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ジーン編9

 看護係のジーンと森林の中の小道を散歩することになったオレは、ジーンからいきなり、本物のナイフを手渡され、正直、唖然とした。

「さあ、いきましょうか」

 ジーンがナイフをオレに向けて構える。理由はよくわからなかったが、オレは、ジーンとナイフで闘うしかなさそうだった。――女性の考える事は、オレには理解ができない。

 

 

 

 ジーンは、ナイフを右から振り下ろす。オレは後ろに身をかわす。ジーンの攻撃をナイフで受けとめる。ギリギリいう金属音。この女性の力はかなり強い。

 オレは、闘い始めてからすぐに、その攻撃を受け止められない自分に気がついたのだ。長期間、寝ていたためか。

 思うように、体が動かない。

 

 ジーンはナイフをはね上げる。一瞬で体を立て直す。オレはナイフを垂直に動かすけれども、――頭で思う動作に、体の動きが追いつかないのだ。
 

 ジーンは次に左足を引いて、左上からナイフを腰のあたりに。オレはその刃先を払うので精一杯で、格好悪く倒れないようにだけ、片足を一歩退いて体を安定させる。こんな時に見栄っ張りでどうする?

 ジーンのナイフの切っ先が光る。左へ右へと、踊るように。 

 

 オレの右腕のあたりから、ジーンはナイフを一気に左へ。外套が切れる。一瞬上げて、ジーンのナイフのつかを横から力まかせにたたく。でもその、力が出ないのだった。
 

 吐く息が熱い。ジーンは一歩引き、今度はどこからナイフが来るのか、とオレはなんとか身構えるフリをした。もう、立っているのが難しい。汗が多量に流れた。

 

 すると、ジーンは一気にぽとりとナイフを落とした。

 

「はい、そこまで!」
 ガイの声だ。

 

 ガイは器用に足を太い枝にからませたまま、ジーンの首に曲刀を突きつける。父と闘った時と同じ、忘れられない曲刀。見慣れない形だったので覚えている。
 

 はっきり言って、オレにはよく状況がわからなかった。オレは、消されかけたのか? そんなはずは無い。ジーンは妙に平然とした顔をしている。

 

「ガイ、いつの間に――」
 オレは息を大きく吐いて吸って、その木の方を見上げた。ガイは、木の上に逆さに立っている男。そんな風に見えた。

 

「ごめんなさい。ちょっとやりすぎました。今日はここまでにしましょうか」
 ジーンは、首のあたりの曲刀が、見えていないかのように微笑んだ。

 

「ここまで、って何だよ。てめえ、キャメルにナイフ向けてただろ。ごまかさずに、いいか、正直に言え。お前、何らかの目的で、キャメルを消しに来たんだな。違うか」
 ガイは、曲刀をジーンの首ギリギリまで近づけた。

 

「そういう風に見えましたか? ならごめんなさい。でもそれだったら、なぜ、わたしがキャメルさんをどうかする必要があるのよ?」
 ジーンは怯える事も無く、まっすぐに上のガイを見た。オレは疲れて座りこんだ。寝たきりから回復したばかりで、いきなり無理な運動は良くないようだ。
 

 ガイは切っ先でジーンの白い首をなぞった。
「だから、本当の事を言えっての」
 ジーンの首から赤い筋が伝う。ガイは息を吸って、続けた。

「お前、少なくとも外国人だろ。俺は目的なんざ知らねえわ。外国で何があったか、こんな田舎村には伝わっても来ねえぜ。てめえ、何かのスパイか? 外国で何かあって、この外国人みてえなキャメルを――」

 

「ガイ、もうよせ」
 オレは、座ったまま、腕を組んで言った。

「ジーンはオレを消しに来たんじゃない。賢いガイならわかるだろ」

 

「何が賢いんだ。バカだから疑ってかかるんだよ!」
 ガイは叫ぶように言って、曲刀の角度を少し変えた。首から血が出ているのに、ジーンはまっすぐにガイの目を見ていて、動じもしない。

「さあ、吐いてもらおう」

 

「だからよせと言ったろ!」
 オレは少し声を荒げた。息が切れてがらがらした声になった。

 

 オレにはうまく言えないが、確信があった。この女性はオレを消しに来たのではない。 

 あれだけ力があるのなら、まだ散歩くらいしかできないオレを、誰にも見つからないうちに消す事など簡単だ。それに、療養所に運ばれてきたあの頃、口にミルクがゆが入ってくる、あのスプーン。あの熱さと味。あれに、オレはどれだけ感謝しているか。

 

「ジーンはオレを消しに来たんじゃない。それはわかる。そういう目的だったなら」
 オレは重い体を起こし、少しだけ歩いて、落ちていたナイフを両手でそっと拾った。

 

「こんなもの、消す相手に与えないだろう」
 二本のナイフだ。座りながら両手をかかげた。逆さのガイに見えるように。
「オレだったら、消したい相手にナイフなんか与えないな」
 

 ガイは切っ先を少し引いた。まだ警戒はしているように見えた。納得のいかないような顔だ。

 

 ジーンが少し、口を開いた。
「誤解があったら、ごめんなさいね。何もキャメルさんを消そうなんて、していないです。面倒な看護の仕事ばかりです。これでは体がなまってしまいます」

 

 ジーンは少しうつむいて言った。首に伝う赤いものを、見てさえいないようだ。
「あの療養所で話すのはどうかと思う話を、したかっただけよ」
 

 ジーンはそれから、黒い目を、森の深い方へ流した。

「キャメルさんは、きっと勇敢な、外国の戦士様だったのでしょう? なぜか、黒い小人さんと、仲がいいけど」

 


この本の内容は以上です。


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