目次
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まえがき 悪の足跡の追求
タナトスの一族~カニバリズム、人身御供、クロノス、サトゥルヌス、アトランティス王国、最終戦争ラグナロク、タングート、西夏、チャガタイ・ハン国、狼男、タウングー朝、豹の部族、ボコ・ハラム
ティールタンカラの一族~アーリア人、仏教、継体天皇、中臣鎌足、藤原不比等、白河天皇、鳥羽天皇、マリ帝国、ジェノヴァ共和国、ルクセンブルク公国、リヒテンシュタイン公国、モナコ公国、アシャンティ帝国
デウスの一族~ジャイナ教、河伯、サータヴァーハナ朝、フン族、アッティラ帝王、稲荷神社、九頭龍、風水、足利尊氏、後醍醐天皇、シャーマニズム、クエーカー教、住友財閥、三井財閥
ダーナ神族の一族~ディオニュソス、デニエン人、猿田彦、契丹、デーン人、鬼、酒呑童子、ハーバード大学、ジョージ・ワシントン大統領、アメリカ連合国、統一イタリア王国、カナダ、ニュージーランド、阿含宗
アブラハムの一族~シュメール文明、エフライム族、バアル、アフラマズダー、ゾロアスター教、マケドニア王国、聖徳太子、ピサ共和国、奥州藤原氏、フランシスコ・ピサロ、ヴァーサ朝、フィンランド共和国
預言者ナタンの一族~ラピタ文化、ダン族、ソロモン王、ミディアン人、ストーンヘンジ、アテーナイ王国、ヒクソス、アマルナ宗教改革、マフディー国家
アッシュール・ダン1世の一族~魔神アスラ、タニス、北イスラエル王国、アルメニア王国、グノーシス主義、コプト教、聖コルンバ、アルシング議会
ガリアのドルイド司祭(東本願寺)の一族~アテネ民主制、ローマ執政官、ソピテース、デマゴーグ、ヘロデ大王、ローマ帝国、フィリキ・エテリア、青年トルコ革命
聖ドナトゥスの一族~渤海王、ブワイ朝、テンプル騎士団、ジンバブエ王国、ダホメー王国、ハイチ帝国、黒人地位向上協会、バハーイー教
ローマ教皇レオ1世の一族~ランゴバルト王国、メロヴィング朝、マズダク教、ウイグル可汗、浄土教、曹洞宗、ノルマン人、カルマル同盟、出雲大社、コーザ・ノストラ、オーストラリア、バチカン市国委員会
クリュニー大主教ベルノの一族~ナバラ王国、フランク・ローマ皇帝、カペー朝フランス王、民衆十字軍、土肥実平、長宗我部氏、三菱財閥、ルワンダ大虐殺
クリュニー大主教アイマールの一族~キエフ大公国、シトー会、北条時政、聖フランチェスコ会
クリュニー大主教ヒューの一族~ヒメネス朝ナバラ王、バルセロナ朝アラゴン王、ブルゴーニュ朝カスティーリャ王、ハフス朝、バルバロス・ハイレッディン、チュニジア、アルジェリア
カペー朝ルイ7世の一族~メリナ王国、カンボジア王国、カリブ族、ゴーストダンス、マウマウ団、ドラヴィダ進歩党、カーゴカルト、パプアニューギニア、クメール・ルージュ
カペー朝フィリップ2世の一族~ドイツ騎士団、白蓮教、小西行長と弥助、マラッカ王国、ブルネイ帝国、スハルト大統領、バラク・オバマ大統領、フアン・グアイド
親鸞の一族~浄土真宗、時宗、一向宗、世界初の精神病院ベドラム、ブルゴーニュ朝ポルトガル、コンキスタドール、メキシコ帝国、麻薬カルテル
如信の一族~魔女狩り解禁、異端審問、伊勢大社、カペー朝フランス王、ボルボン朝スペイン王
覚如の一族~紅巾の乱、華僑、百年戦争、殺人集団タギー、琉球王国、アチェ王国、黎朝ベトナム帝国、白蓮教、シンガポール、日清食品、社会民主党、全能神
善如の一族~倭寇、恭愍王、足利義満、日野富子、三浦倭館、東林党、魏忠賢、フランシス・ドレイク、バッカニア海賊
綽如の一族~ヴァロワ=ブルゴーニュ公、ブルボン公、能登守、ケベック解放戦線
巧如の一族~ジル・ド・レ、ヴァロワ朝フランス、マルタ騎士団、マラーター族、ハウサ諸王国、ソコト帝国
存如の一族~応仁の乱、アラゴン王国、アヴィス朝ポルトガル
蓮如の一族~スイス連邦参事会、魔女狩り、パッツィ家、ロレーヌ公、一向一揆
実如の一族~毛利元就、オルデンブルク朝デンマーク、モロッコ王国、フランコ将軍、パレスチナ解放機構、トントンマクート、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三、統一協会
証如の一族~明智光秀、魔女狩り、戦国時代、オランダ王国、イギリス東インド会社
顕如の一族~万暦の三征、魔女狩り、オランダ東インド会社、スチュアート朝、老論派、バプティスト教会、メソジスト教会
教如の一族~織田信雄、江戸時代の天皇、カメハメハ大王、トンガ王国、サモア独立国、フィジー共和国、エチオピア連邦民主共和国
宣如の一族~ハプスブルグ家、ブルボン家、プファルツ朝スウェーデン王、フルベ聖戦、イスラーム・マグリブ諸国のアル=カーイダ機構
琢如の一族~英蘭戦争、マラーター王国、ベンガル太守、アワミ連盟、バングラデシュ、ジャマート=ウル=ムジャーヒディーン
常如の一族~後金時代、李氏朝鮮末期、琉球第二尚氏王統、東学党、ゴ・ディン・ジエム、大韓民団、株式会社ロッテ
一如の一族~名誉革命、ジャコバイト、オラニエ=ナッサウ王家、南アフリカ連邦、オレンジ革命
真如の一族~イエズス会弾圧、ムガール皇帝、マラーター同盟、タタ財閥、デカン・ムジャヒディーン
従如の一族~田沼意次、徳川家重、松平定信、井伊直弼、水野忠邦、徳川慶喜
乗如の一族~フランス革命、ベトナム植民地、ブラジル帝国、YMCA、セブンスデー・アドベンチスト教会、国際赤十字社、花粉症、AIDS
達如の一族~復古神道、尊皇攘夷、天理教、金光教、神社本庁、日本社会党、講談社、日本会議
大谷光勝の一族~丙寅教獄、明治維新、ビアフラ共和国、ソンミ村虐殺、コリン・パウエル、コンドリーザ・ライス、トニー・ブレア
大谷光榮の一族~アドルフ・ヒトラー、ハインリヒ・ヒムラー、軍産複合体、パフラヴィー朝皇帝、アウグスト・ピノチェト、立憲民主党
大谷光演の一族~重慶爆撃、CTスキャン、ダライ・ラマ14世、ディズニー・カンパニー、スティーブン・スピルバーグ、ジャニーズ、タイム・ワーナー社、YOUTUBE
ヘンリー・キッシンジャーの一族~ビル・クリントン、湾岸症候群、ジョン・ベネ殺害事件、レバノン空爆、ロシアの人喰いズマガリエフ、フェイスブック
大谷光暢の一族~ラビア・カーディル、地下鉄サリン事件、天安門事件、オウム地下鉄サリン事件、酒鬼薔薇聖斗、雨傘革命
大谷暢顕の一族~放送局アナウンサー、櫻井よしこ、神戸連続児童殺傷事件、学級崩壊、大阪池田小児童殺害事件、てるくはのる事件
大谷暢裕の一族~根本匠、2014香港反中デモ、2014香港反政府デモ、2019逃亡犯条例改正案撤回デモ
大宛のドルイド司祭(西本願寺)の一族~大宛、クシャーナ朝、鳩摩羅什、曇鸞、浄土宗、隋、ウマイヤ朝イスラム帝国、北宋、舜天王統、ブギス族、ジョホール朝、林本源、中国仏教協会、台湾
天山ウイグルの一族~南宋皇帝、今川国氏、デリー・スルターン朝、曹洞宗、総持寺祖院初代門主
今川国氏の一族~アステカ人身御供、ヴラド・ツェペシュ、見付天神の人身御供、エリザベート・バートリ、モルダヴィア公、ルーマニア王国、モルドバ共和国
准如の一族~小早川秀秋、ドン・コサック、古儀式派、ノーベル賞、ベルナドッテ朝スウェーデン王
良如の一族~生類憐みの令、火付盗賊改、子供を殺すための法律「ブラック法」、MI6長官
寂如の一族~女帝エカチェリーナ、秘密結社イルミナティ、ナチス帝国、特高警察、モサド、中央情報局、アメリカ連邦捜査局
住如の一族~黒住教、ビン=ラディン・グループ、アルカーイダ、ソマリランド大統領、GOOGLE
湛如の一族~ジュンガル帝国、チャックリー家、タイ王国首相、モンゴル人民革命党、霊友会、世界救世教、祟教真光、日本相撲協会
法如の一族~アヘン戦争、ロスチャイルド財閥、ロックフェラー財閥、スカル&ボーンズ、第一次世界大戦、ホスピス、北大西洋条約機構、ベルギー首相職
文如の一族~ウクライナ東方カトリック教会、薩摩戦争、切り裂きジャック、インディアン虐殺、国際連合
本如の一族~ウクライナ東方カトリック教会、東トルキスタン、ムスリム同胞団、ユーゴスラビア紛争、チェチェン紛争、南オセチア紛争、ウクライナ政変
広如の一族~伊藤博文、大隈重信、山縣有朋、新渡戸稲造、白洲次郎、東条英機、日産コンツェルン、731部隊、ベトナム戦争
デヴィッド・ロックフェラーの一族~ジョージ・ソロス、CNN、モンサント社、遺伝子組み換え作物、成長ホルモン、コソボ爆撃、コロンバイン高校銃撃
大谷光尊の一族~イギリス王室、ファシスト党、ディープ・ステート、ウィリアム・ハイレンズ、イスラム国、ウクライナ21、ライブドア
大谷光瑞の一族~ジョージ・H・W・ブッシュ、湾岸戦争、冷戦終結、法輪功、国境なき記者団、自動運転技術テロ、オール電化テロ
大谷光照の一族~ジョージ・W・ブッシュ、除草剤ラウンドアップ、連続殺人犯テッド・バンディ、世界同時多発テロ、キャラバン
大谷光真の一族~悪魔ビル・ゲイツ、マイクロソフト社、上祐史裕、プログラム自動ダウンロードテロ、異常行動テロ
大谷光淳の一族~2ちゃんねる、仙台女児連続暴行事件犯人、2019逃亡犯条例改正案撤回デモ、Qアーミージャパン
ユダヤ人(1731)の一族~ハザール帝国、カバラ神秘主義、ホフユーデン、人体自然発火事件、クーン・ローブ商会、シオニズム運動、精神医学、モサド、ドイツキリスト教民主同盟
ユダヤ人(1908)の一族~ヒヴァ・ハン国、ガージャール朝、アドルフ・ヒトラー、ツングース大爆発、ロケット、マンハッタン計画、原子爆弾、水素爆弾、レーザー、コンピューター
第一次、第二次、第三次世界大戦の一族
タナトス一族の趣味~世界の拷問
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証如の一族~明智光秀、魔女狩り、戦国時代、オランダ王国、イギリス東インド会社

