目次
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まえがき 悪の足跡の追求
タナトスの一族~カニバリズム、人身御供、クロノス、アトランティス王国、最終戦争ラグナロク、タングート、西夏、狼男、チャガタイ・ハン国、タウングー朝、ズールー帝国、アフリカ独立運動、ボコ・ハラム
ティールタンカラの一族~アーリア人、仏教、継体天皇、中臣鎌足、藤原不比等、白河天皇、鳥羽天皇、マリ帝国、ジェノヴァ共和国、ルクセンブルク公国、リヒテンシュタイン公国、モナコ公国、アシャンティ帝国
デウスの一族~ジャイナ教、河伯、サータヴァーハナ朝、フン族、アッティラ帝王、稲荷神社、九頭龍、風水、足利尊氏、後醍醐天皇、シャーマニズム、クエーカー教、住友財閥、三井財閥
ダーナ神族の一族~ディオニュソス、デニエン人、猿田彦、契丹、デーン人、鬼、酒呑童子、ハーバード大学、ジョージ・ワシントン大統領、アメリカ連合国、統一イタリア王国、カナダ、ニュージーランド、阿含宗
アブラハムの一族~シュメール文明、エフライム族、バアル、アフラマズダー、ゾロアスター教、マケドニア王国、聖徳太子、ピサ共和国、奥州藤原氏、フランシスコ・ピサロ、ヴァーサ朝、フィンランド共和国
預言者ナタンの一族~ラピタ文化、ダン族、ソロモン王、ミディアン人、ストーンヘンジ、アテーナイ王国、ヒクソス、アマルナ宗教改革、ケント王国、最澄、空海、源氏・平氏、マフディー国家
アッシュール・ダン1世の一族~魔神アスラ、タニス、北イスラエル王国、アルメニア王国、グノーシス主義、コプト教、聖コルンバ、アルシング議会
ガリアのドルイド司祭(東本願寺)の一族~アテネ民主制、ローマ執政官、ソピテース、デマゴーグ、ヘロデ大王、ローマ帝国、フィリキ・エテリア、青年トルコ革命
聖ドナトゥスの一族~渤海王、ブワイ朝、テンプル騎士団、ジンバブエ王国、ダホメー王国、ハイチ帝国、黒人地位向上協会、バハーイー教
ローマ教皇レオ1世の一族~ランゴバルト王国、メロヴィング朝、マズダク教、ウイグル可汗、浄土教、曹洞宗、ノルマン人、カルマル同盟、出雲大社、コーザ・ノストラ、オーストラリア、バチカン市国委員会
クリュニー大主教ベルノの一族~ナバラ王国、フランク・ローマ皇帝、カペー朝フランス王、民衆十字軍、土肥実平、長宗我部氏、キャンディ王国、三菱財閥、ルワンダ大虐殺
クリュニー大主教アイマールの一族~キエフ大公国、シトー会、北条時政、聖フランチェスコ会、シチリア王国、イタリア共和国
クリュニー大主教ヒューの一族~ヒメネス朝ナバラ王、バルセロナ朝アラゴン王、ブルゴーニュ朝カスティーリャ王、バルバロス・ハイレッディン、チュニジア、アルジェリア、ユニオン・コルス
カペー朝ルイ7世の一族~メリナ王国、カンボジア王国、カリブ族、ゴーストダンス、マウマウ団、ドラヴィダ進歩党、カーゴカルト、パプアニューギニア、クメール・ルージュ
カペー朝フィリップ2世の一族~ドイツ騎士団、白蓮教、小西行長と弥助、マラッカ王国、ブルネイ帝国、ベネズエラ共和国、リンガトゥ教、呪術師スビキロ、バラク・オバマ、フアン・グアイド
親鸞の一族~浄土真宗、時宗、一向宗、世界初の精神病院ベドラム、ブルゴーニュ朝ポルトガル、コンキスタドール、メキシコ帝国、麻薬カルテル
如信の一族~魔女狩り解禁、異端審問、伊勢大社、カペー朝フランス王、ボルボン朝スペイン王、スペイン共和国
覚如の一族~紅巾の乱、華僑、百年戦争、殺人集団タギー、琉球王国、アチェ王国、黎朝ベトナム帝国、白蓮教、シンガポール、日清食品、社会民主党、全能神
善如の一族~倭寇、恭愍王、足利義満、日野富子、三浦倭館、東林党、魏忠賢、フランシス・ドレイク、バッカニア海賊、カタール首長
綽如の一族~ヴァロワ=ブルゴーニュ公、ブルボン公、能登守、ケベック解放戦線
巧如の一族~ジル・ド・レ、ヴァロワ朝フランス、マルタ騎士団、マラーター族、アフガニスタン王国、オマーン王国、ザンジバル帝国、ソコト帝国、マルタ共和国
存如の一族~応仁の乱、アラゴン王国、アヴィス朝・ブラガンサ朝ポルトガル、ポルトガル共和国、アルバニア共和国、マザー・テレサ、神の愛の宣教者会
蓮如の一族~スイス連邦参事会、魔女狩り、パッツィ家、ロレーヌ公、一向一揆、秘密委員会、ベルギー王国
実如の一族~毛利元就、オルデンブルク朝デンマーク、モロッコ王国、フランコ将軍、パレスチナ解放機構、トントンマクート、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三、統一協会
証如の一族~明智光秀、魔女狩り、戦国時代、オランダ王国、近衛家、クウェート王国、イギリス東インド会社、南アフリカ連邦、ジャム・カシミールのムジャヒディーン、湾岸戦争
顕如の一族~万暦の三征、魔女狩り、オランダ東インド会社、スチュアート朝、老論派、バプティスト教会、メソジスト教会
教如の一族~織田信雄、東山天皇、仁孝天皇、孝明天皇、カメハメハ大王、ハワイ王国、トンガ王国、サモア独立国、フィジー共和国、エチオピア連邦民主共和国
宣如の一族~ハプスブルグ家、ブルボン家、プファルツ朝スウェーデン王、フルベ聖戦、フランス共和国、イスラーム・マグリブ諸国のアル=カーイダ機構
琢如の一族~英蘭戦争、マラーター王国、ベンガル太守、アワミ連盟、バングラデシュ、ジャマート=ウル=ムジャーヒディーン
常如の一族~後金時代、李氏朝鮮末期、琉球第二尚氏王統、東学党、ゴ・ディン・ジエム、大韓民団、株式会社ロッテ
一如の一族~名誉革命、ジャコバイト、オラニエ=ナッサウ王家、南アフリカ連邦、オレンジ革命
真如の一族~イエズス会弾圧、ムガール皇帝、マラーター同盟、タタ財閥、デカン・ムジャヒディーン
従如の一族~田沼意次、徳川家重、松平定信、井伊直弼、水野忠邦、徳川慶喜
乗如の一族~フランス革命、ベトナム植民地、ブラジル帝国、YMCA、セブンスデー・アドベンチスト教会、国際赤十字社、花粉症、AIDS
達如の一族~復古神道、尊皇攘夷、天理教、金光教、神社本庁、日本社会党、講談社、日本会議、ヒカルランド
大谷光勝の一族~丙寅教獄、明治維新、ビアフラ共和国、ソンミ村虐殺、コリン・パウエル、コンドリーザ・ライス、トニー・ブレア
大谷光榮の一族~大谷大学、アドルフ・ヒトラー、ハインリヒ・ヒムラー、軍産複合体、パフラヴィー朝皇帝、アウグスト・ピノチェト、立憲民主党
大谷光演の一族~重慶爆撃、CTスキャン、ダライ・ラマ14世、ディズニー・カンパニー、スティーブン・スピルバーグ、ジャニーズ、タイム・ワーナー社、YOUTUBE
ヘンリー・キッシンジャーの一族~ビル・クリントン、湾岸症候群、ジョン・ベネ殺害事件、レバノン空爆、ロシアの人喰いズマガリエフ、フェイスブック
大谷光暢の一族~ラビア・カーディル、ブルース・リー親子暗殺、地下鉄サリン事件、天安門事件、オウム地下鉄サリン事件、酒鬼薔薇聖斗、雨傘革命
大谷暢顕の一族~放送局アナウンサー、宮崎勤事件、足利事件、神戸連続児童殺傷事件、学級崩壊、大阪池田小児童殺害事件、てるくはのる事件
大谷暢裕の一族~根本匠、2014香港反中デモ、2014香港反政府デモ、2019逃亡犯条例改正案撤回デモ
大宛のドルイド司祭(西本願寺)の一族~大宛、クシャーナ朝、鳩摩羅什、曇鸞、浄土宗、隋、ウマイヤ朝イスラム帝国、北宋、舜天王統、ブギス族、ジョホール朝、林本源、中国仏教協会、台湾
王安石の一族~南宋皇帝、今川国氏、デリー・スルターン朝、曹洞宗、永平寺、総持寺、コーカンド・ハン国、イエメン王国、イスラム国
今川国氏の一族~アステカ人身御供、ヴラド・ツェペシュ、見付天神の人身御供、エリザベート・バートリ、モルダヴィア公、ルーマニア王国、モルドバ共和国
准如の一族~小早川秀秋、ドン・コサック、古儀式派、ノーベル賞、ベルナドッテ朝スウェーデン王
良如の一族~生類憐みの令、火付盗賊改、子供を殺すための法律「ブラック法」、MI6長官
寂如の一族~女帝エカチェリーナ、秘密結社イルミナティ、ナチス帝国、特高警察、モサド、中央情報局、アメリカ連邦捜査局
住如の一族~黒住教、ビン=ラディン・グループ、アルカーイダ、ソマリランド大統領、GOOGLE
湛如の一族~ジュンガル帝国、チャックリー家、タイ王国、ネパール王国、モンゴル人民革命党、霊友会、世界救世教、祟教真光、日本相撲協会
法如の一族~アヘン戦争、ロスチャイルド財閥、ロックフェラー財閥、スカル&ボーンズ、第一次世界大戦、ホスピス、北大西洋条約機構、シリアルキラー、アムネスティ・インターナショナル
文如の一族~ウクライナ東方カトリック教会、薩摩戦争、切り裂きジャック、インディアン虐殺、国際連合
本如の一族~ウクライナ東方カトリック教会、東トルキスタン、ムスリム同胞団、ユーゴスラビア紛争、チェチェン紛争、南オセチア紛争、ウクライナ政変
広如の一族~伊藤博文、大隈重信、山縣有朋、龍谷大学、新渡戸稲造、白洲次郎、東条英機、日産コンツェルン、731部隊、ベトナム戦争
デヴィッド・ロックフェラーの一族~ジョージ・ソロス、CNN、モンサント社、遺伝子組み換え作物、成長ホルモン、コソボ爆撃、コロンバイン高校銃撃
大谷光尊の一族~ウィンザー朝イギリス王室、ファシスト党、ディープ・ステート、連続殺人鬼ウィリアム・ハイレンズ、ウクライナ21、Twitter
大谷光瑞の一族~ジョージ・H・W・ブッシュ、湾岸戦争、冷戦終結、法輪功、国境なき記者団、自動運転技術テロ、オール電化テロ
大谷光照の一族~ジョージ・W・ブッシュ、除草剤ラウンドアップ、連続殺人犯テッド・バンディ、世界同時多発テロ、キャラバン
大谷光真の一族~悪魔ビル・ゲイツ、マイクロソフト社、上祐史裕、プログラム自動ダウンロードテロ、異常行動テロ
大谷光淳の一族~2ちゃんねる、仙台女児連続暴行事件犯人、2019逃亡犯条例改正案撤回デモ、Qアーミージャパン
ユダヤ人(1731)の一族~ハザール帝国、カバラ神秘主義、ホフユーデン、人体自然発火事件、クーン・ローブ商会、シオニズム運動、精神医学、モサド、ドイツキリスト教民主同盟、ゲノム編集
ユダヤ人(1908)の一族~ヒヴァ・ハン国、ガージャール朝、アドルフ・ヒトラー、ツングース大爆発、ロケット、マンハッタン計画、原子爆弾、水素爆弾、レーザー、コンピューター
第一次、第二次、第三次世界大戦の一族
タナトス一族の趣味~世界の拷問
あとがき
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アッシュール・ダン1世の一族~魔神アスラ、タニス、北イスラエル王国、アルメニア王国、グノーシス主義、コプト教、聖コルンバ、アルシング議会

 

シャルマネセル1世(?~?) アッシリア帝国皇帝 在位BC1274~BC1245

魔神アスラ(?~?)

