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 夏休みもあと少しで終わりです。学校のプールへ行った帰り、千玲(ちあき)は、同じクラスの陽菜(ひな)ちゃんから声をかけられました。

「ちーちゃん、地蔵盆一緒に行かない?」

 ちあきは、うれしくて大きな目をくるっとさせました。でも、やっぱりうつむいてしまったのです。

「行かないの?残念だね。じゃあまたね」

 そう言うと、ひなちゃんは、にこっと走って行ってしまいました。その後姿を見つめながら、ちあきは、ふーっと小さく息をはきました。去年の暮れにお母さんが死んでしまってから、いつもうつむいています。そして、誰かと話そうとすると、声がのどにひっかかってしまうのです。

 

 「かわいいわあ、ちーちゃん、よく似合ってること。お母さんが見立ててくれていたのよ」

 おばあちゃんは、鏡のちあきに笑いかけました。ちあきも、今は、ほわほわ綿菓子みたいに笑いながら、ゆかたの袖を広げてくるっとまわりました。紺地に浮かんだ黄色い鈴が、嬉しそうに歌っています。でも、おばあちゃんは、眉根を寄せてちあきの顔をのぞきこみました。

「ちーちゃん、一人で本当に大丈夫?一緒に行きたいけれど、こう膝が痛いとねえ。お父さんの帰りを待ちましょうよ」                    

 そう言われて、ちあきは、

「もう四年生だもん」

 鏡を向いたまま胸をそらせました。それから、目を伏せて早口で言いました。

「ひなちゃんと一緒に行こうって約束したもん」

「まあそうだったの、安心したわ。じゃあこれ、一緒におあがりなさいね」

 おばあちゃんは、いそいそと下駄をそろえています。ちあきの胸にチクリと針がささりました。でも、だまってバスケットを受け取ると、大急ぎで玄関を出ました。

「おばあちゃん、うそついてごめんなさい。でも、今日は、お母さんと約束したことがあるから」

 走りながら、そっと言いました。

 

 ちあきの家から坂道を下りて、小さな橋を渡ったところのほこらに、お地蔵さまが祀られています。今日は、赤いよだれかけも新しくなり、すましているようです。その前には、お菓子がどっさり供えられていました。『鈴地蔵さん』と親しまれているこのお地蔵さまは、右手に輪の付いた杖を持ち、左の手のひらに鈴を乗せて、ふっくらとほほえんでいます。いつものように、ちあきは、ていねいに手を合わせました。

 川沿いの道を進むと広場があり、やぐらから、にぎやかな太鼓やお囃子が聞こえてきます。踊りの輪もできているようです。

 いつもはひっそりとした暗い道にも、色とりどりの提灯がつけられ、鮮やかなのぼり旗が風に揺れています。道の両側には、屋台がまぶしいくらいぎっしりと並んでいます。行き交う大勢の人は、だれもみなにこやかです。

 ちあきは、ほこらから左の稲荷神社へ続く小道へ進みました。赤い鳥居の前には二匹の石の狐が向かい合って座っています。そこから石段と鳥居が真っ暗な奥までずっと続いています。ちあきは思わず引き返したくなりました。でも、お母さんと来た去年のことを忘れることができません。

 

「ねえ、ちーちゃん、奇跡を起こそうよ」

 いたずらっ子のようにお母さんが言いました。

「またあ、お母さんたら、そんなこと言ってないで早く向こうの屋台で何か買おうよお」

 ウインクしたお母さんは、いつもバッグに付けているお守りの鈴をその狐のしっぽの下へもぐりこませました。

「これがこのまま来年の地蔵盆まであれば奇跡が起こるの。この狐は神様のお使いだからね」

「はいはい奇跡ね。私が百メートル泳げるとか」

 これではまるで妹のようだとあきれながら、ちあきは答えました。

「お母さんがすっごい美人になるとか。うわあ、どうしようかしら」

 二人で、あははと笑ったのでした。

 

(あの鈴がそのままあれば奇跡が起こる。お母さんに会える!)

