目次
目次
まえがき 悪の足跡の追求
タナトスの解説(集団ストーカーの指揮者、対人恐怖を作る人々)
タナトスの一族~カニバリズム、人身御供、アトランティス王国、最終戦争ラグナロク、タングート、西夏、アサシン教団、狼男、チャガタイ・ハン国、タウングー朝、ズールー帝国、アフリカ独立運動、ボコ・ハラム
ティールタンカラの一族~アーリア人、仏教、継体天皇、中臣鎌足、藤原不比等、白河天皇、鳥羽天皇、マリ帝国、聖フェーメ団、ジェノヴァ共和国、ルクセンブルク公国、モナコ公国
デウスの一族~ジャイナ教、河伯、サータヴァーハナ朝、フン族、アッティラ帝王、稲荷神社、九頭龍、風水、足利尊氏、後醍醐天皇、シャーマニズム、クエーカー教、住友財閥、三井財閥
ダーナ神族の一族~ディオニュソス、デニエン人、猿田彦、契丹、デーン人、鬼、酒呑童子、ハーバード大学、ジョージ・ワシントン大統領、アメリカ連合国、統一イタリア王国、カナダ、ニュージーランド、阿含宗
アブラハムの一族~シュメール文明、エフライム族、バアル、アフラマズダー、ゾロアスター教、マケドニア王国、聖徳太子、ピサ共和国、奥州藤原氏、フランシスコ・ピサロ、ヴァーサ朝、フィンランド共和国
預言者ナタンの一族~ラピタ文化、ダン族、ソロモン王、ミディアン人、ストーンヘンジ、アテーナイ王国、ヒクソス、アマルナ宗教改革、ケント王国、最澄、空海、源氏・平氏、マフディー国家
アッシュール・ダン1世の一族~魔神アスラ、タニス、北イスラエル王国、アルメニア王国、グノーシス主義、コプト教、聖コルンバ、アルシング議会
ガリアのドルイド司祭(東本願寺)の一族~アテネ民主制、ローマ執政官、ソピテース、デマゴーグ、ヘロデ大王、ローマ帝国、フィリキ・エテリア、青年トルコ革命、クルディスタン労働者党
聖ドナトゥスの一族~渤海王、ブワイ朝、テンプル騎士団、ジンバブエ王国、ダホメー王国、ハイチ帝国、トンガ王国、リベリア共和国、ブータン王国、黒人地位向上協会、バハーイー教
ローマ教皇レオ1世の一族~ランゴバルト王国、メロヴィング朝、マズダク教、ウイグル可汗、浄土教、曹洞宗、ノルマン人、カルマル同盟、出雲大社、コーザ・ノストラ、オーストラリア、バチカン市国委員会
クリュニー大主教ベルノの一族~ナバラ王国、フランク・ローマ皇帝、カペー朝フランス王、民衆十字軍、土肥実平、長宗我部氏、キャンディ王国、三菱財閥、モロ民族解放戦線、ルワンダ大虐殺
クリュニー大主教アイマールの一族~キエフ大公国、シトー会、北条時政、聖フランチェスコ会、シチリア王国、イタリア共和国
クリュニー大主教ヒューの一族~ヒメネス朝ナバラ王、バルセロナ朝アラゴン王、ブルゴーニュ朝カスティーリャ王、バルバロス・ハイレッディン、チュニジア、アルジェリア、ユニオン・コルス
カペー朝ルイ7世の一族~メリナ王国、カンボジア王国、カリブ族、四季協会、ゴーストダンス、マウマウ団、ドラヴィダ進歩党、カーゴカルト、パプアニューギニア、クメール・ルージュ
カペー朝フィリップ2世の一族~ドイツ騎士団、白蓮教、小西行長と弥助、マラッカ王国、ブルネイ帝国、ベネズエラ共和国、リンガトゥ教、呪術師スビキロ、バラク・オバマ、フアン・グアイド
親鸞の一族~浄土真宗、時宗、一向宗、世界初の精神病院ベドラム、ブルゴーニュ朝・アヴィス朝ポルトガル王国、コンキスタドール、メキシコ帝国、麻薬カルテル
如信の一族~魔女狩り解禁、異端審問、伊勢大社、カペー朝フランス王、ボルボン朝スペイン王、スペイン共和国
覚如の一族~紅巾の乱、華僑、百年戦争、殺人集団タギー、琉球王国、アチェ王国、黎朝ベトナム帝国、白蓮教、シンガポール、日清食品、社会民主党、全能神
善如の一族~倭寇、恭愍王、足利義満、日野富子、三浦倭館、東林党、魏忠賢、フランシス・ドレイク、バッカニア海賊、カタール首長
綽如の一族~ヴァロワ=ブルゴーニュ公、ブルボン公、能登守、ハプスブルグ朝スペイン王国、デュポン財閥、ケベック解放戦線
巧如の一族~ジル・ド・レ、ヴァロワ朝フランス、マルタ騎士団、マラーター族、アフガニスタン王国、オマーン王国、ザンジバル帝国、ソコト帝国、マルタ共和国
存如の一族~応仁の乱、アラゴン王国、アヴィス朝・ブラガンサ朝ポルトガル王国、ポルトガル共和国、アルバニア共和国、マザー・テレサ、神の愛の宣教者会
蓮如の一族~スイス連邦参事会、魔女狩り、パッツィ家、ロレーヌ公、一向一揆、秘密委員会、ベルギー王国
実如の一族~毛利元就、オルデンブルク朝デンマーク、モロッコ王国、フランコ将軍、パレスチナ解放機構、トントンマクート、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三、統一協会
証如の一族~明智光秀、魔女狩り、戦国時代、オランダ王国、近衛家、クウェート王国、イギリス東インド会社、南アフリカ連邦、ジャム・カシミールのムジャヒディーン、湾岸戦争
顕如の一族~万暦の三征、魔女狩り、オランダ東インド会社、スチュアート朝、老論派、バプティスト教会、メソジスト教会、ヴァンダービルト財閥、パール・ジャム、KORN
教如の一族~織田信雄、東山天皇、仁孝天皇、孝明天皇、カメハメハ大王、ハワイ王国、トンガ王国、サモア独立国、フィジー共和国、エチオピア連邦民主共和国
宣如の一族~ハプスブルグ家、ブルボン家、プファルツ朝スウェーデン王、フルベ聖戦、フランス共和国、イスラーム・マグリブ諸国のアル=カーイダ機構
琢如の一族~英蘭戦争、マラーター王国、ベンガル太守、アワミ連盟、バングラデシュ、ジャマート=ウル=ムジャーヒディーン
常如の一族~後金時代、李氏朝鮮末期、琉球第二尚氏王統、東学党、ゴ・ディン・ジエム、大韓民団、戸塚ヨットスクール、ベトナム社会主義共和国、国民民主党、自由朝鮮
一如の一族~名誉革命、ジャコバイト、オラニエ=ナッサウ王家、南アフリカ連邦、オレンジ革命
真如の一族~イエズス会弾圧、ムガール皇帝、マラーター同盟、タタ財閥、デカン・ムジャヒディーン
従如の一族~田沼意次、徳川家重、松平定信、井伊直弼、水野忠邦、徳川慶喜、静岡県知事
乗如の一族~フランス革命、ベトナム植民地、ブラジル帝国、YMCA、セブンスデー・アドベンチスト教会、国際赤十字社、花粉症、AIDS
達如の一族~復古神道、尊皇攘夷、天理教、金光教、神社本庁、日本社会党、講談社、日本会議、ヒカルランド
大谷光勝の一族~興宣大院君、明治天皇、ビアフラ共和国、ソンミ村虐殺、コリン・パウエル、コンドリーザ・ライス、トニー・ブレア
大谷光榮の一族~大谷大学、大正天皇、昭和天皇、アドルフ・ヒトラー、ハインリヒ・ヒムラー、軍産複合体、パフラヴィー朝皇帝、アウグスト・ピノチェト、立憲民主党
大谷光演の一族~重慶爆撃、CTスキャン、ダライ・ラマ14世、ディズニー・カンパニー、スティーブン・スピルバーグ、ジャニーズ、タイム・ワーナー社、YOUTUBE
大谷光暢の一族~市川團十郎、ラビア・カーディル、ブルース・リー親子暗殺、地下鉄サリン事件、天安門事件、オウム地下鉄サリン事件、酒鬼薔薇聖斗、雨傘革命
大谷暢顕の一族~TV局アナウンサー、宮崎勤事件、足利事件、オウム真理教、神戸連続児童殺傷事件、学級崩壊、大阪池田小児童殺害事件、てるくはのる事件、SEALDs
大谷暢裕の一族~「集団ストーカー問題を克服する」、2014香港反中デモ、2014香港反政府デモ、2019逃亡犯条例改正案撤回デモ
大宛のドルイド司祭(西本願寺)の一族~大宛、クシャーナ朝、鳩摩羅什、曇鸞、浄土宗、隋、ウマイヤ朝イスラム帝国、北宋、舜天王統、ブギス族、ジョホール朝、林本源、中国仏教協会、台湾
王安石の一族~南宋皇帝、今川国氏、デリー・スルターン朝、曹洞宗、永平寺、総持寺、コーカンド・ハン国、イエメン王国、イスラム国
今川国氏の一族~アステカ帝国、凄惨な人身御供儀式、串刺し公ヴラド・ツェペシュ、見付天神の人身御供、血の伯爵夫人エリザベート・バートリ、モルダヴィア公、ルーマニア王国、モルドバ共和国
准如の一族~小早川秀秋、ドン・コサック、古儀式派、ノーベル賞、ベルナドッテ朝スウェーデン王、温暖化十字軍、グレタ・トゥーンベリ
良如の一族~保科正之、徳川綱吉、生類憐みの令、火付盗賊改、子供を殺すための法律「ブラック法」、大英帝国、オックスフォード=アスキス伯爵、MI6長官
寂如の一族~女帝エカチェリーナ、秘密結社イルミナティ、ナチス帝国、特高警察、モサド、中央情報局、アメリカ連邦捜査局
住如の一族~ナーディル・シャー、黒住教、ビン=ラディン・グループ、アルカーイダ、ソマリランド大統領、GOOGLE
湛如の一族~ジュンガル帝国、チャックリー家、タイ王国、ネパール王国、モンゴル人民革命党、霊友会、世界救世教、祟教真光、日本相撲協会
法如の一族~アヘン戦争、ロスチャイルド財閥、ロックフェラー財閥、スカル&ボーンズ、第一次世界大戦、ホスピス、ロイター通信、北大西洋条約機構、アムネスティ・インターナショナル、児童文学ハリー・ポッター
文如の一族~九条道前、ウィリアム・ピット、薩摩戦争、切り裂きジャック、インディアン虐殺、BBC、タイタニック号沈没、ツタンカーメンの呪い、国際連合、連続児童殺人鬼アルバート・フィッシュ
本如の一族~ウクライナ東方カトリック教会、東トルキスタン、セルビア公国、ムスリム同胞団、ユーゴスラビア紛争、チェチェン紛争、南オセチア紛争、ウクライナ政変
広如の一族~長州藩藩主、伊藤博文、大隈重信、山縣有朋、龍谷大学、新渡戸稲造、白洲次郎、東条英機、日産コンツェルン、731部隊、ベトナム戦争
ネルソン・ロックフェラーの一族~ヘンリー・キッシンジャー、ビル・クリントン、湾岸症候群、ジョン・ベネ殺害事件、レバノン空爆、ロシアの人喰いズマガリエフ、ゾディアック、サムの息子、フェイスブック
デヴィッド・ロックフェラーの一族~ジョージ・ソロス、CNN、モンサント社、遺伝子組み換え作物、成長ホルモン、コソボ爆撃、コロンバイン高校銃撃、同性愛人喰いジェフリー・ダーマー、レオナルド・ディカプリオ
大谷光尊の一族~ウィンザー朝イギリス王室、ファシスト党、ディープ・ステート、連続殺人鬼ウィリアム・ハイレンズ、ウクライナ21、Twitter
大谷光瑞の一族~マンチェスター侯爵、ジョージ・H・W・ブッシュ、ケネディ大統領暗殺、湾岸戦争、冷戦終結、法輪功、国境なき記者団、自動運転技術テロ、オール電化テロ
大谷光照の一族~サウジアラビア王ファイサル、ロバート・ケネディ暗殺、ジョージ・W・ブッシュ、除草剤ラウンドアップ、連続殺人犯テッド・バンディ、世界同時多発テロ、キャラバン
大谷光真の一族~リヒテンシュタイン公、悪魔ビル・ゲイツ、マイクロソフト社、上祐史裕、プログラム自動ダウンロードテロ、異常行動テロ
大谷光淳の一族~リヒテンシュタイン公、2ちゃんねる、仙台女児連続暴行事件犯人、2019逃亡犯条例改正案撤回デモ、Qアーミージャパン
ユダヤ人(1731)の一族~ハザール帝国、薔薇十字団、カバラ神秘主義、ホフユーデン、人体自然発火事件、シオニズム運動、精神医学、エスペラント、モサド、ドイツキリスト教民主同盟、ゲノム編集
ユダヤ人(1908)の一族~ヒヴァ・ハン国、ガージャール朝、アドルフ・ヒトラー、ツングース大爆発、ロケット、マンハッタン計画、原子爆弾、水素爆弾、レーザー、コンピューター
あとがき
奥付
奥付

