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冬まだ明けやらぬ、3月半ばの野付半島先端部。

最果ての汀に風は無く、視界全周が乳白の霧に沈んでいる。

所轄の巡査3名と地元の漁師5名、砂利道の終端から霧に覆われた対岸の砂嘴を見詰めていた。

若い漁師が船外機付きの小舟を、ボートトレーラーから海面に降ろし準備を進めている。

「本当に、赤ん坊の泣き声だったのかい?」

「間違いねぇよ、お巡りさん。この時期まだウミネコも少ねぇし聞き間違える訳ねぇ、ありゃどう聞いても人の子の泣き声だ・・・眼の前の砂嘴の方向から、一人や二人の泣き声じゃねえ・・・霧の中から、ぞっとするような物悲しい声だった・・・。」

小舟の準備が終わって全員が乗り込み、船外機を始動させ北西に舟を進める。

浅い海面が群青に色を変え、乳白の大気とのコントラストが際立った。

10分程で、穏やかな対岸の砂浜に上陸すると、直ぐに砂上の足跡が眼に入る。

打ち上げられた海草と地を這う低木との際の辺りに、踏み荒らされた痕があった。

「―――歩いてここまで来るのは?」

「砂嘴の根元から廻りこんで、歩いて来れないこともねぇが、途中酷くぬかるんだ場所が続くんで、ちゃんとしたガイドを付けないと無理だろうね。」

「一番外側の砂嘴には、さっきの砂利道が突端まで通じてて、漁師の番屋も点在する。それ以外は潮に枯れた立木が在るだけでね、江戸時代にゃ幕府の通行屋や遊郭もあったって云うが・・・本来なら、ホタテやウニの漁期なんだが、こうも海水が生温くっちゃね、霧が深くて危ねえし、今は余程物好きの観光客ぐらいしか、野付に人はいねぇ筈だよ。」

「―――あんたがたは、またどうして昨日は?」

「季節外れの台風が道東を掠めそうだってんで、番屋の戸締りや、船の舫いを確認しに来てたんだよ。泣き声の出処を確かめたかったんだが、直ぐに動かせる小舟も無かったし、まあとにかく、気味悪かったもんで・・・。」

霧の向こうが急にざわついて、巡査を呼ぶ声がする。

駆けつけてみると、砂嘴の突端に向けて重機が走ったような履帯の跡が続いている、踏み固められた砂の間からピンクのビニルパックが覗いていた。

「紙おむつのパックだね、まだ新品だ。」

「要らなくなって捨てて行ったのかな?」

近くで叢を探っていた若い巡査が、短い悲鳴を上げて飛び上がった。

震えながら指差す叢を凝視すると、無数の人の足跡だ。

爪先から踵の終わりまで粗方12cm足らず、常人の半分に満たない小さな足跡が一面に拡がっている、後を追うとやがて2列に纏まり、砂嘴の根元に向かって整然と続いていた。

 

