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「あなたという存在の意味」

※あくまでも私の見解です。ご参考までに※

 

 

「あなたという存在の意味」は
 日常生活を送る事です

 

 

何を言っているのか、分かりませんよね

 

 


期待はずれだったかもしれません

 

 

 

でも基本中の基本だと思うのです

 

 

 

何故ならば「あなたという存在」は
社会を動かしているからです

 

 

 

それは年齢問わず、お仕事をしている
お休みされていても同じです

 

 

 

学校に行っている その選択をしないと
決めている現状でも同じです

 

 

 

健康で過ごしている 入院されている間も
同じなのです

 

 

 

どういう事かと言いますと・・・、

「皆さん、歯ブラシを使いますよね?」

 

 

「そう、歯を磨く歯ブラシです」

 


もう少しだけお付き合い下さいね

 

 

その歯ブラシは、お店で購入されましたか?

 


ホテルや旅館のアメニティで持ち帰りOKの
歯ブラシでしょうか?

 

 

歯ブラシ1本、あなたの手元に来るまで
どこにあったのでしょうか?

 


歯ブラシが製造される過程を考えてみて下さい

 

 

歯ブラシを作る原料を扱う会社から
歯ブラシを製造する会社

 

       ↓

 

その歯ブラシをお店へ運ぶ運送業者

 

       ↓


お店に届いた歯ブラシを検品する担当者さん

 

       ↓


店頭に並べる店員さん 

     
       ↓

 

レジで会計を担当する店員さん


       ↓

 

まだまだ多くの方が携わっているでしょう

 

 

歯ブラシ1本に、これほどまでに多くの方の
生活が関わっているのです

 

 

自分が1本買った所で
「そんな大袈裟な・・・」と思うかもしれません

 

 

 

でも購入する前と後では
明らかに1本分の売り上げが異なるのです

 


1本分の給料が、携わっている方々に
影響を及ぼしているのです

 

 


他にも、身の周りを見てみて下さい

 


自分が、何かしてもしなくても
社会は変わらないし

 

 


自分なんて無力だと思う前に
自分が日常生活を送っている中で

 

 

 

何をしているのか、何が出来ているのか
考えてみて欲しいのです

 

 

 

きっと自分の周りが動き出すのを感じると
思うのです

 

 


社会の中で、確かに自分は存在していると・・・。

 


「一人でいる時」と「一人で過ごしている時」

あなたは、自分から話しかけられる方でしょうか?

 


それとも声を掛けてくれるのを待つ方でしょうか?

 

 

 

新たに集団生活を送られる方にとって
最初の数日は、一人でいる事に臆病になってしまう

 

 

そのように感じられる事があるかもしれません

 

 

「一人でいると思われたくない」と
思う事があるかもしれません

 

 

物理的に「一人でいる」事に変わりはないのですが
「一人で過ごしている」と思う事で

 


人目を自分に向けるのではなく
自分で自分を見つめていると思う事は
出来ないでしょうか

 

 

 

この時間は、とても大切だと思うのです

 

 

とかく日常生活では、期待に応えようとしたり
無理に合わせたり、不都合に思える事が
積み重なってしまいがちだと思うのです

 

 

 

それらに疲れすぎないためにも
「一人で過ごしている時」は
自分が自分でいられる時間だと思うのです

 

 

 

その時間を濃く深く味わう事が出来るからこそ
誰かと一緒に過ごす時間を、愛しく思う

 


誰かと一緒に過ごすから、わくわくが止まらない

 


誰かと一緒に過ごせたから、楽しかった思い出

 

 


それらもまず一人で感じられたからこそ
二人でも感じられる

 

 

そう感じるために、今一人でいる

 


「一人でいる時」~声を掛けてみる~

新しいクラス・新しい職場・引っ越し先等
初めての環境で、「初めて声を掛ける」という事は
誰しもハードルが高く感じられますよね

 


「今日も話しかけれなかった・・・」

 

 

なかなか最初の一言が言えない・・・、という事が
あるのではないでしょうか

 

 

「最初の一言」=「会話の成立」という事が
ハードルが高く感じられる要因かもしれませんよね

 

 


こう言ったら、相手がこう返事をして
そうしたら次にどう言えばいいんだろう???と

 


会話の先の先まで予測をして
その予測に不安を感じるのかもしれませんよね

 

 

 

そのような時は、「一言」声を掛けてみませんか?

