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(5)社長就任-1

 翌日の定時後、僕は神木の指示通りに本社ビル一階のロビーにいた。滅多に来ることのない本社ビルにいるだけで緊張する。
 まず右も左も分からない僕はまず最初に受付へ向かった。
 本社ビルの受付嬢は僕達のいる雑居ビルの警備員などとは品格からして違って見えた。
「すみません」
「こんにちわ」
 綺麗な笑顔が返ってきた。
「本日の一八時に神木執行役員と打ち合わせの約束をしている吉沢です」
「吉沢さんでいらっしゃいますね? 少々お待ちください」
 受付嬢は手際よく内線で僕の約束の確認をしている。
 確認が終わると受付嬢は笑顔でこう言った。
「まもなくこちらに迎えのモノが参りますので、今しばらくお待ちください」
「分りました」
 僕は受付嬢の邪魔にならないように、その場を離れロビーの長いすに腰を下ろした。暇つぶしに僕は周囲を見渡す。僕の過ごしている雑居ビルとは違って色々な人間が出入りしているようだ。
 ぼんやりと時間を過ごしていると、僕の背後から誰かが声を掛けた。
「あなたが吉沢さんですか?」
 僕は急いでいすから立ち上がって振り返った。
「ええ、私が吉沢です」
 僕に話しかけてきた人物は神木ではなかった。僕の知らないのっぺりした風貌の若い男性だった。
「えっと、あなたはどちら様でしょうか?」
「申し遅れました、私は副社長秘書をしております柏木修平と申します」
 副社長秘書という肩書きを聞いただけで僕は圧迫感を覚えた。どうやら僕は肩書きというモノに弱いらしい。
「今後の段取りを簡単に説明させて頂きます、どうぞこちらへ」
「はい」
 柏木は先だって歩き始めた。僕は遅れないようにその後ろをついて歩く。柏木は僕の方を振り返ろうともせず無言のまま一階の奥まった通路を進んでいく。すると通路の奥にいかつい警備員が二人立っていた。まるで門番のようだ。
「ご苦労様です」
 柏木が形式張った口調でねぎらいの言葉を書けると、門番の一人もロボットのようにこう返事した。
「社員証を拝見させて頂けますか?」

(5)社長就任-2

 柏木は立腹した様子もなくこれが当たり前といった様子で懐から金色の社員証を取り出すと警備員にそれを見せた。警備員は黙って頷く。そして今度は僕の方にその視線を向けた。
「そちらの方は?」
「ぼ、ぼくは……」
 当たり前だが、僕は金色の社員証など持っていない。しどろもどろになる僕をフォローするように柏木がこう言った。
「こちらの方は副社長の面会者です。身元は私が保証します」
「承知しました」
 警備員達は柏木のその言葉を聞いてあっさりと引き下がった。
 柏木は無言のままさらにその奥へとずんずんと進んでいく。さすがに僕はコミュニケーションのないこの状態が耐えられなくなった。
「あの、柏木さん」
「もうしばらくのご辛抱ですよ、吉沢さん」
「どういう事ですか?」
「今はまだ何も申し上げられません」
 それだけ言って柏木は再び沈黙してしまった。沈黙したまま柏木は先を急ぐ。仕方なく僕はコミュニケーションを諦める。
 そして柏木はひときわ大きなエレベータの前まで来てようやくその足を止めた。そのエレベータの前にはレッドカーペットが敷かれていた。そしてそのエレベータの停止階は一階と最上階しかなかった。
 柏木は『昇』ボタンを押して、エレベータの扉を開くと僕に中へ入るように勧めた。
「こちらです」
「では、失礼します」
 僕は緊張でこわばった顔が気取られないように、そのエレベータに乗り込んだ。エレベータ内の絨毯はふかふかだった。既にこのエレベータがどこへ通じているのかは自ずと理解することが出来た。
 続いて柏木が乗り込むと最上階のボタンを押した。
 エレベータは上昇を始める。
「あの……」
 僕が口を開こうとすると、それを制止するように柏木が説明を始めた。
「これ以降の段取りについて簡単にお話させて頂きます」
 僕の一番知りたいことだ。
「まず、吉沢さんには副社長より内示を受けて頂きます。既に神木執行役員から内々示を受けていらっしゃるかもしれませんが、現在のあなたはまだ課長です」
「ええ、承知しています」

