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明晰な、儚すぎるその…

 

 

 

 

…教えて

群れて、固まらずに、崩壊することさえなく、消え去っていた。

それらは、聞き取られたときには、すでに。

…ね

 

震えた空気の、たどりついた静止。

そう言ってわたしを見ていた圭輔の

あの日、ホテルのドアが勝手に開いた。鍵をかけていなかった、自分のせいでもあった。

その背後に降っていた雨が

ハンがそこに居て、はにかむように笑った。一瞬だけ。目を伏せる。恥じらいを、押し隠すように、そして戸惑い、何かが葛藤しあい、やがて暴力的に、無根拠な諦めが、すべてを破綻させた。

いま、眼の前の雨と

彼女はうつむき、世界中の苦悩のすべてを背負ったような表情を曝し、部屋の中に入り、ソファーに座り込み。

同じ雨である必然性など

ややあって、わたしを見上げたハンの眼差しには、泣いてもないのに、何だが零れ落ちそうな潤いにむせ返る。

どこにもなかった

わたしも愛しています。

… Em cũng yêu anh

彼女は言っている。

… Em cũng vy

あなたと同じように。

 

見覚えのない女…少女だった。まったく見覚えのない、すべてが虚弱で、すべてがやつれた女。…あるいは少女。

すきだよ

褐色の肌に、かすかな荒れがある。肌の荒廃。

僕は言った。圭輔に

「お前の、…肌の感じ」

「ばか…」

 

…圭輔が?

…貧弱な、褐色のハン

「若干、穢くない?…おれの」

「そんなこと、」

と想った。覚醒剤で、頭の中を飛ばしているときに、彼は独りでラブホテルの部屋を出て行く。

わたし以外には、誰も知らないままに終わるハン

…ないって

「すきだよ」

圭輔を、その日《買った》女、日向愛花という源氏名の女が、裸のままで、裸のまま出て行く圭輔を眼で追う。

疾走するバイクごと血に塗れたハン

圭輔の、ざらついた

荒れた肌

体中を、クスリが駈けずりまわり、心臓に、手触りもないままに巣食う。女はただ、眼で追う。

わたしを愛していた

「おれは、すきだよ」

「…ばか」

言葉などかけない。なにもかも、わかっている気がする。

なにもかも、すでに、知っていた気がする。

ハンの体中が、そして

…ばか

…圭輔が?と、

わたしは知っている

圭輔は死ぬ。ラブホテルを出たその足で、ライオンズマンションの、わたしが借りていた部屋に行く。

愛していた

口付ける

微笑む。

ハンを

そっと

全裸になって、飛ぶ。

わたしは

息遣う

あさの9時。わたしは寝付いたばかりだった。

少なくともいまは

生きている

圭輔が帰ってきたことにさえ、気付かなかった。

すべてを悔いる

愛している

何を見た?

君は。最後の風景は?

君を愛しているいま、

 

ハンの体の匂いを嗅いだ。見て。あの、ほら、雨の日に。

わたしはすべてを悔いるのだった

ハンが指が、わたしを震えてる。裸にする。

なすすべもなく

わたしは見て。無抵抗に、ほら、彼女の思わず、言いなりにまかす。

わたしが犯したすべての破壊行為

誰?

愛するということ

君は誰?…笑っちゃう。…ハン?

わたしが愛したのは

初めて思わず、…部屋に入ってきたとき、…ね?戸惑いながら、わたしが何か言おうとした瞬間に、ハンは滂沱の涙を流す。

誰?

不意に。

私を愛したのは

前触れもなく。

ほら

一気に。

そうでなければならない正確さで。

昼下がりの

いつか、見たことが在る。

アスファルトが照る

わたしは訝る。

純白の

もはや、戸惑うことは何もなく、もはや、憚ることはなにもない。

きらめき

強姦するかのように。強姦された気がした。何も知らない少女を、君に。わたしは抱く。戸惑いながら、彼女が、抱きしめた。まだ、君を。何も知らなかったことに驚く。なぜ、ハンがわたしを導きさえしなかったのか、わたしは戸惑った。

20年前、19歳のときの圭輔のように。

暴力的な、夢のような交尾。…交感。

…穢らしい。感じあう。

 

お互いが、ここに存在している事実を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


明晰な、儚すぎるその…

 

 

 

 

シーツが、血で穢れた。

ハンの。鼻血。…わたしのこぶしが、殴りつけるのと同じ強さで、彼女の鼻を愛撫したかも知れない。何度か。

途切れ途切れに。…なぜ?