 

 

相手の返事がどう返ってくるかとは思わず
まず自分から「一言」声を掛けてみるのです

 

 

 

例えば、教室に入る時に、出ようとしていた方が
先に自分が入れるように譲ってくれた時等に

 

 

「お先にありがとうね」とか
「すみません。ありがとうございます」と

 

 

一言伝えるだけでも、全く面識がない相手では
無くなると思うのです

 

 

その後も、顔を合わせる事があれば
「さっきは、ありがとうね」と伝える事で
お互いの存在を認識し合うのだと思うのです

 

 

職場で、エレベーターがある場合も同様で
降りる時に「開く」ボタンを押して下さる方に

 


「ありがとうございます。お先に失礼します」と


声を掛ける事で、あの部署の〇〇さんだと
認識して頂けるのではないでしょうか

 

 

他にも「明日の持ち物を教えて欲しいんだけど」と
席が近い子に聞いてみる事で、共通の趣味を発見したり
するかもしれませんよね

 

 

勿論、本当に分からない時に聞くのが大前提ですよ

 

 

普段から言っている、そのような「一言」から
声を掛けてみると、思っていた以上に
相手との距離が近く感じると思うのです

 

 

そのような事は、日常生活でも良くありますよね

 

 

 

買い物先でも「良かったら、お先にどうぞ」とか
ちょっとした「一言」を交わす事で
見知らぬ方同士、心が通い合うのを感じて
とてもほっこりして、嬉しく思いますよね

 

 

 

何気ない「一言」を交し合える事が
自然と「会話」に繋がると思うので
まず声を掛けてみてはいかがでしょうか

 


「明日」と聞いて、何を感じていますか・・・。

明日と聞いて、何を感じていますか・・・。

 


明日と聞いて
あなたの中から消したい事ですか・・・。

 


もし「明日」が
あなたの命を脅かすのだとしたら

 

 


「明日」に行かないで下さい

 

 

 

「明日」に行かない事は
決して逃げる事ではありません

 

 

 

「明日」に行かない事は、「命を守る」事です

 

 


「命を守る」という事は
「あなたの存在」を守る事です

 


「あなたの心」を守る事です

 

 

 

そして「これからの人生が続く」事なのです

 

 

 

どうしても「明日」は、来ます

 

 


「明後日」来月、来年・・・、に進むためには
「明日」を通らなければいけません

 

 

でも、その「明日」は、あなたが選べるのです

 

 


「明後日」来月、来年に続く「明日」を選んで欲しい

 

 

 

行かない事で得られる
「これからの人生」を進んで欲しい

 

 

「行かなくて良いんだ・・・」と
思いたいけど思えないならば

 

 


「行かなくて良い」という選択だけを
親御さんは、選ばせてあげて欲しいです


それは親御さん自身も
同じように苦しくて大変なのかを承知の上で
「守る場所」になって欲しいと、切に願います

 

 


大切な我が子の手を離さないで欲しいのです

 

 


その手が、遠く離れないように
しっかり繋いで欲しいのです

 

 


いつか・・・、その繋いだ手から
「明日」に行く日が来るまで
しっかり繋いであげて欲しい・・・。

 


受験・就職活動の方へ

 望む結果を求めて、日々取り組まれている事と
思いますが、「結果を求めすぎる・・」と
感じる事は無いでしょうか?

 

 

 

人は誰しも「結果」は、イメージしやすいと思います

 

 

でも「過程」をイメージする時に

出来れば避けたい事柄や
後回しにしたい事を直視したくないと

 


心のどこかで感じていると
おおよそで計画を立てる事は無いでしょうか?

 

 

 

ある程度、その過程に沿っていれば
結果が得られるし、得ようと思えば得られる

 


と、私もついそう思ってしまいます

 

 

 

でもそのように積み上げられた上には
ちゃんと望む結果が、揺ぎ無くあるだろうか?と考えた時に

「過程」=「積み木を積む」事だと思ったのです

 

 


その事だけでなく、枠から飛び出して
新たな発想で、新たな何かを実現したい時にも
「積み木を積む」過程に置き換えてみませんか?

 

 

 

小さな子供が、積み木を積めるようになるには
まず何から始めると思いますか?

 

 

 

我が子の場合では、まず積んである積み木を

「ガラガラ、ガッシャーン!」と

何度も崩す所から始まりました

 

 

次に、積み木を横に並べるのです

 

 

大人からすると、積み木は積む物ですから
「えっ?積まないの?」と思いますよね

 

 

3段階目で、やっと積み木を積めるようになるのです

 

 

1段階目の崩してしまう時は

「あ~でもない」「こうでもない」と模索して
方向性を考えたり、今の既成概念を壊してみる

 

 

 

2段階目の横に並べる時は

「こうしていけば良いんだ」と方法が見つかったり
継続していく事を表していると思うのです

 


3段階目の積み上げる時は

勉強でしたら「知識」を表していると思いますし
「経験」も同様だと思います

 

 

 

でも大事なのは、「事実」をいくら積み上げても
そこに「自信」が伴っていなければ
横から微かな力でも押されたら崩れてしまいます

 

 

 

「そんな自信なんて無いよ~」と思われたら
あなたが積んで来た積み木を見てみて下さい

 

 

 

高く積まなくても良いんですよ
沢山積む事が、何かを成し遂げられるのではなく

 

 

「何を積んだのかが大事!」なのです

 


自信を持って取り組んで来た積み木を
積み上げられたのなら・・・、

 


力を入れなくても、ふっと望む結果が
あなたという土台の上に、積み上がる事でしょう

 

 

 

どこまで積みましたか? どう積んでいきますか?

 

 

 

 



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