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案の定、幽霊

 結婚記念日に死んだ女房が翌日に帰ってきた。私は涙を流しながら抱きつこうとしたが、案の定、幽霊だった。
 飯は食わない。家事もしない。それでも、いてくれるだけでいい。本当か?
 目覚ましをひっぱたいて、眠い目をこする。女房はまだ敷き布団の上に横たわっている。死んでしまったのかと思って肩を揺すろうとするが、俺の手はすり抜けて枕を掴む。
「起きろぉっ」
 声を上げてしまうことも増えた。女房は驚いて目を開く。
 触りたいのだ。おはようと髪をぐちゃぐちゃにしたい。私の湯呑みを割って舌を出す彼女の頭を小突きたい。時には腕を回したい。
 そして、私たちの特訓がはじまった。私が頭を撫でたら髪を乱すこと。私が頭を小突いたら舌を出すこと。抱き枕などというものをはじめて購入した。こいつに抱きついたらプロジェクションマッピングさながら映り込むこと。
「成仏できないじゃない」
 女房は笑み、私は必死に抱き枕を捕まえた。


心を入れ替える

「今度こそ心を入れ替えて卒業するよ」
「あんたの心って、プリンターのカートリッジみたいね」
 去年はSIMカードだった。一昨年は畳だったか。
「今度は違う」
「何が?」
「切迫感」
 姉貴は笑いながら、ちゃぶ台を打って立ち上がる。そして、冷蔵庫に手を伸ばした。
「もう一缶もらうよ」
「自分で買ってきたんだろ」
「一応、あんたにあげたもんだからさ」
 姉貴は再びあぐらをかいた。
「去年、SIMカードって言ったじゃない」
 覚えてんのかよ。毎年仕込んでんだろ。
「なんか違うよね。主体がSIMなんだから。でも、そうなるとあんたの心ってなんなわけ?」
 あれ、本気説教モード?泣きそうな笑顔が胸を打つ。
 4月で大学8年生。どうにか単位をかき集めないと退学だ。もう酒を抱えた姉貴が訪ねて来ることもないだろう。
 毎年この時期を密かな楽しみにしていた。悲しみの涙で濡らすわけにはいかない。俺は最後の心に入れ替えた。


生活保護と働けるヒト

 まだ若い俺がリストラの対象になるとは思わなかった。収入の断たれた俺はアパートの賃貸を払い続けるより一度実家へ帰るべきだろうと考えた。

「駄目だ」

 電話で親父は即答した。五年前、親父は店を営んでいる最中に突然倒れた。懸命のリハビリでなんとかお袋の手を借りながら暮らしているが、とても仕事を続けていられなくなった。

「おまえは働けるヒトだろ」

「何か問題があるのか?」

「万が一、おまえが帰ってきたら生活保護が打ち切られるんだ」

 その現実を知り唖然とする。続いて、電話を替わったお袋が情け容赦ない声を響かせた。

「ま、帰られたらの話だけど。二度と帰ろうなんて思わないで頂戴」

 たまには帰ってこいと何度も言っていた両親が、こんなことがあるものか。俺は信じられず故郷への切符を手に列車に乗り込んだ。しかし、生活保護は鉄壁だった。駅を下りれば巨大な城壁が、そして、無数の騎馬隊、鉄砲隊が声を上げて攻めてきた。


れいぞうこ

 吸引力の変わらない、ただひとつの冷蔵庫と聞かされていた。

「最期にもう一度言うぞ。決して開けてはいけない」

 父は母を追うようにして死んだ。俺一人で、どうすりゃいいんだよ。

「開けた過ぎるだろ」

 父が命を引き取った三分後にはその両開きのドアに手をかけていた。世界の吸引がはじまった。死んだ父と俺なんてあっという間。家財道具が次々飲まれ、ガラス窓が瞬時に砕けた。アパートは冷蔵庫を中心に圧縮をはじめたかと思えばすぐ消えた。冷蔵庫が街に飛び出した。人々は逃げ惑うが駄目。車は暴走するが無駄。地面ごとズルズル吸い続けるうち自分の吸引力で倒れる。冷蔵庫は地中に引きずられ、地球は括れる。地球の裏側で異変に気づいた人々も次の瞬間に吸われていた。月もチュッと。膨張しているとされていた宇宙の収縮がはじまった。何も無い部屋とは、部屋中のものを取り除き、時間も空間もなくなった様子のこと。冷蔵庫はバタンと閉まる。


れいぞうこ前日譚

 兄さんはストを決行する。地球規模の気候変動問題に対して誰かが行動を起こさなければ。国のエネルギー政策なんてあてにならないから、膝を抱えて縮こまる。パン生地の薄いあんパン、見た目以上にずっしりとしたあのイメージ。ゆっくりと息を吐きながら首を折る。限りなく小さな玉となれば余りにもずっしり。空間が歪む。時間が遅れはじめた。

「あんた、またこんなことして」

 姉さんの声がする。手が伸びる。近づいてはダメなのに。そんなことするから、指が伸びる、腕が伸びる、渦を巻いてグングン伸びる。光の速さで巻きついて、その手は凍てついた。

「そして、姉さんは兄さんを抱いたまま冷蔵庫の中へ引き込んだ」

 俺は熱くて酒臭い親父と布団に潜り、そんな話しを聞かされながら眠った。だから俺には兄姉がいないんだって。

 時は流れた。

「最期にもう一度言うぞ。決して開けてはいけない」

 れいぞうこのことだ。父は母を追うようにして死んだ。



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