目次
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まえがき 悪の足跡の追求
タナトスの解説(集団ストーカーの指揮者、対人恐怖を作る人々)
タナトスの一族~カニバリズム、人身御供、アトランティス王国、最終戦争ラグナロク、タングート、西夏、アサシン教団、狼男、チャガタイ・ハン国、タウングー朝、ズールー帝国、アフリカ独立運動、ボコ・ハラム
ティールタンカラの一族~アーリア人、仏教、継体天皇、中臣鎌足、藤原不比等、白河天皇、鳥羽天皇、マリ帝国、聖フェーメ団、ジェノヴァ共和国、ルクセンブルク公国、モナコ公国
デウスの一族~ジャイナ教、河伯、サータヴァーハナ朝、フン族、アッティラ帝王、稲荷神社、九頭龍、風水、足利尊氏、後醍醐天皇、シャーマニズム、クエーカー教、住友財閥、三井財閥
ダーナ神族の一族~ディオニュソス、デニエン人、猿田彦、契丹、デーン人、鬼、酒呑童子、ハーバード大学、ジョージ・ワシントン大統領、アメリカ連合国、統一イタリア王国、カナダ、ニュージーランド、阿含宗
アブラハムの一族~シュメール文明、エフライム族、バアル、アフラマズダー、ゾロアスター教、マケドニア王国、聖徳太子、ピサ共和国、奥州藤原氏、フランシスコ・ピサロ、ヴァーサ朝、フィンランド共和国
預言者ナタンの一族~ラピタ文化、ダン族、ソロモン王、ミディアン人、ストーンヘンジ、アテーナイ王国、ヒクソス、アマルナ宗教改革、ケント王国、最澄、空海、源氏・平氏、マフディー国家
アッシュール・ダン1世の一族~魔神アスラ、タニス、北イスラエル王国、アルメニア王国、グノーシス主義、コプト教、聖コルンバ、アルシング議会
ガリアのドルイド司祭(東本願寺)の一族~アテネ民主制、ローマ執政官、ソピテース、デマゴーグ、ヘロデ大王、ローマ帝国、フィリキ・エテリア、青年トルコ革命、クルディスタン労働者党
聖ドナトゥスの一族~渤海王、ブワイ朝、テンプル騎士団、ジンバブエ王国、ダホメー王国、ハイチ帝国、トンガ王国、リベリア共和国、ブータン王国、黒人地位向上協会、バハーイー教
ローマ教皇レオ1世の一族~ランゴバルト王国、メロヴィング朝、マズダク教、ウイグル可汗、浄土教、曹洞宗、ノルマン人、カルマル同盟、出雲大社、コーザ・ノストラ、オーストラリア、バチカン市国委員会
クリュニー大主教ベルノの一族~ナバラ王国、フランク・ローマ皇帝、カペー朝フランス王、民衆十字軍、土肥実平、長宗我部氏、キャンディ王国、三菱財閥、モロ民族解放戦線、ルワンダ大虐殺
クリュニー大主教アイマールの一族~キエフ大公国、シトー会、北条時政、聖フランチェスコ会、シチリア王国、イタリア共和国
クリュニー大主教ヒューの一族~ヒメネス朝ナバラ王、バルセロナ朝アラゴン王、ブルゴーニュ朝カスティーリャ王、バルバロス・ハイレッディン、チュニジア、アルジェリア、ユニオン・コルス
カペー朝ルイ7世の一族~メリナ王国、カンボジア王国、カリブ族、四季協会、ゴーストダンス、マウマウ団、ドラヴィダ進歩党、カーゴカルト、パプアニューギニア、クメール・ルージュ
カペー朝フィリップ2世の一族~ドイツ騎士団、白蓮教、小西行長と弥助、マラッカ王国、ブルネイ帝国、ベネズエラ共和国、リンガトゥ教、呪術師スビキロ、バラク・オバマ、フアン・グアイド
親鸞の一族~浄土真宗、時宗、一向宗、世界初の精神病院ベドラム、ブルゴーニュ朝・アヴィス朝ポルトガル王国、コンキスタドール、メキシコ帝国、麻薬カルテル
如信の一族~魔女狩り解禁、異端審問、伊勢大社、カペー朝フランス王、ボルボン朝スペイン王、スペイン共和国
覚如の一族~紅巾の乱、華僑、百年戦争、殺人集団タギー、琉球王国、アチェ王国、黎朝ベトナム帝国、白蓮教、シンガポール、日清食品、社会民主党、全能神
善如の一族~倭寇、恭愍王、足利義満、日野富子、三浦倭館、東林党、魏忠賢、フランシス・ドレイク、バッカニア海賊、カタール首長
綽如の一族~ヴァロワ=ブルゴーニュ公、ブルボン公、能登守、ハプスブルグ朝スペイン王国、デュポン財閥、ケベック解放戦線
巧如の一族~ジル・ド・レ、ヴァロワ朝フランス、マルタ騎士団、マラーター族、アフガニスタン王国、オマーン王国、ザンジバル帝国、ソコト帝国、マルタ共和国
存如の一族~応仁の乱、アラゴン王国、アヴィス朝・ブラガンサ朝ポルトガル王国、ポルトガル共和国、アルバニア共和国、マザー・テレサ、神の愛の宣教者会
蓮如の一族~スイス連邦参事会、魔女狩り、パッツィ家、ロレーヌ公、一向一揆、秘密委員会、ベルギー王国
実如の一族~毛利元就、オルデンブルク朝デンマーク、モロッコ王国、フランコ将軍、パレスチナ解放機構、トントンマクート、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三、統一協会
証如の一族~明智光秀、魔女狩り、戦国時代、オランダ王国、近衛家、クウェート王国、イギリス東インド会社、南アフリカ連邦、ジャム・カシミールのムジャヒディーン、湾岸戦争
顕如の一族~万暦の三征、魔女狩り、オランダ東インド会社、スチュアート朝、老論派、バプティスト教会、メソジスト教会、ヴァンダービルト財閥、パール・ジャム、KORN
教如の一族~織田信雄、東山天皇、仁孝天皇、孝明天皇、カメハメハ大王、ハワイ王国、トンガ王国、サモア独立国、フィジー共和国、エチオピア連邦民主共和国
宣如の一族~ハプスブルグ家、ブルボン家、プファルツ朝スウェーデン王、フルベ聖戦、フランス共和国、イスラーム・マグリブ諸国のアル=カーイダ機構
琢如の一族~英蘭戦争、マラーター王国、ベンガル太守、アワミ連盟、バングラデシュ、ジャマート=ウル=ムジャーヒディーン
常如の一族~後金時代、李氏朝鮮末期、琉球第二尚氏王統、東学党、ゴ・ディン・ジエム、大韓民団、戸塚ヨットスクール、ベトナム社会主義共和国、国民民主党、自由朝鮮
一如の一族~名誉革命、ジャコバイト、オラニエ=ナッサウ王家、南アフリカ連邦、オレンジ革命
真如の一族~イエズス会弾圧、ムガール皇帝、マラーター同盟、タタ財閥、デカン・ムジャヒディーン
従如の一族~田沼意次、徳川家重、松平定信、井伊直弼、水野忠邦、徳川慶喜、静岡県知事
乗如の一族~フランス革命、ベトナム植民地、ブラジル帝国、YMCA、セブンスデー・アドベンチスト教会、国際赤十字社、花粉症、AIDS
達如の一族~復古神道、尊皇攘夷、天理教、金光教、神社本庁、日本社会党、講談社、日本会議、ヒカルランド
大谷光勝の一族~興宣大院君、明治天皇、ビアフラ共和国、ソンミ村虐殺、コリン・パウエル、コンドリーザ・ライス、トニー・ブレア
大谷光榮の一族~大谷大学、大正天皇、昭和天皇、アドルフ・ヒトラー、ハインリヒ・ヒムラー、軍産複合体、パフラヴィー朝皇帝、アウグスト・ピノチェト、立憲民主党
大谷光演の一族~重慶爆撃、CTスキャン、ダライ・ラマ14世、ディズニー・カンパニー、スティーブン・スピルバーグ、ジャニーズ、タイム・ワーナー社、YOUTUBE
大谷光暢の一族~市川團十郎、ラビア・カーディル、ブルース・リー親子暗殺、地下鉄サリン事件、天安門事件、オウム地下鉄サリン事件、酒鬼薔薇聖斗、雨傘革命
大谷暢顕の一族~TV局アナウンサー、宮崎勤事件、足利事件、オウム真理教、神戸連続児童殺傷事件、学級崩壊、大阪池田小児童殺害事件、てるくはのる事件、SEALDs
大谷暢裕の一族~「集団ストーカー問題を克服する」、2014香港反中デモ、2014香港反政府デモ、2019逃亡犯条例改正案撤回デモ
大宛のドルイド司祭(西本願寺)の一族~大宛、クシャーナ朝、鳩摩羅什、曇鸞、浄土宗、隋、ウマイヤ朝イスラム帝国、北宋、舜天王統、ブギス族、ジョホール朝、林本源、中国仏教協会、台湾
王安石の一族~南宋皇帝、今川国氏、デリー・スルターン朝、曹洞宗、永平寺、総持寺、コーカンド・ハン国、イエメン王国、イスラム国
今川国氏の一族~アステカ帝国、凄惨な人身御供儀式、串刺し公ヴラド・ツェペシュ、見付天神の人身御供、血の伯爵夫人エリザベート・バートリ、モルダヴィア公、ルーマニア王国、モルドバ共和国
准如の一族~小早川秀秋、ドン・コサック、古儀式派、ノーベル賞、ベルナドッテ朝スウェーデン王、温暖化十字軍、グレタ・トゥーンベリ
良如の一族~保科正之、徳川綱吉、生類憐みの令、火付盗賊改、子供を殺すための法律「ブラック法」、大英帝国、オックスフォード=アスキス伯爵、MI6長官
寂如の一族~女帝エカチェリーナ、秘密結社イルミナティ、ナチス帝国、特高警察、モサド、中央情報局、アメリカ連邦捜査局
住如の一族~ナーディル・シャー、黒住教、ビン=ラディン・グループ、アルカーイダ、ソマリランド大統領、GOOGLE
湛如の一族~ジュンガル帝国、チャックリー家、タイ王国、ネパール王国、モンゴル人民革命党、霊友会、世界救世教、祟教真光、日本相撲協会
法如の一族~アヘン戦争、ロスチャイルド財閥、ロックフェラー財閥、スカル&ボーンズ、第一次世界大戦、ホスピス、ロイター通信、北大西洋条約機構、アムネスティ・インターナショナル、児童文学ハリー・ポッター
文如の一族~九条道前、ウィリアム・ピット、薩摩戦争、切り裂きジャック、インディアン虐殺、BBC、タイタニック号沈没、ツタンカーメンの呪い、国際連合、連続児童殺人鬼アルバート・フィッシュ
本如の一族~ウクライナ東方カトリック教会、東トルキスタン、セルビア公国、ムスリム同胞団、ユーゴスラビア紛争、チェチェン紛争、南オセチア紛争、ウクライナ政変
広如の一族~長州藩藩主、伊藤博文、大隈重信、山縣有朋、龍谷大学、新渡戸稲造、白洲次郎、東条英機、日産コンツェルン、731部隊、ベトナム戦争
ネルソン・ロックフェラーの一族~ヘンリー・キッシンジャー、ビル・クリントン、湾岸症候群、ジョン・ベネ殺害事件、レバノン空爆、ロシアの人喰いズマガリエフ、ゾディアック、サムの息子、フェイスブック
デヴィッド・ロックフェラーの一族~ジョージ・ソロス、CNN、モンサント社、遺伝子組み換え作物、成長ホルモン、コソボ爆撃、コロンバイン高校銃撃、同性愛人喰いジェフリー・ダーマー、レオナルド・ディカプリオ
大谷光尊の一族~ウィンザー朝イギリス王室、ファシスト党、ディープ・ステート、連続殺人鬼ウィリアム・ハイレンズ、ウクライナ21、Twitter
大谷光瑞の一族~マンチェスター侯爵、ジョージ・H・W・ブッシュ、ケネディ大統領暗殺、湾岸戦争、冷戦終結、法輪功、国境なき記者団、自動運転技術テロ、オール電化テロ
大谷光照の一族~サウジアラビア王ファイサル、ロバート・ケネディ暗殺、ジョージ・W・ブッシュ、除草剤ラウンドアップ、連続殺人犯テッド・バンディ、世界同時多発テロ、キャラバン
大谷光真の一族~リヒテンシュタイン公、悪魔ビル・ゲイツ、マイクロソフト社、上祐史裕、プログラム自動ダウンロードテロ、異常行動テロ
大谷光淳の一族~リヒテンシュタイン公、2ちゃんねる、仙台女児連続暴行事件犯人、2019逃亡犯条例改正案撤回デモ、Qアーミージャパン
ユダヤ人(1731)の一族~ハザール帝国、薔薇十字団、カバラ神秘主義、ホフユーデン、人体自然発火事件、シオニズム運動、精神医学、エスペラント、モサド、ドイツキリスト教民主同盟、ゲノム編集
ユダヤ人(1908)の一族~ヒヴァ・ハン国、ガージャール朝、アドルフ・ヒトラー、ツングース大爆発、ロケット、マンハッタン計画、原子爆弾、水素爆弾、レーザー、コンピューター
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如信の一族~魔女狩り解禁、異端審問、伊勢大社、カペー朝フランス王、ボルボン朝スペイン王、スペイン共和国