 

トゥクルティ・ニヌルタ1世(?~?) アッシリア帝国皇帝 在位BC1244~BC1208
シャムパラ(?~?) 強大なアスラ王

 

アッシュール・ダン1世(?~?) アッシリア帝国皇帝 在位BC1179~BC1134 ※画像なし

ナラカ(?~?) 有力なアスラ王※画像なし

 

ティグラト・ピレセル1世(?~?) アッシリア帝国皇帝 在位BC1115~BC1076

マヒシャースラ(?~?) アスラ王(三界制覇)

 

アッシュール・ベル・カラ(?~?) アッシリア帝国皇帝 在位BC1074~BC1056

ブローマン(?~?) アスラ王

 

※征服王と呼ばれたシャルマネセル1世の時代にアッシリア人は「魔神アスラ」と呼ばれた。アスラの由来はアッシリアである。魔神アスラ(アッシリア人)の敵は、善神デーヴァとアーリア人だった。魔神アスラは、事前に嘘つきの天分を発揮して善神デーヴァに取り入り、デーヴァの科学力を利用してラピュタの如き戦闘用空中要塞を建設していた。

シャルマネセル1世の時代はバビロニアに勝利し、アッシリア帝国の拡大に歯止めが効かなかった(魔神アスラの始祖)。トゥクルティ・ニヌルタ1世は、父シャルマネセル1世の拡大路線を引継ぎ、中アッシリア王国時代を代表する征服王として君臨した(強大なアスラ王シャムパラに比する)。アッシュール・ダン1世は治世が長いことで知られる(有力アスラ王ナラカに比する)。ティグラト・ピレセル1世はユーフラテス川を越えて地中海に進撃し、「42の国の征服者」と呼ばれた(三界制覇達成アスラ王マヒシャースラに比する)。アッシュール・ベル・カラはウラルトゥに遠征した(アスラ王ブローマンに比する)。

更に、魔神アスラはプント王国とシバ王国を邪教によって乗っ取り、両国の信者をパーンダヴァ族として統一し、テーバイ王国に侵攻させた。これにより「マハーバーラタ戦争」が開始された。しかし、マハーバーラタ戦争で善神デーヴァに敗北すると、魔神アスラはエジプトに逃亡し、タニス朝を開いた。

 

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スメンデス1世(?~?) タニス朝初代ファラオ 在位BC1069~BC1043
ネフェルケレス(?~?) タニス朝ファラオ 在位BC1043~BC1039
プスセンネス1世(?~?) タニス朝ファラオ 在位BC1039~BC991

アメノフティス(?~?) タニス朝ファラオ 在位BC991~BC984
オソコル(?~?) タニス朝ファラオ 在位BC984~BC978


プシナケス(?~?) タニス朝ファラオ 在位BC978~BC959

ナブー・ムキン・アプリ(?~?) バビロン第8王朝バビロニア王 在位BC978~BC943


プスセンネス2世(?~?) タニス朝ファラオ 在位BC959~BC945

ニヌルタ・クドゥリ・ウツル2世(?~?) バビロン第8王朝バビロニア王 在位BC943

 

※タニス朝が滅ぶと、タニス朝のファラオの一族は古巣のアッシリアに逃亡し、アッシュール・ダン2世を生んだ。アッシュール・ダン2世は北イスラエル王国を築いた。

 

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アッシュール・ダン2世(?~?) アッシリア帝国皇帝 在位BC934~BC912 ※画像なし

ヤロブアム1世(?~?) 北イスラエル初代王 在位BC931~BC910

 

ナダブ(?~?) 北イスラエル王 在位BC909

 


バシャ(?~?) 北イスラエル王 在位BC909~BC886

ダレアスタルトゥス(?~?) ティール王 在位BC900~BC889

 


エラ(?~?) 北イスラエル王 在位BC885

 


ジムリ(?~?) 北イスラエル王 在位BC885

 


オムリ(?~?) 北イスラエル王 在位BC885~BC874

アスタリムス(?~?) ティール王 在位BC888~BC880

フェレス(?~?) ティール王 在位BC879

 


アハブ(?~?) 北イスラエル王 在位BC874~BC853

イトバアル(?~?) ティール王 在位BC878~BC847

 


アハズヤ(?~?) 北イスラエル王 在位BC853~BC852

 


ヨラム(?~?) 北イスラエル王 在位BC852~BC841

マルドゥク・ザキル・シュミ1世(?~?) バビロン第8王朝バビロニア王 在位BC855~BC819

バアル・エセル2世(?~?) ティール王 在位BC846~BC841

 

イゼベル(?~?) シリア王女 バアル崇拝

 

※アッシュール・ダン2世は、アッシリア帝国を治めながらヤロブアム1世として北イスラエル王国も同時に統治していた。しかしタナトスと無関係なダヴィデの一族イエフ王が北イスラエル王ヨラムとバアル崇拝の後援者イゼベルを殺害した。イエフと子ヨアハズが2代でBC841~BC797の間、イスラエルを統治した。だが、邪教信者の妨害がひどく、結局、イエフらはタナトスのことを知らないため、善の王は倒れることになる。

 

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マルドゥク・バラッス・イクビ(?~?) バビロン第8王朝バビロニア王 在位BC819~BC813

ババ・アハ・イディナ(?~?) バビロン第8王朝バビロニア王 在位BC812~?

 

※イエフによって一時的にイスラエル王国に平和が訪れたが、実際には死んだことにしてヨアブはバビロニアに避難していた。また、邪教信者は檻の扉が開いていても自分から閉めるような人々である。つまり、ヨラムは排除されたが、ヨラムの脳を持つ邪教信者たちは解放を喜んでいなかった。しかし、英雄に弱いイスラエル王家は一時的にバビロニアに避難し、バビロニア王を歴任した。だが余りに短命であったため、バビロニアでも空位時代が訪れた。

 

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ニヌルタ・アプラ・X(?~?) バビロン第8王朝バビロニア王 在位BC800~BC790※画像なし

ヨアシュ(?~?) 北イスラエル王 在位BC797~BC782

 

アッシュール・ダン3世(?~?) アッシリア帝国皇帝 在位BC772~BC755※画像なし

ヤロブアム2世(?~?) 北イスラエル王 在位BC782~BC747

マルドゥク・アプラ・ウツル(?~?) バビロン第8王朝バビロニア王 在位BC780~BC769※画像なし

エリバ・マルドゥク(?~?) バビロン第8王朝バビロニア王 在位BC769~BC761※画像なし

ナブー・シュマ・イシュクン(?~?) バビロン第8王朝バビロニア王 在位BC761~BC748※画像なし

 

ナボナッサル(?~?) バビロン第8王朝バビロニア王 在位BC747~BC730※画像なし

ゼカリヤ(?~?) 北イスラエル王 在位BC747

シャルム(?~?) 北イスラエル王 在位BC747※画像なし
メナハム(?~?) 北イスラエル王 在位BC747~742※画像なし

バッキス(?~?) バッキアード家祖、コリントス初代王

 

※コリントスの由来はクロノスとタナトスの組み合わせである。クロノス+タナトス=クロノトス=コリントスとなる。BC747年、バッキアード家を興したナボナッサルが革命を指揮し、コリントスを掌握した。

 


ペカフヤ(?~?) 北イスラエル王 在位BC742~740
ペカ(?~?) 北イスラエル王 在位BC740~731

 

ナブー・ナディン・ゼリ(?~?) バビロン第8王朝バビロニア王 在位BC733~BC732

ナブー・シュマ・ウキン2世(?~?) バビロン第8王朝バビロニア王 在位BC732

ナブー・ムキン・ゼリ(?~?) バビロン第9王朝バビロニア王 在位BC731~BC729

ティグラト・ピレセル3世(?~?) バビロン第9王朝バビロニア王 在位BC728~BC727

シャルマネセル5世(?~?) バビロン第9王朝バビロニア王 在位BC727~BC722
ホシュア(?~?) 北イスラエル王 在位BC731~722

 

※バビロニア王ニヌルタ・アプラ・Xがイエフの子として、イスラエル王位を簒奪し返した。その後、アッシュール・ダン3世がヤロブアム2世として北イスラエル王の座に就き、イスラエルをタナトスの手に戻すが、BC740年頃、ネブカドネザル2世に世って、イエフ朝の王族はアッシリア帝国に捕囚された。

 

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アッシュール・ナディン・シュミ(?~?) バビロン第9王朝バビロニア王 在位BC699~BC694

デイオケス(?~?) メディア王国初代王 在位BC700~BC647

 

スキタイ王マデュエス(?~?) メディア王国第3代王 在位BC624~BC597

ナポポラッサル(?~?) カルデア王国初代王 在位BC625~BC605

 

ネブカドネザル2世(BC634~BC562) バビロン第9王朝バビロニア王 在位BC605~BC562

キュアクサレス2世(?~?) メディア王国第4代王 在位BC624~BC585

アルバケス(?~?) メディア王国第5代王 在位BC585

 

アステュアゲス(?~?) メディア王国第6代王 在位BC585~BC549

エビル・メロダク(?~?) カルデア王国第3代王 在位BC561~BC560

ネリグリッサル(?~?) カルデア王国第4代王 在位BC559~BC556

ラバシ・マルドゥク(?~?) カルデア王国第5代王 在位BC556

 

ナポニドゥス(?~?) カルデア王国第6代王 在位BC555~BC539

キュロス2世(?~BC529) 第4代アンシャン王 在位BC559~BC529

アルケタス1世(?~?) アルゲアス朝マケドニア王 在位BC576~BC547

 

※バビロニア王アッシュール・ナディン・シュミは、大宛で王に即位し、イランではなく、新彊に「メディア王国」を築いた。また、クレタ島に侵攻して全島を掌握し、クレタ王に即位した。クレタ島は、「カルデア王国」と呼ばれた。彼らが支配した新バビロニア王国は、クレタの植民地だった。

クレタ島の歴史は記録が皆無であり闇に包まれているが、じつはカルデア王の系譜がクレタ王の系譜である。カルデア王国の歴史を知ることで、クレタ島の歴史を知ることが出来るのだ。メディアの由来はミディアン、カルデアの由来はクリュテイオスである。クリュテイオス=クリュテイオ=カルデアとなる。また、ナポニドゥスはペルシア王国とマケドニア王国両方の簒奪を狙い、不正な手段で王座を奪取している。

 

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ペルディッカス3世(?~BC359) アルゲアス朝マケドニア王 在位BC368~BC359

アルタクセルクセス2世(BC430~BC358) アケメネス朝第7代ペルシア皇帝、ミトラ教教祖

 

ペルセウス(BC212~BC168) アンティゴノス朝マケドニア王 在位BC179~BC168※画像なし

アルタクシアス1世(BC230~BC160) アルメニア王国初代王

 

※ペルシア皇帝アルタクセルクセス2世は、ミトラ教の教祖だった可能性がある。その後のアルメニア王は、全員がミトラ教祭司を兼務し、ローマに進出したと考えられる。

 

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ヴォロガセス3世(?~147) アルサケス朝第5代アルメニア王 在位105~147

バシレイデース(85~145) グノーシス主義バシレイデース派

 

ソハエムス(?~161) アルサケス朝第6代アルメニア王 在位144~161

ウァレンティノス(100~160) グノーシス主義ウォレンティヌス派

マルキオン(100~160) グノーシス主義マルキオン派

 

※グノーシスの由来はクノッソスである。クノッソス=クノーソス=グノーシスとなる。つまり、グノーシス主義はクレタ島で生まれた。バシレイデースの由来はヴァイシュラーヴァナとクリュテイオスの組み合わせであり、ウォレンティノスの由来はオリンポスとディオニュソスの組み合わせである。

ヴァイシュラーヴァナ+クリュテイオス=ヴァイシュラーテイオス=バシレイデースとなり、オリンポス+ディオニュソス=オリンディオニュソ=ウォリンデオヌソ=ウォレンティノスとなる。ウォレンティノスの名はオリエントの由来になったと考えられる。

 

ティリダテス3世(250~330) アルサケス朝第13代アルメニア王

啓蒙者グレゴリウス( 257~331) アルメニア教会教祖

 

アルサケス3世(371~390) アルサケス朝第19代アルメニア王※画像なし

エチオピアのフルメンティ(?~383) エチオピア教会教祖

 

ヴラムシャプー(340~414) アルサケス朝第21代アルメニア王※画像なし

聖ヒエロニムス(347~420)

 

アルタクシアス4世(404~?) アルサケス朝第22代アルメニア王(最後の王)※画像なし

聖アウグスティヌス(354~430)

ERC(?~474) ダルリアタ王※画像なし

 

LOEGAIRE MAC NEILL(?~458) 第12代アイルランド・ハイキング※画像なし

LOARN(?~?) ダルリアタ王※画像なし

ディオスコロス(?~454) コプト教教祖

 

TUATHAL MAELGARB(?~544) 第17代アイルランド・ハイキング

COMGALL(?~540) ダルリアタ王

聖フィニアン(470~549) クロナード修道院創立

 

※クロナードの由来はカルヌーテースである。カルヌーテース=カルヌーテ=クロナードとなる。

 

CONALL(?~574) ダルリアタ王

聖ヤコブ・バラデイウス(500~578) ヤコブ教会教祖

 

AED MAC AINMUIRECH(?~598) 第18代アイルランド・ハイキング※画像なし

AEDAN(?~606) ダルリアタ王※画像なし

聖コルンバ(521~597) アイルランド・カトリック教祖

カンタベリーのアウグスティヌス(?~604) 初代カンタベリー大主教※画像なし

 

AED UARIDNACH(?~612) 第19代アイルランド・ハイキング

EOCHAID BUIDE(?~629) ダルリアタ王

CONNAD CERR(?~629) ダルリアタ王

聖コルンバヌス(543~615)

ラウレンティウス(?~619) 第2代カンタベリー大主教

 

※アイルランド・ハイキングはダルリアダ王を兼任し、アイルランド・カトリックの神官として布教に努めたが、聖コルンバヌスの時代にマヤに移住している。

 

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ジャソウ・チャン・カウィール1世(?~734) ティカル初代君主 在位682~734

 

無名のティカル君主(?~869) ティカル君主 在位不明

AMLAIB CONUNG(?~874) ダブリン王国初代王 在位853~871

 

ジャソウ・チャン・カウィール2世(?~889) ティカル君主 在位869~899※画像なし

パパル(?~?) アイルランド人僧侶※画像なし

インゴールヴル・アルナルソン(?~?) ノルウェー・アイスランド首領

ハーラル1世(850~930) ユングリング朝ノルウェー初代王 在位872~930※画像なし

 

BLACAIRE MAC GOFRAID(?~948) ダブリン王国第15代王 在位941~945

トルスタイン・インゴルフソン(?~?) 初代アルスヘルジャルゴジ 任期930~945

 

オーラヴ1世(960年代~1000年代) ユングリング朝第6代ノルウェー王※画像無し

レイフ・エリクソン(970~1020)

 

BRODAR MAC TORCAILL(?~1160) ダブリン王国第46代王 在位?~1160

GUDMUNDR GRISS AMUNDASON(?~?) 第6代代アルスヘルジャルゴジ 任期1160

インゲ1世(?~1161) シュル朝ノルウェー王 在位1136~1161

マグヌス2世(?~1161) エストリズセン朝スウェーデン王 在位1125~30、1160~61

 

マグヌス・ゴジ・ゴジムンダルソン(?~?) 第8代アルスヘルジャルゴジ 任期1197~1234

ホーコン3世(?~1204) シュル朝ノルウェー王 在位1202~1204

グットルム・シグルツソン(?~1204) シュル朝ノルウェー王 在位1204

インゲ2世(?~1217) シュル朝ノルウェー王 在位1204~1217

 

※アイルランド・ハイキングはティカルの君主としてティカルを統治した。その後、ヴァイキング時代になると、ティカルの君主はアイルランドに帰還し、ヴァイキングに紛れてダブリン王国を建設し、アイスランドを領土化した。世界最古の民主議会アルシングを設立した。

 

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スヴェイン・ビョルンソン(1881~1952) アイスランド初代大統領

Pope Macarius III(1872~1945) コプト教会アレキサンドリア総主教

Joseph II(1875~1956) コプト教会アレキサンドリア総主教※画像無し

 

※絵だが、マカリウスはスヴェインに良く似ている。どうやらアイスランドの大統領、或いは首相がコプト教、エチオピア教会、アルメニア教会を指揮しているようだ。

 

