目次
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まえがき 悪の足跡の追求
タナトスの一族~カニバリズム、人身御供、クロノス、アトランティス王国、最終戦争ラグナロク、タングート、西夏、狼男、チャガタイ・ハン国、タウングー朝、ズールー帝国、アフリカ独立運動、ボコ・ハラム
ティールタンカラの一族~アーリア人、仏教、継体天皇、中臣鎌足、藤原不比等、白河天皇、鳥羽天皇、マリ帝国、ジェノヴァ共和国、ルクセンブルク公国、リヒテンシュタイン公国、モナコ公国、アシャンティ帝国
デウスの一族~ジャイナ教、河伯、サータヴァーハナ朝、フン族、アッティラ帝王、稲荷神社、九頭龍、風水、足利尊氏、後醍醐天皇、シャーマニズム、クエーカー教、住友財閥、三井財閥
ダーナ神族の一族~ディオニュソス、デニエン人、猿田彦、契丹、デーン人、鬼、酒呑童子、ハーバード大学、ジョージ・ワシントン大統領、アメリカ連合国、統一イタリア王国、カナダ、ニュージーランド、阿含宗
アブラハムの一族~シュメール文明、エフライム族、バアル、アフラマズダー、ゾロアスター教、マケドニア王国、聖徳太子、ピサ共和国、奥州藤原氏、フランシスコ・ピサロ、ヴァーサ朝、フィンランド共和国
預言者ナタンの一族~ラピタ文化、ダン族、ソロモン王、ミディアン人、ストーンヘンジ、アテーナイ王国、ヒクソス、アマルナ宗教改革、マフディー国家
アッシュール・ダン1世の一族~魔神アスラ、タニス、北イスラエル王国、アルメニア王国、グノーシス主義、コプト教、聖コルンバ、アルシング議会
ガリアのドルイド司祭(東本願寺)の一族~アテネ民主制、ローマ執政官、ソピテース、デマゴーグ、ヘロデ大王、ローマ帝国、フィリキ・エテリア、青年トルコ革命
聖ドナトゥスの一族~渤海王、ブワイ朝、テンプル騎士団、ジンバブエ王国、ダホメー王国、ハイチ帝国、黒人地位向上協会、バハーイー教
ローマ教皇レオ1世の一族~ランゴバルト王国、メロヴィング朝、マズダク教、ウイグル可汗、浄土教、曹洞宗、ノルマン人、カルマル同盟、出雲大社、コーザ・ノストラ、オーストラリア、バチカン市国委員会
クリュニー大主教ベルノの一族~ナバラ王国、フランク・ローマ皇帝、カペー朝フランス王、民衆十字軍、土肥実平、長宗我部氏、キャンディ王国、三菱財閥、ルワンダ大虐殺
クリュニー大主教アイマールの一族~キエフ大公国、シトー会、北条時政、聖フランチェスコ会
クリュニー大主教ヒューの一族~ヒメネス朝ナバラ王、バルセロナ朝アラゴン王、ブルゴーニュ朝カスティーリャ王、ハフス朝、バルバロス・ハイレッディン、ブルンジ王国、バーレーン王国、チュニジア共和国
カペー朝ルイ7世の一族~メリナ王国、カンボジア王国、カリブ族、ゴーストダンス、マウマウ団、ドラヴィダ進歩党、カーゴカルト、パプアニューギニア、クメール・ルージュ
カペー朝フィリップ2世の一族~ドイツ騎士団、白蓮教、小西行長と弥助、マラッカ王国、ブルネイ帝国、リンガトゥ教、呪術師スビキロ、バラク・オバマ、フアン・グアイド
親鸞の一族~浄土真宗、時宗、一向宗、世界初の精神病院ベドラム、ブルゴーニュ朝ポルトガル、コンキスタドール、メキシコ帝国、麻薬カルテル
如信の一族~魔女狩り解禁、異端審問、伊勢大社、カペー朝フランス王、ボルボン朝スペイン王、スペイン共和国
覚如の一族~紅巾の乱、華僑、百年戦争、殺人集団タギー、琉球王国、アチェ王国、黎朝ベトナム帝国、白蓮教、シンガポール、日清食品、社会民主党、全能神
善如の一族~倭寇、恭愍王、足利義満、日野富子、三浦倭館、東林党、魏忠賢、フランシス・ドレイク、バッカニア海賊、カタール首長
綽如の一族~ヴァロワ=ブルゴーニュ公、ブルボン公、能登守、ケベック解放戦線
巧如の一族~ジル・ド・レ、ヴァロワ朝フランス、マルタ騎士団、マラーター族、アフガニスタン王国、オマーン王国、ザンジバル帝国、ソコト帝国、マルタ共和国
存如の一族~応仁の乱、アラゴン王国、アヴィス朝・ブラガンサ朝ポルトガル、ポルトガル共和国
蓮如の一族~スイス連邦参事会、魔女狩り、パッツィ家、ロレーヌ公、一向一揆、秘密委員会、ベルギー王国
実如の一族~毛利元就、オルデンブルク朝デンマーク、モロッコ王国、フランコ将軍、パレスチナ解放機構、トントンマクート、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三、統一協会
証如の一族~明智光秀、魔女狩り、戦国時代、オランダ王国、近衛家、クウェート王国、イギリス東インド会社、南アフリカ連邦、ジャム・カシミールのムジャヒディーン、湾岸戦争
顕如の一族~万暦の三征、魔女狩り、オランダ東インド会社、スチュアート朝、老論派、バプティスト教会、メソジスト教会
教如の一族~織田信雄、東山天皇、仁孝天皇、孝明天皇、カメハメハ大王、ハワイ王国、トンガ王国、サモア独立国、フィジー共和国、エチオピア連邦民主共和国
宣如の一族~ハプスブルグ家、ブルボン家、プファルツ朝スウェーデン王、フルベ聖戦、フランス共和国、イスラーム・マグリブ諸国のアル=カーイダ機構
琢如の一族~英蘭戦争、マラーター王国、ベンガル太守、アワミ連盟、バングラデシュ、ジャマート=ウル=ムジャーヒディーン
常如の一族~後金時代、李氏朝鮮末期、琉球第二尚氏王統、東学党、ゴ・ディン・ジエム、大韓民団、株式会社ロッテ
一如の一族~名誉革命、ジャコバイト、オラニエ=ナッサウ王家、南アフリカ連邦、オレンジ革命
真如の一族~イエズス会弾圧、ムガール皇帝、マラーター同盟、タタ財閥、デカン・ムジャヒディーン
従如の一族~田沼意次、徳川家重、松平定信、井伊直弼、水野忠邦、徳川慶喜
乗如の一族~フランス革命、ベトナム植民地、ブラジル帝国、YMCA、セブンスデー・アドベンチスト教会、国際赤十字社、花粉症、AIDS
達如の一族~復古神道、尊皇攘夷、天理教、金光教、神社本庁、日本社会党、講談社、日本会議
大谷光勝の一族~丙寅教獄、明治維新、ビアフラ共和国、ソンミ村虐殺、コリン・パウエル、コンドリーザ・ライス、トニー・ブレア
大谷光榮の一族~アドルフ・ヒトラー、ハインリヒ・ヒムラー、軍産複合体、パフラヴィー朝皇帝、アウグスト・ピノチェト、立憲民主党
大谷光演の一族~重慶爆撃、CTスキャン、ダライ・ラマ14世、ディズニー・カンパニー、スティーブン・スピルバーグ、ジャニーズ、タイム・ワーナー社、YOUTUBE
ヘンリー・キッシンジャーの一族~ビル・クリントン、湾岸症候群、ジョン・ベネ殺害事件、レバノン空爆、ロシアの人喰いズマガリエフ、フェイスブック
大谷光暢の一族~ラビア・カーディル、地下鉄サリン事件、天安門事件、オウム地下鉄サリン事件、酒鬼薔薇聖斗、雨傘革命
大谷暢顕の一族~放送局アナウンサー、櫻井よしこ、神戸連続児童殺傷事件、学級崩壊、大阪池田小児童殺害事件、てるくはのる事件
大谷暢裕の一族~根本匠、2014香港反中デモ、2014香港反政府デモ、2019逃亡犯条例改正案撤回デモ
大宛のドルイド司祭(西本願寺)の一族~大宛、クシャーナ朝、鳩摩羅什、曇鸞、浄土宗、隋、ウマイヤ朝イスラム帝国、北宋、舜天王統、ブギス族、ジョホール朝、林本源、中国仏教協会、台湾
王安石の一族~南宋皇帝、今川国氏、デリー・スルターン朝、曹洞宗、総持寺祖院初代門主
今川国氏の一族~アステカ人身御供、ヴラド・ツェペシュ、見付天神の人身御供、エリザベート・バートリ、モルダヴィア公、ルーマニア王国、モルドバ共和国
准如の一族~小早川秀秋、ドン・コサック、古儀式派、ノーベル賞、ベルナドッテ朝スウェーデン王
良如の一族~生類憐みの令、火付盗賊改、子供を殺すための法律「ブラック法」、MI6長官
寂如の一族~女帝エカチェリーナ、秘密結社イルミナティ、ナチス帝国、特高警察、モサド、中央情報局、アメリカ連邦捜査局
住如の一族~黒住教、ビン=ラディン・グループ、アルカーイダ、ソマリランド大統領、GOOGLE
湛如の一族~ジュンガル帝国、チャックリー家、タイ王国首相、モンゴル人民革命党、霊友会、世界救世教、祟教真光、日本相撲協会
法如の一族~アヘン戦争、ロスチャイルド財閥、ロックフェラー財閥、スカル&ボーンズ、第一次世界大戦、ホスピス、北大西洋条約機構、シリアルキラー、アムネスティ・インターナショナル
文如の一族~ウクライナ東方カトリック教会、薩摩戦争、切り裂きジャック、インディアン虐殺、国際連合
本如の一族~ウクライナ東方カトリック教会、東トルキスタン、ムスリム同胞団、ユーゴスラビア紛争、チェチェン紛争、南オセチア紛争、ウクライナ政変
広如の一族~伊藤博文、大隈重信、山縣有朋、新渡戸稲造、白洲次郎、東条英機、日産コンツェルン、731部隊、ベトナム戦争
デヴィッド・ロックフェラーの一族~ジョージ・ソロス、CNN、モンサント社、遺伝子組み換え作物、成長ホルモン、コソボ爆撃、コロンバイン高校銃撃
大谷光尊の一族~イギリス王室、ファシスト党、ディープ・ステート、ウィリアム・ハイレンズ、イスラム国、ウクライナ21、ライブドア
大谷光瑞の一族~ジョージ・H・W・ブッシュ、湾岸戦争、冷戦終結、法輪功、国境なき記者団、自動運転技術テロ、オール電化テロ
大谷光照の一族~ジョージ・W・ブッシュ、除草剤ラウンドアップ、連続殺人犯テッド・バンディ、世界同時多発テロ、キャラバン
大谷光真の一族~悪魔ビル・ゲイツ、マイクロソフト社、上祐史裕、プログラム自動ダウンロードテロ、異常行動テロ
大谷光淳の一族~2ちゃんねる、仙台女児連続暴行事件犯人、2019逃亡犯条例改正案撤回デモ、Qアーミージャパン
ユダヤ人(1731)の一族~ハザール帝国、カバラ神秘主義、ホフユーデン、人体自然発火事件、クーン・ローブ商会、シオニズム運動、精神医学、モサド、ドイツキリスト教民主同盟
ユダヤ人(1908)の一族~ヒヴァ・ハン国、ガージャール朝、アドルフ・ヒトラー、ツングース大爆発、ロケット、マンハッタン計画、原子爆弾、水素爆弾、レーザー、コンピューター
第一次、第二次、第三次世界大戦の一族
タナトス一族の趣味~世界の拷問
あとがき
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タナトスの一族~カニバリズム、人身御供、クロノス、アトランティス王国、最終戦争ラグナロク、タングート、西夏、狼男、チャガタイ・ハン国、タウングー朝、ズールー帝国、アフリカ独立運動、ボコ・ハラム

タナトスの歴史

 

 

※人名が太文字の場合は本体を指しています。

 

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クリュテイオス(45万年前)

 

※「タナトス」は、ディオーネーとクリュテイオスのできそこないが連合して生まれた合体部族である。そのタナトスの片割れであるクリュテイオスは、オリジナル人類ヴィディエ、クウォス、そして獣人アグリオス(オリジナル人類チュクウとルハンガ、クウォスの連合部族)による合体部族である。アグリオス+ヴィディエ+クウォス=グリオディエォス=クリュテイオスとなる。彼らは古代の中国で生まれた。クリュテイオスは「神統記」にも記載されている神の部族だが、下層で蠢いていたできそこないが反自然の種族タナトスを生むことになる。

 

ディオーネー(30万年前)

 

※「タナトス」は、ディオーネーとクリュテイオスのできそこないが連合して生まれた合体部族である。そのタナトスの片割れであるディオーネーは、オリジナル人類ヴィディエとウラニアー(ウラノス)の合体部族である。ヴィディエ+ウラニアー=ディエニアー=ディオーネーとなる。彼らは古代オーストラリア大陸で生まれた。ディオーネーは「神統記」にも記載されている神の部族だが、下層で蠢いていたできそこないが反自然の種族タナトスを生むことになる。

 

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タナトス(30万年前)

 

※タナトスはオーストラリアで生まれたので、最初はアボリジニに似た姿だったと考えられる。ディオーネーと獣人クリュテイオスの両部族に属するできそこないが寄り集まって人喰い人種タナトスが生まれた。タナトスの名の由来はディオーネーとクリュテイオスの組み合わせである。ディオーネー+クリュテイオス=ディオネテイオス=テオネテオス=タナトスとなる。彼らは古代のオーストラリア大陸で生まれた。

 

タナトスが生まれた当時、人類の総人口は数百万人ほどだったと考えられる。だが、それだけでも人類は既に自然のバランスを崩すほど飽和状態を来たしていた。そこに、飽和状態に油を注ぐような事態が発生した。オリジナル人類による大混血時代である。中でも、誰にも相手にされないできそこないたちが近親相姦を数千年繰り返すことにより、罪悪感を大幅に欠いた個体がたくさん生まれた。これがタナトスである。

タナトスが生まれた要因。永年の近親相姦の繰り返しは、滅ぶべき種(しゅ)の証しである。これは人類を滅ぼそうと考えた地球の意志によるものだった。自然界のバランスを修復するには人類を滅ぼすしかない。しかし、知能をもった人類の天敵は人類でしかありえない。そういうわけでタナトスは人喰い人種として地上に生み落とされたのだ。タナトスは最初の「最後の審判の一族」である。

当初、タナトスはオリジナル人類や混血人類とは隔絶した地に住み、人類の天敵として遠出をして人類を狩り、食べていた。しかし、罪悪感を欠いた彼らは知能を悪に用いることをはじめた。自分たちが人類の王に成り代わり、全人類を奴隷化することを考えたのだ。人類の天敵として生まれた彼らは、だが、この時から自然界の天敵、地球の天敵となった。この後、タナトスの天敵として、新しい「最後の審判の一族」として科学の種族トバルカイン(善神デーヴァ、ダヴィデ王、天狗、宇宙人)が4万年前に生まれるのだが、詳細は「ダヴィデの一族」を参照いただきたい。


真の宗教とは、知恵ある者が知恵なき者を導き、力ある者が力なき者を救うことを意味する。その見返りに知恵なき、力なき者は知恵ある、力ある者に感謝する。そして、知恵ある、力ある者はそれをみて喜ぶのだ。つまり真の宗教とは、人類は平等ではないことを認識した上での、強者と弱者の理想的な共存でなければならない。これが宗教の正しい型である。


知恵なき者、力なき者が宗教を始めることは禁忌である。ところが、オリジナル人類クウォスの一族カオスらが弱者に感謝されている様子をはたから見ていたタナトスたちは、この宗教の様式を悪用することを思いついた。ということで、知恵なき、力なきタナトスらはウソをつくことを始めた。知恵なき、力なき彼らは、まず「自分たちこそが最大の知恵者であり、世の中を統べるべき強者である」とウソをつき始めた。

彼らは、このウソを信じ、または信じるフリをする者を保護し、信じない、または信じるフリをしない者は殺して排除した。タナトスらは、大量の信者を獲得すると、全員でウソをついた。数で圧倒する多数派のタナトスらは、自分たちの「虚言」が絶対的な「真実」であると、少数派の敵(カオスら)に迫り、認めさせようとした。もちろん、知恵者であり真の勇者であるカオス、ガイア、タルタロス、エロスが、タナトスの戯言を認めることはなかった。

 

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最高神タネ(30万年前)

 

※タナトスが最初に創始した邪教がタネ崇拝である。タネの名の由来はディオーネーである。ディオーネー=テオネー=タネとなる。弱いものにしか勝てないタナトスは、怒りに燃えた力ある者たちカオス、ガイア、タルタロス、エロスの猛攻に四散し、皆殺しにされた。残った者はオーストラリアから追放され、オセアニア、メラネシアの島々に散って行った。タナトスは、「タンナ島」に居を得た。カオスたちが君臨しているため、怖くてオーストラリアに上陸できないタナトスは、メラネシアに散った兄弟(ニュクスの子)を襲って食べ始めた。
しかし、ただ襲撃していると反撃されて、こちらがダメージを受けることがある。それに気付いたタナトスは襲撃しないことを決めた。襲撃せずに襲撃する、殺さずに殺すのである。どういうことかといえば、襲撃したり殺すのは肉を得るためである。だが、もし他の方法で肉を得ることができれば襲撃したり殺す必要は無い。それが襲撃せずに襲撃する、殺さずに殺すということである。どうしたかといえば、タナトスは「最高神タネ」を祀り、食肉用の家畜を得るために宗教を用いたのだ。タネの名の由来はタナトスである。彼らは、神に生贄を捧げると言う儀式を考案し、神の名の下に殺人を正当化し、食肉用の人肉を得た。こうして、誰も殺していないタナトスは、敵に反撃されなくなった。
次に、タナトスはメラネシアで得た「最高神タネ崇拝」の信者を大量にオーストラリアに侵入させた。そして、カオスらの「虹蛇信仰」の信者を簒奪した。まず、たくさんのいち個人に「信者にならないと殺す」と脅した。次に、仲間や家族を入信させることを信者に命令する。「タナトスは命令を聞かないとすぐに人を殺す人喰い人種だ」ということに触れると信者の仲間、家族は殺害を恐れて次々に「タネ崇拝」の教団に入信した。

 

弱者は、強い王よりも残酷な犯罪者を恐れる。王は犯罪者よりも強い、だが、王は弱者を無意味に殺さない。逆に、残酷な犯罪者は王よりも弱いが、すぐに人を殺す。こうして、殺されたくない一心の大勢の弱者は、すぐに殺さない王よりも、すぐに殺す犯罪者を選び、従うのである。


中には、力、人望があり、かつ勇敢な者が入信を拒否した。だが、彼/彼女は既に入信した仲間や家族、更におおぜいの信者に無視され、孤独に陥った。特に、信じていた仲間の裏切りほど、人の内面に精神的なダメージを残すものはないだろう。どんなに力がある人物でも、他人とつながることが出来なければ、彼/彼女の力は無効化されるのだ。浄土真宗の十八番、いわゆる「村八分」の骨子が既に30万年前に開発されていたのだ。現在に於いてもそうであるが、特に当時に於いては、孤独は、そのまま「死」を意味した。これは、タナトスによる「殺さずに殺す」の別ヴァージョンである。こうしてカオス、ガイア、タルタロス、エロスは無力化した。例え敵地であれ、そこにタナトスの信者がいれば、そこはタナトスの領土なのだ。

 

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「ガイアが邪教の首領タナトスを惨殺」(20万年前)

 

※タナトスは、獲得してきた反自然由来の秘儀の数々によって大きな勢力と化した。罪悪感が欠如した状態で生まれることで、禁じ手の封印を解いた彼らは、タンナ島からオーストラリアに渡り、「カオス」「ガイア」「タルタロス」「エロス」の集団に侵入して最下層にいる人々を「最高神タネ」を祀る宗教団体に参加させた。

知的な人物はタナトスを相手にしないが、知的な面で劣る人々はタナトスを信じた。しかし、それで良いのだ。なぜなら知的な人間よりも知的に劣る人間の方が圧倒的に多いからだ。つまり、劣る者が知性を圧倒する唯一の方法、量VS質を成立させるのが、信者の大量確保の目的だ。これによって、タナトスの発言力は増大した。つまり、タナトスが自由自在にウソをつく環境が整えられつつあった。
部族の多数派である最下層の集団を乗っ取ったタナトスは、これで「カオス」「ガイア」「タルタロス」「エロス」に勝ったも同然だと喜んだ。タナトスは大量の信者たちに、首長たちに対して挑戦的な態度をとることを命じた(さもなければ仲間に無視される)。

首長たちは、無力であるはずの最下層の者の挑戦的な態度を見て、自分を恐れないことに非常に驚いた。だが、いつの時代の弱者(信者)も、常に、寛大な王よりも残酷な人殺しに恐怖を覚えるものだ、タナトスは信者にウソ・暴力・陰謀を強要し、そのために、平和だったオーストラリアは、精神的な荒廃を余儀なくされた。
これを見かねた獣人アルキュオネウスの種族「ガイア」が立ち上がり、「カオス」「タルタロス」「エロス」の首長たちをまとめ、問答無用でタナトスを狩った。タナトスは、ウソが通じる相手には強いが、ウソが通じない相手には全く無力なのだ。彼らは「ガイア」たちの猛攻に四散し、捕らえられたタナトスは遠方に流されることになった。この連行役は「ガイア」が引き受けた。

 

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「ガイアの大移動時代」(20万年前)

 

※邪教タネ崇拝によって賢者の宗教「虹蛇」に挑戦したタナトスの一族だが、怒ったアルキュオネウスの種族(ガイア、ウラヌス)によって退治され、ガイアによってオーストラリアから中央アジアに流された。

 

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クロノス(20万年前)

ダナオス(20万年前)※画像なし

サトゥルヌス(20万年前)

 

※中央アジアに放置されたタナトスは、自力で西方に進出し、オケアーニス大洋の娘たちや河川の娘たちが暮らす古代ヨーロッパにまで達した。この時にタナトスは「クロノス」「ダナオス」「サトゥルヌス」など複数の名前で呼ばれた。クロノスの由来はクリュテイオスとウラヌスの組み合わせであり、ダナオスの由来はディオーネーとクリュテイオスの組み合わせであり、サトゥルヌスの由来はTANATOSの反対SOTANATとウラヌスの組み合わせである。