かさついた、荒廃した皮膚。頬の、にきび、…のようなものが、薄く血の玉を蓄えた。

僕は

唇をふれた。

口付けて

ハンがまばたく。

感じた

…許します。

皮膚の触感を

彼女は言っている。

想いだす

君を見つめながら

その眼差しと、皮膚と、骨格と、体臭と、それら存在のすべてが、明示する。

ときに

いつも引き起こされる逡巡は

…あなたを、許す。

不意に

君を、愛していたから

涙は乾いていた。

 

意味さえ知らずに

圭輔とわたしは、愛し合った。

その概念の

愛、し、会う。合う(重なる)。った。(一致する)(混ざる)(同一化する)

定義さえ

その言葉の正確な意味は、ふれ、合う。いまだに、かなね、合う。かつても、みとめ、合う。わかったことなど一度もわかり、合う。ない。どうすればいいのかひかれ、合う。わからない。にくみ、合う。圭輔、しり、合う。どうやってささやき、合う。愛すればいいのか?きずつけ、合う。どうすれば、いやし、合う。それはあわれみ、合う。愛と呼ばれ獲るのか?

…なにが?

君を愛することに

戸惑いながら

言いよどむ、口籠り、《…なにが》まばたく。

にもかかわらず

そこにはなんの

為すすべもなく、まばたき、息を吐き、吸いかけて、上目越しに見詰めた。

孤独もなかった

圭輔を。

いかなる

瞬く。「…なにが?」

孤立も

圭輔はなにも言わない。

感じたのは、君の眼差し

そんな事など、すでに予測されていた。愛想がつきるほどに、すでに、いつも、そして、わたしはなじるように、…何が?言った。

嗜虐的?

窓越しに

…自虐的。

空を飛んだ

殺してくれればいいのに。

その鳩が

むしろ。

不意に

君を愛する、愛し仕方さえ、しらない。

旋回をしくじりそうになって

死んでくれればいいのに。

笑った

最早。

思わず

なにもかも、手遅れだから。

君は、不安げな

もう。

眼差しをくれる

世界を、破壊したい。

…なに?

…愛にまみれながら、愛、し、方をさえ知らないのだから。

君は、そして僕は

…世界を(その、比喩としての《世界》などではなくて、言葉としての《世界》などではなくて、この、世界のざらついた、この、そのものを。

見て

まばたく

これが

…いま。)

君の

微笑んだまま、

世界

なんでもない

君がくれた

…なんでも

美しい、世界

君の心にだけ、かすかな不安が残ったのには気付いている

 

「1週間前に、会社のみんなで、焼肉屋さんに行きましたよね?あそこの店の娘さんじゃないですか?あの店で見かけましたから。」

タンが言った。

 

「1週間前に、あの子、誰?会社のみんなで、あなたは、焼肉屋さんに記憶にありませんか?行きましたよね?あの子、誰?あそこの店の誰なのか、娘さんじゃないですか?覚えてますか?あの店でわかりますか?見かけましたから。」…どう?

タンが言った。いすかまえかいさぁわみんあしゃんに Tht Nướng きましたのにこどもいえす。たぶんね、みまった。

「覚えてませんか?」…なにを?おぼえまぃか?

「…まったく」

「あなたに、誘われたといってますよ。身の危険を感じるほどに、潤さんに求められたと。」ゆんさんさそいました、います。あぶない、…ね。あぶない、…ゆんさんさそいます。…いつ?

 

タンはハンと話し込み、わたしは端の傍らでタンのビールをあけてやり、わたしも自分のビールを空ける。ホテルの部屋に、タンを呼んだのはわたしだった。ハンは、まるでわたしの妻のように、振舞った。タンに、ハンから何を聞き出させても、すべて、手遅れである気がした。彼らは、時に声を立てて笑い、微笑みあい、わたしに目配せをくれ、「この人は、ハンさんです。」Hng さんじぇつ タンは、わたしに親密な「あなたの、恋人です。」ゆんさんのこいびとおじぇつ眼差しをくれて、歓迎するように「ハンさんが言いました。」Hng さんあいまった わたしの肩をたたく。

 

 

ピアノの音が聞こえる。耳を澄ましたのは、  

ハンは、そして

川の向うの、僕だけだった。どこかのその家から。ピアノの音に

ときに、すべての事象の犠牲者であるかのような

曲名はわからない。

眼差しを、無意味に

圭輔がわたしに覆いかぶさる。

日差しの中にくれた

わたしは抵抗しない。

カフェの日陰から

ふたりのそれが、こすれあって、肉体が決して交わりはしないことを明示する。

向うの、白く輝くアスファルトのきらめき

当たり前だ。何が?