 

如信(1235~1300)

度会行忠(1236~1306) 伊勢大社宮司※画像なし

エドワード1世(1239~1307) プランタジネット朝イングランド王

 

外交は近隣諸国との戦争に明け暮れ、ウェールズやスコットランドに侵攻して併合したり、アキテーヌを巡ってフランスと戦争するなどした。しかしスコットランド支配は激しい抵抗運動を招いて最終的には破綻し、フランスとの戦争はやがて百年戦争へと繋がっていく。エドワード1世 wikiより

 

※渡会(わたらい)の名の由来はアテルイである。アテルイ=ワテルイ=度会(わたらい)となる、そして漢字表記の由来はサドカイ派である。サドカイ=ドカイ=度会(どかい)となる。また、アテルイの名由来はアッティラであり、アッティラの由来はアティラである。すべての名の由来はサトゥルヌスである。

アテルイはモレを部下に東北地方を治めていたが、AD802年に坂上田村麻呂に成敗されると相棒のモレと共に日本を脱出し、太平洋を越えてメキシコに渡った。その後、一部はマヤに移住した。彼らはマヤ人と混合して「雨の神チャクモール」を祀った。チャクモールの名の由来はトラロックと同じである。アテルイの先祖「釈迦」とモレクの組み合わせである。釈迦+モレク=シャカモーレ=チャクモールとなる。人身御供の種族である彼らは、雨乞いの儀式と称して優秀な者を選んで生贄としてチャクモールに捧げた。つまり、雨乞いの儀式の目的は、雨乞いではない。彼らがマヤで実施した雨乞いの儀式の目的は、殺人である。下にいる如信の影武者だったジャック・ド・モレーは、モレの子孫である。

 

●如信の異母兄弟(影武者)

 

ヨハネス22世(1244~1334) ローマ教皇 在位1316~1334

ジャック・ド・モレー(1244~1314) テンプル騎士団総長

フィリップ3世(1245~1285) カペー朝第10代フランス王

エンリケ1世(1244~1274) シャンパーニュ朝ナバラ王※画像なし

 

西欧:シチリア島民の大反乱(1282)
西欧:ヨハネス22世、魔女狩り解禁(1318)
西欧:トゥールーズ、魔女400人が焼かれる(1320~1350)

 

※上の写真を見ると、ヨハネス22世とフィリップ3世は良く似ている。この2人は同一人物である。また、ジャック・ド・モレーはイングランド王、フランス王、ローマ教皇の影武者として生まれた男だった。しかし、影武者の立場を超えて権威を主張したため、仲間に排除された。

本体である如信は、日本に留まることはなかったようだ。彼は日本を離れ、故郷であるヨーロッパに活動の場を移した。若く見えたためか、年を11歳偽り、ヨハネス22世としてローマ教皇に就任し、1人でイングランド王やフランス王もかけ持ちした。非常に強い征服本能を窺うことが出来る。

また如信の影武者であったヨハネス22世は、大規模な魔女狩りを指揮した。大谷は、「敵は悪でなければならない」としている。敵が悪であれば「攻撃」は「征伐」として正当化されるのだ。「攻撃」というものは、敵が悪でなければ悪党になるが、敵が悪であれば正義の味方となるという特徴を持つ。そのためにヨーロッパ中の善人(悪の敵)は魔女でなくてはならなかった。ヨハネス22世は魔女なんかいないことを知っていた。

 

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フィリップ3世(影武者)の子

 

ルイ(1266~1276)※画像なし

ベルナール・ギー(1261~1331) ドミニコ会士

ギヨーム・ド・ノガレ(1260~1313) カペー朝フランス王フィリップ4世の政治顧問※画像なし

クレメンス5世(1264~1314) ローマ教皇 在位1305~1314※画像なし

 

※ルイは、10歳で死んだことにし、ベルナール・ギー、ギヨーム・ド・ノガレ、クレメンス5世と錚々たる悪党を演じ分けた。ギヨームとクレメンス5世はテンプル騎士団の壊滅に関係している。

異端審問官として熱狂的に働いたベルナール・ギーは、15年間に1000人を惨殺した。彼が殺したのは善人だけだ。つまり、彼は殺人鬼であるが、善人たちは公では魔女とされているので、第三者の目から見て、ベルナール・ギーは悪を成敗する正義の味方であった。彼が殺人の罪に問われないのは、魔女しか殺していないからだ。ここにタナトスの知恵が働いている。

タナトスは、敵を攻撃するとき、または殺すとき、必ず汚名を着せる。敵が悪であるなら、自分は正義の味方だからだ。ベルナール・ギーはヨハネス22世、つまり父に著書を献呈したというが、とんだ猿芝居だ。

 

フィリップ4世(1268~1314) カペー朝第11代フランス王

 

※影武者でしかないジャック・ド・モレーが、その立場を離れて権利を主張したため、本体である如信(ヨハネス22世)の子息ギヨーム・ド・ノガレ(及びクレメンス5世)、フィリップ4世によって排除された。子息たちとしては「きさまは父の影武者のくせにどういうつもりだ?」というところだろう。処刑の際にモレーは呪いの言葉を吐いたというが、フィリップ4世やクレメンス5世が急死したのは、モレーの残党が陰謀によって復讐のつもりで2人を暗殺したものだ。

 

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フィリップ4世の子

 

ルイ10世(1289~1316) カペー朝第12代フランス王

フェルナンド4世(1285~1312) ヒメネス朝レオン王

 

フィリップ5世(1292~1322) カペー朝第13代フランス王

 

シャルル4世(1294~1328) カペー朝第14代フランス王

 

※シャルル4世の時に子を儲けることが出来ずに断絶。これを以て、如信の血筋は絶えることになる。

 

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エドワード1世の子

 

エドワード2世(1284~1327) プランタジネット朝イングランド王

 

※ヴァロワ伯シャルル(覚如)の子がエドワード3世となるため、イングランドに巣食った如信の血筋はここで断たれることになる。

 

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※ヌエヴァ・イスパーニャ総督

 

アントニオ・デ・メンドーサ(?~?) ヌエヴァ・イスパーニャ初代総督
ルイ・デ・ベラスコ(?~?) ヌエヴァ・イスパーニャ第2代総督
フランシスコ・チェイノス(?~?) ヌエヴァ・イスパーニャ第3代総督

 

