目次
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まえがき 悪の足跡の追求
タナトスの解説(集団ストーカーの指揮者、対人恐怖を作る人々)
タナトスの一族~カニバリズム、人身御供、アトランティス王国、最終戦争ラグナロク、タングート、西夏、アサシン教団、狼男、チャガタイ・ハン国、タウングー朝、ズールー帝国、アフリカ独立運動、ボコ・ハラム
ティールタンカラの一族~アーリア人、仏教、継体天皇、中臣鎌足、藤原不比等、白河天皇、鳥羽天皇、マリ帝国、聖フェーメ団、ジェノヴァ共和国、ルクセンブルク公国、モナコ公国
デウスの一族~ジャイナ教、河伯、サータヴァーハナ朝、フン族、アッティラ帝王、稲荷神社、九頭龍、風水、足利尊氏、後醍醐天皇、シャーマニズム、クエーカー教、住友財閥、三井財閥
ダーナ神族の一族~ディオニュソス、デニエン人、猿田彦、契丹、デーン人、鬼、酒呑童子、ハーバード大学、ジョージ・ワシントン大統領、アメリカ連合国、統一イタリア王国、カナダ、ニュージーランド、阿含宗
アブラハムの一族~シュメール文明、エフライム族、バアル、アフラマズダー、ゾロアスター教、マケドニア王国、聖徳太子、ピサ共和国、奥州藤原氏、フランシスコ・ピサロ、ヴァーサ朝、フィンランド共和国
預言者ナタンの一族~ラピタ文化、ダン族、ソロモン王、ミディアン人、ストーンヘンジ、アテーナイ王国、ヒクソス、アマルナ宗教改革、ケント王国、最澄、空海、源氏・平氏、マフディー国家
アッシュール・ダン1世の一族~魔神アスラ、タニス、北イスラエル王国、アルメニア王国、グノーシス主義、コプト教、聖コルンバ、アルシング議会
ガリアのドルイド司祭(東本願寺)の一族~アテネ民主制、ローマ執政官、ソピテース、デマゴーグ、ヘロデ大王、ローマ帝国、フィリキ・エテリア、青年トルコ革命、クルディスタン労働者党
聖ドナトゥスの一族~渤海王、ブワイ朝、テンプル騎士団、ジンバブエ王国、ダホメー王国、ハイチ帝国、トンガ王国、リベリア共和国、ブータン王国、黒人地位向上協会、バハーイー教
ローマ教皇レオ1世の一族~ランゴバルト王国、メロヴィング朝、マズダク教、ウイグル可汗、浄土教、曹洞宗、ノルマン人、カルマル同盟、出雲大社、コーザ・ノストラ、オーストラリア、バチカン市国委員会
クリュニー大主教ベルノの一族~ナバラ王国、フランク・ローマ皇帝、カペー朝フランス王、民衆十字軍、土肥実平、長宗我部氏、キャンディ王国、三菱財閥、モロ民族解放戦線、ルワンダ大虐殺
クリュニー大主教アイマールの一族~キエフ大公国、シトー会、北条時政、聖フランチェスコ会、シチリア王国、イタリア共和国
クリュニー大主教ヒューの一族~ヒメネス朝ナバラ王、バルセロナ朝アラゴン王、ブルゴーニュ朝カスティーリャ王、バルバロス・ハイレッディン、チュニジア、アルジェリア、ユニオン・コルス
カペー朝ルイ7世の一族~メリナ王国、カンボジア王国、カリブ族、四季協会、ゴーストダンス、マウマウ団、ドラヴィダ進歩党、カーゴカルト、パプアニューギニア、クメール・ルージュ
カペー朝フィリップ2世の一族~ドイツ騎士団、白蓮教、小西行長と弥助、マラッカ王国、ブルネイ帝国、ベネズエラ共和国、リンガトゥ教、呪術師スビキロ、バラク・オバマ、フアン・グアイド
親鸞の一族~浄土真宗、時宗、一向宗、世界初の精神病院ベドラム、ブルゴーニュ朝・アヴィス朝ポルトガル王国、コンキスタドール、メキシコ帝国、麻薬カルテル
如信の一族~魔女狩り解禁、異端審問、伊勢大社、カペー朝フランス王、ボルボン朝スペイン王、スペイン共和国
覚如の一族~紅巾の乱、華僑、百年戦争、殺人集団タギー、琉球王国、アチェ王国、黎朝ベトナム帝国、白蓮教、シンガポール、日清食品、社会民主党、全能神
善如の一族~倭寇、恭愍王、足利義満、日野富子、三浦倭館、東林党、魏忠賢、フランシス・ドレイク、バッカニア海賊、カタール首長
綽如の一族~ヴァロワ=ブルゴーニュ公、ブルボン公、能登守、ハプスブルグ朝スペイン王国、デュポン財閥、ケベック解放戦線
巧如の一族~ジル・ド・レ、ヴァロワ朝フランス、マルタ騎士団、マラーター族、アフガニスタン王国、オマーン王国、ザンジバル帝国、ソコト帝国、マルタ共和国
存如の一族~応仁の乱、アラゴン王国、アヴィス朝・ブラガンサ朝ポルトガル王国、ポルトガル共和国、アルバニア共和国、マザー・テレサ、神の愛の宣教者会
蓮如の一族~スイス連邦参事会、魔女狩り、パッツィ家、ロレーヌ公、一向一揆、秘密委員会、ベルギー王国
実如の一族~毛利元就、オルデンブルク朝デンマーク、モロッコ王国、フランコ将軍、パレスチナ解放機構、トントンマクート、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三、統一協会
証如の一族~明智光秀、魔女狩り、戦国時代、オランダ王国、近衛家、クウェート王国、イギリス東インド会社、南アフリカ連邦、ジャム・カシミールのムジャヒディーン、湾岸戦争
顕如の一族~万暦の三征、魔女狩り、オランダ東インド会社、スチュアート朝、老論派、バプティスト教会、メソジスト教会、ヴァンダービルト財閥、パール・ジャム、KORN
教如の一族~織田信雄、東山天皇、仁孝天皇、孝明天皇、カメハメハ大王、ハワイ王国、トンガ王国、サモア独立国、フィジー共和国、エチオピア連邦民主共和国
宣如の一族~ハプスブルグ家、ブルボン家、プファルツ朝スウェーデン王、フルベ聖戦、フランス共和国、イスラーム・マグリブ諸国のアル=カーイダ機構
琢如の一族~英蘭戦争、マラーター王国、ベンガル太守、アワミ連盟、バングラデシュ、ジャマート=ウル=ムジャーヒディーン
常如の一族~後金時代、李氏朝鮮末期、琉球第二尚氏王統、東学党、ゴ・ディン・ジエム、大韓民団、戸塚ヨットスクール、ベトナム社会主義共和国、国民民主党、自由朝鮮
一如の一族~名誉革命、ジャコバイト、オラニエ=ナッサウ王家、南アフリカ連邦、オレンジ革命
真如の一族~イエズス会弾圧、ムガール皇帝、マラーター同盟、タタ財閥、デカン・ムジャヒディーン
従如の一族~田沼意次、徳川家重、松平定信、井伊直弼、水野忠邦、徳川慶喜、静岡県知事
乗如の一族~フランス革命、ベトナム植民地、ブラジル帝国、YMCA、セブンスデー・アドベンチスト教会、国際赤十字社、花粉症、AIDS
達如の一族~復古神道、尊皇攘夷、天理教、金光教、神社本庁、日本社会党、講談社、日本会議、ヒカルランド
大谷光勝の一族~興宣大院君、明治天皇、ビアフラ共和国、ソンミ村虐殺、コリン・パウエル、コンドリーザ・ライス、トニー・ブレア
大谷光榮の一族~大谷大学、大正天皇、昭和天皇、アドルフ・ヒトラー、ハインリヒ・ヒムラー、軍産複合体、パフラヴィー朝皇帝、アウグスト・ピノチェト、立憲民主党
大谷光演の一族~重慶爆撃、CTスキャン、ダライ・ラマ14世、ディズニー・カンパニー、スティーブン・スピルバーグ、ジャニーズ、タイム・ワーナー社、YOUTUBE
大谷光暢の一族~市川團十郎、ラビア・カーディル、ブルース・リー親子暗殺、地下鉄サリン事件、天安門事件、オウム地下鉄サリン事件、酒鬼薔薇聖斗、雨傘革命
大谷暢顕の一族~TV局アナウンサー、宮崎勤事件、足利事件、オウム真理教、神戸連続児童殺傷事件、学級崩壊、大阪池田小児童殺害事件、てるくはのる事件、SEALDs
大谷暢裕の一族~「集団ストーカー問題を克服する」、2014香港反中デモ、2014香港反政府デモ、2019逃亡犯条例改正案撤回デモ
大宛のドルイド司祭(西本願寺)の一族~大宛、クシャーナ朝、鳩摩羅什、曇鸞、浄土宗、隋、ウマイヤ朝イスラム帝国、北宋、舜天王統、ブギス族、ジョホール朝、林本源、中国仏教協会、台湾
王安石の一族~南宋皇帝、今川国氏、デリー・スルターン朝、曹洞宗、永平寺、総持寺、コーカンド・ハン国、イエメン王国、イスラム国
今川国氏の一族~アステカ帝国、凄惨な人身御供儀式、串刺し公ヴラド・ツェペシュ、見付天神の人身御供、血の伯爵夫人エリザベート・バートリ、モルダヴィア公、ルーマニア王国、モルドバ共和国
准如の一族~小早川秀秋、ドン・コサック、古儀式派、ノーベル賞、ベルナドッテ朝スウェーデン王、温暖化十字軍、グレタ・トゥーンベリ
良如の一族~保科正之、徳川綱吉、生類憐みの令、火付盗賊改、子供を殺すための法律「ブラック法」、大英帝国、オックスフォード=アスキス伯爵、MI6長官
寂如の一族~女帝エカチェリーナ、秘密結社イルミナティ、ナチス帝国、特高警察、モサド、中央情報局、アメリカ連邦捜査局
住如の一族~ナーディル・シャー、黒住教、ビン=ラディン・グループ、アルカーイダ、ソマリランド大統領、GOOGLE
湛如の一族~ジュンガル帝国、チャックリー家、タイ王国、ネパール王国、モンゴル人民革命党、霊友会、世界救世教、祟教真光、日本相撲協会
法如の一族~アヘン戦争、ロスチャイルド財閥、ロックフェラー財閥、スカル&ボーンズ、第一次世界大戦、ホスピス、ロイター通信、北大西洋条約機構、アムネスティ・インターナショナル、児童文学ハリー・ポッター
文如の一族~九条道前、ウィリアム・ピット、薩摩戦争、切り裂きジャック、インディアン虐殺、BBC、タイタニック号沈没、ツタンカーメンの呪い、国際連合、連続児童殺人鬼アルバート・フィッシュ
本如の一族~ウクライナ東方カトリック教会、東トルキスタン、セルビア公国、ムスリム同胞団、ユーゴスラビア紛争、チェチェン紛争、南オセチア紛争、ウクライナ政変
広如の一族~長州藩藩主、伊藤博文、大隈重信、山縣有朋、龍谷大学、新渡戸稲造、白洲次郎、東条英機、日産コンツェルン、731部隊、ベトナム戦争
ネルソン・ロックフェラーの一族~ヘンリー・キッシンジャー、ビル・クリントン、湾岸症候群、ジョン・ベネ殺害事件、レバノン空爆、ロシアの人喰いズマガリエフ、ゾディアック、サムの息子、フェイスブック
デヴィッド・ロックフェラーの一族~ジョージ・ソロス、CNN、モンサント社、遺伝子組み換え作物、成長ホルモン、コソボ爆撃、コロンバイン高校銃撃、同性愛人喰いジェフリー・ダーマー、レオナルド・ディカプリオ
大谷光尊の一族~ウィンザー朝イギリス王室、ファシスト党、ディープ・ステート、連続殺人鬼ウィリアム・ハイレンズ、ウクライナ21、Twitter
大谷光瑞の一族~マンチェスター侯爵、ジョージ・H・W・ブッシュ、ケネディ大統領暗殺、湾岸戦争、冷戦終結、法輪功、国境なき記者団、自動運転技術テロ、オール電化テロ
大谷光照の一族~サウジアラビア王ファイサル、ロバート・ケネディ暗殺、ジョージ・W・ブッシュ、除草剤ラウンドアップ、連続殺人犯テッド・バンディ、世界同時多発テロ、キャラバン
大谷光真の一族~リヒテンシュタイン公、悪魔ビル・ゲイツ、マイクロソフト社、上祐史裕、プログラム自動ダウンロードテロ、異常行動テロ
大谷光淳の一族~リヒテンシュタイン公、2ちゃんねる、仙台女児連続暴行事件犯人、2019逃亡犯条例改正案撤回デモ、Qアーミージャパン
ユダヤ人(1731)の一族~ハザール帝国、薔薇十字団、カバラ神秘主義、ホフユーデン、人体自然発火事件、シオニズム運動、精神医学、エスペラント、モサド、ドイツキリスト教民主同盟、ゲノム編集
ユダヤ人(1908)の一族~ヒヴァ・ハン国、ガージャール朝、アドルフ・ヒトラー、ツングース大爆発、ロケット、マンハッタン計画、原子爆弾、水素爆弾、レーザー、コンピューター
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デウスの一族~ジャイナ教、河伯、サータヴァーハナ朝、フン族、アッティラ帝王、稲荷神社、九頭龍、風水、足利尊氏、後醍醐天皇、シャーマニズム、クエーカー教、住友財閥、三井財閥


デウス(2万年前)

サトレ(2万年前)

 

※「最終戦争ラグナロク」を機に、放射能で汚染された北アメリカ大陸を去ったアトランティス人は、故地であるアトランティス王国に帰還した。しかし、一部は反対側のヨーロッパに目を向けた。彼らは、北アメリカ大陸を離れて北極圏を抜けて氷河に覆われた北ヨーロッパに移住した。当時、ロンドン辺りまで氷河に覆われていたブリテン島にはディオーネーのタナトスに属する司神タナトスが棲んでいた。

彼らは「デウス」を名乗り、古代ヨーロッパに住んでいたオケアーニス大洋の娘たち、河川の娘たちを支配した。デウスの由来はクリュテイオスである。クリュテイオス=クリュデウス=デウスとなる。その後、デウスはイタリア半島にまで進出し、イタリア半島では「サトレ」を称した。サトレの由来はサトゥルヌスである。サトレはイタリアの由来でもある。サトレ=アトレ=アトレア=イタリアとなる。

 

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「ネアンデルタールが切断して焼いた骨がフランス・シャラント県で発掘される」(BC7千年)

 

「ネアンデルタールが36人の子女を食べた痕跡がドイツ・バンベルク洞窟で発掘される」(BC6千年)

 

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ダーサ族(BC32世紀)

サートヴァタ族(BC32世紀)

 

※古代ヨーロッパにティールタンカラが進出してアーリア人が生まれると、デウスはアーリア人の軍団に参加した。デウスは「ダーサ族」と呼ばれた。ダーサの由来はデウスである。

マハーバーラタ戦争「十王戦争」を機に、ヨーロッパを離れてインドに落ち延びたデウスは「サートヴァタ族」を形成した。サートヴァタの名の由来はサトゥルヌスと24のティールタンカラに属するスヴィティの組み合わせである。サトゥルヌス+スヴィティ=サトゥヴィティ=サートゥヴィティ=サートヴァタとなる

 

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トゥディヤ/足名椎神(?~?) 初代アッシリア王 在位BC2450~BC2400

アダムー(?~?) 第2代アッシリア王 在位BC2400~BC2375

 

※アッシリアの由来はダーサとアーリアの組み合わせである。ダーサ+アーリア=アーサリア=アッシリアとなる。アッシリア王アダムーは、古代オリエントと古代日本を同時に統べていた。日本の拠点は「出雲」と呼ばれた。出雲の由来はアダムーである。アダムー=アザム=出雲となる。アッシリア人は足名椎神、手名椎神、櫛名田比売命と呼ばれた。足名椎神の由来はアッシリア、タナトス、トゥディヤであり、手名椎神の由来はタナトス、トゥディヤであり、櫛名田比売命の由来は能登のペガサスである。アッシリア+タナトス+トゥディヤ=アシナトトゥディ=あしなづち=足名椎神、タナトス+トゥディヤ=タナトゥディ=てなづち=手名椎神、ペガサス+能登+姫=ガスノト姫=櫛名田比売命となる。

アッシリア人はアッシリア、中央アジア、日本でヤマタノオロチ(ティアマトの蛇)を祀り、人身御供を開催していた。優れた人間を公的に殺害し、性奴隷、或いは人肉を供給するためである。彼らはスサノオ(スーサの王?)に退治されるが、櫛名田比売命を嫁として差し出し、スサノオの遺伝子を取り入れている。

 

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イプタール・シン(?~?) アッシリア王 在位BC1662~BC1650

タン/手名椎神(?~?) 殷初代王 在位BC1675~BC1646

スッドーダナ(?~?) カピラバストゥ王

ドロノダーナ(?~?) 弟

 

ワイレン(?~?) 殷第11代王 在位不明

マハーヴィーラ(?~?) ジャイナ教教祖

 

ティグラト・ピレセル1世(?~?) アッシリア王 在位BC1115~BC1076

帝辛(?~?) 殷第30代王 在位BC1101~BC1076※最後の皇帝

 

※出雲国とアッシリア王国は同義であり、王族は古代ヨーロッパから東アジアに至るユーラシア大陸全域を支配していたと考えられる。カピラバストゥも殷もその一部である。カピラバストゥの由来はカブールとハルシュタットの組み合わせである。つまり、カピラバストゥ王国はネパールではなく、古代オーストリアからカブールにかけて存在した。殷(イン)と商(シャン)の由来はTANATOSの反対SOTANATだと考えられる。SOANA=ANA=イナ(殷)となり、SOANA=SOAN=シャン(商)となる。殷の王族は、人身御供を開催した。

スッドーダナとドロノダーナは兄弟とされているが、同一人物と考えられる。スッドーダナとドロノダーナの由来は両者とも、サトゥルヌスとタナトスの組み合わせである。サトゥルヌス+タナトス=サトゥタナ=スッドーダナとなり、サトゥルヌス+タナトス=トゥルヌタナ=ドロノダーナとなる。

マハーヴィーラはマガダで生まれたとされているが、当時のマガダはマケドニアのことを指していたため、ブッダと同じでマハーヴィーラも古代ヨーロッパに生まれたと考えられる。ジャイナの由来はTANATOS(タナトス)の反対SOTANATだと考えられる。SOTANAT=SOANA=ジャイナとなる。「マハーバーラタ戦争」と時を一にして殷も滅ぶが、ジャイナ教は中国からネパールに移り、「ナータ族」を称した。ナータの由来はジャイナ教と同じでSOTANATである。SOTANAT=NAT=ナータとなる。

 

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ガンダーラ王国(BC7世紀)

カンボージャ王国(BC7世紀)

 

エサルハドン(?~?) アッシリア王 在位BC681~BC669

テウスパ(?~BC670) キンメリア王 在位BC680~BC670

 

タグダム(?~BC640) キンメリア王 在位BC660~BC640

サンダクシャトラ(?~BC640) キンメリア王 在位BC640

 

※サートヴァタ族は「キンメリア人」とも呼ばれた。キンメリアの由来は24のティールタンカラに属するクントゥとマッリの組み合わせである。ガンダーラもキンメリアと同じ由来を持つ。クントゥ+マッリ=クンマッリ=キンメリアとなり、クントゥ+マッリ=クントゥッリ=ガンダーラとなる。

カンボージャも、24のティールタンカラに属するクントゥとヴァースプージャの組み合わせである。クントゥ+ヴァースプージャ=クンプージャ=カンボージャとなる。つまり、キンメリア人の拠点はガンダーラ王国やカンボージャ王国だった。


シャターニカ2世(?~?) ヴァツサ王 在位BC6世紀

 

※キンメリア人(ガンダーラ人、カンボージャ人)がシャターニカ2世を名乗った。シャターニカの名の由来はサタニカ(サタンの人)である。シャターニカ2世は、同じ一族であるティールタンカラが築いたヴァツサ国の王となった。

 

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ウダヤナ(?~?) ヴァツサ王 在位不明

簡子(?~?) 魏第6代王 在位不明

 

※ヴァツサ王ウダヤナは魏の王位を簒奪したと考えられる。このときから、魏の王は河伯に捧げる人身御供の儀式を主催する神官も兼ねていた。河伯の中国語読みはホーボーである。ホーボーの由来はティールタンカラのひとり「シャンパヴァ」である。シャンパヴァ=パーヴァー=ホーボーとなる。

 

襄子(?~?) 魏第7代王 在位不明

スパルタカス1世(?~BC433) スパルタ朝ボスポラス王国初代王 在位BC438~BC433

 

桓子(?~BC446) 魏第8代王 在位不明

サチュロス1世(?~BC389) スパルタ朝ボスポラス王国第2代王 在位BC433~BC389

 

文侯(?~BC396) 魏第9代王 在位BC445~BC396

セレウコス(?~BC393) スパルタ朝ボスポラス王国第3代王 在位BC433~BC393

 

武侯(BC424~BC370) 魏第10代王 在位BC395~BC370

昭王(?~BC277) 魏第13代王 在位BC296~BC277

 

安釐王(?~BC243) 魏第14代王 在位BC276~BC243 ※画像なし

パイリサデス2世(?~BC245) スパルタ朝ボスポラス王国第3代王 在位BC284~BC245※画像なし

ミトリダテス1世 (?~BC266) ポントス王国初代王 在位BC281~BC266※画像なし

アリオバルザネス(?~BC250) ポントス王国第2代王 在位BC266~BC250※画像なし

応神天皇(?~?) 第15代天皇 在位不明

仁徳天皇(?~?) 第16代天皇 在位不明

 

王假(?~BC225) 魏第16代王 在位BC227~BC225

ミトリダテス2世(?~BC220) ポントス王国第3代王 在位BC250~BC220

履中天皇(?~?) 第17代天皇 在位不明

 

※御名に足(たらし)を持つ景行天皇、成務天皇、仲哀天皇はアイルランドのハイキングだったが、応神天皇から武烈天皇までの天皇の正体はポントス王だった。応神天皇の御名「誉田別尊(ほんだわけ)」の由来はポントスである。もし応神天皇がポントス王であったなら、応神天皇はAD3世紀の人物ではなく、BC3世紀の人物となる。

 

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シムカ(?~?) サータヴァーハナ朝初代王 在位BC230~BC207

 

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サドカイ派(BC2世紀)

 

※アショーカの登場を機に、サートヴァタ族はエーゲ海に移り、「サドカイ派」を結成した。サドカイの名の由来はサトゥルヌスとアカイアの組み合わせである。サトゥルヌス+アカイア=サドカイア=サドカイとなる。その後、サドカイ派はイスラエルに進出した。

 

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ミトリダテス4世(?~BC150) ポントス王国第6代王 在位BC170~BC150

アレタス1世(?~?) ナパタエ王国初代王 在位BC169~?

