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狂乱のヴォルティーチェ

「鳴門の渦潮って、いつでも渦巻いてるんだっけ?」

 前触れもなく浴びせられる問いに、何か試されているのではないかと訝る。思考回路が乱れ、俺は伯方の粗塩を思い浮かべている。埼玉生まれですから。それでも以前、関西での仕事を終えた後、徳島へ向かうことがあった。高速バスで大鳴門橋を渡るのだ。そこから渦潮を見た記憶はない。あいつの問いに対する答えを持ちあわせている訳でもない。

「徳島のあれな」

 俺は父親の威厳を保つべく精一杯の答えを絞り出した。

「そう」

 会話は滞り、俺はまた犬猫画像とギクシャクした人間模様のタイムラインを追う。あいつは3DSに頭を垂れた。

 徳島。

 仕事で足を運んだことはある。これといって思い入れはない。

「徳島って言えばなに?」

「なにそれ?」

 渦潮について問いかけておきながら、あいつは俺のふった話題に興味を示す様子もない。厭きもせずにやたらボタンの多いコントコーラーを操作し続けた。

 俺たちは店の外に置かれたベンチで肩を寄せ、妻の戻りを待っていた。店外とは言えビルの中、暇つぶしのツールさえあれば悪い環境ではない。そう言えば、徳島ラーメンというのがあった。なにが特徴だったかは思い出せない。うどんはうどん県。

「ヴォルティス」

 年に一度くらいは行く機会がある。羽田空港から阿波踊り空港へ。神戸から高速バスで大鳴門橋を渡ることは稀だ。

「ポカリスエットスタジアム」

「なに?」

「ポカリスエット…」

「その前」

「ヴォルティス。徳島ヴォルティス」

「Jリーグ?」

「そう」

 あいつはYボタンでシュートを決めた。

「なんだ、ヴォルティスって?」

「J2だよ」

「いや、意味よ。ジャイアンツは巨人軍だろ」

 あいつはあっという間にゴールを返され天井を仰ぐ。

「知らーん」

 俺は暇を持て余し、ヴォルティスを検索。はじめにその綴りを知る。そして、アプリ【ウィズダム英和・和英辞典】で検索。vortisでは見つからず、sを削り、iを削り、vortexを得る。

 

一、(水などの)渦、渦巻き、旋風、つむじ風

二、() [the ] (戦争・論争・社会運動などの)渦

 

 なるほど。やはり徳島。英語ではないようだ。結局、vortis[空白]意味でググってウィキペディア。チーム名称のヴォルティス(Vortis)は、イタリア語で渦を意味するヴォルティーチェ(Vortice)をもとにした造語であると知る。

 渦。

 徳島と言えばまず渦なのだ。身近な渦といえば水洗便所。ごめんなさい。風呂の排水口でもよかった。北半球と南半球で回転方向が違うってね。どっち回りだか忘れたけれど。そんな豆知識を披露したところで大抵の人が知っているからあまり悦には浸れない。徳島ヴォルティスってイタリア語で渦を意味するヴォルティーチェから取ったんだぜ。割とサッカー好きでないと「へぇ」とはならない豆知識。

 なかなか買い物から戻らない妻。本降りになりはじめる雨。時折、雷鳴も轟き、あいつは小さい肩を揺らす。

「今日、雨の予報だったっけ?」

「こういう雨は待ったら止むだろう」

「ちょと見てくる」

 そう言って階段を駆け上ったきり、あいつはなかなか帰ってこなかった。俺は不安になりスマホを閉じる。そして、重い腰を上げてビルの外へ向かった。地下からビルの外へと続く階段を一歩一歩上がっていくと、なんだか空の様子が奇妙だ。眉間に皺を寄せて歩みを進める。階段を上がりきって、軒下に立ったところで絶句した。