―――半月後。

道央十勝岳北方の裾野、美瑛の “青い池” に観光客が増え始める時期である。

気の早い釣り客が、沢の岩場を指差して何か云っている。

指差した方向をよく見ると、岩の間にエゾシカの巨大な体が横たわって動かない。

辺り一面紅く血に染まり、何かに襲われたようだ。

4月に入り、近在民家周辺へのヒグマの出没が問題となっていた。

その日も、美瑛町の駐在が猟友会のメンバー4人と沢の水飲み場をパトロールしていた。

駆けつけた猟師が首の引搔き傷を見るなり、「ヒグマだ!間違いねぇ、まだ近くにいるかも知れねぇ!」

巡査が釣り客に向かって大声を出す、「全員撤収!沢から上がって車で避難してください!」

数台の車は、その場に留まって避難しようとしない。

猟犬8頭が放たれ、3人の猟師が後を追う。

「駐在さん、あんたワシと一緒に此処で待ち伏せだ。近くにいるなら犬とあの3人が追い出してくる・・・。」

長老の猟師が猟銃を準備しながら呟く。

「―――でもなんで、仕留めた鹿を喰わなかったんだ?」

「どういうことだ?親爺さん・・・。」

「普通、熊は仕留めた餌をその場で喰うもんだ。余程の邪魔が入っても、引き摺って山に登って行く、餌ほっぽり出したまま逃げ出すってのは考えられねぇ・・・。」

その時、猟犬の吠え声が重なって長老の携帯が鳴動した。

「親っさん、ちょいと来てくんねぇ・・・。」

沢を駆け上がった尾根の中腹に、紅い巨体が横たわっていた。

全身無数の刺し傷で、見るも無残な熊の死骸だった。

「―――こんなのは初めてだ!ナイフみたいのでそこら中突かれてる。」

「ヒグマにこんなことが出来るのは?」

「人間以外にあり得ねぇ! 寄ってたかって刃物で突き殺したんだ・・・。」

猟師のひとりが立木に寄り掛りながら、長老の顔を見上げる。

「そうは云うが親っさん、尾根に人の気配が全くねぇぞ!見ての通り300キロは優に超える大物の雄だ、銃がなけりゃ相当のけが人が出てる筈だが、血糊ひとつ見当たらねぇ!」

「お前さん、熊と人の血の見分けがつくのかい ? まあ、そう云われてみりゃ、木や土に血が付いてるのは、熊が通ってきた後だけみてぇだな。

下方の沢から車に残った釣り客の叫び声がする、大急ぎで5人が駆け下りる。

エゾシカの巨体が綺麗さっぱり無くなっていた。

「―――何があった?」

一部始終見ていた筈の、釣り客を問い詰める。

虚ろな眼が呟いた。

「山から小人の妖精が大勢出て来て、鹿を抱えて運んで行った・・・。」

見ると岩の間の砂地に、無数の小さな人の足跡だけが残っていた。 


旭川市の南の外れ、LGBTカップルと旭川署の若い刑事とが、三日前から或る病院を見張っていた。

斜め向かいのホテルの一室から、昼間用ビデオカメラ、夜間赤外線暗視カメラ、超指向性集音マイクを駆使して救急搬入ゲートの出入りをチェックする。

赤ちゃんポスト” で道内に有名な病院である。

ポスト以外にも、事故や事件で身寄りの無くなった乳児を引き取り、一定期間、併設する乳児院に収容し、里親(特別養子縁組)を探す。

斡旋した里親に乳児の素性を明かさない。

唯一、乳児本人が成人して出自を知る権利を主張した場合に限り、保護した当時の状況を開示する。

赤ちゃんポストを運用する他の多くの病院と、同様のシステムである。

 

「退屈だぁ~何か面白い事ないですかねぇ先輩。・・・いつもしばれる北海道の朝・・・山々の雪肌に、少しずつ春の色が滲みこんで、大木の根元から土の呼吸が始まる・・・雪を融かしこむ沢の水音が、尾根に向かって凛と拡がる・・・。」

「―――詩人だな、白河!」

刑事部長の朝永が、差し入れの大きな袋を持って部屋に入ってきた。

「部長、札幌からですか?」覗き込んでいた双眼鏡の接眼レンズから、玲子が顔を起こす。

「暗いうちから高速飛ばしても、着くのは陽が高くなる。この時期北海道は移動に時間が掛かるなぁ。」

2台のビデオカメラを調節していた旭川署の若い刑事が、申し訳なさそうに小声で質問する。

「救急ゲートの出入りを見張れって指令ですけど、主にどんな人物をチェックすべきなんでしょうか?」

赤ん坊だ・・・移送用保育器に入れられた乳児。救急ゲートにワゴン車を着けて、移送用保育器を搬入・搬出しているのが、何度か近隣から目撃されている。フルタイムでビデオに撮って、赤ん坊の出入りの総数をカウントするんだそうだ。」

「―――何の為なんですか?」玲子が椅子から立ち上がる。

「上もそれ以上教えてくれん、東京の本庁からの指令だ・・・でも、どうやら本庁は、病院内の乳児の数の変動を把握したがってるようだなぁ。」

 

