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(5)社長就任-9

「吉沢社長、あれがあなたの専用の部屋、社長室です」
 何を言っているんだ、こいつらは。こんな失礼な連中は至急解雇だ。
「悪いけれど、僕はこんなくだらない冗談に付き合っている暇はないんだ」
 僕は踵を返し屋上から撤収しようとする。すると、二人のSPが僕の両脇にがっちりと腕を絡めた。
「何をするんだ!」
「我々はあなたに社長室を案内する義務があるのです」
「何が社長室だ! あんなものただの気球じゃないか!」
 リーダー格の男が他の二人のSPに向かって命令を出す。
「吉沢社長を部屋の前までご案内しろ!」
「了解」
「離せ!」
 暴れる僕を力でねじ伏せて強引に気球の前まで連れて行こうとする。
「何だよ? お前ら、冗談のつもりか! 物事には限度があるんだぞ!」
「我々は『神木執行役員』から指示を受けております」
 このあり得ない非日常的現実はあっさりとSPによって肯定されてしまった。
 僕は引きずられながら必死で尋ねる。
「気球じゃないのか! あれは」
「正確にはロジェ気球と呼ばれるモノです」
 無論、気球のタイプを訊いているわけではない。
「僕に一体どうしろというんだ!」
 僕を気球の前まで連れていくとリーダー格の男は僕に向かって一言命令した。
「乗れ」
 これは既に社長に対する態度じゃない。
 力ではとてもかなわない僕は必死で最後の説得を試みる。
「僕は気球の乗り方なんて知らない!」
「これを読め」
 リーダー格の男は無愛想に分厚い何かの資料を投げてよこした。僕はそれを腹で受け止めた。軽い苦痛に顔をゆがめる。資料は僕の腹から落ちて地面に散らばる。
「両腕を離してやれ」
 その言葉に従い、僕は二人のSPから両腕を解放された。
 僕は屈んで地面に落ちた資料を拾い上げては内容を確認する。SPが投げてよこしたモノはどうやら英語でかかれた分厚いマニュアルと一〇ページほどに纏められた日本語で書かれた気球の簡易操作マニュアルだった。
「僕は英語なんて出来ない! というか僕が操作するのか?!」

(5)社長就任-10

「社長たるもの第二外国語の一つくらいたしなみがあって当然だろう」
 SPの一人が無情に突き放した。
「僭越ながら私からコレを……」
 別のSPが英和辞書を僕に手渡した。
「冗談だろ?」
 僕はすがるように尋ねた。
「次はこいつだ」
 SPのリーダー格は気球のそばに置いてあった中型の段ボールを僕の目の前に無造作に置いた。段ボール箱には飲料水と記載されていたものと高カロリービスケットと記載されたものの二種類があった。
「何だ、これは?」
「見て分らないバカが聞いて分るのか?」
 そう言うとSPは三人揃ってへらへらと笑った。
 ちきしょう、一対一なら思い切りぶん殴ってやるのに……。
「まあ、そうは言っても可哀想だから教えてやれ」
 リーダー格の男が指示を出す。
「それは一.五リットルの水一二本と高カロリービスケット一ヶ月分だ」
「どうしろと?」
「食べる量はご自身でコントロールしてください。体調の管理は自己責任です」
「いや、そんな事は聞いていない……」
 体調管理はともかく、こいつらは僕に一体何をさせたいんだ?
「最後にこれを渡しておく」
「コレは何だよ?」
 最後に僕が受け取ったのは携帯電話にしては少々大きすぎるトランシーバーのような端末だった。
「それは衛星携帯電話だ」
「?」
 何を言っているんだこいつは。
「通話時間も待ち受け時間も短い。非常時に限定して利用するがいい」
 こいつらの言っていることはさっきから全然意味が分からない。
「いい加減にしてくれ!」
 僕は叫んだ。
「お前達の言っていることはさっぱり分らない! 一体何をどうしたいんだ?」
「ふん、やはりバカはバカだな」
 リーダー格の男はぼそりと呟いた。