閉じる


<<最初から読む

24 / 67ページ

巧如の一族~ジル・ド・レ、ヴァロワ朝フランス、マルタ騎士団、マラーター族、アフガニスタン王国、オマーン王国、ザンジバル帝国、ソコト帝国、マルタ共和国

巧如(1376~1440)

マルティヌス5世(1368~1431) ローマ教皇 在位1417~1431※画像なし

シャルル6世(1368~1422) ヴァロワ朝第4代フランス王

ジョルジュ・ド・ラ・トレモイユ(1382~1446) フランス王室侍従長※画像なし

 

ドイツ:ヤン・フス処刑(1415)
日本:近江馬借一揆(1426)

 

※巧如は、日本は影武者に任せ、自分は百年戦争の現場でフランス軍を指揮していた。巧如はマルティヌス5世を名乗り、工作員としてヨーロッパに暗躍した。彼はまず、敵であるヤン・フスを異端と呼んで処刑している。その後、フス派が登場してフス戦争に発展するが、これは手下に一任し、自分は百年戦争の現場に戻った。巧如はフランス王シャルル6世と同時にシャルル7世を助けた宰相ジョルジュ・ド・ラ・トレモイユを名乗り、フランス軍を指揮した。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

シャルル6世(巧如)の子

 

シャルル7世(1403~1461) ヴァロワ朝第5代フランス王

ジル・ド・レ(1405~1440)

 
フランス:聖少女ジャンヌ・ダルク出現(1429)

 

※シャルル6世(巧如)の子であるシャルル7世はフランス王でありながら、一方でジル・ド・レを名乗った。ジル・ド・レは両親さえ不明な謎の人物であったが、財産はヨーロッパでも1、2を争う規模を誇っていた。それらは大谷がドルイド教の時代から集めていた財産の一部なのだろう。ジル・ド・レ(シャルル7世)は、妹であるジャンヌ・ド・フランスの9歳で死んだ娘マルグリットを参考にし、聖少女ジャンヌ・ダルクを生み出した。マルグリットの生年月日はジャンヌ・ダルクと同じだが、ジャンヌは17歳の時に登場したが、マルグリットも生きていたらちょうど17歳である。

ジル・ド・レは、神に保護された少女という触れ込みで、尻込みするフランス軍の戦意を高揚させるという陰謀を駆使した。このジル・ド・レの陰謀をまやかしの妖術と呼んだジョン・オブ・ランカスターは、だが、存在しないジャンヌ・ダルクを処刑するという手段に出た。
存在しないジャンヌを処刑するにはどうしたらよいだろうか?答えは簡単だ。権威、この場合はイギリス政府が「ジャンヌを処刑した」とウソをつけば事足りる。そして、そのウソを大勢の人間が信じれば、存在しないはずのジャンヌは処刑されたことになるのだ。

ジル・ド・レは、敵にもキレ者がいることを喜んだ。だが、ジョン・オブ・ランカスターが放った間者の偵察によって、ジル・ド・レが少年を拉致して拷問の挙句惨殺する趣味に興じていたことを暴露されると、逮捕され、過酷な拷問によって変態殺人鬼であることを認めた。これが青髭の物語の原型である。

だが、アルバート・フィッシュやテッド・バンディの例があるように、残虐な拷問の果てに処刑されて死んだのは身代わりの者である。真のジル・ド・レことシャルル7世は、その後もフランス王として58歳まで生きた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

シャルル6世(巧如)の子

 

ジャンヌ・ド・フランス(1391~1433) ブルターニュ公ジャン5世と結婚

 

マルグリット(1412~1421) ジャンヌ・ド・フランスの娘

ジャンヌ・ダルク(1412~1431)

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

シャルル7世の子

 

ルイ11世(1423~1483) ヴァロワ朝第6代フランス王

 

シャルル8世(1470~1498) ヴァロワ朝第7代フランス王

フランシスコ1世(1469~1483) フォワ朝ナバラ王

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

シャルル6世(巧如)の弟ルイ・ド・ヴァロワの子

 

ルイ12世(1462~1515) ヴァロワ朝第8代フランス王

フィリップ・ヴィリエ・ド・リラダン(1464~1534) 聖ヨハネ騎士団総長※画像なし

 

ロドス島における騎士団最後の総長で、オスマン帝国との間でのロドス包囲戦を指揮し、その敗北後も騎士団を率いてマルタ島への移転を行った。  wikiより

 

シャルル=オルラン・ド・フランス(1492~1495) シャルル8世の子※画像なし

ジャン・ド・ヴァレット(1494~1568) 聖ヨハネ騎士団総長

 

1565年にオスマン帝国がマルタ騎士団(聖ヨハネ騎士団)が治める地中海のマルタ島へ行った包囲戦である。最終的にマルタ騎士団が包囲軍の撃退に成功した。 wikiより

 

※マルタ包囲戦を機に、マルタ騎士団はインドに移り、「マラーター族」として異国の地で新たに出直している。マラーターの名の由来はマルタである。マルタ=マルーター=マラーターとなる。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

ラージャーラーム(1670~1700) 第3代マラーター王

ミールワイス・ホータキ(1673~1715) ホータキー朝初代首長

 

※琢如の一族がマラーター王国の王位を簒奪すると、巧如の一族はコールハープル藩王国を築いた。さらに、アフガニスタンにホータキ朝を開いた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ティムール・シャー・ドゥッラーニー(?~1793) サドーザイ朝第2代シャー 在位1773~1793

Hamad bin Said(?~1792) オマーン初代スルターン 在位1783~1792

シヴァージー3世(1756~1813) 第3代コールハープル藩王

ウスマン・ダン・フォディオ(1754~1817) ソコト帝国初代皇帝

 

※ティムールはアラビア半島に拠点を移し、オマーンの初代スルターンに就任している。さらに南下して西アフリカに進出し、ウスマン・ダン・フォディオを称してソコト帝国を築いた。ソコトの由来はソグド、ソグディアナと考えられる。つまり彼らがアフガニスタンから来たことを示している。

 

Said bin Sultan(1791~1856) オマーン第4代スルターン 在位1806~1856

ドースト・ムハンマド・ハーン(1793~1863) バーラクザイ朝初代アミール 在位1826~1863

サンバージー3世(1801~1821) 第4代コールハープル藩王※画像なし

シャハージー(1802~1838) 第6代コールハープル藩王※画像なし

アブドゥサラミ・ダン・サリー・アリミ(?~?) イロリン首長国初代首長 在位1824~1842※画像なし

オルエウ(?~?) オヨ帝国皇帝 在位1833~1835※画像なし

 

※ドーストの時代、彼は西アフリカの侵略を試み、イロリン首長国、オヨ帝国を築いている。

 

Thuwaini bin Said(1821~1866) オマーン第5代スルターン 在位1856~1866※画像なし

シール・アリー・ハーン(1825~1879) バーラクザイ朝第2代アミール 在位1863~1878

シヴァージー4世(1816~1822) 第5代コールハープル藩王※画像なし

 

Faisal bin Turki(1864~1913) オマーン第9代スルターン 在位1888~1913※画像なし

Khalifa bin Harub(1879~1960) ザンジバル第9代スルターン 在位1911~1960

ハビーブッラー・ハーン(1872~1919) バーラクザイ朝第11代アミール 在位1901~1919

シャーフー(1874~1922) 第10代コールハープル藩王

フランシスコ・ブアージャール(1876~1934) 第2代マルタ首相※画像なし

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

オマーン王国スルターンFaisal bin Turkiの子

 

Taimur bin Feisal(1886~1965) オマーン第10代スルターン 在位1913~1932

Ali bin Hamud(1884~1918) ザンジバル第8代スルターン 在位1902~1911

ムハンマド・ナーディル・シャー(1883~1933) アフガニスタン第3代国王

アウグスト・バルトロ(1883~1937) マルタ首相代行※画像なし

アブドゥルカディール・ダン・バワ(?~?) イロリン首長国第8代首長 在位1920~1959

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

アフガニスタン王ハビーブッラー・ハーンの子

 

イナーヤトゥッラー・シャー(1888~1946) アフガニスタン第2代国王

ハビーブッラー・カラカーニー(1891~1929) アミール

ウゴ・ミフスッド(1889~1942) 第3代マルタ首相※画像なし

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

アフガニスタン王ムハンマド・ナーディル・シャーの子

 