ディオーネーはもともとヴィディエとウラニアー(ウラヌス)の合体部族であり、クリュテイオスはアグリオスとヴィディエとクウォスの合体部族であり、アグリオスはチュクウとルハンガとヴィディエとクウォスの合体部族である。この6部族が一旦タナトスを解散し、再結成したのが「クロノス」「ダナオス」「サトゥルヌス」である。その名から、ダナオスはディオーネーが主導し、クロノスはクリュテイオスが主導し、サトゥルヌスはクウォスが主導していたことがわかる。

クリュテイオス+ウラヌス=クリュヌス=クロノスとなり、ディオーネー+クリュテイオス=ディオネオス=ダナオスとなり、SOTANAT+ウラヌス=SOTAラヌス=サトゥルヌスとなる。これらのタナトスの新部族の遺骸は、人類学者によって「ネアンデルタール」と命名された。

ネアンデルタール人は、アボリジニに似た姿だったと考えられる。名前から察するに、クロノスは現ドイツ・ケルン辺りに拠点を持ち、ダナオスは黒海北部現ドン川流域(タナイス)~現ドナウ川流域にかけて拠点を持ち、サトゥルヌスは現イタリアに拠点を持っていた。この時代、タナトスは人喰い人種の本領を発揮し、平和に暮らしていたオケアーニスたちを狩って食べた。タナトスは善を装い、隠れて狩りを行った。人喰いの濡れ衣は現在と同じように、部族のみそっかす、或いは敵に着せた。

 

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「ネアンデルタールの遺跡から、切断されて焼かれた骨を発掘される」(20万年前)

 
「ネアンデルタールが焼いた、ホモ・サピエンスの骨800片がクロアチアで発掘される」(13万年前)

 

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「頭骨崇拝」(10万年前)

「葬送儀礼」(10万年前)

 

※イラクのシャニダール、フランスのラシャペルオーサン、ラフェラシー、イスラエルのアムッド、ケバラ、シリアのデデリエなどで、ネアンデルタールが死者を埋葬して花を手向けた遺跡が発掘されている。人類学者は、人喰いであるネアンデルタールについて、愚鈍で凶暴なイメージを抱いていた。だが、これらの遺跡を発掘したおかげで「ネアンデルタールは、じつは仲間の死を悼み、花を手向けて埋葬するという優しさを持ち合わせている」「高等な精神性を有している」という結論に至り、学者たちは感動したのだ。しかし、どの種も葬送儀礼を行わない。ということは葬送儀礼は不要であるが、人類に於いて、さも人類の進化の証のように賛美されるのは不条理なことだ。タナトスはこの人生に不要な儀式を強制し、弱い人々に大きな見返りを求めた。これに抵抗する者には、天罰という名のタナトスによる制裁が下った。
更に、実際の真相は異なる。ネアンデルタールらは、一方では人喰い人種でありながら(この事実はオケアーニスの間では隠されていた)、一方では神官の衣装を装い、必要のない埋葬儀礼、葬送儀礼をオケアーニスに強いて、見返りを求めていたのだ。つまり、現在の日本仏教、キリスト教のやっていることと変わりはない。葬式をするために人は死なねばならない。治療するために人は病気を患わなければならない。当時から、死を司る医者、神官はタナトスの系譜で固められていたのだ。タナトス(ネアンデルタール)は、頭数で勝るオケアーニスを管理するために、「頭骨崇拝」などの宗教を築き、大量の信者を得て当時のインフラ全般を掌握していたのだ。
人喰い人種ならではのネーミングセンスで、「終活」という不気味な言葉を生んだ「イズモ葬祭」などは、当時のネアンデルタールと同じことを繰り返しているに過ぎない。葬儀会社を営む人々は非常に仕事熱心である。仕事をしたくて仕方がない。しかし、そのために、人は死なねばならない。医師会と葬儀会社は、タナトス(死)という祖を同じくする不可分の存在である。

 

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ゴルゴン(7万年前)

メドゥーサ(7万年前)

 

※金髪・碧眼・白人の姿をしたオケアーニスに属するケルケイース、メティスの都市が黒海に隣接して栄えていた。タナトスは、ヨーロッパで得た大量の頭骨崇拝の信者を各都市のインフラ部門に侵入させ、これを掌握させた。これにより、タナトスに服従しない者を容易に排除できた。タナトスが支配したメティスの国は「メドゥーサ」と呼ばれ、ケルケイースの国は「ゴルゴン」と呼ばれて恐れられ、嫌悪された。ヘシオドスによって凶悪な怪物として「神統記」に著されたメドゥーサとゴルゴンであるが、メドゥーサとゴルゴンが、どれほどイヤな国だったかが伺い知れるだろう。
メドゥーサの名の由来はメーティスとクリュテイオスの組み合わせであり、ゴルゴンの名の由来はケルケイーストディオーネーの組み合わせである。メーティス+クリュテイオス=メーティオス=メディオス=メドゥーサとなり、ケルケイース+ディオーネー=ケルケオーネー=ケルケオン=ゴルゴンとなる。つまり、名前からメドゥーサはクリュテイオスが主導し、ゴルゴンはディオーネーが主導していたことが分かる。

 

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クリュサオル(7万年前)
ペガサス(7万年前)

 

※「アルゴス号の大航海時代」に参加し、コルキスに到着した英雄ペルセウスは、怪物メドゥーサを討ち取り、その時に、メドゥーサの首から、「クリュサオル」と「ペガサス」が生まれた。これは、ペルセウスの力によってタナトスの都市メドゥーサとゴルゴンが滅び、タナトスが逃亡したことを示している。
タナトスの一族は「ペガサス」と呼ばれていた古代のニューギニアに逃げ、「ダニ族」となった。そのため、彼らは「神統記」では「ペガサス」と記された。ペガサスの名の由来は、パプア人の祖となったアブクとムシシの組み合わせである。アブク+ムシシ=ブクシシ=プグシシ=ペガサスとなる。

もうひとつのタナトスの一族は、同じように古代ニューギニアに落ち延び、30万年前からニューギニアに住んでいたオケアーニス大洋の娘たちに属するガラクサウラーの子孫「カウレ族」「サウル族」に習合した。そのため、彼らは「神統記」では「クリュサオル」と呼ばれた。クリュサオルの由来はケルケイース(ゴルゴン)の別部族ガラクサウラーである。ガラクサウラー=ガラサウラ=クリュサオルとなる。

 

ダニ族(7万年前)

 

※魔神クロノスの末裔ダニ族。ダニ族の顔の特徴が現東西本願寺大谷家の遺伝子に取り込まれている。特に重そうな鼻。長い顔とそのシルエットも大谷の一族に継承されている。ニューギニアに入植したタナトスは、「ダニ族」を称した。ダニの名の由来はディオーネーである。ディオーネー=ディオニ=ダニとなる。クロノスが支配していた時代のヨーロッパでは、ダニ族のような生活様式が定番だっただろう。今日のダニ族の戦い方で、オリンポス神族とティタン神族は戦ったのだ。
AD1964年、本多勝一がニューギニア・ウギンバ部落にあるダニ族の集落を来訪している。実際に、ダニ族の村で生活を共にした本多勝一の報告は、興味深い。本多一行は、排他主義的なダニ族に比べて愛嬌があるモニ族の村に滞在していたが、曰く「モニ族は質問にすぐ答えるがダニ族となると9割は名前はないと言って平然としている。三度聞けば三度違う名前を言う」と報告している。このような対応は単なる気まぐれというよりは、徹底した秘密主義と、それに根ざした徹底である。陰謀に頼る現代タナトスの一族にも共通している事柄だ。
また「ダニ族のミミリンガは常に憂鬱な顔をして畑仕事にも出ない」という記述がある。このミミリンガは常に本多一行のそばにいたらしいが、これにはスパイ活動の原型を見る思いである。本多氏は、ダニ族を単なる原始人だと認識していたため、ミミリンガなる人物がスパイをしているなどとは夢にも思わなかっただろう。
また、「男子は三歳で母親に捨てられて男の家に放り込まれる、父親は我が子に父親らしい態度を取らずに無視している」という。これには、タナトス一族に共通する強大な征服本能、強い復讐心の生成過程、その原風景を見る。また、「食事中にひとりだけ食べさせてもらえない者がおり、全員の食事後に残飯をむさぼる」「ダニ族の首長は力があり、単なる実力者以上の権限を持っている」にはカースト制度の原型を、「誰かが死ぬと魔術が原因だとして戦争が起きることがある」には、魔女狩りの発想の原型、敵を悪者扱いしてから攻撃するというタナトス一族に共通する本能を見る。

 

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「アトランティス王国」(4万年前)

 

※魔神クロノスに敗北したオリンポス神族は、地中海を発ち、大西洋を北上し、当時の北極圏だったブリテン島、南北アメリカ大陸、南極大陸を経てオーストラリア大陸南西部に到達した。ダニ族はクロノスとは家族であるが、それを知らないオリンポス神族はオーストラリアに進出していたダニ族と連合し「アトランティス人」を生んだ。

アトランティスの名の由来はアトラスとタナトスの組み合わせである。アトラス+タナトス=アトラナトス=アトランティスとなる。つまり、アトランティス人は、オリンポス神族と死の種族タナトスの合体部族だった。因みに、巨大な砂漠地帯が横たわっていることから、アトランティス王国は現オーストラリア大陸南西部に位置していたと考えられる。

 

戦いの女神アテーナイ(4万年前)

演劇の神ディオニュソス(4万年前)

 

※オリンポス神族がダニ族と共に古代オーストラリア大陸にアトランティス王国を築くと、ダニ族は独自にアテーナイ、ディオニュソスを儲け、オリンポス神族に仲間入りした。アテーナイの由来はタナトスの反対SOTANATのOTANAであり、ディオニュソスの由来はディオーネーとゼウスの組み合わせである。OTANA=オータナイ=アテーナイとなり、ディオーネー+ゼウス=ディオネゼウス=ディオニュソスとなる。

 

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ティタノマキア(4万年前)

ギガントマキア(4万年前)

 

※ユーラシア大陸の支配者クロノスは、アトランティス王国から来たオリンポス神族とティタノマキア、ギガントマキアを戦い、敗北する。ティタン神族とギガースはクロノスの邪教信者となり、手足のように思い通りに動いた。だが、ゼウスは躊躇することなくティタン神族、ギガースたちを皆殺しにし、信者を減らすことでクロノスを追い詰めた。タナトスは、信者が多ければ多いほど強くなり、信者が減れば減るほど弱くなる性質がある。この後、クロノスはニューギニアに落ち延び、ダニ族に習合した。

 

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ロキ(3万年前)

ニドボグ(3万年前)※画像なし

ニダヴェリール(3万年前)※画像なし

宇宙樹ユグドラシル(セコイア)

 

※古代アメリカ大陸には、北からミドガルド(現カリフォルニア~ネバダ)、常世国(現ユタ)、ヴァルハラ(現北メキシコ)、アースガルド(現マヤ)などの古代王国が存在した。なぜアメリカ大陸にあった王国が北方にあったと考えられたのか?それはアメリカ大陸からやって来る旅人は、大西洋を横断するのではなく、アメリカ大陸東岸を北上し、グリーンランド・アイスランド~アイルランド経由という北極圏から南下する航路でやってきたからだ。ヨーロッパの古代人は、アメリカから来た人々が北から来たように見えたのだ。

アトランティス人は、古代アメリカ大陸に繁栄する諸王国に魅せられ、これらを征服するべく、まず、アースガルド王国(現マヤ)に侵入し、「悪神ロキ」を生んだ。ロキの名の由来はユミルとクリュテイオスの組み合わせである。ユミル+クリュテイオス=ミルク=ロキとなる。この組み合わせは、アモレク族、モレク、メルクリウスの由来でもある。

その後、敵を間近で観察し、管理するべく、アース神族に参加した。また、アトランティス人はピュグマエイ(ユミル)と組んで「ニドボグ」を、マハラエルと組んで「ニドヴェリール」を生んだ。ニドボグの名の由来はタナトスとピュグマエイの組み合わせであり、ニダヴェリールの名の由来はタナトスとマハラエルの組み合わせである。タナトス+ピュグマエイ=ナトピュグ=ニドボグとなり、タナトス+マハラエル=ナトハラエル=ニダヴェリールとなる。

 


ヴァン神族(3万年前)

 

※アトランティス人はマハラエルと共にヴァルハラ王国(北メキシコ)に移り、そこからミドガルド王国(現カリフォルニア~ネバダ)に入植すると「ヴァン神族」を生んだ。ヴァンの名の由来はワルムベ(マハラエル)とダニの組み合わせである。ムベ+ダニ=ベニ=ヴェニ=ヴァンとなる。

また、マハラエルは、単独でヴァン神族に属する「フレイ」「フレイヤ」を生んだ。フレイ、フレイヤの名の由来はマハラエルである。マハラエル=マフレイエル=フレイヤ=フレイとなる。ヴァン神族はインチキ宗教により、ミドガルド王国の国民を完全な支配下に置き、ヴァルハラ王国やアースガルド王国に侵攻させた。

 


ヘル(3万年前)

フェンリル(3万年前)

ヨルムンガンド(3万年前)

 

※マハラエルは、アトランティス人と組んで更に「ヘル」「フェンリル」を生み、ヴァルハラ王国に侵攻した。ヘルの名の由来はマハラエルであり、フェンリルの名の由来はヴァンとマハラエルの組み合わせである。マハラエル=マヘルエル=ヘルとなり、ヴァン+マハラエル=ヴァンラエル=フェンリルとなる。

 

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「最終戦争ラグナロク」(2万年前)

 

※ミドガルド王国、ヴァルハラ王国の国民は、ヴァン神族(アトランティス人)の神官に生活インフラを掌握され、そのため、生活の保障を求めて進んで悪に服従した。自分の本能、感情、意志を放棄して悪を身体に宿す人々に対して激怒した科学の種族トナルカインは、開発したばかりの核兵器を用いてヴァン神族(アトランティス人)に支配された国々を攻撃した。これが「最終戦争ラグナロク」である。

核攻撃が原因により、現カリフォルニア~ネバダが、そして現テキサス~北部メキシコにかけて広大な一帯が砂漠と化した。しかし、この大規模な核攻撃により、多くの邪教信者と共にヴァン神族(アトランティス人)の神官たちは息の根を止められた。北アメリカに於いてはタナトスは根絶やしになった。

 

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●死神タナトスにとっての地獄 閻魔大王の裁きの時代

 

※写真は宇宙人(科学の種族トバルカイン)が搭乗する白銀色に光るフェイクプレーン(輪郭はなぜかぼやけており、双眼鏡で見てもはっきりしない)。南極大陸はムー帝国(モホス文明)の植民地だったが、そこに科学の種族(トバルカイン、エラド、マハラエル)が住みつき、核兵器、UFOなどを開発した。南極は、「五岳神(ウーユエ)」の国と呼ばれた。

五岳とは、中国の道教に登場する、南北中東西に位置する聖山のことである。それらは、じつは南極の山々を指していた。東岳泰山は3680mのペンサコラ山、南岳衡山は4528mのカークパトリック山、4350mのマークハム山、中岳嵩山は5140mのマッシフ山、西岳崋山は4187mのシドリー山、北岳恒山は4191mのプラトー山のことである。東岳大帝とは、冥府の王のことだが、ヴィディエは、南極の王として東岳大帝と呼ばれた。 

 

※写真は火星の火山オリンポス(標高2万7千m)と職務中の閻魔大王。科学の種族は、知能を悪に用いる者をできそこないと認定し、UFOで火星送りにしていた。 冥界の巨山と呼ばれた「羅ホウ山」とは、火星の火山であり、太陽系でもっとも巨大な火山、2万7千mのオリンポス山のことを指している。中国神話で冥界の神々と呼ばれた人々は、できそこないを裁いていた種族のことであり、「十王」 と呼ばれた。

地球上の、タナトス(できそこない)を嫌う、世界中の優れた王族が団結し、「十王」を結成していた。秦広王、楚江王、宋帝王、五官王、閻羅王、変成王、太山王、平等王、都市王、五道転輪王である。閻魔大王(ヤマ)は太陽神シャマシュのことであり、ホウ都大帝はルハンガとヴィディエ、太乙救苦天尊はヴィディエとチュクウのことである。

安倍総理と仲間たちのように平気でウソをつき、テッド・バンディ事件の真犯人ブッシュ元大統領、狂気の怪物モンサント社のように子どもを笑いながら殺すような反自然的な人々は、みな火星で裁かれ、死ぬまで強制労働を課せられた。 ただ、優れた人々は罪悪感が強い。そのため、精神的な健康を理由に、火星の強制労働施設は長らく閉鎖されているようだ。

 

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「アトランティス王国滅亡」(1万3千年前)

 

※タナトスのアトランティス人はアトラスの王族を追放し、アトランティス王国を掌握した。アトランティス王国全盛の時代、アトランティス人は17世紀~18世紀のヨーロッパ程度の技術水準に達していたと考えられる。タナトスの指揮によって悪の帝国と化したアトランティスは、白人列強時代の大英帝国よろしく世界征服に乗り出した。

世界中の弱者は、生活の保障を得るためにアトランティス人に服従していたが、ゼウス、プロメテウスなどの優れた王族は、タナトスを非常に嫌悪していた。ゼウスらは五岳神国(南極)に赴き、科学の種族にタナトスを核兵器で絶滅させることを依頼した。

科学の種族トバルカインは、「最終戦争ラグナロク」の時代にたくさんの人間を核兵器で焼き殺したことがトラウマとなっていたが、彼らは今回も大量の核兵器を用い、高熱と爆風、放射能によってアトランティスを砂漠地帯に変えた。オーストラリア北部のタナミ砂漠、グレートサンディー砂漠、中部のギブソン砂漠、南部のグレートビクトリア砂漠は、科学の種族による、非常な怒りの痕跡である。

 

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タンナ島(1万3千年前)

 

※アトランティス王国が滅亡すると、アトランティス人の残党はタンナ島に落ち延びた。タンナの由来はタナトスである。

 

タンヌ・オーラ(7世紀頃)

 

※東南アジア、メラネシア、オセアニアを勢力圏にしていた鬼(黒人ダン族)は、タンナ島に赴き、タンナ人と親交を暖めた。タンナ人は鬼に伴われて平安時代の日本にも上陸していたが、修験者であった百地氏(桃太郎)に成敗されると鬼と共にモンゴルに渡った。この時、タンナ人は反自然の種族アンドロクタシア(殺人)、ゲラス(老齢)を伴っていた。

その後、タンナ人はアンドロクタシア、ゲラスと共にチベットに残り、「タングート」を築いた。タングートの名の由来はタンナ、アンドロクタシアの組み合わせである。タンナ+アンドロクタシア=タンクタ=タングートとなる。

 

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李思恭(?~886) タングート首長、唐将軍

 

リ・デミン(?~?) 初代タングート首長

 

リ・ユアンハオ(?~?) 第2代タングート首長

李元昊(1003~1048) 西夏初代皇帝 在位1038~1048

 

献宗(1181~1226) 西夏第9代皇帝 在位1223~1226

チャガタイ(1183~1242) チャガタイ家初代君主

 

末主(?~1227) 西夏第10代皇帝 在位1226~1227

カラ・フレグ(?~1252) チャガタイ家2代君主

 

※西夏は、チンギス・ハーン征西の際、ヨーロッパを訪れた。彼らは「ワールシュタットの戦い」に参加した後、西ヨーロッパを訪れ「狼男」の伝説の礎を築いた。彼らの拠点はロシア(チャガタイ・ハン国)だった。狼男は主にフランスで人間を狩り、イギリス、ドイツにも仲間を送り込んでいた。特に、フランスでは1520年代から1630年代にかけて、3万件もの狼男に関連した猟奇殺人事件、喰人事件が起きている。

 

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バヤン・クィリ(?~1358) 西チャガタイ・ハン国初代ハーン 在位1348~1358

テインカバー(?~1358) 初代タウングー王 在位1347~1358

 

Pantaung(?~1420) タウングー王 在位1419~1420

Lukeni lua Nimi(1380~1420) コンゴ王国初代君主

 

マフムード・ハーン(?~1508) 西モグーリスタン第2代ハーン 在位1487~1508

ミンチーニョ(1459~1530) 第4代タウングー王 在位1510~1530

 

※西チャガタイ・ハーン、バヤンはビルマに進出して「タウングー朝」を開いた。タウングーの名の由来はタングートである。タングート=タウングート=タウングーとなる。一方、彼らはビルマにカニバリズムをもたらした。ビルマ人を狩っていた彼らは、現地人に「タウ(狼人間)」と呼ばれた。タウの名の由来はタウングーである。この狼男の正体は、タウングー王朝の王だった。

1960年、動物園経営者ハロルド・ヤングは、タイとビルマの国境でタウと出くわした。叫び声が聞こえたので、彼は声が聞こえた小屋に乗り込んだ。すると、タウが死にかけている女の首を噛み砕いていた。彼は発砲し、銃弾はタウの腹部に命中したが、タウはジャングルに逃げ込んだ。翌朝、タウが残した血痕を辿ると彼らは村に戻ってしまった。血痕は、とある小屋の前まで続いていた。彼らが小屋を覗くと、そこには腹部に銃弾を受けた男が倒れていたという。彼の正体は、タウングー朝の一員だと考えられる。
1551年に即位したバインナウンはモン族、シャン族を制圧してミャンマーの大半を掌握した。1548年、第一次緬泰戦争ではアユタヤ朝に侵攻し、1558年にラーンナー王国を占領し、第二次緬泰戦争、第三次緬泰戦争ではアユタヤを属国化した。その後、ペグー朝や明と交戦するが、1752年に滅びている。この時、タウングー朝の残党は東南アジアを脱し、アフリカ大陸に逃れた。

 

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スルタン・サイイド・ハーン(1487~1533) 西モグーリスタン第3代ハーン 在位1514~1533

ビュルゴ(?~?) フランス人農夫

 

マンスール・ハーン(1482~1543) 東モグーリスタン第5代ハーン 在位1503~1543

ヴェルダン(?~?) フランス人農夫

 

※1521年、ビュルゴとヴェルダンというフランス人農夫が、永い間殺人を重ね、人肉を食べていたとして逮捕され、裁判にかけられた。2人は魔法使い集団の一味でもあった。2人は逮捕されるまで残虐な所業を重ねたが、なぜか、彼らの肖像画がドミニコ会の修道院に飾られているという。実際は、狼男として捕らえられたこの2人の農夫の正体は、東西モグーリスタン王だったと考えられる。

 

アブドゥル・カリーム・ハーン(1529~1591) 西モグーリスタン第5代ハーン 在位1560~1591

ペーター・スタンプ(?~1589)

 

