目次
11月の星座 ペガスス座
11月の星座「うお座」
柿が赤くなると医者が青くなる!?
イチョウの由来はアヒルの足
イチョウの効用
美しい景色を眺める季節
芭蕉の忌日「時雨忌(しぐれき)」
国際的行事の『七五三』
冬の足音~もみじ狩り~
秋の養生法
冬への扉を開く木枯らし1
日光の節約
飛行機雲でわかる天気
魅惑の星「すばる」
簡単な、天気図の見方
山の天気は変わりやすい!
亥の月の亥の日
決断の背景
厳父と言うべき、武家の教育
人知を超越した直観力
十二支の動物物語
老化と一番関わりのある臓[腎]
体とは実に賢くできている
プラス思考と免疫力
乳が んのリスクを減らす7つの方法
気陰・気血の不足解消法  
円形脱毛の治療法は?
生活習慣病に克つ、気血水について
体に炎症がある時の養生の仕方
セカンドオピニオン
血圧不安に効く養生
更年期と鬱
月の満ち欠けと体のリズム
気陰両虚の便秘
欝は心の便秘、愚痴は心の排泄物
元気な人の落とし穴
徳川時代から続く現代日本人の就職観
徳川家の兵学校
痛くない注射針
酒で3年、茶で10年
道標となるもの
一人カラオケ
ラムウィンナーティー
心臓のポンプ力を助ける
新大陸発見が世界の料理を変えた!
世界有数の長寿国として知られる日本…。
歴代総理大臣出身地図に見る「たかが総理されど総理」
冷凍食品中心にする企み、失敗
現場の判断は正しい?
中国料理の謎
握り寿司物語
いま『うどん』アツい!
なんでマナーって必要なの?
源頼朝の隠し子伝説
戦国を知らない子供たち
世界史を学ぶ
縄文時代に想いをはせて栗を食す
朝粥のすすめ
消えてしまった北京宮廷料理
デザートという食文化
即席めんを発明し世界の食文化を変えた男 安藤百福 前編
特定保健用食品[エコナの問題]
塵も積もれば山となる
キャシュレス社会の到来 
ややこしい?名前の付け方
ネット難民にならないように
アバウト、のんびり、ニュージーランド
『古事記』の神々(その8)
古代中国人と戦前までの日本人 
蛙が教える努力の素晴らしさ
猪対策はコレ!
何もしない贅沢な時間
郵便集荷車は緊急車両?
飛行機で偉いのは?
車載の「縫いぐるみ」タマにはお洗濯しませんか?
ご先祖様のおかげで
奥付
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山の天気は変わりやすい!

秋はくだもの狩りやハイキングなど、山へ行く機会が何かと多いのではないでしょうか?。そこで今回は、山の天気について説明したいと思います。
空気は、温度によって含むことのできる水蒸気の量が決まっていて、それは気温が高いほど多くなっています。また、低いところから高いところに空気を持ち上げると、その温度は下がります。そこで、地上にあった空気をある程度の高さまで持ち上げて、どんどん気温が下がると、含めないほどたくさんの水蒸気を持っていることになります。するとその水蒸気は水滴になり、そうやってできた水滴が雲となり、やがては雨を降らせます。だから台風などで平地から山地に向けて、暖かく湿った空気が吹き付けると、大量の雨が降ったりするのです。
山で雨が多いもう一つの要因は木々にもあります。木の葉というのは、水蒸気を放出しています。だから、おのずと水蒸気の量が増えて、雲ができやすくなる環境にあるのです。
恐いのは何も、雨だけではありません。特に車を運転する人が気を付けないといけないのが霧です。「山に発生する霧は、地上から見上げると雲だ」と言われます。つまり、霧も雲と同じで、雨の卵なのです。
また、よく晴れた風のない夜は「放射冷却現象」といって、地表付近の熱が空気中に放出されて、ぐんと気温が下がります。そうするとますます霧が発生しやすくなります。この霧も、平地よりも山地で多く発生します。
かく言う私も、山道で霧に遭ったことがあります。初冬の真夜中で、車道のそばには街灯も少なく、おまけに走ったことのない道だったので、ハンドルを握っている手がいつのまにか冷や汗びっしょりになっていました。
みなさんも、山には気を付けましょう!
 (気象予報士 チャーリー/絵:吉田たつちか)2004-11


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亥の月の亥の日

旧暦の月の俗称として十二支を当てて呼ぶことがありますが、旧暦10月(新暦で11月)に当てられるのは亥(猪・いのしし)で、俗に亥の月(いのつき)と呼ばれます。

猪の肉は食用にもされ料理の隠語で「ぼたん肉」といって、兵庫県の丹波や神奈川県の丹沢地方などでは猪の肉を鍋に仕立てた「ぼたん鍋」が郷土料理として有名です。

この「ぼたん」という隠語が使われるようになった由来には諸説ありますが、その昔大陸から伝わった仏教により獣肉を食べる事が禁忌とされていた時代の事、しかし猪の肉は滋養に富むと言われ山間の民にとって重要な栄養源でありました。