ホアン・アントニオ(1682~1747) ヌエヴァ・イスパーニャ第38代総督

フェリペ5世(1683~1746) ボルボン朝初代スペイン王 在位1700~1724

 

※ヌエバ・エスパーニャ総督に就任していたホアン。アントニオは、故地スペインに帰還し、ボルボン朝を開き、初代王に即位した。

 

カルロス3世(1716~1788) ボルボン朝第5代スペイン王 在位1759~1788

マティアス・デ・ガルベス(1717~1784) ヌエヴァ・イスパーニャ第48代総督

 

※カルロス3世は逆に、スペイン王に就きながらヌエバ・エスパーニャ総督に就任していた。斜視のところが似ている。同一人物だろう。スペインとヌエバ・エスパーニャの統治は如信の一族にとって命題だったのだろう。

 

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カルロス3世の子

 

フランシスコ・ハビエル(1757~1771)

ホアン・オドノジュ(1762~1821) ヌエヴァ・イスパーニャ第78代総督 任期1821※最後の総督

 

※ヌエバ・エスパーニャ総督は廃止され、スペイン統治一本に絞られた。

 

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カルロス4世の子

 

フェルナンド7世(1784~1833) ボルボン朝第7代スペイン王 在位1808

ラファエル・デル・リエゴ(1784~1823) スペイン将軍、自由政治家

 

※影武者として生まれたリエゴは本体であるフェルナンド7世に蜂起した。リエゴは善戦したものの、最終的には本体によって処刑されている。

 

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カルロス3世の曾孫

 

フランツィスカ・マリア(1820)※画像なし

フランシスコ・デ・アシース・デ・ボルボーン(1822~1902)

エスタニスラオ・フィゲラス(1819~1882) スペイン第一共和政初代大統領、及び初代首相

 

※女子フランツィスカとして生まれたが早世したことにされて、潜伏して育った。ゲイと呼ばれたが、優性遺伝子ブリーダーの手によって子どもたちは生まれたと考えられる。

 

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フランシスコ・デ・アシース・デ・ボルボーンの子

 

アルフォンソ12世(1857~1885) ボルボン朝第二次復古初代スペイン王

ホセ・フィゲロア・アルコルタ (1860~1931) アルゼンチオン大統領 在位1906~1910

 

エマヌエーレ・フィリベルト・ディ・サヴォイア=アオスタ(1869~1931)※画像無し

ミゲル・プリモ・デ・リベラ(1870~1930) スペイン独裁者 在位1923~1930

ニセート・アルカラ=サモーラ(1877~1949) 第二共和制スペイン初代首相

 

※ミゲルはエマヌアーレの影武者として生まれたが、独裁者としてスペインを統治した。家族である当時のスペイン王に「スペインのムッソリーニ」と批判されたが、これは猿芝居である。そういう風に言っておけば家族ではないと見せかけることが可能であり、一時的だが、ミゲルの独裁に批判的な人々を黙らせることが出来る。

 

アメデーオ・ディ・サヴォイア=アオスタ(1898~1942) 第3代アオスタ公

エドゥアルド・ロナルディ(1896~1956) アルゼンチン大統領

 

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フアン(1913~1993) バルセロナ伯

カルロス・アリアス・ナバーロ(1908~1989) スペイン首相

 

フアン・カルロス1世(1938) ボルボン朝第三復古初代スペイン王

アドルフォ・スアレス(1932) スペイン首相

 

フェリペ6世(1968) ボルボン朝第三復古第2代スペイン王 在位2014~

 

 

 


覚如の一族~紅巾の乱、華僑、百年戦争、殺人集団タギー、琉球王国、アチェ王国、黎朝ベトナム帝国、白蓮教、シンガポール、日清食品、社会民主党、全能神

 

覚如(1270~1351)

シャルル・ド・ヴァロワ(1270~1325) ヴァロワ伯※画像なし
ジョン・ストラトフォード(1275~1348) カンタベリー大主教

フアナ1世(1271~1305) シャンパーニュ朝ナバラ女王※画像なし
ハイメ2世(1267~1327) バルセロナ朝アラゴン王

ヴェルナー・シュタウファッハ(生没年不詳)

 

スイス:原初同盟(1291)

フランス:アヴィニョン捕囚(1309)
高麗:済州の民反乱(1318)
西欧:黒死病(1347)


モルガルテンの戦いは、1315年11月15日に起こった。原初同盟の1500名の軍隊は スイスのモルガルテン峠近くの エーゲリ湖の湖畔で神聖ローマ帝国のオーストリア公国軍兵士の一団を待ち伏せした。オーストリア軍を破ったスイス軍は ヴェルナー・シュタウファッハに率いられており、 オーストリア軍はレオポルト1世公に指揮されていた。スイスの勝利は現在のスイスの中核を形成する永続的な永久盟約を固めることとなった。 wikiより

 

※覚如は、自らイングランドに赴き、ジョン・ストラトフォードとして黒死病を現場で指揮した。イギリスは、黒死病の被害が極端に少なかったという点が興味深い。それは、イングランドに陰謀の首謀者がいたことを示している。黒死病は、百年戦争と同じでヨーロッパにいる善の心を持つ人々の掃討を目的としていた。大谷は、魔女狩り、黒死病、百年戦争の3点セットでヨーロッパ中の善人に挑んだ。善人が減り、ちょっと脅せば、自分の生活の保障のために悪にも容易に服従するような愚か者が増えれば統治が楽になるのだ。黒死病は、古代からタナトスが得意とした生物兵器によるテロである。黒死病のテロには2通りの手法があった。
ひとつめ。覚如は、間者にペストに犯された死者の身体の一部を井戸に投げ込むことを指示した。この時、間者たちはジプシーと連絡し、ジプシーの芸を見に集まって空っぽになった村に忍び込み、井戸に死者の身体の一部を投げ込み、井戸の水を汚染した。この方法は、自分の信者がいない、敵(善人、異教徒)だらけの村を全滅させる時に実施した。ふたつめ。覚如は、全ヨーロッパの医者を自分の血筋の者で固め、自分の信者が多い地域ではピンポイントで敵にだけ黒死病のウソの診断を下し、毒を盛ることで確実に敵を仕留めた。黒死病がウソであるポイントは、コントロールが容易であり、加害側に危険が一切ないことである。本物のペスト患者の死体は加害側にとって危険であり、取り扱いには慎重を要する。
また当時、黒死病は不治の病とされていた。不治の病であるということは、「治らない」或いは「治さなくて良い」または「死んでも良い」もっといえば「殺しても良い」のだ。黒死病の患者は、毒殺しても黒死病で死んだことになる。一旦、黒死病と診断されれば、例え毒殺でも「これは殺人ではないか?」と怪しむ者は皆無だった。実質、黒死病の死者のほとんどはタナトスの医者によって毒殺された。それでも尚、タナトスは誰も殺していない。

また、覚如はヴァロワ伯シャルルでもあった。覚如は、フランスでの足場を固めるためにヴァロワ伯の称号を簒奪した。覚如は、庶子の異母兄弟で構成された影武者部隊を指揮し、イギリスとフランス、そして日本を往来した。

 

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ヴァロワ伯シャルル(覚如)の子

 

フィリップ6世(1293~1350) ヴァロワ朝初代フランス王

 

※シャルル(覚如)の子であるヴァロワ朝フランス王フィリップ6世は、下に記載している、同じく覚如の子であるフランドル伯ルイ1世を援助しているが、それは異母兄弟だったからだ。

 

ルイ1世(1304~1346) フランドル伯

郭子興(1302~1355) 紅巾軍指揮

 

郭子興の長男は戦死し、次男の郭天叙、三男の郭天爵は禍を恐れた朱元璋によって、謀殺されたといわれる。娘の郭恵妃は朱元璋の側室となり、蜀献王・朱椿、代簡王・朱桂、谷王・朱橞らを産んだ。 wikiより

 

イザベル(1313~1388) ピエール1世と結婚※画像なし

ピエール1世(1311~1356) ブルボン公

エドワード3世(1312~1377) プランタジネット朝イングランド王 在位1327~1377
劉基(1311~1375) 朱元璋の部下

徐寿輝(1310~1360) 紅巾軍指揮

アルフォンソ11世(1311~1350) ヒメネス朝レオン王※画像なし
フアナ2世(1312~1349) カペー朝ナバラ女王※画像なし

 

イングランド:百年戦争(1337~1453)

イングランド:ガーター騎士団創設(1348)

中国:紅巾の乱(1351~1366)

中国:胡党の獄(1383)

 

※ヴァロワ伯シャルルの娘であるイザベルは、じつは男子であり、敵の目を欺くために女子として育てられた。その後、成人するとイザベルはピエール1世を名乗り、イザベルと結婚したことにしていろいろな女性と子を儲けた。また、ピエール1世はイングランド王エドワード3世にも早代わりした。フィリップ6世とエドワード3世は異母兄弟となるため、結局、イングランド対フランスの「百年戦争」も家族経営だったということだ。

また、朱元璋を補佐した劉基は、「百年戦争」をはじめたエドワード3世でもあった。劉基は、庶子の異母兄弟を投入して影武者部隊を編み、イギリス、中国、日本に配置したのだ。これにより、各地で同時期に活躍することが可能だった。百年戦争は、王族や騎士の中にいる反乱分子(善人)を淘汰するために始められた。イギリスとフランスの敵はお互い、国内にいる善の心を持つ人々であった。イギリス軍はカンタベリー大司教が指揮し、フランス軍はクリュニー会が指揮した。
劉基は、死んだことにしてイングランドに帰還し、エドワード3世として2年の余生を過ごした。だが、劉基の子たちは劉基のフェイク死を利用して反乱分子に対する粛清をはじめた。自分たちに反逆する意志があるかないかは関係ない。反逆したら手強いと考えられた人々は全員殺害された。これは魔女狩りに似たもので、「胡党だ」と呼ばれた者は誰でも逮捕された。この粛清で刑死したものは3万人といわれている。1386年には、モンゴル討伐に勲を立てた藍玉一族らが1万5千人も殺害された。わかりやすく例えれば、大谷は「おまえを殺す」とは絶対に言わない。そういうふうにいえば加害者、或いは悪党でしかないからだ。代わりに、大谷は「おまえは子供を殺した悪いやつだから殺す」という。そうすれば正義の味方になるのだ。「百年戦争」や「胡党の獄」だけでなく、魔女狩り、生類憐みの令もみな、骨子は同じである。

