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 いつもは両親と志保だけの静かな家の中が、ゴールデンウイークの始まった今日は、にぎやかだ。兄夫婦が三歳になる美咲を連れて来たのだ。

「しほ、テレビつけて」

 夕食の後、美咲は当然のように志保に命令した。

(こんなチビに呼び捨てされるとは)

 大学四年生になる志保はそう思うけれど、美咲は父親をまねてるだけだ。『おばちゃん』よりはましだと、あえて無視している。今お気に入りのアニメを見るという。ぴょんぴょん跳ねている美咲の横で、志保もぼーっとテレビをながめていた。目が愛くるしいハムスターが現れ、テーマソングが流れる。

 『原作 河井リツ子』

 突然、画面に釘付けになった。子供の頃の志保が夢中になっていた漫画家さんだ。背表紙がすり切れるまで読んだ、あの『ぴょんぴょん』が鮮やかによみがえった。

 

 もうすぐ小学一年生になるという冬、志保は『元気な女の子のための新まんが雑誌発売!』という広告を見た。大好きな『あさりちゃん』もある。お兄ちゃんの『小学五年生』という雑誌に載っていた。

「お母さん、この雑誌買ってもいい?」

 そう言うと、

「おこづかいで買ってね。あとでお母さんにも見せてね」

 漫画好きな母は、ちゃっかりとそう言った。

 創刊号は、お年玉で買った。そして、たちまち夢中になった。漫画家になりたいなあと思っていたけれど、それが確かな夢になった。一九八八年のことだ。次の号が発売されるまで何度も何度も読み返した。それが『ぴょんぴょん』だ。おこづかいでお菓子を買わなくてもこの本があれば平気だった。次の年から月刊になって、毎月、本屋さんへ駆けて行った。

 伝記や名作、スポーツものや、ちょっとミステリー風なもの、ギャグもたくさんあって、どれも好きだった。あまりにも繰り返して読むものだから、すっかり覚えてしまった。

 お正月など家にお客様が集まった時、酔っぱらったお父さんが言った。

「志保の一発芸お見せします。この本のどこからでも吹き出しのセリフを言ってみてください。志保はその題を当てまあす」

 お客さんが隠れて、せりふを言うと、志保はたちどころに言い当てて、みんなを面白がらせた。

 いろんな作家さんのまねをして、たくさん漫画も描いた。どのノートも漫画だらけになり、テストも裏に描く漫画の方に時間をかけてしまい、先生にしかられた。

 ある時、『全員プレゼント』という企画で、河井リツ子先生の『なんでもアリス』のテレホンカードをもらった。それは、宝物で、使わずに今も大事に持っている。公衆電話が見当たらなくなった今、使い道もないけれど。

 

 月日が過ぎるうちに、雑誌がかなりの量になった。置き場所に困り、お兄ちゃんのベッド下のスペースを借りることにした。志保のベッドの下は洋服を入れる引き出しになっていたので仕方がなかった。

「えー、女の子の雑誌置き場かあ。友達来たらかっこ悪いよ」

 そういうお兄ちゃんに、母は言った。

「このすきまもったいないじゃない。志保の部屋は狭いし、別にじゃまにならないでしょ。新しい分は志保の本箱に入れるから」

 志保は、お兄ちゃんのいない間に、それを取り出してよく読んでいた。だから、そんな楽しい日がずっと続くと思っていたのだ。

 

 四年生の九月、いつものように十月号をワクワク読み始めた志保は、

「えっ、これも終わるの?これも?」

 つい独り言が出た。すると突然、最後のページに、『ぴょんぴょんはしばらくお休みすることになりました。『ちゃお』におひっこしするお話もあります』という記事があった。志保は混乱したけれど、お休みだからすぐにまた会えるのだと思っていた。

「ぴょんぴょんがお休みするんだって」

 そう泣きそうに言う志保に、お父さんは言い放った。

「売れてないんやな」

 その心無い一言は、志保を打ちのめした。

 日本で一番人気があると思っていた。確かに友だちは『りぼん』や『なかよし』を読んでいる子が多いし、志保も借りて読んでいる。でも、どれも恋愛ものばかりでちょっとうんざりしてしまうのだ。その点『ぴょんぴょん』はバラエティーに富んでいて、志保にとって不動の一位だったのだ。