そこで、民達は猪の肉を食べるために隠語を用いる事を思いつき、猪の肉を「ぼたん」と呼んで食べてきたといわれているのです。

別名・山鯨(やまくじら)と呼ばれるのも、かつては鯨も魚とみなされていた事から魚なら食べても良いだろう、という山間の民の知恵の一つなのです。またその滋養強壮効果から「薬喰い」とも称されました。他の獣肉にも隠語を用い、馬肉は「さくら」、鹿肉は「もみじ」などと呼び、またうさぎを1羽、2羽と鳥類と同様に数えるのも、鳥とみなして食べるための隠語に由来するといわれています。

また亥は中国の陰陽五行説によると水性の干支となり、火難を逃れるという信仰があったことから、亥の月の亥の日に炬燵(こたつ)や囲炉裏(いろり)を開くと火災にならないと信じられていました。

現在も茶道界では亥の月の亥の日に畳にきった炉を開き火を入れる「炉開き(ろびらき)」という行事が行われ、別名茶人の正月ともいわれる大変重要な年中行事の一つです。菓子は「亥の子餅(いのこもち)」という名の、餡を餅で包んだ菓子が付き物です。

長い冬に備えて滋養のある肉を食べて英気を養い、火の安全を水の干支である亥に祈念して暖の準備をする。

亥の月にはそんな先人の知恵が込められた暖かさが溢れているのです。

 (文:現庵/絵:吉田たつちか)


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決断の背景

昭和34年(1959年)8月14日・・・、東急の創始者にして、強引な吸収合併を繰り返したことから、「強盗慶太」と呼ばれた五島慶太翁が亡くなったとき、翁の晩年、二人の人物が五島翁に食い込んでいた。

ひとりは、小佐野賢治。もう一人は、ホテルニュージャパン火災で悪名を高めた横井英樹。

五島翁逝去で名実共に東急のTOPとなった翁の息子の五島昇氏(元日本商工会議所会頭、故人)は、この二人に対してどのような処遇をする決定を下したか。

五島昇の決定は「小佐野は残し横井だけを切る」というものでした。

このとき、東急内部には、「この際、小佐野も切るべきだ!」という声もあったと言いますが、五島昇は、その声を抑えて、敢えて、小佐野は残した。

このときの、「小佐野と横井」の差は一体、何だったのか?

五島昇は1916年8月、東急財閥の御曹司として誕生しています。

小佐野は、1917年2月、山梨県甲州市勝沼町に住む家さえない極貧の小作農の長男として誕生。

横井は、1913年7月、愛知県中島郡平和町(現・稲沢市)の貧しい農家にて誕生。

つまり、五島昇と小佐野は同学年であり、小佐野と横井は同じような生い立ちから、徒手空拳でのし上がってきたという共通体験を持っていたと言えるわけです。

このとき、五島昇と小佐野賢治は同学年の43歳、まるで違う生い立ちをもった二人の同級生はお互いをどうみていたのか・・・。

私には、二人の間には、何か微妙な友情があったように思えるのです。

横井英樹のみは3つ年上の46歳・・・、三人ともほぼ同世代と言ってよかったでしょう。

ただ、それが、片方は従来通り、出入りを許され、もう片方は出入り禁止となった。

結論を言えば、それが「小佐野は一個の小佐野であったが、横井は一個の横井ではなかった」ということなのだと思います。

小佐野は、ロッキード事件に連座したことで、どうしても、「政商」としてのダーティなイメージが強いようですが、一方で、五島慶太翁もさじを投げた会社の立て直しに成功するなど、会社再建に対する手腕には翁さえも一目おいており、別に東急に寄生しなくとも十分に一個の事業家として存在していたといえるでしょう。

それに対し、横井は、同じく、白木屋乗っ取りなどで総会屋を巻き込んだ、その手段を選ばぬ抗争劇やその結果として、自ら、暴力団の襲撃を受けるなどというダーティな面は小佐野と同様だったのかもしれませんが、ただ小佐野が東急とは別個に会社を持ち、東急とは同盟関係に近い意識を持っていたのに対し、横井はあくまで、五島慶太の名を利用し、大東急に寄生することで利益を得ようとする寄生虫に過ぎなかったようです。

五島昇の目は間違ってなかったようで、小佐野はロッキードに連座したものの、山梨交通を始め数多くの倒産寸前の会社を立て直し、かつ、「人切り」をしない事業家として、その評価は没後さらに高まっていると言われるのに対し、横井はホテルニュージャパン火災では、数々の違法運営により、多くの犠牲者を出し、業務上過失致死傷罪で禁固3年の実刑判決を受けるに至ったことからも明白であったろうと思います。

