目次
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まえがき 悪の足跡の追求
タナトスの解説(集団ストーカーの指揮者、対人恐怖を作る人々)
タナトスの一族~カニバリズム、人身御供、アトランティス王国、最終戦争ラグナロク、タングート、西夏、アサシン教団、狼男、チャガタイ・ハン国、タウングー朝、ズールー帝国、アフリカ独立運動、ボコ・ハラム
ティールタンカラの一族~アーリア人、仏教、継体天皇、中臣鎌足、藤原不比等、白河天皇、鳥羽天皇、マリ帝国、聖フェーメ団、ジェノヴァ共和国、ルクセンブルク公国、モナコ公国
デウスの一族~ジャイナ教、河伯、サータヴァーハナ朝、フン族、アッティラ帝王、稲荷神社、九頭龍、風水、足利尊氏、後醍醐天皇、シャーマニズム、クエーカー教、住友財閥、三井財閥
ダーナ神族の一族~ディオニュソス、デニエン人、猿田彦、契丹、デーン人、鬼、酒呑童子、ハーバード大学、ジョージ・ワシントン大統領、アメリカ連合国、統一イタリア王国、カナダ、ニュージーランド、阿含宗
アブラハムの一族~シュメール文明、エフライム族、バアル、アフラマズダー、ゾロアスター教、マケドニア王国、聖徳太子、ピサ共和国、奥州藤原氏、フランシスコ・ピサロ、ヴァーサ朝、フィンランド共和国
預言者ナタンの一族~ラピタ文化、ダン族、ソロモン王、ミディアン人、ストーンヘンジ、アテーナイ王国、ヒクソス、アマルナ宗教改革、ケント王国、最澄、空海、源氏・平氏、マフディー国家
アッシュール・ダン1世の一族~魔神アスラ、タニス、北イスラエル王国、アルメニア王国、グノーシス主義、コプト教、聖コルンバ、アルシング議会
ガリアのドルイド司祭(東本願寺)の一族~アテネ民主制、ローマ執政官、ソピテース、デマゴーグ、ヘロデ大王、ローマ帝国、フィリキ・エテリア、青年トルコ革命、クルディスタン労働者党
聖ドナトゥスの一族~渤海王、ブワイ朝、テンプル騎士団、ジンバブエ王国、ダホメー王国、ハイチ帝国、トンガ王国、リベリア共和国、ブータン王国、黒人地位向上協会、バハーイー教
ローマ教皇レオ1世の一族~ランゴバルト王国、メロヴィング朝、マズダク教、ウイグル可汗、浄土教、曹洞宗、ノルマン人、カルマル同盟、出雲大社、コーザ・ノストラ、オーストラリア、バチカン市国委員会
クリュニー大主教ベルノの一族~ナバラ王国、フランク・ローマ皇帝、カペー朝フランス王、民衆十字軍、土肥実平、長宗我部氏、キャンディ王国、三菱財閥、モロ民族解放戦線、ルワンダ大虐殺
クリュニー大主教アイマールの一族~キエフ大公国、シトー会、北条時政、聖フランチェスコ会、シチリア王国、イタリア共和国
クリュニー大主教ヒューの一族~ヒメネス朝ナバラ王、バルセロナ朝アラゴン王、ブルゴーニュ朝カスティーリャ王、バルバロス・ハイレッディン、チュニジア、アルジェリア、ユニオン・コルス
カペー朝ルイ7世の一族~メリナ王国、カンボジア王国、カリブ族、四季協会、ゴーストダンス、マウマウ団、ドラヴィダ進歩党、カーゴカルト、パプアニューギニア、クメール・ルージュ
カペー朝フィリップ2世の一族~ドイツ騎士団、白蓮教、小西行長と弥助、マラッカ王国、ブルネイ帝国、ベネズエラ共和国、リンガトゥ教、呪術師スビキロ、バラク・オバマ、フアン・グアイド
親鸞の一族~浄土真宗、時宗、一向宗、世界初の精神病院ベドラム、ブルゴーニュ朝・アヴィス朝ポルトガル王国、コンキスタドール、メキシコ帝国、麻薬カルテル
如信の一族~魔女狩り解禁、異端審問、伊勢大社、カペー朝フランス王、ボルボン朝スペイン王、スペイン共和国
覚如の一族~紅巾の乱、華僑、百年戦争、殺人集団タギー、琉球王国、アチェ王国、黎朝ベトナム帝国、白蓮教、シンガポール、日清食品、社会民主党、全能神
善如の一族~倭寇、恭愍王、足利義満、日野富子、三浦倭館、東林党、魏忠賢、フランシス・ドレイク、バッカニア海賊、カタール首長
綽如の一族~ヴァロワ=ブルゴーニュ公、ブルボン公、能登守、ハプスブルグ朝スペイン王国、デュポン財閥、ケベック解放戦線
巧如の一族~ジル・ド・レ、ヴァロワ朝フランス、マルタ騎士団、マラーター族、アフガニスタン王国、オマーン王国、ザンジバル帝国、ソコト帝国、マルタ共和国
存如の一族~応仁の乱、アラゴン王国、アヴィス朝・ブラガンサ朝ポルトガル王国、ポルトガル共和国、アルバニア共和国、マザー・テレサ、神の愛の宣教者会
蓮如の一族~スイス連邦参事会、魔女狩り、パッツィ家、ロレーヌ公、一向一揆、秘密委員会、ベルギー王国
実如の一族~毛利元就、オルデンブルク朝デンマーク、モロッコ王国、フランコ将軍、パレスチナ解放機構、トントンマクート、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三、統一協会
証如の一族~明智光秀、魔女狩り、戦国時代、オランダ王国、近衛家、クウェート王国、イギリス東インド会社、南アフリカ連邦、ジャム・カシミールのムジャヒディーン、湾岸戦争
顕如の一族~万暦の三征、魔女狩り、オランダ東インド会社、スチュアート朝、老論派、バプティスト教会、メソジスト教会、ヴァンダービルト財閥、パール・ジャム、KORN
教如の一族~織田信雄、東山天皇、仁孝天皇、孝明天皇、カメハメハ大王、ハワイ王国、トンガ王国、サモア独立国、フィジー共和国、エチオピア連邦民主共和国
宣如の一族~ハプスブルグ家、ブルボン家、プファルツ朝スウェーデン王、フルベ聖戦、フランス共和国、イスラーム・マグリブ諸国のアル=カーイダ機構
琢如の一族~英蘭戦争、マラーター王国、ベンガル太守、アワミ連盟、バングラデシュ、ジャマート=ウル=ムジャーヒディーン
常如の一族~後金時代、李氏朝鮮末期、琉球第二尚氏王統、東学党、ゴ・ディン・ジエム、大韓民団、戸塚ヨットスクール、ベトナム社会主義共和国、国民民主党、自由朝鮮
一如の一族~名誉革命、ジャコバイト、オラニエ=ナッサウ王家、南アフリカ連邦、オレンジ革命
真如の一族~イエズス会弾圧、ムガール皇帝、マラーター同盟、タタ財閥、デカン・ムジャヒディーン
従如の一族~田沼意次、徳川家重、松平定信、井伊直弼、水野忠邦、徳川慶喜、静岡県知事
乗如の一族~フランス革命、ベトナム植民地、ブラジル帝国、YMCA、セブンスデー・アドベンチスト教会、国際赤十字社、花粉症、AIDS
達如の一族~復古神道、尊皇攘夷、天理教、金光教、神社本庁、日本社会党、講談社、日本会議、ヒカルランド
大谷光勝の一族~興宣大院君、明治天皇、ビアフラ共和国、ソンミ村虐殺、コリン・パウエル、コンドリーザ・ライス、トニー・ブレア
大谷光榮の一族~大谷大学、大正天皇、昭和天皇、アドルフ・ヒトラー、ハインリヒ・ヒムラー、軍産複合体、パフラヴィー朝皇帝、アウグスト・ピノチェト、立憲民主党
大谷光演の一族~重慶爆撃、CTスキャン、ダライ・ラマ14世、ディズニー・カンパニー、スティーブン・スピルバーグ、ジャニーズ、タイム・ワーナー社、YOUTUBE
大谷光暢の一族~市川團十郎、ラビア・カーディル、ブルース・リー親子暗殺、地下鉄サリン事件、天安門事件、オウム地下鉄サリン事件、酒鬼薔薇聖斗、雨傘革命
大谷暢顕の一族~TV局アナウンサー、宮崎勤事件、足利事件、オウム真理教、神戸連続児童殺傷事件、学級崩壊、大阪池田小児童殺害事件、てるくはのる事件、SEALDs
大谷暢裕の一族~「集団ストーカー問題を克服する」、2014香港反中デモ、2014香港反政府デモ、2019逃亡犯条例改正案撤回デモ
大宛のドルイド司祭(西本願寺)の一族~大宛、クシャーナ朝、鳩摩羅什、曇鸞、浄土宗、隋、ウマイヤ朝イスラム帝国、北宋、舜天王統、ブギス族、ジョホール朝、林本源、中国仏教協会、台湾
王安石の一族~南宋皇帝、今川国氏、デリー・スルターン朝、曹洞宗、永平寺、総持寺、コーカンド・ハン国、イエメン王国、イスラム国
今川国氏の一族~アステカ帝国、凄惨な人身御供儀式、串刺し公ヴラド・ツェペシュ、見付天神の人身御供、血の伯爵夫人エリザベート・バートリ、モルダヴィア公、ルーマニア王国、モルドバ共和国
准如の一族~小早川秀秋、ドン・コサック、古儀式派、ノーベル賞、ベルナドッテ朝スウェーデン王、温暖化十字軍、グレタ・トゥーンベリ
良如の一族~保科正之、徳川綱吉、生類憐みの令、火付盗賊改、子供を殺すための法律「ブラック法」、大英帝国、オックスフォード=アスキス伯爵、MI6長官
寂如の一族~女帝エカチェリーナ、秘密結社イルミナティ、ナチス帝国、特高警察、モサド、中央情報局、アメリカ連邦捜査局
住如の一族~ナーディル・シャー、黒住教、ビン=ラディン・グループ、アルカーイダ、ソマリランド大統領、GOOGLE
湛如の一族~ジュンガル帝国、チャックリー家、タイ王国、ネパール王国、モンゴル人民革命党、霊友会、世界救世教、祟教真光、日本相撲協会
法如の一族~アヘン戦争、ロスチャイルド財閥、ロックフェラー財閥、スカル&ボーンズ、第一次世界大戦、ホスピス、ロイター通信、北大西洋条約機構、アムネスティ・インターナショナル、児童文学ハリー・ポッター
文如の一族~九条道前、ウィリアム・ピット、薩摩戦争、切り裂きジャック、インディアン虐殺、BBC、タイタニック号沈没、ツタンカーメンの呪い、国際連合、連続児童殺人鬼アルバート・フィッシュ
本如の一族~ウクライナ東方カトリック教会、東トルキスタン、セルビア公国、ムスリム同胞団、ユーゴスラビア紛争、チェチェン紛争、南オセチア紛争、ウクライナ政変
広如の一族~長州藩藩主、伊藤博文、大隈重信、山縣有朋、龍谷大学、新渡戸稲造、白洲次郎、東条英機、日産コンツェルン、731部隊、ベトナム戦争
ネルソン・ロックフェラーの一族~ヘンリー・キッシンジャー、ビル・クリントン、湾岸症候群、ジョン・ベネ殺害事件、レバノン空爆、ロシアの人喰いズマガリエフ、ゾディアック、サムの息子、フェイスブック
デヴィッド・ロックフェラーの一族~ジョージ・ソロス、CNN、モンサント社、遺伝子組み換え作物、成長ホルモン、コソボ爆撃、コロンバイン高校銃撃、同性愛人喰いジェフリー・ダーマー、レオナルド・ディカプリオ
大谷光尊の一族~ウィンザー朝イギリス王室、ファシスト党、ディープ・ステート、連続殺人鬼ウィリアム・ハイレンズ、ウクライナ21、Twitter
大谷光瑞の一族~マンチェスター侯爵、ジョージ・H・W・ブッシュ、ケネディ大統領暗殺、湾岸戦争、冷戦終結、法輪功、国境なき記者団、自動運転技術テロ、オール電化テロ
大谷光照の一族~サウジアラビア王ファイサル、ロバート・ケネディ暗殺、ジョージ・W・ブッシュ、除草剤ラウンドアップ、連続殺人犯テッド・バンディ、世界同時多発テロ、キャラバン
大谷光真の一族~リヒテンシュタイン公、悪魔ビル・ゲイツ、マイクロソフト社、上祐史裕、プログラム自動ダウンロードテロ、異常行動テロ
大谷光淳の一族~リヒテンシュタイン公、2ちゃんねる、仙台女児連続暴行事件犯人、2019逃亡犯条例改正案撤回デモ、Qアーミージャパン
ユダヤ人(1731)の一族~ハザール帝国、薔薇十字団、カバラ神秘主義、ホフユーデン、人体自然発火事件、シオニズム運動、精神医学、エスペラント、モサド、ドイツキリスト教民主同盟、ゲノム編集
ユダヤ人(1908)の一族~ヒヴァ・ハン国、ガージャール朝、アドルフ・ヒトラー、ツングース大爆発、ロケット、マンハッタン計画、原子爆弾、水素爆弾、レーザー、コンピューター
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聖ドナトゥスの一族~渤海王、ブワイ朝、テンプル騎士団、ジンバブエ王国、ダホメー王国、ハイチ帝国、トンガ王国、リベリア共和国、ブータン王国、黒人地位向上協会、バハーイー教