 

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エドワード3世の子

 

エドワード黒太子(1330~1476)

 

※プランタジネット朝。

 

ジョン・オブ・ゴーント(1340~1499)

 

※ランカスター朝の祖。

 

エドマンド・オブ・ラングリー(1341~1402)

 

※ヨーク朝の祖。

 

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エドワード黒太子の子(エドワード3世の孫)

 

リチャード2世(1367~1400) プランタジネット朝イングランド王

 

幼少で即位したため治世初期は貴族達の補佐を受け、成長してからは専制のため側近を重用したことが周囲の反発を招き1度挫折した。やがて反対派貴族を排除して再び専制に乗り出したことが一層の反感を買い、従弟のヘンリー・ボリングブルック(後のヘンリー4世)ら貴族層のクーデターによって王位から追放・幽閉された末に死去、プランタジネット朝は断絶した。 wikiより

 

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ジョン・オブ・ゴーントの子(エドワード3世の孫) ランカスター朝

 

ヘンリー4世(1367~1413)

 

ヘンリー5世(1387~1422)

 

ヘンリー6世(1421~1471)

 

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エドマンド・オブ・ラングリーの子(エドワード3世の孫) ヨーク朝

 

リチャード・オブ・コニスバラ(1385~1415) ケンブリッジ伯※画像なし

黎利(1385~1433) 後黎朝大越国初代皇帝

 

エドワード4世(1442~1483) ヨーク朝イングランド初代王

アリ・アブ1世(?~1482) グラナダ王※画像なし

 

薔薇戦争(1455年 – 1485年/1487年)の第一次内乱に勝利したことにより、ランカスター家のヘンリー6世を廃位して、ヨーク朝を開いた。ウォリック伯リチャード・ネヴィルの反乱(第二次内乱)により短期間だが王位を追われて、ヘンリー6世の復位を許すが、反撃に成功して王位を取り戻している。 wikiより

 

エドワード5世(1470~1483) ヨーク朝イングランド第2代王

ムハンマド12世(?~1483) グラナダ王※画像なし

 

リチャード3世(1452~1485) ヨーク朝イングランド第3代王

ムハンマド13世(?~1486) グラナダ王※画像なし

 

1485年8月、ランカスター派のリッチモンド伯ヘンリー・テューダー(後のヘンリー7世)がフランスから侵入し、ボズワースの戦いで国王自ら軍を率いて決戦する。この戦いでリチャード3世は味方の裏切りに遭い、自ら斧を振るって奮戦したが戦死した。遺体は、当時の習慣に従って、丸裸にされ晒された。 wikiより

 

※中世イングランド王室に巣食った本願寺門主覚如の血筋は、ここで断たれる。

 

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ヴァロワ伯シャルル(覚如)の子

 

 

ブランシュ(1317~1348)※画像なし

カール4世(1316~1378) ルクセンブルク朝神聖ローマ皇帝※画像なし

ニコラス・エイメリコ(1316~1399) ドミニコ会士・魔女狩り

方国珍(1319~1374) 反乱指揮者※画像なし

 

※ブランシュは男子だったが、女子として育てられた。その後、カール4世と結婚したことになっているが、カール4世は男子に戻ったブランシュであり、儲けた子供はカール4世が他の女性と作った子である。カール4世は同時にエイメリコを演じ、魔女狩りに情熱を傾けた。また、カール4世(ブランシュ)は、兄のルイ1世、ピエール1世(イザベル)や弟のルイと共に中国に渡って方国珍として元の崩壊に寄与した。

 

ルイ(1318~1328)※画像なし

張士誠(1321~1367) 張呉王

劉福通(1321~1363) 紅巾軍指揮※画像なし

陳友諒(1320~1363) 陳漢初代皇帝※画像なし
ジョン・ホークウッド(1320~1394) イギリス軍隊長


※ルイは10歳で死んだことにし、中国へ渡り、張士誠、劉福通として元に蜂起する。このとき、ルイは兄のカール4世(ブランシュ)、ルイ1世、ピエール1世(イザベル)と共に中国に渡って元の崩壊に寄与した。また、ルイは残虐極まりないジョン・ホークウッドにも変身した。

 

中国:紅巾の乱(1351~1368)

 

インド:殺人集団タギー(14世紀)

 

※一方、方国珍は55歳で死んだことにして劉基と共にイングランドに向かった。イギリスでジョン・ホークウッドを称した彼は、庶子の異母兄弟で編んだ影武者軍団や紅巾の乱の部隊をそのまま同行させ、イングランドで「白軍団」という職業軍人集団を築き、傭兵隊長に収まった。彼らは、イタリアに侵攻した際、財宝を強奪し、家畜を殺害し、若い女性を縛り、輪姦した。その後は、女性の乳房を切り落としたり、性器に剣を突き刺したりした。ホークウッドの部隊は、この時に2500人もの住民を惨殺した。また、部下2人がひとりの修道女を巡って争っていると、ホークウッドは剣で修道女を真っ二つに叩き斬り「ほら、2人で分けろ」と述べた。

その後、白軍団はインドに移住した。この時に「殺人集団タギー」が生まれた。タギーの名の由来はホラズム・シャー朝の初代王テギーンである。タギーはカーリーへの供物として、信者全員に毎年1人以上の殺人を義務付けていた。タギーは富裕な商人、旅行者などを狙い、蓄えた富で組織を維持し、更に組織の安全を謀るために各地の有力者に裏金を贈ったとされる。優性遺伝子ブリーダーによってタギーは瞬く間に増えた。彼らは政治とも結びつき、勢力を伸張した。年間2000人は殺していたようだ。タギーの特徴はバンダナだが、これは紅巾賊の頃の名残ではないか?

 

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陳友諒の弟

 

名前不明(生没年不明)

ハヤム・ウルク(1334~1389) マジャパヒト王国第4代王 在位1350~1389

 

ギリンドラワルダーナ(?~1489) マジャパヒト王国第13代王 在位1478~1489

プラブ・ウダラ(?~1517) マジャパヒト王国第14代王 在位1489~1517

ラデン・パター(?~1518) ドゥマク王国初代王 在位1475~1518

アリ・ムハヤット・シャー (?~1528) アチェ王国初代王 在位1496~1528

 

ジャマル・ウル=アラム・バドル・ウル=ムニール(?~1736) アチェ王国第20代王 在位1703~1726

ジェイラム・シヴジ(1800年前後に活躍した人物) 印僑の始祖、ザンジバル帝国富豪


※ジャマル王はインドネシアを離れて印僑のハシリ、ジェイラム・シヴジとしてスワヒリに登場し、大きな影響力を残した。シヴジはザンジバル・スルターン国で巨大な財力を握り、国政を左右する影響力を保持したため、ザンジバルへのインド人(タギー)の移住も進んだ。

 

アラウッディン・ムハマド・シャー(1760~1795) アチェ王国第28代王 在位1781~1795※画像なし

ベーラム(1765~1840) 殺人集団タギー首領

 

※シャーは、35歳で死んだことにしてアチェ王国からインドに赴き、首領としてタギーを指揮した。しかし、彼は歴代首領の中で初めて逮捕・処刑された首領となった。

 

アラウッディン・ムハマド・ダウード・シャー1世(1802~1838) アチェ第31代王 在位1823~38※画像なし
ポタタウ(1800~1860) 初代マオリ王


※シャー1世は36歳で死んだことにして、アチェ王国からイギリス統治下のニュージーランドに移ってポタタウとしてマオリ族の初代王となった。

 

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陳友諒の子

 

陳理(?~1408) 陳漢第2代皇帝

陳祖義(?~1407) ジャワ華僑首領、海賊

尚思紹王(1354~1421) 在位1406~1421

 

 

尚巴志王(1372~1439) 琉球王国第一尚氏王統初代王 在位1429~1439

黎利(1385~1433) 前期黎朝初代ベトナム皇帝 在位1428~1433

 

尚永王(1559~1589) 琉球王国第二尚氏王統第6代王 在位1573~1588

黎維潭(1567~1599) 後期黎朝第4代ベトナム皇帝 在位1573~1599

林鳳(?~?) 倭寇首領

潘和五(?~?) 華僑首領

 

※尚永王(黎維潭)は、倭寇首領林鳳を演じていた。林は台湾入植を考えていたが、マニラ発の船舶の積荷を見て突如、フィリピン攻略を思いついた。1574年、船舶10隻、6000人の部下を連れてフィリピンに上陸し、フィリピン人に同化した。

1593年になると、尚永王(黎維潭)は潘和五を演じ、華僑の部下を総動員してスペイン人総督を殺害し、スペイン艦隊を乗っ取った。歴史上、この乗っ取られた艦はベトナムに漂着したというが、実際にはベトナムに持ち帰られたということができる。

 

尚寧王(1564~1620) 琉球王国第二尚氏王統第7代王 在位1589~1620

黎維新(1588~1619) 後期黎朝第5代ベトナム皇帝 在位1600~1619

黄江(?~?) 華僑首領

 

※尚寧王(黎維新)は華僑の首領黄江を演じていた。黄江はスペイン人に対する蜂起を計画していたが、当局にバレ、2万人の華僑が虐殺されたという。だが、数年の内に1万人規模に戻ったということから2万人の虐殺はウソだったと考えられる。

 

尚豊王(1590~1640) 琉球王国第二尚氏王統第8代王 在位1621~1640

黎維祺(1607~1662) 後期黎朝第6代ベトナム皇帝 在位1619~1643

 

