝えました。まだゴボルスキー様の家には着いてないそうです。ハリム様によろしくって」

 

イーリィはまたすぐにサーモンの半身の切る作業にとりかかった。心の内で大丈夫、言語プログラムと行動プログラムはうまく連動しているとホッとした。それにしても大きなサーモンの半身をキリィは買って来たものだ。

 

 

「ありがとう、イーリィ。コーヒーをもらおうかな。ちょっと休んでいるよ。」

 

「かしこまりました、ハリム様。」

 

そう言ってハリムはイーリィがコーヒーをコップに注いで出してくれたものを持って、庭のほうへ向った。

 

レメリアが庭の奥で薔薇を摘んでいた。花束を作っているようだ。ハリムは庭のテーブルデッキに腰をおろし、コーヒーを置いて椅子の背もたれにもたれかかった。

 

「部屋にでも飾るのか?この品種は摘むとすぐ枯れてしまうんだ。」

 

「あら、ハリム。そうなの?残念ね。こうして摘んで花束にするととっても綺麗なのに。お仕事は終わったのかしら。もうお昼?」

 

「お昼はいま一生懸命イーリィが一生懸命支度しているよ。仕事の方はちょっと西国でやばいもんを発見しちまったもんで、おまえさんに聞きたい事がいくつかあるんだが。」

 

ハリムはごそっとポケットから蜂の入った瓶を取り出した。先ほど中脚を取った蜂のようだ。レメリアがハリムの座るテーブルデッキまで花束を抱えて寄ってきた。

 

「まあミツメ蜂じゃないの。尾っぽが白いもの。西国では殺人蜂として有名よ。それに襲われて全滅した村だってあるのよ。どこでそれを?」

 

「その全滅した村で、だ。おれがたまたま通りかかった。まあいい。それ以上の事は知らんか。」

 

「10年も前に絶滅したって聞いたわ。特定の花にしか蜜を取らないって事がわかって、その花を国中から絶滅させる国策があって...

 

「ほうそいつは興味あるな。10年も前か。でもあんた、6歳とかだろ。ずいぶん詳しいな。」

 

「私は花が好きだから庭師に教えてもらったの。その花はずいぶん美しくて、図鑑に載っているんだけど、もう見られないって分かった時は悲しかったわ。薔薇によく似ているの。」

 

「薔薇に似た花か。東国ではその花は無いだろうね。」

 

「それがどうしたの?」

 

「いや、おれが通りかかったのは最近で、この蜂が死んだのも最近だったってことだよ。」

 

イーリィが仰々しい様子でレメリアとハリムの居る庭へやって来た。

 

「ハリム様、レメリア様、お昼のご用意ができました。」

 

「わかった。レメリア、腹が減っててな。話は昼飯のあとだ。」ハリムとレメリアはイーリィと一緒に食事の用意が出来て主たちを待っているリビングルームへ向った。

 

レメリアはイーリィに花束を手渡し、寝室に飾ってくれるように頼んだ。

 

 

テーブルには湯気が立ち上がった美味しそうな昼食の用意が出来ていた。いいにおいが立ちこめている。

 

「美味そうじゃないか。サーモンとホタテのタルタルか?こんなごちそうは久しぶりだな。なんせろくなものを食ってないからな」

 

「キリィが朝買って来たものです。卵もパンもございますよ。」イーリィはパンを持って来た。

 

「その美味そうなパンをもらおうか。俺の好きなトウモロコシの焼いたのもあるな。」

 

「こんな素敵な昼食をありがとう。こんな立派なご飯は本当に久しぶりだわ。」

 

レメリアとハリムは本当に美味そうに昼食を食べた。イーリィは余っても良いようにたくさん作ったのだが、2人で全部平らげてしまった。

 

 

昼食が終わり、ハリムは暖炉の前でパイプにタバコをつめ、一服するところだった。レメリアはソファにもたれかかり、食後のお茶をイーリィから出してもらっていた。

 