証如(1516~1554)
フランソワ(1519~1563) ギーズ公

ジョン・ノックス(1510~1572) 長老派教祖

アントワーヌ・ド・グランヴェル(1517~1586) 枢機卿

 

日本:一向一揆、朝倉教景滅亡(1531)
西欧:ネーデルラント市民蜂起(1566)
西欧:ネーデルラント自由戦争(1568~1648)
フランス:ユグノー5万人虐殺(1572)
西欧:オランダ独立宣言(1581)

 

※証如は、朝倉教景を討つことで、子の朝倉義景を援助した。その後、自分の国を欲した証如は、50歳でヨーロッパに移り、ギーズ公フランソワを称し、異母兄弟であるローマ教皇ピウス5世と共にユグノー虐殺も指揮した。これによってユグノーを簒奪し、カルヴァンの改修派を息子である朝倉義景(ウィレム1世)が築いた国オランダの国教とした。

また、証如はジョン・ノックスにも変身し、「長老派」を築いてスコットランドに根付かせた。ノックスは魔女狩りの拷問に工夫を加え、眠らせないなどの拷問を加えた。身体に傷をつけないことで悪意を消そうとした。

更に、アントワーヌ・ド・グランヴェルに化けてスペイン・ハプスブルク家に仕え、当時のヨーロッパ諸国政治家の中で有力者となった。そして、プロテスタントをネーデルラントで弾圧したことが知られている。アントワーヌ・ド・グランヴェルはシャルル・ド・ロレーヌと密接な関係だったという。それはそうだろう。親子なんだから。

 

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ギーズ公フランソワの兄弟(証如の子)

 

ルネ(1522~1602) ランス聖ペテロ修道院長※画像なし

三好長慶(1522~1564) 三好三人衆

陶晴賢(1521~1555)※画像なし
武田信玄(1521~1573)

 

日本:川中島の合戦(1553~1564)

 

※ルネは、三好長慶として畿内・阿波国の掌握を狙い、陶晴賢として中国地方の掌握を狙った。更に、武田信玄として父であるはずの武田信虎に蜂起し、退けた末に甲斐国をも掌握した。一般人は、なぜ息子が父を?と驚くが、実際に血はつながっていないし、もとより、大谷の血筋なので関係ない。武田信玄は、フランスから来たギーズ公フランソワの兄弟(証如の子)なのだから。

実如は、懸念勢力である武田氏の弱体化を目論み、自分の血統を打ち立てた。武田家に生まれた信玄は「甲州法度次第」を作って、家の中にいる反乱分子を抑え込んだ。大谷の血を引く武田信玄は、当然のように武田信虎を追放し、信虎が築いた甲斐の国をただ同然で手に入れた。また、信玄は懸念勢力である上杉謙信を排除するための使命を与えられたが、敗北したために、結局、大谷の医者が毒を盛り上杉謙信を暗殺した。病死であるなら仇討ちの心配はない。これが病死で敵を殺す際のポイントである。

 

シャルル・ド・ロレーヌ(1524~1574)

長井道利(?~1571) 斎藤氏家臣※画像なし

 

※顔が明智光秀に似ている。当然だろう。兄弟だから。シャルルは日本では長井道利となり、弟のルイ・ド・ロレーヌが扮する斎藤義龍と共謀した。2人の使命は美濃国の掌握だった。

 

 

クロード(1526~1573) オマール公※画像なし

長尾政景(1526~1564)

 

※クロード(長尾政景)は、兄であるルネ(武田信玄)と共に上杉謙信に敵対した。上越国の掌握が目的だった。

 

ルイ・ド・ロレーヌ(1527~1578)

斎藤義龍(1527~1561)

 

※義龍は弟の孫四郎・喜平次ら(斎藤道三の子)をおびき出して日根野弘就に殺害させた。そのため、仰天した道三は大桑城に落ち延びた。弘治2年(1556年)、義龍は長良川にて道三と対峙、道三を支持する勢力は少なく、旧土岐氏の勢力に支えられて道三を討ち果たした(長良川の戦い)。

 

フィリップ(1529)※画像なし

明智光秀(1528~1582)

ジャン・ボダン(1530~1596) 魔女狩り

 

西欧:ジャン・ボダン「悪魔崇拝」発表(1580)

日本:本能寺の変(1582)

 

※光秀の青年期の履歴は不明な点が多いといわれる。それはそうだ。彼はフランスから来たのだから。光秀はギーズ公クロードの子フィリップである。実際には、フィリップは兄フランソワ(証如)の子として生まれたが、早世したことにして潜伏し、ジャン・ボダンやニコラス・レミーとして生き、終生、魔女狩りに熱意を傾けた(つまり善人の殺人)。だが、後に他の兄弟と共に日本に進出した。それが明智光秀と朝倉義景、荒木村重、浅井長政、斎藤義龍、武田信玄、長尾政景、長井道利、三好長慶の連合軍である。これは、フランスに生まれた証如が家族総出で日本を征服しにかかっていると考えることが出来る。