※尚豊王(黎維祺)は再び華僑の首領を演じ、大量の農民を操ってマニラでスペイン人に対する暴動を指揮した。このときはカトリック司祭2と役人数人を殺害した。このときも2万人の華僑が虐殺されたという。

 

尚貞王(1646~1709) 琉球第二尚氏王朝第11代王 在位1669~1709

黎維祫(1663~1716) 後期黎朝第11代ベトナム皇帝 在位

丁弋(?~?) 華僑首領

 

黎顯宗(1717~1786) 後期黎朝第28代ベトナム皇帝

王倫(?~1774) 白蓮教の乱指揮者

 

黎維祁(1765~1793) 後期黎朝第29代ベトナム皇帝

林清(1770~1813) 天理教の乱指揮者

 

王聡児(1777~1798) 一貫道指揮者

 

姚之富(?~1798) 一貫道指揮者

 

王覚一(1821~1884) 一貫道指揮者

 

 

路中一(1849~1925) 一貫道※画像なし

黄遵憲(1848~1905) 清国外交官

育徳帝(1852~1883) 阮朝ベトナム第5代皇帝※画像なし

協和帝(1847~1883) 阮朝ベトナム第6代皇帝※画像なし

 

維新帝(1900~1945) 

張天然(1899~1947) 一貫道※画像なし

孫慧明(1895~1975) 一貫道※画像なし

周仏海(1897~1984) 一貫道※画像なし

 

※黎朝のベトナム人が中国で白蓮教の乱や天理教の乱を指揮していた。数々の蜂起が失敗に終わると、やがて黎朝の残党は阮朝統治下のベトナムに戻り、阮朝の王室に侵入し、挙句に簒奪した。後期阮朝の皇帝は、みな中国で一貫道の僧侶として活動していた。

 

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コロキ・マフタ(1906~1966) 第5代マオリ王

安藤百福(1910~2007) 日清食品代表取締役社長

 

※安藤百福は華僑というから中国人ぽい顔を想像していたが、なかなかどうして。若い頃はポリネシア感が強い。現在の日清食品、特にインスタントラーメン、カップメンは化学毒の別称に成り果てている。遺伝子組み換え菜種油のために、食べ続けるとみぞおちに激痛が降臨する仕組みになっている。天国の安藤は泣いているだろうか?或いは笑っているだろうか?

 

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阮朝第10代ベトナム皇帝成泰帝の子(子は50人)

 

アルマンド・ヴィアーレ(1919?~?)※画像なし

ウィー・チョン・ジン(1915~2005) シンガポール大統領代行(華僑)

ウィー・キム・ウィー(1915~2005) シンガポール第4代大統領(華僑)

ヨー・ギム・セン(1918~1993) シンガポール大統領代行(華僑)

 

50人の子の内のひとり(生没年不詳)

リー・クアンユー(1923~2015) シンガポール元首

 

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阮朝第11代ベトナム皇帝維新帝の子

 

ソランジュ(早世)※画像なし

コラソン・アキノ(1933~2009) 第11代フィリピン大統領(華僑)

土井たか子(1928~2014)

 

※2人共存命ではないが、似ている。前から似ていると思っていたが、それ以上踏み込むことは毛頭考えていなかった。まあ、社民党も筆者の集団ストーカーの訴えを無視したので悪の側だろうとは考えていたが、やはりそうだったか。だいたい、たかこは浄土真宗が建てた龍谷大学の卒業生なのだから。

 

グエン・フク・バオ・ゴク(1932)

ベニグノ・アキノJr(1932~1983)

司徒華(1931~2011) 天安門事件指導者

 

※アキノも悪者だった。マルコス大統領はダヴィデの一族の出身だからタナトスの侵入を阻止するために暗殺したようだ。もっとやっていいのにね。

 

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保大帝の子(阮朝最後の皇帝)

 

バオ・ロン(1936~2007)※画像なし

オン・テンチョン(1936~2002) シンガポール第5代大統領(華僑)

 

バオ・タン(1943~2017)

ゴー・チョクトン(1941) シンガポール上級相

トニー・タン・ケン・ヤム(1940) シンガポール第7代大統領(華僑)

神埼武法(1943) 公明党代表

朱耀明(1944) 香港反政府デモ指導者

 

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リー・クアンユーの子

 

リー・シェンロン(1952) シンガポール共和国第3代首相

趙維山(1951) 全能神教祖

張永明(1955~2013) 喰人シリアルキラー(男性20人)

 

中国・雲南省の昆明市晋寧県で、20人の男性 (12歳~80歳) が失踪している事件が発生していた。 当初は5人とされていた不明者は実は17人に及んでいた。 12歳の少年1人を除き、いずれも16歳以上で、最高齢は80歳であった。 失踪現場はかなり人通りのある場所だった為、犯人の特定は難しかったが、実は張の家の近所であった。「世界の猟奇殺人者」より

 

※シェンロンと趙はどう見ても同一人物だ。シンガポールの首相が中国を侵略するカルトの教祖とはね。陳は顔が似ていないので影武者だろう。張永明もリー・シェンロンに顔が似ているが影武者として生まれたのではないかと考えられる。

 

リー・ウェイリン(1955?) 国立脳神経科学院※画像なし

福島瑞穂(1955) 社民党

 

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コラソン・アキノの子

 

ベニグノ・アキノ3世(1960) 第15代フィリピン大統領(華僑)

 

クリス・アキノ(1971) コラソン・アキノの娘

楊向彬(1973) 全能神教祖妻

 

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ベニグノ・アキノ3世の子

 

プリシラ・チャン姉妹

 

※プリシラ・チャンはフェイスブック創業者ザッカーバーグの伴侶だが、たくましい体つきをしており、オバマ夫人のミシェル同様に性転換男性ではないかと疑われる。この場合、かよわそうなザッカーバーグが彫られているのだろうか(性転換しているんだっけなw)。そのプリシラ・チャンの妹が、カリフォルニアで「カンニバル・クラブ(人肉クラブ)」という恐ろしい名前のレストランを経営しているという。この姉妹(?)の家系は、アキノ家だと考えられる。プリシラチャンは3世に似ているし、右側の人がコラソンに似ている。もしベニグノ・アキノ3世の子なら、優性遺伝子ブリーダーの仕事だろう。

 

 

 


善如の一族~倭寇、恭愍王、足利義満、日野富子、三浦倭館、東林党、魏忠賢、フランシス・ドレイク、バッカニア海賊、カタール首長

善如(1333~1389)
明玉珍(1331~1366) 農民反乱指揮者・夏王朝初代皇帝※画像なし

恭愍王(1330~1374) 高麗王※画像なし
エンリケ2世(1334~1379) トラスタマラ朝レオン王
カルロス2世(1332~1387) エヴルー朝ナバラ王

 

中国:紅巾の乱(1351~1368)

中国・高麗:倭寇大規模略奪(1358)

 

※高麗王を演じていた善如は、北九州~福建の倭寇を指揮し、ガリア人の「聖なる移住(ウェルサクレム)」の要領で、数で押す形で大陸沿岸部を侵食していた。もちろん、時の高麗王恭愍王は意図的に何の対策も講じず、苦しんでいる人々と倭寇のあらくれぶりを放置していた。そのための王である。

高麗では1358年から倭寇による大規模な略奪が起きた。これを指揮していた、名前も知られていない倭寇の首領は、東本願寺門主善如であった。そして高麗沿岸部の被害は、高麗王恭愍王(善如)がじきじきに指揮していた。

善如は中国本土では明玉珍を名乗り、仏教信者を指揮して農民一揆を発生させていた。また、アフリカから来た劉氏の子孫、韓林児(フォン族)や覚如の子たち(方国珍、張士誠、陳友諒)と組み、紅巾の乱を指揮した。しかし、リトアニア帰りの朱元璋の登場により、大谷の中国支配は頓挫した。だが、このときに築かれた白蓮教の指揮系統は今でも生きており、法輪功で利用されている。

 

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明玉珍の子

 

明昇(1356~?) 夏王朝第2代皇帝 在位1366~1371※画像なし

定宗(1357~1419) 李氏朝鮮第2代国王

足利義満(1358~1408) 室町幕府第3代征夷大将軍

マルティン1世(1356~1410) バルセロナ朝アラゴン王※画像なし
フアン1世(1358~1390) トラスタマラ朝カスティーリャ王

 

※李氏朝鮮の簒奪は失敗したが、日本に移り、室町幕府の簒奪に成功した。足利氏はもともとマヤにいたタナトス(河伯)の子孫であり、マヤの神イシュキックに由来する。イシュキック=イスキク=足利となる。マヤの神イシュチュルを由来にした五辻氏からは後醍醐天皇が排出されている。大谷の血統がマヤのタナトスの遺伝子を取り込んだ形だ。

 

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定宗の子

 

高城翁主(生没年不詳)

日野重子(1411~1463)

 

日野富子(1440~1496)

 

※悪女として有名な日野富子も大谷の一族だった。その正体は李氏朝鮮の王、定宗の孫である。定宗の娘に生没年が不詳の高城翁主がいるが、彼女が日本に移り、日野重子になったと考えられる。

 

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朱椿(1371~1423) 朱元璋の子

太宗李芳遠(1367~1422) 李氏朝鮮第3代国王

ヤドゥ・ラーヤ(1371~1423) マイソール王国初代王 在位1399~1423

 

※太宗李芳遠は朝鮮半島からインドに赴き、マイソール王国を築いている。オデヤ(ウォディヤール)家の名の由来は朝鮮語「オディヤ?(どこだ?)」であり、マイソールの由来は「ムイ、ソウル(ソウルじゃない)」である。

 

イ・ジョン(1407~1453) 太宗の子

足利義量(1407~1425) 室町幕府第5代征夷大将軍

 

