目次
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まえがき 悪の足跡の追求
タナトスの一族~カニバリズム、人身御供、クロノス、アトランティス王国、最終戦争ラグナロク、タングート、西夏、狼男、チャガタイ・ハン国、タウングー朝、ズールー帝国、アフリカ独立運動、ボコ・ハラム
ティールタンカラの一族~アーリア人、仏教、継体天皇、中臣鎌足、藤原不比等、白河天皇、鳥羽天皇、マリ帝国、ジェノヴァ共和国、ルクセンブルク公国、リヒテンシュタイン公国、モナコ公国、アシャンティ帝国
デウスの一族~ジャイナ教、河伯、サータヴァーハナ朝、フン族、アッティラ帝王、稲荷神社、九頭龍、風水、足利尊氏、後醍醐天皇、シャーマニズム、クエーカー教、住友財閥、三井財閥
ダーナ神族の一族~ディオニュソス、デニエン人、猿田彦、契丹、デーン人、鬼、酒呑童子、ハーバード大学、ジョージ・ワシントン大統領、アメリカ連合国、統一イタリア王国、カナダ、ニュージーランド、阿含宗
アブラハムの一族~シュメール文明、エフライム族、バアル、アフラマズダー、ゾロアスター教、マケドニア王国、聖徳太子、ピサ共和国、奥州藤原氏、フランシスコ・ピサロ、ヴァーサ朝、フィンランド共和国
預言者ナタンの一族~ラピタ文化、ダン族、ソロモン王、ミディアン人、ストーンヘンジ、アテーナイ王国、ヒクソス、アマルナ宗教改革、マフディー国家
アッシュール・ダン1世の一族~魔神アスラ、タニス、北イスラエル王国、アルメニア王国、グノーシス主義、コプト教、聖コルンバ、アルシング議会
ガリアのドルイド司祭(東本願寺)の一族~アテネ民主制、ローマ執政官、ソピテース、デマゴーグ、ヘロデ大王、ローマ帝国、フィリキ・エテリア、青年トルコ革命
聖ドナトゥスの一族~渤海王、ブワイ朝、テンプル騎士団、ジンバブエ王国、ダホメー王国、ハイチ帝国、黒人地位向上協会、バハーイー教
ローマ教皇レオ1世の一族~ランゴバルト王国、メロヴィング朝、マズダク教、ウイグル可汗、浄土教、曹洞宗、ノルマン人、カルマル同盟、出雲大社、コーザ・ノストラ、オーストラリア、バチカン市国委員会
クリュニー大主教ベルノの一族~ナバラ王国、フランク・ローマ皇帝、カペー朝フランス王、民衆十字軍、土肥実平、長宗我部氏、三菱財閥、ルワンダ大虐殺
クリュニー大主教アイマールの一族~キエフ大公国、シトー会、北条時政、聖フランチェスコ会
クリュニー大主教ヒューの一族~ヒメネス朝ナバラ王、バルセロナ朝アラゴン王、ブルゴーニュ朝カスティーリャ王、ハフス朝、バルバロス・ハイレッディン、チュニジア、アルジェリア
カペー朝ルイ7世の一族~メリナ王国、カンボジア王国、カリブ族、ゴーストダンス、マウマウ団、ドラヴィダ進歩党、カーゴカルト、パプアニューギニア、クメール・ルージュ
カペー朝フィリップ2世の一族~ドイツ騎士団、白蓮教、小西行長と弥助、マラッカ王国、ブルネイ帝国、リンガトゥ教、呪術師スビキロ、バラク・オバマ、フアン・グアイド
親鸞の一族~浄土真宗、時宗、一向宗、世界初の精神病院ベドラム、ブルゴーニュ朝ポルトガル、コンキスタドール、メキシコ帝国、麻薬カルテル
如信の一族~魔女狩り解禁、異端審問、伊勢大社、カペー朝フランス王、ボルボン朝スペイン王
覚如の一族~紅巾の乱、華僑、百年戦争、殺人集団タギー、琉球王国、アチェ王国、黎朝ベトナム帝国、白蓮教、シンガポール、日清食品、社会民主党、全能神
善如の一族~倭寇、恭愍王、足利義満、日野富子、三浦倭館、東林党、魏忠賢、フランシス・ドレイク、バッカニア海賊
綽如の一族~ヴァロワ=ブルゴーニュ公、ブルボン公、能登守、ケベック解放戦線
巧如の一族~ジル・ド・レ、ヴァロワ朝フランス、マルタ騎士団、マラーター族、ハウサ諸王国、ソコト帝国
存如の一族~応仁の乱、アラゴン王国、アヴィス朝ポルトガル
蓮如の一族~スイス連邦参事会、魔女狩り、パッツィ家、ロレーヌ公、一向一揆
実如の一族~毛利元就、オルデンブルク朝デンマーク、モロッコ王国、フランコ将軍、パレスチナ解放機構、トントンマクート、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三、統一協会
証如の一族~明智光秀、魔女狩り、戦国時代、オランダ王国、イギリス東インド会社
顕如の一族~万暦の三征、魔女狩り、オランダ東インド会社、スチュアート朝、老論派、バプティスト教会、メソジスト教会
教如の一族~織田信雄、東山天皇、仁孝天皇、孝明天皇、カメハメハ大王、ハワイ王国、トンガ王国、サモア独立国、フィジー共和国、エチオピア連邦民主共和国
宣如の一族~ハプスブルグ家、ブルボン家、プファルツ朝スウェーデン王、フルベ聖戦、イスラーム・マグリブ諸国のアル=カーイダ機構
琢如の一族~英蘭戦争、マラーター王国、ベンガル太守、アワミ連盟、バングラデシュ、ジャマート=ウル=ムジャーヒディーン
常如の一族~後金時代、李氏朝鮮末期、琉球第二尚氏王統、東学党、ゴ・ディン・ジエム、大韓民団、株式会社ロッテ
一如の一族~名誉革命、ジャコバイト、オラニエ=ナッサウ王家、南アフリカ連邦、オレンジ革命
真如の一族~イエズス会弾圧、ムガール皇帝、マラーター同盟、タタ財閥、デカン・ムジャヒディーン
従如の一族~田沼意次、徳川家重、松平定信、井伊直弼、水野忠邦、徳川慶喜
乗如の一族~フランス革命、ベトナム植民地、ブラジル帝国、YMCA、セブンスデー・アドベンチスト教会、国際赤十字社、花粉症、AIDS
達如の一族~復古神道、尊皇攘夷、天理教、金光教、神社本庁、日本社会党、講談社、日本会議
大谷光勝の一族~丙寅教獄、明治維新、ビアフラ共和国、ソンミ村虐殺、コリン・パウエル、コンドリーザ・ライス、トニー・ブレア
大谷光榮の一族~アドルフ・ヒトラー、ハインリヒ・ヒムラー、軍産複合体、パフラヴィー朝皇帝、アウグスト・ピノチェト、立憲民主党
大谷光演の一族~重慶爆撃、CTスキャン、ダライ・ラマ14世、ディズニー・カンパニー、スティーブン・スピルバーグ、ジャニーズ、タイム・ワーナー社、YOUTUBE
ヘンリー・キッシンジャーの一族~ビル・クリントン、湾岸症候群、ジョン・ベネ殺害事件、レバノン空爆、ロシアの人喰いズマガリエフ、フェイスブック
大谷光暢の一族~ラビア・カーディル、地下鉄サリン事件、天安門事件、オウム地下鉄サリン事件、酒鬼薔薇聖斗、雨傘革命
大谷暢顕の一族~放送局アナウンサー、櫻井よしこ、神戸連続児童殺傷事件、学級崩壊、大阪池田小児童殺害事件、てるくはのる事件
大谷暢裕の一族~根本匠、2014香港反中デモ、2014香港反政府デモ、2019逃亡犯条例改正案撤回デモ
大宛のドルイド司祭(西本願寺)の一族~大宛、クシャーナ朝、鳩摩羅什、曇鸞、浄土宗、隋、ウマイヤ朝イスラム帝国、北宋、舜天王統、ブギス族、ジョホール朝、林本源、中国仏教協会、台湾
王安石の一族~南宋皇帝、今川国氏、デリー・スルターン朝、曹洞宗、総持寺祖院初代門主
今川国氏の一族~アステカ人身御供、ヴラド・ツェペシュ、見付天神の人身御供、エリザベート・バートリ、モルダヴィア公、ルーマニア王国、モルドバ共和国
准如の一族~小早川秀秋、ドン・コサック、古儀式派、ノーベル賞、ベルナドッテ朝スウェーデン王
良如の一族~生類憐みの令、火付盗賊改、子供を殺すための法律「ブラック法」、MI6長官
寂如の一族~女帝エカチェリーナ、秘密結社イルミナティ、ナチス帝国、特高警察、モサド、中央情報局、アメリカ連邦捜査局
住如の一族~黒住教、ビン=ラディン・グループ、アルカーイダ、ソマリランド大統領、GOOGLE
湛如の一族~ジュンガル帝国、チャックリー家、タイ王国首相、モンゴル人民革命党、霊友会、世界救世教、祟教真光、日本相撲協会
法如の一族~アヘン戦争、ロスチャイルド財閥、ロックフェラー財閥、スカル&ボーンズ、第一次世界大戦、ホスピス、北大西洋条約機構、ベルギー首相職、アムネスティ・インターナショナル
文如の一族~ウクライナ東方カトリック教会、薩摩戦争、切り裂きジャック、インディアン虐殺、国際連合
本如の一族~ウクライナ東方カトリック教会、東トルキスタン、ムスリム同胞団、ユーゴスラビア紛争、チェチェン紛争、南オセチア紛争、ウクライナ政変
広如の一族~伊藤博文、大隈重信、山縣有朋、新渡戸稲造、白洲次郎、東条英機、日産コンツェルン、731部隊、ベトナム戦争
デヴィッド・ロックフェラーの一族~ジョージ・ソロス、CNN、モンサント社、遺伝子組み換え作物、成長ホルモン、コソボ爆撃、コロンバイン高校銃撃
大谷光尊の一族~イギリス王室、ファシスト党、ディープ・ステート、ウィリアム・ハイレンズ、イスラム国、ウクライナ21、ライブドア
大谷光瑞の一族~ジョージ・H・W・ブッシュ、湾岸戦争、冷戦終結、法輪功、国境なき記者団、自動運転技術テロ、オール電化テロ
大谷光照の一族~ジョージ・W・ブッシュ、除草剤ラウンドアップ、連続殺人犯テッド・バンディ、世界同時多発テロ、キャラバン
大谷光真の一族~悪魔ビル・ゲイツ、マイクロソフト社、上祐史裕、プログラム自動ダウンロードテロ、異常行動テロ
大谷光淳の一族~2ちゃんねる、仙台女児連続暴行事件犯人、2019逃亡犯条例改正案撤回デモ、Qアーミージャパン
ユダヤ人(1731)の一族~ハザール帝国、カバラ神秘主義、ホフユーデン、人体自然発火事件、クーン・ローブ商会、シオニズム運動、精神医学、モサド、ドイツキリスト教民主同盟
ユダヤ人(1908)の一族~ヒヴァ・ハン国、ガージャール朝、アドルフ・ヒトラー、ツングース大爆発、ロケット、マンハッタン計画、原子爆弾、水素爆弾、レーザー、コンピューター
第一次、第二次、第三次世界大戦の一族
タナトス一族の趣味~世界の拷問
あとがき
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善如の一族~倭寇、恭愍王、足利義満、日野富子、三浦倭館、東林党、魏忠賢、フランシス・ドレイク、バッカニア海賊

