第3章 リツコ、皇女様にあう。
第3章 リツコ、皇女様にあう。
3-1. リツコ、悪夢をみる。
リツコは、うなされていた。いつもの夢だ。
懐かしい家。山のふもとの、ちょっと不便な、だけど緑が豊かな山の斜面にある…温かい木の壁の家。
いつものように日曜日の午前の終わり頃には家の裏の土手を登って、上の家庭菜園から昼ごはんに使う香味野菜を採ってくるのが、リツコの当番だった。その日はお母さんのリクエストで、小ネギとラディッシュとレタスを1株採った。
ちょっと重たくなった収穫カゴを抱えて、崖道を降りようとすると…
へんぴな集落へと向かってくる行き止まりの一本道を、見慣れない車の集団が凄い速さでやってくる…
……見慣れない車……
…だけど、あの色は…!
リツコは急斜面をころげるように横切って走りながら、叫んだ。
「お母さんッ! 大変ッ! 逃げて!」
「…リツコ? どうしたの?」
お母さんとお父さんがのんびりした顔で台所の窓から顔を出す。
「……お姉ちゃんっ! 緑衣隊よ、逃げてッ!」
リツコは家の下のほうの斜面で洗濯物を干していた5歳上の姉に叫んだ。
…もう遅い。
妖しくてらてらと光る変な緑色の特別な自動車の群れは、家の前の小道にががっと乗り入れて急停車するとばたんばたんと音を立ててドアを開け、中からばらばらと降り立って来た妖しくてらてらと光る変な緑色の制服の男たちが、びっくりして動けないままシーツを握りしめて立っていた姉を、数人がかりで乱暴に捕まえた。
「………きゃあッ!?」
「エツコ!」
「何をするッ!?」
お母さんとお父さんが叫ぶ。
「高原ワタルとシズカだな?」
男たちのリーダーらしいヤツがすごい嫌な声で怒鳴った。
「反政府罪で逮捕する。逃げたら…」
「きゃああッ!」
頭に銃をつきつけられて、お姉ちゃんが絶叫した。
「エツコ! …やめて! やめてッ!」
「わかった! 頼むからやめてくれ! 娘は関係ないッ!」
「ふん。反逆者の娘は、しょせん反逆者の娘だ。」
「お父さん! 逃げてッ!」
なおも崖の上から叫んだリツコをめがけて、男達のうちの何人かが、ばらばらと走り始めた。
「リツコ! 逃げなさい!」
「お父さん! 逃げてよッ!」
「エツコを置いて逃げられない。おまえは逃げなさい! おばさんの所へ行くんだ!」
「リツコ! 逃げて! あたしは平気!」
「逃げなさい、リツコ! …きゃあ!」
リツコに叫んだお母さんが乱暴に殴られた。
「やめろ! 抵抗してないだろう!」
お父さんが怒鳴った。
リツコは、何も出来なかった… 絶望した。
そして崖を駆けあがって来る大人の男達の脚の速さを悟った…
…急がないと、逃げ遅れる!
「………おばさんの所で待ってる!」
叫んで、あとはもうふりむかずに、一目散に、山の中に逃げ込んだ。
勝手知ったる裏庭も同然の山だ。大人には通れない深い崖の下の小川の上に張り出した細い木の枝をするすると渡り、ターザン顔負けの軽業で幹から幹へ飛んで、とりあえず「秘密基地」に逃げ込んだ。
隠しておいたお菓子と缶ジュースで一息ついて半日くらい、様子を見ていたのだけど…
妖しい制服の男たちが山狩りを始めたらしいので、そこからも陽が沈む前にこっそり逃げて、今までずっと「子どもだけで入っちゃいけません!」と言われていた、奥の奥の神山のふもとへ逃げ込んだ。
そこから、月明りだけを頼りに、山伝いに、歩いて、歩いて…
…おなかが空いて、でも見つかるから、街へは降りられなくて…
何日も、山の中で眠って、歩いて…歩いて… おなかがすいて… 寒くて…
…いつもの夢だ。怖い夢。
もう、起こってしまったこと。
そして…
リツコは、何もできなかった…。
家族を… 救えなかった…。
「逃げてよ! お母さんッ! 逃げてぇ……ッッ!」
3-2. リツコ、起こしてもらう。
「…………リツコ! リツコ! …起きて! …夢だよ、…起きて!」
「…………お母さんッ!?」
リツコは飛び起きて、声をかけてくれた人に、必死でしがみついた。
「…あぁ良かった… 無事だったのねっ!」
「…リツコ…… 大丈夫だよ… 」
優しく抱きしめて背中をぽんぽんとしてくれた人に、ぎゅぎゅぎゅ~…っと、抱きつきかえしてみたら…
…………… ん??
………違う…?
リツコはまだ半分寝ぼけたまま、目をぱちくりさせた。
……細いし… なんか、硬い? し…
…これ、お母さんじゃないし…お父さんでもないし… お姉ちゃんでも、大叔母様でもないし…
「…………あ!? 鋭? ………ごめんねっ? …あ、あたし…寝ぼけて…っ」
ようやく目が覚めて頭がはっきりして… びっくりして飛びすさったら、
「ううん~?」と、美青年は優しく笑ってくれた。
…やっぱり美形すぎて、思わず目をハートにして見惚れる…。
鋭はまた困った顔で苦笑して、
「…それにしても、度胸がいいねーぇ? 気がついたら天荷籠のなかで爆睡してたって。鳥人のみんな、呆れてたよ?」
うなされて寝ぼけたことはとりあえず無視してくれて、にやにやとからかってくる。
「…え? ……えぇ?」
リツコは慌ててあたりを見回した。
…知らない部屋だ。
「……ここ……?? どこ…?」
「うん。日が暮れるちょっと前くらいに仮皇都に着いたんだけど。いくらゆすっても起きないからさ。失礼ながら運んじゃった。」
「……うわーっっ?? ごめんねっ??」
「ううん~? 軽かったし。」
「え~? 軽くないよ~?? あたしけっこう重いよ~??」
リツコはぱたぱたと意味もなく暴れ、顔とか髪とかに慌てて手をやって赤面した。
…こんな美形のお兄さんの前で、小さなコドモみたいに寝こけて寝ぼけるなんて… いや~ん…っっ
「…だってさっ! だって向う側の地球の木の穴から、えいって出発したのは夕陽が沈んだ後だったのにっ! こっち着いたらまだお昼前で! お昼ご飯、二回も食べて、しかもたくさん食べたでしょっ?
飛んでる間、あたしは暇だったしぃっ!」
とりあえず必死で言い訳なんかしてみる。
「…うん。きみが環境適応能力のとっても高い、度胸のいい大物の卵だってことは、よく解ったよ?」
意味はなんかよく解らなかったが、からかわれている口調だということだけは判る。
「いや~んっ!」
「…知らないところでさ。一人で目が覚めたら、いやでしょ? お腹もすいてるだろうと思って。」
ふいとまじめな顔に戻って優しい声で言うと、リツコが寝かされていたベッド?を脇から覗き込んでいた鋭は、ひょいと立って向うへ歩いて行き、部屋の中央に置いてあった食卓と椅子らしい家具のほうへ戻った。
机の上には色々…本らしいもの?とか大きな紙?の図面とか?地図のようなもの?なんかが色々と広げてある。
部屋のようすは何というか…和モダン? 木と紙と竹?…と、布や皮やなにかで出来てて…落ちついた優しい色調だ。
明かりは障子紙を貼った小型の竹の灯篭?のようなのが何か所かに置いてあって、開け放した窓からは月明り?も射してる。
風はないけど暑くはないし、半袖一枚でも寒くもない。
…秋の初め? …かな? とリツコは思った。
「ごはん用意しておいたから、食べられそうだったら食べて? …あ、手と顔が洗いたかったらそっちね。トイレもそっちの奥。」
「…ありがとっ!」
リツコは清潔で気持ちのいい木の床に敷かれた草編みらしい模様入りのゴザのようなものの上をぱたぱたと裸足まま駆けていって、教えられた場所でトイレと洗手と洗顔を急いで済ませてから、またぱたぱたと走って戻った。
「あのね! それでね! 大叔母様からおみやげ?…預かってたのに、渡すの忘れてたー!」
タオルを出した時に思い出したので、購買部で受け取ったままの包みを二つ、急いで鋭に渡した。
「あ、持って来てくれてたんだ! ありがとう!」
「…これでいい、の?…ていうか、それ、なに?」
「ノギスと計算尺って言ってね… こっちの世界には無い道具なんで、あったら便利だろうな~って思ってたんだ。…これなら関数電卓とかと違って電気要らないから… うん。やっぱり使えそうだね!」
「…ふうん…?」
よく分らないけど、すごく嬉しそうにして早速使ってみているので、リクエスト通りの正しい手土産だったらしい。
「これ食べていいの? …いただきます!」
置いてあった箱形の木製のお盆?…日本語だと「箱膳」ていうのに似てるかな?…の蓋をとると、ふわりと優しい香りが立った。
「…わぁ、美味しい!」
「そぉ? 良かった。」
何種類かの野菜と山菜?と、何かの柔らかい肉と、小海老?みたいなの…を、香草と一緒に蒸して、ふんわりと優しい味の餡でくるっと和えたらしい、簡単だけどすごく美味しいおかずが山盛りと、濡れせんべいと焼き味噌おにぎりの中間のような、しっかりしっとりした噛みごたえの、何かの穀物の粉を練ったのかな?…平たくして焼いた、主食らしいもの。
箸休め?的なちょっと摘まめるコリコリした歯ごたえの何か。浅漬けみたいな感じにしてある新鮮な生野菜の色とりどりの盛り合わせ。それからデザートに、食べやすいように綺麗に切ってくれてあった、汁けたっぷりの…甘酸っぱい…香りのいい果物!