※ダヴィデの一族の王朝である明の皇帝は、朝鮮や日本にも進出することを狙っていた。朱元璋の子朱椿は李氏朝鮮では太宗に変身し、朝鮮半島を治めた。その後、太宗の子イ・ジョンが日本に進出し、足利義量として征夷大将軍に即位した。しかし、異分子の侵入を察知した善如の一族は義量を亡き者にしようと画策し、これに気付いた義量は18歳で死んだことにしていち早く日本を脱出し、李氏朝鮮に帰還した。彼は46歳まで生きた。

 

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足利義満の子

 

足利義持(1386~1428) 室町幕府第4代征夷大将軍

 

足利義教(1394~1441) 室町幕府第6代征夷大将軍

アルフォンソ5世(1396~1458) トラスタマラ朝アラゴン王

 

※善如の一族は、他の本願寺の一族のように世界進出を試みてはいたが、足利義量の件以来、善如の一族は誰かに狙われていることに気付き、それどころではなかったようだ。

 

足利義政(1436~1490) 室町幕府第7代征夷大将軍

 

足利義稙(1466~1523) 室町幕府第10代征夷大将軍

宗義盛(?~?) 三浦の乱指揮者

 

※李氏朝鮮の王室が日本の侵略を試みていることを察した善如の一族は朝鮮攻略のために釜山に倭館を築いた。義稙は宗義盛に化けて「三浦の乱」を指揮し、李氏朝鮮に蜂起したが退けられた。

 

小田政治(1492~1548) 第11代将軍足利義澄の子

ウィリアム・ホーキンス(1490~1554) ジョン・ホーキンス父※画像なし

 

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足利義晴(1511~1550) 室町幕府第12代征夷大将軍

王直(?~1560) 倭寇・福建海賊首領※画像なし

 

徽州歙県(きしゅう きゅうけん、現在の安徽省黄山市)に生まれる。任侠の徒であったと言われ、青年の時に塩商を手がけるが失敗。明が海禁政策を行うなか葉宗満らと禁制品を商う密貿易に従事した。双嶼(リャンポー、浙江省寧波の沖合い)港を本拠地に活動していた許棟、李光頭の配下として東南アジアや日本の諸港と密貿易を行い、博多商人と交易して日本人との信任を得る。1548年、密貿易を取り締まった朱紈らが双嶼を攻撃すると逃れて海賊集団を組織し、浙江省舟山諸島の烈港を本拠に徽王と称し、徐海と並ぶ倭寇の頭目となった。王直 wikiより

 

※明第12代皇帝嘉靖帝は工作員として日本に潜入し、足利義晴の子として足利義輝を生んだ。しかし、義輝は従兄弟である義栄に正体を知られたため、執拗なまでに狙われ続けた。1565年、義輝は三好三人衆に殺害されたことにして父の故地中国に渡り、1567年に隆慶帝に即位した。

彼はなぜそんなにすぐに明の皇帝になれたのか?それは、義輝(隆慶帝)が嘉靖帝(ダヴィデの一族)の子だったからだ。一方、そんな騒ぎをよそに、足利義晴は福建に赴き、王直に変身して倭寇を取り仕切った。

 

ジョン・ホーキンス(1532~1595) イギリス海賊

十河一存(1532~1561) 三好三人衆父※画像なし

有馬則頼(1533~1602)

 

※第11代将軍足利義澄の子孫であるジョン・ホーキンスがイギリスから日本にやってきた。彼は有馬氏を乗っ取り、数々の有名な海賊を生み出した。

 

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足利義栄(1538~1568) 室町幕府第14代征夷大将軍

三好宗渭/三好三人衆(?~1569)※画像なし

ヘンリー・モーガン(1535~1688) バッカニア海賊

 

※倭寇の首領でもあった義栄は、イギリスに赴いて海賊ヘンリー・モーガンに化け、バッカニアとして知られた。彼はいとこである義輝と対立していた。なぜなら義輝は明皇帝の子であり、日本打倒のために侵入して嘉靖帝(ダヴィデの一族)が儲けた子だからだ。義栄は三好宗渭(三好三人衆)と足利義昭に化け、義栄の弟義助が三好長逸(三好三人衆)と松永久通に化け、義栄の弟義任が三好義継と岩成友通(三好三人衆)に化けて足利義輝の殺害を試みた。

しかし、義栄たちは義輝を逃したため、中国にまで追いかけ、東林党を設けて明皇帝となった義輝と対立した。明朝と東林党の対立は足利義輝と足利義栄の一族の対立だった。歴史上、義輝は足利義晴の子であり、義栄は足利義維の子であるが、義晴と義維は足利義澄の子で兄弟である。つまり、表向き、義輝と義栄の対立はいとこ同士の対立であった。更に、義栄は中国で東林党党首を演じながら日本で足利義昭として、織田信長と戦い、戦国時代を生きた。

 

足利義助(1541~1592) 義栄の弟※画像なし

三好長逸/三好三人衆(?~?)※画像なし

松永久通(1543~1577)※画像なし

池田勝正(1539~1578)

三好義興(1542~1563)

フランシス・ドレイク(1540頃~1596) イギリス海賊

 

※倭寇を統率していた義栄と義助は義輝(隆慶帝)を討つことを諦めるとイギリスに向かい、海賊として鳴らした。義助はフランシス・ドレイクとしてイギリス海軍を率い、倭寇仕込の戦術でスペイン無敵艦隊を撃破した。

 

足利義任(?~?)

三好義継(1549~1573)

岩成友通/三好三人衆(?~1573)

顧憲成(1550~1612) 東林党党首

 

※義任はイギリスには行かず、明に直行して隆慶帝、万暦帝の打倒を胸に「東林党」を結成した。自分たちに有利な世論、敵に不利な世論を形成するためである。しかし、東林党は足利義輝の一族に簒奪され、義栄の一族に属する魏忠賢によって激しく弾圧された。

 

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隆慶帝(足利義輝)の子

 

朱翊釴(1555~1559)

顧允成(1554~1607) 顧憲成弟

ジョン・ウォード(1553~1622) バルバリア海賊

 

朱翊鏐(1568~1614)

顧大章(1567~1625) 東林六君子

魏忠賢(1568~1627) 明朝宦官

 

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有馬則頼(ジョン・ホーキンス)の孫

 

有馬則故(1635~1713)

フランソワ・ロロネー(1635~1667) バッカニア海賊

 

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有馬則頼(ジョン・ホーキンス)の玄孫

 

有馬頼利(1652~1668)※画像なし

ウィリアム・キッド(1655~1701) イギリス海賊

 

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有馬頼利の弟

 

有馬頼元(1654~1705)

ヘンリー・エイヴァリー(1659~?) イギリス海賊

 

有馬則維(1674~1738) 有馬則故の子

アマロ・ロドリゲス・フェリペ(1678~1747) スペイン海賊

エドワード・ティーチ(1680~1718) イギリス海賊

チャールズ・ヴェイン(1680~1720) イギリス海賊※画像なし

エドワード・イングランド(1680~1721) イギリス海賊※画像なし

 

有馬頼旨(1685~1706) 有馬頼元の子※画像なし

バーソロミュー・ロバーツ(1682~1722) イギリス海賊

ジョン・ラカム(1682~1720) イギリス海賊※画像なし

 

酒井忠音(1691~1735) 有馬頼旨妹夫(実際には有馬頼旨の異母兄弟と考えられる)※画像なし

エドワード・ロウ(1690~1724) バッカニア海賊

サミュエル・ベラミー(1689~1717) イギリス海賊

スティード・ボネット(1688~1718) イギリス海賊※画像なし

 

有馬頼貴(1746~1812) 有馬頼旨の子

ジョン・ポール・ジョーンズ(1747~1792) イギリス海軍提督

 

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有馬頼貴の子

 

有馬頼善(1779~1816) ※画像なし

ジャン・ラフィット(1780~1826) 最後のバッカニア海賊

 

有馬頼久(178?~?)

シャイフ・ムハンマド・ビン・サーニー(1788~1878) 初代カタール元首

 

※流浪の民と化していた善如の一族は、バッカニアという海賊の国を作ったこともあったが、カタールに落ち着いた。

 

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Mohammed bin Jassim Al Thaniの子

 

ハリーファ・ビン・ハマド・アール=サーニー(1932~2016) カタール元首※画像無し

アブドゥラヒ・ユスフ(1934~2012) 第6代ソマリア大統領 任期2004~2008

 

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ハリーファ・ビン・ハマド・アール=サーニーの子

 

ハマド・ビン・ハリーファ・アール=サーニー(1952) カタール元首

アダン・モハメド・ヌール・マドベ(1955) ソマリア大統領代理 任期2008~2009

タイシール・アッルーニー(1955) アルジャジーラ記者

 

※ハマド・ビン・ハリーファ・アール=サーニーがアルジャジーラを創設した。BBCの影響下にある。安倍首相の出身であるモロッコ王家の一族もアルジャジーラの記者として働き、世界有数のフェイクメディアのひとつに数えられる。シリア、イランに汚名を着せるために働いている。

 

ジャーシム(196?) ※画像無し

シェイク・シャリフ・シェイク・アフマド(1964) 第7代ソマリア大統領 任期2009~2012

 

シャイフ・タミーム・ビン・ハマド・アール=サーニー(1980) カタール元首

 

※ソマリア海賊の画像:彼らが活発に活動したのは、2005年~2010年の間で、上のソマリア大統領の任期に符合している。倭寇の時代の再来である。倭寇の時代も、倭寇をじきじきに指揮していたのは室町幕府征夷大将軍や高麗王族である。ソマリア海賊のメンバーは、カタール首長ハリーファ・ビン・ハマド・アール=サーニーと息子たちの庶子たちで構成されていると考えられる。

 

 

 


綽如の一族~ヴァロワ=ブルゴーニュ公、ブルボン公、能登守、ハプスブルグ朝スペイン王国、デュポン財閥、ケベック解放戦線

綽如(1350~1393)

畠山基国(1352~1406) 能登守※画像なし

フィリップ2世(1342~1404) ブルゴーニュ公

ボニファティウス9世(1350~1404) ローマ教皇 在位1389~1404※画像なし

 

