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解説

生霊というものほど、怖いものはない。

私もある霊能者から、最近吐き気がしないかと尋ねられたことがあった。言われると、確かにそうだと納得した。

それは兄の生霊だと指摘された。丁度その時母の遺産を巡って、調停中だった。

いま考えると、兄の言う通りに委任状を作成しなくて正解だった。

兄の言う事を信じて、委任状を渡していればすべて兄に取られていただろう。だから、家庭裁判所の調停に委ねた結果、ようやく公平に分与が出来たが、当初父が私に分与した分すら、私の取り分から削り、自分の取り分を多くしていた。

後輩に相談して、毎日ご神前でお祓いしてもらっているが、今度は父の遺産分与を巡って兄は父が作った遺言状に訴訟を起こした。

同じ兄弟同士でどうしてこうなのだろうと、閉口するほど強欲だ。

今は横浜区の心のケアハウスの所長をしているが、年収は二千万円、奥さんは公立の学校の教師をしているから、二人で三千万円は優に超えるはずだ。遺産は数百万円だというのに。

父は兄を医者にするため、裏口入学の寄付金二千五百万円と月謝入学金二千万で計四千五百万円費やした。信徒の方々に頼み応援してもらった金や、絵を売り払ったりとして集めた。

兄にはこれだけ金を使ったから、父は生前分与だといって残りは私に上げたいと言った。

母の死後、兄は本性を現した。

父の金目の物は、特に日本刀がほしいのだ。銃刀法不法所持の法律を犯してまで、そして他の物も続々と持ち出した。

教祖さまの書付がびっしり入った、山内会長松内夫人の遺品のトランクまで持ち出した。

青森出張所で保管していた、教祖さまの書かれた物まで持ち出す始末だ。単なるコレクションだ。

部屋に飾っていた三百万円の絵も、私には本部に献納すると嘘をつき、兄は自分の車に乗せて持ち去った。家族ぐるみの犯行である。

本部員ですら、呆れるほど強欲だ。

私だってもらう権利があろうが、全て自分の物にしないと気が済まないのか、弟の私のことは全く眼中にない。教祖さまの遺品だけは悔しい、兄には使い途はないハズだ。

実の兄弟とは思えぬ所業だが、実は母が亡くなった時、夢で神さまから教えられたことがあった。

昱子叔母の顔が現れ、それが兄の顔と重なった。

目が覚め、瞬時に悟った。そうか、兄は霊的には叔母に生まれる子だったんだな。

それで総ての謎が解けた。

昱子叔母が肺炎で入院した時、家内と私は毎日看護に追われた。

たまたま二人共本部に戻り、翌朝病院に駆け付けた時、先に兄が駆け付け、叔母の最後を看取った。

遺体をきれいにしていた看護婦が、この人に息子さんはいなかったのですか、と私に尋ねた。

兄は叔母の下で暮らし、叔母に育てられた。その兄が最後を看取ったから、叔母の息子のようなものですよ、と私は答えた。

そう答えたのが、その意味だったのだ。

霊的に兄弟ではないと神が教えてくれたから、兄の訴状が来ても迷うことはなかった。降りかかった火の粉は払うしかない。

私は白川家の血が強かったから、幸いだった。自分から争い事を起こしたことはない。

兄のような強欲、嘘なんぞは微塵も自分にはない。唯、ノンベイで我儘なのは認める。

もうこうなった以上、断固闘うしかない。兄は偽の診断書を医者に書かせ、医者の資格を悪用している。こちらは医師免許の剥奪まで争うしかあるまい。父はそれだけは許してくれ、あんな奴でも私の息子だ、そう言って泣いたのだが。

