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謝辞

表紙:http://piece2003.com/様の写真より。
有り難うございました。

(1)愚痴-1

「それにしても寒いねぇ、うう寒!」
 僕が熱燗片手にそう呟く。
「お前が入り口に近い席を選ぶからだろうが!」
 すかさず同期の丸尾が僕に文句を言う。

 今は一二月初旬、街はクリスマス一色。僕は珍しく丸尾に誘われて、新宿の安い居酒屋『昇り調子』で飲んでいる。メンバは僕と丸尾の二人だけ。さりげなく携帯電話を見ると既に十一時時を過ぎていた。
「焼き鳥盛り合わせッす!」
 元気の良さそうな店員が注文したつまみを持ってやって来た。
「ありがとう」
 僕は礼を言って皿を受け取る。そして受け取った皿を黙って自分の前に置いた。
「ちょっと待て吉沢! お前がそれ全部食っちまうつもりかよ!」
「良いだろ、これはささやかな自分へのボーナスなんだ」
「俺の分も少しくらい寄こせよ!」
「いいか! 良く聞け! 僕はこの冬ボーナス七割カットなんだぞ」
「マジかよ? そいつは酷いなぁ……。と見せかけて頂きっ!」
「ああっ!」
 隙を突かれた僕はあっさりと焼き鳥の盛り合わせを略奪されてしまった。そして最初に目を付けていた手羽先は早くも丸尾の餌食になっている。
「はぁ……」
 思わずため息がこぼれた。
 僕と丸尾は同じ大学から同じ大手メーカへ同期入社した。入社した当時は大手メーカだった会社も僕達が中堅になる頃には中手メーカへ落ちぶれてしまった。そんな僕達は人生の選択肢を間違った盟友ともいえる。
 僕達二人に大きな違いがあるとすれば、僕が平社員でちまちました仕事をしているうちに、丸尾は課長まで昇進した事だろう。丸尾は気にしていないようだが僕にしてみれば気にならないはずがない。部署は同じだが課の違う事がせめてもの救いだ。
「やれやれ、僕は順調なお前が羨ましいよ」
 僕は手羽先にむしゃぶりつく丸尾に向かって思わず本音がこぼれた。

(1)愚痴-2

「何のことだよ?」
 タレで汚れた口をフキンで拭いながら丸尾は僕に訊く。
「そんなに手羽先が欲しかったのかよ?」
「そうじゃないさ。僕が言っているのは人生についてだよ」
 僕はおちょこに日本酒を注ぎながら応えた。
「人生だぁ? 聡美をゲットしておいてまだ人生に不満があるのかよ」
「聡美かぁ、はは。お前にしてみればそうかもな」
「マジでむかつくぜ」
 聡美は僕の妻だ。そして彼女は大学時代に学内のミスコンで優勝を飾った華々しい経歴を持つ。丸尾は何気に聡美に執心だったのだ。しかしそんな彼女は何故か僕と一緒になった。結局聡美とは大学卒業後すぐ結婚した。とはいえ丸尾も既婚者だ。
「なんで聡美がお前の嫁なんだよ!」
「僕に言うなよ、文句があるなら聡美に直接言ってくれ」
「本人の前で言える訳無いだろう! お前も聡美に余計な事を言うなよ」
「ははは、分かってるよ」
 というのは嘘で丸尾の言った事は僕を通してすべて聡美に筒抜けだったりする。
 悪いな、丸尾。
「今度バーベキューパーティでもするかい? 大学の頃みたいにさ」
「けっ、そんな気分の悪いイベントに参加するか!」
「あはは、冗談だよ」
 軽く丸尾をからかう。
「ちぇっ」と舌打ちして丸尾はビールを飲み干す。
「でも、実際問題さ、男の人生は経済力だと僕は思うよ」
 僕はおちょこを口にしながら話題を変えた。
「ああっ? 経済力? どういう事だよ」
「つまりさ、たとえ同じ会社にいたとしても僕みたいに薄給だといつ嫁に愛想を尽かされても不思議じゃないって事さ」
「ん? いやいや、俺だって年俸制だから来年の今頃はどうなっているか分からんぜ」
 丸尾はテカった顔をタレで汚れたフキンでぬぐう。
 焼き鳥のタレで余計に顔がテカっているような気もしないではないが、敢えて触れないでおこう。
「課長様ともあろう方が何をご冗談を」
「バカだな、管理職は労働組合員じゃないからいつ肩たたきにあってもおかしくないんだぞ。しかもこの不景気だしな」

