目次
目次
まえがき 悪の足跡の追求
タナトスの一族~カニバリズム、人身御供、クロノス、アトランティス王国、最終戦争ラグナロク、タングート、西夏、狼男、チャガタイ・ハン国、タウングー朝、ズールー帝国、アフリカ独立運動、ボコ・ハラム
ティールタンカラの一族~アーリア人、仏教、継体天皇、中臣鎌足、藤原不比等、白河天皇、鳥羽天皇、マリ帝国、ジェノヴァ共和国、ルクセンブルク公国、リヒテンシュタイン公国、モナコ公国、アシャンティ帝国
デウスの一族~ジャイナ教、河伯、サータヴァーハナ朝、フン族、アッティラ帝王、稲荷神社、九頭龍、風水、足利尊氏、後醍醐天皇、シャーマニズム、クエーカー教、住友財閥、三井財閥
ダーナ神族の一族~ディオニュソス、デニエン人、猿田彦、契丹、デーン人、鬼、酒呑童子、ハーバード大学、ジョージ・ワシントン大統領、アメリカ連合国、統一イタリア王国、カナダ、ニュージーランド、阿含宗
アブラハムの一族~シュメール文明、エフライム族、バアル、アフラマズダー、ゾロアスター教、マケドニア王国、聖徳太子、ピサ共和国、奥州藤原氏、フランシスコ・ピサロ、ヴァーサ朝、フィンランド共和国
預言者ナタンの一族~ラピタ文化、ダン族、ソロモン王、ミディアン人、ストーンヘンジ、アテーナイ王国、ヒクソス、アマルナ宗教改革、マフディー国家
アッシュール・ダン1世の一族~魔神アスラ、タニス、北イスラエル王国、アルメニア王国、グノーシス主義、コプト教、聖コルンバ、アルシング議会
ガリアのドルイド司祭(東本願寺)の一族~アテネ民主制、ローマ執政官、ソピテース、デマゴーグ、ヘロデ大王、ローマ帝国、フィリキ・エテリア、青年トルコ革命
聖ドナトゥスの一族~渤海王、ブワイ朝、テンプル騎士団、ジンバブエ王国、ダホメー王国、ハイチ帝国、黒人地位向上協会、バハーイー教
ローマ教皇レオ1世の一族~ランゴバルト王国、メロヴィング朝、マズダク教、ウイグル可汗、浄土教、曹洞宗、ノルマン人、カルマル同盟、出雲大社、コーザ・ノストラ、オーストラリア、バチカン市国委員会
クリュニー大主教ベルノの一族~ナバラ王国、フランク・ローマ皇帝、カペー朝フランス王、民衆十字軍、土肥実平、長宗我部氏、三菱財閥、ルワンダ大虐殺
クリュニー大主教アイマールの一族~キエフ大公国、シトー会、北条時政、聖フランチェスコ会
クリュニー大主教ヒューの一族~ヒメネス朝ナバラ王、バルセロナ朝アラゴン王、ブルゴーニュ朝カスティーリャ王、ハフス朝、バルバロス・ハイレッディン、チュニジア、アルジェリア
カペー朝ルイ7世の一族~メリナ王国、カンボジア王国、カリブ族、ゴーストダンス、マウマウ団、ドラヴィダ進歩党、カーゴカルト、パプアニューギニア、クメール・ルージュ
カペー朝フィリップ2世の一族~ドイツ騎士団、白蓮教、小西行長と弥助、マラッカ王国、ブルネイ帝国、リンガトゥ教、呪術師スビキロ、バラク・オバマ、フアン・グアイド
親鸞の一族~浄土真宗、時宗、一向宗、世界初の精神病院ベドラム、ブルゴーニュ朝ポルトガル、コンキスタドール、メキシコ帝国、麻薬カルテル
如信の一族~魔女狩り解禁、異端審問、伊勢大社、カペー朝フランス王、ボルボン朝スペイン王、スペイン共和国
覚如の一族~紅巾の乱、華僑、百年戦争、殺人集団タギー、琉球王国、アチェ王国、黎朝ベトナム帝国、白蓮教、シンガポール、日清食品、社会民主党、全能神
善如の一族~倭寇、恭愍王、足利義満、日野富子、三浦倭館、東林党、魏忠賢、フランシス・ドレイク、バッカニア海賊、カタール首長
綽如の一族~ヴァロワ=ブルゴーニュ公、ブルボン公、能登守、ケベック解放戦線
巧如の一族~ジル・ド・レ、ヴァロワ朝フランス、マルタ騎士団、マラーター族、ハウサ諸王国、ソコト帝国
存如の一族~応仁の乱、アラゴン王国、アヴィス朝・ブラガンサ朝ポルトガル、ポルトガル共和国
蓮如の一族~スイス連邦参事会、魔女狩り、パッツィ家、ロレーヌ公、一向一揆、秘密委員会、ベルギー王国
実如の一族~毛利元就、オルデンブルク朝デンマーク、モロッコ王国、フランコ将軍、パレスチナ解放機構、トントンマクート、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三、統一協会
証如の一族~明智光秀、魔女狩り、戦国時代、オランダ王国、近衛家、クウェート王国、イギリス東インド会社、南アフリカ連邦、ジャム・カシミールのムジャヒディーン、湾岸戦争
顕如の一族~万暦の三征、魔女狩り、オランダ東インド会社、スチュアート朝、老論派、バプティスト教会、メソジスト教会
教如の一族~織田信雄、東山天皇、仁孝天皇、孝明天皇、カメハメハ大王、ハワイ王国、トンガ王国、サモア独立国、フィジー共和国、エチオピア連邦民主共和国
宣如の一族~ハプスブルグ家、ブルボン家、プファルツ朝スウェーデン王、フルベ聖戦、フランス共和国、イスラーム・マグリブ諸国のアル=カーイダ機構
琢如の一族~英蘭戦争、マラーター王国、ベンガル太守、アワミ連盟、バングラデシュ、ジャマート=ウル=ムジャーヒディーン
常如の一族~後金時代、李氏朝鮮末期、琉球第二尚氏王統、東学党、ゴ・ディン・ジエム、大韓民団、株式会社ロッテ
一如の一族~名誉革命、ジャコバイト、オラニエ=ナッサウ王家、南アフリカ連邦、オレンジ革命
真如の一族~イエズス会弾圧、ムガール皇帝、マラーター同盟、タタ財閥、デカン・ムジャヒディーン
従如の一族~田沼意次、徳川家重、松平定信、井伊直弼、水野忠邦、徳川慶喜
乗如の一族~フランス革命、ベトナム植民地、ブラジル帝国、YMCA、セブンスデー・アドベンチスト教会、国際赤十字社、花粉症、AIDS
達如の一族~復古神道、尊皇攘夷、天理教、金光教、神社本庁、日本社会党、講談社、日本会議
大谷光勝の一族~丙寅教獄、明治維新、ビアフラ共和国、ソンミ村虐殺、コリン・パウエル、コンドリーザ・ライス、トニー・ブレア
大谷光榮の一族~アドルフ・ヒトラー、ハインリヒ・ヒムラー、軍産複合体、パフラヴィー朝皇帝、アウグスト・ピノチェト、立憲民主党
大谷光演の一族~重慶爆撃、CTスキャン、ダライ・ラマ14世、ディズニー・カンパニー、スティーブン・スピルバーグ、ジャニーズ、タイム・ワーナー社、YOUTUBE
ヘンリー・キッシンジャーの一族~ビル・クリントン、湾岸症候群、ジョン・ベネ殺害事件、レバノン空爆、ロシアの人喰いズマガリエフ、フェイスブック
大谷光暢の一族~ラビア・カーディル、地下鉄サリン事件、天安門事件、オウム地下鉄サリン事件、酒鬼薔薇聖斗、雨傘革命
大谷暢顕の一族~放送局アナウンサー、櫻井よしこ、神戸連続児童殺傷事件、学級崩壊、大阪池田小児童殺害事件、てるくはのる事件
大谷暢裕の一族~根本匠、2014香港反中デモ、2014香港反政府デモ、2019逃亡犯条例改正案撤回デモ
大宛のドルイド司祭(西本願寺)の一族~大宛、クシャーナ朝、鳩摩羅什、曇鸞、浄土宗、隋、ウマイヤ朝イスラム帝国、北宋、舜天王統、ブギス族、ジョホール朝、林本源、中国仏教協会、台湾
王安石の一族~南宋皇帝、今川国氏、デリー・スルターン朝、曹洞宗、総持寺祖院初代門主
今川国氏の一族~アステカ人身御供、ヴラド・ツェペシュ、見付天神の人身御供、エリザベート・バートリ、モルダヴィア公、ルーマニア王国、モルドバ共和国
准如の一族~小早川秀秋、ドン・コサック、古儀式派、ノーベル賞、ベルナドッテ朝スウェーデン王
良如の一族~生類憐みの令、火付盗賊改、子供を殺すための法律「ブラック法」、MI6長官
寂如の一族~女帝エカチェリーナ、秘密結社イルミナティ、ナチス帝国、特高警察、モサド、中央情報局、アメリカ連邦捜査局
住如の一族~黒住教、ビン=ラディン・グループ、アルカーイダ、ソマリランド大統領、GOOGLE
湛如の一族~ジュンガル帝国、チャックリー家、タイ王国首相、モンゴル人民革命党、霊友会、世界救世教、祟教真光、日本相撲協会
法如の一族~アヘン戦争、ロスチャイルド財閥、ロックフェラー財閥、スカル&ボーンズ、第一次世界大戦、ホスピス、北大西洋条約機構、ベルギー首相職、アムネスティ・インターナショナル
文如の一族~ウクライナ東方カトリック教会、薩摩戦争、切り裂きジャック、インディアン虐殺、国際連合
本如の一族~ウクライナ東方カトリック教会、東トルキスタン、ムスリム同胞団、ユーゴスラビア紛争、チェチェン紛争、南オセチア紛争、ウクライナ政変
広如の一族~伊藤博文、大隈重信、山縣有朋、新渡戸稲造、白洲次郎、東条英機、日産コンツェルン、731部隊、ベトナム戦争
デヴィッド・ロックフェラーの一族~ジョージ・ソロス、CNN、モンサント社、遺伝子組み換え作物、成長ホルモン、コソボ爆撃、コロンバイン高校銃撃
大谷光尊の一族~イギリス王室、ファシスト党、ディープ・ステート、ウィリアム・ハイレンズ、イスラム国、ウクライナ21、ライブドア
大谷光瑞の一族~ジョージ・H・W・ブッシュ、湾岸戦争、冷戦終結、法輪功、国境なき記者団、自動運転技術テロ、オール電化テロ
大谷光照の一族~ジョージ・W・ブッシュ、除草剤ラウンドアップ、連続殺人犯テッド・バンディ、世界同時多発テロ、キャラバン
大谷光真の一族~悪魔ビル・ゲイツ、マイクロソフト社、上祐史裕、プログラム自動ダウンロードテロ、異常行動テロ
大谷光淳の一族~2ちゃんねる、仙台女児連続暴行事件犯人、2019逃亡犯条例改正案撤回デモ、Qアーミージャパン
ユダヤ人(1731)の一族~ハザール帝国、カバラ神秘主義、ホフユーデン、人体自然発火事件、クーン・ローブ商会、シオニズム運動、精神医学、モサド、ドイツキリスト教民主同盟
ユダヤ人(1908)の一族~ヒヴァ・ハン国、ガージャール朝、アドルフ・ヒトラー、ツングース大爆発、ロケット、マンハッタン計画、原子爆弾、水素爆弾、レーザー、コンピューター
第一次、第二次、第三次世界大戦の一族
タナトス一族の趣味~世界の拷問
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クリュニー大主教ベルノの一族~ナバラ王国、フランク・ローマ皇帝、カペー朝フランス王、民衆十字軍、土肥実平、長宗我部氏、三菱財閥、ルワンダ大虐殺