※西モグーリスタン最後の王アブドゥル・カリーム・ハーンもヨーロッパに出かけて人間を襲い食べていた。だが、逮捕され、処刑された。王を失ったためか、奇しくも、東西モグーリスタン王国もスタンプの処刑と同時に滅亡している。

 

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アナウッペルン(1578~1628) 第6代タウングー王 在位1605~1628

 

※トンガ族の首長の図。トンガ族(太平洋のトンガとは異なり、タウングーが由来)は、1630年頃にジンバブエに出現した謎の民族である。彼らの正体はタウングー朝のアナウペッルン王の一族である。彼の時代は、父王が復興させたタウングー朝再興の時代であった。彼はその時代にアフリカ侵略を思いついたのかもしれない。

 

ピエ・ミン(1619~1672) 第10代タウングー王 在位1661~1672

チャンガミレ・ドンボ(?~?) 初代チャンガミレ王 在位1660~1695

アントニオ1世(?~1665) コンゴ王 在位1660~1665

 

※ピエ・ミンは本格的にジンバブエに進出し、チャンガミレ族の王としてロズウィ帝国を築いた。ジンバブエとミャンマー、そしてコンゴ王国を同時に統治した。

 

ダニエル1世(?~1678) コンゴ王 在位1674~1678※画像無し

ガンガ・ズンバ(1630~1678) キロンボ・ドス・パルマーレス初代指導者

 

※ダニエル1世は、コンゴに来ていたポルトガル人からブラジルの事を聞き、ポルトガル植民地のブラジルにまで渡り、奴隷を率いてポルトガル人の撃退を図った。

 

ナラワラ(1650~1673) 第11代タウングー王 在位1672~1673※画像無し

カムグン・ドンボ(?~?) 第2代チャンガミレ王 在位?※画像無し

アルヴァーロ10世(?~1695) コンゴ王 在位1688~1695※画像無し

ズンビ・ドス・パルマーレス(1655~1695) キロンボ・ドス・パルマーレス第2代指導者

 

※タウングー王ナラワラは、23歳で死んだことにしてコンゴに渡り、アルヴァーロ10世として王国を統治した。だが、ダニエル1世の後を追ってアルヴァーロ10世はブラジルにまで到達し、キロンボ・ドス・パルマーレスを支配した。

 

Mahadhammaraza Dipadi(1714~1754) タウングー朝最後の王※画像無し

アラウンパヤー(1714~1760) コンバウン朝初代王

 

タンゲール族(1752)※画像なし

獅子人間(1752)

 

※タウングー朝滅亡後、ビルマ人に「タウ(狼人間)」と呼ばれていたタウングーの残党は、インド洋を横断してジンバブエに上陸した。彼らは、タンザニア・ケニア方面に移って狼男の変形型である「獅子人間(ライオン人間)」を形成し、アフリカ人を狩っては食べていた。一方、タウングー朝の残党は「タンゲール人」を築いた。タンゲールの名の由来はタンナとゲラスの組み合わせである。タンナ+ゲラス=タンゲラ=タンゲールとなる。
彼らは「虎人間」などの組織も形成した。だが、何も知らない白人行政官は「なぜアフリカで虎なのか?」といぶかしがった。しかし、彼らはビルマから来たので虎を知っていても不思議ではない。つまり、これがアフリカの動物人間の秘密結社が、ミャンマーから来た証である。

 

鰐人間(1752)

豹の部族(1752)

蛇人間(1752)※画像なし

 

※一方、狼男の連合体は、ジンバブエから中央アフリカに至り、西アフリカにまで勢力を拡大した。彼らは、狼男を深化させた「鰐人間」をコンゴに、「蛇人間」をギニアに、「豹の部族」をシェラ・レオネ、リベリア、カメルーン、中央アフリカ、アンゴラに設けた。

彼らはそれらの小型の喰人秘密結社を形成し、アフリカ人を狩って食べていた。1954年、ひとりを殺害した豹人間が逮捕され、1956年には一連の不審死事件の容疑者として蛇に変身した7人の呪術師が逮捕されている。また、コンゴでは、トカゲの皮で作ったワニのコスチュームを着た5人の鰐男が人々を襲撃して食べていた。

 

ターヤーワディー(1787~1846) コンバウン朝ビルマ王 在位1837~1846※画像無し

シャカ(1787~1828) ズールー王国初代王 在位1816~1828

 

※コンバウン朝の王ターヤーワディは、ミャンマーを離れて白人列強が闊歩する南アフリカに渡り、シャカを称してズールー帝国を築いた。シャカの由来は釈迦だと考えられる。つまり仏教国から来たことを示している。

 


ンガリゴ族(1885)

カウラ族(1885)

 

1889年 探検家カルル・リュムホルツがオーストラリア北東部に侵入した。この時、カルルは人喰い人種に接触した。人喰い人種の正体はアボリジニに同化したンガリゴ族、或いはカウラ族だろう。曰く「男たちはアフリカの黒人よりもひょろ長く、筋肉質でもない。口は桁外れに大きく、歯は多少出っ歯である。鼻はぺちゃんこで鼻腔はほとんど水平。目は眉弓に深く落ち窪み、まぶたはたるんで垂れ下がっている。その顔はどこでも見られないようなぞっとした形相である」。彼らは、呪いによって敵部族の中に死を撒き散らすことが出来ると信じているため、出来る限り敵を殺そうとする。曰く「彼らの、最も強力な行動原理は人肉である。人肉を得るためだけに、わざわざ遠征隊を組織する。彼らは3、4人の集団に分散し、子供を含めて5、6人の小さな家族を真夜中に襲撃する」。マルタン・モネスティエ著「食人全書」より

 

※コンゴがベルギー王国領となると、動物人間の集団は中央アフリカを脱出し、インド洋を横断して故地タンナ島に近いオーストラリアに逃げ込んだ。ニューサウスウェールズ州に上陸した彼らは現地のアボリジニと混合し、「ンガリゴ族」「カウラ族」を形成した。

ンガリゴとカウラの名の由来はタンゲールである。タンゲールゴ(タンゲールの人)=ンゲールゴ=ンガリゴとなり、タンゲール=タンゲウル=カウラとなる。ンガリゴ族は、動物人間時代の名残りを残しており、2人1組の少数集団で人間狩りに出かけた。また、ンガリゴ族は侮辱する叫びを上げながら殺した敵の手足を食べ、嘲りの態度を示したという。

 

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ズールー王Phumuzuzulu kaDinuzuluの子

 

Phumuzuzulu kaDinuzuluの子※画像なし

ムインガ(1904~1954) 豹人間の呪術師※画像なし

フェリックス・ウフェ=ボワニ(1905~1993) コートジボワール初代大統領 任期1960~1993

レオポール・セダール・サンゴール(1906~2001) セネガル初代大統領

レオン・ムバ(1902~1967) ガボン初代大統領

 

※1954年、コンゴの首都ブラザビルで呪術師ムインガと弟子のディジョウマとムエニがイボニという青年を殺して食べた。呪術師ムインガはボワニ大統領の可能性がある。同じ年、フランス領ギニアで豹人間の呪術師が夫婦喧嘩に悩む夫婦に「問題を解決するために娘を食べなさい」と助言した。この呪術師もボワニ大統領の可能性がある。

翌年の1955年、シエラレオネの首都から80キロ離れたモヤンバで喰人グループのメンバー4人が逮捕された。呪術師の指示に従って腰の所を斬って上半身だけ食べていた。この呪術師もボワニ大統領の可能性がある。

1956年、ブラザビルから700キロ離れた中部コンゴで呪術師が率いる喰人会のメンバーが逮捕された。犠牲者は12人以上。彼らは呪術師の指示に従い、自分の家族をメニューとして提供していた。この呪術師もボワニ大統領の可能性がある。1954年から1956年まで精力的に活動したこの謎の呪術師は、ボワニが1960年にコートジボワール初代大統領になってから姿を消した。

 

Phumuzuzulu kaDinuzuluの子※画像なし

ジョセフ・カサブブ(1910~1969) コンゴ民主共和国初代大統領 任期1960~1965

モディボ・ケイタ(1915~1977) マリ共和国初代国家元首

ユベール・マガ(1916~2000) ダオメー共和国初代大統領

 

Cyprian Bhekuzulu kaSolomon(1924~1968) ズールー王

セク・トゥーレ(1922~1984) ギニア共和国初代大統領

アゴスティニョ・ネト(1922~1979) アンゴラ人民共和国初代大統領

アマドゥ・アヒジョ(1924~1989) カメルーン初代大統領

シェフ・シャガリ(1925~2018) 第6代ナイジェリア大統領

アリスティデス・ペレイラ(1922~2011) カーボベルデ初代大統領

ダウダ・ジャワラ(1924~2019) ガンビア初代大統領

モーリス・ヤメオゴ(1921~1993) ブルキナファソ初代大統領

 

Phumuzuzulu kaDinuzuluの子※画像なし

サモラ・マシェル(1933) モザンビーク初代大統領

ポール・ビヤ(1933) カメルーン第2代大統領

イグナティウス・アチャンポン(1931~1979) ガーナ第6代国家元首※画像無し

マチュー・ケレク(1933~2015) ベナン共和国初代、第3代大統領

ルイス・カブラル(1931~2009) ギニアビサウ共和国初代大統領

 

Phumuzuzulu kaDinuzuluの子※画像なし

ランサナ・コンテ(1934~2008) ギニア共和国第2代大統領

コナン・ベディエ(1934) コートジボワール第2代大統領

 

※1995年、ギニア人デンバ・アブーが若い女性を串焼きにして食べる事件が発生した。アブーはコンテの子と考えられる。コンテは下のベディエ、マシェルとは異母兄弟の可能性がある。

同じ1995年、35人の人間を食べていた呪術師の集団が逮捕された(禁固3年!)。ヤウア・ミゼ、カフィムル・フィエ、ヤウア・コッシア。この呪術師たちは、ベディエ大統領の家族と考えられる。1997年、コート・ジボアールで3人の呪術師が35人の人間を食べて禁固3年となる。この3人の呪術師の1人がベディエだった可能性がある。

  

Phumuzuzulu kaDinuzuluの子※画像なし

オマール・ボンゴ・オンディンバ(1935~2009) ガボン第2代大統領

エッソノ・ムバ・フィロメノ(?~?) 大呪術師※画像なし

ニャシンベ・エヤデマ(1935~2005) トーゴ共和国第3代大統領

ジョアン・ヴィエイラ(1939~2009) ギニアビサウ共和国第2代大統領

 

テオフィル・ムバ・ヌテム(?~?) 人喰いカルト教団教祖※オンディンバ大統領の子?

 

1998年、カルト集団「アラン・ムオエニング」の首領テオフィルが逮捕された。テオフィルは、自分がルシフェルの化身であり、信者にも、彼らが自然の過ちから生まれたものと教えていた。このカルト集団は6人を殺して食べた。彼らは死体を聖なる池に浸した後、胃、肝臓、心臓、肺を取り出し、野菜と煮てスープを作った。信者たちは、神の加護や力、義務の免除を得られるとしてがつがつ食べたという、裁判所はテオフィルに死刑の判決を下し、料理の支度をしたテオフィルの妻に5年間の強制労働、会食に参加した信者には執行猶予付きの軽い刑を課した。マルタン・モネスティエ著「食人全書」より

 

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ズールー王Cyprian Bhekuzulu kaPhumuzuzuluの子

 

Goodwill Zwelithini kaBhekuzulu(1948) ズールー王

アラサン・ワタラ(1942) コートジボワール第5代大統領

ナナ・アクフォ=アド(1944) ガーナ第5代大統領

ムハンマド・ブハリ(1942) ナイジェリア第15代大統領

 

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Goodwill Zwelithini kaBhekuzuluの子

 

Goodwill Zwelithini kaBhekuzuluの子※画像無し

マッキー・サル(1961) セネガル第4代大統領

アリー・ボンゴ・オンディンバ(1959) ガボン第3代大統領

ジョゼ・マリオ・ヴァス(1957) ギニアビサウ共和国第5代大統領

 

Prince Lethukuthula Zulu(1970)※画像無し

モハメド・ユセフ(1970~2009) ボコ・ハラム指導者

ミシェル・オバマ(1964) 性転換者

 

※ユセフにはズールー王族の血が流れていると考えられるが、彼らは豹人間たちを統率し、「ボコ・ハラム」を結成したと考えられる。ボコ・ハラムの由来はペグーとビルマの組み合わせである。ペグー+ビルマ=ペグ・ヒルマ=ボコ・ハラムとなる。つまり、ミャンマーから来ていることが分かる。

 

Prince Misuzulu Zulu(1974)※画像無し

アブバカル・シェカウ(1975) ボコ・ハラム指導者

 

※2014年、彼らはキリスト教徒の村を襲って100人を殺害している。また、同じ年に学生寮を襲撃して女子生徒240人を拉致し、翌年には少女を使って自爆テロを行っている。2015年にはバガ郊外の多国籍軍基地を奪取し、2000人もの住民を大量に虐殺している。

 

 

 


ティールタンカラの一族~アーリア人、仏教、継体天皇、中臣鎌足、藤原不比等、白河天皇、鳥羽天皇、マリ帝国、ジェノヴァ共和国、ルクセンブルク公国、リヒテンシュタイン公国、モナコ公国、アシャンティ帝国

 

ナードゥ(2万年前)
ダゴン(2万年前)

 

※「最終戦争ラグナロク」を機に、放射能で汚染された北アメリカ大陸を去ったアトランティス人は、故地であるアトランティス王国に帰還した。しかし、帰還組は自分の思い通りになる国を欲したがため、一時的に隣国のティルス王国(タルタロス)に移住した。

その後、ティルス王国を離れて古代インドに入植したアトランティス人は、ガンジス流域に入り、南下して南インドに「ナードゥ」を築き、「ダゴン」を神とする邪教を始めた。ナードゥの由来はタナトスであり、ダゴンの由来はクリュテイオスとガンジスの組み合わせである。クリュテイオス+ガンジス=テイガン=ダゴンとなる。ダゴンはカナンの神とされているが、デカンの名から、デカンで生まれたと考えることができる。
ナードゥを治める王族は「ティールタンカラ」と呼ばれた。ティールタンカラの由来はティルス、タナトス、クリュテイオスの組み合わせである。ティルス+タナトス+クリュテイオス=ティルタナクリュ=ティールタンカラとなる。ティールタンカラの王族からは、ダゴンを祀る神官が輩出され、「バラモン」と呼ばれた。バラモンの由来はティールタンカラのひとりヴァルダマーナである。ヴァルダマーナ=ヴァルマーナ=バラモンとなる。この時に「カースト制度」が生まれた。

 

ティールタンカラ(2万年前)

バラモン(2万年前)

悪魔ナムチ/大己貴神(2万年前)

 

※ナードゥを治めた伝説的な首長は「24人のティールタンカラ」と呼ばれた。この24人のティールタンカラには、リシャパ、アジタ、シャンバヴァ、アビナンダナ、スマティ、パドマプラバ、スパールシュヴァ、チャンドラプラバ、スヴィディ、シータラ、シュレーヤーンサ、ヴァースプージャ、ヴィマラ、アナンタ、ダルマ、シャーンティ、クントゥ、アラ、マッリ、スヴラタ、ナミ、ネーミ、パールシュヴァ、ヴァルダマーナがいる。因みに、リシャパの名はリッチャヴィの由来である。

一方、ヌミディアに移住したティールタンカラは、24のティールタンカラに属するナミ、或いはネーミに因んで「悪魔ナムチ(大己貴神)」を生んだ。ナムチとヌミディアの名の由来はナミ、或いはネーミとクリュテイオスの組み合わせである。ナミ+クリュテイオス=ナミテイオ=ヌミディア=ヌミディ=ナムチとなる。

 

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アーリア人(BC32世紀)

バーラタ族(BC32世紀)

トリツ族(BC32世紀)

クル族(BC32世紀)

パルシュ族(BC32世紀)

 

※北欧に移住したティールタンカラは、バルト海を中心にアーリア人、バーラタ族、トリツ族、クル族、パルシュ族を生んだ。彼らの名は、みな24のティールタンカラの名に由来している。アーリア人は「アラ」、バーラタ族は「ヴァルダマーナ」、トリツ族はティルス(ティールタンカラ)、クル族はクリュテイオス(ティールタンカラ)、パルシュ族は「パールシュヴァ」に由来している。

一方、アヌ族、ドルヒユ族、パニ族、バラーナ族、プール族、ブリグ族はインドに暮らし、インドに侵攻してきたバーラタ族と戦った。パルシュ族、クル族はダーサ族と共にインドのアーリア人に加わったが、目的はスパイだった。

 

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レレックス(?~?) 初代スパルタ王 在位BC1600頃

マイルス(?~?) 第2代スパルタ王 在位BC1575頃

ユーロタス(?~?) 第3代スパルタ王 在位BC1550頃

 

※スパルタ人はドーリス人(トリツ族)から生まれた。この頃のスパルタはギリシアではなく、クル王国と同じように古代ヨーロッパに存在したと考えられる。スパルタの名の由来は24のティールタンカラに属するスヴラタである。

 

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スダス(?~?) クル王国初代王 在位BC14世紀

 

プラティーパ(?~?) クル王 在位詳細不明

シャンタヌ(?~?) クル王 在位詳細不明

 

ジャナメジャヤ(?~?) クル王 在位BC950頃

ユーリステネス(?~?) 初代スパルタ王 在位BC930頃

 

※一時期、スパルタ王はクル王国の王位を継承していたが、マハーバーラタ戦争以後、ジャナメジャヤ王の時にスパルタ人のギリシア時代が始まったと考えられる。

 

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ウパリチャラ・ヴァス(?~?) チェーディ王 在位BC11世紀

シシュパーラ(?~?) チェーディ王

ドリシュタケートゥ(?~?) チェーディ王

サラバ(?~?) チェーディ王

 

※チェーディの由来は24のティールタンカラに属するスヴィティである。スヴィティ=チウィーティ=チェーディとなる。サラバ王は、マハーバーラタ戦争の英雄アルジュナに殺害されている。

 

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シッダールタ(BC10世紀以降) スッドーダナの子
アーナンダ(BC10世紀以降) ドロノダーナの子※画像なし

 

※「マハーバーラタ戦争」「十王戦争」のあと、アーリア人はカピラバストゥ王国(カブール~ハルシュタット)に移ってシッダールタ、アーナンダを生んだ。シッダールタとアーナンダの名の由来は、24のティールタンカラに属するシータラとアナンタである。シータラ=シータラータ=シッダールタとなり、アナンタ=アーナンタ=アーナンダとなる。

ブッダは古代ヨーロッパで生まれたことになる。浄土真宗はその事実を知っていたため、フランスの漢字表記に「仏」を使用した。シッダールタの名残りはシトーの名に、アーナンダの名残りはナントの名に残されている。ブッダが仏教を布教した地域は「ケルト」「ガリア」と呼ばれた。いずれもクリュテイオスに由来している。クリュテイオス=クリュテ=ケルトとなり、クリュテイオス=クリユ=ガリアとなる。

 

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ヴァッジ王国(BC10世紀以降)※歴代王の系譜は不明

 

※ヴァッジ王国はリッチャヴィ族、ヴァッジ族が築き、ガナ・サンガ国と呼ばれた。リッチャヴィの由来は24のティールタンカラに属するリシャパである。古代ヨーロッパに存在したと考えられる。

 

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シューラセーナ王国(BC10世紀以降)※歴代王の系譜は不明

 

※シューラセーナの由来は24のティールタンカラに属するシュレーサーンサである。シュレーサーンサ=シュレーサーナ=シューラセーナとなる。シューラセーナ王国はその名からセーヌ川流域に存在したと考えられる。

 

粛慎(BC4世紀)

 

ジルシン(BC4世紀)

 

※BC4世紀にシューラセーナ王国がナンダ朝によって滅ぶと、シューラセーナ人は最初に満州に渡り、「粛慎(スーシェン)」を生んだ。その後に太平洋を横断してユタ間半島を横切り、北アメリカ大陸を北上してグリーンランド、アイスランドを経てブリテン島北部に入植した。ピクト人の部族に参加した彼らは「ジルシン」を称した。

その後、ジルシンはピクトランドを離れてイランに入植し、「サーサーン朝」を創始する。粛慎(スーシェン)、ジルシン、サーサーンの由来はすべてシューラセーナである。シューラセーナ=シューセーナ=スーシェン=サーサーンとなり、シューラセーナ=シュルセナ=ジルシンとなる。

 

アルダシール1世(?~241) サーサーン朝初代王

ヤズデギルド3世(?~651) サーサーン朝第31代王 在位632~651※最後の王

 

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カラノス(?~?) マケドニア王国初代王 在位BC808~778

 

※「マハーバーラタ戦争」の後、ヴァイシュラヴァナとティールタンカラの子孫がマケドニア王国を築いた。カラノスの名の由来はクロノスである。そして、マケドニアの由来はアプリマックとティールタンカラの組み合わせである。アプリマック+ティールタンカラ=マックダン=マクダナ=マケドニアとなる。インドのマガダ王国とは、実のところ、マケドニア王国のことである。

 

コイノス(BC8世紀) マケドニア王国第2代王

天児屋命(?~?)

