目次

閉じる


I


 私はいわゆる現役で受かれば一九七八年の春に大学に入れる見込みだったが、高校時代まるで勉強しなかったので、 そもそも現役で受かろうという気すらなかった。それは高校三年の時に友人と一緒に受けた模擬試験の結果からも明ら かだったので、今にして思うと受験料がもったいなかったのだが、それでも一応受験することはして、案の定すべて落 ちた。志望は電子工学科とはっきりしていた。私はそれでも当時の代々木駅前にあった予備校の選抜クラスにもぐり込み 、がり勉をして翌年にようやく上智大学の理工学部電気電子工学科というところに入学した。   大学に入った私は、例によってへそ曲がりだったから、少なくともいい成績を取りたいとは思わなかったが、専門科目 は一生懸命講義を聴いたが、さっぱり分らなかった。しかしいわゆる一般教養科目の中には結構面白い授業もあり、そ ちらの方は勉強も楽しかった。  とは言っても入学と同時に十九歳の春に精神障害を発症した私にとって、結局のところ卒業することは出来なかった。 二年間通って三年めの頭に、ある専門科目の実験のレポートがどうしても書けずに、私はそれ以上の勉学をあきらめた。 たったの一科目でかと思われそうだが、その科目はどうしてもレポートを出さなければそれだけで卒業は出来ないと、 誰からともなく脅かされていて、小心な私はそれで断念したのだ。  今から思うと、中学生の時にアマチュア無線技士の免許を取得していた私は、電子工学は確かに興味があり、しかも一 九七九年頃と言えば日本ではじめてパソコンというものが登場し始めた頃だったこともあり、私自身としては何とか勉強 して出来れば大学院へも進みたかったのだが、結果的には向いていなかったのかもしれない。と言うのも大学をやめて落 ち着いてから私が一生懸命に読んだ本と言えば、もっぱらその頃「精神世界」と呼ばれていた分野の本だったからだ。 哲学や宗教学を体系だって勉強したわけではないが、とにかくoshoとクリシュナムルティに出会ってしまったのだから、 私はそれらの本に夢中になった。  ところで、大学の同じクラスには女子学生は一人も居なかったが、かなり変わった男子学生が一人居た。彼はいつもお どおどした様子で、彼がいったい何を考えているのか誰にも分らなかった。今にして思うと、誰も彼の声すら知らなか ったかもしれない。後に考えたら、彼は明らかに精神障害者だったのだが、とにかく誰とも口を利かず、クラスの一部の 連中の間では「猫」と呼ばれていた。風貌がまるで猫のようだったからだ。私もクラスの友人から「猫だよ、猫」と言 われてすぐに彼ののことを指しているのだと分った。歳も見当もつかず、小柄だったがかと言って特に身体が悪いように も見えず、私も口を利いたことがなかったのでよく分らないが、教室ではいつも前の方の席に座って熱心に勉強をしてい る様子で、成績は優秀な感じだった。陰で猫と呼ばれていたことを別にすれば、他の学生からいじめられていたわけで もなく、どちらかと言うと彼の方が我々を無視しているようにすら見えた。要するに、私も含めてクラスの友人たちの 誰も彼がどこの誰だか、そしてどういう人物なのかさっぱり分らなかった。ただ私たちに分るのは、彼が我々のクラス に属していることはたぶん間違いないだろうということくらいだ。まあどんな世界にもそういった人間はいるものだが、 結局私も二年間彼と口を利くこともなく、そんな彼の将来は大学を卒業できたとしても誰から見てもうまい具合に就職 出来たりするとは思えなかったが、彼がその後どうなったかは知る由もないのである。

 