ベルノ(850~927) クリュニー大主教

ウード(852~898) 西フランク第5代王
アルフォンソ3世(848~910) アストゥリアス王
サンチョ・ガルセス1世(860~925) ナバラ初代王
グイド(855~894) グイード朝フランク・ローマ皇帝※画像なし
アルヌルフス(850~899) カロリング朝フランク・ローマ皇帝
ベレンガリウス(845~924) ウンロシング朝フランク・ローマ皇帝※画像なし

 

西欧:ノルマン人改宗(911)
西欧:クラモール・ド・ハロー(911頃)

 

※911年、ベルノはノルマン人をキリスト教に改宗した。東西本願寺の門主の名に付く「如」の由来はベルノである。ベルノ=ベルニョ=如となる。つまり、大谷が「如」を付けることで彼らがクリュニー会の祖ベルノを崇拝していることがわかる。

クリュニー会が、敵であるノルマン人を改宗させたのが911年。ドナトゥス派の司教マヨリヌスが出現したのは311年である。大谷はここぞという時、験担ぎで、先祖が偉業を成し遂げた日にちを選び、コトを実行する。クリュニー会は、誕生したばかりのノルマンディー公国に拠点を移し、ヴァイキングたちを改宗させた。

この時、クリュニー会はノルマン人、ヴァイキング、フランク人の中に潜む優れた者を排除するために「クラモール・ド・ハロー」を起動させた。クラモール・ド・ハローとは、国民が訴えを起こした際、国王はすぐに裁判を開かなければならないのだ。

非常に良い決まりごとのようだが、その実、仲間を保護し、敵だけを公的に排除するためのシステムだった。基本的に、裁判官と原告はクリュニー会関係者であり、被告はクリュニー会に寄与しない優れた人物と決定されていた。原告のクリュニー会関係者は無実の罪をデッチあげ、死刑を宣告するためだけに被告を裁判に引き釣り出した。これによって、多くの優れた人材を失ったノルマンディー公国は、弱体化の機運を辿った。

 

オドン(880~942) クリュニー大主教
阿咄欲(?~?) 甘州ウイグルカガン 在位926~939※画像なし
ヨハネス11世(910~935) ローマ教皇 在位931~935※画像なし
レオ7世(?~939) ローマ教皇 在位936~939※画像なし
ステファヌス9世(?~942) ローマ教皇 在位939~942
ランベルトス(880~898) グイード朝フランク・ローマ皇帝
ルドウィクス3世(880~928) ボゾ朝フランク・ローマ皇帝※画像なし
フルエーラ2世(875~925) レオン王

 

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順化可汗(仁裕、奉化可汗) 甘州ウイグルカガン 在位926~959 仁美の弟
景瓊 甘州ウイグルカガン 在位959~? 仁裕の子
夜落紇密礼遏 甘州ウイグルカガン 在位?~?
禄勝 甘州ウイグルカガン 在位?~?
夜落紇(夜落隔、忠順保徳可汗王) 甘州ウイグルカガン 在位? ~1016
夜落隔帰化 甘州ウイグルカガン 在位1016~ ?
夜落隔通順(帰忠保順可汗王) 甘州ウイグルカガン 在位? ~?
 

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マヨルス(906~994) クリュニー大主教
ガルシア・サンチェス2世(?~1000)※画像なし
サンチョ・ガルセス2世(935~994) ヒメネス朝ナバラ王
ヨハネス12世(937~964) ローマ教皇 在位955~964
ユーグ・カペー(940~996) カペー朝初代フランス王

 


ロベール2世(972~1031) カペー朝第2代フランス王

ヨハネス19世(?~1032) ローマ教皇 在位1024~1032
サンチョ・ガルセス3世(985~1035) ヒメネス朝ナバラ王※画像なし

 


アンリ1世(1008~1060) カペー朝第3代フランス王

ランフランクス(1005~1089) カンタベリー大主教
ラミロ1世(1007~1063) アラゴン初代王
ニコラウス2世(1010~1061) ローマ教皇 在位1058~1061

 

※アンジュー伯やノルマンディー公に圧迫されていたアンリ1世は、1060年に51歳で死んだことにし、フランスを出発してアフリカへの旅に出た。アンリ1世がマプングプエ王国(1075年)を築いた。マプングプエ王国を築くまでに15年かかっている。

 


フィリップ1世(1052~1108) カペー朝第4代フランス王
隠者ピエール(生没年不詳) 民衆十字軍指揮者


※1095年、ローマ教皇に破門を通告された正にその年にフィリップ1世は隠者ピエールに変身し、第一次十字軍に先駆けて民衆十字軍を発進させた。フィリップ1世の目的は、アンチ1世がアフリカに築いた王国に移住することだったようだ。


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カネム帝国(700~1376)※歴代王の系譜不明
マプングプエ王国(1075~1220)※歴代王の系譜不明


※現ナイジェリアに到達した民衆十字軍がカネム帝国の王位を簒奪した。当初、カネムはカネムと呼ばれていなかったが、フィリップ1世の娘セシルの子が王位に就いたため、カネムと呼ばれた。カネムの由来はカナンである。セシルは民衆十字軍とイスラム教徒の間で起きた「アンティオキア攻防戦」が起きた1097年のシリアに生まれている。
その後、南下したフィリップ1世の家族は現ジンバブエに辿り着き、先住していた父アンリ1世と共にマプングプエ王国を築いた。マプングプエの由来はシャンパーニュのカペーである。シャンパーニュ+カペー=ヤパニュカプェー=マプングプエとなる。

 

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クロトゥンガ(?~?) 後期チョーラ初代王 在位1070~1120

 


ラージャディラージャ2世(?~?) 後期チョーラ第2代王 在位1166~1178 ※画像なし
ジャターヴァルマン・クラーシェカラ(?~?) 後期パーンディヤ初代王 在位1190~1216※画像なし
土肥実平(?~1191) 土肥氏の祖
吉川経義(1132~1193) 吉川氏の祖※画像なし
相馬師常(1139~1205) 相馬氏の祖


※ラージャディラージャ2世は死んだことにして日本に移住し、土肥実平を称した。土肥実平は源頼朝の右腕であったが、その正体はチョーラ王であった。土肥の由来はパーンディヤである。パーンディヤ=デイヤ=土肥となる。土肥実平は、同時に吉川経義、相馬師常に変身し、吉川氏と相馬氏の祖となった。いずれの名もインドの土地が由来である。吉川の由来はカルキヤであり、相馬の由来はスーマである。
その後、土肥実平は、家族である北条政子に源頼朝の管理を託すと、自分は死んだことにして南インドに戻り、ジャターヴァルマン・クラーシェカラとして後期パーンディヤ初代王に即位した。土肥実平の日本での活動期間はラージャディラージャ2世の没年とジャターヴァルマン・クラーシェカラの即位の年を見れば一目瞭然だが、18年ということになる。つまり、土肥実平、吉川経義、相馬師常はインド人(ドラヴィダ人)の姿をしていた。土肥氏や相馬氏は坂東八平氏の前身に参加したが、坂東の由来はパーンディヤである。パーンディヤ=パンドア=坂東となる。尤も、坂東の名はフィリップ1世の一族に簒奪される前の正統なパーンディヤ王家やチャールキヤ朝の命名である。

