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(1)愚痴-4

「あの本社は借り物だからな」
「ええっ! 冗談だろ」
「大マジさ。あれは聞くところによれば四井銀行の持ち物だぜ」
「どうも信じがたいなぁ。じゃあ、最上階直通エレベータ前の前にあるレッドカーペットも全部借り物なのかい?」
「そういうこった」
「冗談は勘弁して欲しいよ。興ざめだも良いところだよ」
「まあ、事実だから仕方ないぜ」
「じゃあ、社長はその借り物のビルの最上階でふんぞり返っているって事かい?」
「まあ、そういうことになるかな……」
 だとすれば社長には少し身の程をわきまえて欲しいものだ。
 丸尾は注文のタイミングを伺っているが、忘年会シーズンのこの時期に男二人でしっぽり飲んでいる僕達に注意を払う店員がいるはずもない。丸尾は諦めてこっちを向いた。
「ところで吉沢、お前はどう思うよ? 社長は普段何をしていると思う?」
「さあ、見当もつかないよ。ああ、あれだよ!」
 僕はとっさの思いつきでこう答えた。
「きっと本社の屋上にある販促用の気球でも動かしているんじゃないかい?」
「あの気球か?」
 本社の高層ビルの屋上には一体どんな経済効果があるのか不明だが販促用の馬鹿でかい気球が常時浮いている。
「そうだよ、きっとあの気球に乗ってフラフラ漂っているんだよ、屋上をね」
「がっはっは! そりゃ面白い! まさに『雲の上の人』だな」
 僕と丸尾は揃って大笑いした。そして僕はこう言った。
「それでも僕は『雲の上の人』が羨ましいけどね」
「確かにな」
 その後、僕達は揃って大きなため息を吐いた。

(2)昇進-1

 月曜日の朝、僕はいつも通り満員電車に揺られている。それにしても一体どこからこれだけの人間が沸いてくるのだろう。
 前の禿げたおっさんが鬱陶しい。
 斜め前のOLが色っぽい。
 そんな意味のないことを考えているうちにいつの間にか僕は会社まで辿り着く。これが僕の毎日の日課だ。
 会社といっても僕は本社勤務のエリート様ではないので、本社から二駅ほど離れたところにある雑居ビルに勤務している。僕は毎朝の日課のようにビルの警備員に挨拶をする。
「おはよう!」
「……」
 僕のフレンドリーな挨拶を無言で返す警備員。これと言って代わり映えのないいつものコミュニケーションだ。
 僕はこれまた同じ時間帯に出社する死んだ魚の目をした人の群で満員になったエレベータの籠に入り七階のボタンを押した。
 ふぅ、それにしても冬だと言うのに暑苦しい……。
 それにしても二階や三階で降りる奴は階段を使えよ。
 僕が遅刻したら責任取ってくれよ、全く。
 程なく籠は七階で停まり、僕はむさっ苦しさから解放された。どうやら今日も何とか定時ぎりぎりの出社に成功したようだ。
 僕は自分のデスクに辿り着くと、床に鞄を置いて安っぽい椅子に座る。周囲の人間は既にパソコンを立ち上げて何やら社内連絡のホームページに見入っている。
「さてと……」
 態とらしく声に出しながら、僕も遅ればせながら型落ちしたパソコンの電源を入れた。そしてせっかく座ったのにも関わらず一旦席を立つ。どうせパソコンが起動するまでしばらく時間が掛かる。僕は毎朝の習慣でたばこ部屋へ向かった。

 それほど大きいわけでもないたばこ部屋は珍しく閑散としていた。いつもならもっと人がいても良さそうなものだけれど。僕が一服していると、後輩の神木が入ってきた。
「吉沢さん、おはようございます」
「ああ、おはよう」
 この神木という青年は僕より数年後輩なのにバリバリのやり手だ。それでいて誰にでも人なつっこいところが魅力だろう。ちなみに丸尾の部下でもある。
「吉沢さん、昇進ですね」
「何のことだい?」


(2)昇進-2

「社内連絡をまだご覧になっていないのですか?」
「ああ、うん……」
 僕はしどろもどろになってしまった。さすがに後輩の手前遅刻間際に出社したことは言い出しづらい。
「もし良かったら掻い摘んで教えてくれないかな」
「はは、構いませんよ。吉沢さんは、僕達の課の課長に昇進されました。おめでとうございます」
「はぁ?」
 僕は神木の言葉の意味を理解出来ない。
 そもそも今は異動の時期ではないし、仮に僕が昇進したとしても係長だ。係長をすっ飛ばして課長になった奴の話しなんて聞いたことがない。
「それは本当なのかい?」
「ええ、本当ですよ。ご自分の目で確認して頂ければすぐに分かる事です」

 僕はすぐにたばこ部屋を飛び出した。そして自分のデスクに向かう。僕のパソコンはまだ起動していなかった。
 待っていられない。
 僕は隣席の先輩保土ヶ谷さんにパソコンを貸してくれるよう頼んだ。
「よ、吉沢君……、か、構わないよ」
 保土ヶ谷さんはしどろもどろになりながら僕に席を譲ってくれた。
「では、お借りします」
 僕は社内連絡を食い入るように見つめる。
 そこにはこう記載されていた。『以下の者を○○部XX課の課長職に任命する。 吉沢伸介』
 神木の言っていたことは事実だった。
 僕は喜びよりもこの突発的な異動に困惑した。通常の人事異動は事前に内示が行われる。従って今回の内示すらない人事異動の発令は部署の異例と言わざるをえない。
 何気に僕に対して周囲の視線は集中していることに気づいたが、敢えてそれを無視して社内連絡に注意を戻す。何でも九時から全社一斉放送で重大な発表があるらしい。
 僕の昇進より大きな発表なのだろうか? そもそも僕が○○部XX課の課長に昇進したら丸尾の居場所が無くなってしまう。それでいて丸尾に関する異動の情報はどこにも記載されていなかった。
「保土ヶ谷さんありがとうございました」
「い、いえ」