4人は当時の日本を治めていた顕如と組み、浄土真宗最大の敵である織田信長の至近距離に配置され、英雄が油断する日を待って虎視眈々と待機していた。その後、あまりに狡猾な顕如と教如の芝居に騙された信長は、光秀によって本能寺の変で討たれた。最大の邪魔者の排除は成功したものの、秀吉らに狙われるようになった明智光秀は、日本を離れてヨーロッパに帰還し、魔女狩りを再開した。

 

ピエール(1530)※画像なし

ニコラス・レミー(1530~1616) 魔女狩り

 

西欧:ニコラス・レミー「悪魔礼拝」発表(1595)

 

※ピエールは早世したことにして潜伏し、ニコラス・レミーとして育った。兄のフィリップ(ジャン・ボダン)と共に魔女狩りにまい進した。悪夢の魔女狩り兄弟である。

 

フランソワ(1534~1563) 聖ヨハネ騎士団総長※画像なし

朝倉義景(1533~1573)

ウィレム1世(1533~1584) オランダ初代総督

 

※朝倉義景はウィレム1世としてオランダ王国を築いた。「沈黙公」として知られているが、これは彼が日本人である証拠といえる。 オランダ語をしゃべれなかったのだ。朝倉は、さすがに信長を相手に戦国時代を生きただけあり、簡単にオランダを掌握した。それだけ、戦国時代の戦争はレベルが高かったといえる。或いは、覇王織田信長と魔王本願寺門主顕如の戦いというべきか。

 

ルネ2世(1536~1566) エルブフ侯※画像なし

近衛前久(1536~1612) 近衛家17代当主※画像なし

明智秀満(1536~1582) ※画像なし
荒木村重(1535~1586)

 

※荒木村重は、本願寺や足利義昭(証如の子)と親交があり、大谷の血族に属していることが分かる。荒木は、信長攻めの第一段として蜂起したが、不利になると自分だけこそこそと逃亡した。信長は、歴史で知られているように荒木の家の者を惨殺したりはしなかった。惨殺したと報じたのは荒木を誘き寄せる手段だったが、隠れたままの荒木に愛想が尽きた信長は逆に荒木の家の者を哀れに思っただろう。

その後、荒木は近衛前久に化けて本願寺と信長の間を取り持っている。これは単なる猿芝居だったが、本能寺の変のあとには荒木は茶人として復活した。そして、千利休に接近し、この謎の多い人物の動向を探った。

 

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ギーズ公フランソワ(証如)の子

 

アンリ1世(1550~1588) カトリック同盟指導者

アンリ・ボゲ(1550~1619) 魔女狩り※画像なし

浅井長政(1545~1573)

筒井順慶(1549~1584) 明智光秀の弟

 

西欧:アンリ・ボゲ「魔女論」発表(1602)

 

※浅井長政は、朝倉義景と同じく信長包囲網の一員だった。長政は、信長を油断させるため、または人質として妹のお市と結婚したのだ。とにかく、1573年に浅井長政は自分を死んだことにし、無事に抜け出してフランスに帰還した。このときにアンリ1世として「カトリック同盟」を指揮し、ユグノーの大虐殺を実施した。このとき、人食いも行われていたようだ。

 

マクシミリアン(1565~1567)※画像なし

森蘭丸(1565~1582)

 

※本能寺の変で主君と2人の弟と共に討死した。 とされているが、実際には信長が逃げられないように、止めを刺す役割だったと考えられる。平静から信長は敵に囲まれていたのだ。

 

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ルネ2世の子

 

シャルル1世(1556~1605)※画像なし

ジョン・ワッツ(1554~1616) イギリス東インド会社創業※画像なし

トーマス・スミス(1558~1625) イギリス東インド会社初代知事

 

イギリス:イギリス東インド会社創立(1600)

 

近衛基熙(1648~1722) 近衛前久(ルネ2世)の玄孫

ジョージ・ホワイト(1648~1707) イギリス東インド会社※画像なし

 

※ルネ2世はイギリス東インド会社を創設した中心人物を設けたが、ルネ2世は日本では近衛前久を名乗っていたことから前久の玄孫がイギリスに渡り、ジョージ・ホワイトとしてイギリス東インド会社に貢献した。

 

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ジョージ・ホワイトの子孫

 

ジェイムズ・ホッグ(1790~1876) イギリス東インド会社主席 任期1839~1858

クラーブ・シング(1792~1857) ジャンムーカシュミール藩王国初代君主 在位1846~1856

 

※イギリス東インド会社主席ホッグは、自身の国を欲し、ジャンムーカシミール地方を掌握した。これがセポイの乱やムジャヒディーンの前身となる。

 

ロス・ドネリー・マングルス(1801~1877) イギリス東インド会社主席 任期1857

フレデリック・カリー(1799~1875) イギリス東インド会社主席 任期1858

 

※2人は生年が近いことから同一人物の可能性がある。証如の末裔であるが、もとより、イギリス東インド会社は東本願寺門主証如の家族のみが参加でき、それ以外の血統はお断りだった。この2人が「セポイの乱」を指揮した。西本願寺門主法如の一族がイギリスを掌握していたため、それに反抗した形だ。

 

ジェームズ・バリー・ミューニック・ヘルツォーク(1866~1942) 南アフリカ連邦国民党創設

 

※イギリス東インド会社主席マングルスかカリーの子と考えられる。セポイの乱で敗北すると、イギリス東インド会社の残党は南アフリカに落ち延びた。ヘルツォークは南アフリカ連邦国民党を創設した。

 

ハリ・シング(1895~1961) ジャンムーカシュミール藩王国第4代君主

 

イアン・スミス(1919~2007) ローデシア共和国初代首相

 

※ヘルツォークの子と考えられる。1961年にローデシア戦線党を結成し1964年4月13日から南ローデシア植民地政府首相を務め黒人の抵抗運動を徹底的に弾圧した。あくまで少数の白人支配の存続を望み1965年11月11日に、南ローデシアの白人政権は英国から一方的な独立宣言を行い、英国から派遣されていた総督も追放しローデシア共和国と名乗った。

 

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ハリ・シングの子(と考えられる)

 

アブドゥル・ハミード・ファヤズ(生年不詳) ジャム・カシミールのムジャヒディーン

 

サイード・サラフディーン(1946) ヒズブル・ムジャヒディーン最高指導者

アブドゥル・ジャバル・サビト(1946) アフガニスタンのムジャヒディーン

 

アブー・アイユーブ・アル=マスリー(1968~2010) ムジャーヒディーン評議会指導者

アブドゥル・ハク(1971) ムジャーヒディーン司令官

 

 

 


顕如の一族~万暦の三征、魔女狩り、オランダ東インド会社、スチュアート朝、老論派、バプティスト教会、メソジスト教会

顕如(1543~1592)

ヘンリー・ステュアート(1545~1567) ダーンリー卿

千少庵(1546~1614) 裏千家
伏見宮貞康親王(1547~1568)※画像無し

ヨハン・ファン・オルデンバルネフェルト(1547~1619) オランダ東インド会社創立

ピエール・ド・ランクル(1553~1631) 魔女狩り※画像無し

 

朝鮮:呉連石の乱(1557)
朝鮮:林巨正の乱(1558)
日本:伊勢長島一向一揆(1573)
日本:石山戦争(15)
日本:本能寺の変(1582)
朝鮮:鄭汝立の乱(1589)
中国:文禄の役(1592)

オランダ:オランダ東インド会社創立(1602)

 

600人以上の魔女という数字はランクル自身の妄想か誇張とされている。 ランクルが魔女狩りに精を出した理由は厚い信仰心によるものと、抑圧された性欲により拷問と称して少女達を痛めつけることで欲望を発散させていたという説もあり、拷問もほとんどランクルの独断で行われていたことから女性をレイプし、口封じの為に拷問して獄中死させ、殺害していたというのが真相のようである。 wikiより

 