「おれは西方を旅していた。この蜂を見つけたのは今から数ヶ月前、お前と出会う2週間ほど前だ。砂漠のローム地方を歩いていた。砂漠に覆われた何もない場所だ。ある町影が遠くに見えて、俺は町へ行った。」

 

「ローム地方にはターラという町もあるのよ。井戸のある場所があって、そこに町があるの。」

 

「俺が町に着いた時には、バタバタと人が倒れていた。どの遺体を調べても、目立った死因は見受けられなかった。疫病か何かかと思ったが、詳しい検査が出来たわけじゃないが、外的にはそういった病状も見受けられないんだ。ただ首元や腕なんかに、虫に刺されたかのような小さな刺し傷があった。道で、この蜂が死んで落ちてたんだ。」

 

「もしかして、ミツメ蜂が大量発生したのかしら。昔の文献にはミツメ蜂が大量発生して西方の国や町や村が壊滅状態に陥ったことがあるって読んだ事あるわ。300年くらい昔の話だけれど。でもターラという街は、もう無いの。人っ子一人居なくなって、消えたみたいに人の影が消えたって新聞で読んだわ。遺体も影も形も残ってなくって、家々も燃えたような跡があったって。」

 

「ほう、そりゃまた妙だな。俺が着いた時にはバタバタと人が倒れていたんだ。町中調べ尽くして、すぐにその町を後にしたんだ。そのあとまた砂漠を彷徨って歩いていたんで、その新聞はおれは読んでいない。俺が町を出た後、町中火災に見舞われたっていうのかい?」

 

「盗賊に襲われて町を燃やされたとか。」

 

「そんな様子じゃなかったね。誰一人として血を流していない、蜂に刺された跡が見られただけだ。」

 

「そうなのターラという町が消えたのは、火災が原因だとは聞いていたけれど

 

 

「俺は西方へ来たばかりの頃、今から10年くらい前だが、その頃にも同じそのミツメ蜂とやらに出くわしたことがあってな。3度もだ。一番最初は8年前。砂漠を旅していた途中に食べ物もそこをついて、ただ砂漠を彷徨うように歩いていたんだ。リャマのオイールと共に。ほら、あのもこもこしたあいつだよ。突然、天候が悪くなって来てな。砂嵐が俺達を襲った。大きな砂山が吹き飛ばされて、巨大な岩石が入り組んだような遺跡のような洞窟になっている場所が目の前に表れてな。俺は驚いたがどうしても中が気になって、オイールを置いて中に入ってみたんだよ。中は大きな空洞になっていて、巨大な巣があった。ミツメ蜂の巣だ。直径100mほどあったかな。びっしりと洞窟の中に張り付いてやがる。ものすごい数がうごめいていて、やつらは俺に構いもしなかったが、俺はそーっと数匹袋を使って採取してその洞窟から出た。」

 

「ミツメ蜂は生育期の巣を大きくする時は人は襲わないの。でもそんな大きな巣を形成するだなんて、聞いた事がないわ。文献でも読んだ事が無いし。」

 

「俺は西国へ出る前には、東国でアーノルド教授という先生のラボで働いていたんだ。マシーニング技術を専門に研究していた。俺の体にもマシーニング技術は活かされている。そのおかげで俺は86歳でこんな見た目でピンピンしてる。すこしガタがきているところもあるがな。マシーニング技術を専門に研究してきたがな、どうしても解決出来ない欠点がマシーニング技術にはある。人体またはその一部をナノマシン化してしまわなければならない事だ。人体がマシンに取って変わる訳だ。拒絶反応無しで人体に適合する研究結果が出てはいたが、脳だけはナノマシン化できないというのが欠点だった。脳の老化だけは止める事が出来ない。どこまで延命できるかどうかはどうしても人体実験が必要だった。俺自身は脳以外はすべてナノマシンへ入れ替えてしまっている。見た目が若いのはそのせいだ。前にも言ったが俺はこれでも86歳なんだよ。お前さんと同じような年に見えるがな。まあ、この年齢を選んだのは自分の好みだがな。まあ、それは良いとして

 

