目次
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まえがき 悪の足跡の追求
タナトスの一族~カニバリズム、人身御供、クロノス、アトランティス王国、最終戦争ラグナロク、タングート、西夏、狼男、チャガタイ・ハン国、タウングー朝、ズールー帝国、アフリカ独立運動、ボコ・ハラム
ティールタンカラの一族~アーリア人、仏教、継体天皇、中臣鎌足、藤原不比等、白河天皇、鳥羽天皇、マリ帝国、ジェノヴァ共和国、ルクセンブルク公国、リヒテンシュタイン公国、モナコ公国、アシャンティ帝国
デウスの一族~ジャイナ教、河伯、サータヴァーハナ朝、フン族、アッティラ帝王、稲荷神社、九頭龍、風水、足利尊氏、後醍醐天皇、シャーマニズム、クエーカー教、住友財閥、三井財閥
ダーナ神族の一族~ディオニュソス、デニエン人、猿田彦、契丹、デーン人、鬼、酒呑童子、ハーバード大学、ジョージ・ワシントン大統領、アメリカ連合国、統一イタリア王国、カナダ、ニュージーランド、阿含宗
アブラハムの一族~シュメール文明、エフライム族、バアル、アフラマズダー、ゾロアスター教、マケドニア王国、聖徳太子、ピサ共和国、奥州藤原氏、フランシスコ・ピサロ、ヴァーサ朝、フィンランド共和国
預言者ナタンの一族~ラピタ文化、ダン族、ソロモン王、ミディアン人、ストーンヘンジ、アテーナイ王国、ヒクソス、アマルナ宗教改革、マフディー国家
アッシュール・ダン1世の一族~魔神アスラ、タニス、北イスラエル王国、アルメニア王国、グノーシス主義、コプト教、聖コルンバ、アルシング議会
ガリアのドルイド司祭(東本願寺)の一族~アテネ民主制、ローマ執政官、ソピテース、デマゴーグ、ヘロデ大王、ローマ帝国、フィリキ・エテリア、青年トルコ革命
聖ドナトゥスの一族~渤海王、ブワイ朝、テンプル騎士団、ジンバブエ王国、ダホメー王国、ハイチ帝国、黒人地位向上協会、バハーイー教
ローマ教皇レオ1世の一族~ランゴバルト王国、メロヴィング朝、マズダク教、ウイグル可汗、浄土教、曹洞宗、ノルマン人、カルマル同盟、出雲大社、コーザ・ノストラ、オーストラリア、バチカン市国委員会
クリュニー大主教ベルノの一族~ナバラ王国、フランク・ローマ皇帝、カペー朝フランス王、民衆十字軍、土肥実平、長宗我部氏、三菱財閥、ルワンダ大虐殺
クリュニー大主教アイマールの一族~キエフ大公国、シトー会、北条時政、聖フランチェスコ会
クリュニー大主教ヒューの一族~ヒメネス朝ナバラ王、バルセロナ朝アラゴン王、ブルゴーニュ朝カスティーリャ王、ハフス朝、バルバロス・ハイレッディン、チュニジア、アルジェリア
カペー朝ルイ7世の一族~メリナ王国、カンボジア王国、カリブ族、ゴーストダンス、マウマウ団、ドラヴィダ進歩党、カーゴカルト、パプアニューギニア、クメール・ルージュ
カペー朝フィリップ2世の一族~ドイツ騎士団、白蓮教、小西行長と弥助、マラッカ王国、ブルネイ帝国、リンガトゥ教、呪術師スビキロ、バラク・オバマ、フアン・グアイド
親鸞の一族~浄土真宗、時宗、一向宗、世界初の精神病院ベドラム、ブルゴーニュ朝ポルトガル、コンキスタドール、メキシコ帝国、麻薬カルテル
如信の一族~魔女狩り解禁、異端審問、伊勢大社、カペー朝フランス王、ボルボン朝スペイン王、スペイン共和国
覚如の一族~紅巾の乱、華僑、百年戦争、殺人集団タギー、琉球王国、アチェ王国、黎朝ベトナム帝国、白蓮教、シンガポール、日清食品、社会民主党、全能神
善如の一族~倭寇、恭愍王、足利義満、日野富子、三浦倭館、東林党、魏忠賢、フランシス・ドレイク、バッカニア海賊、カタール首長
綽如の一族~ヴァロワ=ブルゴーニュ公、ブルボン公、能登守、ケベック解放戦線
巧如の一族~ジル・ド・レ、ヴァロワ朝フランス、マルタ騎士団、マラーター族、ハウサ諸王国、ソコト帝国
存如の一族~応仁の乱、アラゴン王国、アヴィス朝・ブラガンサ朝ポルトガル、ポルトガル共和国
蓮如の一族~スイス連邦参事会、魔女狩り、パッツィ家、ロレーヌ公、一向一揆、秘密委員会、ベルギー王国
実如の一族~毛利元就、オルデンブルク朝デンマーク、モロッコ王国、フランコ将軍、パレスチナ解放機構、トントンマクート、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三、統一協会
証如の一族~明智光秀、魔女狩り、戦国時代、オランダ王国、近衛家、クウェート王国、イギリス東インド会社、南アフリカ連邦、ジャム・カシミールのムジャヒディーン、湾岸戦争
顕如の一族~万暦の三征、魔女狩り、オランダ東インド会社、スチュアート朝、老論派、バプティスト教会、メソジスト教会
教如の一族~織田信雄、東山天皇、仁孝天皇、孝明天皇、カメハメハ大王、ハワイ王国、トンガ王国、サモア独立国、フィジー共和国、エチオピア連邦民主共和国
宣如の一族~ハプスブルグ家、ブルボン家、プファルツ朝スウェーデン王、フルベ聖戦、フランス共和国、イスラーム・マグリブ諸国のアル=カーイダ機構
琢如の一族~英蘭戦争、マラーター王国、ベンガル太守、アワミ連盟、バングラデシュ、ジャマート=ウル=ムジャーヒディーン
常如の一族~後金時代、李氏朝鮮末期、琉球第二尚氏王統、東学党、ゴ・ディン・ジエム、大韓民団、株式会社ロッテ
一如の一族~名誉革命、ジャコバイト、オラニエ=ナッサウ王家、南アフリカ連邦、オレンジ革命
真如の一族~イエズス会弾圧、ムガール皇帝、マラーター同盟、タタ財閥、デカン・ムジャヒディーン
従如の一族~田沼意次、徳川家重、松平定信、井伊直弼、水野忠邦、徳川慶喜
乗如の一族~フランス革命、ベトナム植民地、ブラジル帝国、YMCA、セブンスデー・アドベンチスト教会、国際赤十字社、花粉症、AIDS
達如の一族~復古神道、尊皇攘夷、天理教、金光教、神社本庁、日本社会党、講談社、日本会議
大谷光勝の一族~丙寅教獄、明治維新、ビアフラ共和国、ソンミ村虐殺、コリン・パウエル、コンドリーザ・ライス、トニー・ブレア
大谷光榮の一族~アドルフ・ヒトラー、ハインリヒ・ヒムラー、軍産複合体、パフラヴィー朝皇帝、アウグスト・ピノチェト、立憲民主党
大谷光演の一族~重慶爆撃、CTスキャン、ダライ・ラマ14世、ディズニー・カンパニー、スティーブン・スピルバーグ、ジャニーズ、タイム・ワーナー社、YOUTUBE
ヘンリー・キッシンジャーの一族~ビル・クリントン、湾岸症候群、ジョン・ベネ殺害事件、レバノン空爆、ロシアの人喰いズマガリエフ、フェイスブック
大谷光暢の一族~ラビア・カーディル、地下鉄サリン事件、天安門事件、オウム地下鉄サリン事件、酒鬼薔薇聖斗、雨傘革命
大谷暢顕の一族~放送局アナウンサー、櫻井よしこ、神戸連続児童殺傷事件、学級崩壊、大阪池田小児童殺害事件、てるくはのる事件
大谷暢裕の一族~根本匠、2014香港反中デモ、2014香港反政府デモ、2019逃亡犯条例改正案撤回デモ
大宛のドルイド司祭(西本願寺)の一族~大宛、クシャーナ朝、鳩摩羅什、曇鸞、浄土宗、隋、ウマイヤ朝イスラム帝国、北宋、舜天王統、ブギス族、ジョホール朝、林本源、中国仏教協会、台湾
王安石の一族~南宋皇帝、今川国氏、デリー・スルターン朝、曹洞宗、総持寺祖院初代門主
今川国氏の一族~アステカ人身御供、ヴラド・ツェペシュ、見付天神の人身御供、エリザベート・バートリ、モルダヴィア公、ルーマニア王国、モルドバ共和国
准如の一族~小早川秀秋、ドン・コサック、古儀式派、ノーベル賞、ベルナドッテ朝スウェーデン王
良如の一族~生類憐みの令、火付盗賊改、子供を殺すための法律「ブラック法」、MI6長官
寂如の一族~女帝エカチェリーナ、秘密結社イルミナティ、ナチス帝国、特高警察、モサド、中央情報局、アメリカ連邦捜査局
住如の一族~黒住教、ビン=ラディン・グループ、アルカーイダ、ソマリランド大統領、GOOGLE
湛如の一族~ジュンガル帝国、チャックリー家、タイ王国首相、モンゴル人民革命党、霊友会、世界救世教、祟教真光、日本相撲協会
法如の一族~アヘン戦争、ロスチャイルド財閥、ロックフェラー財閥、スカル&ボーンズ、第一次世界大戦、ホスピス、北大西洋条約機構、ベルギー首相職、アムネスティ・インターナショナル
文如の一族~ウクライナ東方カトリック教会、薩摩戦争、切り裂きジャック、インディアン虐殺、国際連合
本如の一族~ウクライナ東方カトリック教会、東トルキスタン、ムスリム同胞団、ユーゴスラビア紛争、チェチェン紛争、南オセチア紛争、ウクライナ政変
広如の一族~伊藤博文、大隈重信、山縣有朋、新渡戸稲造、白洲次郎、東条英機、日産コンツェルン、731部隊、ベトナム戦争
デヴィッド・ロックフェラーの一族~ジョージ・ソロス、CNN、モンサント社、遺伝子組み換え作物、成長ホルモン、コソボ爆撃、コロンバイン高校銃撃
大谷光尊の一族~イギリス王室、ファシスト党、ディープ・ステート、ウィリアム・ハイレンズ、イスラム国、ウクライナ21、ライブドア
大谷光瑞の一族~ジョージ・H・W・ブッシュ、湾岸戦争、冷戦終結、法輪功、国境なき記者団、自動運転技術テロ、オール電化テロ
大谷光照の一族~ジョージ・W・ブッシュ、除草剤ラウンドアップ、連続殺人犯テッド・バンディ、世界同時多発テロ、キャラバン
大谷光真の一族~悪魔ビル・ゲイツ、マイクロソフト社、上祐史裕、プログラム自動ダウンロードテロ、異常行動テロ
大谷光淳の一族~2ちゃんねる、仙台女児連続暴行事件犯人、2019逃亡犯条例改正案撤回デモ、Qアーミージャパン
ユダヤ人(1731)の一族~ハザール帝国、カバラ神秘主義、ホフユーデン、人体自然発火事件、クーン・ローブ商会、シオニズム運動、精神医学、モサド、ドイツキリスト教民主同盟
ユダヤ人(1908)の一族~ヒヴァ・ハン国、ガージャール朝、アドルフ・ヒトラー、ツングース大爆発、ロケット、マンハッタン計画、原子爆弾、水素爆弾、レーザー、コンピューター
第一次、第二次、第三次世界大戦の一族
タナトス一族の趣味~世界の拷問
あとがき
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ティールタンカラの一族~アーリア人、仏教、継体天皇、中臣鎌足、藤原不比等、白河天皇、鳥羽天皇、マリ帝国、ジェノヴァ共和国、ルクセンブルク公国、リヒテンシュタイン公国、モナコ公国、アシャンティ帝国

 

ナードゥ(2万年前)
ダゴン(2万年前)

 

※「最終戦争ラグナロク」を機に、放射能で汚染された北アメリカ大陸を去ったアトランティス人は、故地であるアトランティス王国に帰還した。しかし、帰還組は自分の思い通りになる国を欲したがため、一時的に隣国のティルス王国(タルタロス)に移住した。

その後、ティルス王国を離れて古代インドに入植したアトランティス人は、ガンジス流域に入り、南下して南インドに「ナードゥ」を築き、「ダゴン」を神とする邪教を始めた。ナードゥの由来はタナトスであり、ダゴンの由来はクリュテイオスとガンジスの組み合わせである。クリュテイオス+ガンジス=テイガン=ダゴンとなる。ダゴンはカナンの神とされているが、デカンの名から、デカンで生まれたと考えることができる。
ナードゥを治める王族は「ティールタンカラ」と呼ばれた。ティールタンカラの由来はティルス、タナトス、クリュテイオスの組み合わせである。ティルス+タナトス+クリュテイオス=ティルタナクリュ=ティールタンカラとなる。ティールタンカラの王族からは、ダゴンを祀る神官が輩出され、「バラモン」と呼ばれた。バラモンの由来はティールタンカラのひとりヴァルダマーナである。ヴァルダマーナ=ヴァルマーナ=バラモンとなる。この時に「カースト制度」が生まれた。

 

ティールタンカラ(2万年前)

バラモン(2万年前)

悪魔ナムチ/大己貴神(2万年前)

 

※ナードゥを治めた伝説的な首長は「24人のティールタンカラ」と呼ばれた。この24人のティールタンカラには、リシャパ、アジタ、シャンバヴァ、アビナンダナ、スマティ、パドマプラバ、スパールシュヴァ、チャンドラプラバ、スヴィディ、シータラ、シュレーヤーンサ、ヴァースプージャ、ヴィマラ、アナンタ、ダルマ、シャーンティ、クントゥ、アラ、マッリ、スヴラタ、ナミ、ネーミ、パールシュヴァ、ヴァルダマーナがいる。因みに、リシャパの名はリッチャヴィの由来である。

一方、ヌミディアに移住したティールタンカラは、24のティールタンカラに属するナミ、或いはネーミに因んで「悪魔ナムチ(大己貴神)」を生んだ。ナムチとヌミディアの名の由来はナミ、或いはネーミとクリュテイオスの組み合わせである。ナミ+クリュテイオス=ナミテイオ=ヌミディア=ヌミディ=ナムチとなる。

 

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アーリア人(BC32世紀)

バーラタ族(BC32世紀)

トリツ族(BC32世紀)

クル族(BC32世紀)

パルシュ族(BC32世紀)

 

※北欧に移住したティールタンカラは、バルト海を中心にアーリア人、バーラタ族、トリツ族、クル族、パルシュ族を生んだ。彼らの名は、みな24のティールタンカラの名に由来している。アーリア人は「アラ」、バーラタ族は「ヴァルダマーナ」、トリツ族はティルス(ティールタンカラ)、クル族はクリュテイオス(ティールタンカラ)、パルシュ族は「パールシュヴァ」に由来している。

一方、アヌ族、ドルヒユ族、パニ族、バラーナ族、プール族、ブリグ族はインドに暮らし、インドに侵攻してきたバーラタ族と戦った。パルシュ族、クル族はダーサ族と共にインドのアーリア人に加わったが、目的はスパイだった。

 

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レレックス(?~?) 初代スパルタ王 在位BC1600頃

マイルス(?~?) 第2代スパルタ王 在位BC1575頃

ユーロタス(?~?) 第3代スパルタ王 在位BC1550頃

 

※スパルタ人はドーリス人(トリツ族)から生まれた。この頃のスパルタはギリシアではなく、クル王国と同じように古代ヨーロッパに存在したと考えられる。スパルタの名の由来は24のティールタンカラに属するスヴラタである。

 

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スダス(?~?) クル王国初代王 在位BC14世紀

 

プラティーパ(?~?) クル王 在位詳細不明

シャンタヌ(?~?) クル王 在位詳細不明

 

ジャナメジャヤ(?~?) クル王 在位BC950頃

ユーリステネス(?~?) 初代スパルタ王 在位BC930頃

 

※一時期、スパルタ王はクル王国の王位を継承していたが、マハーバーラタ戦争以後、ジャナメジャヤ王の時にスパルタ人のギリシア時代が始まったと考えられる。

 

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ウパリチャラ・ヴァス(?~?) チェーディ王 在位BC11世紀

シシュパーラ(?~?) チェーディ王

ドリシュタケートゥ(?~?) チェーディ王

サラバ(?~?) チェーディ王

 

※チェーディの由来は24のティールタンカラに属するスヴィティである。スヴィティ=チウィーティ=チェーディとなる。サラバ王は、マハーバーラタ戦争の英雄アルジュナに殺害されている。

 

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シッダールタ(BC10世紀以降) スッドーダナの子
アーナンダ(BC10世紀以降) ドロノダーナの子※画像なし

 

※「マハーバーラタ戦争」「十王戦争」のあと、アーリア人はカピラバストゥ王国(カブール~ハルシュタット)に移ってシッダールタ、アーナンダを生んだ。シッダールタとアーナンダの名の由来は、24のティールタンカラに属するシータラとアナンタである。シータラ=シータラータ=シッダールタとなり、アナンタ=アーナンタ=アーナンダとなる。

ブッダは古代ヨーロッパで生まれたことになる。浄土真宗はその事実を知っていたため、フランスの漢字表記に「仏」を使用した。シッダールタの名残りはシトーの名に、アーナンダの名残りはナントの名に残されている。ブッダが仏教を布教した地域は「ケルト」「ガリア」と呼ばれた。いずれもクリュテイオスに由来している。クリュテイオス=クリュテ=ケルトとなり、クリュテイオス=クリユ=ガリアとなる。

 

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ヴァッジ王国(BC10世紀以降)※歴代王の系譜は不明

 

※ヴァッジ王国はリッチャヴィ族、ヴァッジ族が築き、ガナ・サンガ国と呼ばれた。リッチャヴィの由来は24のティールタンカラに属するリシャパである。古代ヨーロッパに存在したと考えられる。

 

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シューラセーナ王国(BC10世紀以降)※歴代王の系譜は不明

 

※シューラセーナの由来は24のティールタンカラに属するシュレーサーンサである。シュレーサーンサ=シュレーサーナ=シューラセーナとなる。シューラセーナ王国はその名からセーヌ川流域に存在したと考えられる。

 

粛慎(BC4世紀)

 

ジルシン(BC4世紀)

 

※BC4世紀にシューラセーナ王国がナンダ朝によって滅ぶと、シューラセーナ人は最初に満州に渡り、「粛慎(スーシェン)」を生んだ。その後に太平洋を横断してユタ間半島を横切り、北アメリカ大陸を北上してグリーンランド、アイスランドを経てブリテン島北部に入植した。ピクト人の部族に参加した彼らは「ジルシン」を称した。

その後、ジルシンはピクトランドを離れてイランに入植し、「サーサーン朝」を創始する。粛慎(スーシェン)、ジルシン、サーサーンの由来はすべてシューラセーナである。シューラセーナ=シューセーナ=スーシェン=サーサーンとなり、シューラセーナ=シュルセナ=ジルシンとなる。

 

アルダシール1世(?~241) サーサーン朝初代王

ヤズデギルド3世(?~651) サーサーン朝第31代王 在位632~651※最後の王

 

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カラノス(?~?) マケドニア王国初代王 在位BC808~778

 

※「マハーバーラタ戦争」の後、ヴァイシュラヴァナとティールタンカラの子孫がマケドニア王国を築いた。カラノスの名の由来はクロノスである。そして、マケドニアの由来はアプリマックとティールタンカラの組み合わせである。アプリマック+ティールタンカラ=マックダン=マクダナ=マケドニアとなる。インドのマガダ王国とは、実のところ、マケドニア王国のことである。

 

コイノス(BC8世紀) マケドニア王国第2代王

天児屋命(?~?)