 空に海がある。渦潮を巻いて荒れる海が大雨を振らせていた。ふいに身体が浮き上がる感覚に襲われ、俺は懸命になって階段の柵を捕まえた。地上に視線を運べば、街路樹が抜き取られ、車が浮き上がる。まさか、あいつは渦潮に飲み込まれてしまったのでなかろうか。慌てて辺りを見回せば、妙なことに人々は地面をしっかりと踏みしめて進んでいる。女は軽やかに、男は勇壮に、それはいつも街で見かける人々の様子とは明らかに違った。耳を立てれば、嵐の中で鳴り物のぞめきが響いている。そして、まだ声変わりの済んでいない男児の声が嵐の街を劈いた。

「お父さんも踊らなきゃ」

 声の主はさっきまでゲーム機と向きあっていたあいつ。その手には提灯が握られており、若者たちのうねりの中で小気味良い踊りを展開している。

「踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら踊らなきゃっ」

 息子に阿呆などと言われる筋合いはない。とは言え、踊らない者は一人としていない。どうやら踊る以外にこの場をしのぐ方法はないようだ。俺は吹き荒れる雨風に堪え、なんとか右足で最初の一歩を踏み出す。そして、柵を握った左手一本で身体を支えようとしたところ一枚の団扇が飛んできた。俺は反射的にそいつを捕まえ、右手、右足の半身を嵐の中へと投げ込んだ。

「手をあげて足をはこべば阿波踊り」

 なんだって。嵐に堪えながら左手も離し、肘は肩の高さ、続いて、恐る恐る左足で二度地面を蹴る。再び右足。俺はなんとかあいつらの連へ辿り着こうと珍妙なナンバ歩きで前進する。

「もっと肘をあげて、囃子を感じて、粋に踊るんだ」

 粋に踊れだと。

「早くこっちに。踊りは連としてのまとまりが必要なんだから」

 手をあげて足をはこべばよかったのではないのか。ボヤけばふっと身体が持ち上がり、天空の渦潮へと引き込まれそうになる。おっさんはそんなに飲み込みがはやくないのだよ。眉を垂らして弱気になれば、ますます身体が浮き上がる。

「囃子に神経を集中っ。他の踊り子の動きをよく見て」

 街全体が踊っているようだ。ガードレールが飛び出し、アスファルトが剥がれ、信号機が抜きとられ火花を散らす。ビルディングでさえ囃子のリズムで少しずつせり上がっていく。渦潮の吸引力だけではない。大地が揺れ、地面から様々なものが弾き出されているのだ。

 俺は団扇をあおいで斥力を加える。なんとか大地に足をつける。そして、囃子を感じながら手踊りを繰り返した。交互に小気味よく手をあげて前進することで、浮き上がる自分を何とか押さえることができた。勝手を知り気分が高揚しはじめると、俺は踊り子に倣って唄いはじめる。

「瓢箪ばかりが浮きものか。わたしの心も浮いてきた。浮いて踊るは阿波おどり」

 己を奮い立たせ、ほかの踊り子を盛り立て、俺はついに連と一体になった。唄と鳴り物のぞめきに血肉が躍動し、もう踊りを止めるわけにはいられない。ここには半纏を着た男もいなければ、浴衣に網傘を被った女もいない。どこかで鉦の音はするものの、三味線や笛の音が聞こえるわけではない。鳴り物と言えば、路上で小銭を稼いでいた音楽家か、レンタサイクルのベルか、スマホの電子音か。これは偶発的にはじまった輪踊りなのか。まさか、

 そもそもここは横浜じゃん。

 天空の渦潮は、地上の輪踊りとシンクロするようにますます勢いを増していく。やがて、改修工事のために全館一時休館となっているマリンタワーまでもがゆっくりとせり上がっていった。不意にスマートフォンが震えた。右手と左手を入れ替えるタイミングで瞬時にジーンズのポケットからそれを取り出す。画面には買い物で散々俺たちを待たせてくれた妻の名前。そして、メッセージが流れた。

 

 ビルと一緒に飛んでるんだけど!

