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プロローグ

男は、ロンドン市内にあるカフェに入って周りを見渡す。昼下がりの店の中は、カウンター席に若い男女の客だけだった。奥の席には、若い日本人の女が座っていた。男が女に近づく。

 

「待たせたね」と、男が笑みを見せて、女とテーブルを挟んで向かい合わせに座った。

 ウエイターが注文を聞いて来た。男はコーヒーを頼んだ。

「考えてくれたかい? 」

男は知りたいことを尋ねた。

 

「・・・・・・」

女は不安そうな顔をした。

「やはり、私・・・・・・無理です」

女は小さな声で答える。

 

「そんな! 生命というものを何と考えている!!」

男が失望したように声を荒げた。それに驚いたように、カウンター席の客がこっちを見る。

それに気付いて男は、「せっかく掴んだチャンスじゃないか。ここで頑張れば、夢も叶うかもしれない。こんなことであきらめるのか?」

男は、真顔になって小声で説得する。

 

「でも、産んで育てる自信がありません」

女は下を向いたまま言う。

 

「大丈夫だ。僕に協力してくれたら、金銭的な工面をしよう。それに大学に残れるように、僕がなんとかしよう。もう一度、考えてみてくれ」

男は、畳みかけるように説得をした。

 


東洋人の男は、目隠しをしたまま手錠をかけられ、二人の体格のいい男に体を挟まれて、部屋に連れ込まれた。小さな机の椅子に座らせ目隠しを取る。東洋人の男は、天井の蛍光灯に目を細めた。

 

「どういうことだ!」

東洋人の男は、体格のいい男に向かって、食ってかかって言う。男二人はスーツ姿だった。一人の男が部屋を出て行き、もう一人の男が扉横に立つ。部屋は、一面に灰色の壁で窓がなく暗い空間だった。

 静かに扉が開いた。白髪の男が入ってくる。

 

「いったい、あんた達は誰だ! いきなり、人さらいのように車に乗り込ませて、おまけに手錠までして、ずいぶん手厚い歓迎だな!!」

東洋人の男は、怒りで声を荒げた。

 

「まあ、そんなに怒るなよ。こっちは君を保護したつもりだ」

白髪の男は、立ったまま涼しげな顔で言う。

「君のことは調べてわかっている。君は、アイルランドで窃盗事件を起こした逃亡犯だ。そうなったのは、奴らのやり方に乗ってしまったというのが、正しい説明かもしれない」

白髪の男は淡々と言った。

 

「俺は一般人だ。そんな犯罪者なんかじゃない」

東洋人の男は、強く否定した。

 

「さっきも言ったが、すべてわかっている。君は、恋人に会いに来たんだろう」

白髪の男は、スーツの内ポケットから、一枚の写真を取り出して、机の上に置いた。

 

写真は、若いイギリス人の女が写っていた。それを見るなり、東洋人の男の顔色が変わる。

 

「彼女は、君の本当の正体を知らないようだな」

「・・・・・・」

東洋人の男は、しばらく黙り込んだ。そして、

「あんた達は、いったい何者だ? ひょっとして、イギリスの政府機関の者なのか。確かに俺は、アイルランドから逃げてきた。俺を政府に引き渡すため、何かの交渉にでも使う気なのか? だが、彼女は関係ない」

東洋人の男は、あっさりと認めて、強い口調で訴えるように言う。

 

「心配するな。別に彼女のことを、どうしょうとは思ってはいない。君が、我々の依頼を受けて成功すれば、君にイギリス国籍を与えて、彼女と一緒に暮らすことを許してもいいと思っている」

 

「えっ!? 」

東洋人の男は、思いもよらない言葉に、一瞬目を丸くした。

「今、何と言った? 」

「要するに、君に仕事を頼みたい。これは、イギリス国家のプロジェクトに関わることだ」

白髪の男は真顔で言う。

 

東洋人の男は、信用できない様子で黙り込んだ。

 

「君には、選択が二つしかない。ひとつは、我々に協力するか。もうひとつは、このまま逃亡犯として、アイルランドに戻されて、冷たい牢獄(ろうごく)に入る生活をするか。さあ、どっちにする? 」

白髪の男は、穏やかに話すも目つきは鋭く、相手を追い込むような言い方をする。

 

東洋人の男は、観念した様子で受け入れることを決めた。

「何をすればいい? 」

東洋人の男は、白髪の男から顔をそむけて聞いた。

 

「日本に行って、ある人物から、暗号入りの写真をもらってほしい。君にも関係あることだ」

白髪の男は意味しげに言う。そのことに反応して、

「自分と・・・・・・一体誰だ? 」

東洋人の男は、興味深く尋ねた。

 

「くわしいことは、ここに行ってくれ。使いの者が待っている。それから、今からは日本語を使うように・・・・・・話せるよな」

白髪の男は、指定した場所を書いたメモ紙も差し出した。

東洋人系の男は,メモ紙を手にした。

 


 二日後の夜。

 

東洋人の男は、レンガ造りの倉庫がある港町にいた。近くにはテムズ川があって、遠くにライトアップしたタワーブリッジが見える。

 

東洋人の男は、街灯の下でメモ紙を見る。確認するように周りを見渡した後、ゆっくりと歩き出した。倉庫は、同じ高さの大きさのものが列を成していた。正面には、両開きの鉄扉で上に番号が書いてある。それを見ながら12番の倉庫の前で、ピタリと足を止める。そこが、メモ紙に書いてある場所だった。

 

