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― その1 ―  松果体の力

 人は社会構造に順応し、それに凝り固まってしまうものである。そうやって生きる術を身に付けているのだろう。
 やがて日本人は一方的な情報だけを信じて生きていくようになった。
 それを知った徳川家は儒教の教えを取り入れ、朱子学をその根本とし、上に逆らわぬ日本人の特性を利用して支配してきたのである。
 身分制度もその一つだ。家が受け継いできた身分を継承する事を絶対としたのだ。
 しかし一方通行の思考で凝り固まっては善悪の判断を見失ってしまう。本当の自分の使命すらも見失ってしまう。
 そんな時代であった。
 でも、坂本竜馬は違った。
 物事には表があれば裏もある、そう理解した上で、その中間的な思考を持ち続ける事こそが大切なのだと知っていたのである。
 (最も大切なのは、中間的な思考だ。その立場を理解するためには、まず物事の裏を見抜く能力が必要だ)
 竜馬にはそれがあり、表裏を融合させる能力があった。
 それに深く関わるのが松果体である。
 『松果体』。
 それは脳に存在する小さな内分泌器であって、脳内の中央、左右大脳半球の間にある卵形の小体である。
 
 松果体の働きは人にイメージやビジョンを見させる事である。『第3の目』とも呼ばれ、物事の本質を見抜く能力とも言われていた。
 太古の人々は特にそれが顕著だった。透き通るような松果体を保っていて、テレパシーや霊感などを日常の生活に取り入れる事が出来たのだとも言う。
 更には人生を正確に見る能力。
 坂本竜馬はそれに秀でている。
 世の中の動きや善悪を偏見なしに感じる事ができ、物質的な価値や物事の体裁に惑わされず、本質を理解するようになっていた。その嗅覚が優れ、先を見通し、想像し、将来を構築する事も出来るようになっていく。
 それが度々目にする竜馬の先読み能力の発現であった。
 竜馬の持つ能力は、偏見なく物事の本質を見ようとする心から培われていたのだ。


― その2 ―  海舟の憂い

 「今は・・・産業革命による大航海時代から始まった西洋先進国による植民地争奪の延長線上にあるのだ」
 正しい知識を持つ国内の有識者達は今の時代をそう理解していた。
 そして異国人という人の形をした生命体が日本にとって危険であると認識していたのである。
 何故なら・・・、
 「彼らが日本にやって来るのは、日本を西洋人の植民地としたいからだ。・・・このまま幕藩体制が崩れて国内で内戦が頻発して日本が分断されれば、天皇を中心とした国体が崩壊し、密かに根を拡げている西洋人達が日本政府の混乱に乗じて間接的に次の統治者を選び出すつもりなのだ。そうやって間接的に植民地化を推し進めるのが奴らの常套手段だ」
 彼らが世界各地でやってきた手法である。
 「日本に介入する絶好期が訪れようとしていると嗅ぎ取っているのさ、奴らは。きっと日本国内で戦争が起こるように仕向けてくるだろうよ」
 勝海舟は竜馬ら海軍塾生にそう説明していた。異国の企みをそう読んでいたのだ。
 西洋文化を学んだ有識者達もそう訴えている。
 そしてその危機感を感じ取った天皇が攘夷を口にした事で、呼応した志士と呼ばれる地方の若者や脱藩浪人達が立ち上がったのだ。
 ・・・尊王攘夷である。
 「異国人を我が神州から排除せよ! 腰抜けな徳川幕府は異国の言いなりだ、天皇を中心とした神国を取り戻すのだ!」
 