 

 俺は妙に落ち着いていた。この渦潮が入り口であること、その先には出口となる渦潮が存在すること、俺はあれがワームホールであることにうっすら気づいていた。今すぐ妻のもとへ飛んで行くことはできた。踊りを止めればいいのだから。それでも俺は踊りを止めない。あいつを残して行くわけにいかない。それ以上に点と点を結ぶワームホールの喉を塞いでしまってはいけない。巨大な重力に対抗するには相応の遠心力が必要だという。無事に妻を徳島へ届けるため、輪踊りを止めてはいけない。無事に辿り着きさえすれば、阿波踊り空港から飛んで帰ってこられるだろう。

「あ」

 こんな時に限って、出張先で食べた徳島ラーメンのことを思い出した。豚バラ肉と少し甘めのスープ。どんぶりの中央には鮮やかな生卵。口の中に唾液が溢れる。踊りを止めて俺も飛んでいこうかしら。大きく首を振る。

「猪が豆食うてホーイホイホイ」

 邪念を振り払うように声を上げ、渦の向こうに消える妻の無事を祈りながら踊り続けた。ついにはマリンタワーも飛んだ。全長一〇六メートルのタワーは、渦潮に立ち向かうかのようにその中心へと進んでいった。大きく水しぶきをあげながらゆっくりと突き刺さされば、渦は急激に勢いをなくしていく。

  俺たちはさらに声を上げて踊りをシンクロさせていった。 

「一かけ二かけ三かけて、し(四)かけた踊りは止められぬ。五かけ六かけ七かけて、や(八)っぱり踊りは止められぬ」

 ア ヤットサー ア ヤットヤット

 踊り子たちが生み出すエネルギーが渦潮に遠心力を加え、閉じかけたワームホールの喉が再び開いていく。

 アーラ ヨイショコラ ヨイショコラ イケソラ イケソラ

 渦潮はゆっくりとマリンタワーを飲み下していく。

 アー エライヤッチャ エライヤッチャ ヨイヨイヨイ

 踊りのヴォルテージは最高潮に達した。ぞめきの旋律に誰もが酔いしれ、熱狂のるつぼに引き込まれる。俺は何もかもが渦潮に飲み込まれていく様子に見惚れ、ドーパミンニューロンが暴れ出した。全能感に支配され、笑いがこみ上げてきた。そして、ついにマリンタワーは飲み込まれ、彼の地へと送り出されていった。

 やがて、唄が止む。全ての鳴り物が止む。最後に渦の彼方からゆっくりと鉦が三回響いた。誰もが踊りを止めると、天の渦潮は勢いを無くし、大きな雨となって崩れ落ちた。空は青く晴れ渡り、大きな虹がかかる。見渡す限りに広がった剥き出しの大地。その上には、なにもかもをやり遂げた者たちが見せる顔と顔と顔。俺は息を切らせ、肩を揺らしながら込み上げる不安の理由を考える。そして、耳にまとわりつく鉦の残響をたどりながら雲一つ無い青空を見上げた。

 途端、大桟橋の方から汽笛が鳴り響いた。踊り子たちは目を見開き笑顔を見合わせる。提灯や団扇を空高く放り投げ、地鳴りのような歓声をあげた。

「フェリー『びざん』だ。すごい。時間通りだよ。ママたちが帰ってきた」

 あいつは親指を立て、そいつを俺に向けた。

「フェリーぃ?ママたちって、随分早くないか?」

 踊り子たちは大桟橋へと駆け出す。

「空間を結ぶワームホールの入口と出口に旋回の差をつけることで時間差が生まれたんだ」

「なんだって?」

 俺はあいつの声を追いかける。

「ママは徳島に放り出されたと同時にちょっとだけ過去へ飛ばされたんだよ」

 俺は混乱する頭で、あいつ等を追いかけることに精一杯。そして、つるんとしていた頃の妻を思い浮かべていた。海を右手に山下公園を駆けながら、メールを返信しなかったことを後悔。怒っているだろうな。他愛ないことに怯えながら速度を落とす。そして、立ち止まってしまったのは、フェリーが想像を超える立派なものであったから。

