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目次

<目次>

 

 (1) 首刈り族の家

 

 (2) シェルターがない

 

 (3) 「悪夢くん」こんにちは

 

 (4) 冒険はそこにある

 

 


(1) 首刈り族の家

 

 首刈り族って知っているかいと、久しぶりに会った友人が問いかけてきます。

 なんだい、今度はそんな奴らがいるところに行くのかいと私が言います。

 この男、いい歳をして、今だに独り者。

 でも、私にとっては、実は、憧れの男なのです。

 俺はさ、冒険家じゃないんだから、そんなわけのわからない奴らが暮らしているところになんかいかないよ。

 そうじゃなくて、首刈り族っていうのは、ツリーハウスに暮らしているんだ。

 そんな家に住んで見たいと思ってね。

 

 要は、その首刈り族が暮らす島に行って、そのツリーハウスなるもので暮らしたいと、つまり、首刈り族の村に行くってことではないかと、私、突っ込んだんです。

 

 首刈り族は、昔、そうであったというだけさ。

 日本人だって、昔は、首刈り族だぞと、彼も私に突っ込んできます。

 いくさずきで、負けたものは首を取られるんだから、挙句に、その首が晒される。もしかしたら、日本こそ、世界最大最強の首刈り族の子孫かもしれんぞと極論を展開します。

 

 いやね、誰かが言っていたんだが、それが誰だかはもうとっくに忘れているんだけれど、「男子たるもの、一生に三度、家を建てるべし」って。

 でも、俺、今まで一度も家を建てたことないんだ。

 死んだ親父が残してくれた家に、それも雨漏りのするような家に暮らしている。

 それに比べ、お前は俺から二度の新築祝いをかっさらっていった。

 お前さんがつくばに家を建てた時、そして、その家を建て増しして、祝いの席に呼ばれた時、俺はお前に新築祝いをやったことを覚えているだろう。

 

 祝いって言ったって、ワインをひと瓶持ってきただけだろう。

 それも、安い甲州葡萄酒ってやつを。

 それに、<男子たるもの三度家を建てる>っていう言葉があるとするなら、俺はすでに三度家を建てたと言っても差し支えないんだ。

 

 怪訝そうに私を見つめる友人に一呼吸をおいて、船だよと言ったのです。

 中古の船を買い、それを補修する。

 機械類のことはわからないから、専門家にお願いするけれど、そのほかのことは、特に、キャビンの内装は自分でできる。

 おいらは、船で湖をクルージングするというより、船でひと時を過ごす、言うなれば、船は俺の別荘なんだ。

 だから、俺は家を三度建てたというその言葉を実践した男子の一人なんだと胸を張ったのです

 

 私の友人、私の言葉を聞いて、ちょっと寂しげな表情になりました。私、ちょっと言葉がすぎたかなと反省の表情を見せます。

 俺は、連れもいないし、当然、子もいない、俺はあの家で、ひっそりと死んでいくんだ。だから、お前に、俺の最期の面倒を見て欲しいと思っているんだ。 

 

 そんなことを言いにきたのではなかろうと、私、話題を強引に戻します。 

 

 そうそう、ツリーハウスで過ごすなんて素敵じゃないかと思ってね。 

 で、その首刈り族、なんで、ツリーハウスを作ったかというと、敵対する他の部族からわが身を守るためだっていうんだから面白い。 

 何が面白いのかというような顔で話を聞いている私の顔色を伺っています。

 

 だって、そうじゃないか、ヤシの木のてっぺんに家が建っているんだ。男だって、てっぺんにある家に行くには相当な労力が必要だ。そこに妻子を住まわせるんだ。やっと登った妻子がまた登るなんてと、一旦、登ったらそうそう簡単には降りてこられない、つまり、男は、妻子のための食料を調達するために、普通に暮らす以上の労力を必要とするわけだ。

 でも、家というのは、くつろぎがないといけない。

 だから、そのような苦労をしてもきっと何かいい面があったんだと思うんだ。

 友は、そう言います。

 

 つまり、ツリーハウスの利点だ。

 一つには、風の涼しさ、暑い島だけれど、上空は地上に比べ幾らかは気温も低いだろうし、風が心地よく吹いているはずだ。それに、夜の満点の星、それを独り占めだ。

 友は、憧れの表情で、そう語るのです。

 