スペイン:カスティーリャ、ユダヤ人虐殺(1392)
スペイン:マホルカ農民一揆(1392)

 

※綽如は、畠山氏を生み、タナトスの故郷である能登守として能登を守護した。更に、綽如はフランスに赴き、フィリップ2世としてヴァロワ=ブルゴーニュ家の祖となる。また、綽如はローマ教皇ボニファティウス9世としてスペインでユダヤ人虐殺などを指揮している。

 

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畠山基国の子

 

畠山満家(1372~1433) 畠山持国の父※画像なし

ジャン1世(1371~1419) ブルゴーニュ公

 

畠山満慶(?~1432) 能登守

 

畠山持国(1398~1455) 畠山義就の父※画像なし

フィリップ3世(1396~1467) ブルゴーニュ公

フアン2世(1397~1479) トラスタマラ朝ナバラ王

グレート・ピースメーカー(15世紀の人物) イロコイ連邦首長

 

※畠山満家はジャン1世であり、息子の畠山持国はフィリップ3世だった。満家と持国は日本でも親子だったが、フランスでも親子だったわけだ。

更に、フアン2世は現カナダに渡り、イドロイ連邦を掌握して「グレートピースメーカー」を名乗った。このグレートピースメーカーが名前に違い、カニバリズムをイロコイ連邦に持ち込んだと考えられる。イロコイの由来はチェロキーである。チェロキー=エロケイ=イロコイとなる。つまり、イロコイ族はチェロキー族の後身である。

 

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ブルゴーニュ公ジャン1世の娘

 

アニェス(1407~1476) ブルボン公シャルル1世と結婚

 

ジャン2世(1426~1488) ブルボン公

レオノール(1426~1479) トラスタマラ朝ナバラ女王※画像なし

 

シャルル2世(1434~1488) ブルボン公

 

ピエール2世(1438~1503) ブルボン公

ジルベール(1443~1496) モンパンシエ伯

 

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ジルベールの子

 

シャルル3世(1490~1527) ブルボン公

ジャック・カルティエ(1491~1557) ヌーヴェル・フランス総督

 

フランス・ブルターニュ地方サン・マロ出身のブルトン人探検家・北米への侵略者。セントローレンス湾とセントローレンス川岸にヨーロッパ出身者として初めて到達し、イロコイ族の言葉からその周辺の土地を「カナダ」と名付け記述したことで知られる。 北米大陸へ3度の探検を行い、プリンス・エドワード島やセントローレンス河口に到達、現在のケベックに上陸し、後のフランスによるカナダ領有の基礎を築いた。 wikiより

 

※ジャック・カルティエの正体はブルボン公シャルル3世であった。この時に現ケベック州の前身が作られた。

 

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歴代能登守

 

畠山義忠(?~1463) 能登守

 

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シャルル(1476~1498) クレルモン伯 ピエール2世の子※画像なし

ルイーズ・ド・サヴォワ(1476~1531) ブルボン女公

畠山義統(?~1497) 能登守※画像なし

 

※クレルモン伯だったシャルルは、身の安全を考えてルイーズ・ド・サヴォワを演じ、ブルボン女公としてコニャック同盟戦争を終結させている。シャルルは、義統として能登守も務めたが、1497年に死んだことにし、その後はルイーズ・ド・サヴォワ一本で生きた。ルイーズには子どもがいるが、シャルルがどこかの女に産ませた子だろう。

 

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ルイーズ・ド・サヴォワの子

 

フランソワ1世(1494~1547) ヴァロワ朝第9代フランス王

 

アンリ2世(1519~1559) ヴァロワ朝第10代フランス王

アントニオ(1518~1562) ブルボン朝ナバラ王

 

フランソワ2世(1544~1560) ヴァロワ朝第11代フランス王

 

シャルル9世(1550~1574) ヴァロワ朝第12代フランス王

 

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シャルル・ダングレーム(1522~1545) ブルボン公

フェリペ2世(1527~1598) ハプスブルグ朝スペイン王 在位1556~1598

畠山義総(1491~1545) 能登守※画像なし

 

※シャルルは能登は影武者に一任し、同時にフェリペ2世としてハプスブルグ家に侵入し、スペイン王の座に就いた。

 

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ヴァロワ朝第10代フランス王アンリ2世の子

 

アンリ3世(1551~1589) ブルボン公・ヴァロワ朝第13代フランス王・ポーランド最初の選挙王

畠山義隆(1556~1576) 能登守※画像なし

 

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ハプスブルグ朝スペイン王フェリペ2世の子

 

フェリペ3世(1578~1621) ハプスブルグ朝スペイン王
サミュエル・デ・シャンプラン(1574~1635) ヌーヴェル・フランス初代総督※画像なし

 

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ハプスブルグ朝スペイン王フェリペ3世の子

 

マリア(1603)
シャルル・ド・モンマーニュ(1599~1654) ヌーヴェル・フランス第2代総督

 

アルフォンソ(1611)
ルイ・デ・アユブース・ド・クーロンニュ(1612~1660) ヌーヴェル・フランス第3代総督

 

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ハプスブルグ朝スペイン王フェリペ4世の子

 

マリア・エウヘニア(1625~1627)
ダニエル・ド・レミー・ド・クールセイユ(1626~1698) ヌーヴェル・フランス第8代総督

大岡忠高(1633~1701) 大岡忠相父

 

マリア・テレサ(1638~1683) フランス王ルイ14世王妃

 

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フランス王妃マリー・テレーズ・ドートリッシュの子

 

フィリップ・シャルル(1668~1671)
ル・マルキ・ド・ボーハルモア(1671~1749) ヌーヴェル・フランス第14代総督

大岡忠相(1677~1752) 能登守

 

※綽如の一族であるヌーヴェルフランス総督たちは、14代総督の時に大岡忠相として故郷である能登に戻った。

 

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ブルゴーニュ公ルイ(1682~1712)の子

 

ルイ(1704~1705) ブルターニュ公
ル・マルキ・ド・ヴォードレイユ・カヴァニャル(1696~1778) ヌーヴェル・フランス第18代総督

大岡忠宜(1709~1766) 大岡忠宜子


※ヌーヴェル・フランス第18代総督の後に悪名高い西本願寺門主良如の一族ジェフリー・アムハーストが来る。その後、ヌーヴェル・フランス総督の座は永らく奪われたままになる。どっちにしてもケベック州が独立を主張できるのはタナトスの一族だからだ。

 

テレーズ(1736~1744) フランス王ルイ15世の子※画像なし

ピエール=サミュエル・デュ・ポン・ド・ヌムール(1739~1817) デュポン家祖

 

※ユダヤ人(1731)の一族の血を継ぐ三男エリュテール・イレネーが化学企業デュポンを創業する。

 

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ピエール=サミュエル・デュ・ポン・ド・ヌムールの玄孫

 

R. R. M. Carpenter Jr.(1915~1990)※画像なし

ジュール・レジェ(1913~1980) カナダ第64代総督

ノルマン・ロワ(1914~1996) ケベック解放戦線メンバー

 

※民族テロ組織ケベック解放戦線は、綽如の一族(ヴァロワ朝フランス、ブルボン公)の末裔と考えられる。

 

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Lammot du Pont IIの子

 

Reynolds du Pont(192?~?)※画像なし

ジャンヌ・サウーヴ(1922~1993) カナダ第66代総督※画像なし

ピエール・ラポルト(1921~1970) ケベック解放戦線メンバー

ジョン・ターナー(1929) 第23代カナダ首相

 

David Flett du Pont(1934~1955)※画像なし

Pete du Pont(1935)

ロメオ・ルブラン(1928~2009) カナダ第68代総督

ロベール・コモ(193?~?) ケベック解放戦線メンバー

ミシェル・ランベール(193?~?) ケベック解放戦線メンバー※画像なし

ジョー・クラーク(1939) 第21代カナダ首相

ジョルジュ・シューテルス(1930~1994) ケベック解放戦線メンバー

ジャン・クレティエン(1934) 第26代カナダ首相

 

※上の3人は顔がよく似ている。クレティエンはどちらかというと、同一人物かと思うくらいに下記のデイヴィッド・ロイド・ジョンストンに良く似ている。

 

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William du Pont Jr.の子

 

John du Pont(1938~2010)

デイヴィッド・ロイド・ジョンストン(1941) カナダ第71代総督

ピエール・ヴァリエール(1938~1998) ケベック解放戦線メンバー※画像なし

ブライアン・マルルーニー(1939) 第24代カナダ首相

 

Evelyn du Pont(194?)