ステイングリムル・ヘルマンソン(1928~2010) アイスランド第18代首相

シェヌーダ3世(1923~2012) コプト教会アレクサンドリア総主教

 

オラフル・ラグナル・グリムソン(1943) アイスランド第5代大統領

アブネ・マティアス(1941) エチオピア教会総主教

 

ゲイル・ホルデ(1951) アイスランド第21代首相

ガレギン2世(1951) アルメニア教会総主教

 

グズニ・ヨハンネソン(1968) アイスランド共和国第6代大統領

 

 

 


ガリアのドルイド司祭(東本願寺)の一族~アテネ民主制、ローマ執政官、ソピテース、デマゴーグ、ヘロデ大王、ローマ帝国、フィリキ・エテリア、青年トルコ革命

 

メランタス(?~?) アテーナイ王 在位BC1126~BC1089

ラムセス9世(?~?) エジプト第20王朝第8代ファラオ 在位BC1126~BC1108

ラムセス10世(?~?) エジプト第20王朝第9代ファラオ 在位BC1108~BC1098

 

コドルス(?~?) アテーナイ王 在位BC1089~BC1068

ラムセス11世(?~?) エジプト第20王朝第10代ファラオ 在位BC1098~BC1070

ヘムネチェルテピエンアメン・ヘリホル(?~?) エジプト第21王朝初代ファラオ 在位BC1080~BC1074

 

※マハーバーラタ戦争を機に、アラビア半島のアテーナイ王国は拠点を古代ギリシアに移転した。

 

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メドン(?~?) アテーナイ初代アーコン 在位BC1068~BC1048

スメンデス1世(?~?) タニス朝初代ファラオ 在位BC1069~BC1043

カーケペルラー=セテプエンアメン・パネジェム1世 (?~?) エジプト第21王朝第23ファラオ 在位BC1070~BC1032

 

アカスタス(?~?) アテーナイ第2代アーコン 在位BC1048~BC1012

アルチッパス(?~?) アテーナイ第3代アーコン 在位BC1012~BC993

 

テルシッパス(?~?) アテーナイ第4代アーコン 在位BC993~BC952

スメンデス2世(?~?) エジプト第21王朝第6代ファラオ 在位BC992~BC990

カーケペルラー=セテプエンアメン・パネジェム2世(?~?) エジプト第21王朝第7代ファラオ 在位BC990~BC969

 

フォルバス(?~?) アテーナイ第5代アーコン 在位BC952~BC922

プスセンネス3世(?~?) エジプト第21王朝第8代ファラオ 在位BC969~BC945

 

メガクレス(?~?) アテーナイ第6代アーコン 在位BC922~BC892

アッシュール・ダン2世(?~?) アッシリア帝国皇帝 在位BC934~BC912
ヤロブアム1世(?~?) 北イスラエル初代王 在位BC931~BC910

 

ディオグネタス(?~?) アテーナイ第7代アーコン 在位BC892~BC864

ペレクレス(?~?) アテーナイ第8代アーコン 在位BC864~BC845

 

アリフロン(?~?) アテーナイ第9代アーコン 在位BC845~BC825

マッタン1世(?~?) ティール王 在位BC840~BC832

 

テスピウス(?~?) アテーナイ第10代アーコン 在位BC824~BC797

プロカス(?~?) アルバ・ロンガ王 在位BC817~BC794 ※ロムルスの父

 

アガメストール(?~?) アテーナイ第11代アーコン 在位BC796~BC778

エスキラス(?~?) アテーナイ第12代アーコン 在位BC778~BC755

 

アルクメオン(?~?) アテーナイ第13代アーコン 在位BC755~BC753

ヌミトル(?~?) アルバ・ロンガ王 在位BC752 ※ロムルスの祖父

 

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ディドー(?~BC759) カルタゴ初代女王 在位BC839~BC831

ピグマリオン(?~BC785) カルタゴ王 在位BC831~785

 

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ロムルス(BC771~BC717) 初代ローマ王 在位BC753~BC717

 

※ロムルスはローマ王国の初代王とされているが、実際にはエトルリア人の可能性がある。つまり、アテーナイ人の末裔だ。ロムルスの父と祖父はアルバ・ロンガ王だが、これはつまり、彼らはアラビア半島から来たことを示している。ローマ共和制以前の公式なエトルリアの記録は皆無だが、このロムルスの伝説が、じつはエトルリアの歴史なのかもしれない。

 

ヌマ・ポンピリウス(BC750~BC673) 第2代ローマ王 在位BC716~BC673

 

トゥッルス・ホスティリウス(BC710~BC641) 第3代ローマ王 在位BC673~BC641

 

アンクス・マルキウス(BC675~BC616) 第4代ローマ王 在位BC641~BC616

メガクレス(?~?) アルクメオン家※画像なし

 

タルクィニウス・プリスクス(?~BC579) 第5代ローマ王 在位BC616~BC579

 

セルウィウス・トゥッリウス(?~BC535) 第6代ローマ王 在位BC578~BC535

 

タルクィニウス・スペルブス(?~BC495) 第7代ローマ王 在位BC535~BC509 ※画像なし

クレイステネス(BC570~BC6世紀前半) アルクメオン家、アテネ民主制

ルキウス・ユニウス・ブルトゥス(?~BC509) 初代ローマ執政官

 

※第7代ローマ王スペルブスは、クレイステネスに変身し、下層民の暴動を正当化するために民主主義を開発し、数で圧倒する形でギリシアを乗っ取ろうとした。だが、彼らは優れた人間たちに敗北し、撤退を余儀なくされた。敗因は、バカが少ないことである。

ドルイド僧は「もっとバカを増やさねばならない。バカが少ないと勝てない。脅したら何でも言うことを聞くバカを大量に育てねばならない」と悟った。クレイステネスの民主制はバカが少ないために頓挫した。現在は、異常なほどバカが多いので民主主義は世界の隅々にまで浸透している。

一方、スペルブスは、自分たちのウソを真実に変える装置として、ブルトゥスに変身し、アテーナイのアーコン、ローマの王に続いて、ローマ元老院とローマ執政官という権威を作った。ガリアに於けるドルイド教による人身御供も、カルタゴの魔神バアル・ハンモンの人身御供も、すべてアテーナイ人の末裔が務めるローマ執政官が指揮していた。つまり、ドルイド教はある意味、幻想のようなものだった。

 

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ティトゥス・クィンクティウス・カピトリヌス・バルバトゥス(BC513~BC423) ローマ執政官※画像なし

プロタゴラス(BC500~BC420) ソピテース

クレオン(?~BC422) デマゴーグ扇動者※画像なし

ソグディアノス(?~BC423) アケメネス朝第5代ペルシア皇帝 在位BC423※画像なし

 

※生没年から判断すると、バルバドゥスはプロタゴラスに相違ない。つまり、ローマ共和国で執政武官が影響力を強めると、これに敗北し、ブルトゥスの末裔であるローマ執政官バルバドゥスらはギリシアに落ち延び、ソピテース(ソフィスト)として活動した。ドルイド司祭と同様、ソピテースの正体はローマ執政官だった。

それだけではない。アテネの栄光を貶めたデマゴーグの正体もローマ執政官だった。悪名高いクレオンの正体は、これまた悪名高いソピテースのプロタゴラスである。生年は不詳だが、没年は非常に近いことから判断した。また、バルバトゥスはペルシア帝国の掌握を考えてソグディアノスとしてペルシア皇帝の座を一時的に掌握している。

 

マルクス・ゲガニウス・マケリヌス(?~?) ローマ執政官
ゴルギアス(BC484~BC375) ソピテース

 

※ゴルギアスにとってプロタゴラスは兄貴分であり、執政官時代にはマケリヌスの兄貴分はバルバドゥスだった。つまり、生没年は不詳だがマケリヌスはゴルギアスに相違ないだろう。

 

ガイウス・ユリウス・ユッルス(?~?) ローマ執政官
ヒッピアス(BC460~BC400) ソピテース

アルキビアデス(BC450~BC404) デマゴーグ

小キュロス(?~BC401)

オスタネス(?~?)

クリティアス(BC460~BC403) 三十人僭主指導者

テラメネス(?~BC404) 三十人僭主

 

※バルバドゥスの頃からペルシア帝国の掌握が始まったが、その第二弾としてローマ執政官ユッルスが小キュロス、オスタネスに変身してペルシア皇帝の座を狙い、即位したばかりの兄アルタクセルクセス2世に対して蜂起した。詳細は明らかではないが、たぶん、すぐに鎮圧され、小キュロスとオスタネスは殺害されたのだろう。しかし、殺されたのは影武者だろう。

ということでユッルスはアテネに入り、クリティアとして武力と保護を背景に三十人少数党派の独裁政権を樹立した。彼は、次々に反対派を死刑や国外追放に処し、ソクラテスに「次々に牛を減じて質を悪化させた牛飼い」と皮肉られる。これを受けクリティアスは、ソクラテスに30歳以下の若者との会話を禁じた(悪者扱いした上で影響力を殺いでいる)。

 

プロディコス(BC465~BC415) ソピテース※画像なし

ニキアス(BC470~BC413) デマゴーグ

 

※天敵である哲人ソクラテスに死刑宣告をしたにもかかわらず、ソクラテスは死んだことにして逃亡した。これを機に、ソフィストもカルタゴに移って「10人の元老院議員」を結成し、カルタゴの生贄の儀式を取り仕切った。ポエニ戦争直前には、名家の子弟500人を生贄に処し、焚殺している。これはタナトスが統治するローマ軍がカルタゴ軍に勝つための事前工作である。

なまけものであるタナトスは、自らが戦うことを好まない。しかし、勝ちたい。戦わずに勝ちたい。そのためには敵側の、優れた指導者となる素質がある青年を殺さなければならないのだ。敵が弱ければ簡単に勝てる。ということで「偉大な神バアルハンモンが優れた青少年を生贄に欲している」とウソぶき、将来、指導者として大成したはずの青少年たちを焼き殺した。青少年をただ殺すのではなく、生贄として神に捧げれば、自分たちが青少年を殺したように見えない。これが殺さずに殺す方法である。

 

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ウェル・サクレムの時代(BC390頃)

 

ルキウス・フリウス・メダリヌス(?~?) ローマ執政官 任期BC413

アウルス・コルネリウス・コッサス(?~?) ローマ執政官 任期BC413

カイウス・フリウス・パシルス(?~?) ローマ執政官 任期BC412

クィンタス・ファビウス・アンバスタス・ヴィブラヌス(?~?) ローマ執政官 任期BC421

スプリウス・ナウティウス・ルティルス(?~?) ローマ執政官 任期BC411

マルクス・パピリウス・ムギッラヌス(?~?) ローマ執政官 任期BC411

マニウス・アエミリウス・マメルキヌス(?~?) ローマ執政官 任期BC410

カイウス・ヴァレリウス・ポティトゥス・ウォルスス(?~?) ローマ執政官 任期BC410

クナエウス・コルネリウス・コッスス(?~?) ローマ執政官 任期BC409

ルキウス・ウァレリウス・ポティトゥス(?~?) ローマ執政官 任期BC393

パブリウス・コルネリウス・マルギネンシス(?~?) ローマ執政官 任期BC397

マルクス・マンリウス・カピトリヌス(?~BC384) ローマ執政官 任期BC392

 

※ガリアでは、ドルイド僧に変身したローマ執政官が粗暴なケルト人を飼いならし、ローマに台頭しつつあった執政武官を排除しようと考えていた。ローマ人武官は強い、そして自分たちは弱い。なので自ら武官に手出しできない。そのため、ローマ執政官は自分たちの手足の代わりとして屈強なケルト戦士を掌握することに決めた。ドルイドの名の由来はデルポイとアテネの組み合わせである。つまり、自分たちは「アテーナイから来た聖地デルポイの神官だ」というアピールだろう。デルポイ+アテネ=デルアテ=ドルイドとなる。

その第一弾が、ローマに対する「聖なる移住(ウェルサクレム)」として結実するが、上記に記したローマ執政官たちが凶暴なケルト人を操って「聖なる移住」を指揮した。これは、大谷の祖であるドルイド司祭による「一向一揆」の原型である。「数で優れた者を圧倒する」という戦法が、既に古代ローマ相手に実施されていたのだ。多数の弱者を指揮して少数の強者を数で圧倒する。

これは、確かに自然の摂理に適った賢い方法ではあるが、強者が多数である時、この方法は機能しない。ドルイド教が指揮した「ウェル・サクレム」は、それを教えてくれる。ローマには優れた強者が大勢いたのだ。この時、ドルイド教は「強い敵と戦う前には、強者たちを弱体化しなければならない」ということを学んだ(そして、その研究と実践は「魔女狩り」として中世ヨーロッパで、近代になってからはアメリカ合衆国、日本で発揮されることになる)。ドルイド教の新しい敵はローマ共和国である。

 

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プブリウス・デキウス・ムス(?~BC340) ローマ執政官 任期BC340

バゴアス(?~BC336) ペルシア帝国宦官

アルセス(?~BC336) ペルシア帝国第9代皇帝

 

※ローマ執政官ムスの時代にようやくペルシア帝国を落とすことが出来た。宦官であるバゴアスがアルタクセルクセス3世とその子息を全員毒殺した上でアルセスを名乗り、ペルシア皇帝の座に就いたのだ。しかし、バゴアス自身毒殺され、正統なアケメネス家の一員ダレイオス3世がペルシア皇帝の座を取り戻した。

 

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マニウス・クリウス・デンタトゥス(BC330~BC270) ローマ執政官 任期BC275

ゼラルセン(BC344~BC274) マッシリ王国初代王

 

※ローマ執政官デンタトゥスの時代、彼らはローマ国内の屈強な軍人の台頭を危惧し、ローマ軍を仮想敵としてロックオンし、強力な援軍の育成のために地中海対岸のマッシリ王国に進出している。

 

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マルクス・アエミリウス・レピドゥス(?~BC216) ローマ執政官 任期BC232

ハミルカル・バルカ(BC275~BC228)

ハスバルドル(BC270~BC221)

マルクス・ポルキウス(?~?) マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウスの父

ガラ(BC275~BC207) マッシリ王国第2代王

 

※ローマ執政官レピドゥスの時代、彼らはマッシリアに足場を得て、次にカルタゴ内部に深く入り込んだ。目的は強国カルタゴの掌握とローマへの進軍である。一方で、カルタゴ国内の英雄を一掃した。つまり、弱体化政策を推し進めたに、邪教バアル・ハンモン崇拝を確立した。ハミルカル・バルカなどは、子女を生贄にするための魔神バアル・ハンモン崇拝の神官だったと考えられる。

 

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ハミルカル・バルカの子

 

ハンニバル・バルカ(BC247~BC182)

クィントゥス・ミヌキウス・テルムス(?~BC188) ローマ執政官 任期BC193 ※画像なし

 

ハスドルバル・バルカ(BC245~BC207)

マルクス・クラウディウス・マルケッルス(BC268~BC208) ローマ執政官 任期BC208

ティトゥス・クィンクティウス・クリスピヌス(?~BC208) ローマ執政官 任期BC208

 

ハズバルドル・ギスコ(?~BC202)

マゴ・バルカ(BC243~BC203)

マルクス・コルネリウス・ケテグス(?~BC196) ローマ執政官 任期BC204

 

※ハンニバルは強国カルタゴの兵を指揮し、ローマに進軍した。おもしろいことに、ハンニバル・バルカはローマ執政官(ドルイド司祭)でもあった。ローマ執政官の思惑としては、「ポエニ戦争」はスキピオ将軍などの屈強なローマ人英雄を一掃するための戦争だったが、ハンニバルは敗北し、カルタゴには塩が撒かれた。

 

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マルクス・ポルキウスの子

 

マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス(BC234~BC149)

バガス(?~?) マウレタニア王 在位BC225※画像なし

マシニッサ1世(BC202~BC148) ヌミディア王国初代王

 

マルクス・ポルキウス・カト・サロニアヌス(BC154~?)

