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(3)課長-6

「行ってくるよ」
「行ってらっしゃい!」
 仲直りの意味もかねて軽く頬にキスをしてもらい、僕は出勤した。
 この件については神木に黙っておいた方が良いだろう。しかし出社した後、神木がネクタイピンについて尋ねてくることはなかった。気を悪くしていなければよいけれど。

 課長になった火曜日から週末の金曜日までの間僕は多忙を極めた。入社してこれほど多忙な経験をしたことはない。出来ることなら丸尾に訊きたい事が山積しているが、さすがに社長へ課長業務の質問をする事は憚られた。
 もっとも実際のところ課の業務の大半は神木がこなしているようだった。神木の有能さについては部署のお墨付き、というより社長の丸尾が認めている以上、会社のお墨付きだ。神木は嫌な顔一つ見せず、まさに忠犬のように課のために、つまり僕のために尽くしてくれた。僕の中では神木の好感度は最大値だ。
 金曜日の夕方にもなるとさすがに僕も仕事の内容をおおよそ把握する事が出来た。僕はある程度キリが良い頃だと判断して丸尾の携帯電話にメールを打つことにした。
 もちろん相手は同期といえど社長なので、返信の期待はしていない。だからメールの本文は次のような簡単な内容にした。
・タイトル『どうですか?』
・本文『無事に社長業務をこなせていますか? 暇が出来たら飲みに行きましょう。では』
 うん、我ながら無難なメールだ。
「送信っと」
 僕は『送信完了』の表示を確認して家路についた。

 丁度僕がアパートの玄関前に辿り着いた時、僕の携帯電話が鳴った。モニタを確認すると『非通知』と表示されている。僕の知り合いに非通知設定で電話を掛けてくる奴はいない。
 結局あまりにしつこいので電話に出てやることにした。
「もしもし?」
「丸尾だ。お前は吉沢か?」
 発信者は丸尾だった。さっきメールしたばかりで早くも連絡をくれるなんてなかなか友達甲斐のある奴だ。僕は丸尾を見直した。
「ああ、そうだよ。一週間ぶりだね」
「頼むぜ、直ぐに出てくれよ」
「非通知で掛かってきたから、怪しい人からの電話かと思ったんだよ」
「それはすまなかったな」


(3)課長-7

 どうも丸尾らしくない返事だ。いつもなら豪快に「がはは」とか笑って返すはずなのに少々様子がおかしい。 
「ところで、君は元気に社長業務やってるのかい?」
「まぁ、な。多分」
 どうにもはっきりしない口ぶりだ。
「吉沢、そっちはどうなんだ?」
「どうにか今週を乗り切ることが出来たって感じかな」
「そうか、そいつは良かった」
 やはり丸尾らしくない。
「ところで丸尾は一体どんな社長業務をこなしているんだい? まさか本当にソリティアに励んでいる訳じゃないよね?」
「悪い。守秘義務だから言えないんだ、マジですまん」
「守秘義務?」
 僕は守秘義務というキーワードを聞いて、辺りを見回した。うん、特に誰もいない。
「大丈夫だよ、丸尾。周りには誰もいない」
「そうか、なら良いんだ」
「というか、僕との会話でそんな大それた話しないだろ?」
「いいか、吉沢。たとえば社長様のたわいない一言が株価に影響を与えるんだ。だから原則一切合切が守秘義務の対象となっているんだよ」
 なるほど、らしくない口ぶりの原因はそれか。
「まあ何にしても丸尾社長も色々大変なんだなぁ」
「いや、正直うちの会社の社長職は大変なんてものじゃない。ヤバイ」
「へぇ、激務なんだ」
「まあ、そう言えるかもしれない」
 相変わらず歯切れは良くないが、『雲の上の人』の感想なんてそうそう聞けるモノじゃない。
「ところで丸尾は今も本社なのかい?」
「いいや。違う、うーん、言っても良いのか。俺は今は熊本辺りだ」
 丸尾の言葉に反応するかのように『サーザー』と携帯電話に耳障りなノイズが乗った。
「すまんな、今社長専用の携帯電話使っているんだ。少し旧式らしくてノイズが乗るらしい」
「そうなんだ。大丈夫だよ、声は届いてるから」
「そうか、なら良いんだ」
 丸尾は心配そうにそう呟いた。


(3)課長-8

「でも暖かいところで羨ましいねぇ、こっちは相変わらず真冬だよ」
「暖かいどころか……ザーザー」
 再びノイズが乗る。そのノイズを合図にしたかのように丸尾はこう言いだした。
「吉沢、お前にお願いがあるんだ」
「なんだい? 社長様の命令とあればなんなりと」
「茶化さないで聞いて欲しい……ガーガー」
 丸尾の言葉に反応するかのように再び音声に強いノイズが乗った。きっと丸尾のいる場所は電波の掴みが良くない所なのだろう。
「まぁ、なんだかよく分からないけれど力になるよ。友達だしね」
「そうか。じゃあ、--」

 プツリッ!