Said bin Taimur(1910~1972) オマーン第12代スルターン 在位1932~1970

Abdullah bin Khalifa(1910~1963) ザンジバル第10代スルターン 在位1960~1963※画像なし

ザーヒル・シャー(1914~2007) アフガニスタン第4代国王

シャハージー2世(1910~1983) 第13代コールハープル藩王

ムハンマド・ダーウード(1909~1978) アフガニスタン共和国初代大統領

ベンジャミン・ヘンリー・シアーズ(1907~1981) シンガポール第2代大統領(印僑)

アンソニー・マモ(1909~2008) 初代マルタ大統領

ユソフ・ビン・イサーク(1910~1970) シンガポール初代大統領(印僑)

アントン・ブティギーグ(1912~1983) 第2代マルタ大統領

 

※当時のオマーンスルターンは、ザンジバル、アフガニスタン、コールハープル藩王国、シンガポール、マルタを支配していた。彼の一族は、マルタ大統領に代々就任した。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

アフガニスタン王ザーヒル・シャーの子

 

ムハンマド・アクバル・ハーン(1933~1942)※画像なし

J・Y・ピレー(1934) シンガポール大統領代行(印僑)

ジョン・マレケラ(1934) 第6代タンザニア首相

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ザンジバル帝国スルターンAbdullah bin Khalifaの子

 

Jamshid bin Abdullah(1929) ザンジバル第11代スルターン 在位1963~1964※画像なし

イブラヒム・ダスキ(1923~2016) ソコト帝国第17代皇帝※画像なし

C・V・デヴァン・ナイール(1923~2005) シンガポール第3代大統領(印僑)

ジュリウス・ニェレレ(1922~1999) タンザニア初代大統領

アマン・アンドム(1924~1974) 初代エチオピア臨時軍事評議会議長

ムハンマド・マッシード(1926~2006) ソコト帝国第18代皇帝※画像なし

S・R・ナザン(1924~2018) シンガポール第6代大統領(印僑)

ラシディ・カワワ(1924~2009) 初代タンザニア首相

 

※ザンジバル革命が起きると、ザンジバル帝国のスルターンは素早くタンザニアの初代大統領と初代首相の座に就いた。さらにソコト王位を継承し、新規にエチオピアにも進出した。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ザンジバル帝国スルターンJamshid bin Abdullahの子

 

Ali bin Jamshid Al Said(1956)※画像無し

サアド・アブバカール(1956) ソコト帝国第19代皇帝

 

Sayyid Gharib bin Jamshid Al Said(1975)※画像無し

ラシンダ・トライブ(1976) 民主党

 

※ラシンダは頑丈そうに見えることから民主党で今流行の性転換者だと考えられる。

 

 

 


存如の一族~応仁の乱、アラゴン王国、アヴィス朝・ブラガンサ朝ポルトガル王国、ポルトガル共和国、アルバニア共和国、マザー・テレサ、神の愛の宣教者会

存如(1396~1457)
経覚(1395~1473)※画像なし

アルフォンソ5世(1396~1458) トラスタマラ朝アラゴン王

朝倉家景(1402~1451) 6代当主※画像なし

 

日本:嘉吉の変(1441)
日本:山城西岡の徳政一揆(1447)
朝鮮:李澄玉の乱(1453)
日本:奈良の徳政一揆(1454)
朝鮮:癸酉靖難(1455)
日本:応仁の乱(1467)

 

※存如は、山名宗全を敵視していた。山名宗全が強く、賢く、善人だったからだ。そのため、彼を倒すためだけに「応仁の乱」を製作した。大内政弘以外は、細川勝元率いる東軍だけでなく、仲間であるはずの西軍(蓮如の子畠山義就)もじつは山名宗全を狙う敵だった。存如は経覚であり、経覚は足利義政であった。彼は、功如の子でありながら足利義政として生誕し、経覚として生きながら同時に存如を名乗っていたようだ。不利な時に、いずれかの顔を選んで生きていた。当時だからこそ可能なことであるが、じつは、細川勝元の正体も蓮如の子、尋尊であった。結局「応仁の乱」も、大谷の家族経営であった。存如は、自身の子であり、天下の極悪人と呼ばれた朝倉孝景を徴用したし、宗全の息子といわれる是豊も蓮如の子であるため、当然のように宗全に反旗を翻した。新しい幕府の将軍となるべき男、山名宗全は敵に囲まれていた。存如の目的は足利政権、及び、室町幕府の存続であった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

存如の子

 

朝倉孝景(1428~1481) 応仁の乱 7代当主

トマス・トルケマダ(1420~1498) ドミニコ会士

 

※トルケマダは、日本語「獲るか、まだ?」に由来するのだろうか?彼は、スペイン全土を支配する「全スペイン異端審問本部」の初代長官に就任している。トルケマダの、異端者に対する大規模な迫害は、マドリードをナチスのアウシュヴィッツたらしめた。1960年頃、マドリードで道路改修工事のために業者が地面を掘り起こした際、深い地層が広い範囲に渡って人骨と毛髪によって埋め尽くされ、堆積していた。「これは、トルケマダに処刑された異端者の遺骸ではないか」と、当時の新聞に報じられた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

朝倉孝景(存如)の子

 

朝倉氏景(1449~1486) 8代当主※画像なし

フェルナンド2世(1452~1516) トラスタマラ朝アラゴン王

 

朝倉貞景(1473~1512) 9代当主

アフォンソ(1475~1491) ポルトガル王子・ジョアン2世の子

 

朝倉孝景(1493~1548) 10代当主

 

朝倉時景(生没年不詳) 氏景の子※画像なし

パウルス3世(1468~1549) ローマ教皇 在位1534~1549

マヌエル1世(1469~1521) アヴィス朝ポルトガル王

 

朝倉景儀(生没年不詳) 氏景の子※画像なし

パウルス4世(1476~1559) ローマ教皇 在位1555~1559

 

朝倉景群(生没年不詳) 貞景の子※画像なし

ジョアン3世(1502~1557) アヴィス朝ポルトガル王

 

朝倉道教(生没年不詳) 貞景の子※画像なし

エンリケ1世(1512~1580) アヴィス朝ポルトガル王

 

朝倉義景(1533~1573) 11代当主

 

セバスティアン1世 (1554~1578) アヴィス朝ポルトガル王・ジョアン3世の孫

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

マヌエル1世の曾孫(ブラガンサ朝ポルトガル王)

 

マヌエル・デ・ポルトゥガル(1568~1638) アヴィス朝ポルトガル王マヌエル1世の曾孫

 

ローデウェイク・ウィレム・クリストフェル(1604~1660) マヌエル・デ・ポルトゥガルの子※画像なし

ジョアン4世(1604~1656) ブラガンサ朝初代ポルトガル王

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

フェルナンド2世(1816~1885) ブラガンサ朝ポルトガル王 在位1837~1853

 

ルイス1世(1838~1889) ブラガンサ朝ポルトガル王 在位1861~1889

マヌエル・デ・アリアガ(1840~1917) ポルトガル初代大統領

テオフィロ・ブラガ(1843~1924) ポルトガル第2代大統領

 

カルロス1世(1863~1908)  ブラガンサ朝ポルトガル王 在位1889~1908

ジョアン・ド・カント・エ・カストロ(1862~1934) ポルトガル第8代大統領

マヌエル・ゴメス・ダ・コスタ(1863~1929) ポルトガル第14代大統領※画像無し

 

ルイス・フィリペ(1887~1908) ブラガンサ公

ジョゼ・メンデス・カベサダス(1883~1965) ポルトガル第12代大統領

 

マヌエル2世(1889~1932) ブラガンサ朝ポルトガル王

アントニオ・サラザール(1889~1970) ポルトガル第18代大統領

 

※ブラガンサ朝は1640年から1910年まで続いたが、マヌエル2世を最後に本願寺門主存如の血筋は公的には尽きる。だが、実際には優性遺伝子ブリーダーによって多くの庶子を残していると考えられる。また、マヌエル2世は自身がアントニオ・サラザールとしてポルトガル首相や大統領に就任した。 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

マリア・ヨーゼファ・フォン・ザクセンの子

 

カール1世(1887~1922) オーストリア皇帝

オマール・ニシャーニ(1887~1954) アルバニア社会主義人民共和国第初代人民議会幹部会議長※画像無し

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

マリア・アナ・デ・ブラガンサとゲオルクの子(ブラガンサ朝ポルトガル王フェルナンド2世の孫)

 

マリー・ヨハンナ(1860~1861)※画像無し

ゾグー1世(1860~1911) アルバニア共和国初代大統領

 

※ゾグー1世は、敵の目を欺くために女子として生まれたが、マリー・ヨハンナは早世したことにしてゾグー1世として育ち、アルバニア共和国の初代大統領となった。その後、ゾグー1世の本体は、フランシスコ・フランコ将軍(シャルル・ド・ゴール)の影武者に乗っ取られている。

 

アルブレヒト(1875~1900)※画像無し

Nikollë Bojaxhiu(1874~1919) マザー・テレサ父

 

アンナ・フォン・ザクセン(1903~1976) フリードリヒ・アウグスト3世の子

マザー・テレサ(1910~1997) 神の愛の宣教者会1代目総長

 

※マザー・テレサの正体はザクセン王ゲオルクの娘アンナ・フォン・ザクセンだったようだ。一方は若き日の写真であり、一方は老年期の写真だが、年月を超えて鼻と口がそっくりである。

マザー・テレサは志し高く、貧しい人々を救おうとしてインドの極貧地帯を訪れたものの、誰にも相手にされず、路頭に迷っているところを逆に明日をも知れぬ極貧に喘ぐ女性に救われたという。その時に胸を打たれた彼女は「人を救おうという考えは奢りだったことに気付いた」と、述べたことがある。

その言葉を聞き、筆者は永らくマザー・テレサをホンモノと信じてきたが、生没年がこうしてタナトスの王家と符合すると疑念が生じてしまう。しかも、神の愛の宣教者会の2代目総長、3代目総長の生没年はマザー・テレサの本体であるアンナの娘たちの生没年に符合している。

彼女が本拠地としたゴアも、アヴィス朝~ブラガンサ朝ポルトガル王国時代の植民地である。さらに陰謀論では、今年(2019年)辺りから、マザー・テレサは乳児の人身売買に手を染めていたという話を聞いた。どう考えても善にしか見えないマザー・テレサだが、その、どう考えても善にしか見えない佇まいは、悪事を行うのには絶好の隠れ蓑である。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

アンナ・フォン・ザクセンの子

 

ヨーゼフ・アールパード(1933~2017)

アルフレッド・モイシウ(1929) 第4代アルバニア大統領

 

イシュトヴァーン(1934~2011)※画像無し

アントニオ・エアネス(1935) ポルトガル第24代大統領

イタマール・フランコ(1930~2011) 第33代ブラジル大統領

 

マリア・キンガ(1938)※画像無し

シスター・ニルマラ・ジョシー(1934~2015) 神の愛の宣教者会2代目総長

 