※顕如は伏見宮貞康親王を同時に演じていた。これにより、自分の身に危険が迫るとすぐに伏見宮貞康親王に化けて公家の中に身を隠した。狡猾である。その狡猾な顕如は、忍者を騙すという新機軸により、偉大な武将、織田信長を油断させて討ち取った。顕如と教如の親子は、信長を油断させるという目的で、信長が放った間者が見ていることを前提に、長期間、仲違いの芝居をした。当時、忍者の情報は一種の権威であった。武将の中で、忍者の情報を疑うものは誰一人なかった。そもそも、忍者を信用していないなら用いることはないわけで。とにかく、顕如はその認識を逆手に取ったのだ。顕如と教如が芝居を演じていた証拠に、本能寺の変から数日も経つと、顕如と教如はあっさりと和解している。
また、一方で中国制覇の機会を狙っていた顕如は、優性遺伝子ブリーダーによって中国に何人もの子を儲けた。中でも力を持ったのがボハイや楊応龍であった。顕如は、自分の子である宇喜多秀家に指示し、文禄の役を指揮させ、同時に自分の子であるボハイや楊応龍にも蜂起を指示した。これが「万暦の三征」である。秀吉の意向はどこにもない。

また、顕如は23歳の時にスコットランドに渡り、メアリー1世と政略結婚し、ジェームズ1世(本多正純)を儲けた。その後、本願寺の要請を受けて顕如は日本に帰還し、信長を相手に石山戦争を戦う。だが、上記のように見事な謀略によって信長を討ち取ると、顕如は自分を49歳で死んだことにし、その後はフランスに移り、ピエール・ド・ランクルとしてフランスで魔女狩りを行った。また、同時にオルデンバルネフェルトとして「オランダ東インド会社」をも設立している。この旺盛な征服本能は、歴代の大谷家の誰にも負けないといえよう。

ランクル時代、日本人だった顕如の目にはヨーロッパ人の子女が美しく見えたのだろう。顕如は、白人少女を拷問し、陵辱し、惨たらしく殺害することで快楽を得ていたようだ。ランクルは600人以上を惨殺したことに対し誇りをもっていたという。その後、顕如はピエール・ド・ランクルとして88歳まで生きた。ランクルの名の由来は、日本語「乱れ狂う」かもしれない。乱れ狂う=乱狂(らんくる)=ランクルとなる。

 

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千少庵(顕如)の子

 

千宗旦(1578~1658) 三千家※画像なし

徳川秀忠(1579~1632) 徳川幕府第2代征夷大将軍

 

※狡猾な顕如の血を継ぐ秀忠は、一方では徳川幕府を簒奪し、もう一方では茶道をも簒奪しようとしている。

 

千宗拙(1592~1652)※画像なし

ホンタイジ(1592~1643) 後金第2代皇帝

 

※自分の流派を残さなかった千宗拙は、じつは満州でホンタイジを称し、満州族を率いて中国を侵略していた。

 

千宗守(生没年不詳) 武者小路千家

千宗左(生没年不詳) 表千家

千宗室(生没年不詳) 裏千家

 

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徳川秀忠の子

 

千姫(1597~1645)

朱常瀛(1597~1666)※画像なし

 

※千姫は女子として育てられた男子だった可能性もある。そうでなければ中国で皇帝になるのは難しい。千姫は結婚し、子どもも儲けたが、陰謀集団にとって偽装結婚など容易いことだ。

 

徳川忠長(1606~1634)

弘光帝(1607~1646) 南明初代皇帝※画像なし

 

※異母兄弟のホンタイジが満州の皇帝になったことに刺激を受け、自らも中国に渡っている。忠長は弘光帝を称し、南明初代の皇帝に即位した。どさくさに紛れて明の正統な後継を謳ったものである。

 

初姫(1602~1630)※画像なし

隆武帝(1602~1646) 南明第2代皇帝

 

※暗殺を防止するために女子として育てられたが、初姫は28歳で死んだことにし、その後は、中国に渡って隆武帝として南明の皇帝に即位した。

 

徳川和子(1607~1678)

紹武帝(1605~1647) 南明第3代皇帝※画像なし

 

※徳川和子は女子として育てられた男子だった可能性もある。そうでなければ中国で皇帝になるのは難しい。和子は結婚し、子どもも儲けたが、陰謀集団にとって偽装結婚など容易いことだ。

 

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千姫の子

 

幸千代(生没年不詳)

永暦帝(1623~1662) 南明第4第皇帝

 

※幸千代は女子として育てられた男子だった可能性もある。そうでなければ中国で皇帝になるのは難しい。幸千代は結婚し、子どもも儲けたが、陰謀集団にとって偽装結婚など容易いことだ。

 

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ヘンリー・スチュアート(顕如)の子

 

ジェームズ1世(1566~1625) スチュアート朝イングランド初代王 在位1603~1625

本多正純(1565~1637)

ロバート・セシル(1563~1612) 初代ソールズベリー伯

ジョン・スマイス(1570~1612) バプティスト創設

 

※狡猾な本多正純は、豊臣側に「国家安泰」と書かせて「これは家康の首を斬ろうとする暗示だ。謀反の証拠だ」と無理のある解釈をし、豊臣氏攻撃の口実を作ったのは顕如の子、本多正純である。本多は、大阪城の内堀を埋めることも提案した。

ジェームズ1世として生まれた本多正純は一度も日本の地を踏むことはなかった可能性がある。つまり、日本は異母兄弟(顕如の子)の影武者たちに一任していた。石山戦争後、本多正純の影武者たちは一旦、異母兄弟であるジェームズ1世を支援するためにスコットランドに馳せ参じた。影武者のひとりがロバート・セシルに化け、エリザベス1世に化けていたフランシス・ウォルシンガムを排除し、スコットランドとイングランドを合同統治した。

更に、ジェームズ1世はジョン・スマイスに化けてバプティストを築き、聖公会の影響力の排除に取り掛かる。その後、セシルは日本に帰還し、大坂の陣を指揮し、豊臣家を滅ぼすことになる。

 

本多政重(1580~1647) 本多正純弟
宇喜多秀家(1572~1655) 文禄の役総大将

ボハイ(?~?) ボハイの乱指揮者※画像なし
楊応龍(?~?) 播州の乱指揮者※画像なし

 

中国:ボハイの乱(1592)
中国:文禄の役(1592)
中国:播州の乱(1597)
日本:大阪の陣(1615)

 

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オルデンバルネフェルトの子

 

ヤン・ピーテルスゾーン・クーン(1587~1629) 第4代オランダ東インド会社総督

マルチン・ゲルリッツエン・フリース(1589~1647) オランダ東インド会社

ヨハネス・アモス・コメニウス(1592~1670) モラヴィア兄弟団監督

 

1643年、オランダ東インド会社に所属するマルチン・ゲルリッツエン・フリースは、東インド総督の命を受けて日本の東方沖にあるとされた金銀島探検のために結成された第2回太平洋探検隊の司令官として太平洋を北上し、ヨーロッパ人で初めて択捉島と得撫島を発見した。そして、それぞれスターテン・ラント(オランダ国の土地)とコンパニース・ラント(オランダ東インド会社の土地)と命名して領土宣言をした。 wikiより

 

※クーンが指示したアンボイナ事件の様子

 

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宇喜多秀家の子

 

宇喜多太兵衛(?~?)※画像なし
李自成(1606~1645) 新順王
張献忠(1606~1647) 大西皇帝※画像なし
宋時烈(1607~1689) 老論派の祖

 

中国:李自成の乱(1631)

 

※宇喜多太兵衛は日本を離れて中国に潜伏し、李自成と張献忠を同時に称した。李自成と張献忠のコンビは、じつは2人で1人だった。張献忠は農民60万人を率いて四川を制し、大西皇帝を称した。彼は、イエズス会士2人を人質にし、四川で「屠蜀」と呼ばれた大虐殺を行っている。四川の人口は著しく減少し、人質としてすべてを目撃したイエズス会士は、四川の人口が310万が2万弱にまで減ったと報告している。
張献忠の時代にタナトスの血が甦ったのか、張献忠は部下1万3千人を「間違った思想の持ち主」という汚名を着せて全員を斬首し、何もすることがなかった夜には妻、妾数十人、子供まで殺害したという。子供の殺害法は「貫戯」と呼ばれ、子供たちを秀取り囲んであぶり殺しにしたという。尚、張献忠は交戦中に射殺されたとされているが、実際には生き延びて李氏朝鮮に潜伏した。彼は、朝鮮儒教老論派を築く宋時烈として新たに出現した。老論派は、李氏朝鮮の政権に関与した。李自成と宋時烈の肖像画を見比べると非常に良く似ている。他人とは思えない。これは偶然なのか?それとも双方の画家が確かな腕を持っていたということなのか?

