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ジーン編7

 西ザータの村長に剣をもらった後、急に手足が動かなくなったオレは、その頃から、小さな不安の種を抱えて毎日を過ごすようになった。

 看護係のジーンや医者には、言わなかった。格好悪い事に、――答えを聞くのが、怖かったからだ。

 

 不安に迷えば迷うほど、オレはこの世界の事が知りたくなっていった。子ども向けの書物を借りてきて、文字を覚え、毎日のように読んだ。地図を、熱心に眺めた。

 それでも、不安の種は消えてくれない。だからいっそう、この世界が知りたくなる。

 

 

 

 療養所のベッドに座ったまま、オレは机の上の『地図』を取って、毛布の上にばさっと広げた。

 「地図、ですか」

 看護係のジーンは、興味深そうな顔で言った。

 

 オレがジーンに地図を見せたのは、会話していて、ジーンが物知りだと思ったからだ。ジーンの言葉には、ガイとは違う面白さがある。

 

 ジーンは、毛布の上の地図を、座るようにして見た。オレは、この女性は背が高いのだろうな、と思った。元々低いとは思っていなかったが、かなり高いように思えた。
  

「すみません、この地図は、よくわかりません」

 ジーンは、立ち上がって、深々と頭を下げた。
「何がわからないんだ?」

 

「ごめんなさい、これが誰がどうやって描いたものなのか、わからないです。その人は、鳥のように飛んで地上を見たのでしょうか? 信用できないです。おまけに、地図というのは海や陸じゃなく、生活に必要な知識、国の名前を書いた方がいいのじゃないかしら? ディザータ王国しか、書かれていませんよ」
「確かにな」

 

 ジーンは面白い所を突いてきた。いったいどういう手段で、大地を見下ろしたようなものが描かれたのだろうか。オレにも、理解ができない。

 

 そこで、オレはある事に気づいてはっとした。
「ジーンは、文字読めるんだな? ディザータ王国って書いてあるの、わかっただろ」
「よくわかりましたね。女にも経験というものはあるのです」

 

 ジーンは不思議な目で、オレを見る。黒目が、まばたきするときよく動く。
「これは、『海』というものだそうだ」

 オレは、地図の端っこの方を指さした。


「そうですね、ごめんなさい、もうそろそろ、仕事に戻らなければならないので」
「へえ、本当にそうなんだ?」
「今度は本当ですよ」
 ジーンは口を手で隠して笑って、白い壁の向こうへ消えた。

 

 オレは、また、地図に目を落とした。誰が、どうやってこのような『大陸』や『海』などというものを描いてしまったのだろう。本当に、見たのだろうか。

 

 今のオレが住んでいるディザータ王国東ザータは、この大陸の北の方のようだ。

 この村から借りてきたものだから、一応、ディザータ王国とその細かい地方や村の名前は書かれている。ここから北にずっと行くと、首都プルミア市。さらに北に行くと、『北極』というものがあるらしい。ジーンが言っていた、『北極星』という星を、ぼんやり思い出す。

 

 塔の窓から、いつも星を見ていた。ガイの家にたどり着く前、オレはその星を目指して走った。あれは、北極星だったのか、と思う。本当かどうか、わからない。

 

 しかし、いくつか書物を見て、このディザータ王国の他にも国があると知ったオレには、とても粗末な内容の地図に思えた。犯罪者の父が言っていた『ザラム王国』さえ、名前がどこにも書かれていない。子ども向けだからだろうか。

 

 

 

 

 そういえば、今日はやけに静かだな、と思った。ガイが隣にいない。
 こういう気持ちになるのは、初めてだ。何と表現したらいいのだろう。
 

 この大地はたった一つ、『海』という水の上に浮かんでいるらしい。どうしてその発想が、この地図を描いた人にあったのだろう。今の自分に、どこか似ている。

 

「あの、キャメルさん」

 地図を見ながら空想にふけっているオレの後ろから、ジーンの声がした。
「何?」
「お食事、終わりましたか? あっ、まだでしたか。ごめんなさい。また出直しますね」
 オレの食事は全然進んでいなかった。色々と考え過ぎていて。

 

「地図を、見ていたんだ」
「ああ、地図ですね」

 

 ジーンはまたかがもうとして、何か考えて、また首を上げた。
「お食事が終わりましたら、その……一緒にお散歩でも、どうですか?」
 オレは、まっすぐジーンを見た。ジーンは、視線を少し右下にずらした。

 

「別にいいけど?」
 ちょっと面白いと思ったので乗ってみた。
「ありがとうございます。すみません」
 ジーンは頭を下げて、表情を隠した。そうオレには思えた。

 

「そういえば、立ち上がれるかな」

「キャメルさん、たぶん、もう大丈夫ですよ」
 オレは立ち上がろうとした。なぜか、このジーンという女性と散歩する事になるらしい。どうでも良かったけれど、自分は立ち上がれるようになっているのだろうか。足を木のベッドの横へずらして、重い体を起こした。
 

 オレは、立っている。散歩くらい大丈夫のようだ。少し、肩を回してみた。痛みも何も感じなかった。

 

「大丈夫そうだ」
「キャメルさん……」

 

 これは、オレにとっても驚きだった。――オレとジーンの肩の位置は、げんこつ一つ分くらいしか違わなかった。
 あまりジーンを意識して見た事が無かったな、と思った。
 非常に、背の高い女性だ。

 

「あの、ごめんなさい。お食事、まずかったでしょうか」
 ジーンは手を口のそばにもってきて言った。
「そんな事無いよ」
 オレはそこについては否定した。ここの料理はとても美味しい。

 

「あれは何て言う料理なの? 白い箱形のやわらかい、あの――」
「散歩しながら、『国』について語りませんか?」
 ジーンがオレの話に、かぶさるように言った。

 

「ここの女は、何も知らないと思われ過ぎています。わたしは、他の国の事情を、女としては知っている方のつもりです。――あなたの大好きな話、一緒にしませんか?」
「面白そうだな」
 オレが応えると、ジーンは袖で、口を隠して笑った。

 


この本の内容は以上です。


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