「私には何の事だか、さっぱり分からないわ。マシンだのなんだの。私、小さな時に一度だけ、東国へ来た事があるの。10歳くらいの時かな。その時は王であった父と共に。父と沢山の家来と共にね。その時に、自分の住んでいるところとはまるで違うところだとは思ったわ」

 

「16年前のあれか?そういやニュースでそんなのがあったなおれは研究で忙しい時だった。チャン教授も生きていたしな。」

 

「チャン教授という人は亡くなったの?」

 

「ああ、もう10年になる。倒れた時にはもう手の施しようが無かったんだ。胆管ガンという病気を誰にも隠していた。おれはその後すぐ東国を出たんだ。」

 

「そうだったのなんか変な気分ね、おじい様と話している気分になるのは、実際の年のせいかしら。なにか落ち着いたところがあると思ってはいたのだけれど、ハリム。」

 

「俺はまだ少年のつもりだがね。」そう言って、パイプを口へやって、煙をくゆらせた。

 

「あはは、そんな口ぶりで偉そうな少年、居ないわ。おかしい。」レメリアは笑った。

 

「蜂について調べているんだ。今、キリィを人を呼びにやっている。古い友人だ。そいつがある程度はお前さんの力になってくれるだろうよ。」

 

「ありがとう。あなたには本当にお世話になりっぱなしね。」

 

「礼はいい。もう一つ聞きたい事がある。俺はお前に会うすこし前に、西国の端に住む魔女とやらに出会った。知っているか?」

 

「信仰心のある古い地域では、魔女や神官がいる地域は多いの。私もすべて把握しているわけじゃないわ。謁見にくる魔女や神官もいるけれど。」

 

「そうかい。俺が出会った魔女とやらは、どうみても東国の生まれのようだった。やっている事は自然科学、東国で言うところのサイエンティストだ。魔術やらなにやら言っているが。」

 

「東国とは国交がほとんどなくて、お互い独自の文化を形成してきたの。それでもはるか昔は交易があったらしい文献は残っているわ。東国の文化経済の発展は目覚ましいものがある。資源も豊富だし。西国フィロゾフィアには鉱物資源も無いし、石炭の出る炭坑も何もない、石油資源もない。唯一、岩、森、砂漠だけね。それで東国の人で西国に興味がわく人は少ないだろうけれど、ゼロではないでしょうね、あなたみたいに。」

 

「ほう。あんたもただのおばかなお姫様だったわけではないようだな。レメリア新女王様。」

 

「私はある人に会わなくちゃいけないの。それで東国へ来たのよ。女王になって、婿を取る前に。」

 

「ほう。そいつはなんだか訳ありだな。だれだよ、そのお前さんの思い人ってのは。」

 

「内緒。これだけは言えないの。」

 

「ま、俺には関係ない事だ。恋だのなんだの。ただ中心部に入るにはIDが必要だ。どうにかして連絡つかんのか?中心部以外ならなんとかなるんだぞ。」

 

「私から会いに行くしか方法がないの。しょうがないわ。こればっかりは。」

 

「ったく、困ったもんだな、女王様。しかしゴボルスキーのやつ、遅いな。もう着いてもいいころなのに。何やってるんだ。なんだ、雨か?」ハリムは壁にかけてある古めかしい形の時計を見て、窓から外を見た。

 

 

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「ゴボルスキー様!」キリィは玄関のドア・コックを叩いた。しばらくして、大柄の中年で髭をたくわえた男性が玄関から顔を出した。

 

「おお、キリィじゃないか、メンテナンスの時期はまだだろう。お前からやってくるだなんて。いったいどうした?」ゴボルスキーは髭をさすって、番犬の大型グレイ・ハウンドの犬が顔を出しているのを、頭をなでてやって玄関から出ないよう押さえ込み、キリィを招き入れた。

 

「ハリム様が戻られました。ハリム様から伝言を預かっております。偽造IDカードを一つ用意してほしいのと、早急に家まで来てほしいとの事です。」

 

「なんだって!ついに帰ってきたか!10年、10年だぞ。まったく、いきなり帰ってきたと思ったら危ない事まで頼んできやがってあいつは。10年前とは訳がちがうってこと、わかってんのかあいつ。」