 

小早川遠平(?~1237) 小早川氏の祖


※小早川遠平の正体はマプングプエ王だと考えられる。小早川の由来はグプエの川である。つまり、マプングプエ王国が建てられたリンポポ川を指している。グプエ+川=コバヤ+川=小早川となる。つまり、小早川遠平はアフリカ人(ジンバブエ人)の姿をしていた。

インド洋の商業航路を経て日本に辿り着いた遠平は土肥実平の養子となり、日本で活動する足場を得た。不思議なことだが、彼らは容易に、血が繋がった家族を見分けることができるようだ。


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マーラヴァルマン・スンダラ・パーンディヤ1世(?~?) パーンディヤ王 在位1216~1238
ラージャラージャ3世(?~?) チョーラ王 在位1216~1256


ジャターヴァルマン・スンダラ・パーンディヤ1世(?~?) パーンディヤ王 在位1251~1268
ラージェンドラ3世(?~?) チョーラ王 在位1246~1279


マーラヴァルマン・クラーシェカラ1世(?~?) パーンディヤ王 在位1268~1311


※フィリップ1世の子にはアンリ、シャルル、ウード、フィリップ、フロリュス、ウスタシーがいたが、その何人かがスワヒリに築かれたインド洋商業航路を東南アジア方面に向かい、インド南部に上陸してチョーラ朝とパーンディヤ朝の王位を簒奪したようだ。


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中原秋通(1144頃?~?) 香宗我部氏の祖
長宗我部能俊(生1170頃?~?) 長宗我部氏の祖


※チョーラの王位を簒奪したフィリップ1世の一族はインドから日本に向かい、土肥実平を生み、香宗我部氏や長宗我部氏を生んだ。香宗我部の由来はシャルルとモンフォールとカペーの組み合わせであり、長宗我部の由来はチョーラとモンフォールとカペーの組み合わせである。シャルル+モンフォール+カペー=カール+モン+カペー=香+宗+我部=香宗我部となり、チョーラ+モンフォール+カペー=チョー+モン+カペー=長+宗+我部=長宗我部となる。

 

多羅尾師俊(生1313頃?~?) 多羅尾氏の祖
トルワ王国(1450~1683)※歴代王の系譜不明


※多羅尾の由来はドラヴィダである。ドラヴィダ=ドタヴィ=多羅尾となる。時期的な観点から見ると、多羅尾氏の正体は最後のパーンディヤ王の可能性もある。その後、多羅尾氏は先祖の故地である現ジンバブエに帰還し、トルワ王国を築いている。トルワの由来はドラヴィダ、或いは多羅尾である。

 

長宗我部元親(1539~1599) 長宗我部氏当主


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ミナンカバウ族(14世紀)


長宗我部能重が吉原庄全域を支配下に置くと、香宗我部氏は1386年に土佐国を後にスマトラ島に移住した、彼らは「ミナンカバウ」を称した。ミナンカバウの名の由来は宗我部(ムネカベ)である。ムネカベ=ムネンカバエ=ミナンカバウとなる。AD1651年、オランダ東インド会社がミナンカバウ族の土地で金を発掘して以来、タナトスの家族ということで、ミナンカバウ族はオランダと親交をもった。その後、AD1585年、豊臣秀吉の四国征伐で敗北すると、長宗我部氏は土佐国を後に、兄弟であるミナンカバウの地に移住し、両者は連合した。
1958年、ミナンカバウ族は「インドネシア共和国革命政府」を立ち上げて反乱を頻発し、ゲリラ戦を展開した。この反乱は、AD1961年に終焉を迎えているが、背後でオランダ王国、パプア系華僑と連合していた可能性も高い。

 

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●三菱の家系(イスラム急進派パドリ)

 

トゥアンク・イマーム・ボンジョル(1772~1864) パドリ指導者

岩崎弥三郎(生没年不詳) 弥次郎の父※画像なし

 

岩崎弥次郎(1808~1873) 弥太郎・弥之助の父

 

岩崎弥太郎(1835~1885) 三菱創業者

後藤象二郎(1838~1897)

井上馨(1836~1915)

松方正義(1835~1924) 内閣総理大臣・日本赤十字社社長

 

※調べたところ、岩崎弥太郎はミナンカバウ族(インドネシア人)の血を引いていることが分かった。パドリの子孫である。パドリとはミナンカバウ族のイスラム急進派であるが、前から、どうりで顔が濃いなとは思っていた。象二郎、馨、正義は弥太郎の影武者として生まれた。

 

岩崎弥之助(1851~1908) 三菱財閥二代目

桂太郎(1848~1913) 内閣総理大臣

 

※上記のように、弥太郎と弥之助は兄弟ともに内閣総理大臣になっている。つまり、三菱財閥総帥が内閣総理大臣になっていたということだ。

 

岩崎忠雄(1909~1966) 三菱財閥総帥、三菱モンサント化成社長

SJAFRUDDIN PRAWIRANEGARA(1911~1989) インドネシア共和国革命政府首相

 

岩崎英二郎(1922~2017)

ブルハヌディン・ハラハップ(1917~1987) インドネシア共和国革命政府安全・正義大臣

 

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ユヒ5世(1883~1944) ルワンダ王国第三王朝14代王

シモン・キンバング(1887~1951) キンバング教会教祖

アンドレ・マツワ(1899~1942) 宗教運動マツワニズム指導者

 

ムタラ3世(1911~1959) ルワンダ王国第三王朝15代王※画像なし

ジョセフ・カサブブ(1910~1969) コンゴ民主共和国初代大統領

フルベール・ユールー(1917~1972) コンゴ共和国初代大統領

 

キゲリ5世(1935~2016) ルワンダ王国第三王朝16代王

ローラン・カビラ(1939~2001) コンゴ民主共和国第3代大統領※画像なし

マリアン・ングアビ(1938~1977) コンゴ共和国第7代大統領※画像なし

ジョアキム・ヨンビ=オパンゴ(1939~) コンゴ共和国第8代大統領※画像なし

 

ユヒ6世(1960) ルワンダ王国王位請求者

フェリックス・チセケディ(1963) コンゴ民主共和国第5代大統領

 

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ブルハヌディン・ハラハップの子

 

ポール・カガメ(1957) ルワンダ愛国戦線首領、ルワンダ大統領

ペーテル・トムカ(1956) 国際司法裁判所裁判官

 

※写真はルワンダ大虐殺の現場。フツ族がツチ族を殺したとされているが、実際にはツチ族のポール・カガメが指揮し、ツチ族を殺戮した。仲間を出来るだけたくさん殺すこと。そうすることでフツ族を悪者扱いできるのだ。大谷が最初にやることは常に敵に汚名を着せることだ。敵に「悪」の汚名を着せるために味方を殺すのだ。

因みに、ツチ族であるポール・カガメは、陰陽道を治める土御門家の子孫である。それを証明するように、カガメの名の由来は陰陽道に関係がある言葉「籠目(かごめ)」である。また、土御門の由来は「ツチの帝王」である。

 

1990年10月、ウガンダに拠点を置く反政府ゲリラ組織ルワンダ愛国戦線 (RPF)がルワンダを越境攻撃し北部を制圧。その頃カガメは米国レブンワース基地のアメリカ陸軍指揮幕僚大学で軍事訓練を受け、後にRPF最高司令官となる。当時のジュベナール・ハビャリマナ政権をフランス、ベルギーなどが支援し、戦闘は膠着状態に。長期に渡る和平交渉を経て、1993年に和平が成立。しかし1994年にハビャリマナ大統領と隣国ブルンジのンタリャミラ大統領が搭乗する航空機が撃墜され死亡すると、政府軍及びフツ強硬派民兵インテラハムウェによるツチなどへのジェノサイドが発生、推計で約80万人が死亡した。するとカガメ率いるRPFはツチ保護を名目に全土を制圧し、フツのパストゥール・ビジムングを大統領とする新政権を発足。カガメは副大統領兼国防相に就任し、事実上政権を掌握し、軍事的にも同国に強大な影響力を保った。 wikiより

 

 

 


クリュニー大主教アイマールの一族~キエフ大公国、シトー会、北条時政、聖フランチェスコ会

 

アイマール(?~965) クリュニー大主教

シャルル・コンスタンティン(?~962) プロヴァンス王ルイ3世の子※画像なし
ガルシア・サンチェス1世(919~970) ヒメネス朝ナバラ王

 

※クリュニー大主教アイマールの一族は、引き続き、レオン、ナバラ、カスティーリャなどイベリア半島を重要な拠点として死守する方向にある。

 

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サンチョ1世の子

 

ラミロ3世(961~985) レオン王

オディーヨ(962~1049) クリュニー大主教※画像なし
グレゴリウス6世(?~1048) ローマ教皇 在位1045~1046

 

※オディーヨとグレゴリウス6世は同一人物であった。グレゴリウス6世は教皇職を金で買ったといわれている。彼は教会会議で有罪になり、教皇職を廃位にされた。

 