 

※「あめのこやね」のコヤネは、明らかにコイノスの名に因んでいる。神話は正しい。なぜなら、マケドニア王の血筋から中臣氏が誕生するからだ。神話では天児屋命が中臣氏の祖神とされている。

 

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テレス1世(?~BC430) オドリュサイ朝トラキア初代王 在位BC480~BC430

テレス4世(?~BC149) オドリュサイ朝トラキア第40代王 在位BC149※最後の王

 

コティス1世(?~BC87) アステア朝トラキア初代王 在位BC100~BC87

ピトドリス2世(?~46) アステア朝トラキア第17代王 在位38~46※最後の王

 

※ティールタンカラの一族は、アブラハムの一族と共にマケドニア王国を築いたが、すぐに離脱し、代わりにトラキア王国を築いた。トラキアの由来はトリツである。トリツ=ドリス=THRACE=トラキアとなる。トラキアがローマ属僚となると、トラキア人はインドシナ半島に落ち延びた。

 

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区連(?~192) 第1王朝初代チャンパ王

 

范文(?~349) 第2王朝初代チャンパ王 在位336~349
ヴリシャ・デーヴァ(4世紀) リッチャヴィ朝ネパール王国初代王

 

※トラキアがローマ属領になるとトラキア人はインドシナ半島に入植した。彼らはそこにチャンパ王国を築く。チャンパの由来は24のティールタンカラに属するシャンパヴァである。その後、范文がネパールに進出してリッチャヴィ朝を開いている。

 

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范諸農(?~498) 第3王朝第5代チャンパ王 在位492~498

ビシヌス(?~500) チューリンゲン王 在位450~500

 

※チャンパ王范諸農ははるばるドイツに進出し、チューリンゲン族を儲けている。チューリンゲンの由来はトラキアンである。トラキアン=トーランキアン=チューリンゲンとなる。

 

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バデリヒ(?~530) チューリンゲン王 在位500~530※画像なし

バルデシャール(?~530) チューリンゲン王 在位500~530※画像なし

ヘルミナフリード(?~531) チューリンゲン王 在位500~531※画像なし

ユスティヌス1世(450~527) ユスティアヌス朝ビザンツ帝国初代皇帝※画像なし

継体天皇(450~531) 第26代天皇

 

ユスティアヌス1世(483~565) ユスティアヌス朝ビザンツ帝国第2代皇帝※画像なし

武烈天皇(489~507) 第25代天皇

マナ・デーヴァ1世(?~505) リッチャヴィ朝ネパール王 在位464~505※画像なし

キールティヴァルマン1世(?~566) 前期チャールキヤ朝初代王 在位543~566※画像なし

 

※チャールキヤの由来はトラキアである。トラキア=チョーラキア=チャールキヤとなる。

 

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欽明天皇(509~571) 第29代天皇※継体天皇の子

 

敏達天皇(538~585) 第30代天皇※欽明天皇の子

 

押坂彦人大兄皇子(555~592) 敏達天皇の子
中臣可多能コ(6世紀)

プラケーシン1世(?~597) 前期チャールキヤ朝第2代王 在位566~597

 

舒明天皇(593~641) 第34代天皇※押坂彦人大兄皇子の子

中臣御食子(?~?) 中臣可多能コの子※画像なし

プラケーシン2世(?~642) 前期チャールキヤ朝第4代王 在位609~642※画像なし

ヴィシュヌヴァルダナ1世(?~?) 東チャールキヤ朝初代王 在位624~641※画像なし

アンシュ・ヴァルマー(595~621) リッチャヴィ朝ネパール王※画像なし

ハルシャ・ヴァルダナ(590~647) ヴァルダナ朝初代王 在位606~647※画像なし

ソンツェン・ガンポ(?~649) 吐藩王朝第2代王 在位630~649※画像なし

 

古人大兄皇子(?~645) 舒明天皇の子※画像なし

中臣鎌足(614~669) 

蘇我入鹿(611~645)※画像なし

アラナシュ(?~648) ヴァルダナ朝第2代王 在位647~648※画像なし

グンソングンツェン(?~643) 吐藩王朝第3代王 在位638~643※画像なし

 

※生没年を見ると中臣鎌足が蘇我入鹿を演じ、北インドやチベットをも統治していたようだ。更に、鎌足の時代から藤原を名乗り始めた。藤原の由来は24のティールタンカラに属するヴァースプージャとヴァルダマーナの組み合わせである。ヴァースプージャ+ヴァルダマーナ=ヴァースヴァル=バスバル=バズハラ=藤原となる。

 

天智天皇/中大兄皇子(626~672) 第38代天皇※舒明天皇の子

中臣久多(?~?)※画像なし

ナレーンドラ・デーヴァ(?~?) リッチャヴィ朝ネパール王 在位643~679※画像なし

 

※中臣の名の由来はナーガと臣の組み合わせである。歴史上はじめて公式な記録に登場したのが中臣可多能コである。中臣可多能コからは、中臣御食子、中臣国子、中臣糟手子が誕生している。その後、大伴咋女が中臣御食子に接近して中臣鎌足、中臣久多、中臣垂目を誕生させている。中でも中臣鎌足は車持与志古娘と結婚して「藤原氏」の祖である藤原不比等を誕生させている。しかし、藤原氏は基本的に中臣氏ではなく、車持氏(車師国)の系統である。

 

藤原不比等(659~720)

太安万侶(?~723) 古事記編纂※画像なし

大生部多(?~?) 常世神教祖※画像なし

大伴安麻呂(?~714)※画像なし

草壁皇子(662~689) 元正天皇、文武天皇父※画像なし

大伴旅人(665~731)※画像なし

 

※不比等を頭(かしら)に、不比等の子息たちが遠江国で詐欺カルト「常世神」を運営していたようだ。だが、彼らは英雄秦河勝に皆殺しにされると、天然痘で死んだことにして満州に逃げた。

 

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藤原不比等(大伴安麻呂、草壁皇子、大伴旅人)の子

 

藤原武智麻呂(680~737)

元正天皇(680~748) 第44代天皇※画像なし

 

※元正天皇は結婚経験は無く、独身で即位した初めての女性天皇である。当然だ。彼女の正体は男であり、藤原不比等の息子藤原武智麻呂だったのだから。

 

藤原房前(681~737)

文武天皇(683~707) 第42代天皇

 

藤原宇合(694~737)

 

藤原麻呂(695~737)

大伴古慈斐(695~777) 藤原不比等娘殿刀自の夫※画像なし

 

光明皇后(701~760) 聖武天皇皇后

聖武天皇(701~756) 第45代天皇

 

※満州ではウェジ、ワルカ、ゴルカの部族を興し、「野人女直」と呼ばれた。ウェジとワルカの由来はフジワラキ(藤原の人)である。ゴルカは、ワラカがハ行がカ行を兼ねる法則で生まれた。 

 

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 スウェード人(9世紀)

 

※アラナシュ(中臣鎌足)が、ソンツェン・ガンポ(中臣御食子)とナレーンドラ・デーヴァ(中臣久多)に連行されると、アラナシュと残党はインドを離れて黒海に逃れ、スウェード人となった。スウェードの由来は24のティールタンカラに属するスヴィティである。スヴィティ=スヴィーティ=スウェードとなる。スウェード人の神官は、「神に勇者を捧げなければならない」として、民衆に命じて勇者を惨殺していた。第三者の目から見て、これは虐殺ではなく、神の御心を汲んだ尊い行為だった。

 

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天智天皇の子

 

志貴皇子(?~716)

アナスタシオス2世(?~719) ヘラクレイオス朝ビザンツ帝国皇帝

 

光仁天皇(709~782) 第49代天皇※志貴皇子の子

 

桓武天皇(737~806) 第50代天皇※光仁天皇の子

 

平城天皇(774~824) 第51代天皇※桓武天皇の子

コンスタンティノス6世(771~797) イサウリア朝ビザンツ帝国皇帝

ドンゴ(8世紀)
建州女直(8世紀)

 

※中臣氏は、善棟王と共にモンゴルに向かった。善棟王はモンゴルに入植して「オイラート」を生んだが、中臣氏は満州に根付いた。彼らは、女真族と混合して「ドンゴ」を生んだ。ドンゴの名の由来はタネコ(種子)である。タネコ=タンコ=ドンゴとなる。その後、ドンゴは女真族を簒奪し、「建州女直」を結成した。

更に、「スクスフ」「ワンギヤ」「フネヘ」の部族を生み、建州女直に加えた。スクスフの名の由来はスチュクスであり、ワンギヤの名の由来はオケアーノスであり、フネヘの名の由来はペーネイオスである。スチュクス=スクスフとなり、オケアーノス=オンギャーノス=ワンギヤとなり、ペーネイオス=ヘネイヘ=フネヘとなる。マケドニア人の子孫であるドンゴは、ギリシア神話に因んでこれらを命名したことがわかる。

 

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阿保親王(792~846)※平城天皇の子

モイミール1世(795~846) モラヴィア王国初代王 在位830~846 ※画像なし

 

人康親王(831~872)※仁明天皇の子

ロスチスラフ(?~870) モラヴィア王国第2代王 在位846~870

 

国康親王(?~894)※仁明天皇の子

スヴァトプルク1世(830~894) モラヴィア王国第3代王 在位871~894

 

本康親王(?~902)※仁明天皇の子

モイミール2世(?~907) モラヴィア王国第4代王 在位894~907

 

※モラヴィア王国はヴァイキング登場前夜に突如として出現した大国であるが、この国は、平城天皇の氏族、仁明天皇の子息が築いたものである。モラヴィアの由来は24のティールタンカラに属するヴィマラを反対にしたものである。ヴィマラ=マラヴィ=モラヴィアとなる。

 

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陽成天皇(869~949) 第57代天皇※桓武天皇の玄孫の子
ラグー・デーヴァ デーヴァ朝ネパール王国初代王 在位879~?

 

※陽成天皇はネパールに進出し、初代王ラグー・デーヴァとしてAD879年に「デーヴァ朝」を開いた。デーヴァ家の名は善神デーヴァの名に由来していない。

 

村上天皇(926~967) 第62代天皇

ジークフリート(922~998) 初代ルクセンブルク伯

 

円融天皇(959~991) 第64代天皇

グナカマ・デーヴァ(?~?) デーヴァ朝ネパール王 在位949~994

ハインリヒ5世(960~1026) バイエルン公

 

※円融天皇はネパール王とバイエルン公を演じた。バイエルン公の時代、彼は「ルクセンブルク公」を儲ける。

 

花山天皇(968~1008) 第65代天皇

藤原道長(966~1028)

 

※歴史では藤原道長が娘を天皇にと継がせることで天皇家を掌握したとあるが、そもそも、道長自身が花山天皇そのひとだった。藤原氏が謳歌した平安時代は、タナトスの一族が謳歌した世の中であった。

 

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一条天皇(980~1011) 第66代天皇

 

※前期チャールキヤ朝が滅ぶと、一部マハーデーヴィー妃の残党は日本に移住し、日本を統べるべく皇族に接近した。AD980年、チャールキヤの残党から懐仁が誕生した。彼が「条」が付く最初の天皇だが、条の由来はチャールキヤである。チャールキヤ=チャー=条となる。一条から六条まで番号が付いているが、これは日本に上陸した順番だと考えられる。最初に日本に上陸したのが「一条天皇」の支族だった。

 

後朱雀天皇(1009~1045) 第69代天皇

ラクスミカーヴァ・デーヴァ デーヴァ朝ネパール王 在位1024~1040

 

※AD1024年、ラクスミカーヴァ・デーヴァが、聖なる少女を崇拝する「クマリ崇拝」を確立した。しかし、タナトスが携わった宗教が全てそうであるように、これも単なるイカサマである。ひとりの少女を長期間、世間から隔離するため、現在では幼児虐待としてネパール政府に否定されている。

 

シヴァデーヴァ3世(?~?) デーヴァ朝ネパール王 在位1099~1126 ※画像なし
白河天皇(1053~1129) 第72代天皇

 

※シヴァデーヴァ3世は、日本に移住して「白河天皇」を称するが、白河の名の由来はチャールキヤである。チャールキヤ=シャールキア=シャラキア=白河となる。

 

マナ・デーヴァ(?~?) タクリ朝ネパール王 在位?~?※画像なし
鳥羽天皇(1103~1156) 第74代天皇

 

※タクリ朝のネパール王マナ・デーヴァが日本に移住し、鳥羽天皇となる。鳥羽天皇の御名は「宗仁」であるが、これはマナに由来している。マナの人=マナヒト=ムネヒトとなる。そして、鳥羽(とば)の名の由来はデーヴァである。

 


後白河天皇(1125~1192) 第77代天皇
ビッラマ5世(?~1192) ヤーダヴァ朝初代王※画像なし

 

※後白河天皇は後期チャールキヤ朝に侵入し、「ヤーダヴァ朝(セーヴナ朝)」を開いた。

 

土御門貞通(1188~1247) 土御門家祖
後鳥羽天皇(1180~1239) 第82代天皇

シンガナ2世(?~1247) ヤーダヴァ朝第3代王※画像なし

ヴァルラム(1180~1226) リンブルフ公※画像なし

 

※インド洋の商業航路を経て日本に辿り着いたツチ族は、土御門貞通に変身して「土御門家」を築いた。土御門の由来はツチ族の帝王である。その後、土御門貞通は「後鳥羽天皇」を演じた。後鳥羽の名の由来は、鳥羽天皇と同様にデーヴァである。

 

土御門天皇(1195~1231) 第83代天皇※後鳥羽天皇の子

 

尊助法親王(1217~1291) 天台座主※土御門天皇の子

ハインリヒ5世(1216~1281) 初代ルクセンブルク伯

スンジャータ・ケイタ(1217~1255) マリ帝国初代王 在位1240~1255

 

※尊助法親王は土御門天皇の子であるためか、アフリカに赴き、マリ帝国を建てている。マリの由来は24のティールタンカラに属するマッリである。

 

ハインリヒ7世(1275~1313) ルクセンブルク朝初代神聖ローマ皇帝※ハインリヒ5世の孫

フランソワ・グリマルディ(?~1309) 初代モナコ領主※画像なし

 

オットカール(1318~1320) ※ハインリヒ7世の孫

土御門通房(1320?~?)

ンダヒロ1世(?~?) ルワンダ王国第1王朝初代王 在位1350~1386

 

※通房の時代から土御門家はアフリカに帰還し、ルワンダ王国の王として君臨していた。

 

カール4世(1316~1378) ルクセンブルク朝第2代神聖ローマ皇帝 在位1346~1378

シモン・ボッカネグラ(?~1363) ジェノヴァ共和国初代ドージェ 在位1339~44、56~63※画像なし

茶和布底(?~1360) 第13王朝第2代チャンパ王 在位1340~1360※画像なし

 

ジギスムント(1368~1437) ルクセンブルク朝第5代神聖ローマ皇帝※ハインリヒ7世の曾孫

サメンベ(?~1434) ルワンダ王国第1王朝第3代王 在位1410~1434※画像なし

バルトロメオ・デラ・キャプラ(1365~1433) ジェノヴァ共和国ドージェ 在位1405~1414※画像なし

 

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コラード・ダ・フォグリアノ(?~1470) ジェノヴァ共和国ドージェ 在位1468~1470

槃羅茶全(?~1471) 第15王朝第2代チャンパ王 在位?~1471

 

シイリマ1世(?~1506) ルワンダ王国第1王朝第6代王 在位1482~1506

キゲリ1世(?~1528) ルワンダ王国第2王朝初代王 在位1506~1528

ミバンブウェ1世(?~1552) ルワンダ王国第2王朝第2代王 在位1528~1552

ユヒ1世(?~1576) ルワンダ王国第2王朝第3代王 在位1552~1576

ンダヒロ2世(?~1600) ルワンダ王国第2王朝第4代王 在位1576~1600

 

ルガンズ2世(?~1624) ルワンダ王国第3王朝初代王 在位1600~1624※画像なし
カール1世(1569~1627) 初代リヒテンシュタイン公

 

※ルワンダ王ルガンズ2世はルワンダを発進してドイツに移住し、カール1世としてリヒテンシュタイン公に就任した。本願寺を拠点とする他のタナトスの一族がヨーロッパを食い荒らす中、小さいながら、自分たちの領土を確立した形だ。

 

ユヒ2世(?~1720) ルワンダ王国第3王朝第5代王 在位1696~1720

ポー・サクティライ・ダ・プティー(?~1728) 自治政権初代チャンパ王 在位1696~1728

 

※1471年からチャンパ王位が空位になるが、その間、チャンパ王室はルワンダに赴き、ルワンダ王として君臨していた。その後、ユヒ2世の時にチャンパに帰還し、ベトナム帝国内でチャンパ王位を甦らせた。

 

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後奈良天皇の子

 

覚恕法親王(1521~1574) 天台座主

ドラヴィヤ・シャハ(?~1570) 在位1559~1570

オノレ1世(1522~1581) 第18代モナコ領主 在位1523~1581

 

※覚恕法親王は38歳の時にネパールに移住し、「ゴルカ王朝」を築いた。その後もネパールと日本を往来していたが、1571年に比叡山焼き討ちが起きると、日本を脱出してネパールに逃げた。歴史では武田信玄を頼って甲斐に亡命したとされている。その後、モナコ領主座を簒奪し、オノレ1世を称してモナコ領主になった。オノレの由来は日本語「おのれ」だろう。

 

プリトビ・ナラヤン・シャハ(1722~1775) 在位1743~1768

 

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マフムード4世(?~?) マリ帝国第24代王 在位1590~1600年代

ナナ・トゥワム(?~?) アシャンティ首長 在位1570頃

 

オセイ・トゥトゥ1世(?~1717) アシャンティ帝国初代王 在位1701~1717

 

オポク・ワレ2世(1919~1999) アシャンティ帝国第15代王 在1970~1999

ジョセフ・アーサー・アンクラ(1915~1992) 第2代ガーナ大統領※画像なし

モディボ・ケイタ(1915~1977) マリ共和国初代首相、初代大統領

 

オセイ・トゥトゥ2世(1950) アシャンティ帝国第16代王 在位1999~

 

※アシャンティの由来は24のティールイタンカラに属するシャーンティである。天皇の三種の神器のように、アシャンティ王家も「黄金の机」を所有することで王であることの正統性を主張していた。

 

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ジャン(1921) ルクセンブルク大公 在位1964~2000

レオ・チンデマンス(1922~2014) ベルギー王国第58代首相 任期1974~1978
ルドルフ・プレイル(1924~1958) 異常性愛シリアルキラー(女性25人)

ルシアーノ・スタニアック(1920年代生) 異常性愛シリアルキラー(女性20人)

レーニエ3世(1923~2005) モナコ大公

 

※何かの冗談か?ジャン大公とチンデマンスの顔は全く同じだ。同一人物でしかありえない。結婚式の写真では、新婦が新郎ジャンのことを怖がっていたように見えたので、新婦は正体を知っていたのだろう。ルクセンブルク。本願寺を拠点とする他のタナトスの一族がヨーロッパを食い荒らす中、小さいながら、自分たちの領土を確立した形だ。

 

ハンス・アダム2世(1945) リヒテンシュタイン公 在位1989~

オーティス・トゥール(1946) 異常性愛シリアルキラー(女性男性200人)

レオナード・レイク(1946~1985) スナッフビデオ販売(女性・少女19人)

 

アンリ(1955) ルクセンブルク大公 在位2000~

ジョン・ダフィー (1956) 強姦殺人(女性3人)

コリン・アイルランド(1954~2012) 同性愛シリアルキラー(男性5人)

 

※両刀遣いシリアルキラー。チビのジョン・ダフィーにはのっぽの共犯者がいたというが、逮捕もされていないし、誰だか判明してもいない。たぶんアンリ大公のことだろう。

 

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アルベール2世(1958) 第21代モナコ大公 在位2005~

竹下雅敏(1959) シャンティ・プーラ主催

 

 

 


デウスの一族~ジャイナ教、河伯、サータヴァーハナ朝、フン族、アッティラ帝王、稲荷神社、九頭龍、風水、足利尊氏、後醍醐天皇、シャーマニズム、クエーカー教、住友財閥、三井財閥


デウス(2万年前)

サトレ(2万年前)

 

※「最終戦争ラグナロク」を機に、放射能で汚染された北アメリカ大陸を去ったアトランティス人は、故地であるアトランティス王国に帰還した。しかし、一部は反対側のヨーロッパに目を向けた。彼らは、北アメリカ大陸を離れて北極圏を抜けて氷河に覆われた北ヨーロッパに移住した。当時、ロンドン辺りまで氷河に覆われていたブリテン島にはディオーネーのタナトスに属する司神タナトスが棲んでいた。

彼らは「デウス」を名乗り、古代ヨーロッパに住んでいたオケアーニス大洋の娘たち、河川の娘たちを支配した。デウスの由来はクリュテイオスである。クリュテイオス=クリュデウス=デウスとなる。その後、デウスはイタリア半島にまで進出し、イタリア半島では「サトレ」を称した。サトレの由来はサトゥルヌスである。サトレはイタリアの由来でもある。サトレ=アトレ=アトレア=イタリアとなる。

 

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「ネアンデルタールが切断して焼いた骨がフランス・シャラント県で発掘される」(BC7千年)

 

「ネアンデルタールが36人の子女を食べた痕跡がドイツ・バンベルク洞窟で発掘される」(BC6千年)

 

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ダーサ族(BC32世紀)

サートヴァタ族(BC32世紀)

 

※古代ヨーロッパにティールタンカラが進出してアーリア人が生まれると、デウスはアーリア人の軍団に参加した。デウスは「ダーサ族」と呼ばれた。ダーサの由来はデウスである。

マハーバーラタ戦争「十王戦争」を機に、ヨーロッパを離れてインドに落ち延びたデウスは「サートヴァタ族」を形成した。サートヴァタの名の由来はサトゥルヌスと24のティールタンカラに属するスヴィティの組み合わせである。サトゥルヌス+スヴィティ=サトゥヴィティ=サートゥヴィティ=サートヴァタとなる

 

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トゥディヤ/足名椎神(?~?) 初代アッシリア王 在位BC2450~BC2400

アダムー(?~?) 第2代アッシリア王 在位BC2400~BC2375

 

※アッシリアの由来はダーサとアーリアの組み合わせである。ダーサ+アーリア=アーサリア=アッシリアとなる。アッシリア王アダムーは、古代オリエントと古代日本を同時に統べていた。日本の拠点は「出雲」と呼ばれた。出雲の由来はアダムーである。アダムー=アザム=出雲となる。アッシリア人は足名椎神、手名椎神、櫛名田比売命と呼ばれた。足名椎神の由来はアッシリア、タナトス、トゥディヤであり、手名椎神の由来はタナトス、トゥディヤであり、櫛名田比売命の由来は能登のペガサスである。アッシリア+タナトス+トゥディヤ=アシナトトゥディ=あしなづち=足名椎神、タナトス+トゥディヤ=タナトゥディ=てなづち=手名椎神、ペガサス+能登+姫=ガスノト姫=櫛名田比売命となる。

アッシリア人はアッシリア、中央アジア、日本でヤマタノオロチ(ティアマトの蛇)を祀り、人身御供を開催していた。優れた人間を公的に殺害し、性奴隷、或いは人肉を供給するためである。彼らはスサノオ(スーサの王?)に退治されるが、櫛名田比売命を嫁として差し出し、スサノオの遺伝子を取り入れている。

 

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イプタール・シン(?~?) アッシリア王 在位BC1662~BC1650

タン/手名椎神(?~?) 殷初代王 在位BC1675~BC1646

スッドーダナ(?~?) カピラバストゥ王

ドロノダーナ(?~?) 弟

 

ワイレン(?~?) 殷第11代王 在位不明

マハーヴィーラ(?~?) ジャイナ教教祖

 

ティグラト・ピレセル1世(?~?) アッシリア王 在位BC1115~BC1076

帝辛(?~?) 殷第30代王 在位BC1101~BC1076※最後の皇帝

 