 

※「あめのこやね」のコヤネは、明らかにコイノスの名に因んでいる。神話は正しい。なぜなら、マケドニア王の血筋から中臣氏が誕生するからだ。神話では天児屋命が中臣氏の祖神とされている。

 

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テレス1世(?~BC430) オドリュサイ朝トラキア初代王 在位BC480~BC430

テレス4世(?~BC149) オドリュサイ朝トラキア第40代王 在位BC149※最後の王

 

コティス1世(?~BC87) アステア朝トラキア初代王 在位BC100~BC87

ピトドリス2世(?~46) アステア朝トラキア第17代王 在位38~46※最後の王

 

※ティールタンカラの一族は、アブラハムの一族と共にマケドニア王国を築いたが、すぐに離脱し、代わりにトラキア王国を築いた。トラキアの由来はトリツである。トリツ=ドリス=THRACE=トラキアとなる。トラキアがローマ属僚となると、トラキア人はインドシナ半島に落ち延びた。

 

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区連(?~192) 第1王朝初代チャンパ王

 

范文(?~349) 第2王朝初代チャンパ王 在位336~349
ヴリシャ・デーヴァ(4世紀) リッチャヴィ朝ネパール王国初代王

 

※トラキアがローマ属領になるとトラキア人はインドシナ半島に入植した。彼らはそこにチャンパ王国を築く。チャンパの由来は24のティールタンカラに属するシャンパヴァである。その後、范文がネパールに進出してリッチャヴィ朝を開いている。

 

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范諸農(?~498) 第3王朝第5代チャンパ王 在位492~498

ビシヌス(?~500) チューリンゲン王 在位450~500

 

※チャンパ王范諸農ははるばるドイツに進出し、チューリンゲン族を儲けている。チューリンゲンの由来はトラキアンである。トラキアン=トーランキアン=チューリンゲンとなる。

 

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バデリヒ(?~530) チューリンゲン王 在位500~530※画像なし

バルデシャール(?~530) チューリンゲン王 在位500~530※画像なし

ヘルミナフリード(?~531) チューリンゲン王 在位500~531※画像なし

ユスティヌス1世(450~527) ユスティアヌス朝ビザンツ帝国初代皇帝※画像なし

継体天皇(450~531) 第26代天皇

 

ユスティアヌス1世(483~565) ユスティアヌス朝ビザンツ帝国第2代皇帝※画像なし

武烈天皇(489~507) 第25代天皇

マナ・デーヴァ1世(?~505) リッチャヴィ朝ネパール王 在位464~505※画像なし

キールティヴァルマン1世(?~566) 前期チャールキヤ朝初代王 在位543~566※画像なし

 

※チャールキヤの由来はトラキアである。トラキア=チョーラキア=チャールキヤとなる。

 

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欽明天皇(509~571) 第29代天皇※継体天皇の子

 

敏達天皇(538~585) 第30代天皇※欽明天皇の子

 

押坂彦人大兄皇子(555~592) 敏達天皇の子
中臣可多能コ(6世紀)

プラケーシン1世(?~597) 前期チャールキヤ朝第2代王 在位566~597

 

舒明天皇(593~641) 第34代天皇※押坂彦人大兄皇子の子

中臣御食子(?~?) 中臣可多能コの子※画像なし

プラケーシン2世(?~642) 前期チャールキヤ朝第4代王 在位609~642※画像なし

ヴィシュヌヴァルダナ1世(?~?) 東チャールキヤ朝初代王 在位624~641※画像なし

アンシュ・ヴァルマー(595~621) リッチャヴィ朝ネパール王※画像なし

ハルシャ・ヴァルダナ(590~647) ヴァルダナ朝初代王 在位606~647※画像なし

ソンツェン・ガンポ(?~649) 吐藩王朝第2代王 在位630~649※画像なし

 

古人大兄皇子(?~645) 舒明天皇の子※画像なし

中臣鎌足(614~669) 

蘇我入鹿(611~645)※画像なし

アラナシュ(?~648) ヴァルダナ朝第2代王 在位647~648※画像なし

グンソングンツェン(?~643) 吐藩王朝第3代王 在位638~643※画像なし

 

※生没年を見ると中臣鎌足が蘇我入鹿を演じ、北インドやチベットをも統治していたようだ。更に、鎌足の時代から藤原を名乗り始めた。藤原の由来は24のティールタンカラに属するヴァースプージャとヴァルダマーナの組み合わせである。ヴァースプージャ+ヴァルダマーナ=ヴァースヴァル=バスバル=バズハラ=藤原となる。

 

天智天皇/中大兄皇子(626~672) 第38代天皇※舒明天皇の子

中臣久多(?~?)※画像なし

ナレーンドラ・デーヴァ(?~?) リッチャヴィ朝ネパール王 在位643~679※画像なし

 

※中臣の名の由来はナーガと臣の組み合わせである。歴史上はじめて公式な記録に登場したのが中臣可多能コである。中臣可多能コからは、中臣御食子、中臣国子、中臣糟手子が誕生している。その後、大伴咋女が中臣御食子に接近して中臣鎌足、中臣久多、中臣垂目を誕生させている。中でも中臣鎌足は車持与志古娘と結婚して「藤原氏」の祖である藤原不比等を誕生させている。しかし、藤原氏は基本的に中臣氏ではなく、車持氏(車師国)の系統である。

 

藤原不比等(659~720)

太安万侶(?~723) 古事記編纂※画像なし

大生部多(?~?) 常世神教祖※画像なし

大伴安麻呂(?~714)※画像なし

草壁皇子(662~689) 元正天皇、文武天皇父※画像なし

大伴旅人(665~731)※画像なし

 

※不比等を頭(かしら)に、不比等の子息たちが遠江国で詐欺カルト「常世神」を運営していたようだ。だが、彼らは英雄秦河勝に皆殺しにされると、天然痘で死んだことにして満州に逃げた。

 

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藤原不比等(大伴安麻呂、草壁皇子、大伴旅人)の子

 

藤原武智麻呂(680~737)

元正天皇(680~748) 第44代天皇※画像なし

 

※元正天皇は結婚経験は無く、独身で即位した初めての女性天皇である。当然だ。彼女の正体は男であり、藤原不比等の息子藤原武智麻呂だったのだから。

 

藤原房前(681~737)

文武天皇(683~707) 第42代天皇

 

藤原宇合(694~737)

 

藤原麻呂(695~737)

大伴古慈斐(695~777) 藤原不比等娘殿刀自の夫※画像なし

 

光明皇后(701~760) 聖武天皇皇后

聖武天皇(701~756) 第45代天皇

 

※満州ではウェジ、ワルカ、ゴルカの部族を興し、「野人女直」と呼ばれた。ウェジとワルカの由来はフジワラキ(藤原の人)である。ゴルカは、ワラカがハ行がカ行を兼ねる法則で生まれた。 

 

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 スウェード人(9世紀)

 

※アラナシュ(中臣鎌足)が、ソンツェン・ガンポ(中臣御食子)とナレーンドラ・デーヴァ(中臣久多)に連行されると、アラナシュと残党はインドを離れて黒海に逃れ、スウェード人となった。スウェードの由来は24のティールタンカラに属するスヴィティである。スヴィティ=スヴィーティ=スウェードとなる。スウェード人の神官は、「神に勇者を捧げなければならない」として、民衆に命じて勇者を惨殺していた。第三者の目から見て、これは虐殺ではなく、神の御心を汲んだ尊い行為だった。

 

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天智天皇の子

 

志貴皇子(?~716)

アナスタシオス2世(?~719) ヘラクレイオス朝ビザンツ帝国皇帝

 

光仁天皇(709~782) 第49代天皇※志貴皇子の子

 

桓武天皇(737~806) 第50代天皇※光仁天皇の子

 

平城天皇(774~824) 第51代天皇※桓武天皇の子

コンスタンティノス6世(771~797) イサウリア朝ビザンツ帝国皇帝

ドンゴ(8世紀)
建州女直(8世紀)

 

※中臣氏は、善棟王と共にモンゴルに向かった。善棟王はモンゴルに入植して「オイラート」を生んだが、中臣氏は満州に根付いた。彼らは、女真族と混合して「ドンゴ」を生んだ。ドンゴの名の由来はタネコ(種子)である。タネコ=タンコ=ドンゴとなる。その後、ドンゴは女真族を簒奪し、「建州女直」を結成した。

更に、「スクスフ」「ワンギヤ」「フネヘ」の部族を生み、建州女直に加えた。スクスフの名の由来はスチュクスであり、ワンギヤの名の由来はオケアーノスであり、フネヘの名の由来はペーネイオスである。スチュクス=スクスフとなり、オケアーノス=オンギャーノス=ワンギヤとなり、ペーネイオス=ヘネイヘ=フネヘとなる。マケドニア人の子孫であるドンゴは、ギリシア神話に因んでこれらを命名したことがわかる。

 

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阿保親王(792~846)※平城天皇の子

モイミール1世(795~846) モラヴィア王国初代王 在位830~846 ※画像なし

 

人康親王(831~872)※仁明天皇の子

ロスチスラフ(?~870) モラヴィア王国第2代王 在位846~870

 

国康親王(?~894)※仁明天皇の子

スヴァトプルク1世(830~894) モラヴィア王国第3代王 在位871~894

 

本康親王(?~902)※仁明天皇の子

モイミール2世(?~907) モラヴィア王国第4代王 在位894~907

 

※モラヴィア王国はヴァイキング登場前夜に突如として出現した大国であるが、この国は、平城天皇の氏族、仁明天皇の子息が築いたものである。モラヴィアの由来は24のティールタンカラに属するヴィマラを反対にしたものである。ヴィマラ=マラヴィ=モラヴィアとなる。

 

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陽成天皇(869~949) 第57代天皇※桓武天皇の玄孫の子
ラグー・デーヴァ デーヴァ朝ネパール王国初代王 在位879~?

 

※陽成天皇はネパールに進出し、初代王ラグー・デーヴァとしてAD879年に「デーヴァ朝」を開いた。デーヴァ家の名は善神デーヴァの名に由来していない。

 

村上天皇(926~967) 第62代天皇

ジークフリート(922~998) 初代ルクセンブルク伯

 

円融天皇(959~991) 第64代天皇

グナカマ・デーヴァ(?~?) デーヴァ朝ネパール王 在位949~994

ハインリヒ5世(960~1026) バイエルン公

 

※円融天皇はネパール王とバイエルン公を演じた。バイエルン公の時代、彼は「ルクセンブルク公」を儲ける。

 

花山天皇(968~1008) 第65代天皇

藤原道長(966~1028)

 

※歴史では藤原道長が娘を天皇にと継がせることで天皇家を掌握したとあるが、そもそも、道長自身が花山天皇そのひとだった。藤原氏が謳歌した平安時代は、タナトスの一族が謳歌した世の中であった。

 

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一条天皇(980~1011) 第66代天皇

 

※前期チャールキヤ朝が滅ぶと、一部マハーデーヴィー妃の残党は日本に移住し、日本を統べるべく皇族に接近した。AD980年、チャールキヤの残党から懐仁が誕生した。彼が「条」が付く最初の天皇だが、条の由来はチャールキヤである。チャールキヤ=チャー=条となる。一条から六条まで番号が付いているが、これは日本に上陸した順番だと考えられる。最初に日本に上陸したのが「一条天皇」の支族だった。

 

後朱雀天皇(1009~1045) 第69代天皇

ラクスミカーヴァ・デーヴァ デーヴァ朝ネパール王 在位1024~1040

 

※AD1024年、ラクスミカーヴァ・デーヴァが、聖なる少女を崇拝する「クマリ崇拝」を確立した。しかし、タナトスが携わった宗教が全てそうであるように、これも単なるイカサマである。ひとりの少女を長期間、世間から隔離するため、現在では幼児虐待としてネパール政府に否定されている。

 

シヴァデーヴァ3世(?~?) デーヴァ朝ネパール王 在位1099~1126 ※画像なし
白河天皇(1053~1129) 第72代天皇

 

※シヴァデーヴァ3世は、日本に移住して「白河天皇」を称するが、白河の名の由来はチャールキヤである。チャールキヤ=シャールキア=シャラキア=白河となる。

 

マナ・デーヴァ(?~?) タクリ朝ネパール王 在位?~?※画像なし
鳥羽天皇(1103~1156) 第74代天皇

 

※タクリ朝のネパール王マナ・デーヴァが日本に移住し、鳥羽天皇となる。鳥羽天皇の御名は「宗仁」であるが、これはマナに由来している。マナの人=マナヒト=ムネヒトとなる。そして、鳥羽(とば)の名の由来はデーヴァである。

 


後白河天皇(1125~1192) 第77代天皇
ビッラマ5世(?~1192) ヤーダヴァ朝初代王※画像なし

 

※後白河天皇は後期チャールキヤ朝に侵入し、「ヤーダヴァ朝(セーヴナ朝)」を開いた。

 

土御門貞通(1188~1247) 土御門家祖
後鳥羽天皇(1180~1239) 第82代天皇

シンガナ2世(?~1247) ヤーダヴァ朝第3代王※画像なし

ヴァルラム(1180~1226) リンブルフ公※画像なし

 

※インド洋の商業航路を経て日本に辿り着いたツチ族は、土御門貞通に変身して「土御門家」を築いた。土御門の由来はツチ族の帝王である。その後、土御門貞通は「後鳥羽天皇」を演じた。後鳥羽の名の由来は、鳥羽天皇と同様にデーヴァである。

 

土御門天皇(1195~1231) 第83代天皇※後鳥羽天皇の子

 

尊助法親王(1217~1291) 天台座主※土御門天皇の子

ハインリヒ5世(1216~1281) 初代ルクセンブルク伯

スンジャータ・ケイタ(1217~1255) マリ帝国初代王 在位1240~1255

 

※尊助法親王は土御門天皇の子であるためか、アフリカに赴き、マリ帝国を建てている。マリの由来は24のティールタンカラに属するマッリである。

 

ハインリヒ7世(1275~1313) ルクセンブルク朝初代神聖ローマ皇帝※ハインリヒ5世の孫

フランソワ・グリマルディ(?~1309) 初代モナコ領主※画像なし

 

オットカール(1318~1320) ※ハインリヒ7世の孫

土御門通房(1320?~?)

ンダヒロ1世(?~?) ルワンダ王国第1王朝初代王 在位1350~1386

 

※通房の時代から土御門家はアフリカに帰還し、ルワンダ王国の王として君臨していた。

 

カール4世(1316~1378) ルクセンブルク朝第2代神聖ローマ皇帝 在位1346~1378

シモン・ボッカネグラ(?~1363) ジェノヴァ共和国初代ドージェ 在位1339~44、56~63※画像なし

茶和布底(?~1360) 第13王朝第2代チャンパ王 在位1340~1360※画像なし

 

ジギスムント(1368~1437) ルクセンブルク朝第5代神聖ローマ皇帝※ハインリヒ7世の曾孫

サメンベ(?~1434) ルワンダ王国第1王朝第3代王 在位1410~1434※画像なし

バルトロメオ・デラ・キャプラ(1365~1433) ジェノヴァ共和国ドージェ 在位1405~1414※画像なし

 

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コラード・ダ・フォグリアノ(?~1470) ジェノヴァ共和国ドージェ 在位1468~1470

槃羅茶全(?~1471) 第15王朝第2代チャンパ王 在位?~1471

 

シイリマ1世(?~1506) ルワンダ王国第1王朝第6代王 在位1482~1506

キゲリ1世(?~1528) ルワンダ王国第2王朝初代王 在位1506~1528

ミバンブウェ1世(?~1552) ルワンダ王国第2王朝第2代王 在位1528~1552

ユヒ1世(?~1576) ルワンダ王国第2王朝第3代王 在位1552~1576

ンダヒロ2世(?~1600) ルワンダ王国第2王朝第4代王 在位1576~1600

 

ルガンズ2世(?~1624) ルワンダ王国第3王朝初代王 在位1600~1624※画像なし
カール1世(1569~1627) 初代リヒテンシュタイン公

 

※ルワンダ王ルガンズ2世はルワンダを発進してドイツに移住し、カール1世としてリヒテンシュタイン公に就任した。本願寺を拠点とする他のタナトスの一族がヨーロッパを食い荒らす中、小さいながら、自分たちの領土を確立した形だ。

 

ユヒ2世(?~1720) ルワンダ王国第3王朝第5代王 在位1696~1720

ポー・サクティライ・ダ・プティー(?~1728) 自治政権初代チャンパ王 在位1696~1728

 

※1471年からチャンパ王位が空位になるが、その間、チャンパ王室はルワンダに赴き、ルワンダ王として君臨していた。その後、ユヒ2世の時にチャンパに帰還し、ベトナム帝国内でチャンパ王位を甦らせた。

 

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後奈良天皇の子

 

覚恕法親王(1521~1574) 天台座主

ドラヴィヤ・シャハ(?~1570) 在位1559~1570

オノレ1世(1522~1581) 第18代モナコ領主 在位1523~1581

 

※覚恕法親王は38歳の時にネパールに移住し、「ゴルカ王朝」を築いた。その後もネパールと日本を往来していたが、1571年に比叡山焼き討ちが起きると、日本を脱出してネパールに逃げた。歴史では武田信玄を頼って甲斐に亡命したとされている。その後、モナコ領主座を簒奪し、オノレ1世を称してモナコ領主になった。オノレの由来は日本語「おのれ」だろう。

 

プリトビ・ナラヤン・シャハ(1722~1775) 在位1743~1768

 

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マフムード4世(?~?) マリ帝国第24代王 在位1590~1600年代

ナナ・トゥワム(?~?) アシャンティ首長 在位1570頃

 

オセイ・トゥトゥ1世(?~1717) アシャンティ帝国初代王 在位1701~1717

 

オポク・ワレ2世(1919~1999) アシャンティ帝国第15代王 在1970~1999

ジョセフ・アーサー・アンクラ(1915~1992) 第2代ガーナ大統領※画像なし

モディボ・ケイタ(1915~1977) マリ共和国初代首相、初代大統領

 

オセイ・トゥトゥ2世(1950) アシャンティ帝国第16代王 在位1999~

 

※アシャンティの由来は24のティールイタンカラに属するシャーンティである。天皇の三種の神器のように、アシャンティ王家も「黄金の机」を所有することで王であることの正統性を主張していた。

 

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ジャン(1921) ルクセンブルク大公 在位1964~2000

レオ・チンデマンス(1922~2014) ベルギー王国第58代首相 任期1974~1978
ルドルフ・プレイル(1924~1958) 異常性愛シリアルキラー(女性25人)

ルシアーノ・スタニアック(1920年代生) 異常性愛シリアルキラー(女性20人)

レーニエ3世(1923~2005) モナコ大公

 

※何かの冗談か?ジャン大公とチンデマンスの顔は全く同じだ。同一人物でしかありえない。結婚式の写真では、新婦が新郎ジャンのことを怖がっていたように見えたので、新婦は正体を知っていたのだろう。ルクセンブルク。本願寺を拠点とする他のタナトスの一族がヨーロッパを食い荒らす中、小さいながら、自分たちの領土を確立した形だ。

 

ハンス・アダム2世(1945) リヒテンシュタイン公 在位1989~

オーティス・トゥール(1946) 異常性愛シリアルキラー(女性男性200人)

レオナード・レイク(1946~1985) スナッフビデオ販売(女性・少女19人)

 

アンリ(1955) ルクセンブルク大公 在位2000~

ジョン・ダフィー (1956) 強姦殺人(女性3人)

コリン・アイルランド(1954~2012) 同性愛シリアルキラー(男性5人)

 

※両刀遣いシリアルキラー。チビのジョン・ダフィーにはのっぽの共犯者がいたというが、逮捕もされていないし、誰だか判明してもいない。たぶんアンリ大公のことだろう。

 

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アルベール2世(1958) 第21代モナコ大公 在位2005~

竹下雅敏(1959) シャンティ・プーラ主催

 

 

 


デウスの一族~ジャイナ教、河伯、サータヴァーハナ朝、フン族、アッティラ帝王、稲荷神社、九頭龍、風水、足利尊氏、後醍醐天皇、シャーマニズム、クエーカー教、住友財閥、三井財閥


デウス(2万年前)

サトレ(2万年前)

 

※「最終戦争ラグナロク」を機に、放射能で汚染された北アメリカ大陸を去ったアトランティス人は、故地であるアトランティス王国に帰還した。しかし、一部は反対側のヨーロッパに目を向けた。彼らは、北アメリカ大陸を離れて北極圏を抜けて氷河に覆われた北ヨーロッパに移住した。当時、ロンドン辺りまで氷河に覆われていたブリテン島にはディオーネーのタナトスに属する司神タナトスが棲んでいた。

彼らは「デウス」を名乗り、古代ヨーロッパに住んでいたオケアーニス大洋の娘たち、河川の娘たちを支配した。デウスの由来はクリュテイオスである。クリュテイオス=クリュデウス=デウスとなる。その後、デウスはイタリア半島にまで進出し、イタリア半島では「サトレ」を称した。サトレの由来はサトゥルヌスである。サトレはイタリアの由来でもある。サトレ=アトレ=アトレア=イタリアとなる。

 

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「ネアンデルタールが切断して焼いた骨がフランス・シャラント県で発掘される」(BC7千年)

 

「ネアンデルタールが36人の子女を食べた痕跡がドイツ・バンベルク洞窟で発掘される」(BC6千年)

 

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ダーサ族(BC32世紀)

サートヴァタ族(BC32世紀)

 

※古代ヨーロッパにティールタンカラが進出してアーリア人が生まれると、デウスはアーリア人の軍団に参加した。デウスは「ダーサ族」と呼ばれた。ダーサの由来はデウスである。

マハーバーラタ戦争「十王戦争」を機に、ヨーロッパを離れてインドに落ち延びたデウスは「サートヴァタ族」を形成した。サートヴァタの名の由来はサトゥルヌスと24のティールタンカラに属するスヴィティの組み合わせである。サトゥルヌス+スヴィティ=サトゥヴィティ=サートゥヴィティ=サートヴァタとなる

 

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トゥディヤ/足名椎神(?~?) 初代アッシリア王 在位BC2450~BC2400

アダムー(?~?) 第2代アッシリア王 在位BC2400~BC2375

 

※アッシリアの由来はダーサとアーリアの組み合わせである。ダーサ+アーリア=アーサリア=アッシリアとなる。アッシリア王アダムーは、古代オリエントと古代日本を同時に統べていた。日本の拠点は「出雲」と呼ばれた。出雲の由来はアダムーである。アダムー=アザム=出雲となる。アッシリア人は足名椎神、手名椎神、櫛名田比売命と呼ばれた。足名椎神の由来はアッシリア、タナトス、トゥディヤであり、手名椎神の由来はタナトス、トゥディヤであり、櫛名田比売命の由来は能登のペガサスである。アッシリア+タナトス+トゥディヤ=アシナトトゥディ=あしなづち=足名椎神、タナトス+トゥディヤ=タナトゥディ=てなづち=手名椎神、ペガサス+能登+姫=ガスノト姫=櫛名田比売命となる。

アッシリア人はアッシリア、中央アジア、日本でヤマタノオロチ(ティアマトの蛇)を祀り、人身御供を開催していた。優れた人間を公的に殺害し、性奴隷、或いは人肉を供給するためである。彼らはスサノオ(スーサの王?)に退治されるが、櫛名田比売命を嫁として差し出し、スサノオの遺伝子を取り入れている。

 

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イプタール・シン(?~?) アッシリア王 在位BC1662~BC1650

タン/手名椎神(?~?) 殷初代王 在位BC1675~BC1646

スッドーダナ(?~?) カピラバストゥ王

ドロノダーナ(?~?) 弟

 

ワイレン(?~?) 殷第11代王 在位不明

マハーヴィーラ(?~?) ジャイナ教教祖

 

ティグラト・ピレセル1世(?~?) アッシリア王 在位BC1115~BC1076

帝辛(?~?) 殷第30代王 在位BC1101~BC1076※最後の皇帝

 

※出雲国とアッシリア王国は同義であり、王族は古代ヨーロッパから東アジアに至るユーラシア大陸全域を支配していたと考えられる。カピラバストゥも殷もその一部である。カピラバストゥの由来はカブールとハルシュタットの組み合わせである。つまり、カピラバストゥ王国はネパールではなく、古代オーストリアからカブールにかけて存在した。殷(イン)と商(シャン)の由来はTANATOSの反対SOTANATだと考えられる。SOANA=ANA=イナ(殷)となり、SOANA=SOAN=シャン(商)となる。殷の王族は、人身御供を開催した。