もう夢中になって猛然とがっついている間に、七輪とか卓上コンロ的なもの?の炭火の上でしゅんしゅん沸いていた鉄瓶からていねいにお湯を注いで、鋭が温かいお茶を淹れてくれていた。
3-3. リツコ、情報交換する。
「………ふ~ぅ。おなかいっぱーい! …ごちそうさま!」
「おなかが落ち着いたら、もう一度眠るといいよ。まだ朝まで時間があるから。」
「………もしかしなくても、あたしのために起きててくれたの?」
リツコはちょっとぎょっとして、もうしわけないと思いながら聞いてみた。
「まぁやることも色々あったし。『夜中に寝ぼけますからよろしく』って、清瀬の律子さんからの手紙にも書いてあったし。」
「…えぇ?!」
(…はっずかし~っ!) …と、身もだえしてみせると、鋭はまたふふっと笑った。
「まぁフツウ組のひとが朝日ヶ森に保護されてるからには、何か事情があるとは思ってたけど」
「…鋭は、地球のジジョウについては、どれぐらい知ってるの?」
リツコは思い切って聞いてみた。なにしろ知らないことだらけだ。
「う~ん。清瀬さんからは何も聞いてないの?」
「そんな暇なかったもん。鋭のこと『初恋の人なの~!』とかってノロケ始めちゃったし。」
「えぇ? それ初耳!」
「え、うそ? しまった!」
リツコは慌てて口をふさいだ。遅いけど…
「…言っちゃったこと、内緒ね…?」
横目で様子をうかがうと、
「う~ん、まぁ時効だし…? なにしろぼくはこんな見た目のまんまだけど、地球の時間だとあれからもう五十?…六十年くらいかな? 経っちゃってるし…。
でも清瀬さんとはほんと喋ったこともあまり無かったんだよ? 数十年ぶりにやっと地球側と連絡がとれて、手紙の返事に当代の朝日ヶ森の学園長が清瀬律子サンって署名してあっても、最初は同じ人だと思わなかったくらいで。」
「そうなんだ?」
「うん。…そもそもなんで彼女が朝日ヶ森にいるのさー?」
「え? 同級生だったんじゃないの?」
「その前にいた全く普通の地元の小学校でだよ。今のキミと同じ4年生の時にね。清瀬サンは転校生だったし。そのころ口がきけなくて挨拶も筆談だったし」
「あ、それは聞いたことある。一族みんな死んじゃった時に、心因性ナントカってショックで子どもの頃しばらく喋れなかったんだって。」
「そうだったんだ…」
『一族』という単語が出た時点で何かしら納得してくれたらしく、鋭は話題を切り換えた。
「それで僕は、IQ高かったんで普通の学校から《センター》に誘拐されて。」
「えぇ?」
「軍のために効率的に人を殺す武器を開発しろー!とかいう勉強をさせられてさ? 居心地悪かったんで逃げ出して、山ン中で往き斃れかけてたらマーシャに拾われて、朝日ヶ森に保護されて… そしたら何故か清瀬さんも朝日ヶ森に保護されてて… まぁ色々あって僕は天才組だし彼女はフツウ組だし、あんまり喋る機会もなくてさ? 結局その直後に僕はマーシャの…あ、明日つれてくけど、こっちの世界の皇女サマのことだけど。…ごたごたに巻き込まれて、こっち側に飛ばされちゃったから、以来まったく数十年間? お互い音信不通。」
「…そうなんだー?」
リツコはちょっと目を丸くして混乱した。話の全体像がよく解らないけど、そんなに長く時間がたっても、大叔母様は『初恋の人!』…が、忘れられなかったのか―…。
(…もしかして、それで独身?)と思ったが、それはいま鋭にいう話でもないと考えなおした。
「…あたしはほんとにフツウなのー。お父さんとお母さんがハンセイフってカツドウやってて目ぇつけられちゃって。緑衣隊が逮捕に来たから『逃げて!』って言ったけど遅くて。あたしだけ走って逃げて山ん中でサバイバルしてたら大叔母様に頼まれたっていう朝日ヶ森の魔法組のひとが保護しに来てくれて。で、家族もみんな無事に救出されてたけど、あたしより先に亡命しちゃってたんだ。で、次の亡命ルートが確保できるまで、朝日ヶ森で待ってなさいって。」
「…そこまではほぼ僕と同じ状況らしいけど…。…それを『普通』って言っていいのかなぁ…。」
鋭が苦笑して遠い目をする。
「それでか。『こっちとそっちの行き来を兼ねて、地球の別の場所に出られないか』って、清瀬さんからの質問」
「え?」
「聞いてない? リツコこっちに来たあと、また朝日ヶ森に戻すか、このままこっちに居るか、もし可能なら、地球上の別の場所に戻してくれてもOKって。」
「そうなんだ…」
「日本から外に出れば、まだわりと移動の自由はあるって? お母さんたちと合流させやすいからって。
でもキミの今回の二時間ずれた件もあるし、こっちとあっちの昔の通路は、ほんとにほとんど埋もれたり忘れられたりしてたから、まだ調査が足りてなくてね。情報が、かなり不確実なんだ…。うっかり抜けたら下に受け止めるクッションがなくて地面に激突とか、時代がもっとズレて浦島太郎になっちゃったりとか、したら嫌でしょ? 絶対安全って確認できる扉が用意できるかどうか、もうちょっと待っててね。」
「…うん。わかった。」
それからしばらくは主にリツコの方が、地球と日本の最近の事件について…小学生のリツコにも解る範囲内でだったけど…色々と説明をして。うとうとしはじめたら鋭が抱っこしてくれて、布団に入れてもらって。
…最後にみた大きな満月が、地球より大きいな~と思ったところまでで、リツコの記憶は途切れた…。
3-4. リツコ、寝坊する。
再び目が覚めると、どうやらもうすっかり朝も遅い、という時間帯の雰囲気だった。
大小色々いるらしい鳥の声が賑やかで、人の声や犬や馬?の吠える声とかの街のざわめきらしい音も遠くから聴こえる。
「…んんん…… よっく寝た…? …あれ…??? ここどこ…???」
あたりを見渡して知らない部屋だということを再確認して、それから、昨日なぜかやはり異世界とやらに本当に来てしまったんだった。…ということをぼんやり思い出し、
「…夢じゃなかった!」
…と、正気にかえって、慌てて起き出した。…鋭の姿はすでにない。
着ていたのは持参した寝間着で、鋭に寝床に入れてもらう直前に目が覚めて、何とかがんばって自分で着替えたのは覚えてる。…大急ぎで、昼用の動きやすい服に着替える。
…そうだ。脱いだ服の洗濯は、どうしたらいいのかな…?