病院のロゴの入ったベージュ色のワゴン車が到着して、救急ゲートが俄かにざわめき始めた。

「―――なに!あの人たち!」

玲子に替わって双眼鏡を覗いていた笑子が、素っ頓狂な声を上げた。

見ると、5人の “小人” 身長80cm程の小柄な男性が、奥から出てきてワゴン車の周りを取り囲んだ。

身長と同じ程の長さの警棒を立てて、周囲を警戒しているようだ。

5人とも、御揃いのダッフルコートのフードを被り、古臭いデザインのゴーグルで表情を隠している。

「短い脚で、ちょこちょこ歩くのが、可愛らしいわ!」

嬉しそうに笑子が呟く。

救急ゲートの自動ドアが開いて、複数の保育器が出てきた。

ベージュのワゴン車はその後も次から次へと到着し、ゲートの横で11台が列を作っている。

「赤ん坊、全員搬出するつもりだな・・・。」

ビデオカメラのモニターを見詰めていた朝永が腕を組み呟いた。

「警備員同士で何か話してるわ、笑ちゃん、マイクをあの方向に向けて!」

超指向性マイクの照準を、小人の警備員の口元に合わせると、意味の分からない外国語が入ってきた。

「―――どこの言葉かしら?」

「舌を上顎の先で震わせて発音しているから、ロシア語だと思うんですが・・・。」

旭川署の刑事が呟いた。

「私のタブレットで音声翻訳できますよ・・・。」

翻訳アプリのモードをロシア語に合わせ、マイクから音声信号をタブレットにインプットすると、翻訳文が画面に現れる。

「どうも散文的で意味が解らんな・・・センテンスの繋がりが、まるで出鱈目だ。」画面を見ていた朝永が、苛立った表情で呟く。

「翻訳アプリは、どれもまだそんなものですよ――― “山の揺り籠” はまだ雪が多いから、2時間は掛かる。午前中に全員運べるだろうか―――と云ったような内容じゃないでしょうか?」

「―――山の揺り籠?何だろ、赤ん坊を収容する施設の名前か?この医療法人の保有する施設は、旭川のこの病院以外には、札幌と東京に連絡事務所を構えてるだけだった筈だが・・・。」

移送用保育器を積み込んだワゴンは、随時病院を後にする。

次のワゴン車が救急ゲートにバックで進入しようとしたその時だった。

 ゲートからワゴンの側面に廻りこもうと駆け出した警備員が、何かにつんのめって転倒した。

直後、倒れた腰の上をワゴンの後輪が轢いてゆく、周囲から甲高い悲鳴が上がる、人々が駆けつける。

「―――あれ?直ぐに立ち上がって平気な顔してる、ズボンの埃叩いてる!」

モニターを見ていた笑子が素っ頓狂な声を上げる。

「ダッフルコートの下に、鉄の鎧でも着けてるのか?」

朝永が、低い声で呟いた。


その後、移送用保育器の出入りは確認されず、二日後に病院の監視指令は解除された。

LGBTカップルも、久し振りに札幌の道警本部に出勤している。

朝礼後、科捜研のラボを訪れた玲子は、所長のブースに奥寺の鳥の巣を見付けると、「ちょっとこれ、見てくれない?」と云いながらジップ袋からSDカードを出して渡した。

奥寺が自分のパソコンに挿入すると、「旭川の病院のビデオですね・・・警備員が事故に遭ったんですか?」

「ワゴン車の後輪が、まる々自分の腰の上に乗り上げたのに、平気な顔して立ち上がってるの。コートの裾を捌いてズボンの埃を掃ってるけど、腰に特別な装具を着けてる様子も無いわ。」

「これを?」

「如何して無傷なのか、説明して欲しいの。」

「説明しろって、本人でもないし現地にも居なかったんですよ・・・。」

「説明付きそうもないことを、説明するのがあなた達の役目でしょ、“常紋トンネル” の時もそうだったじゃない。」

「大型トラックに轢かれて、全く無傷で生還した事例は幾らでもあります、いちいちそれを説明してたら埒が明きません・・・それにしてもこの警備の人たち、典型的な “侏儒症” ですね。標準身長より2SD以上低いと思います。」

「―――シュジュショウ?」

「様々な理由で身長が伸びない疾病、小人症のことです。今では幼年期にホルモン療法が施されますので、ここまで典型的な例は少ないと思うんですが・・・。」

「彼らロシア語を話すのよ。」

「シベリア奥地の妖精ですかねぇ・・・侏儒症と頑丈な生体組織?何かで読んだ記憶があるなぁ・・・分かりました、ちょっと預からせて下さい。調べてみます。」

 

午後になって、警備部と刑事部のスタッフ全員に招集が掛かった。

道警本部最上階大会議室の壇下に、道警本部長と警察庁課長クラス3名が列席している。

本部長が、徐に壇上に立つ。

「―――早速ではあるが明日、道警本部主導の下、美瑛町トムラウシ山麓に存在する民間施設の家宅捜査を行う。警備部機動隊が主体となり、刑事部その他がサポートに当たる。本日は、当該事案の家宅捜査に至った経緯を、警察庁警備局担当課長より、諸君に説明して頂く。極めて特殊な事案である為、全員留意して頭中に留めておくよう。尚、メディア等への情報開示は、厳に慎むように。」