スッドーダナとドロノダーナは兄弟とされているが、同一人物と考えられる。スッドーダナとドロノダーナの由来は両者とも、サトゥルヌスとタナトスの組み合わせである。サトゥルヌス+タナトス=サトゥタナ=スッドーダナとなり、サトゥルヌス+タナトス=トゥルヌタナ=ドロノダーナとなる。

マハーヴィーラはマガダで生まれたとされているが、当時のマガダはマケドニアのことを指していたため、ブッダと同じでマハーヴィーラも古代ヨーロッパに生まれたと考えられる。ジャイナの由来はTANATOS(タナトス)の反対SOTANATだと考えられる。SOTANAT=SOANA=ジャイナとなる。「マハーバーラタ戦争」と時を一にして殷も滅ぶが、ジャイナ教は中国からネパールに移り、「ナータ族」を称した。ナータの由来はジャイナ教と同じでSOTANATである。SOTANAT=NAT=ナータとなる。

 

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ガンダーラ王国(BC7世紀)

カンボージャ王国(BC7世紀)

 

エサルハドン(?~?) アッシリア王 在位BC681~BC669

テウスパ(?~BC670) キンメリア王 在位BC680~BC670

 

タグダム(?~BC640) キンメリア王 在位BC660~BC640

サンダクシャトラ(?~BC640) キンメリア王 在位BC640

 

※サートヴァタ族は「キンメリア人」とも呼ばれた。キンメリアの由来は24のティールタンカラに属するクントゥとマッリの組み合わせである。ガンダーラもキンメリアと同じ由来を持つ。クントゥ+マッリ=クンマッリ=キンメリアとなり、クントゥ+マッリ=クントゥッリ=ガンダーラとなる。

カンボージャも、24のティールタンカラに属するクントゥとヴァースプージャの組み合わせである。クントゥ+ヴァースプージャ=クンプージャ=カンボージャとなる。つまり、キンメリア人の拠点はガンダーラ王国やカンボージャ王国だった。


シャターニカ2世(?~?) ヴァツサ王 在位BC6世紀

 

※キンメリア人(ガンダーラ人、カンボージャ人)がシャターニカ2世を名乗った。シャターニカの名の由来はサタニカ(サタンの人)である。シャターニカ2世は、同じ一族であるティールタンカラが築いたヴァツサ国の王となった。

 

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ウダヤナ(?~?) ヴァツサ王 在位不明

簡子(?~?) 魏第6代王 在位不明

 

※ヴァツサ王ウダヤナは魏の王位を簒奪したと考えられる。このときから、魏の王は河伯に捧げる人身御供の儀式を主催する神官も兼ねていた。河伯の中国語読みはホーボーである。ホーボーの由来はティールタンカラのひとり「シャンパヴァ」である。シャンパヴァ=パーヴァー=ホーボーとなる。

 

襄子(?~?) 魏第7代王 在位不明

スパルタカス1世(?~BC433) スパルタ朝ボスポラス王国初代王 在位BC438~BC433

 

桓子(?~BC446) 魏第8代王 在位不明

サチュロス1世(?~BC389) スパルタ朝ボスポラス王国第2代王 在位BC433~BC389

 

文侯(?~BC396) 魏第9代王 在位BC445~BC396

セレウコス(?~BC393) スパルタ朝ボスポラス王国第3代王 在位BC433~BC393

 

武侯(BC424~BC370) 魏第10代王 在位BC395~BC370

昭王(?~BC277) 魏第13代王 在位BC296~BC277

 

安釐王(?~BC243) 魏第14代王 在位BC276~BC243 ※画像なし

パイリサデス2世(?~BC245) スパルタ朝ボスポラス王国第3代王 在位BC284~BC245※画像なし

ミトリダテス1世 (?~BC266) ポントス王国初代王 在位BC281~BC266※画像なし

アリオバルザネス(?~BC250) ポントス王国第2代王 在位BC266~BC250※画像なし

応神天皇(?~?) 第15代天皇 在位不明

仁徳天皇(?~?) 第16代天皇 在位不明

 

王假(?~BC225) 魏第16代王 在位BC227~BC225

ミトリダテス2世(?~BC220) ポントス王国第3代王 在位BC250~BC220

履中天皇(?~?) 第17代天皇 在位不明

 

※御名に足(たらし)を持つ景行天皇、成務天皇、仲哀天皇はアイルランドのハイキングだったが、応神天皇から武烈天皇までの天皇の正体はポントス王だった。応神天皇の御名「誉田別尊(ほんだわけ)」の由来はポントスである。もし応神天皇がポントス王であったなら、応神天皇はAD3世紀の人物ではなく、BC3世紀の人物となる。

 

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シムカ(?~?) サータヴァーハナ朝初代王 在位BC230~BC207

 

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サドカイ派(BC2世紀)

 

※アショーカの登場を機に、サートヴァタ族はエーゲ海に移り、「サドカイ派」を結成した。サドカイの名の由来はサトゥルヌスとアカイアの組み合わせである。サトゥルヌス+アカイア=サドカイア=サドカイとなる。その後、サドカイ派はイスラエルに進出した。

 

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ミトリダテス4世(?~BC150) ポントス王国第6代王 在位BC170~BC150

アレタス1世(?~?) ナパタエ王国初代王 在位BC169~?

 

オボダス1世(?~BC85) ナパタエ王国第3代王 在位BC96~BC85※画像なし

マリクス1世(?~BC30) ナパタエ王国第7代王 在位BC59~BC30※画像なし

崇神天皇(?~?) 第10代天皇 在位BC97~BC30

 

※魏は滅亡後にポントスに拠点を移した。ポントス王が更にナパタエ王国などを築いた。魏の王が築いた勢力はポントス、ナパタエ、マルコマンニに渡り、これらの国は邪馬台国とも倭国とも呼ばれた。邪馬台の由来はシャム(タイ)とナパタエの組み合わせである。シャム+ナパタエ=シャムタエ=邪馬台となる。倭の王として崇神天皇や垂仁天皇が生まれている。倭の由来は魏(ウェイ)である。 

 

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東明聖王(BC58~BC19) 高句麗初代王 在位BC37~BC19

 

瑠璃明王(BC38~18) 高句麗第2代王 在位BC19~18

温祚王(?~28) 百済初代王 在位BC18~28

 

※河伯は人身御供のカルトであり、若い娘を生贄として黄河の底に沈めていた。しかし、西門豹がこのカルトに属する巫女を皆殺しにした。その後、BC225年に魏が滅ぶと河伯はマヤに移り、マヤでも同じことを繰り返した。彼らは中国時代には生贄の娘を黄河に沈めていたが、マヤでは聖なる泉セノーテに沈めていた。

およそ200年後、河伯はマヤを離れて古代朝鮮半島に2つの王朝を築いた。高句麗と百済である。高句麗と百済の王は代々、日本で人身御供の神官を務めていた。高句麗(ゴグリョ)の由来はククルカンであり、百済(くだら)の由来はケツアルコアトルである。

高句麗と百済の王は、日本に「九頭龍」を祀り、現千葉県・鹿野山麓などで農民から生贄を要求する人身御供の教団を運営していた。九頭龍(くずりゅう)の読みの由来はケツァルコアトルである。ケツァルコアトル=ケツァルー=九頭龍(くずりゅう)となる。九頭龍の漢字の由来は先祖が祀っていたヤマタノオロチである。
この人身御供の種族は、古墳時代、日本武尊の古墳製作に干渉し、「古墳は王の墓であるべきだ」「王の墓を築く時は側近・奴隷を人柱として埋めるべきだ」と主張した。もちろん、日本武尊はこんなたわごとに耳は貸さない。だが、人身御供の種族は隠れて人柱を実施した。目的は、先代王の優れた側近を皆殺しにし、次世代の王の側近を自分の息がかかった者で固めるためである。

しかし、これを知った日本武尊は彼らを皆殺しにし、代わりに「埴輪」を埋めるようになった。こうして、土蜘蛛を皆殺しにした景行天皇の偉業を引き継いだ日本武尊は、日本各地で古墳製作を指揮しながら、同じく土蜘蛛の邪教詐欺集団、九頭龍の人身御供の種族を皆殺しにするようになった。
その後も、彼らは朝鮮半島から渡来し、越前国、安芸国、常陸国、紀伊国に渡って人身御供の儀式を存続し、食肉目的で日本人を惨殺し、食料として食べていた。日本人に恐れられた九頭龍は、常陸では「鹿島大明神」、紀伊では「熊野大権現」、安芸では「厳島大明神」、越前では「黒龍大明神」として祀られた。彼らは既存の神々に乗っかり、権威を悪用しているのだ。
九頭龍は国家鎮護の神として祀られたが、これは、当時の日本人が悪との戦いを放棄し、人喰い人種に絶対服従していたことを示している。古代日本では、ヤマタノオロチの昔から、優れた児童が生贄として捧げられていた。「指導者の可能性を持つ児童をすべて排除していれば俺たちに歯向かうやつは永久に出てこない。優れた者の管理は簡単だ。優れた者は少ないからな」ということだ。このように、日本人を形成する精神的な核には、自分たちを救ってくれる英雄を自ら殺し、人喰い人種に服従することで生活と安定を守る本能が定着している。

 

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オロチ族(BC1世紀)

 

※高句麗が築かれると、一部中枢はシベリアに進出し、「オロチ族」となった。オロチの由来は日本語のオロチである。彼らがシャーマニズムを始めた。シャーマニズムは人類の宗教の原型ではなく、新しい類の宗教である。シャーマンの大きな特徴は、未開の部族を対象にしていることである。

 

エクソシスト(218頃)

 

※オロチ族のシャーマンはツングースを離れて、遠く、ヨーロッパに及び、ローマ帝国に侵入した。キリスト教に習合した彼らはシャーマン文化を取り入れ、悪魔祓いなど「エクソシスト」の文化をキリスト教に取り入れた。基本的に詐欺であり、執り憑かれた者とエクソシストは役者であり、悪魔祓いの様子を見ている人々は観客である。ただ、人々は観客であるという自覚がない。

 

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垂仁天皇(?~70) 第11代天皇 在位BC29~70

アルサケス(?~?) ポントス王国第11代王 在位BC37※画像なし

ポレモン1世(?~BC8) ローマ属領時代初代ポントス王 在位BC37~BC8※画像なし

ピトドリダ(?~38) ローマ属領時代第2代ポントス王 在位BC8~38※画像なし

ポレモン2世(?~64) ローマ属領時代第3代ポントス王 在位38~64※画像なし

マロボドゥース(?~18) マルコマンニ王 在位BC9~18※画像なし

カトゥアルダ(?~20) マルコマンニ王 在位18~20※画像なし

ヴァニウス(?~50) マルコマンニ王 在位20~50※画像なし

ヴァンギオ(?~50) マルコマンニ王 在位50※画像なし

シド(?~50) マルコマンニ王 在位50※画像なし

 

※倭の王、邪馬台国の王、垂仁天皇はポントス王、マルコマンニ王も兼ねていた。

 

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地母神アティラ(66頃)

創造神ティラウ(66頃)

 

※66年、ユダヤ戦争を機にディアスポラが発生すると、サドカイ派は遠く北アメリカの地にまで足を伸ばした。ポーニー族を支配下に置いた彼らは「地母神アティラ」「創造神ティラウ」を祀って人身御供を実施した。アティラの名の由来はサトゥルヌスである。サトゥルヌス=アトゥルヌス=アトゥル=アティラとなる。ティラウの名の由来はサトゥルヌスである。サトゥルヌス=サトゥラウヌス=トゥラウ=ティラウとなる。

 

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ラベル2世(?~106) ナパタエ王国第7代王 在位71~106※最後の王

マルクス・トラヤヌス(30~100) ※ローマ皇帝トラヤヌスの父

 

ルキウス・ウェルス(130~169) ※ローマ皇帝トラヤヌスの曾孫

バロマール(?~?) マルコマンニ王 在位166~178頃

バナダスプス(?~?) ジャマタエ王 在位174頃

 

ルキウス・アウレリウス・ウェルス(159?)※ルキウス・ウェルスの子

ゴルディアヌス1世(159~238) ローマ皇帝 在位238

 

アントニア・ゴルディアナ(210~?) ローマ皇帝ゴルディアヌス2世の妹

卑弥呼(?~240頃)

 

オリブリオス(430~472) 西ローマ皇帝 在位472

ベンガ(?~?) ジャマタエ王 在位470~471

ブバイ(?~?) ジャマタエ王 在位470~471

 

※邪馬台国の首都は現タイに築かれたと考えられる。邪馬台の由来はシャムとナパタエの組み合わせである。つまり、邪馬台国はヨーロッパ、シナイ半島、黒海、タイ(シャム)に勢力圏を持ち、倭、タイ(シャム)、ナパタエ、ポントスなど複数の名を持つ国際的な連邦国家だった。

邪馬台国の女王卑弥呼の正体はローマ皇帝の妹アントニア・ゴルディアナだった。ゴルディアヌス1世から3世にかけて、ローマ皇帝は「サトゥルヌス密儀」を指揮していた。サトゥルヌス神殿は、政治的にも極めて重要な神殿としてローマの七丘のひとつカピトリヌス丘の麓に築かれた。神殿には、ローマの国庫が設置され、法文や元老院決議が保管されるなどされていたが、サトゥルヌス密儀の集団が、どれほどローマに対して大きく、深い影響力を誇っていたかが理解できる。

 

イクリンガス(?~?) マーシア王国初代王 在位527頃

 

ベールトウルフ(?~852) マーシア王国第31代王 在位840~852

アルモス(?~850) 初代マジャール王 在位820~850

 

ゲーザ(?~997) 第6代マジャール王 在位973~997

 

※ジャマタエ族はイングランドに移り、マーシア王国を建てた。マーシアの由来はシャム(タイ)の由来シャマシュである。シャマシュ=シャマーシュ=マーシアとなる。その後、ベールトウルフ王がイングランドを離れてパンノニアに移住している。この時にマジャール人が生まれた。マジャールの由来はマーシアとマクリアの組み合わせである。

マーシア+マクリア=マーシアリア=マーシャラ=マジャールとなる。

マーシア王と共にマジャール人を儲けたマクリア王国(安閑天皇の一族)、初代ハンガリー王イシュトヴァーン1世を生んだアールパード家を築いたアルワ王国(ハルハ部)、ノバティア王国(北狄)は、ヌビアに移住したモンゴル人である。

 

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義慈王(599~660) 百済第31代王 在位641~660※最後の王

 

宝蔵王(?~682) 高句麗第28代王※最後の王

 

稲荷神社(356頃)

田中大神(356頃)
佐田彦大神(356頃)
四大神(356頃)

大宮能売大神(356頃)

 

※新羅が興り、三国時代が始まると、マヤ人は中枢を日本に拠点を移した。彼らは、「田中大神」「佐田彦大神」「四大神」「大宮能売大神」を儲け、稲荷神社を築いた。稲荷(いなり)の由来は朝鮮語の神(ハヌル)であり、漢字表記「稲」と「荷」の由来はパンノニアである。

田中、佐田彦の名の由来はサタンの人(サタニキ)であり、四の名の由来は死(タナトス)である。サタニキ=タニキ=田中となり、サタンの人=佐田+彦=佐田彦となる。能売(のめ)の名の由来はヌミディアである。田中、佐田の名の由来はサタンだけではなく、マケドニア人(マケドニキ)=田中、アサド=佐田などがある。  

 

唯一神アラー(5世紀)

 

※マヤ人は、インド洋の通商航路を経て日本からアラビア半島にまで辿り着いた。彼らはアラビアの地で人身御供を始めた。優れた人間を公的に殺害し、性奴隷、或いは人肉を供給するためである。朝鮮語をしゃべる彼らはアラビア人に対し、「俺たちに生贄をよこせ、さもなくば死だ。わかったか(アラ)?」と語りかけた。するとアラビア人は「わかりました(アラー)」と応えた。これが唯一神アラーの誕生である。「アラ」とは朝鮮語で「了解」を意味する。

 

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ガウタミープトラ・シャータカルニ(?~?) サータヴァーハナ朝第22代王 在位106~130

 

ヤジャニヤ・シュリー・シャータカルニ(?~?) サータヴァーハナ朝最後の王 在位170~199

 

※サドカイ派は、故地であるインドに「サータヴァーハナ朝」を開いた。サータヴァーハナの名の由来はサートヴァタとヴァナラシの組み合わせである。サートヴァタ+ヴァナラシ=サートヴァヴァナ=サータヴァーハナとなる。サータヴァーハナ朝は、アーンドラ朝とも呼ばれた。70年にエルサレム神殿の破壊が起きると、サドカイ派はイスラエルを離れてインドに帰還し、サータヴァーハナ朝の支配に専念した。

 

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フン族(3世紀)

 

※3世紀にサータヴァーハナ朝(アーンドラ朝)が滅ぶと、一部はゲルマニアに移ってヴァンダル族となる。一部は「フン族」を生んだ。インド人の顔をしたフン族には匈奴の残党も含まれていた。フンの名の由来はサータヴァーハナのハナである。

パンノニアはフン族が命名したが、由来はフンとゲルマニアの組み合わせである。フン+ゲルマニア=フンニア=フンヌニア=パンノニアとなる。フン族は、タナトスの首領ドナート、ルアなどの悪党に率いられ、残忍な騎馬民族として恐れられた。

 

ガイセリック(389~477) 初代ヴァンダル王 在位428~477

ゲリメル(480~553) ヴァンダル最後の王 在位530~534


カーブ・イブン・アル=アシュラーフ(?~624) バヌー・ナディール首長

 

※ヴァンダル王国が滅ぶと、ゲリメルの残党はメディ-ナに移住した。彼らは「バヌー・ナディール族」を称した。バヌー・ナディールの名の由来はフンとナードゥ、ドラヴィダの組み合わせである。フン+ナードゥ+ドラヴィダ=ブン・ナードゥラ=バヌー・ナディールとなる。

 

アフマド・イブン・トゥールーン(835~884) トゥールーン朝初代アミール 在位868~884

シャイバーン・イブン・アフマド・イブン・トゥールーン(?~?) トゥールーン朝アミール 在位904~905※最後の王

 

※バヌー・ナディール族はエジプトに「トゥールーン朝」を開いた。

 

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アッティラ(406~453) フン族の王

マルキアヌス(396~457) テオドシウス朝第4代ビザンツ帝国皇帝※画像なし

 

※330年後、ポーニー族の土地に「アッティラ」が生まれると、彼らはヨーロッパに帰還した。アッティラの名の由来は地母神アティラである。ドナート、ルアなどの偉大な悪党の衣鉢を継いだアッティラは、フン族を指揮し、パンノニアに「アッティラの帝国」を打ち建てた。

アッチラの死によってアッチラの帝国が崩壊すると、一部フン族はシベリアに移住し「ナナイ族」を生んだ。ナナイの名の由来はパンノニアである。パンノニア=パンナナイ=ナナイとなる。

 

エラク(?~454) ※アッティラの子

シェンギラ(430~480) エフタル初代王 在位430~461

 

トラマーナ(?~?) エフタル王 在位515~528

ユクノーム・チェン1世(?~?) カラクムル王 在位500頃

 

ミヒラクラ(?~542) エフタル最後の王 在位528~542

トゥーン・カーブ・ヒックス(?~?) カラクムル王 在位520~546

東漢磐井(?~?)

 

空を見る者(?~?) カラクムル王 在位561~572

ヤックス・ヨパート(?~?) カラクムル王 在位572~579

巻き蛇(?~?) カラクムル王 在位579~611

東漢駒(?~592) 坂上氏家祖※東漢磐井の子

 

タホーム・ウカッブ・カック(?~?) カラクムル王 在位622~630

ユクノーム・チェン2世(?~?) カラクムル王 在位636~686

ユクノーム・イチャーク・カック(?~?) カラクムル王 在位686~695

ユクノーム・トーク・カウィール(?~?) カラクムル王 在位702~731

 

偉大なる蛇(?~?) カラクムル王 在位751頃

坂上犬養(682~765)

一行(683~727) 風水師

 

※坂上犬養は張氏に接近して自身の血統を打ち立てた。この時に誕生したのが「一行(張遂)」である。一行は、風水師として唐の玄宗皇帝と関係を持った。ただ、一行が玄宗皇帝に重用されたのに対し、邱延翰は危険視され、迫害された。風水は、タナトス一族の経済活動促進、需要開拓のためのウソに過ぎない。

 

ボロン・カウィール2世(?~?) カラクムル王 在位771~789※画像なし

坂上苅田麻呂(727~786)

能登内親王(733~781) 光仁天皇の子※画像なし

 

※757年頃、カラクムル王ボロン・カウィール2世(坂上苅田麻呂)が九頭龍崇拝を復活させた。彼らは、箱根山に進出して芦ノ湖に拠点を得た。彼らは、箱根の村人に毎年若い娘を選んで芦ノ湖に棲む毒龍に捧げることを強制していた。村人が皆殺しになるよりは犠牲者が一人で済むなら仕方が無い、と村人は嫌がる娘を九頭龍に捧げていた。この時、見かねた修行僧「万巻」が村人を救っている。万巻の正体は、修験者(天狗)と考えられる。
万巻は、危険な人喰い人種たちを湖底の杉に縛り付けて皆殺しにしたようである。これを機に、マヤに君臨していたカラクムル王国は壊滅した。九頭龍の残党は日本各地に散り、諏訪国、甲斐国、現東京都・檜原村、葛城山系、肥前国、阿蘇山、摂津国、近江国などに居住した。

 

弥努摩内親王(?~810) 光仁天皇の子※画像なし

坂上田村麻呂(758~811) 征夷大将軍※坂上苅田麻呂の子

藤原内麻呂(756~812)

 

坂上広野(787~828) ※坂上田村麻呂の子

アテルイ(789~802)

 

坂上正野(?~?) ※坂上田村麻呂の子

モレ(?~?) 