舞い上がった砂埃に

肉体の経験ではないから。それは。

バイクと大型トラックの騒音に

性欲…あるいは、肉体の救いようのない経験を孤独をさえ経験した、孕みこんだ、わたしの精神の眼差しの中の営み色彩。だったから。…あざやかな。

音響

…愛。肉体が重なり合うべき…ねぇ、必然性など僕たちはない。ときに

目をしかめて、日差しから守り

むしろ、嘲笑う。愚劣だ。重なり合う肉体など。

見詰めた。すべてのものが

肉体は、その単なる常に無力だった。合理性など。

彼女を傷つけてやまないことをすでに

唾棄すべき肉体を自然な重ねる。妥当性など。

あえて許して、やさしい諦めのなかに

一之瀬愛という源氏名の女のそこに、わたしのそれが挿入させられる。

赦したかのように

完全に一致することなど一瞬の、ない。

もう

絶対に。痛み。

何も言わないでいいです

そのこじ開けるように。先端に

赦しましたから

静止を、感じられた…当然の眠りを、にぶい、暴力的にしずかなこじ開けるように。痛み。

わたしは、あなたを

声。痛い?愛が声を立てた。君も。拷問されたようなかすかに、声。すこし。助けを繊細な、でも請うような。若干の、許してください、と、執拗さを持ったなぜ、薄皮をめくるような叫ぶようなその、痛み。あなたはこんなにも、ふれあい、無慈悲なことが、こすれあうこと、なぜ、かさなること立てられる叫ぶようなその、痛み、出来るのか、と。ナーヴァスな、…声。…その。

あなたを

「…ねぇ、」愛が言った。明けて、朝。

「お前とさ、…結婚してやってもいいよ」ベッドの上に大またを広げて、すべてを曝して。

確信に満ちて、微笑む。…躁。次に手首を切るまでの間の。

 

くわえる。

なめる。

かぐ。

みる。

みつめる。

ふれる。

はじく。

かむ。

おす。

にぎる。

つぶす。

にぎりしめる。

ふるえる。

いく。

だす。

いれる。

はく。

とめる。

いきをとめる。

うかがう。

なげだす。

なげうつ。

まなせる。

だく。

つかむ。

すう。

あららげる。

すいこんだ。

わめく。

だまる。

しめる。

ふるわす。

沈黙。…どこ?行為が終わった後で、ここは?ハンが息遣う。わたしの体の上で。…なぜ?

言葉が。

なぜ、言葉が必要だったのだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 


明晰な、儚すぎるその…

 

 

 

 

体温がすべてを語る。

かすかなふるえ、二の腕の。わたしはすべてを理解する。眼差し。無慈悲なまでに。

わたしは理解した。

聞く。

残酷なほどに、見透かされた、すべての、彼女の、すべての、…聞く。音を。

感じた。

息遣いの。

言った。愛しています。その音は、…あなたを。何をも言っていないに等しい、永遠に。無防備な、あなただけを。無意味な言葉。

 

何を語っただろう?

圭輔は時に、その無慈悲なまでに

鋭い眼差しを曝して、女たちを

圭輔は?

後から、まるで雄犬のように

抱いたものだった。美しい、

何を語りえただろう?

知性のかけらさえない馬鹿な圭輔は

まるで家畜をあやすように、わたしたちは、

わたしは?

剥きだしの軽蔑と、容赦ない侮蔑とともに

留保なき差別主義として彼女たちに

膨大な時間の中で、

奉仕してやりながら、どこかで

どうしようもなく彼女たちそのものに

膨大な時間を濫費し、

陵辱されたのは自分たち自身だったと

いつかは、きっと、自分自身で

それそのものに触れることさえなく、

確信して仕舞うに過ぎないことさえをも

わたしたちは気付きながらも

いつの間にか、時間は忘却した。

。る見

。た見

わたしのことをさえ。

、を君

、日のあ

自殺に限りなく近い、事故死。

、を君

、はしたわ、で中、のめあ

圭輔の死体。無様な。

?をにな

、はしたわ

あきらかな、肉体の破綻。

?をにな

、にみき

魂の不在。精神は、所詮は、

?をにな

、がみき

肉体の隙間を穿った、事故に宿った可能性にすぎないと、

?をにな

 

…したら?

 

 

ハンの体。貧弱な。女の、美しさ?…なぜ、君が。ここに?ハンの、痩せた、栄養失調児のような、君が、拒食症の、ここに?少女のような、…なぜ?

君が、ここに?「…圭輔」わたしは呼ぶ。

ハンが振り向く。

ハンにひざまづき、ふれる。Tシャツをめくらせた(無造作に)腹部に、(無造作に)わたしは顔をうずめ、(無造作な)皮膚。その(無造作な)触感、(無造作に)嗅ぐ。

匂いを。…圭輔。想う。

なぜ、ここに?

おかまの圭輔が、なぜ?

 

 

ハンがトイレで吐く。その音声が聞こえる。えづく。内臓を、吐き出して仕舞わなければ気がすまないような。

 

 

振り向くと、圭輔の眼差しがそこにあったとき、(あの、圭輔の誕生日イブの日に)それはわたしを見詰め。(…プレゼント、)戸惑い。(買わなきゃ…)若干、(明日までに。)程度の。

かすかな。

表情を失った、その。…すき。

 

ん、…

 

…すき、だよ。

 

 

その単純な、数個のシラブルさえ、燃え尽きた後に。圭輔が僕を見詰めていたことに、振り向いて、気が付いたわたしは、微笑むことに失敗した、その数秒の、そして、ややあって、微笑んでいるわたしを圭輔は見つめたのだった。

 

「…なに?」

圭輔が言った。訝るように。…なに?