善如(1333~1389)
明玉珍(1331~1366) 農民反乱指揮者・夏王朝初代皇帝※画像なし

恭愍王(1330~1374) 高麗王※画像なし
エンリケ2世(1334~1379) トラスタマラ朝レオン王
カルロス2世(1332~1387) エヴルー朝ナバラ王

 

中国:紅巾の乱(1351~1368)

中国・高麗:倭寇大規模略奪(1358)

 

※高麗王を演じていた善如は、北九州~福建の倭寇を指揮し、ガリア人の「聖なる移住(ウェルサクレム)」の要領で、数で押す形で大陸沿岸部を侵食していた。もちろん、時の高麗王恭愍王は意図的に何の対策も講じず、苦しんでいる人々と倭寇のあらくれぶりを放置していた。そのための王である。

高麗では1358年から倭寇による大規模な略奪が起きた。これを指揮していた、名前も知られていない倭寇の首領は、東本願寺門主善如であった。そして高麗沿岸部の被害は、高麗王恭愍王(善如)がじきじきに指揮していた。

善如は中国本土では明玉珍を名乗り、仏教信者を指揮して農民一揆を発生させていた。また、アフリカから来た劉氏の子孫、韓林児(フォン族)や覚如の子たち(方国珍、張士誠、陳友諒)と組み、紅巾の乱を指揮した。しかし、リトアニア帰りの朱元璋の登場により、大谷の中国支配は頓挫した。だが、このときに築かれた白蓮教の指揮系統は今でも生きており、法輪功で利用されている。

 

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明玉珍の子

 

明昇(1356~?) 夏王朝第2代皇帝 在位1366~1371※画像なし

定宗(1357~1419) 李氏朝鮮第2代国王

足利義満(1358~1408) 室町幕府第3代征夷大将軍

マルティン1世(1356~1410) バルセロナ朝アラゴン王※画像なし
フアン1世(1358~1390) トラスタマラ朝カスティーリャ王

 

