目次
目次
まえがき 悪の足跡の追求
タナトスの一族~カニバリズム、人身御供、クロノス、アトランティス王国、最終戦争ラグナロク、タングート、西夏、狼男、チャガタイ・ハン国、タウングー朝、ズールー帝国、アフリカ独立運動、ボコ・ハラム
ティールタンカラの一族~アーリア人、仏教、継体天皇、中臣鎌足、藤原不比等、白河天皇、鳥羽天皇、マリ帝国、ジェノヴァ共和国、ルクセンブルク公国、リヒテンシュタイン公国、モナコ公国、アシャンティ帝国
デウスの一族~ジャイナ教、河伯、サータヴァーハナ朝、フン族、アッティラ帝王、稲荷神社、九頭龍、風水、足利尊氏、後醍醐天皇、シャーマニズム、クエーカー教、住友財閥、三井財閥
ダーナ神族の一族~ディオニュソス、デニエン人、猿田彦、契丹、デーン人、鬼、酒呑童子、ハーバード大学、ジョージ・ワシントン大統領、アメリカ連合国、統一イタリア王国、カナダ、ニュージーランド、阿含宗
アブラハムの一族~シュメール文明、エフライム族、バアル、アフラマズダー、ゾロアスター教、マケドニア王国、聖徳太子、ピサ共和国、奥州藤原氏、フランシスコ・ピサロ、ヴァーサ朝、フィンランド共和国
預言者ナタンの一族~ラピタ文化、ダン族、ソロモン王、ミディアン人、ストーンヘンジ、アテーナイ王国、ヒクソス、アマルナ宗教改革、ケント王国、最澄、空海、源氏・平氏、マフディー国家
アッシュール・ダン1世の一族~魔神アスラ、タニス、北イスラエル王国、アルメニア王国、グノーシス主義、コプト教、聖コルンバ、アルシング議会
ガリアのドルイド司祭(東本願寺)の一族~アテネ民主制、ローマ執政官、ソピテース、デマゴーグ、ヘロデ大王、ローマ帝国、フィリキ・エテリア、青年トルコ革命
聖ドナトゥスの一族~渤海王、ブワイ朝、テンプル騎士団、ジンバブエ王国、ダホメー王国、ハイチ帝国、黒人地位向上協会、バハーイー教
ローマ教皇レオ1世の一族~ランゴバルト王国、メロヴィング朝、マズダク教、ウイグル可汗、浄土教、曹洞宗、ノルマン人、カルマル同盟、出雲大社、コーザ・ノストラ、オーストラリア、バチカン市国委員会
クリュニー大主教ベルノの一族~ナバラ王国、フランク・ローマ皇帝、カペー朝フランス王、民衆十字軍、土肥実平、長宗我部氏、キャンディ王国、三菱財閥、ルワンダ大虐殺
クリュニー大主教アイマールの一族~キエフ大公国、シトー会、北条時政、聖フランチェスコ会、シチリア王国、イタリア共和国
クリュニー大主教ヒューの一族~ヒメネス朝ナバラ王、バルセロナ朝アラゴン王、ブルゴーニュ朝カスティーリャ王、バルバロス・ハイレッディン、チュニジア、アルジェリア、ユニオン・コルス
カペー朝ルイ7世の一族~メリナ王国、カンボジア王国、カリブ族、ゴーストダンス、マウマウ団、ドラヴィダ進歩党、カーゴカルト、パプアニューギニア、クメール・ルージュ
カペー朝フィリップ2世の一族~ドイツ騎士団、白蓮教、小西行長と弥助、マラッカ王国、ブルネイ帝国、ベネズエラ共和国、リンガトゥ教、呪術師スビキロ、バラク・オバマ、フアン・グアイド
親鸞の一族~浄土真宗、時宗、一向宗、世界初の精神病院ベドラム、ブルゴーニュ朝ポルトガル、コンキスタドール、メキシコ帝国、麻薬カルテル
如信の一族~魔女狩り解禁、異端審問、伊勢大社、カペー朝フランス王、ボルボン朝スペイン王、スペイン共和国
覚如の一族~紅巾の乱、華僑、百年戦争、殺人集団タギー、琉球王国、アチェ王国、黎朝ベトナム帝国、白蓮教、シンガポール、日清食品、社会民主党、全能神
善如の一族~倭寇、恭愍王、足利義満、日野富子、三浦倭館、東林党、魏忠賢、フランシス・ドレイク、バッカニア海賊、カタール首長
綽如の一族~ヴァロワ=ブルゴーニュ公、ブルボン公、能登守、ケベック解放戦線
巧如の一族~ジル・ド・レ、ヴァロワ朝フランス、マルタ騎士団、マラーター族、アフガニスタン王国、オマーン王国、ザンジバル帝国、ソコト帝国、マルタ共和国
存如の一族~応仁の乱、アラゴン王国、アヴィス朝・ブラガンサ朝ポルトガル、ポルトガル共和国、アルバニア共和国、マザー・テレサ、神の愛の宣教者会
蓮如の一族~スイス連邦参事会、魔女狩り、パッツィ家、ロレーヌ公、一向一揆、秘密委員会、ベルギー王国
実如の一族~毛利元就、オルデンブルク朝デンマーク、モロッコ王国、フランコ将軍、パレスチナ解放機構、トントンマクート、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三、統一協会
証如の一族~明智光秀、魔女狩り、戦国時代、オランダ王国、近衛家、クウェート王国、イギリス東インド会社、南アフリカ連邦、ジャム・カシミールのムジャヒディーン、湾岸戦争
顕如の一族~万暦の三征、魔女狩り、オランダ東インド会社、スチュアート朝、老論派、バプティスト教会、メソジスト教会
教如の一族~織田信雄、東山天皇、仁孝天皇、孝明天皇、カメハメハ大王、ハワイ王国、トンガ王国、サモア独立国、フィジー共和国、エチオピア連邦民主共和国
宣如の一族~ハプスブルグ家、ブルボン家、プファルツ朝スウェーデン王、フルベ聖戦、フランス共和国、イスラーム・マグリブ諸国のアル=カーイダ機構
琢如の一族~英蘭戦争、マラーター王国、ベンガル太守、アワミ連盟、バングラデシュ、ジャマート=ウル=ムジャーヒディーン
常如の一族~後金時代、李氏朝鮮末期、琉球第二尚氏王統、東学党、ゴ・ディン・ジエム、大韓民団、株式会社ロッテ
一如の一族~名誉革命、ジャコバイト、オラニエ=ナッサウ王家、南アフリカ連邦、オレンジ革命
真如の一族~イエズス会弾圧、ムガール皇帝、マラーター同盟、タタ財閥、デカン・ムジャヒディーン
従如の一族~田沼意次、徳川家重、松平定信、井伊直弼、水野忠邦、徳川慶喜
乗如の一族~フランス革命、ベトナム植民地、ブラジル帝国、YMCA、セブンスデー・アドベンチスト教会、国際赤十字社、花粉症、AIDS
達如の一族~復古神道、尊皇攘夷、天理教、金光教、神社本庁、日本社会党、講談社、日本会議、ヒカルランド
大谷光勝の一族~丙寅教獄、明治維新、ビアフラ共和国、ソンミ村虐殺、コリン・パウエル、コンドリーザ・ライス、トニー・ブレア
大谷光榮の一族~大谷大学、アドルフ・ヒトラー、ハインリヒ・ヒムラー、軍産複合体、パフラヴィー朝皇帝、アウグスト・ピノチェト、立憲民主党
大谷光演の一族~重慶爆撃、CTスキャン、ダライ・ラマ14世、ディズニー・カンパニー、スティーブン・スピルバーグ、ジャニーズ、タイム・ワーナー社、YOUTUBE
ヘンリー・キッシンジャーの一族~ビル・クリントン、湾岸症候群、ジョン・ベネ殺害事件、レバノン空爆、ロシアの人喰いズマガリエフ、フェイスブック
大谷光暢の一族~ラビア・カーディル、ブルース・リー親子暗殺、地下鉄サリン事件、天安門事件、オウム地下鉄サリン事件、酒鬼薔薇聖斗、雨傘革命
大谷暢顕の一族~放送局アナウンサー、宮崎勤事件、足利事件、神戸連続児童殺傷事件、学級崩壊、大阪池田小児童殺害事件、てるくはのる事件
大谷暢裕の一族~根本匠、2014香港反中デモ、2014香港反政府デモ、2019逃亡犯条例改正案撤回デモ
大宛のドルイド司祭(西本願寺)の一族~大宛、クシャーナ朝、鳩摩羅什、曇鸞、浄土宗、隋、ウマイヤ朝イスラム帝国、北宋、舜天王統、ブギス族、ジョホール朝、林本源、中国仏教協会、台湾
王安石の一族~南宋皇帝、今川国氏、デリー・スルターン朝、曹洞宗、永平寺、総持寺、コーカンド・ハン国、イエメン王国、イスラム国
今川国氏の一族~アステカ人身御供、ヴラド・ツェペシュ、見付天神の人身御供、エリザベート・バートリ、モルダヴィア公、ルーマニア王国、モルドバ共和国
准如の一族~小早川秀秋、ドン・コサック、古儀式派、ノーベル賞、ベルナドッテ朝スウェーデン王
良如の一族~生類憐みの令、火付盗賊改、子供を殺すための法律「ブラック法」、MI6長官
寂如の一族~女帝エカチェリーナ、秘密結社イルミナティ、ナチス帝国、特高警察、モサド、中央情報局、アメリカ連邦捜査局
住如の一族~黒住教、ビン=ラディン・グループ、アルカーイダ、ソマリランド大統領、GOOGLE
湛如の一族~ジュンガル帝国、チャックリー家、タイ王国、ネパール王国、モンゴル人民革命党、霊友会、世界救世教、祟教真光、日本相撲協会
法如の一族~アヘン戦争、ロスチャイルド財閥、ロックフェラー財閥、スカル&ボーンズ、第一次世界大戦、ホスピス、北大西洋条約機構、シリアルキラー、アムネスティ・インターナショナル
文如の一族~ウクライナ東方カトリック教会、薩摩戦争、切り裂きジャック、インディアン虐殺、国際連合
本如の一族~ウクライナ東方カトリック教会、東トルキスタン、ムスリム同胞団、ユーゴスラビア紛争、チェチェン紛争、南オセチア紛争、ウクライナ政変
広如の一族~伊藤博文、大隈重信、山縣有朋、龍谷大学、新渡戸稲造、白洲次郎、東条英機、日産コンツェルン、731部隊、ベトナム戦争
デヴィッド・ロックフェラーの一族~ジョージ・ソロス、CNN、モンサント社、遺伝子組み換え作物、成長ホルモン、コソボ爆撃、コロンバイン高校銃撃
大谷光尊の一族~ウィンザー朝イギリス王室、ファシスト党、ディープ・ステート、連続殺人鬼ウィリアム・ハイレンズ、ウクライナ21、Twitter
大谷光瑞の一族~ジョージ・H・W・ブッシュ、湾岸戦争、冷戦終結、法輪功、国境なき記者団、自動運転技術テロ、オール電化テロ
大谷光照の一族~ジョージ・W・ブッシュ、除草剤ラウンドアップ、連続殺人犯テッド・バンディ、世界同時多発テロ、キャラバン
大谷光真の一族~悪魔ビル・ゲイツ、マイクロソフト社、上祐史裕、プログラム自動ダウンロードテロ、異常行動テロ
大谷光淳の一族~2ちゃんねる、仙台女児連続暴行事件犯人、2019逃亡犯条例改正案撤回デモ、Qアーミージャパン
ユダヤ人(1731)の一族~ハザール帝国、カバラ神秘主義、ホフユーデン、人体自然発火事件、クーン・ローブ商会、シオニズム運動、精神医学、モサド、ドイツキリスト教民主同盟、ゲノム編集
ユダヤ人(1908)の一族~ヒヴァ・ハン国、ガージャール朝、アドルフ・ヒトラー、ツングース大爆発、ロケット、マンハッタン計画、原子爆弾、水素爆弾、レーザー、コンピューター
第一次、第二次、第三次世界大戦の一族
タナトス一族の趣味~世界の拷問
あとがき
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カペー朝ルイ7世の一族~メリナ王国、カンボジア王国、カリブ族、ゴーストダンス、マウマウ団、ドラヴィダ進歩党、カーゴカルト、パプアニューギニア、クメール・ルージュ