 

オボダス1世(?~BC85) ナパタエ王国第3代王 在位BC96~BC85※画像なし

マリクス1世(?~BC30) ナパタエ王国第7代王 在位BC59~BC30※画像なし

崇神天皇(?~?) 第10代天皇 在位BC97~BC30

 

※魏は滅亡後にポントスに拠点を移した。ポントス王が更にナパタエ王国などを築いた。魏の王が築いた勢力はポントス、ナパタエ、マルコマンニに渡り、これらの国は邪馬台国とも倭国とも呼ばれた。邪馬台の由来はシャム(タイ)とナパタエの組み合わせである。シャム+ナパタエ=シャムタエ=邪馬台となる。倭の王として崇神天皇や垂仁天皇が生まれている。倭の由来は魏(ウェイ)である。 

 

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東明聖王(BC58~BC19) 高句麗初代王 在位BC37~BC19

 

瑠璃明王(BC38~18) 高句麗第2代王 在位BC19~18

温祚王(?~28) 百済初代王 在位BC18~28

 

※河伯は人身御供のカルトであり、若い娘を生贄として黄河の底に沈めていた。しかし、西門豹がこのカルトに属する巫女を皆殺しにした。その後、BC225年に魏が滅ぶと河伯はマヤに移り、マヤでも同じことを繰り返した。彼らは中国時代には生贄の娘を黄河に沈めていたが、マヤでは聖なる泉セノーテに沈めていた。

およそ200年後、河伯はマヤを離れて古代朝鮮半島に2つの王朝を築いた。高句麗と百済である。高句麗と百済の王は代々、日本で人身御供の神官を務めていた。高句麗(ゴグリョ)の由来はククルカンであり、百済(くだら)の由来はケツアルコアトルである。

高句麗と百済の王は、日本に「九頭龍」を祀り、現千葉県・鹿野山麓などで農民から生贄を要求する人身御供の教団を運営していた。九頭龍(くずりゅう)の読みの由来はケツァルコアトルである。ケツァルコアトル=ケツァルー=九頭龍(くずりゅう)となる。九頭龍の漢字の由来は先祖が祀っていたヤマタノオロチである。
この人身御供の種族は、古墳時代、日本武尊の古墳製作に干渉し、「古墳は王の墓であるべきだ」「王の墓を築く時は側近・奴隷を人柱として埋めるべきだ」と主張した。もちろん、日本武尊はこんなたわごとに耳は貸さない。だが、人身御供の種族は隠れて人柱を実施した。目的は、先代王の優れた側近を皆殺しにし、次世代の王の側近を自分の息がかかった者で固めるためである。

しかし、これを知った日本武尊は彼らを皆殺しにし、代わりに「埴輪」を埋めるようになった。こうして、土蜘蛛を皆殺しにした景行天皇の偉業を引き継いだ日本武尊は、日本各地で古墳製作を指揮しながら、同じく土蜘蛛の邪教詐欺集団、九頭龍の人身御供の種族を皆殺しにするようになった。
その後も、彼らは朝鮮半島から渡来し、越前国、安芸国、常陸国、紀伊国に渡って人身御供の儀式を存続し、食肉目的で日本人を惨殺し、食料として食べていた。日本人に恐れられた九頭龍は、常陸では「鹿島大明神」、紀伊では「熊野大権現」、安芸では「厳島大明神」、越前では「黒龍大明神」として祀られた。彼らは既存の神々に乗っかり、権威を悪用しているのだ。
九頭龍は国家鎮護の神として祀られたが、これは、当時の日本人が悪との戦いを放棄し、人喰い人種に絶対服従していたことを示している。古代日本では、ヤマタノオロチの昔から、優れた児童が生贄として捧げられていた。「指導者の可能性を持つ児童をすべて排除していれば俺たちに歯向かうやつは永久に出てこない。優れた者の管理は簡単だ。優れた者は少ないからな」ということだ。このように、日本人を形成する精神的な核には、自分たちを救ってくれる英雄を自ら殺し、人喰い人種に服従することで生活と安定を守る本能が定着している。

 

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オロチ族(BC1世紀)

 

※高句麗が築かれると、一部中枢はシベリアに進出し、「オロチ族」となった。オロチの由来は日本語のオロチである。彼らがシャーマニズムを始めた。シャーマニズムは人類の宗教の原型ではなく、新しい類の宗教である。シャーマンの大きな特徴は、未開の部族を対象にしていることである。

 

エクソシスト(218頃)

 

※オロチ族のシャーマンはツングースを離れて、遠く、ヨーロッパに及び、ローマ帝国に侵入した。キリスト教に習合した彼らはシャーマン文化を取り入れ、悪魔祓いなど「エクソシスト」の文化をキリスト教に取り入れた。基本的に詐欺であり、執り憑かれた者とエクソシストは役者であり、悪魔祓いの様子を見ている人々は観客である。ただ、人々は観客であるという自覚がない。

 

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垂仁天皇(?~70) 第11代天皇 在位BC29~70

アルサケス(?~?) ポントス王国第11代王 在位BC37※画像なし

ポレモン1世(?~BC8) ローマ属領時代初代ポントス王 在位BC37~BC8※画像なし

ピトドリダ(?~38) ローマ属領時代第2代ポントス王 在位BC8~38※画像なし

ポレモン2世(?~64) ローマ属領時代第3代ポントス王 在位38~64※画像なし

マロボドゥース(?~18) マルコマンニ王 在位BC9~18※画像なし

カトゥアルダ(?~20) マルコマンニ王 在位18~20※画像なし

ヴァニウス(?~50) マルコマンニ王 在位20~50※画像なし

ヴァンギオ(?~50) マルコマンニ王 在位50※画像なし

シド(?~50) マルコマンニ王 在位50※画像なし

 

※倭の王、邪馬台国の王、垂仁天皇はポントス王、マルコマンニ王も兼ねていた。

 

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地母神アティラ(66頃)

創造神ティラウ(66頃)

 

※66年、ユダヤ戦争を機にディアスポラが発生すると、サドカイ派は遠く北アメリカの地にまで足を伸ばした。ポーニー族を支配下に置いた彼らは「地母神アティラ」「創造神ティラウ」を祀って人身御供を実施した。アティラの名の由来はサトゥルヌスである。サトゥルヌス=アトゥルヌス=アトゥル=アティラとなる。ティラウの名の由来はサトゥルヌスである。サトゥルヌス=サトゥラウヌス=トゥラウ=ティラウとなる。

 

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ラベル2世(?~106) ナパタエ王国第7代王 在位71~106※最後の王

マルクス・トラヤヌス(30~100) ※ローマ皇帝トラヤヌスの父

 

ルキウス・ウェルス(130~169) ※ローマ皇帝トラヤヌスの曾孫

バロマール(?~?) マルコマンニ王 在位166~178頃

バナダスプス(?~?) ジャマタエ王 在位174頃

 

ルキウス・アウレリウス・ウェルス(159?)※ルキウス・ウェルスの子

ゴルディアヌス1世(159~238) ローマ皇帝 在位238

 

アントニア・ゴルディアナ(210~?) ローマ皇帝ゴルディアヌス2世の妹

卑弥呼(?~240頃)

 

オリブリオス(430~472) 西ローマ皇帝 在位472

ベンガ(?~?) ジャマタエ王 在位470~471

ブバイ(?~?) ジャマタエ王 在位470~471

 

※邪馬台国の首都は現タイに築かれたと考えられる。邪馬台の由来はシャムとナパタエの組み合わせである。つまり、邪馬台国はヨーロッパ、シナイ半島、黒海、タイ(シャム)に勢力圏を持ち、倭、タイ(シャム)、ナパタエ、ポントスなど複数の名を持つ国際的な連邦国家だった。

邪馬台国の女王卑弥呼の正体はローマ皇帝の妹アントニア・ゴルディアナだった。ゴルディアヌス1世から3世にかけて、ローマ皇帝は「サトゥルヌス密儀」を指揮していた。サトゥルヌス神殿は、政治的にも極めて重要な神殿としてローマの七丘のひとつカピトリヌス丘の麓に築かれた。神殿には、ローマの国庫が設置され、法文や元老院決議が保管されるなどされていたが、サトゥルヌス密儀の集団が、どれほどローマに対して大きく、深い影響力を誇っていたかが理解できる。

 

イクリンガス(?~?) マーシア王国初代王 在位527頃

 

ベールトウルフ(?~852) マーシア王国第31代王 在位840~852

アルモス(?~850) 初代マジャール王 在位820~850

 

ゲーザ(?~997) 第6代マジャール王 在位973~997

 

※ジャマタエ族はイングランドに移り、マーシア王国を建てた。マーシアの由来はシャム(タイ)の由来シャマシュである。シャマシュ=シャマーシュ=マーシアとなる。その後、ベールトウルフ王がイングランドを離れてパンノニアに移住している。この時にマジャール人が生まれた。マジャールの由来はマーシアとマクリアの組み合わせである。

マーシア+マクリア=マーシアリア=マーシャラ=マジャールとなる。

マーシア王と共にマジャール人を儲けたマクリア王国(安閑天皇の一族)、初代ハンガリー王イシュトヴァーン1世を生んだアールパード家を築いたアルワ王国(ハルハ部)、ノバティア王国(北狄)は、ヌビアに移住したモンゴル人である。

 

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義慈王(599~660) 百済第31代王 在位641~660※最後の王

 

宝蔵王(?~682) 高句麗第28代王※最後の王

 

稲荷神社(356頃)

田中大神(356頃)
佐田彦大神(356頃)
四大神(356頃)

大宮能売大神(356頃)

 

※新羅が興り、三国時代が始まると、マヤ人は中枢を日本に拠点を移した。彼らは、「田中大神」「佐田彦大神」「四大神」「大宮能売大神」を儲け、稲荷神社を築いた。稲荷(いなり)の由来は朝鮮語の神(ハヌル)であり、漢字表記「稲」と「荷」の由来はパンノニアである。

田中、佐田彦の名の由来はサタンの人(サタニキ)であり、四の名の由来は死(タナトス)である。サタニキ=タニキ=田中となり、サタンの人=佐田+彦=佐田彦となる。能売(のめ)の名の由来はヌミディアである。田中、佐田の名の由来はサタンだけではなく、マケドニア人(マケドニキ)=田中、アサド=佐田などがある。  

 

唯一神アラー(5世紀)

 

※マヤ人は、インド洋の通商航路を経て日本からアラビア半島にまで辿り着いた。彼らはアラビアの地で人身御供を始めた。優れた人間を公的に殺害し、性奴隷、或いは人肉を供給するためである。朝鮮語をしゃべる彼らはアラビア人に対し、「俺たちに生贄をよこせ、さもなくば死だ。わかったか(アラ)?」と語りかけた。するとアラビア人は「わかりました(アラー)」と応えた。これが唯一神アラーの誕生である。「アラ」とは朝鮮語で「了解」を意味する。

 

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ガウタミープトラ・シャータカルニ(?~?) サータヴァーハナ朝第22代王 在位106~130

 

ヤジャニヤ・シュリー・シャータカルニ(?~?) サータヴァーハナ朝最後の王 在位170~199

 

※サドカイ派は、故地であるインドに「サータヴァーハナ朝」を開いた。サータヴァーハナの名の由来はサートヴァタとヴァナラシの組み合わせである。サートヴァタ+ヴァナラシ=サートヴァヴァナ=サータヴァーハナとなる。サータヴァーハナ朝は、アーンドラ朝とも呼ばれた。70年にエルサレム神殿の破壊が起きると、サドカイ派はイスラエルを離れてインドに帰還し、サータヴァーハナ朝の支配に専念した。

 

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フン族(3世紀)

 

※3世紀にサータヴァーハナ朝(アーンドラ朝)が滅ぶと、一部はゲルマニアに移ってヴァンダル族となる。一部は「フン族」を生んだ。インド人の顔をしたフン族には匈奴の残党も含まれていた。フンの名の由来はサータヴァーハナのハナである。

パンノニアはフン族が命名したが、由来はフンとゲルマニアの組み合わせである。フン+ゲルマニア=フンニア=フンヌニア=パンノニアとなる。フン族は、タナトスの首領ドナート、ルアなどの悪党に率いられ、残忍な騎馬民族として恐れられた。

 

ガイセリック(389~477) 初代ヴァンダル王 在位428~477

ゲリメル(480~553) ヴァンダル最後の王 在位530~534


カーブ・イブン・アル=アシュラーフ(?~624) バヌー・ナディール首長

 

※ヴァンダル王国が滅ぶと、ゲリメルの残党はメディ-ナに移住した。彼らは「バヌー・ナディール族」を称した。バヌー・ナディールの名の由来はフンとナードゥ、ドラヴィダの組み合わせである。フン+ナードゥ+ドラヴィダ=ブン・ナードゥラ=バヌー・ナディールとなる。

 

アフマド・イブン・トゥールーン(835~884) トゥールーン朝初代アミール 在位868~884

シャイバーン・イブン・アフマド・イブン・トゥールーン(?~?) トゥールーン朝アミール 在位904~905※最後の王

 

※バヌー・ナディール族はエジプトに「トゥールーン朝」を開いた。

 

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アッティラ(406~453) フン族の王

マルキアヌス(396~457) テオドシウス朝第4代ビザンツ帝国皇帝※画像なし

 

※330年後、ポーニー族の土地に「アッティラ」が生まれると、彼らはヨーロッパに帰還した。アッティラの名の由来は地母神アティラである。ドナート、ルアなどの偉大な悪党の衣鉢を継いだアッティラは、フン族を指揮し、パンノニアに「アッティラの帝国」を打ち建てた。

アッチラの死によってアッチラの帝国が崩壊すると、一部フン族はシベリアに移住し「ナナイ族」を生んだ。ナナイの名の由来はパンノニアである。パンノニア=パンナナイ=ナナイとなる。

 

エラク(?~454) ※アッティラの子

シェンギラ(430~480) エフタル初代王 在位430~461

 

トラマーナ(?~?) エフタル王 在位515~528

ユクノーム・チェン1世(?~?) カラクムル王 在位500頃

 

ミヒラクラ(?~542) エフタル最後の王 在位528~542

トゥーン・カーブ・ヒックス(?~?) カラクムル王 在位520~546

東漢磐井(?~?)

 

空を見る者(?~?) カラクムル王 在位561~572

ヤックス・ヨパート(?~?) カラクムル王 在位572~579

巻き蛇(?~?) カラクムル王 在位579~611

東漢駒(?~592) 坂上氏家祖※東漢磐井の子

 

タホーム・ウカッブ・カック(?~?) カラクムル王 在位622~630

ユクノーム・チェン2世(?~?) カラクムル王 在位636~686

ユクノーム・イチャーク・カック(?~?) カラクムル王 在位686~695

ユクノーム・トーク・カウィール(?~?) カラクムル王 在位702~731

 

偉大なる蛇(?~?) カラクムル王 在位751頃

坂上犬養(682~765)

一行(683~727) 風水師

 

※坂上犬養は張氏に接近して自身の血統を打ち立てた。この時に誕生したのが「一行(張遂)」である。一行は、風水師として唐の玄宗皇帝と関係を持った。ただ、一行が玄宗皇帝に重用されたのに対し、邱延翰は危険視され、迫害された。風水は、タナトス一族の経済活動促進、需要開拓のためのウソに過ぎない。

 

ボロン・カウィール2世(?~?) カラクムル王 在位771~789※画像なし

坂上苅田麻呂(727~786)

能登内親王(733~781) 光仁天皇の子※画像なし

 

※757年頃、カラクムル王ボロン・カウィール2世(坂上苅田麻呂)が九頭龍崇拝を復活させた。彼らは、箱根山に進出して芦ノ湖に拠点を得た。彼らは、箱根の村人に毎年若い娘を選んで芦ノ湖に棲む毒龍に捧げることを強制していた。村人が皆殺しになるよりは犠牲者が一人で済むなら仕方が無い、と村人は嫌がる娘を九頭龍に捧げていた。この時、見かねた修行僧「万巻」が村人を救っている。万巻の正体は、修験者(天狗)と考えられる。
万巻は、危険な人喰い人種たちを湖底の杉に縛り付けて皆殺しにしたようである。これを機に、マヤに君臨していたカラクムル王国は壊滅した。九頭龍の残党は日本各地に散り、諏訪国、甲斐国、現東京都・檜原村、葛城山系、肥前国、阿蘇山、摂津国、近江国などに居住した。

 

弥努摩内親王(?~810) 光仁天皇の子※画像なし

坂上田村麻呂(758~811) 征夷大将軍※坂上苅田麻呂の子

藤原内麻呂(756~812)

 

坂上広野(787~828) ※坂上田村麻呂の子

アテルイ(789~802)

 

坂上正野(?~?) ※坂上田村麻呂の子

モレ(?~?) 

 

※アッティラの子孫である坂上田村麻呂が儲けた息子2人は「アテルイ」「モレ」を称し、蝦夷を治めた。アテルイの名の由来はフン族の帝王アッティラである。アッティラ=アッテライ=アテルイとなる。モレの由来はモレクである。蝦夷を治めていたアテルイは、陸奥国に進出した紀古佐美率いる朝廷軍を巣伏の戦いで撃退したが、続く大伴弟麻呂、そして坂上田村麻呂率いる朝廷軍にたて続けて敗北した。

父であるためか、田村麻呂はアテルイの助命を嘆願したという。当時の人々であれ、現代の学者であれ、第三者には田村麻呂の真意は理解できなかっただろう。その後、アテルイは河内国で処刑されたとされているが、実際には蝦夷を脱し、太平洋を横断してマヤに落ち延びたようだ。

 

雨神チャクモール(802)
稲妻の神トラロック(802)

 

※日本人の顔をしたアテルイらは「トラロック」を祀り、マヤ人を統治した。トラロックの名の由来はアテルイとモレの組み合わせである。アテルイ+モレ(モレク)=テルレク=トラロックとなる。チャクモールの名の由来はマヤの創造神チャクとモレクの組み合わせである。チャク+モレク=チャクモレ=チャクモールとなる。

人身御供の種族である彼らは、雨乞いの儀式と称して優秀な者を選んで生贄としてチャクモールに捧げた。つまり、雨乞いの儀式の目的は、雨乞いではない。彼らがマヤで実施した雨乞いの儀式の目的は、邪魔者の速やかな排除や、人肉の入手を目的とした殺人である。

 

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藤原内麻呂の子(マヤの人身御供神官)

 

藤原真夏(774~830)

藤原冬嗣 (775~826)

藤原秋継(?~?)

藤原桜麻呂(?~?)

藤原福当麻呂(?~?)

藤原長岡(786~849)

藤原率(?~?)

藤原愛発(788~843)

藤原大津(792~854)

藤原衛(799~857)

藤原助(799~853)

藤原収(?~?)

藤原緒夏(?~?)

 

※藤原内麻呂の子孫がマヤで人身御供の神官を代々務めた。内麻呂の子孫の名が、謎に包まれたマヤの人身御供の神官たちの名前である。彼らは生贄をセノーテと呼ばれた聖なる泉に投げ込んだ。実際には優れた者の排除である。優れた者がいなければ自分たちは安泰だ。アステカ帝国では、今川氏の一族が凄惨な人身御供の儀式を取り仕切っていた。

 

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藤原冬嗣の子(マヤの人身御供神官)

 

藤原長良(802~856)

藤原良房(804~872)

藤原良方(?~?)

藤原良輔(?~?)

藤原順子(809~871)

藤原良相(813~867)

藤原良門(?~?)

藤原良仁(819~860)

藤原良世(823~900)

 

※藤原内麻呂の子孫がマヤで人身御供の神官を代々務めた。内麻呂の子孫の名が、謎に包まれたマヤの人身御供の神官たちの名前である。上の画像のように、内麻呂の子たちは、神官として男たちにボール競技に参加させ、勝利した者を生贄として捧げるという矛盾を強要した。これは強い者の排除である。強い者がいなければ自分たちは安泰なのだ。

 

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藤原良房の子(マヤの人身御供神官)

 

藤原基経(836~891)

 

※藤原内麻呂の子孫がマヤで人身御供の神官を代々務めた。内麻呂の子孫の名が、謎に包まれたマヤの人身御供の神官たちの名前である。

 

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藤原基経の子(マヤの人身御供神官)

 

藤原時平(871~909)

藤原温子(872~907)

藤原仲平(875~945)

藤原兼平(875~935)

藤原忠平(880~949)

藤原良平(?~?)

藤原穏子(885~954)

 

※藤原内麻呂の子孫がマヤで人身御供の神官を代々務めた。内麻呂の子孫の名が、謎に包まれたマヤの人身御供の神官たちの名前である。

 

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藤原時平の子

 

藤原保忠(890~936) 藤原内麻呂玄孫の子

ウバイドゥッラー(?~934) ファーティマ朝初代王 在位909~934

 

藤原経家(1018~1068) 藤原保忠の玄孫

文宗(1019~1083) 第11代高麗王 在位1046~1083

 

※藤原保忠はエジプトに赴き、初代王として「ファティマ朝」を開いている。ファティマの由来は24のティールタンカラに属するパドマプラパである。一方、保忠の玄孫になる藤原経家は高麗の王位を簒奪している。

 

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シンドク(?~?) クディリ王国初代王 在位929~947

ボゴミル(?~?) ボゴミル派教祖

 

※トゥールーン朝が滅ぶと、残党はジャワ島に移り住んでクディリ王国を築いた。クディリの由来は百済(くだら)である。初代王シンドクの時代、クディリ人は早速ブルガリアに侵入して「ボゴミール派」を築いた。

 

アリイェスワラ(?~?) クディリ王 在位1171~1174

 

※アリイェスワラ王の時代、クディリ人はジャワを出撃してフランスに侵入し、「カタリ派」を設けた。カタリの由来はクディリである。カタリ派は同じタナトスの一族に異端と呼ばれ、アルビ十字軍によって掃討された。

 

ジャヤカトワン(?~?) 最後のクディリ王 在位1292~1293
ピナモンテ・ボナコルシ(?~?) 初代マントヴァ公 在位1279~1291

 

リナルド・ボナコルシ(?~?) 第4代マントヴァ公 在位1309~1328

 

※クディリ王国が滅ぶと、クディリ王ジャヤカトワンはマントヴァに移住し「ボナコルシ家」を儲けた。ボナコルシの名の由来はバヌーとクライシュの組み合わせである。バヌー+クライシュ=バヌクラス=ボヌコルシとなる。ピナモンテ・ボナコルシは、マントヴァの僭主となり、「マントヴァ公国」を築いた。

 

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毅宗(1127~1173) 第18代高麗王 在位1146~1170 ※文宗の玄孫

度会行能(12世紀) 渡会氏の祖?