※李氏朝鮮の簒奪は失敗したが、日本に移り、室町幕府の簒奪に成功した。足利氏はもともとマヤにいたタナトス(河伯)の子孫であり、マヤの神イシュキックに由来する。イシュキック=イスキク=足利となる。マヤの神イシュチュルを由来にした五辻氏からは後醍醐天皇が排出されている。大谷の血統がマヤのタナトスの遺伝子を取り込んだ形だ。

 

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定宗の子

 

高城翁主(生没年不詳)

日野重子(1411~1463)

 

日野富子(1440~1496)

 

※悪女として有名な日野富子も大谷の一族だった。その正体は李氏朝鮮の王、定宗の孫である。定宗の娘に生没年が不詳の高城翁主がいるが、彼女が日本に移り、日野重子になったと考えられる。

 

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朱椿(1371~1423) 朱元璋の子

太宗李芳遠(1367~1422) 李氏朝鮮第3代国王

ヤドゥ・ラーヤ(1371~1423) マイソール王国初代王 在位1399~1423

 

※太宗李芳遠は朝鮮半島からインドに赴き、マイソール王国を築いている。オデヤ(ウォディヤール)家の名の由来は朝鮮語「オディヤ?(どこだ?)」であり、マイソールの由来は「ムイ、ソウル(ソウルじゃない)」である。

 

イ・ジョン(1407~1453) 太宗の子

足利義量(1407~1425) 室町幕府第5代征夷大将軍

 

※ダヴィデの一族の王朝である明の皇帝は、朝鮮や日本にも進出することを狙っていた。朱元璋の子朱椿は李氏朝鮮では太宗に変身し、朝鮮半島を治めた。その後、太宗の子イ・ジョンが日本に進出し、足利義量として征夷大将軍に即位した。しかし、異分子の侵入を察知した善如の一族は義量を亡き者にしようと画策し、これに気付いた義量は18歳で死んだことにしていち早く日本を脱出し、李氏朝鮮に帰還した。彼は46歳まで生きた。

 

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足利義満の子

 

足利義持(1386~1428) 室町幕府第4代征夷大将軍

 

足利義教(1394~1441) 室町幕府第6代征夷大将軍

アルフォンソ5世(1396~1458) トラスタマラ朝アラゴン王

 

※善如の一族は、他の本願寺の一族のように世界進出を試みてはいたが、足利義量の件以来、善如の一族は誰かに狙われていることに気付き、それどころではなかったようだ。

 

足利義政(1436~1490) 室町幕府第7代征夷大将軍

 

足利義稙(1466~1523) 室町幕府第10代征夷大将軍

宗義盛(?~?) 三浦の乱指揮者

 

※李氏朝鮮の王室が日本の侵略を試みていることを察した善如の一族は朝鮮攻略のために釜山に倭館を築いた。義稙は宗義盛に化けて「三浦の乱」を指揮し、李氏朝鮮に蜂起したが退けられた。

 

小田政治(1492~1548) 第11代将軍足利義澄の子

ウィリアム・ホーキンス(1490~1554) ジョン・ホーキンス父※画像なし

 

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足利義晴(1511~1550) 室町幕府第12代征夷大将軍

王直(?~1560) 倭寇・福建海賊首領※画像なし

 

徽州歙県(きしゅう きゅうけん、現在の安徽省黄山市)に生まれる。任侠の徒であったと言われ、青年の時に塩商を手がけるが失敗。明が海禁政策を行うなか葉宗満らと禁制品を商う密貿易に従事した。双嶼(リャンポー、浙江省寧波の沖合い)港を本拠地に活動していた許棟、李光頭の配下として東南アジアや日本の諸港と密貿易を行い、博多商人と交易して日本人との信任を得る。1548年、密貿易を取り締まった朱紈らが双嶼を攻撃すると逃れて海賊集団を組織し、浙江省舟山諸島の烈港を本拠に徽王と称し、徐海と並ぶ倭寇の頭目となった。王直 wikiより

 

※明第12代皇帝嘉靖帝は工作員として日本に潜入し、足利義晴の子として足利義輝を生んだ。しかし、義輝は従兄弟である義栄に正体を知られたため、執拗なまでに狙われ続けた。1565年、義輝は三好三人衆に殺害されたことにして父の故地中国に渡り、1567年に隆慶帝に即位した。

彼はなぜそんなにすぐに明の皇帝になれたのか?それは、義輝(隆慶帝)が嘉靖帝(ダヴィデの一族)の子だったからだ。一方、そんな騒ぎをよそに、足利義晴は福建に赴き、王直に変身して倭寇を取り仕切った。

 

ジョン・ホーキンス(1532~1595) イギリス海賊

十河一存(1532~1561) 三好三人衆父※画像なし

有馬則頼(1533~1602)

 

※第11代将軍足利義澄の子孫であるジョン・ホーキンスがイギリスから日本にやってきた。彼は有馬氏を乗っ取り、数々の有名な海賊を生み出した。

 

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足利義栄(1538~1568) 室町幕府第14代征夷大将軍

三好宗渭/三好三人衆(?~1569)※画像なし

ヘンリー・モーガン(1535~1688) バッカニア海賊

 

※倭寇の首領でもあった義栄は、イギリスに赴いて海賊ヘンリー・モーガンに化け、バッカニアとして知られた。彼はいとこである義輝と対立していた。なぜなら義輝は明皇帝の子であり、日本打倒のために侵入して嘉靖帝(ダヴィデの一族)が儲けた子だからだ。義栄は三好宗渭(三好三人衆)と足利義昭に化け、義栄の弟義助が三好長逸(三好三人衆)と松永久通に化け、義栄の弟義任が三好義継と岩成友通(三好三人衆)に化けて足利義輝の殺害を試みた。

しかし、義栄たちは義輝を逃したため、中国にまで追いかけ、東林党を設けて明皇帝となった義輝と対立した。明朝と東林党の対立は足利義輝と足利義栄の一族の対立だった。歴史上、義輝は足利義晴の子であり、義栄は足利義維の子であるが、義晴と義維は足利義澄の子で兄弟である。つまり、表向き、義輝と義栄の対立はいとこ同士の対立であった。更に、義栄は中国で東林党党首を演じながら日本で足利義昭として、織田信長と戦い、戦国時代を生きた。

 

足利義助(1541~1592) 義栄の弟※画像なし

三好長逸/三好三人衆(?~?)※画像なし

松永久通(1543~1577)※画像なし

池田勝正(1539~1578)

三好義興(1542~1563)

フランシス・ドレイク(1540頃~1596) イギリス海賊

 

※倭寇を統率していた義栄と義助は義輝(隆慶帝)を討つことを諦めるとイギリスに向かい、海賊として鳴らした。義助はフランシス・ドレイクとしてイギリス海軍を率い、倭寇仕込の戦術でスペイン無敵艦隊を撃破した。

 

足利義任(?~?)