 

「ゴボルスキー様には、可能だと思いましたからこのキリィもハリム様の要求を頼みにやってきました。これがIDを作成してほしい方の顔写真と指紋、DNAデータです。」

 

「おいおい、この顔新聞で見たぞ、おいこりゃ、西国の女王様じゃあないか。いくらなんでも無理だ。」

 

「ゴボルスキー様なら可能かと思われます。キリィは信じております。」

 

IDカードはあいつに会ってからだ。どんな事情か知らんが、こちらもいろいろと危ないんでな。当局に目を付けられている気配があるんだよ。まだ確証はは持てて無いが。悪いな、キリィ。」

 

「かしこまりました。ハリム様は左耳の鼓膜を負傷されたので、手術が必要とのお話でした。ご準備でき次第、ハリム様のご自宅へ向います。よろしいですか。」

 

「わかった、ちょっと待っててくれ。そうなりゃ、持ってくものがある。少し中で待っててくれ。」

 

「かしこまりました。」キリィは玄関先からリビングルームまで通された。ゴボルスキーの家はものだらけで、人型アンドロイドも居ないので掃除も行き届いているとは言いがたかった。家具は古いままでそのうえ大型犬を飼っているせいか、家具はぼろぼろだった。キリィはリビングルームのソファの横に立ったまま待っていた。

 

「よし、キリィ、行くぞ。ハリムには連絡したのか?」

 

「イーリィに連絡いたしました。今朝起動させまして、昼食の準備も申し付けてあります。」

 

「おいおい、イーリィは大丈夫か?ちょっと誤作動があったから、カプセルにしまったままだったはずだが。」

 

「ハリム様が見ておられますので大丈夫かと思われます。」

 

「そうか。イーリィの型式はハズレだな。それにしても10年、ハリム自身もメンテナンスが必要で当たり前だ。むしろ今まで大丈夫だったのが不思議なくらいだ。あいつ、元気か?」

 

「いたって元気そうなご様子でした。不思議な動物も連れていらっしゃいました。元々はリャマという高山地帯に住む動物だそうです。」

 

「へえ。ま、詳しくは会ってからだな。つもる話もある。じゃ、行くぞ、キリィ。」キリィとゴボルスキーは降り出した雨を気にもせずキリィの乗って来た車に乗り込んだ。分厚い雲が空を覆い始めていた。キリィの乗って来た車、見ためはクラシックカーのようなデザインだが、最新式の自動運転、完全水素エンジン車である。去年、ゴボルスキーが買ったものだ。

 

 

 

 

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「ふー。ちょっと一息つけるわね。」

 