※出雲国とアッシリア王国は同義であり、王族は古代ヨーロッパから東アジアに至るユーラシア大陸全域を支配していたと考えられる。カピラバストゥも殷もその一部である。カピラバストゥの由来はカブールとハルシュタットの組み合わせである。つまり、カピラバストゥ王国はネパールではなく、古代オーストリアからカブールにかけて存在した。殷(イン)と商(シャン)の由来はTANATOSの反対SOTANATだと考えられる。SOANA=ANA=イナ(殷)となり、SOANA=SOAN=シャン(商)となる。殷の王族は、人身御供を開催した。

スッドーダナとドロノダーナは兄弟とされているが、同一人物と考えられる。スッドーダナとドロノダーナの由来は両者とも、サトゥルヌスとタナトスの組み合わせである。サトゥルヌス+タナトス=サトゥタナ=スッドーダナとなり、サトゥルヌス+タナトス=トゥルヌタナ=ドロノダーナとなる。

マハーヴィーラはマガダで生まれたとされているが、当時のマガダはマケドニアのことを指していたため、ブッダと同じでマハーヴィーラも古代ヨーロッパに生まれたと考えられる。ジャイナの由来はTANATOS(タナトス)の反対SOTANATだと考えられる。SOTANAT=SOANA=ジャイナとなる。「マハーバーラタ戦争」と時を一にして殷も滅ぶが、ジャイナ教は中国からネパールに移り、「ナータ族」を称した。ナータの由来はジャイナ教と同じでSOTANATである。SOTANAT=NAT=ナータとなる。

 

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ガンダーラ王国(BC7世紀)

カンボージャ王国(BC7世紀)

 

エサルハドン(?~?) アッシリア王 在位BC681~BC669

テウスパ(?~BC670) キンメリア王 在位BC680~BC670

 

タグダム(?~BC640) キンメリア王 在位BC660~BC640

サンダクシャトラ(?~BC640) キンメリア王 在位BC640

 

※サートヴァタ族は「キンメリア人」とも呼ばれた。キンメリアの由来は24のティールタンカラに属するクントゥとマッリの組み合わせである。ガンダーラもキンメリアと同じ由来を持つ。クントゥ+マッリ=クンマッリ=キンメリアとなり、クントゥ+マッリ=クントゥッリ=ガンダーラとなる。

カンボージャも、24のティールタンカラに属するクントゥとヴァースプージャの組み合わせである。クントゥ+ヴァースプージャ=クンプージャ=カンボージャとなる。つまり、キンメリア人の拠点はガンダーラ王国やカンボージャ王国だった。


シャターニカ2世(?~?) ヴァツサ王 在位BC6世紀

 

※キンメリア人(ガンダーラ人、カンボージャ人)がシャターニカ2世を名乗った。シャターニカの名の由来はサタニカ(サタンの人)である。シャターニカ2世は、同じ一族であるティールタンカラが築いたヴァツサ国の王となった。

 

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ウダヤナ(?~?) ヴァツサ王 在位不明

簡子(?~?) 魏第6代王 在位不明

 

※ヴァツサ王ウダヤナは魏の王位を簒奪したと考えられる。このときから、魏の王は河伯に捧げる人身御供の儀式を主催する神官も兼ねていた。河伯の中国語読みはホーボーである。ホーボーの由来はティールタンカラのひとり「シャンパヴァ」である。シャンパヴァ=パーヴァー=ホーボーとなる。

 

襄子(?~?) 魏第7代王 在位不明

スパルタカス1世(?~BC433) スパルタ朝ボスポラス王国初代王 在位BC438~BC433

 

桓子(?~BC446) 魏第8代王 在位不明

サチュロス1世(?~BC389) スパルタ朝ボスポラス王国第2代王 在位BC433~BC389

 

文侯(?~BC396) 魏第9代王 在位BC445~BC396

セレウコス(?~BC393) スパルタ朝ボスポラス王国第3代王 在位BC433~BC393

 

武侯(BC424~BC370) 魏第10代王 在位BC395~BC370

昭王(?~BC277) 魏第13代王 在位BC296~BC277

 

安釐王(?~BC243) 魏第14代王 在位BC276~BC243 ※画像なし

パイリサデス2世(?~BC245) スパルタ朝ボスポラス王国第3代王 在位BC284~BC245※画像なし

ミトリダテス1世 (?~BC266) ポントス王国初代王 在位BC281~BC266※画像なし

アリオバルザネス(?~BC250) ポントス王国第2代王 在位BC266~BC250※画像なし

応神天皇(?~?) 第15代天皇 在位不明

仁徳天皇(?~?) 第16代天皇 在位不明

 

王假(?~BC225) 魏第16代王 在位BC227~BC225

ミトリダテス2世(?~BC220) ポントス王国第3代王 在位BC250~BC220

履中天皇(?~?) 第17代天皇 在位不明

 

※御名に足(たらし)を持つ景行天皇、成務天皇、仲哀天皇はアイルランドのハイキングだったが、応神天皇から武烈天皇までの天皇の正体はポントス王だった。応神天皇の御名「誉田別尊(ほんだわけ)」の由来はポントスである。もし応神天皇がポントス王であったなら、応神天皇はAD3世紀の人物ではなく、BC3世紀の人物となる。

 

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シムカ(?~?) サータヴァーハナ朝初代王 在位BC230~BC207

 

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サドカイ派(BC2世紀)

 

※アショーカの登場を機に、サートヴァタ族はエーゲ海に移り、「サドカイ派」を結成した。サドカイの名の由来はサトゥルヌスとアカイアの組み合わせである。サトゥルヌス+アカイア=サドカイア=サドカイとなる。その後、サドカイ派はイスラエルに進出した。

 

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ミトリダテス4世(?~BC150) ポントス王国第6代王 在位BC170~BC150

アレタス1世(?~?) ナパタエ王国初代王 在位BC169~?

 

オボダス1世(?~BC85) ナパタエ王国第3代王 在位BC96~BC85※画像なし

マリクス1世(?~BC30) ナパタエ王国第7代王 在位BC59~BC30※画像なし

崇神天皇(?~?) 第10代天皇 在位BC97~BC30

 

※魏は滅亡後にポントスに拠点を移した。ポントス王が更にナパタエ王国などを築いた。魏の王が築いた勢力はポントス、ナパタエ、マルコマンニに渡り、これらの国は邪馬台国とも倭国とも呼ばれた。邪馬台の由来はシャム(タイ)とナパタエの組み合わせである。シャム+ナパタエ=シャムタエ=邪馬台となる。倭の王として崇神天皇や垂仁天皇が生まれている。倭の由来は魏(ウェイ)である。 

 

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東明聖王(BC58~BC19) 高句麗初代王 在位BC37~BC19

 

瑠璃明王(BC38~18) 高句麗第2代王 在位BC19~18

温祚王(?~28) 百済初代王 在位BC18~28

 

※河伯は人身御供のカルトであり、若い娘を生贄として黄河の底に沈めていた。しかし、西門豹がこのカルトに属する巫女を皆殺しにした。その後、BC225年に魏が滅ぶと河伯はマヤに移り、マヤでも同じことを繰り返した。彼らは中国時代には生贄の娘を黄河に沈めていたが、マヤでは聖なる泉セノーテに沈めていた。

およそ200年後、河伯はマヤを離れて古代朝鮮半島に2つの王朝を築いた。高句麗と百済である。高句麗と百済の王は代々、日本で人身御供の神官を務めていた。高句麗(ゴグリョ)の由来はククルカンであり、百済(くだら)の由来はケツアルコアトルである。

高句麗と百済の王は、日本に「九頭龍」を祀り、現千葉県・鹿野山麓などで農民から生贄を要求する人身御供の教団を運営していた。九頭龍(くずりゅう)の読みの由来はケツァルコアトルである。ケツァルコアトル=ケツァルー=九頭龍(くずりゅう)となる。九頭龍の漢字の由来は先祖が祀っていたヤマタノオロチである。
この人身御供の種族は、古墳時代、日本武尊の古墳製作に干渉し、「古墳は王の墓であるべきだ」「王の墓を築く時は側近・奴隷を人柱として埋めるべきだ」と主張した。もちろん、日本武尊はこんなたわごとに耳は貸さない。だが、人身御供の種族は隠れて人柱を実施した。目的は、先代王の優れた側近を皆殺しにし、次世代の王の側近を自分の息がかかった者で固めるためである。

しかし、これを知った日本武尊は彼らを皆殺しにし、代わりに「埴輪」を埋めるようになった。こうして、土蜘蛛を皆殺しにした景行天皇の偉業を引き継いだ日本武尊は、日本各地で古墳製作を指揮しながら、同じく土蜘蛛の邪教詐欺集団、九頭龍の人身御供の種族を皆殺しにするようになった。
その後も、彼らは朝鮮半島から渡来し、越前国、安芸国、常陸国、紀伊国に渡って人身御供の儀式を存続し、食肉目的で日本人を惨殺し、食料として食べていた。日本人に恐れられた九頭龍は、常陸では「鹿島大明神」、紀伊では「熊野大権現」、安芸では「厳島大明神」、越前では「黒龍大明神」として祀られた。彼らは既存の神々に乗っかり、権威を悪用しているのだ。
九頭龍は国家鎮護の神として祀られたが、これは、当時の日本人が悪との戦いを放棄し、人喰い人種に絶対服従していたことを示している。古代日本では、ヤマタノオロチの昔から、優れた児童が生贄として捧げられていた。「指導者の可能性を持つ児童をすべて排除していれば俺たちに歯向かうやつは永久に出てこない。優れた者の管理は簡単だ。優れた者は少ないからな」ということだ。このように、日本人を形成する精神的な核には、自分たちを救ってくれる英雄を自ら殺し、人喰い人種に服従することで生活と安定を守る本能が定着している。

 

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オロチ族(BC1世紀)

 

※高句麗が築かれると、一部中枢はシベリアに進出し、「オロチ族」となった。オロチの由来は日本語のオロチである。彼らがシャーマニズムを始めた。シャーマニズムは人類の宗教の原型ではなく、新しい類の宗教である。シャーマンの大きな特徴は、未開の部族を対象にしていることである。

 

エクソシスト(218頃)

 

※オロチ族のシャーマンはツングースを離れて、遠く、ヨーロッパに及び、ローマ帝国に侵入した。キリスト教に習合した彼らはシャーマン文化を取り入れ、悪魔祓いなど「エクソシスト」の文化をキリスト教に取り入れた。基本的に詐欺であり、執り憑かれた者とエクソシストは役者であり、悪魔祓いの様子を見ている人々は観客である。ただ、人々は観客であるという自覚がない。

 

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垂仁天皇(?~70) 第11代天皇 在位BC29~70

アルサケス(?~?) ポントス王国第11代王 在位BC37※画像なし

ポレモン1世(?~BC8) ローマ属領時代初代ポントス王 在位BC37~BC8※画像なし

ピトドリダ(?~38) ローマ属領時代第2代ポントス王 在位BC8~38※画像なし

ポレモン2世(?~64) ローマ属領時代第3代ポントス王 在位38~64※画像なし

マロボドゥース(?~18) マルコマンニ王 在位BC9~18※画像なし

カトゥアルダ(?~20) マルコマンニ王 在位18~20※画像なし

ヴァニウス(?~50) マルコマンニ王 在位20~50※画像なし

ヴァンギオ(?~50) マルコマンニ王 在位50※画像なし

シド(?~50) マルコマンニ王 在位50※画像なし

 

※倭の王、邪馬台国の王、垂仁天皇はポントス王、マルコマンニ王も兼ねていた。

 

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地母神アティラ(66頃)

創造神ティラウ(66頃)

 

※66年、ユダヤ戦争を機にディアスポラが発生すると、サドカイ派は遠く北アメリカの地にまで足を伸ばした。ポーニー族を支配下に置いた彼らは「地母神アティラ」「創造神ティラウ」を祀って人身御供を実施した。アティラの名の由来はサトゥルヌスである。サトゥルヌス=アトゥルヌス=アトゥル=アティラとなる。ティラウの名の由来はサトゥルヌスである。サトゥルヌス=サトゥラウヌス=トゥラウ=ティラウとなる。

 

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ラベル2世(?~106) ナパタエ王国第7代王 在位71~106※最後の王

マルクス・トラヤヌス(30~100) ※ローマ皇帝トラヤヌスの父

 

ルキウス・ウェルス(130~169) ※ローマ皇帝トラヤヌスの曾孫

バロマール(?~?) マルコマンニ王 在位166~178頃

バナダスプス(?~?) ジャマタエ王 在位174頃

 

ルキウス・アウレリウス・ウェルス(159?)※ルキウス・ウェルスの子

ゴルディアヌス1世(159~238) ローマ皇帝 在位238

 

アントニア・ゴルディアナ(210~?) ローマ皇帝ゴルディアヌス2世の妹

卑弥呼(?~240頃)

 

オリブリオス(430~472) 西ローマ皇帝 在位472

ベンガ(?~?) ジャマタエ王 在位470~471

ブバイ(?~?) ジャマタエ王 在位470~471

 

※邪馬台国の首都は現タイに築かれたと考えられる。邪馬台の由来はシャムとナパタエの組み合わせである。つまり、邪馬台国はヨーロッパ、シナイ半島、黒海、タイ(シャム)に勢力圏を持ち、倭、タイ(シャム)、ナパタエ、ポントスなど複数の名を持つ国際的な連邦国家だった。

邪馬台国の女王卑弥呼の正体はローマ皇帝の妹アントニア・ゴルディアナだった。ゴルディアヌス1世から3世にかけて、ローマ皇帝は「サトゥルヌス密儀」を指揮していた。サトゥルヌス神殿は、政治的にも極めて重要な神殿としてローマの七丘のひとつカピトリヌス丘の麓に築かれた。神殿には、ローマの国庫が設置され、法文や元老院決議が保管されるなどされていたが、サトゥルヌス密儀の集団が、どれほどローマに対して大きく、深い影響力を誇っていたかが理解できる。

 

イクリンガス(?~?) マーシア王国初代王 在位527頃

 

ベールトウルフ(?~852) マーシア王国第31代王 在位840~852

アルモス(?~850) 初代マジャール王 在位820~850

 

ゲーザ(?~997) 第6代マジャール王 在位973~997

 

※ジャマタエ族はイングランドに移り、マーシア王国を建てた。マーシアの由来はシャム(タイ)の由来シャマシュである。シャマシュ=シャマーシュ=マーシアとなる。その後、ベールトウルフ王がイングランドを離れてパンノニアに移住している。この時にマジャール人が生まれた。マジャールの由来はマーシアとマクリアの組み合わせである。

マーシア+マクリア=マーシアリア=マーシャラ=マジャールとなる。

マーシア王と共にマジャール人を儲けたマクリア王国(安閑天皇の一族)、初代ハンガリー王イシュトヴァーン1世を生んだアールパード家を築いたアルワ王国(ハルハ部)、ノバティア王国(北狄)は、ヌビアに移住したモンゴル人である。

 

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義慈王(599~660) 百済第31代王 在位641~660※最後の王

 

宝蔵王(?~682) 高句麗第28代王※最後の王

 

稲荷神社(356頃)

田中大神(356頃)
佐田彦大神(356頃)
四大神(356頃)

大宮能売大神(356頃)

 

※新羅が興り、三国時代が始まると、マヤ人は中枢を日本に拠点を移した。彼らは、「田中大神」「佐田彦大神」「四大神」「大宮能売大神」を儲け、稲荷神社を築いた。稲荷(いなり)の由来は朝鮮語の神(ハヌル)であり、漢字表記「稲」と「荷」の由来はパンノニアである。

田中、佐田彦の名の由来はサタンの人(サタニキ)であり、四の名の由来は死(タナトス)である。サタニキ=タニキ=田中となり、サタンの人=佐田+彦=佐田彦となる。能売(のめ)の名の由来はヌミディアである。田中、佐田の名の由来はサタンだけではなく、マケドニア人(マケドニキ)=田中、アサド=佐田などがある。  

 

唯一神アラー(5世紀)

 

※マヤ人は、インド洋の通商航路を経て日本からアラビア半島にまで辿り着いた。彼らはアラビアの地で人身御供を始めた。優れた人間を公的に殺害し、性奴隷、或いは人肉を供給するためである。朝鮮語をしゃべる彼らはアラビア人に対し、「俺たちに生贄をよこせ、さもなくば死だ。わかったか(アラ)?」と語りかけた。するとアラビア人は「わかりました(アラー)」と応えた。これが唯一神アラーの誕生である。「アラ」とは朝鮮語で「了解」を意味する。

 

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ガウタミープトラ・シャータカルニ(?~?) サータヴァーハナ朝第22代王 在位106~130

 

ヤジャニヤ・シュリー・シャータカルニ(?~?) サータヴァーハナ朝最後の王 在位170~199

 

※サドカイ派は、故地であるインドに「サータヴァーハナ朝」を開いた。サータヴァーハナの名の由来はサートヴァタとヴァナラシの組み合わせである。サートヴァタ+ヴァナラシ=サートヴァヴァナ=サータヴァーハナとなる。サータヴァーハナ朝は、アーンドラ朝とも呼ばれた。70年にエルサレム神殿の破壊が起きると、サドカイ派はイスラエルを離れてインドに帰還し、サータヴァーハナ朝の支配に専念した。

 

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フン族(3世紀)

 

※3世紀にサータヴァーハナ朝(アーンドラ朝)が滅ぶと、一部はゲルマニアに移ってヴァンダル族となる。一部は「フン族」を生んだ。インド人の顔をしたフン族には匈奴の残党も含まれていた。フンの名の由来はサータヴァーハナのハナである。

パンノニアはフン族が命名したが、由来はフンとゲルマニアの組み合わせである。フン+ゲルマニア=フンニア=フンヌニア=パンノニアとなる。フン族は、タナトスの首領ドナート、ルアなどの悪党に率いられ、残忍な騎馬民族として恐れられた。

 

ガイセリック(389~477) 初代ヴァンダル王 在位428~477

ゲリメル(480~553) ヴァンダル最後の王 在位530~534


カーブ・イブン・アル=アシュラーフ(?~624) バヌー・ナディール首長

 

※ヴァンダル王国が滅ぶと、ゲリメルの残党はメディ-ナに移住した。彼らは「バヌー・ナディール族」を称した。バヌー・ナディールの名の由来はフンとナードゥ、ドラヴィダの組み合わせである。フン+ナードゥ+ドラヴィダ=ブン・ナードゥラ=バヌー・ナディールとなる。

 

アフマド・イブン・トゥールーン(835~884) トゥールーン朝初代アミール 在位868~884

シャイバーン・イブン・アフマド・イブン・トゥールーン(?~?) トゥールーン朝アミール 在位904~905※最後の王

 

※バヌー・ナディール族はエジプトに「トゥールーン朝」を開いた。

 

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アッティラ(406~453) フン族の王

マルキアヌス(396~457) テオドシウス朝第4代ビザンツ帝国皇帝※画像なし

 

※330年後、ポーニー族の土地に「アッティラ」が生まれると、彼らはヨーロッパに帰還した。アッティラの名の由来は地母神アティラである。ドナート、ルアなどの偉大な悪党の衣鉢を継いだアッティラは、フン族を指揮し、パンノニアに「アッティラの帝国」を打ち建てた。

アッチラの死によってアッチラの帝国が崩壊すると、一部フン族はシベリアに移住し「ナナイ族」を生んだ。ナナイの名の由来はパンノニアである。パンノニア=パンナナイ=ナナイとなる。

 

エラク(?~454) ※アッティラの子

シェンギラ(430~480) エフタル初代王 在位430~461

 

トラマーナ(?~?) エフタル王 在位515~528

ユクノーム・チェン1世(?~?) カラクムル王 在位500頃

 

ミヒラクラ(?~542) エフタル最後の王 在位528~542

トゥーン・カーブ・ヒックス(?~?) カラクムル王 在位520~546

東漢磐井(?~?)

 

空を見る者(?~?) カラクムル王 在位561~572

ヤックス・ヨパート(?~?) カラクムル王 在位572~579

巻き蛇(?~?) カラクムル王 在位579~611

東漢駒(?~592) 坂上氏家祖※東漢磐井の子

 

タホーム・ウカッブ・カック(?~?) カラクムル王 在位622~630

ユクノーム・チェン2世(?~?) カラクムル王 在位636~686

ユクノーム・イチャーク・カック(?~?) カラクムル王 在位686~695

ユクノーム・トーク・カウィール(?~?) カラクムル王 在位702~731

 

偉大なる蛇(?~?) カラクムル王 在位751頃

坂上犬養(682~765)

一行(683~727) 風水師

 

※坂上犬養は張氏に接近して自身の血統を打ち立てた。この時に誕生したのが「一行(張遂)」である。一行は、風水師として唐の玄宗皇帝と関係を持った。ただ、一行が玄宗皇帝に重用されたのに対し、邱延翰は危険視され、迫害された。風水は、タナトス一族の経済活動促進、需要開拓のためのウソに過ぎない。

 

ボロン・カウィール2世(?~?) カラクムル王 在位771~789※画像なし

坂上苅田麻呂(727~786)

能登内親王(733~781) 光仁天皇の子※画像なし

 

※757年頃、カラクムル王ボロン・カウィール2世(坂上苅田麻呂)が九頭龍崇拝を復活させた。彼らは、箱根山に進出して芦ノ湖に拠点を得た。彼らは、箱根の村人に毎年若い娘を選んで芦ノ湖に棲む毒龍に捧げることを強制していた。村人が皆殺しになるよりは犠牲者が一人で済むなら仕方が無い、と村人は嫌がる娘を九頭龍に捧げていた。この時、見かねた修行僧「万巻」が村人を救っている。万巻の正体は、修験者(天狗)と考えられる。
万巻は、危険な人喰い人種たちを湖底の杉に縛り付けて皆殺しにしたようである。これを機に、マヤに君臨していたカラクムル王国は壊滅した。九頭龍の残党は日本各地に散り、諏訪国、甲斐国、現東京都・檜原村、葛城山系、肥前国、阿蘇山、摂津国、近江国などに居住した。

 

弥努摩内親王(?~810) 光仁天皇の子※画像なし

坂上田村麻呂(758~811) 征夷大将軍※坂上苅田麻呂の子

藤原内麻呂(756~812)

 

坂上広野(787~828) ※坂上田村麻呂の子

アテルイ(789~802)

 

坂上正野(?~?) ※坂上田村麻呂の子

モレ(?~?) 