三好義継(1549~1573)

岩成友通/三好三人衆(?~1573)

顧憲成(1550~1612) 東林党党首

 

※義任はイギリスには行かず、明に直行して隆慶帝、万暦帝の打倒を胸に「東林党」を結成した。自分たちに有利な世論、敵に不利な世論を形成するためである。しかし、東林党は足利義輝の一族に簒奪され、義栄の一族に属する魏忠賢によって激しく弾圧された。

 

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隆慶帝(足利義輝)の子

 

朱翊釴(1555~1559)

顧允成(1554~1607) 顧憲成弟

ジョン・ウォード(1553~1622) バルバリア海賊

 

朱翊鏐(1568~1614)

顧大章(1567~1625) 東林六君子

魏忠賢(1568~1627) 明朝宦官

 

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有馬則頼(ジョン・ホーキンス)の孫

 

有馬則故(1635~1713)

フランソワ・ロロネー(1635~1667) バッカニア海賊

 

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有馬則頼(ジョン・ホーキンス)の玄孫

 

有馬頼利(1652~1668)※画像なし

ウィリアム・キッド(1655~1701) イギリス海賊

 

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有馬頼利の弟

 

有馬頼元(1654~1705)

ヘンリー・エイヴァリー(1659~?) イギリス海賊

 

有馬則維(1674~1738) 有馬則故の子

アマロ・ロドリゲス・フェリペ(1678~1747) スペイン海賊

エドワード・ティーチ(1680~1718) イギリス海賊

チャールズ・ヴェイン(1680~1720) イギリス海賊※画像なし

エドワード・イングランド(1680~1721) イギリス海賊※画像なし

 

有馬頼旨(1685~1706) 有馬頼元の子※画像なし

バーソロミュー・ロバーツ(1682~1722) イギリス海賊

ジョン・ラカム(1682~1720) イギリス海賊※画像なし

 

酒井忠音(1691~1735) 有馬頼旨妹夫(実際には有馬頼旨の異母兄弟と考えられる)※画像なし

エドワード・ロウ(1690~1724) バッカニア海賊

サミュエル・ベラミー(1689~1717) イギリス海賊

スティード・ボネット(1688~1718) イギリス海賊※画像なし

 

有馬頼貴(1746~1812) 有馬頼旨の子

ジョン・ポール・ジョーンズ(1747~1792) イギリス海軍提督

 

有馬頼善(1779~1816) 有馬頼貴の子※画像なし

ジャン・ラフィット(1780~1826) 最後のバッカニア海賊

 

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アブドゥラヒ・ユスフ(1934~2012) 第6代ソマリア大統領 任期2004~2008

 

アダン・モハメド・ヌール・マドベ(1955) ソマリア大統領代理 任期2008~2009

 

シェイク・シャリフ・シェイク・アフマド(1964) 第7代ソマリア大統領 任期2009~2012

 

※ソマリア海賊の画像:彼らが活発に活動したのは、2005年~2010年の間で、上のソマリア大統領の任期に符合している。倭寇の時代の再来である。倭寇の時代も、倭寇をじきじきに指揮していたのは室町幕府征夷大将軍や高麗王族である。

 

 

 


綽如の一族~ヴァロワ=ブルゴーニュ公、ブルボン公、能登守、ケベック解放戦線

綽如(1350~1393)

畠山基国(1352~1406) 能登守※画像なし

フィリップ2世(1342~1404) ブルゴーニュ公

ボニファティウス9世(1350~1404) ローマ教皇 在位1389~1404※画像なし

 

スペイン:カスティーリャ、ユダヤ人虐殺(1392)
スペイン:マホルカ農民一揆(1392)

 

※綽如は、畠山氏を生み、タナトスの故郷である能登守として能登を守護した。更に、綽如はフランスに赴き、フィリップ2世としてヴァロワ=ブルゴーニュ家の祖となる。また、綽如はローマ教皇ボニファティウス9世としてスペインでユダヤ人虐殺などを指揮している。

 

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畠山基国の子

 

畠山満家(1372~1433) 畠山持国の父※画像なし

ジャン1世(1371~1419) ブルゴーニュ公

 

畠山満慶(?~1432) 能登守

 

畠山持国(1398~1455) 畠山義就の父※画像なし

フィリップ3世(1396~1467) ブルゴーニュ公

フアン2世(1397~1479) トラスタマラ朝ナバラ王

グレート・ピースメーカー(15世紀の人物) イロコイ連邦首長

 

※畠山満家はジャン1世であり、息子の畠山持国はフィリップ3世だった。満家と持国は日本でも親子だったが、フランスでも親子だったわけだ。

更に、フアン2世は現カナダに渡り、イドロイ連邦を掌握して「グレートピースメーカー」を名乗った。このグレートピースメーカーが名前に違い、カニバリズムをイロコイ連邦に持ち込んだと考えられる。イロコイの由来はチェロキーである。チェロキー=エロケイ=イロコイとなる。つまり、イロコイ族はチェロキー族の後身である。

 

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ブルゴーニュ公ジャン1世の娘

 

アニェス(1407~1476) ブルボン公シャルル1世と結婚

 

ジャン2世(1426~1488) ブルボン公

レオノール(1426~1479) トラスタマラ朝ナバラ女王※画像なし

 

シャルル2世(1434~1488) ブルボン公

 

ピエール2世(1438~1503) ブルボン公

ジルベール(1443~1496) モンパンシエ伯

 

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ジルベールの子

 

シャルル3世(1490~1527) ブルボン公

ジャック・カルティエ(1491~1557) ヌーヴェル・フランス総督

 

フランス・ブルターニュ地方サン・マロ出身のブルトン人探検家・北米への侵略者。セントローレンス湾とセントローレンス川岸にヨーロッパ出身者として初めて到達し、イロコイ族の言葉からその周辺の土地を「カナダ」と名付け記述したことで知られる。 北米大陸へ3度の探検を行い、プリンス・エドワード島やセントローレンス河口に到達、現在のケベックに上陸し、後のフランスによるカナダ領有の基礎を築いた。 wikiより

 

※ジャック・カルティエの正体はブルボン公シャルル3世であった。この時に現ケベック州の前身が作られた。

 

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歴代能登守

 

畠山義忠(?~1463) 能登守

 

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シャルル(1476~1498) クレルモン伯 ピエール2世の子※画像なし

ルイーズ・ド・サヴォワ(1476~1531) ブルボン女公

畠山義統(?~1497) 能登守※画像なし

 

※クレルモン伯だったシャルルは、身の安全を考えてルイーズ・ド・サヴォワを演じ、ブルボン女公としてコニャック同盟戦争を終結させている。シャルルは、義統として能登守も務めたが、1497年に死んだことにし、その後はルイーズ・ド・サヴォワ一本で生きた。ルイーズには子どもがいるが、シャルルがどこかの女に産ませた子だろう。