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ガルシア・サンチェス1世の子

 


サンチョ・ガルセス2世(935~994) ナバラ王
サンチョ1世(935~966) レオン王

 

※サンチョ・ガルセス2世とサンチョ1世はドウイツ人物である。2人の王を演じ分けることで彼はナバラとレオンを支配した。

 

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サンチョ・ガルセス2世の子

 


ガルシア・サンチェス2世(?~1000) ナバラ王

 

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ガルシア・サンチェス2世の子

 


サンチョ・ガルセス3世(985~1035) ナバラ王


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サンチョ・ガルセス3世の子

 

ガルシア・サンチェス3世(1016~1054) ナバラ王

ステファヌス10世(?~1058) ローマ教皇 在位1057~1058

ヤロスラフ1世(978~1054) キエフ大公

 

※新興国ロシアに早くも目をつけたクリュニー会は、ガルシア・サンチェス3世を送り込み、邪教信者を駆使してヤロスラフ1世としてキエフ大公の座に就いた。

 

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ヤロスラフ1世の子

 

スヴャトスラフ2世(1027~1076) キエフ大公
モレームのロベール(1027~1111) シトー会

 

※クリュニー会はキエフに気を配りながら、同時にフランスにシトー会を設けた。シトーの由来はサトゥルヌスの一族シッダールタである。

 

フセヴォロド1世(1030~1093) キエフ大公※画像なし

アンセルムス(1033~1109) カンタベリー大主教※画像なし
アルベリック(?~1109) シトー会

 

※アンセルムスはアルベリックを演じ、カンタベリー大主教とシトー会の役割を往来しながら演じていた。死んだ年が同じなので同一人物と考えられる。ロシア誕生以前のロシア地域で、クリュニー大主教アイマールの一族が活動開始をはじめたと考えられる。現代のタナトス一族がウクライナにこだわる理由はこの辺にありそうだ。タナトス一族は、1000年前にキエフ大公の座位を簒奪していた。

 

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アルフォンソ6世(1040~1109) カスティーリャ王
サンチョ2世(1040~1072) カスティーリャ王
フセスラフ・ブリャチスラヴィチ(1044~1101) ポロツク公

 

※当時のクリュニー会の関心事はスペインを拠点として抑えながら、ロシアとフランスを支配することである。

 

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フセスラフ・ブリャチスラヴィチの子

 

ログヴォロド・フセスラヴィチ(1054~1128) ポロツク公※画像なし

クレルヴォーのベルナルドゥス(1090~1153) シトー会
エウゲニウス3世(?~1153) ローマ教皇 在位1145~1153

 

西欧:「新しい騎士たちを讃えて」を著す(1130)

西欧:第2次十字軍(1147~1149)

北欧:北の十字軍公認、ヴェンデ十字軍公認(1147)

 

※第2次十字軍はローマ教皇エウゲニウス3世が企画し、聖ベルナルドゥスが勧説したとされているが、実際には、両者は同一人物である。これは興味深いことである。ひとりが大勢の分身を演じることで、大谷は、多くの人々に支持されているという印象を作り出すのだ。

 

ロスチスラフ・フセヴォロドヴィチ(1070~1093) フセヴォロド1世の子※画像なし
ライムンド・デ・ボルゴーニャ(1070~1107)
ムスチスラフ1世(1076~1132) キエフ大公※画像なし


※この時代、アイマールの一族はキエフ以外にもポロツクなどの拠点をロシアに得ている。ロシアとイベリア半島を自在に往復していたようだ。

 

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ムスチスラフ1世(ライムンド・デ・ボルゴーニャ)の子

 

スヴャトポルク・ムスチスラヴィチ(?~1154) ノヴゴロド公※画像なし

グレゴリウス8世(1100~1187) ローマ教皇 在位1187

慈照子元(?~1166) 白蓮教※画像なし
アルフォンソ7世(1105~1157) レオン王・カスティーリャ王

 

※異母兄弟の庶子を影武者として投入していたグレゴリウス8世は、18歳頃にイングランドに移り、トマス・ベケットとしてカンタベリー大主教の座に就いた。更に、中国に進出し、念仏系の秘密結社「白蓮教」を組織した。その後、イギリスに戻った慈照子元はベケットに戻る。だが、70歳の時にベケットは死んだことにして、イングランドからローマに移り、グレゴリウス8世としてローマ教皇の座に付いたが、1年も持たなかった。

 

ロスチスラフ1世(1110~1167) キエフ大公※画像なし

ラモン・バランゲー4世(1113~1162)

トマス・ベケット(1118~1170) カンタベリー大主教 

 

ウラジーミル・ムスチスラヴィチ(1132~1173) キエフ大公※画像なし

クレメンス3世(1130~1191) ローマ教皇 在位1187~1191

サンチョ6世(1133~1194) ナバラ王※画像なし
北条時政(1138~1215)
フェルナンド2世(1137~1188) レオン王

 

西欧:クレメンス3世、第3次十字軍(1189~1192)
高麗:農民暴動(1162)
日本:平家滅亡、壇ノ浦の合戦(1185)
日本:奥州藤原氏滅亡、奥州征伐(1189)
日本:鎌倉幕府成立(1192)
高麗:農民の大暴動(1193)
日本:梶原氏滅亡、梶原景時の変(1199)
日本:和田氏滅亡、和田合戦(1213)

 

※第3次十字軍を指揮したクレメンス3世は、日本に進出して北条時政となった。彼は、姪の北条政子に指示して源頼朝を操り、最大の懸念勢力であった平家を退け、鎌倉幕府を成立させた。また、時政は自分たちにとって邪魔だと思う者、平清盛を皮切りに源義経、奥州藤原氏、和田義盛、比企能員、梶原景時などを一掃した。時政は、タナトスの血を引く家族のみで執権政治を行った。タナトスの政治は、いつの世でも家族経営、同族会社である。更に、時政は朝鮮半島にも気を配り、仏教信者を指揮して高麗の十字軍ともいうべき大規模な暴動を発生させている。

 

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ラモン・バランゲー4世の子

 

アルフォンソ2世(1157~1196) アラゴン王

グレゴリウス9世(1155~1241) ローマ教皇 在位1227~1241
リチャード1世(1157~1199) イングランド王 在位1189~1199

サンチョ7世(1157~1234)

 

西欧:グレゴリウス9世、異端審判(1227)
西欧:グレゴリウス9世、第5次十字軍(1228~1229)

 

※リチャード1世として第3次十字軍に参加したことがあるグレゴリウス9世は、第5次十字軍を組織した。また、グレゴリウス9世は、ベルノが開発したクレモール・ド・ハローを再現し、異端審判として新装開店した。すべては自分たちの勢力伸張と敵の弱体化が目的である。

 

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アルフォンソ7世の子

 

サンチャ(1155~1208)※画像なし

北条政子(1157~1225)

 

日本:源氏滅亡、北条氏執権政治(1219)
日本:三浦氏滅亡、宝知合戦(1247)

 

※北条政子の正体はスペイン人女性サンチャであった。アルフォンソ7世の娘とされているが北条時政、つまり、サンチョ6世、またはフェルナンド2世の娘と考えられる。この場合、北条政子は優性遺伝子ブリーダーによって儲けられていることになる。

北条政子はただの悪女ではなく、タナトスの女であった。親鸞の伯母にあたる北条政子は源頼朝を操り、時政と共に邪魔だと思う者、平清盛を皮切りに源義経、奥州藤原氏、和田義盛、比企能員、梶原景時、三浦義村などを一掃した。その後、政子は源頼朝さえも切り捨てた。

 

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ムスチスラフ1世の曾孫 

 

 

ロマン・ムスティスラーヴィチ(1150~1205) キエフ大公※画像なし

ヒューバート・ウォルター(?~1205) カンタベリー大主教

 

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アルフォンソ2世の子

 

アルフォンソ(1180~1209) アルフォンソ2世の子※画像なし
アッシジのフランチェスコ(1181~1226) フランチェスコ会教祖


※この後、アイマールの一族は、みなフランチェスコ会の修道士となった可能性がある。白人列強の大航海時代に乗って世界の原住民をキリスト教により支配下に置いた。

 

 

 


クリュニー大主教ヒューの一族~ヒメネス朝ナバラ王、バルセロナ朝アラゴン王、ブルゴーニュ朝カスティーリャ王、ハフス朝、バルバロス・ハイレッディン、チュニジア、アルジェリア

アラゴン初代王ラミロ1世の子 

 

ヒュー(1024~1109) クリュニー大主教※画像なし

サンチョ5世ラミレス(1042~1094) アラゴン王
ウルバヌス2世(1035~1099) ローマ教皇 在位1088~1099

アルフォンソ6世(1040~1109) ヒメノ朝カスティーリャ王

 

イギリス:ノルマンディー公ウィリアムのイングランド征服(1066)
西欧:ロマネスク式クリュニー修道院完成(1088)
西欧:ウルバヌス2世、第1次十字軍(1096~1099)

 