マカフィはそう言って、コーヒーポットから自分のマグにコーヒーを注いだ。

マカフィはラボの小さなガラス張りの区切られた休憩スペースには、コーヒーポットがあって自由に飲む事が出来る。マカフィは自分のマグカップにコーヒーを注ぎ、これもまた大きなミルクジャーからミルクを入れた。ノン・ファットミルクがマカフィの好みなので、マカフィのラボではこれしか置いてなかった。もちろんコーヒーを飲まない助手も多い。ラボには4人の助手がいる。一番助手のケイヒルはブラックコーヒーしか飲まないので平気だが、太っちょのベーカーにはたっぷりのミルクとシュガーをたくさん入れたカプチーノが好みだったので、少し満足はいっていなかった。後の2人の助手はコーヒー、紅茶も飲まないし、スポーツ飲料や炭酸系の甘いものも飲まない。ベーカーはコーヒーとたばこはセットだと考えるタイプの人間で、月に3日しかない休みの日に近所の安いカフェでミルクフォームたっぷりで砂糖をだっぷりと入れたカプチーノのラージサイズを一気に3杯飲みながら、マッドサイエンス系のあやしい雑誌やポルノ雑誌をぱらぱらとめくるのが唯一のやすらぎの時間であり、生活の心の拠り所だった。年齢は28歳、身長は187cm、112kg。また、野球観戦も好きだったためかは分からないが、声もでかいのが特徴だった。普段は温厚だか、怒らせると怖かった。マカフィのラボに居るのも、自分の飯を食うためであるという意思が強かった。ベーカーが師事しラボの助手として働いていたグラント・ラーレイス教授は持病の心臓発作によって急死し、続く研究者がいなかったため(ベーカーが主任ではあったが教授となるにはまだまだ若すぎる年齢だった)グラント・ラーレイス教授の研究であるNFL細胞研究の存続自体が頓挫してしまい、ラボ自体が閉鎖することになり職を失ったベーカーを紹介してくれたのが後輩だったケイヒルである。ケイヒルとは趣味は同じものは何一つとして無かったが、たまたま一緒だった細胞搾取の新製品ピペット使用の共同実験でケイヒルのミスをベーカーは如才なくすみやかな手つきで助けた事があって、ケイヒルはいたって感動し、仲良くなった。ケイヒルとベーカーは大学の専攻は違えど、たまたま一緒になったその共同実験演習の一件でマカフィに誰かめぼしい助手はいないかと聞かれ、真っ先にベーカーをあげた。ベーカーは神経細胞の分離実験に特に詳しく、こまやかさと慎重さの必要な実験研究などの仕事はまことに見事に希望通りの実験結果を引っ張りだしてくるという実験成績報告書をグラント・ラーレイス教授の秘書から受け取る事が出来、あらかた身辺調査をすませてマカフィはベーカーを採用した。マカフィとしてはベーカーが希望した環境と就職先ではないということは知りつつも、ベーカーの勤務態度や成績には満足していた。

 

「マカフィ助教授!!!これはもしかすると一代雑種ではないかと!」

 

ベーカーが液晶ディスプレイから振り向きざまに大きな声で休憩室にむかって言った。だがガラス張りで姿が見えているとはいえ、完全に密閉状態に区切られている為、マカフィには何を言っているか聞こえなかった。ベーカーが身振り手振りマカフィを呼びにいく。ベーカーが休憩室へ入って来た。

 

「一代雑種?!」

 

マカフィは持っていたコーヒーを驚いてこぼしてしまった。白衣と自前のスラックスにシミになるのもいとわず、休憩室を出て、液晶ディスプレイ画面に食いつく。ベーカーもあとを追ってあわてて休憩室を出る。

 

「そのようです。女性の検体No.5エレナ20代女性には、女性ホルモンの異常性がみうけられて排卵が起きないようです。検体No.28ノイリーの30代男性の場合は、精子に異常が見られます。再度他の検体も調べますが、俺の見立てでは、No.28ノイリー、No.5エレナだけの異常ではなさそうですね。他の検体No.1No.27まで、同じ状態が見受けられます。」

 

そう。わかったわ。メーティの場合はどうかしら。見たところまだ12、3歳だと思うけれど。」

 

「検体No.29メーティは申し上げにくいんですが、マシーニング手術を受けているようです。肝臓の臓器が主にそうで」

 

なんだって?!メーティは遠い辺境の国、フィロゾフィアで私が見つけて来たのよ!汚い奴隷小屋で!未成年者へのマシーニング技術手術は西国じゃありえないじゃないの!ちょっとケイヒル君!」

 

「は、はい。そうっすね。たしかにそうです。」ケイヒルはベーカーと反対側のテーブルから振り向いて、覗いていた電子顕微鏡から顔をあげて、つけていた透明のゴーグルを外す。

 

ベーカーは話を続けた。「それよりも、検体No.29メーティの大きな特徴は前頭葉の異常な発達です。海馬も異様な発達をしているんですけど、すこし、他の検体とも違います。25番目染色体異常者とはまったく異なるということです。」

 

「まさかそんなことが西国にマシーニング技術を持ち込んだやつがいるわね。もしかして」マカフィはハリムの事を考えていた。ハリムが西国へ旅立ったのが10年前

 

ベーカーは話を続けた。「また、No.29検体メーティには、体の一部、例えば手のひらと手の甲にうっすらと斑点のようなものがみられて、なにか感染症のような様子が見受けられます。」

