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(2)昇進-7

 神木は本当に丸尾を好いていたんだなぁ。
「ところでそんな仕事をたった半日で引き継げるものなのかなぁ?」
 いきなり、無茶な仕事を押しつけられてもやっていける自信が僕にはない。僕は急に不安に襲われた。
「大丈夫ですよ。きっと吉沢課長なら無難に成し遂げますよ」
「だといいけれどね」
「僕も精一杯お手伝いさせて頂きます」
「よろしくお願いするよ」
 結局僕はタバコを三本吸って、神木と一緒にタバコ部屋を後にした。

 タバコ部屋から自分のデスクに戻ると周囲の雰囲気がピリピリしているように感じられた。何事かと思えば、僕の席にはくたびれた顔の丸尾が座っていた。
 本来大抜擢を受けた『時の人』だからこそ、周囲に人が群がっても良さそうなものだが、丸尾は見るからに疲労困憊している。あからさまに不機嫌オーラを発している。そうはいっても、丸尾が座っている席は僕の席なのだ。僕は丸尾に声を掛けざるをえない。
 職場の連中は自分の業務に集中しているフリをしながら固唾をのんで僕と丸尾の様子を見守っているようだ。
「ま、丸尾社長。戻っていらっしゃったのですね」
 いかにも今気がついたかのような素振りで僕は丸尾に声を掛ける。
 もちろん、丸尾の肩書きが大きく変わったという事で僕も自然と敬語で話しかけざるを得ない。しかし丸尾はそんな事には一向に関心がないようだった。
「ああ、今さっき記者会見から戻ってきたばかりだ」
 丸尾は席から立ち上がるとそう言った。どうやら丸尾はあの社内放送の後、メディア向けへの記者会見にも出席したらしい。
「僕にご用ですか?」
「ああ、俺はお前を待っていた」
 おそらく課長職の引き継ぎだろう。
「吉沢、ちょっと会議室……、いや一階の応接室に来てくれるか?」
 僕も聞きたいことが腐るほどある。
「畏まりました」
 僕の返事を待って丸尾は歩き始めた。僕もその後を追う。エレベータ前まで来て気づいたが、丸尾の三歩後ろには今まで見たこともない黒いスーツを着た男が三人付いている。必然的にエレベータの籠には僕と丸尾の他にその三人も入る。
「どなたですか。この方々は?」


(2)昇進-8

「うん? ああ、こいつらはSPだ。気にする必要はない」
「SP?」
「ああ、細かい話は応接室へ着いてからにしよう」
「はい」
 丸尾は黒いスーツの男達に外で待つように指示を出して、応接室へ入っていった。
 何となく僕は直ぐに応接室へ入って良いものか考えてしまった。
「吉沢! さっさと入れ」
「はい」
 僕は急いで応接室へ入った。
「適当な席に座ってくれ」
 入り口の隣に立ったまま丸尾はそう言った。
「はい」
 僕は入り口に近いソファに腰を下ろした。僕がソファに腰を下ろすのを見計らって丸尾はガチャリと扉に施錠した。僕は一瞬ギョッと振り返る。
 しかし丸尾はさっさと応接室の真ん中に移動すると、空いてるソファに倒れ込んだ。そして、はき出すようにこう言った。
「おう! マジで疲れたぜ」
「社長?」
 すっかり素に戻った様子の丸尾を見て僕は驚いた。
「おい、吉沢。ここには二人しかいないんだ。だから敬語はなしだ」
 社長になっても丸尾はやはり丸尾だった。
 丸尾がそういうのだから僕も余計な気を遣う事をやめた。
「ああ、分かったよ」
 僕は相変わらずソファに寝転がっている丸尾の様を眺める。金曜日に飲んだ丸尾と何も変わっていない。聞きたいことは色々あったけれど、まだ自分の中で整理しきれずにいたので取り敢えず社長になった感想から尋ねることにした。
「で、どうだい? 社長になって」
「どうもこうもあるかよ! あり得ねぇよ!」
「SPを三人も引き連れてかっこいいじゃないか」
 今も応接室の前に黒いスーツの男が三人待機しているはずだ。
「馬鹿野郎! あいつら、俺がウ○コの時まで付いて来やがるんだぜ! 堪らんぞ!」
「何だか早速苦労しているみたいだね」
「どっちかっつうと気苦労だな」
「気苦労ねぇ」