必要最低限の荷物しかリュックに入れて来なかったから、こまめに洗濯しないと、着替えがなくなる。
昨日おしえてもらった場所でトイレと洗面と、ちょっと冷たかったけど水浴びして髪も洗って、井戸水はたっぷりあったし天気も良かったので、ついでだから置いてあった大きな盥でじゃぶじゃぶ手洗濯もして、…邪魔にならないかなー?と思いながら、土間のすみっこの植え込みの枝に紐をかけて勝手に干した。
昨日と同じように卓の上に用意されていた箱盆のなかの冷めても美味しい朝食らしいものを勝手にたいらげる。
「いただきます! ………ごちそうさまでした!」
3分でがつがつ平らげて目を上げると、旅館の中居さんのような動きやすそうな服を着た知らない女のひとが、物音を聴きつけてやってきたのか、にっこり笑って部屋の前に立っていた。
「あんによんまるにえんえなら?」
「…あっ! おはようございますっ!…ごあん!勝手にいただきましたッ!」
おもわずもごもごと噛んじゃいながら慌てて日本語で挨拶すると、にっこり笑って「えんえん。」と返事をしてくれた。
「まによ、にえんね?」
リツコが食べ終えた食器を手早くまとめて箱盆ごと持って、「ついて来て?」という風に首をかしげるので、リツコは急いでリュックをひっかけて、あわててついていった。
案内された先には鋭がいた。
広くて天井も高い大きな部屋で、鋭と同じような青と水色系のシンプルで動きやすそうな服と長めに伸ばした髪型の、同じような雰囲気の…つまり、頭が良さそうで性格が穏やかそうな…学者さん?みたいな…大人たち(ほとんどが「普通の」人間に見えるタイプと、毛皮や耳つきタイプも何人か)が沢山いて、大きな布か皮製の地図だの一覧表?だのを広げて、慌ただしくも賑やかに楽しげに、何かの打ち合わせをしている感じ。
真ん中の机の上には昨日リツコが渡した「お土産」のノギスと計算尺が置いてあって、みんなでその寸法を測ったり絵図に書き写したり、興味津々で観察したり?している。
「…リレキセース。まるにえん。えーらんてーい。」
案内してくれた女のひとが部屋の戸口から声をかけると、鋭が降り向いた。
「あるっくあーい。…あ、リツコ起きた? おはよう。」
「おはようございますっ。寝過ごしてごめんなさいっ!」
「い~よ~?」
それから鋭は周りの人に声をかけ、自分の見ていた書類などは簡単に片づけて、なんだか昨日着ていたのよりもずいぶん高級そうな?かしこまった感じの?上衣を手にとった。
「じゃ、行こうか。」
「どこへ?」
「皇女サマにご挨拶~。」
「えぇ!?」
「あれ、ゆうべ言わなかったっけ? ここの皇女サマって前は地球に亡命して朝日ヶ森に居たんだよ。
『霧の校庭・運動会行方不明伝説』って、今じゃ学園七不思議になってるって聞いたけど。」
「え~っ? …何十年か前の、障害物走の途中で生徒がイキナリ消えた謎? …あれ実話だったんだ…」
「そうそう。そん時に巻き込まれてダレムアスに来た僕が、ここに居るからねぇ。」
…つくづくあの学校はフシギと謎だらけだ…とリツコがあきれながら鋭と一緒に歩いて行くと玄関らしき場所に出て、その先の気持ちの良い小さな木立ちのなかの小径を歩いていくと、すぐに大きな道に出た。
「うわ…」
市場だった。いや…大きな町?商店街?と、見慣れないものだらけの景色に、きょろきょろしてしまう。
「…とりあえず質問と観光は後にしてー。皇女サマは怒らせると怖いからー」
どこから観察?したらいいのかと、呆然と立ち止まってしまったリツコの肩を押して鋭が苦笑する。
「それでなくてもキミきのう寝ちゃったからさ? 歓迎パーティーすっぽかしたんだよー」
「…きゃーーーーーっ! ごめんなさいっ!?」
リツコは恥ずかしくて悲鳴をあげた。
3-5. リツコ、将軍にあう。
街道を右に曲がってまっすぐ歩いて行くとやがて活気のある商店街から広い庭のお屋敷が立ち並ぶ高級そうな区画に変わって、つきあたった広場でまた右に曲がると、開放的な感じの大きな高い門があって、特に検問とか見張りとかは何もなくて、行き交う人たちと一緒にひょいと無雑作にくぐると、入ってすぐのところに大きな男の人たちが立っていて、そのうち一人が振り向きざまに嬉しそうな声をかけてきた。
「おう鋭! 来たか! そのコか?」
背が高くて日焼けしていて、ばさりと無雑作に伸びた感じの髪は真っ黒で、笑った歯は真っ白だ。
赤と黒の派手だけど動きやすそうな服に、大きな剣と短剣とか投げ矢とか、武器を身に着けてる。
「うん雄輝。この子だよ~、高原リツコ嬢。」
気軽そうに喋ってるけど、まだ若い鋭より五歳か十歳くらい年長の、偉そうな大人の男の人だ。
「こんにちわっ! タカハラですっ! よろしくお願いしますっ!」
あっという間に近づいて来た人をのけぞって見上げながら、リツコは精一杯、元気に挨拶してみた。
「リツコ、これが『校庭行方不明事件』で消えた三人のうちのもう一人。翼雄輝(つばさ・ゆうき)。」
「おう、よろしくな。ところでリツコって何県のタカハラ家?」
リツコは質問されてることの意味がよくわからなくてすぐには返事ができなかった。
それに、紹介された人の背中に大きな翼があった。
「………羽………!」
昨日みた「ほぼ鳥だけど喋る人」とは違って、ほぼ人間な姿で背中にだけ大きな翼があるタイプだ。
「ん? 珍しいか? 朝日ヶ森なら今でも居るんじゃないか?」
「居るけど… すごく怖くて、近くで見たことなかったから…」
「あ~、天狗系のやつらか? あいつらは気難しいからな~…」
…そういう問題だっけ…? リツコはちょっと内心で首をかしげた。
「おれは善野の鷹羽の谷の元主家の『ツバサ』一族の最後の一人のユウキ。…って言って解るか?」
「ごめんなさい。わかんないです。うちは分家の分家のそのまた末とかで、本家の一族ってずいぶん前に滅んじゃてて、誰も詳しい人が残ってないそうです。…お父さんなら、ちょっとは知ってるかもだけど…」
「あ~気にすんな、そんなもんそんなもん。」
からからと笑って男の人はリツコの肩をぽんと叩いた。
地球には、古くからの伝説を語り伝えて来たそれぞれの「一族」に属する「遠い場所から来た人々」の子孫と、それとは別の「新しい土地で生まれた人々」の子孫という、区別がこっそりあるという。
漠然とした話だけしか、リツコは知らない。
「マダロ・シャサ!」
広場の向うのほうから大声で呼ばれたのは、翼が生えてる元・地球人の、こっちの世界での名らしい。
「…じゃな。マーシャ怒ってるからな~。せいぜい庇ってやれよ?」
「うへぇ…」
リツコには謎の言葉を残されて、鋭が、ものっすごい嫌そうな声を出した…(リツコはびっくりした。)
3-6. リツコ、皇女サマに会う。
心なしか少し足早になって歩いて行く。リツコは追いかけるのがちょっと大変なくらいの歩調だ。
そこはかなり大きな広場で、馬?車や人が曳く荷車らしきものや、きのう乗せてもらったような鳥の人が運ぶカゴと似たものなどが大量に並べられ、ひっきりなしに人や獣や植物人?たちが荷物を運び込んできては、移し替えたり、積み上げたりしている。
何か同じような光景を観たことがあるなとリツコが思い出してみると、前にテレビで見たシルクロードとかのキャラバンの出発の準備に似ていた。
どうやら大勢で旅に出る?仕度をしているらしかった。
その慌ただしく雑然とした前庭を抜けるともう一つの門があって、両脇を植えこみで飾られた幅の広い道の、少し伸びすぎた芝生のような、昼寝したら気持ち良さそうな草がびっしりと生えた花壇?の脇を抜けた正面に、宮殿?らしいものがあった。
リツコの知っている範囲でいうと一番似ているのが奈良とか日光とかにある八幡様とかの寺社。鮮やかな朱と紅と金と緑の曲線的な木彫り細工で飾られた、広壮で華麗だけど一階建ての、木造建築だ。
鋭は案内も請わずにすたすたと宮殿の奥の奥に進んで、そのまま表玄関をくぐって廊下にまで入っていくので、リツコも遅れないようにがんばって後を追う。
驚いたことに、通りすがりの高級役人らしい服装の人たちが、鋭を見つけるとみなすぐに頭を下げる。
「マウレィディア!」
「マウレィディア、リレク、エイセス!」
「マウレィディア。」
「アノネ、カイエ。」
鋭は軽くうなずくだけで短く返して、どんどん歩いて行く。
「…アウレクセス、マルニエン、エネ?」
広間の入り口の前の椅子の列に、何かの順番待ちらしく並んで腰かけている人たちの先頭に、頭を下げて手刀で拝むようなしぐさをしながら声をかけると、
「マウレニエン、エネ、エネ!」
(どうぞお先に!)と言っているのだろう手のひらの仕草で、相手の人は喜んで順番を譲った。
広間で拝謁の最中だった人が、その声にふりむいて、慌てて自分のいる場所を譲ろうとする。
「アウネ、ソノ!」
若い女性の声が鋭く響いて、その人はちょっと困った顔をして、また前に向かいなおした。
(…構わない、続けて!…って、言った?)
リツコは推測する。
どうやらそこが謁見の間…正面に座っているのが、これから挨拶する「皇女サマ」らしかった。
色が白くて唇が真紅で、ものすごい美女だけどかなり性格がキツそうな顔立ち。碧緑色の華麗な巻き毛を肩のまわりにふわっと広げて、瞳も同じ碧緑色だ。朱色と金色の豪奢だけどすっきりと繊細な装束。
まだ若いめだけど、おとなの女の人だ。さっきの男の人…翼雄輝…と同じくらいの年齢に見える。
つまり、鋭よりは五歳か十歳くらい、年上?