足利義康(1127~1157) 足利氏の祖

源時方(12世紀) 五辻仲兼の父

 

※マヤ人は、メキシコを後に日本に移住した。マヤ人の顔をしたトラロックは日本人と混合し「渡会」の名を生んだ。渡会の名の由来はアテルイである。アテルイ=ワテルイ=度会(わたらい)となる。又、漢字表記「渡会(どかい)」の由来はサドカイである。

度会家行は、日本仏教界と対立し、仏より神が上位であること、外宮信仰を主張した。また、「建武の新政」後の南北朝の動乱では、信楽を制した祖を同じくする多羅尾氏と連合した。渡会氏は南朝方を支援し、南伊勢地区の軍事活動に挺身した。「後醍醐天皇」の吉野遷幸に尽力した渡会氏は、雄として南朝に対して影響力を誇ったという。

 

明宗(1131~1202) 第19代高麗王 在位1170~1197

サラーフッディーン(1137~1193) アイユーブ朝初代王 在位1169~1193

 

神宗(1144~1204) 第20代高麗王 在位1197~1204

崔忠献(1149~1219) 高麗王朝重臣※画像なし

 

康宗(1152~1213) 第22代高麗王 在位1212~1213

アーディド(1150~1171) ファーティマ朝最後の王 在位1160~1171

アリ・マッラ(?~?) マッラ朝初代ネパール王 在位1200頃

 

トゥーラーン・シャー(?~1250) アイユーブ朝第8代スルタン 在位1249~1250

アル=アシュラフ・ムーサー(1245~?) アイユーブ朝第9代スルタン 在位1250~1254※最後の王

 

ジャヤスティティ・マッラ(?~1395) マッラ朝ネパール王 在位1382~1395

住友忠重(?~?) 住友家始祖

 

※住友の名の由来は住友の名の由来はイスマイールとファティマの組み合わせである。イスマイール+ファティマ=スマティマ=住友となる。

 

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度会行継(12世紀) 度会行能の子※画像なし

五辻仲兼(12世紀) 五辻家の祖※画像なし

知訥(1158~1210) 曹渓宗教祖

 

※日本を離れたマヤ人は次に朝鮮半島に渡った。彼らは、知訥(チヌル)を生んだ。知訥は、曹渓宗(チョゲ)を開いた。曹渓(チョゲ)の名の由来はチャクモールである。チャク=チャゲ=チョゲ(曹渓)となる。仏教が弾圧された時代にも朝鮮で勢力を保持し、AD19世紀末には隆盛を喫した。

 

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高麗王仁宗の孫

 

寿寧宮主(?~?) 第22代高麗王康宗の娘

シャジャル・アッ=ドゥッル(?~1257) マムルーク朝初代スルタン(女性)

 

高宗(1192~1259) 第23代高麗王 在位1213~1259※第22代高麗王康宗の子

イッズッディーン・アイバク(?~1257) マムルーク朝第2代スルタン 在位1250~1257

トルイ(1192~1232) チンギス・ハーン四男

 

沖明国師(生没年不詳) 高麗王熙宗の子

モンケ(1209~1259) 第4代モンゴル帝国ハーン※トルイの子

 

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高宗の子

 

元宗(1219~1274) 高麗王 在位1260~1274※画像なし

後嵯峨天皇(1220~1272) 第88代天皇

アリクブケ(1219~1266) モンゴル帝国第5代ハーン※画像なし

 

王珆(?~1266) 元宗の子※画像なし

亀山天皇(1249~1305) 第90代天皇

 

※高麗から来た王族は天皇に変身した。後嵯峨天皇、亀山天皇は九頭龍崇拝の神官として人無御供の儀式を仕切ったと考えられる。

 

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第4代モンゴル帝国ハーンモンケの子

 

シリギ(?~1280?)※画像なし

メリク・テムル(?~1307) アリクブケの子※画像なし

ニコロ・ポーロ(1230~1294) マルコ父※画像なし

ニコラウス4世(1227~1292) ローマ教皇

 

ウルス・ブカ(?~1324) モンケの孫※画像なし

ヨブクル(?~1324) アリクブケの子※画像なし

マルコ・ポーロ(1254~1324) 二コロの子

ルスティケロ・ダ・ピサ(生没年不詳) 東方見聞録記述※画像なし

ニコラウス5世(1260?~1333) 対立教皇※画像なし

 

※モンケの孫は、じつはアリクブケの子でもあった。2人はポーロ親子に変身し、仇であるフビライの帝国を諜報員として視察した。しかし勝算がないと分かると、親子は現イタリアに移り、永住したと考えられる。2人はローマ教皇としてローマに自身の勢力基盤を築こうと考えたが、強い基盤は得られなかった。

 

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亀山天皇の子

 

晛子内親王(1262~1264)

度会家行(1256~1351) ※度会有行の子

 

後宇多天皇(1267~1324) 第91代天皇

足利家時(1260~1284) ※足利尊氏の祖父

 

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後宇多天皇の子

 

後醍醐天皇(1288~1339) 第96代天皇※五辻忠子の子

 

※五辻の由来はマヤの神イシュチュルである。イシュチュル=いつしる=五汁となるが、いつの間にか五辻となる(少々無理があるが)。

 

後宇多天皇の皇子(1307)※画像無し

足利尊氏(1305~1358) 室町幕府初代征夷大将軍

忠粛王(1294~1339) 高麗第27代国王※画像無し

 

※足利の由来はマヤの神イシュキックである。イシュキック=イシュキク=足利となる。後醍醐天皇と足利尊氏は実際には兄弟である。そのため、2人は最初こそ共に動いていた。

 

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後醍醐天皇の子

 

後村上天皇(1328~1368) 第97代天皇

 

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後村上天皇の子

 

惟成親王(?~1423) 第三皇子

太宗(1367~1422) 李氏朝鮮第3代国王

 

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李氏朝鮮第3代国王太宗の子

 

世祖(1417~1468) 李氏朝鮮第7代王 在位1455~1468

アシュラフ・イーナール(?~1460) ブルジー・マムルーク朝第14代スルタン 在位1453~60※画像なし

 

※世祖の影武者であるマムルーク朝スルターンのアシュラフ・イーナールがエジプトから朝鮮に移住し、「勲旧派」を設ける。このときに朝鮮儒教にイスラム教に似た儀礼様式が導入された。

 

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李氏朝鮮第7代王世祖の子

 

桃源君(1438~1457) 

アシュラフ・カーイトバーイ(?~1495) ブルジー・マムルーク朝第19代スルタン 在位1468~1495

金宗直(1431~1492) 士林派教祖

ジョン・スチュアート(1430~1495) 初代レノックス伯

 

※マムルーク朝スルターンのアシュラフカーイトバイがエジプトから朝鮮に移住し、「士林派」を設ける。士林派(サリム)の由来はイスラムと考えられる。イスラム=イサリム=サリムとなる。

 

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●シャーマニズム

 

※李氏朝鮮の王族世祖、桃源君、成宗の子どもたちが世界中に散り、シャーマンになって原住民を支配した。李氏朝鮮の王族(世祖、桃源君、成宗の一族)が世界中のシャーマンの正体である。時おりしも白人大航海時代前夜である。古い世代のタナトスとして、新しい世代のタナトスの台頭を許すまいと、世祖の一族は世界に散って原住民を支配しなければならないと感じたのだろう。

そういうわけでシャーマニズムは人類の宗教の原型ではなく、比較的新しい宗教の形である。いや、宗教というよりはシャーマニズムはこけおどしでしかない(考えてみれば他のタナトスの宗教もみなこけおどしだが)。一般的に未開の部族は攻撃的だという偏見があるが、タナトス以外の通常の人間は攻撃的になることはない(攻撃的になることを指示されていない限り)。

つまり攻撃的な未開部族がいる場合、実際のところ、彼らはシャーマン(デウスの一族)に操られているに過ぎない。攻撃は彼らの意思ではない。シャーマン(デウスの一族)は所有物を死守したい。そのため、シャーマンは所有物に命じて外部から来た侵入者を攻撃させるのだ(デウスの一族は所有するだけだ)。以下のリストがシャーマンの正体と名前である。彼らは、世界各地のシャーマンの祖である。

 

●世祖の子(シャーマンの名前)

 

桃源君/李暲(生没年不詳)

睿宗/李晄(生没年不詳)

徳源君/李曙(1449~1498)

昌原君/李晟(1458~1484)

阿只(1459~1463)

懿淑公主(1442~1477)

 

●桃源君の子(シャーマンの名前)

 

月山大君(1454~1488)

明淑公主(1455~1482)

成宗(1457~1494) 李氏朝鮮第9代国王 在位1469~1495

 

●成宗の子(シャーマンの名前)

 

燕山君 李㦕(1476~1506) 李氏朝鮮第10代国王 在位1494~1506

順淑公主(1478~1488)

慎淑公主(1481~1486)

中宗 李懌(1488~1544) 李氏朝鮮第11代国王 在位1506~1544

茂山君 李悰(1490~1525)

徽淑翁主(生没年不詳) 任崇載室

敬淑翁主(1483~?) 閔子芳室

徽静翁主(生没年不詳) 南燮元室

安陽君 李㤚(1480~1505)

鳳安君 李㦀(1482~1505)

静恵翁主(1490~1507) 韓紀正室

恭慎翁主(1481~1549) 韓景琛正室

全城君 李忭(1490~1505)

桂城君 李恂(1478~1504)

恵淑翁主(1478~?) 申沆正室

 

タカナクプサルク(1582)
サドナ(1582)

 

※李氏朝鮮の王族世祖、桃源君、成宗の一族は、アラスカ・カナダの北極圏に移住した。エスキモーの生活圏に君臨した彼らは「タカナクプサルク(サドナ)」を称した。タカナカプサルクの名の由来はダキニク(ダキニの人)とバサラク(バサラの人)の組み合わせであり、サドナの名の由来はサタンである。サタン=サタナ=サドナとなる。

 

ナート・カダウ(1582)

 

※李氏朝鮮の王族世祖、桃源君、成宗の一族は、ビルマに移住した。ビルマのシャーマンは「ナート・カダウ」を称した。ナート・カダウの名の由来はタナトスと契丹(キタイ)の組み合わせである。タナトス+キタイ=ナト・キダイ=ナート・カダウとなる。

 


ノロ(1582)
ユタ(1582)

 

※李氏朝鮮の王族世祖、桃源君、成宗の一族は、沖縄・奄美に移住した。沖縄・奄美のシャーマンは「ノロ」「ユタ」を称した。ノロの名の由来はヴァナラシであり、ユタの名の由来はユダヤ(サドカイ派)である。

 

精霊マーリアンマ(1582)
チョウディ(1582)

 

※李氏朝鮮の王族世祖、桃源君、成宗の一族は、インドに移住した。インドのシャーマンは「チョウディ」を称し「マーリアンマ神」を祀っている。マーリアンマの名の由来はマーリキーとウンマの組み合わせであり、チョウディの名の由来はサトゥルヌスである。サトゥルヌス=チャトゥルヌス=チャアトゥ=チョウディとなる。

 

モーソン(1582)
ティアム(1582)
モータム(1582)
パーム(1582)

 

※李氏朝鮮の王族世祖、桃源君、成宗の一族は、タイに移住した。タイのシャーマンは「モーソン」「ティアム」「モータム」「パーム」などの名を称した。モータム、モーソンの名の由来はモートであり、ティアムの名の由来はティアマトであり、パームの名の由来はパミール(モレク)である。 

 


ドゥクン(1582)

 

※李氏朝鮮の王族世祖、桃源君、成宗の一族は、インドネシアに移住した。インドネシアのシャーマンは「ドゥクン」を称した。ドゥクンの名の由来はダゴンである。ダゴン=ダウゴン=ドゥクンとなる。

 


アランタ族(1582)

 

※李氏朝鮮の王族世祖、桃源君、成宗の一族は、インドネシアに移住した。その時、植民地化されたインドネシアで支配者であるオランダ人のことを知ったシャーマンは、オーストラリアに渡り「アランタ族」を儲けた。アランタの名の由来はオランダである。 

 


精霊オレンタ(1582)

 

※李氏朝鮮の王族世祖、桃源君、成宗の一族は、更にオーストラリアから北アメリカを訪れてイロコイ連邦に入植し、偉大なる精霊、偉大なる神秘と呼ばれる「オレンダ」を祀った。オレンタの名の由来はアランタである。

 

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李鏻(1546~1592) 李氏朝鮮第14代国王宣祖の兄※画像無し
李元翼(1547~1634) 李氏朝鮮重臣※画像無し
三井高俊(?~?)※画像無し

ヘンリー・ステュアート(1545~1567) ダーンリー卿

 

※1614年、李元翼が流罪になっているが、彼の正体は第14代国王宣祖の兄である。彼は、第15代国王光海君の時代に流罪に処されたが、脱出して日本に移住した。彼は三人目の李を由来に「三井」の名を生んだ。1人目が李鏻であり、2人目が李元翼であり、三人目が三井高俊である。李鏻の影武者はイギリスにも渡り、ヘンリー・スチュアートを称してダーンリー卿になり、その後のスチュアート朝イングランド王国の礎を築いた。

 

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ジェームズ1世の子(ダーンリー卿ヘンリー・スチュアートの孫)

 

ヘンリー・フレデリック・ステュアート(1594~1612)

住友政友(1585~1652) 初代住友忠右衛門※画像無し

 

※ヘンリーは18歳で死んだことにして、祖父ヘンリー(三井高俊)の故郷日本に帰り、初代住友忠右衛門となる。三井と住友がよく連合するのはそのためだ。

 

エリザベス(1596~1662)※画像無し

アン・ハッチンソン(1591~1643) イギリス反体制派教会

 

ソフィア(1607)※画像無し

メアリ・ダイアー(1611~1660) クウェーカー教徒殉教者

 

※ソフィアは早世したことにしてイギリスからアメリカに渡り、子、或いは甥であるジョージ・フォックスの手助けをし、クウェーカーの殉教者を演じた。

 

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イングランド王チャールズ1世の子

 

チャールズ・ジェームズ(1629)※画像無し

ジョージ・フォックス(1624~1691) クェーカー教教祖

ウィリアム・ペン(1621~1670) ウィリアム・ペン(1644生)父

住友友以(生没年不詳) 二代目住友忠右衛門※画像無し

 

※チャールズ・ジェームズはチャールズ1世ではなく、エリザベスかソフィアのこと考えられる。影武者はジョージ・フォックスを名乗った。フォックスの由来は稲荷の「狐」である。ジョージ・フォックスは「クエーカー教」を築いたが、クエーカーの名は、信者たちがシャーマンのように身を震わせることから第三者によって命名された。クエーカー教徒たちは、自身を「フレンズ」と呼ぶが、フレンズの由来は住友である。

 

ヘンリー(1640~1660)※画像無し

ウィリアム・ペン(1644~1718) フィラデルフィア、ペンシルヴァニア建設

住友友信(1647~1706) 三代目住友忠右衛門※画像無し

 

Gulielma Maria(1671~1685) ウィリアム・ペン(1644)の子

住友友芳(1670~1720) 四代目住友忠右衛門

 

※敵の目をごまかすために女子として生まれたマリアは、14歳で死んだことにして日本に渡り、男に戻って四代目住友忠右衛門となった。

 

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イングランド王チャールズ1世の玄孫

 

ウィリアム・フィッツジェラルド(1749~1804) エミリア・メアリー・レノックスの子※画像無し

エリアス・ヒックス(1748~1830) クウェーカー司教

 

ジョージ・サイモン・フィッツジェラルド(1773~1783) エミリア・メアリー・レノックスの子

ジョン・ウィルバー(1774~1856) クウェーカー司教

 

ヘンリー・エドワード・ネイピア(1789~1853) サラ・レノックスの子※画像無し

ジョゼフ・ジョン・ガーニー(1788~1847) クウェーカー司教

 

※これを見て分かるようにクウェーカー教の関係者は、みなスチュアート朝イングランド王チャールズ1世の子孫である。

 

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第4代リッチモンド侯爵チャールズ・レノックスの子(イングランド王チャールズ2世の玄孫)

 

ジョン・ジョージ・レノックス(1793~1873)※画像無し

モショエショエ1世(?~1870) 初代レソト王 在位1822~1870

 

※ジョン・ジョージは、弟ウィリアムと共に南アフリカに渡った。弟はプレトリウスとしてナタール共和国を築いたが、彼はモショショエ1世としてレソト王国を築いた。彼は現地人をまとめて「ソト族」を生んだが、ソトの由来はサトゥルヌスである。サトゥルヌス=サトゥ=ソトとなる。

 

ウィリアム・レノックス(1799~1881)※画像無し
アンドリース・プレトリウス(1798~1853) ナタール共和国初代総理大臣

 

※スチュアート朝の末裔ウィリアムがプレトリウスに化けて「ナタール共和国」を建てたと考えられる。ナタールの名の由来はナディールである。しかし、AD1842年、大英帝国に攻撃されて翌年に降伏し、英領ナタール植民地とされた。

 

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住友家16代当主の弟住友元夫の子

 

「川勝平太」の画像検索結果

住友芳夫(1943) 住友家17代当主、住友金属工業技監※画像無し

鄭明析(1945) 摂理教祖
川勝平太(1948) 静岡県知事

 

※鄭明析の顔はマヤ人に似ている。マヤで凄惨な人身御供を指揮していた藤原氏の末裔と考えられる。川勝平太は、最初は信じていたが、wikiであの桜井女史のことを大和撫子と呼んでいることを知り、タナトス判定させていただいた。タナトスには優しい顔で騙すテクニックもある。

 

住友信夫(194?)※画像無し

友野宏(1945) 住友金属工業社長、新日鐵住金初代社長兼COO、元日本経団連副会長
丸山和也(1946) 自由民主党

 

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モショエショエ1世

 

レツィエ3世 (1963) 第8代レソト王 在位1996~現在

 

※なぜか友野宏に似ている。優性遺伝子ブリーダーで儲けたのだろうか?

 

 

 


ダーナ神族の一族~ディオニュソス、デニエン人、猿田彦、契丹、デーン人、鬼、酒呑童子、ハーバード大学、ジョージ・ワシントン大統領、アメリカ連合国、統一イタリア王国、カナダ、ニュージーランド、阿含宗

 

司神タナトス/冥府の王ハデス(2万年前)

魔犬ケルベロス(2万年前)

悪鬼ケール(2万年前)

復讐の女神エリニュス(2万年前)

 

※「最終戦争ラグナロク」が発生すると、一部ダニ族は、島の北半分が氷河の下に眠っていたブリテン島南部に移住して「司神タナトス」を称し、「魔犬ケルベロス」「悪鬼ケール」「復讐の女神エリニュス」を生んだ。司神タナトスは、先住者ハデス、プルートー、ペルセポネ、ヘカテらを配下に置き、冥府の王ハデスを名乗った。

 

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「ネアンデルタールが切断して焼いた骨がフランス・シャラント県で発掘される」(BC7千年)

 

「ネアンデルタールが36人の子女を食べた痕跡がドイツ・バンベルク洞窟で発掘される」(BC6千年)

 

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ダーナ神族(1万年前)

ディネ族(1万年前)※画像なし

 

※バベルの塔の図

 

※司神タナトスは、大地殻変動後のヨーロッパと北アメリカ大陸を支配していた。彼らはヨーロッパでは「ダーナ神族」、アメリカでは「ディネ」を称した。ディネとダーナの名の由来はディオーネーである。ディオーネー=ディオニュ=ディネとなり、ディオーネー=デオーネ=ダーナとなる。

ダーナ神族はイングランドとヨーロッパを掌握していたが、アイルランド、スコットランドには科学の種族エラド、マハラエル、トバルカインが住んでいた。比類なき科学を誇ってはいても、科学の種族も人間である。つまり、心がある。ダーナ神族は彼らの心を傷つけることを考えた。科学の種族が共存しているアイルランド人、スコットランド人を邪教の信者として確保すれば、科学の種族にイヤガラセができる。そうすれば、悪者扱いして退けたり、強い罪悪感を植えつけて科学の種族の操作も可能となる。ダーナ神族はそう考えた。

これにより、「トロイア戦争」「マー・トゥーレスの戦い」が起きた。トロイア戦争は現アイルランド北部のデリーで起き、マー・トゥーレスの戦いは現フランスのツールで起きた。科学の種族に敗北したダーナ神族は、ヨーロッパからメソポタミアに移り、現人民を支配するためにバベルの塔を建設させた。

 

ディオニュソス(BC5千年)

 

※科学の種族トバルカインの核攻撃でバベルの塔とバビロニア全域が壊滅し、荒廃すると、ダーナ神族は現サハラ砂漠(当時は深緑豊かな土地だった)に向かった。そこには科学の種族の国テーバイ王国が存在した。この時に「ディオニュソス」が生まれた。

バベルの塔時代、スーサに根城があったダーナ神族は、ディオーネーとスーサを組み合わせた。ディオーネー+スーサ=ディオネスーサ=ディオニュソスとなる。ディオニュソスはぶどうの木を盗み、テーバイ王国のぶどう栽培技術とワイン製造技術を権益化し、法整備も行った。このため、テーバイ王国はディオニュソスの許可なしにぶどうを栽培し、ワインを作ることができなくなった。

一方、ディオニュソスは邪教を作り、多くの女性信者を集めた。これは現代で言うところのフェミニズム、性差別反対であり、目的は家族の破壊である。女たちをディオニュソスに取られた男たち(幼子、息子、夫、父)は困惑した。そして、これに異議を唱えると家族の女性に殺害され、信者の集団に八つ裂きにされた。

ソドムとゴモラの時、テーバイ王国は大量の核兵器により壊滅し、サハラ砂漠と化したが、この時にディオニュソスと邪教も一時的に消滅した。しかし、生き残った残党が再度、インダス流域に移った第二テーバイ王国にも出現した。これが「ディオニュソスは二度生まれた」という説話の真意である。

テーバイ王国は古代ギリシアにはなかった。テーバイ王国とは、サハラ砂漠とインダス流域に存在した、科学の種族トバルカイン(善神デーヴァ)の国である。

 

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デニエン人(BC12世紀)

シェルデン人(BC12世紀)

 

※ディネ族はアラスカを発つと、北極圏を通過して大西洋側に出、アイスランド、アイルランドを経由して地中海に帰還した。ディネ族はイタリア半島に上陸し、「ティニア」という神を祀った。ティニアの名の由来はディネである。ディネ=ディニア=ティニアとなる。サルディーニャ島に拠点を得た彼らはデニエン人、シェルデン人を称した。デニエン人は、シェルデン人と共に悪の「海の民」として地中海を荒らした。

 

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ザントス(?~?) テーバイ第16代王 在位BC1126~1089頃

鬻熊(?~?) 初代楚王 在位1099~1050

 

成王(?~BC626) 楚王 在位BC671~BC626

プロトテュエス(BC7世紀) スキタイ王

 

武王(?~BC690) 第21代楚王 在位BC741~BC690

スパルガペイテス(BC7世紀) スキタイ王

 

共王(BC600~BC560) 第27代楚王 在位BC591~BC560

イダンテュルソス(BC6世紀) スキタイ王

 

恵王(?~BC432) 第34代楚王 在位BC489~BC432

アリアペイテス(BC5世紀) スキタイ王

 

簡王(?~BC408) 第35代楚王 在位BC431~BC408

スキュレス(BC5世紀) スキタイ王

 

※デニエン人(シェルデン人)は、ギリシアのテーバイとメッシニアに拠点を築いた。テーバイ人がスキタイ人となり、メッシニア人がマッサゲタイ人となった。スキタイの由来はアッティカとボイオーティアの組み合わせである。アッティカ+ボイオーティア=ティカティア=シカティア=スキタイとなる。そして、マッサゲタイの由来はメッシニアとスキタイの組み合わせである。メッシニア+スキタイ=メッシキタイ=マッサゲタイとなる。

また、スキタイ人は長江流域に国家を築いていた。楚(シュ)である。楚(シュ)の由来はスキタイである。スキタイ=シュキタイ=楚(しゅ)となる。楚王はスキタイ人の王を兼ねていた。歴史ではスキタイ人が喰人を行っていたとされているが、タナトス一族の血を引いているならそれも合点がいく。マッサゲタイ人も喰人を行っていたとされている。彼らは、非常な高齢に達した者を殺して煮て食べたという。

 

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猿田彦(BC945)

 

※「アメン神官団の大航海時代」の東方組に参加したシェルデン人はモレヤ族と共に日本に上陸した。モレヤ族は諏訪国に移住して現地人の混合し、「守屋氏」を称して「洩矢信仰」を興した。シェルデン人は伊勢国に赴いて「五十鈴川」を拠点に「猿田彦」を称した。シェルデン=シェルテ=猿田となり、イシス=イシズ=五十鈴となる。

 

田和(?~BC385) 田斉初代王 在位BC386~BC385

悼王(?~BC381) 第37代楚王 在位BC402~BC381

 