※実質的にマザー・テレサ(アンナ・フォン・ザクセン)の子である。

 

ゲーザ(1940)※画像無し

ジョルジェ・サンパイオ(1939) ポルトガル第26代大統領

 

※最近のポルトガルでは、東本願寺門主大谷光暢の一族、西本願寺門主大谷光尊の一族、キッシンジャーの一族などが大統領を務めている。しかし、タナトスは家族を贔屓するため、サンパイオは現在でも国連事務総長結核撲滅担当特使、「文明間の同盟」国連高等代表などの国際的な要職を務めている。

 

ミヒャエル(1942)※画像無し

サリ・ベリシャ(1944) 第4代アルバニア大統領

マルセロ・レベロ・デ・ソウザ(1948) 第20代ポルトガル大統領

 

Archduchess Milona(1958) ヨーゼフ・アールパードの子(アンナ・フォン・ザクセンの孫)※画像無し

シスター・メアリー・プレマ(1953) 神の愛の宣教者会3代目総長

 

※実質的にマザー・テレサ(アンナ・フォン・ザクセン)の孫である。 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

マリア・ヨーゼファ・フォン・ザクセンの孫

 

オットー・フォン・ハプスブルク(1912~2011) カール1世の子

エンヴェル・ホッジャ(1908~1985) アルバニア人民共和国首相

 

※マザー・テレサは、エンヴェル・ホッジャ政権を支持していたとして批判されることがあるが、彼女が独裁者ホッジャを支持したのは家族だからというに他ならない。

 

ローベルト(1915~1996) カール1世の子

ハジ・レシ(1913~1998) アルバニア社会主義人民共和国第2代人民議会幹部会議長※画像無し

 

ハインリヒ(1925~2014) マクシミリアン・オイゲンの子※画像無し

ラミズ・アリア(1925~2011) アルバニア共和国初代大統領※画像無し

マリオ・ソアレス(1924~2017) ポルトガル第17代大統領

ロバート・マクスウェル(1923~1991) アメリカのメディア王

 

※マクスウェルは、ルパート・マードックと肩を並べるほどのメディア帝国を築いたという。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

オットー・フォン・ハプスブルクの子(ザクセン王カール1世の孫)

 

カール・ハプスブルク=ロートリンゲン(1961)

アントニオ・コスタ(1961) 第119代ポルトガル首相

 

ゲオルク・ハプスブルク=ロートリンゲン(1964)

ブヤル・ニシャニ(1966) 第6代アルバニア大統領

イリール・メタ(1969) 第7代アルバニア大統領

ペドロ・パッソス・コエーリョ(1964) 第120代ポルトガル首相

 

※イリール・メタ大統領は、どう考えてもゲオルク本人だと考えられる。似すぎている。

 

 

 


蓮如の一族~スイス連邦参事会、魔女狩り、パッツィ家、ロレーヌ公、一向一揆、秘密委員会、ベルギー王国

蓮如(1415~1499)
シクストゥス4世(1414~1484) ローマ教皇 在位1471~1484

山名是豊(生没年不詳) 応仁の乱※山名宗全の子ではない

 

日本:応仁の乱(1467~77)

日本:加賀一向一揆(1473)
日本:一向一揆、富樫氏滅亡(1488)
日本:京都大和一揆(1490)

 

※当初、蓮如は出来るだけ早く滅ぼすべき敵として山名宗全をマークしていた。そして宗全を滅ぼす陰謀の一環として、自らが息子として山名是豊を演じた。また、一向一揆を駆使して武士を苦しめた蓮如は、応仁の乱の後にスイスに赴き、ヨーロッパに於いてもシクストゥス4世として農民軍を指揮し、中世騎士軍を敗北させている。ムルデンとナンシーの戦である。1484年までヨーロッパにいた蓮如は、シクストゥス4世が死んだことにすると日本に帰還し、1488年に一向一揆によって富樫氏を滅ぼし、京都に大和一揆を指揮している。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

蓮如の子

 

アドリアン・フォン・ブーベンベルク(1434~1479) ベルヌ市長・騎士

ハンス・ヴァルドマン(1435~1489) チューリッヒ市長・旧スイス南部連合軍指揮者
ヤーコプ・シュプレンゲル(1436~1495) ドミニコ会士(魔女狩り)
畠山義就(1437~1491) 応仁の乱※畠山持国の子ではない

 

西欧:ムルデンの戦(1476)
西欧:ナンシーの戦(1477)

 

※応仁の乱後、畠山義就は父蓮如と共にスイスに移り、旧スイス南部連合軍に参加し、ムルデンの戦とナンシーの戦に参加した。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

蓮如(山名是豊)の子

 

山名頼忠(生没年不詳)※画像なし

ハインリヒ・クラーメル(?~1505) ドミニコ会士(魔女狩り)
インノケンティウス8世(1432~1492) ローマ教皇 在位1484~1492

ハンス・フォン・ハルウィル(1433~1504) 旧スイス南部連合

ユリウス2世(生没年不詳) ローマ教皇/バチカン枢機卿

 

インノケンティウス8世は、回勅によって魔女狩りと異端審問を活発化させた。同時に聖職売買、親族登用、派手な女性関係など、堕落した中世的な教皇の典型と見なされる。 wikiより

 

※上の4人は同一人物と考えられる。往々にして魔女狩りに力を入れていた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

蓮如の子

 

尋尊(1430~1508) 応仁の乱
細川勝元(1430~1473)

 

※尋尊は、細川勝元でもあったが、彼は、大谷の血を継ぐ他の家族と共に「応仁の乱」を演じた。その後、勝元を死んだことにした尋尊は35年の余生を謳歌し、78歳まで生きた。

 

細川政元(1466~1507)

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

蓮如(山名是豊)の子

 

山名教豊(1424~1467) 山名宗全の子ではない※画像なし

ジャコポ・デ・パッツィ(1423~1478) パッツイ家の陰謀

 

山名政豊(1441~1499) 山名教豊の子※画像なし

フランチェスコ・デ・パッツィ(1444~1478) パッツイ家の陰謀

 

イタリア:パッツィ家の陰謀(1478)

 

※1467年、教豊は44歳で死んだことにし、イタリアに渡った。息子の政豊は1475年にイタリアに渡り、父親を援助した。親子はイタリアの実力者メディチ家を何とかするために「パッツィ家の陰謀」を実施した。これは失敗し、教豊(ジャコポ)は処刑されたが、政豊(フランチェスコ)は影武者が処刑されただけで、本人は無事に日本に帰還した。

その後、文明11年(1479年)から文明13年(1481年)にかけて赤松政則の支援で頻発した分家の領国の反乱鎮圧のため山陰地方に下向、因幡守護山名豊時と伯耆守護山名政之を助けて因幡国人毛利貞元と山名政実、山名元之を排斥、領国を安定させた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

蓮如(山名是豊)の子

 

山名豊久(1453~1522) 山名宗全の子ではない※画像なし

ルネ2世(1451~1508) ロレーヌ公

 

※豊久は宗全の子ではなく、是豊(蓮如)の子である。細川政元が生まれ、廃嫡を機に豊久は13歳の時にヨーロッパに渡った。そしてルネ2世となり、ロレーヌ公となった。

 

アントワーヌ・ド・ロレーヌ(1489~1544) ロレーヌ公

 

フランソワ1世(1517~1545) ロレーヌ公

 

シャルル3世(1543~1608) ロレーヌ公

 

アンリ2世(1563~1624) ロレーヌ公

 

ニコル・ド・ロレーヌ(1608~1657) ロレーヌ公

 

フランソワ2世(1572~1632) ロレーヌ公

 

シャルル4世(1604~1675) ロレーヌ公

 

ニコラ2世(1612~1670) ロレーヌ公

 

シャルル5世(1643~1690) ロレーヌ公

 

※シャルル5世の子レオポール・ジョセフからダヴィデの一族の血が入るため、シャルル5世で蓮如が築いたロレーヌ公の血筋は終焉を告げる。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

シャルル4世の子

 

フランソワ(1637~1638)※画像なし
イヴァン・マゼーパ(1639~1709) ヘーチマンコサック首長

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

シャルル5世の子

 


レオポール・ジョセフ(1679~1729) ロレーヌ公
アウグスト2世(1670~1733) ポーランドリトアニア大公、ロレーヌ公
スタニスワフ・レシチニスキ(1677~1766) リトアニア公、ポーランド王
カジミェシュ・チャルトリスキ(1674~1741) リトアニア副大法官

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー


スタニスワフ・レシチニスキの子

 

ミハウ・フリデリク・チャルトリスキ(1696~1775)

アウグスト・アレクサンデル・チャルトリスキ(1697~1782)

アウグスト3世(1696~1763) ポーランド王

フランツ・ヨシアス(1697~1764) ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公

 


スタニスワフ2世アウグスト(1732~1798) エカチェリーナ2世の愛人

 

※東本願寺門主蓮如の末裔である彼は、西本願寺門主寂如の一族と連合するためにエカチェリーナ2世と不倫関係にいた。その後、パーヴェル1世が生まれた。パーヴェル1世は、東西本願寺のロシアでの出会いである。

 


パーヴェル1世(1754~1801) ロシア皇帝

 

※母はエカチェリーナ2世だが、父は愛人だったスタニスワフ2世アウグストだった可能性がある。

 


ミハイル・パブロヴィチ(1798~1849) パーヴェル1世の子
ヨナス・フレール(1805~1861) スイス連邦参事会初代議長

 

※ロシアを拠点にスイスに移動して、スイスを掌握するためにスイス連邦参事会を創設し、初代議長に就任している。髪型が同じなので、2人は同一人物だということが分かる。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

アウグスト・アレクサンデル・チャルトリスキ(フランツ・ヨシアス)の子


クリスティアン・フランツ(1730~1797) フランツ・ヨシアスの子※画像無し
アダム・カジミェシュ・チャルトリスキ(1734~1823)

 

フランツ(1750~1806) ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

アダム・カジミェシュ・チャルトリスキ+フランツの子(優性遺伝子ブリーダー、自力の両方)

 

マリア・アンナ・チャルトリスカ(1768~1854)

ニコライ・ノヴォシリツェフ(1761~1836) 秘密委員会

ヴィクトル・コチュベイ(1768~1834) 秘密委員会

 

※マリア・アンナの影武者として生まれた男子が独立し、ノヴォシリツェフとコチュベイを同時に演じていた。彼は、蓮如の一族の代表として一族を取り仕切り、西本願寺門主寂如の一族との連携を図った。それが「秘密委員会」の設置である。西本願寺が王家を、東本願寺が秘密警察を請け負う形だ。

 


アダム・イエジィ・チャルトリスキ(1770~1861) 秘密委員会

ミハイル・スペランスキー(1772~1839) 秘密委員会

 

コンスタンティ・アダム・チャルトリスキ(1773~1860)

パーヴェル・ストロガノフ(1774~1817) 秘密委員会

 