 

ルイ7世(1120~1180) カペー朝第6代フランス王、ルイ6世の子

 

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アンドリアナリネリナ(15世紀) メリナ王国初代マダガスカル王

ポニャー・ヤット(1434~1462) 初代カンボジア王


※ジンバブエ王国が滅ぶと、十字軍の末裔は3つに分かれて新天地を目指した。一部は海を越えてマダガスカル島に入植し、メリナ王国を築いた。メリナの名の由来はルイ7世の娘マリーとアニエスの組み合わせと考えられる。更に、その足でインドシナ半島に入植し、カンボジア王国を建てている。カンボジアの由来は24のティールタンカラに属するクントゥとヴァースプージャの組み合わせである。

その後、アンドリアナナムポイメリナの時代に一時的にタギーの血が入り、ラダマ1世が生まれている。メリナ王族のラナヴァローナ1世がラダマ1世と結婚して王位を取り戻している。

 

カリブ族(15世紀)


※マダガスカル島に移住した人々は一部が東アフリカを出て更に大西洋を横断し、カリブ海に進出した。彼らはドミニカ島を住処にした。彼らは「カリブ」を称したがカリブの由来はマダガスカルのサカラバ族である。サカラバ=サカリブ=カリブとなる。これはジンバブエ人がサカラバの土地から来たことを旨にサカラバの名を借りた形であるが、人喰い人種であった彼らカリブの名は「カンニバル」の由来となった。

 

トーマス・インディアン・ワーナー(?~?) カリブ族初代首長 任期1667~1674
プチ・フランソワ(?~?) カリブ族首長 任期18世紀前半
ワカニク(?~?) カリブ族首長 任期18世紀半ば
ジョセフ(?~?) カリブ族首長 任期1850~1875


アーヴィンス・オーガスティー(?~?) カリブ族首長 任期1984~1994
ガーネット・ジョセフ(?~?) カリブ族首長 任期1998~2004、2009~2014
チャールズ・ウィリアムス(?~?) カリブ族首長 任期2004~2009、2014~

 

ジャラワ族(15世紀)

 

※カリブ族は中米を横断し、太平洋を横断してアンダマン諸島にまで達した。この時に、カリブ族は「ジャラワ族」を残した。ジャラワ族は凶暴な人食い族として知られている。また、彼らはアフリカ人にしか見えない容姿をしているため、しばしば彼らがどこから来たのか議論の的になっている。彼らはテンプル騎士団の血が流れているジンバブエ人だ。

 

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ラナヴァローナ1世(1778~1861) メリナ王国マダガスカル女王

アンエン(1773~1796) カンボジア王


※ラナヴァローナ1世は非常に残虐な女王として知られている。女王は人間がワニに喰い殺されるのを鑑賞するのが趣味であり、その趣味のせいで1万人は殺されたとされている。女王は女性を演じていた男性の可能性もある。その場合、女王はカンボジアでアンエンを演じていた。

 

ラダマ1世(1793~1828) メリナ王国初代マダガスカル王

アン・ドゥオン(1796~1860) カンボジア王

 

ラダマ2世(1829~1863) メリナ王国第3代マダガスカル王

ノロドム1世(1834~1904) カンボジア王

 

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アン・ドゥオンの子

 

シソワット1世(1840~1927) カンボジア王

 

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ラダマ2世の子

 

ジョン(1854~1863) ※画像なし
ウォヴォカ(1856~1932) ゴーストダンス指導者
キンジキテレ・ングワレ(??~1905) マジマジ指導者
テ・ウァ・ハウメネ(?~?) パイ・マリレ指導者


※写真があるとは思っていなかったがこうして並べてみると、この3人は同一人物ということが分かる。新鮮な驚きである。ということで、残虐な女王ラナヴァローナ1世の孫であるジョンは世界の海を駆け巡り、北アメリカ、東アフリカ、ニュージーランドで現地人を統率した大規模な一揆を指揮した。北アメリカとジンバブエとお互いが遠く隔てられているにも関わらず、マジマジとゴーストダンスは内容が全く同じであるのがその証拠だ。
ジョンは北アメリカではウォヴォカと称し、スー族に「ゴースト・シャツ」なるものを手渡し、「これを着ていれば弾丸を通さない」とウソをつき、無理にアメリカ軍と戦わせた。同様に、ングワレを称したジョンはタンザニアでも同じようにマトゥンビ族をだました。彼らは、ただの水を持ち出してきて「この薬用の水(マジ)を飲めば撃たれても死なない」とウソをつき、タンザニア人をだまして近代装備で固めたドイツ陸軍と戦わせた。
ニュージーランドではマオリ族を指揮し「ハパ、ハパ、パイマリレ、ハウ」と叫びながら大英帝国陸軍に突進させた。彼らは手を高く上げ、手のひらを前に向けて前進した。そうすれば銃弾を避けられると教えられたのだ。しかし、それは「ゴーストシャツ」や「マジ(薬用の水)」同様、ただのウソである。マオリ族は殺した白人兵の首を持ち歩き、宣教師を惨殺したことから恐怖の対象となった。タナトスの戦術は、ガリアのドルイド教時代と変わっていない。

 

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ラナヴァローナ3世(1861~1917) メリナ王国マダガスカル女王
ジョハンナ・オモロ(?~?) ノミア・ルオ・ミッション教祖


※ラナヴァロナ3世はケニアに進出し、ジョハンナ・オロモに化けてノミア・ルオ・ミッションを指揮した。ケニア初のキリスト教系教会であり、すぐに80万もの人を集めたという。この80万人は実際には十字軍の子孫だと考えられる。

 

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ノロドム・スラマリット(1896~1960) カンボジア王

ベン・ヌート(1906~1985) カンボジア国家元首

アユーブ・カーン(1907~1974) パキスタン・イスラム連盟創設

C・N・アナドゥライ(1909~1969) ドラヴィダ進歩党創設メンバー
タガネイト(生没年不詳) ダニ族首長、カーゴ・カルト指導者※画像なし


※カンボジア王スラマリットは、タナトスの故地であるニューギニアに渡り、タガネイトとして先祖の部族であるダニ族を統率した。この時に彼は1945年に大戦争を起こし、男たちを殺し、女を奪った。東方遥かにバリウム谷の西の地方を攻撃し、100人以上を殺した。こういう僻地まで治めずにいられないという、タナトスの非常に強い征服本能を窺うことができる。

 

※カーゴ・カルト

 

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シソワット・モニポン(1912~1956) シソワット・モニヴォンの子※画像無し

ロン・ノル(1913~1985) クメール共和国大統領

ジョン・ガイズ(1914~1991) 初代パプアニューギニア総督 任期1975~1977※画像なし

フィリベール・ツィラナナ(1912~1974) マダガスカル初代大統領

 

Lon Non(1930~1975) ロン・ノル弟※画像無し

トレ・ロコロコ(1930~2013) 第2代パプアニューギニア総督※画像なし

ポルポト(1928~1998) クメール・ルージュ指導者

キングスフォード・ディベラ(1932~2002) 第3代パプアニューギニア総督※画像なし
キュー・サムファン(1931) カンボジア国家元首

 

※アメリカ合衆国(ディープステート)が、クメール・ルージュを支援したのは当然の成り行きだ。ソ連が支援するベトナム共和国に負けたアメリカ(ディープステート)は、それでも故地ダナーンの奪還を諦めることが出来ず、クメール・ルージュに夢を託したという形である。ダナーン族の血を引くカンボジア人は、ポルポトの指揮により、AD1976年にプノンペンを占領し「民主カンプチア」を成立した。民主と称しているが、タナトスがそういう美語を持ち出す時は、何かを破壊しようとしている時である。そういうわけで、ダナーン族は、旧政権関係者、富裕層、各種専門家、知識人、親べトナム派党員、ベトナム系住民を殺戮した。
この時、上記の被害者と人工的な飢饉の被害者も含めて330万人が殺害されたとされている。また、ダナーン族の直系で固められたカンボジア軍の兵士は、独自の判断で、喰人のために殺人を犯した。「九一特別部隊」は、人の臓物をフライにして食べたいばかりに、無実の住民に親ベトナムの濡れ衣を着せて処刑していたという。
1975年 カンボジア政府軍兵士は儀式的な喰人を頻繁に実施した。ダナーン族は、クメール・ルージュによる民主カンボジア政府の権威を傘に着て、儀式的な殺人と喰人を頻繁に繰り返した。またAD1994年、カンボジア北西部で民間人数十人がクメール・ルージュに共鳴していると非難され、軍事責任者と兵士によって処刑された。この私刑に携わった九一特別部隊、陸軍情報局に属する大隊は、ダナーン族で構成されていたと考えられる。彼らは、処刑した死体を解体し、臓物を揚げ物にして食べたという。

 

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ノロドム・スラマリットの子

 


ノロドム・シヌハーク(1922~2012) カンボジア王

スハルト(1921~2008) 第2代インドネシア大統領

デダン・キマジ・ワキウリ(1920~1957) マウマウ団指導者
K・アンバザガン(1922) ドラヴィダ進歩党創設メンバー※画像なし

 

1950年代の議会制民主主義体制(1950年憲法体制)を葬り去ったスカルノは、大統領に強大な権力を付与した1945年憲法を復活させ、「指導される民主主義」を宣言した。スカルノは、勢力を拡大しつつあったインドネシア共産党をみずからの支持基盤として、外交的にも徐々に親共路線を強めていった。国軍内にも親共派の影響が広がり、スハルトら国軍主流派は危機感を抱いていた。

そのような状況下で、1965年9月30日、大統領親衛隊長ウントゥン中佐が率いる左派系軍人が、陸軍参謀長ら6将軍を殺害するというクーデター(9月30日事件)が発生した。事件の詳細な経緯はいまなお明らかにはなっていないが(スハルトは事前にこのクーデター計画を察知していたという説やスハルトによる陰謀説もある)、スハルトは、スカルノから事態の収拾に当たるための権限を与えられ、速やかにこれを鎮圧した。同年10月16日、陸軍大臣兼陸軍参謀総長に就任したスハルトは、事件にかかわった共産党の指導者・一般党員・共産党との関係を疑われた一般住民を大虐殺し、党組織を物理的に解体した。20世紀最大の虐殺の一つとも言われ、50万人前後かとも言われるその総数はいまなお不明。