ちなみに、

小佐野賢治は1986年死去。享年69歳。

五島昇は1989年死去。享年72歳。

横井英樹は1998年死去。享年85歳

(文:小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)


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厳父と言うべき、武家の教育

 10月27日は吉田松陰の命日でした。寅次郞少年(松陰)は、幼時、叔父であり、師でもあった玉木文之進について兵学・政治学など、様々な学問を学んだと言われていますが、それ以上に教えられたのが、武士というもののあり方・・・というものだった。
 文之進にとっての「武士」とは、即ち、「私心を持たない」と言うことだったようで、あるとき、講義中に寅次郞の額に虫がとまり、痒かったので、つい手でポリポリと掻いてしまった。それを見た文之進は、突如、烈火の如く怒り、寅次郞に殴る蹴るの凄まじい暴行を加えたと言います。この光景を見た寅次郞の母、タキは、後年、「息子は死んだと思った」そうです。

文之進に言わせると、「痒みは私。講義は公(おおやけ)に役立つ為にやるのであるから公。とすれば、掻くことは私の満足である。それをゆるせば長じて人の世に出たとき、私利私欲をはかる人間になる。だから殴るのだ。」ということだったそうですが、現代人から見ると、少々、理不尽なようにも思えますが、やはり、松陰という人格を形成する上では必要なことだったのかもしれません。暖かく前向きな母だけで、後の吉田松陰が出来たわけでもないということでしょうか・・・。

 一方で、こういった話は、武士の世界ではそれほど突飛なことでもなかったようです。豊臣秀吉の初期の軍師、竹中半兵衛重門についても同じような話が伝わっています。竹中半兵衛と言えば、当代きっての知恵者として知られていた人物ですが、我々のイメージでは、動の黒田官兵衛、静の竹中半兵衛といった印象の白面の物静かな文学青年といったところではないでしょうか?

 この半兵衛が子供たちへの軍学の講義中、子供の一人が黙って席を立ったそうです。戻ってきて、「どこへ行っていた?」と聞かれたので、「厠(トイレ)へ行ってました。」と答えた途端、普段、物静かな父が烈火の如く怒りだし、まさに玉木文ノ進状態で激しく折檻されたと言います。

 曰く、「竹中の家の子供が軍学の講義の途中で、尿意を催したのなら、何故、垂れ流さん!『竹中の家の子は、軍学の講義に夢中になった余り、尿意すら忘れて垂れ流した。』と言われてこそ、竹中の家の誉である!」と。

 これも、理不尽と言えば理不尽のようにも感じますが、これは私には何となくわかる気がします。要 は   「覚悟」の問題を言いたかったのでしょう。「竹中の家は軍学者の家である。その家の子供は、小便をすることすら気づかぬほど軍学に打ち込んでいる。」と。

 私がまだ子供の頃、材木の上に土足で乗ったところ父からほぼ同じような折檻をされたことがあります。大工の家の子供が、材木に土足で乗ったらいけないというのは、一々、教えられるまでもなく、当然、見知っておいてしかるべし・・・というものだったのでしょうか。

 しかし、文ノ進も半兵衛も、教育者とは言え、とんでもない教育者ですよね・・・。

 身近にいないでよかった・・・、居たか(笑)。

(小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)


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人知を超越した直観力

アメリカの第二次大戦の英雄、ジョージ・パットン将軍は、その猛将としての一面とは別に、「詩人としての資質を持ち、毎晩、聖書を読む敬虔なクリスチャン」だったといわれています。

パットンの軍人としての能力の卓越さを際だたせている一つには、その「人知を超越」したような直感力にあったともいわれています。

彼の部下の情報将校は「パットンはその心霊的な感知器を使って、陸軍情報部よりはるかに情勢について先んじていた」と語っていますが実際、彼にはそういうエピソードを少なからず、残しています。

オマール・ブラッドレー大将の回想によると、「パットンが三個師団を率い、コブレンツ近くでモーゼル川を渡り、迅速に南へと歩を進めている時、突如、彼は前進をやめ部隊を集結させた。すると、翌日、強烈な攻撃を受けたのだ。しかし彼は行進を止め隊列を整えていたので、それを撃退することができた」などということもあったとか。

さらに、パットンの甥によれば、パットンはテレパシー、デジャヴ、輪廻転生などを強く信じていたそうで、それによれば、彼は自分がかつてトロイア戦争で戦ったことがあり、また違う時代にはユリウス・カエサルの第十軍団で戦い、さらに時が下ってスチュワート朝のためにも戦い、最後は、ナポレオン麾下のミュラ陸軍元帥ともに馬を走らせている一将軍であった・・・と信じていたという。