ミキプサ(BC148~BC118) ヌミディア王国第2代王

グルッサ(BC148~BC145) ヌミディア王国第3代王

マスタナバル(BC148~BC14?) ヌミディア王国第4代王

 

マルクス・ポルキウス・カト(?~?)

ヒェンプサル1世(BC118~BC117) ヌミディア王国第5代王

アドヘルバル(BC118~BC112) ヌミディア王国第6代王

ジュグルタ(BC118~BC105) ヌミディア王国第7代王

 

マルクス・ポルキウス・カト・ウティケンシス(BC95~BC46)

マスタネソスス(?~?) マウレタニア王 在位BC80~BC49

 

マルクス・ポルキウス・カト(BC73~BC42)

バッカス2世(?~?) マウレタニア王 在位BC49~BC33

ボグド(?~?) マウレタニア王 在位BC49~BC38

 

※カト・ケンソリウスの一族が、ヌミディア王とマウレタニア王の座を戴いたのは宿敵カエサルなどの英雄の挟み撃ちを想定していたからだ。敵を仲間で囲めば何とかなると考えていたのだろう。だが、次代のマウレタニア王ユバ2世からは、ダヴィデの一族がマウレタニアの王座に就いている。そしてユバ2世から洗礼者ヨハネ、イエス・キリストが生まれている。

 

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プブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ・セラピオ(BC183~BC132) ローマ執政官 在位BC138

エウヌス(?~BC132) アタルガティス教
クレオン(?~BC132) アタルガティス教

 

※セラピオは有能なグラックス兄弟を敵視し、暗殺に加担した。しかしその後、アジアに逃亡している。そしてセラピオは再びローマ軍の前に姿を現した。「第1次シチリア奴隷戦争」である。指揮者であるはずの彼は自身をアタルガティス教の「信者」と偽り、戦争を指揮した。

三頭政治を実施したカエサルのような強い英雄が出てきたことで、ドルイド教は、カエサルに勝つために数で圧倒する術策を採った。それが奴隷戦争である。これは一向一揆の前身ようなものだ。名目上、彼らは自由を勝ち取るために戦った。大名の横暴と戦うことを理由に蜂起した一向一揆と全く同じであるし、民主主義やマイノリティのために戦うアメリカ民主党も一向一揆と同じものである。要は、第三者の目を意識し、敵(英雄)に対する悪意を隠すことで、自分たちは悪ではないと主張している。そう主張することで「自分たちは悪ではないのだから敵が悪なのだ」という主張を同時に行っている。

 

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マルクス・リウィウス・ドルスス(?~BC108) ローマ執政官 任期BC112

ボイオリクス(?~BC101) ガリアのドルイド教司祭

 

※キンブリ族、テウトニ族を邪教で飼いならしたローマ執政官(ドルイド司祭)は、蛮族を指揮し、ローマに侵攻した。

 

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クィントゥス・セルウィリウス・カエピオ(?~?) ローマ執政官 任期BC106

サルウィウス(?~BC100) アタルガティス教
トゥリフォン(?) アタルガティス教
アテニオン(?) アタルガティス教

 

※カエピオはキンブリ・テウトニ戦争で意図的にローマ軍を大敗に導き、8万の兵と4万の属州兵を無駄死にさせた。そのため、ローマ市民に批判され、弾劾されるとアジアに逃亡した。その後、カエピオは「第2次シチリア奴隷戦争」の指導者としてローマ軍の前に再び出現した。

 

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マルクス・アエミリウス・レピドゥス(BC120~BC77) ローマ執政官 任期BC78

スパルタクス(?~BC71) アタルガティス教
クレクスス(?~BC72) アタルガティス教

 

※ローマ執政官レピドゥスが、スパルタクスなどの第3次シチリア奴隷戦争の指導者たちを演じた。

 

 

マスタエバル(BC88~BC81) 西ヌミディア王国初代王※画像なし

マルクス・ユニウス・ブルトゥス(BC85~BC42) カエサル暗殺

 

マシニッサ2世(BC81~BC46) 西ヌミディア王国第2代王※画像なし

ウェルキンゲトリクス(BC72~BC46) ヘルウェティイ族首長

ヘロデ大王(BC73~BC4) ヘロデ朝初代イスラエル王

 

※アウグストゥスら、ダヴィデの一族の勇者たちに退けられ、ローマ執政官の一味はヌミディアに拠点を移していたが、一時的にガリアに落ち延び、その後、イスラエルにヘロデ朝を築いた。ヘルウェティイの首長ウェルキンゲトリクスはイスラエルではヘロデ王となり、ヘロデ朝を開いたが、ヘロデの由来はヘルウェティイである。

 

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ヘロデ大王の孫

 

サロメ(14~62)

ブーディカ(?~61) イケニ族女首長

 

※サロメはブリテン島を支配するためにヘロデ朝から送り込まれたようだ。ブリテン島は、ネロの治世にローマ軍の襲撃を受けたが、皇帝ネロはブーディカとは家族であるため、退いてくれた。それでブーディカの軍がローマ軍に勝ったように見えたが、ローマ軍の将軍たちがネロの命令に耳を貸さないと、ブリテン人はすぐに負けた。

 

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ヘロデ朝イスラエル王アグリッパ1世の曾孫

 

アリストブロス(?~72) カルキス君主 在位54~72※画像なし

パウロ/サウル(?~67) 伝道師

 

※ヘロデ朝イスラエル王アグリッパ1世の子アリストブロスは、伝道師パウロに化けて、キリスト教の簒奪を試みたが、ダヴィデの一族に属するシモン・ペトロの妨害に合い、対立した。

 

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ヘロデ大王の曾孫

 

アグリッパ2世(27~100) ヘロデ朝第4代イスラエル王※画像なし

マルクス・トラヤヌス(30~100) トラヤヌス皇帝の父※画像なし

ネロ(37~68) ローマ執政官 任期55~60 ローマ帝国第5代皇帝 在位54~68

ドミティアヌス(51~96) ローマ執政官 任期82~100 ローマ帝国第11代皇帝 在位81~96

 


トラヤヌス(53~117) ローマ執政官 任期100~112 ネルウァ=アントニウス朝第2代皇帝 在位98~117

プブリウス・アエリウス・ハドリアヌス・アフェル(?~?) ハドリアヌス皇帝の父※画像なし

 


ハドリアヌス(76~138) ローマ執政官 任期118~119 ネルウァ=アントニウス朝第3代皇帝 在位117~138

ミトラダテス4世(?~140) パルティア王 在位128~140※画像なし

 

※上記のローマ皇帝はローマ執政官を兼任していた。つまり、ドルイド司祭でもあるため、キリスト教を弾圧し、キリスト教徒を虐殺している。しかし、ダヴィデの一族に属する三国志の中心人物たちである諸葛氏の一族がローマを訪れて軍人皇帝時代を開始すると、ローマ執政官(ドルイド司祭)はイランに逃亡し、パルティア王の座を簒奪した。

最初の王はミトラダテス4世だが、この時代のパルティア王国は東西に分裂したため、分裂時代と呼ばれている。この後、140年から201年までの約60年間、ローマ執政官(ドルイド司祭)はパルティア王国にいた。

 

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アルタバノス4世(?~224) パルティア王 在位213~224

ユリウス・マリヌス(?~?) ピリップス・アラブス皇帝の父

 

ピリップス・アラブス(204~249) 軍人皇帝時代ローマ皇帝 在位244~249
デキウス(201~251) ローマ執政官 任期250~251 ローマ皇帝 在位249~251

ウァレリアヌス(200~264) 軍人皇帝時代ローマ皇帝 在位253~260 ガッリエヌスの父※画像なし

 

ガッリエヌス(218~268) 軍人皇帝時代ローマ皇帝 在位253~268 サロニヌスとマリニアヌスの父

 

プブリウス・リキニウス・コルネリウス・サロニヌス(242~260) ローマ皇帝 在位260

ディオクレティアヌス(244~311) ローマ執政官 任期293~308 ローマ皇帝 在位284~305

 

プブリウス・リキニウス・イグナティウス・マリニアヌス(249~268) ※画像なし

マクシミアヌス(250~310) 西ローマ皇帝 在位286~310※画像なし

コンスタンティウス・クロルス(250~306) ローマ皇帝 在位305~306

 

※上記のローマ皇帝はローマ執政官を兼任していた。つまり、ドルイド司祭でもあるため、キリスト教を弾圧し、キリスト教徒を虐殺している。

 

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コンスタンティヌス1世(270~337) ローマ皇帝 在位306~337

フラヴィウス・オプタトゥス(?~337) ローマ執政官 任期334

アリウス(250~336) アリウス派教祖

 

※コンスタンティヌス1世はキリスト教を公認した。これは、キリスト教の勝利を意味しない。これは、ローマ執政官(ドルイド司祭)たちがドナトゥス派をつくり、キリスト教の簒奪を開始したことと機を一にしている。遂に、キリスト教が便利な支配ツールだということにローマ執政官(ドルイド司祭)たちは気付いたのだ。コンスタンティヌス1世自身は、アリウス派を築き、ゴート族を支配下に置いた。

 

コンスタンティウス2世(317~361) ローマ皇帝 在位337~361

アタナシウス(298~373) アタナシウス派教祖

大テオドシウス(?~375) テオドシウス1世の父

 

※コンスタンティス2世自身はアタナシウス派を築き、フランク族を支配下に置いた。生没年がバラバラだが、コンスタンティヌス1世の子ということで、その関連で関係付けてみた。

 


コンスタンス(320~350) ローマ執政官 任期339~346 ローマ皇帝 在位347~348

 

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大テオドシウスの子

 

テオドシウス1世(347~395) ローマ皇帝 在位379~395

 

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テオドシウス1世の孫

 

テオドシウス2世(401~450) ローマ皇帝 在位408~450

ネストリウス(381~451) ネストリウス派教祖

 

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テオドシウス1世の玄孫

 

プラキディア(439~472) オリブリオスの妻

オリブリオス(430~472) 西ローマ皇帝 在位472

ティウディミル(?~474) テオドリックの父

 

テオドリック(454~526)  東ゴート王国初代王

 

※東ゴート王国はランゴバルト族によって滅ぼされる。その後、東ゴート族はネストリウス派の伝道者となり、唐の時代の中国に進出する。

 

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牟羽可汗(?~779) 回鶻可汗国第3代ハーン

合骨咄禄毘伽可汗(?~789) 回鶻可汗国第4代ハーン

 

烏介可汗(?~846) 回鶻可汗国第14代ハーン

遏捻可汗(?~848) 回鶻可汗国第15代ハーン

 

※ネストリウス派の末裔と考えられる阿羅本という人物が「景教」を中国に伝えている。それと機を一にし、ウイグル汗国ではマニ教を伝道し、国教にまで高めた。牟羽可汗の時代にマニ教は国教となったが、牟羽可汗は、ネストリウス派の末裔でありマニ教の神官だったのだろう。

 

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英義可汗(?~924) 甘州ウイグル王国初代ハーン

耶律阿保機(872~926) 契丹初代皇帝

 

耶律堯骨(902~947)

耶律洪基(1032~1101)

耶律延禧(1075~1128)

 

屈出律(?~1218) 西遼最後の王

ジョチ・カサル(1164~1213) チンギスの弟

 

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ジョチ・カサル(チンギスの弟)の子

 

オゴタイ(1186~1241) モンゴル帝国第2代皇帝 在位1229~1341

シーインタラーティット(?~1238) スコータイ王朝初代王

 

※回鶻可汗国が848年に滅ぶと、残党は甘州ウイグル王国を築いたが、甘州ウイグル初代王は契丹の初代皇帝も兼任した。そして13世紀、ネストリウス派はチャガタイ、オゴタイ、トルイをチンギス・ハーンの子として儲け、覇王チンギスの力を利用してユーラシアを覆い尽くし、広大なモンゴル帝国を築いた。

チャガタイ、オゴタイ、トルイはチンギスの子ではなく、弟ジョチ・カサルの子だった可能性がある。もちろん優性遺伝子ブリーダーが登用されている。チャガタイとオゴタイの由来はスキタイであり、トルイの名の由来はアテルイである。

 

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マハータンマラーチャーティラート(1509~1590) アユタヤ王朝第19代王(スコータイ王家)

ピヨートル(1525~1573) ユニテリアン主義・ポーランド兄弟団

レリオ・ソッツィーニ(1525~1562) ユニテリアン主義・ソッツィーニ派

 

ナレースワン(1555~1605) アユタヤ王朝第21代王(スコータイ王家)※画像なし

ファウスト・ソッツィーニ(1539~1604)

シモン・ブドニ(1533~1593)※画像なし

ヤン・シェニエンスキ(?~1599) ポーランド貴族※画像なし

 

ヤクブ・シェニエンスキ(?~1639) ラコヴィアン学院院長

 

ジョン・ビドル(1615~1662) ヤクブ・シェニエンスキの子、ユニテリアン教会

 