 

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ジェームズ1世(スチュアート朝)の子

 

チャールズ1世(1600~1649) スチュアート朝イングランド第2代王 在位1625~1649

 

イギリス:船舶税施行(1634)

イギリス:第二船舶税(1635)

イギリス:船舶税反対運動(1637)

イギリス:スコットランド教会監督制度廃止(1638)

イギリス:第一次司教戦争(1639)

イギリス:清教徒革命(1642)

 

宗教弾圧、スコットランド・アイルランドの反乱発生など数々の失政で議会の反発を生み清教徒革命(イングランド内戦)が勃発、敗れて処刑された。 wikiより

 

チャールズ2世(1630~1685) スチュアート朝イングランド第3代王 在位1660~1685

コーネリウス・スペルマン(1628~1684) オランダ軍提督

 

イギリス:第二次英蘭戦争(1665~67)

イギリス:第一秘密集会禁止法(1665)

イギリス:ロンドン大火(1666)

イギリス:第二秘密集会禁止法(1670)

 

ピューリタン革命の危険が高まったため、1646年に母たちとフランスに亡命し、1648年に義弟のウィレム2世を頼ってオランダのハーグに住んだ。同年に父方の従兄のカンバーランド公ルパートと共にオランダから艦隊に乗り込み出航したが、具体的な目的が定まらないまま撤退、翌1649年1月30日、イングランドを離れなかった父は処刑され、イングランドは護国卿オリヴァー・クロムウェルらが指導する共和国となった。wikiより

 

1660年よりオランダ東インド会社は、スラウェシ島のマカッサル西海岸でゴワ王国との戦争に突入し、1669年にスペルマン提督が、スルタンのハサヌディンに、オランダ東インド会社のスラウェシ島支配に関するボンガヤ条約を署名させた。1665年から1667年にかけての第二次英蘭戦争で、バンダ諸島(東インド諸島モルッカ諸島)にあるラン島(香辛料貿易)とニューアムステルダム(毛皮貿易)の自治権と交換して獲得し、香辛料貿易(ナツメグ、クローブ等)の独占を図った。イギリスは既に種子を持ち出しており、1815年頃からモーリシャスやグレナダなどでプランテーションを開始すると、香辛料はありふれた商品となってバンダ諸島の価値は相対的に下がっていくことになった。 wikiより

 

※チャールズ2世はイギリス統治を影武者に一任し、自身はオランダ軍提督としてインドネシアを侵略することに余念がなかった。チャールズ2世扮するスペルマンは、以下のようなタナトスの要領でインドネシアを330年間支配した。

 

1.原住民を文盲のまま放置し、土候を使って間接統治

2.キリスト教に改宗したものは優遇して警察官や軍人に登用

3.オランダとインドネシアの混血児童を中間階級として使用し、民族の分断を謀る

4.社会の流通経済は華僑にやらせ、経済搾取によるインドネシア人の憤慨とj憎悪を華僑に集中させる

5.一切の集会や団体行動を禁止する

6.全国各地で用いられていた320の部族語をそのままにして1つの標準語にまとめ企てを禁止する

 

ジェームズ2世(1633~1701) スチュアート朝イングランド第4代王 在位1685~1688

 

イギリス:邪教信者に命じ、アイザック・ニュートンに集団ストーカーを実施

 

ウィリアム・メアリーでなくジェームズこそ正統なる王であるという人々はジャコバイトとよばれ、ジャコバイト運動はたびたび名誉革命体制イングランドを脅かした。ジェームズの死後、ジャコバイトはジェームズの息子ジェームズ老僭王を推戴して活動を続けた。 wikiより

 

メアリー2世(1662~1674) スチュアート朝イングランド第5代王

 

※夫のウィリアム3世の共同統治者として共に王位に即いていた。

 

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チャールズ2世(スチュアート朝)の子

 

チャールズ・レノックス(1701~1750)  第2代リッチモンド公爵

ジョン・ウェスレー(1703~1791) メソジスト教祖

ジョナサン・エドワーズ(1703~1758) 大覚醒運動リバイバル指導者

ニコラウス・フォン・ツィンツェンドルフ(1700~1760) モラヴィア兄弟団指導者

 

※聖公会の影響力の排除を目的としてレノックスがウェスレーに化けてメソジスト教会を築いた。ウェスレーはチャールズ2世の影武者をしていたコーネリウス・スペルマンに良く似ている。

 

チャールズ・ウェスレー(1707~1788) ジョン弟

ジョージ・ホウィットフィールド(1714~1770) メソジスト信仰復興指導者

ジョン・ラッセル(1710~1771) 第4代ベッドフォード公

 

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ジョン・ラッセル(第4代ベッドフォード公)の子

 

フランシス・ラッセル(1739~1767) タヴィストック侯爵

ジョン・キャロル(1735~1815) カトリック

 

フランシス・ラッセル(1765~1802) 第5代ベッドフォード公※画像なし
トマス・キャンベル(1763~1845) 復古運動

 

アイルランドおよびアメリカの牧師、伝道師、農場経営者である。ディサイプルス教会の指導者として、アメリカで起こった第二次大覚醒において高名な改革者となった。 wikiより

 

ジョン・ラッセル(1766~1839) 第6代ベッドフォード公

 

ウィリアム・ラッセル(1767~1840) フランシス・ラッセルの子※画像なし

バートン・W・ストーン(1772~1844) 長老派

 

バートン・ストーンは、19世紀初めのアメリカで起こった第二次大覚醒において、重要な指導者・牧師である。彼は当初、長老派教会にて聖職者となり、1801年にはケンタッキー州にてケーンリッジ・リバイバルを導いた。 しかしストーンは長老派教会の教理、特にウェストミンスター信仰告白に関する疑問・論争をきっかけに長老派教会から分離すると、1803年に他の4名とともにスプリングフィールド長老会を創設した。 wikiより

 

フランシス・ラッセル(1788~1861) 第7代ベッドフォード公
ウィリアム・チャニング(1780~1842) ユニテリアン・ユニヴァーサリスト

 

ジョン・ラッセル(1792~1878) 第32代イギリス首相、初代ラッセル伯爵

チャールズ・フィニー(1792~1875) 第二次大覚醒指導者

アレクサンダー・キャンベル(1788~1866) 復古運動

 

ウィリアム・ラッセル(1809~1872) 第8代ベッドフォード公※画像なし

ブリガム・ヤング(1801~1877) モルモン教指導者

 

アメリカ合衆国の宗教家、政治家。1847年から末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長をつとめ、ソルトレイクシティを設立し、1850年から1858年までユタ準州初代知事をつとめていた。また、末日聖徒イエス・キリスト教会の十二使徒定員会の大管長を1838年から1847年までつとめた。ブリガム・ヤング大学はその栄誉を称えて名付けられた。 wikiより

 

※モルモン教創立者ジョセフ・スミス・ジュニア兄弟の殺害を指示し、モルモン教を簒奪したと考えられる。ジェームズ・ブキャナン大統領率いるアメリカ陸軍に対し、ユタ戦争を戦った。

 

フランシス・ラッセル(1819~1891) 第9代ベッドフォード公※画像なし

ベンジャミン・タイタス・ロバーツ(1823~1893) 自由メソジスト教会創立

ラザフォード・ヘイズ(1822~1893) 第19代アメリカ大統領

 