 突然丸尾の携帯電話は唐突に切れた。そしてそれっきりだった。
 リダイアルしようにも非通知なので相手の発信元番号は不明だ。
仕方なく僕は私用携帯の方へメールで『また連絡をください』と送った。僕はしばらくの間アパートの前で携帯電話とにらめっこをしていた。しかし一〇分待っても何の応答も無いので諦めて携帯を鞄にしまった。そして普段通り聡美の待つアパートの扉を開けた。


(4)コンタクト-1

 僕が課長に昇進して二週間が経ったある日の午後、ビルの受付から僕宛に連絡があった。
「吉沢課長ですか?」
「ええ」
「受付ですが、吉沢さんに面会したいという方がいらしています」
 今日はそんな約束をしていない。そもそも会社の人間であれば普通に通せば良いだけの話だ。どうしてワザワザ僕に連絡をして確認する必要があるのだろう。僕は尋ねる。
「どなたですか?」
 しどろもどろになりながら警備員は応えた。
「えっと……」
 僕にとってそれは意外な人物だった。僕は直ぐさま受付にその人物を応接室へ通すよう指示した。

 僕はネクタイを締め直して応接室へ向かうと、既にその来訪者はソファにどしりと座りくつろいでいた。その来訪者は僕にとっては初対面の人間だった。だが知らない人間ではない。いや、それどころかよく知っている人物だった。
 応接室には僕と来訪者の二人きりだ。
 来訪者は僕が部屋へ入るのを見計らってこう言った。
「取り敢えず座りたまえ」
「はい」
 僕は軽く一礼してその人物の真正面に腰を下ろした。
「君が吉沢伸介君だね」
 来訪者は改めて僕の氏名を確認した。
「え、ええ、そうです」
 僕はしどろもどろになりながら何とか回答した。
 すると、来訪者は自らの名前を改めて僕に告げた。
「私の名前は神木だ」
「ええ、お名前は良く存知上げております」
「それは光栄だ。ご存知のとおり私は一応会社から執行役員という肩書きを借りている」
 神木執行役員は校内放送で聞いたとおりのよく通る良い声をしていた。神木は十分な量の白髪に柔和な笑顔がよく似合うナイスミドルだった。
 しかし、僕には神木がどんな要件でわざわざ本社からこの雑居ビルまで足を伸ばしたのか皆目見当も付かなかった。そんな僕の腹の内を見透かしたかのように神木はこう言った。
「今日私は君に伝えなければならないことがあって、ここに来た次第だ」
「はぁ」
「実は次の社長は君に決まった」

(4)コンタクト-2

「はぁ?」
 突然この人物は何を言っているのだろう? 
 それが僕の率直な感想だった。
 しかし当惑する僕を神木はまるで意に介さす様子はない。
「これは内示だ。会社の決定事項だから、君の意思は関係ない」
「はぁ」
 とりあえず僕はにわか返事をする。
「これは前社長のご意志……いやご遺志を踏まえたモノだ」
 神木はにこやかな笑みを浮かべたが、僕にはそれが少し気味悪く感じられた。
「よく聞きたまえ、吉沢君。先日先代の丸尾社長は失踪されたのだ」
「ええ!?」
 神木の言葉に僕は声を上げて驚いた。確かに丸尾とはこの一週間連絡が取れない状況が続いている。何せ彼の携帯電話に連絡をしても奴は電話に出ない、それにメールの返事もない。僕はてっきり丸尾が多忙を極めているからだとばかり考えていた。
 神木は丸尾の失踪についてこう補足した。
「私の訊いている限りでは、一週間ほど前に開催された熊本での打ち合わせがあったらしい。その後、北海道への出張の予定があったそうなのだが、その間に失踪されたらしい」
 あの丸尾が失踪なんて信じられない。
「僕はあいつと……いえ、熊本にいる丸尾社長と携帯電話で会話しています。もしかすると何かの事故に巻き込まれたのかもしれません、だから……」
「だから何かね?」
 僕は『だから』の後の言葉を探す。
 しかし直ぐには適当な言葉が見つからなかった。
 神木はソファに座り直し、険しい顔つきでこう言った。
「いいかね、吉沢君。私の目的は君に社長昇進の内々示を伝えに来ただけだ。社長の失踪に関しては、私の知る限りではないのだ。今は亡き社長のご遺志を継ぐ事が残された我々の義務ではないかな?」
「まるで丸尾が死んでいるかのような口ぶりですね」
「吉沢君、大の大人が一週間以上も連絡が取れない状況が続いているのだよ」
「……」
「会社としては最悪の事態を想定して当然だろう?」
 神木の言う事はもっともだ。しかし--。
「警察には連絡しているんですか? ニュースにもなってませんよね」
 僕の問いかけに対して神木は冷淡に回答した。
「何度も言わせないでくれたまえ、私の知る限りではないのだよ、吉沢君」


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