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(6)雲の上の人たち-1

 吉沢が副社長室だと案内された本社ビル最上階の一室、奥の席には一人の男が座っていた。男は資料の査閲と承認を黙々と行っている。そして男の胸には神木が吉沢に献上し、聡美が誤って捨ててしまったはずのネクタイピンがとめられていた。
 そこへノックとともに別の若い男が入ってきた。
「失礼します」
 一礼をしてその男性は奥の席へ向かう。
「社長、ご報告がございます」
 社長と呼ばれた男は資料に目を向けたままこれに応じた。
「ああ、後一分だけ待ってくれ。今、午後の役員会の資料に目を通しているところだ」
「かしこまりました」
 男は言葉通り資料の査閲と承認を一分で終わらせると立ち上がり、若い男性をソファに促した。
「かまわんぞ、今は二人しかいない」
「では、遠慮無く失礼します」
 二人は部屋の中央に配置された応接セットに座ると会話を始めた。
「実は我が社の吉沢さんの『趣味』で乗っていた気球が米軍によって撃墜されたそうです」
「そうか。吉沢も良い『趣味』をしているな。それで場所は?」
「神奈川県です。どうやら風に流されたようです」
「そういえば、米軍の制空権に近づかないよう注視していなかったっけか?」
 若い男性はうっかりしていましたとばかりこう言った。
「これは、私としたことが忙しさにかまけて失念しておりました」
「まあ、俺や神木も普通の人間って事だな」
 若い男性の正体は神木だった。
「僕には社長の真意が図りかねます」
「別に大した理由じゃない、俺はあいつを副社長にしてやると約束した。アレは万年ヒラの吉沢への最初で最後の昇進試験だ」
「私はしばらく吉沢さんの下で働きましたが、彼の能力では副社長に着任することは難しいとお止めしたはずです」
「まあ、俺が吉沢を買いかぶりすぎていたって事かな、がっはっは」
 神木は社長の顔を食い入るように見つめる。
「本当にそれだけですか? 丸尾社長」
「ん?」
 丸尾はニヤリとほくそ笑んだ。

(6)雲の上の人たち-2

「お父様でもある前社長がご病気で亡くなる一ヶ月も前に社長は内示を受けていたはずですが?」
「俺は飲み屋であいつと話をした時にあいつを試してみようと思ったんだよ。自分の会社とそのトップを甘く見ているあいつをな」
「それにしても社長の小芝居はともかく気球というのは少々大げさ過ぎる仕掛けではありませんか? 他にも吉沢さんを試す方法はあったでしょうに」
「あいつが『雲の上の人』になりたいと望んだんだ。昇進試験だけに気球だ。がっはっは」
 神木は丸尾の胸元を指さして尋ねた。
「なるほど……、ところでそのネクタイピンは?」
「ん? ああ、これな、コレの部屋に行った時に置いてあったモノを貰ったんだよ」
 丸尾は小指を立ててそう答えた。
「それは私が吉沢さんに差し上げた物ですが」
「ほう、そうなのか。吉沢の『聡美』に代わって礼を言っておくぜ」
 神木は鋭い眼光でこう言った。
「社長の本当の目的は痴情のもつれからくる吉沢さんの処分ではありませんか?」
 丸尾は笑いを押し殺しながらこう答えた。
「くっくっく。まさか、友人の俺がそこまで考えるはずもなかろう。もっとも、痴情、いや地上でもつれて雲の上の人になるってのは洒落てるじゃないか。がっはっは」
「本当に大胆不敵と申しますか。丸尾社長というお人は底知れませんね……」
 呆れたように神木がそう言うと、丸尾はあっさりとこう言い放った。
「一応、言っておくが俺は今フリーだ。聡美も後半年後にはフリーだ。俺たちの間に何の問題もない」
 丸尾は社長職着任後直ぐに離婚していた。
「本当に酷い方ですね、丸尾社長という方は」
「ふん、だがそんな俺を抜擢したのはお前だろう? 神木担当兼執行役員さん」
 苦笑しながら神木はこう答えた。
「ふふふ、そうでしたね。我々役員はあなたの今後の活躍に期待していますよ」
「いや、しかし部下の素振りから気球の手配までアッサリとやってのけるなぁ、お前は」
「いえいえ、いろいろな方のお世話になりっぱなしです」
「まさか、あの神木執行役員が実はお前の名前をもじった架空の役員だとは思わんよな。
ところで、誰だよ、あのオッさん?」
「売れていない役者さんですよ。私もあの演技力に感服しました」
「使えそうだから契約社員として雇っておけ」
「承知しました」


(6)雲の上の人たち-3

 そして、二人の短い歓談が終わると神木は立ち上がってこう言った。
「さて、ではさっそく吉沢さんのウチへ行って参ります」
「何か用事か?」
「香典の手配をして参ります」
 今度は呆れたように丸尾がこう呟いた。
「本当に優秀な奴だよ、お前は」(了)

この本の内容は以上です。


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