従来の親共路線の責任を問われたスカルノは、翌1966年2月21日に新内閣を発表して、なおも政権を維持しようとしたが、陸軍、イスラーム系諸団体、学生団体などによるスカルノ糾弾の街頭行動が活発となり、辞任要求の圧力を抑えることができなかった。同年3月11日、スカルノは秩序回復のための一切の権限をスハルトに与える「3月11日命令書」にサインし(させられ)、その実権をスハルトに譲った。スハルトは、1967年3月に大統領代行に、そして1968年3月には第2代大統領に就任した。wikiより

 

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シハヌークの子

 

ノロドム・ラナリット(1941) 復興カンボジア王国初代首相

イグナティウス・キラゲ(1941~1989) 第4代パプアニューギニア総督※画像なし

セレイ・エリ(1936~1993) 第5代パプアニューギニア総督※画像なし

デニス・ヤング(1936) 第6代パプアニューギニア総督※画像なし

マイケル・ソマレ(1936) 初代パプアニューギニア首相
ドゥライ・ムルガン(1938) ドラヴィダ進歩党創設メンバー※画像なし
ジョージ・ソコアヌ(1937) バヌアツ初代大統領

ヘン・サムリン(1934) カンボジア王国第3代国民議会議長

 

ノロドム・シハモニ(1953)※画像なし
M・K・スターリン(1953) ドラヴィダ進歩党創設メンバー
ジョー・ナトウマン(1952) バヌアツ第19代首相、ジョン・フラム信仰教祖、フィリップ王配信仰教祖


※M・K・スターリンはインドからバヌアツに入植してナトウマン首相とモーゼス大統領を演じたが、同時に「ジョン・フラム信仰」や「フィリップ王配信仰」を指揮して全島民を邪教の信者として獲得し、土地を支配して島を掌握するのではなく、住人を支配することで島を掌握した。

 

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Princess Sisowath Ponnirath(1956~1975) シソワット・モニポンの子※画像無し

タリス・オベド・モーゼス(1954) バヌアツ第9代大統領
ヴェルピライ・プラバカラン(1954~2009) タミル・イーラム解放の虎指導者

ボブ・ダダエ(1961) 第10代パプアニューギニア総督※画像なし

 

 

 


カペー朝フィリップ2世の一族~ドイツ騎士団、白蓮教、小西行長と弥助、マラッカ王国、ブルネイ帝国、ベネズエラ共和国、リンガトゥ教、呪術師スビキロ、バラク・オバマ、フアン・グアイド

 

フィリップ2世(1165~1223) カペー朝フランス王 在位1180~1223

インノケンティウス3世(1160~1216) ローマ教皇 在位1198~1216

ヘルマン・フォン・ザルツァ(1165~1239) ドイツ騎士団総長

 

西欧:クレメンス3世、第3次十字軍(1189~1192)

北欧:北の十字軍公認(1198)

北欧:リヴォニア十字軍派遣(1199)
西欧:インノケンティウス3世、第4次十字軍(1202~1204)
西欧:インノケンティウス3世、アルビジョワ十字軍(1208)
西欧:インノケンティウス3世、児童十字軍(1212)

 

※フィリップ2世は、自身の庶子を集めて1212年に児童十字軍を指揮し、父ルイ7世や祖父ルイ6世の子息たちを率いてアフリカに移住した。もちろん渡航費の足しとして、奴隷として売るための少年少女も大量に連れていた。生きた銭である。彼らは曽祖父フィリップ1世が築いた、カネム帝国とマプングプエ王国を目指した。フィリップ2世の一族が「フィリピン」の命名者である可能性がある。

一方、フィリップ2世の影武者として生まれたヘルマン・フォン・ザルツァは、ドイツ騎士団を組織し、初代総長として騎士修道会のプロイセン地方への東方植民を監督した。フィリップ2世は、イングランド王家で欠地王ジョン王のフランス南部に広大な領地を有するプランタジネット家との抗争に勝利し、その大陸領土の大部分をフランス王領に併合した他、アルビジョア十字軍を利用して、王権をトゥールーズ、オーヴェルニュ、プロヴァンスといったフランス南東部から神聖ローマ帝国領にまで及ぼした。

この結果、フランス王権は大いに強まり、フランスはヨーロッパ一の強国となった。 ということで、征服本能に火が付いたフィリップ2世は、更に北方の僻地をも治めんと、影武者ザルツァに指示してドイツ騎士団を指揮させ、ドイツ騎士団領を掌握する。アフリカ十字軍国家建設も、北方十字軍国家建設も、どちらも、フィリップ2世がフランス支配の権限を失ったことがきっかけとなっている。

 

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ドイツ騎士団領(1210~1525)

 

モスリムのサラーフッディーンに抵抗し聖地をキリスト教で保持するよう教皇の命令を受け、第4代騎士修道会総長ヘルマン・フォン・ザルツァ時代(1209–1239年) に、医療奉仕団から騎士修道会となった。騎士団は、神聖ローマ帝国(現ドイツ、イタリア)、ギリシャの領土、エルサレム王国の土地を寄付された。 wikiより

 

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ボルヌ帝国(1380~1893)※歴代王の系譜は不明

 


ムハンマド・シャー(?~?) ブルネイ帝国初代皇帝 在位1363~1402※画像なし
パラメスワラ(1344~1414) マラッカ王国初代スルターン
韓山童(?~1351) 白蓮教教祖※画像なし

 


韓林児(?~1366) 白蓮教教祖
内藤道勝(生没年不詳) 内藤氏の祖※画像なし


※ジンバブエ王国が滅ぶと、十字軍の末裔は3つに分かれて新天地を目指した。ジンバブエを発った一団は北上する時に伝説のニョロ帝国を通過したのだが、この時に「フラニ族」を称した。フラニ族はインド洋商業航路に沿ってインドネシアに移り、首長がムハンマド・シャーを称し「ブルネイ帝国」を築いた。この時に東南アジアにイスラム教が伝えられ、ボルネオが初めて「ボルネオ」と呼ばれるようになった。フラニ、ボルネオ、ブルネイなどの名の由来はヴァナラシである。ニョロ帝国は日本から来た橘氏が築いた国であるが、橘の由来はタタールのヴァナラシである。タタール+ヴァナラシ=タタヴァナ=橘となる。ニョロ(ブニョロ)の由来もヴァナラシである。
更に、強い征服本能を持つ彼らはブルネイを拠点に中国侵略とマレー半島侵略をも目論んだ。ムハンマド・シャーは韓山童を称して白蓮教の信者を指揮し、東本願寺門主覚如の一族劉基や張士誠と共に紅巾賊に合流した。また、朱元璋に成敗された韓林児は、中国を脱出してパラメスワラとしてマレー半島を掌握した。一方、ムハンマド・シャーはインド洋航路を逆走し、ナイジェリア地域に移住してカネム帝国を継承して「ボルヌ帝国」を築いた。ボルヌの由来もヴァナラシである。ボルヌ帝国の皇帝の名は伝えられていないが、ブルネイ帝国の皇帝がボルヌ皇帝を兼ねていたと考えられる。また、ムハンマド・シャーは、同時にマラッカ王国も築いた。マラッカの由来は人喰い魔神モレクである。マラッカ王国は1400年から1513年まで続いた。


内藤之貞(生没年不詳)
内藤元貞(生没年不詳)
内藤久清(生没年不詳)


小西行正(生1500頃?~?) 小西氏の祖
小西隆佐(?~1592)


※朱元璋に弾圧された韓林児は日本に移住して内藤氏を生み、日本を拠点にマレー半島にマラッカ王国を築いた。内藤の名の由来は十字軍に因んでナイト(KNIGHT)から採られたと考えられる。更に内藤氏からは小西氏が生まれたが、小西の由来はラテン語読みのキニーズ(中国)と考えられる。キニーズ=キニス=小西となる。

 

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イドリース・アルーマ(?~?) ボルヌ帝国皇帝 在位1570~1603※画像なし
小西行長(1558~1600)
弥助(生没年不詳) 織田信長御用達小間使い※画像なし


※小西行長はボルヌ帝国の皇帝であり、織田信長に仕えていた弥助でもあった。つまりアフリカの黒人だった。インド洋商業航路に乗って日本に来たボルヌ帝国皇帝は弥助として最大の敵である信長に張り付き、小西行長として紅巾の乱のときの先祖である韓林児の雪辱を果たさんと、東本願寺門主顕如の一族宇喜多秀家と共に明に乗り込んだ。信長に止めを刺し、討ち取ったのは弥助の可能性もある。小西行長はキリシタン大名であったが、それは十字軍の末裔が築いたボルヌ帝国にいた時からであった。先祖は十字軍なのだから。

 

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アラーウッディーン・リアヤト・シャー(?~?) マラッカ王国第7代スルターン 在位1477~1488
マフムード・シャー(?~?) マラッカ王国第8代スルターン 在位1488~1511
アブー・アブド・アラー・アル=シーク・ムハンマド・イブン・ヤハヤ(?~?) ワッタース朝初代スルターン 在位1472~1504


※マラッカ王アラーウッディーン・リアヤト・シャーは、引き続きマフムード・シャーを演じた。また、アラーウッディーン・リアヤト・シャーはモロッコに進出してワッタース朝を開いた。この時に初めてモロッコの名がもたらされた。モロッコの由来はマラッカである。ワッタース朝は1554年まで続いた。

 

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アーマド・シャー(?~1513) マラッカ王国第9代スルターン 在位1511~1513 ※画像なし

アルブレヒト(1490~1568) 初代プロイセン公、ドイツ騎士団総長

 

※アルブレヒトの正体は、マラッカ王国最後の王アーマド・シャーであるため、顔はマレー人ぽく、普通の白人に見えない。彼がドイツ騎士団総長に就任していた時代にドイツ騎士団領は消滅した。

 

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アブドゥル・ジャリルール・アクバル(?~?) ブルネイ帝国第10代皇帝 在位1598~1659
サンペット5世(1600~1656) タイ王国アユタヤ王 在位1629~1656
サンペット6世(?~1656) タイ王国アユタヤ王 在位1656
サンペット7世(?~1656) タイ王国アユタヤ王 在位1656


※サンペット5世~7世まで3人の名があるが全てひとりの人物が演じ分けていると考えられる。ブルネイ・ボルヌ帝国の一族がタイ征服に乗り出したが、運営の機運に乗るまで1人で道筋をつけようとしたのだろう。サンペット5世の時代、アユタヤ王朝はオランダ東インド会社と連合し、日本人町の焼き討ちや山田長政の暗殺を実施した。

 

ラーマーティボーディー3世(1633~1688) タイ王国アユタヤ王 在位1656~1688
アブドゥル・ジャリルール・ジャバール(?~?) ブルネイ帝国第11代皇帝 在位1659~1660
ムハマンド・アリ(?~?) ブルネイ帝国第12代皇帝 在位1660~1661
アブドゥルハクール・ムビン(?~?) ブルネイ帝国第13代皇帝 在位1660~1673
ムヒーッディン(?~?) ブルネイ帝国第14代皇帝 在位1673~1690