(今までの本を大事に読むしかないな)

 志保は、繰り返し繰り返し、いっそうボロボロになったのを読んでいた。

 

 五年生になる春休み、

(ひさしぶりに『ぴょんぴょん』読み返そうかなあ)

 うきうきと志保は、お兄ちゃんのベッドの下をのぞきこんだ。

「えっ?うそ!」

 そこは空洞だった。

 二階から絶叫が響き、慌ててかけあがってきたお母さんに、志保はしがみついた。

「ぴょんぴょんがない!全部ない!ない!うわーん!」

 その日の夜、お兄ちゃんが、むすっとして言った。

「邪魔なんだよ。幼稚な漫画雑誌。高校生になって、オレもいろいろ置きたいもんがあるんだよ。わざわざ廃品回収に出してやったんだぜ。お礼言ってもらいたいくらいだ」

「だまって捨てるなんてひどい!」

「言ったらまたぎゃあぎゃあうるさいじゃないか」

 すっかり元気をなくし、食事もあまり食べなくなった志保のために、お父さんは、出版社の小学館に電話をした。親切な対応だったが、休刊して一部ずつしか残していないためお分けすることはできないとのことだった。

 それから『古書通信』に記事を載せてもらった。いつもは自分の趣味の古本を探すために使っているものだった。

(あまりにもジャンルが違うのでまあダメだろう)

 そう思いながらも、何かしないと志保の落胆が目に余ったからだ。インターネットが普及していない時代のことだ。こういうことしか手段はなかった。

 二か月がたった頃、新潟県の分水町に住んでいる方が「少しあります」と連絡くださった。

 送られて来た五冊の『ぴょんぴょん』で少し元気になった志保は、その家の明子ちゃんと文通を始めた。同い年だったが、農家の明子ちゃんの暮らしぶりには興味があった。『ぴょんぴょん』が大好きで、そんな話ができるのもうれしかった。読んでいたのは志保一人ではなかったのだ。お父さんたちも、共通の趣味で意気投合した。

 そして、夏休み、何と、志保は、新潟の明子ちゃんの家にお泊りに行くことになったのだ。一人で飛行機に乗って、楽しい思い出がいっぱいできた。あちこち連れて行ってもらったのに、申し訳ないくらいほとんど心に残らなかった。ただ、二階の明子ちゃんの部屋はうらやましかった。畳の広い部屋の窓から、まわり一面の緑の田んぼから吹きわたって来る風が気持ちよかった。そして、その部屋で『ぴょんぴょん』全巻を思う存分読むことができたことが、一番うれしいことだった。

 それから、だんだん明子ちゃんとの文通も間隔が空き、年賀状だけになって、そのうち途絶えてしまった。

 

 「ひまわりのたね~」

 ふと気づくと、美咲がおしりをふりながら歌っていた。

(今大人気の『ハム太郎』って、あの河井リツ子さんだったんだ。知らなかった。そういえば、アリスと目が一緒だわ)

 志保は、子供の頃の『ぴょんぴょん騒動』を思い出し、苦笑いを浮かべた。

(休刊になってもきちんと努力積み重ねてこられた漫画家さんもたくさんおられるんだ)

 漫画家になるという夢は「ぴょんぴょん」休刊からいつの間にか消えてしまった。あの頃の自分を思い出すと、ぶわんとまぶたが熱くなった。それを振り払うように、テーブルにあったメモ用紙に『ハム太郎』の絵をササーっと描いた。

「うわあ、しほじょうず!もっとかいてかいて」

 そう言って美咲は、自分の落書き帳を持ってきた。

「パパ、しほじょうずだよ、ハムタロウ」

「志保は、ずっとそんなのばっか描いてたからなあ」

 兄は、眉を下げてデレデレと美咲を抱き上げた。

「明日ハム太郎のノート買ってあげるね。お姉ちゃんにお風呂で、さっきの歌教えて」

「しほ、じょうずにうたえるかなあ」

 どこまでも生意気な姪と、ぴょんぴょん跳ねながらバスルームへ向かった。


この本の内容は以上です。


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