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(5)社長就任-10

「社長たるもの第二外国語の一つくらいたしなみがあって当然だろう」
 SPの一人が無情に突き放した。
「僭越ながら私からコレを……」
 別のSPが英和辞書を僕に手渡した。
「冗談だろ?」
 僕はすがるように尋ねた。
「次はこいつだ」
 SPのリーダー格は気球のそばに置いてあった中型の段ボールを僕の目の前に無造作に置いた。段ボール箱には飲料水と記載されていたものと高カロリービスケットと記載されたものの二種類があった。
「何だ、これは?」
「見て分らないバカが聞いて分るのか?」
 そう言うとSPは三人揃ってへらへらと笑った。
 ちきしょう、一対一なら思い切りぶん殴ってやるのに……。
「まあ、そうは言っても可哀想だから教えてやれ」
 リーダー格の男が指示を出す。
「それは一.五リットルの水一二本と高カロリービスケット一ヶ月分だ」
「どうしろと?」
「食べる量はご自身でコントロールしてください。体調の管理は自己責任です」
「いや、そんな事は聞いていない……」
 体調管理はともかく、こいつらは僕に一体何をさせたいんだ?
「最後にこれを渡しておく」
「コレは何だよ?」
 最後に僕が受け取ったのは携帯電話にしては少々大きすぎるトランシーバーのような端末だった。
「それは衛星携帯電話だ」
「?」
 何を言っているんだこいつは。
「通話時間も待ち受け時間も短い。非常時に限定して利用するがいい」
 こいつらの言っていることはさっきから全然意味が分からない。
「いい加減にしてくれ!」
 僕は叫んだ。
「お前達の言っていることはさっぱり分らない! 一体何をどうしたいんだ?」
「ふん、やはりバカはバカだな」
 リーダー格の男はぼそりと呟いた。

(5)社長就任-11

「いいだろう。教えてやる、お前さんの仕事はこの社長室で過ごす事、つまり気球が風に流されないように上手くコントロールする事だ」
「どうして僕がそんな事をしなければならないんだ!」
「それが雲の上の人『社長』の仕事だろう?」
「!?」
 僕は絶句した。まさか僕の冗談が本当だったなんて……。
「じゃあ非常時にはどうすればいいんだ!」
「一一〇番通報しろ」
 当たり前に用に三人SPのうちの一人は言い放った。
「お前達はSPじゃないのか? 僕を守るのが仕事じゃないのか!」
 僕は怒りを堪えながら尋ねる。しかしSPの回答は意外なモノだった。
「俺たちの目的はお前が社長の内示を受けてから逃亡させないことだ」
 僕は唖然としてしまった。
「そして俺たちは社長を守るんじゃない、会社を守っているんだぜ」
 そう言ってSPの片方がニヤリと笑った。
 何を言っているんだこいつはバカじゃないのか。
「ひょっとして丸尾の時もそうだったのか?」
「守秘義務だ。答える事は出来んな」
 仮に丸尾も同じように気球で飛ばされたと仮定すれば連絡がつかなかったことにも説明が付く。丸尾の私用携帯電話の待ち受け時間は持って二日が限界だろう。ということは、自分に電話を掛けてきたときはこの衛星携帯電話を使用したという事か。
「ちなみに、その衛星携帯電話による通話内容は情報管理部が監視している」
「ええ? どういう事だよ!」
「通話内容によっては切断させて頂きます」
「酷いじゃないか! 冗談はやめてくれ」
「万一、警察に保護された場合も会社名を出さないように」
「どういう事だ! やっぱり違法行為なのかよ?!」
「いや、許可は貰っているそうだ」
 たとえ会社ぐるみのドッキリでも我慢の限界だ。こんな会社直ぐにでも辞めてやる。
「こんなふざけた話に付き合ってられるか! 僕は帰らせてもらう!」
「よろしいのですか? 奥様の……聡美さんでしたっけ」
 どうしてこいつらの口から全く関係のない聡美の名前が出るんだよ。
「いいか僕の聡美、いや僕の妻は今実家に帰ってるはずだ!」
「くっくっく。確認は取れましたか?」

(5)社長就任-12

「え、いや、昨日は連絡がつかなかった。今日は昨日の今日だし……。ま、まさか、お前
達が聡美に何かしたのか!」
「我々の目的はあなたを気球に乗せる事。目的のために手段は選びませんよ、ご留意ください」
「卑怯だぞ!」
「あなたは、自ら会社と特別な契約を結んだのです。文句を言うのは筋違いですよ」
「ぐぅ……」
 神木から受け取った分厚い契約書が違法行為にまで言及しているとは……、全てが後の祭りだった。
「ちきしょう! 覚えていろ! 無事戻ってきたら、お前ら全員解雇だからな!」
 SPは僕の遠吠えを無視してこう言った。
「それではご武運を」
 その後、僕は極寒の一二月の夜空で文字通り『雲の上の人』になった。