キム・キャンベル(1947) 第25代カナダ首相

 

William du Pont III(1949?)※画像なし

本吉達也(1952) 羽咋市市長
高野誠鮮(1955) 日蓮宗僧侶

 

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Pete du Pontの子

 

Ben duPont(1964)

ジュリー・ペイエット(1963) カナダ第72代総督

 

 

 


巧如の一族~ジル・ド・レ、ヴァロワ朝フランス、マルタ騎士団、マラーター族、アフガニスタン王国、オマーン王国、ザンジバル帝国、ソコト帝国、マルタ共和国

巧如(1376~1440)

マルティヌス5世(1368~1431) ローマ教皇 在位1417~1431※画像なし

シャルル6世(1368~1422) ヴァロワ朝第4代フランス王

ジョルジュ・ド・ラ・トレモイユ(1382~1446) フランス王室侍従長※画像なし

 

ドイツ:ヤン・フス処刑(1415)
日本:近江馬借一揆(1426)

 

※巧如は、日本は影武者に任せ、自分は百年戦争の現場でフランス軍を指揮していた。巧如はマルティヌス5世を名乗り、工作員としてヨーロッパに暗躍した。彼はまず、敵であるヤン・フスを異端と呼んで処刑している。その後、フス派が登場してフス戦争に発展するが、これは手下に一任し、自分は百年戦争の現場に戻った。巧如はフランス王シャルル6世と同時にシャルル7世を助けた宰相ジョルジュ・ド・ラ・トレモイユを名乗り、フランス軍を指揮した。

 

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シャルル6世(巧如)の子

 

シャルル7世(1403~1461) ヴァロワ朝第5代フランス王

ジル・ド・レ(1405~1440)

 
フランス:聖少女ジャンヌ・ダルク出現(1429)

 

※シャルル6世(巧如)の子であるシャルル7世はフランス王でありながら、一方でジル・ド・レを名乗った。ジル・ド・レは両親さえ不明な謎の人物であったが、財産はヨーロッパでも1、2を争う規模を誇っていた。それらは大谷がドルイド教の時代から集めていた財産の一部なのだろう。ジル・ド・レ(シャルル7世)は、妹であるジャンヌ・ド・フランスの9歳で死んだ娘マルグリットを参考にし、聖少女ジャンヌ・ダルクを生み出した。マルグリットの生年月日はジャンヌ・ダルクと同じだが、ジャンヌは17歳の時に登場したが、マルグリットも生きていたらちょうど17歳である。

ジル・ド・レは、神に保護された少女という触れ込みで、尻込みするフランス軍の戦意を高揚させるという陰謀を駆使した。このジル・ド・レの陰謀をまやかしの妖術と呼んだジョン・オブ・ランカスターは、だが、存在しないジャンヌ・ダルクを処刑するという手段に出た。
存在しないジャンヌを処刑するにはどうしたらよいだろうか?答えは簡単だ。権威、この場合はイギリス政府が「ジャンヌを処刑した」とウソをつけば事足りる。そして、そのウソを大勢の人間が信じれば、存在しないはずのジャンヌは処刑されたことになるのだ。

ジル・ド・レは、敵にもキレ者がいることを喜んだ。だが、ジョン・オブ・ランカスターが放った間者の偵察によって、ジル・ド・レが少年を拉致して拷問の挙句惨殺する趣味に興じていたことを暴露されると、逮捕され、過酷な拷問によって変態殺人鬼であることを認めた。これが青髭の物語の原型である。

だが、アルバート・フィッシュやテッド・バンディの例があるように、残虐な拷問の果てに処刑されて死んだのは身代わりの者である。真のジル・ド・レことシャルル7世は、その後もフランス王として58歳まで生きた。

 

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シャルル6世(巧如)の子

 

ジャンヌ・ド・フランス(1391~1433) ブルターニュ公ジャン5世と結婚

 

マルグリット(1412~1421) ジャンヌ・ド・フランスの娘

ジャンヌ・ダルク(1412~1431)

 

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シャルル7世の子

 

ルイ11世(1423~1483) ヴァロワ朝第6代フランス王

 

シャルル8世(1470~1498) ヴァロワ朝第7代フランス王

フランシスコ1世(1469~1483) フォワ朝ナバラ王

 

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シャルル6世(巧如)の弟ルイ・ド・ヴァロワの子

 

ルイ12世(1462~1515) ヴァロワ朝第8代フランス王

フィリップ・ヴィリエ・ド・リラダン(1464~1534) 聖ヨハネ騎士団総長※画像なし

 

ロドス島における騎士団最後の総長で、オスマン帝国との間でのロドス包囲戦を指揮し、その敗北後も騎士団を率いてマルタ島への移転を行った。  wikiより

 

シャルル=オルラン・ド・フランス(1492~1495) シャルル8世の子※画像なし

ジャン・ド・ヴァレット(1494~1568) 聖ヨハネ騎士団総長

 

1565年にオスマン帝国がマルタ騎士団(聖ヨハネ騎士団)が治める地中海のマルタ島へ行った包囲戦である。最終的にマルタ騎士団が包囲軍の撃退に成功した。 wikiより

 

※マルタ包囲戦を機に、マルタ騎士団はインドに移り、「マラーター族」として異国の地で新たに出直している。マラーターの名の由来はマルタである。マルタ=マルーター=マラーターとなる。

 

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ラージャーラーム(1670~1700) 第3代マラーター王

ミールワイス・ホータキ(1673~1715) ホータキー朝初代首長

 

※琢如の一族がマラーター王国の王位を簒奪すると、巧如の一族はコールハープル藩王国を築いた。さらに、アフガニスタンにホータキ朝を開いた。

 

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ティムール・シャー・ドゥッラーニー(?~1793) サドーザイ朝第2代シャー 在位1773~1793

Hamad bin Said(?~1792) オマーン初代スルターン 在位1783~1792

シヴァージー3世(1756~1813) 第3代コールハープル藩王

ウスマン・ダン・フォディオ(1754~1817) ソコト帝国初代皇帝

 

※ティムールはアラビア半島に拠点を移し、オマーンの初代スルターンに就任している。さらに南下して西アフリカに進出し、ウスマン・ダン・フォディオを称してソコト帝国を築いた。ソコトの由来はソグド、ソグディアナと考えられる。つまり彼らがアフガニスタンから来たことを示している。

 

Said bin Sultan(1791~1856) オマーン第4代スルターン 在位1806~1856

ドースト・ムハンマド・ハーン(1793~1863) バーラクザイ朝初代アミール 在位1826~1863

サンバージー3世(1801~1821) 第4代コールハープル藩王※画像なし

シャハージー(1802~1838) 第6代コールハープル藩王※画像なし

アブドゥサラミ・ダン・サリー・アリミ(?~?) イロリン首長国初代首長 在位1824~1842※画像なし

オルエウ(?~?) オヨ帝国皇帝 在位1833~1835※画像なし

 

※ドーストの時代、彼は西アフリカの侵略を試み、イロリン首長国、オヨ帝国を築いている。

 

Thuwaini bin Said(1821~1866) オマーン第5代スルターン 在位1856~1866※画像なし

シール・アリー・ハーン(1825~1879) バーラクザイ朝第2代アミール 在位1863~1878

シヴァージー4世(1816~1822) 第5代コールハープル藩王※画像なし

 

Faisal bin Turki(1864~1913) オマーン第9代スルターン 在位1888~1913※画像なし

Khalifa bin Harub(1879~1960) ザンジバル第9代スルターン 在位1911~1960

ハビーブッラー・ハーン(1872~1919) バーラクザイ朝第11代アミール 在位1901~1919

シャーフー(1874~1922) 第10代コールハープル藩王

フランシスコ・ブアージャール(1876~1934) 第2代マルタ首相※画像なし

 

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オマーン王国スルターンFaisal bin Turkiの子

 

Taimur bin Feisal(1886~1965) オマーン第10代スルターン 在位1913~1932

Ali bin Hamud(1884~1918) ザンジバル第8代スルターン 在位1902~1911

ムハンマド・ナーディル・シャー(1883~1933) アフガニスタン第3代国王

アウグスト・バルトロ(1883~1937) マルタ首相代行※画像なし

アブドゥルカディール・ダン・バワ(?~?) イロリン首長国第8代首長 在位1920~1959

 

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アフガニスタン王ハビーブッラー・ハーンの子

 

イナーヤトゥッラー・シャー(1888~1946) アフガニスタン第2代国王

ハビーブッラー・カラカーニー(1891~1929) アミール

ウゴ・ミフスッド(1889~1942) 第3代マルタ首相※画像なし

 

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アフガニスタン王ムハンマド・ナーディル・シャーの子

 

Said bin Taimur(1910~1972) オマーン第12代スルターン 在位1932~1970

Abdullah bin Khalifa(1910~1963) ザンジバル第10代スルターン 在位1960~1963※画像なし

ザーヒル・シャー(1914~2007) アフガニスタン第4代国王

シャハージー2世(1910~1983) 第13代コールハープル藩王

ムハンマド・ダーウード(1909~1978) アフガニスタン共和国初代大統領

ベンジャミン・ヘンリー・シアーズ(1907~1981) シンガポール第2代大統領(印僑)

アンソニー・マモ(1909~2008) 初代マルタ大統領

ユソフ・ビン・イサーク(1910~1970) シンガポール初代大統領(印僑)

アントン・ブティギーグ(1912~1983) 第2代マルタ大統領

 

※当時のオマーンスルターンは、ザンジバル、アフガニスタン、コールハープル藩王国、シンガポール、マルタを支配していた。彼の一族は、マルタ大統領に代々就任した。

 

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アフガニスタン王ザーヒル・シャーの子

 

ムハンマド・アクバル・ハーン(1933~1942)※画像なし

J・Y・ピレー(1934) シンガポール大統領代行(印僑)

ジョン・マレケラ(1934) 第6代タンザニア首相

 

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ザンジバル帝国スルターンAbdullah bin Khalifaの子

 

Jamshid bin Abdullah(1929) ザンジバル第11代スルターン 在位1963~1964※画像なし

イブラヒム・ダスキ(1923~2016) ソコト帝国第17代皇帝※画像なし

C・V・デヴァン・ナイール(1923~2005) シンガポール第3代大統領(印僑)

ジュリウス・ニェレレ(1922~1999) タンザニア初代大統領

アマン・アンドム(1924~1974) 初代エチオピア臨時軍事評議会議長

ムハンマド・マッシード(1926~2006) ソコト帝国第18代皇帝※画像なし

S・R・ナザン(1924~2018) シンガポール第6代大統領(印僑)

ラシディ・カワワ(1924~2009) 初代タンザニア首相

 

※ザンジバル革命が起きると、ザンジバル帝国のスルターンは素早くタンザニアの初代大統領と初代首相の座に就いた。さらにソコト王位を継承し、新規にエチオピアにも進出した。

 

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ザンジバル帝国スルターンJamshid bin Abdullahの子

 

Ali bin Jamshid Al Said(1956)※画像無し

サアド・アブバカール(1956) ソコト帝国第19代皇帝

 

Sayyid Gharib bin Jamshid Al Said(1975)※画像無し

ラシンダ・トライブ(1976) 民主党

 

※ラシンダは頑丈そうに見えることから民主党で今流行の性転換者だと考えられる。

 

 

 



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