ドナトゥス・マグヌス(?~?) ドナトゥス司教 ドナトゥス司教 在位313~355

マヨリヌス(?~?) ドナトゥス司教 在位311~313※画像なし

 

※切り替えの早いドルイド教は、ミラノ勅令が出る直前にドルイド教を捨て、散々攻撃していたキリスト教にあっさりと鞍替えした。タナトスを由来にしたドナトゥス派としてキリスト教の歴史に登場した。タナトス=ダナトス=ドナトゥスとなる。

もともとドルイド司祭だったドナトゥス・マグヌスは、初代司教マヨリヌスでもあったが、ドナトゥスは355年に死んだことにしてカルタゴを発ち、古代にダヴィデの一族が築いた交易路を東に進み、紅海、インド洋、東南アジアから太平洋にまで赴いた。その時にドナトゥスはバヌアツを発見した。バヌアツの由来はヨハネスである。ヨハネス=ヨハヌエス=ハヌエス=バヌアツとなる。

その後、ポリネシア人の漕ぎ手をを奴隷のように酷使して新たな新天地を求めて北上し、偶然にもハワイを発見したと考えられる。ハワイの由来はヤハウェである。ヤハウェ=ヤハワイ=ハワイとなる。ハワイを新たなキリスト教(ドナトゥス派)の拠点として設け、いつの日か、オリエントに錦を飾るための基地として使おうと考えていたかもしれない。その後、太平洋航路を開発しながらハワイのドナトゥス派は中国に辿りつき、渤海湾(ボハイ)にハワイの名を残している。

 

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●渤海王からブワイフ朝に繋がる系譜

 

※バヌアツ諸島、ハワイ諸島を離れた聖ドナトゥスの一族は中国を訪れ、上陸したポイントを渤海湾(ボハイ)と命名した。その後満州に移り、渤海国(ボハイ)を築くことになる。ボハイ(渤海)の由来はハワイである。ハワイ=バハイ=ボハイとなる。

渤海国は、日本にいた家族日本仏教と交流するべく、渤海使を送っていた。これは日本を訪問した渤海人の使節である。728年から922年までの間に34回の使節が記録に残っている。 この間に渤海人は日本仏教を学んだ。

 

大祚栄(?~?) 渤海国初代王 在位689~719

 

ダエ・インソン(?~926) 渤海国最後の王 在位906~926

イマード・ウッダウラ(891~949) ブワイフ朝初代シャー 在位932~949

 

※926年、渤海国が滅亡すると、最後の王はイランに移住し、932年にブワイフ朝を開いた。彼らは6年でイランに新しい王朝を築いたことになる。たぶん、家族であるマズダク教の人々が新しい王朝の準備に協力したのだろう。ブワイフ(ブワイ)の名の由来はボハイ、或いはハワイである。ハワイ=バワイ=ブワイ(ブワイフ)となる。

 

フーラード・ストゥーン(?~1062) ブワイフ朝最後のシャー

 

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ユーグ・ド・パイヤン(1070~1136) テンプル騎士団創設 フーラード・ストゥーンの子

ペドロ1世(1068~1104) ヒメネス朝ナバラ王
ルイ6世(1080~1137) カペー朝第5代フランス王

 

※1062年にブワイフ朝が滅ぶと、ブワイフの王族の残党と考えられるユーグ・ド・パイヤンはフランスに渡り、家族であるシトー会の協力を得て「テンプル騎士団」を結成した。

また、テンプル騎士団は「ボーサン」と呼ばれる旗を作り、この旗の下に集う度に「ボーサン!」と鬨の声を上げたという。冗談ではなく、ボーサンの名の由来は日本語「坊さん」だろう。これは、渤海国時代に彼らが渤海使を日本に送って日本仏教を学んでいた影響である。そして、テンプル騎士団はキリスト教の騎士であるにも拘らず、独自に「バフォメット」なる神を祀った。ここにも渤海使の影響が出ている。バフォメットの名の由来は渤海(ボハイ)と大和の組み合わせなのだ。ボハイ+ヤマト=ボハマト=バフォメットとなる。

 

ピエール2世(1155~1219) ラテン帝国第2代皇帝、ルイ6世の孫

 

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ジンバブエ王国(1220~1450)※歴代王の系譜は不明

 

※1212年の児童十字軍に同行したテンプル騎士団は児童たちを連れてジンバブエに入植した。児童十字軍は、奴隷用の児童も多数連行していたが、大多数はドルイド司祭の血を引く子どもたちだった。つまり、これはドルイド司祭がケルト人を指揮した「聖なる移住(ウェルサクレム)」と同様の意味を持つものだった。

次代の悪の種を撒くつもりでイスラム圏を目指したものの、それが困難だとわかると、児童十字軍は更に南下してジンバブエにまで到達した。このときにジンバブエ王国が建てられた。プロの建築家は同行していなかったと考えられるので、グレートジンバブエの建築は素人裸足ながら、なんとか建てた要塞だといえる。ジンバブエの由来は新渤海(シンボハイ)である。シンボハイ=ジンボバイ=ジンバブエとなる。

ジンバブエ王国の記録や歴代の王の情報は存在しないが、タナトスの一族が支配していたことで、どのような国が成立していたか分かるだろう。東西本願寺の末裔の集合体「民主党」などは、アメリカ人が作り上げたアメリカ合衆国を簒奪した。タナトスの一族は、通常はそのように強い国家に寄生し、すべてを簒奪する。ところが、イチから国を作り始めると、タナトスはこういう、ジンバブエ王国のような国しか作れないということが良く分かる。

 

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アラー・ウッディーン・バフマン・シャー(?~?) 初代バフマニー朝シャー 在位1347~1358

ムハンマド・シャー1世(?~1358) 第2代バフマニー朝シャー 在位1358~1375
アラー・ウッディーン・ムジャーヒド・シャー(?~?) 第3代バフマニー朝シャー
ダーウード・シャー(?~?) 第4代バフマニー朝シャー
ムハンマド・シャー2世(?~1397) 第5代バフマニー朝君主 在位1378~1397

 

※バフマニー王族は、古来から続く風習サティー(事実上の人身御供)を取り仕切っていたと考えられる。サティーが禁止された1830年の直後、1844年にバーブ教が創設されていることから、謎の新宗教バーブ教とバハーイー教は実質的な人身御供サティーの指揮者ということができる。女性(未亡人)を魔神サトゥルヌスに捧げるため、サティーと命名された。本来、サティーには、美しい女性に子を生ませる、性奴隷にする、食べる、夫の財産を収奪するなどの目的があった。未亡人は夫に殉じなければならないという設定のため、標的女性の夫を意図的に殺して女性を得ることも行われた。

 

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アラー・ウッディーン・アフマド・シャー2世(?~?) 第10代バフマニー朝シャー 在位1436~1458
ニャツィンバ・ムトタ(?~?) ムタパ王国初代王 在位1430~1450


※未知のジンバブエ王は、インドに進出し、ボハイマン(ボハイの人)を意味する「バフマニー朝」を開いた。その後、バフマニー朝君主アラー・ウッディーン・アフマド・シャー2世の時代、この第10代シャーはジンバブエに帰還してムタパ王国を築いた。つまり、その後のバフマニー朝シャーはみなムタパ王を兼ねていた。ムタパの由来は東北地方から来た陸奥安倍氏であり、ムタパの庶民は陸奥安倍氏の子孫だが、ムタパの王族はタナトスの血統であった。

 

チクヨ・チサマレング(?~?) ムタパ王国第6代王 在位1494~1530
シハーブッティーン・ムハンマド・シャー(?~?) 第14代バフマニー朝シャー 在位1482~1518
アフマド・シャー4世(?~?) 第15代バフマニー朝シャー 在位1518~1520
アラー・ウッディーン・シャー(?~?) 第16代バフマニー朝シャー 在位1520~1523
ワリー・ウッラー・シャー(?~?) 第17代バフマニー朝シャー 在位1523~1525
カリームッラー・シャー(?~1527) 第18代バフマニー朝シャー 在位1525~1527


※ムタパ王国第6代王は最後のバフマニー朝シャー5人を演じた。バフマニー朝が滅ぶと残党は一旦故地であるジンバブエに戻ると、そこからジンバブエ王国の残党と共に、陸路で現ベナンを目指した。バフマニー朝の残党はそこにダホメー王国を築いた。

 

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ホエグバジャ(生没年不詳) ダホメー初代王 在位1645~1685 ※画像なし

アカバ(生没年不詳) ダホメー第2代王 在位1685~1716 ※画像なし

 

※ジンバブエ王国が1600年頃に滅ぶと、渤海国、ブワイ朝、テンプル騎士団。どの血を継ぐものか不明だが、ジンバブエの残党は西方に北上して西アフリカに入植した。アジャ人と呼ばれた彼らはここにダホメー王国を築き、この王国は1900年まで続いた。ダホメーの由来はテーベとアメンの組み合わせである。テーベ+アメン=テーベメン=テヘメ=ダホメーとなる。

その後、第3代ダホメー王のハングベが大西洋を渡ってハイチに入植する。神官でもあったハングベは、ヴードゥー教を掲げて現地の奴隷を信者として大量に獲得し、数で圧倒する形で植民地支配をするフランス人を劣勢に追い込んだ。これが「ハイチ革命」である。ハイチの由来はヤペテと考えられる。ヤペテ=ヤペイティ=ペイティ=ハイチとなる。ヤペテの子を称することで自分たちは白人だったことを示している。

 

ハングベ(生没年不詳) ダホメー第3代王 在位1716~1718 ※画像なし

デュティ・ブークマン(?~1719) ヴードゥー教神官

 

ゲーゾー(?~1858) ダホメー第9代王 在位1818~1858

フォスティン・ソーローキュー(1782~1867) 第2ハイチ帝国皇帝 在位1849~1859

 

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デュティ・ブークマン(バングベ)の子

 

トゥーサン・ルーヴェルチュール(1739~1803) ハイチ独立運動指導者

 

ジャン=ジャック・デサリーヌ(1758~1806) ハイチ皇帝

 

アンリ・クリストフ(1767~1820) ハイチ王

デンマーク・ウィージー(1767~1822) デンマーク・ウィージーの暴動指揮者

 

※アンリ・クリストフは自殺したことにしてアメリカに渡り、デンマーク・ウィージーと名を変え、アメリカ合衆国征服を信条にヴードゥーの神官として黒人(ヴードゥー教信者)暴動を指揮した。

 

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ハイチ王アンリ・クリストフ王太子の子

 

ジャック=ヴィクトル・アンリ(1804~1820)※画像なし

ジョセフ・ジェンキンス・ロバーツ(1809~1876) リベリア初代大統領

ナット・ターナー(1800~1831) ナット・ターナーの乱指揮者

 

フランソワ=フェルディナン・クリストフ(1794~1805)※画像なし

ジョージ・トゥポウ1世(1797~1893) 初代トンガ王 在位1845~1893

 

※ナット・ターナーは、顔の類似と年代を考慮にいれると、デンマーク・ウィージーの子と考えてよい。ナットはヴードゥー神官として、父と同じように黒人(ヴードゥー教信者)暴動を指揮した。このヴードゥー教信者による暴動を阻止するためにKKKが結成された。KKKはヴードゥー教の神官、そして有力信者を狩り、リンチして殺し、見せしめとして吊るした。普通の黒人は標的にはなっていない。

また、ナット・ターナーは死んだことにすると、その足でアメリカを離れ、新天地としてトンガを選んだ。ターナーはここでジョージ・トゥポウ1世となり、トンガ王国初代王となる。

 

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スティーブン・アレン・ベンソン(1816~1885) リベリア第2代大統領

エドワード・ジェイムズ・ロイ(1816~1872) リベリア第5代大統領

 

※ベンソンとロイは明らかに同一人物である。左手を挙げたロイは、なぜかヴードゥー神官の如き妖しいオーラを放っている。

 