 

※アッティラの子孫である坂上田村麻呂が儲けた息子2人は「アテルイ」「モレ」を称し、蝦夷を治めた。アテルイの名の由来はフン族の帝王アッティラである。アッティラ=アッテライ=アテルイとなる。モレの由来はモレクである。蝦夷を治めていたアテルイは、陸奥国に進出した紀古佐美率いる朝廷軍を巣伏の戦いで撃退したが、続く大伴弟麻呂、そして坂上田村麻呂率いる朝廷軍にたて続けて敗北した。

父であるためか、田村麻呂はアテルイの助命を嘆願したという。当時の人々であれ、現代の学者であれ、第三者には田村麻呂の真意は理解できなかっただろう。その後、アテルイは河内国で処刑されたとされているが、実際には蝦夷を脱し、太平洋を横断してマヤに落ち延びたようだ。

 

雨神チャクモール(802)
稲妻の神トラロック(802)

 

※日本人の顔をしたアテルイらは「トラロック」を祀り、マヤ人を統治した。トラロックの名の由来はアテルイとモレの組み合わせである。アテルイ+モレ(モレク)=テルレク=トラロックとなる。チャクモールの名の由来はマヤの創造神チャクとモレクの組み合わせである。チャク+モレク=チャクモレ=チャクモールとなる。

人身御供の種族である彼らは、雨乞いの儀式と称して優秀な者を選んで生贄としてチャクモールに捧げた。つまり、雨乞いの儀式の目的は、雨乞いではない。彼らがマヤで実施した雨乞いの儀式の目的は、邪魔者の速やかな排除や、人肉の入手を目的とした殺人である。

 

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藤原内麻呂の子(マヤの人身御供神官)

 

藤原真夏(774~830)

藤原冬嗣 (775~826)

藤原秋継(?~?)

藤原桜麻呂(?~?)

藤原福当麻呂(?~?)

藤原長岡(786~849)

藤原率(?~?)

藤原愛発(788~843)

藤原大津(792~854)

藤原衛(799~857)

藤原助(799~853)

藤原収(?~?)

藤原緒夏(?~?)

 

※藤原内麻呂の子孫がマヤで人身御供の神官を代々務めた。内麻呂の子孫の名が、謎に包まれたマヤの人身御供の神官たちの名前である。彼らは生贄をセノーテと呼ばれた聖なる泉に投げ込んだ。実際には優れた者の排除である。優れた者がいなければ自分たちは安泰だ。アステカ帝国では、今川氏の一族が凄惨な人身御供の儀式を取り仕切っていた。

 

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藤原冬嗣の子(マヤの人身御供神官)

 

藤原長良(802~856)

藤原良房(804~872)

藤原良方(?~?)

藤原良輔(?~?)

藤原順子(809~871)

藤原良相(813~867)

藤原良門(?~?)

藤原良仁(819~860)

藤原良世(823~900)

 

※藤原内麻呂の子孫がマヤで人身御供の神官を代々務めた。内麻呂の子孫の名が、謎に包まれたマヤの人身御供の神官たちの名前である。上の画像のように、内麻呂の子たちは、神官として男たちにボール競技に参加させ、勝利した者を生贄として捧げるという矛盾を強要した。これは強い者の排除である。強い者がいなければ自分たちは安泰なのだ。

 

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藤原良房の子(マヤの人身御供神官)

 

藤原基経(836~891)

 

※藤原内麻呂の子孫がマヤで人身御供の神官を代々務めた。内麻呂の子孫の名が、謎に包まれたマヤの人身御供の神官たちの名前である。

 

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藤原基経の子(マヤの人身御供神官)

 

藤原時平(871~909)

藤原温子(872~907)

藤原仲平(875~945)

藤原兼平(875~935)

藤原忠平(880~949)

藤原良平(?~?)

藤原穏子(885~954)

 

※藤原内麻呂の子孫がマヤで人身御供の神官を代々務めた。内麻呂の子孫の名が、謎に包まれたマヤの人身御供の神官たちの名前である。

 

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藤原時平の子

 

藤原保忠(890~936) 藤原内麻呂玄孫の子

ウバイドゥッラー(?~934) ファーティマ朝初代王 在位909~934

 

藤原経家(1018~1068) 藤原保忠の玄孫

文宗(1919~1083) 第11代高麗王 在位1046~1083

 

※藤原保忠はエジプトに赴き、初代王として「ファティマ朝」を開いている。ファティマの由来は24のティールタンカラに属するパドマプラパである。一方、保忠の玄孫になる藤原経家は高麗の王位を簒奪している。

 

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シンドク(?~?) クディリ王国初代王 在位929~947

ボゴミル(?~?) ボゴミル派教祖

 

※トゥールーン朝が滅ぶと、残党はジャワ島に移り住んでクディリ王国を築いた。クディリの由来は百済(くだら)である。初代王シンドクの時代、クディリ人は早速ブルガリアに侵入して「ボゴミール派」を築いた。

 

アリイェスワラ(?~?) クディリ王 在位1171~1174

 

※アリイェスワラ王の時代、クディリ人はジャワを出撃してフランスに侵入し、「カタリ派」を設けた。カタリの由来はクディリである。カタリ派は同じタナトスの一族に異端と呼ばれ、アルビ十字軍によって掃討された。

 

ジャヤカトワン(?~?) 最後のクディリ王 在位1292~1293
ピナモンテ・ボナコルシ(?~?) 初代マントヴァ公 在位1279~1291

 

リナルド・ボナコルシ(?~?) 第4代マントヴァ公 在位1309~1328

 

※クディリ王国が滅ぶと、クディリ王ジャヤカトワンはマントヴァに移住し「ボナコルシ家」を儲けた。ボナコルシの名の由来はバヌーとクライシュの組み合わせである。バヌー+クライシュ=バヌクラス=ボヌコルシとなる。ピナモンテ・ボナコルシは、マントヴァの僭主となり、「マントヴァ公国」を築いた。

 

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毅宗(1127~1173) 第18代高麗王 在位1146~1170 ※文宗の玄孫

度会行能(12世紀) 渡会氏の祖?

足利義康(1127~1157) 足利氏の祖

源時方(12世紀) 五辻仲兼の父

 

※足利の由来はマヤの神イシュキックであり、五辻の由来はマヤの神イシュチュルである。イシュキック=イシュキク=足利となり、イシュチュル=いつしる=五汁となるが、いつの間にか五辻となる(少々無理があるが)。

 

明宗(1131~1202) 第19代高麗王 在位1170~1197

サラーフッディーン(1137~1193) アイユーブ朝初代王 在位1169~1193

 

神宗(1144~1204) 第20代高麗王 在位1197~1204

崔忠献(1149~1219) 高麗王朝重臣※画像なし

 

康宗(1152~1213) 第22代高麗王 在位1212~1213

アーディド(1150~1171) ファーティマ朝最後の王 在位1160~1171

アリ・マッラ(?~?) マッラ朝初代ネパール王 在位1200頃

 

トゥーラーン・シャー(?~1250) アイユーブ朝第8代スルタン 在位1249~1250

アル=アシュラフ・ムーサー(1245~?) アイユーブ朝第9代スルタン 在位1250~1254※最後の王

 

ジャヤスティティ・マッラ(?~1395) マッラ朝ネパール王 在位1382~1395

住友忠重(?~?) 住友家始祖

 

※住友の名の由来は住友の名の由来はイスマイールとファティマの組み合わせである。イスマイール+ファティマ=スマティマ=住友となる。

 

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度会行継(12世紀) 度会行能の子※画像なし

五辻仲兼(12世紀) 五辻家の祖※画像なし

知訥(1158~1210) 曹渓宗教祖

 

※日本を離れたマヤ人は次に朝鮮半島に渡った。彼らは、知訥(チヌル)を生んだ。知訥は、曹渓宗(チョゲ)を開いた。曹渓(チョゲ)の名の由来はチャクモールである。チャク=チャゲ=チョゲ(曹渓)となる。仏教が弾圧された時代にも朝鮮で勢力を保持し、AD19世紀末には隆盛を喫した。

 

度会有行(13世紀)

 

度会家行(1256~1351) ※度会有行の子

足利家時(1260~1284) ※足利尊氏の祖父

 

後醍醐天皇(1288~1339) 第96代天皇※五辻忠子の子

 

足利尊氏(1305~1358) 室町幕府初代征夷大将軍

 

※マヤ人は、メキシコを後に日本に移住した。マヤ人の顔をしたトラロックは日本人と混合し「渡会」の名を生んだ。渡会の名の由来はアテルイである。アテルイ=ワテルイ=度会(わたらい)となる。又、漢字表記「渡会(どかい)」の由来はサドカイである。更に、渡会氏からは足利氏や後醍醐天皇を生む五辻家が生まれたと考えられる。
度会家行は、日本仏教界と対立し、仏より神が上位であること、外宮信仰を主張した。また、「建武の新政」後の南北朝の動乱では、信楽を制した祖を同じくする多羅尾氏と連合した。渡会氏は南朝方を支援し、南伊勢地区の軍事活動に挺身した。「後醍醐天皇」の吉野遷幸に尽力した渡会氏は、雄として南朝に対して影響力を誇ったという。

 

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寿寧宮主(?~?) 第22代高麗王康宗の娘

シャジャル・アッ=ドゥッル(?~1257) マムルーク朝初代スルタン(女性)

 

高宗(1192~1259) 第23代高麗王 在位1213~1259※第22代高麗王康宗の子

イッズッディーン・アイバク(?~1257) マムルーク朝第2代スルタン 在位1250~1257

 

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アシュラフ・イーナール(?~1460) ブルジー・マムルーク朝第14代スルタン 在位1453~60※画像なし

世祖(1417~1468) 李氏朝鮮第7代王 在位1455~1468

 

※マムルーク朝スルターンのアシュラフ・イーナールがエジプトから朝鮮に移住し、「勲旧派」を設ける。このときに朝鮮儒教にイスラム教に似た儀礼様式が導入された。

 

アシュラフ・カーイトバーイ(?~1495) ブルジー・マムルーク朝第19代スルタン 在位1468~1495

金宗直(1431~1492) 士林派教祖

懿敬世子(1438~1457) 李氏朝鮮第7代王世祖の子

 

※マムルーク朝スルターンのアシュラフカーイトバイがエジプトから朝鮮に移住し、「士林派」を設ける。士林派(サリム)の由来はイスラムと考えられる。イスラム=イサリム=サリムとなる。

 

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●シャーマニズム

 

※シャーマニズムは人類の宗教の原型ではなく、比較的新しい宗教の形である。シャーマンの特徴は、未開の部族を対象にしている点である。通常、人類は攻撃的ではない。しかし、中には攻撃的な未開部族がいる。彼らはシャーマンに操られているに過ぎない。攻撃は彼らの意思ではない。シャーマンは所有物を死守したい。そのため、シャーマンは所有物に命じて外部から来た侵入者を攻撃させるのだ。

 

タカナクプサルク(1582)
サドナ(1582)

 

※「シャーマニズムの大航海時代」を企画したオロチ族シャーマンは、アラスカ・カナダの北極圏に移住した。エスキモーの生活圏に君臨した彼らは「タカナクプサルク(サドナ)」を称した。タカナカプサルクの名の由来はダキニク(ダキニの人)とバサラク(バサラの人)の組み合わせであり、サドナの名の由来はサタンである。サタン=サタナ=サドナとなる。

 

ナート・カダウ(1582)

 

※「シャーマニズムの大航海時代」を企画したオロチ族シャーマンは、ビルマに移住した。ビルマのシャーマンは「ナート・カダウ」を称した。ナート・カダウの名の由来はタナトスと契丹(キタイ)の組み合わせである。タナトス+キタイ=ナト・キダイ=ナート・カダウとなる。

 


ノロ(1582)
ユタ(1582)

 

※「シャーマニズムの大航海時代」を企画したオロチ族シャーマンは、沖縄・奄美に移住した。沖縄・奄美のシャーマンは「ノロ」「ユタ」を称した。ノロの名の由来はヴァナラシであり、ユタの名の由来はユダヤ(サドカイ派)である。

 

精霊マーリアンマ(1582)
チョウディ(1582)

 

※「シャーマニズムの大航海時代」を企画したオロチ族シャーマンは、マーリク派の血を引く仲間と共にインドに移住した。インドのシャーマンは「チョウディ」を称し「マーリアンマ神」を祀っている。マーリアンマの名の由来はマーリキーとウンマの組み合わせであり、チョウディの名の由来はサトゥルヌスである。サトゥルヌス=チャトゥルヌス=チャアトゥ=チョウディとなる。

 

モーソン(1582)
ティアム(1582)
モータム(1582)
パーム(1582)

 

※「シャーマニズムの大航海時代」を企画したオロチ族シャーマンは、他のタナトス一族の血を引く仲間と共にタイに移住した。タイのシャーマンは「モーソン」「ティアム」「モータム」「パーム」などの名を称した。モータム、モーソンの名の由来はモートであり、ティアムの名の由来はティアマトであり、パームの名の由来はパミール(モレク)である。 

 


ドゥクン(1582)

 

※「シャーマニズムの大航海時代」を企画したオロチ族シャーマンは、海神ダゴンの血を引く仲間と共にインドネシアに移住した。インドネシアのシャーマンは「ドゥクン」を称した。ドゥクンの名の由来はダゴンである。ダゴン=ダウゴン=ドゥクンとなる。

 


アランタ族(1582)

 

※「シャーマニズムの大航海時代」を企画したオロチ族シャーマンは、海神ダゴンの血を引く仲間と共にインドネシアに移住した。その時、植民地化されたインドネシアで支配者であるオランダ人のことを知ったシャーマンは、オーストラリアに渡り「アランタ族」を儲けた。アランタの名の由来はオランダである。 

 


精霊オレンタ(1582)

 

※「シャーマニズムの大航海時代」を企画したアランタ族シャーマンは、更にオーストラリアから北アメリカを訪れてイロコイ連邦に入植し、偉大なる精霊、偉大なる神秘と呼ばれる「オレンダ」を祀った。オレンタの名の由来はアランタである。

 

住友忠右衛門(?~?) 蘇我理右衛門の子(住友財閥業祖)※画像なし

ジョージ・フォックス(1624~1691) クェーカー教教祖

 

※「シャーマニズムの大航海時代」の最終到着地点はブリテン島だった。この航海に参加していた住友忠右衛門はフォックスを名乗った。フォックスの由来は稲荷の「狐」である。ジョージ・フォックスは「クエーカー教」を築いた。クエーカーの名は、信者たちがシャーマンのように身を震わせることから第三者によって命名された。クエーカー教徒たちは、自身を「フレンズ」と呼ぶ。フレンズの由来は住友である。

 

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李鏻(1546~1592) 第14代国王宣祖の兄

李元翼(1547~1634) 李氏朝鮮重臣

三井高俊(?~?)

 

三井高利(1622~1694) 三井中興の祖

 

※1614年、李元翼が流罪になっているが、彼の正体は第14代国王宣祖の兄である。彼は、第15代国王光海君の時代に流罪に処されたが、脱出して日本に移住した。彼は三人目の李を由来に「三井」の名を生んだ。1人目が李鏻であり、2人目が李元翼であり、三人目が三井高俊である

 

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住友吉左衛門(生没年不詳)※画像なし

シャイフ・ムハンマド・ビン・サーニー(1788~1878) サーニー家初代当主、カタール初代元首※画像なし

アンドリース・プレトリウス(1798~1853) ナタール共和国初代総理大臣

 

※何代目か不明だが、住友吉左衛門がプレトリウスに化けて「ナタール共和国」を建てたと考えられる。ナタールの名の由来はナディールである。しかし、AD1842年、大英帝国に攻撃されて翌年に降伏し、英領ナタール植民地とされた。プレトリウスはシャイフ・ムハンマド・ビン・サーニーとしてカタール元首にも即位している。

 

タミーム・ビン・ハマド・アール=サーニー(1980) 第8代カタール元首

 

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ソト族(1889)

 

※「シャーマニズムの大航海時代」を企画したオロチ族シャーマンは、南アフリカに辿り着き、「ソト族」となった。ソトの由来はサトゥルヌスである。サトゥルヌス=サトゥ=ソトとなる。

 

モショエショエ1世(?~1870) 初代レソト王 在位1822~1870

 

レツィエ3世 (1963) 第8代レソト王 在位1996~現在

 

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鄭明析(1945) 摂理教祖

川勝平太(1948) 静岡県知事

 

キリスト教福音宣教会は、1999年に元信者の女性を拉致・監禁したことが明らかになり、教祖・鄭明析による女性信者への性的暴行があったことが次々判明し、海外逃亡した鄭は2007年に北京で拘束され、2009年に女性信者への強姦及び準強姦罪で懲役10年の実刑判決を受けた。 wikiより

 

※鄭明析の顔はマヤ人に似ている。マヤで凄惨な人身御供を指揮していた藤原氏の末裔と考えられる。川勝知事にも良く似ている。筆者は当初、川勝氏を信用していたが、wikiを見るとあの桜井よしこ氏を大和なでしこと呼んで褒め称えていたため、タナトスではないかと考えた。

 

友野宏(1945) 住友金属工業社長、新日鐵住金初代社長兼COO、元日本経団連副会長

丸山和也(1946) 自由民主党

 

 

 


ダーナ神族の一族~ディオニュソス、デニエン人、猿田彦、契丹、デーン人、鬼、酒呑童子、ハーバード大学、ジョージ・ワシントン大統領、アメリカ連合国、統一イタリア王国、カナダ、ニュージーランド、阿含宗

 

司神タナトス/冥府の王ハデス(2万年前)

魔犬ケルベロス(2万年前)

悪鬼ケール(2万年前)

復讐の女神エリニュス(2万年前)

 

※「最終戦争ラグナロク」が発生すると、一部ダニ族は、島の北半分が氷河の下に眠っていたブリテン島南部に移住して「司神タナトス」を称し、「魔犬ケルベロス」「悪鬼ケール」「復讐の女神エリニュス」を生んだ。司神タナトスは、先住者ハデス、プルートー、ペルセポネ、ヘカテらを配下に置き、冥府の王ハデスを名乗った。

 

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「ネアンデルタールが切断して焼いた骨がフランス・シャラント県で発掘される」(BC7千年)

 

「ネアンデルタールが36人の子女を食べた痕跡がドイツ・バンベルク洞窟で発掘される」(BC6千年)

 

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ダーナ神族(1万年前)

ディネ族(1万年前)※画像なし

 

※バベルの塔の図

 

※司神タナトスは、大地殻変動後のヨーロッパと北アメリカ大陸を支配していた。彼らはヨーロッパでは「ダーナ神族」、アメリカでは「ディネ」を称した。ディネとダーナの名の由来はディオーネーである。ディオーネー=ディオニュ=ディネとなり、ディオーネー=デオーネ=ダーナとなる。

ダーナ神族はイングランドとヨーロッパを掌握していたが、アイルランド、スコットランドには科学の種族エラド、マハラエル、トバルカインが住んでいた。比類なき科学を誇ってはいても、科学の種族も人間である。つまり、心がある。ダーナ神族は彼らの心を傷つけることを考えた。科学の種族が共存しているアイルランド人、スコットランド人を邪教の信者として確保すれば、科学の種族にイヤガラセができる。そうすれば、悪者扱いして退けたり、強い罪悪感を植えつけて科学の種族の操作も可能となる。ダーナ神族はそう考えた。

これにより、「トロイア戦争」「マー・トゥーレスの戦い」が起きた。トロイア戦争は現アイルランド北部のデリーで起き、マー・トゥーレスの戦いは現フランスのツールで起きた。科学の種族に敗北したダーナ神族は、ヨーロッパからメソポタミアに移り、現人民を支配するためにバベルの塔を建設させた。

 

ディオニュソス(BC5千年)

 

※科学の種族トバルカインの核攻撃でバベルの塔とバビロニア全域が壊滅し、荒廃すると、ダーナ神族は現サハラ砂漠(当時は深緑豊かな土地だった)に向かった。そこには科学の種族の国テーバイ王国が存在した。この時に「ディオニュソス」が生まれた。

バベルの塔時代、スーサに根城があったダーナ神族は、ディオーネーとスーサを組み合わせた。ディオーネー+スーサ=ディオネスーサ=ディオニュソスとなる。ディオニュソスはぶどうの木を盗み、テーバイ王国のぶどう栽培技術とワイン製造技術を権益化し、法整備も行った。このため、テーバイ王国はディオニュソスの許可なしにぶどうを栽培し、ワインを作ることができなくなった。

一方、ディオニュソスは邪教を作り、多くの女性信者を集めた。これは現代で言うところのフェミニズム、性差別反対であり、目的は家族の破壊である。女たちをディオニュソスに取られた男たち(幼子、息子、夫、父)は困惑した。そして、これに異議を唱えると家族の女性に殺害され、信者の集団に八つ裂きにされた。

ソドムとゴモラの時、テーバイ王国は大量の核兵器により壊滅し、サハラ砂漠と化したが、この時にディオニュソスと邪教も一時的に消滅した。しかし、生き残った残党が再度、インダス流域に移った第二テーバイ王国にも出現した。これが「ディオニュソスは二度生まれた」という説話の真意である。

テーバイ王国は古代ギリシアにはなかった。テーバイ王国とは、サハラ砂漠とインダス流域に存在した、科学の種族トバルカイン(善神デーヴァ)の国である。

 

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デニエン人(BC12世紀)

シェルデン人(BC12世紀)

 