演者が交替し、壇下のスタッフがパソコンを操作すると、背後のスクリーンにパワーポイントの映像が表示された。

「自己紹介等前置きを省略し、本題に入る。2か月前、ロシアの司法当局よりICPOを経由して、警察庁に捜査協力依頼が入ってきた。予てより、ロシア国内で内偵を進めていた或る民間組織が、近隣のアジア諸国から、乳児を不法入国させている事実が、確認された。海外から赤ん坊を輸入し、必要な知識を詰め込み、軍事訓練によって有能な兵士として育て上げ、需要のある地域の団体に、保安スタッフとして派遣しているというのだ。その日本の窓口として名指しされたのが、旭川市の某病院だ。」

後方で訊いていた玲子と笑子が顔を上げた。

「当該病院に関しては、公安調査庁も時間をかけて内偵を進めていた。赤ちゃんポストを始めとして、保護した乳児のその後の扱いが、同様の他の機関と較べて不明瞭だというのだ。昔から乳児売買の噂のある病院だ、公安調査庁として、特別養子縁組の背後に見え隠れする秘密組織と金の流れを、必死で追いかけていたようだ。」

「そして最近になって、旭川の病院以外にトムラウシの山麓に、新たな拠点が存在することが確認された。病院を窓口として、身寄りの無い乳児を其処に集めているようだ。」

「如何して今まで分からなかったんですか?」

最前列の若い警察官が手を上げて質問する。

「都市計画区域外の建築物で、美瑛町に木造住宅12棟の工事届が保管されていたが、一棟当たり100㎡以下の面積で、建築確認が提出されないので、土木事務所も消防も建物の詳細を把握してなかった。山中の一軒家を、衛星写真で見つけ出して調査する民放のTV番組によって、12棟の建物の存在が明らかになった。」

「更にひと月前に、野付半島の先端部で、濃霧の中乳児の受け渡しが行われたとみられる痕跡が発見されている。一週間前から、旭川の病院の監視を続けた結果、病院所有のワゴン車によって、殆どの乳児の搬出が行われたようだ。従って、当該拠点施設の家宅捜査を行い、収容された乳児全員を保護する。」

「病院の家宅捜査は行わないんですか?」

「旭川の病院に関しては、他の入院患者への配慮も求められ、捜査容疑も確定しない。現時点でハードルが高い。」

道警本部長が立ち上がり、声を張り上げる。

「いいか!乳児を複数収容保育しているのであれば、施設の建物用途が住宅ではあり得ない、捜査容疑は建築基準法違反、その旨の令状を以って捜査する、全員準備に掛かれ!」

一斉の気合いと共に、全員が立ち上がった。 


トムラウシ山麓の施設は、雪の残る尾根に拡がっていた。

林道が沢を廻り込んだ喉元を整地し、砂利敷きの駐車場として、あのベージュのワゴン車12台が停められていた。

駐車場から階段で山腹を登り、自然林を伐採した間に、コンクリートの円柱を基礎として、12棟の四角い箱のような建物が、宙に浮いて建っている。

其々の棟は、アクリルガラスで覆われた木製の渡り廊下で繋がれ、残雪の中宛ら南極昭和基地のような様相を呈している。

建物四隅の小さな窓から、微かに赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。

 

刑事一課長が “山の揺り籠” と表示されたゲート横のインターホンカメラに令状を掲げ、エントランスの開錠を促す。

旭川の病院同様、小人の警備員たちが、尾根からパラパラ駆け下りてきて、エントランスの周りを取り囲む。

5分も経たない内に、総勢50名ほどの警備隊になっていた。

大柄の機動隊長がゲートの前に進み出て大声で威圧する。

「建築基準法違反容疑での、家宅捜査だ!直ちに通路を開けエントランスを開いて捜査員を受け入れなさい!中にいる職員は何も持ち出さずに、指定された場所で待機しなさい!」