ゾフィー・フリーデリケ・カロリーネ・ルイーゼ(1778~1835) フランツの子※画像なし

ゾフィア・チャルトリスカ(1778~1837)
ジャン・マルク・ムーソン(1776~1861) スイス連邦事務総長※画像なし

 

※ゾフィアの影武者として生まれたムーソンは独立し、同じ蓮如の一族であるヨナス・フレールと組んでスイス連邦参事会を設立し、事務総長に就任した。この一族の目標はロシアとスイスの掌握だ。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

フランツの子

レオポルド1世(1790~1865) ベルギー王国初代王

アルベルト・ヨセフ・ゴブレット・ディ=アルヴィエラ(1790~1873) ベルギー王国初代首相 任期1831~1831
エティエンヌ・デ・サウヴェージ(1789~1867) ベルギー王国第2代首相 任期1831~1831

 

フランツ・マクシミリアン・ルートヴィヒ(1792~1793) レオポルド1世の父フランツの孫※画像無し
フェリックス・デ・ムエレナエレ(1793~1862) ベルギー王国第3代首相 任期1831~1832

 

アレクサンダー・フォン・ヴュルテンベルク(1804~1881) レオポルド1世の父フランツの孫
シャルル・ロジェ(1806~1885) ベルギー王国第4代首相 任期1832~1834

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

レオポルド1世の子

 

ルイ・フィリップ(1833~1834) レオポルド1世の子※画像無し

オーギュスト・ベールナールト(1829~1912) ベルギー首相 任期1884~1894

 

※ルイフィリップは早世したことにして潜伏し、オーギュストとして育てられた。オーギュストは長じてベルギー首相に就任するが、その任期は、弟であるレオポルド2世のコンゴ自由国の支配期間に符合している。

 

レオポルド2世(1835~1909) ベルギー王国第2代王
パウル・デ・スメット・デ・ニーヤール(1843~1913) ベルギー王国第24代首相 任期1899~1907

 

即位前から植民地獲得に強い関心を持ち、他の列強の支配が及んでいないコンゴに目を付け、コンゴ国際協会を創設して探検を支援。先住民の部族長と条約を結ぶなどコンゴ支配の既成事実化を進めた。1884年のベルリン会議においてコンゴを私有地として統治することを列強から認められた(コンゴ自由国)。

コンゴにおける治世の初期は鉄道敷設や、アラブ人奴隷商人による奴隷狩りから黒人を守るなど、コンゴの近代化にも努める面もあったが、先住民を酷使して天然ゴムの生産増を図り、イギリス人などから先住民に対する残虐行為を批判され、1908年にはコンゴをベルギー国家へ委譲する事を余儀なくされた(王の私領からベルギー植民地への転換)。 レオポルド2世wikiより

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

レオポルド・ド・ベルジック(1859~1869) レオポルド2世の子
シャルル・ド・ブロクヴィル(1860~1940) ベルギー王国第27代首相 任期1911~1918

 

レオポルト・クレメンス・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ(1878~1916) レオポルド2世の孫
ユベール・ピエルロ(1883~1963) ベルギー王国第41代首相 任期1939~1945

 

※この後、ベルギー首相職は人食い人種の本能が蘇った西本願寺門主法如の一族によってバケモノ屋敷と化す。蓮如の一族なら良いというわけでは決してないが。ピエルロ以降のベルギー首相は世界中を行脚し、人殺しを楽しみ、被害者を食べまくった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ベルギー王レオポルド3世の子

 

ジョゼフィーヌ=シャルロット・ド・ベルジック(1927~2005) ルクセンブルク大公ジャン妃

 

アルベール2世(1934) ベルギー王国第6代王

ウィルフリート・マルテンス(1936~2013) ベルギー王国第62代首相 任期1981~1992

アンドレイ・チカチーロ(1936~1994) 幼児性愛シリアルキラー(少年少女55人)
ヘンリー・リー・ルーカス(1936~2001) 異常性愛シリアルキラー(男女200人)

 

※異形のマルテンスはアルベール2世の影武者として生まれた。チカチーロ、ルーカスの異常な犯罪にはアルベール2世かマルテンスのどちらかが必ず同行していた。特にマルテンスが殺人と人喰いを好んだようで、異形の顔を持つ。総勢265人を殺害している。

う~む。さすがのチカチーロやルーカスも顔で負けている。マルテンス氏の前ではチカチーロもルーカスも舎弟にしか見えない。マルテンス氏に食われてる。チカチーロの画像にアテレコでひとこと「この人にゃ勝てねえよお」

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ベルギー王アルベール2世の子

 

フィリップ(1960) ベルギー王国第7代王

イヴ・ルテルム(1960) ベルギー王国第65、67代首相 任期2008、2009~2011

ロベルト・スッコ(1962) 大量殺人(5人)

ジョセフ・ダンクス(1961) 同性愛シリアルキラー(7人)※画像なし

ウェストリー・ダッド(1961~1993) 幼児性愛シリアルキラー(3人)

 

※フィリップとルテルムは同一人物にしか見えないが。これはどういうことか?ルテルムはハンナの影武者として生まれた。ルテルムはスッコ、ダンクス、ダッドの事件の真犯人でもある。総勢15人を殺害している。画像のフィリップの笑顔は不気味なのでとりあえず真犯人ではないか?ダンクスとダッドは哀れだが、ただの冤罪要員だ。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ジョゼフィーヌ=シャルロット・ド・ベルジックの子

 

ギヨーム(1981) ルクセンブルク大公世子※画像なし

シャルル・ミシェル(1975) ベルギー王国第69代首相 任期2014~

ジェイムス・リチー(1976) 異常性愛シリアルキラー(女性5人)

 

 

 


実如の一族~毛利元就、オルデンブルク朝デンマーク、モロッコ王国、フランコ将軍、パレスチナ解放機構、トントンマクート、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三、統一協会

実如(1458~1525)
成宗(1457~1495) 李氏朝鮮王※画像なし

ハンス(1455~1513) オルデンブルク朝第2代デンマーク王

アブー・アブドゥッラー・アル=カーイム(1460~1517) サアド朝初代スルターン※画像なし

アフマド・カサーニー(1464~1542) ナクシュバンディー教団指導者、カシュガル・ホージャ家祖※画像なし

 

中国:安化王の乱(1510)
朝鮮:朴文永の乱(1513)

 

※実如もほとんど日本には留まらず、朝鮮を拠点に朝鮮国内、中国制覇を見据えていた。彼は、イスラム帰りのタナトスが築いた朝鮮儒教士林派(サリムパ)を登用した。サリムの由来はイスラムである。イスラム=イサリム=サリムとなる。この時、朝鮮儒教にイスラム風の礼拝作法が持ち込まれた。

また、成宗が早死にしたと見せかけてヨーロッパに向かった彼は、優性遺伝子ブリーダーにより、デンマーク、イギリス、ローマに多くの子を儲けた。中でも大成したのが、「ストックホルムの血浴」で有名なデンマーク王クリスチャン2世、「ユグノー虐殺」で知られるピウス5世である。この2人は、特に残虐なことで知られているが、父である実如自身は中国、朝鮮で小規模な蜂起を指揮するに留まった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ハンス(実如)の子

 

クリスチャン2世(1481~1559) オルデンブルク朝第3代デンマーク王

アーマド・アル=アラジ(1486~1557) サアド朝第2代スルターン

 

スウェーデン:ストックホルムの血浴(1520)

 

※クリスチャン2世はデンマークを統治しながら、モロッコにまで渡り、父が築いたサアド朝の王も兼任した。上の画像を見ると良く似ているのが分かる。

 

フランス(1497~1511)※画像なし

毛利元就(1497~1571)

クロード(1496~1550) ギーズ公
レジナルド・ポール(1500~1558) カンタベリー大主教

 

※毛利氏は、もともとマウリヤ朝の血統で、マオリ族が築いた家だが、そこに実如の血を引くフランスが潜入し、元就に化けて毛利氏を掌握した。

 

フレゼリク1世(1471~1533) オルデンブルク朝第4代デンマーク王

 

 

クリスチャン3世(1503~1559) オルデンブルク朝第5代デンマーク王
グレゴリウス13世(1502~1585) ローマ教皇 在位1572~1585
ピウス5世(1504~1572) ローマ教皇 在位1566~1572

 

デンマーク:カルマル同盟再編(1537)

フランス:ユグノー5万人虐殺(1572)

 

※デンマーク王クリスチャン3世、ローマ教皇グレゴリウス13世とピウス5世は同一人物である。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

レジナルド・ポールの子

 

メアリー1世(1516~1558) チューダー朝イングランド女王

アブダラー・アル=カリブ(1517~1574) サアド朝第4代スルターン※画像なし

 

※ヘンリー8世は父親ではないため、易々と宗教改革を覆し、プロテスタントを迫害した。メアリー1世は、女子供を含む300人を処刑したため、ブラディ・メアリーと呼ばれた。カンタベルー大主教トマス・クランマーなども処刑された。メアリーは、じつは女性として生きた男性の可能性がある。男子を守るために女子として育てることはままあったからだ。男子と仮定すれば、メアリーは処刑されたことにしてモロッコに渡り、サアド朝の王を務めた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

毛利元就の子

 

吉川元春(1530~1586) 毛利元就の子

フレゼリク2世(1534~1588) オルデンブルク朝第6代デンマーク王

 

※吉川元春は毛利元就の養子とされているが、実際には元就の実子である。昔は、よそに作った子どもを養子として家に迎え入れることは多かった。王族の場合の養子は、ほとんどがそうである。画像を見ると全然似ていないが、2人は同一人物と考えられる。元就の顔を見ても面長なので、画像の元春は影武者の可能性がある。

 

吉川元長(1548~1587) 吉川元春の子※画像なし

アフマド・マンスール・ザハビー(1549~1603) サアド朝第7代スルターン

 

※ザハビーの時代にソンガイ帝国に遠征し、滅亡させている。トランス=サハラ貿易の利権がころがっていたのだ。

 

毛利元氏(1556~1631) 吉川元春の子※画像なし

アブドゥルワーヒド・ブン・マスウード(1558~?)