クロード・ラッセル(1871~1959) 第6代ベッドフォード公ジョン・ラッセル曾孫※画像なし

ベン・M・ボガード(1868~1951) アメリカ・バプティスト連盟創立※画像なし

チャールズ・パーハム(1873~1929) ペンテコステ派初代指導者

ウォレン・ハーディング(1865~1923) 第29代アメリカ大統領

スタンリー・ボールドウィン(1867~1947) 第55、57、59代イギリス首相

ラムゼイ・マクドナルド(1866~1937) 第56、58代イギリス首相

ネヴィル・チェンバレン(1869~1940) 第60代イギリス首相

 

マーティン・バジル・ポール・ラッセル(1918~?) 第6代ベッドフォード公ジョン・ラッセル玄孫※画像なし

ビリー・グラハム(1918~2018) リバイバル運動

 

 

 


教如の一族~織田信雄、江戸時代の天皇、カメハメハ大王、トンガ王国、サモア独立国、フィジー共和国、エチオピア連邦民主共和国

教如(1558~1614)
織田信雄(1558~1630)

藤堂高虎(1556~1630)※画像なし

 

中国:慶長の役(1597)
日本:関ヶ原の合戦(1600)

 

※顕如は、偉大な武将、織田信長対策として、証如の子(荒木村重、明智光秀)を投入して信長の周囲に配置したが、顕如の子、教如も織田信雄に化けて秀吉や家康の至近距離にスタンバっていた。大谷は有利な方に付き、味方を演じながら、頃合を見計らって裏切り、すべてを簒奪することがある。信雄が教如である証拠に、本能寺の変の際、近江国まで進軍したものの、戦わないまま撤退している。信雄は「伊賀忍者が不穏な動きをしていた。兵数が2500では心もとない」と無理がある言い訳を残している。伊賀の乱ではわざと負けて信長に「親子の縁を切る」と叱責されながら、本能寺の変直後には失火で安土城を焼いている。教如による意図的な陰謀だとしか考えられない。

 

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織田信雄(教如)の子

 

織田信良(1584~1626)

 

織田高長(1590~1674)

 

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織田信良の子

 

稲葉信通正室(生没年不詳)

 

稲葉知通(1652~1706) 稲葉信通正室の子

 

稲葉恒通(1690~1720) 稲葉知通の子

 

勧修寺経逸(1748~1805) 23代当主・稲葉恒通の孫

 

勧修寺ただ子(1780~1843) 勧修寺経逸の子

 

仁孝天皇(1800~1846) 第120代天皇・勧修寺ただ子の子

三条実万(1802~1859) 幕末の公卿

鷹司輔煕(1807~1878) ※画像なし

近衛忠煕(1808~1898) 孝明天皇養育係※画像なし

堀田正睦(1810~1864) 下総佐倉藩第5代藩主・江戸幕府老中首座

カメハメハ2世(1797~1824) 第2代ハワイ王

 

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仁孝天皇の子

 

安仁親王(1820~1821)

阿部正弘(1819~1857) 備後福山藩第7代藩主・江戸幕府老中首座

 

※阿部正弘は安政の改革を断行した。

 

 

孝明天皇(1831~1867) 第121代天皇

 

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織田高長の子

 

織田長頼(1620~1689)

 

織田信武(1655~1694) 織田長頼の子

 

織田信休(1678~1723) 織田信武の子※画像なし

東山天皇(1675~1710) 第113代天皇

 

中御門天皇(1702~1737) 第114代天皇・東山天皇第五皇子

 

閑院宮直仁親王(1704~1753) 東山天皇第六皇子

 

桜町天皇(1720~1750) 第115代天皇・中御門天皇の子

一条道香(1722~1769) 公卿・江戸幕府関白※画像なし

九条尚実(1717~1787) 公卿・江戸幕府関白※画像なし

 

※一条道香と九条尚実は、宝暦事件で尊王論者を弾圧した。宝暦事件を指揮していたのは竹内敬持(乾隆帝)だった。

 

後桜町天皇(1740~1813) 第117代天皇・桜町天皇の子

 

桃園天皇(1741~1762) 第116代天皇・桜町天皇の子

鷹司輔平(1739~1813) 公家・江戸幕府関白※画像なし

 

※鷹司輔平は、宝暦事件で尊王論者を弾圧した。宝暦事件を指揮していたのは竹内敬持(乾隆帝)だった。

 

後桃園天皇(1758~1779) 第118代天皇・桃園天皇の子

カメハメハ1世(1758~1819) 初代ハワイ王

 

※カメハメハ大王の正体は後桃園天皇だった可能性がある。カメハメハの由来は不明。

 

光格天皇(1771~1840) 第119代天皇・東山天皇の曾孫

 

※同じ織田信雄の子孫である勧修寺経逸女の娘ただ子と結婚して仁孝天皇(カメハメハ2世)を儲けている。

 

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カメハメハ3世(1813~1854) ハワイ王

 

カメハメハ4世(1834~1863) ハワイ王

 

カメハメハ5世(1830~1872) ハワイ王

 

ルナリロ(1835~1874) ハワイ王

 

カラカウア(1836~1891) ハワイ王

 

※初の外国元首の来日となった日本では、明治天皇と会見しカイウラニ王女と山階宮定磨王(のちの東伏見宮依仁親王)の政略結婚を要請した。これはハワイ王室が後桃園天皇と仁孝天皇の後継だということを示している。しかし、明治天皇は大谷光勝の子であるため、断っている。

 

リリウオカラニ(1838~1917) ハワイ女王

 

※リリウオカラニ女王の時代にハワイはアメリカに併合されたが、大谷光勝や大谷光榮の子が治める大日本帝国は当然、教如の末裔であるハワイ王国の独立を支持し、ハワイ女王も大日本帝国に救援を要請していた。このような助け合いは、先祖を同じくするもの同士ならではである。

 

アビゲイル・カピオラニ・カワナナコア(1903~1961) カワナナコア朝ハワイ王国女王

 

※ハワイ王は廃位されたが、子孫であるカワナナコア家がハワイ王位を継承し続けた。

 

カラカウア2世(1904~1953) カワナナコア朝初代王

トゥプア・タマセセ・メアッオレ(1905~1963) サモア初代国家元首

 

エドワード・A・カワナナコア(1924~1997) カワナナコア朝ハワイ王

カミセセ・マラ(1920~2004) フィジー初代首相

ギルマ・ウォルドギオルギス(1924~2018) エチオピア連邦民主共和国第2代大統領 任期2001~2013

 

トゥイマレアリッイファノ・スアラウヴィ2世(1947) 第3代サモア国家元首

ネガソ・ギダダ(1943) エチオピア連邦民主共和国初代大統領

 

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タウファアハウ・トゥポウ4世の子

 

 

トゥポウ6世(1959) トンガ王 在位2012~現在

ムラトゥ・テショメ(1956) エチオピア連邦民主共和国第6代大統領 任期2013~2018

 

サローテ・マフィロ・ピロレヴ・トゥイタ(1951)

サーレワーク・ゼウデ(1950) エチオピア連邦民主共和国第7代大統領 任期2018~

 

 

 


宣如の一族~ハプスブルグ家、ブルボン家、プファルツ朝スウェーデン王、フルベ聖戦、イスラーム・マグリブ諸国のアル=カーイダ機構

宣如(1602~1658)
アレクサンデル7世(1599~1667) ローマ教皇 在位1655~1667

フェリペ4世(1605~1665) ハプスブルグ朝スペイン王 在位1621~1665

相良頼寛(1601~1667) 肥後人吉藩の第2代藩主

 

イギリス:土地囲い込みに対する農民の反抗(1607)
スペイン:ユダヤ人迫害(1609)
中国:山東白蓮教徒の乱(1622)
朝鮮:李カツの乱(1624)
朝鮮:劉興治の乱(1630)
フランス:ノルマンディー農民の反乱(1639)
西欧:蓋然説、イエズス会非難(1666)

 

※宣如は、浄土真宗を邪教として禁じている薩摩藩に潜入するべく、相良氏の血筋を簒奪し、人吉藩を掌握した。宣如は人吉藩を基地に、隣の薩摩藩に「隠れ念仏」の土壌を形成した。この土壌形成が、後の薩摩戦争・薩長同盟・西南戦争に於いて奏功することになる。