(…まぁ地球人の時間の感覚で、だけど…)と、リツコは七十歳は過ぎているはずの大叔母様と鋭が、六十年ほど前の地球の小学校で同級生だった、という話を思い出しながら、頭のなかで付け加えた。
その、きつそうな性格の美女が、ちょっとかなり苛苛した感じで眉をしかめながら、目の前に座っている人の報告を最後まで聴き、いくつか指示を出してその返事を得てから、仕種と声とで高飛車に退出を命じる。
「…遅いわよ、あなた!」
次にいきなり日本語でビシッと怒鳴られて、リツコは思わず首をすくめた。
「…は、はいッ! …ごめんなさいッ!」
「昨夜は歓迎の宴を用意したのにすっぽかすし! 今日は私もう出なくちゃいけないのにいつまでも待たせるし! …それになに? チビな上にタダビト組なの? …なんで清瀬律子が自分で来なかったのかしら!」
…これはもう挨拶とか自己紹介とか、マトモにさせてもらえる状況ではない…。
リツコは震えあがり、涙目になりかけながら必死で言い訳をした。
「あのぅ…ゆうべと今朝はすいませんでした。…あたし時差ボケで、寝ちゃって… それに大叔母様たちは今すごく忙しいんです。最近かなり大掛かりなテキハツがあって、大勢タイホされちゃったんで…」
「…あら、そう…。」
美人皇女は、素早く眉をしかめた。
「鋭、その報告は後で聞くわ。今はとにかく忙しいのよ。その御チビさんで大体揃ったし。明日もう出発するわよ! 正午発! あなたも準備急いで!」
「らじゃ。」
鋭はちょっとふざけた感じで地球式の挙手の礼をすると、あわあわしているリツコの肩をさっきと反対側に押して、とっとと逃げ出そうとした…。
第4章 リツコ、仲良しができる。
第4章 リツコ、仲良しができる。
4-1. リツコ、マシカとあう。
さっき順番を譲ってくれた先頭の人にだけ軽く頭を下げて、とっとと退出しようとした時、鋭は、急に気がついた風に「おっと!」と言いながら立ち止り、慌ててふり向いた。
「…マーシャ。今の。…決定事項でいいんだよね?」
「え? あぁ。…日本語で言っちゃったわね。」
「伝令まわすよ?」
「えぇ。お願い。」
鋭は広間とその前の大廊下に居並んでいる人たち皆に聴こえるよう、すぅっと息を整えて大声で呼ばわった。
ぴんと張った声だ。
「…アウレイメイ! ミウンテア! ソンナイ!」
列をなしていた人たちの間にざわ!と波がはしる。
鋭は繰り返して言った。
「アウレイメイ! ミウンテア! ソンナイ! …ディウンディアーイ!」
「アワッ! ディエンディアーイ!」
短く返事をして走り出していく、制服を着て剣や槍を帯びている人たち。
並んでいた列から慌てて離れて、がやがやと話しながら宮殿の外へ急ぎ足で去って行く人たちも大勢。
「…いま、何て言ったの?」
おそるおそる鋭に聞いてみると、
「マーシャが言ってたことだよ。出発は明日! 正午!…伝令ッ!」
それから今度はリツコの歩調を気遣う余裕は見せながらも、鋭も足早に歩き始めた。
「行こうか。…怖かったでしょう?」
苦笑している。
「ううん。あたしこそごめんなさい。きのう寝ちゃったりしなければよかった。」
「いや~、彼女は最近ずっとあの調子だから。きみが悪いわけじゃないんだよ。」
「そうなの?」
「きみとは全然関係ない理由で、ずっとものすご~く機嫌が悪いんだ。八つ当たりされてるだけなのに、かばってあげられなくて、ごめんね?」ほんとにお手上げで~。と言う風なジェスチャーをまじえて謝る。
「ううん。それならいいけど…」
宮殿の外に出ると先ほどの広場の荷駄や人のざわめきが、さらに騒然となって加速していた。
「ミウンテア! ソンナイ! ディウンディ!」
「ミウンテア!」
「ミウンテア~!」
大声で伝達しながら駆けて行く多人数の声がどんどん遠ざかり、周囲に復唱され、また広がっていく。
「…ねぇ、もしかして、鋭ってかなり偉い人なの?」
いっせいに動きだした人々や動物たちの騒ぎをきょろきょろ眺めながら気になっていたことを聞いてみる。
「…なんでそう思った?」
「だって若いのに宮殿のみんなが膝を曲げてあいさつしてたし。順番もすぐに譲ってもらえたし。とってもエラそ~な、あのお姫さまのことも名前で呼んで、ため口きいてたし。」
「うーん、そっか。いい観察力だね。」
鋭はまた苦笑した。
「まぁ偉いっていうか…皇女サマの地球時代からの友人?…というか。今は側近とか幕僚って扱いかな?…最近じゃ、なんかヨーリア学派の…あ、さっきのあの家の連中だけど、代表ぽくなってるし…」
「…やっぱり、かなり偉いの?」
「…うーんまぁ、さっき会った雄輝ほどの有名人ではないよ。まぁぼくは、たんなる雑用係だねぇ…」
「そうなんだ?」
「そう。それで、明日出発ってことはぼくも準備の指揮をしなくちゃで忙しくなっちゃったんで、その前に、旅のあいだキミの世話をしてくれる人のとこに連れてくからね。」
「そうなの?」
リツコは旅と聞いてもずっと鋭と一緒だろうと安心していたので、びっくりして目を丸くした。
「うんそう。だって昨日はもうしょうがなかったからぼくのとこに泊めたけど、旅のあいだずっと男のぼくの部屋に女のコのきみが同室ってわけにはいかないでしょ? ほんとは昨日からそっちに泊めてもらうはずだったんだけど… あ、いたいた!」
広場のすみのほうに妙にたくさんの生き物で混みあっている一画があって、鋭がかまわずその雑多な群れの中に突っ込んでいくと、小鳥たちや猛禽たちや小さい動物や大型の四足獣や、それに人間の子どもや大人が、一斉にわっと散って通り道をあけてくれた。
「…マシカ!」
「リレク!」
呼ばれて振り向いて鋭の名前?を嬉しそうに呼びかえしたのは、鋭と同じくらいの年齢に見える…大人に近いけど、まだ少女の終わり頃な感じというか…かなり若い、女の人だった。
秋の紅葉を黄葉をまぜたような華やかな色彩の巻き毛を首の後ろで革の紐でぎゅっと結んで、緑と茶色の動きやすそうな服に、歩きやすそうな柔らかい皮の長靴。
瞳の色は皇女サマとよく似た碧だ。色が白くて額の広い、すっきりした美人なところも、ちょっと似ているけど、でもずっとずっと、優しくてフレンドリーな笑顔だ。
手には草の束?のような道具を持って、大きな黒馬の世話をしているらしかった。
「動物たちの調子はどう?」
鋭はそのまま日本語で話しかけ続けた。
「モンダイないわ。あしたシュッパツですって?」
驚いたことにその人は、ちょっと発音が怪しかったけれども、なめらかな日本語で答えた。
「そう。で、この子が例の子。頼める?」
「わかったわ。よろしくね、リツコ? あたしは、マシカよ。」
「こんにちわ! びっくりした。日本語が話せるんですね!」
「リレクやマーシャたちからナラッタのよ。」
「そうなんだー!」
リツコはほっとして笑った。さっきの怖い皇女サマと違ってだんぜん優しそうだし、こっちの人らしいのに、言葉が通じるなんて!
「マシカこれから時間ある? リツコを市場に連れて行って、着替えとか旅に必要なものを一式買ってあげてほしいんだ。これ予算。足りるかな? 諸侯会議にも出るからさ、ちょっと豪華っぽい正式な服も必要なんだけど。」
「えぇ。足りると思うわ。知り合いの店が安くしてくれるのよ」
マシカは渡された袋の中身をかるく確認して、白い歯でにこっと笑った。
「あと例のあの…、言葉の術も、頼める?」
「…あら? 先にマーシャに会いに行ったんじゃなかった?」
「ものっっすごい機嫌が悪くてさー。頼むどころじゃなかった。」
「あらあら…」
マシカも、よ~くワカッタ、という感じの、身内に特有の仕種で肩をすくめた。
「わかったわ。あたしの神力じゃ弱いけど。全然ないよりマシでしょ。」
「じゃ、ごめん、リツコ。また明日ね。もしぼくに用がある時はマシカにそう言ってくれれば、すぐに連絡がつくから。」
「うんわかった! ありがとう!」
リツコが慌てて手を振るうちにも、鋭はどんどん歩いて行ってしまった。
それを後ろから追いかけてきていた人たちがわっと取り囲んで、次々に話しかけたり、書類らしいものを渡したり、左印をもらったりしている。
…やっぱり、本当は偉い人で、ほんとうに忙しかったらしい…。
リツコは、寝こけてしまったせいで結局二日間もあたしみたいな子どもの世話なんかさせて、悪いことしたなー?と、ちょっと反省した。
4-2. リツコ、市場へ行く。
「ちょっと待っててくれる?」
鋭を見送ったあとリツコにそう言って、大きな立派な黒い馬の世話を最後まで仕上げたマシカは、まわりの人間たちや動物たちに挨拶らしい言葉をかけてから、広場のすみの水場に行って手と顔を洗い、手布で簡単に拭いてから、髪をほどいた。
ふわりと広がった朽葉色の巻き毛は、とても華やかでよく目立つ。
「きれ~い!」
リツコが思わず誉めると、マシカはにこっと笑った。
「そう? ありがとう。リツコの髪もすてきよ?」
「えぇ? あたしのなんか焦げ茶色でクセ毛でへろへろで~。全然ダメ」
「そうなの? ダレムアスでは《大地の色》って言って、一番いい色だけど?」
「そうなの?」
「えぇそうよ。ほら可愛い。あたしたち姉妹みたいね?」
マシカはそう言ってリツコの固く縛っていた癖毛もほどいて、ふわっとおそろいな感じに広げてしまった。
リツコは初対面なのにいきなり「姉妹みたい」とか親しくしてもらえたのが嬉しくて、
「えへ~」と照れた。
マシカはそんなリツコを見てにこっと笑って、それからちょっと下がった。
何をするのかな?とリツコがキョトンとして見ていると、リツコのことを上から下までじっくり観察している感じで、それからもう一度にこりと笑い、また近づいてきたと思ったらリツコの両頬に両手を添えて、そぅっと額を合わせて、気息を整えて、…歌うように、小さく叫んだ。
「ま~りえった! れっと、せっと、えッ!」…(ことばよ、通じよ!)