(1)愚痴-3

「へぇ、そういうものなのか」
 それは知らなかった。エライ奴にはエライ奴なりの苦労があるって事か……。でも、やっぱり僕は課長の丸尾が羨ましい。
「それにしても、こんな世知辛い会社に誰がしたんだろうなぁ」
「そりゃ、社長様に決まってるじゃないか」
 僕は迷わずそう答えた。
「やっぱり、そうなのかなぁ」
「社長が働かないから僕達は苦労するんだよ。何せ僕は社長の顔を見た事ないくらいだし」
「がっはっは! そういやうちの社長は社員に顔を見せた事無いもんな」
「そうだよ、僕達の入社式の時も体調不良だとかいって顔見せ無かったしさ」
「ああ、あったなぁ! そんなこと」
「この前のリコール問題の時も顔出さなかったじゃないか?」
「がっはっは、そういやそうだ!」
「だからさ、やっぱり重要なのは説明責任だと思うんだよ。きちんと顔見せて説明して欲しいんだよ」
「吉沢の言う事ももっともだ! ん?」
 丸尾は串の盛り合わせを一人でぱくつきながらふと何かを思い出したらしい。
「そういや、つい最近俺たちの社長変わらなかったっけ?」
「ええっ? 僕は知らないけど。もっとも社長なんて誰がなってもかわらないよ、普段一緒に仕事するわけじゃないしね」
「まあ、そりゃそうだわな」
 丸尾は最後の串を豪快にビールで流し込むと、店員を呼ぶためにブザーを押しながら面白くもなさそうにこう言った。
「そもそも平社員とそんなお偉いさんが一緒に働いてたら可笑しいぜ」
「それはそうかもね」
 僕はおちょこに残った酒を飲み干した。
「それにしてもさ、会社の社長は代わるし、ボーナスはカットされるし、僕達の会社もいよいよ負け組の仲間入りかな……」
 思わず僕の口からため息がこぼれた。
「負け組って……そりゃ言い過ぎだろう、吉沢」
「無駄にでかい本社ビルを持つならせめてその分を僕達下っ端に還元して欲しいよ!」
「残念だけど、そりゃ無理だ」
 僕の愚痴に丸尾が真顔でそう答えた。
「どうしてだよ?」

(1)愚痴-4

「あの本社は借り物だからな」
「ええっ! 冗談だろ」
「大マジさ。あれは聞くところによれば四井銀行の持ち物だぜ」
「どうも信じがたいなぁ。じゃあ、最上階直通エレベータ前の前にあるレッドカーペットも全部借り物なのかい?」
「そういうこった」
「冗談は勘弁して欲しいよ。興ざめだも良いところだよ」
「まあ、事実だから仕方ないぜ」
「じゃあ、社長はその借り物のビルの最上階でふんぞり返っているって事かい?」
「まあ、そういうことになるかな……」
 だとすれば社長には少し身の程をわきまえて欲しいものだ。
 丸尾は注文のタイミングを伺っているが、忘年会シーズンのこの時期に男二人でしっぽり飲んでいる僕達に注意を払う店員がいるはずもない。丸尾は諦めてこっちを向いた。
「ところで吉沢、お前はどう思うよ? 社長は普段何をしていると思う?」
「さあ、見当もつかないよ。ああ、あれだよ!」
 僕はとっさの思いつきでこう答えた。
「きっと本社の屋上にある販促用の気球でも動かしているんじゃないかい?」
「あの気球か?」
 本社の高層ビルの屋上には一体どんな経済効果があるのか不明だが販促用の馬鹿でかい気球が常時浮いている。
「そうだよ、きっとあの気球に乗ってフラフラ漂っているんだよ、屋上をね」
「がっはっは! そりゃ面白い! まさに『雲の上の人』だな」
 僕と丸尾は揃って大笑いした。そして僕はこう言った。
「それでも僕は『雲の上の人』が羨ましいけどね」
「確かにな」
 その後、僕達は揃って大きなため息を吐いた。


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