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一家挙げての信仰

狭山佐吉(仮名)さんの家が、火事で焼けたという報告がありました。

狭山さんは熱心な信徒の方ですが、なぜこのようなことになったのかというと、家族の信仰に問題がありました。

私の知り合いにお願いして、狭山さんの長男に仕事を世話してやっても、本人は一度しかお参りに来ませんでした。

その上、未だ一度もお山に来て、奉仕をしておりません。

家族のなかで、一人でもグラグラ揺らぐような信仰の人が居ると、全体的にダメになります。

実際、人というものは、自分の悪い癖というのを、なかなか直せるものではありません。

 たとえ、大和山に来て本部員として暮らしていても、人の心の癖というものはなかなか直らないものです。

 本部員でもみんなが心底から、神さまの実在を信じていないようです。

 本部員として、入山した人のなかには元々喧嘩早く、世間では与太者と呼ばれ、身内から素行が悪い者だ、と言われるような人がいます。そんな人は、なかなか素行が直らない。お山も矯正所ではありません。  

そんな若者にならないためには、やはり若いうちから、信仰を始めなくてはならないようです。

信仰というのは、年寄りがするものだと思いがちですが、若い時から何事もないうちから、信仰を速やかにすることが大事です。

そんな問題のある本部員ですら、ここで生活して三月末に下山する時には、こんな良い所はない、別れが辛いと言って、涙を流すようになります。

彼に言わせれば、神さまというものは、なるほどあるものだと分かったと言います。

 そんな乱暴だった人間ですら、神さまの存在を実感すれば魂を入れ替え、別れの挨拶で殊勝なことを述べます。

どういう体験かと申しますと、彼は家では我侭一杯に暮らしていました。

そんな彼がお山で暮らしていると、ある日、突然足が痛くて満足に歩けなくなってしまいました。

 原因も分からず、立膝でどうにか移動して過ごしておりましたが、ある日これは何かの悟りだなと思ったそうです。

 今まで家では我侭一杯に暮らしていたが、目に見えない神が見ている。そして、こういう形で教えておられると思ったら、神さまというのは恐ろしいものだと気が付いたそうです。

そうして、神さまに謝罪したら足の痛いのが、すぐに治ってしまったそうです。

 幾ら信仰について色んな話を聞かせても、本人が悟らなければ分かるものではありません。

また神さまとはなるほど実在する、という証明がなければ分かるものではありません。

 大和山大神というのは目に見えない霊なる存在ですが、色々な奇跡を見せやはり神さまというのはあるものだ、という証明をして見せられます。

 神は霊なれども超現実の力あり、という証明を下さるものです。

 さて、信仰熱心な一家として、津軽では木村さん一家の話をしたいと思います。

木村さん一家は、家族挙げての熱心な信徒であります。

 私は木村さんが熱心な信徒さんですから、この間参山された時、お父さんに特別にお洗米を三粒入れたのを差し上げました。

 お父さんは家に戻ると、家族に「教祖先生からお洗米を頂いて来た」と話したそうです。家には八十過ぎのお婆さんが居て、その話を聞くと、「実は今朝、お御堂に白い幕が下がっているのが見えた」と話したそうです。

 そして、そのお洗米を一粒頂くと、途端に一週間も寝ていて具合が悪く、ロクにご飯も食べられなかったお婆さんが、神さまに救われたと言って、突然ご飯を食べ出した。

 そして、元気になった証拠に、孫娘に手を引かれて台所まで歩いていった。

このような救いに預かるのも、普段からの家族挙げての信仰の賜物です。

 順調に信仰をすれば、あの家は立派な信仰一家だと言われるようになるものです。

 信仰に励む人は、日頃から神に尽くす心を持たなければなりません。

 普段から家族共に真面目に揃って信仰に進んだならば、必ず救われるものです。信仰が一分進めば一分だけ、神の救いがあるものです。

 さて、今年、来年と世界的な凶作になったらどうするか、という話題であります。

 米国の天文学者が研究発表の席上において、八十一、二年の周期で世界的な凶作が来るという発表をしました。

 その学者の研究によりますと、太陽の黒点が増えたり減ったりする現象を研究すると、昭和二十四年にその黒点が異常に増える時期に当たり、それが丁度八十一年目の周期に当たるというのです。