 その表情にバケツで冷や水をぶっかけたのは私でした。

 嵐の時は大変だ。地震どころの騒ぎではない。不規則にあっちに揺れ、こっちに揺れ、生きた心地もしないだろう。満点の星というけれど、それがどうした。星はどこにいても見ることができる、浜でも、丘でも、どこでも見ることができる。

 だから、彼らのツリーハウスというのは、敵の部族が攻めてくると知ったときに、その時に避難する家に違いない、それに、南洋の女たちは見事に肥えている、そうそう簡単に二十メートルも三十メートルもあるツリーハウスに登れるはずがない。

 

 お前は首刈り族だなと私の友人が私を恨めしそうに見て一言ボソッと言いました。

 

 私は、彼を書斎からバルコニーに連れて行きました。

 暑い日差しが、水漏れをしないように塗布したシリコンを熱していますから、サンダルを履かせ、ひときわ大きいバルコニーに案内したのです。

 ここは二階部分にあたるけれど、これだけの高さであっても、バルコニーが意味を持つのは、ちょっと遠くを見渡せるということ、人というのはちょっと高いところに目線をおくだけで、その目に下にいるだけでは見えない何かを見いだせるということなんだ。それに、バルコニーは屋根がない。だから、外とまるきり同じなんだ。

 これを作ったのは、まさに、私にとってはツリーハウスと同じなんだよ。

 そう言ってやったのです。

 

 友人は、そこに置いてあったガーデンチェアに腰掛けました。

 そして、独り言ちたのです。

 木と木をつないで、さらに木と木をつないで行けば、ちょっとした風にも動じないだろうし、取り外しの可能な階段をつけておけば、誰でも容易に上がってこれる。それに敷地、いや、敷台も広くなるから、このようなバルコニーも作れる。ここより、ずっと高いところにガーデンチェアを置いて、くつろぐんだってなことを言っているんです。

 

 こいつ、昔から、いい歳になるまで、こうして夢見心地で生きているんだと私思ったのです。

 そんな人生だってありなんだと。

 

 そして、こいつ、きっと、自宅のボロ屋はそのままにあのちょっと広い庭の木に板をかけて、そしてきっと、二階の洗濯干し場からツリーハウスに渡れる板を通すはずだと。

 まぁ、彼の家だし、好き勝手にやればいいと、彼の横顔を見たのです。

 

 その時は、新築祝いにシャトーブリヤンでも持って行って、一緒に飲もうと思ったのです。

 


(2) シェルターがない

 

 あまりの暑さで何をするにも億劫となった時がありました。

 

 当然、予定していた仕事にも乗り気が失せて、冷房の入った部屋で、ボーッとしていたのです。

 そんな時というのは、とんでもないことを考えるものです。

 この時、私が考えたのは、我が宅には、シェルターがないということでした。

 

 なんだか、アメリカのB級映画のような話なんですが……。

 

 シェルターといえば、核から身を守るために、コンクリートでできた、それも、地中深くにあって、人間を守る居住環境の整った箱のようなものです。

 そんなもの、一個人で家に備える日本人なんて、そうそういるもんじゃないと思いながらも、私の空想は、とめどもなく広がって行ったのです。

 

 もし、どこかの国の解放軍と名乗る組織が、つくばにある日本政府の研究機関で研究実験されている重要なデータを奪取しにきたらとか、そのために、住人を人質にし、つくばの人間は一箇所に集まられたらとか、そんなことを考えたのです。

 

 そんな時、自分たちは抵抗ができるのだろうかって。

 

 だって、誰一人、日本人は武器というものを持っていません。

 刀は七十年ほど前、戦争に負けたときにアメリカ人に持っていかれ、日本の警察は、個人が刀を持つことを厳しく制限しています。

 それ以前に、刀そのものが工芸品となり、高額なものとなってしまいました。

 一般の人が、そうそう簡単に手に入れらる代物ではなくなってしまっているのです。

 

 まして、銃など、見たことも、撃ったこともない人がほとんどです。

 殺傷能力の高い高性能の銃など、持たされても、どう扱ったらいいのか、きっとわからないでしょう。

 