 

※アッティラの子孫である坂上田村麻呂が儲けた息子2人は「アテルイ」「モレ」を称し、蝦夷を治めた。アテルイの名の由来はフン族の帝王アッティラである。アッティラ=アッテライ=アテルイとなる。モレの由来はモレクである。蝦夷を治めていたアテルイは、陸奥国に進出した紀古佐美率いる朝廷軍を巣伏の戦いで撃退したが、続く大伴弟麻呂、そして坂上田村麻呂率いる朝廷軍にたて続けて敗北した。

父であるためか、田村麻呂はアテルイの助命を嘆願したという。当時の人々であれ、現代の学者であれ、第三者には田村麻呂の真意は理解できなかっただろう。その後、アテルイは河内国で処刑されたとされているが、実際には蝦夷を脱し、太平洋を横断してマヤに落ち延びたようだ。

 

雨神チャクモール(802)
稲妻の神トラロック(802)

 

※日本人の顔をしたアテルイらは「トラロック」を祀り、マヤ人を統治した。トラロックの名の由来はアテルイとモレの組み合わせである。アテルイ+モレ(モレク)=テルレク=トラロックとなる。チャクモールの名の由来はマヤの創造神チャクとモレクの組み合わせである。チャク+モレク=チャクモレ=チャクモールとなる。

人身御供の種族である彼らは、雨乞いの儀式と称して優秀な者を選んで生贄としてチャクモールに捧げた。つまり、雨乞いの儀式の目的は、雨乞いではない。彼らがマヤで実施した雨乞いの儀式の目的は、邪魔者の速やかな排除や、人肉の入手を目的とした殺人である。

 

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藤原内麻呂の子(マヤの人身御供神官)

 

藤原真夏(774~830)

藤原冬嗣 (775~826)

藤原秋継(?~?)

藤原桜麻呂(?~?)

藤原福当麻呂(?~?)

藤原長岡(786~849)

藤原率(?~?)

藤原愛発(788~843)

藤原大津(792~854)

藤原衛(799~857)

藤原助(799~853)

藤原収(?~?)

藤原緒夏(?~?)

 

※藤原内麻呂の子孫がマヤで人身御供の神官を代々務めた。内麻呂の子孫の名が、謎に包まれたマヤの人身御供の神官たちの名前である。彼らは生贄をセノーテと呼ばれた聖なる泉に投げ込んだ。実際には優れた者の排除である。優れた者がいなければ自分たちは安泰だ。アステカ帝国では、今川氏の一族が凄惨な人身御供の儀式を取り仕切っていた。

 

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藤原冬嗣の子(マヤの人身御供神官)

 

藤原長良(802~856)

藤原良房(804~872)

藤原良方(?~?)

藤原良輔(?~?)

藤原順子(809~871)

藤原良相(813~867)

藤原良門(?~?)

藤原良仁(819~860)

藤原良世(823~900)

 

※藤原内麻呂の子孫がマヤで人身御供の神官を代々務めた。内麻呂の子孫の名が、謎に包まれたマヤの人身御供の神官たちの名前である。上の画像のように、内麻呂の子たちは、神官として男たちにボール競技に参加させ、勝利した者を生贄として捧げるという矛盾を強要した。これは強い者の排除である。強い者がいなければ自分たちは安泰なのだ。

 

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藤原良房の子(マヤの人身御供神官)

 

藤原基経(836~891)

 

※藤原内麻呂の子孫がマヤで人身御供の神官を代々務めた。内麻呂の子孫の名が、謎に包まれたマヤの人身御供の神官たちの名前である。

 

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藤原基経の子(マヤの人身御供神官)

 

藤原時平(871~909)

藤原温子(872~907)

藤原仲平(875~945)

藤原兼平(875~935)

藤原忠平(880~949)

藤原良平(?~?)

藤原穏子(885~954)

 

※藤原内麻呂の子孫がマヤで人身御供の神官を代々務めた。内麻呂の子孫の名が、謎に包まれたマヤの人身御供の神官たちの名前である。

 

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藤原時平の子

 

藤原保忠(890~936) 藤原内麻呂玄孫の子

ウバイドゥッラー(?~934) ファーティマ朝初代王 在位909~934

 

藤原経家(1018~1068) 藤原保忠の玄孫

文宗(1919~1083) 第11代高麗王 在位1046~1083

 

※藤原保忠はエジプトに赴き、初代王として「ファティマ朝」を開いている。ファティマの由来は24のティールタンカラに属するパドマプラパである。一方、保忠の玄孫になる藤原経家は高麗の王位を簒奪している。

 

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シンドク(?~?) クディリ王国初代王 在位929~947

ボゴミル(?~?) ボゴミル派教祖

 

※トゥールーン朝が滅ぶと、残党はジャワ島に移り住んでクディリ王国を築いた。クディリの由来は百済(くだら)である。初代王シンドクの時代、クディリ人は早速ブルガリアに侵入して「ボゴミール派」を築いた。

 

アリイェスワラ(?~?) クディリ王 在位1171~1174

 

※アリイェスワラ王の時代、クディリ人はジャワを出撃してフランスに侵入し、「カタリ派」を設けた。カタリの由来はクディリである。カタリ派は同じタナトスの一族に異端と呼ばれ、アルビ十字軍によって掃討された。

 

ジャヤカトワン(?~?) 最後のクディリ王 在位1292~1293
ピナモンテ・ボナコルシ(?~?) 初代マントヴァ公 在位1279~1291

 

リナルド・ボナコルシ(?~?) 第4代マントヴァ公 在位1309~1328

 

※クディリ王国が滅ぶと、クディリ王ジャヤカトワンはマントヴァに移住し「ボナコルシ家」を儲けた。ボナコルシの名の由来はバヌーとクライシュの組み合わせである。バヌー+クライシュ=バヌクラス=ボヌコルシとなる。ピナモンテ・ボナコルシは、マントヴァの僭主となり、「マントヴァ公国」を築いた。

 

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毅宗(1127~1173) 第18代高麗王 在位1146~1170 ※文宗の玄孫

度会行能(12世紀) 渡会氏の祖?

足利義康(1127~1157) 足利氏の祖

源時方(12世紀) 五辻仲兼の父

 

※マヤ人は、メキシコを後に日本に移住した。マヤ人の顔をしたトラロックは日本人と混合し「渡会」の名を生んだ。渡会の名の由来はアテルイである。アテルイ=ワテルイ=度会(わたらい)となる。又、漢字表記「渡会(どかい)」の由来はサドカイである。

度会家行は、日本仏教界と対立し、仏より神が上位であること、外宮信仰を主張した。また、「建武の新政」後の南北朝の動乱では、信楽を制した祖を同じくする多羅尾氏と連合した。渡会氏は南朝方を支援し、南伊勢地区の軍事活動に挺身した。「後醍醐天皇」の吉野遷幸に尽力した渡会氏は、雄として南朝に対して影響力を誇ったという。

 

明宗(1131~1202) 第19代高麗王 在位1170~1197

サラーフッディーン(1137~1193) アイユーブ朝初代王 在位1169~1193

 

神宗(1144~1204) 第20代高麗王 在位1197~1204

崔忠献(1149~1219) 高麗王朝重臣※画像なし

 

康宗(1152~1213) 第22代高麗王 在位1212~1213

アーディド(1150~1171) ファーティマ朝最後の王 在位1160~1171

アリ・マッラ(?~?) マッラ朝初代ネパール王 在位1200頃

 

トゥーラーン・シャー(?~1250) アイユーブ朝第8代スルタン 在位1249~1250

アル=アシュラフ・ムーサー(1245~?) アイユーブ朝第9代スルタン 在位1250~1254※最後の王

 

ジャヤスティティ・マッラ(?~1395) マッラ朝ネパール王 在位1382~1395

住友忠重(?~?) 住友家始祖

 

※住友の名の由来は住友の名の由来はイスマイールとファティマの組み合わせである。イスマイール+ファティマ=スマティマ=住友となる。

 

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度会行継(12世紀) 度会行能の子※画像なし

五辻仲兼(12世紀) 五辻家の祖※画像なし

知訥(1158~1210) 曹渓宗教祖

 

※日本を離れたマヤ人は次に朝鮮半島に渡った。彼らは、知訥(チヌル)を生んだ。知訥は、曹渓宗(チョゲ)を開いた。曹渓(チョゲ)の名の由来はチャクモールである。チャク=チャゲ=チョゲ(曹渓)となる。仏教が弾圧された時代にも朝鮮で勢力を保持し、AD19世紀末には隆盛を喫した。

 

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寿寧宮主(?~?) 第22代高麗王康宗の娘

シャジャル・アッ=ドゥッル(?~1257) マムルーク朝初代スルタン(女性)

 

高宗(1192~1259) 第23代高麗王 在位1213~1259※第22代高麗王康宗の子

イッズッディーン・アイバク(?~1257) マムルーク朝第2代スルタン 在位1250~1257

 

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高宗の子

 

元宗(1219~1274) 高麗王 在位1260~1274

後嵯峨天皇(1220~1272) 第88代天皇

 

王珆(?~1266) 元宗の子

亀山天皇(1249~1305) 第90代天皇

 

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亀山天皇の子

 

晛子内親王(1262~1264)

度会家行(1256~1351) ※度会有行の子

 

後宇多天皇(1267~1324) 第91代天皇

足利家時(1260~1284) ※足利尊氏の祖父

 

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後宇多天皇の子

 

後醍醐天皇(1288~1339) 第96代天皇※五辻忠子の子

 

※五辻の由来はマヤの神イシュチュルである。イシュチュル=いつしる=五汁となるが、いつの間にか五辻となる(少々無理があるが)。

 

後宇多天皇の皇子(1307)※画像無し

足利尊氏(1305~1358) 室町幕府初代征夷大将軍

 

※足利の由来はマヤの神イシュキックである。イシュキック=イシュキク=足利となる。後醍醐天皇と足利尊氏は実際には兄弟である。そのため、2人は最初こそ共に動いていた。

 

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アシュラフ・イーナール(?~1460) ブルジー・マムルーク朝第14代スルタン 在位1453~60※画像なし

世祖(1417~1468) 李氏朝鮮第7代王 在位1455~1468

 

※マムルーク朝スルターンのアシュラフ・イーナールがエジプトから朝鮮に移住し、「勲旧派」を設ける。このときに朝鮮儒教にイスラム教に似た儀礼様式が導入された。

 

アシュラフ・カーイトバーイ(?~1495) ブルジー・マムルーク朝第19代スルタン 在位1468~1495

金宗直(1431~1492) 士林派教祖

懿敬世子(1438~1457) 李氏朝鮮第7代王世祖の子

ジョン・スチュアート(1430~1495)

 

※マムルーク朝スルターンのアシュラフカーイトバイがエジプトから朝鮮に移住し、「士林派」を設ける。士林派(サリム)の由来はイスラムと考えられる。イスラム=イサリム=サリムとなる。

 

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●シャーマニズム

 

※高麗王世祖、桃源君、成宗の子どもたちが世界中に散り、シャーマンになって原住民を支配した。時おりしも白人大航海時代前夜である。新しい世代のタナトスの台頭を許すまいと、世祖の一族は世界に散って原住民を支配しなければならないと感じたのだろう。

そういうわけでシャーマニズムは人類の宗教の原型ではなく、比較的新しい宗教の形である。いや、宗教というよりはシャーマニズムはこけおどしでしかないが、考えてみれば他のタナトスの宗教もみなこけおどしである。一般的に未開の部族は攻撃的だという偏見があるが、タナトス以外の通常の人間は攻撃的になることはない(攻撃的になることを指示されていない限り)。

つまり攻撃的な未開部族がいる場合、実際のところ、彼らはシャーマン(デウスの一族)に操られているに過ぎない。攻撃は彼らの意思ではない。シャーマン(デウスの一族)は所有物を死守したい。そのため、シャーマンは所有物に命じて外部から来た侵入者を攻撃させるのだ(デウスの一族は所有するだけだ)。以下のリストがシャーマンの正体と名前である。彼らは、世界各地のシャーマンの祖である。

 

●世祖の子(シャーマンの正体)

 

桃源君/李暲(生没年不詳)

睿宗/李晄(生没年不詳)

徳源君/李曙(1449~1498)

昌原君/李晟(1458~1484)

阿只(1459~1463)

懿淑公主(1442~1477)

 

●桃源君の子(シャーマンの正体)

 

  • 月山大君(1454~1488)
  • 明淑公主(1455~1482)
  • 成宗(1457~1494) 第9代国王 在位1469~1495
  • ●成宗の子(シャーマンの正体)

 

燕山君 李㦕(1476~1506) 第10代国王 在位1494~1506

順淑公主(1478~1488)

慎淑公主(1481~1486)

中宗 李懌(1488~1544) 第11代国王 在位1506~1544

茂山君 李悰(1490~1525)

徽淑翁主(生没年不詳) 任崇載室

敬淑翁主(1483~?) 閔子芳室

徽静翁主(生没年不詳) 南燮元室

  • 安陽君 李㤚(1480~1505)
  • 鳳安君 李㦀(1482~1505)
  • 静恵翁主(1490~1507) 韓紀正室
  • 恭慎翁主(1481~1549) 韓景琛正室

全城君 李忭(1490~1505)

  • 桂城君 李恂(1478~1504)

恵淑翁主(1478~?) 申沆正室

完原君

ダーナ神族の一族~ディオニュソス、デニエン人、猿田彦、契丹、デーン人、鬼、酒呑童子、ハーバード大学、ジョージ・ワシントン大統領、アメリカ連合国、統一イタリア王国、カナダ、ニュージーランド、阿含宗

 

司神タナトス/冥府の王ハデス(2万年前)

魔犬ケルベロス(2万年前)

悪鬼ケール(2万年前)

復讐の女神エリニュス(2万年前)

 

※「最終戦争ラグナロク」が発生すると、一部ダニ族は、島の北半分が氷河の下に眠っていたブリテン島南部に移住して「司神タナトス」を称し、「魔犬ケルベロス」「悪鬼ケール」「復讐の女神エリニュス」を生んだ。司神タナトスは、先住者ハデス、プルートー、ペルセポネ、ヘカテらを配下に置き、冥府の王ハデスを名乗った。

 

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「ネアンデルタールが切断して焼いた骨がフランス・シャラント県で発掘される」(BC7千年)

 

「ネアンデルタールが36人の子女を食べた痕跡がドイツ・バンベルク洞窟で発掘される」(BC6千年)

 

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ダーナ神族(1万年前)

ディネ族(1万年前)※画像なし

 

※バベルの塔の図

 

※司神タナトスは、大地殻変動後のヨーロッパと北アメリカ大陸を支配していた。彼らはヨーロッパでは「ダーナ神族」、アメリカでは「ディネ」を称した。ディネとダーナの名の由来はディオーネーである。ディオーネー=ディオニュ=ディネとなり、ディオーネー=デオーネ=ダーナとなる。

ダーナ神族はイングランドとヨーロッパを掌握していたが、アイルランド、スコットランドには科学の種族エラド、マハラエル、トバルカインが住んでいた。比類なき科学を誇ってはいても、科学の種族も人間である。つまり、心がある。ダーナ神族は彼らの心を傷つけることを考えた。科学の種族が共存しているアイルランド人、スコットランド人を邪教の信者として確保すれば、科学の種族にイヤガラセができる。そうすれば、悪者扱いして退けたり、強い罪悪感を植えつけて科学の種族の操作も可能となる。ダーナ神族はそう考えた。

これにより、「トロイア戦争」「マー・トゥーレスの戦い」が起きた。トロイア戦争は現アイルランド北部のデリーで起き、マー・トゥーレスの戦いは現フランスのツールで起きた。科学の種族に敗北したダーナ神族は、ヨーロッパからメソポタミアに移り、現人民を支配するためにバベルの塔を建設させた。

 

ディオニュソス(BC5千年)

 

※科学の種族トバルカインの核攻撃でバベルの塔とバビロニア全域が壊滅し、荒廃すると、ダーナ神族は現サハラ砂漠(当時は深緑豊かな土地だった)に向かった。そこには科学の種族の国テーバイ王国が存在した。この時に「ディオニュソス」が生まれた。

バベルの塔時代、スーサに根城があったダーナ神族は、ディオーネーとスーサを組み合わせた。ディオーネー+スーサ=ディオネスーサ=ディオニュソスとなる。ディオニュソスはぶどうの木を盗み、テーバイ王国のぶどう栽培技術とワイン製造技術を権益化し、法整備も行った。このため、テーバイ王国はディオニュソスの許可なしにぶどうを栽培し、ワインを作ることができなくなった。

一方、ディオニュソスは邪教を作り、多くの女性信者を集めた。これは現代で言うところのフェミニズム、性差別反対であり、目的は家族の破壊である。女たちをディオニュソスに取られた男たち(幼子、息子、夫、父)は困惑した。そして、これに異議を唱えると家族の女性に殺害され、信者の集団に八つ裂きにされた。

ソドムとゴモラの時、テーバイ王国は大量の核兵器により壊滅し、サハラ砂漠と化したが、この時にディオニュソスと邪教も一時的に消滅した。しかし、生き残った残党が再度、インダス流域に移った第二テーバイ王国にも出現した。これが「ディオニュソスは二度生まれた」という説話の真意である。

テーバイ王国は古代ギリシアにはなかった。テーバイ王国とは、サハラ砂漠とインダス流域に存在した、科学の種族トバルカイン(善神デーヴァ)の国である。

 

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デニエン人(BC12世紀)

シェルデン人(BC12世紀)

 

※ディネ族はアラスカを発つと、北極圏を通過して大西洋側に出、アイスランド、アイルランドを経由して地中海に帰還した。ディネ族はイタリア半島に上陸し、「ティニア」という神を祀った。ティニアの名の由来はディネである。ディネ=ディニア=ティニアとなる。サルディーニャ島に拠点を得た彼らはデニエン人、シェルデン人を称した。デニエン人は、シェルデン人と共に悪の「海の民」として地中海を荒らした。

 

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ザントス(?~?) テーバイ第16代王 在位BC1126~1089頃

鬻熊(?~?) 初代楚王 在位1099~1050

 

成王(?~BC626) 楚王 在位BC671~BC626

プロトテュエス(BC7世紀) スキタイ王

 

武王(?~BC690) 第21代楚王 在位BC741~BC690

スパルガペイテス(BC7世紀) スキタイ王

 

共王(BC600~BC560) 第27代楚王 在位BC591~BC560

イダンテュルソス(BC6世紀) スキタイ王

 

恵王(?~BC432) 第34代楚王 在位BC489~BC432

アリアペイテス(BC5世紀) スキタイ王

 

簡王(?~BC408) 第35代楚王 在位BC431~BC408

スキュレス(BC5世紀) スキタイ王

 

※デニエン人(シェルデン人)は、ギリシアのテーバイとメッシニアに拠点を築いた。テーバイ人がスキタイ人となり、メッシニア人がマッサゲタイ人となった。スキタイの由来はアッティカとボイオーティアの組み合わせである。アッティカ+ボイオーティア=ティカティア=シカティア=スキタイとなる。そして、マッサゲタイの由来はメッシニアとスキタイの組み合わせである。メッシニア+スキタイ=メッシキタイ=マッサゲタイとなる。

また、スキタイ人は長江流域に国家を築いていた。楚(シュ)である。楚(シュ)の由来はスキタイである。スキタイ=シュキタイ=楚(しゅ)となる。楚王はスキタイ人の王を兼ねていた。歴史ではスキタイ人が喰人を行っていたとされているが、タナトス一族の血を引いているならそれも合点がいく。マッサゲタイ人も喰人を行っていたとされている。彼らは、非常な高齢に達した者を殺して煮て食べたという。

 

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猿田彦(BC945)

 

※「アメン神官団の大航海時代」の東方組に参加したシェルデン人はモレヤ族と共に日本に上陸した。モレヤ族は諏訪国に移住して現地人の混合し、「守屋氏」を称して「洩矢信仰」を興した。シェルデン人は伊勢国に赴いて「五十鈴川」を拠点に「猿田彦」を称した。シェルデン=シェルテ=猿田となり、イシス=イシズ=五十鈴となる。

 

田和(?~BC385) 田斉初代王 在位BC386~BC385

悼王(?~BC381) 第37代楚王 在位BC402~BC381

 

田横(?~BC202) 田斉第16代王 在位BC203~BC202※最後の王

懐王(?~BC206) 第48代楚王 在位BC208~BC206※最後の王

 

※猿田彦は日本から中国に渡り、田和として斉を簒奪し初代王に即位した。また、楚王悼王も演じた。田(ティエン)の由来はデニエンである。彼らは春秋戦国時代に打って出た。しかしBC284年、中国人に嫌われていた田氏は、燕・秦・趙・魏・韓の連合軍により大敗を喫する。

 

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ヴィリアトス(?~BC139) ルシタニア首長

 

※楚、田斉が滅ぶと、王族は地中海に帰還し、イベリア半島に入植した。この時にルシタニア人が生まれた。ルシタニアの由来はサテュロスとデニエンの組み合わせである。サテュロス+デニエン=ロスデニエン=ルシタニアとなる。ルシタニア戦争(BC155~BC139)でローマに対して蜂起するも、イベリア半島が属領と化すと、ルシタニア人はイベリア半島を脱出する。

 


ミシャグチ(BC139)

 

※日本に帰還したルシタニア人は守屋氏がいる諏訪国に移り、「洩矢神」「建御名方神」を簒奪して自身の神である「ミシャグチ」を祀った。ミシャグチの名の由来はマッサゲタイである。マッサゲタイ=マサゲチャイ=ミシャグチとなる。その後、諏訪氏が「中先代の乱」を起こすと、ミシャグチは諏訪国を出て日本各地に移り、「溝口氏」を称した。溝口の名の由来はミシャグチである。この系統からは映画監督溝口健二が輩出されている。

 

高階師尚(864~916) 信濃守

 

※939年の天慶の乱などの発生によって地方武士が台頭を始めると、一部ミシャグチは諏訪国を発ち、インドを目指した。日本人の顔をした彼らはヒンドゥー教・シヴァ派を学び、「シャクティ派」を形成した。シャクティの名の由来はマッサゲタイ、或いはスキタイである。

 

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カヤ・マジャ(?~?) ガーナ王国初代王 在位350頃

マジャン・ジャベ・シッセ(?~?) ガーナ王 在位790頃※最後の王

 

※イベリア半島を脱出した一部ルシタニア人はイベリア半島を南下し、西アフリカに入植した。現地人と混合したルシタニア人は「ダン族」を称した。不幸なことだが、ルシタニア人の到来と共にカニバリズムが初めてアフリカに伝えられることとなった。白人列強時代、白人の探検家や屈強な船乗りたちの間でも黒人ダン族は人喰いとして有名だった。黒人ダン族がガーナ王を代々務めた。

 

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ガーナパトヤ派(4世紀頃)

 

※一部黒人ダン族は、アフリカを出て海路の旅に出た。南アフリカを周航してインド洋を超え、アンダマン諸島に到達するとカニバリスムを伝えた。更に、インド本土に足を伸ばし、ヒンドゥー教・シヴァ派に接触した。彼らは、「ガーナパトヤ派」を形成した。ガーナパトヤの名の由来はガーナとシヴァの妻パールヴァティーの組み合わせである。ガーナ+パールヴァティー=ガーナヴァティー=ガーナパトヤとなる。 