田横(?~BC202) 田斉第16代王 在位BC203~BC202※最後の王

懐王(?~BC206) 第48代楚王 在位BC208~BC206※最後の王

 

※猿田彦は日本から中国に渡り、田和として斉を簒奪し初代王に即位した。また、楚王悼王も演じた。田(ティエン)の由来はデニエンである。彼らは春秋戦国時代に打って出た。しかしBC284年、中国人に嫌われていた田氏は、燕・秦・趙・魏・韓の連合軍により大敗を喫する。

 

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ヴィリアトス(?~BC139) ルシタニア首長

 

※楚、田斉が滅ぶと、王族は地中海に帰還し、イベリア半島に入植した。この時にルシタニア人が生まれた。ルシタニアの由来はサテュロスとデニエンの組み合わせである。サテュロス+デニエン=ロスデニエン=ルシタニアとなる。ルシタニア戦争(BC155~BC139)でローマに対して蜂起するも、イベリア半島が属領と化すと、ルシタニア人はイベリア半島を脱出する。

 


ミシャグチ(BC139)

 

※日本に帰還したルシタニア人は守屋氏がいる諏訪国に移り、「洩矢神」「建御名方神」を簒奪して自身の神である「ミシャグチ」を祀った。ミシャグチの名の由来はマッサゲタイである。マッサゲタイ=マサゲチャイ=ミシャグチとなる。その後、諏訪氏が「中先代の乱」を起こすと、ミシャグチは諏訪国を出て日本各地に移り、「溝口氏」を称した。溝口の名の由来はミシャグチである。この系統からは映画監督溝口健二が輩出されている。

 

高階師尚(864~916) 信濃守

 

※939年の天慶の乱などの発生によって地方武士が台頭を始めると、一部ミシャグチは諏訪国を発ち、インドを目指した。日本人の顔をした彼らはヒンドゥー教・シヴァ派を学び、「シャクティ派」を形成した。シャクティの名の由来はマッサゲタイ、或いはスキタイである。

 

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カヤ・マジャ(?~?) ガーナ王国初代王 在位350頃

マジャン・ジャベ・シッセ(?~?) ガーナ王 在位790頃※最後の王

 

※イベリア半島を脱出した一部ルシタニア人はイベリア半島を南下し、西アフリカに入植した。現地人と混合したルシタニア人は「ダン族」を称した。不幸なことだが、ルシタニア人の到来と共にカニバリズムが初めてアフリカに伝えられることとなった。白人列強時代、白人の探検家や屈強な船乗りたちの間でも黒人ダン族は人喰いとして有名だった。黒人ダン族がガーナ王を代々務めた。

 

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ガーナパトヤ派(4世紀頃)

 

※一部黒人ダン族は、アフリカを出て海路の旅に出た。南アフリカを周航してインド洋を超え、アンダマン諸島に到達するとカニバリスムを伝えた。更に、インド本土に足を伸ばし、ヒンドゥー教・シヴァ派に接触した。彼らは、「ガーナパトヤ派」を形成した。ガーナパトヤの名の由来はガーナとシヴァの妻パールヴァティーの組み合わせである。ガーナ+パールヴァティー=ガーナヴァティー=ガーナパトヤとなる。 

 

求那跋陀羅(394~468)

 

※黒人ダン族は、インドを北上して西域に入った。彼らは大宛を目指した。黒人ダン族は、大宛の別称「フェルガーナ」の名を生んだ。フェルガーナの名の由来はバアルとガーナの組み合わせである。西アフリカから来た鬼は、ガーナ王国の威光を借りんとガーナの名を持ち出した。バアル+ガーナ=バアルガーナ=フェルガーナとなる。

一方、黒人ダン族は大宛に「求那氏(グーナ)」を生んだ。求那の名の由来はガーナである。大宛に集合したタナトスの末裔たちは、AD6世紀頃に仏教を用いてアジアを征服する計画を立てた。求那氏からは、求那跋摩、求那跋陀羅が出て「菩薩善戒経」「雑阿含」などを著した。求那氏は仏教経典を著しながら、インド洋に出て人間狩りを行い、人肉を食べていた。

 

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カナク族(4世紀頃)

 

※現ミンダナオ島に上陸した黒人ダン族はニューカレドニアに赴いて人食い人種として知られる「カナク族」を生んだ。カナクの由来はガーナキ(ガーナの人)である。ミンダナオの名の由来はアンダマンとダナーンの組み合わせである。アンダマン+ダナーン=マンダナーン=ミンダナオとなる。この時、アフリカ各地と同様にフィリピンにもカニバリズムが伝えられた。現在でも、カニバリスムに根ざした犯罪が時折フィリピンで発覚している。

 


サアロア族(4世紀頃)

 

※黒人ダン族はミンダナオの次に台湾に上陸した。この時にサアロア族が生まれた。サアロアの名の由来はジャラワである。ジャラワ=サアラワ=サアロアとなる。サアロア族には首狩りの風習があったという。

 


チャルーア族(4世紀頃)

 

※更に、太平洋を越えた黒人ダン族は南アメリカに上陸した。この時にチャルーア族が生まれた。チャルーアの名の由来はサアロアである。サアロア=チャロア=チャルーアとなる。チャルーア族は喰人行為を行っていた。

 

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多彌可汗(?~?) 契丹首長 在位585

フグレイク(?~?) デンマーク王 在位515

 

李失活(?~718) 契丹王 在位697~718

オンゲンダス(?~?) デンマーク王 在位710

 

悔落拽何(?~794) 契丹王 在位788~794

ジークフリート(?~790) デンマーク王 在位770~790

 

※イフェ王国の神官は「オニ」と呼ばれたが、この「オニ」の地位を持つ黒人ダン族が、ついに日本に上陸した。日本人を狩って食べていた黒人ダン族は「イフェの神官」を意味する「オニ」を自称したため、日本人に「鬼」と呼ばれた。阿用、大江山など鬼の巣として知られる地名はナイジェリアの地名「オヨ」から来ている。じつは、この日本人を食べる「鬼」の正体は契丹の王族だった。

契丹(キタイ)の由来はスキタイである。契丹の王族はモンゴルとバルト海を往来し、デンマークの王族としてデンマークを治めていた。デンマークの王族はデーン人である。デーンの由来はダンである。そして、デンマークの由来はダンとモレクの組み合わせである。ダン+モレク=ダンモレク=デンマークとなる。
山奥などに村を作って拠点としていた契丹は、里に降りて子女を誘拐し、食べたり、後継者を得るために子を生ませていた。というわけで、鬼が人間を食べたり拉致する説話が「出雲国風土記」「日本霊異記」「今昔物語」「伊勢物語」などに数多く残されている。日本各地に残る鬼の伝説から、平安時代を訪れた契丹(人喰い人種「黒人ダン族」)の生活を垣間見ることができる。鬼の子として生まれた「小綱」の話は有名だが、成人した彼は人を食べたくなったので自殺したと言われている、恐ろしきは、タナトスの血だろう。

 

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鮮質可汗(?~882) 在位860~882
ハーフダン(?~877) デンマーク王 在位871~877

 

ハーデクヌーズ1世(?~940) 在位936~940

耶律堯骨(902~947) 契丹第2代皇帝 在位927~947

 

ゴーム老王(908~958) デンマーク王 在位936~958

耶律阮(919~951) 契丹第3代皇帝 在位947~951※画像なし

 

※フランク王国の王座を狙っていたデーン人の首領ビヨルンは、ヴァイキング・ノルマン人の連合と対立していた。この時、残虐なデーン人の侵攻に困っていたシャルル2世がヴァイキングの首領ヴィーラントにデーン人退治を要請した。

ヴァイキングに敗北したデーン人はフランク王国征服を断念し、イングランドに移った。これ以降、デーン人は大陸に出没することはなくなったが、イースト・アングリアに足場を得ると、現ヨークシャーを拠点にスコットランドとの境からロンドン近辺にまで至る広大な植民地を得た。
黒人、日本人、モンゴル人の特徴を持つデーン人はイギリス人と混合し、金髪・碧眼の白人の容貌を得た。しかし、ウェセックス王国のアルフレッド大王がデーンローを侵食しながら領土を拡大すると、AD910年、デーンローはウェセックス王国に飲み込まれて消滅した。

 

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ラージャラージャ・チョーラ1世(947~1014) チョーラ朝第9代王 在位985~1014
酒呑童子(?~?)

 

※デーンローを失ったデーン人は、イングランドを後にした。彼らは故地ダナーンを目指し、紅海、インド洋を越えてベトナムを目指した。だが一部は、アフリカ大陸周航ルートとシルクロードを経由して日本に帰還した。彼らは「鬼」を復活させた。「酒呑童子」の誕生である。アフリカ周航ルートを採った人々は「酒呑童子」「茨木童子」「葛城童子」「八瀬童子」を称し、シルクロード組は「熊童子」を称した。酒呑の名の由来はサクソンとブリテンの組み合わせで、茨木の名の由来はイベリア人、葛城の名の由来はカスティーリャで、八瀬の名の由来はヘスス(イエス)、そして熊の名の由来はクマン族である。
サクソン+ブリテン=サク(酒)+テン(呑)=酒呑(しゅてん)、イベリアキ(イベリア人)=イバラキ=茨木、カスティーリャ=カツリャ=葛城、ヘスス=ハチセ=八瀬となる。つまり、酒呑の名には、ウェセックス王国のアルフレッド大王にデーンローを奪われた悔しさが込められ、残りの何は通過した土地の名を由来にしていることがわかる。

また、海路組と陸路組は連合して「星熊童子」「虎熊童子」「金熊童子」を儲けている。星熊の名の由来はアッバースとクマンの組み合わせ、虎熊の名の由来はトルコとクマンの組み合わせ、金熊の名の由来はガーナとクマンの組み合わせである。海路組が通過して印象的だった土地(アッバース朝、セルジューク・トルコ帝国、ガーナ王国)とクマンの名が組み合わせられているのがわかる。

 

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ハーラル1世(925~985) デンマーク王 在位958~985

先皇帝(924~979) 丁朝初代ベトナム皇帝 在位966~976※画像なし

耶律璟(931~969) 契丹第4代皇帝 在位951~969※画像なし

耶律賢(948~982) 契丹第5代皇帝 在位969~982※画像なし

 

ハーラル2世(989~1018) 在位1014~1018

廃帝(974~1001) 丁朝第2代ベトナム皇帝 在位979~980※画像なし

 

エーリク3世(1090~1137) デンマーク王 在位1134~1137

耶律大石(1087~1143) 西遼初代王 在位1124~1143 ※画像なし

 

スヴェン2世エストリズセン(?~1074) 在位1047~1074

ラーマーヌジャ(1017~1137) ラーマーヌジャ派教祖※画像なし

 

クヌーズ5世(1129~1157) デンマーク王 在位1146~1157

耶律夷列(?~1163) 西遼第2代王 在位1151~1163

 

※840年にウイグル王国が滅亡すると、黒人ダン族は正統なウイグル人、ナイマン人と共にモンゴルを後にし、北極海ルートを辿ってバルト海に現れた。黒人ダン族はここに「デーン人」を称した。また、ウイグル人は「ヴァイキング」を称し、ナイマン人は「ノルマン人」と呼ばれた。ヴァイキング時代の幕開けである。それぞれの名前の由来は不明とされ、全員が一緒くたにされることもあるが、実際にはヴァイキングやノルマン人は、ウソつきで非情なデーン人を忌み嫌い、別行動を取り、またあからさまに対立することがあった。
デーン人がダブリンに侵攻した際には「黒い異邦人」と呼ばれている。しかし、モンゴル人に混合しつつ、黒人ダン族の面影を残したデーン人が、ヨーロッパ人から「黒い異邦人」と呼ばれたとしてもおかしくはない。

 

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ダンカン1世(1001~1040) ダンケルド朝スコットランド王 在位1034~1040

 

アレクサンダー3世(1241~1286) ダンケルド朝スコットランド王 在位1249~1286※最後の王

 

ロバート1世(1274~1329) ブルース朝スコットランド王 在位1306~1329

ラドゥ・ネグル(1269~1310) 初代ワラキア公 在位1290~1310

 

デビッド2世(1324~1371) ブルース朝スコットランド王 在位1329~1371※最後の王

 

※奈良時代・平安時代前期に鬼として日本人を震え上がらせたデーン人は、ヴァイキング時代を挟み、再度、日本に返り咲いて鬼の世を謳歌していた。しかし、酒呑童子が渡辺綱(953~1025)に成敗されると、それを機に童子一行は日本を逃げ出して、はるばるブリテン島にまで帰還した。

時期的には1000年前後のことと考えられる。イングランドではなく、スコットランドに拠点を構えた彼らはマルカム2世の子息に接近し、マルカム2世の孫を称した。これが「ダンケルド家」の祖ダンカン1世である。ダンケルドの名の由来はデーンとカレドニアの組み合わせである。デーン+カレドニア=デンカレド=ダンケルドとなる。

 

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ラドゥ・ネグルの子

 

ダン1世(1354~1386) 初代ダネスティ家ワラキア公 在位1383~1386

ヴラド1世(?~1397) 第2代ダネスティ家ワラキア公 在位1394~1397

 

ダン2世(?~1432) 第3代ダネスティ家ワラキア公 在位1420~1431

 

モイス(?~1530) ダネスティ家ワラキア公 在位1529~1530※ダネスティ家最後の公

 

※ダネスティ家はワラキア公の座を諦めるとイングランドに渡った。彼らはダンスターを称した。ダンスターの由来はダネスティである。

 

ペーター(1547~1569) ドラクル家ワラキア公 在位1559~1568

ロバート・ブラウン(1550~1633) 会衆派教祖、ピルグリム・ファーザーズ

ジョン・グリーンウッド(1556~1593) 清教徒分離派、ピルグリム・ファーザーズ

ヘンリー・バロウ(1550~1593) 清教徒分離派、ピルグリム・ファーザーズ

 

※画像はピルグリム・ファーザーズの集い。ダネスティ家ヴラド1世の末裔ワラキア公ペーターは22歳で死んだことにしてワラキアを離れ、ブリテン島に移住した。彼は、ロバート・ブラウンとして会衆派を指揮し、影武者を動員してピルグリム・ファーザーズを演じ、信者を率いてアメリカに移住した。ピルグリム・ファーザーズはタナトスの一族なので、助けてくれたインディアンの恩を容易に仇で返した。

 

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ロバート・ブラウンの9人の内の子

 

ヘンリー・ダンスター(1609~1658) ハーバード大学初代学長

ヴィットーリオ・アメデーオ1世(1587~1637) サヴォイア公※画像なし

 

※ヘンリー・ダンスターは、タナトス一族の子女に権威を与えるためだけにハーバードを設立したと考えられる。ハーバード設立の目的は、タナトス一族の発言力増大と影響力の拡大である。ハーバード卒という権威を得たタナトス一族の子女は、エリートとして司法、議会、マスメディア、経済界に送り込まれ、影響力を誇った。また、ダンスターはサルディーニャ王国に進出し、サヴォイア公の座を手中にした。ダンスター(ヴィットーリオ・アメデーオ1世)の家系からアメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンの一族、統一イタリア王家が輩出されている。

 

カルロ・エマヌエーレ2世(1634~1675) サヴォイア公※ヴィットーリオ・アメデーオ1世の子

ジョン・ワシントン(1631~1677)※画像なし

 

ヴィットーリオ・アメデーオ2世(1666~1732) 初代サルデーニャ王 在位1720~1730

ローレンス・ワシントン(1659~1698) アグスティン・ワシントン父※画像なし

 

※サヴォイア公カルロ・エマヌエーレ2世の子である。

 

ヴィットーリオ・アメデーオ・ディ・サヴォイア(1699~1715)

アグスティン・ワシントン(1694~1743) ローレンス・ワシントンの子※画像なし

 

※サルディーニャ王ヴィットーリオ・アメデーオ2世の子である。影武者のアグスティン・ワシントンはジョージ・ワシントンを儲ける。

 

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第2代サルディーニャ王カルロ・エマヌエーレ3世の子

 

ヴィットーリオ・アメデーオ3世(1726~1796) 第3代サルデーニャ王 在位1773~1796

ジョージ・ワシントン(1732~1799) アメリカ初代大統領

ルイージ・ヴィットーリオ・ディ・サヴォイア=カリニャーノ(1721~1778)※画像なし

マルティネス・ド・パスカーリ(1727~1774) 秘密結社マルティニスト会代表※画像なし

 

※ワシントンの正体はサルデーニャ王アメデーオ3世であり、ローレンス・ワシントン(ヘンリー・ダンスター)の孫。ワシントンはインディアン政策に関してインディアンの皆殺しを指示した。これはタナトスの一族の証拠である。第2代アメリカ大統領以後は、みなベンジャミン・フランクリンの子であり、ダヴィデの一族に属していた。

 

ベネデット(1741~1808) シャブレー公

ヴィットーリオ・アメデーオ2世・ディ・サヴォイア=カリニャーノ(1743~1780) 第5代カリニャーノ公

ルイ・クロード・ド・サンマルタン(1743~1803) 秘密結社マルティニスト会代表※画像なし

 

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第3代サルディーニャ王ヴィットーリオ・アメデーオ3世の子

 

ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世(1759~1824) 第5代サルデーニャ王 在位1802~1821

フィリッポ・ブオナローティ(1761~1837) カルボナリ会員

フランソワ・ノエル・バブーフ(1760~1797) 秘密結社パンテオン・クラブ代表

 

※ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世はサルディーニャ王でありながら、同時にブオナローティを演じ、秘密結社カルボナリを指揮していた。タナトスの組織は常にそうだが、カルボナリの指揮者も、みな兄弟や甥で固められており、家族経営だった。

 

マリー・テレーズ(1783) マリーア・テレーザの子※画像なし

George Washington Parke Custis(1781~1857) ジョージ・ワシントン孫

フランチェスコ1世(1777~1830) 第2代両シチリア王 在位1825~1830

 

※マリー・テレーズは第3代サルディーニャ王ヴィットーリオ・アメデーオ3世の孫である。敵の目を欺くために女子として生まれたマリー・テレーズは早世したことにされ、男子に戻ってParke Custisとして育てられた。また、Parke Custisはフランチェスコ1世として両シチリア王に即位した。

 

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■秘密結社カルボナリ指揮者名簿(第3代サルディーニャ王ヴィットーリオ・アメデーオ3世の子と孫)

 

カルロ・エマヌエーレ4世(1751~1819) 第4代サルディーニャ王

マウリツィオ・ジュゼッペ・マリーア(1762~1799) モンフェッラート公※画像なし

カルロ・フェリーチェ(1765~1831) 第6代サルディーニャ王

ジュゼッペ・ベネデット(1766~1802) モリアーナ伯

 

※カルボナリの活動期間は1806年から1832年までである。カルボナリの首領の名は知られていないが、ヴィットーリオ・アメデーオ3世の子と孫が指揮を務めていたと考えられる。マウリツィオ・ジュゼッペ・マリーアは37歳で死んだことにして、ジュゼッペ・ベネデットは36歳で死んだことにして潜伏し、カルボナリの指揮官として活動した。

 

ルイ・アントワーヌ(1775~1844) マリー・テレーズ・ド・サルデーニュの子

ソフィー(1776~1783) マリー・テレーズ・ド・サルデーニュの子

シャルル・フェルディナン(1778~1820) マリー・テレーズ・ド・サルデーニュの子

マリー・テレーズ(1783) マリー・テレーズ・ド・サルデーニュの子

マリーア・アデライーデ(1794~1802) ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世の子

カルロ・エマヌエーレ(1796~1799) ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世の子

 

※早世したことになっている男子は、カルボナリの活動に専念するために死んだことにして潜伏していた。敵の目を欺くために女子として生まれたマリー・テレーズとソフィーは、早世したことにしてカルボナリに参加していた。カルボナリ後期の指揮者は3歳で死んだはずのカルロ・エマヌアーレ(サルディーニャ王カルロ・アルベルト・ディ・サヴォイア)だった。

 

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サルディーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世の子

 

カルロ・エマヌエーレ(1796~1799)※画像なし

カルロ・アルベルト・ディ・サヴォイア(1798~1849) 第7代サルデーニャ王 在位1831~1849

アントニオ・パニッツィ(1797~1879) 大英博物館第6代館長、カルボナリ会員※画像なし

ピエトロ・マロンチェッリ(1795~1846) カルボナリ会員※画像なし

フランクリン・ピアース(1804~1869) アメリカ第14代大統領

ジュゼッペ・マッツィーニ(1805~1872) イタリア統一の三傑

 

※ピアースは、ワシントンの孫パーク・カーチスの4人の子の内の1人と考えられる。パーク・カーチスの子は娘のメアリー・アナ以外は早世したとされているが、1人は死んだことにして潜伏し、ピアースとして登場した。片手を胸に入れているのはフリーメイソン会員のアピールである。

 

女子(1800~1801)※画像なし

メアリー・アナ・カーチス・リー(1807~1873) ロバート・E・リー妻

 

マリーア・テレーザ・ディ・サヴォイア(1803~1879) ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世の子※画像なし

ヘンリー・シーウェル(1807~1879) 初代ニュージーランド首相

 

マリーア・クリスティーナ・ディ・サヴォイア(1812~1836) ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世の子※画像なし

ウィリアム・フォックス(1812~1893) 第2代ニュージーランド首相

アルフレッド・ドーメット(1811~1887) 第4代ニュージーランド首相

フレデリック・ウィテカー(1812~1891) 第5代ニュージーランド首相

ダニエル・ポーレン(1813~1896) 第9代ニュージーランド首相

ジョージ・グレイ(1812~1898) 第11代ニュージーランド首相

 

※ニュージーランドの由来は「新しいシェラント(デンマーク領の島)」だと考えられる。 つまり、ニュージーランドの統治者はデーン人の子孫であることを暗に告げている。

 

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第2代両シチリア王フランチェスコ1世(George Washington Parke Custis)の子

 

フェルディナンド2世(1810~1859) 第3代両シチリア王 在位1830~1859

ロバート・E・リー(1807~1870)  南部連合軍総司令官

ジュゼッペ・ガリバルディ(1807~1882) イタリア統一の三傑

ナポレオン3世(1808~1873) フランス第二帝政初代皇帝

 

※フェルディナンド2世の影武者たちはアメリカ南部の支配を逃したが、イタリア、フランスを掌中にしていた。

 

カルロ・フェルディナンド(1811~1862)※画像なし

ジェファーソン・デイヴィス(1808~1889) アメリカ連合国初代大統領

カミッロ・カヴール(1810~1861) サルデーニャ王国・イタリア王国首相、イタリア統一の三傑

 

※南軍ロバート・E・リーもジェファーソン・デイヴィスも、じつは死んだとされているはずのパーク・カーチスの子の可能性がある。パーク・カーチスの頭の中には祖父ワシントンの栄光の再興、そのためのアメリカ連合国創設があった。万全を帰すため、パーク・カーチスは子どもたちを死んだことにして潜伏させ、反合衆国の思想を叩き込み、育てたのだろう。

しかし、南北戦争に敗北し、アメリカ連合国が滅亡すると、ピアースたちはアメリカを諦めてサルデーニャ王国に渡り、イタリア統一の三傑に変身してイタリア王国統一を実現させている。カルボナリ会員もみな、サルデーニャ家の人々など家族で構成されていた。

 

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サルディーニャ王カルロ・アルベルト・ディ・サヴォイアの子

 

ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世(1820~1878) イタリア王国初代王 在位1849~1861

ヨハネ・ボスコ(1815~1888) サレジオ会教祖

ジョン・A・マクドナルド(1815~1891) 初代カナダ首相

 