 

アフマド・マンスール・ザハビーの外交政策の基調はスペイン及びポルトガルへの対抗であった。ある手紙には、アンダルス(イスラーム文化圏から見たイベリア半島の呼び名)に攻め入って、同地をキリスト教国スペインからムスリムの手に奪い返すと書いている。また、そのためにキリスト教国と手を結ぶこともいとわず、イギリスとフランスに友好的であった。アフマドは、1600年に腹心のアブドゥルワーヒド・ブン・マスウードをイングランドのエリザベス1世女王の宮廷に派遣し、スペインへの対抗を目的とする同盟交渉に及んだ。前出のフランス人医師たちは、いずれも母国に帰るとコレージュ・ド・フランスでアラビア語を教え、また、サアド朝モロッコとの外交に携わった。 wikiより

 

吉川松寿丸(?~1578) 吉川元春の子※画像なし

クリスチャン4世(1577~1648) オルデンブルク朝第7代デンマーク王

 

デンマーク:スウェーデン・デンマーク戦争(1611~13)

 

毛利就泰(1627~1689) 阿川毛利家4代当主※画像なし

ムーレイ・アル=ラシード(1631~1672) アラウィー朝初代スルターン

 

毛利綱元(1651~1709) 長門長府藩第3代藩主※画像なし

ムーレイ・イスマーイール(1645~1727) アラウィー朝第2代スルターン

 

※ムーレイの名の由来は毛利である。毛利=モウリ=モウレイ=ムーレイとなる。アラウィーの由来は不明である。この頃から毛利氏はムーレイ家として代々モロッコ王の座に就いた。そうして毛利氏は、長州藩とモロッコを同時に治めていた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

オルデンブルグ朝デンマーク王

 

毛利春直(?~1665) 吉川元春の玄孫※画像なし

フレゼリク3世(1609~1670) オルデンブルク朝第8代デンマーク王

 

デンマーク:スウェーデン・デンマーク戦争(1643~45)

 

クリスチャン5世(1646~1699) オルデンブルク朝第9代デンマーク王

 

フレゼリク4世(1671~1730) オルデンブルク朝第10代デンマーク王

 

デンマーク:デンマーク・ロシア・ポーランド三国同盟

デンマーク:北方戦争

デンマーク:ガデブッシュの戦いに敗北

 

※本願寺の血を継ぐ歴代のデンマーク王は、ダヴィデの一族に属するヴァーサ朝を敵視していたが、フレゼリク4世の時に敗北した。

 

クリスチャン6世(1699~1746) オルデンブルク朝第11代デンマーク王

 

フレゼリク5世(1723~1766) オルデンブルク朝第12代デンマーク王

 

※フレゼリク5世の後は、イギリス王室の血が入ることになるので、デンマーク王家に巣食い、カルマル同盟によって北欧を支配した本願寺の血筋はここで終わる。1807年にイギリス海軍がデンマーク艦隊を撃破し、デンマーク本土を砲撃したが、これは西本願寺門主文如の子ウィリアム・ピット政権がイギリス王室(ダヴィデの一族)の血を継ぐデンマーク王国を攻撃したものだ。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

毛利親彦(1830~1873) 阿川毛利家14代当主※画像なし

ハサン1世(1836~1894) アラウィー朝第15代スルターン

 

毛利重輔(1848~1901) 吉敷毛利家16代当主

ムハンマド・ターヒル・フサイニー(1842~1908) エルサレム大ムフティー

 

毛利親直(1852~1877) 吉敷毛利家14代当主※画像なし

フサイン・イブン・アリー(1853~1931) ヒジャーズ王 在位1916~1924

 

※この頃から、不必要に垂れ下がったいやらしい目じりがこの一族の特徴となる。

 

毛利元忠(1865~1913) 清末家第9代当主※画像なし

カーミル・フサイニー(1867~1921) エルサレム大ムフティー※ムハンマド・ターヒル・フサイニーの子

佐藤秀助(生没年不詳) 岸信介・佐藤栄作父※画像なし

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ムーレイ・アブドゥルアズィーズ4世(1878~1943) アラウィー朝第15代スルターン※ハサン1世の子

ファイサル1世(1883~1933) シリア国王、イラク国王

 

※各毛利氏のお家断絶により、毛利氏は本格的に長州藩からモロッコに拠点を移した。

 

ムーレイ・ユースフ(1882~1927) アラウィー朝第17代スルターン

アブドゥッラー1世(1882~1951) トランス・ヨルダン首長、ヨルダン国王

土肥原賢二(1883~1948)

 

※影武者の土肥原は、極東国際軍事裁判(東京裁判)でA級戦犯となり死刑判決を受け処刑され、アブドゥッラー1世はエルサレム訪問中に暗殺された。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ムーレイ・アブドゥルアズィーズ4世の子(優性遺伝子ブリーダーによる)

 

フランシスコ・フランコ(1892~1975) スペイン国初代総統

シャルル・ド・ゴール(1890~1970) フランス第18代大統領

アフメト・ゾグー(1895~1961) アルバニア国王

 

※30年もの間、スペインでファシズムを貫いた総統フランシスコ・フランコ将軍は、当初は下のアミーン・フサイニーの影武者として生まれたと考えられる。安倍晋三に良く似ている。くりそつ。激似。父が生粋のファシストなら安倍がファシズムに開眼するのも無理はない(?)。1937年、フランコはゲルニカ爆撃を実施したことで悪名を轟かせている。ピカソやダリにも嫌われていた。

 

アミーン・フサイニー(1895~1974) エルサレム大ムフティー

岸信介(1896~1987) 内閣総理大臣

 

※両者とも、顔が異母兄弟ムーレイ・アブドゥルアズィーズ4世に良く似ている。岸信介は若い頃はやたら背が高かったが、そこも似ている。エルサレム大ムフティーの方が格が上のため、岸信介はフサイニーの影武者として生まれたと考えられる。岸信介は大谷光勝の血が強いと考えられるため、大谷光勝の項で光勝の一族として紹介している。

 

佐藤栄作(1901~1975) 内閣総理大臣

 

※兄同様に、ムーレイ・アブドゥルアズィーズ4世に良く似ている。長州の佐藤家の由来はサアドである。毛利とムーレイ=佐藤とサアド=長州とモロッコということで、両者がつながっていることがわかる。岸信介と佐藤栄作は、アラウィー朝の遺伝子を欲した母親茂世(大谷光勝の娘)によって生まれた。

栄作と父は血のつながりがない。しかし、長州佐藤家やムーレイ家自体、もともとがサアド朝の末裔であるため、関係ない。佐藤栄作は、アラウィー朝の血が強いと考えられるため、実如の一族としてこちらで紹介している次第だ。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ヨルダン王アブドゥッラー1世の子

 

タラール1世(1909~1972)

陸定一(1906~1996) 反革命集団

フランソワ・デュヴァリエ(1907~1971) ハイチ大統領、トントン・マクート創設

 

トントン・マクートはハイチ大統領フランソワ・デュヴァリエが、独裁色を強めるなかで1958年に前身の秘密警察を拡大し結成し、1962年に国家治安義勇隊と改称された。彼らは都市の黒人貧困層・地方地主の傭兵から募集され、その活動には自動的に恩赦が与えられ、給料はなく犯罪と略奪により生活した。またブードゥー教の祭司者や秘密結社のメンバーなどでも構成され隊員たちは黒いサングラスを着け、大抵は火器を所持していたが、遺体の見た目の凄惨さから、マシェーテや刀を使うことを好み、時にブードゥー教の悪魔や神などに扮してマシェーテを振い、見せしめのために被害者の遺体を広場に晒すなどして反体制派を弾圧した。その振る舞いは、国民を恐怖に陥れ、デュバリエ父子への表向きの忠誠を醸成した。拷問も敵に対する警告として日常的に行われた。小作農から土地を奪うなどしたため都市の貧困層を増大させる要因となった。wikiより

 

ムニラ(1915~1987)

江青(1914~1991) 四人組

 

プロレタリア独裁・文化革命を隠れ蓑にして極端な政策を実行、反対派を徹底的に弾圧し、迫害して殺害したが毛沢東の死後に失脚し、特別法廷で死刑や終身刑などの判決を受けた。wikiより

 

※江青は毛沢東に取り入り、女であることを武器にし、騙し続けながら中国の簒奪を考えていた。毛沢東が見ていないところでは江青は大谷の本領を発揮し、文化大革命の際は隠れて有用な人物の虐殺を指揮した。ソ連は本願寺の台頭を察知したので一時期中国と対立した。ソ連と中国の対立は江青のせいだったのだ。この発想に行き着くまで、筆者はフルシチョフが悪人だと勘違いしていた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

佐藤栄作の子

 

ハサン2世(1929~1999) アラウィー朝第20代スルターン

ヤーセル・アラファート(1929~2004) パレスチナ自治政府大統領、パレスチナ解放機構執行委員会議長

エフライン・リオス・モント(1926~2018) グアテマラ軍事政権大統領

モクタル・ウルド・ダッダ(1924~2003) モーリタニア初代大統領

 

※日本で内閣総理大臣として成功した佐藤栄作の遺伝子を欲した母親がハサン2世を生んだ。ハサン2世は日本人のような顔をしている。エフライン・リオス・モントはハサン2世の影武者用に生まれた。アラファト議長とは顔が似ているので同一人物の可能性もある。イスラエルの敵パレスチナの指導者はイスラエルの家族であるため、何も進展しない。敵が味方であるなら敵のコントロールも思いのままという典型。自民党と野党と同じ構造である。

 

※グアテマラ市民虐殺現場

 

政治手法は、親米路線を採り外国からの軍事援助を引き出しつつ、グアテマラ国民連合などの反政府勢力への弾圧を強めた。軍部や民間自衛パトロールを動員、反政府勢力はもとよりマヤ系の先住民も襲撃対象となり、多数の村が丸ごと焼き払わられるなどの虐殺が行われた。グアテマラ内戦は、30年近く断続的に続いていたが、約20万人と推測される死者・行方不明者数の半分近くが、エフライン・リオス・モントが政権を握っていた1年あまりの時期に集中する。

21紀に入ると、グアテマラ内戦時代を通じた虐殺や弾圧事件が国内の裁判所において裁かれるようになり、エフライン・リオス・モントも例外ではなかった。2013年5月、大統領時代に発生したキチェ県のイシル族を中心に、軍部が15件1,771人を虐殺した事件を知りながら放置したとして、ジェノサイドと人道に対する罪で禁錮80年の刑が言い渡され、86歳の高齢ながら収監されている。 「エフライン・リオス・モント」wikiより

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

モロッコ王ムハンマド5世の子

 

ムーレイ・アブドラ(1935~1983)

佐藤信二(1932~2016) 自民党議員※佐藤栄作の子

 

設楽統(1973) バナナマン※佐藤信二の子

日村勇紀(1972) バナナマン※Princess Lalla Aminaの子(ムハンマド5世の孫)

 

※2人は野中英次のマンガ「ドリーム職人」の人形バナナマンからチーム名を決めたが、なぜおもしろくないギャグを選んだのか不明である。日村は伯父のハサン2世に良く似ている。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ヨルダン王タラール1世の子

 

フセイン1世(1935~1999) 第3代ヨルダン国王

河野洋平(1937) 自民党議員

アブデルアジズ・ブーテフリカ(1937) アルジェリア第9代大統領

 

※河野洋平はフセイン1世の影武者として生まれた。彼はモロッコ王ユーセフに顔が似ている。

 

ハッサン(1947)※画像なし

ホアン・アントニオ・マルチネス・カミノ(1953) マドリード・メトロポリタン主教

 

※ハッサンの影武者として生まれた。数十万のスペイン人カトリック信者を自由自在に操ることができる。スペインのラジコンマスター。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