これも全て型だ。これに勝たない限り、次の段階には進めない。

魔の攻撃に勝つ型を出せば、次は別の型で動き始める。

この裁判に勝てば、全ての謎が解け始める。

私が田沢家でありながら、父の名字白川を名乗ったのも、白川とは即ち白寿を意味し、九十九歳を現す。つまり九分九厘の型を出さなければならない。

田沢家の血は、強い生霊を発することの出来る家系だ。

褒められた話ではないが、私は高校時代それに気付き、自ら封印している。

兄が霊的に昱子叔母の子ということは、田沢家の血が濃くなるということだ。

血が濃くなると、田沢家の悪い因縁が深くなる。

松竹祖母は、田沢家の血筋は人の恩を恩とも思わない家系だからと言って、世間の付き合いには特に気を使った。

実際、田沢家の本家は全て途絶え、教祖さまの家系のみ、血の存続は続いた。

それを見ても、教祖さまは自らの家の業を自分の代で清算したのが分かる。

それほど田沢家の業は、深いというのが理解出来よう。

祖母はそこまで、田沢家の因縁に心を配ったものだ。

兄には、信仰というものが全くない。信仰を持たなければ、田沢家の因縁を色濃くだすしかない。

私が見ていて田沢家の血というのは、兄に象徴されるように罪深いと思う。

大学時代、狭い山道で車を運転していた兄は対向車と出会い、道を譲ろうとして道から車輪が外れ、そのまま落下するという事故に遭遇した。

相手の車はその事態に助けることすらせず、そのまま逃げ去った。

兄は不思議にも車が三百六十度回転し、そのまま木の枝の上にスポンと着地し難を逃れた。

神さまに救われたのだが、喉元過ぎれば熱さ忘れるということわざの通り、今や強欲の限りを尽くし、信仰心は微塵もない。

それに祖父松影の許で、中学時代から兄は育てられた。

父が青森の学校に進学させれば、もっとよい学校に入れると判断したためだ。

兄は自由奔放に生きた。その上、祖父の教育方針が間違っていた。

自分は家を棄て、信仰のために生きた。だから、身内が信仰するのは各自の自由であるという考えで、信仰を兄に強要しなかった。

これが結果的に、信仰不在の生き方を兄が選ぶ結果となった。

長男なのに弟の私に全て押し付けて、自分は好き放題の生き方を通した。

松風塾高校にだって進学せず、青森東高校に進んだ。

私は考古学が好きだったから、本当は考古学部のある北高校に進学したかった。

父が松風塾高校後援会会長の手前、私は松風塾高校に進学するしかなかった。

それはそれで結果的に良かったと思う。

大学もそうだ。兄は自分の好きな動物関係で、北里大学の畜産学科に入学した。

私は歴史が好きだったから、どこの大学でもいいから史学科に進みたかった。

だが、丁度この年から国学院の神道学科で、社家が大学に入り易いように、推薦入学の制度が始まった。そのため、将来教団の祭祀面を充実させようと、また渋々進路の変更を余儀なくされた。

つくづく兄の尻拭いばかりさせられた。兄は長男としての責務は全く果たしていない。

北里畜産学科を卒業した後、松影祖父が亡くなりその時集まった香典が一千万以上になった。

聖路叔父が本当は医者になって、お山の人たちを診てあげるつもりで、一時は医学部を目指したが、資金的な面で断念するしかなかった経緯がある。

その松影家の願いを叶えるため、兄は一浪してまた医学部に入った。

家族の願いは兄を医者にして、山奥の本部で診療所を開設し本部員の治療をさせることだった。

病院を建てる資金はご神水献金で積み立てていたが、今回の教団財政破たんで全て消えた。

だから、病院を建てる話は無理だ。それより、兄にそんな考えは全くない。

兄は裏口入学に多額の金を使い、悲願の医者となった。

卒業と同時に、また身勝手なことを兄はした。

高校時代の同級生と、勝手に結婚したのだ。

父も母もそんな身勝手なことをしては、本部の手前があるからそれだけは止めてくれと頼んだが兄は結婚を強行した。全く好き放題に生きてくれたものだ。

私は兄の本籍を抜き、地元平内の会報誌に結婚がばれないようにするのが精一杯だった。

無論、結婚式には両親共に出席していないが。

犠牲になるのは弟の私だった。だが、私は親の許で育てられた結果、信仰だけは引き継ぐことが出来た。それは大いに感謝している。

私も信仰がなければ、田沢家の血が色濃く出ていたろうか、と思うとぞっとする。

そして、最近出来た成人後見人制度を悪用して、兄は春に父が倒れた時、ニセの診断書を医者に言わせて作らせている。

なぜ分かったかというと、父が元気になり、父に会って病院に連れて行った時のことだ。

カルテのなかに診断書があり、全然身に覚えのない父の症状が記されてあり、認知症と記されていた。父は歳のため健忘症ではあったが、認知症では全くなかった。話も理路整然としていて、一貫性を持っていた。

十月に兄が成人後見人に名乗り出た。私は意義の申し立てをしたが、そのため兄は再度診断書を作る羽目になった。

その時、馬脚を現した。診断した医者に、兄は私の言う通り書いてくれと申し出た。

医者は胡散臭い男だと、正式な診断書を書かなかった。

この話は信徒の方で、この病院に出入りしている人から聞いた話だ。

兄のやり方は卑劣で執拗だった。

私からの電話は父に繋がらないように設定し、その上自分は父に電話でお前は認知症だと盛んに叫び立てた。

私が父の所にいた時、直に兄と父との電話のやりとりを耳にしている。

父の世話係の本部の人にその話をすると、最後は電話が鳴ると父はおびえていたと語る。

実の父の恐怖心をあおり、本当の認知症にまで追い込んでいった。

誰が聞いても、許せる話ではない。

信徒の方は兄と和解すればと勧めるが、こんな話を聞けば誰でも呆れるだろう。

今でも横浜区の心のケアハウスの所長をしているが、医者の資格を悪用しているのは確かだ。

横浜市長は、この話をしっかり聞いてほしい。市長に内容証明を出す予定だったが、「武士の情けだ。もう少し様子を見よう」と超一流の弁護士に言われ思い止まったことがある。

