閉じる


目次

<目次>

 

 (1) 島国の人

 

 (2) この人ならざる<もの>たち

 

 (3) しらすのどんぶり

 

 (4) 894年の大英断

 

 (5) 勝つことの前に……

 

 


(1) 島国の人

 

 島国の人は、自分がどう思われているのか、どう見られているのかを気にすると言います。

 

 だから、島国である日本では、『日本論』とか、『日本人論』とかが大いに語られるのであるというような論調をかつて読んだことがあります。

 これだけ、自分の国のことや自分たちのことを気にかける国はないというのです。

 

 それを読んで、私は大いに納得したのです。

 だって、日本人である私自身、自分が生徒にどう見られているのか、あるいは、思われているのか、できるならば、いい先生であるという評判を得たいと思っていたからです。

 その実、教師というのは、生来、生徒には嫌われるものであって、怒ったり、説教したりが仕事ですから、好かれるはずなどないのです。

 

 それでいて、そのようなことを思うのですから、やはり、日本人なんだと。

 

 マルコポーロの『東方見聞録』が描く日本の姿に微笑んだことを覚えています。

 その一つが、日本は黄金の国という話です。

 

 誰かが書いていました。

 海辺から陸地を伺い、そこにある農民の家の茅葺の屋根が日の光にあたり黄金に輝いていたから、そう思ったのだと。

 

 でも、そうかな、さほどに輝くものかなと不審に思ったことがあります。

 

 それより、金閣寺や金色堂のように金箔を貼った建物があり、それが誇大に伝えられたというだけでいいのではないかと思っていたりしていたのです。

 マルコポーロ自身、実際日本には来ていませんでしたから、伝聞によるイメージが欧州人であるマルコの心を鼓舞したのではないかと思っているのです。

 

 でも、自分の暮らす国が「黄金の国」であると書かれて、悪い気はしません。

 

 さて、そうした日本を良く語ってくれる外国人の文章では、江戸末期から明治初期に来日した欧米人たちの残した文章は、私たち島国人の心を大いにくすぐってくれます。

 

 あのハリスが姉崎という下田の近くの漁村を巡ったときの記述では、私は胸を張るのです。

 

 『貧しい漁村であるが、身なりはさっぱりしていて、態度も丁寧である。

  この村の人間には、貧しさにつきものの不潔さがない』

 

 こう書いているのです。

 きっと、アメリカ人を見たこの村の日本人は、その姿に対して、腰を折り丁寧にお辞儀をしたのでしょう。

 仕事着は毎日洗濯して、こざっぱりしていたに違いありません。

 それが誇らしいのです。

 

 さらに、ハリスはこうも書き残しています。

 

 『山には段々畑が尽きることなくしつらえてあるし、神社仏閣に通じる道は、石段が組まれている。

  これは一人の人間がなし得ることではない。

  つまり、この国の人々は共同で作業をすることができる人たちなのだ。』

 

 これも、私たちの社会のありようを誇るに足る十分な記載だと思うのです。

 今も、災害が起こったときなど、確かに、悪いやつもごく少数は出てくるのですが、大方は協力して、救援物資を多くもらおうと一人抜け駆けをしたり、あるいは、ごまかしたり、時に、海外で商店の品物を略奪するなんていうことが起きない日本を誇れますが、それもそこに通じているのだと思っているのです。

 

 オールコックというイギリス公使がいました。

 彼の著した『大君の都』でも、日本人は実に簡素な生活に満足している。多くの者たちが生涯を生まれ育った土地で過ごし、村の風習にしたがって幸福に暮らしていると綴っています。

 

 よその土地に行きたくともいけない政策があったことは確かなことです。でも、それを苦にせず、ならば、自分たちの生まれ育った土地をどこよりも楽しくしようではないかという思いを、オールコックは彼の言葉で綴ったのです。

 

 当時の東北を旅した女性イザベラ・バードは、『日本奥地紀行』なる一冊を残しています。

 

 とある村にたどり着き、暑がっていると、そこにいた娘が扇を持って来て、小一時間休むことなく扇いでくれたというのです。

 出発に際して、扇いでくれた代金を問うと、要らないと。

 客人に辛い思いをさせたくないというおもてなしの心から、そうしただけなのです。

 イザベラはこのことに感動するのです。

 

 あのトロイの遺跡を発掘したドイツ人実業家シュリーマンも来日して、このような記事を綴っていました。

 

 『この国の役人に対する最大の侮辱はお金を渡すことである』と。

 

