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第2章 ジーン編1

 ずっと、床を這っていたのだ。イグサの敷かれた、床だった。
 長い長い冬。イグサをつかむと、それは土より少しだけ、暖かい。
 オレは、小さい頃に見たものを、ほんのわずかに、覚えている。
 

 そして、部屋の奥の方にまきが積んであって、そこまで小さな手足で這っていった。
 まきをカンカン鳴らして、遊んだ。

 オヤジに叱られて大声で泣いた。そんな記憶がある。
 いや、それともただの、長い夢だったかな。

 

 

 

 

「おい、人殺しのキャメル」
「はい」
「これ、何本に見える?」
 ガイは指を三本立ててみせた。

 

「三本です。ガイ、それ、人をバカにしてないですか」
「いや、目が見えてるかなと思って。ははは!」

 ガイは、大げさに手をたたいて笑った。

 

 片目でガイを見る。もう片方の目は布で覆われていて、白い霧がかかったようにしか見えない。
「そして、その『人殺しのキャメル』っていうのは」

 オレは、腕を組もうとして、失敗した。腕に、ひどい火傷があるようだ。

 

「あっ、『人殺し』ってつけたら面白ぇかと思って! ははは。あっ、止めてほしい? そんな風にも見えないけど!」
「違いますよ、面白いかと思って!」

 

 笑おうとして口の筋肉を動かそうとしたが、あごの横あたりにひどい痛みが走る。笑える状態でさえなさそうだ。
「つまり、オレは笑えもしねえほど、ボロボロなんですね」

 

「お前、なんとなく俺と言葉遣い似てきたなあ。似てこん方が将来のためになると思うよ。若いお嬢ちゃんたちは『僕』って言う方が清楚な感じがして好きらしいから、そう言っといたらいいんじゃね。お前、ちょっと堂々としすぎて若い子近寄りにくい感じがあるよ。寝てたときは俺だってきっとお嬢ちゃんたちだって、天使か何かだと思ってたらしくてみんな寄ってきてたけど、今お前けっこうその目開くじゃん。そうすると、ちょっとその目横幅大きくて、うーん、やっぱ俺の初恋のお姉さんに似てるなー。ちょっと目が現実離れしてるところが。そしてあんた、ボロボロだから、――村長から大きめの鏡借りてきたけど、見たい?」

 

「借りてきたんですか」
「そんなわけねえだろー。お前また、ちょっと伏し目がちー」
 そう言いつつ、ガイはオレに、鏡をパッと見せた。

 

「自分の顔が映るんだよ、お前はもう知ってたかもしれないけど。けっこう貴重なものだから、割るなよー」
 これが、自分の顔。特に、感想は無かった。ガイとはまったく違う感じの、長い髪の男だ。しかし、頭にも、腕にも、目にも、布や包帯が巻かれていた。

 

「上半身、起こせるならチェスでもやろうぜ?」

 ガイは、両手を組んで、面白おかしく振った。
「遠慮します」

 

「お前、はっきり言うなあ。せっかくチェスの道具も、借りてきたのに」
「借りてきたんですか」

 オレがはっきり言うので、ガイはちょっとすねた顔をした。

 

「それよりここで、学びたいな」
 オレは、東側のテーブルの、光と影を見た。

 

 あの放火事件から、何日過ぎただろうか。この東ザータの街並みは、すっかり変わってしまっていた。焼けて黒くなった家。壊れてしまった家。それでも、人々は健気に暮らしている。

 

 ガイは頭を少し打って、気絶していただけのようだった。オレの方が、火傷でボロボロだ。何事も無かったように、小さな療養所は静まりかえっている。ベッドは八つだけだ。

 

 オレは、いつの間にか、この世界をもっと知りたいと思うようになっていた。女村長には言わなかったが、オレは半分は外国人。『ザラム王国』という国があるらしい。オレの心の汚れた父は、そこから『舟』で『ディザータのトレイント市』に来たと言った。ディザータ王国以外にも、国があるのだ。

 

 ガイが、オレの顔をのぞきこむように言った。
「学びたいのか。俺なんて授業が嫌であんまり法とか歴史とかそういうものは知らんけど。そういう人もいるんだなあ。明らかに村人に信用がねえ俺から村長にでも言っとくぜ! いつかチェスやろうな」

 

「ガイは授業に出てなくても、まともだと思いますが?」

 オレは、寝た姿勢のまま言った。
「虚しさから狂気に頭突っこんでる俺が? ははは。初めてのチェスは金賭けてやる?」
 ガイは高らかに笑って去った。

 

 少なくともこの傷が治ってからだし、いつになるかはわからない。でもオレは、いつかは、あの星まで行ってみたいと願うのだ。自由を夢見た昔のオレは、夜になると、小さな窓から毎日その星を見ていた。

 他の星は、小さなオレを置いてどこかへ行ってしまう。その星だけが、いつもそこにあった。どうやったら行けるのだろう。どうして、見ていてくれるのだろう。そんな事を、寝ながら考えていた。

 

 

 

 誰とも喋らずにしばらくは寝ていた。つまらなくて、看護を担当する若い女性にきいてみたのだ。『ザラム王国』はどこにあるのか。『星』はここからどうやったら行けるのか。

 

 彼女は、どちらも『わかりません。ごめんなさい』と答えた。

 

 ガイに、次の日になぜかたずねてみた。ガイは、女性はまともな教育を受けていないから、知らないのだと言った。
 オレの知らない、この世界。虚しいほど、大きすぎる。それより現実の問題として、少し動くだけで、体に相当な痛みが走る。生きていられただけ、マシだと思わなければ。


この本の内容は以上です。


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