 秀吉が刀狩を行なったのは、自分が平和を担保するから、お前たちは、武器を捨てて、鍬を持って、畑を耕すことに精を出せということからでした。

 ですから、刀狩は検地とセットになって、平和を希求する秀吉にも、田畑を耕すことに精を出せる農民にも、利益があったのです。

 我が国に、ある一定の平和をもたらし、それが家康にまで受け継がれて、あの江戸と言われる時代の平和な数百年という奇跡の時代をもたらしたのです。

 

 しかし、今、日本人は、おそらく、なんの担保もなく、無防備の状態におかれているのではないか、だから、アメリカ人が真剣になって、シャルターを作り、それを買い求め、自分の家の敷地にそれを設置しても、日本人はそれをすることもなく、のほほんとしているのではないかって思ったのです。

 

 アメリカ人は、自分らの命と生活は、自分の力で守るって意識が相当に強いと思います。

 それは建国以来、アメリカ人のDNAに組み込まれているのです。

 誰もあてにはできない。

 己の責任で、大陸の道なき道を西へと移動したのです。

 襲ってくる敵があれば、自らの命を守るために、戦うことに躊躇はありませんでした。

 

 でも、日本はそうではありません。

 自分たちの命を守るという個人の意思は実に希薄です。

 政府がきっと何かをしてくれるに違いないと呑気に構えているのです。

 

 いや、それが悪いというわけではないのです。

 戦後歴代の日本政府は、国民の期待を裏切らない施策を、それが不足であれば、充足できるように対処をしてくれていると思います。

 

 選挙があれば、何十人も殺害される国も今だにあります。

 水害や地震でも、救われる命が見過ごされる国もまだあります。

 そうした中で、日本の歴代政府はしっかりとやってくれている部類に入ると思っているのです。

 

 でも、一人一人になった時、どこかの国の解放軍と名乗る武力勢力が来たとき、戦えるのかと心配するのです。

 

 だから、冷房のきいた部屋で、私は空想するのです。

 アメリカのB級映画の主人公のように、筑波山に籠って、家にある木刀を持って、徹底抗戦をしようと。

 

 B級映画では、同じような考えを持つものが必ず何人か出て来ます。

 その人たちとスクラムを組んで、山を根城に戦おうと。

 筑波の山こそ、我々のシェルターだとか、キャッチコピーを作って、あの梁山泊のように、同士が集って、侵略して来たどこかの国の解放軍と戦うのです。

 

 いい歳をして、くだらないことを考えるなって、きっと、私の友人たちは言うでしょうが、でも、考えて見てください。

 世界は今、大きく変化しているんです。

 何が起こっても、いや、それが起こる確率は高まっているのです。

 

 私たちの住んでいる列島は、列島であるがゆえに外来者の侵略を拒んで来ました。

 むしろ、ユーラシアの端にあるがために、侵略よりはさまざまな文物、敵性のない人々がたどり着く場所として、長らくあったのです。

 

 でも、世界の潮流が変われば、そうもいかなくなるのです。

 この列島にある知財の凄さは何者にも変えがたいものなのです。

 この列島に暮らす人々を配下におくことは得難い財産になるのです。

 

 だから、私のあの暑い日の、四十度になんなんとする日の妄想は決して笑って済ませる問題ではないと思っているのです。

 そう、私は自分に言い聞かせているのです。

 


(3) 「悪夢くん」こんにちは

 

 暑さばかりが原因ではないのです。

 夢見が悪くて、目を覚まして、枕元の時計をみると、床に入ってからまだ1時間しか経っていないのです。

 その間に、私は、恐ろしい「悪夢くん」たちに襲われているのです。

 時には、樹上ハウスのベランダから飛び降りる夢であったり、ゴジラに追いかけられていたり、試験に落ちて愕然としていたり、頭が禿げ上がっていても学生服を着て学校に通っているそんな夢でうなされるのです。

 

 夢とは、抑圧された欲望があって、それによる不安の反映したものだ、と言います。

 

 確かに、子供の頃、怪獣映画に熱をあげて、怖いもの見たさにあのゴジラを西新井カンコウという映画館に見に行きました。 

 自慢ではないですが、学校の試験には何度となく落ちています。

 それに二十代の後半まで私は大学生でした。人の倍は学校にいたのです。

 