「え?…」言いよどんで、わたしは、言葉を捜し、殺してしまいたい。圭輔をではない。自分自身ですらない。

 

 

世界そのものを。

愛していると、その一言さえもが言えず、そして、その言葉が何をも生み出さず、何をももたらさないのだとしたら。

 

 

雨。

 

 

あの日、雨が降った。

ハンが、ベッドの上で、わたしに戯れる。

笑う。

 

声。…聞く。

自分の、…ハン。彼女の、それら。

重なり合い、空間に。

消えうせる。

空間に。

 

 

いつから?

 

ハンが咬む。わたしの乳首を。

かるく。

決して、傷付けたりしないように。

鼻で笑う。上目に見て。

 

いつ?

 

 

いつ、世界を、破壊できるだろう?

わたしは。そして、知っている。わたしは気付いていた。ハンは圭輔の生まれ変わりに違いなかった。「…知ってる?」証明する手立ては圭輔が言った。「お前、」なにもない。「この、世界の」証明する「…秘密。」意味もない。

ハンは、圭輔と同じだった。同じ人物とは言えないくせに。そのすべてを異ならせながら。なにをも共有しないくせに。

ハンは。…生まれる前の記憶、あるんだよね。俺。

 

 

足の下に、地球があったの

あと2ヶ月で。

足なんか、ないんだけど

九月の雨が降り、あと2ヶ月で、とあの日、想った。

宙ぶらりんなんだけど

日本へ。

光の束なの。…みんな

帰還。

綺麗だった…地球

出張期間の終わり。

真っ青な、ぼうっとして、鮮明な

ハンは何も知らないままに、わたしにしがみつき、戯れ、圭輔。

わたしは、二度と省みないに違いない。

見惚れていた

ハンを。陵辱して、捨て去る。

迷ってた。どうするか…堕ちるか

ベトナムの少女を。

留まるか

現地で、慰みものにして、捨て去る。

でも、決めた

ごみくずのように。

なんでだろ?

使い棄てて。

忘れたけど、もう…

水に流す。

何でだろ。でも

トイレの、穢れた紙のように。

俺は、選んだ

 

…汚物。

穢れもの。…

 

星々が堕ちた

けがれた植民地主義者の、唾棄すべき肖像。

そのとき、下から上に

東南アジアにおける日本人の典型的パターン。

堕ちた

 

…まばたく。まぶしい。

あの日。しばたたかせた。日差し。

熱帯の日差しが、そっと、まぶたに当たる。わたしは

あの日。君に身を預けた。11月。為すすべもなく。あと二日。

…圭輔。その死の、

 

 

わたしがいなくなった部屋で、三日前に、ハンは愛の見ている前で。どうするのだろう?

…圭輔。…ねぇ、愛してる、圭輔のこと、と言う。愛してる。

 

そう、実は、…言うしかないから。俺。

 

愛し方も知らないくせに。愛は、無表情になって、

 

一瞬

まばたく。

見詰めた。

日差し。

無言で、

 

雨期の終わり。

沈黙「…うそ。」…まじ?

 

雨さえ降らない。

 

「…まじで?」…なの?…なん、だ…そう、なんだ、…

わたしは、渇く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018.05.17.

Seno-Lê Ma

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


私小説 03

 

 

 

 

 

 

 

 

私小説

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まるで、今、美しく懐かしいこの世界が滅び去っていくような、と。

そんなフレーズを思いついてしまうほどに、曇り空の下の、雨の中の視界は白い。ベトナムの、現地人の妻の家は古く、広い。がらんとして何もなく、吹きさらしの勝手口から、ただ、向かいの広大な廟に降る雨を見るしかなかった。

友人の Nam ナム の娘があれほどまでに「ベトナム」のことが嫌いだったとは思わなかった。一般的に、このあたりの人間は、長い間独立戦争、そして統一戦争に明け暮れなければならなかったからなのか、どちらかといえば祖国愛が強いものだというのに。

雨期の雨は、ふうっ、と、水滴の一粒が空から落ちてきたのを、例えば頬が感じたその途端に、一気に世界は水浸しになる。それらの膨大な無数の雨粒は轟音を立てて地上にはじき飛ぶ。土砂降りの怒号のような音響に、目の前のすべては打ちのめされ、色彩感覚さえ奪われてしまうほどに、すべては白濁して見える。