ジェイムズ・スプリッグス・ペイン(1819~1882) リベリア第4代大統領

セイイェド・アリー・モハンマド(1819~1850) バーブ教教祖
バハー・ウッラー(1819~1892) バハーイー教教祖

Jigme Namgyal(1825~1881) ウゲン・ワンチュク父※画像なし


※ペインは、影武者を引き連れてリベリアから故地のひとつであるイランに向かった。影武者の一人がセイイェド・アリー・モハンマドを称し、「バーブ教」の教祖となるが、イランのカージャール朝とオスマン・トルコ帝国の双方から弾圧され、処刑された。

その後、ペインの影武者だったバハー・ウッラーが「バハーイー教」の教祖となり、世界的な宗教(邪教)にまで育て上げた。バーブの由来はジンバブエであり、バハーイーの由来は渤海(ボハイ)である。ジンバブエ=ジンバーブエ=バーブとなり、ボハイ=ボハーイー=バハーイーとなる。バハーイー教はすぐに世界中に認められ巨大化したが、それも大谷の家族である証拠だ。

 

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ジョージ・トゥポウ1世の子

 

テヴィタ・ウンガ(1824~1879) トンガ初代首相

ジェイムズ・スキーヴリング・スミス(1825~1892) リベリア第6代大統領

 

ヴナ・タキタキマロヒ(1844~1862)※画像なし

ジョセフ・ジェイムズ・チーズマン(1843~1896) リベリア第代12大統領

ウィリアム・D・コールマン(1842~1908) リベリア第13代大統領

Siaosi Tuʻi Pelehake(1842~1912) ジョージ・トゥポウ2世父

 

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Siaosi Tuʻi Pelehakeの子

 

ジョージ・トゥポウ2世(1874~1918) 第2代トンガ王 在位1893~1918

ウィリアム・ジョセフ・シーモア(1878~1922) ペンテコステ派指導者

チャールズ・D・B・キング(1875~1961) リベリア第17代大統領

W・E・B・デュボイス(1868~1963) 黒人地位向上協会創立

 

※ハイチから自分の意志でアメリカに来たデュボイスは被害者を装い、白人のアメリカに切り込んだ。差別批判を武器にしてヴードゥー神官は富を蓄えた。ヴードゥー神官は黒い肌を盾に財を成し、普通の黒人は黒い肌のために不遇を余儀なくされている。

ジョージ・トゥポウ2世は1893年に王位を返還し、アメリカに渡ってデュボイスを名乗ったが、写真のデュボイスは影武者だろう。また、トゥポウはチャールズ・D・B・キングを名乗り、リベリア大統領にも就任したが、キングの名はシャレだろう。

 

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バハー・ウッラー(Jigme Namgyal)の子

 

Díyá'u'lláh(1864~1898)

ウゲン・ワンチュク(1862~1926) ブータン王国初代雷龍王 在位1907~1926

 

Mirza Badi'u'llah Effendí(1871~1950)

ムハンマド・アリー・ジンナー(1876~1948) 初代パキスタン総督

 

※ジンナーは、バハーイー教教祖バハーウッラーの息子である可能性が高い。顔も良く似ている。例えジンナーが影武者でも異母兄弟であることは確かだ。パキスタンには大谷の素地があるのだろう。ことあるごとにディープステートに味方してきた歴史がある。

 

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初代雷龍王ウゲン・ワンチュクの子

 

ジグミ・ワンチュク(1905~1952) ブータン王国第2代雷龍王

リヤーカト・アリー・ハーン(1895~1951) パキスタン初代首相

チョコルダ・グデ・ラカ・スカワティ(1899~1967) 東インドネシア初代大統領

 

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第2代雷龍王ジグミ・ワンチュクの子

 

ジグミ・ドルジ・ワンチュク(1929~1972) ブータン王国第3代雷龍王

ズルフィカール・アリー・ブットー(1928~1979) パキスタン第9代首相、第4代大統領

ムハンマド・ラフィーク・ターラル(1929) パキスタン第9代大統領※画像なし

 

Ashi Namzay Kumutha(194?)

マヌムーン・フセイン(1940) パキスタン第12代大統領

 

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第3代雷龍王ジグミ・ドルジ・ワンチュクの子

 

Sonam Choden Wangchuck(194?)※画像なし

アリフ・アルヴィ(1949) パキスタン第13代大統領

 

Dechen Wangmo Wangchuck(195?)

イムラン・カーン(1952) パキスタン第23代首相

 

 

ジグミ・シンゲ・ワンチュク(1955) ブータン王国第4代雷龍王

シャーヒド・ハーカーン・アッバースィー(1958) パキスタン第22代首相

アースィフ・アリー・ザルダーリー(1955) パキスタン第11代大統領

 

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ジョージ・トゥポウ2世の子

 

サローテ・トゥポウ3世(1900~1965) 第3代トンガ女王 在位1918~1965

イブラヒム・アブード(1900~1983) スーダン初代首相

クリストファ・ソグロ(1906~1983) ベナン共和国大統領

 

※女王の影武者として生まれた異母兄弟がスーダンとベナンに送り込まれた。民衆十字軍や児童十字軍の子孫である「黒いタナトス」もうひとつの故地であるベナン奪還に挑戦している。

 

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トンガ女王サローテ・トゥポウ3世の子

 

タウファアハウ・トゥポウ4世(1918~2006) 第4代トンガ王 在位1965~2006

ウィリアム・トルバート(1913~1980) リベリア第20代大統領

 

ファターフェーヒ・ツ・イペレケ(1922~1999) 

ミルトン・オボテ(1924~2005) ウガンダ大統領

 

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フランス女性Gilberte Vincentとチョコルダ・グデ・ラカ・スカワティの子

 

Gilberte Vincentとチョコルダ・グデ・ラカ・スカワティの子(193?)※画像なし

ジェイムス・ベヴェル(1936~2008) 公民権運動指導者

カナーン・バナナ(1936~2003) ジンバブエ大統領

ベニー・ディー・ワーナー(1935) リベリア共和国副大統領

 

※ジェイムス・ベヴェル。彼を、現代を代表するヴードゥー司祭と呼んで良かろう。彼がマーティン・ルーサー・キングJrの暗殺に関与している。ジェイムス・ベヴェルはキング牧師と共闘を約束して行動を共にしていたが、これがよくなかった。タナトスの一族は常に敵のそばに張り付き、自然なタイミングを計らって暗殺を実施する性質があるからだ。薩長同盟や現在の野党共闘も同じである。キング牧師は等しく黒人の平等な権利を求めたが、ヴードゥー教の司祭であるバヴェルは、他の黒人はどうでもよく、仲間である「黒いタナトス」のことしか頭になかった。

彼ら、ヴードゥー教司祭やヴードゥー教信者は黒い肌を武器にし、敵を退けたり、莫大な富を得るが、普通の黒人はその黒い肌により未だに差別され、貧しい暮らしを余儀なくされている。KKKは昔からヴードゥー教司祭や熱心な黒人信者を狙ってきた。何もしない黒人を狩ることはなかった。更に、ベヴェルは故地であるジンバブエではバナナ大統領を演じた。写真のバナナやワーナーはあまりベヴェルに似ていないが異母兄弟であり、影武者であることは間違いない。

 

Gilberte Vincentとチョコルダ・グデ・ラカ・スカワティの子(193?)※画像なし

エレン・ジョンソン・サーリーフ(1938) リベリア第24代大統領

マクシーン・ウォータース(1938) 民主党上院議員

 

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タウファアハウ・トゥポウ4世の子

 

ジョージ・トゥポウ5世(1948~2012) 第5代トンガ王 在位2006~2012

チャールズ・テイラー(1948) リベリア第22代大統領

ギフト・タンダレ(194?~2007) ジンバブエ人権活動家

サルバ・キール・マヤルディ(1951) 南スーダン共和国初代大統領

 

※テイラー、タンダレは優性遺伝子ブリーダーで生まれたベヴェルの子と考えられる。顔が良く似ている。タンダレは人権活動家だがムガベ大統領に暗殺された。現在ジンバブエで起きていることは彼が計画したのだろう。故地ジンバブエ奪還を起草している。

 

Salote Mafileʻo Pilolevu Tuita(1951)※画像なし

グレース・ムガベ(1965) ムガベ大統領夫人

 

 

 


ローマ教皇レオ1世の一族~ランゴバルト王国、メロヴィング朝、マズダク教、ウイグル可汗、浄土教、曹洞宗、ノルマン人、カルマル同盟、出雲大社、コーザ・ノストラ、オーストラリア、バチカン市国委員会

 

ペルマリアン(?~?) ドナトゥス司教 在位355~391
カルタゴのプリミアン(?~?) ドナトゥス司教 在位391~393
マクシミアヌス(?~?) ドナトゥス司教 在位393~394

 

カルタゴのプリミアン(?~?) ドナトゥス司教 在位394~400※画像なし
ルーア(?~434) フン族の王※画像なし
レオ1世(?~461) ローマ教皇 在位440~461

メロヴィクス(411~458) フランク族首長(メロヴィングの由来)※画像なし

 

※ドナトゥス派最後の司教プリミアンは、393年から一年間、パンノニアでフン族に接触した。その後、ドナトゥス派に戻って6年間司教を務めたが、それから再度、パンノニアに赴き、ルーア王としてフン族を統治。東ゴート王国をカモにしていた。だが、アッチラが登場する直前にルーア王は突如として消え去った。

彼はどこに消えたのだろうか?彼はローマ法皇としてカトリックの頂点にいた。大教皇と呼ばれたレオ1世である。ローマ法皇で大教皇と呼ばれたのはレオ1世とグレゴリウス1世の2人だけだが、残念ながら2人ともタナトスである。更に、フン族の王としてフン族を統治していた時代、ルーアは同時にフランク族をも掌握し、メロヴィクスとしてフランク族を統治した。

 

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キルデリク1世(440~481)※画像なし

ヒラルス(?~?) ローマ教皇 在位461~468
シンプリキウス(?~?) ローマ教皇 在位468~483

 

クロヴィス1世(466~511) メロヴィング朝初代フランク王
フェリクス3世(?~?) ローマ教皇 在位483~492

オドアケル(433~493) イタリア領主・イタリア王

ゲラシウス1世(?~?) ローマ教皇 在位492~496

ラウレンティウス(?~?) 対立教皇 在位498~506

タトー(?~510) ランゴバルド王 在位?~510※画像なし

 

※オドアケルは、西ローマ帝国の傭兵隊長を経てローマ帝国のイタリア領主となったが出自は不明で、ヘルール族の王であったとか、テューリンゲン族の出身であるとか、あるいは東ゲルマン族スキリア族出身であるなどとされた。しかし、イタリアの領主となった出自不明のオドアケルの正体は、じつはローマ教皇フェリクス3世だった。その後もゲラシウス1世などのローマ教皇を演じ続けているが、元を辿ればクロヴィス1世である。

更に、ゲラシウス1世は対立教皇ラウレンティウスに変身するが、ローマ法皇シンマクスに敗北したあと、ゲルマニアに逃亡して地母神ネルトゥスの崇拝をはじめ、ランゴバルト族を支配下に置いた。ラウレンティスはランゴバルド王タトーとしてすぐ東方のフェルドと呼ばれる平原に移動した。この地でヘルール人の支配に反抗し、勝利を収めて独立勢力となった。

ということで、クロヴィス1世は即位後、すぐにイタリアを掌握しようと新勢力ランゴバルト族の支配に奮戦し、フランク王国を留守にしたため、47年間もの間、フランク王位は空位になっている。更にその後、ダヴィデの一族にフランク王位を奪われたのだが、クロヴィス1世の子孫であるランゴバルト族はフランク王国と敵対することになり、最終的に宰相ピピンとしてフランク王国に返り咲くことになる。

 

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ワコー(?~?) ランゴバルド王 在位510~539※画像なし

ヨハネス1世 ローマ教皇 在位523~526

マズダク(?~524) マズダク教教祖※画像なし

 

ワルタリ(?~?) ランゴバルド王 在位539~546※画像なし

フェリクス4世(?~530) ローマ教皇 在位526~530※画像なし

カワード1世(473~531) サーサーン朝皇帝 在位488~496、498~531

 

※この時期は、ローマ教皇となったガリアのドルイド司祭たちがイタリアを支配しながらイランを何とかしようとして画策していた時期である。フェリクス4世はサーサーン皇帝カワード1世に化け、仲間のヨハネス1世が化けたマズダクが築いた邪教マズダク教を保護し、拡大に努めた。まだイスラム教が登場する前夜だったため、ガリアのドルイド司祭はマズダク教を築き、イランに広めることでオリエント地域の征服を企画した。

 

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クロヴィス1世の子

 

グントラム(532~592) オルレアン王

アルボイン(526~572) ランゴバルト王国初代王 在位568~573※画像なし
グレゴリウス1世 ローマ市長官 在位572~574 ローマ教皇 在位590~604