※今度は逆に、アユタヤ王が4人のブルネイ皇帝を演じている。しかし、アユタヤ朝の簒奪は長く続かず、ラーマーティボーディー3世の時代で終焉を迎える。アユタヤを短期間支配した残党はブルネイに帰還した。

 

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ムハンマド・カンズル・アラム(?~1829) ブルネイ第21代皇帝 在位1807~1829※画像なし

Cristóbal Mendoza(1772~1829) ベネズエラ初代大統領 任期1811~1812

 

※このときにブルネイ帝国は、ベネズエラを一時的に植民地として掌握した。その子孫たちが現在、「チャベス大統領やマドゥロ大統領は悪だ」とウソをついてベネズエラで騒いでいるようだ。

 

ハシム・ジョリル・アラム・アクァマディン(1825~1906) ブルネイ第25代皇帝 在位1885~1905※画像なし
テ・クーティ(1832~1893) リンガトゥ教教祖
ネハンダ・ニャカシカナ/スビキロ(呪術師集団) チムレンガ指導者

ホセ・クリソストモ・ファルコン(1820~1870) 第11代ベネズエラ大統領

マヌエル・エセキエル・ブルズアル(1832~1868) 第12代ベネズエラ大統領

エルモゲネス・ロペス(1830~1898)


※ブルネイ皇帝アクァマディンはニュージーランドとジンバブエの支配を目論み、現地に飛んで邪教集団を形成し、白人列強に対して抵抗した。これはマオリ族を守るための戦いではなかった。アクァマディンは、ただ単に奴隷を使って領土を得たいという思惑しかなかった。

ジンバブエ、ニュージーランドなどの僻地の支配を諦めると、ハシムはさっさとブルネイ帝国植民地ベネズエラに帰還し、名前を変えながらベネズエラ大統領として君臨し続けた。

 

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ムハマド・ジャマルル・アラム2世(1889~1924) ブルネイ帝国第26代皇帝 在位1905~1924
トゥンク・アブドゥル・ラーマン(1895~1960) 初代マレーシア国王

ロムロ・ガジェゴス・フレイレ(1884~1969) 第32代ベネズエラ大統領

 

アマド・タジュディン(1913~1950) ブルネイ帝国第27代皇帝 在位1924~1950※画像なし

Diego Cisneros(1911~1980) 巨大メディアシスネロス・グループ創設

Eduardo Mendoza Goiticoa(1917~2009) ベネズエラ農相

ラモン・ホセ・ベラスケス(1916~2014) 第44代ベネズエラ大統領

ラファエルカルデラ(1916~2009) 第39代ベネズエラ大統領

ジャック・マーシャル(1912~1988) 第28代ニュージーランド首相

 

※シスメロスグループ総帥diegoとラファエル大統領は同一人物の可能性が高い。顔が良く似ている。これだけ似ていて良くベネズエラ国民は誰ひとり気付かないものだ。

 

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第26代ブルネイ王ムハマド・ジャマルル・アラム2世の子

 

PENGIRAN MUDA LAILA GAMBAR(1924)※画像なし

サイイド・ハルン・プトラ(1920~2000) 第3代マレーシア国王

カルロス・アンドレス・ペレス(1922~2010) 第40代ベネズエラ大統領

ルイス・エレラ・カンピンス(1925~2007) 第41代ベネズエラ大統領

ハイメ・ルシンチ(1924~2014) 第42代ベネズエラ大統領

ノーマン・カーク(1923~1974) 第29代ニュージーランド首相

 

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第27代ブルネイ王アマド・タジュディンの子

 

ベラバブ・バサール(1928~2013) ※画像なし

アズラン・シャー(1928~2014) ペラ王国スルターン、第9代マレーシア王

ビル・ローリング(1927~1995) 第30代ニュージーランド首相

 

※この2人は全く似ていないが、ベラバブ・バサールの影武者として生まれた。影武者であるはずのアズラン・シャーは出世し、バラク・オバマ、ジョコ・ウィドド、フアン・グアイドなどの悪を生んだ。

 

ラジャ・ヨング・ソフィア(1961) ぺラ王アズラン・シャーの娘※画像なし

バラク・オバマ(1961) アメリカ大統領

ジョコ・ウィドド(1961) インドネシア大統領

 

※オバマはアズラン・シャーの庶子として生まれ、異母兄弟ソフィアの幼少時の影武者として生まれた。そのため、オバマはゲイになった。オバマは若い頃のアズラン・シャーに良く似ている。影武者として生まれたジョコ・ウィドドも良く似ている。

 

大統領就任直後の2009年1月23日、オバマはパキスタンのイスラム武装勢力に対するミサイル攻撃を指示した。その後もパキスタンに対する越境攻撃を繰り返し行ったため、現地では多数の死傷者が出るなど被害が拡大している。上院の審議にて、国防長官ロバート・ゲーツは政府高官として初めて越境攻撃の事実を認めたが、今後も攻撃を継続すると証言した。

2011年、リビア内戦が発生したため、3月12日、アラブ連盟は国際連合安全保障理事会にリビア飛行禁止空域を設定するよう要請した。この要請は通り、結果を受けてアメリカはイタリア、デンマーク、ノルウェーと共にオデッセイの夜明け作戦を実施、リビア国内へ空爆を行った。wikiより

 

※上記のことがあるため、筆者はノーベル平和賞受賞者であるオバマ大統領をOH BOMBERと呼んでいる。カザフィー大佐もチャウシェスク大統領と同じように大谷の邪教信者によって惨殺された。カザフィー大佐を集団でリンチして殺害した後に民衆は携帯で写真を撮っていたが、このような人道的な倫理を持ち合わせない民衆は守る必要がない。どちらかといえば、積極的に死滅させてもかまわないような連中だ。死滅するべき連中だ。

しかし、オバマはこのような民衆を守るためと称しリビアを爆撃した。これは実に大谷の血ならではの所業ではあるが。カザフィー大佐が民衆に惨殺された写真も見たがこれは許すことは出来ない。できそこないが優れた人物を殺害することは反自然的なことだからだ。

 

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第27代ブルネイ王アマド・タジュディンの孫

 

レオポルド・ロペス(1971) ベネズエラ政治家※第27代ブルネイ皇帝アマド・タジュディンの孫

 

フアン・グアイド(1983) バラク・オバマの子(ベネズエラ外相)

 

※どう見てもオバマ。優性遺伝子ブリーダーで生まれたのだろう。2019年1月。ベネズエラでクーデターを引き起こしている。マドゥロ大統領の暗殺未遂もこの男の指揮だろう。民主党の切り札らしいが、小物でしかない。トランプ大統領は何か企んでいるのだろう。静観するのみだ。

 

JAMEL BETTAIEB(198?) バラク・オバマの子(アラブの春指導者)

 

※オバマ大統領は、優性遺伝子ブリーダーによって生まれた息子をチュニジアからホワイトハウスに迎えて讃えたが、あまり話題にならなかったようだ。

 

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第28代ブルネイ皇帝オマル・アリ・サイフディン3世の子

 

ハサナル・ボルキア(1946) ブルネイ帝国第29代皇帝 在位1967~現在

 


ジェフリ・ボルキア(1954)
ジェリー・マテパラエ(1954) ニュージーランド総督

 

6人の娘のうちの一人

ハリマ・ヤコブ(1954) シンガポール第8代大統領

 

※TPPを批准。オマル・アリ・サイフディン3世の何人かいる娘だと考えられる(生年が不明なので確かなことはいえない)。

 

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ハサナル・ボルキアの娘

 

ハジャー・ラシダー・サッアダトゥル・ボルキア(1969)※画像なし

ラトゥ・アトゥット・チョシヤ(1962) バンテン州知事

 

スハルト独裁体制を支え、ゴルカル党と深い関係を築き、バンテン州設立運動の中心人物でもある名士の一族に、今回の事件で初めて捜査のメスが入った。来年の総選挙を控え、同党は一連の党関係者の汚職事件の悪影響を懸念し、党大会を延期するなど動揺が広がっている。ジャカルタ新聞より

 

マジーダ・ボルキア(1976)※画像なし

フーマ・アベディン(1976) ヒラリー・クリントン第一秘書

 

※アベディンの正体はマジーダ・ボルキアと考えられる。ヒラリーと共に子供を殺し、血を飲んだとされている。

 

ハジャー・ハフィザー・スルルル・ボルキア(1980)※画像なし

ジャシンダ・アーダーン(1980) ニュージーランド首相

タワックル・カルマン(1979) 束縛のない女性ジャーナリスト設立、ノーベル平和賞

 

※ハジャー・ハフィザーの画像がないので何とも言えないが、アーダーンやカルマンのどちらかがハジャーハフィザーの可能性もあるし、或いはどちらも異母兄弟の庶子であり、影武者という可能性も考えられる。ジャシンダ・アーダーンはTPPを批准した。カルマンはウソをつくための権威である。実質、テロリスト。ノーベル平和賞が彼女が悪であることを証明している。テロリストに見えないテロリストが一番厄介だ。

 

 

 


親鸞の一族~浄土真宗、時宗、一向宗、世界初の精神病院ベドラム、ブルゴーニュ朝ポルトガル、コンキスタドール、メキシコ帝国、麻薬カルテル

 

親鸞(1173~1262) 

インノケンティウス4世(?~1254) ローマ教皇 在位1243~1254

アルフォンス2世(1174~1209) プロヴァンス伯、アルフォンソ2世の子※画像なし
ペドロ2世(1174~1213) バルセロナ朝アラゴン王
聖ドミニコ(1170~1221) ドミニコ会教祖

アルフォンソ9世 (1171~1230) レオン王 在位1188~1230※画像なし

ジョフロワ(生没年不詳) ベツレヘム大司教 在位1224~1247※画像なし

 

高麗:農民の大暴動(1193)
高麗:奴婢の蜂起(1198)
高麗:李延年の乱(1237)
イギリス:王立べスレム病院ベドラム設立(1247)
西欧:インノケンティウス4世、第6次十字軍(1248)

 

※親鸞は、日本は庶子を投入した影武者に一任し、主に高麗で仏教信者を統率して暴動を指揮している。一方、ヨーロッパ情勢にも気を配り、現地に赴いてインノケンティウス4世としてローマ法皇にも就任している。イギリスには、ベツレヘム大司教ジョフロワとして邪教信者を保護し、敵を精神病扱いするために世界初の病院という名の監獄、精神病院を設立している。「精神病患者の言うことには誰も耳を傾けない」。ここに目をつけた親鸞は、敵を孤立させるために精神病扱いすることを決定した。そのために大勢の信者に命令し、集団で敵個人に嫌がらせをした。
ここで敵が激怒したり、加害者である邪教信者に手を挙げた場合、彼らは敵を「おれたちは何もしてないのに暴力振るった」「狂ってる」「精神病だ」として精神病院に強制収用し、世間から遠ざけた。敵は個人に限定された。個人であれば、イヤガラセによる被害の主張も主観でしかない。主観であるということは、被害者は共感を得られないということだ。クリュニー会(浄土真宗)は、こうして世界中の敵(優れた人、善人、強い人)を減らしていった。

 

※以下は親鸞の異母兄弟で構成された影武者

 

アフォンソ2世(1185~1223) ブルゴーニュ朝ポルトガル王

ルイ8世(1187~1226) カペー朝フランス王 在位1223~1226

 