(5)社長就任-3

「ぼ、ぼくは……」
 当たり前だが、僕は金色の社員証など持っていない。しどろもどろになる僕をフォローするように柏木がこう言った。
「こちらの方は副社長の面会者です。身元は私が保証します」
「承知しました」
 警備員達は柏木のその言葉を聞いてあっさりと引き下がった。警備員が道を開けると、柏木は無言のままさらにその奥へとずんずんと進んでいく。さすがに僕はコミュニケーションのないこの状態が耐えられなくなった。
「あの、柏木さん」
「もうしばらくのご辛抱ですよ、吉沢さん」
「どういう事ですか?」
「今はまだ何も申し上げられません」
 それだけ言って柏木は再び沈黙してしまった。沈黙したまま柏木は先を急ぐ。仕方なく僕はコミュニケーションを諦める。
 そして柏木はひときわ大きなエレベータの前まで来てようやくその足を止めた。そのエレベータの前にはレッドカーペットが敷かれていた。そしてそのエレベータの停止階は一階と最上階しかなかった。
 柏木は『昇』ボタンを押して、エレベータの扉を開くと僕に中へ入るように勧めた。
「こちらです」
「では、失礼します」
 僕は緊張でこわばった顔が気取られないように、そのエレベータに乗り込んだ。エレベータ内の絨毯はふかふかだった。既にこのエレベータがどこへ通じているのかは自ずと理解することが出来た。
 続いて柏木が乗り込むと最上階のボタンを押した。
 エレベータは上昇を始める。
「あの……」
 僕が口を開こうとすると、それを制止するように柏木が説明を始めた。
「これ以降の段取りについて簡単にお話させて頂きます」
 僕の一番知りたいことだ。
「まず、吉沢さんには副社長より内示を受けて頂きます。既に神木執行役員から内々示を受けていらっしゃるかもしれませんが、現在のあなたはまだ課長です」
「ええ、承知しています」
「副社長から内示を受けて頂く前に、神木執行役員と機密保持契約を結んで頂きます」
「とおっしゃいますと?」

(5)社長就任-4

「普通の社員の方であってももちろん自社の情報を外部に漏らしてはいけません」
「ええ」
「副社長から内示を受けて頂く前に、神木執行役員と機密保持契約を結んで頂きます」
「とおっしゃいますと?」
「普通の社員の方であってももちろん自社の情報を外部に漏らしてはいけません」
「ええ」
 それはその通りだろう。
「ましてや社長職に至っては事情が変わってきます。着任して頂くに当たっては特別な契約が必要となります」
「はい」
 おそらく丸尾が話していた機密保持契約の事だろう。
「その様子ですと理解されているようですね」
「ええ、一応。つまり社長になる前から特別な機密保持契約を結べと?」
「さすがは次期社長です。察しが早い。これはあなた個人と会社における機密保持契約であり他の社員のそれとは全くレベルが違います。私が申し上げられることはこの程度です。詳しい事は神木執行役員から直接伺ってください」
「分かりました」

 柏木と短いやり取りをしている間にエレベータは最上階に着いた。そしてその扉が開くと、そこには神木が待っていた。
「お待ちしておりました」
「後はお任せしました」
 柏木はそれだけ言うと、僕がエレベータの外に出るタイミングを見計らってその扉を閉じた。
 僕は神木に挨拶することにした。今後も何かと世話になるだろうと考えたからだ。
「お世話になります」
 しかし神木は僕の挨拶に軽く微笑んだ。
「どうぞこちらへ」
 神木は副社長室の隣にあった会議室の扉を開くと、そこへ僕を案内した。僕は神木に促されるまま、その会議室へ入る。会議室は思いの外質素だった。楕円の円卓一つにいくつかの椅子があるだけの部屋だった。
「適当に座って頂いて結構ですよ」
 僕は遠慮無く適当な椅子を選んで腰を下ろした。神木は部屋に備え付けのインターフォンで何やら外に連絡をすると、適当な椅子に腰を落ち着けた。

(5)社長就任-5

 しばらく無言の時間が続く。僕から話しかけた方が良いのだろうか? それとも相手が話し出すのを待った方が良いのだろうか? しばし逡巡する。
 すると綺麗な女性がノックをして入ってきた。ショートカットの綺麗な女性だった。その女性は僕と神木の前にホットコーヒーを神木を置くと一礼して出て行った。神木はコーヒーに口を付けると、おもむろに話し始めた。
「さて吉沢さん」
 先日あった際には確か『吉沢君』だったはずだ。つまり『君』付けから『さん』付けへと昇格したらしい。僕の心臓はバクバク言っている。課長になった時より遙かに大きな緊張感だ。
 神木は足下に置いてあった鞄から分厚い書類を取り出した。
「どうぞ、ご確認ください」
 僕は書類を受け取る。そして受け取った資料をパラパラめくるが字が小さい上にみっちり記載されていて要点すらくみ取れない。仕方なく僕は神木に内容を尋ねる。
「これは何でしょうか?」
「あなたと会社の特別機密保持契約書です。これを読んで頂いた上で契約を結んで頂かなくては話も先に進みません」
 そう言われて改めて資料を眺めては見たものの、とても全てに目を通す事は不可能な分量だった。そもそも僕はこの手の資料を大の苦手としている。僕はさっさと諦めた。
「どうすれば良いかだけ教えてください」
「よろしいのですか、目を通しておかなくても?」
 僕を射貫くような瞳で神木は尋ねる。
「はは、これだけの分量です。どうせ全部に目を通すなんて不可能でしょう?」
 僕の少々投げやりな答えにも神木は別段に腹を立てた様子はない。
「では、最終ページに押印をお願いします。判子がなければ、血判でも構いません」
「け、血判ですか?」
「軽い冗談ですよ、吉沢さん」
 神木は軽く微笑んだ。冗談を言って僕を和ませようとしてくれたらしいが、今の僕にはちっとも笑えない冗談だ。
「さぁ、では署名と押印をお願いします」
「分かりました」
 と言いながら僕は一瞬本当にこの書類に署名しても大丈夫なものか迷った。
「どうされました?」
 やはり神木には僕の顔が不安そうに見えたのだろうか。
「いえ、何でもありません。少し緊張して喉が渇いただけです」
 僕はコーヒーを口に含んだ。口の中の乾きが少し和らいだ。


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