 

※ランゴバルト初代王アルボインは、死んだと見せかけて二年間ローマ市長官を務め、それからグレゴリウス1世としてローマ法皇に就任した。ローマ市長官になったり、ローマ法皇になったり、次々に重要職に就くことができるのは、ドルイド教やドナトゥス派時代に獲得した大勢の信者がいるからこそだ。数百人の信者たちは命令されてタナトスの人物を「すごい、すごい」と褒め称える。彼らがグルだと知らない第三者は、それを見て「何かすごい人物が現れた!」と認識する。そしてドルイド教は、彼らのウソを信じない者たちを闇から闇へと消していく。こうして「すごい人物」が完成するのだ。

 

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アウタリ(?~?) ランゴバルト王 在位584~591 アルボインの子※画像なし

智顗(538~598) 天台宗


アギルルフ(?~?) ランゴバルト王 在位590~616 アルボインの子

 


アダロアルド(?~?) ランゴバルト王 在位616~626※画像なし

吉蔵(549~623) 三論宗

 


ロタリ(?~?) ランゴバルト王 在位636~652※画像なし

道綽(562~645) 浄土教

ピピン1世(580~640) メロヴィング朝宮宰 在位623~629、639~640 ※画像なし

 


アリベルト1世(?~?) ランゴバルト王 在位653~661※画像なし

玄奘三蔵(602~664) 四大翻訳家

グリモアルド1世(615~662) メロヴィング朝宮宰 在位643~656※画像なし


グリムヴァルド(?~?) ランゴバルト王 在位662~672

 


ベルクタリット(?~?) ランゴバルト王 在位672~686※画像なし

善導(613~681) 浄土教


アリベルト(?~?) ランゴバルト王 在位701~712

 

※ほとんどのランゴバルト王は、中国とイタリアを往来し、仏教の僧として活動した。さすがに強い征服本能をもっているだけあり、当時からグローバルな視点を持っていた。そのためか、浄土思想はキリスト教に本質的に似ている。イエズス会のフロイスが、浄土崇拝を「キリスト教に似ている」と述べたくらいだ。

 

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リウトブラント(?~?) ランゴバルト王 在位712~744※画像なし
グレゴリウス2世(?~?) ローマ教皇 在位715~731※画像なし
グレゴリウス3世(?~?) ローマ教皇 在位731~741

カール・マルテル(686~741) メロヴィング朝宮宰 在位715~741、在位718~741

 

※ランゴバルト王リウトプラントは、在位の年月が符合することから、ランゴバルト王国を統治しながらローマ法皇グレゴリウス2世を演じた。更にその後、2世が死んだことにすると、すぐにグレゴリウス3世を演じ続けたと考えられる。

 

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ラトキス(?~?) ランゴバルト王 在位744~749
キョル・ビルゲ(?~?) ウイグル可汗国初代カガン 在位744~747

 

アイストゥルフ(?~?) ランゴバルト王 在位749~756

カールマン(706~754) メロヴィング朝宮宰 在位741~754

 


ピピン3世(714~768) カロリング朝フランク王 在位752~768
テングリデ・ポルミシュ・イル・イトミシュ・ビルゲ(?~?) ウイグル可汗カガン 在位747~759※画像なし

 

デシデリウス(?~786) ランゴバルト王 在位756~776※画像なし

カールマン1世(751~771) カロリング朝フランク王 在位768~771
テングリデ・クト・ポルミシュ・イル・トゥトミシュ・アルプ・キュリグ・ビルゲ(?~?) ウイグル可汗カガン 在位759~779※画像なし

 

※ランゴバルト王国、最後の3人の王は大宛に帰還し、ウイグル可汗国を建設した。3人は、ランゴバルト王国を統治しながらウイグルカガンも同時に兼任していた。

 

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アルプ・クトゥルグ・ビルゲ(?~?) ウイグル可汗カガン 在位780~789
テングリデ・ポルミシュ・キュリュグ・ビルゲ(?~?) ウイグル可汗カガン 在位789~790
クトゥルグ・ビルゲ(?~?) ウイグル可汗カガン 在位790~795
テングリデ・ウルグ・ポルミシュ・アルプ・クトゥルグ・キュリュグ・ビルゲ(?~?) ウイグル可汗カガン 在位795~805
テングリデ・アルプ・キュリュグ・ビルゲ(?~?) ウイグル可汗カガン 在位805~808
アイ・テングリデ・クト・ポルミシュ・アルプ・ビルゲ(?~?) ウイグル可汗カガン 在位808~821
キュン・テングリデ・ウルグ・ポルミシュ・キュチュリュグ・ビルゲ(?~?) ウイグル可汗カガン 在位821~824
アイ・テングリデ・クト・ポルミシュ・アルプ・ビルゲ(?~?) ウイグル可汗カガン 在位824~832
アイ・テングリデ・クト・ポルミシュ・アルプ・キュリュグ・ビルゲ(?~?) ウイグル可汗カガン 在位832~839

 

※ウイグル可汗国が滅ぶと、残党はヴァイキングとなってバルト海に出現する。托跋部がヴァイキングに、ナイマン族がノルマン人になった。ヴァイキングの由来は托跋部が築いた「魏の王(ウェイキング)」である。ナルクシュ・タヤン・カンと弟のイナンチャ・カンがナイマン王国を築いたが、詳細は不明。たぶん、ウイグルカガンにナイマン王の本体がいるはずだ。

 

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ウルグ・テングリデ・クトゥ・ボルミシュ・アルプ・キュリュグ・ビルゲ(?~?) 天山ウイグル初代カガン 在位?~856※画像なし

洞山良价(807~869) 曹洞宗

ロタール1世(795~855) 中フランク初代王

 

※天山ウイグル初代カガンは、中国に侵入し、洞山良价を称して「曹洞宗」を築いた。洞山(ドンシャン)の名の由来は天山(ティエンシャン)である。

 

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ロタール1世の子

 

ロドヴィコ2世(825~875) 中フランク第2代王
シャルル1世(823~877) 西フランク初代王※画像なし

 


ロタール2世(835~869) 中フランク第3代王
シャルル2世(839~888) 西フランク第4代王

 


シャルル(845~863) 中フランク第4代王※画像なし
ルイ2世(846~879) 西フランク第2代王

 

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ウィリアム1世(1027~1087) ノルマン朝初代王 在位1066~1087

 

グロスター伯ロバート(1090~1147) ノルマン王ウィリアム1世孫

ルッジェーロ2世(1095~1154) オートヴィル朝初代シチリア王※画像なし

 

グリエルモ3世(1185~1198) オートヴィル朝第5代シチリア王

ホーコン3世(1180~1204) シュル朝ノルウェー王※画像なし

 

マーガレット(1283~1290) スコットランド女王※エイリーク2世の子

エリク・マグヌソン(1282~1318)

 

マグヌス4世/7世(1316~1374) スウェーデン=ノルウェー連合王※ホーコン5世の子

ヴァルデマー4世(1320~1375) デンマーク王

千家孝宗(1343~1371) 第56代出雲国造

北島貞孝(1343~?) 第56代出雲国造

 

※千家の由来は「SENの家」、北島の由来は「アイスランド」である。

 

ホーコン6世(1340~1380) ノルウェー・スウェーデン王※画像なし

カルロ3世(1345~1386) アンジュー=ドゥラッツォ朝ナポリ王

 

※カルロ3世がシチリア・マフィアを生んだと考えられる。アンジュー家を追い落とすための陰謀だった「シチリアの晩鐘」も彼らが仕組んだと考えられる。

 

マルグレーテ1世(1353~1412) 北欧連合王国実質支配者、カルマル同盟締結者

 

※マルグレーテ1世が北欧連合王国実質支配者といわれているが、実際には父ヴァルデマー4世が最初の北欧連合王国実質支配者であった。なぜなら、デンマーク王ヴァルデマー4世は、マグヌス4世としてスウェーデン王とノルウェー王に即位していたからだ。

 

ハンス(1455~1513) デンマーク・ノルウェー・スウェーデン王

アレクサンダー(1462~1514) プファルツ=ツヴァイブリュッケン公

 

カール10世(1622~1660) プファルツ朝初代スウェーデン王※アレクサンダー玄孫の孫

 

カール11世(1655~1697) プファルツ朝第2代スウェーデン王

カール(1654~1730) ヘッセン=カッセル方伯

 

フレドリク1世(1676~1751) ヘッセン朝初代スウェーデン王

クリスティアン・アウグスト・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ(1673~1726)

 

アドルフ・フレドリク(1710~1771) ホルシュタイン=ゴットルプ家朝ス初代ウェーデン王

アンリ・ベルナドッテ(?~?) カール14世ヨハン父

 

カール14世ヨハン(1763~1844) ベルナドッテ朝初代スウェーデン王

 

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フェルディナンド1世(1751~1825) 初代両シチリア王

 

フェルディナンド2世(1810~1859) 第3代両シチリア王

 

フランチェスコ2世(1836~1894) 第4代両シチリア王

 

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フェルディナンド2世の子

 

ガエターノ(1846~1871)

ジョージ・リード(1845~1918) 第4代オーストラリア首相

 

ジェンナーロ(1857~1867)

アルフレッド・ディーキン(1856~1919) 第2代オーストラリア首相

 

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フェルディナンド2世の孫

 

ヴィンチェンツォ(1851~1854)※画像なし

エドモンド・バートン(1849~1920) 初代オーストラリア首相

 

※オーストラリアの由来はオーストリア(フランク王国時代に因んでいる)とイタリア(ランゴバルト王国時代に因んでいる)の組み合わせである。オーストリア+イタリア=オーストリリア=オーストラリアとなる。

 

マリア・テレジア・フォン・エスターライヒ=トスカーナ(1862~1933)

津田梅子(1864~1929) 津田塾大学創始者

 

フェルディナンド・ピオ(1869~1960) カラブリア公※画像なし

クリス・ワトソン(1867~1941) 第3代オーストラリア首相

ヴィト・カッショ・フェロ(1862~1943) シチリア・マフィア

 

※このレオ1世の一族は、シチリア王室に席を置きながら、オーストラリアの首相を演じ、同時にマフィアも演じていた。タナトスの治める世は、公的機関も犯罪組織も同じものだということが良く分かる。

 

マリア・クリスティーナ・ピア(1869~1870) フランチェスコ2世の子

ニコラ・カナーリ(1874~1961) バチカン市国委員会初代議長

 

ジュゼッペ(1875~1950) パルマ公家家長※画像なし

カロジェロ・ヴィッツィーニ(1877~1954) シチリア・マフィア首領

アレイスター・クロウリー(1875~1947) 東方聖堂騎士団マスター

 

ジェンナーロ(1882~1944)※画像なし

ジョニー・トーリオ(1882~1957) シカゴ・アウトフィット首領

 

フィリッポ(1885~1949)

ジョー・マッセリア(1886~1931) コーザ・ノストラ首領

 

フランチェスコ・ダッシジ(1888~1914)※画像なし

千家尊統(1886~1968) 第82代出雲国造

サルヴァトーレ・マランツァーノ(1886~1931) コーザ・ノストラ首領

 

※ダッジジはなぜか出雲大社で神官に就任した。確かに、千家尊統は白人のような顔立ちである。

 

ボリス3世(1894~1943) サクスコブルクゴツキ朝第2代ブルガリア王※フェルディナンド2世曾孫

ジョゼッペ・ジェンコ・ルッソ(1893~1976) シチリア・マフィア大物

 

ガブリエーレ(1897~1975)

ラッキー・ルチアーノ(1897~1962) コーサ・ノストラ最高幹部

アル・カポネ(1899~1947) シカゴマフィアボス

 

※フェルディナンド2世の孫であるガブリエーレの影武者にはラッキー・ルチアーノとアル・カポネがいた。両者は、マフィアとして犯罪を基盤にアメリカに拠点を築こうとしていた。

 

カルロ(1905~1912)※画像なし

カルロ・ガンビーノ(1902~1976) マフィアの大ボス

ミケーレ・ナヴァーラ(1905~1958) コルレオーネ村ボス

 

アメリカのイタリア系マフィア(コーサ・ノストラ)のボス。ニューヨークの五大ファミリーの1つ、ガンビーノファミリーのボスとして、1960年代から1970年代にかけてマフィア社会に絶大な影響力をもった。ボス外交や策略に長け、五大ファミリーをリードした。マフィアの全国委員会の議長をつとめた。シチリア島パレルモ出身。 カルロ・ガンビーノwikiより

 

カルロス(1908~1936)

サム・ジアンカーナ(1908~1975) シカゴ・アウトフィット首領

 