 ちあきは、バクバクする胸をおさえながら、狐のしっぽの下に手を入れました。

(あった!)

 汚れた鈴をきれいにふくと、金色に光りました。ぎゅっと胸の前で握りしめたその時、

「お嬢ちゃんにはこれがぴったりだよ」

 暗がりから声がして、ちあきは飛び上がりそうになりました。その声は、向こうの鳥居の陰に裸電球が一つ、ぼんやりともっている屋台からです。

 こわごわ近づくと、その屋台には、きつねのお面が並べられていました。笑っているのや怒っているの色々あります。つるつるの頭で真っ赤なシャツを着たおじさんが、ふっくらとほほえみながらちあきを見ています。

「じゃ、そ、それください」

 あわてて財布を出そうとして、百円玉が転がりました。

「これでいいよ」

 おじさんは、おなかをゆらしながらお金を拾うと、ほっぺがピンクのかわいいお面をちあきに渡しました。それから、ちあきの鈴をじっと見つめると、

「お嬢ちゃん、それはとてもいい鈴だね。大切にするんだよ。そしてね、何か困ったことが起こったら、その鈴をふって『ネノズス』って言うんだよ。ただし、とびきり大きな声でな」

 そう言って、またふっくらとほほえみました。

 ちあきは、そのお面をつけてみました。やわらかくて顔に吸い付くようでした。そっと耳のそばで鈴をふってみました。

 りりーん。

 澄んだやさしい音色です。

 ザザザザーッ。

 その時、突然、辺りの樹々が枝を揺らしました。激しい風に巻き上げられた木の葉が、ちーちゃんのまわりでぐるぐる渦巻になって踊りました。すると、ちあきは、ふわっと空に舞い上がったような気がして、ぎゅっと目を閉じました。

 りりーん。

 風の音に混じってかすかに聞こえていた音が消えると、下駄が土に触れました。こわごわ目を開けると、後ろに赤い鳥居がずっと続いています。前の方から太鼓やお囃子がかすかに聞こえてきました。ちあきは、そろりそろりと、音のする方へ震える足を進めました。

 川沿いの草ぼうぼうの細い道の両側には、赤い提灯が灯され、赤いのぼり旗が風に揺れています。小さなほこらには、お地蔵さまが座っていました。でもどう見てもきつねです。広場にはやぐらも立って、踊りの輪ができているようです。

