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算命学余話 #R75 (page 1)

 アインシュタインの脳は死後、天才の脳がどういう作りになっているかを解明する手立てとすべく取り出され、今日まで保管されているそうです。ただ脳みそ丸ごとではなく、小分けにして複数の科学者がそれぞれの思惑で保管しているので、一部は既に散逸し、元の形に復元することはできないようです。

 それでも現段階で導き出せるデータによれば、アインシュタインの脳は知的活動を司る部位の肥大発達が見られる以上に、左右の脳の間の激しいやりとりの痕跡が顕著だということです。一般に理性を司る脳は左脳とされており、優秀な科学者なら当然左脳の発達が予測されたのですが、アインシュタインの脳は左右の脳をバランスよく発達させ、何よりその右脳と左脳の間をつなぐネットワークが飛び抜けて発達していた。従って、天才とは脳の片側だけではなく、両側ともに一体となってフルに活用していることが条件であるらしい。そういう例をアインシュタインの脳は示しているということです。なるほど。

 

 算命学の理屈からすれば、陰陽論に基づき、左右どちらかの脳だけが過剰発達した人間が天才になり得ないことは明白です。天才というのは自分の生まれ持った宿命を無駄なく遺憾なく発揮している人のことなので、何かの一部分だけ突出したバランスのとれていない人間は、秀才や有名人であったとしても天才には当たらない、というのが算命学の考え方です。

 まあ世間一般はバランスのとれない人であっても、周囲を驚かせるような行為を成し遂げた人を容易に「天才」と呼ぶかもしれません。そしてそんな上辺だけの天才たちは、数年後には身を持ち崩して捕まったり、薬物に頼って今はなきかつての栄光を取り戻そうとしたりして、人々の嘲笑を買ったりしています。

 

 このように、その評価が天才という「称号」にすぎない場合、それは単なる名誉運の突出です。名誉は五行のうちの一つ(金性)にすぎないので、ここだけが飛び抜けても残りの五行とのバランスがとれなければ、本当の天才とは見做さない。算命学はこのような立場なので、誰かを簡単に天才呼ばわりすることはないし、その人が死なないうちは、安易にその人生を総括しません。

 たまに、天才の宿命を教えてほしいとかいうガッカリな質問を寄せる人がいますが、天才の宿命なんかありません。もしあったら、その同じ生年月日の人すべてが天才として世間に騒がれていなければ辻褄が合いません。そんな話は古今東西聞いたことがありません。そうではなくて、生まれた瞬間に自然から頂いた宿命がまず先にあって、それを完璧に全うした人が天才なのです。だから本来は誰だって天才になれるはずなのです。なれないのは宿命のどこかがお留守になっていたり、とんちんかんな人生を送ってせっかくの宿命を台無しにしているからです。

 

 アインシュタインの話に戻ると、彼が宿命を完全燃焼したかどうかは各自判断して頂くとして、彼はいわゆるガリ勉型の秀才ではなく、ユーモアの欠片もなかったのでもなく、世捨て人のような孤高を貫いたわけでもなく、マッドサイエンティストでもなかった。人間としてバランスがよくとれており、それは即ち、人間の矛盾する側面を持ちながら自然と調和していた、ということです。

 圧倒的頭脳を誇る彼の、子供っぽいおちゃめな写真やエピソードはよく知られていますし、原子爆弾を発明しておきながら後になって大後悔し、核兵器廃絶運動に参加するなど、何やら正反対な顔をいくつも持っている。それでいてその人物評は「矛盾している」とか「破綻している」とかではなく、「人間性が豊かだ」というものでした。矛盾した内面を持ちながらもこういう評価に落ち着くのが、自然と調和した人の特徴です。自然と調和しているということは、宿命に沿って生きているということですから、突き詰めればその先には天才が待っています。

 

 繰り返しますが、算命学が注目したいのは、アインシュタインの脳における、左右の脳の緊密なやりとりであり、陰陽回転の高速と情報伝達の膨大さです。算命学は停滞を嫌いますが、われわれ一般も頭の悪い人間について「あいつは頭の鈍い奴だ」と言ったりします。同様に頭の良い人間を「あの人は頭の回転が速い」と言ったりします。これに比べて、学校の成績がいいとか資格を持っているとかは、人の頭の良し悪しを判断する材料としては定着していません。むしろ嘲笑の的になることさえあります。

 つまり、アインシュタインの脳を解剖するまでもなく、われわれは本能的に、頭のいい人の頭は「すばやく回転している」ことを知っているし、その動きが一方通行ではなく相互往来であり、速いがために大量の情報を載せてあっちにもこっちにも連絡できることを知っている。当然脳の遠くの端っこの方にも情報を届けているから、脳はまんべんなく活動している。お留守になったままぼんやり衰微していく部位はない。脳のどこにも無駄がない。その風景は、天才が宿命を余すところなく完全消化した人生と同じです。

 天才になりたいのなら、自分の宿命を見て、星々を余すところなくフル活用し、相互に刺激を与え合うこと、更には外界との接触を密にして、外界から新たな刺激や情報を次々ともらい、同時に自分からも刺激を返し、「豊かな人間」になること。それが近道です。

 

 前段が長くなりましたが、今回の余話のテーマは恋愛についてです。「恋愛相談お断り」の看板を掲げている私としてはどうでもいいテーマですが、世の人、特に多くの若い女性にとっての関心事といえば恋愛です。男性はそうでもないのに、どうして女性ばかりがそうなのでしょう。

 ところで先日テレビ番組で、妊娠後にできるアフターピルが海外で普及してことを紹介していたのですが、ある若手女性弁護士がこれに賛同し、日本での普及を「安易な性交を促す」として阻もうとする「年配の人たち」を批判、「少子化なんだからもっとセックスしまくったらいいのに」と豪語していました。弁護士というのはそれなりの教養や論理性を備えているものと考えていましたが、そうではないらしい。

上述の「資格だけ」「学業だけ」の見せかけ先生だな、と私は嘲笑しました。レイプされた女性のためのアフターピルは必要でしょうが、少子化対策のために「しまくったらいい」とは論理的思考も品性も欠いた発言です。

 

 少子化の原因は性行為の数が減ったからではありません。現代の日本人が子孫繁栄や子育てとは別の価値に目を向けているからです。そもそもAIが人間にとって代わろうという現代において、人口増加は本当に必要でしょうか。むしろ徐々に減った方が自然に則しているのでは。

 なお、少子化の原因については、欧米人が白人社会の繁栄のために、有色人種の人口減少を目論んでおかしな遺伝子組換え食品を世界にばら撒いており、日本もその売り先の一つであるからという寒い事実も関係していますが、この点は苫米地英人氏その他の有識者の見解を当たって下さい。

 

 算命学では、恋愛という事象そのものを軽んじています。恋愛重視の人は、恋に敗れると「死にたい」とか「死にそう」とか安易に口にしますが、失恋くらいで人間は死なない、というのが算命学の見解です。それに「死にたい」と口に出して訴える人ほど、自殺には至らないものです。逆に黙っている人の方が危ない。口に出すということは、周囲へのアピール行為であって、自己破壊行為とは別物なのです。

 ではなぜ算命学は恋愛を軽視するのか。今回の副題はずばり、「恋愛は低級か」です。具体的には、男性と女性の陰陽差が、恋愛観の相違を生んでいるという内容です。算命学学習者には、鑑定技法として知っておいた方がいい思想の話になります。


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最終更新日 : 2018-09-29 19:26:02

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