Nam の娘の名前は Hu 、カタカナ化すれば、フェ、だろうか。カタカナにしてしまえば、同じになってしまう中部の都市名 Huê が、かつて、日本で「ユエ」と表記されていたのは何故なのだろう? 実際の発音を参考にしたのではなくて、その文字表記を、日本人がユエなどと表記することはどうしてもあり獲ないので、あるいは、ベトナムの方言によっては、ユエ、に近い発音に聞こえることもあるのかも知れない。いずれにしても、彼女の名前は、Lê Văn Thy Hu レ・ヴァン・トゥイ・フェ と言い、hoa hu ホア・フェ、つまり、百合の花、という意味ではある。もっとも、びっくりするくらい褐色の肌をしているので、純白の百合とは言いがたい。

父親の希望で、彼女は週に二回、早朝に、わたしのところに日本語の勉強に来るのだが、いい生徒とはいえない。もっとも悪い生徒ではない。

外国語教育の常套、と言うか、わたしも、教育法としては月並みに、彼女に教えた構文や語彙の範囲の中で、かわるがわる彼女に日本語で質問をして、彼女はその質問にもちろん、日本語で返さなければならないのだが、彼女はふしぎにベトナム語でしか返さないのだった。何を言われたのかは理解している。実際、ベトナム語の返答のほうは正しいのだから。あなたは昨日、何をしましたか? Em… em… đi day hc tiếng Anh, và đi cà ph vi bn, và …v, và ng. 何の屈託もなく笑い、そのこぼれるような笑顔は、まるで彼女が言われたとおりに正しい日本語で返答したかのような錯覚さえ与える。学校へ行きましたよ。で、友達とカフェへ行きました、それから帰って、寝ちゃったわ。そして、彼女は何の屈託もなく笑った。実際、自分の聴覚障害を疑ってしまうほどに、彼女はあまりにも自然に受け答えするので、どうしても、わたしのほうが不安になってしまうのだった。わたしのほうが、おかしいのではないか、と。

実際、母国語を聞いても、頭の中で外国語に変換してからではないと理解できなくなってしまう疾患がないとも言えない。モーリス・ラヴェルだって、楽譜に音符をかけないという「失語症」に陥ったのだから、わたしだって、そんな「失語症」に悩まされ始めないという可能性が、全くないわけではないだろう。耳に聞こえていると思われている音響は、もちろん頭脳のフィルターを通して知覚されたものにすぎないのだから、いま、耳にはベトナム語が聞こえていたとしても、実際に鳴っているのが日本語ではないという可能性を、完全に否定しきることは出来ない。

わたしを、そこまで不安にさせるのは、彼女が、どれだけ日本語を話しなさいと要求しても、必ずベトナム語で、当然のように返答し続けるからだが、D…, はいhiu ri. わかりました。 改めて投げかけたわたしの日本語の問いかけに、答えるのはやはりベトナム語だった。日本語、Em,… em… 日本語を、話しなさいnói tiếng Nht.ね、わかった?hiu không ? – Hiu.  ええ、em わかってるわhiu.、わかってる。そして繰り返される、日本語と、ベトナム語による会話。

 どうしたんですか? なにか? と、戸惑うわたしのその表情に、むしろ、あられもなく戸惑ってしまいながら。

 いずれにしても、どうにも後ろ暗い「失語症」というか、新手の「モーリス・ラヴェル症候群」というか、そういった疾患に対する、ぼんやりとしたかすかな恐怖に後ろ手に回られた、妙に倒錯的な感覚の中で、この褐色の白百合に日本語を教え続けるのだが、それはむしろ何も苦痛ではなく、わたしにとっては、あるいは、心地のよい趣味のようなものだった。絶対に日本語を口にしない以外は、目を見張るような優秀な生徒で、言われた範囲の語彙の意味は完全に暗記しているし、文法の予習も完璧なので、ごく最初期以外、わたしのやや、初学者にとっては早口に過ぎるかもしれない日本語を、聞き落とすこともなかった。第一、彼女は、まだほんの少女、十三歳になるかならないかの、あどけない少女に過ぎなかったが、非常に美しかった。実際、こういう子どもなら、親は何かと心配でたまらないだろう。変な男にとっつかれないとうに、と言うよりも、こんなに目鼻立ちにも恵まれ、頭もよければ性格も素直であれば、ひょっとした成人しない前に夭折でもしてしまうのではないか、わたしだったら、そう、気が気ではならない。

さて、と、わたしが、じゃ、Ri, em, あなたは、なぜ、tai sao em day hc  日本語を勉強していますか?tiếng Nht ? そう言うと、一度、軽く口を尖らせぎみにして、頭で何かを咀嚼したあと、彼女は雪崩を起こしたように言った。Vì là なぜって、em không thích  ベトナム、好きじゃないからViết Nam, không,… いえ、違う、em 憎んでるのghét Vit Nam, sng  ベトナムの生活をViết Nam, ベトナム人をngười Viết Nam,  Văn hóa Viết Nam ベトナム文化を…Wait, 待って、と、わたしは言わざるを獲ない、wait, em 君は、なんで Tai sao ghét ベトナムをVit Nam, 憎んでるの? sao vy ? em ngh 何考えてるのかな、君は、gì vy ? nói chuyn, つまり、 em. 何があったの?Chuyn gì vy ? 話してごらん? 彼女は、物分りの悪い弟に、けれどもやさしく教え諭すように、ないわよ、lý du không có. 理由なんか。そう言うのだが、ねぇ、Chú, あなたはchú có thích trơi 青空、xanh ? 好き?yeah, D, yes. うん。じゃ、それChú, なんで?tai sao ? chú thích なんで、好きなのよ? trơi xanh nào ?