マリア・クリスティーナ(1925~2009)※画像なし

ミケーレ・グレコ(1924~2008) 法王と呼ばれたボス

エドムンド・カシミール・ショーカ(1927~2014) バチカン市国委員会第7代議長

 

※ミケーレ・グレコの影武者が実際にバチカン市国に勤務していたため、グレコは法王と呼ばれていたのだろう。

 

ジャン・マリー・カジミール(1933~2000) フェルディナンド2世曾孫※画像なし

ジョヴァンニ・ラヨロ(1935) バチカン市国委員会第8代議長

 

カルロス・デ・ボルボン=ドス・シシリアス(1938~2015) フェルディナンド2世玄孫の孫※画像なし

ジュゼッペ・ベルテッロ(1942) バチカン市国委員会第9代議長

 

ルイス(1970) フェルディナンド2世玄孫※画像なし

スコット・モリソン(1968) ヤープ・デ・ホープ・スヘッフェルの子(オーストラリア首相)

アンドリュー・マッケイブ(1968) ヤープ・デ・ホープ・スヘッフェルの子(FBI副長官)

 

※モリソンはTPPを批准し、マッケイブはトランプ大統領を貶めようと画策した。

 

 

 


クリュニー大主教ベルノの一族~ナバラ王国、フランク・ローマ皇帝、カペー朝フランス王、民衆十字軍、土肥実平、長宗我部氏、キャンディ王国、三菱財閥、モロ民族解放戦線、ルワンダ大虐殺

ベルノ(850~927) クリュニー大主教

ウード(852~898) 西フランク第5代王
アルフォンソ3世(848~910) アストゥリアス王
サンチョ・ガルセス1世(860~925) ナバラ初代王
グイド(855~894) グイード朝フランク・ローマ皇帝※画像なし
アルヌルフス(850~899) カロリング朝フランク・ローマ皇帝
ベレンガリウス(845~924) ウンロシング朝フランク・ローマ皇帝※画像なし

 

西欧:ノルマン人改宗(911)
西欧:クラモール・ド・ハロー(911頃)

 

※911年、ベルノはノルマン人をキリスト教に改宗した。東西本願寺の門主の名に付く「如」の由来はベルノである。ベルノ=ベルニョ=如となる。つまり、大谷が「如」を付けることで彼らがクリュニー会の祖ベルノを崇拝していることがわかる。

クリュニー会が、敵であるノルマン人を改宗させたのが911年。ドナトゥス派の司教マヨリヌスが出現したのは311年である。大谷はここぞという時、験担ぎで、先祖が偉業を成し遂げた日にちを選び、コトを実行する。クリュニー会は、誕生したばかりのノルマンディー公国に拠点を移し、ヴァイキングたちを改宗させた。

この時、クリュニー会はノルマン人、ヴァイキング、フランク人の中に潜む優れた者を排除するために「クラモール・ド・ハロー」を起動させた。クラモール・ド・ハローとは、国民が訴えを起こした際、国王はすぐに裁判を開かなければならないのだ。

非常に良い決まりごとのようだが、その実、仲間を保護し、敵だけを公的に排除するためのシステムだった。基本的に、裁判官と原告はクリュニー会関係者であり、被告はクリュニー会に寄与しない優れた人物と決定されていた。原告のクリュニー会関係者は無実の罪をデッチあげ、死刑を宣告するためだけに被告を裁判に引き釣り出した。これによって、多くの優れた人材を失ったノルマンディー公国は、弱体化の機運を辿った。

 

オドン(880~942) クリュニー大主教
阿咄欲(?~?) 甘州ウイグルカガン 在位926~939※画像なし
ヨハネス11世(910~935) ローマ教皇 在位931~935※画像なし
レオ7世(?~939) ローマ教皇 在位936~939※画像なし
ステファヌス9世(?~942) ローマ教皇 在位939~942
ランベルトス(880~898) グイード朝フランク・ローマ皇帝
ルドウィクス3世(880~928) ボゾ朝フランク・ローマ皇帝※画像なし
フルエーラ2世(875~925) レオン王

 

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順化可汗(仁裕、奉化可汗) 甘州ウイグルカガン 在位926~959 仁美の弟
景瓊 甘州ウイグルカガン 在位959~? 仁裕の子
夜落紇密礼遏 甘州ウイグルカガン 在位?~?
禄勝 甘州ウイグルカガン 在位?~?
夜落紇(夜落隔、忠順保徳可汗王) 甘州ウイグルカガン 在位? ~1016
夜落隔帰化 甘州ウイグルカガン 在位1016~ ?
夜落隔通順(帰忠保順可汗王) 甘州ウイグルカガン 在位? ~?
 

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マヨルス(906~994) クリュニー大主教
ガルシア・サンチェス2世(?~1000)※画像なし
サンチョ・ガルセス2世(935~994) ヒメネス朝ナバラ王
ヨハネス12世(937~964) ローマ教皇 在位955~964
ユーグ・カペー(940~996) カペー朝初代フランス王

 


ロベール2世(972~1031) カペー朝第2代フランス王

ヨハネス19世(?~1032) ローマ教皇 在位1024~1032
サンチョ・ガルセス3世(985~1035) ヒメネス朝ナバラ王※画像なし

 


アンリ1世(1008~1060) カペー朝第3代フランス王

ランフランクス(1005~1089) カンタベリー大主教
ラミロ1世(1007~1063) アラゴン初代王
ニコラウス2世(1010~1061) ローマ教皇 在位1058~1061

 

※アンジュー伯やノルマンディー公に圧迫されていたアンリ1世は、1060年に51歳で死んだことにし、フランスを出発してアフリカへの旅に出た。アンリ1世がマプングプエ王国(1075年)を築いた。マプングプエ王国を築くまでに15年かかっている。

 


フィリップ1世(1052~1108) カペー朝第4代フランス王
隠者ピエール(生没年不詳) 民衆十字軍指揮者


※1095年、ローマ教皇に破門を通告された正にその年にフィリップ1世は隠者ピエールに変身し、第一次十字軍に先駆けて民衆十字軍を発進させた。フィリップ1世の目的は、アンチ1世がアフリカに築いた王国に移住することだったようだ。


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カネム帝国(700~1376)※歴代王の系譜不明
マプングプエ王国(1075~1220)※歴代王の系譜不明


※現ナイジェリアに到達した民衆十字軍がカネム帝国の王位を簒奪した。当初、カネムはカネムと呼ばれていなかったが、フィリップ1世の娘セシルの子が王位に就いたため、カネムと呼ばれた。カネムの由来はカナンである。セシルは民衆十字軍とイスラム教徒の間で起きた「アンティオキア攻防戦」が起きた1097年のシリアに生まれている。
その後、南下したフィリップ1世の家族は現ジンバブエに辿り着き、先住していた父アンリ1世と共にマプングプエ王国を築いた。マプングプエの由来はシャンパーニュのカペーである。シャンパーニュ+カペー=ヤパニュカプェー=マプングプエとなる。

 

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クロトゥンガ(?~?) 後期チョーラ初代王 在位1070~1120

 


ラージャディラージャ2世(?~?) 後期チョーラ第2代王 在位1166~1178 ※画像なし
ジャターヴァルマン・クラーシェカラ(?~?) 後期パーンディヤ初代王 在位1190~1216※画像なし
土肥実平(?~1191) 土肥氏の祖
吉川経義(1132~1193) 吉川氏の祖※画像なし
相馬師常(1139~1205) 相馬氏の祖


※ラージャディラージャ2世は死んだことにして日本に移住し、土肥実平を称した。土肥実平は源頼朝の右腕であったが、その正体はチョーラ王であった。土肥の由来はパーンディヤである。パーンディヤ=デイヤ=土肥となる。土肥実平は、同時に吉川経義、相馬師常に変身し、吉川氏と相馬氏の祖となった。いずれの名もインドの土地が由来である。吉川の由来はカルキヤであり、相馬の由来はスーマである。
その後、土肥実平は、家族である北条政子に源頼朝の管理を託すと、自分は死んだことにして南インドに戻り、ジャターヴァルマン・クラーシェカラとして後期パーンディヤ初代王に即位した。土肥実平の日本での活動期間はラージャディラージャ2世の没年とジャターヴァルマン・クラーシェカラの即位の年を見れば一目瞭然だが、18年ということになる。つまり、土肥実平、吉川経義、相馬師常はインド人(ドラヴィダ人)の姿をしていた。土肥氏や相馬氏は坂東八平氏の前身に参加したが、坂東の由来はパーンディヤである。パーンディヤ=パンドア=坂東となる。尤も、坂東の名はフィリップ1世の一族に簒奪される前の正統なパーンディヤ王家やチャールキヤ朝の命名である。

 

小早川遠平(?~1237) 小早川氏の祖


※小早川遠平の正体はマプングプエ王だと考えられる。小早川の由来はグプエの川である。つまり、マプングプエ王国が建てられたリンポポ川を指している。グプエ+川=コバヤ+川=小早川となる。つまり、小早川遠平はアフリカ人(ジンバブエ人)の姿をしていた。

インド洋の商業航路を経て日本に辿り着いた遠平は土肥実平の養子となり、日本で活動する足場を得た。不思議なことだが、彼らは容易に、血が繋がった家族を見分けることができるようだ。


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マーラヴァルマン・スンダラ・パーンディヤ1世(?~?) パーンディヤ王 在位1216~1238
ラージャラージャ3世(?~?) チョーラ王 在位1216~1256


ジャターヴァルマン・スンダラ・パーンディヤ1世(?~?) パーンディヤ王 在位1251~1268
ラージェンドラ3世(?~?) チョーラ王 在位1246~1279


マーラヴァルマン・クラーシェカラ1世(?~?) パーンディヤ王 在位1268~1311


※フィリップ1世の子にはアンリ、シャルル、ウード、フィリップ、フロリュス、ウスタシーがいたが、その何人かがスワヒリに築かれたインド洋商業航路を東南アジア方面に向かい、インド南部に上陸してチョーラ朝とパーンディヤ朝の王位を簒奪したようだ。


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中原秋通(1144頃?~?) 香宗我部氏の祖


長宗我部能俊(生1170頃?~?) 長宗我部氏の祖


※チョーラの王位を簒奪したフィリップ1世の一族はインドから日本に向かい、土肥実平を生み、香宗我部氏や長宗我部氏を生んだ。香宗我部の由来はシャルルとモンフォールとカペーの組み合わせであり、長宗我部の由来はチョーラとモンフォールとカペーの組み合わせである。シャルル+モンフォール+カペー=カール+モン+カペー=香+宗+我部=香宗我部となり、チョーラ+モンフォール+カペー=チョー+モン+カペー=長+宗+我部=長宗我部となる。

 

多羅尾師俊(生1313頃?~?) 多羅尾氏の祖


トルワ王国(1450~1683)※歴代王の系譜不明


※多羅尾の由来はドラヴィダである。ドラヴィダ=ドタヴィ=多羅尾となる。時期的な観点から見ると、多羅尾氏の正体は最後のパーンディヤ王の可能性もある。その後、多羅尾氏は先祖の故地である現ジンバブエに帰還し、トルワ王国を築いている。トルワの由来はドラヴィダ、或いは多羅尾である。

 

長宗我部兼序(?~1508) 長宗我部氏第19代当主

Senasammata Vikramabahu(?~1511) キャンディ王国初代王 在位1469~1511

 

長宗我部国親(1504~1560) 長宗我部氏第20代当主

Ali Mughayat Syah(?~1530) アチェ王国初代王 在位1514~1530

 

長宗我部元親(1539~1599) 長宗我部氏第21代当主

Rajasinha I(1544~1593) キャンディ王国第5代王※画像なし

キゲリ2世(?~1609) ルワンダ王 在位1576~1609※画像なし

 

※長宗我部元親の一族郎党は大阪の陣以後、死んだことになっている一族はみな日本を脱出した。一部はスマトラに移住し、一部はスリランカに移住し、一部はルワンダに移住した。

 

Vimaladharmasuriya I(?~1604) キャンディ王国第6代王 在位1590~1604

津野親忠(1572~1600) 長宗我部元親三男※画像なし

マフムード4世(?~?) マリ帝国第24代王 在位1590~1600年代

ナナ・トゥワム(?~?) アシャンティ首長 在位1570頃

 

Senarat(?~1635) キャンディ王国第7代王

長宗我部康豊(1599~?) 長宗我部元親七男※画像なし

イスカンダル・サニ(1610~1641) アチェ王国第13代スルターン 在位1636~1641


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長宗我部盛親の子

 

長宗我部盛恒(?~1615)

長宗我部盛高(生没年不詳)

長宗我部盛信(生没年不詳)

長宗我部盛定(生没年不詳)

 


ミナンカバウ族(14世紀)