※ヒューはノルマン人のイングランド侵攻に同行し、ノルマン朝が成立するとイングランド・カトリックを掌握し、同時にウルバヌス2世として初の十字軍を編んだ。十字軍は、聖なる移住(ウェルサクレム)を踏襲した、一向一揆の前身である。また、タナトスは何かを破壊したいとき、必ず「何かを守りたい」と発言していることが分かる。十字軍では「キリスト教の信仰を守りたい」「キリスト教の聖地を守りたい」と述べている。その実、本当の目的は略奪と破壊であったことは多くの人が知るところだ。十字軍は工夫したもので、上記で述べたとおり、大谷は善行を掲げている。これにより、邪魔者を公的に排除することができるのだ。更に、大谷は「十字軍」という名前にも気を配っている。十字軍命名のポイント。それは「悪党に見えない」ことだ。

 

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サンチョ・ガルセス4世の子

 

ラミロ・サンチェス(1070~1129)※画像なし

ホノリウス2世(1060~1130) ローマ教皇 在位1124~1130
ステファン・ハーディング(1060~1134) シトー会※画像なし

ペドロ1世(1068~1104) アラゴン王、ナバラ王

 

西欧:ホノリウス2世、テンプル騎士団認可(1128)

 

※テンプル騎士団は、シトー会に援助され、ホノリウス2世が承認したが、シトー会のステファン・ハーディングとホノリウス2世は同一人物である。生年が同じで、死んだ年が4年違いなのは偶然ではないだろう。ハーディングはホノリウス2世が1130年に死んだことにすると、ハーディングに戻って4年の余生を生きた。ひとりが大勢の分身を演じることで、大谷は、多くの人々に支持されているという印象を作り出すのだ。

※ペドロ1世はローマ教皇ホノリウス2世に変身していたが騒乱が発生し、教皇としてタナトスの一族を優遇する法律を制定することはできなかった。テンプル騎士団を承認したくらいである。

 

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ラミロ・サンチェスの子

 


ガルシア6世(1112~1150) アラゴン王、ナバラ王※画像なし
グレゴリウス8世(1110~1187) ローマ教皇 在位


※アルフォンソ7世はローマ教皇グレゴリウス8世を演じていたが、その時には十字軍の遠征を説いた。しかし、その願いも空しくあっさりと死んでいる。この背後には、民衆十字軍を指揮したいカペー朝フランス王フィリップ1世の一族の人間が関与していると考えられる。つまり暗殺であるが、一方ではタナトスの一族同士の抗争である。

 

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ガルシア6世の子

 

サンチョ6世(1133~1194) ナバラ王※画像なし
クレメンス3世(1130~1191) ローマ教皇 在位1187~1191


※サンチョ6世はローマ教皇クレメンス3世を演じているが、その時には十字軍の創設を考えていたがグレゴリウス8世と同じようにあっさりと死去した。この時も背後には、民衆十字軍を指揮したいカペー朝フランス王フィリップ1世の一族の人間が関与していると考えられる。つまり暗殺であるが、一方ではタナトスの一族同士の抗争である。

 

 

ブランシュ(1133~) サンチョ3世と結婚※画像なし
サンチョ3世 (1134~1158) ブルゴーニュ朝カスティーリャ王
フェルナンド2世(1137~1188) ヒメネス朝レオン王


※ガルシア6世の娘であるブランシュは、実際には、跡継ぎを守るために女子として育てられた男子であるが、ブランシュは自分が影武者として務めていたサンチョ3世と結婚することで、難なくサンチョ3世として生きることができた。サンチョ3世の子は、当然、ブランシュではなく他の女の子供である。

 

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サンチョ3世の子

 

アルフォンソ8世(1155~1214) ブルゴーニュ朝カスティーリャ王

グレゴリウス9世(1155~1241) ローマ教皇 在位1227~1241
リチャード1世(1157~1199) イングランド王 在位1189~1199

アルフォンソ2世(1157~1196) バルセロナ朝アラゴン王

 

西欧:グレゴリウス9世、異端審判(1227)
西欧:グレゴリウス9世、第5次十字軍(1228~1229)

 

※リチャード1世として第3次十字軍に参加したことがあるグレゴリウス9世は、第5次十字軍を組織した。また、グレゴリウス9世は、ベルノが開発したクレモール・ド・ハローを再現し、異端審判として新装開店した。すべては自分たちの勢力伸張と敵の弱体化が目的である。

※アルフォンソ8世は、アラゴン王アルフォンソ2世とローマ教皇グレゴリウス9世と前任者インノケンティウス3世を演じた。インノケンティウス3世の時には、アルビジョワ十字軍を指揮し、カタリ派に対して残虐な虐殺を行った。間が空いて、グレゴリウス9世の時には、異端に対する法律を強化し、ドミニコ会士に異端審問官の職務をゆだねた。悪にとって住みやすい環境を設けるため、ヨーロッパ中の善人を殺すという算段をつけたのだ。異端審問のポイントは、現実的にどれだけ善人を殺したとしても、法律上に於いては善人ではなく悪を成敗している。そのため殺人を咎められたり、批判されたりすることがない。


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アルフォンソ8世の子

 

ベレンゲラ(1180~1246)  ブルゴーニュ朝カスティーリャ女王※画像なし

フェルナンド3世(1201~1252)  ブルゴーニュ朝カスティーリャ王

アブー・ザカリーヤー1世(?~1249) ハフス朝初代アミール※画像なし

 

エンリケ1世(1204~1217) ブルゴーニュ朝カスティーリャ王
ハドリアヌス5世(1205~1276) ローマ教皇 在位1276

アブー=アブドゥッラー・ムハンマド・アル=ムスタンスィル(?~1277) ハフス朝第2代アミール※画像なし


※ベレンゲラはフェルナンド3世をエンリケ1世として即位させ、13歳で死んだことにすると次に自分が即位し、その後にフェルナンド3世を即位させるという技を使った。


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フェルナンド3世の子

 


アルフォンソ10世(1221~1284) ブルゴーニュ朝カスティーリャ王
インノケンティウス5世(1224~1276) ドミニコ会士、ローマ教皇 在位1276

アフマド・イブン・マルズーク(?~1284) ハフス朝第6代アミール 在位1283~1284※画像なし

 


サンチョ4世(1258~1295) ブルゴーニュ朝カスティーリャ王※画像なし
クレメンス5世(1260~1314) ローマ教皇 在位1303~1314

ウマル1世(?~1295) ハフス朝第7代アミール 在位1284~1295※画像なし

 


フェルナンド4世(1285~1312) ブルゴーニュ朝カスティーリャ王
ベネディクトゥス12世(1285~1342) ローマ教皇 在位1334~1342

ハーリド1世アル・ナーシル(?~1311) ハフス朝第10代アミール 在位1309~1311※画像なし


※フェルナンド4世が変身したベネディクトゥス12世は、聖職者たちの悪しき習慣を断つことを始めたが、安倍政権を見ても分かるように、実際には、タナトスの一族は敵を黙らせるために敵が欲することを約束する。ベネディクトゥス12世はいう悪しき習慣を断つ法律に、罰則がなければ何の効果はない。つまり、聖職者たちは以前のように悪しき習慣を続けたのは間違いない。例え罰則があったとしても、ローマ教皇がタナトスの一族である場合はすぐに無効になった。


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フェルナンド4世の子

 


アルフォンソ11世(1311~1350) ブルゴーニュ朝カスティーリャ王※画像なし

ウマル2世(?~1350) ハフス朝第15代アミール 在位1349~1350※画像なし
ウルバヌス5世(1310~1370) ローマ教皇 在位1362~1370

 


ペドロ1世(1334~1369) ブルゴーニュ朝カスティーリャ王※トラスタマラ家と習合

イブラーヒーム2世アル・ムスタシル(?~1369) ハフス朝第17代アミール 在位1350~1369※画像なし
インノケンティウス7世(1336~1406) ローマ教皇 在位1404~1406


※ペドロ1世がインノケンティウス7世を演じていた時、ローマ市民に面と向かって罵倒されるという事態にあった。そのため、教皇は甥に指示してローマ代表団の指導者11人を殺害し、死体を通りに討ち捨てた。インノケンティウス側はこれで市民は黙るだろうとタカをくくっていたが、暴徒と化した市民にヴァチカンを襲撃され、逃げ出したという。こういう善人の怒りを許せないタナトスの一族は、徹底的に魔女狩りで善人をヨーロッパから一掃することを改めて心に誓ったことだろう。

 

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ムハンマド5世アル・ムタワッキル(?~1526) ハフス朝第25代アミール 在位1494~1526

バルバロス・オルチ(1474~1518) 初代アルジェパシャ 任期1517~1518

 

ハサン・ムハンマド6世(?~1543) ハフス朝第26代アミール 在位1526~1543

バルバロス・ハイレッディン(1475~1546)

 

イブラヒーム・ベン・ラムダン(?~1745) アルジェパシャ 任期1732~1745

アル・フセイン1世(1669~1740) フサイン朝チュニジア君侯国初代ベイ

 

アフメド・ベイ(1805~1855) アルジェパシャ 任期1837~?