一瞬答えられずに、わたしは彼女の、微笑んだままの、向こう側が抜けて見えそうなほどに清楚な顔に、たじろぎさえし乍ら、It’s… I feel like… good,… maybe,… I think so,… 自分でも、何が言いたいのかわからない。ね、と彼女は勝手に自分で自分の意見への同意を承認して、一度目を伏せてページをはぐると、次の質問に身構えた。

かの善良なる彼女が嘘を言うわけもなく、かの聡明なる彼女が、笑うに笑えない戯言など言うわけもない。実際に、ベトナムへの憎しみを語ったときの彼女には、一瞬、鼠に噛み付いたときの猫がするような、恍惚を浮かべて、容赦ない破壊への欲望に陶然とする、そういった、思わず目を背けてしまったほどの暗い色をその目に曝していたので、彼女が母国の、目に映るすべてを憎んでいるのには間違いがない。

この辺りの人たちは、あけっぴろげな愛国者たちであることが一般的なのだが、彼女は、そうではないらしい。一瞬、いかにもマニアック然とした、他人に否定される前に武装した理論で反覆を用意しなければ気がすまない、いろいろな被害妄想に駆られているらしい日本の自虐的な愛国者たちの顔つきが浮かんだが、それとも違う気がする。

単純に、彼女が言ったように、わたしが青空を好むように、単純に、彼女も祖国を憎む、ということなのだろうか?

ただでさえ遠地へ出張ばかりの発電タービン技師の、大酒飲みの Nam が、家族と必ずしもうまく言ってはいないことなど知っていたし、彼女の母親が、彼らが住んでいる借家のビルの最上階のオーナー男性と、よからぬ関係にある噂があることくらいは知っていた。本気の仏教国だからなのか、既婚女性の貞操観念だけは極端なこのあたりには、めずらしい関係ではある。おそらく、噂は事実ではあるのだが、夫も、おそらくは、それを知っている。わたしの妻があるとき、「授業」が終わった彼女の帰って行く後姿に、かわいいそうに、と、英語で言った、その正確な英語は忘れた。女の子は、自分の母親のようにしかなれないものよ。英語のことわざそのものなのか、ベトナムのそれの翻訳なのか、一瞬、その時気になった覚えがある。たまたま、彼女の言い振りが、そんな風に聞こえただけなのか。娘の方にもまた、いろいろな噂があるらしかった。あばずれ呼ばわりして、彼女をあからさまに忌避する人たちさえもいるほどには。

近所に一軒だけある Ph フォー の店の前を、バイクで通りかかったとき、あからさまに入店拒否される Hu を見たことがある。それは通り過ぎる一瞬、視界に入ったに過ぎなかったが、迫害者そのものになって、その店の「おかみ」は Hu に早口にわめきながら、手のひらを逆に振り、あっちに行け、ここにあんたなんかの座るテーブルはない、とわめき散らしているらしかった。わたしは、彼女に関しては、誤解だ、という気がしないでもない。もちろん、あれほど忌避されるなら、正当か不当化かともかく、それなりの固有の理由があってしかるべき、ではある。とは言え、その母は、むしろ誰にも、なにも、忌避されなどしてはいないのが、不可解だった。

目を上げると、Hu が、例の、必要以上にくるくるした穏やかで清楚な眼差しのうちに、両目をそろえてわたしを見つめ返していた。

授業が終わって、土砂降りの雨の中に、合羽をかぶって消えて行く彼女の後姿を見送りながら、ふと、思い出すのは、一週間前だったか、Thanh タン の店の前を通りかかったときに、そこで彼女と Nam たちがカラオケを歌っていた姿だった。母親と兄と、Nam の二人の友人を含めて、彼女たちははしゃいでいた。彼女は、有名な、少なくともベトナムでは、ベトナム航空の離発着時の機内BGMにすらなっているほどには有名な、ある歌を歌っていた。ベトナム戦争時に亡命した家族のベルギー生まれの二世が、フランス語で歌った、ベトナムについての歌だった。その歌手は、ベトナム語など、片言さえも話せないらしかった。

 

Tell me all about this name, that is difficult to say.

It was given me the day I was born.

 

Want to know about the stories of the empire of old.