 

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ルイーズ・ド・サヴォワの子

 

フランソワ1世(1494~1547) ヴァロワ朝第9代フランス王

 

アンリ2世(1519~1559) ヴァロワ朝第10代フランス王

アントニオ(1518~1562) ブルボン朝ナバラ王

 

フランソワ2世(1544~1560) ヴァロワ朝第11代フランス王

 

シャルル9世(1550~1574) ヴァロワ朝第12代フランス王

 

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畠山義元(?~1515) 能登守

 

畠山慶致(?~1526) 能登守

 

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シャルル・ダングレーム(1522~1545) ブルボン公

畠山義総(1491~1545) 能登守※画像なし

 

※能登は影武者に一任し、フランスに渡った義総は31歳サバを読んでシャルル・ダングレームとしてブルボン公の座に就いた。

 

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畠山義綱(?~1594) 能登守

 

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ヴァロワ朝第10代フランス王アンリ2世の子

 

アンリ3世(1551~1589) ブルボン公・ヴァロワ朝第13代フランス王・ポーランド最初の選挙王

畠山義隆(1556~1576) 能登守※画像なし

 

※アンリ3世に子がいないために本願寺門主綽如によるブルボン公の血筋はここで終焉を迎えた。ついでに、能登守の職も失した。

 

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※ヌーヴェル・フランス総督


サミュエル・デ・シャンプラン(1574~1635) ヌーヴェル・フランス初代総督
シャルル・ド・モンマーニュ(1599~1654) ヌーヴェル・フランス第2代総督
ルイ・デ・アユブース・ド・クーロンニュ(1612~1660) ヌーヴェル・フランス第3代総督


オーガスティン・ド・サフライ・ド・メシー(1596~1665) ヌーヴェル・フランス第7代総督
ダニエル・ド・レミー・ド・クールセイユ(1626~1698) ヌーヴェル・フランス第8代総督


ル・マルキ・ド・ヴォードレイユ(1643~1725) ヌーヴェル・フランス第13代総督
ル・マルキ・ド・ボーハルモア(1671~1749) ヌーヴェル・フランス第14代総督
ル・マルキ・ド・ヴォードレイユ・カヴァニャル(1696~1778) ヌーヴェル・フランス第18代総督


ヴァンサン・マッシー(1887~1967) ヌーヴェル・フランス第61代総督
ジョルジュ・ヴァニエ(1888~1967) ヌーヴェル・フランス第62代総督
ロラン・ミシュナー(1900~1991) ヌーヴェル・フランス第63代総督
ジュール・レジェ(1913~1980) ヌーヴェル・フランス第64代総督
ジャンヌ・サウーヴ(1922~1993) ヌーヴェル・フランス第66代総督
ロメオ・ルブラン(1928~2009) ヌーヴェル・フランス第68代総督
ジュリー・ペイエット(1963) ヌーヴェル・フランス第72代総督


※ヌーヴェル・フランス第18代総督の後に悪名高い西本願寺門主良如の一族ジェフリー・アムハーストが来る。その後、ヌーヴェル・フランス総督の座は永らく奪われたままになる。どっちにしてもケベック州が独立を主張できるのはタナトスの一族だからだ。

 

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ノルマン・ロワ(1914~1996) ケベック解放戦線メンバー

 

ピエール・ラポルト(1921~1970) ケベック解放戦線メンバー

 

ジョルジュ・シューテルス(1930~1994) ケベック解放戦線メンバー

 

ミシェル・ランベール(?~?) ケベック解放戦線メンバー※画像なし

 

ロベール・コモ(?~?) ケベック解放戦線メンバー

 

ピエール・ヴァリエール(1938~1998) ケベック解放戦線メンバー※画像なし

 

FLQはケベック主権運動(フランス系が多く、同じカナダでもイギリス系の多い他地域とは一線を画している)を援助するため、1963年に結成された。その創設は、長期にわたってケベックを統治した州首相モーリス・デュプレシ(Maurice Duplessis)の死に続く、「静かな革命」(Quiet Revolution、ケベック州政府が経済的、社会的問題により積極的な役割を演じ始めた時期)と一致している。 wikiより

 

※民族テロ組織ケベック解放戦線は、綽如の一族(ヴァロワ朝フランス、ブルボン公)の末裔と考えられる。

 

本吉達也(1952) 羽咋市市長
高野誠鮮(1955) 日蓮宗僧侶

 

 

 


巧如の一族~ジル・ド・レ、ヴァロワ朝フランス、マルタ騎士団、マラーター族、ハウサ諸王国、ソコト帝国

巧如(1376~1440)

マルティヌス5世(1368~1431) ローマ教皇 在位1417~1431※画像なし

シャルル6世(1368~1422) ヴァロワ朝第4代フランス王

ジョルジュ・ド・ラ・トレモイユ(1382~1446) フランス王室侍従長※画像なし

 

ドイツ:ヤン・フス処刑(1415)
日本:近江馬借一揆(1426)

 

※巧如は、日本は影武者に任せ、自分は百年戦争の現場でフランス軍を指揮していた。巧如はマルティヌス5世を名乗り、工作員としてヨーロッパに暗躍した。彼はまず、敵であるヤン・フスを異端と呼んで処刑している。その後、フス派が登場してフス戦争に発展するが、これは手下に一任し、自分は百年戦争の現場に戻った。巧如はフランス王シャルル6世と同時にシャルル7世を助けた宰相ジョルジュ・ド・ラ・トレモイユを名乗り、フランス軍を指揮した。

 

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シャルル6世(巧如)の子

 

シャルル7世(1403~1461) ヴァロワ朝第5代フランス王

ジル・ド・レ(1405~1440)

 
フランス:聖少女ジャンヌ・ダルク出現(1429)

 

※シャルル6世(巧如)の子であるシャルル7世はフランス王でありながら、一方でジル・ド・レを名乗った。ジル・ド・レは両親さえ不明な謎の人物であったが、財産はヨーロッパでも1、2を争う規模を誇っていた。それらは大谷がドルイド教の時代から集めていた財産の一部なのだろう。ジル・ド・レ(シャルル7世)は、妹であるジャンヌ・ド・フランスの9歳で死んだ娘マルグリットを参考にし、聖少女ジャンヌ・ダルクを生み出した。マルグリットの生年月日はジャンヌ・ダルクと同じだが、ジャンヌは17歳の時に登場したが、マルグリットも生きていたらちょうど17歳である。

ジル・ド・レは、神に保護された少女という触れ込みで、尻込みするフランス軍の戦意を高揚させるという陰謀を駆使した。このジル・ド・レの陰謀をまやかしの妖術と呼んだジョン・オブ・ランカスターは、だが、存在しないジャンヌ・ダルクを処刑するという手段に出た。
存在しないジャンヌを処刑するにはどうしたらよいだろうか?答えは簡単だ。権威、この場合はイギリス政府が「ジャンヌを処刑した」とウソをつけば事足りる。そして、そのウソを大勢の人間が信じれば、存在しないはずのジャンヌは処刑されたことになるのだ。