 シュリーマンは、来日する前に清王朝が支配する中国を訪問しています。

 あの国を旅するには、その土地の役人にいくばくかの金銭を渡さないと旅はできないことを思い知らされていたのです。

 ですから、同じ東洋の国の日本でも、おそらく、そのような振る舞いに出たのではないかと思います。ところが、日本の役人に、そうではないと言われたことに驚きを示したのが先の記述なのです。

 

 少し時代は新しくなりますが、あのボーヴォワルもまた記述を残しています。

 

 『平和であり争いを好まない日本の人々は、礼譲と優雅に満ちた気品ある民であった。

  人々はだれかれとなく挨拶を交わし、口元に微笑を絶やさない。

  茶屋の娘も農夫も旅人も、皆心から挨拶の言葉を掛けてくれる。

  地球上最も礼儀正しい民族であることは確かだ』。

 

 こちらがこそばゆくなるくらいの賛辞です。

 

 だって、今、散歩の途中、あるいは、ロードバイクで走っているとき、すれ違う人に挨拶しても仏頂面でいる人も少なからずいます。電車の座席を争い、席を譲りもしませんし、それを譲れと年寄りが横柄な権利を要求してくる時代です。

 まして、文科省の高官が賄賂を受け取るなんて。

 

 島国の人として、いささか小っ恥ずかしくなっているのです。 

 


(2) この人ならざる<もの>たち

 

 私のApple Watchのガラス面にちょっとした傷ができました。

 

 どこで、どうして傷ついたか記憶にはありませんが、腕に年がら年中つけていれば、傷の一つや二つ、つくものだと大して気にもとめません。

 当たり前のことであり、その傷こそが、それが私のものである証になると思ってもいるのです。

 

 ところが、先日、卓球のメンバーで恒例の食事会をした時のことです。

 私は、何気に、Apple Watchのガラス面にできた傷をさすっていたのです。

 この時、運悪く私が陣取った席は、あのやかましい女性陣たちのそばでした。その彼女たちが、保護ケースがあるでしょうと言いながら、Apple Watchとは関係ない、自分たちのスマホを、それぞれの人が取り出し始めたのです。

 なんとも豪勢な革張りのケースであったり、華やかな色のおしゃれなカバーであったり、それを私に見せつけてきます。

 

 なんで、そんなことをするのと私、思わず口にしてしまったのです。

 

 スマホの画面を守るためよ。

 スマホはみな同じだから、自分のものだとすぐにわかるためよ。

 あなた、おしゃれというものがわからないの。

 ……

 書くもの面倒なくらい、つまらない言い分を展開します。

 

 その時計だって、きっと、ガラス面を傷つけないように保護するものがあるはずよと、ちょっとIT機器にうるさそうな女性が言います。

 さらに、綺麗にしていれば、下取りの時にちょっとは高く捌けるじゃないなどと言うのです。

 

 私、捌くつもりなどさらさらないし、下取りに出すつもりもないんだけどって、そして、彼女を私の書斎に連れてきて、歴代のパソコンからiPhoneから全部見せてやりたくなったのです。

 どれもこれも、電源をオンにすれば、きっと起動する代物です。

 

 そんな女性連の喧騒の中に身を置きながら、私、実は別のことに思いを馳せていたのでした。

 

 日本人は、自然界のすべてのものに固有の霊が宿ると信じて疑わない民族であることはいうまでもない。

 いわゆる、アニミズムというやつだ。

 だから、道端に転がっている石ころにも、川の流れにも敬意を示して、祀ったりする。

 その精神作用は、極めて自然な流れの中で、無機物にも及んでくるんだ、って。

 

 そんなことに思いを馳せていたのです。

 

 そういえば、私たちは、生き物ではない、無機物にもそのアニミズムを発揮していると、その時私思ったのです。

 

 <おしゃれに部屋を飾る小物たち>というのは、今朝の新聞広告に打たれていたコピーでした。<つくばにオープン!中古だけど味わいの濃い家具たち>というのは、折り込みの広告の言葉でした。

 

 何が問題かと言いますと、<たち>という言葉です。

 

 日本語では、<たち>は人を表す名詞や代名詞に付く接尾語としてあります。

 平安の時代の「公達(きんだち)」のように、若干の敬意を伴う表現でありましたが、今では「ぼくたち」のように自称に付けたり、「犬たち」「鳥たち」のように動物につけたりする言葉ですが、無機物につけるのは、正しい使い方とはいえないからです。

 

 でも、昨今のIT機器の入った道具を見ていると、おそらく、無機物につけることも自然なこととして認識されるようになったと辞書の記述が訂正されるのではないかと思っているのです。

 

 だって、無機物である我が宅のいくつかの家電は主人である私に命令、もしくは提案をしてくるのですから、そうなれば、それらは犬以上ということになるわけです。

 

 鍋が熱くなってきました、火力が弱まります。(はやく調理なさい!)