「え?」
「まうれいにあ、あむにや、あむねえむね?」…(わたしの言うこと解る?)
「えっ? …解る! …あれ…???!」
リツコは目を丸くした。
何がどうなったの…??
「マーシャは神力ってヤクしてるけど、鋭はマホウって呼ぶわね。あたしは血の力は弱いから、マーシャみたいに自分の言ってることを相手に解らせる術まではむりなの。効き目も弱いし、時間も短いと思うんだけど… とりあえず、それでやってみましょう?」
リツコは意味がまったく解らなかったが、とりあえず「うん。」とうなずいた。
マシカは追いかけて来ようとした小鳥たちや小動物たちにはちょっとあっちへ行っててと言いつけてまとめて追い払い、とても楽しそうな顔でリツコと手をつないで、ずんずん市場の奥に分け入っていく。
リツコはとにかくもうきょろきょろしてしまって大変だ。質問したいことを全部聞いていたら一歩も前に進めなくなるくらい、見るものがすべて珍しい。
長年使いこまれて黒光りしている木彫りの柱の大きな立派な天幕の店や、柱に布の屋根を張っただけの簡単な屋台。二階建ての大きな木造の飲食店に、屋根と柱だけで壁がないつくりの大皿に大盛のお惣菜を盛り上げて売ってる食堂。
色とりどりの布地屋、服屋、装飾品の店、革細工の店。野菜の店、果物の店、ちょっとだけぎょっとする眺めの、生肉の量り売り?の店…
占い屋さんかしらと思うかんじの地べたに座った偉そうなお婆さんや、兎の人や羊の人たちを相手におしゃれな毛刈りや毛染めを施している店。
…ひたすらまわりじゅうを見回しながら歩いていたリツコは、少し遅れて、自分のほうも周囲の人たちから、びっくりした目で眺められていることに気づいた。
「…ティケット?」…(地球人?)
「テーイケットィ? アナン?」…(地球人か?)
「あ~やけったていか!」…(おっとびっくり! 見てごらん!)
市場を行き交う通りすがりの人々が、リツコのTシャツと短パン姿を見て目を丸くして声をあげる。
(………え? なんであたし、言ってる意味が解るの? ティケット…ってチケット? 英語? 切符?
…じゃないよね…???? こっちの言葉だと《地球人》って意味になるの…????)
まったく解らないはずの言葉が、ちょっとだけ遅れてだけど、だいたいの意味がするっと判る。
まるで頭の中で映画の字幕でも読んでるみたいな感じだ。
(??????? …これが、さっきマシカがかけてくれた、《言葉のマホウ》とかいうやつ効果…??)
目を丸くして混乱しているリツコをしりめに、はぐれないように手だけはぎゅっとつないで、すたすたと前を歩いていたマシカが、ひょいと曲がって一軒の店に入ろうとした。
ので、続けて敷居をまたごうとしたリツコを睨んで、正面から鋭い声をあげた男がいた。
「エベルディン、スレイガ!」…(出て行け、敵め!)
「…あんま、のうでぃあ、あーろんでーぃ。」…(なにか御用で?お客さん)
その隣にいた店員らしいもふもふの人も、誰だこの怪しい奴め、という顔で、リツコを見ている。
リツコは知らない人から突然( 敵め! )と言われたらしい事に心底びびって固まっていた。
「まるまっかあれ。」…(あたしの連れよ。)
どうやら鋭と同じくらい周りの人たちに顔が知られているらしいマシカがぴしりと言うと、周囲のざわめきが収まった。
「ジョルディイリヤン、ダレッカ。リレキセース、オルディイイン。」…(諸侯会議に出るお客様。リレク様からお預かりしたの。)
出て行けと言った男の人が、困った顔で不機嫌そうに口をつぐんだ。
「あんに~や、マシカ!」…(いらっしゃい、《星の娘》!)
奥から転がるように店主らしい人が出てきてにこにこと挨拶してくれて、あとはもう買い物が大変だった。
あれやこれやと出してきてくれる衣類や旅行用品?の山を見て、
「ちょっと待ってマシカ! こんなにたくさん買っても背負いきれないよ?」
リツコが悲鳴をあげると、
「馬車で運ぶから大丈夫よ」とマシカは余裕で笑った。
マシカがかけてくれた言葉の魔法?とやらのおかげで、相手が言っていることは何語であろうとなんとなくリツコには意味が解るけど、リツコが喋ってる日本語は、相手には全く通じてないらしい。
半分はマシカに通訳してもらいながら、マシカにもうまく翻訳できない時はとにかく身振り手振りで、好きな形や嫌いな色や、肌触りがどうとかを色々説明しまくって、それから厳選したものだけを試着してみてさらにあーだこーだと、似合うとか似合わないとかみんなで品定めをして、最後にマシカが押しの一手で、まとまた商品の強気の値切り交渉?までしてくれて…
一通りの品物を決めて支払いも済ませて、配達まで頼んで店を出た時には、リツコはもうかなり頭が疲れてしまって、喉も枯れて、おなかもぺこぺこだった…。
「あらあら… だいじょうぶ?」
マシカが気を利かせて、道すがらの屋台で甘いものを食べさせてくれる。色とりどりの豆を甘く煮たものの中に何かぷにっとした食感のものが入った、あんみつとぜんざいが混ざったような味の可愛らしいスイーツだ。
「…おいしーーーい!」
叫んだリツコに、マシカは笑った。
「元気でた? じゃ、ちょっと遠いけど私のテントまで歩きましょう。」
「あ、ちょっと待って! あたし今朝、洗濯物を干してきちゃったの!」
「センタクモノ?」
なぜかこれがマシカに通じなかった。リツコはがんばって身ぶり手ぶりで説明してみた。
「服を洗って~、干して~、こう…。昨日泊めてもらった部屋の中に、干して、置いてきちゃったの!」
「…あぁ。洗った。干した。で、…乾いた?」
「そう。洗濯物。」
「センタクモノ。」
マシカはうんとうなずいた。
「リツコ、わたしのニホンゴまだまだみたいだわ。旅のあいだ、たくさん教えてね?」
「うん! こっちの言葉も教えてね?」
リツコとマシカはすっかり意気投合して、大の仲良しになった。
4-3. リツコ、天幕に泊まる。
じゃあセンタクモノを取りに一旦戻ろうという話まで進んで、リツコは困った。
「どうしよう! あたし帰りも鋭と一緒だと思ってたから、道を覚えてない!」
「ヨーリア学派の宿坊でしょ? わかるから大丈夫よ」
「ほんと? よかった~!」
しばらく歩いて、なるほど見覚えのある植え込みの門のちかくまで案内してくれると、マシカはその手前の薬草の店で買い物をしてくるから、その間にセンタクモノをとってきて、と言う。
うん解った!と、ひとりで門を入って、見覚えのある玄関まで行って、勝手に上がるのもまずいかと思って、とりあえず声をかけてみた。
「すいませ~ん! …誰かいませんかー?」
「…もうどれいやなっ、えんにやえん。」…(*********)
(??? …あれ…! ???)と、リツコは困った。
さっきまでは、相手の話す声と一緒になんとなく判っていた「ことばの意味」が…
また、解らなくなってる!
魔法?をかけてくれた時にマシカが言ってた「時間も短いと思うんだけど」の意味のほうが判ったー!