(2)昇進-3

 僕は保土ヶ谷さんに礼を言ってパソコンを返した。ようやく起動した自分のパソコンで僕はもう一度じっくりと社内連絡の内容を確認した。丸尾の奴さては何か悪さをしでかしたのだろうか? しかし僕の心配は結果として杞憂に終わった。九時からの社内放送で次のことが告げられたからだ。
 それはつまり、丸尾を代表取締役つまり社長に大抜擢するという連絡だった。

 今の時刻は九時半だが社内放送はまだ続いている。スピーカから執行役員と称する初老の男性の声が響いている。僕の周辺の社員は身近な丸尾課長の異例の二階級特進どころか最上級特進ということもあって、神妙な面持ちでその声に耳を傾けている。
「……、というわけです。我々は今回の大不況により会社創立来の未曾有の危機を迎えております。そこで我々は大きな決断を下すことにいたしました」
 熱く語る執行役員の言葉に僕は改めて自分の会社の酷い状況を思い知らされた。
「この非常事態の打開策について役員会は三日三晩激論を交わしました。その結果、今日のこの人事異動発令に至ったのです。この後、臨時株主総会を開き今回の人事案について株主の皆様にご承認頂く予定です」
 どうやら今回の抜擢は本当らしい。そして社内放送はなおも続く。
「私は思います、これほどのドラスティックな環境変化の中において老兵を選んでいてはとても我が社を存続させる事は困難であると! 先日逝去された先代の社長もこのようにおっしゃっておられました。『今後はもっと若い人を選ぶべきだ』と!」
 僕は執行役員の言葉を聞くまで、先代の社長が亡くなっていることすら知らなかった。
「我々は若手の中から『反骨精神旺盛』で『なにくそ!』という気概を持ってこの困難な現状を打破できる人物を選抜しました! それが、この丸尾君……いや丸尾社長なのです! 丸尾社長、さあこっちに来て挨拶をしてください!」
『ゴソゴソッ』とマイクを丸尾に向ける音が聞こえた。
「ええ、俺、いや私が丸尾琢巳です」
 丸尾自身困惑している感が否めない。
「このたび社長に就任することになりました。ええっと……元々の部署は……」
 しどろもどろになりながらも丸尾は自己紹介を続ける。そして元の部署について触れた時、僕を含む部署のみんなが一斉に息をのんだ。しかし……。
「丸尾社長ありがとうございました!」
 その執行役員は丸尾の二の言葉を許さなかった。そしてどうやら既にマイクは執行役員へと切り替わってしまったらしい。これでは、僕達の部署が全社的に紹介されることもない。僕を含む部署のみんなはがっかりした。
「今回の人事異動発令は内示もかねております。従いまして丸尾社長はすみやかに課長職の引き継ぎを終えるようお願いします。以上です」

(2)昇進-4

 社内放送は無事終了してしまった。これではまるで社長が役員に命令されているようだ。妙な違和感を感じたのは僕だけではないだろう。 丸尾は午前中本社で社長職の説明を受けているらしく、部署には戻ってこなかった。
 そういうわけで、僕は保土ヶ谷さんに自分の業務を引き継いで貰った。僕は午後になって引き継ぎに一段落付いたところを見計らい、たばこ部屋へ向かった。相変わらずたばこ部屋は閑散としていた。今日は丸尾の異動があったために部署自体慌ただしい。
 そこへ再び神木がやってきた。
「吉沢さん、改めておめでとうございます」
「ああ、ありがとう」
「これからは吉沢課長ですね!」
「ははは、今まで通りの吉沢さんでいいよ」
 神木は順当に引き継ぎが完了すれば僕の部下になるだろう。
「それにしても突然でしたよね」
 無論神木の言っていることは僕のことではない。
「そうだね、まさかいきなり社長とは……」
「本当ですよね」
「実を言うと僕は自分のことより丸尾の異動にビックリしているんだよ」
「確かに異例の大抜擢ですからね」
「僕はあいつと先週の金曜日に一緒に飲みに行ったばかりなんだよ。だけどそんな素振りは微塵も見せなかったけれどなぁ……」
「そうですか……」
 神木は何かに納得したようにこう言った。
「丸尾さんは社長ですよ。おいそれとそんな情報を飲み屋では話せなかったのでは?」
 確かに神木の意見にも一理ある。
「そうなのかなぁ」
「きっとそうですよ」
 神木は僕を励ますようにそう言った。
「それにしても社長と飲み会ですよ。貴重な経験だと思います。今後は丸尾さんも『雲の上の人』ですからね」
「うーん、そうかもしれないね」
 確かに神木の言うとおりかもしれない。
 この際率直にこの自分の疑問を神木にぶつけることにした。
「ところでさ、神木に聞きたいことがあるんだよ」
「なんでしょうか?」
 神木は二本目のたばこを取り出そうとしている。


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