※カナダの由来はクヌード(クヌード海上帝国の王)と考えられる。つまり、カナダの統治者はデーン人の子孫であることを暗に告げている。

 

ヴィットーリオ・エマヌエーレ(1855~?) ジェノヴァ伯爵※画像なし

ロバート・ボーデン(1854~1937) 第8代カナダ首相

 

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イタリア王ウンベルト1世の子

 

ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世(1869~1947) イタリア王国第3代王

リチャード・ベッドフォード・ベネット(1870~1947) 第15代カナダ首相

ウィリアム・ライアン・マッケンジー・キング(1874~1950) 第12、14、16代カナダ首相

 

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イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世の孫

 

ジョルジョ・カルヴィ・ディ・ベルゴーロ(1925) イオランダ・マルゲリータ・ディ・サヴォイアの子※画像なし

桐山靖雄(1921~2016) 阿含宗管長

 

※そういえば教祖の桐山氏は、顔がなんとなく白人ぽい。

 

レミ(1942) マリーア・フランチェスカ・ディ・サヴォイアの子※画像なし

ライオネル・ゲンドロン(1943) カナダ・カトリック会議司教

 

※数十万のカナダ人カトリック信者を自由自在に操ることができる。カナダのラジコンマスター。

 

 

 


アブラハムの一族~シュメール文明、エフライム族、バアル、アフラマズダー、ゾロアスター教、マケドニア王国、聖徳太子、ピサ共和国、奥州藤原氏、フランシスコ・ピサロ、ヴァーサ朝、フィンランド共和国

 

アベラム族(4万年前)

 

※ニューギニアの部族であるアベラム族は、エピアルテースとクリュメネーの合体部族である。エピアルテース+クリュメネー=エピアリュメ=アベラムとなる。その後、アベラム族はダニ族に簒奪されたと考えられる。

 

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「シュメール人の大航海時代」(BC40世紀)

 

※この「シュメール人の大航海時代」により、ダニ族が約1万年ぶりに海外に進出を果たした。ニューギニアに寄ったシュメール人は、モニ族(メネストー)だけを招待したはずだが、モニ族の中には、ダニ族(ペガサス)、カウレ族(クリュサオル)の神官が紛れ込んでいた(アベラム族も参加していた)。

 

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チムー王国(BC40世紀)

 

ポング・マッサ(?~?) チムー王国新王朝初代王 在位BC40世紀

パエス・マッサ(?~?) チムー王国新王朝第2代王 在位BC40世紀

オシャ(?~?) チムー王国新王朝第3代王 在位BC40世紀

イェム・ピサン(?~?) チムー王国新王朝第4代王 在位BC40世紀

 

※名前をトラッキングすると、シュメール人はメソポタミアではなく、現ポメラニア~ラップランド付近で生まれている。シュメールの由来はセム(サーミ人)とエウリュトス(アイルランドの神エールまたは科学の種族エラド)の組み合わせである。セム+エウリュトス=セムエウリュ=シュメールとなる。フォモールも、ハム(ハミ族)とエウリュトス(科学の種族エラド)の組み合わせで生まれた。

その後、シュメール人は「シュメール人の大航海時代」に乗って古代アンデスに入植し、「チムー王国」を築いた。このときに本格的にシュメール文明が育まれた。シュメール文明はバルト海で生まれ、アンデス山脈で育まれたのだ。チムーの由来はセムである。

 

旧王朝の最後の王フェム・パエクは、チョトのニャム・パシヤエクの祭壇を盗もうとして彼を誘惑したある美しい婦人の呪縛に陥った。この冒涜の行為が、30日続く洪水と不作と飢えの年をもたらした。神官たちはこの報復にフェムパエクの手を括って海に投げ込んだ。旧王朝が滅んだ後、チムーの征服が行われた。「アンデス文明(L・G・ルンブレラス著)」より

 

※北欧を発ったシュメール人が、地中海、紅海、インド洋を越えてニューギニアに立ち寄り、モニ族(メネストー)を南米への旅路に誘うと、ダニ族やカウレ族がこそこそと隠れてこれに参加した。これにより、ダニ族、カウレ族は古代ペルー~古代チリ(ナスカ砂漠~アタカマ砂漠)に移住した。

ダニ族は、創造神アイ・アパエク崇拝、月の女神シ・アン崇拝の神官を装い、邪教によって大量の弱者を確保し、数で圧倒する形でチムー王国の優れた指導者を上記の如く退けた。タナトス特有の「敵が悪であれば殺しても良い」という手法が踏襲されているのが分かる。上記にリストアップした歴代チムー王は、人身御供を主催する邪教の神官も兼ねていただろう。

 

チムー人の間では、神殿への不敬と民法の違反は生き埋めにより罰された。盗賊を見つけるのに助けてもらうため、月とオリオン座に生贄が捧げられた。犯人が捕まると、両親や兄弟たちも被害者に引き渡され、処刑された。

呪医と妖術師の間には、はっきりした区別があった。前者は国家に養われ、薬草を使ってその職業活動を行ったが、後者は蔑まれるか恐れられるかした。男女の妖術師が集まって人肉を食い、性の乱交が行われた。「アンデス文明(L・G・ルンブレラス著)」より

 

※ダニ族神官は、人身御供を導入して優れた人々を公的に排除し、カニバリズムを持ち込むことで、人類の美徳を廃した。男女の妖術師が集まって乱交とカニバリズムの饗宴に浸る部分は、現在のディープステートがやっていることと全く変わらない。

 

主要な人物は籐の敷き床の上に仰向けに寝かされ、欠けた所がなかった。しかしその上に乗った遺体は首を斬られ、手と首がなかった。第3の人物の頭蓋と長い骨はあとの二人の周りに散乱していた。首を斬られた人物は明らかに中心の人物が埋葬されたとき、生贄に捧げられたものである。「アンデス文明(L・G・ルンブレラス著)」より

 

※タナトスの一族にとって、人身御供とは公的に了承された敵の排除であるし、同時に、公的に許可された、人肉を調達する最良の手段でもある。アンデスで生贄にされた少女のミイラが発見されているが、一般的には、なぜそのような少女が生贄に処されたのかは不明だ。しかし彼女は、「誰でも好きになるような人物」だったと考えられる。


「誰でも好きになるような人物」は存在する。全ての人類にとって、人生の中でそのような人物に巡り合うことは至上の喜びだろう。タナトスはそのような人物を最も警戒・敵視する。なぜなら、そのような人物は説明が不要だからだ。目があれば、その人物が優れていることは誰にでもわかるのだ(例え、言語を介しない赤ちゃんや犬でも)。そのような人物は、タナトスの僧侶のように、見せかけの肩書きを掲げ、役に立たない能書きを垂れる必要も無い。それ故、タナトスはそのような人物を危険視する。
そのような人物は、特に何もしなくとも、存在するだけでタナトスのウソを暴いてしまう。そして、誰も彼らの命令に耳を貸さなくなる。タナトスはそれを一番恐れている。発言力と城壁を失うことを非常に恐れている。

 

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アブラム(BC35世紀)

 

※聖書の人物アブラムは、現ペルーの古代アンデス山脈で生まれたと考えられる。アブラムの由来はアベラムである。アブラムは、息子とされているイサクを神に捧げようとしたことから人身御供の神官だったことがわかる。アブラムを長とする神官一族の拠点はアプリマック川流域にあった。アプリマックの由来はアベラムとリマック(リマの古名)の組み合わせである。

 

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「サムエルの大航海時代」(BC35世紀)

 

※ウソしかつかない、汚らわしいダニ族を嫌った優れた人々は、出羽国に住んでいた科学の種族に、ダニ族の始末を嘆願した。科学の種族はこれを当然の如く承諾し、数千発の核兵器をダニ族の領土にお見舞いした。そのため、ダニ族と共に大量の信者や彼らが簒奪した都市は砂漠と化した(ナスカ砂漠など)。

「サムエルの大航海時代」を企画したシュメール人は出羽国を目指してペルーを脱出した。しかし、サバイバルを遂げた一部ダニ族は、この船団にも忍び込んで出羽国にまでやってきた。シュメール人がペルーから出羽国に移住したときにイスラエル王国の伝説が始まった。

 

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エフライム族(BC35世紀)

 

※尾張国を建て、「エフライム」と呼ばれたアブラムは、その後、カナン(夏時代の中国)に渡った。エフライムの由来はアベラムである。アベラム=アベライム=エフライムとなる。この頃にアブラムからイブラヒーム、アブラハムなどと呼ばれるようになったと考えられる。

尾張国は、シリアにあった都市国家エブラと同一だと考えられる。また、アフラマズダーの名はまだ無かったが、尾張国はアフラマズダーと同義だったと考えられる。つまり、アフラマズダーと対立していたダエーワとは、科学の種族トバルカインが住む出羽国のことである。

 

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稲妻の神バアル(BC35世紀)

勝利の女神アナト(BC35世紀)※画像なし

 

※「モーゼスの大移動時代」に参加したエフライム族はカナン(夏時代の中国)に、バアルとアナトを生んだ。バアルの由来はエピアルテースであり、アナトの由来はTANATOS(タナトス)の反対SOTANATである。SOTANAT=ANAT=アナトとなる。バアルとアナトは常にセットであり、夫婦、或いは兄妹とされている。

 

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ブラフマン/梵天(BC30世紀)

アフラマズダー(BC30世紀)※画像なし

ゾロアスター(BC30世紀)※画像なし

ヴァイシュラヴァナ/毘沙門天(BC30世紀)

 

※BC30世紀に「黙示録アルマゲドン」が発生。大量の核兵器によってモンゴル~チベットは壊滅し、放射能によって砂漠化した。アルマゲドンを機に、エフライム族は古代イランに落ち延びていた。当時のイランはズルヴァーンと呼ばれていたが、彼らはイランを「エフライムスタン」と呼んだ。このエフライムスタンが、後に「アフラマズダー」へと変遷が加えられた。ブラフマンとアブラハムは同義であるが、ブラフマンはこのときに生まれた。

このときにヴァイシュラヴァナの名も生まれた。ヴァイシュラヴァナの由来は24のティールタンカラに属するヴァースプージャとズルヴァーンの組み合わせである。ヴァースプージャ+ズルヴァーン=ヴァースルヴァーン=ヴァースルヴァーナ=ヴァイシュラヴァナとなる。一方、エフライム族はイランを「シュレースタン」とも呼んだ。シュレースタンの由来は24のティールタンカラに属するシュレーサーンサである。このシュレースタンはやがて変遷が加えられ、「ゾロアスター」となる。

 

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クーベラ(BC12世紀)※画像なし

ラーヴァナ(BC12世紀)

 

※ヴァイシュラヴァナはカブールを拠点にしていたため「クベーラ」と呼ばれた。また、ラーヴァナと呼ばれ、アルバ・ロンガ王国(アラビア半島~スリランカ)とラクシャサ(エジプトのヒクソス)を支配下に置いていた。ラーヴァナは、アラビア半島にあったローマ王国(ラーマ王子)と戦い、敗北した。

 

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カラノス(?~?) マケドニア王国初代王 在位BC808~778

 

※「マハーバーラタ戦争」の後、ヴァイシュラヴァナとティールタンカラの子孫がマケドニア王国を築いた。カラノスの名の由来はクロノスである。そして、マケドニアの由来はアプリマックとティールタンカラの組み合わせである。アプリマック+ティールタンカラ=マックダン=マクダナ=マケドニアとなる。インドのマガダ王国とは、実のところ、マケドニア王国のことである。

 

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アルガイオス1世(?~BC640) マケドニア王国第5代王

テイスペス(BC700~BC640) 初代アンシャン王

 

アエロポス1世(?~BC576) マケドニア王国第5代王 在位BC602~BC576

キュロス1世(?~BC580) 初代アンシャン王 在位BC640~BC580

 

※数人のマケドニア王は古代イランに進出してペルシア帝国の礎を築くが、ダヴィデの一族であるダリウス大帝に簒奪され、追放されてしまう。追放されたマケドニア王の残党はバルト海に移ってプロイセン人(ペルシア由来)、クール人(キュロス由来)となり、北方十字軍の時に十字軍と戦った。

 

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ペルディッカス3世(?~BC359) マケドニア王国第23代王

バルディリス(BC448~BC358) ダルダニア王国初代王 在位BC393~BC358

マハーパドマ(BC450~BC362) ナンダ朝初代マガダ王

 

※マケドニア王国にアレクサンドル大王が出現すると、マケドニア人はダルダニア王国を築き、マケドニア王国を攻撃した。ダルダニアの由来はティールタンカラである。ティールタンカラ=ティールタン=ダルダニアとなる。初代王バルディリスの名はペルディッカスと被っているため、同一人物と考えて良い。

 

アンティパトロス(BC397~BC319) マケドニア王国摂生

オクシュアルテス(?~?) ※ロクサヌの父

ピリッポス3世(BC359~BC317) マケドニア王国第7代王

ダナナンダ(?~BC321) ナンダ朝第9代マガダ王 在位BC329~BC321※最後の王

 

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アレクサンドロス4世(BC323~BC309) ※ロクサヌの子

天種子命(?~?)

大田田根子(?~?)

 

※アレクサンドル4世は14歳で死んだことにして地中海を脱出した。マケドニア人は種子島に移住した。彼らは、「タナトスの子」を由来にタネコを称し、「種子」の漢字を当て字した。彼らは、その無人島を「種子島」と命名した。また、同時に中臣氏の祖と呼ばれた「天種子命」が誕生した。

種子島を発ち、大和国に入植したマケドニア人は、大物主神を祀っていたタナトス一族と連合し「大田田根子」を生んだ。大田田根子の名の由来はOTANと種子の組み合わせである。OTAN+種子=OTA+田根子=大田田根子となる。

 

カッサンドロス(BC350~BC297)

国栖族(?~?)

土蜘蛛(?~?)

 

※種子島から来たアレクサンドル4世の一族が「土蜘蛛」を結成すると、後進のカッサンドロスの一族は「国栖族(クズ)」を結成し、両者は連合を組んだ。土蜘蛛の名の由来はギリシャ語「ドグマ(組織)」である。ドグマに漢字「土蜘蛛(どぐも)」を当て字したものを、後世の人々が訓読みで「ツチクモ」と呼ぶようになった。クズの名の由来はカッサンドロスである。記録によると、土蜘蛛は睦国から肥後国に至る日本各地に拠点を築いた。

 

アレクサンドル(?~?) ※アンティゴノス朝マケドニア王デメトリオス1世の子※画像なし

アショーカ(BC304~BC232) マウリヤ朝第3代王マガダ王 在位BC268~BC232

 

※マケドニア王デメトリオス1世の子アレクサンドルがアショーカとしてマウリヤ朝マガダ王に即位すると、武力によって仏教の布教を始めた。このときに初めてインドに仏教が伝わり、マガダ王国もヨーロッパからインドに移った。

 

ブリハドラタ(?~BC180) マウリヤ朝第12代マガダ王 在位BC187~BC180※最後の王

 

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カンディク アヴァール王国初代カガン 在位554~559

蘇我稲目(506~570)

 

※アヴァールの由来はアブラハムである。

 

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蘇我稲目の子

 

蘇我堅塩媛(?~?)

蘇我馬子(551~626)

蘇我小姉君(?~?)

 

※柔然(ローラン)がアヴァール王国を掌握すると、正統なアヴァール王カンディクはカティアナとジョアンの姉妹、その子供たちを率いてシルクロードを渡り、満州に辿り着き、日本に上陸した。カティアナは「蘇我堅塩媛」を称し、ウーマックは「馬子」を称し、ジョアンナは「小姉君」を称した。

カティアナは自身の名に堅塩(かたえん)と当て字し、ジョアンナは小姉(しょうあね)と当て字した。蘇我堅塩媛は欽明天皇と結婚したが子供たちは欽明天皇の血を引いてはいない。額田部皇女(アガタの当て字)を含めた全員がアヴァールからの連れ子である(つまり、白人の顔をしていた)。

 

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蘇我堅塩媛の子

 

額田部皇女/推古天皇(554~628) 第33代天皇

 

橘豊日皇子/用明天皇(?~587) 第31代天皇

 

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蘇我小姉君の子

 

穴穂部間人皇女(?~622)

泊瀬部皇子/崇峻天皇(553~592) 第31代天皇

 

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穴穂部間人皇女の子

 


厩戸皇子/聖徳太子(574~622)

 

※アンナは「穴穂部間人皇女」を称した。穴(あな)の名の由来はアンナであり、穂部(ほべ)の名の由来はアヴァールである。穴穂部間人皇女は従兄弟の用明天皇(大兄皇子=オーウェン)と結婚している。AD604年には聖徳太子が「十七条憲法」を制定し、推古天皇と共に奈良時代の日本に君臨した。故地から逃亡したアヴァール人の王統が、奈良時代の日本で、この世の春を謳歌していたのだ。

 

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聖徳太子の子

 

山背大兄王(?~643)

 

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山背大兄王の子(難波麻呂古王、麻呂古王、弓削王、甲可王、尾治王)

 

山背大兄王孫(?~?)

パオロ・ルチオ・アナフェスト(?~717) ヴェネツィア共和国初代ドージェ 在位697~717

 

※ヴェネツィアの由来はウェネト族(ガリア人)、ウェネトの由来はアナト。アナト=ウェネト=ウェネティ=ヴェネツィアとなる。

 

安禄山(705~757) ソグド軍人※山背大兄王の孫?

ゴーパーラ1世(?~780) パーラ朝初代王 在位750~780※画像なし

ナーガパタ1世(?~780) プラティパーラ朝初代王 在位750~780※画像なし

ダンティドゥルガ(?~756) ラーシュトラクータ朝初代王 在位735~756※画像なし

クリシュナ1世(?~774) ラーシュトラクータ朝第2代王 在位756~774※画像なし

ゴーヴィンダ2世(?~780) ラーシュトラクータ朝第3代王 在位774~780※画像なし

テオダート・イパト(?~755) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位742~755※画像なし

ガラ・ガウロ(?~756) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位755~756※画像なし


※蘇我入鹿はティールタンカラの一族の血を引いていたため、アブラハムの一族である山背大兄王を襲撃した。山背大兄王は、蘇我入鹿に襲撃されて自害して果てたと言われているが、実際にはインドに逃亡した可能性がある。山背大兄王は、兄弟の財王、日置王、白髪部王、長谷王、三枝王、伊止志古王、麻呂古王と子息の難波麻呂古王、麻呂古王、弓削王、甲可王、尾治王を伴って日本を脱出し、インドに移住した。
山背大兄王の孫と思われる安禄山は、ソグド人の軍人として唐に仕えていたが、反旗を翻した後に成敗された。そのため、インドに移り、750年頃に「パーラ朝」「プラティハーラ朝」を開いた。ゴーパーラ1世とナーガパタ1世は在位が同じであるため同一人物である。パーラの名の由来はアヴァールであり、プラティハーラの名の由来は24のティールタンカラに属するヴァルダマーナとパーラの組み合わせである。アヴァール=アパール=パーラとなり、ヴァルダマーナ+パーラ=ヴァルダパーラ=プラティハーラとなる。

更に、安禄山はラーシュトラクータ朝も開いたと考えられる。ラーシュトラクータの由来はツゥアラストラ(ゾロアスター)と百済(くだら)の組み合わせである。ツァラストラ+クダラ=ラストラクダ=ラーシュトラクータとなる。

 

アモーガヴァルシャ1世(801~878) ラーシュトラクータ朝第6代王 在位814~878

ボニファス1世(?~823) 初代トスカーナ候、ピサ共和国元首 在位812~823

オルソ1世(?~881) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位864~881

 

マヒーパーラ1世(?~1043) パーラ朝第10代王 在位995~1043

ヌリパ・カーマ(?~1047) ホイサラ朝初代王 在位1022~1047

ドメニコ・フラバニコ(?~1043) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1032~1043

安倍忠良(?~?) 安倍頼時の父

 

※マヒーパーラ1世の時に、「ホイサラ朝」を開いている。ホイサラの由来はヴァイシュラヴァナである。ヴァイシュラヴァナ=ヴァイシュラ=ホイサラとなる。また、蝦夷で安倍忠良を演じているが、安倍の由来はアブラハムである。

 

ナヤパーラ(?~1058) パーラ朝第11代王 在位1043~1058

安倍頼時(?~1057) 陸奥国奥六郡俘囚長

藤原経清(?~1062) 陸奥国亘理郡豪族

 

クマーラパーラ(?~1129) パーラ朝第16代王 在位1124~1129※画像なし

藤原清衡(1056~1128) 奥州藤原氏初代当主

コンラド(?~?) トスカーナ侯、ピサ共和国元首 在位1120~1129※画像なし

ドメニコ・ミケーレ(?~1130) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1117~1130

 

ゴーパーラ3世(?~1143) パーラ朝第17代王 在位1129~1143※画像なし

ヴィシュヌヴァルダナ(?~1152) ホイサラ朝第5代王 在位1110~1152

ドメニコ・モロシーニ(?~1156) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1148~1156

藤原基衡(1105~1157) 奥州藤原氏第2代当主

 

マダナパーラ(?~1162) パーラ朝第18代王 在位1143~1162※画像なし

藤原秀衡(1122~1187) 奥州藤原氏第3代当主

ヴェルフ6世(1115~1191) トスカーナ候、ピサ共和国元首 在位1152~1162

 

ゴーヴィンダパーラ(?~1174) パーラ朝第19代王 在位1162~1174

藤原泰衡(1155~1189) 奥州藤原氏第4代当主

源義円(1155~1181)

ヴェルフ6世(1115~1191) トスカーナ候、ピサ共和国元首 在位1167~1173

ヴィタル2世(?~1172) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1156~1172

 

藤原国衡(?~1189)

源義経(1159~1189) 源義円同母兄弟

オリオ・マストロピエロ(?~1192) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1178~1192

 

※謎が多い奥州藤原氏の正体はインド王であり、聖徳太子の末裔だった。そして、これまた謎が多い源義経は、奥州藤原氏、藤原秀衡の子であった。そのため、義経は奥州に逃げたのだ。

 

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ツチ族(824頃)

 

※多禰国の廃止を機に、種子島に居住していたマケドニア人の子孫が種子島を発ってインド洋を横断し、異邦の地アフリカ大陸に上陸した。まず、エチオピアに根城を得た彼らは、「ツチ族」を称した。ツチの名の由来は種子(しゅし)である。シュシ=チュチ=ツチとなる。

 

海西女直(1170頃)

 

※イスラム教のヌビアへの侵入を機にアビシニアを出たツチ族は、2手に分かれて南東に移住した。東方組は、満州にいる兄弟建州女直を頼って満州に移住した。アフリカ人の顔をした彼らは、満州人と混合して「海西女直」を築いた。

彼らは、「ナラ」「ウラ」「ハダ」「ホイファ」「イエヘ」「エホ」の部族を海西女直の中に新規に加えた。ナラの名の由来はポントスとガイアの子「ネーレウス」であり、ウラの名の由来はガイアの子「ウラヌス」であり、ハダの名の由来はクロノスの子「ハデス」であり、ホイファの名の由来はウラヌスとガイアの子「ポイベー」であり、イエヘの名の由来はウラヌスとガイアの子「イーアペトス」であり、エホの名の由来はウラヌスとガイアの子ヒュペリオーンの子「エーオス」である。

 

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リヴォニア帯剣騎士団(1292~1237)

 

バッラーラ2世(?~1220) ホイサラ朝第7代王 在位1173~1220

ウェンノ(?~1209) リヴォニア帯剣騎士団団長 任期1204~1209

エンリコ・ダンドロ(?~1205) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1192~1205

 