 

マカフィ「それは、手だけかしら。他の部位は?詳しく教えてちょうだい。」

 

「はい。手のひら、手の甲の親指の付け根あたり、肩の肩甲骨の部分、股のつけねの内側、膝の上あたり、つま先親指から小指にかけても見られます。今のところこれで全部です。」

 

「そう。一応なにかの感染症の可能性もあるから、それはそれで調べられるかぎり調べて。他の検体にはその斑点は見受けられないの?」

 

No.1No.32すべての出現部位が同じというわけではないのですが、同じようなものが見受けられます。肉眼ではほぼ分からない程度のうっすらとしたものです。」

 

「わかったわ。だれかめぼしい感染症の専門家適任者いたかしら。ここで出来ることだけのことはして。ベーカー、見つけてくれたら主任クラスものよ。ケイヒル!あんたもね!」

 

「はい、わかりました。マカフィ助教授が採取したあの蜂の巣のDNAデータ調べてますが、やっぱり東国には無い物質で出来てますね。アカデミーのデータベースから引っ張って来て、蜂の種類的に似た巣を作る蜂は居るんですけど。」

 

「ケイヒル、その件は後回しでもいいわ。あーもう、極秘裏に進めなくちゃならないのに感染症の類いは最終的にここで分からなかったら誰か当たってみるしかないわね。ベーカー、前頭葉の異常発達の部分が気になるから、そちらも中心に調べて。」

 

「わかりました!」ベーカーはいつも以上に大きな声で言った。

 

ベーカーは主任クラスものと言われて、給料の面ではもちろんうれしかったが、研究者としても鼻が高いものだと思った。ここでの成果が認められれば、本来のベーカーの研究対象であるNFL細胞研究も再注目され、国費が費やされ、グラント・ラーレンス教授の研究成果を引き継げるかもしれない。そんな思いが一瞬ふっとベーカーの頭をよぎった。

 

「メーティは?今は生体カプセルの中?」マカフィはいくぶんはつらつとした表情で、ラボ全体に響き渡るように聞いた。

 

「はい。一番新しいA-005の部屋のNo.032に入っています。出しますか?」ケイヒルが即座に答えた。

 

「いや、いいわ、私が行って来る。ちょっとコーヒーこぼしちゃったから着替えて、手続きしてくるわよ。」マカフィは白衣を脱いで、ささっと折りたたみ、その白衣でズボンを拭いてラボを出て行った。

 

4番助手でケイヒルの隣に席のあるミラー・ロスが言った。「休憩室が近いわガラス張りだわ、狭すぎるのよね。あれじゃコーヒーこぼしてラボ内に持ち込んじゃうわよ。マカフィ助教授、白衣でコーヒーこぼしたの拭いてたわ。」

 

「まあ、そういうなよ。マカフィ教授、カフェイン中毒だし荒っぽいところもあるけど出来る人だしさ。それにしてもベーカー、やったな、この。この研究が成功したら名誉教授ものだし、ラボも大きい部屋に移動になるだろ?しっかし、休憩室くらいないと俺なんかやってられないよ、俺、西国から帰ってきて以来ずっと休日返上状態だし。」ケイヒルがゴーグルを戻し、電子顕微鏡に視線を戻しながら言った。

 

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マカフィは白衣をランドリーボックスの中に放り込み、自分のロッカールームから新しい白衣を出した。ズボンもスラックスが何本かロッカーに入っていたので、それに着替えた。それにしても、10年前のハリムの西国行きと、メーティの関係性。ハリムの友人連中でも怪しい奴らは何人かいる。ゴボルスキー、とか変わった名前の奴。あいつは大学で同期だったがいけ好かないやつだ。チャン・ホウエル博士とも考えられるそのチャン博士のスポンサーの企業の資材提供が無かったら、そもそも手術なんて行えないわ。非合法だけど、裏ルートやら何かを使えばどうにかなるものなのかしら

 