…と思って焦りながらも、幸いにして最初に出てきたのが今朝リツコを案内してくれたあの女の人だったので、もう一度「センタクモノ!」という身振り手振りをして、「取りに行きたいので部屋に入ってもいいですかー?」という説明の許可を得るのは、そんなに難しいことでもなかった。
どうやら鋭の私室だったらしい今朝の部屋にもういちど入らせてもらって、洗濯物がきれいに乾いていたのをこれ幸いと、急いで畳んでリュックに詰め直す。
「どうもすいません! ありがとうございました!」
ぺこりと頭を下げてお礼を言って退出すると、
「まぅれいでぁ~。」
女の人はにこにこして、手を振って見送ってくれた。
それからまた教えられた店の前に戻って、誰かと談笑していたマシカと合流して歩きだしながら、もう言葉がわからなくなったということを伝える。
「…う~ん、半日モタナイのね…」
マシカはちょっと悔しそうな顔をした。
すぐにまた術をかけなおしてくれるかなと思ったけど、そういうわけでもないらしい。
「もしかして、実はすっごく難しいとか、マシカがものすごく疲れるとか…する?」
「そんなことはないけど。だってもともとあの三人といっしょに旅してた時に、あたしだけ言葉が通じなくて不便だったから覚えようと思って、意味が解るようになれって、自分で自分に毎日かけてた術なのよ。…でもあれ、かかっている間、アタマがとても疲れるでしょう?」
「…そう言われてみれば、そうかも…。」
頭というより、むしろものすごくおなかがすいたけど。と思いながらリツコはうなずいた。
「今日はもう眠るだけだから、また明日にしましょう?」
それから日本語で色んな話をしながら平坦な道を《仮皇都》とやらの街の外れに向かって歩いて、沈み始めた夕陽と夕焼けと一番星を眺めながら三十分くらいで、マシカと仲間たちが寝泊まりしている旅天幕の群れの臨時の村?に着いた。
マシカの仕事は《薬師》と言って、医者と獣医と薬剤師と看護師と産婆さんと保健婦さんと学校の先生と地域の戸籍係?…まで兼任しているような、けっこう大変な職業の集団らしい。
着いたのが日暮れの後だったし、みんな明日の出発に向けて忙しそうに飛び回っていたので、ちょうど通りすがった人たちにだけ簡単に挨拶して、大天幕で温かい夕飯だけ食べさせてもらって、リツコたちはすぐにマシカの小さい天幕にひっこんだ。
何枚かの革と布を張り合わせて笹と木の枠で支えた一人用の天幕は、二人で入るとちょっと手狭になったけど、居心地よく乾いて清潔で暖かくて、きちんと整理整頓の行き届いた、いかにもマシカの部屋!という感じがする、すてきな隠れ家だった。
「マシカは用意はしなくていいの?」
「たぶん明日出発になるだろうというのは昨日のうちに解っていたので、もう準備は済んでるの」
「そうなんだ」
「でも明日は早起きしなくちゃだから、今日はもう寝ましょう?」
「うん!」
寝間着に着替えて、くせ毛の髪の梳かしっことかして、くすくす笑いながら内緒の話なんかして。
それからマシカとリツコは本当の姉妹よりも仲良しになって、一つの寝床で寄り添って一緒に眠った。
ただし問題は、リツコのために追い出されてしまったマシカの沢山の同居動物…マシカが言うには「押しかけイソウロウの」…動物さんたちだった。
ぶぅぶぅきゃぁきゃぁぴぃぴぃと、それぞれの鳴き声で文句を言いながら脇の長椅子に移動させられた栗鼠や仔猫や小型犬や小鳥やフクロウや翼の生えた小さいヘビかトカゲみたいな謎の生物や…その他いろいろ…が、けっきょく朝になってリツコが目を覚ましてみると、二人の少女のあいだとまわりじゅうに動物たちがみんなぎっしり詰まって乗っかって、一緒に眠っていたのだった…。
4-4. リツコ、早起きする。
翌朝、天幕のすぐ上で鳴き交わす鳥たちの声がすごくて、リツコはびっくりして目が覚めた。
すでに開け放ってあった天幕の戸布の向うに見える空はまだ夜明け前で、外に出てみると東?の山並みの上の薄い金色の線から、反対側のまだ暗い空の色と最後の星の瞬きまで、雲ひとつない見事なグラデーションだ。
…う~ん、地球と同じに見えるんだけど…と、伸びとあくびと深呼吸をしながらリツコは思った。
一番の違いは空気だ。
すごく何というか…すがすがしくて…さらりとして…深いけど透明な感じで…とにかく美味しい。
そういえば昨日それを言ったら鋭が「この世界には公害も原発もないんだよ!」と笑ってた。
「…あら、起きた?」
広い空の下で美しい髪に櫛をかけてふんわりとまとめていたマシカがふりむいてにこりと笑った。
「今日もお寝坊さんなのかと思ってたわ」
「うーん。だって昨日は早く寝たし。マシカがいてくれたから嫌な夢も視なかったし。」
「うん。よく寝てたわね。ミーボナンにほっぺた踏まれてるのに全然起きなかったもの」
リツコは苦笑して、自分も起きる仕度を始めた。
寝ている間にベッドの上は動物だらけで、まだ寝こけているやつもたくさんいて、先に目を覚ました連中は今もマシカの髪にまとわりついたりして、仕度の邪魔をしている。
まわりの天幕の薬師たちもみな起きだしているようで、あちこちで出発の準備を始める賑やかな物音や声がしていた。
寝間着のまま教えられた川辺に降りて手と顔を洗い、その水場より下流に用意された木造のトイレ!(川の流れの上に付き出していて、床に穴が開けてあって、全自動?水洗式?だ…)で用をたす。
言葉が判らないまま、すれ違う薬師の人たちにはとりあえず大声で「おはようございます!」と挨拶しておく。
戻ってきて、はたと悩んだ。
「ねえ?マシカ。今日って何を着たらいい?」
「あ、そうねぇ…、どれにしましょうか…?」
昨日買ってきた装束類の小山と、自分が持ってきた少しの着替えを並べて、天気と気温を考えて、マシカの意見も聞いて、結局「地球式」の略礼装?が良いだろうということになった。
白いTシャツに動きやすい七分丈の水色のガウチョパンツを合わせて、その上から、おしゃれな私立校の制服みたいな感じのギンガムチェックの夏ワンピを羽織って。前ボタンは適当にはずして開けて、ちょっと「こなれた感じ」におとなっぽく、着崩してみる。
靴はやっぱり履きなれたスニーカーのままにした。だって相当、歩く?らしいから…
「…きゃー、リツコ可愛い~ ♪ 」
そう褒めてくれながら、マシカのほうは以前から決めてあったらしい衣装にさっさと袖を通している。
やっぱり昨日の仕事着?と同じような、日本で言うと作務衣?みたいな動きやすそうなデザインだけど、超新品で、手織りらしい深い緑色のつやつやした布地の模様がすごく手が込んでいて高級な感じで、民族調っぽい刺繍とか金色の球飾りとか色々付いていて、軽くて薄い布の同色のスカーフのようなマントもふわりと羽織ったら、とても上品で、清楚で華やかだ。
「きゃー! マシカすてき! とっても綺麗!」
リツコが手放しで誉めると、うふんと得意そうに笑った。
「そうでしょう? この布を織るのは苦労したのよ! …リツコ、髪型はお揃いにしましょうよ!」
可愛い髪飾りも貸してくれて、リツコが持って行った手鏡で映して満足して見ていたら、「こんな薄い小さな鏡! こっちには無いわ!」とマシカがすごくびっくりして、もうそれだけですごく盛り上がりながらの身支度がやっと終わると、マシカは昨日の昼にやってくれたように、ちょっと気分を改めるしぐさをして息を整えてから、リツコの頬に手を添えてぴったりと額を当てて、唱えた。
「…ま~りえった! れっと、せっと、…えっか、…ろう! …ぐん!」
(あれ?昨日と少し違う…)とリツコが思う間もなく、…( ことばよ、通じよ! …せめて日暮れまで! もつように! )
…という意味が、頭のなかに字幕が映るような感じで、急に流れ込んできたのだった…。
第5章 リツコ、旅に出る。
第5章 リツコ、旅に出る。
5-1. リツコ、紹介される。
ちょうどその頃に朝日が眩しくさしこんできた。からりと晴れた秋の初めの上天気だ。
『朝ごはん出来てるよー、早く食べちまっとくれ!』と、食堂?の係の人から声がかかったので大急ぎで出かけて行った。
『おはよう!』とか『よく眠れた?』とかそれぞれの言葉で色々と声をかけてくれるマシカよりもはるかに年上のおとなの薬師の人たちに、リツコは日本語と手振り身振りで元気に挨拶を返しながら昨夜と同じ大天幕に行って、色々な野菜とか豆とかキノコ?やハンペン?のようなものがどっさり入った温かいスープと、穀物の粉をこねて焼いたクレープのような味のない薄焼きに塩味のあんこか栗きんとん?のような濃厚なジャムをはさんだ主食を好きなだけ、おなか一杯食べさせてもらった。
食器は各自で持参制で、ダレムアスに着いた時に鋭からもらった一式を忘れずに持っていった。
それからリツコがまた教えられた上流側の水場に行って二人分の食器を洗って戻って拭いて片づけているうちに、マシカは手早く整然と自分の天幕の中のものを幾つかの大きな木箱と布袋の中に詰めて行き、リツコもがんばって出来ることは手伝ってみて、最後に一緒に天幕を畳むと、うんうんと担いで何往復かして、少し離れたところに停めてあった木製の荷馬車に運び入れた。
それからマシカが小型の馬のようなロバのような、ずんぐりして大人しい四足の動物を連れてきて荷馬車に繋ぐと、出発の準備は完了だった。
『…ごめんなさい。先に行くわねー!』
マシカが声をかけるとまだ準備中らしい薬師の皆は口々に返事をして、手を振って見送ってくれた。
荷物満載の台車を牽いた小型馬の手綱を引いて、人間二人はその横をとことこ二本の足で歩く。
「これは《白の街道》というのよ。日本の言い方だと《国道》ってことになるんですって。」
マシカが教えてくれる。
夕べはもう薄暗くなった中を星を見上げながら歩いて来たので気がつかなかったが、歩きやすいように白い石畳できちんと舗装された、幅は4メートルほどのしっかりした道だ。
気持ちの良い朝の景色もしりめに慌ただしく人馬が行き交う街道沿いの、目にはいるものをあれこれ教えてもらいながら、昨日歩いてきた順に逆に戻ると街の中を通って、またあの《仮皇宮》前の大きな門に着いた。
「あ、いたいた、鋭!雄輝!」
「マシカ、おはよう!」
「お!似合うぜそれ。綺麗だな!」
「ミア・マシカ! マウレィディア! アノネエル、ソナ・カイネティケ?」…(《星の娘》殿、おはようございます。そちらのかたが地球からの御客人ですか?)