 お風呂が後五分で沸きます。(さっさと湯につかりなさい!)

 距離15.5キロメートル、時間45分、スピード時速28キロメートルなんて、ロードバイクに乗っていても、サイクルコンピューターが私に教えてくれるのです。(もそっと、気張れ!)

 

 私は、無機物に支配されて生活を営み、無機物の指示で走行状態を調整したりしているのです。

 人ならざるもの<たち>と、私は会話し、その行動を決していく時代なのだと、そう思うと、ぞくっと背筋に何かが走るのです。

 

 きっと、近い将来、この人ならざる<もの>たちとの間に、齟齬が生まれ、対立が生じ、軋轢に悩むという事態になるのではないかと懸念するのです。

 

 だとすれば、私の右腕に巻かれているApple Watchだって、そのうち、私に音声で、傷をつけなさんなと言い出すはずです。

 傷がついても、心配してやらなくては、きっと、何を言われるかわかりません。

 

 あの喧騒の女性たちのように、アマゾンにアクセスして、勝手に、傷からApple Watch自身を守るカバーを注文するかもしれません。

 

 そんなことを思うと、「あぁ、やだ、やだ」と思うのです。

 

 今再び、あの喧騒なる女性陣の声が耳に戻ってきました。

 

 今度は、テーブルに置かれた私の iPhoneSE が丸裸であることを批判しているようです。

 こっちも、やだ、いい加減にしてくれ、ほかに話題はないのかと、私は呆れ顔で思ったのでした。

 

 


(3) しらすのどんぶり

 

 随分と昔のことです。一枚の小切手が私宛に送られてきました。

 

 その会社に何かの不手際があり、その会社の品物をきっと使っていたのだと思うのですが、その私に500円という記載された小切手が送られてきたのです。 

 まだ、世の中に出てもいない少年であった私は、その小切手なるものの使い方もわからず、結局、それは紙くずになってしまったのです。新聞では、何十億という資金を使って、この会社が消費者に弁済をしていることが大々的に報じられていたことを覚えているのです。

 

 随分と昔のことですから、何が原因でそれが送られてきたのかは一切の記憶が抜けてしまったのですが、送ってきた会社とその責任者の名前は今でもよく覚えているんです。

 

 でも、のちのちのことですが、よくよく考えて見ると、この小切手を配った人は、仮に1億円をそれに当てたとして、かつ、大々的に広報したとしても、実質はその半分、いやもしかしたら、その大部分を銀行から引き落とされることなく済んだかもしれない、なんて思っているんです。

 

 そう思うと、汚いやり方をしていたんだなと思うのです。

 

 だって、仮に500円の、当時使い道のあったテレフォンカードをその詫びの印に送れば、それは確実に500円の出費になるわけです。つまり、何億という金が出ていくわけですが、そうせずに、小切手であったら、送られた人間は使わないかもしれない、そうすれば銀行口座に用意された金額のいくらかは残る、そんな判断があったと思うのです。

 

 えっ、どこのどいつだって。

 まっ、それはもう随分と昔のことなので、名を語るのはよしておきましょう。

 

 先だって、日本国の大臣が給与を返還すると偉そうに言っていました。

 己の不始末を反省し、その証として給与を返還するというのです。

 

 へそ曲がりの私は、ここにも、侮蔑的な要素を見てしまうのです。

 

 だって、世の中の大半の人たちは、その給料を当てにして、それを生活の足しにし、自らの人生設計に供して生きているんです。給料が一ヶ月でも遅滞すれば、たちまち、世の中の大半の人たちはにっちもさっちもいかなくなるんです。 

 

 その大臣は、己の不始末の反省の証として、そのようにしたのですが、あるいは、世の中の大半の人たちが不始末をしでかしたときに食らう「減給処分」を自らに課したのかもしれませんが、どうも得心できないのです。

 

 この人は、片手間に大臣の職を行っているのではないか。

 給料が出なくても、生活をしていける働き盛りの人っていうのは、存外、信用できないのではないかって、私は思ったのです。

 

 中国の言に、「倉廩実つればすなわち礼節を知り、衣食足ればすなわち栄辱を知る」というのがあります。 

 

 「倉廩」、これ「そうりん」と読みますが、<米倉>のことです。

 米倉がいっぱいになるほど豊かになれば、人は礼節をわきまえというのです。

 着るものと食べるものが十分にあれば、人は名誉と恥辱がなんたるかを知るというのです。

 