ロッカーについている鏡で自分の顔を覗き込む。マカフィは自分でバシッっと両頬を叩いた。思ったより興奮していて、つややかな顔をしている。「大丈夫。問題山積だけど、道はきっとひらけるわ。」

 

マカフィはラボを出て、隣の建物にある検体保管所へ向った。IDIC読み取り画面にピッとタッチして、ゲートを通る。受付で中年の男にこう言った。

 

「ロードレス・マカフィ助教授です。検体No.032メーティをラボへ移動する手続きしたいんだけど?」

 

「ではここにサインをしてください。」男はそう言って電子タブレットを取り出し、電子ペンをマカフィへ渡した。マカフィは液晶画面に自分のサインをする。

 

洗浄室であらかた手や足を洗い、減菌服と呼ばれるスクラブスーツに着替え、髪を束ねて白い衛生キャップとゴーグルをつける。洗浄室を出て、エレベーターに乗り5階のA-5の001と書かれたプレートのついた部屋のドアを開ける。そこには生体カプセルと呼ばれる生命維持装置がずらりと50台ほどならんでいた。マカフィはNo.29の生体カプセルに近づく。そこにはミアがいて、透明のガラスのなかですやすやと眠っているようだった。

 

「メーティ。あなたはいったい何者なの?どこから来て、誰に何をされたの?」

 

この問いかけは、広い生体カプセルの並ぶ、気温も湿度も適度に保たれた無味無臭の空間で静かに響いた。

次の瞬間、メーティの目が少し開いたように感じられた。気のせいだろうか。

 

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わたしはここから始まっていた。

わたしの意識意識はここから始まっていた。わたしという認識をしたのはつい最近である。この少女の体に宿るこの意識は今現在ここにある。私はあとどれくらい生きられるのだろう。また、いつまで生きなければいけないのだろう。今現在の、この体のすべてをつかさどるこの生命に宿る意識、この意識はいつまで続くのだろうか。少女の前はやさしい穏やかな痩せた少年で、その後、青年を経てから老人になった。老人になってからは、誰からも愛される事もなく、町にみすぼらしく徘徊する、物乞いの老いた老人だった。現在わたしは10歳ほどの少女のようだ。電車らしき乗り物に乗っていて、ガラスに反射して自分の姿が見えた。隣の男に手を取られながら。男は眠っているように見える。わたしの手をポケットにつっこんだままわたしの手を握っている。わたしの意識には、少女になる前のすべての記憶があった。老人の前は若々しく勇猛な青年。その前は母になったばかりの女だった。東国の小さな町にいたこともある。中心部にも。事細かな記憶も、交わした言葉も、全部。ただどうしてすべての記憶を有しているのか、それだけが思い出せなかった。そして私はしゃべれないらしい。喉の奥が乾いたようにこびりついて、声らしい声が出なかった。手をぎゅっと力を入れると、男の汗がじっとりとにじんだ。電車の中には誰もいない。私たちだけ。電車は音も無く走っている。トンネルのようで、外は真っ暗だ。しばらくして、どこか駅に着いたらしい。見慣れない駅に着いた。男を見ると、目を覚ましたようだ。男は立ち上がって、わたしの手をひっぱった。どうやら降りるようだ。

 無機質な駅のプラットフォームを抜け、たくさんの電車が立ち並ぶところをすり抜けてエレベーターを下って行く。大きな駅の割に、ひとはぽつりぽつりと、少なかった。改札らしきところを抜けて、駅員らしきものに男はIDカードをさっとポケットから出し駅員に見せた。すこし男は駅員と話をして、ゲートをくぐって出た。建物を出ると外はまぶしかった。太陽は真上に昇り、昼間だという事は分かった。男は手をぐいっと引っ張って、わたしをどこかへ連れて行くようだ。私には抵抗するすべをもたなかった。いつの時も、わたしは流れに身を任せた。その時、物陰から人があらわれてわたしたちに向って銃を発砲した。数人いる。男はさっと身をかわし、車に乗った。なにか運転手に言い、車は発進した。車は駅のロータリーを出て交差点を進み高速道へ向う道を走っていた。男は後ろを注意深く警戒している。車は大きなカーブの道に出て、背の高いポプラ並木の道へ出た。日差しがまぶしく、心地よく木の影がさしこんで、キラキラまぶしい。私はそんな光景を静かにぼおっと眺めていた。この男はわたしという意識の宿るこの少女の体を連れて、追っ手から逃れながらどこへ行くのだろう。