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親鸞の影武者(アフォンソ2世、ルイ8世)の子

 

アフォンソ3世(1210~1279) ブルゴーニュ朝ポルトガル王※画像なし

グレゴリウス10世(1210~1276) ローマ教皇 在位1271~1276

ルイ9世(1214~1270) カペー朝フランス王 在位1226~1270

ロベール1世(1216~1250) アルトワ伯

ハイメ1世(1208~1276) バルセロナ朝アラゴン王

 

西欧:グレゴリウス10世、第7次十字軍(1270)

 

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親鸞(アルフォンソ9世)の子

 

フェルナンド3世(1201~1252) レオン王、カスティーリャ王

テオパルド1世(1201~1253) シャンパーニュ朝ナバラ王※画像なし
ムハンマド1世(1195~1272) グラナダ王国初代王※画像なし
アルベルトゥス・マグヌス(1200~1280) ドミニコ会士

 

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フェルナンド3世の子

 

レオナール(1227~?) フェルナンド3世の子※画像なし

覚信尼(1224~1283) 親鸞の娘

顕智(1226~1310) 親鸞の弟子

カルロ1世(1227~1285) アンジュー=ナポリ朝シチリア初代王※画像なし

ウィレム2世(1227~1256) ホラント伯

トマス・アクィナス(1225~1274) ドミニコ会士

 

※親鸞のような悪党を尊敬する人間などいるはずが無い。つまり、弟子と呼ばれる者は、みな親鸞の子だ。子である顕智は親鸞の娘を演じ、大谷廟堂をひとりで建てた。大谷の由来はTANATOS(タナトス)の反対SOTANATのOTANAである。OTANA=大谷となる。悪党でしかない顕智は、常に強い武士に成敗される危険性があったため、逃げるときのために覚信尼の存在を準備した。彼は狙われていると知るとすぐに覚信尼に化け、潜伏した。

 


フェルナンド(1239~1260) フェルナンド3世の子、オマール伯※画像なし
一偏(1239~1289) 時宗祖
一向(1239~1287) 一向宗祖※画像なし

ペドロ3世(1240~1285) バルセロナ朝アラゴン王
テオパルド2世(1238~1270) シャンパーニュ朝ナバラ王※画像なし
ムハンマド2世(1235~1302) グラナダ王国第2代王※画像なし

 

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カルロ1世の子(アンジュー=ナポリ朝シチリア王)

 

カルロ2世(1248~1309) アンジュー=ナポリ朝シチリア第2代王

 

ロベルト1世(1277~1343) アンジュー=ナポリ朝シチリア第3代王

 

ジョヴァンナ1世(1327~1387) アンジュー=ナポリ朝シチリア第4代女王

 

エルサレム女王、シチリア女王、アカイア公、プロヴァンス伯、フォルカルキエ伯の称号を有した。wikiより

 

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アフォンソ3世の子(ブルゴーニュ朝ポルトガル王)

 

ディニス1世(1261~1325) ブルゴーニュ朝第6代ポルトガル王

ムハンマド3世(1257~1309) グラナダ王国第3代王※画像なし
アルフォンソ3世(1265~1291) バルセロナ朝アラゴン王

 

アフォンソ4世(1291~1357) ブルゴーニュ朝第7代ポルトガル王

ムハンマド5世(?~1359) グラナダ王国第8代王※画像なし

 

ペドロ1世(1320~1367) ブルゴーニュ朝第8代ポルトガル王

 

フェルナンド1世(1345~1383) ブルゴーニュ朝第9代ポルトガル王

 

※フェルナンド1世は娘しかいなかったために家は断絶。その後はエストレマドゥーラに移る。

 

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※コンキスタドール・リスト

 

フランシスコ・エルナンデス・デ・コルドバ(1467~1517)

 

バスコ・ヌーニェス・デ・バルボア(1475~1519)

 

ディエゴ・デ・アルマグロ(1479~1538)

パンフィロ・デ・ナルバエス(1478~1528)

フランシスコ・デ・モンテーホ(1479~1553)※画像なし

 

エルナン・コルテス(1485~1547) ヌエヴァ・イスパーニャ初代知事

バルトロメ・デ・ラス・カサス(1484~1566) ドミニコ会士

ペドロ・デ・アルバラード(1485~1541) コルテス右腕

 

※コルテスの由来はドルイド教司祭の一族カルヌーテースである。カルヌーテース=カルテース=コルテスとなる。タナトスは嫌われ者の上、誰も信用できないので「右腕」さえ自身で演じざるを得なかった。コルテスにとってはそれがアルバラードであった。もしどちらかに危険が迫ればどちらかに化けて潜伏するという手段も可能であった。更にドミニコ会士ラス・カサスを演じていたコルテスは、植民地から得られる利益をすべて独占したいがために、敵(ハプスブルグ家)を退ける目的で「インディア擁護論」を著した。

彼は自分でもインディオを虐待していたが、それはすべて棚に上げ、さも「敵だけ」がインディオを虐待している内容の本を書いた。それが悪の名著「インディアスの破壊についての簡潔な報告」である。この著作は魔女狩り関連の著作と並ぶ人類史上最悪の悪の名著である。

彼らの発想としては、敵が悪であれば排除して良いのだ。だが、もし敵が悪でないなら、敵が悪である証拠を探すのではなく、作るのだ。例えウソでも権威の口から出れば、そして、そのただのウソを大量の人間が信じるならば、そのウソは真実となる(そのための大量の邪教信者獲得である)。カサスは「インディアンの保護者」と呼ばれたが、添削の上、修正させていただくと「インディアン関連権益の保護者」となる。彼らは常に意図的に「ひと言」足りない。

 

フアン・デ・グリハルバ(1489~1527)

アルバル・ヌニェス・カベサ・デ・バカ(1490~1559)

 

エルナンド・デ・ソト(1496~1542)

ベルナル・ディアス・デル・カスティリョ(1496~1584)

マルコス・デ・ニサ(1495~1558) フランチェスコ会士※画像なし

 

ペドロ・デ・バルディビア(1500~1554)

ミゲル・ロペス・デ・レガスピ(1502~1572)※画像なし

 

フランシスコ・バスケス・デ・コロナド(1510~1554)

 

フアン・デ・サルセード(1549~1576)

 

※サルセードはフィリピンの侵略者であるが、彼はエルナン・コルテスの孫と考えられる。

 

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※ヌエヴァ・イスパーニャ総督


クリストバル・デ・タピア(?~?) ヌエヴァ・イスパーニャ第2代知事
アロンソ・デ・エストラーダ(?~?) ヌエヴァ・イスパーニャ第3代知事

 

アントニオ・イグナチオ・デ・ラ・ペドローサ・イ・ゲレーロ(?~?) グラナダ初代総督 任期1718~1719
ホルヘ・デ・ヴィラロンガ(?~?) グラナダ第2代総督 任期1719~1724
セバスチャン・デ・エサルヴァ(?~?) グラナダ第3代総督 任期1740~1749

 

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フランシスコ・ノヴェラ・アザバル・ペレス(1769~1822) ヌエヴァ・イスパーニャ総督(最後から二番目)

シモン・ロドリゲス(1769~1854) 家庭教師

 

シモン・ボリバル(1783~1830) 初代コロンビア大統領、初代ボリビア大統領

アグスティン・デ・イトゥルビデ(1783~1824) メキシコ立憲皇帝

ペドロ・バリエール(?~1827) 初代エルサルバドル大統領※画像なし

マリアーノ・デ・アイシネナ・イ・ピニョール(1789~1855) 第2代グアテマラ大統領※画像なし

フアン・モーラ・フェルナンデス(1784~1854) 初代コスタリカ大統領※画像なし

ディオニシオ・デエレーラ(1781~1850) 第5代ニカラグア大統領、初代ホンジュラス大統領

トマス・デ・エレーラ(1804~1854) 初代パナマ大統領※画像なし

ビセンテロ・カフエルテ(1783~1847) 第2代エクアドル大統領

フルクトゥオソ・リベーラ(1784~1854) 初代ウルグアイ大統領※画像なし

ミゲル・イスタニスラオ・ソレル(1783~1849) 第6代ブエノスアイレス州知事(アルゼンチン大統領)※画像なし

ホセ・ミゲル・カレーラ(1785~1821) 第6代チリ大統領

カルロス・アントニオ・ロペス(1790~1862) 初代パラグアイ大統領※画像なし

ホセ・マリア・バルガス(1786~1854) 初代ベネズエラ大統領※画像なし

ホセ・デ・ラ・リバ・アグエロ(1783~1858) 第4代ペルー大統領※画像なし

 

※ヌエバ・エスパーニャ総督の子シモン・ボリバルは、中南米の大統領に就任しまくり、ブラジル以外の中南米の支配者となった。実質、中南米の支配者であるが、メキシコでは皇帝を称した。全員、生没年がほぼ同じなのが中南米の大統領が同一人物だという証拠である。初代パナマ大統領エレーラは没年だけが同じである。

 

アゴスティン・コスメ(1824?~?) アグスティン・デ・イトゥルビデの子※画像なし

ポルフィリオ・ディアス(1830~1915) 第29代メキシコ大統領、独裁者 任期1876~1911

サルヴァドール・ホヴェラノス(1833~1881) 第5代パラグアイ大統領※画像なし

ガブリエル・ガルシア・モレノ(1821~1875) 第7代エクアドル大統領※画像なし

ホセ・マリア・メディナ(1826~1878) 第7代ホンジュラス大統領※画像なし

 

ベヌスティアーノ・カランサ(1859~1920) 第37代メキシコ大統領

ホセ・ミゲル・ゴメス(1858~1921) キューバ大統領

ウィリアム・タフト(1857~1930) 第27代アメリカ大統領

ピオ・ロメロ・ボスク(1860~1935) 第44代エルサルバドル大統領

マヌエル・ホセ・エストラーダ・カブレーラ(1857~1923) 第12代グアテマラ大統領※画像なし

クレト・ゴンザレス・ヴィケス(1858~1937) 第22代コスタリカ大統領

カルロス・ホセ・ソロルザーノ(1860~1936) 第16代ニカラグア大統領※画像なし

ベリサリオポラス・バラホナ(1856~1942) 第3代パナマ大統領※画像なし

フアン・ビセンテ・ゴメス(1857~1935) 第38代ベネズエラ大統領※画像なし

 

ミゲル・アレマン(1900~1983) 第46代メキシコ大統領

フルヘンシオ・バティスタ(1901~1973) キューバ共和国第14、17代大統領

フェリペ・モラス・ロペス(1901~1954) 第57代パラグアイ大統領

ユーゴ・バリヴィアン(1901~1993) 第50代ボリビア大統領

ラモン・エルネスト・クルス・ウクレス(1903~1985) 第28代ホンジュラス大統領※画像なし

アルヌルフォ・アリアス(1901~1988) 第25代パナマ大統領※画像なし

ロレンツォ・グエッロ(1900~1981) 第28代ニカラグア大統領※画像なし

ラファエル=アンヘル・カルデロン=グアルディア(1900~1970) 第30代コスタリカ大統領

フアン・ホセ・アレヴァロ(1904~1990) 第26代グアテマラ大統領

ウスビオ・ロドルフォ・コルドン・ケア(1899~1966) 第57代エルサルバドル大統領※画像なし

 

