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14.

 

川沿いに長く広がる公園の入り口で、聡子は黒葛原を待っていた。公園では、年に二回立つうちの、春の木市が開催されている。

 

子どもの頃は、両親がよく連れてきてくれた。苗木や苗ものの他に食べ物の屋台も軒を並べ、犬猫や文鳥、金魚、おもちゃを扱う店もあり、聡子は小動物の前に長い時間居座って、親を困らせたものだった。

 

 待ち合わせに指定した噴水を土台に、湾向かいの活火山を仰ぐ銅像を聡子は見上げた。威圧的で近寄りがたい。見上げたまま、善治郎の顔を想像してみた。輪郭から始まり、眉目鼻。よく喋る薄い唇だったかも。

 

「岩井さん」

 

 えっ、と我に返る。逆光の中から人影が見おろしている。紙袋を提げて、黒葛原が立っていた。「お絵描き、ですか」

 

いつの間にか、地面に線を引いて善治郎の顔を探っていた。聡子は裾を払って立った。

 

「お絵描き、です」頭を掻いた。

 

「いちいち珍しい人だな」

 

「珍獣みたいに言わないでください」

 

「ほめているつもりなんだけど」

 

 どこが。責めたかったが、聡子は先を急ぐことにした。大型連休初日で、人出も増えて来つつある。迎えに行くという提案を断ったのは、一緒に居るところをなるべく人に見られないようにと思ったからだ。

 

聡子はうつむいた。量販店のシャツに色褪せ始めたカーディガン。膝の抜けたチノパンに、擦り傷の目立つフラットシューズ。並んで歩きながら、聡子はバッグに下げたお守り袋をそっと中にしまい込んだ。そして訊ねた。

 

「お願いしていたものは」

 

「この通り」紙袋を掲げて見せて、黒葛原は、スコップも持参しましたよと胸を反らせた。「善治郎さんは」

 

 ここに、と言う代わりに聡子はバッグに触れた。善治郎は日に日にやせ細っている。柔らかさがなくなり、堅く萎んだごみ屑に近くなりつつある。言葉少なに押し黙ることが多くなった。急がなくてはならなかった。

 

 左右から重なるテントの下を、並んで歩いた。久しぶりに訪れてみると、商売の趣きも明らかに異なっている。小動物を扱う店が減った代わりに、おしゃれな雑貨やハーブの店が若い女性を集めている。

 

 果樹をそろえた店で、聡子は足を止めた。手入れのあまり必要ない、育てやすいものはないですか。応えて店主がおススメですよと指さしたのは、赤茶けた葉をつけた、細く頼りない、見栄えのしない枝だった。

 

「ザクロ。日当たりさえ良ければ肥料もあまり必要ないし虫にも強い。三~四年で実が成るよ。なんたって子孫繁栄の木だからね。あんたらみたいな若いご夫婦にはぴったりだ」

 

 ほぅ。黒葛原はやたら感心している。頬を赤らめている聡子を見返り、「虫にも強いって」と幼い枝先を撫でた。

 

「これならスコップでも植えられる」

 

 

 

 


15.

 勧められるままにザクロを買って、南へ向かう国道を走った。いいと言うのに、黒葛原はどうしてもと付いてきた。荷物を運ばせておいて、以下無用と放り出されるのは理不尽というのが彼の言い分だった。もっともだ。それに彼には、今日という日を見届ける権利もあった。

 

 一時間に満たない道のりだが、助手席の聡子は緊張し通しだった。職場が同じという他は、埃の声が聞こえるという珍奇な共通項しかない男の車で実家のある町へ向かっている。黙っていると、起伏に乏しい緑に覆われた退屈な景色が眠気を誘う。黒葛原も同じだったのか、その先は数キロ先まで店らしい店もない長い片側一車線の直前で車をコンビニに入れた。

 

 トイレを借りて出てくると、先に飲み物を買っていてくれた黒葛原が「あそこで」と、道路向こうを指さした。長らくこの辺りを通らない間に、展望所が設置されている。光にぼやける山を背景にして、通り過ぎてきた石油コンビナート基地や道の駅が一望できる場所だった。二人はいつものようにジャムの瓶を間に置いてベンチに腰を下ろした。海から吹き寄せる風はもう、夏だ。

 

「眩しい」

 

 善治郎の声はかすれていた。聡子は心持ち体を傾け、瓶の上に影を作ってやった。

 

「サトちゃん、ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

「あんたは本当に心映えがいい。でも、つまらないものを抱えているように感じてならない。それだけが心残りだ」

 

 聡子は唇をかみしめた。他人の前でそんな話題をと、唇を噛んだ。

 

「聞きますよ」黒葛原まで。

 

「お聞かせするような話じゃないです」

 

「俺が持って行ってやるよ。早く身軽になりな。でなきゃ幸せにはなれん」

 

 善治郎の言葉が途切れ始めている。急がなきゃと思う反面、急ぎたくない。海を見た。大小のタンカーが浮く向こう側を、離島行きのジェットフォイルが白い影を引いて飛び去ってゆく。近くにはウィンドサーフィンの群れだ。帆が、空を掻き回すように踊る。善治郎が行く先は、あの青の中であって欲しい。

 

「つまらない話だよ。聞いて損したなんて怒らないで、ちゃんと持って行ってよね」

 

 聡子は去年、花嫁になるはずだった。

 

結婚相手の転勤が決まっていたために、披露宴ぎりぎりまで勤め、仕事を辞めた。ところが直前になって、長年親密にしてきた女が居ると分かった。

 