ナラシンハ2世(?~1238) ホイサラ朝第8代王 在位1220~1238

ヴォルクィン(?~1236) リヴォニア帯剣騎士団団長 任期1209~1236

 

※リヴォニアの由来はヴァイシュラヴァナ、或いはラーヴァナである。ラーヴァナ=ラーヴァニア=リヴォニアとなる。

 

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バッラーラ4世(?~1346) ホイサラ朝第12代王 在位1342~1346※最後の王&画像なし

バサラブ1世(?~1352) バサラブ家ワラキア公 在位1310~1352

バルトロメオ・グラデニゴ(?~1342) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1339~1342

アンドレア・ダンドロ(?~1354) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1342~1354

 

ミカエル1世(?~1420) バサラブ家ワラキア公 在位1417~1420

マソ・デグリ・アルビッジ(?~1417) フィレンツェ候 在位1382~1417※画像なし

ミケーレ・ステーノ(?~1413) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1400~1413 

トマッソ・マケニゴ(?~1423) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1413~1423

 

アレクサンドル1世(1397~1436) バサラブ家ワラキア公 在位1431~1436

ヴラド2世(1395~1447) ドラクル家ワラキア公 在位1436~1442

リナルド・デグリ・アルビッジ(1370~1442) フィレンツェ候 在位1417~1434

 

※バサラブの由来はヴァイシュラヴァナである。ヴァイシュラヴァナ=ヴァイシュラヴァ=バサラブとなる。ヴラドの由来は24のティールタンカラに属するヴァルダマーナである。

 

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ピエロ・ソデリーニ(1450~1522) フィレンツェ共和国トスカーナ候 在位1502~1512

アンドレア・グリッティ(1455~1538) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1523~1538

ヨハン・クリスティエンソン・ヴァーサ(?~?) グスタフ1世祖父※画像なし

 

フランシスコ・ピサロ(1470~1541) コンキスタドール

エリク・ヨハンソン・ヴァーサ(1470~1520) グスタフ1世父

 

ラドゥー7世(1500~?) ドラクル家ワラキア公 在位1535~1536※画像なし

ゴンサロ・ピサロ(1502~1548) コンキスタドール

グスタフ1世(1496~1560) ヴァーサ朝初代スウェーデン王 在位1523~1560

 

※ピサロとヴァーサの名の由来はバサラブ、或いはヴァイシュラヴァナである。

 

カール9世(1550~1611) ヴァーサ朝第5代スウェーデン王 在位1599~1611

アントニオ・プリウリ(1548~1623) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1618~1623

上杉景勝(1556~1623) 米沢藩初代藩主

 

ジギスムント(1566~1632) ヴァーサ朝第4代スウェーデン王 在位1592~1599

フランチェスコ・エリッツィオ(1566~1646) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1631~1646

加藤嘉明(1563~1631) 陸奥会津藩初代藩主

 

ルドヴィコ・マニン(1725~1802) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1789~1797

松平容貞(1724~1750) 会津松平家第4代

 

レオポルド2世(1797~1870) トスカーナ大公 在位1824~1859

松平義建(1800~1862) 美濃高須藩第10代藩主

土方隼人(?~?)※画像なし

 

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松平義建の子

 

徳川慶勝(1824~1883) 尾張藩14代藩主※松平義建の子

日向内記(1826~1885) 白虎隊隊長※画像なし

 

フェルディナンド4世(1835~1908) トスカーナ大公※レオポルド2世の子 在位1859~1860

松平容保(1836~1893) 会津藩第9代藩主※松平義建の子

土方歳三(1835~1869) 新撰組※土方隼人の子

近衛忠房(1838~1873) 近衛家28代当主

フレドリク・イデスタム(1838~1916) ノキア創業

 

※レオポルド2世は日本に進出し、土方隼人を称し、土方歳三を儲けた。土方は残酷な面を持っていたが、それはタナトスの一族の証しだろう。土方の名の由来はヴィジゴート(西ゴート王国)である。ヴィジゴートの地から来たことを示している。

 

近衛篤麿(1863~1904) ※近衛忠房の子

松平義勇(1859~1891) 美濃高須藩第13代藩主、松平義建の子※画像なし

ペール・スヴィンヒュー(1861~1944) フィンランド第3代大統領

 

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松平容保の子

 

松平容大(1869~1910) 会津松平家11代陸奥斗南藩主

津軽英麿(1872~1919) ※近衛忠房の子

カールロ・ユホ・ストールベリ(1865~1952) フィンランド初代大統領

ユホ・クスティ・パーシキヴィ(1870~1956) フィンランド第7代大統領

 

松平保男(1878~1944) 会津松平家12代目当主

ラウリ・クリスティアン・レランデル(1883~1942) フィンランド第2代大統領

松平慶民(1882~1948) 松平慶民の子、初代宮内府長官※画像無し

 

※会津藩松平家はフィンランド共和国を築いた。フィンの由来はヴェネツィアだと考えられる。日露戦争で日本(本願寺の帝国)が勝利(真の勝利ではないが)した時、フィンランド人が喜んだのはそのせいだろう。

 

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松平慶民の孫

 

松平永芳(1915~2005) 靖国神社第6代宮司

ヨハンネス・ヴィロライネン(1914~2000) フィンランド第44代首相

 

※松平永芳は、A級戦犯の合祀を実施したことでしられている。

 

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松平容保の孫

  

松平保定(1926~2011) 会津松平家13代目当主※画像無し

マウノ・コイヴィスト(1923~2017) フィンランド第9代大統領

卜部亮吾(1924~2002) 昭和天皇侍従※画像無し

 

松平保久(1954) 会津松平家14代当主、松平容保曾孫※画像無し

エスコ・アホ(1954) 第58代フィンランド共和国首相、ノキア重役

 

 

 


預言者ナタンの一族~ラピタ文化、ダン族、ソロモン王、ミディアン人、ストーンヘンジ、アテーナイ王国、ヒクソス、アマルナ宗教改革、ケント王国、最澄、空海、源氏・平氏、マフディー国家


「サムエルの大航海時代」(BC35世紀)

 

※ウソしかつかない、汚らわしいダニ族を嫌った優れた人々は、出羽国に住んでいた科学の種族に、ダニ族の始末を嘆願した。科学の種族はこれを当然の如く承諾し、数千発の核兵器をダニ族の領土にお見舞いした。そのため、ダニ族と共に大量の信者や彼らが簒奪した都市は砂漠と化した。

「サムエルの大航海時代」を企画したシュメール人は出羽国を目指してペルーを脱出した。しかし、サバイバルを遂げた一部ダニ族は、この船団にも忍び込んで出羽国にまでやってきた。シュメール人がペルーから出羽国に移住したときにイスラエル王国の伝説が始まった。

 

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ダン族(BC35世紀)

能登半島(BC35世紀)

 

※日本に到着後、ダニ族は単独で出羽国から「能登半島」に移住した。能登の名の由来はタナトスである。タナトス=タノトス=能登となる。「聖書」に記されたダン族の国とは、ダニ族の国「能登」のことである。シュメール人、サンガリオスの連合体である「サムソン」は能登に侵攻し、ダン族が操る反自然の種族であるペリシテ人と何度と無く戦った。

このペリシテ人はベーシュタード王国のペリシテ人とは異なり、ポリュポーテースとパシトエーのできそこないたちが生んだ反自然の種族である。メラネシアに居住していたペリシテ人は、イスラエル王国~エジプト王国時代の日本(八代湾、伊勢、武蔵、出羽)に進出しては海賊行為を働いていた。能登は「ノドの地」とも呼ばれた。

 

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※小牧野遺跡(青森県青森市)

 

※音江環状列石(北海道深川市)

 

※大湯環状列石(秋田県鹿角市)

 

※忍路環状列石(北海道小樽市)

 

※石を育てる魔法使いが最初に出現したのはBC35世紀頃の日本である。その魔法使いの正体は能登からきたダン族だった。ダン族は宇宙人(科学の種族トバルカイン)が統治する出羽国の勢力圏に侵入し、巨石信仰の信者を獲得し、宇宙人に対抗しようと画策していたようだ。いずれも石は小さい段階で放置されている。ストーンサークルの様式が完成するのはヨーロッパでのことだ。

 

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アシェル アシアー+ルハンガ(葦原中津国)
イッサカル イサク+シェクレシュ(厳島)
エフライム アブラハム(尾張)
ガド ピクト(ピュグマエイ)(熊野国)
シメオン セム+ディオーネー(志摩)
ゼブルン カゾオバ+トバルカイン(ツバル諸島)
ダン タナトス(能登)
ナフタリ ナワトル(ノア+タルタロス)(那覇)
ベニヤミン ブヌン+アミ+イマナ(台湾)
マナセ メネストー(美濃)
ユダ エウドーラー(ユタ州)
ルーベン ルハンガ(中国/盤古)
レビ ルハンガ(中国/盤古)

 

※イスラエルの13支族(レビ族含む)は、みな古代日本(イスラエル~エジプト)、或いは古代中国(カナン)で生まれた。上記は名前の由来である。

 

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卑南文化(台湾)

 

※フィジーのメンヒル

 

※グアムのメンヒル

 

※ダン族の太平洋拠点本場パラオのメンヒル

 

※パラオを本拠地としていたダン族は太平洋中の島々にも巨石文化を残した。小規模で中途半端なものがインドやオーストラリアにも残されているが、日本、台湾、太平洋諸島、オーストラリア、インドの広範囲に渡って石を育てる魔法使いは、その勢力を誇っていたようだ。日本に築かれた初期メンヒルと異なり、扱われる石が巨大化している。

 

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ファラオ(BC35世紀)

 

※能登時代のダン族は、アンモン人(アンダマン諸島)、ペリシテ人(マハラエル+メネストー)など、反自然の種族に属する海賊を統治して太平洋をも制圧した。太平洋時代、ダン族はパラオ諸島に拠点を置いた。パラオの由来はマハラエルである。マハラエル=ハラエ=パラオとなる。

当時の日本はイスラエル、またはエジプトと呼ばれた。オリジナル人類エスが統治する葦原中津国と台湾(高天原)のロア族(ブリアレオース)が連合することでイスラエルが生まれ、トバルイカインとティカル人が築いた十和田と葦原中津国が連合することでエジプトが生まれた。

エス+ブリアレオース=エスリアレ=イスラエルとなり、エス+トバルカイン+ティカル=エスバティ=エジプトとなる。エジプトの名の由来はアシアーとトバルカイン、ティカルの組み合わせである。アシアー+トバルカイン+ティカル=アシバティ=エジプトとなる。

パラオを出撃したダン族は、イスラエル~エジプト(日本全土)にも頻繁に進撃し、日本を征服すると暴力と欺瞞によって圧政を敷いた。全国の縄文人は、平気でウソをつく人喰い人種の支配に苦しんだ。ダン族の王はパラオの首長を意味する「ファラオ」と呼ばれた。「聖書」に記された、ヨセフ(伊勢)やモーゼス(武蔵)の説話はこの縄文時代の日本に生まれた。

 

真理と正義の女神マアト(BC35世紀)

 

※ティアマトが支配する大和国に首都を据えたファラオは、「真理と正義の女神マアト」を祀り、大和人を統治した。マアトの名の由来はティアマトである。ティアマト=ティアマアト=マアトとなる。ファラオはマアトを操り、エジプト(日本列島)における常識、道徳、秩序、裁判を牛耳り、異分子を排除しながら縄文人の弱体化を謀った。これは、自分に都合が良い体制の構築が目的である。つまり、権威を支配し、悪の代弁しかしない後続を育てることで、自在にウソをつくことが出来る環境を得るのだ。
ファラオは、神の名の下に善良な民衆を大量に殺害した。勇気、思慮深さ、親切心を持つ人間を悪と呼び習わし、有罪判決しか出さない裁判に召喚して死刑判決を下した。人間の美徳を否定し続けたマアトは。実のところ、死神、鬼神である。

 

しかし、「真理と正義の女神」と銘打っていたため、マアトを弾劾・攻撃する者は、真理と正義の敵ということで合法的に社会から抹殺された。

 

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サウル(BC35世紀) イスラエル初代王

 

※武蔵国の首長(モーゼス)は、縄文人たちを率いて夏時代の古代中国に移った。夏時代の中国は「カナン」と呼ばれていた。「第一次北極海ルート」で古代中国に移住したカナンが、神農(シェンノン)を生み、中国に夏(キア)を築いたのだ。そのため、夏はカナンとも呼ばれた。

「モーゼスの大移動時代」に参加したカウレ族は、現モンゴルに入植して「サウル」となり、イスラエル初代王に即位した。サウルの由来はガラクサウラーである。ガラクサウラー=サウラー=サウルとなる。サウルは優れたダヴィデ王を何度も亡き者にしようとした。

 

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ナタン(BC35世紀) 預言者

 

※「モーゼスの大移動時代」に参加したダン族は、ナータ族と連合して「ナタン」を生んだ。ナタンの由来はナータとダンの組み合わせである。ナータ+ダン=ナーダン=ナタンとなる。預言者ナタンは、優れた王であるダヴィデを弱体化するため、常にダヴィデ王の身近に潜み、行動・性癖を観察した。次に、ナタンは得られた情報を投入して、罪悪感を植えつけるため、ダヴィデに悪事を手引きした。罪悪感は強ければ強いほど良い。

ダヴィデの場合は、バト・シェバとの姦通とバト・シェバの夫ウリヤの殺害未遂である。これらは、すべてナタンが仕込んだ作り事である。つまり、虚構であるが、ダヴィデ王にとっては現実でしかなかった。

植えつけた罪悪感を刺激することで、ナタンはダヴィデ王の内面を自在にコントロールした。ナタンは「罪悪感は人生の足枷」であることを知っていた。罪悪感が強ければ強いほど、その人物は罪(作られた罪)を許してもらうために命令者の言うことは何でも聞くのだ。ダヴィデ王も、できそこないでしかないナタンの言葉に耳を傾けざるを得なかった。

 

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ナタンの子

 

ソロモン イスラエル第3代王

ツァドク(BC35世紀) 祭司
ベナヤ(BC35世紀) ダヴィデ親衛隊

 

※ニューギニアの部族カウレ族(ガラクサウラー)とモニ族(メネストー)が、モンゴルに「ソロモン朝」を築いた。ソロモンとモンゴルの由来はガラクサウラーとメネストーの組み合わせである。ガラクサウラー+メネストー=サウラメネ=ソロモンとなり、メネストー+ガラクサウラー=メネガラ=モンゴルとなる。つまり、「ソロモン」と「モンゴル」は同じものである。一方、十和田の縄文人はチベットにダヴィデ朝を築いた。ダヴィデとトボット(チベット)の由来は十和田である。

 

大宛/ミディアン(BC35世紀)

 

※「モーゼスの大移動時代」に参加したダン族は、現在の新疆に移って「大宛(ダーユァン)」を築き、「ミディアン人」を称した。ダーユァンの由来はミディアンであり、ミディアンの由来は大和とダニの組み合わせである。ヤマト+ダニ=マダニ=ミディアンとなり、ミディアン=ディーアン=ダーユァンとなる。「ミディアン」とは「大宛」のことだ。

 

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アイギュプトス/デウスの時代(BC33世紀)

 

ヘジュー・ホル(?~?) 下エジプト王国ファラオ 在位BC3200頃

ニー・ホル(?~?) 下エジプト王国ファラオ 在位BC3200~BC3175

 

※「黙示録アルマゲドン」が発生すると、ペリシテ人とナタンの一族は放射能によって荒廃した故地を捨て、ヨーロッパに移った。ペリシテ人は現パンノニアに入植し、ナタンの一族は西ヨーロッパに入植した。ペリシテ人からは「ベーロス」が生まれ、ベーロスが「アイギュプトス」を儲けた。アイギュプトスの由来はエジプト(縄文時代の日本列島)である。つまり、ファラオとして新しいエジプトをパンノニアに築こうとしたのだろう。パンノニアにはゲピード族がいたが、ゲピードの名はアイギュプトスの名残りである。

神話では、アイギュプトスはダナオスと双子だとされている。ダナオスとはディオーネーが主導するタナトスである。一方、アイギュプトスはクリュテイオスが主導するタナトスである。両者は勢力圏を重複させた形で共存していたが、その後、ダナオスの50人の娘と結婚したアイギュプトスの息子たちは、処夜の晩にダナオスの娘たちによって寝首を掻かれている。最終的に、両者は激しく対立していたようだ。

一方、ナタンの一族はクリュテイオスを由来に「デウス」を名乗り、巨石の種族を徴用してメンヒル、ストーンサークルなどを建造させた。アイギュプトスの一族は、上記のダナオスとの対立を機にパンノニアを離れ、デウスが治めるヨーロッパに移り、ナタンの一族と共存し、ファラオの系譜を儲けた。

できそこないであるタナトスは必ず「何かすごいもの」に乗っかる性質がある。仏教ではそれは豪華な寺や仏像であるし、キリスト教でもそれは同じである。神が偶像崇拝を憎悪するのはそれがためである。偶像崇拝は、できそこないが王になるための手段のひとつである。真の王はそれらを必要としない。ストーンヘンジは、タナトスがすごいものに乗っかる先駆であった。ヘジュー・ホルに始まる伝説のファラオたちは、この時代のヨーロッパを治めたアイギュプトスの王族である。

 

メンヒルとは、朽ちることがない「聖なる樹木」であり、ストーンサークルは「聖なる林」である。ファラオは、巨石を樹木のように大きく育てることで強大な魔法使いとして、無知な信者を威圧し、恐怖で支配した。実際には、信者たちが見ていない間に巨石建造の種族が小さい石を大きな石にだんだんと変えていくのだ。

当時、アイギュプトスの一族は信者たちに年に一度の聖地参拝を義務付けていたと考えられる。日本の初詣のようなものだ。メンヒル、ストーンサークルが建てられている地域は聖域として指定され、普段は立ち入り禁止である。もちろん聖地参拝以外の期間に聖域に立ち入った者は発見しだい殺された。

そして、年に一度、信者たちが参拝に来るまでの期間、巨石建造の種族はせっせと小さい石を大きな石に変えていく。こうして、信者たちは年々大きく成長していく聖なる樹木(巨石)を毎年拝んでいたのだ。それがストーンサークルの秘密である。巨石は、最高で高さ5m、重量6tだが、それ以上の大きさの石を扱うことは不可能だったらしい。魔法使いは、石をそれ以上巨大に育てることが出来なかった。つまり、限界がある魔法使いだった。

 

キャッスルリッグ建設(BC3200)

 

※キャッスルリッグの場合、小さい石が多いが、これは魔法使いが石を育てる途中で何らかの理由により断念し、放置したものだろう。

 


ステンネス建設(BC3200)

 

ワズネル(?~?) 下エジプト王国ファラオ 在位BC3100頃

ナト・ホル(?~?) 下エジプト王国ファラオ 在位BC3200頃

 

※ステンネスの石は良く育っている。ワズネル、ナト・ホルなどのファラオが建設を指揮したと考えられる。

 

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スコルピオ1世(BC3150~?) 上エジプト王国ファラオ 在位

 

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イリ・ホル(?~?) 古エジプト王国ファラオ 在位BC3150頃

カー(?~?) 古エジプト王国ファラオ 在位BC3150頃

 

スコルピオ2世(?~?) 古エジプト王国ファラオ 在位BC3150頃

 

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メネス(?~?) エジプト第1王朝初代ファラオ 在位BC3125~BC3062

ホル・アハ(?~?) エジプト第1王朝第2代ファラオ 在位BC3062~BC3000

 

リング・オブ・ブロッガー建設(BC3000)

 

カルナック列石群(BC3000)

 

ジェル(?~?) エジプト第1王朝第3代ファラオ 在位BC3000~BC2999

ジェト(?~?) エジプト第1王朝第4代ファラオ 在位BC2999~BC2977

デン(?~?) エジプト第1王朝第5代ファラオ 在位BC2977~BC2951

アネジイブ(?~?) エジプト第1王朝第6代ファラオ 在位BC2951~BC2925

セメルケト(?~?) エジプト第1王朝第7代ファラオ 在位BC2925~BC2916

カア(?~?) エジプト第1王朝第8代ファラオ 在位BC2916~BC2890

 

※初代ファラオのメネスは、現エジプトではなく、アイギュプトス(エジプト)と呼ばれていた古代ヨーロッパを治めていた。イベリア半島、ユトランド半島、ブリテン島に至るまで、メンヒルやストーンサークルが建てられた土地はエジプト王国が統治していることを示していたが、カルナックの場合、小さい石が多い。これは石を育てる魔法使い(ファラオ)が何らかの理由により断念し、放置したものだろう。

 

ヘテプセケメイ(?~?) エジプト第2王朝初代ファラオ 在位BC2890~BC2847

ラネブ(?~?) エジプト第2王朝第2代ファラオ 在位BC2847~BC2808

ニネチェル(?~?) エジプト第2王朝第3代ファラオ 在位BC2808~BC2761

 

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セネド(?~?) エジプト第2王朝第4代ファラオ 在位BC2753~BC2733

セト・ペルイブセン(?~?) エジプト第2王朝第5代ファラオ 在位BC2733~BC2716

 

ストーンヘンジ建設(BC2750)

 

※ストーンヘンジは、セネドとセト・ペルイブセンなどのファラオが指揮し、建設したと考えられる。

 

カセケムイ(?~?) エジプト第2王朝第6代ファラオ 在位BC2716~BC2686

 

※ストーンヘンジ建設後、カセケムイの時代にアイギュプトスの一族は現エジプトに初めて移住し、エジプト王国を建てたと考えられる。この後、メンヒルやストーンサークルは一切建てられていない。

 

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サナクト(?~?) エジプト第3王朝初代ファラオ 在位BC2686~BC2668

ジェセル(?~?) エジプト第3王朝第2代ファラオ 在位BC2668~BC2649

セケムケト(?~?) エジプト第3王朝第3代ファラオ 在位BC2649~BC2643

カーバー(?~?) エジプト第3王朝第4代ファラオ 在位BC2640~BC2637

フニ(?~?) エジプト第3王朝第5代ファラオ 在位BC2637~BC2613

 

バカ/バウエフラー エジプト第4王朝第5代ファラオ 在位BC2532

無名王(?~?) エラム王国第3代王 在位BC2580~?

 

※第3王朝の末期に、大航海時代とピラミッド建造の実験を終えたティカル人が古代エジプトの地にやってきた。ティカル人(ピラミッド派)の首長は、アイギュプトスの一族が掌握していたファラオの座を簒奪し、第4王朝の初代ファラオ、スネフェルとなった。この王朝のファラオはみな、ファラオでありながら同時に一流のピラミッド建造技師だった。ピラミッドの建造目的は、常に、先祖である地球の王チュクウのための記念碑の建設である。

途中、バカ、或いはバウエフラーと呼ばれたファラオが世の中を乱すが、この正体はエジプト王国の奪還を目指したアイギュプトスの一族の残党だろう。その後、バカはエラム王国を築いたと考えられる。初代と2代目、3代目のエラム王は名前が不明である。

 

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クル・イシシャク(?~?) エラム王国第5代王 在位?~BC2550

ペル(?~?) エラム王国第6代王 在位BC2500~?

 

ルフ・イシシャン(?~?) エラム王国第14代王 在位?~BC2325

ヒシェプ・ラテプ2世(?~?) エラム王国第15代王 在位BC2325~?