こんな悪人を、ぬくぬくと暮らせるのにいい訳がない。兄はばれなければまたどこかで悪事を重ねるだろう。これからも、恥をかくのは市長たち関係者だ。

兄の強欲な思いから発する生霊を最近特に感じ、つくづく人間というのは信仰がなければ身勝手で救われないものだと感じている。

仕掛けられた喧嘩である以上、受けて立つしかない。ご神歌にもただやられて、泣き寝入りをするなとある。邪を伏すのが神の使命とあるならば、私は嫌でも避けて通れない。

私事で恐縮だが、生霊の話の具体的例として書いた。

数年前、よま当たるという東京に住む霊能者が我家を訪れた。

「あなたに不当な害を及ぼそうとする人は、家族全員交通事故で亡くなります。言いたくないけど、争いを仕掛けているのはお兄さんですね」

随分逡巡した後で言った。

その夜、私は一晩泣き明かした。当時はまだ父は健在だった。

今回、兄が家庭裁判所に訴状を出したため、私は青森の家庭裁判所に出向いた。

その帰りに、これまで世話になった元支部長さんにあった。

地元は温泉町として知られた観光地だ。

その元支部長さんが、面白いことを語った。

かつて赤線があった頃、この温泉街のほとんどが赤線宿だった。

現在、赤線を経営していた旅館は、殆ど潰れてしまった。

これは女の生霊だろうと語ってくれた。

大へんいい湯なのに現在、この温泉街はさびれる一方だ。これは街全体に女の霊が漂っている所為だと、元支部長さんは語る。

早速、そのことを意識しながら現地を案内してもらった。

その結果、意識した途端、左目に鈍い痛みが入った。確かに、街全体を強い思念が覆っているのが分かる。

そして、もう一つ興味深い現地を案内してくれた。

又の上の山に松林がある。その松が最近、続々と根から倒れているという。

その場所に赤線で働く、身寄りのない女を秘かに葬ったという。

女の怨み、無念がそんな現象を引き起こしている、と元支部長は語ってくれた。

確かにまだ左目から鈍い痛みが走る。

こんな思念を浄化しないと、街全体の再生にはつながらない。

私はそんな場所に、霊泉の水を撒いて浄めるしかないと説明した。

霊泉の水は字の通り、霊の清めの水だ。霊泉の役割はこの地上の浄めだ。

この地上に漂う思念を浄化させてこそ、地上の楽園が到来するからだ。

私が考えるに霊泉の水は、その役割のため出現したものと確信している。

今回の震災でもう一つ分かったことは、幽霊騒ぎが現地で続出していることだ。

被害に遭い、犠牲者が出たスーパーの改装中に幽霊騒ぎで、三度業者が入れ替わり、未だ手付かず状態の場所がある。

また、ある橋で幽霊騒ぎが起こり、警察に通報が相次ぎ、その橋は夜間通行禁止になる始末だ。

震災で亡くなった方々の未練が、魄となりこの地上に留まっているからだ。

この魂を鎮めない限り、本当の意味で霊界に逝くべき仏は救われない。

その浄化が霊泉の水の役割だと思う。この世に対する未練が強ければ強いほど、魄は地上に留まり続け、災いをもたらす。

霊界に逝った仏もその罪故に、本当の意味で浮かばれない。

そんな場所を一人でも多くの型が、霊泉の水を散布し魂の浄化に努めてほしいと願う。

元支部長と別れた後、別の信徒の方と合流し、奥松島に案内された。

犠牲者は百人以上出たという地域だ。

一面更地のようになり、津波に洗い流された場所と分かる。元ここは住宅街だったという。

信徒の方の実家は跡形もなく、故郷を偲ぶ痕跡はなくなったという。

この犠牲者の出た場所を見ると、また左目が痛くなった。

やはり、まだ魄がここにさ迷っていると分かった。

思わず惟神霊幸倍坐世(かんながらたまちはいませ)と車のなかで唱えながら犠牲者の冥福を祈った。

間一髪津波の被害から免れたという信徒の家を、車の移動中教えてくれた。

この信徒の方はバザーではいつも奉仕して、熱心な方だという。

やはり、奉仕により神さまの救いに預かったのだと思う。

奉仕もまた、信仰の徳だとつくづく思う。

教祖さまの言われる奉仕もまた、救いに必要な善行であると改めて思い知らされた。

こんな大和山大神という素晴らしい神力のある教えが、なぜもっと広まらないのか。

松影祖父に、こんな審問をした信徒の方がいた。

松影祖父は、それはその人が神とご縁があるかないかだけだと答えた。