前夫との子を持つ女とは、結婚はしないが別れたくない。生真面目過ぎてときに窮屈な聡子からの避難場所にしておきたいなどと呆れ果てた言い訳をする男に、式場や新婚旅行、新居のキャンセル料すべてを慰謝料替わりに払わせて縁談はご破算と相成ったが、会社に戻ることはできない。入籍していなかったことだけが救いだった。周囲の腫れもの扱いが嫌になり、聡子は実家を出て移り住んだ。

 

 市民係の臨時職員に就いてすぐだった。朝からスタンド担当だった日の昼近く、市民係から見える階段を元婚約者が下りてくるのを見た。連れの女の膨らんだ腹を見て、聡子は崩れ落ちそうになった。別れた後転勤したはずの男が同じ街に住んでいるのかと思えば、落ち着かなかった。検索用パソコンに名前を打てば、住所も明らかになるだろう。だがそれが何になる。どうしようというのだ。

 

仲人から結局、女の名前や年齢は知らされなかった。被害者の聡子ではなく、加害者ともいうべき彼女のほうが守られたようで、その悔しさが胸を煮る。

 

「済んだことだよ、もう済んだこと」

 

 いつも、諦めの呪文で納得してきた。

 

「だがまぁ、寸でのところで災厄の元が絶てて良かったと思わなきゃな」

 

 善治郎の言葉は、かつて父が慰めたと同じだった。黒葛原は、ベンチの根元に生えた雑草を無言で引き抜いた。

 

「安心しな、俺が全部引き受けた。あとはつーちゃんがなんとかしてくれるさ」

 

 黒葛原と目が合う。逸らそうとしたが、逸らせなかった。

 

 二人は善治郎を、聡子の実家の庭に埋めることに決めていた。黒葛原に頼んで採ってきてもらった土蔵回りの土と一緒に、善治郎の願いを叶えてやろう。葉が生い茂り実を結ぶ木を植えて、彼が生きた目印にしよう。

 

居間から見える場所がいいと思い、久しぶりに電話を入れると、ちょうど、実のなる木を植えたいと考えていたと母が言った。帰ってくることを喜んでくれた。

 

「遅くなるとお母さんが心配する。さっさと片付けておくれよ。塵は塵に、埃は埃に」

 

 


16.

 

 梅雨入りのニュースが終わったところでテレビを消し、聡子は部屋を出た。雨などどこ吹く態の晴天を公園へ向かう。コンビニには寄らない。お茶は買ってあるから、とメールにあったから。

 

 待ち合わせは相変わらずの公園だ。水飲み場に着くと黒葛原が、今日は聡子を見つけて手を挙げた。ジャム瓶を置いていたときと同じく、微妙な間を取ってベンチに腰を下ろすと、彼はリュックサックから風呂敷包みを取り出した。

 

「どうしても見せたくて」

 

 包みの中身は、端切れをつないで作った布製の表紙を持つ古いアルバムだった。一見するだけで高価そうな、煌びやかな和服地ばかりが使われている。退色は著しいものの華やかさは失われていない。表紙をめくると、黒地に吉祥模様を散らした引き振袖の、角隠し姿の女性が現れた。隣のページには同じ花嫁が、りりしい紋付袴の花婿と並んでいる。モノクロームだが、着物や背景にした調度から婚礼の豪華さが伝わってくる。

 

「本庁の管財課が解体前の調査に来て、土蔵の二階の梁の上にあったのを見つけたらしい。表紙に使われている布には今では作るのが難しいものもあるらしくて、歴史資料館が欲しがっているそうだ。だから、今のうちにと思って頼み込んで借りてきた」

 

 添え書きには端正な女手で、昭和十四年五月吉日とある。

 

ページをめくる。松林を背景にして塩田の縁に座っている人々。この場所は、と説明を聞いて聡子は驚いた。長閑な景色は今や、幹線道路沿いにマンションや大型店舗が立ち並ぶ一帯だ。

 

 そして開く。左右に立派な門松を飾った大きな建物が正面から写されている。看板には大きく、四元商店。聡子は黒葛原を見た。彼は頷いた。

 

「善治郎さんの家だ」

 

 若い当主を中心に、晴れ着の人々が並ぶ正月の記念写真だった。次は先ほどの花嫁が、赤ん坊を抱いて雪景色の中に立つもので、赤ん坊は制帽を被った小学生になり、次はゆりかごで眠る新生児の傍らで得意げに澄ましている。

 

「他は後でゆっくり見てもらうことにして」

 

 肩先を寄せて来て、これだよ、と黒葛原は職場でいつも彼が使っている青い付箋を付けたページを開いた。

 

祭りの写真だった。造花や幟で飾り立てたトラックの前で、店の名を染め抜いた法被に鉢巻姿の青年が数人、笑顔を見せている。黒葛原が指した添え書きの中に、善治郎の名があった。

 

「僕は、この人が善治郎さんじゃないかなと思うんだけど」

 

 黒葛原が言ったのは、左から二番目。トラックの荷台に背をもたせ掛け、鉢巻からはみ出した前髪の奥から、強い視線を送ってきている。利かん気の強い頑丈な輪郭に、達者そうな口元。拗ねたような照れたような曖昧な笑顔は、まだどこかあどけない。添え書きの年から、高校生くらいだろうか。

 

「きっとそう。ほら、こんなに目を細めて。善治郎さん、いつも光が眩しい眩しいって」

 

 日陰者にはとつぶやいた言葉を思い出し、聡子は写真の縁にそっと触れた。資料館に展示だって。大した出世だねと、写真のひねくれ坊主の頭を撫でてやりたかった。

 

「俺ぁ、見世物じゃないよ」

 

 善治郎の照れる声が聞こえた。

 

 


奥付



幻でなく


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著者 : 求堂 咲
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