 だから、抑圧された欲望とか、それによる不安がないわけではないのです。

 

 そんなことを思うと、私は、Posttraumatic stress disorderではないかと思ったりするのです。つまり、心的外傷後ストレス障害(PTSD)というやつです。

 調べて見ますと、この病気は、トラウマが原因であると言います。

 

 人と人との軋轢で心に障害を負っているのです。

 

 重症のPTSDは、生涯を通して、この「悪夢くん」に襲われると言います。

 あるいは、そのトラウマを軽減するために、あえて、「悪夢くん」に出てもらって、心に打撃を与えないようにしているんだという医者もいました。

 

 いや、「悪夢くん」が明け方あたりにくるならわかるのですが、床について、しばらくしてやってきて、目覚めて、時計を見たら、1時間くらいしか経っていないことに、実は、私不安になるのです。

 でも、その後、寝付かれないということもなく、続きを見てやろうと思うかどうかは判然としませんが、すぐに寝付いて、続きを見るときもあれば、そうでない時もあるのです。

 

 一体、俺の脳はどうなっているんだと思うのです。

 

 さらに調べていくと、「悪夢障害」なるものがあることがわかってきました。

 夜間に目覚め、不快な夢を見る症状、それは恐怖や怒り、嫌悪感を伴う不快な感情を伴い、その内容を明確に覚えている。

 そして、それは明け方に見ることが多いとあります。

 

 明け方にみるを除けば、その症状にあたります。

 

 私はきっと「悪夢障害」という病気なんだ。

 でも、もう少し読み進めていきますと、こんな文言が出てきました。

 <頻繁に悪夢を経験する人というのは、実は、他者への配慮に富んだ人であり、寛容で、芸術性や創造性に優れていることが多い。>

 なんだか嬉しい文言です。

 私は、自分が嫌になるくらい配慮をする人間であり、そのため、強く前面に出ていくこともなく、実に謙虚であるのです。(自分で言うのもなんですが)

 

 ですから、厳しさよりは優しさを大切にし、規律の上に寛容をおくことができるのです。

 そのため、教師としての私は、さほどの優秀な教師であったわけではないのです。

 

 芸術性や創造性は他者が見据える観点ですから、自分ではどう判断していいかわかりません、と言ったところなども、私の配慮がよく出ているところです。

 

 感受性が強いから、「悪夢くん」が来やすいのか、と私一人納得したのです。

 

 私は床に入ればものの数十秒で眠りに入ります。

 実に、寝付きのいい人間なんです。

 

 「健全な睡眠とは、通常、眠りが急に浅くなり、5分から20分程度のレム睡眠に入ることを言う。」なんて文言を覚えています。

 Rapid Eye Movement(急速眼球運動)の頭文字をとってREM睡眠と名付けられました睡眠状態です。

 私の目玉はあちこちと動き回り、脳は、見えない目で何かを探しているのです。

 

 そう、あの「悪夢くん」を探しているのです。

 

 科学的分野で説明すれば、レム睡眠時には、脳内のタンパク質の合成がピークに達して、肉体が正常に機能するように修正維持されるているのです。

 レム睡眠は、その人の心持ちの調節と実際体験した過去の記憶の統合にも不可欠だとみられていると言います。

 ですから、私の脳は、私の目玉をくるくると動かし、脳の中にあるこの体験を無造作に結びつけ、遊んでいるのです。

 私、絶対にそうに違いないと思ったのです。

 そうすることで、脳をリセットし、不要なものを排除し、ちょっとまだ持っておこうかなと言うものを元あった場所にしまったりしているのだと。

 

 そんなことをあてずっぽうに考えていると、「悪夢くん」がなんだか愛おしくなってくるんです

 だって、悪夢くんが私の脳の中を掃除してくれているんですから、ありがたいと思わなくてはならないと考えたからです。

 


(4) 冒険はそこにある

 

 ある冒険家が言いました。

 もはや、我々が冒険する場所は、この地球上では洞穴しかない、と。

 

 確かに、その通りであると、私、納得するのです。

 

