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墓拓の人

 あまり記憶には薄いかもしれないが、とある地方の事件としてこんな記事が新聞に躍った。2017年7月、“墓拓の人”逮捕。深夜に墓地に侵入し、墓石に墨を付け、その拓本を採っていたのである。不法侵入と迷惑防止条例により警察は容疑者を勾留。調べていくうちに驚きの事実が浮かび上がってきた。

 

 子供の頃、習字教室に通っていた彼は、けっして習字の才能ある人間ではなかった。数年通ったが級は上がらず、年下の後輩はどんどんと彼を追い抜いていった。

 しかし習字が嫌いではなかった。墨の匂い、色、筆の書き味。下手ではあったが、間違いなく彼は習字に魅了されていた。どんなに昇級がなくとも、彼は習字教室へ通い続けたのである。

 高校生となり親の離婚がきっかけで男は習字教室を辞めることになった。それからしばらくは習字との無縁の日々を送る。月日は流れ、やがて仕事についた。とあるフードメーカーの下請けで、ひたすらまんじゅうを焼き続ける仕事であった。この時より彼は一人暮らしをはじめている。

 

 ある時、彼は町を歩いていると、習字の展覧会が近くで行われているのを知った。彼は昔の習字教室に通っていた頃を懐かしみ、その足で習字の展覧会へ足を運ぶ。

 そこで目にした作品は、決して世に有名な作品ではなかった。作者もその道では有名かも知れないが、世界で知られる作家やテレビに出ているほどの人はいない。みんな本業の片手間に習字教室を開きながら自ら作品を制作する先生たちの作品である。

 けれども、そんな作品ひとつひとつが、きちんとした個性を持ち、意図を訴えかけてくる。緊張感漂う作品たち、あらゆる手法で描かれる作品は、みごとな絵画作品と比べても決して劣らぬ感動を与えてくれる。彼はそれらに魅了され、感性を焼かれた。そして再び習字への情熱を燃やしたのである。

 

 帰りにさっそく彼は文房具店で習字道具を揃え、本屋で初心者向けの見本を購入した。そして意気揚々と書に向かったが驚くほど下手で自分の才能に幻滅したという。

 すぐに彼は習字道具を物置にしまってしまった。

 

 数か月経ち、父親と共に墓参りに赴いた。その墓石に彫られた彫刻をみて、ふと習字の展示会でみた作品を思い出す。

“ ああ、この彫刻も芸術ではないか ”

 彼はまわりの墓石に彫られた名前をそれぞれ見渡し、愕然とする。どれも綺麗である。でも、綺麗過ぎて人の手による業に見えない。しかし古い墓石をみると、そこには確かに石工職人の技術により彫られた、人の手による温かみを感じるものがあった。古い墓石だが、そちらの方がどれほど人に感動を与えるだろう。いとおしくてついつい指で触れそうになるが、それを親に見とがめられその時は思いとどめた。

 

 その後彼は、町を散歩するのが休日の日課になった。散歩の途中に墓地があると、ふらりと立ち寄り、その墓石に彫られた彫刻を愛でるのである。それぞれに味があり、同じ文字でも石工職人により彫りの深さ、太さ、角度などに違いを感じるようになった。そして特に美しいと感じた墓石には、人目をしのびそっと触れることもあった。

“ ああ、この作品を傍に感じていたい ”

 彼にそんな思いがいつしか芽生えていた。

 

 テレビのバラエティ番組の中で、消しゴムハンコが今、人気の趣味として紹介されていた。彼はそれをみた時電気が走ったように感じたという。

“ そうだ、墓石の拓本を採ればよいのだ ”

 彼は墨と筆、半紙を物置から取り出し、夜にお気に入りの墓石へ足を運んだ。そして人目を忍び、墓石に筆で墨を塗ると、半紙を押しあて拓本を採った。

 その後は念入りに水をかけあとが残らないように気を付けながらその場を後にした。

 

 緊張はしたが首尾よくお気に入りの拓本を採ることができ、彼は大満足であった。そしてさっそく部屋に飾ったのである。文字が逆さでも決してその感動は薄れなかった。むしろ墓石の拓本ならではの味わいに感じられた。

 

 特にその後騒ぎは起こらず、人に迷惑をかけているわけでもないと彼は思いこみ、ふたたびお気に入りの墓石の拓本を採りに出かけた。こうして作品はひとつひとつ増えていったのである。

 

 さて。町では夜中墓地で不審な人物を見かけたという情報が警察に届けられるようになった。寺からも墓石の名前のくぼみに、墨の痕が残っているという話が聞こえてきた。果たして夜の墓地で墨を使って何をしているのか? 誰もその奇行の意図が読めるものはいなかった。が、ひとりの若い警察官の中に、どうしても気になってしまう者がいた。是非その真相を確かめたいと、個人的な興味のもと、まったく仕事とは関係なく墓地の張り込みをはじめたのである。

 墓地を張り込む――ゾッとしないこともない。しかし数日のうちにその感覚も慣れ、車の中で鼻歌を歌いながらスマートフォンを扱っていると、怪しい人がやってくるのをみつけた。警官はスマートフォンの光を消し、怪しい男をじっと観察し、静かに後をつけた。

 やがて男は道具を使い墓石の拓本を採り始めたので、彼はすぐに警察へ通報し、自らも男に話しかけ、逃げられないよう現行犯で捕らえた。

 

 ――これが事件の顛末である。

 警察が彼の部屋に家宅捜索に入ったところ、部屋には一面に墓石の拓本が貼り付けられていたという。反転した文字が溢れ、墨の匂いが漂う部屋は、まるで異次元に迷い込んだかのようであったらしい。

 

 

                                       了

 

 


この本の内容は以上です。


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