※このように、親鸞の一族は中南米の大統領の座をコレクションしていることがある。ベヌスティアーノ・カランサの場合はアメリカ大統領の座も入手している。カランサの由来はクロノスである。

 

アルマンド・カルデロン・ソル(1949~2017) 第66代エルサルバドル大統領

イスマエル・サンバダ・ガルシア(1948) シナロア・カルテル

 

メキシコ検察当局の発表によれば、2011年9月までのおよそ5年間に麻薬組織による犯罪や抗争に巻き込まれるなどして4万7515人が殺害されている。 wikiより

 

アルバロ・ウリベ(1952) 第61代コロンビア大統領

イグナシオ・コロネル・ビジャレアル(1954) シナロア・カルテル

ホアキン・グスマン(1957) シナロア・カルテル

キース・レイニエ(1960) NXIVM創始者

 

※シナロア・カルテルのリーダーは、中南米の大統領などの要職に就く者の影武者として生まれている。犯罪者の本体は常に王や大統領に化けている。キース・レイニエはタナトス一族を救うため、捨て駒として極悪セックスカルト教祖を演じているが、タナトスを知った今、いまさらアニキたちを騙せるはずもない。キース・レイニエ逮捕劇がトカゲの尻尾切りでしかないことは承知だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 


如信の一族~魔女狩り解禁、異端審問、伊勢大社、カペー朝フランス王、ボルボン朝スペイン王、スペイン共和国

 

如信(1235~1300)

度会行忠(1236~1306) 伊勢大社宮司※画像なし

エドワード1世(1239~1307) プランタジネット朝イングランド王

 

外交は近隣諸国との戦争に明け暮れ、ウェールズやスコットランドに侵攻して併合したり、アキテーヌを巡ってフランスと戦争するなどした。しかしスコットランド支配は激しい抵抗運動を招いて最終的には破綻し、フランスとの戦争はやがて百年戦争へと繋がっていく。エドワード1世 wikiより

 

※渡会(わたらい)の名の由来はアテルイである。アテルイ=ワテルイ=度会(わたらい)となる、そして漢字表記の由来はサドカイ派である。サドカイ=ドカイ=度会(どかい)となる。また、アテルイの名由来はアッティラであり、アッティラの由来はアティラである。すべての名の由来はサトゥルヌスである。

アテルイはモレを部下に東北地方を治めていたが、AD802年に坂上田村麻呂に成敗されると相棒のモレと共に日本を脱出し、太平洋を越えてメキシコに渡った。その後、一部はマヤに移住した。彼らはマヤ人と混合して「雨の神チャクモール」を祀った。チャクモールの名の由来はトラロックと同じである。アテルイの先祖「釈迦」とモレクの組み合わせである。釈迦+モレク=シャカモーレ=チャクモールとなる。人身御供の種族である彼らは、雨乞いの儀式と称して優秀な者を選んで生贄としてチャクモールに捧げた。つまり、雨乞いの儀式の目的は、雨乞いではない。彼らがマヤで実施した雨乞いの儀式の目的は、殺人である。下にいる如信の影武者だったジャック・ド・モレーは、モレの子孫である。

 

●如信の異母兄弟(影武者)

 

ヨハネス22世(1244~1334) ローマ教皇 在位1316~1334

ジャック・ド・モレー(1244~1314) テンプル騎士団総長

フィリップ3世(1245~1285) カペー朝第10代フランス王

エンリケ1世(1244~1274) シャンパーニュ朝ナバラ王※画像なし

 

西欧:シチリア島民の大反乱(1282)
西欧:ヨハネス22世、魔女狩り解禁(1318)
西欧:トゥールーズ、魔女400人が焼かれる(1320~1350)

 

※上の写真を見ると、ヨハネス22世とフィリップ3世は良く似ている。この2人は同一人物である。また、ジャック・ド・モレーはイングランド王、フランス王、ローマ教皇の影武者として生まれた男だった。しかし、影武者の立場を超えて権威を主張したため、仲間に排除された。

本体である如信は、日本に留まることはなかったようだ。彼は日本を離れ、故郷であるヨーロッパに活動の場を移した。若く見えたためか、年を11歳偽り、ヨハネス22世としてローマ教皇に就任し、1人でイングランド王やフランス王もかけ持ちした。非常に強い征服本能を窺うことが出来る。

また如信の影武者であったヨハネス22世は、大規模な魔女狩りを指揮した。大谷は、「敵は悪でなければならない」としている。敵が悪であれば「攻撃」は「征伐」として正当化されるのだ。「攻撃」というものは、敵が悪でなければ悪党になるが、敵が悪であれば正義の味方となるという特徴を持つ。そのためにヨーロッパ中の善人(悪の敵)は魔女でなくてはならなかった。ヨハネス22世は魔女なんかいないことを知っていた。

 

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フィリップ3世(影武者)の子

 

ルイ(1266~1276)※画像なし

ベルナール・ギー(1261~1331) ドミニコ会士

ギヨーム・ド・ノガレ(1260~1313) カペー朝フランス王フィリップ4世の政治顧問※画像なし

クレメンス5世(1264~1314) ローマ教皇 在位1305~1314※画像なし

 

※ルイは、10歳で死んだことにし、ベルナール・ギー、ギヨーム・ド・ノガレ、クレメンス5世と錚々たる悪党を演じ分けた。ギヨームとクレメンス5世はテンプル騎士団の壊滅に関係している。

異端審問官として熱狂的に働いたベルナール・ギーは、15年間に1000人を惨殺した。彼が殺したのは善人だけだ。つまり、彼は殺人鬼であるが、善人たちは公では魔女とされているので、第三者の目から見て、ベルナール・ギーは悪を成敗する正義の味方であった。彼が殺人の罪に問われないのは、魔女しか殺していないからだ。ここにタナトスの知恵が働いている。

タナトスは、敵を攻撃するとき、または殺すとき、必ず汚名を着せる。敵が悪であるなら、自分は正義の味方だからだ。ベルナール・ギーはヨハネス22世、つまり父に著書を献呈したというが、とんだ猿芝居だ。

 

フィリップ4世(1268~1314) カペー朝第11代フランス王

 

※影武者でしかないジャック・ド・モレーが、その立場を離れて権利を主張したため、本体である如信(ヨハネス22世)の子息ギヨーム・ド・ノガレ(及びクレメンス5世)、フィリップ4世によって排除された。子息たちとしては「きさまは父の影武者のくせにどういうつもりだ?」というところだろう。処刑の際にモレーは呪いの言葉を吐いたというが、フィリップ4世やクレメンス5世が急死したのは、モレーの残党が陰謀によって復讐のつもりで2人を暗殺したものだ。

 

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フィリップ4世の子

 

ルイ10世(1289~1316) カペー朝第12代フランス王

フェルナンド4世(1285~1312) ヒメネス朝レオン王

 

フィリップ5世(1292~1322) カペー朝第13代フランス王

 

シャルル4世(1294~1328) カペー朝第14代フランス王

 

※シャルル4世の時に子を儲けることが出来ずに断絶。これを以て、如信の血筋は絶えることになる。

 

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エドワード1世の子

 

エドワード2世(1284~1327) プランタジネット朝イングランド王

 

※ヴァロワ伯シャルル(覚如)の子がエドワード3世となるため、イングランドに巣食った如信の血筋はここで断たれることになる。

 

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※ヌエヴァ・イスパーニャ総督

 

アントニオ・デ・メンドーサ(?~?) ヌエヴァ・イスパーニャ初代総督
ルイ・デ・ベラスコ(?~?) ヌエヴァ・イスパーニャ第2代総督
フランシスコ・チェイノス(?~?) ヌエヴァ・イスパーニャ第3代総督

 

ホアン・アントニオ(1682~1747) ヌエヴァ・イスパーニャ第38代総督

フェリペ5世(1683~1746) ボルボン朝初代スペイン王 在位1700~1724

 

※ヌエバ・エスパーニャ総督に就任していたホアン。アントニオは、故地スペインに帰還し、ボルボン朝を開き、初代王に即位した。

 

カルロス3世(1716~1788) ボルボン朝第5代スペイン王 在位1759~1788

マティアス・デ・ガルベス(1717~1784) ヌエヴァ・イスパーニャ第48代総督

 

※カルロス3世は逆に、スペイン王に就きながらヌエバ・エスパーニャ総督に就任していた。斜視のところが似ている。同一人物だろう。スペインとヌエバ・エスパーニャの統治は如信の一族にとって命題だったのだろう。

 

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カルロス3世の子

 

フランシスコ・ハビエル(1757~1771)

ホアン・オドノジュ(1762~1821) ヌエヴァ・イスパーニャ第78代総督 任期1821※最後の総督

 

※ヌエバ・エスパーニャ総督は廃止され、スペイン統治一本に絞られた。

 

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カルロス4世の子

 

フェルナンド7世(1784~1833) ボルボン朝第7代スペイン王 在位1808

ラファエル・デル・リエゴ(1784~1823) スペイン将軍、自由政治家

 

※影武者として生まれたリエゴは本体であるフェルナンド7世に蜂起した。リエゴは善戦したものの、最終的には本体によって処刑されている。

 

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カルロス3世の曾孫

 

フランツィスカ・マリア(1820)※画像なし

フランシスコ・デ・アシース・デ・ボルボーン(1822~1902)

エスタニスラオ・フィゲラス(1819~1882) スペイン第一共和政初代大統領、及び初代首相

 

※女子フランツィスカとして生まれたが早世したことにされて、潜伏して育った。ゲイと呼ばれたが、優性遺伝子ブリーダーの手によって子どもたちは生まれたと考えられる。

 

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フランシスコ・デ・アシース・デ・ボルボーンの子

 

アルフォンソ12世(1857~1885) ボルボン朝第二次復古初代スペイン王

ホセ・フィゲロア・アルコルタ (1860~1931) アルゼンチオン大統領 在位1906~1910

 

エマヌエーレ・フィリベルト・ディ・サヴォイア=アオスタ(1869~1931)※画像無し

ミゲル・プリモ・デ・リベラ(1870~1930) スペイン独裁者 在位1923~1930

ニセート・アルカラ=サモーラ(1877~1949) 第二共和制スペイン初代首相

 

※ミゲルはエマヌアーレの影武者として生まれたが、独裁者としてスペインを統治した。家族である当時のスペイン王に「スペインのムッソリーニ」と批判されたが、これは猿芝居である。そういう風に言っておけば家族ではないと見せかけることが可能であり、一時的だが、ミゲルの独裁に批判的な人々を黙らせることが出来る。

 

アメデーオ・ディ・サヴォイア=アオスタ(1898~1942) 第3代アオスタ公

エドゥアルド・ロナルディ(1896~1956) アルゼンチン大統領

 

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フアン(1913~1993) バルセロナ伯

カルロス・アリアス・ナバーロ(1908~1989) スペイン首相

 

フアン・カルロス1世(1938) ボルボン朝第三復古初代スペイン王

アドルフォ・スアレス(1932) スペイン首相

 

フェリペ6世(1968) ボルボン朝第三復古第2代スペイン王 在位2014~

 

 

 