ジル・ド・レは、敵にもキレ者がいることを喜んだ。だが、ジョン・オブ・ランカスターが放った間者の偵察によって、ジル・ド・レが少年を拉致して拷問の挙句惨殺する趣味に興じていたことを暴露されると、逮捕され、過酷な拷問によって変態殺人鬼であることを認めた。これが青髭の物語の原型である。

だが、アルバート・フィッシュやテッド・バンディの例があるように、残虐な拷問の果てに処刑されて死んだのは身代わりの者である。真のジル・ド・レことシャルル7世は、その後もフランス王として58歳まで生きた。

 

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シャルル6世(巧如)の子

 

ジャンヌ・ド・フランス(1391~1433) ブルターニュ公ジャン5世と結婚

 

マルグリット(1412~1421) ジャンヌ・ド・フランスの娘

ジャンヌ・ダルク(1412~1431)

 

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シャルル7世の子

 

ルイ11世(1423~1483) ヴァロワ朝第6代フランス王

 

シャルル8世(1470~1498) ヴァロワ朝第7代フランス王

フランシスコ1世(1469~1483) フォワ朝ナバラ王

 

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シャルル6世(巧如)の弟ルイ・ド・ヴァロワの子

 

ルイ12世(1462~1515) ヴァロワ朝第8代フランス王

フィリップ・ヴィリエ・ド・リラダン(1464~1534) 聖ヨハネ騎士団総長※画像なし

 

ロドス島における騎士団最後の総長で、オスマン帝国との間でのロドス包囲戦を指揮し、その敗北後も騎士団を率いてマルタ島への移転を行った。  wikiより

 

シャルル=オルラン・ド・フランス(1492~1495) シャルル8世の子※画像なし

ジャン・ド・ヴァレット(1494~1568) 聖ヨハネ騎士団総長

 

1565年にオスマン帝国がマルタ騎士団(聖ヨハネ騎士団)が治める地中海のマルタ島へ行った包囲戦である。最終的にマルタ騎士団が包囲軍の撃退に成功した。 wikiより

 

※マルタ包囲戦を機に、マルタ騎士団はインドに移り、「マラーター族」として異国の地で新たに出直している。マラーターの名の由来はマルタである。マルタ=マルーター=マラーターとなる。

 

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ラージャーラーム(1670~1700) 第3代マラーター王

ミールワイス・ホータク(1673~1715) ホータキー朝初代首長※画像なし

トモ・ダン・ムハマンドゥ(?~?) ケッビ首長国初代首長 在位1696~1700※画像なし

 

※琢如の一族がマラーター王国の王位を簒奪すると、巧如の一族はコールハープル藩王国を築いた。

 

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サンバージー2世(1698~1760) 第2代コールハープル藩王

 

シヴァージー3世(1756~1813) 第3代コールハープル藩王

サルキン・グワリ・アブドゥ(?~?) ダウラ王国初代王 在位1778~1825

ウスマン・ダン・フォディオ(1754~1817) ソコト帝国初代皇帝

 

サンバージー3世(1801~1821) 第4代コールハープル藩王

ムハマンド・ダン・アイィ・ダン・アーマンドゥ・ジェラバナ・アルビシャー(?~?) ヤーウリー首長国初代首長 在位1799~1829

 

シャハージー(1802~1838) 第6代コールハープル藩王

アブドゥサラミ・ダン・サリー・アリミ(?~?) イロリン首長国初代首長 在位1824~1842

オルエウ(?~?) オヨ帝国皇帝 在位1833~1835

 

シヴァージー4世(1816~1822) 第5代コールハープル藩王

ウスマン・ザキ・ダン・マラム・デンドー(?~?) ヌペ王国初代王 在位1856~1859

 

シャーフー(1874~1922) 第10代コールハープル藩王

ハビーブッラー・ハーン(1872~1919) バーラクザイ朝11代アミール※画像なし

フランシスコ・ブアージャール(1876~1934) 第2代マルタ首相※画像なし

 

シャハージー2世(1910~1983) 第13代コールハープル藩王

ムハンマド・ダーウード(1909~1978) アフガニスタン共和国初代大統領

ベンジャミン・ヘンリー・シアーズ(1907~1981) シンガポール第2代大統領(印僑)

アンソニー・マモ(1909~2008) 初代マルタ大統領

 

※コールハープル藩王はアフガニスタン、ハウサ諸王国、シンガポールに進出して足場を築き、故地であるマルタ島にも拠点を得て、マルタ大統領に代々就任した。

 

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ムハンマド・ナーディル・シャー(1883~1933) アフガニスタン国王

アウグスト・バルトロ(1883~1937) マルタ首相代行※画像なし

アブドゥルカディール・ダン・バワ(?~?) イロリン首長国第8代首長 在位1920~1959

 

イナーヤトゥッラー・シャー(1888~1946) アフガニスタン国王

ハビーブッラー・カラカーニー(1891~1929) アミール

ウゴ・ミフスッド(1889~1942) 第3代マルタ首相※画像なし

 

ザーヒル・シャー(1914~2007) アフガニスタン国王

ユソフ・ビン・イサーク(1910~1970) シンガポール初代大統領(印僑)

アントン・ブティギーグ(1912~1983) 第2代マルタ大統領

 

ムハンマド・アクバル・ハーン(1933~1942) ザーヒル・シャーの子※画像なし

J・Y・ピレー(1934) シンガポール大統領代行(印僑)

ジョン・マレケラ(1934) 第6代タンザニア首相

 

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イブラヒム・ダスキ(1923~2016) ソコト帝国第17代皇帝※画像なし

C・V・デヴァン・ナイール(1923~2005) シンガポール第3代大統領(印僑)

ジュリウス・ニェレレ(1922~1999) タンザニア初代大統領

アマン・アンドム(1924~1974) 初代エチオピア臨時軍事評議会議長

 

ムハンマド・マッシード(1926~2006) ソコト帝国第18代皇帝※画像なし

S・R・ナザン(1924~2018) シンガポール第6代大統領(印僑)

ラシディ・カワワ(1924~2009) 初代タンザニア首相

 

サアド・アブバカール(1956) ソコト帝国第19代皇帝

 

 

 


存如の一族~応仁の乱、アラゴン王国、アヴィス朝ポルトガル

存如(1396~1457)
経覚(1395~1473)※画像なし

アルフォンソ5世(1396~1458) トラスタマラ朝アラゴン王

朝倉家景(1402~1451) 6代当主※画像なし

 