My eyes say more of me than what you dare to say.

 

All I know of you is all the sight of war.

A film by Coppola, the helicopter’s roar.

 

One day I’ll touch your soil.

One day I’ll finally know your soul.

One day I’ll come to you.

To say Hello…Vietnam.

 

Raconte-moi ce nom étrange et difficile à prononcer

Que je porte depuis que je súi née

 

Reconte-moi le vieil empire et le trait de mé yeux bridés

Qui disent mieux que moi ce que tu n’oses dies

 

Je ne sái de toi que dé images de la guerre

Un film de Coppola, des hélicoptères en colère

 

Un jour, j’irai là-bas

Un jour, dire bonjour à ton âme

Te dire bonjour, Vietnam

 

語りはじめなさい、

わたしの名前について。この、発音しにくい、

生まれたときに与えられた名前について

 

語りはじめなさい、

歴史について。たとえばあの古い帝国について

むしろわたしの瞳のほうが饒舌になるときでさえ

 

いま、あなたについて

わたしが知るすべては、戦争のイマージュ

鳴り響くヘリコプターの轟音、コッポラの映画だけ

 

ある日、あなたの大地に触れる。

その日、あなたの魂に触れる。

いつの日か、あなたに会いに行く、

こんにちは、そう言うためだけに。ベトナム。

 

Hello, Vietnam / bonjour, Vietnam / こんにちは、ベトナム

 