覚如の一族~紅巾の乱、華僑、百年戦争、殺人集団タギー、琉球王国、アチェ王国、黎朝ベトナム帝国、白蓮教、シンガポール、日清食品、社会民主党、全能神

 

覚如(1270~1351)

シャルル・ド・ヴァロワ(1270~1325) ヴァロワ伯※画像なし
ジョン・ストラトフォード(1275~1348) カンタベリー大主教

フアナ1世(1271~1305) シャンパーニュ朝ナバラ女王※画像なし
ハイメ2世(1267~1327) バルセロナ朝アラゴン王

ヴェルナー・シュタウファッハ(生没年不詳)

 

スイス:原初同盟(1291)

フランス:アヴィニョン捕囚(1309)
高麗:済州の民反乱(1318)
西欧:黒死病(1347)


モルガルテンの戦いは、1315年11月15日に起こった。原初同盟の1500名の軍隊は スイスのモルガルテン峠近くの エーゲリ湖の湖畔で神聖ローマ帝国のオーストリア公国軍兵士の一団を待ち伏せした。オーストリア軍を破ったスイス軍は ヴェルナー・シュタウファッハに率いられており、 オーストリア軍はレオポルト1世公に指揮されていた。スイスの勝利は現在のスイスの中核を形成する永続的な永久盟約を固めることとなった。 wikiより

 

※覚如は、自らイングランドに赴き、ジョン・ストラトフォードとして黒死病を現場で指揮した。イギリスは、黒死病の被害が極端に少なかったという点が興味深い。それは、イングランドに陰謀の首謀者がいたことを示している。黒死病は、百年戦争と同じでヨーロッパにいる善の心を持つ人々の掃討を目的としていた。大谷は、魔女狩り、黒死病、百年戦争の3点セットでヨーロッパ中の善人に挑んだ。善人が減り、ちょっと脅せば、自分の生活の保障のために悪にも容易に服従するような愚か者が増えれば統治が楽になるのだ。黒死病は、古代からタナトスが得意とした生物兵器によるテロである。黒死病のテロには2通りの手法があった。
ひとつめ。覚如は、間者にペストに犯された死者の身体の一部を井戸に投げ込むことを指示した。この時、間者たちはジプシーと連絡し、ジプシーの芸を見に集まって空っぽになった村に忍び込み、井戸に死者の身体の一部を投げ込み、井戸の水を汚染した。この方法は、自分の信者がいない、敵(善人、異教徒)だらけの村を全滅させる時に実施した。ふたつめ。覚如は、全ヨーロッパの医者を自分の血筋の者で固め、自分の信者が多い地域ではピンポイントで敵にだけ黒死病のウソの診断を下し、毒を盛ることで確実に敵を仕留めた。黒死病がウソであるポイントは、コントロールが容易であり、加害側に危険が一切ないことである。本物のペスト患者の死体は加害側にとって危険であり、取り扱いには慎重を要する。
また当時、黒死病は不治の病とされていた。不治の病であるということは、「治らない」或いは「治さなくて良い」または「死んでも良い」もっといえば「殺しても良い」のだ。黒死病の患者は、毒殺しても黒死病で死んだことになる。一旦、黒死病と診断されれば、例え毒殺でも「これは殺人ではないか?」と怪しむ者は皆無だった。実質、黒死病の死者のほとんどはタナトスの医者によって毒殺された。それでも尚、タナトスは誰も殺していない。

また、覚如はヴァロワ伯シャルルでもあった。覚如は、フランスでの足場を固めるためにヴァロワ伯の称号を簒奪した。覚如は、庶子の異母兄弟で構成された影武者部隊を指揮し、イギリスとフランス、そして日本を往来した。

 

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ヴァロワ伯シャルル(覚如)の子

 

フィリップ6世(1293~1350) ヴァロワ朝初代フランス王

 

※シャルル(覚如)の子であるヴァロワ朝フランス王フィリップ6世は、下に記載している、同じく覚如の子であるフランドル伯ルイ1世を援助しているが、それは異母兄弟だったからだ。

 

ルイ1世(1304~1346) フランドル伯

郭子興(1302~1355) 紅巾軍指揮

 

郭子興の長男は戦死し、次男の郭天叙、三男の郭天爵は禍を恐れた朱元璋によって、謀殺されたといわれる。娘の郭恵妃は朱元璋の側室となり、蜀献王・朱椿、代簡王・朱桂、谷王・朱橞らを産んだ。 wikiより

 

イザベル(1313~1388) ピエール1世と結婚※画像なし

ピエール1世(1311~1356) ブルボン公

エドワード3世(1312~1377) プランタジネット朝イングランド王 在位1327~1377
劉基(1311~1375) 朱元璋の部下

徐寿輝(1310~1360) 紅巾軍指揮

アルフォンソ11世(1311~1350) ヒメネス朝レオン王※画像なし
フアナ2世(1312~1349) カペー朝ナバラ女王※画像なし

 

イングランド:百年戦争(1337~1453)

イングランド:ガーター騎士団創設(1348)

中国:紅巾の乱(1351~1366)

中国:胡党の獄(1383)

 

※ヴァロワ伯シャルルの娘であるイザベルは、じつは男子であり、敵の目を欺くために女子として育てられた。その後、成人するとイザベルはピエール1世を名乗り、イザベルと結婚したことにしていろいろな女性と子を儲けた。また、ピエール1世はイングランド王エドワード3世にも早代わりした。フィリップ6世とエドワード3世は異母兄弟となるため、結局、イングランド対フランスの「百年戦争」も家族経営だったということだ。

また、朱元璋を補佐した劉基は、「百年戦争」をはじめたエドワード3世でもあった。劉基は、庶子の異母兄弟を投入して影武者部隊を編み、イギリス、中国、日本に配置したのだ。これにより、各地で同時期に活躍することが可能だった。百年戦争は、王族や騎士の中にいる反乱分子(善人)を淘汰するために始められた。イギリスとフランスの敵はお互い、国内にいる善の心を持つ人々であった。イギリス軍はカンタベリー大司教が指揮し、フランス軍はクリュニー会が指揮した。
劉基は、死んだことにしてイングランドに帰還し、エドワード3世として2年の余生を過ごした。だが、劉基の子たちは劉基のフェイク死を利用して反乱分子に対する粛清をはじめた。自分たちに反逆する意志があるかないかは関係ない。反逆したら手強いと考えられた人々は全員殺害された。これは魔女狩りに似たもので、「胡党だ」と呼ばれた者は誰でも逮捕された。この粛清で刑死したものは3万人といわれている。1386年には、モンゴル討伐に勲を立てた藍玉一族らが1万5千人も殺害された。わかりやすく例えれば、大谷は「おまえを殺す」とは絶対に言わない。そういうふうにいえば加害者、或いは悪党でしかないからだ。代わりに、大谷は「おまえは子供を殺した悪いやつだから殺す」という。そうすれば正義の味方になるのだ。「百年戦争」や「胡党の獄」だけでなく、魔女狩り、生類憐みの令もみな、骨子は同じである。

 

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エドワード3世の子

 

エドワード黒太子(1330~1476)

 

※プランタジネット朝。

 

ジョン・オブ・ゴーント(1340~1499)

 

※ランカスター朝の祖。

 

エドマンド・オブ・ラングリー(1341~1402)

 

※ヨーク朝の祖。

 

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エドワード黒太子の子(エドワード3世の孫)

 

リチャード2世(1367~1400) プランタジネット朝イングランド王

 

幼少で即位したため治世初期は貴族達の補佐を受け、成長してからは専制のため側近を重用したことが周囲の反発を招き1度挫折した。やがて反対派貴族を排除して再び専制に乗り出したことが一層の反感を買い、従弟のヘンリー・ボリングブルック(後のヘンリー4世)ら貴族層のクーデターによって王位から追放・幽閉された末に死去、プランタジネット朝は断絶した。 wikiより

 

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ジョン・オブ・ゴーントの子(エドワード3世の孫) ランカスター朝

 

ヘンリー4世(1367~1413)

 

ヘンリー5世(1387~1422)

 

ヘンリー6世(1421~1471)

 

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エドマンド・オブ・ラングリーの子(エドワード3世の孫) ヨーク朝

 

リチャード・オブ・コニスバラ(1385~1415) ケンブリッジ伯※画像なし

黎利(1385~1433) 後黎朝大越国初代皇帝

 

エドワード4世(1442~1483) ヨーク朝イングランド初代王

アリ・アブ1世(?~1482) グラナダ王※画像なし

 

薔薇戦争(1455年 – 1485年/1487年)の第一次内乱に勝利したことにより、ランカスター家のヘンリー6世を廃位して、ヨーク朝を開いた。ウォリック伯リチャード・ネヴィルの反乱(第二次内乱)により短期間だが王位を追われて、ヘンリー6世の復位を許すが、反撃に成功して王位を取り戻している。 wikiより

 

エドワード5世(1470~1483) ヨーク朝イングランド第2代王

ムハンマド12世(?~1483) グラナダ王※画像なし

 

リチャード3世(1452~1485) ヨーク朝イングランド第3代王

ムハンマド13世(?~1486) グラナダ王※画像なし

 

1485年8月、ランカスター派のリッチモンド伯ヘンリー・テューダー(後のヘンリー7世)がフランスから侵入し、ボズワースの戦いで国王自ら軍を率いて決戦する。この戦いでリチャード3世は味方の裏切りに遭い、自ら斧を振るって奮戦したが戦死した。遺体は、当時の習慣に従って、丸裸にされ晒された。 wikiより

 

※中世イングランド王室に巣食った本願寺門主覚如の血筋は、ここで断たれる。

 

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ヴァロワ伯シャルル(覚如)の子

 

 

ブランシュ(1317~1348)※画像なし

カール4世(1316~1378) ルクセンブルク朝神聖ローマ皇帝※画像なし

ニコラス・エイメリコ(1316~1399) ドミニコ会士・魔女狩り

方国珍(1319~1374) 反乱指揮者※画像なし

 

※ブランシュは男子だったが、女子として育てられた。その後、カール4世と結婚したことになっているが、カール4世は男子に戻ったブランシュであり、儲けた子供はカール4世が他の女性と作った子である。カール4世は同時にエイメリコを演じ、魔女狩りに情熱を傾けた。また、カール4世(ブランシュ)は、兄のルイ1世、ピエール1世(イザベル)や弟のルイと共に中国に渡って方国珍として元の崩壊に寄与した。

 

ルイ(1318~1328)※画像なし

張士誠(1321~1367) 張呉王

劉福通(1321~1363) 紅巾軍指揮※画像なし

陳友諒(1320~1363) 陳漢初代皇帝※画像なし
ジョン・ホークウッド(1320~1394) イギリス軍隊長


※ルイは10歳で死んだことにし、中国へ渡り、張士誠、劉福通として元に蜂起する。このとき、ルイは兄のカール4世(ブランシュ)、ルイ1世、ピエール1世(イザベル)と共に中国に渡って元の崩壊に寄与した。また、ルイは残虐極まりないジョン・ホークウッドにも変身した。

 

中国:紅巾の乱(1351~1368)

 

インド:殺人集団タギー(14世紀)

 

※一方、方国珍は55歳で死んだことにして劉基と共にイングランドに向かった。イギリスでジョン・ホークウッドを称した彼は、庶子の異母兄弟で編んだ影武者軍団や紅巾の乱の部隊をそのまま同行させ、イングランドで「白軍団」という職業軍人集団を築き、傭兵隊長に収まった。彼らは、イタリアに侵攻した際、財宝を強奪し、家畜を殺害し、若い女性を縛り、輪姦した。その後は、女性の乳房を切り落としたり、性器に剣を突き刺したりした。ホークウッドの部隊は、この時に2500人もの住民を惨殺した。また、部下2人がひとりの修道女を巡って争っていると、ホークウッドは剣で修道女を真っ二つに叩き斬り「ほら、2人で分けろ」と述べた。

その後、白軍団はインドに移住した。この時に「殺人集団タギー」が生まれた。タギーの名の由来はホラズム・シャー朝の初代王テギーンである。タギーはカーリーへの供物として、信者全員に毎年1人以上の殺人を義務付けていた。タギーは富裕な商人、旅行者などを狙い、蓄えた富で組織を維持し、更に組織の安全を謀るために各地の有力者に裏金を贈ったとされる。優性遺伝子ブリーダーによってタギーは瞬く間に増えた。彼らは政治とも結びつき、勢力を伸張した。年間2000人は殺していたようだ。タギーの特徴はバンダナだが、これは紅巾賊の頃の名残ではないか?