※モンゴル軍の征西に同行したネストリウス派はアナトリア半島に入植し、ユニテリアン主義を生んだ。ユニテリアンの由来はアナトリアである。アナトリア=アナトリアン=ユニテリアンとなる。

 

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リガス・ヴェレスティンリス・フェレオス(1757~1798) フィリキ・エテリア創設

 

エマニュエル・クサントス(1772~1852) フィリキ・エテリア創設

イオアニス・コレティス(1773~1847) ギリシア王国首相

 

トゥドル・ウラジミレスク(1780~1821) ワラキア蜂起

ニコラオス・スクファス(1779~1818) フィリキ・エテリア創設

 

アレクサンドル・イプシランティ(1792~1828) フィリキ・エテリア指導者

アタナシス・ツァカロフ(1790~1851) フィリキ・エテリア創設

アレクサンドロス・マヴロコルダトス(1791~1865) 第一共和制初代ギリシア首相※画像なし

アンドレア・ザイミス(1791~1840) 第一共和制第4代ギリシア首相※画像なし

 

※ギリシア独立を掲げて秘密結社フィリキ・エテリアが作られた。フィリキ・エテリアの由来はフリギア(アナトリア)とうイタリアの組み合わせと考えられる。彼らはアテネのアーコンの末裔だろう。

 

トラシヴロス・ザイミス(1822~1880) グリュックスブルク朝ギリシア王国首相

 

ペトロス・プロトパパダキス(1860~1922) グリュックスブルク朝ギリシア王国首相

アーメト・リザ(1858~1930) 青年トルコ人※画像なし

マフムート・シェヴケト・パシャ(1856~1913) 青年トルコ人

 

エレフテリオス・ヴェニゼロス(1864~1936) グリュックスブルク朝ギリシア王国、第二共和制ギリシア首相

 

ゲオルギオス・カファンタリス(1873~1946) グリュックスブルク朝ギリシア王国首相※画像なし

ベハエディン・シャキール(1874~1922) 青年トルコ人

アフメト・ニヤーズィ(1873~1913) 青年トルコ人

 

エマヌエル・ツデロス(1882~1956) ギリシア王国首相

エンヴェル・パシャ(1881~1922) 青年トルコ人

ムスタファ・ケマル・アタチュルク(1881~1938) トルコ共和国初代大統領

 

ソフォクリス・ヴェニゼロス(1894~1964) ギリシャ首相

ジェマル・ギュルセル(1895~1966) トルコ共和国第4代大統領 任期1960~1966

 

※ヴェニゼロスはギュルセルに変身し、クーデターによってトルコ政権を掌握。映画作家ユルマズ・ギュネイを最初に投獄した(1960~1962)。

 

ジェヴデト・スナイ(1899~1982) トルコ共和国第5代大統領 任期1966~1973

 

※映画作家ユルマズ・ギュネイ、2回目の投獄(1972)。

 

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ムスタファ・ケマル・アタチュルクの子

 

アブドゥルラーヒム・ツンカク(1908~1998) ※画像なし

ファフリ・コルテュルク(1903~1987) トルコ共和国第6代大統領 任期1973~1980

ゲオルギオス・ゾイタキス(1910~1996) ギリシャ軍事政権初代大統領 任期1967~1972

 

※映画作家ユルマズ・ギュネイ、禁固19年を言い渡される。3回目の投獄(1976)。

 

スールトマチ・ムスタファ(1918~1987) ※画像なし

ケナン・エヴレン(1917~2017) トルコ共和国第7代大統領 任期1982~1989

ゲオルギオス・パパドプロス(1919~1999) ギリシャ軍事政権大統領 任期1972~1973

フェドン・キジキス(1917~1999) ギリシャ第3共和制初代大統領 任期1973~1974

 

※映画作家ユルマズ・ギュネイ、1981年に刑務所を脱獄し、フランスに亡命。1984年、亡命先で癌死(暗殺)。

 

イフサン(生没年不詳) ※画像なし

スュレイマン・デミレル(1924~2015) トルコ共和国第9代大統領 任期1993~2000

ディミトリオス・イオアニディス(1923~2010) ギリシャ軍事治安警察(ESA)長官

 

 

 


聖ドナトゥスの一族~渤海王、ブワイ朝、テンプル騎士団、ジンバブエ王国、ダホメー王国、ハイチ帝国、黒人地位向上協会、バハーイー教

ドナトゥス・マグヌス(?~?) ドナトゥス司教 ドナトゥス司教 在位313~355

マヨリヌス(?~?) ドナトゥス司教 在位311~313※画像なし

 

※切り替えの早いドルイド教は、ミラノ勅令が出る直前にドルイド教を捨て、散々攻撃していたキリスト教にあっさりと鞍替えした。タナトスを由来にしたドナトゥス派としてキリスト教の歴史に登場した。タナトス=ダナトス=ドナトゥスとなる。

もともとドルイド司祭だったドナトゥス・マグヌスは、初代司教マヨリヌスでもあったが、ドナトゥスは355年に死んだことにしてカルタゴを発ち、古代にダヴィデの一族が築いた交易路を東に進み、紅海、インド洋、東南アジアから太平洋にまで赴いた。その時にドナトゥスはバヌアツを発見した。バヌアツの由来はヨハネスである。ヨハネス=ヨハヌエス=ハヌエス=バヌアツとなる。

その後、ポリネシア人の漕ぎ手をを奴隷のように酷使して新たな新天地を求めて北上し、偶然にもハワイを発見したと考えられる。ハワイの由来はヤハウェである。ヤハウェ=ヤハワイ=ハワイとなる。ハワイを新たなキリスト教(ドナトゥス派)の拠点として設け、いつの日か、オリエントに錦を飾るための基地として使おうと考えていたかもしれない。その後、太平洋航路を開発しながらハワイのドナトゥス派は中国に辿りつき、渤海湾(ボハイ)にハワイの名を残している。

 

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●渤海王からブワイフ朝に繋がる系譜

 

※バヌアツ諸島、ハワイ諸島を離れた聖ドナトゥスの一族は中国を訪れ、上陸したポイントを渤海湾(ボハイ)と命名した。その後満州に移り、渤海国(ボハイ)を築くことになる。ボハイ(渤海)の由来はハワイである。ハワイ=バハイ=ボハイとなる。

渤海国は、日本にいた家族日本仏教と交流するべく、渤海使を送っていた。これは日本を訪問した渤海人の使節である。728年から922年までの間に34回の使節が記録に残っている。 この間に渤海人は日本仏教を学んだ。

 

大祚栄(?~?) 渤海国初代王 在位689~719

 

ダエ・インソン(?~926) 渤海国最後の王 在位906~926

イマード・ウッダウラ(891~949) ブワイフ朝初代シャー 在位932~949

 

※926年、渤海国が滅亡すると、最後の王はイランに移住し、932年にブワイフ朝を開いた。彼らは6年でイランに新しい王朝を築いたことになる。たぶん、家族であるマズダク教の人々が新しい王朝の準備に協力したのだろう。ブワイフ(ブワイ)の名の由来はボハイ、或いはハワイである。ハワイ=バワイ=ブワイ(ブワイフ)となる。

 

フーラード・ストゥーン(?~1062) ブワイフ朝最後のシャー

 

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ユーグ・ド・パイヤン(1070~1136) テンプル騎士団創設 フーラード・ストゥーンの子

ペドロ1世(1068~1104) ヒメネス朝ナバラ王
ルイ6世(1080~1137) カペー朝第5代フランス王

 

※1062年にブワイフ朝が滅ぶと、ブワイフの王族の残党と考えられるユーグ・ド・パイヤンはフランスに渡り、家族であるシトー会の協力を得て「テンプル騎士団」を結成した。

また、テンプル騎士団は「ボーサン」と呼ばれる旗を作り、この旗の下に集う度に「ボーサン!」と鬨の声を上げたという。冗談ではなく、ボーサンの名の由来は日本語「坊さん」だろう。これは、渤海国時代に彼らが渤海使を日本に送って日本仏教を学んでいた影響である。そして、テンプル騎士団はキリスト教の騎士であるにも拘らず、独自に「バフォメット」なる神を祀った。ここにも渤海使の影響が出ている。バフォメットの名の由来は渤海(ボハイ)と大和の組み合わせなのだ。ボハイ+ヤマト=ボハマト=バフォメットとなる。

 

ピエール2世(1155~1219) ラテン帝国第2代皇帝、ルイ6世の孫

 

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ジンバブエ王国(1220~1450)※歴代王の系譜は不明

 

※1212年の児童十字軍に同行したテンプル騎士団は児童たちを連れてジンバブエに入植した。児童十字軍は、奴隷用の児童も多数連行していたが、大多数はドルイド司祭の血を引く子どもたちだった。つまり、これはドルイド司祭がケルト人を指揮した「聖なる移住(ウェルサクレム)」と同様の意味を持つものだった。

次代の悪の種を撒くつもりでイスラム圏を目指したものの、それが困難だとわかると、児童十字軍は更に南下してジンバブエにまで到達した。このときにジンバブエ王国が建てられた。プロの建築家は同行していなかったと考えられるので、グレートジンバブエの建築は素人裸足ながら、なんとか建てた要塞だといえる。ジンバブエの由来は新渤海(シンボハイ)である。シンボハイ=ジンボバイ=ジンバブエとなる。

ジンバブエ王国の記録や歴代の王の情報は存在しないが、タナトスの一族が支配していたことで、どのような国が成立していたか分かるだろう。東西本願寺の末裔の集合体「民主党」などは、アメリカ人が作り上げたアメリカ合衆国を簒奪した。タナトスの一族は、通常はそのように強い国家に寄生し、すべてを簒奪する。ところが、イチから国を作り始めると、タナトスはこういう、ジンバブエ王国のような国しか作れないということが良く分かる。

 

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アラー・ウッディーン・バフマン・シャー(?~?) 初代バフマニー朝シャー 在位1347~1358

ムハンマド・シャー1世(?~1358) 第2代バフマニー朝シャー 在位1358~1375
アラー・ウッディーン・ムジャーヒド・シャー(?~?) 第3代バフマニー朝シャー
ダーウード・シャー(?~?) 第4代バフマニー朝シャー
ムハンマド・シャー2世(?~1397) 第5代バフマニー朝君主 在位1378~1397

 

※バフマニー王族は、古来から続く風習サティー(事実上の人身御供)を取り仕切っていたと考えられる。サティーが禁止された1830年の直後、1844年にバーブ教が創設されていることから、謎の新宗教バーブ教とバハーイー教は実質的な人身御供サティーの指揮者ということができる。女性(未亡人)を魔神サトゥルヌスに捧げるため、サティーと命名された。本来、サティーには、美しい女性に子を生ませる、性奴隷にする、食べる、夫の財産を収奪するなどの目的があった。未亡人は夫に殉じなければならないという設定のため、標的女性の夫を意図的に殺して女性を得ることも行われた。

 

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アラー・ウッディーン・アフマド・シャー2世(?~?) 第10代バフマニー朝シャー 在位1436~1458
ニャツィンバ・ムトタ(?~?) ムタパ王国初代王 在位1430~1450


※未知のジンバブエ王は、インドに進出し、ボハイマン(ボハイの人)を意味する「バフマニー朝」を開いた。その後、バフマニー朝君主アラー・ウッディーン・アフマド・シャー2世の時代、この第10代シャーはジンバブエに帰還してムタパ王国を築いた。つまり、その後のバフマニー朝シャーはみなムタパ王を兼ねていた。ムタパの由来は東北地方から来た陸奥安倍氏であり、ムタパの庶民は陸奥安倍氏の子孫だが、ムタパの王族はタナトスの血統であった。

 

チクヨ・チサマレング(?~?) ムタパ王国第6代王 在位1494~1530
シハーブッティーン・ムハンマド・シャー(?~?) 第14代バフマニー朝シャー 在位1482~1518
アフマド・シャー4世(?~?) 第15代バフマニー朝シャー 在位1518~1520
アラー・ウッディーン・シャー(?~?) 第16代バフマニー朝シャー 在位1520~1523
ワリー・ウッラー・シャー(?~?) 第17代バフマニー朝シャー 在位1523~1525
カリームッラー・シャー(?~1527) 第18代バフマニー朝シャー 在位1525~1527


※ムタパ王国第6代王は最後のバフマニー朝シャー5人を演じた。バフマニー朝が滅ぶと残党は一旦故地であるジンバブエに戻ると、そこからジンバブエ王国の残党と共に、陸路で現ベナンを目指した。バフマニー朝の残党はそこにダホメー王国を築いた。

 

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ホエグバジャ(生没年不詳) ダホメー初代王 在位1645~1685 ※画像なし

アカバ(生没年不詳) ダホメー第2代王 在位1685~1716 ※画像なし

 

※ジンバブエ王国が1600年頃に滅ぶと、渤海国、ブワイ朝、テンプル騎士団。どの血を継ぐものか不明だが、ジンバブエの残党は西方に北上して西アフリカに入植した。アジャ人と呼ばれた彼らはここにダホメー王国を築き、この王国は1900年まで続いた。ダホメーの由来はテーベとアメンの組み合わせである。テーベ+アメン=テーベメン=テヘメ=ダホメーとなる。

その後、第3代ダホメー王のハングベが大西洋を渡ってハイチに入植する。神官でもあったハングベは、ヴードゥー教を掲げて現地の奴隷を信者として大量に獲得し、数で圧倒する形で植民地支配をするフランス人を劣勢に追い込んだ。これが「ハイチ革命」である。ハイチの由来はヤペテと考えられる。ヤペテ=ヤペイティ=ペイティ=ハイチとなる。ヤペテの子を称することで自分たちは白人だったことを示している。

 

ハングベ(生没年不詳) ダホメー第3代王 在位1716~1718 ※画像なし

デュティ・ブークマン(?~1719) ヴードゥー教神官

 

ゲーゾー(?~1858) ダホメー第9代王 在位1818~1858

フォスティン・ソーローキュー(1782~1867) 第2ハイチ帝国皇帝 在位1849~1859

 

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デュティ・ブークマン(バングベ)の子

 

トゥーサン・ルーヴェルチュール(1739~1803) ハイチ独立運動指導者

 

ジャン=ジャック・デサリーヌ(1758~1806) ハイチ皇帝

 

アンリ・クリストフ(1767~1820) ハイチ王

デンマーク・ウィージー(1767~1822) デンマーク・ウィージーの暴動指揮者

 

※アンリ・クリストフは自殺したことにしてアメリカに渡り、デンマーク・ウィージーと名を変え、アメリカ合衆国征服を信条にヴードゥーの神官として黒人(ヴードゥー教信者)暴動を指揮した。