アブド・アルカーディル(1808~1883) スーフィー教団指導者

 

ムハンマド3世サドク・ベイ(1813~1882) フサイン朝チュニジア君侯国第12代ベイ

 

アリ3世(1817~1902) フサイン朝チュニジア君侯国第13代ベイ

ハイルディーン・パシャ(1820~1890)

 

チェドリー・ベイ(1910~2004) チュニスベイ

ハビーブ・ブルギーバ(1903~2000) 初代チュニジア大統領

 

ムハメド・ベイ(1914~1999) チュニスベイ

アーメド・ベン・ベッラ(1916~2012) 初代アルジェリア大統領

 

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モハメッド・ガンヌーシ(1941) チュニジア暫定大統領

 

 

 


カペー朝ルイ7世の一族~メリナ王国、カンボジア王国、カリブ族、ゴーストダンス、マウマウ団、ドラヴィダ進歩党、カーゴカルト、パプアニューギニア、クメール・ルージュ

 

ルイ7世(1120~1180) カペー朝第6代フランス王、ルイ6世の子

 

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アンドリアナリネリナ(15世紀) メリナ王国初代マダガスカル王

ポニャー・ヤット(1434~1462) 初代カンボジア王


※ジンバブエ王国が滅ぶと、十字軍の末裔は3つに分かれて新天地を目指した。一部は海を越えてマダガスカル島に入植し、メリナ王国を築いた。メリナの名の由来はルイ7世の娘マリーとアニエスの組み合わせと考えられる。更に、その足でインドシナ半島に入植し、カンボジア王国を建てている。カンボジアの由来は24のティールタンカラに属するクントゥとヴァースプージャの組み合わせである。

その後、アンドリアナナムポイメリナの時代に一時的にタギーの血が入り、ラダマ1世が生まれている。メリナ王族のラナヴァローナ1世がラダマ1世と結婚して王位を取り戻している。

 

カリブ族(15世紀)


※マダガスカル島に移住した人々は一部が東アフリカを出て更に大西洋を横断し、カリブ海に進出した。彼らはドミニカ島を住処にした。彼らは「カリブ」を称したがカリブの由来はマダガスカルのサカラバ族である。サカラバ=サカリブ=カリブとなる。これはジンバブエ人がサカラバの土地から来たことを旨にサカラバの名を借りた形であるが、人喰い人種であった彼らカリブの名は「カンニバル」の由来となった。

 

トーマス・インディアン・ワーナー(?~?) カリブ族初代首長 任期1667~1674
プチ・フランソワ(?~?) カリブ族首長 任期18世紀前半
ワカニク(?~?) カリブ族首長 任期18世紀半ば
ジョセフ(?~?) カリブ族首長 任期1850~1875


アーヴィンス・オーガスティー(?~?) カリブ族首長 任期1984~1994
ガーネット・ジョセフ(?~?) カリブ族首長 任期1998~2004、2009~2014
チャールズ・ウィリアムス(?~?) カリブ族首長 任期2004~2009、2014~

 

ジャラワ族(15世紀)

 

※カリブ族は中米を横断し、太平洋を横断してアンダマン諸島にまで達した。この時に、カリブ族は「ジャラワ族」を残した。ジャラワ族は凶暴な人食い族として知られている。また、彼らはアフリカ人にしか見えない容姿をしているため、しばしば彼らがどこから来たのか議論の的になっている。彼らはテンプル騎士団の血が流れているジンバブエ人だ。

 

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ラナヴァローナ1世(1778~1861) メリナ王国マダガスカル女王

アンエン(1773~1796) カンボジア王


※ラナヴァローナ1世は非常に残虐な女王として知られている。女王は人間がワニに喰い殺されるのを鑑賞するのが趣味であり、その趣味のせいで1万人は殺されたとされている。女王は女性を演じていた男性の可能性もある。その場合、女王はカンボジアでアンエンを演じていた。

 

ラダマ1世(1793~1828) メリナ王国初代マダガスカル王

アン・ドゥオン(1796~1860) カンボジア王

 

ラダマ2世(1829~1863) メリナ王国第3代マダガスカル王

ノロドム1世(1834~1904) カンボジア王

 

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アン・ドゥオンの子

 

シソワット1世(1840~1927) カンボジア王

 

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ラダマ2世の子

 

ジョン(1854~1863) ※画像なし
ウォヴォカ(1856~1932) ゴーストダンス指導者
キンジキテレ・ングワレ(??~1905) マジマジ指導者
テ・ウァ・ハウメネ(?~?) パイ・マリレ指導者


※写真があるとは思っていなかったがこうして並べてみると、この3人は同一人物ということが分かる。新鮮な驚きである。ということで、残虐な女王ラナヴァローナ1世の孫であるジョンは世界の海を駆け巡り、北アメリカ、東アフリカ、ニュージーランドで現地人を統率した大規模な一揆を指揮した。北アメリカとジンバブエとお互いが遠く隔てられているにも関わらず、マジマジとゴーストダンスは内容が全く同じであるのがその証拠だ。
ジョンは北アメリカではウォヴォカと称し、スー族に「ゴースト・シャツ」なるものを手渡し、「これを着ていれば弾丸を通さない」とウソをつき、無理にアメリカ軍と戦わせた。同様に、ングワレを称したジョンはタンザニアでも同じようにマトゥンビ族をだました。彼らは、ただの水を持ち出してきて「この薬用の水(マジ)を飲めば撃たれても死なない」とウソをつき、タンザニア人をだまして近代装備で固めたドイツ陸軍と戦わせた。
ニュージーランドではマオリ族を指揮し「ハパ、ハパ、パイマリレ、ハウ」と叫びながら大英帝国陸軍に突進させた。彼らは手を高く上げ、手のひらを前に向けて前進した。そうすれば銃弾を避けられると教えられたのだ。しかし、それは「ゴーストシャツ」や「マジ(薬用の水)」同様、ただのウソである。マオリ族は殺した白人兵の首を持ち歩き、宣教師を惨殺したことから恐怖の対象となった。タナトスの戦術は、ガリアのドルイド教時代と変わっていない。

 

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ラナヴァローナ3世(1861~1917) メリナ王国マダガスカル女王
ジョハンナ・オモロ(?~?) ノミア・ルオ・ミッション教祖


※ラナヴァロナ3世はケニアに進出し、ジョハンナ・オロモに化けてノミア・ルオ・ミッションを指揮した。ケニア初のキリスト教系教会であり、すぐに80万もの人を集めたという。この80万人は実際には十字軍の子孫だと考えられる。

 

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ノロドム・スラマリット(1896~1960) カンボジア王

ベン・ヌート(1906~1985) カンボジア国家元首

アユーブ・カーン(1907~1974) パキスタン・イスラム連盟創設

C・N・アナドゥライ(1909~1969) ドラヴィダ進歩党創設メンバー
タガネイト(生没年不詳) ダニ族首長、カーゴ・カルト指導者※画像なし


※カンボジア王スラマリットは、タナトスの故地であるニューギニアに渡り、タガネイトとして先祖の部族であるダニ族を統率した。この時に彼は1945年に大戦争を起こし、男たちを殺し、女を奪った。東方遥かにバリウム谷の西の地方を攻撃し、100人以上を殺した。こういう僻地まで治めずにいられないという、タナトスの非常に強い征服本能を窺うことができる。

 

※カーゴ・カルト

 

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シソワット・モニポン(1912~1956) シソワット・モニヴォンの子※画像無し

ロン・ノル(1913~1985) クメール共和国大統領

ジョン・ガイズ(1914~1991) 初代パプアニューギニア総督 任期1975~1977※画像なし

フィリベール・ツィラナナ(1912~1974) マダガスカル初代大統領

 

Lon Non(1930~1975) ロン・ノル弟※画像無し

トレ・ロコロコ(1930~2013) 第2代パプアニューギニア総督※画像なし

ポルポト(1928~1998) クメール・ルージュ指導者

キングスフォード・ディベラ(1932~2002) 第3代パプアニューギニア総督※画像なし
キュー・サムファン(1931) カンボジア国家元首

 

※アメリカ合衆国(ディープステート)が、クメール・ルージュを支援したのは当然の成り行きだ。ソ連が支援するベトナム共和国に負けたアメリカ(ディープステート)は、それでも故地ダナーンの奪還を諦めることが出来ず、クメール・ルージュに夢を託したという形である。ダナーン族の血を引くカンボジア人は、ポルポトの指揮により、AD1976年にプノンペンを占領し「民主カンプチア」を成立した。民主と称しているが、タナトスがそういう美語を持ち出す時は、何かを破壊しようとしている時である。そういうわけで、ダナーン族は、旧政権関係者、富裕層、各種専門家、知識人、親べトナム派党員、ベトナム系住民を殺戮した。
この時、上記の被害者と人工的な飢饉の被害者も含めて330万人が殺害されたとされている。また、ダナーン族の直系で固められたカンボジア軍の兵士は、独自の判断で、喰人のために殺人を犯した。「九一特別部隊」は、人の臓物をフライにして食べたいばかりに、無実の住民に親ベトナムの濡れ衣を着せて処刑していたという。
1975年 カンボジア政府軍兵士は儀式的な喰人を頻繁に実施した。ダナーン族は、クメール・ルージュによる民主カンボジア政府の権威を傘に着て、儀式的な殺人と喰人を頻繁に繰り返した。またAD1994年、カンボジア北西部で民間人数十人がクメール・ルージュに共鳴していると非難され、軍事責任者と兵士によって処刑された。この私刑に携わった九一特別部隊、陸軍情報局に属する大隊は、ダナーン族で構成されていたと考えられる。彼らは、処刑した死体を解体し、臓物を揚げ物にして食べたという。

 

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ノロドム・スラマリットの子

 