私は大和山の信仰にご縁のある方は、不幸な人に多いと思う。

幸せな人は、信仰する必要がない。

闇の世界にいないからだ。むしろ、不幸な人は闇にいる。

だから、不幸であればあるほど、この神の偉大さが分かる。救いの神の光が見えるからだ。

だから、神の救いの光がはっきりと見える。

そして、神に救われた瞬間、確実に救われたという実感がある。

不幸な人には、大和山の実在を実感した時、もはやこの神は捨てられない。

この神なしでは、生きられなくなってしまう。

私は大和山が世に広まるには、時節を待たなければならないと思う。

今回、旅の途中で大学の友人に、幸福の科学の研修センターに案内された。

友人は幸福の科学の会員だ。大和山と比べものにならないほど会員は多い。

世界規模に広がっている。中身はともかく著作は八百冊以上に及ぶ。

色んな神さまを降ろし、最近は政界指導者の守護霊まで降ろしている。

大川隆法のご神像を友人に案内され礼拝させられたが、妙に神という感覚が湧かなかった。友人にどんな感覚だったと問われても、何とも実感が湧かない。

翌日、パッと脳裏に入って来たのは、霊媒者だという答えだ。

なるほど、霊媒者としての能力なら納得する。

神ではない。だから、私に直感的に神としての実感が湧かなかったのだ。

その証拠に大和山のような教典は、何もない。

その友人の奥さんは幸福の科学の会員で熱心に拝んでいるというのに、霊障で未だ苦しんでいる。

大和山だったら、そういう霊障を祓う力はある。

これが幸福の科学の限界だ、と納得した。

大和山のような神力はない。大和山の素晴らしさは、信仰した人ならば誰でも納得する。

教え、教典、救い、全て揃った宗教は滅多にない。

大和山の凄さは、救いが石ころのように転がっていることだ。

だから、信徒の方々にはその素晴らしさが、ピンと来ない人も多い。

八戸でお会いした信徒の方から、教祖さまのデスマスクに生えている毛がきれいになくなった、との報告を受けた。

教祖さまは、神界に帰られたのだろうか。

確かに済度教典には「松、地の行終えて、神に帰るなり」という一節がある。

神に戻ったから、もうこの地上に留まっていないという解釈も成り立つ。

だが、私はその話を聞いた瞬間、教祖さまはまたこの地上に復活されたと直感した。

そうでなければ、教祖さまが大立替の陣頭指揮を執るという、ご教話の辻褄が合わなくなる。

この日本のどこかに教祖さまが復活したとすれば、私は因縁の巡り合わせで絶対お会い出来ると信じている。

今回八戸の信徒の方と四時間近く、信仰の話ばかりしていた。

信仰の話になると、互いに夢中になって話し込んでしまう。

この方の目線は常に、神さまから見たものである。

だから、私も多々その方から、教わることがあった。

その方とは本部在住中、父と相談して巡講者になって頂いた経緯がある。

信仰が素晴らしく、教えを勉強するのも熱心でこの方なら問題ないと思って、巡講者にお願いしたのだ。

しかし、その方は私如き者がとてもとてもと、青い顔で断って帰ってしまわれた。

数日後、その方が改めて参山して私に言われた。

「あの話を受けさせて下さい」

その言葉に、私は何かあったなと直感した。

聞くと、その夜夢に小松風先生が現れ、何で受けないのだと叱られたという。

やっぱり神は、一切をご照覧下さっていらっしゃる。

父の見込んだだけの方だった。今でも熱心に信仰に励んでおられる姿を見ると、熱誠を持ち続けるこの大切さ、信仰の道を歩み続けることの素晴らしさをしみじみと思った。

信仰に死ぬまで終わりはない。これでいいと思ってしまえば、信仰は停滞してしまう。

信仰は、死ぬまでの精進道である。死の門を潜る時、自分の歩みがどれだけ神に近づいたかが、分かるだろうし大事なことだ。

嶺のみ城に近づくことは出来るが、ゴールはない。

神の許に旅立った時、自分の身魂がどれだけ成長したかだけだ。

お山を出て十二年以上になるが、未だ信仰に励む方の姿を見て、信仰の道とは如何に遠いものかしみじみ考えさせられた。

そして今回の旅の意義は、被災地で浮かばれない仏を自分に出来る形で供養してあげるのが、せめてもの私なりの役目だったと痛感した。


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