 

ジャック=ヴィクトル・アンリ(1804~1820) ハイチ王アンリ・クリストフ王太子※画像なし

ジョセフ・ジェンキンス・ロバーツ(1809~1876) リベリア初代大統領

ナット・ターナー(1800~1831) ナット・ターナーの乱指揮者

 

フランソワ=フェルディナン・クリストフ(1794~1805) ハイチ王アンリ・クリストフ王太子※画像なし

ジョージ・トゥポウ1世(1797~1893) 初代トンガ王

 

※ナット・ターナーは、顔の類似と年代を考慮にいれると、デンマーク・ウィージーの子と考えてよい。ナットはヴードゥー神官として、父と同じように黒人(ヴードゥー教信者)暴動を指揮した。このヴードゥー教信者による暴動を阻止するためにKKKが結成された。KKKはヴードゥー教の神官、そして有力信者を狩り、リンチして殺し、見せしめとして吊るした。普通の黒人は標的にはなっていない。

また、ナット・ターナーは死んだことにすると、その足でアメリカを離れ、新天地としてトンガを選んだ。ターナーはここでジョージ・トゥポウ1世となり、トンガ王国初代王となる。

 

スティーブン・アレン・ベンソン(1816~1885) リベリア第2代大統領

エドワード・ジェイムズ・ロイ(1816~1872) リベリア第5代大統領

 

※ベンソンとロイは明らかに同一人物である。左手を挙げたロイは、なぜかヴードゥー神官の如き妖しいオーラを放っている。

 

ジェイムズ・スプリッグス・ペイン(1819~1882) リベリア第4代大統領

セイイェド・アリー・モハンマド(1819~1850) バーブ教教祖
バハー・ウッラー(1819~1892) バハーイー教教祖


※ペインは、影武者を引き連れてリベリアから故地のひとつであるイランに向かった。影武者の一人がセイイェド・アリー・モハンマドを称し、「バーブ教」の教祖となるが、イランのカージャール朝とオスマン・トルコ帝国の双方から弾圧され、処刑された。

その後、ペインの影武者だったバハー・ウッラーが「バハーイー教」の教祖となり、世界的な宗教(邪教)にまで育て上げた。バーブの由来はジンバブエであり、バハーイーの由来は渤海(ボハイ)である。ジンバブエ=ジンバーブエ=バーブとなり、ボハイ=ボハーイー=バハーイーとなる。バハーイー教はすぐに世界中に認められ巨大化したが、それも大谷の家族である証拠だ。

 

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ジョージ・トゥポウ1世の子

 

テヴィタ・ウンガ(1824~1879) トンガ初代首相

ジェイムズ・スキーヴリング・スミス(1825~1892) リベリア第6代大統領

 

ヴナ・タキタキマロヒ(1844~1862)※画像なし

ジョセフ・ジェイムズ・チーズマン(1843~1896) リベリア第代12大統領

ウィリアム・D・コールマン(1842~1908) リベリア第13代大統領

 

ジョージ・トゥポウ2世(1874~1918) 第2代トンガ王

チャールズ・D・B・キング(1875~1961) リベリア第17代大統領

ウィリアム・ジョセフ・シーモア(1878~1922) ペンテコステ派指導者

W・E・B・デュボイス(1868~1963) 黒人地位向上協会創立

 

※ハイチから自分の意志でアメリカに来たデュボイスは被害者を装い、白人のアメリカに切り込んだ。差別批判を武器にしてヴードゥー神官は富を蓄えた。ヴードゥー神官は黒い肌を盾に財を成し、普通の黒人は黒い肌のために不遇を余儀なくされている。

ジョージ・トゥポウ2世は1893年に王位を返還し、アメリカに渡ってデュボイスを名乗ったが、写真のデュボイスは影武者だろう。また、トゥポウはチャールズ・D・B・キングを名乗り、リベリア大統領にも就任したが、キングの名はシャレだろう。

 

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バハー・ウッラーの子

 

ミルザ・バハーウッラー・エフェンディ(1871~1950)

ムハンマド・アリー・ジンナー(1876~1948) 初代パキスタン総督

 

※ジンナーは、バハーイー教教祖バハーウッラーの息子である可能性が高い。顔も良く似ている。例えジンナーが影武者でも異母兄弟であることは確かだ。パキスタンには大谷の素地があるのだろう。ことあるごとにディープステートに味方してきた歴史がある。

 

リヤーカト・アリー・ハーン(1895~1951) パキスタン初代首相

 

ムハンマド・ジア=ウル=ハク(1924~1988) 第6代パキスタン大統領

 

※顔が悪すぎる。顔が悪い人間は、その悪い顔にたがわず、殺人が趣味で人肉も食べているものだ。クーデターで権力を握り独裁的軍事政権を樹立した。

 

シャーヒド・ハーカーン・アッバースィー(1958) パキスタン第22代首相

 

マヌムーン・フセイン(1940) パキスタン第13代大統領

 

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サローテ・トゥポウ3世(1900~1965) トンガ女王

イブラヒム・アブード(1900~1983) スーダン初代首相

クリストファ・ソグロ(1906~1983) ベナン共和国大統領

 

※女王の影武者として生まれた異母兄弟がスーダンとベナンに送り込まれた。民衆十字軍や児童十字軍の子孫である「黒いタナトス」もうひとつの故地であるベナン奪還に挑戦している。

 

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サローテ・トゥポウ3世の子

 

タウファアハウ・トゥポウ4世(1918~2006) トンガ王

ウィリアム・トルバート(1913~1980) リベリア第20代大統領

 

ファターフェーヒ・ツ・イペレケ(1922~1999) 

ミルトン・オボテ(1924~2005) ウガンダ大統領

 

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ジェイムス・ベヴェル(1936~2008) 公民権運動指導者

カナーン・バナナ(1936~2003) ジンバブエ大統領

ベニー・ディー・ワーナー(1935) リベリア共和国副大統領

 

※ジェイムス・ベヴェル。彼を、現代を代表するヴードゥー司祭と呼んで良いだろう。彼がマーティン・ルーサー・キングJrの暗殺に関与している。ジェイムス・ベヴェルはキング牧師と共闘を約束して行動を共にしていたが、これがよくなかった。タナトスの一族は常に敵のそばに張り付き、自然なタイミングを計らって暗殺を実施する性質があるからだ。薩長同盟や現在の野党共闘も同じである。キング牧師は等しく黒人の平等な権利を求めたが、ヴードゥー教の司祭であるバヴェルは、他の黒人はどうでもよく、仲間である「黒いタナトス」のことしか頭になかった。

彼ら、ヴードゥー教司祭やヴードゥー教信者は黒い肌を武器にし、敵を退けたり、莫大な富を得るが、普通の黒人はその黒い肌により未だに差別され、貧しい暮らしを余儀なくされている。KKKは昔からヴードゥー教司祭や熱心な黒人信者を狙ってきた。何もしない黒人を狩ることはなかった。更に、ベヴェルは故地であるジンバブエではバナナ大統領を演じた。写真のバナナやワーナーはあまりベヴェルに似ていないが異母兄弟であり、影武者であることは間違いない。

 

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ジェイムス・ベヴェルの子

 

エレン・ジョンソン・サーリーフ(1938) リベリア第24代大統領、バナナの子

マクシーン・ウォータース(1938) 民主党上院議員

 

チャールズ・テイラー(1948) リベリア第22代大統領

ギフト・タンダレ(1948年代生?~2007)

ジョン・ガラン(1945~2005) スーダン人民解放軍司令官、南スーダン自治政府初代大統領

サルバ・キール・マヤルディ(1951) 南スーダン共和国初代大統領

 

※タンダレの方の顔が父ベヴェルに良く似ている。タンダレは人権活動家だがムガベ大統領に暗殺された。現在ジンバブエで起きていることは彼が計画したのだろう。故地ジンバブエ奪還を起草している。スーダンに対する侵略では、影武者が送り込まれているが、顔が悪い。彼は殺人を楽しみ、人肉までも喰らっていたと考えて良い。

 

グレース・ムガベ(1965) ムガベ大統領夫人、バナナの子

 

 

 


ローマ教皇レオ1世の一族~ランゴバルト王国、メロヴィング朝、マズダク教、ウイグル可汗、浄土教、曹洞宗、ノルマン人、カルマル同盟、出雲大社、コーザ・ノストラ、オーストラリア、バチカン市国委員会

 

ペルマリアン(?~?) ドナトゥス司教 在位355~391
カルタゴのプリミアン(?~?) ドナトゥス司教 在位391~393
マクシミアヌス(?~?) ドナトゥス司教 在位393~394

 

カルタゴのプリミアン(?~?) ドナトゥス司教 在位394~400※画像なし
ルーア(?~434) フン族の王※画像なし
レオ1世(?~461) ローマ教皇 在位440~461

メロヴィクス(411~458) フランク族首長(メロヴィングの由来)※画像なし

 

※ドナトゥス派最後の司教プリミアンは、393年から一年間、パンノニアでフン族に接触した。その後、ドナトゥス派に戻って6年間司教を務めたが、それから再度、パンノニアに赴き、ルーア王としてフン族を統治。東ゴート王国をカモにしていた。だが、アッチラが登場する直前にルーア王は突如として消え去った。

彼はどこに消えたのだろうか?彼はローマ法皇としてカトリックの頂点にいた。大教皇と呼ばれたレオ1世である。ローマ法皇で大教皇と呼ばれたのはレオ1世とグレゴリウス1世の2人だけだが、残念ながら2人ともタナトスである。更に、フン族の王としてフン族を統治していた時代、ルーアは同時にフランク族をも掌握し、メロヴィクスとしてフランク族を統治した。

 

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キルデリク1世(440~481)※画像なし

ヒラルス(?~?) ローマ教皇 在位461~468
シンプリキウス(?~?) ローマ教皇 在位468~483

 

クロヴィス1世(466~511) メロヴィング朝初代フランク王
フェリクス3世(?~?) ローマ教皇 在位483~492

オドアケル(433~493) イタリア領主・イタリア王

ゲラシウス1世(?~?) ローマ教皇 在位492~496

ラウレンティウス(?~?) 対立教皇 在位498~506

タトー(?~510) ランゴバルド王 在位?~510※画像なし

 

※オドアケルは、西ローマ帝国の傭兵隊長を経てローマ帝国のイタリア領主となったが出自は不明で、ヘルール族の王であったとか、テューリンゲン族の出身であるとか、あるいは東ゲルマン族スキリア族出身であるなどとされた。しかし、イタリアの領主となった出自不明のオドアケルの正体は、じつはローマ教皇フェリクス3世だった。その後もゲラシウス1世などのローマ教皇を演じ続けているが、元を辿ればクロヴィス1世である。

更に、ゲラシウス1世は対立教皇ラウレンティウスに変身するが、ローマ法皇シンマクスに敗北したあと、ゲルマニアに逃亡して地母神ネルトゥスの崇拝をはじめ、ランゴバルト族を支配下に置いた。ラウレンティスはランゴバルド王タトーとしてすぐ東方のフェルドと呼ばれる平原に移動した。この地でヘルール人の支配に反抗し、勝利を収めて独立勢力となった。

ということで、クロヴィス1世は即位後、すぐにイタリアを掌握しようと新勢力ランゴバルト族の支配に奮戦し、フランク王国を留守にしたため、47年間もの間、フランク王位は空位になっている。更にその後、ダヴィデの一族にフランク王位を奪われたのだが、クロヴィス1世の子孫であるランゴバルト族はフランク王国と敵対することになり、最終的に宰相ピピンとしてフランク王国に返り咲くことになる。

 

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ワコー(?~?) ランゴバルド王 在位510~539※画像なし

ヨハネス1世 ローマ教皇 在位523~526

マズダク(?~524) マズダク教教祖※画像なし

 

ワルタリ(?~?) ランゴバルド王 在位539~546※画像なし

フェリクス4世(?~530) ローマ教皇 在位526~530※画像なし

カワード1世(473~531) サーサーン朝皇帝 在位488~496、498~531

 

※この時期は、ローマ教皇となったガリアのドルイド司祭たちがイタリアを支配しながらイランを何とかしようとして画策していた時期である。フェリクス4世はサーサーン皇帝カワード1世に化け、仲間のヨハネス1世が化けたマズダクが築いた邪教マズダク教を保護し、拡大に努めた。まだイスラム教が登場する前夜だったため、ガリアのドルイド司祭はマズダク教を築き、イランに広めることでオリエント地域の征服を企画した。

 

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クロヴィス1世の子

 

グントラム(532~592) オルレアン王

アルボイン(526~572) ランゴバルト王国初代王 在位568~573※画像なし
グレゴリウス1世 ローマ市長官 在位572~574 ローマ教皇 在位590~604

 

※ランゴバルト初代王アルボインは、死んだと見せかけて二年間ローマ市長官を務め、それからグレゴリウス1世としてローマ法皇に就任した。ローマ市長官になったり、ローマ法皇になったり、次々に重要職に就くことができるのは、ドルイド教やドナトゥス派時代に獲得した大勢の信者がいるからこそだ。数百人の信者たちは命令されてタナトスの人物を「すごい、すごい」と褒め称える。彼らがグルだと知らない第三者は、それを見て「何かすごい人物が現れた!」と認識する。そしてドルイド教は、彼らのウソを信じない者たちを闇から闇へと消していく。こうして「すごい人物」が完成するのだ。

 

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アウタリ(?~?) ランゴバルト王 在位584~591 アルボインの子※画像なし

智顗(538~598) 天台宗


アギルルフ(?~?) ランゴバルト王 在位590~616 アルボインの子

 


アダロアルド(?~?) ランゴバルト王 在位616~626※画像なし

吉蔵(549~623) 三論宗

 


ロタリ(?~?) ランゴバルト王 在位636~652※画像なし

道綽(562~645) 浄土教

ピピン1世(580~640) メロヴィング朝宮宰 在位623~629、639~640 ※画像なし

 


アリベルト1世(?~?) ランゴバルト王 在位653~661※画像なし

玄奘三蔵(602~664) 四大翻訳家

グリモアルド1世(615~662) メロヴィング朝宮宰 在位643~656※画像なし


グリムヴァルド(?~?) ランゴバルト王 在位662~672

 


ベルクタリット(?~?) ランゴバルト王 在位672~686※画像なし

善導(613~681) 浄土教


アリベルト(?~?) ランゴバルト王 在位701~712

 