※ディネ族はアラスカを発つと、北極圏を通過して大西洋側に出、アイスランド、アイルランドを経由して地中海に帰還した。ディネ族はイタリア半島に上陸し、「ティニア」という神を祀った。ティニアの名の由来はディネである。ディネ=ディニア=ティニアとなる。サルディーニャ島に拠点を得た彼らはデニエン人、シェルデン人を称した。デニエン人は、シェルデン人と共に悪の「海の民」として地中海を荒らした。

 

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ザントス(?~?) テーバイ第16代王 在位BC1126~1089頃

鬻熊(?~?) 初代楚王 在位1099~1050

 

成王(?~BC626) 楚王 在位BC671~BC626

プロトテュエス(BC7世紀) スキタイ王

 

武王(?~BC690) 第21代楚王 在位BC741~BC690

スパルガペイテス(BC7世紀) スキタイ王

 

共王(BC600~BC560) 第27代楚王 在位BC591~BC560

イダンテュルソス(BC6世紀) スキタイ王

 

恵王(?~BC432) 第34代楚王 在位BC489~BC432

アリアペイテス(BC5世紀) スキタイ王

 

簡王(?~BC408) 第35代楚王 在位BC431~BC408

スキュレス(BC5世紀) スキタイ王

 

※デニエン人(シェルデン人)は、ギリシアのテーバイとメッシニアに拠点を築いた。テーバイ人がスキタイ人となり、メッシニア人がマッサゲタイ人となった。スキタイの由来はアッティカとボイオーティアの組み合わせである。アッティカ+ボイオーティア=ティカティア=シカティア=スキタイとなる。そして、マッサゲタイの由来はメッシニアとスキタイの組み合わせである。メッシニア+スキタイ=メッシキタイ=マッサゲタイとなる。

また、スキタイ人は長江流域に国家を築いていた。楚(シュ)である。楚(シュ)の由来はスキタイである。スキタイ=シュキタイ=楚(しゅ)となる。楚王はスキタイ人の王を兼ねていた。歴史ではスキタイ人が喰人を行っていたとされているが、タナトス一族の血を引いているならそれも合点がいく。マッサゲタイ人も喰人を行っていたとされている。彼らは、非常な高齢に達した者を殺して煮て食べたという。

 

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猿田彦(BC945)

 

※「アメン神官団の大航海時代」の東方組に参加したシェルデン人はモレヤ族と共に日本に上陸した。モレヤ族は諏訪国に移住して現地人の混合し、「守屋氏」を称して「洩矢信仰」を興した。シェルデン人は伊勢国に赴いて「五十鈴川」を拠点に「猿田彦」を称した。シェルデン=シェルテ=猿田となり、イシス=イシズ=五十鈴となる。

 

田和(?~BC385) 田斉初代王 在位BC386~BC385

悼王(?~BC381) 第37代楚王 在位BC402~BC381

 

田横(?~BC202) 田斉第16代王 在位BC203~BC202※最後の王

懐王(?~BC206) 第48代楚王 在位BC208~BC206※最後の王

 

※猿田彦は日本から中国に渡り、田和として斉を簒奪し初代王に即位した。また、楚王悼王も演じた。田(ティエン)の由来はデニエンである。彼らは春秋戦国時代に打って出た。しかしBC284年、中国人に嫌われていた田氏は、燕・秦・趙・魏・韓の連合軍により大敗を喫する。

 

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ヴィリアトス(?~BC139) ルシタニア首長

 

※楚、田斉が滅ぶと、王族は地中海に帰還し、イベリア半島に入植した。この時にルシタニア人が生まれた。ルシタニアの由来はサテュロスとデニエンの組み合わせである。サテュロス+デニエン=ロスデニエン=ルシタニアとなる。ルシタニア戦争(BC155~BC139)でローマに対して蜂起するも、イベリア半島が属領と化すと、ルシタニア人はイベリア半島を脱出する。

 


ミシャグチ(BC139)

 

※日本に帰還したルシタニア人は守屋氏がいる諏訪国に移り、「洩矢神」「建御名方神」を簒奪して自身の神である「ミシャグチ」を祀った。ミシャグチの名の由来はマッサゲタイである。マッサゲタイ=マサゲチャイ=ミシャグチとなる。その後、諏訪氏が「中先代の乱」を起こすと、ミシャグチは諏訪国を出て日本各地に移り、「溝口氏」を称した。溝口の名の由来はミシャグチである。この系統からは映画監督溝口健二が輩出されている。

 

高階師尚(864~916) 信濃守

 

※939年の天慶の乱などの発生によって地方武士が台頭を始めると、一部ミシャグチは諏訪国を発ち、インドを目指した。日本人の顔をした彼らはヒンドゥー教・シヴァ派を学び、「シャクティ派」を形成した。シャクティの名の由来はマッサゲタイ、或いはスキタイである。

 

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カヤ・マジャ(?~?) ガーナ王国初代王 在位350頃

マジャン・ジャベ・シッセ(?~?) ガーナ王 在位790頃※最後の王

 

※イベリア半島を脱出した一部ルシタニア人はイベリア半島を南下し、西アフリカに入植した。現地人と混合したルシタニア人は「ダン族」を称した。不幸なことだが、ルシタニア人の到来と共にカニバリズムが初めてアフリカに伝えられることとなった。白人列強時代、白人の探検家や屈強な船乗りたちの間でも黒人ダン族は人喰いとして有名だった。黒人ダン族がガーナ王を代々務めた。

 

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ガーナパトヤ派(4世紀頃)

 

※一部黒人ダン族は、アフリカを出て海路の旅に出た。南アフリカを周航してインド洋を超え、アンダマン諸島に到達するとカニバリスムを伝えた。更に、インド本土に足を伸ばし、ヒンドゥー教・シヴァ派に接触した。彼らは、「ガーナパトヤ派」を形成した。ガーナパトヤの名の由来はガーナとシヴァの妻パールヴァティーの組み合わせである。ガーナ+パールヴァティー=ガーナヴァティー=ガーナパトヤとなる。 

 

求那跋陀羅(394~468)

 

※黒人ダン族は、インドを北上して西域に入った。彼らは大宛を目指した。黒人ダン族は、大宛の別称「フェルガーナ」の名を生んだ。フェルガーナの名の由来はバアルとガーナの組み合わせである。西アフリカから来た鬼は、ガーナ王国の威光を借りんとガーナの名を持ち出した。バアル+ガーナ=バアルガーナ=フェルガーナとなる。

一方、黒人ダン族は大宛に「求那氏(グーナ)」を生んだ。求那の名の由来はガーナである。大宛に集合したタナトスの末裔たちは、AD6世紀頃に仏教を用いてアジアを征服する計画を立てた。求那氏からは、求那跋摩、求那跋陀羅が出て「菩薩善戒経」「雑阿含」などを著した。求那氏は仏教経典を著しながら、インド洋に出て人間狩りを行い、人肉を食べていた。

 

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カナク族(4世紀頃)

 

※現ミンダナオ島に上陸した黒人ダン族はニューカレドニアに赴いて人食い人種として知られる「カナク族」を生んだ。カナクの由来はガーナキ(ガーナの人)である。ミンダナオの名の由来はアンダマンとダナーンの組み合わせである。アンダマン+ダナーン=マンダナーン=ミンダナオとなる。この時、アフリカ各地と同様にフィリピンにもカニバリズムが伝えられた。現在でも、カニバリスムに根ざした犯罪が時折フィリピンで発覚している。

 


サアロア族(4世紀頃)

 

※黒人ダン族はミンダナオの次に台湾に上陸した。この時にサアロア族が生まれた。サアロアの名の由来はジャラワである。ジャラワ=サアラワ=サアロアとなる。サアロア族には首狩りの風習があったという。

 


チャルーア族(4世紀頃)

 

※更に、太平洋を越えた黒人ダン族は南アメリカに上陸した。この時にチャルーア族が生まれた。チャルーアの名の由来はサアロアである。サアロア=チャロア=チャルーアとなる。チャルーア族は喰人行為を行っていた。

 

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多彌可汗(?~?) 契丹首長 在位585

フグレイク(?~?) デンマーク王 在位515

 

李失活(?~718) 契丹王 在位697~718

オンゲンダス(?~?) デンマーク王 在位710

 

悔落拽何(?~794) 契丹王 在位788~794

ジークフリート(?~790) デンマーク王 在位770~790

 

※イフェ王国の神官は「オニ」と呼ばれたが、この「オニ」の地位を持つ黒人ダン族が、ついに日本に上陸した。日本人を狩って食べていた黒人ダン族は「イフェの神官」を意味する「オニ」を自称したため、日本人に「鬼」と呼ばれた。阿用、大江山など鬼の巣として知られる地名はナイジェリアの地名「オヨ」から来ている。じつは、この日本人を食べる「鬼」の正体は契丹の王族だった。

契丹(キタイ)の由来はスキタイである。契丹の王族はモンゴルとバルト海を往来し、デンマークの王族としてデンマークを治めていた。デンマークの王族はデーン人である。デーンの由来はダンである。そして、デンマークの由来はダンとモレクの組み合わせである。ダン+モレク=ダンモレク=デンマークとなる。
山奥などに村を作って拠点としていた契丹は、里に降りて子女を誘拐し、食べたり、後継者を得るために子を生ませていた。というわけで、鬼が人間を食べたり拉致する説話が「出雲国風土記」「日本霊異記」「今昔物語」「伊勢物語」などに数多く残されている。日本各地に残る鬼の伝説から、平安時代を訪れた契丹(人喰い人種「黒人ダン族」)の生活を垣間見ることができる。鬼の子として生まれた「小綱」の話は有名だが、成人した彼は人を食べたくなったので自殺したと言われている、恐ろしきは、タナトスの血だろう。

 

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鮮質可汗(?~882) 在位860~882
ハーフダン(?~877) デンマーク王 在位871~877

 

ハーデクヌーズ1世(?~940) 在位936~940

耶律堯骨(902~947) 契丹第2代皇帝 在位927~947

 

ゴーム老王(908~958) デンマーク王 在位936~958

耶律阮(919~951) 契丹第3代皇帝 在位947~951※画像なし

 

※フランク王国の王座を狙っていたデーン人の首領ビヨルンは、ヴァイキング・ノルマン人の連合と対立していた。この時、残虐なデーン人の侵攻に困っていたシャルル2世がヴァイキングの首領ヴィーラントにデーン人退治を要請した。

ヴァイキングに敗北したデーン人はフランク王国征服を断念し、イングランドに移った。これ以降、デーン人は大陸に出没することはなくなったが、イースト・アングリアに足場を得ると、現ヨークシャーを拠点にスコットランドとの境からロンドン近辺にまで至る広大な植民地を得た。
黒人、日本人、モンゴル人の特徴を持つデーン人はイギリス人と混合し、金髪・碧眼の白人の容貌を得た。しかし、ウェセックス王国のアルフレッド大王がデーンローを侵食しながら領土を拡大すると、AD910年、デーンローはウェセックス王国に飲み込まれて消滅した。

 

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ラージャラージャ・チョーラ1世(947~1014) チョーラ朝第9代王 在位985~1014
酒呑童子(?~?)

 

※デーンローを失ったデーン人は、イングランドを後にした。彼らは故地ダナーンを目指し、紅海、インド洋を越えてベトナムを目指した。だが一部は、アフリカ大陸周航ルートとシルクロードを経由して日本に帰還した。彼らは「鬼」を復活させた。「酒呑童子」の誕生である。アフリカ周航ルートを採った人々は「酒呑童子」「茨木童子」「葛城童子」「八瀬童子」を称し、シルクロード組は「熊童子」を称した。酒呑の名の由来はサクソンとブリテンの組み合わせで、茨木の名の由来はイベリア人、葛城の名の由来はカスティーリャで、八瀬の名の由来はヘスス(イエス)、そして熊の名の由来はクマン族である。
サクソン+ブリテン=サク(酒)+テン(呑)=酒呑(しゅてん)、イベリアキ(イベリア人)=イバラキ=茨木、カスティーリャ=カツリャ=葛城、ヘスス=ハチセ=八瀬となる。つまり、酒呑の名には、ウェセックス王国のアルフレッド大王にデーンローを奪われた悔しさが込められ、残りの何は通過した土地の名を由来にしていることがわかる。

また、海路組と陸路組は連合して「星熊童子」「虎熊童子」「金熊童子」を儲けている。星熊の名の由来はアッバースとクマンの組み合わせ、虎熊の名の由来はトルコとクマンの組み合わせ、金熊の名の由来はガーナとクマンの組み合わせである。海路組が通過して印象的だった土地(アッバース朝、セルジューク・トルコ帝国、ガーナ王国)とクマンの名が組み合わせられているのがわかる。

 

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ハーラル1世(925~985) デンマーク王 在位958~985

先皇帝(924~979) 丁朝初代ベトナム皇帝 在位966~976※画像なし

耶律璟(931~969) 契丹第4代皇帝 在位951~969※画像なし

耶律賢(948~982) 契丹第5代皇帝 在位969~982※画像なし

 

ハーラル2世(989~1018) 在位1014~1018

廃帝(974~1001) 丁朝第2代ベトナム皇帝 在位979~980※画像なし

 

エーリク3世(1090~1137) デンマーク王 在位1134~1137

耶律大石(1087~1143) 西遼初代王 在位1124~1143 ※画像なし

 

スヴェン2世エストリズセン(?~1074) 在位1047~1074

ラーマーヌジャ(1017~1137) ラーマーヌジャ派教祖※画像なし

 

クヌーズ5世(1129~1157) デンマーク王 在位1146~1157

耶律夷列(?~1163) 西遼第2代王 在位1151~1163

 

※840年にウイグル王国が滅亡すると、黒人ダン族は正統なウイグル人、ナイマン人と共にモンゴルを後にし、北極海ルートを辿ってバルト海に現れた。黒人ダン族はここに「デーン人」を称した。また、ウイグル人は「ヴァイキング」を称し、ナイマン人は「ノルマン人」と呼ばれた。ヴァイキング時代の幕開けである。それぞれの名前の由来は不明とされ、全員が一緒くたにされることもあるが、実際にはヴァイキングやノルマン人は、ウソつきで非情なデーン人を忌み嫌い、別行動を取り、またあからさまに対立することがあった。
デーン人がダブリンに侵攻した際には「黒い異邦人」と呼ばれている。しかし、モンゴル人に混合しつつ、黒人ダン族の面影を残したデーン人が、ヨーロッパ人から「黒い異邦人」と呼ばれたとしてもおかしくはない。

 

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ダンカン1世(1001~1040) ダンケルド朝スコットランド王 在位1034~1040

 

アレクサンダー3世(1241~1286) ダンケルド朝スコットランド王 在位1249~1286※最後の王

 

ロバート1世(1274~1329) ブルース朝スコットランド王 在位1306~1329

ラドゥ・ネグル(1269~1310) 初代ワラキア公 在位1290~1310

 

デビッド2世(1324~1371) ブルース朝スコットランド王 在位1329~1371※最後の王

 

※奈良時代・平安時代前期に鬼として日本人を震え上がらせたデーン人は、ヴァイキング時代を挟み、再度、日本に返り咲いて鬼の世を謳歌していた。しかし、酒呑童子が渡辺綱(953~1025)に成敗されると、それを機に童子一行は日本を逃げ出して、はるばるブリテン島にまで帰還した。

時期的には1000年前後のことと考えられる。イングランドではなく、スコットランドに拠点を構えた彼らはマルカム2世の子息に接近し、マルカム2世の孫を称した。これが「ダンケルド家」の祖ダンカン1世である。ダンケルドの名の由来はデーンとカレドニアの組み合わせである。デーン+カレドニア=デンカレド=ダンケルドとなる。

 

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ラドゥ・ネグルの子

 

ダン1世(1354~1386) 初代ダネスティ家ワラキア公 在位1383~1386

ヴラド1世(?~1397) 第2代ダネスティ家ワラキア公 在位1394~1397

 

ダン2世(?~1432) 第3代ダネスティ家ワラキア公 在位1420~1431

 

モイス(?~1530) ダネスティ家ワラキア公 在位1529~1530※ダネスティ家最後の公

 

※ダネスティ家はワラキア公の座を諦めるとイングランドに渡った。彼らはダンスターを称した。ダンスターの由来はダネスティである。

 

ペーター(1547~1569) ドラクル家ワラキア公 在位1559~1568

ロバート・ブラウン(1550~1633) 会衆派教祖、ピルグリム・ファーザーズ

ジョン・グリーンウッド(1556~1593) 清教徒分離派、ピルグリム・ファーザーズ

ヘンリー・バロウ(1550~1593) 清教徒分離派、ピルグリム・ファーザーズ

 

※画像はピルグリム・ファーザーズの集い。ダネスティ家ヴラド1世の末裔ワラキア公ペーターは22歳で死んだことにしてワラキアを離れ、ブリテン島に移住した。彼は、ロバート・ブラウンとして会衆派を指揮し、影武者を動員してピルグリム・ファーザーズを演じ、信者を率いてアメリカに移住した。ピルグリム・ファーザーズはタナトスの一族なので、助けてくれたインディアンの恩を容易に仇で返した。

 

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ロバート・ブラウンの9人の内の子

 

ヘンリー・ダンスター(1609~1658) ハーバード大学初代学長

ローレンス・ワシントン(1659~1698)

 

※ヘンリー・ダンスターは、タナトス一族の子女に権威を与えるためだけにハーバードを設立したと考えられる。ハーバード設立の目的は、タナトス一族の発言力増大と影響力の拡大である。ハーバード卒という権威を得たタナトス一族の子女は、エリートとして司法、議会、マスメディア、経済界に送り込まれ、影響力を誇った。

また、ダンスターは49歳で死んだことにして潜伏し、数十年後にローレンス・ワシントンとして再登場した。ローレンスは初代大統領ワシントンの祖父である。89歳まで生きたことになる。

 

ジョン・ワシントン(1631~1677)

カルロ・エマヌエーレ2世(1634~1675) サヴォイア公

 

ヴィットーリオ・アメデーオ2世(1666~1732) 初代サルデーニャ王 在位1720~1730

 

ヴィットーリオ・アメデーオ・ディ・サヴォイア(1699~1715) ヴィットーリオ・アメデーオ2世の子

アグスティン・ワシントン(1694~1743) ローレンス・ワシントンの子※画像なし

 

ヴィットーリオ・アメデーオ3世(1726~1796) 第3代サルデーニャ王 在位1773~1796

ジョージ・ワシントン(1732~1799) アメリカ初代大統領

 

※ワシントンの正体はサルデーニャ王アメデーオ3世であり、ローレンス・ワシントン(ヘンリー・ダンスター)の孫。ワシントンはインディアン政策に関してインディアンの皆殺しを指示した。これはタナトスの一族の証拠である。第2代アメリカ大統領以後は、みなベンジャミン・フランクリンの子であり、ダヴィデの一族に属していた。

 

ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世(1759~1824) 第5代サルデーニャ王 在位1802~1821

フィリッポ・ブオナローティ(1761~1837) カルボナリ会員

 

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ジョージ・ワシントンの孫パーク・カーチスの子

 

フランクリン・ピアース(1804~1869) アメリカ第14代大統領

ジュゼッペ・マッツィーニ(1805~1872) イタリア統一の三傑

 

※ピアースは、ワシントンの孫パーク・カーチスの4人の子の内の1人と考えられる。パーク・カーチスの子は娘のメアリー・アナ以外は早世したとされているが、1人は死んだことにして潜伏し、ピアースとして登場した。片手を胸に入れているのはフリーメイソン会員のアピールである。兄弟だからか、ピアースはデイヴィスに良く似ている。

 

メアリー・アナ・カーチス・リー(1807~1873) ロバート・E・リー妻

 

ロバート・E・リー(1807~1870)  南部連合軍総司令官

ジュゼッペ・ガリバルディ(1807~1882) イタリア統一の三傑

ナポレオン3世(1808~1873) フランス第二帝政初代皇帝

 

ジェファーソン・デイヴィス(1808~1889) アメリカ連合国初代大統領

カミッロ・カヴール(1810~1861) サルデーニャ王国・イタリア王国首相、イタリア統一の三傑

 

※ロバート・E・リーもデイヴィスも、じつは死んだとされているはずのパーク・カーチスの子の可能性がある。パーク・カーチスの頭の中には祖父ワシントンの栄光の再興、そのためのアメリカ連合国創設があった。万全を帰すため、パーク・カーチスは子どもたちを死んだことにして潜伏させ、反合衆国の思想を叩き込み、育てたのだろう。

しかし、南北戦争に敗北し、アメリカ連合国が滅亡すると、ピアースたちはアメリカを諦めてサルデーニャ王国に渡り、イタリア統一の三傑に変身してイタリア王国統一を実現させている。カルボナリ会員もみな、サルデーニャ家の人々など家族で構成されていた。

 

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カルロ・アルベルト・ディ・サヴォイア(1798~1849) 第7代サルデーニャ王 在位1831~1849

アントニオ・パニッツィ(1797~1879) 大英博物館第6代館長、カルボナリ会員※画像なし

ピエトロ・マロンチェッリ(1795~1846) カルボナリ会員※画像なし

 

マリーア・テレーザ・ディ・サヴォイア(1803~1879) ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世の子※画像なし

ヘンリー・シーウェル(1807~1879) 初代ニュージーランド首相

 

マリーア・クリスティーナ・ディ・サヴォイア(1812~1836) ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世の子※画像なし

ウィリアム・フォックス(1812~1893) 第2代ニュージーランド首相

アルフレッド・ドーメット(1811~1887) 第4代ニュージーランド首相

フレデリック・ウィテカー(1812~1891) 第5代ニュージーランド首相

ダニエル・ポーレン(1813~1896) 第9代ニュージーランド首相

ジョージ・グレイ(1812~1898) 第11代ニュージーランド首相

 

※ニュージーランドの由来は「新しいシェラント(デンマーク領の島)」だと考えられる。 つまり、ニュージーランドの統治者はデーン人の子孫であることを暗に告げている。

 

ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世(1820~1878) イタリア王国初代王 在位1849~1861

ヨハネ・ボスコ(1815~1888) サレジオ会教祖

ジョン・A・マクドナルド(1815~1891) 初代カナダ首相

 