 ですから、学者たちは来年、必ず凶作が来ると言います。

 青森県の農家の人はツララの長い年は、作柄が良いと言います。

 ですから、今年のツララの様子を見ると、今年は恐らく作柄は良いだろうと言っております。

だが、来年の様子は、どうなるか分からない。

今年の作柄は良いには良いでしょうが、収穫の時期になって見なければ、本当の所は分かりません。

 そういう時に神が気に入られている人には、特別の配慮があるのではないかと思います。

「善なるものと、悪なるものを分けて見せるぞよ」と神諭にありますが、それはその人の普段からの信仰に現れるのです。

 いい例が、農家の場合です。

 収穫の時期に米が実ったかどうかは、その人の日頃の信心が現れるようなものです。

 普段から神さまに、気に入られるような人になるべきだと思います。

 こんな私も、神の道を知らなかった。今はやっと分かったつもりですが。

 七歳の時、母親が離婚させられて後妻が入ってまいりました。

 父は当時、青森弘前間の定期便馬車業をやっておりまして、それで大儲けをして女遊びをしていたのです。

 その時知り合ったのが、その後妻さんでした。

 後妻さんは弘前藩士族の出で、当時としてはなかなか教養のあった人でした。

 しかし、世間体と言うか、見栄っ張りなのか、身内に祝言がある度に先方にあれを買う、これも買うと言う大層な物入りようでした。私がリュウマチになった時、三キロ先の病院へ歩けるようになるまで、毎日背負って通ってくれました。それはそれで感謝していますが、その後妻さんが子供の私には、何一つ買ってくれなかった。

 それで私の根性は、すっかり曲がってしまった。私が浅はかでした。

 その上、後妻さんは気性がきつかった。それが私の気を、余計荒くしました。

 だから、父が居ない時、「このママガガ」と反抗したものです。

 その上、口も悪かった。当時、北海道の魚の買い付けに来た業者を相手に、仲卸業もやっておりました。薄利多売ですから、売る方も買う方も気が立っていて必死です。

買い付けに来た業者が、「腐っている」と難をつけたり、値段の折合がつかなければ「いらない」と言う。後妻は相手を盛んに罵り、時には相手を蹴倒して、尻餅をつかせる始末でした。

 そんな環境では、子供がまともに育つ訳はない。

 両親に口をきく時、やられたりすると、「クソ喰らえ!」「ハゲ頭!」と叫ぶ。

父親が怒って追いかけてくると、私は不自由な足を引きずり、町中逃げ回ったものです。

 このように当時の私は、全て両親の責任にして自分を反省することが出来ませんでした。

 両親に逆らい、自分も荒ぶという両方の狭間にあったものです。

 気に入らないとすぐ寝床に潜り込み、ふて寝をしたものです。

 親から注意を受けると、「やかましい!」「黙ってろ!」「お前の言うことなんぞ、三文の価値もねぇ」そんなことばかり言っていた。

 あまりそんな事を言うと、親ですら腹が立つものです。

幾ら親が間違っていてもまたそんな私でも、親があってこそこの世に生まれたものです。

 親に腹を立てたことの報いは、必ずあるものです。

 三十三歳の時、東京から青森に戻る列車のなかで肺炎に罹りました。

 どうにか完治したものの、以来咳き込むと胸が痛くて仕方がなかった。

 その後、二十年間胸の痛みはどうにも治らなかった。

 人の病気は治せても、どうしても自分の胸の痛みは治せない。

 五十歳になった時です。

 ふと考えた時、自分の病気を治せないのは、そうかあの時、親不孝をしていたな。なんて悪いことをしたものか、それでは自分の病気は、治るはずがない。私は本当に親不孝だった。

 今は仏となった親のことで、神さまに謝罪してようやく、胸の痛みが治ったものです。

 幾ら神さまに仕える者であっても、神にしっかり謝罪をしなければ救われません。

 間違っていることに気付かないままだと、信仰というものは地に足がついていないものです。


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