※ほとんどのランゴバルト王は、中国とイタリアを往来し、仏教の僧として活動した。さすがに強い征服本能をもっているだけあり、当時からグローバルな視点を持っていた。そのためか、浄土思想はキリスト教に本質的に似ている。イエズス会のフロイスが、浄土崇拝を「キリスト教に似ている」と述べたくらいだ。

 

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リウトブラント(?~?) ランゴバルト王 在位712~744※画像なし
グレゴリウス2世(?~?) ローマ教皇 在位715~731※画像なし
グレゴリウス3世(?~?) ローマ教皇 在位731~741

カール・マルテル(686~741) メロヴィング朝宮宰 在位715~741、在位718~741

 

※ランゴバルト王リウトプラントは、在位の年月が符合することから、ランゴバルト王国を統治しながらローマ法皇グレゴリウス2世を演じた。更にその後、2世が死んだことにすると、すぐにグレゴリウス3世を演じ続けたと考えられる。

 

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ラトキス(?~?) ランゴバルト王 在位744~749
キョル・ビルゲ(?~?) ウイグル可汗国初代カガン 在位744~747

 

アイストゥルフ(?~?) ランゴバルト王 在位749~756

カールマン(706~754) メロヴィング朝宮宰 在位741~754

 


ピピン3世(714~768) カロリング朝フランク王 在位752~768
テングリデ・ポルミシュ・イル・イトミシュ・ビルゲ(?~?) ウイグル可汗カガン 在位747~759※画像なし

 

デシデリウス(?~786) ランゴバルト王 在位756~776※画像なし

カールマン1世(751~771) カロリング朝フランク王 在位768~771
テングリデ・クト・ポルミシュ・イル・トゥトミシュ・アルプ・キュリグ・ビルゲ(?~?) ウイグル可汗カガン 在位759~779※画像なし

 

※ランゴバルト王国、最後の3人の王は大宛に帰還し、ウイグル可汗国を建設した。3人は、ランゴバルト王国を統治しながらウイグルカガンも同時に兼任していた。

 

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アルプ・クトゥルグ・ビルゲ(?~?) ウイグル可汗カガン 在位780~789
テングリデ・ポルミシュ・キュリュグ・ビルゲ(?~?) ウイグル可汗カガン 在位789~790
クトゥルグ・ビルゲ(?~?) ウイグル可汗カガン 在位790~795
テングリデ・ウルグ・ポルミシュ・アルプ・クトゥルグ・キュリュグ・ビルゲ(?~?) ウイグル可汗カガン 在位795~805
テングリデ・アルプ・キュリュグ・ビルゲ(?~?) ウイグル可汗カガン 在位805~808
アイ・テングリデ・クト・ポルミシュ・アルプ・ビルゲ(?~?) ウイグル可汗カガン 在位808~821
キュン・テングリデ・ウルグ・ポルミシュ・キュチュリュグ・ビルゲ(?~?) ウイグル可汗カガン 在位821~824
アイ・テングリデ・クト・ポルミシュ・アルプ・ビルゲ(?~?) ウイグル可汗カガン 在位824~832
アイ・テングリデ・クト・ポルミシュ・アルプ・キュリュグ・ビルゲ(?~?) ウイグル可汗カガン 在位832~839

 

※ウイグル可汗国が滅ぶと、残党はヴァイキングとなってバルト海に出現する。托跋部がヴァイキングに、ナイマン族がノルマン人になった。ヴァイキングの由来は托跋部が築いた「魏の王(ウェイキング)」である。ナルクシュ・タヤン・カンと弟のイナンチャ・カンがナイマン王国を築いたが、詳細は不明。たぶん、ウイグルカガンにナイマン王の本体がいるはずだ。

 

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ウルグ・テングリデ・クトゥ・ボルミシュ・アルプ・キュリュグ・ビルゲ(?~?) 天山ウイグル初代カガン 在位?~856※画像なし

洞山良价(807~869) 曹洞宗

ロタール1世(795~855) 中フランク初代王

 

※天山ウイグル初代カガンは、中国に侵入し、洞山良价を称して「曹洞宗」を築いた。洞山(ドンシャン)の名の由来は天山(ティエンシャン)である。

 

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ロタール1世の子

 

ロドヴィコ2世(825~875) 中フランク第2代王
シャルル1世(823~877) 西フランク初代王※画像なし

 


ロタール2世(835~869) 中フランク第3代王
シャルル2世(839~888) 西フランク第4代王

 


シャルル(845~863) 中フランク第4代王※画像なし
ルイ2世(846~879) 西フランク第2代王

 

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ウィリアム1世(1027~1087) ノルマン朝初代王 在位1066~1087

 

グロスター伯ロバート(1090~1147) ノルマン王ウィリアム1世孫

ルッジェーロ2世(1095~1154) オートヴィル朝初代シチリア王※画像なし

 

グリエルモ3世(1185~1198) オートヴィル朝第5代シチリア王

ホーコン3世(1180~1204) シュル朝ノルウェー王※画像なし

 

マーガレット(1283~1290) スコットランド女王※エイリーク2世の子

エリク・マグヌソン(1282~1318)

 

マグヌス4世/7世(1316~1374) スウェーデン=ノルウェー連合王※ホーコン5世の子

ヴァルデマー4世(1320~1375) デンマーク王

千家孝宗(1343~1371) 第56代出雲国造

北島貞孝(1343~?) 第56代出雲国造

 

※千家の由来は「SENの家」、北島の由来は「アイスランド」である。

 

ホーコン6世(1340~1380) ノルウェー・スウェーデン王※画像なし

カルロ3世(1345~1386) アンジュー=ドゥラッツォ朝ナポリ王

 

※カルロ3世がシチリア・マフィアを生んだと考えられる。アンジュー家を追い落とすための陰謀だった「シチリアの晩鐘」も彼らが仕組んだと考えられる。

 

マルグレーテ1世(1353~1412) 北欧連合王国実質支配者、カルマル同盟締結者

 

※マルグレーテ1世が北欧連合王国実質支配者といわれているが、実際には父ヴァルデマー4世が最初の北欧連合王国実質支配者であった。なぜなら、デンマーク王ヴァルデマー4世は、マグヌス4世としてスウェーデン王とノルウェー王に即位していたからだ。

 

ハンス(1455~1513) デンマーク・ノルウェー・スウェーデン王

アレクサンダー(1462~1514) プファルツ=ツヴァイブリュッケン公

 

カール10世(1622~1660) プファルツ朝初代スウェーデン王※アレクサンダー玄孫の孫

 

カール11世(1655~1697) プファルツ朝第2代スウェーデン王

カール(1654~1730) ヘッセン=カッセル方伯

 

フレドリク1世(1676~1751) ヘッセン朝初代スウェーデン王

クリスティアン・アウグスト・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ(1673~1726)

 

アドルフ・フレドリク(1710~1771) ホルシュタイン=ゴットルプ家朝ス初代ウェーデン王

アンリ・ベルナドッテ(?~?) カール14世ヨハン父

 

カール14世ヨハン(1763~1844) ベルナドッテ朝初代スウェーデン王

 

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フェルディナンド1世(1751~1825) 初代両シチリア王

 

フェルディナンド2世(1810~1859) 第3代両シチリア王

 

フランチェスコ2世(1836~1894) 第4代両シチリア王

 

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フェルディナンド2世の子

 

ガエターノ(1846~1871)

ジョージ・リード(1845~1918) 第4代オーストラリア首相

 

ジェンナーロ(1857~1867)

アルフレッド・ディーキン(1856~1919) 第2代オーストラリア首相

 

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フェルディナンド2世の孫

 

ヴィンチェンツォ(1851~1854)※画像なし

エドモンド・バートン(1849~1920) 初代オーストラリア首相

 

※オーストラリアの由来はオーストリア(フランク王国時代に因んでいる)とイタリア(ランゴバルト王国時代に因んでいる)の組み合わせである。オーストリア+イタリア=オーストリリア=オーストラリアとなる。

 

マリア・テレジア・フォン・エスターライヒ=トスカーナ(1862~1933)

津田梅子(1864~1929) 津田塾大学創始者

 

フェルディナンド・ピオ(1869~1960) カラブリア公※画像なし

クリス・ワトソン(1867~1941) 第3代オーストラリア首相

ヴィト・カッショ・フェロ(1862~1943) シチリア・マフィア

 

マリア・クリスティーナ・ピア(1869~1870) フランチェスコ2世の子

ニコラ・カナーリ(1874~1961) バチカン市国委員会初代議長

 

ジュゼッペ(1875~1950) パルマ公家家長※画像なし

カロジェロ・ヴィッツィーニ(1877~1954) シチリア・マフィア首領

 

ジェンナーロ(1882~1944)※画像なし

ジョニー・トーリオ(1882~1957) シカゴ・アウトフィット首領

 

フィリッポ(1885~1949)

ジョー・マッセリア(1886~1931) コーザ・ノストラ首領

 

フランチェスコ・ダッシジ(1888~1914)※画像なし

千家尊統(1886~1968) 第82代出雲国造

サルヴァトーレ・マランツァーノ(1886~1931) コーザ・ノストラ首領

 

ボリス3世(1894~1943) サクスコブルクゴツキ朝第2代ブルガリア王※フェルディナンド2世曾孫

ジョゼッペ・ジェンコ・ルッソ(1893~1976) シチリア・マフィア大物

 

ガブリエーレ(1897~1975)

ラッキー・ルチアーノ(1897~1962) コーサ・ノストラ最高幹部

アル・カポネ(1899~1947)

 

カルロ(1905~1912)※画像なし

ミケーレ・ナヴァーラ(1905~1958) コルレオーネ村ボス

 

カルロス(1908~1936)

サム・ジアンカーナ(1908~1975) シカゴ・アウトフィット首領

 

マリア・クリスティーナ(1925~2009)※画像なし

ミケーレ・グレコ(1924~2008) 法王と呼ばれたボス

エドムンド・カシミール・ショーカ(1927~2014) バチカン市国委員会第7代議長

 

ジャン・マリー・カジミール(1933~2000) フェルディナンド2世曾孫※画像なし

ジョヴァンニ・ラヨロ(1935) バチカン市国委員会第8代議長

 

カルロス・デ・ボルボン=ドス・シシリアス(1938~2015) フェルディナンド2世玄孫の孫※画像なし

ジュゼッペ・ベルテッロ(1942) バチカン市国委員会第9代議長

 

ルイス(1970) フェルディナンド2世玄孫※画像なし

スコット・モリソン(1968) ヤープ・デ・ホープ・スヘッフェルの子(オーストラリア首相)

アンドリュー・マッケイブ(1968) ヤープ・デ・ホープ・スヘッフェルの子(FBI副長官)

 

※モリソンはTPPを批准し、マッケイブはトランプ大統領を貶めようと画策した。

 

 

 


クリュニー大主教ベルノの一族~ナバラ王国、フランク・ローマ皇帝、カペー朝フランス王、民衆十字軍、土肥実平、長宗我部氏、キャンディ王国、三菱財閥、ルワンダ大虐殺

ベルノ(850~927) クリュニー大主教

ウード(852~898) 西フランク第5代王
アルフォンソ3世(848~910) アストゥリアス王
サンチョ・ガルセス1世(860~925) ナバラ初代王
グイド(855~894) グイード朝フランク・ローマ皇帝※画像なし
アルヌルフス(850~899) カロリング朝フランク・ローマ皇帝
ベレンガリウス(845~924) ウンロシング朝フランク・ローマ皇帝※画像なし

 

西欧:ノルマン人改宗(911)
西欧:クラモール・ド・ハロー(911頃)

 

※911年、ベルノはノルマン人をキリスト教に改宗した。東西本願寺の門主の名に付く「如」の由来はベルノである。ベルノ=ベルニョ=如となる。つまり、大谷が「如」を付けることで彼らがクリュニー会の祖ベルノを崇拝していることがわかる。

クリュニー会が、敵であるノルマン人を改宗させたのが911年。ドナトゥス派の司教マヨリヌスが出現したのは311年である。大谷はここぞという時、験担ぎで、先祖が偉業を成し遂げた日にちを選び、コトを実行する。クリュニー会は、誕生したばかりのノルマンディー公国に拠点を移し、ヴァイキングたちを改宗させた。

この時、クリュニー会はノルマン人、ヴァイキング、フランク人の中に潜む優れた者を排除するために「クラモール・ド・ハロー」を起動させた。クラモール・ド・ハローとは、国民が訴えを起こした際、国王はすぐに裁判を開かなければならないのだ。

非常に良い決まりごとのようだが、その実、仲間を保護し、敵だけを公的に排除するためのシステムだった。基本的に、裁判官と原告はクリュニー会関係者であり、被告はクリュニー会に寄与しない優れた人物と決定されていた。原告のクリュニー会関係者は無実の罪をデッチあげ、死刑を宣告するためだけに被告を裁判に引き釣り出した。これによって、多くの優れた人材を失ったノルマンディー公国は、弱体化の機運を辿った。

 

オドン(880~942) クリュニー大主教
阿咄欲(?~?) 甘州ウイグルカガン 在位926~939※画像なし
ヨハネス11世(910~935) ローマ教皇 在位931~935※画像なし
レオ7世(?~939) ローマ教皇 在位936~939※画像なし
ステファヌス9世(?~942) ローマ教皇 在位939~942
ランベルトス(880~898) グイード朝フランク・ローマ皇帝
ルドウィクス3世(880~928) ボゾ朝フランク・ローマ皇帝※画像なし
フルエーラ2世(875~925) レオン王

 

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順化可汗(仁裕、奉化可汗) 甘州ウイグルカガン 在位926~959 仁美の弟
景瓊 甘州ウイグルカガン 在位959~? 仁裕の子
夜落紇密礼遏 甘州ウイグルカガン 在位?~?
禄勝 甘州ウイグルカガン 在位?~?
夜落紇(夜落隔、忠順保徳可汗王) 甘州ウイグルカガン 在位? ~1016
夜落隔帰化 甘州ウイグルカガン 在位1016~ ?
夜落隔通順(帰忠保順可汗王) 甘州ウイグルカガン 在位? ~?
 