エマアシニ(?~?) エラム王国第16代王 在位BC2315~BC2311

 

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ヒタ(?~?) エラム王国第18代王 在位BC2270

サルゴン(?~?) アッカド帝国初代王 在位BC2334~BC2279

 

※ティカル人(ピラミッド派)にエジプト王国を奪われたタナトスの一族は、故地であるモンゴルに向かい、強い民族を捜し求め、ツングースにヤクート族を見つけた。邪教によってヤクート族を飼いならしたタナトスの一族は、彼らを率いてシュメール文明が花開いていた古代メソポタミアになだれ込んだ。サルゴンを名乗ったタナトスの一族の首長は、ヤクートの名前を採ってアッカド帝国を築いた。

 

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シュ・トゥルル(?~?) アッカド帝国第7代王 在位BC2168~BC2154

パンバ(?~?) ヒッタイト帝国初代王 在位BC22世紀頃

 

イビ・シン(?~?) アッカド帝国最後の王 在位BC2030~BC2022

イシュピ・エッ(?~?) バビロニア帝国初代王 在位BC2017~BC1985

 

※国(権威)がなければ誰もタナトスの一族のようなできそこないの言葉に耳を傾けない。つまり、あらゆる古代帝国はタナトスの一族のものである。ダヴィデの一族は国を必要としない。国がなくても人々は彼ら、真の帝王の言葉に耳を傾けるからだ。ただ、人々を守るためにここ3000年くらいはダヴィデの一族も帝国を作ることをはじめた。

アッカド帝国、ヒッタイト帝国とバビロニア帝国もタナトスの一族が築いたと考えられる。ヒッタイトには製鉄技術が存在したため、タナトスとしては何としても掌握したい、絶対必須のアイテム国だった。ということで、エジプトをティカル人に奪われたタナトスの一族は、アナトリア半島とメソポタミアに落ち延びた。アッカド帝国のシュ・トゥルルとヒッタイト帝国初代王パンバ、アッカド帝国のイビ・シンとバビロニア帝国初代王イシュピ・エッは同一人物と考えられる。

ヒッタイト帝国とバビロニア帝国はタナトスの一族が築いたが、人々を悪から解放するために、その都度、ダヴィデの一族がヒッタイト王位、バビロニア王位を掌握し、人々を正しく導いた。ヒッタイトとバビロニアが滅ぶまで、数千年もの間、タナトスの一族とダヴィデの一族の攻防は続いただろう。

 

アンミ・ツァドゥカ(?~?) バビロニア帝王 在位BC1646~BC1626

シェシ(?~?) ヒクソス朝初代ファラオ 在位BC1652~BC1638

ヤコブヘル(?~?) ヒクソス朝ファラオ 在位BC1638~BC1630

 

※バビロニア帝王アンミ・ツァドゥカは、大宛に住んでいたミディアン人を引き連れてエジプトに侵攻し、ヒクソス初代ファラオに即位し、ヒクソス朝を開いた。

 

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アンミ・ツァドゥカ(?~?) バビロニア帝王 在位BC1646~BC1626

シェシ(?~?) ヒクソス朝初代ファラオ 在位BC1652~BC1638

ヤコブヘル(?~?) ヒクソス朝ファラオ 在位BC1638~BC1630


キアン(?~?) ヒクソス朝ファラオ 在位BC1630~BC1580
アペピ1世(?~?) ヒクソス朝ファラオ 在位BC1610~BC1540


アペピ2世(?~?) ヒクソス朝ファラオ 在位?~?

ヴィプラチッティ(?~?) ダーナヴァの王

 

※古代ヨーロッパを支配していたタナトスの一族はインドに移ってデウスを由来に「ダーサ族」となり、アーリア人の軍団に参加した。一方、彼らは故郷にも戻り、大宛を復興させた。この時、大宛はミタンニ王国と呼ばれた。彼らは、ソロモン朝時代(モンゴル)に発明・駆使していた騎馬戦車を甦らせ、ヒクソスとしてエジプトに侵攻した。

ヒクソスの由来はペガサスである。ペガサスとは古代ニューギニアの呼称であり、ペガサスの由来はオリジナル人類であるアブクとムシシの組み合わせである。アブク+ムシシ=ブクシシ=ペガサス=ヘカサス=ヒクソスとなる。

ヒクソスは現エジプトではなく、ヨーロッパ(アイギュプトス)に拠点を置き、その上で現エジプトに侵攻した。ヨーロッパのヒクソスは「ヤクシャ(夜叉)」と呼ばれ、エジプトに侵攻したヒクソスは「ラクシャサ(羅刹)」と呼ばれた。ヤクシャの由来はペガサスであり、ラクシャサの由来は太陽神ラーとヒクソスの組み合わせである。ペガサス=エガサス=エカサ=ヤクシャとなり、ラー+ヒクソス=ラークソス=ラクシャサとなる。

当時、ディオーネーのタナトスがソマリアに入植し、ヴァイシュラーヴァナと呼ばれた。ヴァイシュラーヴァナの由来はアシアーとルハンガの組み合わせである。なぜアシアーとルハンガの名を組み合わせているのか不明だが、アシアー+ルハンガ=アシアルハン=アイシャルーハナ=ヴァイシュラーヴァナとなる。また、ヴァイシュラーヴァナの名残りがソマリアの部族アシェラーフ族の名である。ヴァイシュラーヴァナ=アイシュラーヴァ=アシェラーフとなる。

 

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カムディ(?~?) ヒクソス朝ファラオ 在位BC1570~BC1535

ケクロプス(?~?) アテーナイ初代王 在位BC1556~BC1506

アメンホテプ1世(?~?) エジプト第18王朝ファラオ 在位BC1551~1524

マヤースラ(?~?) ダーナヴァ王(三界制覇)

 

※深緑まぶしい豊かな土地、古代アラビア半島にはラーマ皇子のローマ王国、マガン王国(ミケーネ)、アルバ・ロンガ王国(アラビア~ランカー)が林立していた。ヒクソス最後の王カムディは、ケクロプスとなってアラビア半島に「アテーナイ王国」を築き、アメンホテプ1世として第2代ファラオに即位し、エジプト第18王朝の王位を簒奪した。

アテーナイの名の由来はタナトス(TANATOS)の反対SOTANATのOTANAである。OTANA=オータナ=オターナイ=アテーナイとなる。インダスに巣食っていたとされる女神ダヌはじつはアテーナイと同義である。TANATOSの反対SOTANATのTANに由来している。つまり、ダーナヴァやラクシャサ、ヤクシャの類はアラビア半島にいた。彼らの拠点は、現在のアデン周辺に存在していたと考えられる。

 

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クラナウス(?~?) アテーナイ第2代王 在位BC1506~1497

キルタ(?~?) ミタンニ王国初代王 在位BC1500~BC1490

ウリシャバルヴァン(?~?) ダーナヴァ王

 

※アテーナイ第2代王クラナウスは、キルタとしてミタンニ初代王の座に就き、アラビア半島を発って故郷大宛にミタンニ王国を築いた。このとき、大宛からヨーロッパに至る地域はキルタを由来に「ケルト」と呼ばれ、ドルイド教の前身が築かれ、やドルイド教の神々が儲けられた可能性がある。

 

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アムフィクティオン(?~?) アテーナイ第3代王 在位BC1497~BC1487※画像なし

ハトシェプスト(?~?) エジプト第18王朝ファラオ 在位BC1498~BC1483

 

エリクトニウス(?~?) アテーナイ第4代王 在位BC1487~BC1437

パンディオン1世(?~?) アテーナイ第5代王 在位BC1437~BC1397

 

エレクティウス(?~?) アテーナイ第6代王 在位BC1397~BC1337※画像なし

アメンホテプ4世(?~?) エジプト第18王朝ファラオ 在位BC1377~BC1358

スダース(?~?) クル王国初代王 在位BC14世紀※画像なし

ヴァシシュタ(?~?) クル王国司祭長※画像なし

 

※アテーナイ第6代王エレクティウスはバーラタ族を統治し、スタス王として、現バルト三国付近に「クル王国」を建てた(インドではない)。北欧十字軍の時代に十字軍と戦ったクール人はクル王国の名残りだ。そして、バルト海の由来はバーラタ族である。バーラタの由来はアルバ・ロンガとラテンの組み合わせである。アルバ+ラテン=アルバラーテ=バーラタとなる。

北欧のクル王国の隣国には、カスピ海~アラル海付近に渡る広範囲を統べた「ラテン王国」が存在した。ラテン王国はイタリアに存在したとされているが、それは間違っている。ラテン王国だけでなく、ローマ王国、アルバロンガもそうだ。これら、アラビア半島に存在した幻の古代王国(アルバ・ロンガ王国、ローマ王国、エトルリア王国、アテーナイ王国、マガン王国)はみな、善神デーヴァの核攻撃によって滅んだ。バーラタの名前からもわかるように、彼らは同盟を結んでいたため、生存者は集団でイタリア半島や古代ギリシアに移住し、古代王国の伝説を現地で語り継いだのだ。

バーラタ族は、トリツ族を率いて北欧を出撃し、古代インドを統治するアーリア人に挑戦した。アーリア人の軍団にはダーサ族(デウス)がいたが、彼らはバーラタ族とは家族である。バーラタ族は外から攻撃し、ダーサ族は内部から侵食を開始した。ここに「十王戦争」が始まった。

 

ケクロプス2世(?~?) アテーナイ第7代王 在位BC1347~BC1307※画像なし

スメンクカーラー(?~?) エジプト第18王朝ファラオ 在位BC1336~BC1334

ツタンカーメン(?~?) エジプト第18王朝ファラオ 在位BC1334~BC1325

アイ(?~?) エジプト第18王朝ファラオ 在位BC1325~BC1321※画像なし

 

パンディオン2世(?~?) アテーナイ第8代王 在位BC1307~BC1282※画像なし

ホルエムヘブ(?~?) エジプト第18王朝ファラオ 在位BC1321~BC1293

 

アエギウス(?~?) アテーナイ第9代王 在位BC1282~BC1234

シャットゥアラ2世(?~?) ミタンニ王 在位BC1280~BC1270

 

※上下エジプトでは「太陽神アメン」が強い影響力を誇っていた。そこに別の「太陽神アテン」を持っていっても勝てないと悟ったアテーナイ人は太陽神アメンの簒奪に乗り出した。そのため、第19王朝は混乱の内に幕を閉じることになる。そして、遂にアテーナイ人は太陽神アメンを奪い取り、「アメン大司祭国家」を築くことになる。

 

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シュッタルナ(?~?) ミタンニ王 在位BC1490~BC1470
バラタルナ(?~?) ミタンニ王 在位BC1470~BC1450
バルシャタタル(?~?) ミタンニ王 在位BC1450~BC1440
サウシュタル(?~?) ミタンニ王 在位BC1440~BC1410
アルタタマ1世(?~?) ミタンニ王 在位BC1410~BC1400
シュッタルナ2世(?~?) ミタンニ王 在位BC1400~BC1380
アルタッシュマラ(?~?) ミタンニ王 在位BC1380
トゥシュラッタ(?~?) ミタンニ王 在位BC1380~BC1350
アルタタマ2世(?~?) ミタンニ王 在位?~?
シュッタルナ3世(?~?) ミタンニ王 在位?~?
シャッティワザ(?~?) ミタンニ王 在位BC1350~BC1320
シャットゥアラ1世(?~?) ミタンニ王 在位BC1320~BC1300
ヴァシャサッタ(?~?) ミタンニ王 在位BC1300~BC1280

 

アエギウス(?~?) アテーナイ第9代王 在位BC1282~BC1234
シャットゥアラ2世(?~?) ミタンニ王 在位BC1280~BC1270

 

テセウス(?~?) アテーナイ第10代王 在位BC1234~BC1205

 

メネステウス(?~?) アテーナイ第11代王 在位BC1205~1183

イルス(?~BC1192) アジア人首長

 

※アテーナイ11代王メネステウスは、イルスを名乗り、第19王朝滅亡後の空位時代のエジプトに、大宛のミディアン人を引き連れて侵攻し、エジプトに混乱をもたらしたという。しかし、後に第20王朝を開くアテーナイ12代王デモフォンによって退けられている。

 

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デモフォン(?~?) アテーナイ第12代王 在位BC1183~1150※画像なし

セトナクト(?~?) エジプト第20王朝初代ファラオ 在位BC1185~BC1182※画像なし

ラムセス3世(?~?) エジプト第20王朝第2代ファラオ 在位BC1182~BC1151

 

※ラムセス3世は、タナトスの一族(ディオーネー)で海の民と呼ばれたデニエン人、シェルデン人と組み、地中海の古代王国を襲撃した。ミケーネ文明を滅ぼし、トロイアを滅ぼし、ヒッタイト帝国を滅ぼした。歴史ではラムセス3世は海の民を撃退したとされているが、ラムセス3世が退けたのはトゥルシア人、チェケル人、ウェシュシュ人、ペリシテ人、シェクレシュ人などの海の民と考えられる。

 

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オクシンティス(?~?) アテーナイ第13代王 在位BC1150~BC1136

ラムセス4世(?~?) エジプト第20王朝第3代ファラオ 在位BC1151~BC1145

ラムセス5世(?~?) エジプト第20王朝第4代ファラオ 在位BC1145~BC1141

ラムセス6世(?~?) エジプト第20王朝第5代ファラオ 在位BC1141~BC1133

 

アフェイダス(?~?) アテーナイ第14代王 在位BC1136~BC1135

ラムセス7世(?~?) エジプト第20王朝第6代ファラオ 在位BC1133~BC1126

 

ティモエテス(?~?) アテーナイ第15代王 在位BC1135~BC1127

ラムセス8世(?~?) エジプト第20王朝第7代ファラオ 在位BC1133~BC1126

 

ラムセス9世(?~?) エジプト第20王朝第8代ファラオ 在位BC1126~BC1108

ラムセス10世(?~?) エジプト第20王朝第9代ファラオ 在位BC1108~BC1098

 

ラムセス11世(?~?) エジプト第20王朝第10代ファラオ 在位BC1098~BC1070

ヘムネチェルテピエンアメン・ヘリホル(?~?) エジプト第21王朝初代ファラオ 在位BC1080~BC1074

 

ピアンキ(?~?) エジプト第21王朝第2代ファラオ 在位BC1074~BC1070

カーケペルラー=セテプエンアメン・パネジェム1世 (?~?) エジプト第21王朝第23ファラオ 在位BC1070~BC1032

マサハルタ(?~?) エジプト第21王朝第4代ファラオ 在位BC1054~BC1046

ヘムネチェルテピエンアメン・メンケペルラー(?~?) エジプト第21王朝第5代ファラオ 在位BC1045~BC992

 

スメンデス2世(?~?) エジプト第21王朝第6代ファラオ 在位BC992~BC990

アビバアル(?~?) ティール王 在位BC993~BC981

パリクシット(?~?) クル王 在位BC1000頃

 

カーケペルラー=セテプエンアメン・パネジェム2世(?~?) エジプト第21王朝第7代ファラオ 在位BC990~BC969

プスセンネス3世(?~?) エジプト第21王朝第8代ファラオ 在位BC969~BC945

ハイラム1世(?~?) ティール王 在位BC980~BC947

ジャーナメジャヤ(?~?) クル王 在位BC950頃

 

※BC1098年頃にアラビア半島は、善神デーヴァ(科学の種族トバルカイン)による大規模な核攻撃により、森林は死滅し、河川は干からびた。人が住めない土地となったのを機に、アテーナイ人はギリシアに移り、太陽神アメンの簒奪に熱意を傾けていたアテーナイ人は神官都市テーベを掌握する。太陽神アメンの簒奪に成功したラムセス11世は、ヘムネチェルテピエンアメン・ヘリホルに名を変え、「アメン大司祭国家」を神官都市テーベに築いた。しかし、周王の一族がサイス朝(リビア人王朝)を築くと、アメン神官団はエジプトから去り、ヌビアに避難した。このときに、クシュ王国が建設されている。

 

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シャバカ(?~BC690) エジプト第25王朝初代ファラオ 在位BC705~BC690

バカラー・タヌトアメン(?~BC656) エジプト第25王朝第10代ファラオ 在位BC664~BC656

 

メロエ王国(?~350頃) ※歴代王の系譜不明

 

※クシュ王国はエジプトに侵攻してヌビア王朝(エジプト第25王朝)を築くが、アッシリア帝国軍の侵略に敗北すると、ヌビアに帰還し、メロエ王国を築いた。350年、メロエ王国はアクスム王国によって滅亡している。

 

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ブガンダ王国(400~1400頃) ※歴代王の系譜不明

 

※メロエ王国が滅ぶと、メロエの王族は湖水地方に移住してブガンダ王国を築いたと考えられる。それと同時にブルグント族としてゲルマニアに出現し、ブルグント王国を建設した。

 

ゲビッカ(?~407) ブルグント王国初代王

 

グンダハール(?~437) ブルグント王国第2代王

 

※グンダハール(gunther)の名はガンダーラ(gandhara)に由来していると考えられる。この名がブルグント、カンタブリア、カンタベリー、ブガンダなどの名の由来ともなった。クロタール1世がメロヴィング朝フランク王国を築くと、ブルグント族はヨーロッパを離れ、ブリテン島に渡った。

ブルグント、カンタブリアの由来はガンダーラとイベリアの組み合わせである。イベリア+ガンダーラ=ベリガンダ=ブルグントとなり、ガンダーラ+イベリア=ガンダベリア=カンタブリアとなる。カンタベリーの由来はカンタブリアであり、ケント王国の時に持ち込まれた。

 

ゴドマール1世(?~486) ブルグント王国第?代王 在位473年~486年

ヘンギスト(?~488) ケント王国初代王 在位455~488

 

Ecgberht II(?~779) ケント王国第27代王

光仁天皇(709~782) 第49代天皇

多治比長野(706~790) 多治比真宗父

 

Cuthred(?~807) ケント王国最後の王※画像なし

桓武天皇(737~806) 第50代天皇

 

※ケント王国が滅ぶと、ケントの王族はイギリスを離れて日本に渡り、cuthredは桓武天皇となった。

 

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桓武天皇の子

 

多治比真宗(769~823) 葛原親王母※画像なし

最澄(766~820) 天台宗教祖

 

日本の天台宗の開祖であり、伝教大師として広く知られる。近江国(現在の滋賀県)滋賀郡古市郷(現在の大津市)もしくは生源寺(現在の大津市坂本)の地に生れ、俗名は三津首広野(みつのおびとひろの)。生年に関しては天平神護2年(766年)説も存在する。 中国に渡って仏教を学び、帰国後、比叡山延暦寺を建てて天台宗の開祖となった。wikiより

 

※最澄は女だった。最澄の正体は多治比真宗であり、桓武天皇とは夫婦でありながら異母兄弟の妹という間柄である。また空海とは異母兄弟の姉という間柄である。そういえば心なしか、肖像画も女っぽい。

 

平城天皇(774~824) 第51代天皇※画像なし

空海(774~835) 真言宗教祖

 

平安時代初期の僧。弘法大師(こうぼうだいし)の諡号で知られる真言宗の開祖である。俗名は佐伯 眞魚(さえき の まお)日本天台宗の開祖最澄と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと、転換していく流れの劈頭 (へきとう)に位置し、中国より真言密教をもたらした。能書家としても知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられている。wikiより

 

※空海の名の由来は天空神バアル(空)と海神ダゴン(海)の組み合わせである。

 

葛原親王(786~853) 桓武平氏

嵯峨天皇(786~842)※画像なし

 

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葛原親王の子

 

平高棟(804~867)桓武平氏の祖、葛原親王の子

源信(810~869) 嵯峨源氏の祖、嵯峨天皇の子※画像なし

仁明天皇(810~850) 嵯峨天皇の子※画像なし

菅原是善(812~880) 菅原道真父

 

源融(823~895) 嵯峨天皇の子※画像なし

文徳天皇(827~858) 仁明天皇の子※画像なし

光孝天皇(830~887) 仁明天皇の子※画像なし

 

※源氏・平氏の由来はガンダーラである。ガンダーラ=ガン+ダーラ=げん+たいら=源氏+平氏となる。

 

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仁明天皇の子

 

本康親王(?~902) 仁明天皇第五皇子※画像なし

菅原道真(845~903)

清和天皇(850~881) 第56代天皇、文徳天皇の子※画像なし

 

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光孝天皇の子

 

宇多天皇(867~931) 第59代天皇

 

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清和天皇の子

 

 

源経基(?~961) 清和源氏、源頼朝の先祖

 

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宇多天皇の子

 

雅明親王(920~929)

村上天皇(926~967) 第62代天皇、醍醐天皇の子

源雅信(920~993) 宇多源氏

源重信(922~995) 宇多源氏

 

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村上天皇の子

 

第八皇子(962)

具平親王(964~1009)

 

源師房(1008~1077) 具平親王の子、村上源氏

 

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源頼朝(1149~1199)

比企能員(?~1203)※画像なし

梶原景時(1140~1200)※画像なし

 

平安時代末期から鎌倉時代初期の武将、政治家。鎌倉幕府の初代征夷大将軍。 河内源氏の源義朝の三男として生まれ、父・義朝が平治の乱で敗れると伊豆国へ流される。伊豆で以仁王の令旨を受けると北条時政、北条義時などの坂東武士らと平家打倒の兵を挙げ、鎌倉を本拠として関東を制圧する。弟たちを代官として源義仲や平家を倒し、戦功のあった末弟・源義経を追放の後、諸国に守護と地頭を配して力を強め、奥州合戦で奥州藤原氏を滅ぼす。建久3年(1192年)に征夷大将軍に任じられた。源頼朝wikiより

 

比企尼の縁から鎌倉幕府二代将軍・源頼家の乳母父となり、娘の若狭局が頼家の側室となって嫡子一幡を産んだ事から権勢を強めたが、能員の台頭を恐れた北条時政との対立により比企能員の変(比企の乱)が起こり、比企一族は滅亡した。比企能員wikiより

 

石橋山の戦いで源頼朝を救ったことから重用され侍所所司、厩別当となる。教養があり、和歌を好み、「武家百人一首」にも選出されている。頼朝の信任厚く、都の貴族からは「一ノ郎党」「鎌倉ノ本体ノ武士」と称されていた。一方で、源義経と対立し頼朝に讒言して死に追いやった「大悪人」とも評せられ評価が二分する。鎌倉幕府では頼朝の寵臣として権勢を振るったが、頼朝の死後に追放され一族とともに滅ぼされた(梶原景時の変)。梶原景時wikiより

 

※縄文時代~平安時代、そして頼朝の時代も日本はタナトスが支配していた。頼朝自身が預言者ナタンの一族であるが、平清盛はティールタンカラの一族であり、北条政子はクリュニー大主教アイマールの一族であり、奥州藤原氏と源義経はアブラハムの一族であり、土肥実平などもクリュニー大主教ベルノの一族だった。鎌倉幕府はタナトスの一族が血で血を洗う日本争奪戦であった。勝利者は北条氏(クリュニー大主教アイマールの一族)だった。

 

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源頼朝の子

 

千鶴丸(生没年不詳)
源頼家(1182~1204)
源貞暁(1186~1231)
源三幡(1186~1199)
源実朝(1192~1219)

 

比企能員の子

 

比企余一兵衛門(生没年不詳)
比企宗員(?~1203)
比企時員(?~1203)
比企五郎(生没年不詳)
比企熊本(1202~1286)
河原田次郎(生没年不詳)

 

梶原景時の子

 

梶原景季(1162~1200)
梶原景高(1165~1200)
梶原景茂(1167~1200)
梶原景義(?~1582)
梶原景宗(生没年不詳)
梶原景則(生没年不詳)
梶原景連(生没年不詳)