 

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陳友諒の弟

 

名前不明(生没年不明)

ハヤム・ウルク(1334~1389) マジャパヒト王国第4代王 在位1350~1389

 

ギリンドラワルダーナ(?~1489) マジャパヒト王国第13代王 在位1478~1489

プラブ・ウダラ(?~1517) マジャパヒト王国第14代王 在位1489~1517

ラデン・パター(?~1518) ドゥマク王国初代王 在位1475~1518

アリ・ムハヤット・シャー (?~1528) アチェ王国初代王 在位1496~1528

 

ジャマル・ウル=アラム・バドル・ウル=ムニール(?~1736) アチェ王国第20代王 在位1703~1726

ジェイラム・シヴジ(1800年前後に活躍した人物) 印僑の始祖、ザンジバル帝国富豪


※ジャマル王はインドネシアを離れて印僑のハシリ、ジェイラム・シヴジとしてスワヒリに登場し、大きな影響力を残した。シヴジはザンジバル・スルターン国で巨大な財力を握り、国政を左右する影響力を保持したため、ザンジバルへのインド人(タギー)の移住も進んだ。

 

アラウッディン・ムハマド・シャー(1760~1795) アチェ王国第28代王 在位1781~1795※画像なし

ベーラム(1765~1840) 殺人集団タギー首領

 

※シャーは、35歳で死んだことにしてアチェ王国からインドに赴き、首領としてタギーを指揮した。しかし、彼は歴代首領の中で初めて逮捕・処刑された首領となった。

 

アラウッディン・ムハマド・ダウード・シャー1世(1802~1838) アチェ第31代王 在位1823~38※画像なし
ポタタウ(1800~1860) 初代マオリ王


※シャー1世は36歳で死んだことにして、アチェ王国からイギリス統治下のニュージーランドに移ってポタタウとしてマオリ族の初代王となった。

 

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陳友諒の子

 

陳理(?~1408) 陳漢第2代皇帝

陳祖義(?~1407) ジャワ華僑首領、海賊

尚思紹王(1354~1421) 在位1406~1421

 

尚巴志王(1372~1439) 琉球王国第一尚氏王統初代王 在位1429~1439

黎利(1385~1433) 前期黎朝初代ベトナム皇帝 在位1428~1433

 

尚永王(1559~1589) 琉球王国第二尚氏王統第6代王 在位1573~1588

黎維潭(1567~1599) 後期黎朝第4代ベトナム皇帝 在位1573~1599

林鳳(?~?) 倭寇首領

潘和五(?~?) 華僑首領

 

※尚永王(黎維潭)は、倭寇首領林鳳を演じていた。林は台湾入植を考えていたが、マニラ発の船舶の積荷を見て突如、フィリピン攻略を思いついた。1574年、船舶10隻、6000人の部下を連れてフィリピンに上陸し、フィリピン人に同化した。

1593年になると、尚永王(黎維潭)は潘和五を演じ、華僑の部下を総動員してスペイン人総督を殺害し、スペイン艦隊を乗っ取った。歴史上、この乗っ取られた艦はベトナムに漂着したというが、実際にはベトナムに持ち帰られたということができる。

 

尚寧王(1564~1620) 琉球王国第二尚氏王統第7代王 在位1589~1620

黎維新(1588~1619) 後期黎朝第5代ベトナム皇帝 在位1600~1619

黄江(?~?) 華僑首領

 

※尚寧王(黎維新)は華僑の首領黄江を演じていた。黄江はスペイン人に対する蜂起を計画していたが、当局にバレ、2万人の華僑が虐殺されたという。だが、数年の内に1万人規模に戻ったということから2万人の虐殺はウソだったと考えられる。

 

尚豊王(1590~1640) 琉球王国第二尚氏王統第8代王 在位1621~1640

黎維祺(1607~1662) 後期黎朝第6代ベトナム皇帝 在位1619~1643

 

※尚豊王(黎維祺)は再び華僑の首領を演じ、大量の農民を操ってマニラでスペイン人に対する暴動を指揮した。このときはカトリック司祭2と役人数人を殺害した。このときも2万人の華僑が虐殺されたという。

 

尚貞王(1646~1709) 琉球第二尚氏王朝第11代王 在位1669~1709

黎維祫(1663~1716) 後期黎朝第11代ベトナム皇帝 在位

丁弋(?~?) 華僑首領

 

黎顯宗(1717~1786) 後期黎朝第28代ベトナム皇帝

王倫(?~1774) 白蓮教の乱指揮者

 

黎維祁(1765~1793) 後期黎朝第29代ベトナム皇帝

林清(1770~1813) 天理教の乱指揮者

 

王聡児(1777~1798) 一貫道指揮者

 

姚之富(?~1798) 一貫道指揮者

 

王覚一(1821~1884) 一貫道指揮者

 

 

路中一(1849~1925) 一貫道※画像なし

黄遵憲(1848~1905) 清国外交官

育徳帝(1852~1883) 阮朝ベトナム第5代皇帝※画像なし

協和帝(1847~1883) 阮朝ベトナム第6代皇帝※画像なし

 

維新帝(1900~1945) 

張天然(1899~1947) 一貫道※画像なし

孫慧明(1895~1975) 一貫道※画像なし

周仏海(1897~1984) 一貫道※画像なし

 

※黎朝のベトナム人が中国で白蓮教の乱や天理教の乱を指揮していた。数々の蜂起が失敗に終わると、やがて黎朝の残党は阮朝統治下のベトナムに戻り、阮朝の王室に侵入し、挙句に簒奪した。後期阮朝の皇帝は、みな中国で一貫道の僧侶として活動していた。

 

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コロキ・マフタ(1906~1966) 第5代マオリ王

安藤百福(1910~2007) 日清食品代表取締役社長

 

※安藤百福は華僑というから中国人ぽい顔を想像していたが、なかなかどうして。若い頃はポリネシア感が強い。現在の日清食品、特にインスタントラーメン、カップメンは化学毒の別称に成り果てている。遺伝子組み換え菜種油のために、食べ続けるとみぞおちに激痛が降臨する仕組みになっている。天国の安藤は泣いているだろうか?或いは笑っているだろうか?

 

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阮朝第10代ベトナム皇帝成泰帝の子(子は50人)

 

アルマンド・ヴィアーレ(1919?~?)※画像なし

ウィー・チョン・ジン(1915~2005) シンガポール大統領代行(華僑)

ウィー・キム・ウィー(1915~2005) シンガポール第4代大統領(華僑)

ヨー・ギム・セン(1918~1993) シンガポール大統領代行(華僑)

 

50人の子の内のひとり(生没年不詳)

リー・クアンユー(1923~2015) シンガポール元首

 

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阮朝第11代ベトナム皇帝維新帝の子

 

ソランジュ(早世)※画像なし

コラソン・アキノ(1933~2009) 第11代フィリピン大統領(華僑)

土井たか子(1928~2014)

 

※2人共存命ではないが、似ている。前から似ていると思っていたが、それ以上踏み込むことは毛頭考えていなかった。まあ、社民党も筆者の集団ストーカーの訴えを無視したので悪の側だろうとは考えていたが、やはりそうだったか。だいたい、たかこは浄土真宗が建てた龍谷大学の卒業生なのだから。

 

グエン・フク・バオ・ゴク(1932)

ベニグノ・アキノJr(1932~1983)

司徒華(1931~2011) 天安門事件指導者

 

※アキノも悪者だった。マルコス大統領はダヴィデの一族の出身だからタナトスの侵入を阻止するために暗殺したようだ。もっとやっていいのにね。

 

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保大帝の子(阮朝最後の皇帝)

 

バオ・ロン(1936~2007)※画像なし

オン・テンチョン(1936~2002) シンガポール第5代大統領(華僑)

 

バオ・タン(1943~2017)

ゴー・チョクトン(1941) シンガポール上級相

トニー・タン・ケン・ヤム(1940) シンガポール第7代大統領(華僑)

神埼武法(1943) 公明党代表

朱耀明(1944) 香港反政府デモ指導者

 

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リー・クアンユーの子

 

リー・シェンロン(1952) シンガポール共和国第3代首相

趙維山(1951) 全能神教祖

張永明(1955~2013) 喰人シリアルキラー(男性20人)

 

中国・雲南省の昆明市晋寧県で、20人の男性 (12歳~80歳) が失踪している事件が発生していた。 当初は5人とされていた不明者は実は17人に及んでいた。 12歳の少年1人を除き、いずれも16歳以上で、最高齢は80歳であった。 失踪現場はかなり人通りのある場所だった為、犯人の特定は難しかったが、実は張の家の近所であった。「世界の猟奇殺人者」より

 

※シェンロンと趙はどう見ても同一人物だ。シンガポールの首相が中国を侵略するカルトの教祖とはね。陳は顔が似ていないので影武者だろう。張永明もリー・シェンロンに顔が似ているが影武者として生まれたのではないかと考えられる。

 

リー・ウェイリン(1955?) 国立脳神経科学院※画像なし

福島瑞穂(1955) 社民党

 

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コラソン・アキノの子

 

ベニグノ・アキノ3世(1960) 第15代フィリピン大統領(華僑)

 

クリス・アキノ(1971) コラソン・アキノの娘

楊向彬(1973) 全能神教祖妻

 

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ベニグノ・アキノ3世の子

 

プリシラ・チャン姉妹

 

※プリシラ・チャンはフェイスブック創業者ザッカーバーグの伴侶だが、たくましい体つきをしており、オバマ夫人のミシェル同様に性転換男性ではないかと疑われる。この場合、かよわそうなザッカーバーグが彫られているのだろうか(性転換しているんだっけなw)。そのプリシラ・チャンの妹が、カリフォルニアで「カンニバル・クラブ(人肉クラブ)」という恐ろしい名前のレストランを経営しているという。この姉妹(?)の家系は、アキノ家だと考えられる。プリシラチャンは3世に似ているし、右側の人がコラソンに似ている。もしベニグノ・アキノ3世の子なら、優性遺伝子ブリーダーの仕事だろう。

 

 

 



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