 その運動の中心は水戸藩であり長州藩だった。
 彼等は己の主義主張のためになら玉砕すら美しいという精神に従い、染まり、行動した。そして、
 「異国人から日本国を守るために倒幕せよ!」
 とまで口にするようになった。いやそればかりか、好機とばかりに徳川家に取って代わろうという野心を抱き、新体制をも目論み始めたのである。
 ・・・望みは徳川体制の終焉、世の一新。
 「目指すは倒幕だ!」
 長州藩の精神的支柱・吉田松陰はそう叫んでいた。その松陰がこの世を去っても弟子達がその教えを継承して、今の長州藩を動かしているのだ。
 久坂玄瑞・高杉晋作、・・・彼らを中心とする長州奇兵隊は過激さを増していく。その根底に流れているのは『天皇による治世への回帰』という建前、そして『低い身分を持つ下士達の士族への解放』という目的も持ち合わせていた。
 そのために旗印にしたのが『倒幕』の二文字である。
 倒幕を叫んで人心を結束し、奇兵隊以下過激緒隊を扇動して、異国とも幕府とも戦い始めたのである。それが長州の馬関海峡封鎖と異国船への無警告攻撃であり、異国と条約を結んだ幕府への反抗であった。
 無謀な戦い方であった。
 だが効果は絶大だった。
 多くの日本人が長州藩を喝采し、朝廷までも背後から動かし始めたのである。
 徳川幕府が維持し続けた絶対的権力を朝廷が取って代わるのか。
 ・・・だが勝海舟はある危惧を抱いていた。
 「きっと長州に大きなしっぺ返しが来るぜ」


― その3 ―  激変の京

 海舟の読みは当たった。
 尊王攘夷を唱えて朝廷を牛耳っていた長州を、幕府側の公武合体派が一夜にして京から追放したのである。実行したのは薩摩藩と会津藩だ。
 天皇の発する勅を好き勝手に利用して朝廷を実質支配していた長州藩に対して、天皇が断を下したのだ。
 「尊王とは口先ばかりだ。倒幕し天下を掴むのが長州の本心であろう」
 そう気付いた孝明天皇が中川宮に命じて、薩摩藩と会津藩に長州追い落としをさせたのである。
 長州を西国に追いやると、代わって薩摩が京を制圧した。そればかりか薩摩の島津久光は朝廷の名の下に賢侯を京に呼び寄せて、彼らを朝議の参豫にさせたのである。今後は賢侯達の合議制で日本を動かそうというのだ。
 ・・・つまり島津久光は実権を幕府から剝奪して、参豫を加えた形の朝廷に権力を移行させたのである。
 それは決定的だった。
 全ての決定権は参豫と朝廷が持ち、すなわち朝廷が日本の決定機関となったのである。一方の幕府は完全に決定権を失って江戸の幕府は形骸化し、京の二条城に詰める老中達が幕府機関として残ったに過ぎなかった。
 だが異国からすれば、交渉窓口となっているのは諸外国と通商条約を締結した幕府である。
 和宮が将軍家へと嫁いだ条件として天皇に攘夷を約束している幕府はいよいよ難しい立場に立たされた。
 そこで幕府は開港している横浜港を閉鎖するという秘策を攘夷であると主張する方針で動き始める。鎖港交渉団をヨーロッパ諸国へと送り込んだのである、・・・実質は難しいと知りつつも。
 諸外国にすれば正式に日本と条約を結んでいる立場である。それを盾にして西洋人達は幕府や西南雄藩に接触して、双方を対立させるべく暗躍し始めていた。・・・日本の分断こそが日本侵略の好機になるのだと、重々理解していたのであるから。
 
 「西洋人には策謀があるぜよ」
 坂本竜馬はそれを察知していた。そして危機感を抱き、手薄になっている北方の護りのため、蝦夷地に京の浪人達を送り込む構想を実現しようとしていた。浪人に蝦夷の開墾と国土防衛の役目を与え、蝦夷を狙うロシアへの防波堤とする方策である。
 「これを実施すれば、日本の北方の護りを強化出来るぜよ。そればかりか京の治安を乱している浪人達を京から遠ざけられる。つまり国家の危機を招く浪人問題も解決出来るぜよ」
 「一石二鳥になるな」
 竜馬の構想は軍艦奉行の勝海舟ばかりか、元外国奉行の大久保忠寛も後押しするものであった。
 京にあって長州に扇動されて問題化している脱藩浪人問題を、幕府の資金力を利用して蝦夷に送り込むという解決策である。名案であった。
 