(2)昇進-9

 そのくらいの苦労と引き替えに得た肩書きなら安いものだ。そんな事よりも僕は明日から丸尾の業務を引き継がなければならない。丸尾から今のうちに出来る限り引き継ぎを受けなければ……。
「お疲れのところ申し訳ないんだけれど、仕事の引き継ぎの話もしたいんだよ」
「ああ、それね。適当にやってくれ」
「ええ?」
 存外の無茶ぶりに僕は困惑した。丸尾はそんな僕を安心させるようにこう付け加えた。
「全社レベルで見れば小さな案件の二、三だろう。失敗しても大した影響は無いさ」
「いやいや、僕が困るよ!」
 引き継ぎもなく業務が遂行できるとはとても思えない。
「心配するな。俺が社長でいる限り何があってもお前の身の上は保証してやるぜ」
「おいおい、本当に信用して良いのかい?」
「ああ、マジで心配するな。何なら俺に万一の事があったらお前を……そうだな、お前を昇進させるように遺言を残しておくぜ」
「なんだか物騒だな、丸尾社長は命でも狙われているのかい?」
「どうなんだろうな。詳しくは知らんがSP三人も付けてくれてるしな、俺自身は安全だと思ってる。外の『SP』連中見たら分かるだろう?」
「それはそうだね」
「そんな事より、吉沢、お前をそのうち副社長にしてやろうと思ってるんだぜ」
 それはムチャクチャだ。人事権の濫用にも程がある。
「いやいや、お前、そんな大事を簡単に決められないだろう」
「がっはっは、お前は社長の人事権を侮ってるな?」 
「話半分に聞いておくよ」
「はいはい」
「ぶっちゃけちまうとよ、俺は自分の気苦労を親しい人間と分かち合いたいだけなんだけどな」
「なんだよ、それ?」
「何せ、いきなりの社長職でこちとら戸惑いっぱなしだしな」
 丸尾らしからぬ弱気な発言だ。
「吊り橋もみんなで渡れば怖くないっていうだろ?」
「いや、言わないよ。そもそも吊り橋はみんなで渡るものじゃないしね」
「そだっけ? がっはっは」
 冗談かどうか僕には判断しかねた。
 くだらない雑談に一息つけると、丸尾は体を起こしてソファに座りなおした。そして真面目な顔で僕に向かってこう言った。

(2)昇進-10

「俺さ、明日から『社長業務』が始めるんだぜ。昨日まで『課長』だった俺がだぜ?」
 僕は丸尾に向かってこう言い返してやった。
「僕は明日から『前課長の残業務』が始まるんだよ。昨日まで『平社員』だった僕がだよ」
「おい。吉沢よぅ、茶化すな」
 拗ねたように丸尾は応えたが、さすがにいい年したおっさんなので可愛くもない。
「僕は別に茶化していないよ、事実を述べたまでだ」
「ところで、先週僕と二人で一緒に飲んだときに今回の昇進の件は聞いていたのかい?」
 ずっと気になっていた事だ。
「いや、これっぽちも聞いてない」
「じゃあ、いつ聞いたんだい?」
「日曜の、だから昨日の夜八時頃だな、正直最初は悪戯電話だと思ったよ」
「それはそうだろうね」
 仮に僕が丸尾の立場だったとしても、突然そんな連絡があれば悪戯を疑うだろう。
「じゃあ、どうして信用したんだい?」
「相手が俺の社員番号からやってる業務内容まですべて把握していたからさ」
 なるほど、それは信じざるを得ないな。
「なら、社長を引き受けた理由は?」
「ん?」
「お前社長職に否定的だったじゃないか?」
「そりゃお前、会社の決めた事には逆らえないのさ」
「ふーん、そういうモノなのか」
 僕はてっきり丸尾なら断りかねないと思っていたけれど。
「ところでよ、吉沢は俺がどんな仕事すると思う?」
「ええ? 丸尾、君はあの執行役員から何も聞いてないのかい?」
 僕は丸尾の質問に少々驚いた。
「ああ、何にも聞いてない。ちなみにあの執行役員の名前は『神木』さんなんだぜ」
「ひょっとして丸尾の部下の……いや元部下の神木君のお父さんかい?」
「残念! 俺もそう思ったんだけど、赤の他人だ。そもそも漢字が違うしな。それに神木執行役員は独身だそうだ」
「いやぁ、分からないよ。騙されてるんじゃないの?」
「いやいや、顔も全然似てないから間違いない。血統書付きの他人だぜ」
 まあ同じ読み方の姓を持つ人間なんて日本中腐るほどいるだろう。
「ふーん、まあいいや。それにしても神木執行役員はまるで声優さんのように良い声をしてるね」

(2)昇進-11

「ああ、実際かなりダンディな紳士だった。あれなら役者やっても大成すると思うぜ」
「で、丸尾が明日何をするかだよね?」
「ああ、一体何するんだろうな? 社長の俺は?」
「うーん、ふんぞり返って新聞でも読んでればいいんじゃないの?」
 僕は社長の仕事に興味などない。
「吉沢もやっぱりそう思うのか?」
 丸尾は僕の適当な応えに対して不服そうだ。
「僕はそう思うけど?」
「だと良いけどよ」
「何か心配事でもあるのかい」
「前の社長は死んでるんだぜ?」
 そういえばそうだった。だからといって社長になれば死ぬと決まったわけではない。
「俺は普通に働きたいぜ。目標はそうだな、あの神木くらいかな」
「執行役員の神木さんかい?」
「違うぞ、元部下の神木の方だ。あいつなら社長と同じだけ給料を貰っても良いと俺は思ってるけどな」
「神木君はそんなに優秀なんだね」
「ああ、あいつが側にいれば安泰だ。俺が課長になれたのもあいつが下に付いてくれたおかげだ。あいつをお前の側に残してやる俺に感謝しろよ」
「そうだね。感謝するよ」
「いずれにせよ、明日以降だな」
 丸尾は携帯電話で時刻を確認した。
「おっと、そろそろ本社に戻る時刻だ」
「そうか、社長は忙しいんだな」
「引き継ぎらしい引き継ぎが出来なくて申し訳なかったな、吉沢」
「僕は丸尾に携帯メールで連絡しても大丈夫なのかい?」
「おう、全然してくれ。また飲みに行こうぜ……、もっとも明日以降の業務次第だけどな」
 社長になっても変わらない丸尾に僕は少しホッとした。
「それを聞いて安心したよ。丸尾社長さん」
 僕の言葉に丸尾は気さくに笑って返した。


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