「エウネア、ソレラアウグ。モレラディン・エラ。」…(えぇそうですモレラ様。先日は失礼しました。)
門を入ってすぐの昨日と同じところに鋭と雄輝と、他にもたくさんの重臣ぽい人たちが集まっていた。
みんなきちんとしたおしゃれというか礼服とか正装らしい仕度で、ばりっと格好良く整えている。
「ミア・リツコ、マウレソイディア。オルレア・オルレ・ドラウグ。」…(リツコ殿、お初にお目にかかる。それがしドラウグと申す者。)
「あじょれ・りつこうにゃ。あにのれの、そな。」…(はじめまして、リツコ姫。わたくしはソナですわ。)
「あいどれーが!だれむあすーな!」…(《大地世界》へ、ようこそ!)
「アイドレーガ!アル!」…(歓迎しますぞ!)
初めて会う偉そうな大人の人たちもみんなマシカにだけでなくリツコにまで腰を下げてきちんとした挨拶をしてくれるので、リツコも一生懸命「おはようございます!一昨日はごめんなさい!地球から来た高原リツコです!よろしくお願いします!」と日本語で言って頭を下げた。
「リツコ、おはよう。それ可愛いね」
「おー、地球式の服にしたんだ?」
鋭と雄輝がお世辞でもなく本気で誉めてくれたので、リツコは照れて、えへへと笑った。
マシカがちょっとだけ心配そうに二人に聞く。
「どうかしら?一応こっちの服もちゃんと用意したんだけど。『地球からの御客人が諸侯会議に参加する』ってことは、みんなに宣伝したほうが良いのよね?」
「うんそうなんだ。この服だと一目で地球人て判るね。さすが! ぼくじゃ思いつかなかったよ。やっぱり女の人に任せてよかった。」
「あら… 褒めても何も出ないわよ?」
鋭に褒められてマシカがすこし照れて頬を赤くしたので、リツコはちょっとあれっと思って眺めた。
それから少し打ち合わせがあって、せっかくだからと、リツコはなるべく目立つように、後方の荷馬車隊ではなくて先頭に近い鋭の馬の鞍の前に乗せてもらうことになった。
牽いて来た荷馬車は雄輝たちの部下の人が列の後方の商人隊に預けに行ってくれた。
「じゃ、私はマブイラに騎せてもらうことにするわ」
そう言ってマシカがどこかから連れてきたのは…なんと!
見事に枝分かれした角を堂々と掲げた、ものすごく立派な…銀灰色の雄鹿だった。
「………マシカが…鹿に乗る………」ついつい小声で言ってしまうと、
「…ね、やっぱりちょっとそこで笑っちゃうよね?」と、鋭がこそっと相槌を打ってくれた。
5-2. リツコ、式典に参加する。
それからどんどん広場に人が増えてきて、中央に列をなした着飾った旅装束の人たちと、周囲に並んだ見送りらしい服装の人たちとで、ぎっしりと隙間もないくらいになっていった。
(昨日の山のような荷馬車隊や荷駄や荷車は、後方と脇に順序良くきちんと寄せられていた。)
『…刻限!』
『まもなく!』
『刻限!』
もうこれ以上は広場に人が入れない…という頃、ドンドンと威勢よく大鐘と太鼓が打ち鳴らされた。
居並んだ人たちが、ざっと威儀を正す。
『みな、御苦労!』
例のおっかない皇女サマが碧緑の髪を豊かになびかせ、みごとに華麗な金と朱色の正装で着飾って、昨日マシカが世話をしていたあの特別に大きくて立派な黒馬にまたがり、堂々と広場の中央を分けて進み出てきた。
『少し長い旅になりますが、みな無事であちらへ着くように! 留守の者たち、不安もあろうが、必ず和平を為して来る。安んじて待つように!』
『…道中、御無事で!』
留守役の代表らしい身分の高そうな衣装の年輩の女性が門の脇から進み出て来て、深々とお辞儀した。
みな、唱和する。
『道中、御無事で!』
『…出発!』
雄輝が、みごとな金鹿毛の馬にひらりと飛び乗り、皇女のすぐ後ろ右脇にぴたりと並べて号令を発した。
『出発!』
『…出発!』
伝令が次々と声を並べて叫び伝えていく。
「…行くよ? 笑って!」
鋭は白銀色の優雅な一角馬に身軽に騎乗すると鞍の前にリツコを引き上げて乗せてくれ、皇女殿下のすぐ後ろ、雄輝と並ぶ左側の位置に、するりと当たり前のように並んだ。
(…………………えーーーーーーーーッ!!!!)
つまり、リツコの位置するところは、一国の代表として和平会議の旅に出る皇女サマの、すぐうしろ。という順番だった。
そのまた後ろに、偉そうな重臣のお爺さんとか、ものすごく賢そうな顔立ちの年輩の女官たちとか、着飾った姫君たちの集団とか、武装した兵士の隊列とか…何百人もいそうな大行列が、堂々と並んで続く。
( ……… 嘘っ! 聞いてなーーーーーーーい………ッ!)
心の中で絶叫してみても後の祭り。リツコはとにかく、(場違いすぎる!)と内心で絶叫しながらも、鋭たちに恥をかかせてはいけない!と思って…
必死で愛想笑いを、してみた…
伝令や先導役らしい護衛の兵たちがまず門を出て、押し寄せてきていた見送りと見物の人たちをもう一歩下がらせる。
続いて堂々とした歩みで皇女サマと雄輝と鋭とマシカの四人が門前に出る。
ものすごい、歓喜の歓声が爆発した。
さらにゆるゆると前に進むと、ますます興奮が高まった。
そして。
その歓声とはまた別のどよめきが、背後からわっと起こったので、リツコは思わず振り向いた。
…龍だ…!
きのう見たふかふかの芝生状の長い草花壇に金銀の巨大な龍が二匹、長々と横たえられて置いてあるのは人波の向うに垣間見えてはいたが。てっきりお祭りの縁起もの飾りだと思っていた…ら。
二頭が揃って音もなくふわりと宙に舞い上がり。
テレビで見た長崎のお祭りの龍のようにくるりくるりと旋回しながら悠々と天高く昇っていく…!
『…我は西皇家よりの使者マフイラ。』
『おなじくミフイラ。』
『…出立を、見届けたり!』
そう大音声で空から呼ばわって、ふわーーーっと、さらに高く昇った。
『西皇家皆々様によしなに!』
皇女が返礼して見送る。
青い天空に舞う金銀の華麗な龍の美しさに、居並ぶ人々は、歓呼と絶叫と噂話で、もうぶんぶんと唸るハチの巣をぶちまけたような有り様だった。
5-3. リツコ、誇大広告される。
後から思いかえしてもつくづく、前から二番目なんて身の程知らずの大それたポジションに強制参加じゃなくて、ただの沿道の観客でいたかった…というのが、リツコの素直な感想だった。
豊かな碧緑の巻き毛を風になびかせて紅朱に金糸の刺繍織のあでやかな衣装をまとい、その腰には同じ意匠で飾った華麗な大剣を佩き、美しい無紋の黒毛の大戦馬にまたがった、華麗なる美人皇女殿下をその先頭に。
右後ろに並ぶ金色馬にまたがるのは真紅と漆黒の戦士装束の背中に鷹の両翼を堂々と掲げている雄輝。
左後ろに並ぶのが白銀の一角馬にまたがり青と水色の礼装をきちりと整えた、絶世の美貌の青年の鋭。
二人のすぐ後ろにぴたりとつけて、堂々たる枝角をそびえ立たせた大鹿に騎る薬師装束の美女マシカ。
(…鋭の鞍にちょこんと載ってるあたしみたいな小荷物なんかこの際この絵づらの中では絶対に邪魔だ。…とリツコは真剣に思った…。)
『…見ろよ! あのかたがたが戦を終わらせてくれた四軍神だ!』
『なんてお美しいのかしら皇女様!』
『きゃーーーーーーっ! リレク(鋭)様すてきっ! お凛々しいッ!』
『ちょっと何よ、あのチビ?』
『泥球界(地球)からのお客人らしいよ。何でもさる有力な部族の長の縁者とか』
『泥球界の? 王族なの?』
『お使者様なんだから、そうじゃないかぃ?』
(えぇぇぇぇっ!)と、聴こえてしまったリツコは内心で絶叫した。
いくらちょっとだけオシャレめなワンピを着てみたからって、実は通販のしかもタイムセールのバーゲンで買った安物だ。『さる有力な部族の王族』…ってなに~ッ?!
