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ジーン編15

 オレは、女村長に家をもらったが、食糧が無い事に気づき、格好悪くも途方に暮れていた。その晩に都合良く、ジーンが、青リンゴを抱えて訪ねて来たのだ。

 オレたちは、青リンゴを食べながら歩いて、オレの家からすぐの療養所へ足を進めた。

 

 東ザータ村唯一の大通りを東へ渡って、森の中の狭い小道を抜けると、オレがいつかジーンと闘った空き地があった。大通りから、狭い道でつながっているらしい。

 ついこの前の事なのに、オレはジーンとナイフで闘った事を、大昔の事のように思う。世話係のオヤジに、右手についた火を消してもらった頃と、同じように。大昔の事みたいだ。

 オレはまだ、青リンゴの芯を握りしめたままだ。

 

 空き地からまた森の小道を通ると、療養所の白い壁が見えてくる。

 白い石の壁の東側では、老人や何かの病気の連中が、暗いロウソクに照らされ、横になっている。ここの療養所はとても小さく、ベッドは八つ。オレのいた時と同じ、患者は数人だけだ。ジーンは、患者の方ではなく、白い壁の西側へ足を進めた。

 

 オレが目を開けると、必ずジーンがそばにいたわけがわかる。ジーンがオレの家まで、患者を放っておいてかごを持って来ていても、誰かがいてとがめられる事も無い。一年近く入院していても、ジーン以外の看護婦を見た事は無い。

 つまり、ジーンは誰かに賃金をもらいつつ、一人で看護全部をまかされているようだ。それでも、ジーンは、逃げ出そうとはしない。きっと、その誰かに監視されているのだろうな、とオレは思った。

 

「ここがキッチンです」
 ジーンが口のそばに手をもってきて小声で言った。

 

 オレはこの療養所のキッチンを初めて見た。壁と同じ、白い長方形の石でできている。下に、大きな袋がいくつかある。その右に、少し色が変わったまきが、ざくざくと積んである。

 

「パンはここにあります」
 ジーンは白い壁に手を伸ばして、キッチンの夜用のロウソクを消した。

 たぶん、病人以外の人にパンを与えるなど、本当はしてはいけないのだろう。ほのかな煙の匂いだ。

 

 オレも少し、暗がりのパンの袋をのぞきこんだ。そして、なぜだか、ジーンに出逢った頃を思い出した。左目のそばが少し傷ついていて、包帯と布ごしに見たジーンの顔。今にも泣き出しそうな顔だった。オレの口に、ジーンが運んでくれるスプーン。細切れのパンとジャム。

 暗くて袋の中はよく見えないが、そのパンの香りがした。
 

 確か、看護係のジーンに、白いつるつるした不思議な食べ物を、スプーンで食べさせてもらっていたのを覚えている。あれは何という食べ物なのだろうか。この前は聞きそびれてしまった。とても、美味しかった。

  

 オレが顔をあげると、ジーンが長いパンを、袋から引き抜くように取り出したのが、かろうじて見えた。

 

 

 

 全部のロウソクやランプを消して、療養所の皆を寝かせた後、オレとジーンは白い壁にもたれて喋った。

 白い壁の西側。ここへ来たのも、オレは初めてだった。オレは寝たきりで、療養所の周りをうろつき回る余裕なんて無かったからだ。

 白い壁の西側は、森林に囲まれたたった少しの空き地で、小さな家が建つほどの土地さえない。すぐ目の前に、夜の暗い森。あの事件からちょうど一年後の初夏。虫か何かの声がひっきりなしに聞こえる。

 オレは、この白い壁の西側に、青リンゴの芯を埋めて、土をかぶせた。

 

「白い、つるつるした食べ物ですか? わたしが、あなたの口へ運んだの?」
「そう。覚えてないか?」

「ごめんなさい。白い食べ物なんて、覚えてないです」
 ジーンはこちらを向いて、手を合わせた。

 

「そうか。オレはただのパンだけでも、十分満足していたけどさ。昔の暮らしより、ずっとマシだ」

 オレは、壁にもたれたまま、深い森の方を向いて言った。
「――キャメルさんは、昔はどんな暮らしをしていたの?」

 ジーンのひとつに結った髪が、動いた。

 

 オレはまあ、言ってしまおうと思った。どうせオレには罪は無い。ジーンに言ったところで、どうなるわけでもないだろう。
「オレは、十五年間、塔の中に幽閉されていたんだ。少ないパンと水を、世話係のオヤジに与えられて」

 オレは、頭の後ろで、腕を組んで言った。

 

「そのお話は、わたしも聞いた事があります。……もっと教えて」
 ジーンの表情が、月明かりの下、一瞬こわばったように見えた。

「嫌だ」

 オレは腕を組んで言い放った。面白いと思ったからだ。

 

「そんな事、言わないでよ。……もっと教えて、キャメル」

 ジーンは、この夜のように真っ黒な目を、オレの目に合わせた。――オレは、すぐに反らした。

 

 実は、ジーンに名前を『さん』抜きで呼ばれたのに、少し戸惑ったからだった。

 

 


この本の内容は以上です。


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