ノロドム・シヌハーク(1922~2012) カンボジア王

スハルト(1921~2008) 第2代インドネシア大統領

デダン・キマジ・ワキウリ(1920~1957) マウマウ団指導者
K・アンバザガン(1922) ドラヴィダ進歩党創設メンバー※画像なし

 

1950年代の議会制民主主義体制(1950年憲法体制)を葬り去ったスカルノは、大統領に強大な権力を付与した1945年憲法を復活させ、「指導される民主主義」を宣言した。スカルノは、勢力を拡大しつつあったインドネシア共産党をみずからの支持基盤として、外交的にも徐々に親共路線を強めていった。国軍内にも親共派の影響が広がり、スハルトら国軍主流派は危機感を抱いていた。

そのような状況下で、1965年9月30日、大統領親衛隊長ウントゥン中佐が率いる左派系軍人が、陸軍参謀長ら6将軍を殺害するというクーデター(9月30日事件)が発生した。事件の詳細な経緯はいまなお明らかにはなっていないが(スハルトは事前にこのクーデター計画を察知していたという説やスハルトによる陰謀説もある)、スハルトは、スカルノから事態の収拾に当たるための権限を与えられ、速やかにこれを鎮圧した。同年10月16日、陸軍大臣兼陸軍参謀総長に就任したスハルトは、事件にかかわった共産党の指導者・一般党員・共産党との関係を疑われた一般住民を大虐殺し、党組織を物理的に解体した。20世紀最大の虐殺の一つとも言われ、50万人前後かとも言われるその総数はいまなお不明。

従来の親共路線の責任を問われたスカルノは、翌1966年2月21日に新内閣を発表して、なおも政権を維持しようとしたが、陸軍、イスラーム系諸団体、学生団体などによるスカルノ糾弾の街頭行動が活発となり、辞任要求の圧力を抑えることができなかった。同年3月11日、スカルノは秩序回復のための一切の権限をスハルトに与える「3月11日命令書」にサインし(させられ)、その実権をスハルトに譲った。スハルトは、1967年3月に大統領代行に、そして1968年3月には第2代大統領に就任した。wikiより

 

ノロドム・ラナリット(1941) シハヌークの子※画像なし

イグナティウス・キラゲ(1941~1989) 第4代パプアニューギニア総督※画像なし

セレイ・エリ(1936~1993) 第5代パプアニューギニア総督※画像なし

デニス・ヤング(1936) 第6代パプアニューギニア総督※画像なし

マイケル・ソマレ(1936) 初代パプアニューギニア首相
ドゥライ・ムルガン(1938) ドラヴィダ進歩党創設メンバー※画像なし
ジョージ・ソコアヌ(1937) バヌアツ初代大統領

 

ノロドム・シハモニ(1953) シハヌークの子※画像なし
M・K・スターリン(1953) ドラヴィダ進歩党創設メンバー
ジョー・ナトウマン(1952) バヌアツ第19代首相、ジョン・フラム信仰教祖、フィリップ王配信仰教祖


※M・K・スターリンはインドからバヌアツに入植してナトウマン首相とモーゼス大統領を演じたが、同時に「ジョン・フラム信仰」や「フィリップ王配信仰」を指揮して全島民を邪教の信者として獲得し、土地を支配して島を掌握するのではなく、住人を支配することで島を掌握した。

 

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Princess Sisowath Ponnirath(1956~1975) シソワット・モニポンの子※画像無し

タリス・オベド・モーゼス(1954) バヌアツ第9代大統領
ヴェルピライ・プラバカラン(1954~2009) タミル・イーラム解放の虎指導者

ボブ・ダダエ(1961) 第10代パプアニューギニア総督※画像なし

 

 

 


カペー朝フィリップ2世の一族~ドイツ騎士団、白蓮教、小西行長と弥助、マラッカ王国、ブルネイ帝国、リンガトゥ教、呪術師スビキロ、バラク・オバマ、フアン・グアイド

 

フィリップ2世(1165~1223) カペー朝フランス王 在位1180~1223

インノケンティウス3世(1160~1216) ローマ教皇 在位1198~1216

ヘルマン・フォン・ザルツァ(1165~1239) ドイツ騎士団総長

 

西欧:クレメンス3世、第3次十字軍(1189~1192)

北欧:北の十字軍公認(1198)

北欧:リヴォニア十字軍派遣(1199)
西欧:インノケンティウス3世、第4次十字軍(1202~1204)
西欧:インノケンティウス3世、アルビジョワ十字軍(1208)
西欧:インノケンティウス3世、児童十字軍(1212)

 

※フィリップ2世は、自身の庶子を集めて1212年に児童十字軍を指揮し、父ルイ7世や祖父ルイ6世の子息たちを率いてアフリカに移住した。もちろん渡航費の足しとして、奴隷として売るための少年少女も大量に連れていた。生きた銭である。彼らは曽祖父フィリップ1世が築いた、カネム帝国とマプングプエ王国を目指した。フィリップ2世の一族が「フィリピン」の命名者である可能性がある。

一方、フィリップ2世の影武者として生まれたヘルマン・フォン・ザルツァは、ドイツ騎士団を組織し、初代総長として騎士修道会のプロイセン地方への東方植民を監督した。フィリップ2世は、イングランド王家で欠地王ジョン王のフランス南部に広大な領地を有するプランタジネット家との抗争に勝利し、その大陸領土の大部分をフランス王領に併合した他、アルビジョア十字軍を利用して、王権をトゥールーズ、オーヴェルニュ、プロヴァンスといったフランス南東部から神聖ローマ帝国領にまで及ぼした。

この結果、フランス王権は大いに強まり、フランスはヨーロッパ一の強国となった。 ということで、征服本能に火が付いたフィリップ2世は、更に北方の僻地をも治めんと、影武者ザルツァに指示してドイツ騎士団を指揮させ、ドイツ騎士団領を掌握する。アフリカ十字軍国家建設も、北方十字軍国家建設も、どちらも、フィリップ2世がフランス支配の権限を失ったことがきっかけとなっている。

 

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ドイツ騎士団領(1210~1525)

 

モスリムのサラーフッディーンに抵抗し聖地をキリスト教で保持するよう教皇の命令を受け、第4代騎士修道会総長ヘルマン・フォン・ザルツァ時代(1209–1239年) に、医療奉仕団から騎士修道会となった。騎士団は、神聖ローマ帝国(現ドイツ、イタリア)、ギリシャの領土、エルサレム王国の土地を寄付された。 wikiより

 

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ボルヌ帝国(1380~1893)※歴代王の系譜は不明

 


ムハンマド・シャー(?~?) ブルネイ帝国初代皇帝 在位1363~1402※画像なし
パラメスワラ(1344~1414) マラッカ王国初代スルターン
韓山童(?~1351) 白蓮教教祖※画像なし

 


韓林児(?~1366) 白蓮教教祖
内藤道勝(生没年不詳) 内藤氏の祖※画像なし


※ジンバブエ王国が滅ぶと、十字軍の末裔は3つに分かれて新天地を目指した。ジンバブエを発った一団は北上する時に伝説のニョロ帝国を通過したのだが、この時に「フラニ族」を称した。フラニ族はインド洋商業航路に沿ってインドネシアに移り、首長がムハンマド・シャーを称し「ブルネイ帝国」を築いた。この時に東南アジアにイスラム教が伝えられ、ボルネオが初めて「ボルネオ」と呼ばれるようになった。フラニ、ボルネオ、ブルネイなどの名の由来はヴァナラシである。ニョロ帝国は日本から来た橘氏が築いた国であるが、橘の由来はタタールのヴァナラシである。タタール+ヴァナラシ=タタヴァナ=橘となる。ニョロ(ブニョロ)の由来もヴァナラシである。
更に、強い征服本能を持つ彼らはブルネイを拠点に中国侵略とマレー半島侵略をも目論んだ。ムハンマド・シャーは韓山童を称して白蓮教の信者を指揮し、東本願寺門主覚如の一族劉基や張士誠と共に紅巾賊に合流した。また、朱元璋に成敗された韓林児は、中国を脱出してパラメスワラとしてマレー半島を掌握した。一方、ムハンマド・シャーはインド洋航路を逆走し、ナイジェリア地域に移住してカネム帝国を継承して「ボルヌ帝国」を築いた。ボルヌの由来もヴァナラシである。ボルヌ帝国の皇帝の名は伝えられていないが、ブルネイ帝国の皇帝がボルヌ皇帝を兼ねていたと考えられる。また、ムハンマド・シャーは、同時にマラッカ王国も築いた。マラッカの由来は人喰い魔神モレクである。マラッカ王国は1400年から1513年まで続いた。


内藤之貞(生没年不詳)
内藤元貞(生没年不詳)
内藤久清(生没年不詳)


小西行正(生1500頃?~?) 小西氏の祖
小西隆佐(?~1592)


※朱元璋に弾圧された韓林児は日本に移住して内藤氏を生み、日本を拠点にマレー半島にマラッカ王国を築いた。内藤の名の由来は十字軍に因んでナイト(KNIGHT)から採られたと考えられる。更に内藤氏からは小西氏が生まれたが、小西の由来はラテン語読みのキニーズ(中国)と考えられる。キニーズ=キニス=小西となる。

 

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イドリース・アルーマ(?~?) ボルヌ帝国皇帝 在位1570~1603※画像なし
小西行長(1558~1600)
弥助(生没年不詳) 織田信長御用達小間使い※画像なし