 だが勝海舟にはまだ危惧している事があった。
 「世界から見て、長州には国際法違反という大問題がある。その報いがやって来る」
 と言うのだ。
 「報い?」
 「異国が手を組んで長州攻撃を企てているんだ」
 竜馬は海舟の顔を睨んだ。
 「そりゃ、まっこと!」
 「本当だ! 長州がやった馬関海峡封鎖も異国船への無警告攻撃も、国際法違反なのだから、当然の報いだ」
 「国際法・・・ですか、それはそんなに重要ながです?」
 「そりゃそうよ、海は世界と繋がっているんだから、世界共通の法律があるのは当然さ」
 竜馬は渋々といった感じで頷いた。
 「ならば長州は世界中を敵に回しちゅうという事かよ」
 「そうなるさ」
 「何とも・・・まっこと絶望的な・・・」
 「その上、幕府も長州藩の暴走を抑え込みに動き出そうとしている」
 「あちゃー、長州藩は益々もって追い込まれるが?」
 竜馬は長州を思いやって頭を抱えた。
 「それが今の長州の立場だ」
 厳しい目をして海舟はそう答えた。


― その4 ―  奇兵隊の目指すもの

 ・・・もう既存の組織だけで戦うのは難しい。
 長州藩の家老達はそう考え、最後の賭けに出た。
 「もう高杉晋作に期待するしかない」
 それが奇兵隊である。
 高杉がに立ち上げた奇兵隊は武士という身分を持たぬ者達の集団であった。
 藩士でなく非正規の者達を組織化した集団、現状からの脱却を求めて立ち上がった身分の低い者達の集団なのだ。だから彼等には武士の矜持もなければ、作法もない。そして殿様への忠義も、情けすらもないのである。
 「武功をあげて侍になりたい!」
 それだけが彼らを動かしているのだ。
 あるのは怒り、現状の身分制度への怒り。だから異国人に打ち勝ち、幕府を倒せばそれで良い。
 「世を一新させるのみ!」
 これまで低い身分に虐げられてきた彼等は、これまでの身分制度をひっくり返したいのである。そのためになら戦国の世の到来をも望んでいるのだ。
 「長州が天下を掴んで世の中の有り様を変える。そして我らが高い身分を手に入れる。徳川家を一気に将軍家から引き釣り落とす、・・・今がその好機だ!」
 口々にそう叫んでいた。
 関ヶ原の合戦で敗れて萩の地に追いやられた長州藩の怒り。そして虐げられてきた身分の低い者達の歴史。それらが爆発の時を迎えているのあった。
 吉田松陰の唱えた草莽崛起、それが日本を守る最後の手段であり、武士にあらぬ者が立ち上がる好機を作り出したのである。
 
 奇兵隊とは、
 『世の一新を願って戦う武士にあらざる者』
 本質は烏合の衆である。
 それを率いるのが高杉晋作。吉田松陰の発した草莽崛起の継承者である。
 今後、この高杉がそんな奇兵隊を活性化して、倒幕と維新を現実化する破壊的原動力とするのだが、その後ろ楯となって彼らに武器支援するのが後の坂本竜馬なのである。
 竜馬は幕府海軍の立場にありつつ、倒幕にも荷担する微妙な立場へと流れていくのだ。
 
 その坂本竜馬が若き日、憧れた剣豪は大石進であったが、その竜馬と同じく大石に影響を受けて大石神影流を学んだ人物に鳥取藩士・河田景与(かわた かげとも)が居た。
 互いにそれを切っ掛けにして剣の腕を磨き、尊王攘夷へと傾倒していったのであるが、竜馬は尊王攘夷から脱却し、河田は尊王攘夷にドップリと浸かった。
 そこが異なっていた。
 そもそも鳥取藩と水戸藩は太い繋がりがあるから、鳥取藩士の河田は当然のこと尊王攘夷に染まりきり、遂には鳥取藩尊王攘夷の筆頭へと賭け上がっていく。
 それが河田景与の運命なのか、やがて長州の桂小五郎と接触し始め、何とも不穏な動きを見せ始めるのである。