(5)社長就任-11

「いいだろう。教えてやる、お前さんの仕事はこの社長室で過ごす事、つまり気球が風に流されないように上手くコントロールする事だ」
「どうして僕がそんな事をしなければならないんだ!」
「それが雲の上の人『社長』の仕事だろう?」
「!?」
 僕は絶句した。まさか僕の冗談が本当だったなんて……。
「じゃあ非常時にはどうすればいいんだ!」
「一一〇番通報しろ」
 当たり前に用に三人SPのうちの一人は言い放った。
「お前達はSPじゃないのか? 僕を守るのが仕事じゃないのか!」
 僕は怒りを堪えながら尋ねる。しかしSPの回答は意外なモノだった。
「俺たちの目的はお前が社長の内示を受けてから逃亡させないことだ」
 僕は唖然としてしまった。
「そして俺たちは社長を守るんじゃない、会社を守っているんだぜ」
 そう言ってSPの片方がニヤリと笑った。
 何を言っているんだこいつはバカじゃないのか。
「ひょっとして丸尾の時もそうだったのか?」
「守秘義務だ。答える事は出来んな」
 仮に丸尾も同じように気球で飛ばされたと仮定すれば連絡がつかなかったことにも説明が付く。丸尾の私用携帯電話の待ち受け時間は持って二日が限界だろう。ということは、自分に電話を掛けてきたときはこの衛星携帯電話を使用したという事か。
「ちなみに、その衛星携帯電話による通話内容は情報管理部が監視している」
「ええ? どういう事だよ!」
「通話内容によっては切断させて頂きます」
「酷いじゃないか! 冗談はやめてくれ」
「万一、警察に保護された場合も会社名を出さないように」
「どういう事だ! やっぱり違法行為なのかよ?!」
「いや、許可は貰っているそうだ」
 たとえ会社ぐるみのドッキリでも我慢の限界だ。こんな会社直ぐにでも辞めてやる。
「こんなふざけた話に付き合ってられるか! 僕は帰らせてもらう!」
「よろしいのですか? 奥様の……聡美さんでしたっけ」
 どうしてこいつらの口から全く関係のない聡美の名前が出るんだよ。
「いいか僕の聡美、いや僕の妻は今実家に帰ってるはずだ!」
「くっくっく。確認は取れましたか?」

(5)社長就任-12

「え、いや、昨日は連絡がつかなかった。今日は昨日の今日だし……。ま、まさか、お前
達が聡美に何かしたのか!」
「我々の目的はあなたを気球に乗せる事。目的のために手段は選びませんよ、ご留意ください」
「卑怯だぞ!」
「あなたは、自ら会社と特別な契約を結んだのです。文句を言うのは筋違いですよ」
「ぐぅ……」
 神木から受け取った分厚い契約書が違法行為にまで言及しているとは……、全てが後の祭りだった。
「ちきしょう! 覚えていろ! 無事戻ってきたら、お前ら全員解雇だからな!」
 SPは僕の遠吠えを無視してこう言った。
「それではご武運を」
 その後、僕は極寒の一二月の夜空で文字通り『雲の上の人』になった。


(6)雲の上の人たち-1

 吉沢が副社長室だと案内された本社ビル最上階の一室、奥の席には一人の男が座っていた。男は資料の査閲と承認を黙々と行っている。そして男の胸には神木が吉沢に献上し、聡美が誤って捨ててしまったはずのネクタイピンがとめられていた。
 そこへノックとともに別の若い男が入ってきた。
「失礼します」
 一礼をしてその男性は奥の席へ向かう。
「社長、ご報告がございます」
 社長と呼ばれた男は資料に目を向けたままこれに応じた。
「ああ、後一分だけ待ってくれ。今、午後の役員会の資料に目を通しているところだ」
「かしこまりました」
 男は言葉通り資料の査閲と承認を一分で終わらせると立ち上がり、若い男性をソファに促した。
「かまわんぞ、今は二人しかいない」
「では、遠慮無く失礼します」
 二人は部屋の中央に配置された応接セットに座ると会話を始めた。
「実は我が社の吉沢さんの『趣味』で乗っていた気球が米軍によって撃墜されたそうです」
「そうか。吉沢も良い『趣味』をしているな。それで場所は?」
「神奈川県です。どうやら風に流されたようです」
「そういえば、米軍の制空権に近づかないよう注視していなかったっけか?」
 若い男性はうっかりしていましたとばかりこう言った。
「これは、私としたことが忙しさにかまけて失念しておりました」
「まあ、俺や神木も普通の人間って事だな」
 若い男性の正体は神木だった。
「僕には社長の真意が図りかねます」
「別に大した理由じゃない、俺はあいつを副社長にしてやると約束した。アレは万年ヒラの吉沢への最初で最後の昇進試験だ」
「私はしばらく吉沢さんの下で働きましたが、彼の能力では副社長に着任することは難しいとお止めしたはずです」
「まあ、俺が吉沢を買いかぶりすぎていたって事かな、がっはっは」
 神木は社長の顔を食い入るように見つめる。
「本当にそれだけですか? 丸尾社長」
「ん?」
 丸尾はニヤリとほくそ笑んだ。


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