※カナダの由来はクヌード(クヌード海上帝国の王)と考えられる。つまり、カナダの統治者はデーン人の子孫であることを暗に告げている。

 

ヴィットーリオ・エマヌエーレ(1855~?) ジェノヴァ伯爵※画像なし

ロバート・ボーデン(1854~1937) 第8代カナダ首相

 

ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世(1869~1947) イタリア王国第3代王

リチャード・ベッドフォード・ベネット(1870~1947) 第15代カナダ首相

ウィリアム・ライアン・マッケンジー・キング(1874~1950) 第12、14、16代カナダ首相

 

ジョルジョ・カルヴィ・ディ・ベルゴーロ(1925) ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世の孫※画像なし

桐山靖雄(1921~2016) 阿含宗管長

 

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ライオネル・ゲンドロン(1943) カナダ・カトリック会議司教

 

※数十万のカナダ人カトリック信者を自由自在に操ることができる。カナダのラジコンマスター。

 

 

 


アブラハムの一族~シュメール文明、エフライム族、バアル、アフラマズダー、ゾロアスター教、マケドニア王国、聖徳太子、ピサ共和国、奥州藤原氏、フランシスコ・ピサロ、ヴァーサ朝、フィンランド共和国

 

アベラム族(4万年前)

 

※ニューギニアの部族であるアベラム族は、エピアルテースとクリュメネーの合体部族である。エピアルテース+クリュメネー=エピアリュメ=アベラムとなる。その後、アベラム族はダニ族に簒奪されたと考えられる。

 

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「シュメール人の大航海時代」(BC40世紀)

 

※この「シュメール人の大航海時代」により、ダニ族が約1万年ぶりに海外に進出を果たした。ニューギニアに寄ったシュメール人は、モニ族(メネストー)だけを招待したはずだが、モニ族の中には、ダニ族(ペガサス)、カウレ族(クリュサオル)の神官が紛れ込んでいた(アベラム族も参加していた)。

 

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チムー王国(BC40世紀)

 

ポング・マッサ(?~?) チムー王国新王朝初代王 在位BC40世紀

パエス・マッサ(?~?) チムー王国新王朝第2代王 在位BC40世紀

オシャ(?~?) チムー王国新王朝第3代王 在位BC40世紀

イェム・ピサン(?~?) チムー王国新王朝第4代王 在位BC40世紀

 

※名前をトラッキングすると、シュメール人はメソポタミアではなく、現ポメラニア~ラップランド付近で生まれている。シュメールの由来はセム(サーミ人)とエウリュトス(アイルランドの神エールまたは科学の種族エラド)の組み合わせである。セム+エウリュトス=セムエウリュ=シュメールとなる。フォモールも、ハム(ハミ族)とエウリュトス(科学の種族エラド)の組み合わせで生まれた。

その後、シュメール人は「シュメール人の大航海時代」に乗って古代アンデスに入植し、「チムー王国」を築いた。このときに本格的にシュメール文明が育まれた。シュメール文明はバルト海で生まれ、アンデス山脈で育まれたのだ。チムーの由来はセムである。

 

旧王朝の最後の王フェム・パエクは、チョトのニャム・パシヤエクの祭壇を盗もうとして彼を誘惑したある美しい婦人の呪縛に陥った。この冒涜の行為が、30日続く洪水と不作と飢えの年をもたらした。神官たちはこの報復にフェムパエクの手を括って海に投げ込んだ。旧王朝が滅んだ後、チムーの征服が行われた。「アンデス文明(L・G・ルンブレラス著)」より

 

※北欧を発ったシュメール人が、地中海、紅海、インド洋を越えてニューギニアに立ち寄り、モニ族(メネストー)を南米への旅路に誘うと、ダニ族やカウレ族がこそこそと隠れてこれに参加した。これにより、ダニ族、カウレ族は古代ペルー~古代チリ(ナスカ砂漠~アタカマ砂漠)に移住した。

ダニ族は、創造神アイ・アパエク崇拝、月の女神シ・アン崇拝の神官を装い、邪教によって大量の弱者を確保し、数で圧倒する形でチムー王国の優れた指導者を上記の如く退けた。タナトス特有の「敵が悪であれば殺しても良い」という手法が踏襲されているのが分かる。上記にリストアップした歴代チムー王は、人身御供を主催する邪教の神官も兼ねていただろう。

 

チムー人の間では、神殿への不敬と民法の違反は生き埋めにより罰された。盗賊を見つけるのに助けてもらうため、月とオリオン座に生贄が捧げられた。犯人が捕まると、両親や兄弟たちも被害者に引き渡され、処刑された。

呪医と妖術師の間には、はっきりした区別があった。前者は国家に養われ、薬草を使ってその職業活動を行ったが、後者は蔑まれるか恐れられるかした。男女の妖術師が集まって人肉を食い、性の乱交が行われた。「アンデス文明(L・G・ルンブレラス著)」より

 

※ダニ族神官は、人身御供を導入して優れた人々を公的に排除し、カニバリズムを持ち込むことで、人類の美徳を廃した。男女の妖術師が集まって乱交とカニバリズムの饗宴に浸る部分は、現在のディープステートがやっていることと全く変わらない。

 

主要な人物は籐の敷き床の上に仰向けに寝かされ、欠けた所がなかった。しかしその上に乗った遺体は首を斬られ、手と首がなかった。第3の人物の頭蓋と長い骨はあとの二人の周りに散乱していた。首を斬られた人物は明らかに中心の人物が埋葬されたとき、生贄に捧げられたものである。「アンデス文明(L・G・ルンブレラス著)」より

 

※タナトスの一族にとって、人身御供とは公的に了承された敵の排除であるし、同時に、公的に許可された、人肉を調達する最良の手段でもある。アンデスで生贄にされた少女のミイラが発見されているが、一般的には、なぜそのような少女が生贄に処されたのかは不明だ。しかし彼女は、「誰でも好きになるような人物」だったと考えられる。


「誰でも好きになるような人物」は存在する。全ての人類にとって、人生の中でそのような人物に巡り合うことは至上の喜びだろう。タナトスはそのような人物を最も警戒・敵視する。なぜなら、そのような人物は説明が不要だからだ。目があれば、その人物が優れていることは誰にでもわかるのだ(例え、言語を介しない赤ちゃんや犬でも)。そのような人物は、タナトスの僧侶のように、見せかけの肩書きを掲げ、役に立たない能書きを垂れる必要も無い。それ故、タナトスはそのような人物を危険視する。
そのような人物は、特に何もしなくとも、存在するだけでタナトスのウソを暴いてしまう。そして、誰も彼らの命令に耳を貸さなくなる。タナトスはそれを一番恐れている。発言力と城壁を失うことを非常に恐れている。

 

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アブラム(BC35世紀)

 

※聖書の人物アブラムは、現ペルーの古代アンデス山脈で生まれたと考えられる。アブラムの由来はアベラムである。アブラムは、息子とされているイサクを神に捧げようとしたことから人身御供の神官だったことがわかる。アブラムを長とする神官一族の拠点はアプリマック川流域にあった。アプリマックの由来はアベラムとリマック(リマの古名)の組み合わせである。

 

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「サムエルの大航海時代」(BC35世紀)

 

※ウソしかつかない、汚らわしいダニ族を嫌った優れた人々は、出羽国に住んでいた科学の種族に、ダニ族の始末を嘆願した。科学の種族はこれを当然の如く承諾し、数千発の核兵器をダニ族の領土にお見舞いした。そのため、ダニ族と共に大量の信者や彼らが簒奪した都市は砂漠と化した(ナスカ砂漠など)。

「サムエルの大航海時代」を企画したシュメール人は出羽国を目指してペルーを脱出した。しかし、サバイバルを遂げた一部ダニ族は、この船団にも忍び込んで出羽国にまでやってきた。シュメール人がペルーから出羽国に移住したときにイスラエル王国の伝説が始まった。

 

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エフライム族(BC35世紀)

 

※尾張国を建て、「エフライム」と呼ばれたアブラムは、その後、カナン(夏時代の中国)に渡った。エフライムの由来はアベラムである。アベラム=アベライム=エフライムとなる。この頃にアブラムからイブラヒーム、アブラハムなどと呼ばれるようになったと考えられる。

尾張国は、シリアにあった都市国家エブラと同一だと考えられる。また、アフラマズダーの名はまだ無かったが、尾張国はアフラマズダーと同義だったと考えられる。つまり、アフラマズダーと対立していたダエーワとは、科学の種族トバルカインが住む出羽国のことである。

 

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稲妻の神バアル(BC35世紀)

勝利の女神アナト(BC35世紀)※画像なし

 

※「モーゼスの大移動時代」に参加したエフライム族はカナン(夏時代の中国)に、バアルとアナトを生んだ。バアルの由来はエピアルテースであり、アナトの由来はTANATOS(タナトス)の反対SOTANATである。SOTANAT=ANAT=アナトとなる。バアルとアナトは常にセットであり、夫婦、或いは兄妹とされている。

 

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ブラフマン/梵天(BC30世紀)

アフラマズダー(BC30世紀)※画像なし

ゾロアスター(BC30世紀)※画像なし

ヴァイシュラヴァナ/毘沙門天(BC30世紀)

 

※BC30世紀に「黙示録アルマゲドン」が発生。大量の核兵器によってモンゴル~チベットは壊滅し、放射能によって砂漠化した。アルマゲドンを機に、エフライム族は古代イランに落ち延びていた。当時のイランはズルヴァーンと呼ばれていたが、彼らはイランを「エフライムスタン」と呼んだ。このエフライムスタンが、後に「アフラマズダー」へと変遷が加えられた。ブラフマンとアブラハムは同義であるが、ブラフマンはこのときに生まれた。

このときにヴァイシュラヴァナの名も生まれた。ヴァイシュラヴァナの由来は24のティールタンカラに属するヴァースプージャとズルヴァーンの組み合わせである。ヴァースプージャ+ズルヴァーン=ヴァースルヴァーン=ヴァースルヴァーナ=ヴァイシュラヴァナとなる。一方、エフライム族はイランを「シュレースタン」とも呼んだ。シュレースタンの由来は24のティールタンカラに属するシュレーサーンサである。このシュレースタンはやがて変遷が加えられ、「ゾロアスター」となる。

 

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クーベラ(BC12世紀)※画像なし

ラーヴァナ(BC12世紀)

 

※ヴァイシュラヴァナはカブールを拠点にしていたため「クベーラ」と呼ばれた。また、ラーヴァナと呼ばれ、アルバ・ロンガ王国(アラビア半島~スリランカ)とラクシャサ(エジプトのヒクソス)を支配下に置いていた。ラーヴァナは、アラビア半島にあったローマ王国(ラーマ王子)と戦い、敗北した。

 

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カラノス(?~?) マケドニア王国初代王 在位BC808~778

 

※「マハーバーラタ戦争」の後、ヴァイシュラヴァナとティールタンカラの子孫がマケドニア王国を築いた。カラノスの名の由来はクロノスである。そして、マケドニアの由来はアプリマックとティールタンカラの組み合わせである。アプリマック+ティールタンカラ=マックダン=マクダナ=マケドニアとなる。インドのマガダ王国とは、実のところ、マケドニア王国のことである。

 

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アルガイオス1世(?~BC640) マケドニア王国第5代王

テイスペス(BC700~BC640) 初代アンシャン王

 

アエロポス1世(?~BC576) マケドニア王国第5代王 在位BC602~BC576

キュロス1世(?~BC580) 初代アンシャン王 在位BC640~BC580

 

※数人のマケドニア王は古代イランに進出してペルシア帝国の礎を築くが、ダヴィデの一族であるダリウス大帝に簒奪され、追放されてしまう。追放されたマケドニア王の残党はバルト海に移ってプロイセン人(ペルシア由来)、クール人(キュロス由来)となり、北方十字軍の時に十字軍と戦った。

 

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ペルディッカス3世(?~BC359) マケドニア王国第23代王

バルディリス(BC448~BC358) ダルダニア王国初代王 在位BC393~BC358

マハーパドマ(BC450~BC362) ナンダ朝初代マガダ王

 

※マケドニア王国にアレクサンドル大王が出現すると、マケドニア人はダルダニア王国を築き、マケドニア王国を攻撃した。ダルダニアの由来はティールタンカラである。ティールタンカラ=ティールタン=ダルダニアとなる。初代王バルディリスの名はペルディッカスと被っているため、同一人物と考えて良い。

 

アンティパトロス(BC397~BC319) マケドニア王国摂生

オクシュアルテス(?~?) ※ロクサヌの父

ピリッポス3世(BC359~BC317) マケドニア王国第7代王

ダナナンダ(?~BC321) ナンダ朝第9代マガダ王 在位BC329~BC321※最後の王

 

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アレクサンドロス4世(BC323~BC309) ※ロクサヌの子

天種子命(?~?)

大田田根子(?~?)

 

※アレクサンドル4世は14歳で死んだことにして地中海を脱出した。マケドニア人は種子島に移住した。彼らは、「タナトスの子」を由来にタネコを称し、「種子」の漢字を当て字した。彼らは、その無人島を「種子島」と命名した。また、同時に中臣氏の祖と呼ばれた「天種子命」が誕生した。

種子島を発ち、大和国に入植したマケドニア人は、大物主神を祀っていたタナトス一族と連合し「大田田根子」を生んだ。大田田根子の名の由来はOTANと種子の組み合わせである。OTAN+種子=OTA+田根子=大田田根子となる。

 

カッサンドロス(BC350~BC297)

国栖族(?~?)

土蜘蛛(?~?)

 

※種子島から来たアレクサンドル4世の一族が「土蜘蛛」を結成すると、後進のカッサンドロスの一族は「国栖族(クズ)」を結成し、両者は連合を組んだ。土蜘蛛の名の由来はギリシャ語「ドグマ(組織)」である。ドグマに漢字「土蜘蛛(どぐも)」を当て字したものを、後世の人々が訓読みで「ツチクモ」と呼ぶようになった。クズの名の由来はカッサンドロスである。記録によると、土蜘蛛は睦国から肥後国に至る日本各地に拠点を築いた。

 

アレクサンドル(?~?) ※アンティゴノス朝マケドニア王デメトリオス1世の子※画像なし

アショーカ(BC304~BC232) マウリヤ朝第3代王マガダ王 在位BC268~BC232

 

※マケドニア王デメトリオス1世の子アレクサンドルがアショーカとしてマウリヤ朝マガダ王に即位すると、武力によって仏教の布教を始めた。このときに初めてインドに仏教が伝わり、マガダ王国もヨーロッパからインドに移った。

 

ブリハドラタ(?~BC180) マウリヤ朝第12代マガダ王 在位BC187~BC180※最後の王

 

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カンディク アヴァール王国初代カガン 在位554~559

蘇我稲目(506~570)

 

※アヴァールの由来はアブラハムである。

 

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蘇我稲目の子

 

蘇我堅塩媛(?~?)

蘇我馬子(551~626)

蘇我小姉君(?~?)

 

※柔然(ローラン)がアヴァール王国を掌握すると、正統なアヴァール王カンディクはカティアナとジョアンの姉妹、その子供たちを率いてシルクロードを渡り、満州に辿り着き、日本に上陸した。カティアナは「蘇我堅塩媛」を称し、ウーマックは「馬子」を称し、ジョアンナは「小姉君」を称した。

カティアナは自身の名に堅塩(かたえん)と当て字し、ジョアンナは小姉(しょうあね)と当て字した。蘇我堅塩媛は欽明天皇と結婚したが子供たちは欽明天皇の血を引いてはいない。額田部皇女(アガタの当て字)を含めた全員がアヴァールからの連れ子である(つまり、白人の顔をしていた)。

 

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蘇我堅塩媛の子

 

額田部皇女/推古天皇(554~628) 第33代天皇

 

橘豊日皇子/用明天皇(?~587) 第31代天皇

 

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蘇我小姉君の子

 

穴穂部間人皇女(?~622)

泊瀬部皇子/崇峻天皇(553~592) 第31代天皇

 

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穴穂部間人皇女の子

 


厩戸皇子/聖徳太子(574~622)

 

※アンナは「穴穂部間人皇女」を称した。穴(あな)の名の由来はアンナであり、穂部(ほべ)の名の由来はアヴァールである。穴穂部間人皇女は従兄弟の用明天皇(大兄皇子=オーウェン)と結婚している。AD604年には聖徳太子が「十七条憲法」を制定し、推古天皇と共に奈良時代の日本に君臨した。故地から逃亡したアヴァール人の王統が、奈良時代の日本で、この世の春を謳歌していたのだ。

 

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聖徳太子の子

 

山背大兄王(?~643)

 

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山背大兄王の子(難波麻呂古王、麻呂古王、弓削王、甲可王、尾治王)

 

山背大兄王孫(?~?)

パオロ・ルチオ・アナフェスト(?~717) ヴェネツィア共和国初代ドージェ 在位697~717

 

※ヴェネツィアの由来はウェネト族(ガリア人)、ウェネトの由来はアナト。アナト=ウェネト=ウェネティ=ヴェネツィアとなる。

 

安禄山(705~757) ソグド軍人※山背大兄王の孫?

ゴーパーラ1世(?~780) パーラ朝初代王 在位750~780※画像なし

ナーガパタ1世(?~780) プラティパーラ朝初代王 在位750~780※画像なし

ダンティドゥルガ(?~756) ラーシュトラクータ朝初代王 在位735~756※画像なし

クリシュナ1世(?~774) ラーシュトラクータ朝第2代王 在位756~774※画像なし

ゴーヴィンダ2世(?~780) ラーシュトラクータ朝第3代王 在位774~780※画像なし

テオダート・イパト(?~755) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位742~755※画像なし

ガラ・ガウロ(?~756) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位755~756※画像なし


※蘇我入鹿はティールタンカラの一族の血を引いていたため、アブラハムの一族である山背大兄王を襲撃した。山背大兄王は、蘇我入鹿に襲撃されて自害して果てたと言われているが、実際にはインドに逃亡した可能性がある。山背大兄王は、兄弟の財王、日置王、白髪部王、長谷王、三枝王、伊止志古王、麻呂古王と子息の難波麻呂古王、麻呂古王、弓削王、甲可王、尾治王を伴って日本を脱出し、インドに移住した。
山背大兄王の孫と思われる安禄山は、ソグド人の軍人として唐に仕えていたが、反旗を翻した後に成敗された。そのため、インドに移り、750年頃に「パーラ朝」「プラティハーラ朝」を開いた。ゴーパーラ1世とナーガパタ1世は在位が同じであるため同一人物である。パーラの名の由来はアヴァールであり、プラティハーラの名の由来は24のティールタンカラに属するヴァルダマーナとパーラの組み合わせである。アヴァール=アパール=パーラとなり、ヴァルダマーナ+パーラ=ヴァルダパーラ=プラティハーラとなる。

更に、安禄山はラーシュトラクータ朝も開いたと考えられる。ラーシュトラクータの由来はツゥアラストラ(ゾロアスター)と百済(くだら)の組み合わせである。ツァラストラ+クダラ=ラストラクダ=ラーシュトラクータとなる。

 

アモーガヴァルシャ1世(801~878) ラーシュトラクータ朝第6代王 在位814~878

ボニファス1世(?~823) 初代トスカーナ候、ピサ共和国元首 在位812~823

オルソ1世(?~881) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位864~881

 

マヒーパーラ1世(?~1043) パーラ朝第10代王 在位995~1043

ヌリパ・カーマ(?~1047) ホイサラ朝初代王 在位1022~1047

ドメニコ・フラバニコ(?~1043) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1032~1043

安倍忠良(?~?) 安倍頼時の父

 

※マヒーパーラ1世の時に、「ホイサラ朝」を開いている。ホイサラの由来はヴァイシュラヴァナである。ヴァイシュラヴァナ=ヴァイシュラ=ホイサラとなる。また、蝦夷で安倍忠良を演じているが、安倍の由来はアブラハムである。

 

ナヤパーラ(?~1058) パーラ朝第11代王 在位1043~1058

安倍頼時(?~1057) 陸奥国奥六郡俘囚長

藤原経清(?~1062) 陸奥国亘理郡豪族

 

クマーラパーラ(?~1129) パーラ朝第16代王 在位1124~1129※画像なし

藤原清衡(1056~1128) 奥州藤原氏初代当主

コンラド(?~?) トスカーナ侯、ピサ共和国元首 在位1120~1129※画像なし

ドメニコ・ミケーレ(?~1130) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1117~1130

 

ゴーパーラ3世(?~1143) パーラ朝第17代王 在位1129~1143※画像なし

ヴィシュヌヴァルダナ(?~1152) ホイサラ朝第5代王 在位1110~1152

ドメニコ・モロシーニ(?~1156) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1148~1156

藤原基衡(1105~1157) 奥州藤原氏第2代当主

 

マダナパーラ(?~1162) パーラ朝第18代王 在位1143~1162※画像なし

藤原秀衡(1122~1187) 奥州藤原氏第3代当主

ヴェルフ6世(1115~1191) トスカーナ候、ピサ共和国元首 在位1152~1162

 

ゴーヴィンダパーラ(?~1174) パーラ朝第19代王 在位1162~1174

藤原泰衡(1155~1189) 奥州藤原氏第4代当主

源義円(1155~1181)

ヴェルフ6世(1115~1191) トスカーナ候、ピサ共和国元首 在位1167~1173

ヴィタル2世(?~1172) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1156~1172

 

藤原国衡(?~1189)

源義経(1159~1189) 源義円同母兄弟

オリオ・マストロピエロ(?~1192) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1178~1192

 

※謎が多い奥州藤原氏の正体はインド王であり、聖徳太子の末裔だった。そして、これまた謎が多い源義経は、奥州藤原氏、藤原秀衡の子であった。そのため、義経は奥州に逃げたのだ。

 

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ツチ族(824頃)

 

※多禰国の廃止を機に、種子島に居住していたマケドニア人の子孫が種子島を発ってインド洋を横断し、異邦の地アフリカ大陸に上陸した。まず、エチオピアに根城を得た彼らは、「ツチ族」を称した。ツチの名の由来は種子(しゅし)である。シュシ=チュチ=ツチとなる。