日本:嘉吉の変(1441)
日本:山城西岡の徳政一揆(1447)
朝鮮:李澄玉の乱(1453)
日本:奈良の徳政一揆(1454)
朝鮮:癸酉靖難(1455)
日本:応仁の乱(1467)

 

※存如は、山名宗全を敵視していた。山名宗全が強く、賢く、善人だったからだ。そのため、彼を倒すためだけに「応仁の乱」を製作した。大内政弘以外は、細川勝元率いる東軍だけでなく、仲間であるはずの西軍(蓮如の子畠山義就)もじつは山名宗全を狙う敵だった。存如は経覚であり、経覚は足利義政であった。彼は、功如の子でありながら足利義政として生誕し、経覚として生きながら同時に存如を名乗っていたようだ。不利な時に、いずれかの顔を選んで生きていた。当時だからこそ可能なことであるが、じつは、細川勝元の正体も蓮如の子、尋尊であった。結局「応仁の乱」も、大谷の家族経営であった。存如は、自身の子であり、天下の極悪人と呼ばれた朝倉孝景を徴用したし、宗全の息子といわれる是豊も蓮如の子であるため、当然のように宗全に反旗を翻した。新しい幕府の将軍となるべき男、山名宗全は敵に囲まれていた。存如の目的は足利政権、及び、室町幕府の存続であった。

 

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存如の子

 

朝倉孝景(1428~1481) 応仁の乱 7代当主

トマス・トルケマダ(1420~1498) ドミニコ会士

 

※トルケマダは、日本語「獲るか、まだ?」に由来するのだろうか?彼は、スペイン全土を支配する「全スペイン異端審問本部」の初代長官に就任している。トルケマダの、異端者に対する大規模な迫害は、マドリードをナチスのアウシュヴィッツたらしめた。1960年頃、マドリードで道路改修工事のために業者が地面を掘り起こした際、深い地層が広い範囲に渡って人骨と毛髪によって埋め尽くされ、堆積していた。「これは、トルケマダに処刑された異端者の遺骸ではないか」と、当時の新聞に報じられた。

 

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アルフォンソ5世(存如)の子(アヴィス朝ポルトガル王)

 

朝倉氏景(1449~1486) 8代当主※画像なし

フェルナンド2世(1452~1516) トラスタマラ朝アラゴン王

 

朝倉貞景(1473~1512) 9代当主

アフォンソ(1475~1491) ポルトガル王子・ジョアン2世の子

 

朝倉孝景(1493~1548) 10代当主

 

朝倉時景(生没年不詳) 氏景の子※画像なし

パウルス3世(1468~1549) ローマ教皇 在位1534~1549

マヌエル1世(1469~1521) アヴィス朝ポルトガル王

 

朝倉景儀(生没年不詳) 氏景の子※画像なし

パウルス4世(1476~1559) ローマ教皇 在位1555~1559

 

朝倉景群(生没年不詳) 貞景の子※画像なし

ジョアン3世(1502~1557) アヴィス朝ポルトガル王

 

朝倉道教(生没年不詳) 貞景の子※画像なし

エンリケ1世(1512~1580) アヴィス朝ポルトガル王

 

朝倉義景(1533~1573) 11代当主

 

セバスティアン1世 (1554~1578) アヴィス朝ポルトガル王・ジョアン3世の孫

 

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マヌエル1世の曾孫(ブラガンサ朝ポルトガル王)

 

マヌエル・デ・ポルトゥガル(1568~1638) アヴィス朝ポルトガル王マヌエル1世の曾孫

 

ローデウェイク・ウィレム・クリストフェル(1604~1660) マヌエル・デ・ポルトゥガルの子※画像なし

ジョアン4世(1604~1656) ブラガンサ朝初代ポルトガル王

 

マヌエル2世(1889~1932) ブラガンサ朝ポルトガル王

アントニオ・サラザール(1889~1970) ポルトガル首相、ポルトガル大統領

 

※ブラガンサ朝は1640年から1910年まで続いたが、マヌエル2世を最後に本願寺門主存如の血筋は尽きる。だが、マヌエル2世はアントニオ・サラザールとしてポルトガル首相や大統領に就任した。 

 

ジョルジェ・サンパイオ(1939) マヌエル2世の子(ポルトガル大統領)

 

※現在は、国連事務総長結核撲滅担当特使、「文明間の同盟」国連高等代表を務めている。

 

 

 


蓮如の一族~スイス連邦参事会、魔女狩り、パッツィ家、ロレーヌ公、一向一揆

蓮如(1415~1499)
シクストゥス4世(1414~1484) ローマ教皇 在位1471~1484

山名是豊(生没年不詳) 応仁の乱※山名宗全の子ではない

 

日本:応仁の乱(1467~77)

日本:加賀一向一揆(1473)
日本:一向一揆、富樫氏滅亡(1488)
日本:京都大和一揆(1490)

 

※当初、蓮如は出来るだけ早く滅ぼすべき敵として山名宗全をマークしていた。そして宗全を滅ぼす陰謀の一環として、自らが息子として山名是豊を演じた。また、一向一揆を駆使して武士を苦しめた蓮如は、応仁の乱の後にスイスに赴き、ヨーロッパに於いてもシクストゥス4世として農民軍を指揮し、中世騎士軍を敗北させている。ムルデンとナンシーの戦である。1484年までヨーロッパにいた蓮如は、シクストゥス4世が死んだことにすると日本に帰還し、1488年に一向一揆によって富樫氏を滅ぼし、京都に大和一揆を指揮している。

 

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蓮如の子

 

アドリアン・フォン・ブーベンベルク(1434~1479) ベルヌ市長・騎士

ハンス・ヴァルドマン(1435~1489) チューリッヒ市長・旧スイス南部連合軍指揮者
ヤーコプ・シュプレンゲル(1436~1495) ドミニコ会士(魔女狩り)
畠山義就(1437~1491) 応仁の乱※畠山持国の子ではない

 

西欧:ムルデンの戦(1476)
西欧:ナンシーの戦(1477)

 

※応仁の乱後、畠山義就は父蓮如と共にスイスに移り、旧スイス南部連合軍に参加し、ムルデンの戦とナンシーの戦に参加した。

 

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蓮如(山名是豊)の子

 

山名頼忠(生没年不詳)※画像なし

ハインリヒ・クラーメル(?~1505) ドミニコ会士(魔女狩り)
インノケンティウス8世(1432~1492) ローマ教皇 在位1484~1492

ハンス・フォン・ハルウィル(1433~1504) 旧スイス南部連合

ユリウス2世(生没年不詳) ローマ教皇/バチカン枢機卿

 

インノケンティウス8世は、回勅によって魔女狩りと異端審問を活発化させた。同時に聖職売買、親族登用、派手な女性関係など、堕落した中世的な教皇の典型と見なされる。 wikiより

 

※上の4人は同一人物と考えられる。往々にして魔女狩りに力を入れていた。

 