 

 課題「徳島」


新商品発表会

 我が社の新商品が発表された。その名もリヒトゥング。ドイツ語で方角、方向のほか、機運、明るみ、間伐地などという意味もあるらしい。片手で持てる程度のちょっとした道具。これはただの花瓶ではないのか。いや、どう見ても手持ち扇風機でしょう。何を言う、次世代の情報通信端末じゃないか。社長は大型スクリーンに映し出された商品を眺めたまま延々拍手を続けるだけ。

 女子営業が立ち上がって声を上げた。

「これは女性の社会進出を後押しする画期的なツールになるかも知れません」

 負けじと男子エンジニアも立ち上がる。

「これにより防災対策を根本的に変えることになるでしょう」

 社長は振り返りようやく口を開いた。

「世界は皆さんの求めるところに即して、その都度開かれるものです」

 俺はポカンと口を開く。早く会議が終わらないかと思っているせいだろうか。残念ながら、俺にはこれが泡立つビアグラスにしか見えない。


担々麺と炒飯

 仕事でたまに下りる駅には、小さなロータリーを挟んで二軒の中華料理店があった。ロータリーにあわせて店舗もそれなりだ。満福楼と一品菜、そんな大食いする歳でもないけれど、どうしたってマンプクの響きは魅力だ。

 滅多に来ないのだからイッピンも味わってみてはどうかと思いつつ、気づけばマンプクへと足が向く。いつもの担々麺と炒飯セットは、辛みのきいた白胡麻たっぷりスープは絶品だけれど、炒飯には葱と卵しか入っていない。それでも客入りが悪くないのはやはり店の名前によるものか。

 

 その日も私は色の無いチャーハンを蓮華ですくい上げていた。そして、ふと焦点をロータリーの向こうに当てた。自分はおろか知性の存在しない宇宙など実在しないも同然。思いがけずロンリーワールドに思いを巡らせた。すると、一人の男が満足げに一品菜を出た。嗚呼、世界にはあらゆる可能性が準備されている。私は蓮華をスープに浸して、それを啜り上げた。


求めるところに即して

 家を出て、会社とは反対方向のホームに立った。

「皆さんの求めるところに即して、その都度世界は開かれます」

 社長の言葉を都合よく解釈して、俺はふらりと足を運ぶ。鞄には新商品のサンプルを突っ込んでおいた。その名もリヒトゥング。ドイツ語で方角・方向のほか、機運、光の射し込む間伐地などという意味もあるという。片手で持てる程度のちょっとした道具。

 俺が入社して間もない頃、失踪したかと思えば、大きな商売を見つけて戻ってくるいい加減な先輩がいた。そんな先輩も今はどこで何をしているやら。あの頃はまだまだ時代が緩かった。いつまでも景気が回復しない昨今、そんな真似してなんになる。

 長年マーケティングに従事してきた。足で稼ぐ術もなくすぐに立ち止まる。そして、鞄からサンプル品を取り出した。

「それはなんですか?」思いがけず声がかかる。

「あなたの求めるところに即して、」

「え?」

 そこに世界が開かれた。


会議!会議!会議!

 我が社は自転車通勤が良しとされている。ただし電動自転車は御法度だ。来る2020年に向けて着々と準備を整えている。仕事は何より会議が良しとされているようになった。答えの出ない会議、ゴール設定のはっきりしない会議、会議をするための会議、業績は会議の長さで決まるのだ。会議室の数も来年までには倍に増やす予定。全席ペダル付き。 

「全社会議をはじめるぞ」 

 週はじめには、一番大きな第七会議室に全社員が集められる。社長の話し半分、全社員総出でペダルを漕ぎまくる。自転車通勤の甲斐もあって、皆、逞しい太ももを持つ。 

「さあいよいよ2020年には、送配電部門を別会社にする「法的分離」が実施される」 

 我が社も参入のチャンスだ。



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