※長宗我部能重が吉原庄全域を支配下に置くと、香宗我部氏は1386年に土佐国を後にスマトラ島に移住した、彼らは「ミナンカバウ」を称した。ミナンカバウの名の由来は宗我部(ムネカベ)である。ムネカベ=ムネンカバエ=ミナンカバウとなる。AD1651年、オランダ東インド会社がミナンカバウ族の土地で金を発掘して以来、タナトスの家族ということで、ミナンカバウ族はオランダと親交をもった。その後、AD1585年、豊臣秀吉の四国征伐で敗北すると、長宗我部盛親の子息たちは土佐国を後に、兄弟であるミナンカバウの地に移住し、両者は連合した。
1958年、ミナンカバウ族は「インドネシア共和国革命政府」を立ち上げて反乱を頻発し、ゲリラ戦を展開した。この反乱は、AD1961年に終焉を迎えているが、背後でオランダ王国、パプア系華僑と連合していた可能性も高い。

 

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Vimaladharmasuriya II of Kandy(1687~1707) キャンディ王国第9代王

オセイ・トゥトゥ1世(?~1717) アシャンティ帝国初代王 在位1701~1717

 

Sri Vikrama Rajasinha(1780~1832) キャンディ王国第14代王 在位1798~1815

トゥアンク・イマーム・ボンジョル(1772~1864) イスラム急進派パドリ指導者

岩崎弥三郎(生没年不詳) 弥次郎の父※画像なし

 

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キャンディ王Sri Vikrama Rajasinhaの子

 

Letchumi Devi(?~1856)

Alauddin Muhammad Da'ud Syah I(1802~1838) アチェ王国第25代王

ムタラ2世(1802~1853) ルワンダ王 在位1830~1853

岩崎弥次郎(1808~1873) 弥太郎・弥之助の父

 

Raja Nachiar Devi(?~1860)※画像なし

Alauddin Sulaiman Ali Iskandar Syah(?~1857) アチェ王国第26代王※画像なし

岩崎弥太郎(1835~1885) 三菱創業者

後藤象二郎(1838~1897)

井上馨(1836~1915)

松方正義(1835~1924) 内閣総理大臣・日本赤十字社社長

 

※岩崎弥太郎はミナンカバウ族(インドネシア人)の血を引いている。パドリの子孫である。パドリとはミナンカバウ族のイスラム急進派であるが、前から、どうりで顔が濃いなとは思っていた。象二郎、馨、正義は弥太郎の影武者として生まれた。

 

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岩崎弥太郎の子孫

 

岩崎弥之助(1851~1908) 三菱財閥二代目総帥

桂太郎(1848~1913) 内閣総理大臣

 

※上記のように、弥太郎と弥之助は兄弟ともに内閣総理大臣になっている。つまり、三菱財閥総帥が内閣総理大臣になっていたということだ。

 

岩崎久弥(1865~1955) 三菱財閥三代目総帥

ムハンマド・ダウド・シャー(1864~1939) アチェ王国第29代王

 

岩崎小弥太(1879~1945) 三菱財閥四代目総帥

ユヒ5世(1883~1944) ルワンダ王国第三王朝14代王※画像なし

シモン・キンバング(1887~1951) キンバング教会教祖※画像なし

 

※ムハンマド・ダウド・シャーはオランダ領インドネエシアに抵抗していたが、1903年に降伏するとバタヴィアを離れてルワンダに移住し、若く見えたためか19歳ほどサバをよみ、ユヒ5世として即位した。また、シモン・キンバングとしてキンバング教会を興し、周辺住民を邪教に入信させた。

 

岩崎彦弥太(1895~1967) 三菱合資会社元社長・岩崎久弥長男※画像なし

ウィリアム・ゴパッラワ(1896~1981) スリランカ初代大統領 任期1972~1978

アンドレ・マツワ(1899~1942) 宗教運動マツワニズム指導者※画像なし

 

岩崎忠雄(1909~1966) 三菱財閥総帥、三菱モンサント化成社長

ムタラ3世(1911~1959) ルワンダ王 在位1931~1959

SJAFRUDDIN PRAWIRANEGARA(1911~1989) インドネシア共和国革命政府首相

ダッドリー・シェルトン・セーナーナーヤカ(1911~1973) 第2代セイロン首相

 

※ミナンカバウやアチェの血が流れているためか、インドネシア政府に抵抗し、インドネシア共和国革命政府を開いた。

 

岩崎俊男(1946) 元三菱自動車工業顧問岩崎寿男の子※画像なし

マヒンダ・ラージャパクサ(1945) スリランカ第13代首相、スリランカ第6代大統領

Murad Ebrahim(1949) モロ・イスラム解放戦線指導者

 

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オポク・ワレ2世(1919~1999) アシャンティ帝国第15代王 在1970~1999

ジョセフ・アーサー・アンクラ(1915~1992) 第2代ガーナ大統領※画像なし

モディボ・ケイタ(1915~1977) マリ共和国初代首相、初代大統領

ブルハヌディン・ハラハップ(1917~1987) インドネシア共和国革命政府安全・正義大臣

 

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キゲリ5世(1935~2016) ルワンダ王国第三王朝16代王

ローラン・カビラ(1939~2001) コンゴ民主共和国第3代大統領※画像なし

マリアン・ングアビ(1938~1977) コンゴ共和国第7代大統領※画像なし

ジョアキム・ヨンビ=オパンゴ(1939~) コンゴ共和国第8代大統領※画像なし

ヌル・ミスアリ(1939) モロ民族解放戦線指導者

ジョセフ・エストラーダ(1937) フィリピン第13代大統領

 

ユヒ6世(1960) ルワンダ王国王位請求者

フェリックス・チセケディ(1963) コンゴ民主共和国第5代大統領

ポール・カガメ(1957) ルワンダ愛国戦線首領、ルワンダ大統領

ペーテル・トムカ(1956) 国際司法裁判所裁判官

 

1990年10月、ウガンダに拠点を置く反政府ゲリラ組織ルワンダ愛国戦線 (RPF)がルワンダを越境攻撃し北部を制圧。その頃カガメは米国レブンワース基地のアメリカ陸軍指揮幕僚大学で軍事訓練を受け、後にRPF最高司令官となる。当時のジュベナール・ハビャリマナ政権をフランス、ベルギーなどが支援し、戦闘は膠着状態に。長期に渡る和平交渉を経て、1993年に和平が成立。しかし1994年にハビャリマナ大統領と隣国ブルンジのンタリャミラ大統領が搭乗する航空機が撃墜され死亡すると、政府軍及びフツ強硬派民兵インテラハムウェによるツチなどへのジェノサイドが発生、推計で約80万人が死亡した。するとカガメ率いるRPFはツチ保護を名目に全土を制圧し、フツのパストゥール・ビジムングを大統領とする新政権を発足。カガメは副大統領兼国防相に就任し、事実上政権を掌握し、軍事的にも同国に強大な影響力を保った。 ポール・カガメwikiより

 

※写真はルワンダ大虐殺の現場。フツ族がツチ族を殺したとされているが、実際にはツチ族のポール・カガメが指揮し、ツチ族を殺戮した。仲間を出来るだけたくさん殺すこと。そうすることでフツ族を悪者扱いできるのだ。大谷が最初にやることは常に敵に汚名を着せることだ。敵に「悪」の汚名を着せるために味方を殺すのだ。

因みに、ツチ族であるポール・カガメは、陰陽道を治める土御門家の子孫である。それを証明するように、カガメの名の由来は陰陽道に関係がある言葉「籠目(かごめ)」である。また、土御門の由来は「ツチの帝王」である。

 

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ルワンダ王キゲリ5世の子

 

キゲリ5世の14人の内の子

エドゥアール・ギレンテ(1973) ルワンダ首相

 

 

 


クリュニー大主教アイマールの一族~キエフ大公国、シトー会、北条時政、聖フランチェスコ会、シチリア王国、イタリア共和国

 

アイマール(?~965) クリュニー大主教

シャルル・コンスタンティン(?~962) プロヴァンス王ルイ3世の子※画像なし
ガルシア・サンチェス1世(919~970) ヒメネス朝ナバラ王

 

※クリュニー大主教アイマールの一族は、引き続き、レオン、ナバラ、カスティーリャなどイベリア半島を重要な拠点として死守する方向にある。

 

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サンチョ1世の子

 

ラミロ3世(961~985) レオン王

オディーヨ(962~1049) クリュニー大主教※画像なし
グレゴリウス6世(?~1048) ローマ教皇 在位1045~1046

 

※オディーヨとグレゴリウス6世は同一人物であった。グレゴリウス6世は教皇職を金で買ったといわれている。彼は教会会議で有罪になり、教皇職を廃位にされた。

 

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ガルシア・サンチェス1世の子

 


サンチョ・ガルセス2世(935~994) ナバラ王
サンチョ1世(935~966) レオン王

 

※サンチョ・ガルセス2世とサンチョ1世はドウイツ人物である。2人の王を演じ分けることで彼はナバラとレオンを支配した。

 

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サンチョ・ガルセス2世の子

 


ガルシア・サンチェス2世(?~1000) ナバラ王

 

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ガルシア・サンチェス2世の子

 


サンチョ・ガルセス3世(985~1035) ナバラ王


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サンチョ・ガルセス3世の子

 

ガルシア・サンチェス3世(1016~1054) ナバラ王

ステファヌス10世(?~1058) ローマ教皇 在位1057~1058

ヤロスラフ1世(978~1054) キエフ大公

 

※新興国ロシアに早くも目をつけたクリュニー会は、ガルシア・サンチェス3世を送り込み、邪教信者を駆使してヤロスラフ1世としてキエフ大公の座に就いた。

 

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ヤロスラフ1世の子

 

スヴャトスラフ2世(1027~1076) キエフ大公
モレームのロベール(1027~1111) シトー会

 

※クリュニー会はキエフに気を配りながら、同時にフランスにシトー会を設けた。シトーの由来はサトゥルヌスの一族シッダールタである。

 

フセヴォロド1世(1030~1093) キエフ大公※画像なし

アンセルムス(1033~1109) カンタベリー大主教※画像なし
アルベリック(?~1109) シトー会

 

※アンセルムスはアルベリックを演じ、カンタベリー大主教とシトー会の役割を往来しながら演じていた。死んだ年が同じなので同一人物と考えられる。ロシア誕生以前のロシア地域で、クリュニー大主教アイマールの一族が活動開始をはじめたと考えられる。現代のタナトス一族がウクライナにこだわる理由はこの辺にありそうだ。タナトス一族は、1000年前にキエフ大公の座位を簒奪していた。

 

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アルフォンソ6世(1040~1109) カスティーリャ王
サンチョ2世(1040~1072) カスティーリャ王
フセスラフ・ブリャチスラヴィチ(1044~1101) ポロツク公

 

※当時のクリュニー会の関心事はスペインを拠点として抑えながら、ロシアとフランスを支配することである。

 

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フセスラフ・ブリャチスラヴィチの子

 

ログヴォロド・フセスラヴィチ(1054~1128) ポロツク公※画像なし

クレルヴォーのベルナルドゥス(1090~1153) シトー会
エウゲニウス3世(?~1153) ローマ教皇 在位1145~1153

 

西欧:「新しい騎士たちを讃えて」を著す(1130)

西欧:第2次十字軍(1147~1149)

北欧:北の十字軍公認、ヴェンデ十字軍公認(1147)

 

※第2次十字軍はローマ教皇エウゲニウス3世が企画し、聖ベルナルドゥスが勧説したとされているが、実際には、両者は同一人物である。これは興味深いことである。ひとりが大勢の分身を演じることで、大谷は、多くの人々に支持されているという印象を作り出すのだ。

 

ロスチスラフ・フセヴォロドヴィチ(1070~1093) フセヴォロド1世の子※画像なし
ライムンド・デ・ボルゴーニャ(1070~1107)
ムスチスラフ1世(1076~1132) キエフ大公※画像なし


※この時代、アイマールの一族はキエフ以外にもポロツクなどの拠点をロシアに得ている。ロシアとイベリア半島を自在に往復していたようだ。

 

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ムスチスラフ1世(ライムンド・デ・ボルゴーニャ)の子

 

スヴャトポルク・ムスチスラヴィチ(?~1154) ノヴゴロド公※画像なし

グレゴリウス8世(1100~1187) ローマ教皇 在位1187

慈照子元(?~1166) 白蓮教※画像なし
アルフォンソ7世(1105~1157) レオン王・カスティーリャ王

 

※異母兄弟の庶子を影武者として投入していたグレゴリウス8世は、18歳頃にイングランドに移り、トマス・ベケットとしてカンタベリー大主教の座に就いた。更に、中国に進出し、念仏系の秘密結社「白蓮教」を組織した。その後、イギリスに戻った慈照子元はベケットに戻る。だが、70歳の時にベケットは死んだことにして、イングランドからローマに移り、グレゴリウス8世としてローマ教皇の座に付いたが、1年も持たなかった。