ベトナム嫌いの彼女は、にもかかわらず、その歌が好きなのに違いない。きれいに歌いこなし、その傍らで、父親の Nam は友人たちと乾杯しながら、彼は、今日もまた飲みすぎてしまうのに違いない。妻は彼を罵るに違いない。あしたは、男とのデートがすでに約束されているかも知れない。わたしは、なんとも言えない、むしろ無惨な感情を押しころしながら、いまだ、雨が降りやまないままにブラウンの縞を湛えた猫が滑走の途中で不意に立ち止まり、彼は遠くの物音を見るが、彼(あるいは彼女)の見た風景をわたしがついに見ることはない。一瞬の静止の後で、むしろその停滞を打ち消して再び滑走した彼女は、確かに感じたそれを既に忘却してしまっていたのだった。取り残されたわたしが雨上がりの青空を見上げる前に、「よく晴れています」カフェの三人の老人のうちの一人が見上げたわたしに言葉をかけた。カフェのひさしの向こうには青空が広がり、それは美しく青い輝きを湛えたまま、あなたには、日本語などわかりもしないくせに。ベトナム人のあなたは。こうして八十年以上もここにいて、ここで暮らしてきたあなたが。カフェには三人の老人が固まって座っていたが、一人だけ顔を上げた彼の白髪は禿げ上がることなく伸ばされて、老人らしく白いひげさえたらされているのを、振り向きざま襲い掛かってきた anh Ngc アン・ゴック の身体をかわしたとき、ねじられたわたしのひざは悲鳴をさえ上げた。冴えた空気が、もうすぐ雪が降ることを教える。anh Ngc は若い。わたしなどよりはるかに若く、俊敏な身体が、むしろ、時を獲たように襲い掛かってくるままに、わたしたちの身体の接触そのものが、わたしたちそれぞれの皮膚に、わたしたちそれぞれが目の醒めるような苦痛を与えたが、息遣う彼の呼吸が途切れた一瞬に、わたしが彼の後頭部を殴打したあと失神した anh Ngc の身体はくず折れる、コンクリートブロックが敷設された路面の模様の放射状の連なりの上に。わたしが悲鳴を上げるより早く、わたしは失神した、後頭部を誰かに殴打され、視界のすべてが消滅した、と、それにすら気付かないうちに、わたしは目覚め、それはわたし自身の悲鳴がむしろ私を目覚めさせてしまったのか、目覚めたからこそ、かつて中断されていた悲鳴が今、口からこぼれだしたのか、いずれにしても、ひたすら青い空間の中に、彼は仮面をかぶってわたしを見つめていた。気がつきましたか? anh day không ? と彼が、起きましたか? xay ra … 起きましたか? 言った。何が起きましたか? いったい、何が? 極彩色の仮面のままで、けれど、その仮面が仮面の用を足しているとは思えない。なぜなら、彼の顔立ちなど手に取るようにわかるのだから。「中東風です」彼は言った、耳元でささやき、わたしは「ウラジオストックあたりの」という彼の声を聞くが、その、女声のものには他ならないながら、彼が男性であることなどわたしにはわかっていた。男しか愛せないくせに。拘束されているわけではなかったが、わたしが拘束されてある現実の中で、身体の自由は奪われていたには違いない。椅子の上でもがくわたしを、彼は、遠くの、美しい部屋の青い壁を背にして、しかし、わたしは涙さえ流しながら彼に乞うていたのだった。わたしにとって、今、感じられるのは恐怖以外のものではなかった。ただ、恐怖が、もはや予感ではなく、手のひらの上に存在し、目覚め続けたそれらが、これから起こるべきすべてのことを予兆していた。兆された、光さえ差さない閉ざされた部屋の中の、内側から光りだすような青さのなかに、それは初めて知る美しさだった。もっと、ここにいることを、ただそれだけをわたしは望み、この美しさと共に死にたいとさえ思っているわたしの想いを、彼に伝えるにはわたしの猿轡が邪魔だった。あなたは知っているか? 今、この世界の本当の美しさを?「これは、ウラジオストックの雪です」彼が言った。彼はわたしを覗き込んだままに、くの字に曲げられた彼の肢体は美しい。ある春の朝に、最後に、不意に降った雪のように。しずかな桃色の花々の上に。すでに、失われた色彩たち。再び目を覚ましたわたしは、失神からようやく醒め乍ら、彼が次に何をするのかは知っていた。容赦もなく彼の左手の刀が振り下ろされて、わたしの両足を切り落としたときに、再びわたしは失神から目を覚ますのだった。耐えられない、絶え間のない苦痛が、ふたたびわたしを失神させ、あまりの痛みのあまりに、ふたたび目覚めれば、痛みそのものはわたしの背骨をへし折りさえしながら、わたしは死にはしないだろう。痛みの、はり上げられた悲鳴の耳もとへのつらなりが、かつて、誰も死んだことなどなかった、こんなことでは。これは、ヘラクレスの女のたった一人の弟が残した言葉だった。わたしは知っていた。彼の拷問はとどまることを知らず、痛みによる覚醒と失神との間に、もはや、何の差異があったというのか? すでに、切り落とされた二つの足さえ、コンクリートと同化さえしながら、その未だに幼児のような半身を既に再生し終えてさえいるのだから、君は知っているか? 彼の止めどもない拷問、その単純な痛さの純度を? 口から鉄の棍棒を肛門まで突き刺されくしざしのまま吊り上げられた、髪の毛の先にまで目覚め続ける痛みの複数のざわめきを。その上げられた悲鳴の連鎖の反響を。彼がわたしを覗き込んだままに、くの字に曲げられた彼の肢体は美しいことなど知っているわたしの顔の、無意味な極彩色の仮面を、むしろ、その少女風の華奢な指先で撫ぜるとき、わたしをついに殺そうとする彼を真っ二つに切りすててしまえば、転げ落ちた彼の頭部は最早、涙さえ流せはしない。奪った刀は、すでに投げ捨てた。そのとき、コンクリートの青い床の上に立てた、罅われるような音響をわたしは忘れ獲ないだろう。いつか、彼は、むしろわたしのことさえも忘れてしまうにしても。壁に触れ、その細胞と細胞が接触しあうときの、あの感覚なら君にもわかるだろう、そう、彼ならそう言うに違いなかった。親愛なるプロメテウス、あなたなら。その細胞と細胞が、差異を自覚するままに重なり合って、最早融合された二つのそれらのふれあいの中で、神経の根元につめたい息を引きかけられたような細かな無数の感覚をすべての細胞のすべてが感じているときに、最早、それが快感なのだとしか言い獲ない、むしろ性的な興奮の中で、融合されたコンクリートさえもが射精したに違いない。わたしは外の大気を吸い込むが、冷たいそれは、しずかに、見渡す限り、すべてが白く、白い、純白に染まったこの世界の見渡す限りの中で、わたしはしずかに呼吸したのだった。樹木の白い幹に触れたとき、わたしが危うく失神しそうになったのは、樹木の細胞たちとの溶解のせいばかりではない。どんなにとけあったとしても、ついには別々のものとして、分かたれ、それ自身差異を獲得しようとするくせに。今、わたしは知っていた。通りの街路樹に背中だけ持たれて、目の前を、背後をさえ通り過ぎていくすべての人々の顔が全く同じであることを。そして、その視覚は、わたしの視覚障害に他ならないことをさえ。わたしは知っていた、もはや差異を認知できないわたしの視界は、すべてを同じものとして認識さえしながら、それらのすべてが、今、特異性のうちに目覚め続けようとしているのもかかわらず。彼の固有の死によって、すべてのわたしたちのすべてが、やがては時間上の固有性をさえ獲得しようとしていたこのときに、限界もなく同じな、同じものの無限の連なりの中を、橋の上でわたしはもう一度、肺の中いっぱいに空気を吸い込んだ後、彼から奪ったものに違いない刀で、切り裂いたときに、目を、あふれ出した血の流れさえも、再び、捉えはしなかった、すでに、わたしに切り裂かれたこの両目は。明日、わたしの口の中にだけ、雪は降ったことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017.11.26.

Seno-Lê Ma

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


奥付


あるいは傷、としての短編。そしてその集合


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著者 : Seno Le Ma
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