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マヨルス(906~994) クリュニー大主教
ガルシア・サンチェス2世(?~1000)※画像なし
サンチョ・ガルセス2世(935~994) ヒメネス朝ナバラ王
ヨハネス12世(937~964) ローマ教皇 在位955~964
ユーグ・カペー(940~996) カペー朝初代フランス王

 


ロベール2世(972~1031) カペー朝第2代フランス王

ヨハネス19世(?~1032) ローマ教皇 在位1024~1032
サンチョ・ガルセス3世(985~1035) ヒメネス朝ナバラ王※画像なし

 


アンリ1世(1008~1060) カペー朝第3代フランス王

ランフランクス(1005~1089) カンタベリー大主教
ラミロ1世(1007~1063) アラゴン初代王
ニコラウス2世(1010~1061) ローマ教皇 在位1058~1061

 

※アンジュー伯やノルマンディー公に圧迫されていたアンリ1世は、1060年に51歳で死んだことにし、フランスを出発してアフリカへの旅に出た。アンリ1世がマプングプエ王国(1075年)を築いた。マプングプエ王国を築くまでに15年かかっている。

 


フィリップ1世(1052~1108) カペー朝第4代フランス王
隠者ピエール(生没年不詳) 民衆十字軍指揮者


※1095年、ローマ教皇に破門を通告された正にその年にフィリップ1世は隠者ピエールに変身し、第一次十字軍に先駆けて民衆十字軍を発進させた。フィリップ1世の目的は、アンチ1世がアフリカに築いた王国に移住することだったようだ。


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カネム帝国(700~1376)※歴代王の系譜不明
マプングプエ王国(1075~1220)※歴代王の系譜不明


※現ナイジェリアに到達した民衆十字軍がカネム帝国の王位を簒奪した。当初、カネムはカネムと呼ばれていなかったが、フィリップ1世の娘セシルの子が王位に就いたため、カネムと呼ばれた。カネムの由来はカナンである。セシルは民衆十字軍とイスラム教徒の間で起きた「アンティオキア攻防戦」が起きた1097年のシリアに生まれている。
その後、南下したフィリップ1世の家族は現ジンバブエに辿り着き、先住していた父アンリ1世と共にマプングプエ王国を築いた。マプングプエの由来はシャンパーニュのカペーである。シャンパーニュ+カペー=ヤパニュカプェー=マプングプエとなる。

 

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クロトゥンガ(?~?) 後期チョーラ初代王 在位1070~1120

 


ラージャディラージャ2世(?~?) 後期チョーラ第2代王 在位1166~1178 ※画像なし
ジャターヴァルマン・クラーシェカラ(?~?) 後期パーンディヤ初代王 在位1190~1216※画像なし
土肥実平(?~1191) 土肥氏の祖
吉川経義(1132~1193) 吉川氏の祖※画像なし
相馬師常(1139~1205) 相馬氏の祖


※ラージャディラージャ2世は死んだことにして日本に移住し、土肥実平を称した。土肥実平は源頼朝の右腕であったが、その正体はチョーラ王であった。土肥の由来はパーンディヤである。パーンディヤ=デイヤ=土肥となる。土肥実平は、同時に吉川経義、相馬師常に変身し、吉川氏と相馬氏の祖となった。いずれの名もインドの土地が由来である。吉川の由来はカルキヤであり、相馬の由来はスーマである。
その後、土肥実平は、家族である北条政子に源頼朝の管理を託すと、自分は死んだことにして南インドに戻り、ジャターヴァルマン・クラーシェカラとして後期パーンディヤ初代王に即位した。土肥実平の日本での活動期間はラージャディラージャ2世の没年とジャターヴァルマン・クラーシェカラの即位の年を見れば一目瞭然だが、18年ということになる。つまり、土肥実平、吉川経義、相馬師常はインド人(ドラヴィダ人)の姿をしていた。土肥氏や相馬氏は坂東八平氏の前身に参加したが、坂東の由来はパーンディヤである。パーンディヤ=パンドア=坂東となる。尤も、坂東の名はフィリップ1世の一族に簒奪される前の正統なパーンディヤ王家やチャールキヤ朝の命名である。

 

小早川遠平(?~1237) 小早川氏の祖


※小早川遠平の正体はマプングプエ王だと考えられる。小早川の由来はグプエの川である。つまり、マプングプエ王国が建てられたリンポポ川を指している。グプエ+川=コバヤ+川=小早川となる。つまり、小早川遠平はアフリカ人(ジンバブエ人)の姿をしていた。

インド洋の商業航路を経て日本に辿り着いた遠平は土肥実平の養子となり、日本で活動する足場を得た。不思議なことだが、彼らは容易に、血が繋がった家族を見分けることができるようだ。


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マーラヴァルマン・スンダラ・パーンディヤ1世(?~?) パーンディヤ王 在位1216~1238
ラージャラージャ3世(?~?) チョーラ王 在位1216~1256


ジャターヴァルマン・スンダラ・パーンディヤ1世(?~?) パーンディヤ王 在位1251~1268
ラージェンドラ3世(?~?) チョーラ王 在位1246~1279


マーラヴァルマン・クラーシェカラ1世(?~?) パーンディヤ王 在位1268~1311


※フィリップ1世の子にはアンリ、シャルル、ウード、フィリップ、フロリュス、ウスタシーがいたが、その何人かがスワヒリに築かれたインド洋商業航路を東南アジア方面に向かい、インド南部に上陸してチョーラ朝とパーンディヤ朝の王位を簒奪したようだ。


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中原秋通(1144頃?~?) 香宗我部氏の祖


長宗我部能俊(生1170頃?~?) 長宗我部氏の祖


※チョーラの王位を簒奪したフィリップ1世の一族はインドから日本に向かい、土肥実平を生み、香宗我部氏や長宗我部氏を生んだ。香宗我部の由来はシャルルとモンフォールとカペーの組み合わせであり、長宗我部の由来はチョーラとモンフォールとカペーの組み合わせである。シャルル+モンフォール+カペー=カール+モン+カペー=香+宗+我部=香宗我部となり、チョーラ+モンフォール+カペー=チョー+モン+カペー=長+宗+我部=長宗我部となる。

 

多羅尾師俊(生1313頃?~?) 多羅尾氏の祖


トルワ王国(1450~1683)※歴代王の系譜不明


※多羅尾の由来はドラヴィダである。ドラヴィダ=ドタヴィ=多羅尾となる。時期的な観点から見ると、多羅尾氏の正体は最後のパーンディヤ王の可能性もある。その後、多羅尾氏は先祖の故地である現ジンバブエに帰還し、トルワ王国を築いている。トルワの由来はドラヴィダ、或いは多羅尾である。

 

長宗我部兼序(?~1508) 長宗我部氏第19代当主

Senasammata Vikramabahu(?~1511) キャンディ王国初代王 在位1469~1511

 

長宗我部国親(1504~1560) 長宗我部氏第20代当主

Ali Mughayat Syah(?~1530) アチェ王国初代王 在位1514~1530

 

長宗我部元親(1539~1599) 長宗我部氏第21代当主

Rajasinha I(1544~1593) キャンディ王国第5代王※画像なし

キゲリ2世(?~1609) ルワンダ王 在位1576~1609※画像なし

 

※長宗我部元親の一族郎党は大阪の陣以後、死んだことになっている一族はみな日本を脱出した。一部はスマトラに移住し、一部はスリランカに移住し、一部はルワンダに移住した。

 

津野親忠(1572~1600) 長宗我部元親三男※画像なし

Vimaladharmasuriya I(?~1604) キャンディ王国第6代王 在位1590~1604

 

長宗我部康豊(1599~?) 長宗我部元親七男※画像なし

イスカンダル・サニ(1610~1641) アチェ王国第13代スルターン 在位1636~1641


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長宗我部盛親の子

 

長宗我部盛恒(?~1615)

長宗我部盛高(生没年不詳)

長宗我部盛信(生没年不詳)

長宗我部盛定(生没年不詳)

 


ミナンカバウ族(14世紀)


※長宗我部能重が吉原庄全域を支配下に置くと、香宗我部氏は1386年に土佐国を後にスマトラ島に移住した、彼らは「ミナンカバウ」を称した。ミナンカバウの名の由来は宗我部(ムネカベ)である。ムネカベ=ムネンカバエ=ミナンカバウとなる。AD1651年、オランダ東インド会社がミナンカバウ族の土地で金を発掘して以来、タナトスの家族ということで、ミナンカバウ族はオランダと親交をもった。その後、AD1585年、豊臣秀吉の四国征伐で敗北すると、長宗我部盛親の子息たちは土佐国を後に、兄弟であるミナンカバウの地に移住し、両者は連合した。
1958年、ミナンカバウ族は「インドネシア共和国革命政府」を立ち上げて反乱を頻発し、ゲリラ戦を展開した。この反乱は、AD1961年に終焉を迎えているが、背後でオランダ王国、パプア系華僑と連合していた可能性も高い。

 

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Sri Vikrama Rajasinha(1780~1832) キャンディ王国第14代王 在位1798~1815

トゥアンク・イマーム・ボンジョル(1772~1864) イスラム急進派パドリ指導者

岩崎弥三郎(生没年不詳) 弥次郎の父※画像なし

 

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キャンディ王Sri Vikrama Rajasinhaの子

 

Letchumi Devi(?~1856)

Alauddin Muhammad Da'ud Syah I(1802~1838) アチェ王国第25代王

ムタラ2世(1802~1853) ルワンダ王 在位1830~1853

岩崎弥次郎(1808~1873) 弥太郎・弥之助の父

 

Raja Nachiar Devi(?~1860)※画像なし

Alauddin Sulaiman Ali Iskandar Syah(?~1857) アチェ王国第26代王※画像なし

岩崎弥太郎(1835~1885) 三菱創業者

後藤象二郎(1838~1897)

井上馨(1836~1915)

松方正義(1835~1924) 内閣総理大臣・日本赤十字社社長

 

※岩崎弥太郎はミナンカバウ族(インドネシア人)の血を引いている。パドリの子孫である。パドリとはミナンカバウ族のイスラム急進派であるが、前から、どうりで顔が濃いなとは思っていた。象二郎、馨、正義は弥太郎の影武者として生まれた。

 

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岩崎弥太郎の子

 

岩崎弥之助(1851~1908) 三菱財閥二代目

桂太郎(1848~1913) 内閣総理大臣

 

※上記のように、弥太郎と弥之助は兄弟ともに内閣総理大臣になっている。つまり、三菱財閥総帥が内閣総理大臣になっていたということだ。

 

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ムハンマド・ダウド・シャー(1864~1939) アチェ王国第29代王

ユヒ5世(1883~1944) ルワンダ王国第三王朝14代王※画像なし

シモン・キンバング(1887~1951) キンバング教会教祖※画像なし

 

※ムハンマド・ダウド・シャーはオランダ領インドネエシアに抵抗していたが、1903年に降伏するとバタヴィアを離れてルワンダに移住し、若く見えたためか19歳ほどサバをよみ、ユヒ5世として即位した。また、シモン・キンバングとしてキンバング教会を興し、周辺住民を邪教に入信させた。

 

岩崎彦弥太(1895~1967) 三菱合資会社元社長・岩崎久弥長男※画像なし

ウィリアム・ゴパッラワ(1896~1981) スリランカ初代大統領 任期1972~1978

アンドレ・マツワ(1899~1942) 宗教運動マツワニズム指導者※画像なし

 

ムタラ3世(1911~1959) ルワンダ王 在位1931~1959

岩崎忠雄(1909~1966) 三菱財閥総帥、三菱モンサント化成社長

SJAFRUDDIN PRAWIRANEGARA(1911~1989) インドネシア共和国革命政府首相

ブルハヌディン・ハラハップ(1917~1987) インドネシア共和国革命政府安全・正義大臣

ダッドリー・シェルトン・セーナーナーヤカ(1911~1973) 第2代セイロン首相

 

※ミナンカバウやアチェの血が流れているためか、インドネシア政府に抵抗し、インドネシア共和国革命政府を開いた。

 

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キゲリ5世(1935~2016) ルワンダ王国第三王朝16代王

ローラン・カビラ(1939~2001) コンゴ民主共和国第3代大統領※画像なし

マリアン・ングアビ(1938~1977) コンゴ共和国第7代大統領※画像なし

ジョアキム・ヨンビ=オパンゴ(1939~) コンゴ共和国第8代大統領※画像なし

ヌル・ミスアリ(1939) モロ民族解放戦線指導者

ジョセフ・エストラーダ(1937) フィリピン第13代大統領

 

岩崎俊男(1946) 元三菱自動車工業顧問岩崎寿男の子※画像なし

マヒンダ・ラージャパクサ(1945) スリランカ第13代首相、スリランカ第6代大統領

Murad Ebrahim(1949) モロ・イスラム解放戦線指導者

 

ユヒ6世(1960) ルワンダ王国王位請求者

フェリックス・チセケディ(1963) コンゴ民主共和国第5代大統領

ポール・カガメ(1957) ルワンダ愛国戦線首領、ルワンダ大統領

ペーテル・トムカ(1956) 国際司法裁判所裁判官

 

1990年10月、ウガンダに拠点を置く反政府ゲリラ組織ルワンダ愛国戦線 (RPF)がルワンダを越境攻撃し北部を制圧。その頃カガメは米国レブンワース基地のアメリカ陸軍指揮幕僚大学で軍事訓練を受け、後にRPF最高司令官となる。当時のジュベナール・ハビャリマナ政権をフランス、ベルギーなどが支援し、戦闘は膠着状態に。長期に渡る和平交渉を経て、1993年に和平が成立。しかし1994年にハビャリマナ大統領と隣国ブルンジのンタリャミラ大統領が搭乗する航空機が撃墜され死亡すると、政府軍及びフツ強硬派民兵インテラハムウェによるツチなどへのジェノサイドが発生、推計で約80万人が死亡した。するとカガメ率いるRPFはツチ保護を名目に全土を制圧し、フツのパストゥール・ビジムングを大統領とする新政権を発足。カガメは副大統領兼国防相に就任し、事実上政権を掌握し、軍事的にも同国に強大な影響力を保った。 ポール・カガメwikiより

 

※写真はルワンダ大虐殺の現場。フツ族がツチ族を殺したとされているが、実際にはツチ族のポール・カガメが指揮し、ツチ族を殺戮した。仲間を出来るだけたくさん殺すこと。そうすることでフツ族を悪者扱いできるのだ。大谷が最初にやることは常に敵に汚名を着せることだ。敵に「悪」の汚名を着せるために味方を殺すのだ。

因みに、ツチ族であるポール・カガメは、陰陽道を治める土御門家の子孫である。それを証明するように、カガメの名の由来は陰陽道に関係がある言葉「籠目(かごめ)」である。また、土御門の由来は「ツチの帝王」である。

 

 

 



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