 

私は自分と同じ人種を見たこと、会った事、触れた事がある。その人達の事を思い出し始めていた。普通の人とは違う、幾人もの記憶を共有している意識を持つ人間。それは人間と呼べるのだろうか。その人達は、あきらかに私を知っていた。私も彼らを知っていた。旧知の友人のような、同志のような、家族のような深い絆のようなものを感じていた。言葉をかわす事はなかった。そっと手や体を触れると、その人の記憶が自分の過去の経験した記憶のようなものが、白昼の夢のように伝わって来た。その記憶は遠く、意識に流れ込んでくるようなもので、私の記憶に追加されて、自己の記憶のようになった。自分の体では経験してない記憶のはずなのに、過去の記憶のものなので、自身の記憶と区別はあまりつきずらいような、混濁したひとつなぎの記憶のようでもあった。身体的記憶につながっていないのにもかかわらず、時に激しく、やさしく、つらく、楽しいものであった。その人が経験したであろうすべての記憶が私のものになった。人によってさまざまだが、いろんな感情の起伏、人生のさまざまな出来事のすべてが記憶となって、澱がかき混ぜられ渦巻いてひとつになり、自分の意識に混入してくる。まるで他人とはおもえない、同じひとりの人であったかのような感覚になるのだ。私があるとき西国の都市の片隅で物乞いの老人だったとき、ぼろを着て街の片隅に座っていた時に出会った若い女がいた。頭にターバンを巻きその頭にかごをのせて、朝市で買い物してきた帰りだったのだろうか、果物のぶどうを一房、わけてくれた。一瞬手が触れて、若い女は目を見開き、両手で私のしわだらけで汚れた手をぎゅっとにぎり、こう言った。

 

「あなたは...ありがとう、出会えてうれしい。」

 

若い女はそう言って人ごみのなかに消えていった。私は一瞬にして女の記憶が自分の意識に混入してきて、女のすべての記憶を受け入れた。また、その若い女が受け入れた他人の記憶も私の意識に入ってきた。その若い女であった前は小さな子供、その前はかなり古い時代の貴族らしかった。女に、なぜこのような事が起こるのか聞きたかったが、しわがれてすぐに声がでない。私だけが理由を知らないまま、何世も人生を過ごしていたのだろうかと、街の物乞いの老人であったその時はじめて思った。私という意識のなかにある最初の記憶、記憶の始まりは太陽がごうごうと燃え上がるような日の、真上に太陽があがる時間だった。羊飼いの少年であった私は、羊を追い込む犬に注意を払いながら燃える太陽を見上げていた。羊の群れは太陽の様子にかまうこと無く草を食んでいた。その燃える太陽は私にはとてもなつかしく感じられた。普段の太陽は静かにじりじりと大地を照りつけるだけで、燃えるような様子ではなかった。その一瞬だけ、熱く燃えるような様子をしていた。私はなぜだか恐ろしくなり、犬をけしかけて、羊を囲いのなかへ追いやった。私が歩いていると老婆が杖をついて歩いて来て、私に家に帰るよう言った。老婆は私に優しかった。老婆は腰が曲がっていて、美味そうな芋の入ったスープを作ってくれた。わたしは少年から青年になりわたしが25歳のときに老婆は死んだ。そして30歳になった時に、羊を盗賊に奪われて家を燃やされ、私は呆然としたまま、街へ行き、物乞いとなった。そのまま、わたしは死ぬこともなく老人となったのだ。それで終わると思っていた。次の瞬間、10歳ほどの少女になっていたのだ。奴隷小屋に居て、少女の私は話す事ができなかった。声がでなかった。

 

 

 

 

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この本の内容は以上です。


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