 

ロスチスラフ1世(1110~1167) キエフ大公※画像なし

ラモン・バランゲー4世(1113~1162) カタルーニャ君主、バルセロナ伯

トマス・ベケット(1118~1170) カンタベリー大主教 

 

ウラジーミル・ムスチスラヴィチ(1132~1173) キエフ大公※画像なし

クレメンス3世(1130~1191) ローマ教皇 在位1187~1191

サンチョ6世(1133~1194) ナバラ王※画像なし
北条時政(1138~1215)
フェルナンド2世(1137~1188) レオン王

モーリス・ド・シュリー(?~1196) ノートルダム寺院建設※画像なし

 

西欧:クレメンス3世、第3次十字軍(1189~1192)
日本:平家滅亡、壇ノ浦の合戦(1185)
日本:奥州藤原氏滅亡、奥州征伐(1189)
日本:鎌倉幕府成立(1192)
日本:梶原氏滅亡、梶原景時の変(1199)
日本:和田氏滅亡、和田合戦(1213)

 

※第3次十字軍を指揮したクレメンス3世は、日本に進出して北条時政となった。彼は、姪の北条政子に指示して源頼朝を操り、最大の懸念勢力であった平家を退け、鎌倉幕府を成立させた。また、時政は自分たちにとって邪魔だと思う者、平清盛を皮切りに源義経、奥州藤原氏、和田義盛、比企能員、梶原景時などを一掃した。時政は、タナトスの血を引く家族のみで執権政治を行った。タナトスの政治は、いつの世でも家族経営、同族会社である。更に、時政は朝鮮半島にも気を配り、仏教信者を指揮して高麗の十字軍ともいうべき大規模な暴動を発生させている。

 

 

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ラモン・バランゲー4世の子

 

ペドロ(1152~1164)※画像なし

ロマン・ムスティスラーヴィチ(1150~1205) キエフ大公※画像なし

ヒューバート・ウォルター(?~1205) カンタベリー大主教

 

アルフォンソ2世(1157~1196) アラゴン王

グレゴリウス9世(1155~1241) ローマ教皇 在位1227~1241
リチャード1世(1157~1199) イングランド王 在位1189~1199

サンチョ7世(1157~1234) ナバラ王 在位1194~1234

坊門信清(1159~1216) 公卿※画像なし

 

西欧:グレゴリウス9世、異端審判(1227)
西欧:グレゴリウス9世、第5次十字軍(1228~1229)

 

※リチャード1世として第3次十字軍に参加したことがあるグレゴリウス9世は、第5次十字軍を組織した。また、グレゴリウス9世は、ベルノが開発したクレモール・ド・ハローを再現し、異端審判として新装開店した。すべては自分たちの勢力伸張と敵の弱体化が目的である。

 

ドゥース(1160~1198)※画像なし

コスタンツァ(1154~1198) ノルマン朝シチリア女王 在位1194~1198※画像なし

北条政子(1157~1225)

 

日本:源氏滅亡、北条氏執権政治(1219)
日本:三浦氏滅亡、宝知合戦(1247)

 

※北条政子の正体はカタルーニャ君主の娘ドゥースであった。北条政子はただの悪女ではなく、タナトスの女であった。親鸞の伯母にあたる北条政子は源頼朝を操り、時政と共に邪魔だと思う者、平清盛を皮切りに源義経、奥州藤原氏、和田義盛、比企能員、梶原景時、三浦義村などを一掃した。その後、政子は源頼朝さえも切り捨てた。

 

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北条政子の子

 

源頼家(1182~1204)

アッシジのフランチェスコ(1181~1226) フランシスコ会初代総長

ピエトロ・カッターニ(1180~1221) 法律家、聖堂参事会員※画像なし


※1204年、頼家は22歳で死んだことにし、イタリアを訪れてフランチェスコに変身してフランチェスコ会を築いた。奇しくも、フランチェスコが布教活動を開始したのは1208年である。当時、日本からイタリアまで4年かかったようだ。フランチェスコ会は、ドミニコ会と共に神の名の下に殺戮と略奪をほしいままにし、白人列強の大航海時代に乗って世界の原住民をキリスト教により支配下に置いた。

 

三幡(1186~1199)※画像なし

グリエルモ3世(1185~1198) ノルマン朝シチリア王 1194

Thomas of Celano(1185~1265) フランチェスコ会※画像なし

 

※敵を騙すために女子として生まれた三幡は、母親の北条政子と共にヨーロッパに帰還し、9歳でシチリア王に即位した。しかし、13歳で死んだことにすると、その後はThomas of Celanoに変身して兄フランチェスコを助け、80歳まで生きた。

 

源実朝(1192~1219)

エジディオ(1190~1262) フランチェスコ会※画像なし

フリードリヒ2世(1194~1250) 神聖ローマ皇帝 在位1220~1250※画像なし

 

※実朝は27歳で死んだことにし、兄に15年遅れて日本を離れ、イタリアに渡った。実朝はエジディオに変身し、フランチェスコ会を助けた。

 

坊門信子(1193~1274) 源実朝妻※画像なし

アッシジのキアラ(1194~1253) クララ会教祖

 

※坊門信子は実朝の妻だが、実朝とはいとこの関係でもある。信子は夫と共にイタリアに渡り、キアラに変身してフランチェスコ会の発展に寄与した。

 

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フリードリヒ2世(源実朝)の子

 

コンラート4世(1228~1254) 神聖ローマ皇帝 在位1237~1254※画像なし

Bonaventure(1221~1274) フランシスコ会8代総長

 

フリードリヒ(1239)※画像なし

ペドロ3世(1239~1285) アラゴン王 在位1276~1285

 

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コンラート4世の子

 

コッラディーノ(1252~1268) ホーエンシュタウフェン朝シチリア王 在位1254~1268

Gonsalvus of Spain(1255~1313) フランシスコ会15代総長※画像なし

 

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ペドロ3世の子

 

フェデリーコ2世(1272~1337) シチリア王 在位1296~1337

Alexander Bonini(1270~1314) フランシスコ会16代総長※画像なし

Michael of Cesena(1270~1342) フランシスコ会17代総長※画像なし

 

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フェデリーコ2世の子(ペドロ3世の孫)

 

ピエトロ2世(1305~1342) シチリア王 在位1337~1342

Marcus of Viterbo(1304~1369) フランシスコ会21代総長※画像なし

Thomas of Frignano(1305~1381) フランシスコ会22代総長※画像なし

 

※フランシスコ会は同族会社である。つまり、この後もシチリアを支配した王族がフランシスコ会総長を代々務めたと考えられる。

 

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アルフォンソの子(両シチリア王フェルディナンド2世の孫)

 

マリーア・インマコラータ(1874~1947)

ルイージ・エイナウディ(1874~1961) 第2代イタリア大統領

 

マリーア・クリスティーナ(1877~1947)

エンリコ・デ・ニコラ(1877~1959) 初代イタリア大統領

 

ラニエーリ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ(1883~1973) 

Valentine Theodore Schaaf(1883~1946) 聖フランシスコ会第112代総長※画像なし

 

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両シチリア王フェルディナンド2世の曾孫

 

ルッジェーロ・マリーア(1901~1914) アルフォンソの孫※画像なし

Augustin-Joseph Sépinski(1900~1978) 聖フランシスコ会第114代総長※画像なし

Vittorio Maria Costantini(1906~2003) 聖フランシスコ修道院第113代総長※画像なし

マリオ・シェルバ(1901~1991) 第33代イタリア首相

ジュゼッペ・ペッラ(1902~1981) 第31代イタリア首相

ジュゼッペ・サーラガト(1898~1988) 第5代イタリア大統領

 

フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン(1924~2010) ルイジの孫

John Vaughn(1928~2016) 聖フランシスコ会第116代総長※画像なし

Antonio Vitale Bommarco(1923~2004) 聖フランシスコ修道院第115代総長

ジョヴァンニ・スパドリーニ(1925~1994) 第44代イタリア首相

ジョルジョ・ナポリターノ(1925) 第11代イタリア大統領

 

※ジョヴァンニとジョルジョは顔が良く似ている。同一人物としか思えない。誰も気付かないものだろうか?さすがに、本体はフランチェスコ修道院総長アントニオに良く似ている。同一人物だろう。

 

フランツ・ヨーゼフフーベルトゥス・マリア・マインラート・ミヒャエル(1926~1996) ルイジ曾孫※画像無し

アルナルド・フォルラーニ(1925) 第43代イタリア首相

フランチェスコ・コッシガ(1928~2010) 第8代イタリア大統領

 

※アルナルドとフランチェスコは顔が良く似ている。同一人物としか思えない。誰も気付かないものだろうか?

 

ヨハン・ゲオルク・フォン・ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン(1932~2016) ルイジの曾孫

Flavio Roberto Carraro(1932) カプチン会修道士第70代総長

 

カルロス・デ・ボルボン=ドス・シシリアス(1938~2015) アルフォンソの曾孫※画像なし

Giacomo Bini(1938~2014) 聖フランシスコ会第118代総長

 

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マリーア・クリスティーナ・ディ・ボルボーネの子(アルフォンソの孫)

 

Archduke Leopold Franz of Austria(1942)※画像なし

Gianfranco Gardin(1944) 聖フランシスコ修道院第117代総長※画像なし

Joachim Giermek(1943) 聖フランシスコ修道院第118代総長※画像なし

John Corriveau(1941) カプチン会修道士第71代総長※画像なし

セルジョ・マッタレッラ(1941) 第12代イタリア大統領

 

Archduke Johann of Austria, Prince of Tuscany(1946)

Mauro Jöhri(1947) カプチン会修道士第72代総長

 

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フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ホーエンツォレルン=ジグマリンゲンの子

 

Prince Karl Friedrich of Hohenzollern(1952)

José Rodríguez Carballo(1953) 聖フランシスコ会第119代総長

パオロ・ジェンティローニ(1954) 第57代イタリア首相

 

※ホセとパオロは顔がよく似ている。そっくりだ。同一人物で間違いないだろう。

 

Prince Albrecht of Hohenzollern(1954)※画像なし

マイケル・A・ペリー(1954) 聖フランシスコ会第120代総長 任期2013~

Marco Tasca(1957) 聖フランシスコ修道院第119代総長

 

Prince Ferdinand of Hohenzollern(1960)※画像なし

Carlos Alberto Trovarelli(1962) 聖フランシスコ修道院第120代総長※画像なし

ジュゼッペ・コンテ(1964) 第58代イタリア首相

 

 

  


クリュニー大主教ヒューの一族~ヒメネス朝ナバラ王、バルセロナ朝アラゴン王、ブルゴーニュ朝カスティーリャ王、バルバロス・ハイレッディン、チュニジア、アルジェリア、ユニオン・コルス

アラゴン初代王ラミロ1世の子 

 

ヒュー(1024~1109) クリュニー大主教※画像なし

サンチョ5世ラミレス(1042~1094) アラゴン王
ウルバヌス2世(1035~1099) ローマ教皇 在位1088~1099

アルフォンソ6世(1040~1109) ヒメノ朝カスティーリャ王

 

イギリス:ノルマンディー公ウィリアムのイングランド征服(1066)
西欧:ロマネスク式クリュニー修道院完成(1088)
西欧:ウルバヌス2世、第1次十字軍(1096~1099)

 

※ヒューはノルマン人のイングランド侵攻に同行し、ノルマン朝が成立するとイングランド・カトリックを掌握し、同時にウルバヌス2世として初の十字軍を編んだ。十字軍は、聖なる移住(ウェルサクレム)を踏襲した、一向一揆の前身である。また、タナトスは何かを破壊したいとき、必ず「何かを守りたい」と発言していることが分かる。十字軍では「キリスト教の信仰を守りたい」「キリスト教の聖地を守りたい」と述べている。その実、本当の目的は略奪と破壊であったことは多くの人が知るところだ。十字軍は工夫したもので、上記で述べたとおり、大谷は善行を掲げている。これにより、邪魔者を公的に排除することができるのだ。更に、大谷は「十字軍」という名前にも気を配っている。十字軍命名のポイント。それは「悪党に見えない」ことだ。

 

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サンチョ・ガルセス4世の子

 

ラミロ・サンチェス(1070~1129)※画像なし

ホノリウス2世(1060~1130) ローマ教皇 在位1124~1130
ステファン・ハーディング(1060~1134) シトー会※画像なし

ペドロ1世(1068~1104) アラゴン王、ナバラ王

 

西欧:ホノリウス2世、テンプル騎士団認可(1128)

 