II


 大学入学と同時に私は、「卓球を楽しむ会」というサークルに入った。当時上智には卓球のサークルが三つあった。一 番目にはいわゆる体育会としての卓球部であり、もうひとつは「卓球愛好会」であり、一番「軟弱」だったのが卓球を楽 しむ会であった。元より身体が弱く少しくらいは運動で身体を丈夫にしたいと思った私はそこに入ったわけである。練習 は一応、大学の体育館には一般学生向に常に卓球台が十台ほどが開放されていてそこでちんたらちんたらやっていた。先 輩の中には結構一生懸命やる人もいたが、私は教えてくださいなどとも言わず、ただたまに気が向いた日に体育館へ行っ て球を打って遊ぶだけだった。  私は、歳はひとつ上で学年はふたつ違いのそのサークルの先輩の女子学生を好きになった。しかしもちろん直接声など かけられない。それでも一年めの夏休みに彼女の帰省先の長野市に送った一通の暑中見舞いの葉書に思わぬ返事が来て 、私たちは、と言うより私は、夢中になって本格的に封書の手紙を書いて日常の何気ない出来事のやりとり(つまり文通 である)をひと夏交わした。彼女の方も地元でのアルバイトの合間を縫って三日と開けず返事をくれ、私は当時読んだ本 のことなどを一生懸命手紙を書いた。私の両親の職業と言うか商売は豆腐屋で、私はほぼひと夏の間早朝に起きて、朝の 豆腐製造に伴う肉体労働を少しばかり手伝っていた。そして朝のひと仕事を終えて私は、彼女への返信の文面を考える のが楽しみだった。そこには恋のこの字も書かなかったが、私は幸せな一時の恋の時を楽しみ、夏休みが終わって大学の 後期が始まるのを楽しみにした。  十月から大学の後期が始まった。ある日、放課後卓球で遊んで終わっても私と彼女はまだ一緒に学内に居た。真昼間の 東京に台風が襲来していたのである。かなり風雨が強くなっている。帰るべきかどうか私たちには選択肢はほとんどな いが、情報によるとこれからさらに風雨が強くなるということだったので、彼女も私も帰ることにして四谷の駅まで歩い たが、駅に着いてみると地下鉄も中央線も台風の影響ですでに止まっている旨駅員がアナウンスをしていた。「さて。こ ういう場合は、と」私は努めて冷静を装いながら二人で様子を見たが、しばらくすると彼女の帰路である地下鉄の運転 が再開されたらしいので、彼女は急いでそれに乗って渋谷方面へ向かった。私は都営バスが動いているらしかったので新 宿まで地下鉄で行って、それからバスで帰ることにした。  台風の夜、何とか家に帰った私は、しばらくしてから彼女の無事を確かめようと彼女の下宿へ電話をしてみたがま だ帰っていないようだった。もちろん携帯電話などのなかった時代である。仕方がないのでその日はそのまま寝た。翌日 大学へ行ってサークルへ顔を出すと彼女も先輩たちも居た。「昨日こいつバイトへ行ったんだってよう。根性だな」と 先輩たちが彼女の話をしていたので私もそれなりに驚いたのである。  私たちの手紙の交換は、大学の後期が始まってからも続いたのだが、あるときの彼女は手紙にこう書いていた。「私は はじめから誰かと間違えているのではないかしらとずっと思っていました。からかわれているのではないかしらと。後 期が始まっても、篠田君はとってもおとなしいし。でも真面目な篠田君のことだから、きっとそんなことはないと今で は思っています。これからも先輩後輩として(どちらが先輩か分らないけれど)よろしくお願いします。」  そんなことがあってからしばらくして私は前から知っていた彼女の時間割の教室の前で待って彼女を大学の前の土手の 道へ誘ってに恋を打ち明けたが見事に散った。彼女が口にした理由は自分の方が歳が上だからというものだった。私は「 押す」ということをまるで知らなかった。女ごころなんてまるで分らなかった。そんな私は、彼女のその一言で、「押す 」どころかあっさりと引いてしまったのだ。そしてすべては終わった。  八月に二十歳になっていた私が九月十九日の彼女の二十一歳の誕生日に何を贈ったかは忘れてしまった。彼女の卒業の 年のサークルの追い出しコンパにもとうとう彼女は顔を出さなかった。そして後にも先にも彼女は写真の一枚も私に残さ なかった。記憶をたどると、たぶん女優の藤谷美和子さんに似ていたように思う。  それだけと言えばそれだけの話だ。  そしてそれから二年後、病気が悪化した私は、クラスの連中には何の断りもせずに、さらに二年間の休学をしてから結 局大学を去ったのだった。


III


 私は一九八三年の年末近く、彼女に一通の手紙を認(したた)めた。久しぶりにお逢いしたい。自分の方からそちらへ伺 いたいが如何だろうか?返事は来た。日曜日の半日くらいならお逢い出来ます。わざわざ来て戴くのは申し訳ない が云々。  一九八四年の一月十五日の日曜日の朝の特急あさま号で、私は上野から長野へ向かっていた。もちろん彼女に逢えるの がとても楽しみだった。彼女には列車の座席番号まで伝えてあった。  国鉄長野駅の改札出口で彼女はベージュ色のコートをまとって佇んでいた。表情は硬かったが、数年前よりさらに美し い女性になっていた。 ちょうど昼に近かったので、私はせっかく信州へ来たのだし蕎麦を食べましょうと誘った。彼女 は口数も少なく、そば屋の座敷に向かい合って座って、一言「もう私には期待しないでください」と小さな声で言った 。私は「何も期待なんてしていませんよ」と明るく応じた。 「長野って意外と見るところなんて善光寺くらいしかない んですよ」「じゃあその善光寺へ行きましょうか」善光寺の静かな裏庭で私たちは静かに話した。「あれが安達太良山。 あの光るのが阿武隈川。なんてね」私は遠くに見える山々を指してそう言った。「あ、智恵子抄」彼女も応じる。「あの 山の名前分りますか?」「いいえ。地元に居て、かえってそういうの分らないの」それから私たちはまた長野駅前に向か って黙って歩いた。彼女の家に帰るにはまた、長野駅前からバスに乗らなければならないからだ。「じゃあぼく、今夜こ のビジネスホテルに泊りますから、もしまた明日気が向いたら電話してください」翌日も振り替え休日だったからだ。  しかし翌日のホテルのチェックアウトぎりぎりまで待ったが、部屋の電話は鳴らなかった。  彼女の姿を見たのも今度こそその年のそれが最後となった。そのベージュ色の後ろ姿は心なしか哀しげに私の脳裏に残 っていた。
 
                                      ー了ー

 

 


奥付



ベージュ色の後ろ姿


http://p.booklog.jp/book/123881


著者 : 篠田 将巳 (shinodamasami)
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/bluewinds/profile


感想はこちらのコメントへ
http://p.booklog.jp/book/123881



電子書籍プラットフォーム : パブー(http://p.booklog.jp/)
運営会社:株式会社トゥ・ディファクト




この本の内容は以上です。


読者登録

篠田 将巳 (shinodamasami)さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について