「あれっ?」

 ちあきは、何度も目をこすりました。でも、踊っているのは浴衣姿のきつねにしか見えませんでした。ただ、口をぽかんと開けたままつっ立っていました。

「おいしそうなにおい」

 すると、横から急に声をかけられました。紺地に赤い鈴の浴衣を着た女の子、いえ、きつねがバスケットに鼻を寄せています。

「いなりずしでしょ、いいにおい」

「どうしてわかるの?お、おばあちゃんが作ったの。食べる?」

 いなりずしは、おばあちゃんの得意料理です。

「わーい、いいの?うれしい」

 その子は、近くの縁台にふわふわのしっぽをくるっと寄せて座りました。ちあきも、こわごわちょっとおしりを乗せると、バスケットを渡しました。

「おいしい!おいしいねえ。わたし、みすずっていうの、みーちゃんだよ。あなたは?」

 その子は、いなりずしをほおばりながら、ちあきを見つめました。

「わたし?ちあきっていうの」

 うつむいてやっと答えると、

「えっ、聞こえないよ。もう少し大きな声出さなきゃあ」

 きつねのみーちゃんは、にこっとしてそう言いました。

「ちあき、ちーちゃんって呼ばれてるの」

 今度は少し大きな声が出せました。

「あらっ、ちーちゃんの声、鈴みたいにきれい。そんなに小さいともったいないよ」

 みすずは笑いかけました。そして、ちょっと手を合わせると、ぴょこんとおじぎをしました。

「ごちそうさま!こんなおいしいいなりずし、初めて食べたわ。私ばかり食べてごめんね」

 そう言って、お腹をぱんぱんたたきました。

「地蔵盆って楽しいね。ちーちゃんも好き?」

「うん、大好き。ゆかた着るのもうれしい」

 ちあきの声が、のどにひっかからずに出ました。

「うふふ、ゆかたおそろいだね。ちーちゃん、かわいい」

 みすずにそう言われると、ちあきの胸はぽわぽわして、もっと話したくなりました。

「みーちゃんもかわいい。ねえ、お地蔵さまって子どもを守ってくれるんだって。それで地蔵盆はそのお礼をする日なんだって」

「へー、そうなんだ。ただのお祭りだと思ってた。ちーちゃんてすごいね」

 茶色いガラス玉みたいな目をくるっとさせたみすずが、しっぽをぱたぱたさせて言いました。すると、ちあきの胸のぽわぽわが、もっとぽわんぽわわんとなりました。

「お父さんに聞いただけだもん」

 ちあきは、お面の下の顔を赤らめて言いました。

「そうなんだ。お母さんは?」

 そう言われて、せっかく笑っていたちあきの顔が、くちゅっとゆがみ、涙がもりあがってきました。

「お母さん、ね。車にはねられてね、もういないの。わたしをね、かばって、それで、それで」

 あとからあとから涙があふれてきました。

「三年生の時は、お母さんと来たんだよ、地蔵盆」

「わたしもお母さんいないよ。わたしが赤ちゃんの時に、向こうの広い道でトラックにひかれたって」 

 目を見張るちあきに、みすずは続けて言いました。

「お母さんはお星さまになったの。いつも見ててくれるの。だからね、元気にしていないとお母さんが悲しむでしょ。さっきもお地蔵さまに約束したもん」

 静かに、でもはっきりと話すみすずに、ちあきは何と言えばいいか分かりませんでした。涙でぬれてしまったお面をそっとはずしました。空を見上げていたみすずは、ちあきに目をやりました。

「に、人間?人間がどうして?」

 驚いて見開いていたみすずの目が、やわらかく下がりました。そして、くすっと笑うと、

「なかよしの握手」

 そう言って手を差し出しました。ちあきは、涙をぬぐうと、みすずと手をつないで、空を見上げました。星がちかちか笑っているようです。二人は、顔を見合わせると、手に力をこめて、にっと笑いました。

 そのとき、急に広場の方が騒がしくなりました。

「人間のにおいがするぞ」

「気をつけろ」

 きつねたちの騒ぐ声が近づいてきます。みすずが、さっとバスケットとお面を持つと、ちあきを大きな木の陰に連れて行きました。ちあきの歯は、ガチガチなっています。みすずの手を強くにぎり、目をつぶりました。その時、思い出したのです。あのお面屋のおじさんの言葉を。

「ネノズス!」

 ちあきは、金色の鈴を握りしめて叫びました。ありったけの大声で。

 ザザザザーッ。

 辺りの樹々が、枝を揺らしました。激しい風に巻き上げられた木の葉が、ちあきのまわりでぐるぐる渦巻になって踊りました。ふわっと空に舞い上がったちあきは、お母さんにしっかりと抱きしめられていました。もう何も怖くありませんでした。そして、大きな声で叫びました。

 りりーん。

 静かになっていく渦の中で、ちあきは大きな声で叫びました。

「みーちゃんありがとう。またきっとねえ。お母さんありがとう。お母さあーん!」

 りりーん。

 はっと我に返ると、ちあきは、鈴地蔵様の前に立っていました。向こうから花柄のゆかたを着たひなが、お母さんと歩いて来ます。

「ひなちゃーん」

 ちあきが大きな声で呼びながら手を振ると、びっくりした顔のひなが、走ってきました。

「わあ、来れたんだ、よかったねえ。いっしょに綿菓子買わない?」

「うん、おばあちゃんへのお土産も買いたいな」

 二人は跳ねるように駆けだしました。

 ちあきが橋の方へ目をやると、ネクタイをしたままのお父さんが、笑いながら手を上げました。ちあきも、グーのままの手を勢いよく振りました。その手にはしっかりと金色の鈴が握られていました。


この本の内容は以上です。


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