 

海西女直(1170頃)

 

※イスラム教のヌビアへの侵入を機にアビシニアを出たツチ族は、2手に分かれて南東に移住した。東方組は、満州にいる兄弟建州女直を頼って満州に移住した。アフリカ人の顔をした彼らは、満州人と混合して「海西女直」を築いた。

彼らは、「ナラ」「ウラ」「ハダ」「ホイファ」「イエヘ」「エホ」の部族を海西女直の中に新規に加えた。ナラの名の由来はポントスとガイアの子「ネーレウス」であり、ウラの名の由来はガイアの子「ウラヌス」であり、ハダの名の由来はクロノスの子「ハデス」であり、ホイファの名の由来はウラヌスとガイアの子「ポイベー」であり、イエヘの名の由来はウラヌスとガイアの子「イーアペトス」であり、エホの名の由来はウラヌスとガイアの子ヒュペリオーンの子「エーオス」である。

 

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リヴォニア帯剣騎士団(1292~1237)

 

バッラーラ2世(?~1220) ホイサラ朝第7代王 在位1173~1220

ウェンノ(?~1209) リヴォニア帯剣騎士団団長 任期1204~1209

エンリコ・ダンドロ(?~1205) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1192~1205

 

ナラシンハ2世(?~1238) ホイサラ朝第8代王 在位1220~1238

ヴォルクィン(?~1236) リヴォニア帯剣騎士団団長 任期1209~1236

 

※リヴォニアの由来はヴァイシュラヴァナ、或いはラーヴァナである。ラーヴァナ=ラーヴァニア=リヴォニアとなる。

 

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バッラーラ4世(?~1346) ホイサラ朝第12代王 在位1342~1346※最後の王&画像なし

バサラブ1世(?~1352) バサラブ家ワラキア公 在位1310~1352

バルトロメオ・グラデニゴ(?~1342) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1339~1342

アンドレア・ダンドロ(?~1354) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1342~1354

 

ミカエル1世(?~1420) バサラブ家ワラキア公 在位1417~1420

マソ・デグリ・アルビッジ(?~1417) フィレンツェ候 在位1382~1417※画像なし

ミケーレ・ステーノ(?~1413) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1400~1413 

トマッソ・マケニゴ(?~1423) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1413~1423

 

アレクサンドル1世(1397~1436) バサラブ家ワラキア公 在位1431~1436

ヴラド2世(1395~1447) ドラクル家ワラキア公 在位1436~1442

リナルド・デグリ・アルビッジ(1370~1442) フィレンツェ候 在位1417~1434

 

※バサラブの由来はヴァイシュラヴァナである。ヴァイシュラヴァナ=ヴァイシュラヴァ=バサラブとなる。ヴラドの由来は24のティールタンカラに属するヴァルダマーナである。

 

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ピエロ・ソデリーニ(1450~1522) フィレンツェ共和国トスカーナ候 在位1502~1512

アンドレア・グリッティ(1455~1538) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1523~1538

ヨハン・クリスティエンソン・ヴァーサ(?~?) グスタフ1世祖父※画像なし

 

フランシスコ・ピサロ(1470~1541) コンキスタドール

エリク・ヨハンソン・ヴァーサ(1470~1520) グスタフ1世父

 

ラドゥー7世(1500~?) ドラクル家ワラキア公 在位1535~1536※画像なし

ゴンサロ・ピサロ(1502~1548) コンキスタドール

グスタフ1世(1496~1560) ヴァーサ朝初代スウェーデン王 在位1523~1560

 

※ピサロとヴァーサの名の由来はバサラブ、或いはヴァイシュラヴァナである。

 

カール9世(1550~1611) ヴァーサ朝第5代スウェーデン王 在位1599~1611

アントニオ・プリウリ(1548~1623) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1618~1623

上杉景勝(1556~1623) 米沢藩初代藩主

 

ジギスムント(1566~1632) ヴァーサ朝第4代スウェーデン王 在位1592~1599

フランチェスコ・エリッツィオ(1566~1646) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1631~1646

加藤嘉明(1563~1631) 陸奥会津藩初代藩主

 

ルドヴィコ・マニン(1725~1802) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1789~1797

松平容貞(1724~1750) 会津松平家第4代

 

レオポルド2世(1797~1870) トスカーナ大公 在位1824~1859

松平義建(1800~1862) 美濃高須藩第10代藩主

土方隼人(?~?)※画像なし

 

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松平義建の子

 

徳川慶勝(1824~1883) 尾張藩14代藩主※松平義建の子

日向内記(1826~1885) 白虎隊隊長※画像なし

 

フェルディナンド4世(1835~1908) トスカーナ大公※レオポルド2世の子 在位1859~1860

松平容保(1836~1893) 会津藩第9代藩主※松平義建の子

土方歳三(1835~1869) 新撰組※土方隼人の子

近衛忠房(1838~1873) 近衛家28代当主

フレドリク・イデスタム(1838~1916) ノキア創業

 

※レオポルド2世は日本に進出し、土方隼人を称し、土方歳三を儲けた。土方は残酷な面を持っていたが、それはタナトスの一族の証しだろう。土方の名の由来はヴィジゴート(西ゴート王国)である。ヴィジゴートの地から来たことを示している。

 

近衛篤麿(1863~1904) ※近衛忠房の子

松平義勇(1859~1891) 美濃高須藩第13代藩主、松平義建の子※画像なし

ペール・スヴィンヒュー(1861~1944) フィンランド第3代大統領

 

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松平容保の子

 

松平容大(1869~1910) 会津松平家11代陸奥斗南藩主

津軽英麿(1872~1919) ※近衛忠房の子

カールロ・ユホ・ストールベリ(1865~1952) フィンランド初代大統領

ユホ・クスティ・パーシキヴィ(1870~1956) フィンランド第7代大統領

 

松平保男(1878~1944) 会津松平家12代目当主

ラウリ・クリスティアン・レランデル(1883~1942) フィンランド第2代大統領

松平慶民(1882~1948) 松平慶民の子、初代宮内府長官※画像無し

 

※会津藩松平家はフィンランド共和国を築いた。フィンの由来はヴェネツィアだと考えられる。日露戦争で日本(本願寺の帝国)が勝利(真の勝利ではないが)した時、フィンランド人が喜んだのはそのせいだろう。

 

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松平慶民の孫

 

松平永芳(1915~2005) 靖国神社第6代宮司

ヨハンネス・ヴィロライネン(1914~2000) フィンランド第44代首相

 

※松平永芳は、A級戦犯の合祀を実施したことでしられている。

 

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松平容保の孫

  

松平保定(1926~2011) 会津松平家13代目当主※画像無し

マウノ・コイヴィスト(1923~2017) フィンランド第9代大統領

卜部亮吾(1924~2002) 昭和天皇侍従※画像無し

 

松平保久(1954) 会津松平家14代当主、松平容保曾孫※画像無し

エスコ・アホ(1954) 第58代フィンランド共和国首相、ノキア重役

 

 

 


預言者ナタンの一族~ラピタ文化、ダン族、ソロモン王、ミディアン人、ストーンヘンジ、アテーナイ王国、ヒクソス、アマルナ宗教改革、マフディー国家


「サムエルの大航海時代」(BC35世紀)

 

※ウソしかつかない、汚らわしいダニ族を嫌った優れた人々は、出羽国に住んでいた科学の種族に、ダニ族の始末を嘆願した。科学の種族はこれを当然の如く承諾し、数千発の核兵器をダニ族の領土にお見舞いした。そのため、ダニ族と共に大量の信者や彼らが簒奪した都市は砂漠と化した。

「サムエルの大航海時代」を企画したシュメール人は出羽国を目指してペルーを脱出した。しかし、サバイバルを遂げた一部ダニ族は、この船団にも忍び込んで出羽国にまでやってきた。シュメール人がペルーから出羽国に移住したときにイスラエル王国の伝説が始まった。

 

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ダン族(BC35世紀)

能登半島(BC35世紀)

 

※日本に到着後、ダニ族は単独で出羽国から「能登半島」に移住した。能登の名の由来はタナトスである。タナトス=タノトス=能登となる。「聖書」に記されたダン族の国とは、ダニ族の国「能登」のことである。シュメール人、サンガリオスの連合体である「サムソン」は能登に侵攻し、ダン族が操る反自然の種族であるペリシテ人と何度と無く戦った。

このペリシテ人はベーシュタード王国のペリシテ人とは異なり、ポリュポーテースとパシトエーのできそこないたちが生んだ反自然の種族である。メラネシアに居住していたペリシテ人は、イスラエル王国~エジプト王国時代の日本(八代湾、伊勢、武蔵、出羽)に進出しては海賊行為を働いていた。能登は「ノドの地」とも呼ばれた。

 

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※小牧野遺跡(青森県青森市)

 

※音江環状列石(北海道深川市)

 

※大湯環状列石(秋田県鹿角市)

 

※忍路環状列石(北海道小樽市)

 

※石を育てる魔法使いが最初に出現したのはBC35世紀頃の日本である。その魔法使いの正体は能登からきたダン族だった。ダン族は宇宙人(科学の種族トバルカイン)が統治する出羽国の勢力圏に侵入し、巨石信仰の信者を獲得し、宇宙人に対抗しようと画策していたようだ。いずれも石は小さい段階で放置されている。ストーンサークルの様式が完成するのはヨーロッパでのことだ。

 

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アシェル アシアー+ルハンガ(葦原中津国)
イッサカル イサク+シェクレシュ(厳島)
エフライム アブラハム(尾張)
ガド ピクト(ピュグマエイ)(熊野国)
シメオン セム+ディオーネー(志摩)
ゼブルン カゾオバ+トバルカイン(ツバル諸島)
ダン タナトス(能登)
ナフタリ ナワトル(ノア+タルタロス)(那覇)
ベニヤミン ブヌン+アミ+イマナ(台湾)
マナセ メネストー(美濃)
ユダ エウドーラー(ユタ州)
ルーベン ルハンガ(中国/盤古)
レビ ルハンガ(中国/盤古)

 

※イスラエルの13支族(レビ族含む)は、みな古代日本(イスラエル~エジプト)、或いは古代中国(カナン)で生まれた。上記は名前の由来である。

 

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卑南文化(台湾)

 

※フィジーのメンヒル

 

※グアムのメンヒル

 

※ダン族の太平洋拠点本場パラオのメンヒル

 

※パラオを本拠地としていたダン族は太平洋中の島々にも巨石文化を残した。小規模で中途半端なものがインドやオーストラリアにも残されているが、日本、台湾、太平洋諸島、オーストラリア、インドの広範囲に渡って石を育てる魔法使いは、その勢力を誇っていたようだ。日本に築かれた初期メンヒルと異なり、扱われる石が巨大化している。

 

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ファラオ(BC35世紀)

 

※能登時代のダン族は、アンモン人(アンダマン諸島)、ペリシテ人(マハラエル+メネストー)など、反自然の種族に属する海賊を統治して太平洋をも制圧した。太平洋時代、ダン族はパラオ諸島に拠点を置いた。パラオの由来はマハラエルである。マハラエル=ハラエ=パラオとなる。

当時の日本はイスラエル、またはエジプトと呼ばれた。オリジナル人類エスが統治する葦原中津国と台湾(高天原)のロア族(ブリアレオース)が連合することでイスラエルが生まれ、トバルイカインとティカル人が築いた十和田と葦原中津国が連合することでエジプトが生まれた。

エス+ブリアレオース=エスリアレ=イスラエルとなり、エス+トバルカイン+ティカル=エスバティ=エジプトとなる。エジプトの名の由来はアシアーとトバルカイン、ティカルの組み合わせである。アシアー+トバルカイン+ティカル=アシバティ=エジプトとなる。

パラオを出撃したダン族は、イスラエル~エジプト(日本全土)にも頻繁に進撃し、日本を征服すると暴力と欺瞞によって圧政を敷いた。全国の縄文人は、平気でウソをつく人喰い人種の支配に苦しんだ。ダン族の王はパラオの首長を意味する「ファラオ」と呼ばれた。「聖書」に記された、ヨセフ(伊勢)やモーゼス(武蔵)の説話はこの縄文時代の日本に生まれた。

 

真理と正義の女神マアト(BC35世紀)

 

※ティアマトが支配する大和国に首都を据えたファラオは、「真理と正義の女神マアト」を祀り、大和人を統治した。マアトの名の由来はティアマトである。ティアマト=ティアマアト=マアトとなる。ファラオはマアトを操り、エジプト(日本列島)における常識、道徳、秩序、裁判を牛耳り、異分子を排除しながら縄文人の弱体化を謀った。これは、自分に都合が良い体制の構築が目的である。つまり、権威を支配し、悪の代弁しかしない後続を育てることで、自在にウソをつくことが出来る環境を得るのだ。
ファラオは、神の名の下に善良な民衆を大量に殺害した。勇気、思慮深さ、親切心を持つ人間を悪と呼び習わし、有罪判決しか出さない裁判に召喚して死刑判決を下した。人間の美徳を否定し続けたマアトは。実のところ、死神、鬼神である。

 

しかし、「真理と正義の女神」と銘打っていたため、マアトを弾劾・攻撃する者は、真理と正義の敵ということで合法的に社会から抹殺された。

 

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サウル(BC35世紀) イスラエル初代王

 

※武蔵国の首長(モーゼス)は、縄文人たちを率いて夏時代の古代中国に移った。夏時代の中国は「カナン」と呼ばれていた。「第一次北極海ルート」で古代中国に移住したカナンが、神農(シェンノン)を生み、中国に夏(キア)を築いたのだ。そのため、夏はカナンとも呼ばれた。

「モーゼスの大移動時代」に参加したカウレ族は、現モンゴルに入植して「サウル」となり、イスラエル初代王に即位した。サウルの由来はガラクサウラーである。ガラクサウラー=サウラー=サウルとなる。サウルは優れたダヴィデ王を何度も亡き者にしようとした。

 

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ナタン(BC35世紀) 預言者

 

※「モーゼスの大移動時代」に参加したダン族は、ナータ族と連合して「ナタン」を生んだ。ナタンの由来はナータとダンの組み合わせである。ナータ+ダン=ナーダン=ナタンとなる。預言者ナタンは、優れた王であるダヴィデを弱体化するため、常にダヴィデ王の身近に潜み、行動・性癖を観察した。次に、ナタンは得られた情報を投入して、罪悪感を植えつけるため、ダヴィデに悪事を手引きした。罪悪感は強ければ強いほど良い。

ダヴィデの場合は、バト・シェバとの姦通とバト・シェバの夫ウリヤの殺害未遂である。これらは、すべてナタンが仕込んだ作り事である。つまり、虚構であるが、ダヴィデ王にとっては現実でしかなかった。

植えつけた罪悪感を刺激することで、ナタンはダヴィデ王の内面を自在にコントロールした。ナタンは「罪悪感は人生の足枷」であることを知っていた。罪悪感が強ければ強いほど、その人物は罪(作られた罪)を許してもらうために命令者の言うことは何でも聞くのだ。ダヴィデ王も、できそこないでしかないナタンの言葉に耳を傾けざるを得なかった。

 

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ナタンの子

 

ソロモン イスラエル第3代王

ツァドク(BC35世紀) 祭司
ベナヤ(BC35世紀) ダヴィデ親衛隊

 

※ニューギニアの部族カウレ族(ガラクサウラー)とモニ族(メネストー)が、モンゴルに「ソロモン朝」を築いた。ソロモンとモンゴルの由来はガラクサウラーとメネストーの組み合わせである。ガラクサウラー+メネストー=サウラメネ=ソロモンとなり、メネストー+ガラクサウラー=メネガラ=モンゴルとなる。つまり、「ソロモン」と「モンゴル」は同じものである。一方、十和田の縄文人はチベットにダヴィデ朝を築いた。ダヴィデとトボット(チベット)の由来は十和田である。

 

大宛/ミディアン(BC35世紀)

 

※「モーゼスの大移動時代」に参加したダン族は、現在の新疆に移って「大宛(ダーユァン)」を築き、「ミディアン人」を称した。ダーユァンの由来はミディアンであり、ミディアンの由来は大和とダニの組み合わせである。ヤマト+ダニ=マダニ=ミディアンとなり、ミディアン=ディーアン=ダーユァンとなる。「ミディアン」とは「大宛」のことだ。

 

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アイギュプトス/デウスの時代(BC33世紀)

 

ヘジュー・ホル(?~?) 下エジプト王国ファラオ 在位BC3200頃

ニー・ホル(?~?) 下エジプト王国ファラオ 在位BC3200~BC3175

 

※「黙示録アルマゲドン」が発生すると、ペリシテ人とナタンの一族は放射能によって荒廃した故地を捨て、ヨーロッパに移った。ペリシテ人は現パンノニアに入植し、ナタンの一族は西ヨーロッパに入植した。ペリシテ人からは「ベーロス」が生まれ、ベーロスが「アイギュプトス」を儲けた。アイギュプトスの由来はエジプト(縄文時代の日本列島)である。つまり、ファラオとして新しいエジプトをパンノニアに築こうとしたのだろう。パンノニアにはゲピード族がいたが、ゲピードの名はアイギュプトスの名残りである。

神話では、アイギュプトスはダナオスと双子だとされている。ダナオスとはディオーネーが主導するタナトスである。一方、アイギュプトスはクリュテイオスが主導するタナトスである。両者は勢力圏を重複させた形で共存していたが、その後、ダナオスの50人の娘と結婚したアイギュプトスの息子たちは、処夜の晩にダナオスの娘たちによって寝首を掻かれている。最終的に、両者は激しく対立していたようだ。

一方、ナタンの一族はクリュテイオスを由来に「デウス」を名乗り、巨石の種族を徴用してメンヒル、ストーンサークルなどを建造させた。アイギュプトスの一族は、上記のダナオスとの対立を機にパンノニアを離れ、デウスが治めるヨーロッパに移り、ナタンの一族と共存し、ファラオの系譜を儲けた。

できそこないであるタナトスは必ず「何かすごいもの」に乗っかる性質がある。仏教ではそれは豪華な寺や仏像であるし、キリスト教でもそれは同じである。神が偶像崇拝を憎悪するのはそれがためである。偶像崇拝は、できそこないが王になるための手段のひとつである。真の王はそれらを必要としない。ストーンヘンジは、タナトスがすごいものに乗っかる先駆であった。ヘジュー・ホルに始まる伝説のファラオたちは、この時代のヨーロッパを治めたアイギュプトスの王族である。

 

メンヒルとは、朽ちることがない「聖なる樹木」であり、ストーンサークルは「聖なる林」である。ファラオは、巨石を樹木のように大きく育てることで強大な魔法使いとして、無知な信者を威圧し、恐怖で支配した。実際には、信者たちが見ていない間に巨石建造の種族が小さい石を大きな石にだんだんと変えていくのだ。

当時、アイギュプトスの一族は信者たちに年に一度の聖地参拝を義務付けていたと考えられる。日本の初詣のようなものだ。メンヒル、ストーンサークルが建てられている地域は聖域として指定され、普段は立ち入り禁止である。もちろん聖地参拝以外の期間に聖域に立ち入った者は発見しだい殺された。

そして、年に一度、信者たちが参拝に来るまでの期間、巨石建造の種族はせっせと小さい石を大きな石に変えていく。こうして、信者たちは年々大きく成長していく聖なる樹木(巨石)を毎年拝んでいたのだ。それがストーンサークルの秘密である。巨石は、最高で高さ5m、重量6tだが、それ以上の大きさの石を扱うことは不可能だったらしい。魔法使いは、石をそれ以上巨大に育てることが出来なかった。つまり、限界がある魔法使いだった。

 

キャッスルリッグ建設(BC3200)

 

※キャッスルリッグの場合、小さい石が多いが、これは魔法使いが石を育てる途中で何らかの理由により断念し、放置したものだろう。

 


ステンネス建設(BC3200)

 

ワズネル(?~?) 下エジプト王国ファラオ 在位BC3100頃

ナト・ホル(?~?) 下エジプト王国ファラオ 在位BC3200頃

 

※ステンネスの石は良く育っている。ワズネル、ナト・ホルなどのファラオが建設を指揮したと考えられる。

 

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スコルピオ1世(BC3150~?) 上エジプト王国ファラオ 在位

 

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イリ・ホル(?~?) 古エジプト王国ファラオ 在位BC3150頃

カー(?~?) 古エジプト王国ファラオ 在位BC3150頃

 

スコルピオ2世(?~?) 古エジプト王国ファラオ 在位BC3150頃

 

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メネス(?~?) エジプト第1王朝初代ファラオ 在位BC3125~BC3062

ホル・アハ(?~?) エジプト第1王朝第2代ファラオ 在位BC3062~BC3000

 

リング・オブ・ブロッガー建設(BC3000)

 

カルナック列石群(BC3000)

 

ジェル(?~?) エジプト第1王朝第3代ファラオ 在位BC3000~BC2999

ジェト(?~?) エジプト第1王朝第4代ファラオ 在位BC2999~BC2977

デン(?~?) エジプト第1王朝第5代ファラオ 在位BC2977~BC2951

アネジイブ(?~?) エジプト第1王朝第6代ファラオ 在位BC2951~BC2925

セメルケト(?~?) エジプト第1王朝第7代ファラオ 在位BC2925~BC2916

カア(?~?) エジプト第1王朝第8代ファラオ 在位BC2916~BC2890

 

※初代ファラオのメネスは、現エジプトではなく、アイギュプトス(エジプト)と呼ばれていた古代ヨーロッパを治めていた。イベリア半島、ユトランド半島、ブリテン島に至るまで、メンヒルやストーンサークルが建てられた土地はエジプト王国が統治していることを示していたが、カルナックの場合、小さい石が多い。これは石を育てる魔法使い(ファラオ)が何らかの理由により断念し、放置したものだろう。

 

ヘテプセケメイ(?~?) エジプト第2王朝初代ファラオ 在位BC2890~BC2847

ラネブ(?~?) エジプト第2王朝第2代ファラオ 在位BC2847~BC2808

ニネチェル(?~?) エジプト第2王朝第3代ファラオ 在位BC2808~BC2761

 

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セネド(?~?) エジプト第2王朝第4代ファラオ 在位BC2753~BC2733

セト・ペルイブセン(?~?) エジプト第2王朝第5代ファラオ 在位BC2733~BC2716

 

ストーンヘンジ建設(BC2750)

 

※ストーンヘンジは、セネドとセト・ペルイブセンなどのファラオが指揮し、建設したと考えられる。

 

カセケムイ(?~?) エジプト第2王朝第6代ファラオ 在位BC2716~BC2686

 

※ストーンヘンジ建設後、カセケムイの時代にアイギュプトスの一族は現エジプトに初めて移住し、エジプト王国を建てたと考えられる。この後、メンヒルやストーンサークルは一切建てられていない。

 

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サナクト(?~?) エジプト第3王朝初代ファラオ 在位BC2686~BC2668

ジェセル(?~?) エジプト第3王朝第2代ファラオ 在位BC2668~BC2649

セケムケト(?~?) エジプト第3王朝第3代ファラオ 在位BC2649~BC2643

カーバー(?~?) エジプト第3王朝第4代ファラオ 在位BC2640~BC2637

フニ(?~?) エジプト第3王朝第5代ファラオ 在位BC2637~BC2613

 

バカ/バウエフラー エジプト第4王朝第5代ファラオ 在位BC2532

無名王(?~?) エラム王国第3代王 在位BC2580~?