 タイで、子供達が洞穴に入り、雨に降られて洞穴が塞がれ、大きな事件になりました。それでも、関係者の必死の努力で全員の命が救われました。

 なぜ、そのようなところに入ったかは良くわかりませんが、それも、人が誰もで持つ冒険心であるとするならば、これも、私、納得するのです。

 

 私たちには、未知の部分に入り込みたいと言う強い欲求があるのです。

 

 それが、人類をここまで発展させ、偉大にして来た一つの原点でもあるのです。

 ですから、あの子供たちが洞穴に入っていったことも責めようとは思わないのです。

 

 時折、私は自分の生まれる時期が少し早かったならと思うときがあるんです。

 例えば、アメリカ西部開拓の時代、それと江戸に家康が入り、街を作り上げる時代です。

 

 イギリスで虐げられ、そんなところで暮らすくらいなら、新天地を求めて、一家で大西洋を超えてやろう。生まれ故郷で、仕事もなく、辛い生活をするなら、全財産を注ぎ、船に乗り、アメリカに渡り、そこで一台の幌馬車を買い、馬を整え、自らを守るライフルを手にして、西へ西へと進む道を選ぶことになんのためらいもなかった彼らの時代です。

 

 西部劇が面白いのは、腰の二丁拳銃をぶっ放すからではなく、その根底に、あの幌馬車で彼らの理想とする大地を目指したからなのです。

 もともと、そこに住んでいた、私たちと同じモンゴロイドのインディアンにとっては、迷惑千万なことでしたが……。

 

 そして、江戸です。

 谷があり、海がぐっと内陸まで入り込んでいたのが江戸と言われる一帯です。

 大きな川がいく筋も流れて、時に、その川はあたり一帯に水害をもたらします。

 豊かで、安定した濃尾平野に比べれば、ここは未開の地であり、手の施しようもない湿地でした。

 この地を秀吉がくれたのは、自分を、豊かで代々の実力者が支配した土地から放逐し、そのことで潜在的な力を奪おうとしていると戦いを急いだら、きっと、歴史は異なった様相を見せていたにちがいありません。

 

 家康は、目のあたりを八の字にしながら、居並ぶ家臣たちに、嬉しそうに言ったはずです。

 おのおの方、この地には先々の豊かさが見えまするな、あの谷に川を導き、あの丘に住まいを立て、そうそう、あの入り組んだ海を埋めたてたら、この地はきっと、とてつもない大きな大地に変貌するであろうのぉ、と。

 

 家臣たちは、家康の殿が言うなら、一丁やってやろうではないかとなったはずです。

 

 あの海べりの平地に、まず、城を作りましょう。

 南側の海は浅瀬のようですから、そこを埋め立てましょう。

 埋め立てをするための土砂は、北一帯にあるあの丘の土を切り崩しましょう。

 あの谷はそのままにして、城の防備のための堀といたしましょう。

 

 田畑も広げ、その田畑を開拓するものを各地から募りましょう。

 運河を作り、ものを大量に運ぶ水路を作りましょう。

 街を活性化するには、人が必要です。

 人は住まう家が必要です。人がいれば水も必要です。

 

 次から次へと、必要なことが生じては、それを果たしていくのです。

 いつの間にか、江戸は、当時世界一の大都会へと成長していくのです。

 

 武士というのは、源平の時代の以前から、偉大な開発者であり、土木家であったと思っているのです。

 

 城を作るための石組みや防御のための掘割、それに威容を誇る天守閣、それを設計する知恵がなければ武者にはなれなかったし、その細かい石組、土木工事をするのもまた武士だったのです。

 そのことを専門にし、しかし、失敗し、腹を切った武者もいるくらいでした。

 反対に、大きな仕事を手がけて、戦場で手柄を立てた武者と同等の処遇を受けた武者もいたのです。

 

 そんな、西部開拓の時代、江戸の街を作り上げたあの時代に生きていたら、なんと素晴らしことであろうかと思うのです。

 

 しかし、よくよく考えてみると、そのようなことはあり得べからざることではあります。

 

 さらに、よくよく考えてみると、そのようなことを空想することこそが、現代の冒険ではないかと思っているのです。

 そう思うと、冒険は人の心の中に必ずあるものだと思うのです。

 



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