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音を立てずに扉を押し開ける。奥の寝台に横になる無防備な肢体が見える。白いシーツの下、白い寝間着から伸びる白い腕。長い金髪に埋もれた横顔が見えず、そっと手を伸ばして髪をかき上げようとする。その手をふと白く細い指がつかんだ。

「待っていたよ、サリエリ」

 狸寝入りをしていたと思しき整った顔が、児戯めいた光を双眸に湛えつつ微笑んでいる。あまりにも突然で、サリエリは摑まれた手を振り払うこともできない。アマデウスはサリエリの手を掴んだまま右手を寝台に下ろすと、その手をついて半身を起こした。

「待っていたよ、サリエリ」

 寝台に腰を落としたサリエリの首にアマデウスの両腕が回される。唇がサリエリの右耳に寄せられ、再び同じ言葉がつぶやかれる。

「サリエリ、来てくれて嬉しいよ。僕はどんなにこんな晩を待ったかしれない。君に逢いたかったんだ」

 耳朶の熱がアマデウスの吐息のものなのか己のものなのか、もうサリエリには区別がつかない。身動ぎもできないままサリエリは言葉を吐き出す。

「バカな……わたしはお前を殺しに来たんだ」

「そうかい? それでもいいよ、僕はこんなに君に逢いたかったんだから」

 アマデウスは再びサリエリの左腕をとると、その指をはだけた寝間着の薄い胸に這わせる。

「ほら、僕の早鐘のような鼓動が分かるだろ? 僕の命はもうとっくに君の物なんだぜ」

 サリエリの首を抱えたアマデウスはそのままゆっくりと寝台に倒れ込む。サリエリがアマデウスの上に覆いかぶさるように倒れると、アマデウスはサリエリの両頬を掌で包む。

「君が僕を嫌いなのは分かっているよ。その上で僕の曲を評価してくれてるってことも感謝してる。ねぇ、もう少し甘えさせてくれないか」

 アマデウスの眼が媚びるように煽るようにサリエリの眼を見つめる。

「サリエリ、僕には君が必要なんだ。君に再会できて以来、頭の中では君のことばかり。ちっとも作曲に身が入らないんだよ」

 可哀相だろう――とアマデウスは囁く。

「ね、君は僕の音楽は買ってくれているんだろう? どうか哀れと思って、情けをかけてくれないか」

「……わたしに、どうしろと」

 アマデウスは返事の代わりに、自分の横に置かれたサリエリの手首にゆっくりと唇を這わせる。その蠱惑的な感触に耐えられず、サリエリはアマデウスの寝間着に手をかけ、半ば剥ぎ取るように引き下ろす。アマデウスは悲鳴とも嬌声ともつかぬかすかな声を上げる。

 

 

 

 ……不意に窓から吹き込んだ夜風の寒さに目を開ける。サリエリは机に突っ伏したまま転寝をしている自分を発見した。深夜の二時四五分、階下からかすかなピアノの音が聞こえる。モーツァルトの夜想曲だ。音を聞くと条件反射のようにぞくりとした嫉妬が蘇る。こんなものを聞いてしまったから、あんな下劣な夢を見てしまったというのか? なぜか無性にやりきれない。顔が熱くなる。腹の底から怒りが湧いてくる。

 サリエリが不機嫌も露わに階下に降りると、アマデウスは即座にピアノの手を止めてサリエリに声をかけた。

「ごめん、うるさかった?」

 軽く慌てている様子はいつものアマデウスらしい。サリエリは怒鳴りつけようと吸い込んだ息を呑み込み、代わりにアマデウスに尋ねた。

「おい……もし私が深夜貴様の部屋に忍び込んだら、お前はどう思うんだ?」

「どうって……」

 唐突な問いにアマデウスはきょとんとした顔で首をかしげる。

「そりゃ、ヤバいなー殺しに来たんだなぁとビビるけれど」

 サリエリはゆっくりとため息をついた。

「……だろうなァ」


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