※小西行長はボルヌ帝国の皇帝であり、織田信長に仕えていた弥助でもあった。つまりアフリカの黒人だった。インド洋商業航路に乗って日本に来たボルヌ帝国皇帝は弥助として最大の敵である信長に張り付き、小西行長として紅巾の乱のときの先祖である韓林児の雪辱を果たさんと、東本願寺門主顕如の一族宇喜多秀家と共に明に乗り込んだ。信長に止めを刺し、討ち取ったのは弥助の可能性もある。小西行長はキリシタン大名であったが、それは十字軍の末裔が築いたボルヌ帝国にいた時からであった。先祖は十字軍なのだから。

 

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アラーウッディーン・リアヤト・シャー(?~?) マラッカ王国第7代スルターン 在位1477~1488
マフムード・シャー(?~?) マラッカ王国第8代スルターン 在位1488~1511
アブー・アブド・アラー・アル=シーク・ムハンマド・イブン・ヤハヤ(?~?) ワッタース朝初代スルターン 在位1472~1504


※マラッカ王アラーウッディーン・リアヤト・シャーは、引き続きマフムード・シャーを演じた。また、アラーウッディーン・リアヤト・シャーはモロッコに進出してワッタース朝を開いた。この時に初めてモロッコの名がもたらされた。モロッコの由来はマラッカである。ワッタース朝は1554年まで続いた。

 

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アーマド・シャー(?~1513) マラッカ王国第9代スルターン 在位1511~1513 ※画像なし

アルブレヒト(1490~1568) 初代プロイセン公、ドイツ騎士団総長

 

※アルブレヒトの正体は、マラッカ王国最後の王アーマド・シャーであるため、顔はマレー人ぽく、普通の白人に見えない。彼がドイツ騎士団総長に就任していた時代にドイツ騎士団領は消滅した。

 

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アブドゥル・ジャリルール・アクバル(?~?) ブルネイ帝国第10代皇帝 在位1598~1659
サンペット5世(1600~1656) タイ王国アユタヤ王 在位1629~1656
サンペット6世(?~1656) タイ王国アユタヤ王 在位1656
サンペット7世(?~1656) タイ王国アユタヤ王 在位1656


※サンペット5世~7世まで3人の名があるが全てひとりの人物が演じ分けていると考えられる。ブルネイ・ボルヌ帝国の一族がタイ征服に乗り出したが、運営の機運に乗るまで1人で道筋をつけようとしたのだろう。サンペット5世の時代、アユタヤ王朝はオランダ東インド会社と連合し、日本人町の焼き討ちや山田長政の暗殺を実施した。

 

ラーマーティボーディー3世(1633~1688) タイ王国アユタヤ王 在位1656~1688
アブドゥル・ジャリルール・ジャバール(?~?) ブルネイ帝国第11代皇帝 在位1659~1660
ムハマンド・アリ(?~?) ブルネイ帝国第12代皇帝 在位1660~1661
アブドゥルハクール・ムビン(?~?) ブルネイ帝国第13代皇帝 在位1660~1673
ムヒーッディン(?~?) ブルネイ帝国第14代皇帝 在位1673~1690


※今度は逆に、アユタヤ王が4人のブルネイ皇帝を演じている。しかし、アユタヤ朝の簒奪は長く続かず、ラーマーティボーディー3世の時代で終焉を迎える。アユタヤを短期間支配した残党はブルネイに帰還した。

 

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ハシム・ジョリル・アラム・アクァマディン(1825~1906) ブルネイ第25代皇帝 在位1885~1905※画像なし
テ・クーティ(1832~1893) リンガトゥ教教祖
ネハンダ・ニャカシカナ/スビキロ(呪術師集団) チムレンガ指導者


※ブルネイ皇帝アクァマディンはニュージーランドとジンバブエの支配を目論み、現地に飛んで邪教集団を形成し、白人列強に対して抵抗した。これはマオリ族を守るための戦いではなかった。アクァマディンは、ただ単に奴隷を使って領土を得たいという思惑しかなかった。

 

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ムハマド・ジャマルル・アラム2世(1889~1924) ブルネイ帝国第26代皇帝 在位1905~1924
トゥンク・アブドゥル・ラーマン(1895~1960) 初代マレーシア国王

 

PENGIRAN MUDA LAILA GAMBAR(1924) ムハマド・ジャマルル・アラム2世の子※画像なし

サイイド・ハルン・プトラ(1920~2000) 第3代マレーシア国王

 

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第27代ブルネイ王アマド・タジュディンの子

 

ベラバブ・バサール(1928~2013) ※画像なし

アズラン・シャー(1928~2014) ペラ王国スルターン、第9代マレーシア王

 

ラジャ・ヨング・ソフィア(1961) ぺラ王アズラン・シャーの娘※画像なし

バラク・オバマ(1961) アメリカ大統領

ジョコ・ウィドド(1961) インドネシア大統領

 

※オバマはアズラン・シャーの庶子として生まれ、異母兄弟ソフィアの幼少時の影武者として生まれた。オバマは若い頃のアズラン・シャーに良く似ている。影武者として生まれたジョコ・ウィドドも良く似ている。

 

大統領就任直後の2009年1月23日、オバマはパキスタンのイスラム武装勢力に対するミサイル攻撃を指示した。その後もパキスタンに対する越境攻撃を繰り返し行ったため、現地では多数の死傷者が出るなど被害が拡大している。上院の審議にて、国防長官ロバート・ゲーツは政府高官として初めて越境攻撃の事実を認めたが、今後も攻撃を継続すると証言した。

2011年、リビア内戦が発生したため、3月12日、アラブ連盟は国際連合安全保障理事会にリビア飛行禁止空域を設定するよう要請した。この要請は通り、結果を受けてアメリカはイタリア、デンマーク、ノルウェーと共にオデッセイの夜明け作戦を実施、リビア国内へ空爆を行った。wikiより

 

※上記のことがあるため、筆者はノーベル平和賞受賞者であるオバマ大統領をOH BOMBERと呼んでいる。カザフィー大佐もチャウシェスク大統領と同じように大谷の邪教信者によって惨殺された。カザフィー大佐を集団でリンチして殺害した後に民衆は携帯で写真を撮っていたが、このような人道的な倫理を持ち合わせない民衆は守る必要がない。どちらかといえば、積極的に死滅させてもかまわないような連中だ。死滅するべき連中だ。

しかし、オバマはこのような民衆を守るためと称しリビアを爆撃した。これは実に大谷の血ならではの所業ではあるが。カザフィー大佐が民衆に惨殺された写真も見たがこれは許すことは出来ない。できそこないが優れた人物を殺害することは反自然的なことだからだ。

 

フアン・グアイド(1983) バラク・オバマの子(ベネズエラ外相)

 

※どう見てもオバマ。2019年1月。ベネズエラでクーデターを引き起こしている。マドゥロ大統領の暗殺未遂もこの男の指揮だろう。民主党の切り札らしいが、小物でしかない。トランプ大統領は何か企んでいるのだろう。静観するのみだ。

 

JAMEL BETTAIEB(198?) バラク・オバマの子(アラブの春指導者)

 

※オバマ大統領は、優性遺伝子ブリーダーによって生まれた息子をチュニジアからホワイトハウスに迎えて讃えたが、あまり話題にならなかったようだ。

 

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第28代ブルネイ皇帝オマル・アリ・サイフディン3世の子

 

ハサナル・ボルキア(1946) ブルネイ帝国第29代皇帝 在位1967~現在

 


ジェフリ・ボルキア(1954)
ジェリー・マテパラエ(1954) ニュージーランド総督

 

6人の娘のうちの一人

ハリマ・ヤコブ(1954) シンガポール第8代大統領

 

※TPPを批准。オマル・アリ・サイフディン3世の何人かいる娘だと考えられる(生年が不明なので確かなことはいえない)。

 

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ハサナル・ボルキアの娘

 

ハジャー・ラシダー・サッアダトゥル・ボルキア(1969)※画像なし

ラトゥ・アトゥット・チョシヤ(1962) バンテン州知事

 

スハルト独裁体制を支え、ゴルカル党と深い関係を築き、バンテン州設立運動の中心人物でもある名士の一族に、今回の事件で初めて捜査のメスが入った。来年の総選挙を控え、同党は一連の党関係者の汚職事件の悪影響を懸念し、党大会を延期するなど動揺が広がっている。ジャカルタ新聞より

 

マジーダ・ボルキア(1976)※画像なし

フーマ・アベディン(1976) ヒラリー・クリントン第一秘書

 

※アベディンの正体はマジーダ・ボルキアと考えられる。ヒラリーと共に子供を殺し、血を飲んだとされている。

 

ハジャー・ハフィザー・スルルル・ボルキア(1980)※画像なし

ジャシンダ・アーダーン(1980) ニュージーランド首相

タワックル・カルマン(1979) 束縛のない女性ジャーナリスト設立、ノーベル平和賞

 

※ハジャー・ハフィザーの画像がないので何とも言えないが、アーダーンやカルマンのどちらかがハジャーハフィザーの可能性もあるし、或いはどちらも異母兄弟の庶子であり、影武者という可能性も考えられる。ジャシンダ・アーダーンはTPPを批准した。カルマンはウソをつくための権威である。実質、テロリスト。ノーベル平和賞が彼女が悪であることを証明している。テロリストに見えないテロリストが一番厄介だ。

 

 

 



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