 

※頼朝は1199年以後も、梶原景時、比企能員としてしばらく生きており、権威の復興を考えていたが、それを北条氏にかぎつけられ、梶原景時の変、比企能員の変により、一族郎党が皆殺しにされた。と、歴史上はそういうことになってはいるが、実際には頼朝の一族は日本を脱出し、アフリカ湖水地方にまで移住した。そこでブガンダ王国を築いた。ブガンダの由来はブルグントと同じでガンダーラとイベリアの組み合わせである。イベリア+ガンダーラ=ベガンダ=ブガンダとなる。ウガンダの場合はイベリア+ガンダーラ=アガンダ=ウガンダとなる。

 

kato kintu(14世紀) ブガンダ王国初代王

 

Muteesa I(1837~1884) ブガンダ王国第30代王

ムハンマド・アフマド(1844~1885) マフディー国家初代君主

アブダラヒ・イブン・ムハンマド(1846~1899) マフディー国家第2代君主※画像なし

 

ゴードンが籠城したハルツームは非常に堅固だった。市の北方と東方は青ナイル川であり、西方は白ナイル川、そして南方には古代の要塞があり広大な砂漠が広がっていた。ゴードンには6カ月分の食糧があり、数百万発の弾の備蓄と週に5万発の自製ができ、7000人のエジプト兵を有していた。しかしながら、市外にはマフディーが約50,000人のダルヴィーシュ(マフディー軍の兵士)を集結させ、時が経つにつれて突破できるチャンスはわずかとなっていった。

結局、英軍の救援なしにゴードンが助かる見込みはなくなり、英国は世論に押されてサー・ガーネット・ウルズリー将軍指揮の遠征軍が派遣された。

だが、冬季に白ナイルの水位が下がり、城壁基部に泥の「砂浜」が露わになる。城内には飢餓とコレラが広まり、エジプト兵の士気はひどく低下し、ゴードンは持ちこたえられなくなり、1885年1月25日、313日の包囲戦の末にハルツームは陥落した。

ウルズリーの救援軍はアブクレアの戦いでマフディー軍を撃破したが、救援軍がハルツームをその目で見た時には既に手遅れだった。町は二日前に陥落し、ゴードンと守備隊は虐殺されてしまっていた。この出来事によって、英国とエジプトのスーダンへの関与は一時的に終わり、スーダンは完全にマフディーが支配するものとなる。 マフディー戦争wikiより

 

 

Daudi Cwa II(1896~1939) ブガンダ王国第34代王

イスマイール・アル=アズハリー(1900~1969) 初代スーダン首相

 

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Daudi Chwa IIの子

 

Eva Irini Alice Zalwango(1915~?)※画像無し

ムハンマド・アフマド・マフジューブ(1908~1976) 第5代スーダン首相

アデン・アブドラ・ウスマン(1908~2007) ソマリア共和国初代大頭領

 

George William Mawanda(1919~?)※画像無し

資延敏雄(1922~2014) 第411代総本山金剛峯寺座主※画像なし

サー・アル・カティム・アル・カリファ(1919~2006) 第4代スーダン首相

ハッサン・グレド・アプティドン(1916~2006) ジブチ初代大頭領

フランソワ・トンバルバイ(1918~1975) チャド初代大統領

 

ブガンダ王ムテサ2世(1924~1969) 初代ウガンダ大統領

イディ・アミン(1925~2003) 第3代ウガンダ大統領

 

やがて独裁化が進むとともに約10万から50万人と推計される国民を大量虐殺したとして「黒いヒトラー」、「アフリカで最も血にまみれた独裁者」と称された。少数民族、宗教指導者、ジャーナリスト、芸術家、官僚、裁判官、弁護士、学生、知識人、外国人など様々な人間が次々に殺害された。ほぼ同時期に大量虐殺を起こして同様に隣国に打倒されたカンボジアの独裁者ポル・ポトとも比較された。

また、アジア人追放事件(ほとんどは植民地時代に入植したグジャラート州などの出身の印僑であり、これに伴いイギリスのみならず、インドともウガンダは国交断絶した)を起こしてアミンはアジア人やヨーロッパ人の所有する事業を自分の支持者に与えるも杜撰な経営で産業は崩壊した。経済は荒廃し、賃金と給料は9割も低下した。

アミンは右腕のアイザック・マリヤムング(英語版)など彼自身の部族であるカクワ族出身者をスーダン人、ヌビア人と共に重用した。1977年までに、これらの3つの民族グループは高級軍人の60%と閣僚の75%を構成し、人口の5%にすぎないイスラム教徒はこれらの80%と87.5%を構成した。これはアミンが8回ものクーデターを切り抜けた理由ともされる。

アミンの支配した8年のうちにウガンダの自然環境や生態系は密輸業者とウガンダ軍兵士によって行われた広範囲にわたる密猟と森林伐採にさらされた。ウガンダでは、ゾウの75%、サイの98%、ワニの80%、ライオンとヒョウの80%などが失われた。イディアミンwikiより

 

Alexander Ssimbwa(1934)※画像無し

松長有慶(1929) 第412代総本山金剛峯寺座主※画像なし

フェリックス・マルーム(1932~2009) 第2代チャド大統領※画像なし

サーディク・アル=マフディー(1935) 第6代スーダン首相

 

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ブガンダ王Muteesa IIの子

 

 

Prince Kiweewa Luswata(194?)※画像無し

オマル・アル=バシール(1944) スーダン共和国第8代大統領

イサイアス・アフェウェルキ(1946) エリトリア初代大頭領

ヨウェリ・ムセベニ(1944) 第7代ウガンダ大統領

イッセン・ハブレ(1942) 第6代チャド大統領

 

1989年にクーデターによって軍事政権を成立させて政権を掌握。30年にわたり同国大統領として政権の座を維持してきたが、2019年4月に国防軍にクーデターを起こされ失脚した(2019年スーダンクーデター)。また、与党国民会議の議長(党首)も務めた。2003年から続くダルフール紛争での集団虐殺に関与にしたとして国際刑事裁判所から逮捕状が出されている。日本国内のメディアでは「バシル大統領」と表記・呼称されることが多い。オマル・アル=バシールwikiより

 

Kabaka Ronald Muwenda Mutebi II(1955)※画像なし

イドリス・デビ(1952) 第7代チャド大統領

 

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ブガンダ王Muwenda Mutebi IIの子

 

Prince (Kiweewa) Jjunju Suuna(1986)※画像無し

イルハン・オマル(1982) 民主党

 

 

 


アッシュール・ダン1世の一族~魔神アスラ、タニス、北イスラエル王国、アルメニア王国、グノーシス主義、コプト教、聖コルンバ、アルシング議会

 

シャルマネセル1世(?~?) アッシリア帝国皇帝 在位BC1274~BC1245

魔神アスラ(?~?)

 

トゥクルティ・ニヌルタ1世(?~?) アッシリア帝国皇帝 在位BC1244~BC1208
シャムパラ(?~?) 強大なアスラ王

 

アッシュール・ダン1世(?~?) アッシリア帝国皇帝 在位BC1179~BC1134 ※画像なし

ナラカ(?~?) 有力なアスラ王※画像なし

 

ティグラト・ピレセル1世(?~?) アッシリア帝国皇帝 在位BC1115~BC1076

マヒシャースラ(?~?) アスラ王(三界制覇)

 

アッシュール・ベル・カラ(?~?) アッシリア帝国皇帝 在位BC1074~BC1056

ブローマン(?~?) アスラ王

 

※征服王と呼ばれたシャルマネセル1世の時代にアッシリア人は「魔神アスラ」と呼ばれた。アスラの由来はアッシリアである。魔神アスラ(アッシリア人)の敵は、善神デーヴァとアーリア人だった。魔神アスラは、事前に嘘つきの天分を発揮して善神デーヴァに取り入り、デーヴァの科学力を利用してラピュタの如き戦闘用空中要塞を建設していた。

シャルマネセル1世の時代はバビロニアに勝利し、アッシリア帝国の拡大に歯止めが効かなかった(魔神アスラの始祖)。トゥクルティ・ニヌルタ1世は、父シャルマネセル1世の拡大路線を引継ぎ、中アッシリア王国時代を代表する征服王として君臨した(強大なアスラ王シャムパラに比する)。アッシュール・ダン1世は治世が長いことで知られる(有力アスラ王ナラカに比する)。ティグラト・ピレセル1世はユーフラテス川を越えて地中海に進撃し、「42の国の征服者」と呼ばれた(三界制覇達成アスラ王マヒシャースラに比する)。アッシュール・ベル・カラはウラルトゥに遠征した(アスラ王ブローマンに比する)。

更に、魔神アスラはプント王国とシバ王国を邪教によって乗っ取り、両国の信者をパーンダヴァ族として統一し、テーバイ王国に侵攻させた。これにより「マハーバーラタ戦争」が開始された。しかし、マハーバーラタ戦争で善神デーヴァに敗北すると、魔神アスラはエジプトに逃亡し、タニス朝を開いた。

 

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スメンデス1世(?~?) タニス朝初代ファラオ 在位BC1069~BC1043
ネフェルケレス(?~?) タニス朝ファラオ 在位BC1043~BC1039
プスセンネス1世(?~?) タニス朝ファラオ 在位BC1039~BC991

アメノフティス(?~?) タニス朝ファラオ 在位BC991~BC984
オソコル(?~?) タニス朝ファラオ 在位BC984~BC978


プシナケス(?~?) タニス朝ファラオ 在位BC978~BC959

ナブー・ムキン・アプリ(?~?) バビロン第8王朝バビロニア王 在位BC978~BC943


プスセンネス2世(?~?) タニス朝ファラオ 在位BC959~BC945

ニヌルタ・クドゥリ・ウツル2世(?~?) バビロン第8王朝バビロニア王 在位BC943

 

※タニス朝が滅ぶと、タニス朝のファラオの一族は古巣のアッシリアに逃亡し、アッシュール・ダン2世を生んだ。アッシュール・ダン2世は北イスラエル王国を築いた。

 

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アッシュール・ダン2世(?~?) アッシリア帝国皇帝 在位BC934~BC912 ※画像なし

ヤロブアム1世(?~?) 北イスラエル初代王 在位BC931~BC910

 

ナダブ(?~?) 北イスラエル王 在位BC909

 


バシャ(?~?) 北イスラエル王 在位BC909~BC886

ダレアスタルトゥス(?~?) ティール王 在位BC900~BC889

 


エラ(?~?) 北イスラエル王 在位BC885

 


ジムリ(?~?) 北イスラエル王 在位BC885

 


オムリ(?~?) 北イスラエル王 在位BC885~BC874

アスタリムス(?~?) ティール王 在位BC888~BC880

フェレス(?~?) ティール王 在位BC879

 


アハブ(?~?) 北イスラエル王 在位BC874~BC853

イトバアル(?~?) ティール王 在位BC878~BC847

 


アハズヤ(?~?) 北イスラエル王 在位BC853~BC852

 


ヨラム(?~?) 北イスラエル王 在位BC852~BC841

マルドゥク・ザキル・シュミ1世(?~?) バビロン第8王朝バビロニア王 在位BC855~BC819

バアル・エセル2世(?~?) ティール王 在位BC846~BC841

 

イゼベル(?~?) シリア王女 バアル崇拝

 

※アッシュール・ダン2世は、アッシリア帝国を治めながらヤロブアム1世として北イスラエル王国も同時に統治していた。しかしタナトスと無関係なダヴィデの一族イエフ王が北イスラエル王ヨラムとバアル崇拝の後援者イゼベルを殺害した。イエフと子ヨアハズが2代でBC841~BC797の間、イスラエルを統治した。だが、邪教信者の妨害がひどく、結局、イエフらはタナトスのことを知らないため、善の王は倒れることになる。

 

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マルドゥク・バラッス・イクビ(?~?) バビロン第8王朝バビロニア王 在位BC819~BC813

ババ・アハ・イディナ(?~?) バビロン第8王朝バビロニア王 在位BC812~?

 

※イエフによって一時的にイスラエル王国に平和が訪れたが、実際には死んだことにしてヨアブはバビロニアに避難していた。また、邪教信者は檻の扉が開いていても自分から閉めるような人々である。つまり、ヨラムは排除されたが、ヨラムの脳を持つ邪教信者たちは解放を喜んでいなかった。しかし、英雄に弱いイスラエル王家は一時的にバビロニアに避難し、バビロニア王を歴任した。だが余りに短命であったため、バビロニアでも空位時代が訪れた。

 

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ニヌルタ・アプラ・X(?~?) バビロン第8王朝バビロニア王 在位BC800~BC790※画像なし

ヨアシュ(?~?) 北イスラエル王 在位BC797~BC782

 

アッシュール・ダン3世(?~?) アッシリア帝国皇帝 在位BC772~BC755※画像なし

ヤロブアム2世(?~?) 北イスラエル王 在位BC782~BC747

マルドゥク・アプラ・ウツル(?~?) バビロン第8王朝バビロニア王 在位BC780~BC769※画像なし

エリバ・マルドゥク(?~?) バビロン第8王朝バビロニア王 在位BC769~BC761※画像なし

ナブー・シュマ・イシュクン(?~?) バビロン第8王朝バビロニア王 在位BC761~BC748※画像なし

 

ナボナッサル(?~?) バビロン第8王朝バビロニア王 在位BC747~BC730※画像なし

ゼカリヤ(?~?) 北イスラエル王 在位BC747

シャルム(?~?) 北イスラエル王 在位BC747※画像なし
メナハム(?~?) 北イスラエル王 在位BC747~742※画像なし

バッキス(?~?) バッキアード家祖、コリントス初代王

 

※コリントスの由来はクロノスとタナトスの組み合わせである。クロノス+タナトス=クロノトス=コリントスとなる。BC747年、バッキアード家を興したナボナッサルが革命を指揮し、コリントスを掌握した。

 


ペカフヤ(?~?) 北イスラエル王 在位BC742~740
ペカ(?~?) 北イスラエル王 在位BC740~731

 

ナブー・ナディン・ゼリ(?~?) バビロン第8王朝バビロニア王 在位BC733~BC732

ナブー・シュマ・ウキン2世(?~?) バビロン第8王朝バビロニア王 在位BC732

ナブー・ムキン・ゼリ(?~?) バビロン第9王朝バビロニア王 在位BC731~BC729

ティグラト・ピレセル3世(?~?) バビロン第9王朝バビロニア王 在位BC728~BC727

シャルマネセル5世(?~?) バビロン第9王朝バビロニア王 在位BC727~BC722
ホシュア(?~?) 北イスラエル王 在位BC731~722

 

※バビロニア王ニヌルタ・アプラ・Xがイエフの子として、イスラエル王位を簒奪し返した。その後、アッシュール・ダン3世がヤロブアム2世として北イスラエル王の座に就き、イスラエルをタナトスの手に戻すが、BC740年頃、ネブカドネザル2世に世って、イエフ朝の王族はアッシリア帝国に捕囚された。

 

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アッシュール・ナディン・シュミ(?~?) バビロン第9王朝バビロニア王 在位BC699~BC694

デイオケス(?~?) メディア王国初代王 在位BC700~BC647

 

スキタイ王マデュエス(?~?) メディア王国第3代王 在位BC624~BC597

ナポポラッサル(?~?) カルデア王国初代王 在位BC625~BC605

 

ネブカドネザル2世(BC634~BC562) バビロン第9王朝バビロニア王 在位BC605~BC562

キュアクサレス2世(?~?) メディア王国第4代王 在位BC624~BC585

アルバケス(?~?) メディア王国第5代王 在位BC585

 

アステュアゲス(?~?) メディア王国第6代王 在位BC585~BC549

エビル・メロダク(?~?) カルデア王国第3代王 在位BC561~BC560

ネリグリッサル(?~?) カルデア王国第4代王 在位BC559~BC556

ラバシ・マルドゥク(?~?) カルデア王国第5代王 在位BC556

 

ナポニドゥス(?~?) カルデア王国第6代王 在位BC555~BC539

キュロス2世(?~BC529) 第4代アンシャン王 在位BC559~BC529

アルケタス1世(?~?) アルゲアス朝マケドニア王 在位BC576~BC547

 

※バビロニア王アッシュール・ナディン・シュミは、大宛で王に即位し、イランではなく、新彊に「メディア王国」を築いた。また、クレタ島に侵攻して全島を掌握し、クレタ王に即位した。クレタ島は、「カルデア王国」と呼ばれた。彼らが支配した新バビロニア王国は、クレタの植民地だった。

クレタ島の歴史は記録が皆無であり闇に包まれているが、じつはカルデア王の系譜がクレタ王の系譜である。カルデア王国の歴史を知ることで、クレタ島の歴史を知ることが出来るのだ。メディアの由来はミディアン、カルデアの由来はクリュテイオスである。クリュテイオス=クリュテイオ=カルデアとなる。また、ナポニドゥスはペルシア王国とマケドニア王国両方の簒奪を狙い、不正な手段で王座を奪取している。

 

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ペルディッカス3世(?~BC359) アルゲアス朝マケドニア王 在位BC368~BC359

アルタクセルクセス2世(BC430~BC358) アケメネス朝第7代ペルシア皇帝、ミトラ教教祖

 

ペルセウス(BC212~BC168) アンティゴノス朝マケドニア王 在位BC179~BC168※画像なし

アルタクシアス1世(BC230~BC160) アルメニア王国初代王

 

※ペルシア皇帝アルタクセルクセス2世は、ミトラ教の教祖だった可能性がある。その後のアルメニア王は、全員がミトラ教祭司を兼務し、ローマに進出したと考えられる。

 

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ヴォロガセス3世(?~147) アルサケス朝第5代アルメニア王 在位105~147

バシレイデース(85~145) グノーシス主義バシレイデース派

 

ソハエムス(?~161) アルサケス朝第6代アルメニア王 在位144~161

ウァレンティノス(100~160) グノーシス主義ウォレンティヌス派

マルキオン(100~160) グノーシス主義マルキオン派

 

※グノーシスの由来はクノッソスである。クノッソス=クノーソス=グノーシスとなる。つまり、グノーシス主義はクレタ島で生まれた。バシレイデースの由来はヴァイシュラーヴァナとクリュテイオスの組み合わせであり、ウォレンティノスの由来はオリンポスとディオニュソスの組み合わせである。

ヴァイシュラーヴァナ+クリュテイオス=ヴァイシュラーテイオス=バシレイデースとなり、オリンポス+ディオニュソス=オリンディオニュソ=ウォリンデオヌソ=ウォレンティノスとなる。ウォレンティノスの名はオリエントの由来になったと考えられる。

 

ティリダテス3世(250~330) アルサケス朝第13代アルメニア王

啓蒙者グレゴリウス( 257~331) アルメニア教会教祖

 

アルサケス3世(371~390) アルサケス朝第19代アルメニア王※画像なし

エチオピアのフルメンティ(?~383) エチオピア教会教祖

 

ヴラムシャプー(340~414) アルサケス朝第21代アルメニア王※画像なし

聖ヒエロニムス(347~420)

 

アルタクシアス4世(404~?) アルサケス朝第22代アルメニア王(最後の王)※画像なし

聖アウグスティヌス(354~430)

ERC(?~474) ダルリアタ王※画像なし

 

LOEGAIRE MAC NEILL(?~458) 第12代アイルランド・ハイキング※画像なし

LOARN(?~?) ダルリアタ王※画像なし

ディオスコロス(?~454) コプト教教祖

 

TUATHAL MAELGARB(?~544) 第17代アイルランド・ハイキング

COMGALL(?~540) ダルリアタ王

聖フィニアン(470~549) クロナード修道院創立

 

※クロナードの由来はカルヌーテースである。カルヌーテース=カルヌーテ=クロナードとなる。

 

CONALL(?~574) ダルリアタ王

聖ヤコブ・バラデイウス(500~578) ヤコブ教会教祖

 

AED MAC AINMUIRECH(?~598) 第18代アイルランド・ハイキング※画像なし

AEDAN(?~606) ダルリアタ王※画像なし

聖コルンバ(521~597) アイルランド・カトリック教祖

カンタベリーのアウグスティヌス(?~604) 初代カンタベリー大主教※画像なし

 

AED UARIDNACH(?~612) 第19代アイルランド・ハイキング

EOCHAID BUIDE(?~629) ダルリアタ王

CONNAD CERR(?~629) ダルリアタ王

聖コルンバヌス(543~615)

ラウレンティウス(?~619) 第2代カンタベリー大主教

 

※アイルランド・ハイキングはダルリアダ王を兼任し、アイルランド・カトリックの神官として布教に努めたが、聖コルンバヌスの時代にマヤに移住している。

 

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ジャソウ・チャン・カウィール1世(?~734) ティカル初代君主 在位682~734

 

無名のティカル君主(?~869) ティカル君主 在位不明

AMLAIB CONUNG(?~874) ダブリン王国初代王 在位853~871

 

ジャソウ・チャン・カウィール2世(?~889) ティカル君主 在位869~899※画像なし

パパル(?~?) アイルランド人僧侶※画像なし

インゴールヴル・アルナルソン(?~?) ノルウェー・アイスランド首領

ハーラル1世(850~930) ユングリング朝ノルウェー初代王 在位872~930※画像なし

 

BLACAIRE MAC GOFRAID(?~948) ダブリン王国第15代王 在位941~945

トルスタイン・インゴルフソン(?~?) 初代アルスヘルジャルゴジ 任期930~945

 

オーラヴ1世(960年代~1000年代) ユングリング朝第6代ノルウェー王※画像無し

レイフ・エリクソン(970~1020)

 

BRODAR MAC TORCAILL(?~1160) ダブリン王国第46代王 在位?~1160

GUDMUNDR GRISS AMUNDASON(?~?) 第6代代アルスヘルジャルゴジ 任期1160

インゲ1世(?~1161) シュル朝ノルウェー王 在位1136~1161

マグヌス2世(?~1161) エストリズセン朝スウェーデン王 在位1125~30、1160~61

 

マグヌス・ゴジ・ゴジムンダルソン(?~?) 第8代アルスヘルジャルゴジ 任期1197~1234

ホーコン3世(?~1204) シュル朝ノルウェー王 在位1202~1204

グットルム・シグルツソン(?~1204) シュル朝ノルウェー王 在位1204

インゲ2世(?~1217) シュル朝ノルウェー王 在位1204~1217

 

※アイルランド・ハイキングはティカルの君主としてティカルを統治した。その後、ヴァイキング時代になると、ティカルの君主はアイルランドに帰還し、ヴァイキングに紛れてダブリン王国を建設し、アイスランドを領土化した。世界最古の民主議会アルシングを設立した。

 

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スヴェイン・ビョルンソン(1881~1952) アイスランド初代大統領

Pope Macarius III(1872~1945) コプト教会アレキサンドリア総主教

Joseph II(1875~1956) コプト教会アレキサンドリア総主教※画像無し

 

※絵だが、マカリウスはスヴェインに良く似ている。どうやらアイスランドの大統領、或いは首相がコプト教、エチオピア教会、アルメニア教会を指揮しているようだ。

 

ステイングリムル・ヘルマンソン(1928~2010) アイスランド第18代首相

シェヌーダ3世(1923~2012) コプト教会アレクサンドリア総主教

 

オラフル・ラグナル・グリムソン(1943) アイスランド第5代大統領

アブネ・マティアス(1941) エチオピア教会総主教

 

ゲイル・ホルデ(1951) アイスランド第21代首相

ガレギン2世(1951) アルメニア教会総主教

 

グズニ・ヨハンネソン(1968) アイスランド共和国第6代大統領

 

 

 



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