恰幅のよさそうな警備隊員が一人、にやりと笑って進み出る。

短い右腕を一杯に突き出し、握った拳の親指を立て、手首を返して下を向けた。

「貴様!歯向うのか!」

機動隊長の叫びと同時に、両者が警棒を掴んで身構える。

道内の警察で勇名を馳せた上段からの一撃が、警備隊員のすぐ横の立木を粉砕した。

威嚇の打撃にたじろぎもせず、警備隊員が水平に打ち返す。

臀部を思いっきり叩かれた機動隊長が、真っ赤な顔をして相手の手首をそぎ落とす、思わず取り落とした警棒を慌てて拾うと、今度は姿勢を低くして、相手の両脚を狙う。

頭越しに背中を叩かれるのを気にもかけず、只管向こう脛をぼこぼこ責め続ける。

強化樹脂の防具で堅固に守られているとはいえ、30発も連続して打撃を重ねられると、流石にその固定が弛緩して、衝撃がもろに脛骨に伝わる。

結局隊長は、足腰立たぬほど打ちのめされて、他の隊員の肩を借りて戦場を後にした。

2番手(次鋒)も3番手(中堅)も同様だった。

防具を突き通す強力な打撃が、生身の体を襲う。

相手の警備隊員も同様な打撃を受けるが、これといった防具無しに楽々耐えている、小人と考えて手加減している訳ではない、戦い終った相手は何事も無かったように至って元気だ、4番手(副将)5番手(大将)を待たず勝負は既に明白だった。

「何だあいつら!脳天に一発気持ちのいいのを喰らわせても、平気のへいだ!身体が小さい分、的も小さいし、身体を丸めて防御されるとまるで亀の甲羅を叩いてるみたいだ、油断すると下半身に集中して攻撃してくる・・・。」

真っ赤に腫れた脛を手当てしながら、敗退した隊員がぼやく。

業を煮やした一隊が、警備隊の囲みに突っ込んだ。

其処彼処で怒号が上がり、お互い警棒で激しくぶつかり合う白兵戦となった。

人数的には機動隊が2倍程で有利だが、じわじわ圧倒されて駐車場の方向に押し返され始めた。

―――その時だった!

3発の銃声が林間に木霊し、警備隊員のひとりが弾かれ、倒れた!

振り返った警備隊全員の表情が険悪になり、手にした警棒の先端を廻すと、鋭い刃物が突き出てきた。

危険な空気が周囲を包み込む。

驚いたことに、倒れていた警備隊員がむっくり立ち上がり、凶暴な眼つきで機動隊を睨みつける。

ダッフルコートの胸には、二つの焦げた穴が空いていた。

 

「―――其れまで!其れまでだぁ!」

後方で視ていた朝永が、慌てて大声を上げる。

「全隊員、今の位置より100m撤退!指示があるまで待機!」

警備部長の大声も、それに続く。

林道と駐車場が接する辺りまで後退し、100mの距離を置いて対峙した。

「いいか!林道に誰も出すな、その内水や食料が底をついて諦めて出てくる。引き込み電線を見付けてカットしろ、周囲を封鎖して降参するのを待つんだ!」

「―――おいおい、乳児を保育している施設の受電を止めたらまずいだろ!第一、周りに電柱も電線も見当たらんぞ、医療施設なら自家用安定核原子力発電システムを設置している筈だ。」 

朝永が警備部長の指示に釘を刺す。

背後から捜査一課長が、「―――所轄の巡査の話では、敷地内の沢から幾らでも取水出来るし、山菜やキノコも豊富で、野生のシカやイノシシも捕獲できる。半月前10Km程南の山中で、ヒグマからエゾシカを奪い取ったのは奴らに違いない、300キロを越える大物が串刺しにされて息絶えていたそうです!」

「ヒグマ殺したのかあいつら・・・本部長に頼んで、増員して貰う。」


札幌の道警本部待機を指示されていたLGBTカップルは、奥寺の科捜研ラボに入り浸っていた。

「―――いいですか、二人ともよく見てください。警備員がワゴンに轢かれた5分程後の映像です・・・ワゴンが並んで待機してた車路の手前側は、地下駐車場の換気吹き抜けがあって、転落防止のコンクリート手摺が続いています。」