正面扉横にある小さなドアが、人の出入り専用だった。

 あらかじめ、鍵は掛かっていないことを知らされていたため、ドアを開けて中に入った。倉庫の中は、冷たい空気が流れてひんやりとする。奥に机があって、その上に蛍光色のスタンドが置いてある。その明かりから、薄らと壁一面にダンボールが、山積みになっているのが見える。おそらく、船に積み下ろしたものだろう。

 

「待っていたわよ」

人の気配を感じると同時に声がした。目の前のダンボールの横から、女が現れた。女は、スラリと背が高く、紺のジャケットにストレートパンツ姿だった。

 


「君がミス・キャットなのか? 」

「ええ、そうよ」

「顔は見れないのか? 」

女は、顔が半分ほど隠れる丸いサングラスをしていた。

「顔を見ないほうが、あなたのためになるわ」

女は、忠告するような言い方で答えた。

「あんた達は、俺に何を期待している? 」

東洋人の男は、事の真相も知らずに使われていることに、腹を立てた。

 

 「日本語は、上手く話せるのね」

女は、男の訴えを無視するように、言葉の上手さに感心する。

「ひとつだけ教えてあげるわ。あなたは、このイギリスでは、大事な人物なの。今国の状況が変わって、あなたも、今後どうなるか、わからないから、身柄を拘束したのよ」

 

「それは、一体・・・・・・」

東洋人の男は耳を疑う。

 

「あなたは、イギリスで生まれて、すぐに両親が亡くなって施設に入った。その後、アイルランド人の夫婦が、里親になってくれた。だが、十七歳の時、交通事故で里親を亡くした。その後、ひとりで真面目に生きていた。一ヶ月前、ある傷害事件に巻き込まれて、その後は、謎の組織から追われて、逃げるような生活が続いている」

 女は経歴を淡々と話した。

 「・・・・・・・」

 

「あなたを拉致するために、ある組織が動いた。そして、あなたは、知らない異国へ行かされるはずだったのよ。でも、その途中、あなたを助け出したのは、私達の組織の連中なのよ」

「何だって!?」

東洋人に男は、身に覚えがある出来事に困惑する。

 

「君達は、何者なんだ?」

「安心して、私達は、あなたの味方よ」

「味方だって、ふざけるな! 恋人まで、脅しの道具に使ったじゃないか!! 」

東洋人の男は、納得しない様子で全面に怒りを出した。

 

「冷静に考えてみて。このまま、アイルランドに帰れば、あなたは犯罪者で捕まる。でも、刑務所ではないわ。アイルランド政府から、アメリカ政府の配下する、特別な研究施設に行くわ。でも、私達に協力して成功すれば、恋人との幸せな生活が約束されるはずよ」

「アメリカ政府!?・・・・・・・」

東洋人の男は、女の言っていることに見当がつかない。

 

「あなたの新しい名前は、マック・ヤマグチ。ここに書いてあるわ。日系3世ということにするわ。明日、ここから船が出る。一週間後、日本の横浜に船が着くから、そこで、また指示する」

女は説明を終えると、パスポートを手渡した。

 

 

                                                                                                                             

 

 

 

 

 


① 父の死

「急な発作があって、倒れたまま亡くなられたみたい」

 父親である福岡真一の急死を聞かされて、実家に駆けつけた夏彦に、妻の亜希子が涙ながら告げた。真一は、ここ数日体調を崩して寝込んでいた。

 夏彦は、仰天したように目を丸くして、寝室のベッドに近寄る。とても死んでいるようには見えない。まだ生気があるようで、おだやかな表情で眠っているようだった。

 

「旦那様から、頼まれて買い物に出ていました。帰って来た時には、廊下でお倒れになっていました・・・・・・」

  家政婦の宮崎文子は、取り返しのつかないことをしたと言わんばかりに、青ざめた表情で、夏彦に詫びるように頭を下げる。

 

 「文子さんが悪いわけじゃないわ。頭を上げて」

 亜希子は、文子をなだめるように言う。

 「薬は飲まなかったのか? 」

  夏彦が、文子に確かめるように聞いた。真一は心臓に持病があった。発作があると、痛め止めの薬を飲むことになっている。

「私が外に出る前に、ベッド横のナイトテーブルに錠剤を置いていました。旦那様も、そのことはご存じだったはずです」

「お医者さんの説明では、痛みのほうが強くて、薬まで服用できる状況じゃなかったみたい」

 亜希子が付け出すように説明した。

 夏彦は、父親の死が、こんなにあっけないものだとは信じられなかった。

 

次の日から、喪主となる夏彦は、慌ただしかった。大学教授だった真一は、参列者も多かった。勤め先だった教授仲間、大学の職員、教え子だった卒業生、その他、研究で真一に世話になった知人といった、多くの人間が葬儀に参列した。そのことで夏彦は、父親が残した功績の偉大さを改めて気付かされた。

通夜と葬儀で息つく間もなく、あっという間に火葬も終えた。

 夏彦の実家は鎌倉にある。山手にある静かな住宅街だった。

 木造造りの和風家屋で平屋だった。小さいながらも、濡れ縁で造られた中庭がある。

夏彦は、小さな祭壇に真一の骨壺を供えた後、ガラス戸を開けた。中庭から、春の心地よい風が入り込んでくる。

 夏彦は、黒のネクタイをむしり取り、ドスンと畳に座りこんであぐらをかいた。無事に喪主を勤め終えた安堵感が、そうさせた。

                                                                                                                             



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