 でも、私、500円の小切手の送り主に対しては、彼の銀行口座に、私の想像を絶する金額が刻印されるほど金を持っていても、礼節のひとかけらもなかったと思っているのです。

 議員という選挙を経て、信任を得て当選したほどの人が、もらったものは返します、だから、あれこれと言わないでと言っているようなもので、「栄辱を知る」からは、ほど遠いと思っているんです。

 

 先だって、伊豆に旅行をしました。

 

 ホテルをチェックアウトして、昼食をどこかでいただいて、それから東京行きの列車に乗ろうと駅までの道を日陰を選びながらぶらぶらと歩いていたのです。

 

 とある店の前に来ると、何人もの有名人の写真が派手に貼ってある店の前に出ました。

 魚料理の店のようです。

 テレビでも紹介されたようで、これまた派手にその時の写真が店先に貼られています。

 テレビで放送されたり、これだけ有名人がきているなら、間違いはないとガラリと扉を開けて、店の中に入ったのです。

 

 そこには、一人の女将らしき女性が立っていました。

 私が「いいですか」、あるいは「予約はしていないですが」という前に、「今、忙しいから、外で待っていて、空いたら、呼ぶから」って言うんです。

 

 席は空いているのに、忙しいには何か理由があるに違いないと思うと同時に、さほどまでして入る店でもないなと思ったんです。

 

 ですから、私、前日、駅前で、美味しいしらす料理がありますから、ぜひどうぞと声をかけられた駅前の店を思い出し、そこで「美味しいしらす料理」をいただこうと思ったのです。

 

 その店の前に行くと、昨日と同じように、あのお姉さんが暑い中店の外に出て呼び込みをしていました。

 

 私の顔を見るや、「来てくれたんですか。ありがとうございます」って言うんです。

 私が、今ついたばかりだからと入店を渋った言葉と、そしてこの顔を覚えていたようなのです。

 駅前なのに、呼び込みをしなくては入らない店だから、でも、しらすは作れるものではない、海からとって来て、それをご飯にかけるだけ、味の良し悪しは関係あるまいと、その店に入ったのです。

 

 小さな店です。十人も入れば満卓になります。

 どうやら、夫婦で店をやっているようです。にこやかな笑顔の主人が席を手で指し示し、冷たい水を差し出してくれました。

 

 奥さんらしき人は、暑い中、行き交う人もまばらな路上で、声をかけまくっています。

 「何がオススメですか。」

 「はい、今日は台風の合間に、私の友人の漁師がとって来た生しらすが入っています。釜茹でにしたしらすと二つをてんこ盛りにした二色丼がいいと思います。」

 「では、それを」

 そんなやりとりをしながら、二色丼を美味しくいただいたのです。

 

 壁に、カマキリがじっとしていました、

 「ご主人、壁にカマキリが」と私が指をさして言うと、真っ青になって、自分は虫が苦手だって言うんです。

 ですから、美味しい二色丼を出してくれたお礼と思って、テッシュを借りて、カマキリをそっとつかんで、それを外に出してやったんです。

 

 感謝されました。

 それにしても、あの怯えようは尋常ではありません。そして、とても、人間らしくありました。きっと、無我夢中でしらすを仕入れては売り、店を大きくしようと頑張っているに違いありません。私、ずいぶんと感じ入ったのです。

 

 小切手だとか、給料全額返還などと言う輩に、そして、有名人の写真をいっぱい貼って店の宣伝をしながらもつっけんどんな、そんな料理屋より、夫婦二人懸命に、虫を怖がりつつも頑張る方に肩入れしたいと思ったのでした。

 


(4) 894年の大英断

 

 阿倍仲麻呂、遣唐留学生にして、玄宗皇帝に仕えた優秀なる人材。

 唐名晁衡(ちょうこう)。

 

 この大和の留学生、唐の都、洛陽の「太学」で学び、難関である「科挙」の試験に合格を果たします。

 神亀2年、西暦725年には、司経局校書として任官したことがわかっています。

 司経局校書と言う役職は、唐王朝の典籍を扱う部署です。

 国家機密などにも目を通すことができる重要な役職に彼は採用されたのです。

 

 そのことだけでも、阿倍仲麻呂こと晁衡と言う大和の国の青年の優秀さがわかります。

 同時に、唐という国家の、外国人を重要職につける懐の広さにも気づくのです。

 

 歴史家たちは言います。

 中国においては、唐帝国に限らず明王朝でも、さらに、世界に目を向けては、ローマ帝国でも、オスマントルコでも、それに、かつて七つの海を制覇したと言われる大英帝国でも、帝国の最盛期には、自分たちの流儀を、統治の面でも、宗教上でも、言語でも、それを強要するということはなかったと言うのです。