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蓮如の子

 

尋尊(1430~1508) 応仁の乱
細川勝元(1430~1473)

 

※尋尊は、細川勝元でもあったが、彼は、大谷の血を継ぐ他の家族と共に「応仁の乱」を演じた。その後、勝元を死んだことにした尋尊は35年の余生を謳歌し、78歳まで生きた。

 

細川政元(1466~1507)

 

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蓮如(山名是豊)の子

 

山名教豊(1424~1467) 山名宗全の子ではない※画像なし

ジャコポ・デ・パッツィ(1423~1478) パッツイ家の陰謀

 

山名政豊(1441~1499) 山名教豊の子※画像なし

フランチェスコ・デ・パッツィ(1444~1478) パッツイ家の陰謀

 

イタリア:パッツィ家の陰謀(1478)

 

※1467年、教豊は44歳で死んだことにし、イタリアに渡った。息子の政豊は1475年にイタリアに渡り、父親を援助した。親子はイタリアの実力者メディチ家を何とかするために「パッツィ家の陰謀」を実施した。これは失敗し、教豊(ジャコポ)は処刑されたが、政豊(フランチェスコ)は影武者が処刑されただけで、本人は無事に日本に帰還した。

その後、文明11年(1479年)から文明13年(1481年)にかけて赤松政則の支援で頻発した分家の領国の反乱鎮圧のため山陰地方に下向、因幡守護山名豊時と伯耆守護山名政之を助けて因幡国人毛利貞元と山名政実、山名元之を排斥、領国を安定させた。

 

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蓮如(山名是豊)の子

 

山名豊久(1453~1522) 山名宗全の子ではない※画像なし

ルネ2世(1451~1508) ロレーヌ公

 

※豊久は宗全の子ではなく、是豊(蓮如)の子である。細川政元が生まれ、廃嫡を機に豊久は13歳の時にヨーロッパに渡った。そしてルネ2世となり、ロレーヌ公となった。

 

アントワーヌ・ド・ロレーヌ(1489~1544) ロレーヌ公

 

フランソワ1世(1517~1545) ロレーヌ公

 

シャルル3世(1543~1608) ロレーヌ公

 

アンリ2世(1563~1624) ロレーヌ公

 

ニコル・ド・ロレーヌ(1608~1657) ロレーヌ公

 

フランソワ2世(1572~1632) ロレーヌ公

 

シャルル4世(1604~1675) ロレーヌ公

 

ニコラ2世(1612~1670) ロレーヌ公

 

シャルル5世(1643~1690) ロレーヌ公

 

※シャルル5世の子レオポール・ジョセフからダヴィデの一族の血が入るため、シャルル5世で蓮如が築いたロレーヌ公の血筋は終焉を告げる。

 

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シャルル4世の子

 

フランソワ(1637~1638)※画像なし
イヴァン・マゼーパ(1639~1709) ヘーチマンコサック首長

 

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シャルル5世の子

 


レオポール・ジョセフ(1679~1729) ロレーヌ公
アウグスト2世(1670~1733) ポーランドリトアニア大公、ロレーヌ公
スタニスワフ・レシチニスキ(1677~1766) リトアニア公、ポーランド王
カジミェシュ・チャルトリスキ(1674~1741) リトアニア副大法官

 

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スタニスワフ・レシチニスキの子

 

ミハウ・フリデリク・チャルトリスキ(1696~1775)

アウグスト・アレクサンデル・チャルトリスキ(1697~1782)

アウグスト3世(1696~1763) ポーランド王

 


スタニスワフ2世アウグスト(1732~1798) エカチェリーナ2世の愛人

 

※東本願寺門主蓮如の末裔である彼は、西本願寺門主寂如の一族と連合するためにエカチェリーナ2世と不倫関係にいた。その後、パーヴェル1世が生まれた。パーヴェル1世は、東西本願寺のロシアでの出会いである。

 


パーヴェル1世(1754~1801) ロシア皇帝

 

※母はエカチェリーナ2世だが、父は愛人だったスタニスワフ2世アウグストだった可能性がある。

 


ミハイル・パブロヴィチ(1798~1849) パーヴェル1世の子
ヨナス・フレール(1805~1861) スイス連邦参事会初代議長

 

※ロシアを拠点にスイスに移動して、スイスを掌握するためにスイス連邦参事会を創設し、初代議長に就任している。髪型が同じなので、2人は同一人物だということが分かる。

 

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アウグスト・アレクサンデル・チャルトリスキの子



アダム・カジミェシュ・チャルトリスキ(1734~1823)

 

マリア・アンナ・チャルトリスカ(1768~1854)

ニコライ・ノヴォシリツェフ(1761~1836) 秘密委員会

ヴィクトル・コチュベイ(1768~1834) 秘密委員会

 

※マリア・アンナの影武者として生まれた男子が独立し、ノヴォシリツェフとコチュベイを同時に演じていた。彼は、蓮如の一族の代表として一族を取り仕切り、西本願寺門主寂如の一族との連携を図った。それが「秘密委員会」の設置である。西本願寺が王家を、東本願寺が秘密警察を請け負う形だ。

 


アダム・イエジィ・チャルトリスキ(1770~1861) 秘密委員会

ミハイル・スペランスキー(1772~1839) 秘密委員会

 

コンスタンティ・アダム・チャルトリスキ(1773~1860)

パーヴェル・ストロガノフ(1774~1817) 秘密委員会

 

ゾフィア・チャルトリスカ(1778~1837)
ジャン・マルク・ムーソン(1776~1861) スイス連邦事務総長※画像なし

 

※ゾフィアの影武者として生まれたムーソンは独立し、同じ蓮如の一族であるヨナス・フレールと組んでスイス連邦参事会を設立し、事務総長に就任した。この一族の目標はロシアとスイスの掌握だ。

 

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※ベルギー首相リスト

 

アルベルト・ヨセフ・ゴブレット・ディ=アルヴィエラ(1790~1873) ベルギー王国初代首相 任期1831~1831

 


エティエンヌ・デ・サウヴェージ(1789~1867) ベルギー王国第2代首相 任期1831~1831

 


フェリックス・デ・ムエレナエレ(1793~1862) ベルギー王国第3代首相 任期1831~1832

 


シャルル・ロジェ(1806~1885) ベルギー王国第4代首相 任期1832~1834

 


パウル・デ・スメット・デ・ニーヤール(1843~1913) ベルギー王国第24代首相 任期1899~1907

 


シャルル・ド・ブロクヴィル(1860~1940) ベルギー王国第27代首相 任期1911~1918

 


ユベール・ピエルロ(1883~1963) ベルギー王国第41代首相 任期1939~1945

 

※この後、ベルギー首相職は人食い人種の本能が蘇った法如の一族によってバケモノ屋敷と化す。蓮如の一族なら良いというわけでは決してないが。

 

 

 



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