― その5 ―  有栖川宮擁立か

 鳥取藩の藩主・池田慶徳は水戸藩主・徳川斉昭の五男であり、藩論も尊王攘夷に傾いていた。
 そんな中で河田景与は文久期には京都留守居となり、鳥取藩尊王攘夷派の中心人物となっていた。そうなれば同じく長州藩尊王攘夷派の中心人物・桂小五郎と交流するようにもなっていく。
 しかし京で八月十八日の政変が起こされて長州藩や尊王攘夷派公卿が京から一掃されると、鳥取藩内でも尊王攘夷派と公武合体派との軋轢が噴出した。そして京の本圀寺にて尊王攘夷派が公武合体派数名を殺害する事件が起こったのだ。いわゆる本圀寺事件である。
 鳥取藩は混乱していた。
 事件後も鳥取藩尊王攘夷派の中心として行動していた河田だったが、そんなところに長州の桂小五郎がより強力な強調を求めてきたのである。
 その方策が驚きだった。
 「親長州の公家・有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみや たるひとしんのう)を擁立して共に挙兵しようではないか!」
 思わぬ言葉だった。
 河田景与は目を見開いた。
 「有栖川親王を担ぎ上げると!」
 「そうだ!」
 事態は切迫していたのである。
 「有栖川宮熾仁親王の決意をもって、孝明天皇と一戦起こすのだ!」
 小五郎はそう言い切った。強烈な眼力を向けている。
 冷や汗が流れる。
 (長州はそこまで、・・・こんなにも危険な事を企てているとは・・・)
 
 有栖川家は毛利家の遠戚にあたる公家である。その上、反孝明天皇であった。そして有栖川宮熾仁親王自身にも孝明天皇に対する深い恨みがあった。
 熾仁親王と和宮との婚約を破棄された恨み。愛し合う二人に約束されていた婚姻、それが奪われた恨みがあるのだ。
 ・・・消え去る事のない孝明天皇への憎しみ。
 それが心の底に渦巻いている。
 (長州と手を組んで孝明天皇を引き釣り下ろしてやる。そして・・・自らが天皇に・・・)
 有栖川宮熾仁親王はそこまで描いたのかもしれない。
 
 それを知ってか知らずか、孝明天皇は有栖川宮熾仁親王を西国鎮撫使に任命した。長州を押さえ込む役目である。
 有栖川宮熾仁親王は悩んだ。
 (・・・長州につくべきか、いや今は孝明天皇の命に従って長州へと刃を向けるべきか・・・)
 冷静に判断しなくてはならない。
 そして、期を譲る、と決めた。
 「今は孝明天皇に尽くそう、・・・今は」
 長州と手を組むのを見送った。
 (・・・けれど決して諦めたわけではない。長州が立て直したならば、その勢いに乗じて立ち上がろう。・・・自らが天皇となるために!)
 有栖川宮はいずれ長州につく事を決心していた。
 
 このように、京の朝廷内はますます混沌としていく。
 ・・・長州に通じる有栖川宮、・・・朝廷参預となった幕府側の一橋慶喜には中川宮がつき、・・・孝明天皇には中川宮の兄・山階宮がついている。
 それぞれの勢力の代理戦争として、朝廷内で争いが繰り広げられるのである。
 だが本音のところでは、長州藩は有栖川宮熾仁親王を天皇にまで持ち上げるつもりはなかった。
 彼らは孝明・有栖川宮ら北朝系の実力者を天皇から外した後、南朝系の新天皇を据えるつもりだったのである。・・・何故なら、長州には長州の育てた次期天皇候補が用意されていたからである。



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