奥寺を中心に3人が顔を寄せ合い、パソコンの画面を覗き込んでいる。

「ほら、警備員のひとりが手摺の上に立って、周囲を監視しています。画面の端で見難いですからその部分を拡大します。」

画素が粗くなったが、確かにキャメルのコートを着た小人が、手摺の上に立っている。

次の瞬間、足を踏み外して手前に落下する。

直後、再び飛び上がって来て両手を伸ばし、手摺に取り付いた。

画面を見詰めていた玲子が、「吹き抜けの下に、安全ネットか何か張ってあるんじゃないの?それにバウンドして上がってきたのよ・・・。」

「近くの交番の巡査に連絡して、見て来て貰いましたが、ネットのようなものは無かったそうです。3層吹き抜けの地下駐車場で、下の床まで10mはあるって云ってました。」

カップルの顔を意地悪そうに覗き込むと、「驚いたことに、警備員が床に激突した音を、集音マイクが拾っているんですよ!」

パソコンの画面にマイクの音を重ねる。

乾いた衝撃音の後、人々が振り返るが、特に変わったこともないので全員それに気付かない。

「10m落下して、10m跳ね上がって来てるんです。この映像から、彼らの身体が、車に轢かれてもびくともしない石やコンクリートのような硬い剛性体じゃなくて、反発係数が限りなく1に近い高弾性ゴムとか鋼鉄球のような弾性体であると結論付けました。」

「―――弾性体って、そんな身体の人間存在するの?」

「ご存知のように、人の身体の6割から7割は水です。その水を弾性体にすることは可能です。」

「凍らせて、氷にする?」

笑子が不思議そうな表情で奥寺の顔を見詰める。

「氷は、水分子が水素結合で結晶化した剛性体だ。」

「そうじゃなくて、液体の水をそのまま弾性体に変換する方法があるんだ。水分子は酸素原子の6個の価電子のうち2個を使って、二つの水素原子と共有結合したものだ、だからまだ最外殻に4個の価電子が残されている。ある環境条件で精製された水は、外部から強い力を加えることによって、この4個がすぐ近くの酸素の価電子と共有結合して、液性を失い固体となる。密度が液体水と同じ弾性体の水が出来る。そして外部からの加力が終了した途端、結合が解除されて液性を取り戻す、元に水に戻る訳だ。」

「20年前に、東北大学分子生物学研究所の研究員が、この現象を発見した。名前の意味するところは正確じゃないが、“水のダイラタンシー効果” って呼ばれている。」

「―――その水をどうするの?」

玲子が身を乗り出す。

「この研究員は女性なんですが、成果はそれだけに留まりません。精製したその水を、自身とペットに摂取させ続けたら、強靭な弾性体の身体を獲得したんです。10年後、アメリカで飛行機事故に遭ったんですが、唯一助かったのが、研究員とペットのパグ犬だけだったようです。更に、東日本大震災で松島湾の津波被害が小さかったのは、この研究員が勤務するラボが、流し続けた排水によって、松島湾の海水が弾性化したからじゃないかって云われています。」

「―――じゃあ何、あの小人の警備員たちは、ロシアでその精製水を飲まされたってこと?」

「今でも、飲んでるんじゃないかと思います。強い電磁石と、高圧の電極があれば、何処でも普通の水から精製できますので・・・それと、唯一の副作用として、乳児の段階でこの水を摂取すると、高い確率で侏儒症を発症します。幼児になってホルモン療法を施しても、予後が余り良くありません。」

着信音がして、玲子が自分のスマホを取り出すと、「朝永部長からメールよ、小人の警備隊員、拳銃で撃たれても死なないんだって・・・。」

「ある程度の距離があれば、重機関銃の掃射にも耐えられると思います。」

「乳児を輸入して、軍事訓練して育て上げる目的はそこにある訳ね・・・銃撃されても死なない兵士を、供給し続ける積りなんだわ!」

「侏儒症も目的に敵ってるのかも知れません、軍隊の装備というのは、同じ性能なら、少しでも小さく軽いほうが有利ですから・・・。」

 

 「いずれにしても、部長たちがトムラウシの山麓で頑張ってる限り、これ以上赤ん坊の移送は出来ない筈でしょ、全員保護されるのも時間の問題ですよね!」

笑子が明るく云い切った。

奥寺が暗い顔で首を傾げる。

「玲子さん、移送された乳児は何人だったんですか?」

「ワゴン車に保育器3台乗せてたようだから、12台で合計36人ってところね・・・。」

「保育器で移送したんですか!中の赤ん坊は見えました?」

「朝で寒かったから、結露してよく見えなかったわ。でも、ごそごそ中で動いてるのは分かった・・・どうかしたの?」

「―――いえね、未熟児でもない健康な乳児を、わざわざ保育器に入れて、車12台も連ねて移送するかなって、思ったもんですから。」



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