 

求那跋陀羅(394~468)

 

※黒人ダン族は、インドを北上して西域に入った。彼らは大宛を目指した。黒人ダン族は、大宛の別称「フェルガーナ」の名を生んだ。フェルガーナの名の由来はバアルとガーナの組み合わせである。西アフリカから来た鬼は、ガーナ王国の威光を借りんとガーナの名を持ち出した。バアル+ガーナ=バアルガーナ=フェルガーナとなる。

一方、黒人ダン族は大宛に「求那氏(グーナ)」を生んだ。求那の名の由来はガーナである。大宛に集合したタナトスの末裔たちは、AD6世紀頃に仏教を用いてアジアを征服する計画を立てた。求那氏からは、求那跋摩、求那跋陀羅が出て「菩薩善戒経」「雑阿含」などを著した。求那氏は仏教経典を著しながら、インド洋に出て人間狩りを行い、人肉を食べていた。

 

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カナク族(4世紀頃)

 

※現ミンダナオ島に上陸した黒人ダン族はニューカレドニアに赴いて人食い人種として知られる「カナク族」を生んだ。カナクの由来はガーナキ(ガーナの人)である。ミンダナオの名の由来はアンダマンとダナーンの組み合わせである。アンダマン+ダナーン=マンダナーン=ミンダナオとなる。この時、アフリカ各地と同様にフィリピンにもカニバリズムが伝えられた。現在でも、カニバリスムに根ざした犯罪が時折フィリピンで発覚している。

 


サアロア族(4世紀頃)

 

※黒人ダン族はミンダナオの次に台湾に上陸した。この時にサアロア族が生まれた。サアロアの名の由来はジャラワである。ジャラワ=サアラワ=サアロアとなる。サアロア族には首狩りの風習があったという。

 


チャルーア族(4世紀頃)

 

※更に、太平洋を越えた黒人ダン族は南アメリカに上陸した。この時にチャルーア族が生まれた。チャルーアの名の由来はサアロアである。サアロア=チャロア=チャルーアとなる。チャルーア族は喰人行為を行っていた。

 

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多彌可汗(?~?) 契丹首長 在位585

フグレイク(?~?) デンマーク王 在位515

 

李失活(?~718) 契丹王 在位697~718

オンゲンダス(?~?) デンマーク王 在位710

 

悔落拽何(?~794) 契丹王 在位788~794

ジークフリート(?~790) デンマーク王 在位770~790

 

※イフェ王国の神官は「オニ」と呼ばれたが、この「オニ」の地位を持つ黒人ダン族が、ついに日本に上陸した。日本人を狩って食べていた黒人ダン族は「イフェの神官」を意味する「オニ」を自称したため、日本人に「鬼」と呼ばれた。阿用、大江山など鬼の巣として知られる地名はナイジェリアの地名「オヨ」から来ている。じつは、この日本人を食べる「鬼」の正体は契丹の王族だった。

契丹(キタイ)の由来はスキタイである。契丹の王族はモンゴルとバルト海を往来し、デンマークの王族としてデンマークを治めていた。デンマークの王族はデーン人である。デーンの由来はダンである。そして、デンマークの由来はダンとモレクの組み合わせである。ダン+モレク=ダンモレク=デンマークとなる。
山奥などに村を作って拠点としていた契丹は、里に降りて子女を誘拐し、食べたり、後継者を得るために子を生ませていた。というわけで、鬼が人間を食べたり拉致する説話が「出雲国風土記」「日本霊異記」「今昔物語」「伊勢物語」などに数多く残されている。日本各地に残る鬼の伝説から、平安時代を訪れた契丹(人喰い人種「黒人ダン族」)の生活を垣間見ることができる。鬼の子として生まれた「小綱」の話は有名だが、成人した彼は人を食べたくなったので自殺したと言われている、恐ろしきは、タナトスの血だろう。

 

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鮮質可汗(?~882) 在位860~882
ハーフダン(?~877) デンマーク王 在位871~877

 

ハーデクヌーズ1世(?~940) 在位936~940

耶律堯骨(902~947) 契丹第2代皇帝 在位927~947

 

ゴーム老王(908~958) デンマーク王 在位936~958

耶律阮(919~951) 契丹第3代皇帝 在位947~951※画像なし

 

※フランク王国の王座を狙っていたデーン人の首領ビヨルンは、ヴァイキング・ノルマン人の連合と対立していた。この時、残虐なデーン人の侵攻に困っていたシャルル2世がヴァイキングの首領ヴィーラントにデーン人退治を要請した。

ヴァイキングに敗北したデーン人はフランク王国征服を断念し、イングランドに移った。これ以降、デーン人は大陸に出没することはなくなったが、イースト・アングリアに足場を得ると、現ヨークシャーを拠点にスコットランドとの境からロンドン近辺にまで至る広大な植民地を得た。
黒人、日本人、モンゴル人の特徴を持つデーン人はイギリス人と混合し、金髪・碧眼の白人の容貌を得た。しかし、ウェセックス王国のアルフレッド大王がデーンローを侵食しながら領土を拡大すると、AD910年、デーンローはウェセックス王国に飲み込まれて消滅した。

 

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ラージャラージャ・チョーラ1世(947~1014) チョーラ朝第9代王 在位985~1014
酒呑童子(?~?)

 

※デーンローを失ったデーン人は、イングランドを後にした。彼らは故地ダナーンを目指し、紅海、インド洋を越えてベトナムを目指した。だが一部は、アフリカ大陸周航ルートとシルクロードを経由して日本に帰還した。彼らは「鬼」を復活させた。「酒呑童子」の誕生である。アフリカ周航ルートを採った人々は「酒呑童子」「茨木童子」「葛城童子」「八瀬童子」を称し、シルクロード組は「熊童子」を称した。酒呑の名の由来はサクソンとブリテンの組み合わせで、茨木の名の由来はイベリア人、葛城の名の由来はカスティーリャで、八瀬の名の由来はヘスス(イエス)、そして熊の名の由来はクマン族である。
サクソン+ブリテン=サク(酒)+テン(呑)=酒呑(しゅてん)、イベリアキ(イベリア人)=イバラキ=茨木、カスティーリャ=カツリャ=葛城、ヘスス=ハチセ=八瀬となる。つまり、酒呑の名には、ウェセックス王国のアルフレッド大王にデーンローを奪われた悔しさが込められ、残りの何は通過した土地の名を由来にしていることがわかる。

また、海路組と陸路組は連合して「星熊童子」「虎熊童子」「金熊童子」を儲けている。星熊の名の由来はアッバースとクマンの組み合わせ、虎熊の名の由来はトルコとクマンの組み合わせ、金熊の名の由来はガーナとクマンの組み合わせである。海路組が通過して印象的だった土地(アッバース朝、セルジューク・トルコ帝国、ガーナ王国)とクマンの名が組み合わせられているのがわかる。

 

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ハーラル1世(925~985) デンマーク王 在位958~985

先皇帝(924~979) 丁朝初代ベトナム皇帝 在位966~976※画像なし

耶律璟(931~969) 契丹第4代皇帝 在位951~969※画像なし

耶律賢(948~982) 契丹第5代皇帝 在位969~982※画像なし

 

ハーラル2世(989~1018) 在位1014~1018

廃帝(974~1001) 丁朝第2代ベトナム皇帝 在位979~980※画像なし

 

エーリク3世(1090~1137) デンマーク王 在位1134~1137

耶律大石(1087~1143) 西遼初代王 在位1124~1143 ※画像なし

 

スヴェン2世エストリズセン(?~1074) 在位1047~1074

ラーマーヌジャ(1017~1137) ラーマーヌジャ派教祖※画像なし

 

クヌーズ5世(1129~1157) デンマーク王 在位1146~1157

耶律夷列(?~1163) 西遼第2代王 在位1151~1163

 

※840年にウイグル王国が滅亡すると、黒人ダン族は正統なウイグル人、ナイマン人と共にモンゴルを後にし、北極海ルートを辿ってバルト海に現れた。黒人ダン族はここに「デーン人」を称した。また、ウイグル人は「ヴァイキング」を称し、ナイマン人は「ノルマン人」と呼ばれた。ヴァイキング時代の幕開けである。それぞれの名前の由来は不明とされ、全員が一緒くたにされることもあるが、実際にはヴァイキングやノルマン人は、ウソつきで非情なデーン人を忌み嫌い、別行動を取り、またあからさまに対立することがあった。
デーン人がダブリンに侵攻した際には「黒い異邦人」と呼ばれている。しかし、モンゴル人に混合しつつ、黒人ダン族の面影を残したデーン人が、ヨーロッパ人から「黒い異邦人」と呼ばれたとしてもおかしくはない。

 

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ダンカン1世(1001~1040) ダンケルド朝スコットランド王 在位1034~1040

 

アレクサンダー3世(1241~1286) ダンケルド朝スコットランド王 在位1249~1286※最後の王

 

ロバート1世(1274~1329) ブルース朝スコットランド王 在位1306~1329

ラドゥ・ネグル(1269~1310) 初代ワラキア公 在位1290~1310

 

デビッド2世(1324~1371) ブルース朝スコットランド王 在位1329~1371※最後の王

 

※奈良時代・平安時代前期に鬼として日本人を震え上がらせたデーン人は、ヴァイキング時代を挟み、再度、日本に返り咲いて鬼の世を謳歌していた。しかし、酒呑童子が渡辺綱(953~1025)に成敗されると、それを機に童子一行は日本を逃げ出して、はるばるブリテン島にまで帰還した。

時期的には1000年前後のことと考えられる。イングランドではなく、スコットランドに拠点を構えた彼らはマルカム2世の子息に接近し、マルカム2世の孫を称した。これが「ダンケルド家」の祖ダンカン1世である。ダンケルドの名の由来はデーンとカレドニアの組み合わせである。デーン+カレドニア=デンカレド=ダンケルドとなる。

 

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ラドゥ・ネグルの子

 

ダン1世(1354~1386) 初代ダネスティ家ワラキア公 在位1383~1386

ヴラド1世(?~1397) 第2代ダネスティ家ワラキア公 在位1394~1397

 

ダン2世(?~1432) 第3代ダネスティ家ワラキア公 在位1420~1431

 

モイス(?~1530) ダネスティ家ワラキア公 在位1529~1530※ダネスティ家最後の公

 

※ダネスティ家はワラキア公の座を諦めるとイングランドに渡った。彼らはダンスターを称した。ダンスターの由来はダネスティである。

 

ペーター(1547~1569) ドラクル家ワラキア公 在位1559~1568

ロバート・ブラウン(1550~1633) 会衆派教祖、ピルグリム・ファーザーズ

ジョン・グリーンウッド(1556~1593) 清教徒分離派、ピルグリム・ファーザーズ

ヘンリー・バロウ(1550~1593) 清教徒分離派、ピルグリム・ファーザーズ

 

※画像はピルグリム・ファーザーズの集い。ダネスティ家ヴラド1世の末裔ワラキア公ペーターは22歳で死んだことにしてワラキアを離れ、ブリテン島に移住した。彼は、ロバート・ブラウンとして会衆派を指揮し、影武者を動員してピルグリム・ファーザーズを演じ、信者を率いてアメリカに移住した。ピルグリム・ファーザーズはタナトスの一族なので、助けてくれたインディアンの恩を容易に仇で返した。

 

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ロバート・ブラウンの9人の内の子

 

ヘンリー・ダンスター(1609~1658) ハーバード大学初代学長

ローレンス・ワシントン(1659~1698)

 

※ヘンリー・ダンスターは、タナトス一族の子女に権威を与えるためだけにハーバードを設立したと考えられる。ハーバード設立の目的は、タナトス一族の発言力増大と影響力の拡大である。ハーバード卒という権威を得たタナトス一族の子女は、エリートとして司法、議会、マスメディア、経済界に送り込まれ、影響力を誇った。

また、ダンスターは49歳で死んだことにして潜伏し、数十年後にローレンス・ワシントンとして再登場した。ローレンスは初代大統領ワシントンの祖父である。89歳まで生きたことになる。

 

ジョン・ワシントン(1631~1677)

カルロ・エマヌエーレ2世(1634~1675) サヴォイア公

 

ヴィットーリオ・アメデーオ2世(1666~1732) 初代サルデーニャ王 在位1720~1730

 

ヴィットーリオ・アメデーオ・ディ・サヴォイア(1699~1715) ヴィットーリオ・アメデーオ2世の子

アグスティン・ワシントン(1694~1743) ローレンス・ワシントンの子※画像なし

 

ヴィットーリオ・アメデーオ3世(1726~1796) 第3代サルデーニャ王 在位1773~1796

ジョージ・ワシントン(1732~1799) アメリカ初代大統領

 

※ワシントンの正体はサルデーニャ王アメデーオ3世であり、ローレンス・ワシントン(ヘンリー・ダンスター)の孫。ワシントンはインディアン政策に関してインディアンの皆殺しを指示した。これはタナトスの一族の証拠である。第2代アメリカ大統領以後は、みなベンジャミン・フランクリンの子であり、ダヴィデの一族に属していた。

 

ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世(1759~1824) 第5代サルデーニャ王 在位1802~1821

フィリッポ・ブオナローティ(1761~1837) カルボナリ会員

 

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ジョージ・ワシントンの孫パーク・カーチスの子

 

フランクリン・ピアース(1804~1869) アメリカ第14代大統領

ジュゼッペ・マッツィーニ(1805~1872) イタリア統一の三傑

 

※ピアースは、ワシントンの孫パーク・カーチスの4人の子の内の1人と考えられる。パーク・カーチスの子は娘のメアリー・アナ以外は早世したとされているが、1人は死んだことにして潜伏し、ピアースとして登場した。片手を胸に入れているのはフリーメイソン会員のアピールである。兄弟だからか、ピアースはデイヴィスに良く似ている。

 

メアリー・アナ・カーチス・リー(1807~1873) ロバート・E・リー妻

 

ロバート・E・リー(1807~1870)  南部連合軍総司令官

ジュゼッペ・ガリバルディ(1807~1882) イタリア統一の三傑

ナポレオン3世(1808~1873) フランス第二帝政初代皇帝

 

ジェファーソン・デイヴィス(1808~1889) アメリカ連合国初代大統領

カミッロ・カヴール(1810~1861) サルデーニャ王国・イタリア王国首相、イタリア統一の三傑

 

※ロバート・E・リーもデイヴィスも、じつは死んだとされているはずのパーク・カーチスの子の可能性がある。パーク・カーチスの頭の中には祖父ワシントンの栄光の再興、そのためのアメリカ連合国創設があった。万全を帰すため、パーク・カーチスは子どもたちを死んだことにして潜伏させ、反合衆国の思想を叩き込み、育てたのだろう。

しかし、南北戦争に敗北し、アメリカ連合国が滅亡すると、ピアースたちはアメリカを諦めてサルデーニャ王国に渡り、イタリア統一の三傑に変身してイタリア王国統一を実現させている。カルボナリ会員もみな、サルデーニャ家の人々など家族で構成されていた。

 

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カルロ・アルベルト・ディ・サヴォイア(1798~1849) 第7代サルデーニャ王 在位1831~1849

アントニオ・パニッツィ(1797~1879) 大英博物館第6代館長、カルボナリ会員※画像なし

ピエトロ・マロンチェッリ(1795~1846) カルボナリ会員※画像なし

 

マリーア・テレーザ・ディ・サヴォイア(1803~1879) ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世の子※画像なし

ヘンリー・シーウェル(1807~1879) 初代ニュージーランド首相

 

マリーア・クリスティーナ・ディ・サヴォイア(1812~1836) ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世の子※画像なし

ウィリアム・フォックス(1812~1893) 第2代ニュージーランド首相

アルフレッド・ドーメット(1811~1887) 第4代ニュージーランド首相

フレデリック・ウィテカー(1812~1891) 第5代ニュージーランド首相

ダニエル・ポーレン(1813~1896) 第9代ニュージーランド首相

ジョージ・グレイ(1812~1898) 第11代ニュージーランド首相

 

※ニュージーランドの由来は「新しいシェラント(デンマーク領の島)」だと考えられる。 つまり、ニュージーランドの統治者はデーン人の子孫であることを暗に告げている。

 

ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世(1820~1878) イタリア王国初代王 在位1849~1861

ヨハネ・ボスコ(1815~1888) サレジオ会教祖

ジョン・A・マクドナルド(1815~1891) 初代カナダ首相

 

※カナダの由来はクヌード(クヌード海上帝国の王)と考えられる。つまり、カナダの統治者はデーン人の子孫であることを暗に告げている。

 

ヴィットーリオ・エマヌエーレ(1855~?) ジェノヴァ伯爵※画像なし

ロバート・ボーデン(1854~1937) 第8代カナダ首相

 

ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世(1869~1947) イタリア王国第3代王

リチャード・ベッドフォード・ベネット(1870~1947) 第15代カナダ首相

ウィリアム・ライアン・マッケンジー・キング(1874~1950) 第12、14、16代カナダ首相

 

ジョルジョ・カルヴィ・ディ・ベルゴーロ(1925) ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世の孫※画像なし

桐山靖雄(1921~2016) 阿含宗管長

 

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ライオネル・ゲンドロン(1943) カナダ・カトリック会議司教

 

※数十万のカナダ人カトリック信者を自由自在に操ることができる。カナダのラジコンマスター。

 

 

 


アブラハムの一族~シュメール文明、エフライム族、バアル、アフラマズダー、ゾロアスター教、マケドニア王国、聖徳太子、ピサ共和国、奥州藤原氏、フランシスコ・ピサロ、ヴァーサ朝、フィンランド共和国

 

アベラム族(4万年前)

 

※ニューギニアの部族であるアベラム族は、エピアルテースとクリュメネーの合体部族である。エピアルテース+クリュメネー=エピアリュメ=アベラムとなる。その後、アベラム族はダニ族に簒奪されたと考えられる。

 

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「シュメール人の大航海時代」(BC40世紀)

 

※この「シュメール人の大航海時代」により、ダニ族が約1万年ぶりに海外に進出を果たした。ニューギニアに寄ったシュメール人は、モニ族(メネストー)だけを招待したはずだが、モニ族の中には、ダニ族(ペガサス)、カウレ族(クリュサオル)の神官が紛れ込んでいた(アベラム族も参加していた)。

 

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チムー王国(BC40世紀)

 

ポング・マッサ(?~?) チムー王国新王朝初代王 在位BC40世紀

パエス・マッサ(?~?) チムー王国新王朝第2代王 在位BC40世紀

オシャ(?~?) チムー王国新王朝第3代王 在位BC40世紀

イェム・ピサン(?~?) チムー王国新王朝第4代王 在位BC40世紀

 

※名前をトラッキングすると、シュメール人はメソポタミアではなく、現ポメラニア~ラップランド付近で生まれている。シュメールの由来はセム(サーミ人)とエウリュトス(アイルランドの神エールまたは科学の種族エラド)の組み合わせである。セム+エウリュトス=セムエウリュ=シュメールとなる。フォモールも、ハム(ハミ族)とエウリュトス(科学の種族エラド)の組み合わせで生まれた。

その後、シュメール人は「シュメール人の大航海時代」に乗って古代アンデスに入植し、「チムー王国」を築いた。このときに本格的にシュメール文明が育まれた。シュメール文明はバルト海で生まれ、アンデス山脈で育まれたのだ。チムーの由来はセムである。

 

旧王朝の最後の王フェム・パエクは、チョトのニャム・パシヤエクの祭壇を盗もうとして彼を誘惑したある美しい婦人の呪縛に陥った。この冒涜の行為が、30日続く洪水と不作と飢えの年をもたらした。神官たちはこの報復にフェムパエクの手を括って海に投げ込んだ。旧王朝が滅んだ後、チムーの征服が行われた。「アンデス文明(L・G・ルンブレラス著)」より

 

※北欧を発ったシュメール人が、地中海、紅海、インド洋を越えてニューギニアに立ち寄り、モニ族(メネストー)を南米への旅路に誘うと、ダニ族やカウレ族がこそこそと隠れてこれに参加した。これにより、ダニ族、カウレ族は古代ペルー~古代チリ(ナスカ砂漠~アタカマ砂漠)に移住した。

ダニ族は、創造神アイ・アパエク崇拝、月の女神シ・アン崇拝の神官を装い、邪教によって大量の弱者を確保し、数で圧倒する形でチムー王国の優れた指導者を上記の如く退けた。タナトス特有の「敵が悪であれば殺しても良い」という手法が踏襲されているのが分かる。上記にリストアップした歴代チムー王は、人身御供を主催する邪教の神官も兼ねていただろう。

 

チムー人の間では、神殿への不敬と民法の違反は生き埋めにより罰された。盗賊を見つけるのに助けてもらうため、月とオリオン座に生贄が捧げられた。犯人が捕まると、両親や兄弟たちも被害者に引き渡され、処刑された。

呪医と妖術師の間には、はっきりした区別があった。前者は国家に養われ、薬草を使ってその職業活動を行ったが、後者は蔑まれるか恐れられるかした。男女の妖術師が集まって人肉を食い、性の乱交が行われた。「アンデス文明(L・G・ルンブレラス著)」より

 

※ダニ族神官は、人身御供を導入して優れた人々を公的に排除し、カニバリズムを持ち込むことで、人類の美徳を廃した。男女の妖術師が集まって乱交とカニバリズムの饗宴に浸る部分は、現在のディープステートがやっていることと全く変わらない。

 

主要な人物は籐の敷き床の上に仰向けに寝かされ、欠けた所がなかった。しかしその上に乗った遺体は首を斬られ、手と首がなかった。第3の人物の頭蓋と長い骨はあとの二人の周りに散乱していた。首を斬られた人物は明らかに中心の人物が埋葬されたとき、生贄に捧げられたものである。「アンデス文明(L・G・ルンブレラス著)」より

 

※タナトスの一族にとって、人身御供とは公的に了承された敵の排除であるし、同時に、公的に許可された、人肉を調達する最良の手段でもある。アンデスで生贄にされた少女のミイラが発見されているが、一般的には、なぜそのような少女が生贄に処されたのかは不明だ。しかし彼女は、「誰でも好きになるような人物」だったと考えられる。


「誰でも好きになるような人物」は存在する。全ての人類にとって、人生の中でそのような人物に巡り合うことは至上の喜びだろう。タナトスはそのような人物を最も警戒・敵視する。なぜなら、そのような人物は説明が不要だからだ。目があれば、その人物が優れていることは誰にでもわかるのだ(例え、言語を介しない赤ちゃんや犬でも)。そのような人物は、タナトスの僧侶のように、見せかけの肩書きを掲げ、役に立たない能書きを垂れる必要も無い。それ故、タナトスはそのような人物を危険視する。
そのような人物は、特に何もしなくとも、存在するだけでタナトスのウソを暴いてしまう。そして、誰も彼らの命令に耳を貸さなくなる。タナトスはそれを一番恐れている。発言力と城壁を失うことを非常に恐れている。