フランシスコ・フランコ総統の子(優性遺伝子ブリーダーによる)

 

安倍晋三(1954) 内閣総理大臣

加計孝太郎(1951) 加計学園園長

斉藤博久(1953?) 日本アレルギー学会理事長

甘利明(1949) 安倍政権

 

※安倍晋三の顔は、フランシスコ・フランコ総統譲りである。彼は総理就任後から卓越したシラのきり方、意表をつくウソのつき方を披露してみせた。言い分けの巨匠である。彼の技術は、禅問答、ソフィストの問答を踏襲している。古代、哲人ソクラテスに負けそうになったソフィストは、急に長い思い出話をし、ソクラテスを退けた。

安倍の異母兄弟である斉藤氏はウソをつくための権威であるが、何よりも安倍晋三の影武者である。安倍政権が遺伝子組み換え食品や残留農薬基準値の大幅緩和などの化学テロを推進しているのはこの影武者の力も大きく影響しているだろう。

食物アレルギーは実質的には化学アレルギーである。農薬の乱用やあからさまな化学テロである遺伝子組み換え食品によって人々は化学アレルギーによって苦しんでいる。しかし、日本アレルギー学会の理事長が大谷家なので、ウソしかつかない。加計と甘利は安倍の影武者と考えられる。尤も、安倍には晋一、晋二という一卵性の影武者がいる。昔なら影武者は似ていなくても良かったが、映像や画像が世界の隅々にまでいきわたっている現在ではそうはいかないのだ。そういうわけで、名前に数字が入っている人物は一卵性の影武者がいる。晋一、或いは晋二はメガネをかける。

甘利明。甘利氏を見るたびに吉田戦車の漫画を思い出してしまう。背を高くみせるならシークレットシューズじゃなくて、断然、シークレットヘッドですよね。そして加計孝太郎。ご存知、家系問題、失礼、加計問題の中心人物。タナトス譲りのスカな言い分けと大胆なシラのきり方により、本願寺の一族がウソをついているところを見たことがない良識ある人々を唖然とさせた。

 

 

フランシスコ・フランコ2世(1954)※画像なし

玉城デニー(1959) 沖縄知事

 

※フランコ将軍の子フランコ2世が玉城デニーを名乗り、異母兄弟安倍の応援のためスペインから駆けつけた。安倍に負けるために翁長知事を殺して沖縄知事になり、見事に負けて見せた。トランプ大統領がデニーを無視したのはデニーが安倍の弟だと言うことを知っていたからだ。トランプ大統領に言わせれば「ふざけるな」というところだろう。

 

前原誠司(1962)

マイケル・コーエン(1966) トランプ大統領元弁護士

 

※人のよさそうなフリをして敵の内部にもぐりこみ、内部から敵を撹乱させるワザを得意とする。味方のフリをしながら敵を分断する力を持つ。最近は野党もみな大谷の子ではないかと勘ぐったが、前原氏や枝野氏が野党側にいるということは、敵(善)はまだ存在していす。だから、議員が全員大谷の子ということにはまだなっていない。

そしてマイケル・コーエン。彼は母が白人なのでフランコに良く似ている。前原の影武者として生まれてきた。悲しい人生だ。それ以上に、ウソだとバレていてもウソをつき続けるしか術がない。まさに「死んで初めて役に立つ」人間の見本。彼はまだ役に立っていない。

 

滝川クリステル(1977)

 

※東京オリンピック招致では「おもてなし」という言葉を口にした。これは、正しくは「表無し」である。表無し、つまり言い換えれば「裏ばかり」であるが、これは「陰謀を駆使すること」のアピールであり、安倍政権の日本人に対する宣戦布告である。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

安倍晋三の子

 

文恵進(1963~1963)

林眞須美(1961)

 

※安倍が9歳の時の子となる。安倍は、岸信介、佐藤栄作の血筋から、本願寺のことを何も知らない文鮮明に将来を期待されていたのだろう。だから、文鮮明は娘(たぶん40年代、50年代に生まれた庶子)に安倍の子を生むことを許した。そして自分の子とした。林眞須美。「和歌山毒物カレー事件」の主人公である。それにしても、本願寺の血筋の人物がなぜ逮捕されたのか謎である。通常、本願寺の血筋の人物たちは全力で地域の信者たちに守られているからだ。

 

文興進(1966~1984)

越智啓太(1965) 犯罪心理学者

 

※安倍晋三が12歳の時の子である。父晋三に見込まれたため、文興進は17歳で死んだことにし、越智啓太として日本に移住した。ウソをつくための権威。優勢遺伝子ブリーダーによって生まれた安倍晋三の子供である。越智啓太は父親のために異常犯罪のシナリオを執筆し、フェイクニュースの製作を手がけている。記憶に新しいのが富田林逃亡犯の事件である。基本的に法輪功の信者を中国から呼び寄せ、役者(クライシス・アクター)として起用し、事件を製作している。

 

文顕進(1969) 

孫毅(196?) 法輪功幹部

 

※孫毅は文顕進の影武者として生まれた。被害者を演じ、中国政府を攻撃しようと試みている。安倍晋三の子供であるだけにウソも言い分けもうまそうだ。笑

 

文國進(1970)

ユ・ヨンチョル(1970) 喰人シリアルキラー(高齢者・風俗嬢20人)

 

2003年9月24日、ソウル特別市江南区新沙洞で大学名誉教授夫妻が殺害された。その後、2004年7月に犯人が逮捕されるまで、主に富裕層の高齢者や風俗嬢の合計20人が殺害された。 wikiより

 

文亨進(1979) 第2代統一協会指導者

 

※文鮮明の娘、文誉進と安倍晋三の子である。文鮮明は優性遺伝子ブリーダーによって生まれた、西太后の子、大島義昌の息子である。一方、大島義昌の孫娘が、安倍晋三の父方の祖母であるため、文鮮明は安倍が大谷の子ということも知らず(というか大谷がタナトスということを知らず)、娘が安倍と付き合うのを許したのだろう。それで19歳の時に文亨進が生まれた。

安倍は1977年に渡米し、南カリフォルニア大学に留学したという。たぶん、そのときに文誉進とデキたのだろう。1979年には安倍は日本に帰国している。因みに、文鮮明が儲けた男子で有力な者はみな死んでいる。当然、統一協会を乗っ取るための本願寺の陰謀だろう。

 

白石隆浩(1991) 座間9遺体事件容疑者

 

※白石は文鮮明の孫と考えられる。wikiにも詳細な情報はないので断言できないが、文鮮明の子はみな安倍の子なので、ありうることだ。白石は、父晋三のために一役買って出た形だ。おまわりさんは優しいし、死刑になることもないし、安心。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

アブドゥッラー2世(1962) 第4代ヨルダン国王

アンソニー・ウィーナー(1964) 民主党議員※エフライン・リオス・モントの子

 

※性的スキャンダルで逮捕、罰金刑に処された。子どもの血を飲んだブルネイ王室(カペー王フィリップ2世の一族)に属するフーマ・アベディンと結婚していた。

 

 

 


証如の一族~明智光秀、魔女狩り、戦国時代、オランダ王国、近衛家、クウェート王国、イギリス東インド会社、南アフリカ連邦、ジャム・カシミールのムジャヒディーン、湾岸戦争

証如(1516~1554)
フランソワ(1519~1563) ギーズ公

ジョン・ノックス(1510~1572) 長老派教祖

アントワーヌ・ド・グランヴェル(1517~1586) 枢機卿

 

日本:一向一揆、朝倉教景滅亡(1531)
西欧:ネーデルラント市民蜂起(1566)
西欧:ネーデルラント自由戦争(1568~1648)
フランス:ユグノー5万人虐殺(1572)
西欧:オランダ独立宣言(1581)

 

※証如は、朝倉教景を討つことで、子の朝倉義景を援助した。その後、自分の国を欲した証如は、50歳でヨーロッパに移り、ギーズ公フランソワを称し、異母兄弟であるローマ教皇ピウス5世と共にユグノー虐殺も指揮した。これによってユグノーを簒奪し、カルヴァンの改修派を息子である朝倉義景(ウィレム1世)が築いた国オランダの国教とした。

また、証如はジョン・ノックスにも変身し、「長老派」を築いてスコットランドに根付かせた。ノックスは魔女狩りの拷問に工夫を加え、眠らせないなどの拷問を加えた。身体に傷をつけないことで悪意を消そうとした。

更に、アントワーヌ・ド・グランヴェルに化けてスペイン・ハプスブルク家に仕え、当時のヨーロッパ諸国政治家の中で有力者となった。そして、プロテスタントをネーデルラントで弾圧したことが知られている。アントワーヌ・ド・グランヴェルはシャルル・ド・ロレーヌと密接な関係だったという。それはそうだろう。親子なんだから。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ギーズ公フランソワの兄弟(証如の子)

 

ルネ(1522~1602) ランス聖ペテロ修道院長※画像なし

三好長慶(1522~1564) 三好三人衆

陶晴賢(1521~1555)※画像なし
武田信玄(1521~1573)

 

日本:川中島の合戦(1553~1564)

 

※ルネは、三好長慶として畿内・阿波国の掌握を狙い、陶晴賢として中国地方の掌握を狙った。更に、武田信玄として父であるはずの武田信虎に蜂起し、退けた末に甲斐国をも掌握した。一般人は、なぜ息子が父を?と驚くが、実際に血はつながっていないし、もとより、大谷の血筋なので関係ない。武田信玄は、フランスから来たギーズ公フランソワの兄弟(証如の子)なのだから。

実如は、懸念勢力である武田氏の弱体化を目論み、自分の血統を打ち立てた。武田家に生まれた信玄は「甲州法度次第」を作って、家の中にいる反乱分子を抑え込んだ。大谷の血を引く武田信玄は、当然のように武田信虎を追放し、信虎が築いた甲斐の国をただ同然で手に入れた。また、信玄は懸念勢力である上杉謙信を排除するための使命を与えられたが、敗北したために、結局、大谷の医者が毒を盛り上杉謙信を暗殺した。病死であるなら仇討ちの心配はない。これが病死で敵を殺す際のポイントである。

 

シャルル・ド・ロレーヌ(1524~1574)

長井道利(?~1571) 斎藤氏家臣※画像なし

 

※顔が明智光秀に似ている。当然だろう。兄弟だから。シャルルは日本では長井道利となり、弟のルイ・ド・ロレーヌが扮する斎藤義龍と共謀した。2人の使命は美濃国の掌握だった。

 

 

クロード(1526~1573) オマール公※画像なし

長尾政景(1526~1564)

 

※クロード(長尾政景)は、兄であるルネ(武田信玄)と共に上杉謙信に敵対した。上越国の掌握が目的だった。

 

ルイ・ド・ロレーヌ(1527~1578)

斎藤義龍(1527~1561)

 