パットンは、大戦終結直後の昭和20年(1945年)12月9日、自動車事故にあって首の骨を骨折し、これにより、首から下は麻痺してしまったが、このときも、病院でパットンは看護婦に、「2週間しないうちに死ぬ運命なので、治療をしても、納税者の支払ってくれたお金の無駄になるだけだ」と語ったと言われており、その予言通り、12日後の12月21日、息を引き取った。

しかし、私は、幾つかは、本当にそうだったとしても、幾つかは、彼の司令官としてのカリスマ性を高めるための演出と、周囲もそれを望んだ結果・・・ではなかったかと思っております。

戦場では、彼のこういう人知を越えた力というのは、ワラにもすがりたい心境の兵士たちにとっては大いに心強い・・・、有り難いものであって、幕僚も、統帥力強化のために、それを必要としたのではないかと・・・。

人知を超越したような直感力と言えば、やはり、ミスター・プロ野球と言われた、長嶋茂雄さんが有名ですが、彼は、現役時代、チャンスになると、ベンチの中で誰彼構わずに足を踏みつけて出て行ったそうです。

踏まれた方は、皆、「痛い!」と思っていても、日頃の彼の「片方の足に2足、靴下を履いて、靴下が片方ないと言って探した」などという奇行を知っている同僚らは、「まあ、長島さんだから仕方がないか・・・」ということになり、そこで、快打を飛ばすと、奇行も信仰になってしまうのでしょう。

でも、よく見ていたら、長島さん・・・、川上哲治監督の足だけは踏んでいなかったのだとか。

(文:小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)


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十二支の動物物語

年末になると、次の年の干支にちなんだ行事や商品が目に付きます。元々は、暦を示すものであり、戦国時代からは、方向や日付、年月、時間を記す為にも用いられました。一年が十二ヶ月であるので、十二支、庶民が覚え易いように、身近な動物を組み入れていったという説があります。

では、何故、子丑寅…という順番になったのでしょう。こんな昔話が残っています。お釈迦様の下に、新年のご挨拶に動物達が行くことになりました。ネズミは体が小さいので、誰かに乗せてもらった方が、楽です。そこで、優しい牛に声を掛けました。牛は歩くのが鈍いので早目に出るが、それでもいいならばと、快く引き受けてくれました。ネズミは飛び上がって喜びました。さて、ネズミの天敵、ネコはどうでしょう。

身近な動物であるにも関わらず、十二支の中に入っていません。実は、ネズミはネコに、挨拶に行く日を一日ずらして教えたのです。

ご挨拶前日、牛はネズミを背中に乗せて、ゆっくりながらもお釈迦様の下に参ります。一番乗りだと、牛は思いました。所が、ネズミが背中からひょいと飛び降りたので、一番を逃してしまいました。ネズミはチチッと笑い、牛は「モウー」と悔しがったとのこと。

ネコはというと、一日ずらされた情報により十二支には入れず、悔しさにネコんでしまい、腹立ち紛れにネズミを追い回すようになったそうです。

犬猿の仲と言われる、申と戌の間には、仲をトリ持つ、酉が入っています。お釈迦様の前だけでは、喧嘩をしてくれるなと。

十二支は、中国から伝わり、日本のみならず、ベトナムやタイ、意外にも東ヨーロッパでも使用されています。国により、多少の動物の違いはありますが、ほぼ同じと考えて間違いありません。ロシアでは、日本や中国と全く同じ、十二支が使われているようです。遠く離れた異国でも、同じ干支を使っていると考えたら、ぐっと近くに感じますね。

(文:コラムニスト 朝比奈うろこ/絵:吉田たつちか)


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老化と一番関わりのある臓[腎]

腎は中医学では「先天の本」とされ生命の源泉であり、人間の生命や発育・成長などに深く関係していると考えられています。

 五行では「水」に属し、膀胱・骨髄・歯・脳・髪・耳・生殖器・肛門などが腎の働きの系統を形成しています。

 腎は人体を構成機能させる基本物資である「精気」を貯蔵します。精気は人間の成長・発育や生殖能力に深く関係しているので、腎の精気を蓄える機能が生命活動の根源になっています。腎の力が弱まると、まずは髪が白くなったり腎の府である腰に症状が出てきます。足腰がだるい、足腰の関節が痛む・・・・などです。

 また、腎は耳と通じており、耳に関わる症状も出やすくなります。耳鳴り、難聴、耳が遠くなった、眩暈、物忘れ・・・・等ですね。腎は水を主る。水液代謝の中心的な役割を果たしているので、力が弱まるとむくみやすくなったり、あるいは頻尿や夜尿で悩まされる こともあります。女性の方に多いのですが、咳をしても尿が漏れる・・・などの症状も腎の衰えです。

 恐れや不安の感情は、腎の老化を早めますので、取り越し苦労をしないでくださいね。

(薬剤師、薬食同源アドバイザー 高田理恵/絵:吉田たつちか)



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