 

 これらの帝国、とりわけ大英帝国に取って代わったアメリカ合衆国もまた、20世紀後半における世界に冠たる大国でありました。

 

 唐王朝がそうであったように、アメリカもまた、世界の各地から多くの人材を登用し、物品もまた流入を妨げることもなく、それがために、世界各地の風習まで幅広く受け入れてきたのです。アメリカ人はまさに度量の大きさを示してきたのです。

 

 換言すれば、大国の「寛容さ」が、その国をますます強大にしていったということです。

 大国というのはこの「寛容さ」があることで大国たり得たのです。

 

 アメリカが日本を占領下に置いた時、「ただ一人従順ならざる日本人」と言われた白洲次郎は、この時の占領を「最悪中の最善」と述べました。

 

 仮に、ソ連が日本を占領していたらと思うと、いまでも私はゾッとするのです。

 あるいは、連合国による分割統治などされていたら、日本はその豊かにして趣深い日本語を失い、それぞれの占領地域で、片やロシア語を使わされ、あるいは、中国語を使わなくてはならなくなっていたのだと思うと、これまたゾッとするのです。

 

 ですから、白洲次郎の「最悪中の最善」という言葉が、実感として理解できるのです。

 

 アメリカは、日本を実にうまく占領し、アメリカに次ぐ、経済国家に仕上げていってくれたのです。もちろん、それはアメリカの占領政策ばかりによるものではありません。

 私たちの民族が、国を想い、国のために尽力する盛んなる意気を持っていたからなのです。

 

 唐の時代、唐を中心にして、東アジアには一大文化圏が形成されました。

 中国東北部の満州では渤海国が、朝鮮半島では高句麗と百済を駆逐した新羅国が、そして、東南アジアでは南詔国が勢力を振るい、繁栄を誇ったのです。

 

 日本とて、それは同様ですが、一つ違うのは、894年に、唐との交流を絶ったことでした。

 唐で発生した黄巣の反乱を見て、この国はもはや寛容ある大国ではなくなったと見て取ったのです。

 唐が滅ぶと、新羅もまた力を失い、高麗に滅ぼされます。渤海とて契丹に滅ぼされます。

 その中で、日本だけが国風文化の繁栄の中で独自の国のあり方を創造していったのです。

 我が国の歴史の中で「平安」と言われる時代です。

 

 今、日本はアメリカをトップとするグループの中に与しています。

 そこには、イギリスがあり、フランス、ドイツなど西欧の国々、それにオーストラリアやインドなどがあります。

 そして、敵対する側として、ロシアと中国があります。

 

 政治経済安保を考えれば、日本がアメリカのグループから抜け出ることは得策ではないことは明らかです。

 

 世界情勢の中で、この南北に細長い日本は、ロシアや中国からすれば、喉から手の出るくらい魅力ある国なのです。

 まず、その地理的環境がアメリカから自国を守る防波堤になってくれます。最前線基地をここにおいて、本隊を本国に置くに、これほど好都合な南北に細長い列島はないのです。

 そして、この列島には、人口が少なくなったとはいえ、優秀で勤勉な民族が暮らしています。この国民を陣営に組み込めば、大きな力になることは疑いのないことなのです。

 

 しかし、多くの日本国民はそうした手合いの手先になることをよしとはしません。

 むしろ、アメリカの陣営にとどまることを願うのです。

 

 しかし、そのアメリカが大国としての「寛容さ」を放棄したのなら、かつて、唐の圏内から抜け出したように、日本も何らかの手を打っていかねばならないと私は当然のごとく考えるのです

 

 今、アメリカが中国に対して、政経軍三面において攻撃を仕掛けています。

 ほどなく、中国はまいるはずです。

 当然、政経軍三面の攻撃でアメリカ自身も国力を削がれます。

 削がれるばかりではありません。

 その同盟国をないがしろにする政策で、国力を失っていくのは目に見えているのです。

 

 そうした時、日本の政治家に、894年の大英断を下す政治家が出てくるかどうかのなのです。

 

 いや、日本が列島に閉じこもって、かつてのように「平安」を迎えようと言っているのではないのです。

 何か、そう、あの時のように、日本独自の道を探し、邁進する方策です。

 

 それには、偉大な政治家が出てこなくてはいけないのです。

 

 さぁ、遠慮さらずに、出てきてくださいな。

 いま、志を持って世の中に出ていくお若い方々こそ、その中に、偉大な政治家がいるはずだと、私思っているんです。

 



読者登録

nkgwhiroさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について