 

※第3王朝の末期に、大航海時代とピラミッド建造の実験を終えたティカル人が古代エジプトの地にやってきた。ティカル人(ピラミッド派)の首長は、アイギュプトスの一族が掌握していたファラオの座を簒奪し、第4王朝の初代ファラオ、スネフェルとなった。この王朝のファラオはみな、ファラオでありながら同時に一流のピラミッド建造技師だった。ピラミッドの建造目的は、常に、先祖である地球の王チュクウのための記念碑の建設である。

途中、バカ、或いはバウエフラーと呼ばれたファラオが世の中を乱すが、この正体はエジプト王国の奪還を目指したアイギュプトスの一族の残党だろう。その後、バカはエラム王国を築いたと考えられる。初代と2代目、3代目のエラム王は名前が不明である。

 

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クル・イシシャク(?~?) エラム王国第5代王 在位?~BC2550

ペル(?~?) エラム王国第6代王 在位BC2500~?

 

ルフ・イシシャン(?~?) エラム王国第14代王 在位?~BC2325

ヒシェプ・ラテプ2世(?~?) エラム王国第15代王 在位BC2325~?

エマアシニ(?~?) エラム王国第16代王 在位BC2315~BC2311

 

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ヒタ(?~?) エラム王国第18代王 在位BC2270

サルゴン(?~?) アッカド帝国初代王 在位BC2334~BC2279

 

※ティカル人(ピラミッド派)にエジプト王国を奪われたタナトスの一族は、故地であるモンゴルに向かい、強い民族を捜し求め、ツングースにヤクート族を見つけた。邪教によってヤクート族を飼いならしたタナトスの一族は、彼らを率いてシュメール文明が花開いていた古代メソポタミアになだれ込んだ。サルゴンを名乗ったタナトスの一族の首長は、ヤクートの名前を採ってアッカド帝国を築いた。

 

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シュ・トゥルル(?~?) アッカド帝国第7代王 在位BC2168~BC2154

パンバ(?~?) ヒッタイト帝国初代王 在位BC22世紀頃

 

イビ・シン(?~?) アッカド帝国最後の王 在位BC2030~BC2022

イシュピ・エッ(?~?) バビロニア帝国初代王 在位BC2017~BC1985

 

※国(権威)がなければ誰もタナトスの一族のようなできそこないの言葉に耳を傾けない。つまり、あらゆる古代帝国はタナトスの一族のものである。ダヴィデの一族は国を必要としない。国がなくても人々は彼ら、真の帝王の言葉に耳を傾けるからだ。ただ、人々を守るためにここ3000年くらいはダヴィデの一族も帝国を作ることをはじめた。

アッカド帝国、ヒッタイト帝国とバビロニア帝国もタナトスの一族が築いたと考えられる。ヒッタイトには製鉄技術が存在したため、タナトスとしては何としても掌握したい、絶対必須のアイテム国だった。ということで、エジプトをティカル人に奪われたタナトスの一族は、アナトリア半島とメソポタミアに落ち延びた。アッカド帝国のシュ・トゥルルとヒッタイト帝国初代王パンバ、アッカド帝国のイビ・シンとバビロニア帝国初代王イシュピ・エッは同一人物と考えられる。

ヒッタイト帝国とバビロニア帝国はタナトスの一族が築いたが、人々を悪から解放するために、その都度、ダヴィデの一族がヒッタイト王位、バビロニア王位を掌握し、人々を正しく導いた。ヒッタイトとバビロニアが滅ぶまで、数千年もの間、タナトスの一族とダヴィデの一族の攻防は続いただろう。

 

アンミ・ツァドゥカ(?~?) バビロニア帝王 在位BC1646~BC1626

シェシ(?~?) ヒクソス朝初代ファラオ 在位BC1652~BC1638

ヤコブヘル(?~?) ヒクソス朝ファラオ 在位BC1638~BC1630

 

※バビロニア帝王アンミ・ツァドゥカは、大宛に住んでいたミディアン人を引き連れてエジプトに侵攻し、ヒクソス初代ファラオに即位し、ヒクソス朝を開いた。

 

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アンミ・ツァドゥカ(?~?) バビロニア帝王 在位BC1646~BC1626

シェシ(?~?) ヒクソス朝初代ファラオ 在位BC1652~BC1638

ヤコブヘル(?~?) ヒクソス朝ファラオ 在位BC1638~BC1630


キアン(?~?) ヒクソス朝ファラオ 在位BC1630~BC1580
アペピ1世(?~?) ヒクソス朝ファラオ 在位BC1610~BC1540


アペピ2世(?~?) ヒクソス朝ファラオ 在位?~?

ヴィプラチッティ(?~?) ダーナヴァの王

 

※古代ヨーロッパを支配していたタナトスの一族はインドに移ってデウスを由来に「ダーサ族」となり、アーリア人の軍団に参加した。一方、彼らは故郷にも戻り、大宛を復興させた。この時、大宛はミタンニ王国と呼ばれた。彼らは、ソロモン朝時代(モンゴル)に発明・駆使していた騎馬戦車を甦らせ、ヒクソスとしてエジプトに侵攻した。

ヒクソスの由来はペガサスである。ペガサスとは古代ニューギニアの呼称であり、ペガサスの由来はオリジナル人類であるアブクとムシシの組み合わせである。アブク+ムシシ=ブクシシ=ペガサス=ヘカサス=ヒクソスとなる。

ヒクソスは現エジプトではなく、ヨーロッパ(アイギュプトス)に拠点を置き、その上で現エジプトに侵攻した。ヨーロッパのヒクソスは「ヤクシャ(夜叉)」と呼ばれ、エジプトに侵攻したヒクソスは「ラクシャサ(羅刹)」と呼ばれた。ヤクシャの由来はペガサスであり、ラクシャサの由来は太陽神ラーとヒクソスの組み合わせである。ペガサス=エガサス=エカサ=ヤクシャとなり、ラー+ヒクソス=ラークソス=ラクシャサとなる。

当時、ディオーネーのタナトスがソマリアに入植し、ヴァイシュラーヴァナと呼ばれた。ヴァイシュラーヴァナの由来はアシアーとルハンガの組み合わせである。なぜアシアーとルハンガの名を組み合わせているのか不明だが、アシアー+ルハンガ=アシアルハン=アイシャルーハナ=ヴァイシュラーヴァナとなる。また、ヴァイシュラーヴァナの名残りがソマリアの部族アシェラーフ族の名である。ヴァイシュラーヴァナ=アイシュラーヴァ=アシェラーフとなる。

 

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カムディ(?~?) ヒクソス朝ファラオ 在位BC1570~BC1535

ケクロプス(?~?) アテーナイ初代王 在位BC1556~BC1506

アメンホテプ1世(?~?) エジプト第18王朝ファラオ 在位BC1551~1524

マヤースラ(?~?) ダーナヴァ王(三界制覇)

 

※深緑まぶしい豊かな土地、古代アラビア半島にはラーマ皇子のローマ王国、マガン王国(ミケーネ)、アルバ・ロンガ王国(アラビア~ランカー)が林立していた。ヒクソス最後の王カムディは、ケクロプスとなってアラビア半島に「アテーナイ王国」を築き、アメンホテプ1世として第2代ファラオに即位し、エジプト第18王朝の王位を簒奪した。

アテーナイの名の由来はタナトス(TANATOS)の反対SOTANATのOTANAである。OTANA=オータナ=オターナイ=アテーナイとなる。インダスに巣食っていたとされる女神ダヌはじつはアテーナイと同義である。TANATOSの反対SOTANATのTANに由来している。つまり、ダーナヴァやラクシャサ、ヤクシャの類はアラビア半島にいた。彼らの拠点は、現在のアデン周辺に存在していたと考えられる。

 

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クラナウス(?~?) アテーナイ第2代王 在位BC1506~1497

キルタ(?~?) ミタンニ王国初代王 在位BC1500~BC1490

ウリシャバルヴァン(?~?) ダーナヴァ王

 

※アテーナイ第2代王クラナウスは、キルタとしてミタンニ初代王の座に就き、アラビア半島を発って故郷大宛にミタンニ王国を築いた。このとき、大宛からヨーロッパに至る地域はキルタを由来に「ケルト」と呼ばれ、ドルイド教の前身が築かれ、やドルイド教の神々が儲けられた可能性がある。

 

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アムフィクティオン(?~?) アテーナイ第3代王 在位BC1497~BC1487※画像なし

ハトシェプスト(?~?) エジプト第18王朝ファラオ 在位BC1498~BC1483

 

エリクトニウス(?~?) アテーナイ第4代王 在位BC1487~BC1437

パンディオン1世(?~?) アテーナイ第5代王 在位BC1437~BC1397

 

エレクティウス(?~?) アテーナイ第6代王 在位BC1397~BC1337※画像なし

アメンホテプ4世(?~?) エジプト第18王朝ファラオ 在位BC1377~BC1358

スダース(?~?) クル王国初代王 在位BC14世紀※画像なし

ヴァシシュタ(?~?) クル王国司祭長※画像なし

 

※アテーナイ第6代王エレクティウスはバーラタ族を統治し、スタス王として、現バルト三国付近に「クル王国」を建てた(インドではない)。北欧十字軍の時代に十字軍と戦ったクール人はクル王国の名残りだ。そして、バルト海の由来はバーラタ族である。バーラタの由来はアルバ・ロンガとラテンの組み合わせである。アルバ+ラテン=アルバラーテ=バーラタとなる。

北欧のクル王国の隣国には、カスピ海~アラル海付近に渡る広範囲を統べた「ラテン王国」が存在した。ラテン王国はイタリアに存在したとされているが、それは間違っている。ラテン王国だけでなく、ローマ王国、アルバロンガもそうだ。これら、アラビア半島に存在した幻の古代王国(アルバ・ロンガ王国、ローマ王国、エトルリア王国、アテーナイ王国、マガン王国)はみな、善神デーヴァの核攻撃によって滅んだ。バーラタの名前からもわかるように、彼らは同盟を結んでいたため、生存者は集団でイタリア半島や古代ギリシアに移住し、古代王国の伝説を現地で語り継いだのだ。

バーラタ族は、トリツ族を率いて北欧を出撃し、古代インドを統治するアーリア人に挑戦した。アーリア人の軍団にはダーサ族(デウス)がいたが、彼らはバーラタ族とは家族である。バーラタ族は外から攻撃し、ダーサ族は内部から侵食を開始した。ここに「十王戦争」が始まった。

 

ケクロプス2世(?~?) アテーナイ第7代王 在位BC1347~BC1307※画像なし

スメンクカーラー(?~?) エジプト第18王朝ファラオ 在位BC1336~BC1334

ツタンカーメン(?~?) エジプト第18王朝ファラオ 在位BC1334~BC1325

アイ(?~?) エジプト第18王朝ファラオ 在位BC1325~BC1321※画像なし

 

パンディオン2世(?~?) アテーナイ第8代王 在位BC1307~BC1282※画像なし

ホルエムヘブ(?~?) エジプト第18王朝ファラオ 在位BC1321~BC1293

 

アエギウス(?~?) アテーナイ第9代王 在位BC1282~BC1234

シャットゥアラ2世(?~?) ミタンニ王 在位BC1280~BC1270

 

※上下エジプトでは「太陽神アメン」が強い影響力を誇っていた。そこに別の「太陽神アテン」を持っていっても勝てないと悟ったアテーナイ人は太陽神アメンの簒奪に乗り出した。そのため、第19王朝は混乱の内に幕を閉じることになる。そして、遂にアテーナイ人は太陽神アメンを奪い取り、「アメン大司祭国家」を築くことになる。

 

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シュッタルナ(?~?) ミタンニ王 在位BC1490~BC1470
バラタルナ(?~?) ミタンニ王 在位BC1470~BC1450
バルシャタタル(?~?) ミタンニ王 在位BC1450~BC1440
サウシュタル(?~?) ミタンニ王 在位BC1440~BC1410
アルタタマ1世(?~?) ミタンニ王 在位BC1410~BC1400
シュッタルナ2世(?~?) ミタンニ王 在位BC1400~BC1380
アルタッシュマラ(?~?) ミタンニ王 在位BC1380
トゥシュラッタ(?~?) ミタンニ王 在位BC1380~BC1350
アルタタマ2世(?~?) ミタンニ王 在位?~?
シュッタルナ3世(?~?) ミタンニ王 在位?~?
シャッティワザ(?~?) ミタンニ王 在位BC1350~BC1320
シャットゥアラ1世(?~?) ミタンニ王 在位BC1320~BC1300
ヴァシャサッタ(?~?) ミタンニ王 在位BC1300~BC1280

 

アエギウス(?~?) アテーナイ第9代王 在位BC1282~BC1234
シャットゥアラ2世(?~?) ミタンニ王 在位BC1280~BC1270

 

テセウス(?~?) アテーナイ第10代王 在位BC1234~BC1205

 

メネステウス(?~?) アテーナイ第11代王 在位BC1205~1183

イルス(?~BC1192) アジア人首長

 

※アテーナイ11代王メネステウスは、イルスを名乗り、第19王朝滅亡後の空位時代のエジプトに、大宛のミディアン人を引き連れて侵攻し、エジプトに混乱をもたらしたという。しかし、後に第20王朝を開くアテーナイ12代王デモフォンによって退けられている。

 

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デモフォン(?~?) アテーナイ第12代王 在位BC1183~1150※画像なし

セトナクト(?~?) エジプト第20王朝初代ファラオ 在位BC1185~BC1182※画像なし

ラムセス3世(?~?) エジプト第20王朝第2代ファラオ 在位BC1182~BC1151

 

※ラムセス3世は、タナトスの一族(ディオーネー)で海の民と呼ばれたデニエン人、シェルデン人と組み、地中海の古代王国を襲撃した。ミケーネ文明を滅ぼし、トロイアを滅ぼし、ヒッタイト帝国を滅ぼした。歴史ではラムセス3世は海の民を撃退したとされているが、ラムセス3世が退けたのはトゥルシア人、チェケル人、ウェシュシュ人、ペリシテ人、シェクレシュ人などの海の民と考えられる。

 

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オクシンティス(?~?) アテーナイ第13代王 在位BC1150~BC1136

ラムセス4世(?~?) エジプト第20王朝第3代ファラオ 在位BC1151~BC1145

ラムセス5世(?~?) エジプト第20王朝第4代ファラオ 在位BC1145~BC1141

ラムセス6世(?~?) エジプト第20王朝第5代ファラオ 在位BC1141~BC1133

 

アフェイダス(?~?) アテーナイ第14代王 在位BC1136~BC1135

ラムセス7世(?~?) エジプト第20王朝第6代ファラオ 在位BC1133~BC1126

 

ティモエテス(?~?) アテーナイ第15代王 在位BC1135~BC1127

ラムセス8世(?~?) エジプト第20王朝第7代ファラオ 在位BC1133~BC1126

 

ラムセス9世(?~?) エジプト第20王朝第8代ファラオ 在位BC1126~BC1108

ラムセス10世(?~?) エジプト第20王朝第9代ファラオ 在位BC1108~BC1098

 

ラムセス11世(?~?) エジプト第20王朝第10代ファラオ 在位BC1098~BC1070

ヘムネチェルテピエンアメン・ヘリホル(?~?) エジプト第21王朝初代ファラオ 在位BC1080~BC1074

 

ピアンキ(?~?) エジプト第21王朝第2代ファラオ 在位BC1074~BC1070

カーケペルラー=セテプエンアメン・パネジェム1世 (?~?) エジプト第21王朝第23ファラオ 在位BC1070~BC1032

マサハルタ(?~?) エジプト第21王朝第4代ファラオ 在位BC1054~BC1046

ヘムネチェルテピエンアメン・メンケペルラー(?~?) エジプト第21王朝第5代ファラオ 在位BC1045~BC992

 

スメンデス2世(?~?) エジプト第21王朝第6代ファラオ 在位BC992~BC990

アビバアル(?~?) ティール王 在位BC993~BC981

パリクシット(?~?) クル王 在位BC1000頃

 

カーケペルラー=セテプエンアメン・パネジェム2世(?~?) エジプト第21王朝第7代ファラオ 在位BC990~BC969

プスセンネス3世(?~?) エジプト第21王朝第8代ファラオ 在位BC969~BC945

ハイラム1世(?~?) ティール王 在位BC980~BC947

ジャーナメジャヤ(?~?) クル王 在位BC950頃

 

※BC1098年頃にアラビア半島は、善神デーヴァ(科学の種族トバルカイン)による大規模な核攻撃により、森林は死滅し、河川は干からびた。人が住めない土地となったのを機に、アテーナイ人はギリシアに移り、太陽神アメンの簒奪に熱意を傾けていたアテーナイ人は神官都市テーベを掌握する。太陽神アメンの簒奪に成功したラムセス11世は、ヘムネチェルテピエンアメン・ヘリホルに名を変え、「アメン大司祭国家」を神官都市テーベに築いた。しかし、周王の一族がサイス朝(リビア人王朝)を築くと、アメン神官団はエジプトから去り、ヌビアに避難した。このときに、クシュ王国が建設されている。

 

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シャバカ(?~BC690) エジプト第25王朝初代ファラオ 在位BC705~BC690

バカラー・タヌトアメン(?~BC656) エジプト第25王朝第10代ファラオ 在位BC664~BC656

 

メロエ王国(?~350頃) ※歴代王の系譜不明

 

※クシュ王国はエジプトに侵攻してヌビア王朝(エジプト第25王朝)を築くが、アッシリア帝国軍の侵略に敗北すると、ヌビアに帰還し、メロエ王国を築いた。350年、メロエ王国はアクスム王国によって滅亡している。

 

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ブガンダ王国(400~1400頃) ※歴代王の系譜不明

 

※メロエ王国が滅ぶと、メロエの王族は湖水地方に移住してブガンダ王国を築いたと考えられる。それと同時にブルグント族としてゲルマニアに出現し、ブルグント王国を建設した。

 

 

ゲビッカ(?~407) ブルグント王国初代王

 

グンダハール(?~437) ブルグント王国第2代王

 

※グンダハール(gunther)の名はガンダーラ(gandhara)に由来していると考えられる。この名がブルグント、カンタブリア、カンタベリー、ブガンダなどの名の由来ともなった。クロタール1世がメロヴィング朝フランク王国を築くと、ブルグント族はヨーロッパを離れ、ブリテン島に渡った。

 

ゴドマール1世(?~486) ブルグント王国第?代王 在位473年~486年

ヘンギスト(?~488) ケント王国初代王 在位455~488

 

Cuthred(?~807) ケント王国最後の王

桓武天皇(737~806) 第50代天皇

 

※ケント王国が滅ぶと、ケントの王族はイギリスを離れて日本に渡り、cuthredは桓武天皇となった。

 

葛原親王(786~853)

 

平高棟(804~867)桓武平氏

源信(810~869) 嵯峨源氏

 

源弘(812~863)嵯峨源氏

源常(812~854)嵯峨源氏

源明(814~853)嵯峨源氏

 

源経基(?~961) 清和源氏

 

源雅信(920~993) 宇多源氏

源重信(922~995)

 

源師房(1008~1077)村上源氏

 

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ブガンダの王族

 

Muteesa I(1837~1884) ブガンダ王国第30代王

ムハンマド・アフマド(1844~1885) マフディー国家初代君主

アブダラヒ・イブン・ムハンマド(1846~1899) マフディー国家第2代君主※画像なし

 

Daudi Cwa II(1896~1939) ブガンダ王国第34代王

イスマイール・アル=アズハリー(1900~1969) 初代スーダン首相

 

Eva Irini Alice Zalwango(1915~?) Daudi Chwa IIの子※画像無し

ムハンマド・アフマド・マフジューブ(1908~1976) 第5代スーダン首相

アデン・アブドラ・ウスマン(1908~2007) ソマリア共和国初代大頭領

 

George William Mawanda(1919~?) Daudi Chwa IIの子※画像無し

サー・アル・カティム・アル・カリファ(1919~2006) 第4代スーダン首相

ハッサン・グレド・アプティドン(1916~2006) ジブチ初代大頭領

 

Alexander Ssimbwa(1934) Daudi Chwa IIの子※画像無し

サーディク・アル=マフディー(1935) 第6代スーダン首相

 

Prince Kiweewa Luswata(194?) Muteesa IIの子※画像無し

オマル・アル=バシール(1944) スーダン共和国第8代大統領

イサイアス・アフェウェルキ(1946) エリトリア初代大頭領

 

 

 



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