※義龍は弟の孫四郎・喜平次ら(斎藤道三の子)をおびき出して日根野弘就に殺害させた。そのため、仰天した道三は大桑城に落ち延びた。弘治2年(1556年)、義龍は長良川にて道三と対峙、道三を支持する勢力は少なく、旧土岐氏の勢力に支えられて道三を討ち果たした(長良川の戦い)。

 

フィリップ(1529)※画像なし

明智光秀(1528~1582)

ジャン・ボダン(1530~1596) 魔女狩り

 

西欧:ジャン・ボダン「悪魔崇拝」発表(1580)

日本:本能寺の変(1582)

 

※光秀の青年期の履歴は不明な点が多いといわれる。それはそうだ。彼はフランスから来たのだから。光秀はギーズ公クロードの子フィリップである。実際には、フィリップは兄フランソワ(証如)の子として生まれたが、早世したことにして潜伏し、ジャン・ボダンやニコラス・レミーとして生き、終生、魔女狩りに熱意を傾けた(つまり善人の殺人)。だが、後に他の兄弟と共に日本に進出した。それが明智光秀と朝倉義景、荒木村重、浅井長政、斎藤義龍、武田信玄、長尾政景、長井道利、三好長慶の連合軍である。これは、フランスに生まれた証如が家族総出で日本を征服しにかかっていると考えることが出来る。

4人は当時の日本を治めていた顕如と組み、浄土真宗最大の敵である織田信長の至近距離に配置され、英雄が油断する日を待って虎視眈々と待機していた。その後、あまりに狡猾な顕如と教如の芝居に騙された信長は、光秀によって本能寺の変で討たれた。最大の邪魔者の排除は成功したものの、秀吉らに狙われるようになった明智光秀は、日本を離れてヨーロッパに帰還し、魔女狩りを再開した。

 

ピエール(1530)※画像なし

ニコラス・レミー(1530~1616) 魔女狩り

 

西欧:ニコラス・レミー「悪魔礼拝」発表(1595)

 

※ピエールは早世したことにして潜伏し、ニコラス・レミーとして育った。兄のフィリップ(ジャン・ボダン)と共に魔女狩りにまい進した。悪夢の魔女狩り兄弟である。

 

フランソワ(1534~1563) 聖ヨハネ騎士団総長※画像なし

朝倉義景(1533~1573)

ウィレム1世(1533~1584) オランダ初代総督

 

※朝倉義景はウィレム1世としてオランダ王国を築いた。「沈黙公」として知られているが、これは彼が日本人である証拠といえる。 オランダ語をしゃべれなかったのだ。朝倉は、さすがに信長を相手に戦国時代を生きただけあり、簡単にオランダを掌握した。それだけ、戦国時代の戦争はレベルが高かったといえる。或いは、覇王織田信長と魔王本願寺門主顕如の戦いというべきか。

 

ルネ2世(1536~1566) エルブフ侯※画像なし

近衛前久(1536~1612) 近衛家17代当主※画像なし

明智秀満(1536~1582) ※画像なし
荒木村重(1535~1586)

 

※荒木村重は、本願寺や足利義昭(証如の子)と親交があり、大谷の血族に属していることが分かる。荒木は、信長攻めの第一段として蜂起したが、不利になると自分だけこそこそと逃亡した。信長は、歴史で知られているように荒木の家の者を惨殺したりはしなかった。惨殺したと報じたのは荒木を誘き寄せる手段だったが、隠れたままの荒木に愛想が尽きた信長は逆に荒木の家の者を哀れに思っただろう。

その後、荒木は近衛前久に化けて本願寺と信長の間を取り持っている。これは単なる猿芝居だったが、本能寺の変のあとには荒木は茶人として復活した。そして、千利休に接近し、この謎の多い人物の動向を探った。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ギーズ公フランソワ(証如)の子

 

アンリ1世(1550~1588) カトリック同盟指導者

アンリ・ボゲ(1550~1619) 魔女狩り※画像なし

浅井長政(1545~1573)

筒井順慶(1549~1584) 明智光秀の弟

 

西欧:アンリ・ボゲ「魔女論」発表(1602)

 

※浅井長政は、朝倉義景と同じく信長包囲網の一員だった。長政は、信長を油断させるため、または人質として妹のお市と結婚したのだ。とにかく、1573年に浅井長政は自分を死んだことにし、無事に抜け出してフランスに帰還した。このときにアンリ1世として「カトリック同盟」を指揮し、ユグノーの大虐殺を実施した。このとき、人食いも行われていたようだ。

 

マクシミリアン(1565~1567)※画像なし

森蘭丸(1565~1582)

 

※本能寺の変で主君と2人の弟と共に討死した。 とされているが、実際には信長が逃げられないように、止めを刺す役割だったと考えられる。平静から信長は敵に囲まれていたのだ。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ルネ2世の子

 

シャルル1世(1556~1605)※画像なし

ジョン・ワッツ(1554~1616) イギリス東インド会社創業※画像なし

トーマス・スミス(1558~1625) イギリス東インド会社初代知事

 

イギリス:イギリス東インド会社創立(1600)

 

近衛基熙(1648~1722) 近衛前久(ルネ2世)の玄孫

ジョージ・ホワイト(1648~1707) イギリス東インド会社※画像なし

 

※ルネ2世はイギリス東インド会社を創設した中心人物を設けたが、ルネ2世は日本では近衛前久を名乗っていたことから前久の玄孫がイギリスに渡り、ジョージ・ホワイトとしてイギリス東インド会社に貢献した。

 

近衛経熙(1761~1799) 近衛家25代当主※画像無し

津軽寧親(1765~1833) 交代寄合陸奥黒石領第6代当主、陸奥弘前藩第9代藩主

松平信明(1763~1817) 三河国吉田藩3代藩主、江戸幕府老中・老中首座、松平伊豆守系大河内松平家7代※画像無し

 

夢月院(1699)※近衛熙子の子、近衛基熙の孫

サバーハ・ビン・ジャービル・アッ=サバーハ(1700~1764) サバーハ家当主、クウェート首長

ロバート・ブートル(1694~1758) イギリス東インド会社主席 任期1741~1755

 

※母は近衛熙子、父は徳川家宣(東本願寺門主真如)である。夢月院は早世したことにしてクウェートに送られ、サバーハ・ビン・ジャービル・アッ=サバーハとして育てられた。夢月院はクウェートの初代首長となる。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

サバーハ2世アッ=サバーハ(1784~1866) クウェート第4代目首長※画像無し

ジェイムズ・ホッグ(1790~1876) イギリス東インド会社主席 任期1839~1858

クラーブ・シング(1792~1857) ジャンムーカシュミール藩王国初代君主 在位1846~1856

 

※クウェート4代目首長サバーハ2世はイギリス東インド会社主席ホッグとして活動したが、自身の国を欲し、ジャンムーカシミール地方を掌握した。これがセポイの乱やムジャヒディーンの前身となる。

 

津軽信順(1800~1862) 陸奥弘前藩第10代藩主

津軽順承(1800~1865) 陸奥黒石藩2代藩主、陸奥弘前藩11代藩主

ロス・ドネリー・マングルス(1801~1877) イギリス東インド会社主席 任期1857

フレデリック・カリー(1799~1875) イギリス東インド会社主席 任期1858

 

※津軽信順は津軽寧親の子だが、父津軽寧親の正体は近衛経熙である。津軽信順は事実上の祖父近衛経熙の子となる近衛基前の娘(近衛経熙の孫)と結婚した。しかも、津軽寧親は松平信明でもあった。おもしろいことに津軽信順は、同い年で、しかも異母兄弟である松平信明の子(津軽順承)を養子として迎えている。津軽信順は弘前藩を治めながら、自身の影武者(父とタナトス系白人女性の子)であるマングルスとカリーはイギリス東インド会社の主席としてインドで活動した。

2人は生年が近いことから同一人物の可能性もある。証如の末裔であるが、もとより、イギリス東インド会社は東本願寺門主証如の家族のみが参加でき、それ以外の血統はお断りだった。この2人が「セポイの乱」を指揮した。西本願寺門主法如の一族が大英帝国を掌握していたため、それに反抗した形だ。

 

サーリム・アル=ムバーラク・アッ=サバーハ(1864~1921) クウェート第9代目首長※画像無し

ジェームズ・バリー・ミューニック・ヘルツォーク(1866~1942) 南アフリカ連邦国民党創設

 

※イギリス東インド会社主席マングルスかカリーの子と考えられる。セポイの乱で敗北すると、イギリス東インド会社の残党は南アフリカに落ち延びた。ヘルツォークは南アフリカ連邦国民党を創設した。

 

アブドゥッラー3世アッ=サバーハ(1895~1965) クウェート第11代目首長

ハリ・シング(1895~1961) ジャンムーカシュミール藩王国第4代君主

 

サバーハ3世アッ=サバーハ(1913~1977) クウェート第12代目首長※画像無し

イアン・スミス(1919~2007) ローデシア共和国初代首相

 

※1961年にローデシア戦線党を結成し1964年4月13日から南ローデシア植民地政府首相を務め黒人の抵抗運動を徹底的に弾圧した。あくまで少数の白人支配の存続を望み1965年11月11日に、南ローデシアの白人政権は英国から一方的な独立宣言を行い、英国から派遣されていた総督も追放しローデシア共和国と名乗った。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

アフマド=ビン=ジャービル・アッ=サバーハの子

 

ジャービル・アル=アフマド・アッ=サバーハ(1926~2006) クウェート第13代目首長

Amanullah Khan(1934~2016) ジャム・カシミールのムジャヒディーン創設

 

※ジャービルは湾岸戦争の協力者である。彼は、西本願寺門主大谷光瑞の一族であるジョージ・H・W・ブッシュと共謀して湾岸戦争を指揮した。基本的には、イラク軍に潜んでいる仲間に指揮し、クウェートに侵攻するように指示した。これでイラクの悪者化は完了である。あとはブッシュ率いるアメリカ軍がイラク軍を叩けば、ブッシュは正義の味方となる。

 

Nawaf Al-Ahmad Al-Jaber Al-Sabah(1937)

Maqbool Bhat(1938~1984) ジャム・カシミールのムジャヒディーン創設

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ジャービル・アル=アフマド・アッ=サバーハの子

 

ムバラク(1945) 

サイード・サラフディーン(1946) ヒズブル・ムジャヒディーン最高指導者

アブドゥル・ジャバル・サビト(1946) アフガニスタンのムジャヒディーン

 

ファハド(生没年不詳)

Hashim Qureshi(1953) ジャム・カシミールのムジャヒディーン

 

アマール(生没年不詳)※画像無し

Yasin Malik(1966) ジャム・カシミールのムジャヒディーン

アブー・アイユーブ・アル=マスリー(1968~2010) ムジャーヒディーン評議会指導者

 

マーラブ(生没年不詳)※画像無し

アブドゥル・ハク(1971) ムジャーヒディーン司令官

 

 

 



読者登録

大本正さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について