(6)雲の上の人たち-1

 吉沢が副社長室だと案内された本社ビル最上階の一室、奥の席には一人の男が座っていた。男は資料の査閲と承認を黙々と行っている。そして男の胸には神木が吉沢に献上し、聡美が誤って捨ててしまったはずのネクタイピンがとめられていた。
 そこへノックとともに別の若い男が入ってきた。
「失礼します」
 一礼をしてその男性は奥の席へ向かう。
「社長、ご報告がございます」
 社長と呼ばれた男は資料に目を向けたままこれに応じた。
「ああ、後一分だけ待ってくれ。今、午後の役員会の資料に目を通しているところだ」
「かしこまりました」
 男は言葉通り資料の査閲と承認を一分で終わらせると立ち上がり、若い男性をソファに促した。
「かまわんぞ、今は二人しかいない」
「では、遠慮無く失礼します」
 二人は部屋の中央に配置された応接セットに座ると会話を始めた。
「実は我が社の吉沢さんの『趣味』で乗っていた気球が米軍によって撃墜されたそうです」
「そうか。吉沢も良い『趣味』をしているな。それで場所は?」
「神奈川県です。どうやら風に流されたようです」
「そういえば、米軍の制空権に近づかないよう注視していなかったっけか?」
 若い男性はうっかりしていましたとばかりこう言った。
「これは、私としたことが忙しさにかまけて失念しておりました」
「まあ、俺や神木も普通の人間って事だな」
 若い男性の正体は神木だった。
「僕には社長の真意が図りかねます」
「別に大した理由じゃない、俺はあいつを副社長にしてやると約束した。アレは万年ヒラの吉沢への最初で最後の昇進試験だ」
「私はしばらく吉沢さんの下で働きましたが、彼の能力では副社長に着任することは難しいとお止めしたはずです」
「まあ、俺が吉沢を買いかぶりすぎていたって事かな、がっはっは」
 神木は社長の顔を食い入るように見つめる。
「本当にそれだけですか? 丸尾社長」
「ん?」
 丸尾はニヤリとほくそ笑んだ。

(6)雲の上の人たち-2

「お父様でもある前社長がご病気で亡くなる一ヶ月も前に社長は内示を受けていたはずですが?」
「俺は飲み屋であいつと話をした時にあいつを試してみようと思ったんだよ。自分の会社とそのトップを甘く見ているあいつをな」
「それにしても社長の小芝居はともかく気球というのは少々大げさ過ぎる仕掛けではありませんか? 他にも吉沢さんを試す方法はあったでしょうに」
「あいつが『雲の上の人』になりたいと望んだんだ。昇進試験だけに気球だ。がっはっは」
 神木は丸尾の胸元を指さして尋ねた。
「なるほど……、ところでそのネクタイピンは?」
「ん? ああ、これな、コレの部屋に行った時に置いてあったモノを貰ったんだよ」
 丸尾は小指を立ててそう答えた。
「それは私が吉沢さんに差し上げた物ですが」
「ほう、そうなのか。吉沢の『聡美』に代わって礼を言っておくぜ」
 神木は鋭い眼光でこう言った。
「社長の本当の目的は痴情のもつれからくる吉沢さんの処分ではありませんか?」
 丸尾は笑いを押し殺しながらこう答えた。
「くっくっく。まさか、友人の俺がそこまで考えるはずもなかろう。もっとも、痴情、いや地上でもつれて雲の上の人になるってのは洒落てるじゃないか。がっはっは」
「本当に大胆不敵と申しますか。丸尾社長というお人は底知れませんね……」
 呆れたように神木がそう言うと、丸尾はあっさりとこう言い放った。
「一応、言っておくが俺は今フリーだ。聡美も後半年後にはフリーだ。俺たちの間に何の問題もない」
 丸尾は社長職着任後直ぐに離婚していた。
「本当に酷い方ですね、丸尾社長という方は」
「ふん、だがそんな俺を抜擢したのはお前だろう? 神木担当兼執行役員さん」
 苦笑しながら神木はこう答えた。
「ふふふ、そうでしたね。我々役員はあなたの今後の活躍に期待していますよ」
「いや、しかし部下の素振りから気球の手配までアッサリとやってのけるなぁ、お前は」
「いえいえ、いろいろな方のお世話になりっぱなしです」
「まさか、あの神木執行役員が実はお前の名前をもじった架空の役員だとは思わんよな。
ところで、誰だよ、あのオッさん?」
「売れていない役者さんですよ。私もあの演技力に感服しました」
「使えそうだから契約社員として雇っておけ」
「承知しました」



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