※テンプル騎士団は、シトー会に援助され、ホノリウス2世が承認したが、シトー会のステファン・ハーディングとホノリウス2世は同一人物である。生年が同じで、死んだ年が4年違いなのは偶然ではないだろう。ハーディングはホノリウス2世が1130年に死んだことにすると、ハーディングに戻って4年の余生を生きた。ひとりが大勢の分身を演じることで、大谷は、多くの人々に支持されているという印象を作り出すのだ。

※ペドロ1世はローマ教皇ホノリウス2世に変身していたが騒乱が発生し、教皇としてタナトスの一族を優遇する法律を制定することはできなかった。テンプル騎士団を承認したくらいである。

 

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ラミロ・サンチェスの子

 


ガルシア6世(1112~1150) アラゴン王、ナバラ王※画像なし
グレゴリウス8世(1110~1187) ローマ教皇 在位


※アルフォンソ7世はローマ教皇グレゴリウス8世を演じていたが、その時には十字軍の遠征を説いた。しかし、その願いも空しくあっさりと死んでいる。この背後には、民衆十字軍を指揮したいカペー朝フランス王フィリップ1世の一族の人間が関与していると考えられる。つまり暗殺であるが、一方ではタナトスの一族同士の抗争である。

 

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ガルシア6世の子

 

サンチョ6世(1133~1194) ナバラ王※画像なし
クレメンス3世(1130~1191) ローマ教皇 在位1187~1191


※サンチョ6世はローマ教皇クレメンス3世を演じているが、その時には十字軍の創設を考えていたがグレゴリウス8世と同じようにあっさりと死去した。この時も背後には、民衆十字軍を指揮したいカペー朝フランス王フィリップ1世の一族の人間が関与していると考えられる。つまり暗殺であるが、一方ではタナトスの一族同士の抗争である。

 

 

ブランシュ(1133~) サンチョ3世と結婚※画像なし
サンチョ3世 (1134~1158) ブルゴーニュ朝カスティーリャ王
フェルナンド2世(1137~1188) ヒメネス朝レオン王


※ガルシア6世の娘であるブランシュは、実際には、跡継ぎを守るために女子として育てられた男子であるが、ブランシュは自分が影武者として務めていたサンチョ3世と結婚することで、難なくサンチョ3世として生きることができた。サンチョ3世の子は、当然、ブランシュではなく他の女の子供である。

 

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サンチョ3世の子

 

アルフォンソ8世(1155~1214) ブルゴーニュ朝カスティーリャ王

グレゴリウス9世(1155~1241) ローマ教皇 在位1227~1241
リチャード1世(1157~1199) イングランド王 在位1189~1199

アルフォンソ2世(1157~1196) バルセロナ朝アラゴン王

 

西欧:グレゴリウス9世、異端審判(1227)
西欧:グレゴリウス9世、第5次十字軍(1228~1229)

 

※リチャード1世として第3次十字軍に参加したことがあるグレゴリウス9世は、第5次十字軍を組織した。また、グレゴリウス9世は、ベルノが開発したクレモール・ド・ハローを再現し、異端審判として新装開店した。すべては自分たちの勢力伸張と敵の弱体化が目的である。

※アルフォンソ8世は、アラゴン王アルフォンソ2世とローマ教皇グレゴリウス9世と前任者インノケンティウス3世を演じた。インノケンティウス3世の時には、アルビジョワ十字軍を指揮し、カタリ派に対して残虐な虐殺を行った。間が空いて、グレゴリウス9世の時には、異端に対する法律を強化し、ドミニコ会士に異端審問官の職務をゆだねた。悪にとって住みやすい環境を設けるため、ヨーロッパ中の善人を殺すという算段をつけたのだ。異端審問のポイントは、現実的にどれだけ善人を殺したとしても、法律上に於いては善人ではなく悪を成敗している。そのため殺人を咎められたり、批判されたりすることがない。


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アルフォンソ8世の子

 

ベレンゲラ(1180~1246)  ブルゴーニュ朝カスティーリャ女王※画像なし

フェルナンド3世(1201~1252)  ブルゴーニュ朝カスティーリャ王

アブー・ザカリーヤー1世(?~1249) ハフス朝初代アミール※画像なし

 

エンリケ1世(1204~1217) ブルゴーニュ朝カスティーリャ王
ハドリアヌス5世(1205~1276) ローマ教皇 在位1276

アブー=アブドゥッラー・ムハンマド・アル=ムスタンスィル(?~1277) ハフス朝第2代アミール※画像なし


※ベレンゲラはフェルナンド3世をエンリケ1世として即位させ、13歳で死んだことにすると次に自分が即位し、その後にフェルナンド3世を即位させるという技を使った。


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フェルナンド3世の子

 


アルフォンソ10世(1221~1284) ブルゴーニュ朝カスティーリャ王
インノケンティウス5世(1224~1276) ドミニコ会士、ローマ教皇 在位1276

アフマド・イブン・マルズーク(?~1284) ハフス朝第6代アミール 在位1283~1284※画像なし

 


サンチョ4世(1258~1295) ブルゴーニュ朝カスティーリャ王※画像なし
クレメンス5世(1260~1314) ローマ教皇 在位1303~1314

ウマル1世(?~1295) ハフス朝第7代アミール 在位1284~1295※画像なし

 


フェルナンド4世(1285~1312) ブルゴーニュ朝カスティーリャ王
ベネディクトゥス12世(1285~1342) ローマ教皇 在位1334~1342

ハーリド1世アル・ナーシル(?~1311) ハフス朝第10代アミール 在位1309~1311※画像なし


※フェルナンド4世が変身したベネディクトゥス12世は、聖職者たちの悪しき習慣を断つことを始めたが、安倍政権を見ても分かるように、実際には、タナトスの一族は敵を黙らせるために敵が欲することを約束する。ベネディクトゥス12世はいう悪しき習慣を断つ法律に、罰則がなければ何の効果はない。つまり、聖職者たちは以前のように悪しき習慣を続けたのは間違いない。例え罰則があったとしても、ローマ教皇がタナトスの一族である場合はすぐに無効になった。


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フェルナンド4世の子

 


アルフォンソ11世(1311~1350) ブルゴーニュ朝カスティーリャ王※画像なし

ウマル2世(?~1350) ハフス朝第15代アミール 在位1349~1350※画像なし
ウルバヌス5世(1310~1370) ローマ教皇 在位1362~1370

 


ペドロ1世(1334~1369) ブルゴーニュ朝カスティーリャ王※トラスタマラ家と習合

イブラーヒーム2世アル・ムスタシル(?~1369) ハフス朝第17代アミール 在位1350~1369※画像なし
インノケンティウス7世(1336~1406) ローマ教皇 在位1404~1406


※ペドロ1世がインノケンティウス7世を演じていた時、ローマ市民に面と向かって罵倒されるという事態にあった。そのため、教皇は甥に指示してローマ代表団の指導者11人を殺害し、死体を通りに討ち捨てた。インノケンティウス側はこれで市民は黙るだろうとタカをくくっていたが、暴徒と化した市民にヴァチカンを襲撃され、逃げ出したという。こういう善人の怒りを許せないタナトスの一族は、徹底的に魔女狩りで善人をヨーロッパから一掃することを改めて心に誓ったことだろう。

 

ザカリーヤ2世(?~1494) ハフス朝第24代アミール 在位1490~1494

ヤークープ・アーガー(生没年不詳) オルチ、ハイレディンの父

 

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ムハンマド5世アル・ムタワッキル(?~1526) ハフス朝第25代アミール 在位1494~1526※画像無し

バルバロス・オルチ(1474~1518) 初代アルジェパシャ 任期1517~1518

 

ハサン・ムハンマド6世(?~1543) ハフス朝第26代アミール 在位1526~1543※画像無し

バルバロス・ハイレッディン(1475~1546) 海賊首領

ンタレ1世(?~1550) 初代ブルンジ王 在位1530~1550※画像無し

 

ンタレ3世(?~1750) 第9代ブルンジ王 在位1720~1750

イブラヒーム・ベン・ラムダン(?~1745) アルジェパシャ 任期1732~1745

アル・フセイン1世(1669~1740) フサイン朝チュニジア君侯国初代ベイ

 

ムワンブツァ3世(?~1796) 第12代ブルンジ王 在位1767~1796

Ahmed ibn Muhammad ibn Khalifa(?~1796) バーレーン初代王 在位1783~1796

 

※海賊として有名なバルバロスは、アフリカ湖水地方に赴き、ブルンジ王国の初代王となった。そして、ブルンジ王家は、バーレーン王国の王族となった。つまり、イスラム圏にはバーレーン、クウェート、カタール、モロッコ、ヨルダンなどのタナトスの王族が治める国があり、チュニジア、アルジェリアなどは彼らの植民地だと考えることが出来る。

 

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ンタレ4世(?~1850) 第13代ブルンジ王 在位1830~1850※画像無し

アフメド・ベイ(1805~1855) アルジェパシャ 任期1837~?※画像無し

アブド・アルカーディル(1808~1883) スーフィー教団指導者

Mohammed Khaznadar(1810~1889) 第7代チュニス君候国大法官※画像無し

 

ムウェジ4世(?~1908) 第14代ブルンジ王 在位1850~1908※画像無し

ムハンマド3世サドク・ベイ(1813~1882) フサイン朝チュニジア君侯国第12代ベイ

アリ3世(1817~1902) フサイン朝チュニジア君侯国第13代ベイ※画像無し

ハイルディーン・パシャ(1820~1890) チュニジア太守・宰相

Mustapha Khaznadar(1817~1878) 第5代チュニス君候国大法官※画像無し

 

Isa ibn Ali Al Khalifa(1848~1932) バーレーン国王

Mustapha Ben Ismaïl(1850~1887) 第8代チュニス君候国大法官

 

Hamad ibn Isa Al Khalifa(1872~1942) バーレーン国王

Hédi Lakhoua(1872~1949) 第3代チュニス君候国首相

 

Salman bin Hamad Al Khalifa I(1894~1961) バーレーン国王

ムタガ4世(1892~1915) 第24代ブルンジ王 在位1908~1915※画像無し

ムハンマド・サラーフ・ムザイリ(1896~1984) 第7代チュニス君候国首相

ハビーブ・ブルギーバ(1903~2000) 初代チュニジア大統領

Paul Carbone(1894~1943) ユニオン・コルス首領

 

ムワンブツァ4世(1912~1977) 第25代ブルンジ王 在位1915~1966

チェドリー・ベイ(1910~2004) チュニスベイ※画像無し

ヘディ・ヌイラ(1911~1993) 第2代チュニジア共和国首相

ベヒ・ラドガム(1913~1998) 初代チュニジア共和国首相

ムハメド・ベイ(1914~1999) チュニスベイ※画像無し

アーメド・ベン・ベッラ(1916~2012) 初代アルジェリア大統領

Paul Mondoloni(1916~1985) ユニオン・コルス首領※画像無し

Lucien Conein(1919~1998) ユニオン・コルス首領※画像無し

Marcel Francisci(1920~1982) ユニオン・コルス首領※画像無し

 

Isa bin Salman Al Khalifa(1931~1999) バーレーン国王

ラシード・スファール(1933) 第4代チュニジア共和国首相

ヘディ・バクーシュ(1930) 第6代チュニジア共和国首相

ハーミド・カルイ(1927) 第7代チュニジア共和国首相

ベジ・カイドセブシ(1926~2019) 第9代チュニジア共和国首相

Lucien Sarti(1931~1972) ユニオン・コルス首領※画像無し

 

ンタレ5世(1947~1972) 第26代ブルンジ王 在位1966※画像無し

モハメッド・ガンヌーシ(1941) 第8代チュニジア共和国首相

モンセフ・マルズーキ(1945) チュニジア第3代大統領

 

※ンタレ5世の代でブルンジ王の系譜は途絶えるが、代わりにバーレーン王、チュニジア首相の系譜に引き継がれた。顔を見ると、マルズーキはアフリカ系の印象があるが、じつは彼が死んだはずのブルンジ最後の王ンタレ5世なのではないかと考えられる。ガンヌーシは影武者として生まれたのだろう。

 

ハマド・ビン・イーサ・アール・ハリーファ(1950) バーレーン国王

ハンマーディー・ジバーリー(1949) 第10代チュニジア共和国首相

ハビーブ・シード(1949) 第13代チュニジア共和国首相

 

※ベン・アリー大統領はタナトスの一族ではなく、部外者だったため、ベン・アリー大統領を追放するために、バーレーンの王族がジャスミン革命を指揮したと考えられる。そのときの首相だったガンヌーシ首相も、もちろん革命側だった。

 

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ハマド・ビン・イーサ・アール・ハリーファの子

 

サルマーン(1969)

メヘディ・ジョマア(1962) 第12代チュニジア共和国首相

 

アブドゥッラー(1976)※画像無し

ユーセフ・シャヘド(1975) 第14代チュニジア共和国首相

 

 

 



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