また、一方ではイギリス、ノルマンディーで農民の反乱が起きているが、農民の反乱の背後には必ず大谷がいる。宣如はアレクサンデル7世としてローマ教皇を務めながら、影で大量の信者に指示し、農民の反乱を指揮していたのだ。

 

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フェリペ4世の子

 

マリア・マルガリータ(1621)※画像なし

カール10世(1622~1660) プファルツ朝初代スウェーデン王

 

マリア・アンブロシア(1655)※画像なし

カール11世(1655~1697) プファルツ朝第2代スウェーデン王

 

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フェリペ4世の子

 

マリア・エウヘニア(1625~1627) ※画像なし

クリスティーナ(1626~1689) ヴァーサ朝スウェーデン女王 在位1632~1654

 

※マリア・エウヘニアは2歳で死んだことにして、敵であるダヴィデの一族が統治するヴァーサ朝に養子として送られた。そして、宣如の一族の思惑通り、クリスティーナは子を残さずにヴァーサ朝最後の女王としてヴァーサ朝をつぶした。

 

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フェリペ4世の子

 

マリア・アナ・アントニア(1636) ※画像なし

マリアナ・デ・アウストリア(1634~1696) フェリペ4世の妃

 

※マリアアナは、早世したことにして敵であるダヴィデの一族が治めるハプスブルグ朝神聖ローマ皇帝フェルディナント3世のもとに養子として送り込まれた。その後、父であるフェリペ4世(宣如)と結婚している。

 

カルロス2世(1661~1700) ハプスブルグ朝スペイン王・マリアナ・デ・アウストリアの子

 

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フェリペ4世の子

 

マリー・テレーズ・ドートリッシュ(1638~1683) フェリペ4世の子・ルイ14世の妃

 

ルイ・グラン・ドーファン(1661~1711) マリー・テレーズ・ドートリッシュの子

 

ルイ(1682~1712) ルイ・グラン・ドーファンの子

 

ルイ15世(1710~1774) ブルボン朝第4代フランス王

 

ルイ・フェルディナン(1729~1765) フランス王太子・ルイ15世の子

 

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ルイ・フェルディナンの子

 

マリー=テレーズ(1746~1748) ※画像なし

カール13世(1745~1818) ホルシュタイン=ゴットルプ朝スウェーデン王

 

※当初、保身のために女子として育てられた。

 

エリザベート・フィリッピーヌ・ド・フランス(1764~1794) ※画像なし

カール14世ヨハン(1763~1844) ベルナドッテ朝初代スウェーデン王

 

※保身のために当初は女子として育てられた。

 

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ルイ・フェルディナンの子

 

ルイ16世(1754~1793) ブルボン朝第5代フランス王

ウスマン・ダン・フォディオ(1754~1817) ソコト帝国初代皇帝※画像なし

 

※マリー・アントワネットは確実に処刑されたが、ルイ16世は宣如の一族であるため、身代わりが処刑され、本体はアフリカに逃亡した。逃亡先のハウサ諸国にて、ウスマン・ダン・フォディオを名乗り、ソコト帝国を築いた。ルイ16世はアフリカ人イスラム教徒を指揮して「フルベの聖戦」を実施したが、フルベの由来はブルボンである。ブルボン=フルボン=フルベとなる。

 

ルイ18世(1755~1824) 王政復古期フランス王

 

シャルル10世(1757~1836) 王政復古期フランス王

 

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ルイ・アントワーヌ(1775~1844) アングレーム公・シャルル10世の子

セク・アマドゥ(1776~1845) マッシーナ帝国※画像なし

 

※ルイ・アントワーヌは、ロンドンに逃亡したが、ルイ16世が逃亡したアフリカにも赴き、セク・アマドゥを名乗ってマッシーナ帝国を築いた。ルイとセクの生没年が一年違いなのが興味を引くところである。明らかに同一人物である。

 

ルイ17世(1785~1795) ルイ16世の子

ウマール・タル(1794~1864) トゥクロール帝国皇帝※画像なし

アブー・セッキン・モハマド4世(?~1870) ケンガ朝バギルミ王 在位1858~1870※画像なし

アリ・イブン・ムハマド(?~1874) アッバシ朝ワダイ王 在位1858~1874※画像なし

フランソワ・アラゴ(1786~1853) 第25代フランス首相

 

※ルイ17世は、10歳で死んだことにし、潜伏・逃亡し、アフリカで成人した。ルイ17世は成人してからウマール・タルを名乗り、トゥクロール部族を指揮下に置いてトゥクロール帝国、バギルミ帝国、ワダイ帝国を築いた。その後、フランソワ・アラゴとしてフランスに帰還し、首相に就任している。1853年、彼は再度死んだことにし、アフリカに帰還してその後の20年をトゥクロール皇帝、ワダイ王として過ごしている。

 

エマニュエル・アラゴ(1812~1896) フランソワ・アラゴの子

パトリス・ド・マクマオン (1808~1893) フランス第3代大統領

 

エマニュエル・ド・マクマオン(1859~1930) パトリス・ド・マクマオン子※画像無し

アレクサンドル・ミルラン(1859~1943) 第12代フランス大統領

ジャック・アントワン・オリオール(1855~1933) ヴァンサン・オリオール父※画像無し

 

ヴァンサン・オリオール(1884~1966) フランス第16代大統領

ジョセフ・ミッテラン(生没年不詳) フランソワ・ミッテラン父※画像無し

 

ジャン・ミルラン(1899~1972) アレクサンドル・ミルランの子※画像無し

ジョルジュ・ビドー(1899~1983) フランス首相

ジャン・エドムンド・ルシアン・ジスカール・デスタン(1894~1982) ヴァレリー・ジスカール・デスタン父※画像無し

 

ジャック・ミルラン(1904~1979) アレクサンドル・ミルランの子※画像無し

イーヴ・ゴダール(1911~1975) 秘密軍事組織OAS指導者

ジョルジュ・ポンピドゥー(1911~1974) フランス第19代大統領

 

フランソワ・ミッテラン(1916~1996) フランス第21代大統領

ロベルト・ジュペ(1915~1998) アラン・ジュペ父※画像無し

 

ヴァレリー・ジスカール・デスタン(1926) フランス第20代大統領

Mohamed Ben Ahmed Abdelghani(1927~1996) アルジェリア第2代首相※画像無し

Pál István Ernő Sárközy de Nagy-Bócsa(1925~2017) サルコジ父

ハビエル・ド・ヴィルパン(1926~2014) ドヴィルパン父

Houari Boumédiène(1932~1978) アルジェリア第2代大統領

Ali Kafi(1928~2012) アルジェリア国家最高委員会議長※画像無し

 

アラン・ジュペ(1945) フランス第15代首相

リアミーヌ・ゼルーアル(1941) 第4代アルジェリア元首

 

アンリ・ジスカール・デスタン(1956) ヴァレリー・ジスカール・デスタンの子※画像無し

ドミニク・ド・ビルパン(1953) フランス第18代首相

ニコラ・サルコジ(1955) フランス第23代大統領

 

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アラン・ジュペの子

 

ローラン・ジュペ(1967)※画像無し

ハサン・ハッターブ(1967) イスラーム・マグリブ諸国のアル=カーイダ機構指導者

 

※時の政府がテロリストを指揮することを考えれば、アラン・ジュペ(リアミーヌ・ゼルーアル)の子と考えられる。顔も良く似ている。

 

氏名生年不詳

アブデルマレク・ドルゥークデル(1970) イスラーム・マグリブ諸国のアル=カーイダ機構指導者

モフタール・ベルモフタール(1972) イスラム聖戦士血盟団指導者

 

※時の政府がテロリストを指揮することを考えれば、2人(同一人物?)イッセン・ハブレの子と考えられる。顔も良く似ている。イスラーム・マグリブ諸国のアル=カーイダ機構が、チュニジアの「ジャスミン革命」とリビアのカザフィー大佐の虐殺を指揮した。イスラーム・マグリブ諸国のアル=カーイダ機構はフルベの聖戦の残党と考えられる。ベルモフタールはアブデルマレクの影武者と考えられるが、独立してイスラム聖戦士血盟団を結成している。だが、彼の顔は気持ち悪いので人間の肉を食べていると考えられる。

 

 

 