 

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アブラム(BC35世紀)

 

※聖書の人物アブラムは、現ペルーの古代アンデス山脈で生まれたと考えられる。アブラムの由来はアベラムである。アブラムは、息子とされているイサクを神に捧げようとしたことから人身御供の神官だったことがわかる。アブラムを長とする神官一族の拠点はアプリマック川流域にあった。アプリマックの由来はアベラムとリマック(リマの古名)の組み合わせである。

 

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「サムエルの大航海時代」(BC35世紀)

 

※ウソしかつかない、汚らわしいダニ族を嫌った優れた人々は、出羽国に住んでいた科学の種族に、ダニ族の始末を嘆願した。科学の種族はこれを当然の如く承諾し、数千発の核兵器をダニ族の領土にお見舞いした。そのため、ダニ族と共に大量の信者や彼らが簒奪した都市は砂漠と化した(ナスカ砂漠など)。

「サムエルの大航海時代」を企画したシュメール人は出羽国を目指してペルーを脱出した。しかし、サバイバルを遂げた一部ダニ族は、この船団にも忍び込んで出羽国にまでやってきた。シュメール人がペルーから出羽国に移住したときにイスラエル王国の伝説が始まった。

 

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エフライム族(BC35世紀)

 

※尾張国を建て、「エフライム」と呼ばれたアブラムは、その後、カナン(夏時代の中国)に渡った。エフライムの由来はアベラムである。アベラム=アベライム=エフライムとなる。この頃にアブラムからイブラヒーム、アブラハムなどと呼ばれるようになったと考えられる。

尾張国は、シリアにあった都市国家エブラと同一だと考えられる。また、アフラマズダーの名はまだ無かったが、尾張国はアフラマズダーと同義だったと考えられる。つまり、アフラマズダーと対立していたダエーワとは、科学の種族トバルカインが住む出羽国のことである。

 

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稲妻の神バアル(BC35世紀)

勝利の女神アナト(BC35世紀)※画像なし

 

※「モーゼスの大移動時代」に参加したエフライム族はカナン(夏時代の中国)に、バアルとアナトを生んだ。バアルの由来はエピアルテースであり、アナトの由来はTANATOS(タナトス)の反対SOTANATである。SOTANAT=ANAT=アナトとなる。バアルとアナトは常にセットであり、夫婦、或いは兄妹とされている。

 

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ブラフマン/梵天(BC30世紀)

アフラマズダー(BC30世紀)※画像なし

ゾロアスター(BC30世紀)※画像なし

ヴァイシュラヴァナ/毘沙門天(BC30世紀)

 

※BC30世紀に「黙示録アルマゲドン」が発生。大量の核兵器によってモンゴル~チベットは壊滅し、放射能によって砂漠化した。アルマゲドンを機に、エフライム族は古代イランに落ち延びていた。当時のイランはズルヴァーンと呼ばれていたが、彼らはイランを「エフライムスタン」と呼んだ。このエフライムスタンが、後に「アフラマズダー」へと変遷が加えられた。ブラフマンとアブラハムは同義であるが、ブラフマンはこのときに生まれた。

このときにヴァイシュラヴァナの名も生まれた。ヴァイシュラヴァナの由来は24のティールタンカラに属するヴァースプージャとズルヴァーンの組み合わせである。ヴァースプージャ+ズルヴァーン=ヴァースルヴァーン=ヴァースルヴァーナ=ヴァイシュラヴァナとなる。一方、エフライム族はイランを「シュレースタン」とも呼んだ。シュレースタンの由来は24のティールタンカラに属するシュレーサーンサである。このシュレースタンはやがて変遷が加えられ、「ゾロアスター」となる。

 

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クーベラ(BC12世紀)※画像なし

ラーヴァナ(BC12世紀)

 

※ヴァイシュラヴァナはカブールを拠点にしていたため「クベーラ」と呼ばれた。また、ラーヴァナと呼ばれ、アルバ・ロンガ王国(アラビア半島~スリランカ)とラクシャサ(エジプトのヒクソス)を支配下に置いていた。ラーヴァナは、アラビア半島にあったローマ王国(ラーマ王子)と戦い、敗北した。

 

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カラノス(?~?) マケドニア王国初代王 在位BC808~778

 

※「マハーバーラタ戦争」の後、ヴァイシュラヴァナとティールタンカラの子孫がマケドニア王国を築いた。カラノスの名の由来はクロノスである。そして、マケドニアの由来はアプリマックとティールタンカラの組み合わせである。アプリマック+ティールタンカラ=マックダン=マクダナ=マケドニアとなる。インドのマガダ王国とは、実のところ、マケドニア王国のことである。

 

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アルガイオス1世(?~BC640) マケドニア王国第5代王

テイスペス(BC700~BC640) 初代アンシャン王

 

アエロポス1世(?~BC576) マケドニア王国第5代王 在位BC602~BC576

キュロス1世(?~BC580) 初代アンシャン王 在位BC640~BC580

 

※数人のマケドニア王は古代イランに進出してペルシア帝国の礎を築くが、ダヴィデの一族であるダリウス大帝に簒奪され、追放されてしまう。追放されたマケドニア王の残党はバルト海に移ってプロイセン人(ペルシア由来)、クール人(キュロス由来)となり、北方十字軍の時に十字軍と戦った。

 

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ペルディッカス3世(?~BC359) マケドニア王国第23代王

バルディリス(BC448~BC358) ダルダニア王国初代王 在位BC393~BC358

マハーパドマ(BC450~BC362) ナンダ朝初代マガダ王

 

※マケドニア王国にアレクサンドル大王が出現すると、マケドニア人はダルダニア王国を築き、マケドニア王国を攻撃した。ダルダニアの由来はティールタンカラである。ティールタンカラ=ティールタン=ダルダニアとなる。初代王バルディリスの名はペルディッカスと被っているため、同一人物と考えて良い。

 

アンティパトロス(BC397~BC319) マケドニア王国摂生

オクシュアルテス(?~?) ※ロクサヌの父

ピリッポス3世(BC359~BC317) マケドニア王国第7代王

ダナナンダ(?~BC321) ナンダ朝第9代マガダ王 在位BC329~BC321※最後の王

 

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アレクサンドロス4世(BC323~BC309) ※ロクサヌの子

天種子命(?~?)

大田田根子(?~?)

 

※アレクサンドル4世は14歳で死んだことにして地中海を脱出した。マケドニア人は種子島に移住した。彼らは、「タナトスの子」を由来にタネコを称し、「種子」の漢字を当て字した。彼らは、その無人島を「種子島」と命名した。また、同時に中臣氏の祖と呼ばれた「天種子命」が誕生した。

種子島を発ち、大和国に入植したマケドニア人は、大物主神を祀っていたタナトス一族と連合し「大田田根子」を生んだ。大田田根子の名の由来はOTANと種子の組み合わせである。OTAN+種子=OTA+田根子=大田田根子となる。

 

カッサンドロス(BC350~BC297)

国栖族(?~?)

土蜘蛛(?~?)

 

※種子島から来たアレクサンドル4世の一族が「土蜘蛛」を結成すると、後進のカッサンドロスの一族は「国栖族(クズ)」を結成し、両者は連合を組んだ。土蜘蛛の名の由来はギリシャ語「ドグマ(組織)」である。ドグマに漢字「土蜘蛛(どぐも)」を当て字したものを、後世の人々が訓読みで「ツチクモ」と呼ぶようになった。クズの名の由来はカッサンドロスである。記録によると、土蜘蛛は睦国から肥後国に至る日本各地に拠点を築いた。

 

アレクサンドル(?~?) ※アンティゴノス朝マケドニア王デメトリオス1世の子※画像なし

アショーカ(BC304~BC232) マウリヤ朝第3代王マガダ王 在位BC268~BC232

 

※マケドニア王デメトリオス1世の子アレクサンドルがアショーカとしてマウリヤ朝マガダ王に即位すると、武力によって仏教の布教を始めた。このときに初めてインドに仏教が伝わり、マガダ王国もヨーロッパからインドに移った。

 

ブリハドラタ(?~BC180) マウリヤ朝第12代マガダ王 在位BC187~BC180※最後の王

 

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カンディク アヴァール王国初代カガン 在位554~559

蘇我稲目(506~570)

 

※アヴァールの由来はアブラハムである。

 

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蘇我稲目の子

 

蘇我堅塩媛(?~?)

蘇我馬子(551~626)

蘇我小姉君(?~?)

 

※柔然(ローラン)がアヴァール王国を掌握すると、正統なアヴァール王カンディクはカティアナとジョアンの姉妹、その子供たちを率いてシルクロードを渡り、満州に辿り着き、日本に上陸した。カティアナは「蘇我堅塩媛」を称し、ウーマックは「馬子」を称し、ジョアンナは「小姉君」を称した。

カティアナは自身の名に堅塩(かたえん)と当て字し、ジョアンナは小姉(しょうあね)と当て字した。蘇我堅塩媛は欽明天皇と結婚したが子供たちは欽明天皇の血を引いてはいない。額田部皇女(アガタの当て字)を含めた全員がアヴァールからの連れ子である(つまり、白人の顔をしていた)。

 

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蘇我堅塩媛の子

 

額田部皇女/推古天皇(554~628) 第33代天皇

 

橘豊日皇子/用明天皇(?~587) 第31代天皇

 

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蘇我小姉君の子

 

穴穂部間人皇女(?~622)

泊瀬部皇子/崇峻天皇(553~592) 第31代天皇

 

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穴穂部間人皇女の子

 


厩戸皇子/聖徳太子(574~622)

 

※アンナは「穴穂部間人皇女」を称した。穴(あな)の名の由来はアンナであり、穂部(ほべ)の名の由来はアヴァールである。穴穂部間人皇女は従兄弟の用明天皇(大兄皇子=オーウェン)と結婚している。AD604年には聖徳太子が「十七条憲法」を制定し、推古天皇と共に奈良時代の日本に君臨した。故地から逃亡したアヴァール人の王統が、奈良時代の日本で、この世の春を謳歌していたのだ。

 

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聖徳太子の子

 

山背大兄王(?~643)

 

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山背大兄王の子(難波麻呂古王、麻呂古王、弓削王、甲可王、尾治王)

 

山背大兄王孫(?~?)

パオロ・ルチオ・アナフェスト(?~717) ヴェネツィア共和国初代ドージェ 在位697~717

 

※ヴェネツィアの由来はウェネト族(ガリア人)、ウェネトの由来はアナト。アナト=ウェネト=ウェネティ=ヴェネツィアとなる。

 

安禄山(705~757) ソグド軍人※山背大兄王の孫?

ゴーパーラ1世(?~780) パーラ朝初代王 在位750~780※画像なし

ナーガパタ1世(?~780) プラティパーラ朝初代王 在位750~780※画像なし

ダンティドゥルガ(?~756) ラーシュトラクータ朝初代王 在位735~756※画像なし

クリシュナ1世(?~774) ラーシュトラクータ朝第2代王 在位756~774※画像なし

ゴーヴィンダ2世(?~780) ラーシュトラクータ朝第3代王 在位774~780※画像なし

テオダート・イパト(?~755) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位742~755※画像なし

ガラ・ガウロ(?~756) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位755~756※画像なし


※蘇我入鹿はティールタンカラの一族の血を引いていたため、アブラハムの一族である山背大兄王を襲撃した。山背大兄王は、蘇我入鹿に襲撃されて自害して果てたと言われているが、実際にはインドに逃亡した可能性がある。山背大兄王は、兄弟の財王、日置王、白髪部王、長谷王、三枝王、伊止志古王、麻呂古王と子息の難波麻呂古王、麻呂古王、弓削王、甲可王、尾治王を伴って日本を脱出し、インドに移住した。
山背大兄王の孫と思われる安禄山は、ソグド人の軍人として唐に仕えていたが、反旗を翻した後に成敗された。そのため、インドに移り、750年頃に「パーラ朝」「プラティハーラ朝」を開いた。ゴーパーラ1世とナーガパタ1世は在位が同じであるため同一人物である。パーラの名の由来はアヴァールであり、プラティハーラの名の由来は24のティールタンカラに属するヴァルダマーナとパーラの組み合わせである。アヴァール=アパール=パーラとなり、ヴァルダマーナ+パーラ=ヴァルダパーラ=プラティハーラとなる。

更に、安禄山はラーシュトラクータ朝も開いたと考えられる。ラーシュトラクータの由来はツゥアラストラ(ゾロアスター)と百済(くだら)の組み合わせである。ツァラストラ+クダラ=ラストラクダ=ラーシュトラクータとなる。

 

アモーガヴァルシャ1世(801~878) ラーシュトラクータ朝第6代王 在位814~878

ボニファス1世(?~823) 初代トスカーナ候、ピサ共和国元首 在位812~823

オルソ1世(?~881) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位864~881

 

マヒーパーラ1世(?~1043) パーラ朝第10代王 在位995~1043

ヌリパ・カーマ(?~1047) ホイサラ朝初代王 在位1022~1047

ドメニコ・フラバニコ(?~1043) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1032~1043

安倍忠良(?~?) 安倍頼時の父

 

※マヒーパーラ1世の時に、「ホイサラ朝」を開いている。ホイサラの由来はヴァイシュラヴァナである。ヴァイシュラヴァナ=ヴァイシュラ=ホイサラとなる。また、蝦夷で安倍忠良を演じているが、安倍の由来はアブラハムである。

 

ナヤパーラ(?~1058) パーラ朝第11代王 在位1043~1058

安倍頼時(?~1057) 陸奥国奥六郡俘囚長

藤原経清(?~1062) 陸奥国亘理郡豪族

 

クマーラパーラ(?~1129) パーラ朝第16代王 在位1124~1129※画像なし

藤原清衡(1056~1128) 奥州藤原氏初代当主

コンラド(?~?) トスカーナ侯、ピサ共和国元首 在位1120~1129※画像なし

ドメニコ・ミケーレ(?~1130) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1117~1130

 

ゴーパーラ3世(?~1143) パーラ朝第17代王 在位1129~1143※画像なし

ヴィシュヌヴァルダナ(?~1152) ホイサラ朝第5代王 在位1110~1152

ドメニコ・モロシーニ(?~1156) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1148~1156

藤原基衡(1105~1157) 奥州藤原氏第2代当主

 

マダナパーラ(?~1162) パーラ朝第18代王 在位1143~1162※画像なし

藤原秀衡(1122~1187) 奥州藤原氏第3代当主

ヴェルフ6世(1115~1191) トスカーナ候、ピサ共和国元首 在位1152~1162

 

ゴーヴィンダパーラ(?~1174) パーラ朝第19代王 在位1162~1174

藤原泰衡(1155~1189) 奥州藤原氏第4代当主

源義円(1155~1181)

ヴェルフ6世(1115~1191) トスカーナ候、ピサ共和国元首 在位1167~1173

ヴィタル2世(?~1172) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1156~1172

 

藤原国衡(?~1189)

源義経(1159~1189) 源義円同母兄弟

オリオ・マストロピエロ(?~1192) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1178~1192

 

※謎が多い奥州藤原氏の正体はインド王であり、聖徳太子の末裔だった。そして、これまた謎が多い源義経は、奥州藤原氏、藤原秀衡の子であった。そのため、義経は奥州に逃げたのだ。

 

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ツチ族(824頃)

 

※多禰国の廃止を機に、種子島に居住していたマケドニア人の子孫が種子島を発ってインド洋を横断し、異邦の地アフリカ大陸に上陸した。まず、エチオピアに根城を得た彼らは、「ツチ族」を称した。ツチの名の由来は種子(しゅし)である。シュシ=チュチ=ツチとなる。

 

海西女直(1170頃)

 

※イスラム教のヌビアへの侵入を機にアビシニアを出たツチ族は、2手に分かれて南東に移住した。東方組は、満州にいる兄弟建州女直を頼って満州に移住した。アフリカ人の顔をした彼らは、満州人と混合して「海西女直」を築いた。

彼らは、「ナラ」「ウラ」「ハダ」「ホイファ」「イエヘ」「エホ」の部族を海西女直の中に新規に加えた。ナラの名の由来はポントスとガイアの子「ネーレウス」であり、ウラの名の由来はガイアの子「ウラヌス」であり、ハダの名の由来はクロノスの子「ハデス」であり、ホイファの名の由来はウラヌスとガイアの子「ポイベー」であり、イエヘの名の由来はウラヌスとガイアの子「イーアペトス」であり、エホの名の由来はウラヌスとガイアの子ヒュペリオーンの子「エーオス」である。

 

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リヴォニア帯剣騎士団(1292~1237)

 

バッラーラ2世(?~1220) ホイサラ朝第7代王 在位1173~1220

ウェンノ(?~1209) リヴォニア帯剣騎士団団長 任期1204~1209

エンリコ・ダンドロ(?~1205) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1192~1205

 

ナラシンハ2世(?~1238) ホイサラ朝第8代王 在位1220~1238

ヴォルクィン(?~1236) リヴォニア帯剣騎士団団長 任期1209~1236

 

※リヴォニアの由来はヴァイシュラヴァナ、或いはラーヴァナである。ラーヴァナ=ラーヴァニア=リヴォニアとなる。

 

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バッラーラ4世(?~1346) ホイサラ朝第12代王 在位1342~1346※最後の王&画像なし

バサラブ1世(?~1352) バサラブ家ワラキア公 在位1310~1352

バルトロメオ・グラデニゴ(?~1342) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1339~1342

アンドレア・ダンドロ(?~1354) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1342~1354

 

ミカエル1世(?~1420) バサラブ家ワラキア公 在位1417~1420

マソ・デグリ・アルビッジ(?~1417) フィレンツェ候 在位1382~1417※画像なし

ミケーレ・ステーノ(?~1413) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1400~1413 

トマッソ・マケニゴ(?~1423) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1413~1423

 

アレクサンドル1世(1397~1436) バサラブ家ワラキア公 在位1431~1436

ヴラド2世(1395~1447) ドラクル家ワラキア公 在位1436~1442

リナルド・デグリ・アルビッジ(1370~1442) フィレンツェ候 在位1417~1434

 

※バサラブの由来はヴァイシュラヴァナである。ヴァイシュラヴァナ=ヴァイシュラヴァ=バサラブとなる。ヴラドの由来は24のティールタンカラに属するヴァルダマーナである。

 

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ピエロ・ソデリーニ(1450~1522) フィレンツェ共和国トスカーナ候 在位1502~1512

アンドレア・グリッティ(1455~1538) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1523~1538

ヨハン・クリスティエンソン・ヴァーサ(?~?) グスタフ1世祖父※画像なし

 

フランシスコ・ピサロ(1470~1541) コンキスタドール

エリク・ヨハンソン・ヴァーサ(1470~1520) グスタフ1世父

 

ラドゥー7世(1500~?) ドラクル家ワラキア公 在位1535~1536※画像なし

ゴンサロ・ピサロ(1502~1548) コンキスタドール

グスタフ1世(1496~1560) ヴァーサ朝初代スウェーデン王 在位1523~1560

 

※ピサロとヴァーサの名の由来はバサラブ、或いはヴァイシュラヴァナである。

 

カール9世(1550~1611) ヴァーサ朝第5代スウェーデン王 在位1599~1611

アントニオ・プリウリ(1548~1623) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1618~1623

上杉景勝(1556~1623) 米沢藩初代藩主

 

ジギスムント(1566~1632) ヴァーサ朝第4代スウェーデン王 在位1592~1599

フランチェスコ・エリッツィオ(1566~1646) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1631~1646

加藤嘉明(1563~1631) 陸奥会津藩初代藩主

 

ルドヴィコ・マニン(1725~1802) ヴェネツィア共和国ドージェ 在位1789~1797

松平容貞(1724~1750) 会津松平家第4代

 

レオポルド2世(1797~1870) トスカーナ大公 在位1824~1859

松平義建(1800~1862) 美濃高須藩第10代藩主

土方隼人(?~?)※画像なし

 

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松平義建の子

 

徳川慶勝(1824~1883) 尾張藩14代藩主※松平義建の子

日向内記(1826~1885) 白虎隊隊長※画像なし

 

フェルディナンド4世(1835~1908) トスカーナ大公※レオポルド2世の子 在位1859~1860

松平容保(1836~1893) 会津藩第9代藩主※松平義建の子

土方歳三(1835~1869) 新撰組※土方隼人の子

近衛忠房(1838~1873) 近衛家28代当主

フレドリク・イデスタム(1838~1916) ノキア創業

 

※レオポルド2世は日本に進出し、土方隼人を称し、土方歳三を儲けた。土方は残酷な面を持っていたが、それはタナトスの一族の証しだろう。土方の名の由来はヴィジゴート(西ゴート王国)である。ヴィジゴートの地から来たことを示している。

 

近衛篤麿(1863~1904) ※近衛忠房の子

松平義勇(1859~1891) 美濃高須藩第13代藩主、松平義建の子※画像なし

ペール・スヴィンヒュー(1861~1944) フィンランド第3代大統領

 

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松平容保の子

 

松平容大(1869~1910) 会津松平家11代陸奥斗南藩主

津軽英麿(1872~1919) ※近衛忠房の子

カールロ・ユホ・ストールベリ(1865~1952) フィンランド初代大統領

ユホ・クスティ・パーシキヴィ(1870~1956) フィンランド第7代大統領

 

松平保男(1878~1944) 会津松平家12代目当主

ラウリ・クリスティアン・レランデル(1883~1942) フィンランド第2代大統領

松平慶民(1882~1948) 松平慶民の子、初代宮内府長官※画像無し

 

※会津藩松平家はフィンランド共和国を築いた。フィンの由来はヴェネツィアだと考えられる。日露戦争で日本(本願寺の帝国)が勝利(真の勝利ではないが)した時、フィンランド人が喜んだのはそのせいだろう。

 

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松平慶民の孫

 

松平永芳(1915~2005) 靖国神社第6代宮司

ヨハンネス・ヴィロライネン(1914~2000) フィンランド第44代首相

 

※松平永芳は、A級戦犯の合祀を実施したことでしられている。

 

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松平容保の孫

  

松平保定(1926~2011) 会津松平家13代目当主※画像無し

マウノ・コイヴィスト(1923~2017) フィンランド第9代大統領

卜部亮吾(1924~2002) 昭和天皇侍従※画像無し

 

松平保久(1954) 会津松平家14代当主、松平容保曾孫※画像無し

エスコ・アホ(1954) 第58代フィンランド共和国首相、ノキア重役

 

 

 



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