琢如の一族~英蘭戦争、マラーター王国、ベンガル太守、アワミ連盟、バングラデシュ、ジャマート=ウル=ムジャーヒディーン

琢如(1625~1671)
ウィレム2世(1626~1650) オランダ総督

シヴァージー(1627~1680) 初代マラーター王

 

イギリス:第一次英蘭戦争(1652~54)
日本:江戸明暦の大火(1657)
イギリス:第二次英蘭戦争(1665~67)
イギリス:第1次秘密集会禁止法(1665)
イギリス:ロンドン大火(1666)
朝鮮:全国大飢饉(1671)

 

※琢如は、証如が築いたものを継承し、ウィレム2世として生きた。彼の人生の目的はイングランドを掌中に治めることだった。ウィレム2世は、イングランド国内のカンタベリー大主教(クリュニー会)と結んでいた。両者の共通の敵は、第一次の時はクロムウェルであり、第二次と第三次の時はスチュアート朝である。クリュニー会は、ロンドンに火をつけたりイギリス国内に黒死病を撒き散らしたりした。
しかし、かしこく、力があり、善人であるデ・ウィット兄弟がオランダに出現すると、ウィレム2世は、すぐに死んだことにして潜伏し、隠れながらデ・ウィット兄弟を監視し、襲撃の機会を狙っていた。ウィレム2世は早速、デ・ウィット兄弟がウィレム3世の暗殺を企てているという嫌疑をデッチあげて逮捕した。コルネリウス・デ・ウイットは無罪を主張したが、この時にウィレム2世は偽証の疑いをかけ、拷問に及んだ。コルネリウスは拷問に耐えて自白を阻んだため、反逆罪については嫌疑不十分となったが、偽証罪で追放処分を受けた。この時、ウィレム2世は大量の信者たちに指示し、デ・ウィット兄弟がいるハーグ監獄博物館を取り囲むことを指示した。デウイット兄弟を殺すようにとウィレム2世に操られた民衆は、看守の制止を振り切って兄弟を引き釣り出して殺害したという。ウィレム2世はうまく不祥事に見せかけているが、これは巧妙に仕組まれた、殺人を目的にした工作事案である。これが大谷の殺し方だ。

その後、潜伏していたウィレム2世はインドに赴いてシヴァージーとしてマラーター王国を築き、イングランドではジョージ・フォックスに化けてクェーカー教を築いた。フォックスの名の由来は稲荷神社の狐である。こういうことが可能なのも異母兄弟の庶子を影武者として動員しているからだ。

 

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ウィレム2世(琢如)の子

 

ヘンドリック・ファン・ナッサウ=アウウェルケルク(1640~1708)

アントニー・ヘインシウス(1641~1720)

 

※ホラント州の法律顧問であり、オランダ東インド会社のデルフト会議所の委員に就任していたヘインシウスは息子であるウィレム3世を支えた。また、ヘインシウスは同時にアウウェルケルクをも演じていたが、アウウェルケルクの時にも軍人として息子であるウィレム3世を支えた。

 

ヘンリー・デ・マシュー(1648~1720)

ウィリアム・ベンティンク(1649~1709)

ジョン・チャーチル(1650~1722) 初代マールバラ公

 

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シヴァージー(琢如)の子

 

サンバージー(1657~1689) 第2代マラーター王

ムルシド・クリー・ハーン(1665~1727) 初代ベンガル太守

 

シュジャー・ウッディーン・ムハンマド・ハーン(1670~1739) 第2代ベンガル太守

アリーヴァルディー・ハーン(1671~1756) 第4代ベンガル太守

ナラサー・ラージャ2世(1672~1714) 第15代マイソール王

 

シヴァージー2世(1696~1726) 第3代マラーター王

ミール・ジャアファル(1691~1765) 第6代ベンガル太守

 

シャーフー(1682~1749) 第4代マラーター王

 

ラージャーラーム2世(1726~1777) 第5代マラーター王※画像なし

シラージュ・ウッダウラ(1728~1757) 第5代ベンガル太守

クリシュナ・ラージャ2世(1728~1766) 第18代マイソール王※画像なし

 

※ウッダウラがじきじきに「ブラックホール事件」を指揮した。彼が、家族であるミール・ジャアファルと敵対関係を演じていたのは、フランスを騙すのが目的だった。大谷の一族であるベンガルとイギリスは、敵であるフランスを戦争に引きずり込みたかった。そのためには、まずベンガルがイギリスと戦争をしなければならなかった。そうなればベンガルと同盟関係を結んでいるフランスは参戦しなければならない。

その口実として、イギリスとベンガルは共謀し、何の罪もないイギリスの一般市民を南国の狭い牢獄に200人も閉じ込め、全員が死ぬまで放置した。そして、イギリス政府は、「我々の家族を無残に殺した非道なベンガル人を許すわけにいかない!」とイギリス国民に訴え、フランスとの戦争にこぎつけた。これが「ブラックホール事件」である。

 

シャーフー2世(1763~1808) 第6代マラーター王

 

プラタープ・シング(1793~1847) 第7代マラーター王

ザイヌッディーン・アリー・ハーン(1791~1821) 第14代ベンガル太守

アフマド・アリー・ハーン(1795~1824) 第15代ベンガル太守

 

シャハージー(1802~1848) サーターラ藩主

ムバーラク・アリー・ハーン2世(1810~1838) 第16代ベンガル太守

 

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ベンガル太守ムバーラク・アリー・ハーン2世の子

 

マンスール・アリー・ハーン(1830~1884) ベンガル太守

 

ハサン・アリー・ミールザー・ハーン(1846~1906) マンスール・アリー・ハーンの子(ベンガル太守)

 

マンスール・アリー・ハーンの子(生没年不詳)※画像なし

ジョージ・クルゾン(1859~1925)

 

※東ベンガルとアッサムの創設を開始した。マンスール・アリー・ハーンは41人の子を儲けたがクルゾンはその中の一人である可能性が高い。

 

サイイド・モシン・アリ・ミルザ・バハドゥル(1892?~?) ハサン・アリー・ミールザー・ハーンの子※画像なし

フセイン・シャヒード・シュラワルディー(1892~1963) アワミ連盟初代党首

Sheikh Lutfar Rahman(生没年不詳) ムジブル・ラフマン父※画像なし

 

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Sheikh Lutfar Rahman(フセイン・シャヒード・シュラワルディー)の子

 

ムジブル・ラフマン(1920~1975) アワミ連盟・バングラデシュ初代大統領

MA Wadud(1925~1983) Dipu Moni父※画像無し

 

Sheikh Fazilatunnesa Mujib(1930~1975) ムジブル・ラフマン妻※画像無し

ジルル・ラーマン(1929~2013) アワミ連盟・バングラデシュ第17代大統領

 

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ムジブル・ラフマンの子

 

シェイク・ハシナ(1947) アワミ連盟党首・バングラデシュ第18代外務大臣

 

Sheikh Kamal(1949~1975)

アブドゥル・ハーミド(1944) アワミ連盟・バングラデシュ第16代大統領

Anisul Islam Mahmud(1947) バングラデシュ第8代外務大臣※画像無し

Abul Hassan Mahmood Ali(1943) バングラデシュ第19代外務大臣

AK Abdul Momen(1947) バングラデシュ第20代外務大臣

 

Sheikh Russel(1964~1975)※画像無し

Ilyas Kashmiri(1964~2011) ハルカト=ウル=ジハード・アル=イスラーミー首領

 

※2016年のダッカ・レストラン襲撃人質テロ事件を指揮した。911だけでなく、テロが発生する時、それは時の政府がテロを指揮しているということがよく分かる。

 

Dipu Moni(1965) バングラデシュ第16代外務大臣・MA Wadud娘

 

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シェイク・ハシナの子

 

 

Sajeeb Wazed(1971)

Bangla Bhai(1970~2007) ジャマート=ウル=ムジャーヒディーン首領

 

※2016年のダッカ・レストラン襲撃人質テロ事件を指揮した。

 

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Dipu Moniの子

 

 

Tawquir Rashaad Nawaz(生年不詳)

ワ・ロン(1986)

チョー・ソウ・ウー(1990)

 

 

 



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