たしかに大叔母様は朝日ヶ森の学長だけど、それって別に王家でもなんでもナイわよ!??
…むしろ今この国の言葉が喋れなくて良かった。と、つくづく思った。
話が出来たら絶対に、必死になって噂を否定しにまわってしまっただろうから…
「…鋭ッ? なんかあの人たち、すっごい大誤解してないッ?」
思わず小声で叫んでしまったリツコの赤くなったり青くなったりの百面相を、ひとのわるい笑顔でにやりと無視して、行列が街から出るまでの間中、鋭はとにかく、「笑って! ほら笑って! ほら手を振って!」としか、言ってくれなかった…。
その鋭自身も率先して、まわりじゅうに手をふり愛想をふりまき、観るひとすべてをその超絶美形な笑顔でうっとりとさせていた…。
そんなこんなで街から出るだけでもしばらくかなりの時間がかかり。
その間、二頭の龍たちは、上空でゆったりと浮いて旋回しながら「出立の騒ぎを見届けて」いるようで、街から行列が出るころに、ゆっくりと挨拶のように尾を振って、西の空へとすうっと飛び去って行った。
「…ねぇ鋭…。もう笑うのやめていい…?」
ようやく道沿いの見送りの人が少なくなってきて、やっとそう聞けたころには、むりやり笑い続けていたリツコの顔は、ばりばりに強張っていた…。
「うんもういいよ。お疲れ様? ちょっと水でも飲むかな?」
鋭は自分も「あ~疲れた!」とかぼやきながら、普段の雰囲気に戻って、馬上で揺られながらだけど竹筒の水をリツコに先に飲ませてくれて、自分も仰向けになって飲み尽くしてしまった。
それからまたゆっくりと移動して《白の街道》沿いを朝に歩いて来た西の方に戻ると、途中の河原で移動村の天幕はすっかり畳み終えて待っていた薬師のおばさんたちが一行のために休憩用のお茶やお菓子を整えて待っていてくれた。
やっとリツコはひと息ついて、その後はマシカの大鹿に一緒に乗せてもらって進んだ。
薬師の一行のうち、半分くらいが荷馬車隊を率いて皇女の行列の最後尾に入る。
あとの半分くらいは、列には入らずそのまま流れ解散するらしくて、手を振って見送ってくれた。
5-4. リツコ、爆睡する。
休憩をはさみながらゆっくり進んで夕暮れ前にその日の野営地らしい場所に着き、地元の人たちが出迎えの野外宴会の用意をしてくれていて、一行が(いちばん凄い勢いで皇女がまっさきに!)焚火のまわりで飲み食いを始めた頃に、ようやく列の最後尾の荷馬車隊ががらごろと追いついてきて、大量の食糧や天幕をせっせと降ろし、さらに追加の大きな火を起こして、出迎えてくれた地元の人たちへの返礼を兼ねた大人数分の食事の仕度を始める。
荷を降ろし終え、その早目の晩餐をふるまわれた後は、そのまま手を振って別れて元の街へと戻る人たちも百人くらいいた。
「リツコ、今日もあたしと一緒の天幕だけど、いいわよね?」
あいかわらず、やっぱり追いかけて来た小鳥や小動物たちの群れに囲まれながらマシカにそう言われた頃、ちょうどリツコの「聞いた話が解る魔法」は解けてしまったのだった…。
マシカの小天幕を一緒に張って、寝床の仕度が整ったとたんに、着替えもせずに爆睡してしまったことしか、覚えていない…。
そんな風にして、この旅は始まった。
第6章 リツコ、旅をする。
第6章 リツコ、旅をする。
6-1. リツコ、看護助手をしてみる。
そこからの旅の日々は最高だった!
夜は毎晩マシカと一緒に天幕で動物たちに囲まれてぐっすり眠って、朝は鳥たちや動物たちの騒ぐ声で賑やかに起こされて、マシカに《言葉の魔法》をかけてもらってから冷たい川や泉の水で女性陣みんなときゃあきゃあ一緒に水浴びして身支度を済ませ、大天幕で出来立ての温かいご飯を交代で食べて、えいやっと自分たちの天幕を畳んで荷物を荷馬車に乗せて、準備の出来た者から順にぱらぱら出発して、歩いたり馬の乗り方を練習させてもらったり、疲れたら荷馬車に便乗して昼寝しながら運んでもらったり。
お昼ご飯はそれぞれ勝手に適当に、停まって休憩したり荷馬車でのんびり進みながらだったり、朝に配ってもらったお弁当プラス各自で用意してあるお菓子や副菜や果物なんかも食べて、午前と午後のお茶休憩もだいたい同しような感じで、必要があれば街道沿いに一時間おきくらいの間隔で用意されている手水屋(トイレ)にかけこんで。
珍しい皇女行列を一目見ようと街道沿いの空き地に集まって宴会しながら待っていたりする人たちにお茶に呼ばれたり、とれたての果物をもらってお返しに都のお菓子をあげたり。
途中に街があれば市場や宿屋をのぞいてあれこれ買い込んだり…
遊んだり喋ったり歌ったり競争ごっこをしたり色々しながら、とにかく西へ向かって何百人かの隊列が前になり後ろになりしつつ《白の街道》をのんびり進み続けて、陽が傾きはじめる頃には行列がすっかりばらけきって前後がお互いに見えなくなってしまった状態で、ばらばらと宿営地にたどりつく。
街道沿いの警備を兼ねて常に半日分ほど前を進んでいる雄輝たちの先行隊が、近在の町や村から手配されて来る係の人たちと一緒に早めの夕飯というか午後の遅いお茶?の支度をして待っていてくれるので、この時だけは先行隊と一緒に卓を囲んで、皇女や重臣や警備や経理の人たちは中央の卓のまわりで食べながら打ち合わせや何かを済ませて。
いつもかなり遅れて来る商人隊や姫君隊が、それより半日遅れで出発したはずの後衛隊の人たちにお尻をせかされながら夕焼けが最も華やかに燃える頃合いに慌てて追い着いてきて急いで天幕を張り、ようやく今晩の集合と点呼が終わる。
待っていた先行隊は後衛隊との情報交換だけ済ませると暗くなりきる前にまた出発してしまうので、みんなで手を振って見送って。
それから残った面子は毎晩のように、『地元の人が用意してくれた歓迎夕飯への返礼』という名目で豪華な晩餐会の仕度を始め… 昼の仕事を終えてから皇女たちを一目見ようと駆けつけてくる地元の人たちで、参加者は見る見る膨れ上がり…
日が暮れると同時に大きな篝火が焚かれて豪勢な酒宴というか、むしろ中央に一段高い舞台が出るので盆踊りのようなお祭り騒ぎが始まり…、飲んだり歌ったり笑ったり踊ったり、大人のひとたちは口説いたりフラレたり、恋仲になって二人で姿を消したり?…その噂話をして盛り上がったりの大賑わいになる。
リツコも眠くなるまでは果汁とお菓子で興味津々でつきあって、《言葉の魔法》が切れる頃にマシカと一緒に天幕に引き上げて、あとは眠くなるまで二人でお喋りして、色々なことを教えたり習ったりしあった。
「あ、そうだ。ねぇねぇ! マシカって、鋭のことが好きなの?」
大人たちが盛り上がっていた恋バナについての噂をマシカに教えてもらって、そのどさくさにまぎれてリツコは聞いてみた。
「…まさか! 違うわよ。あたしが一番好きな人は別にいるもの… なんでそう思ったの?」
「このあいだ、鋭に褒められた時に、ちょっと赤くなってたから…」
「やーねー。それだけ? あのね、鋭って髪が短かった頃はそんなでもなかったんだけど、最近、典型的なヨーリア学派風の髪型になっちゃったでしょ? それで… 笑ったりすると… ちょ~っとだけ… 似てるのよね~、…雰囲気が!」
「…そうなんだ~w」
リツコはにやりと笑って、もっと詳しく聴きたかったが、
「こどもは早く寝なさーい!」とかマシカに言われて、きゃあきゃあとふざけっこになって、そのまま眠ってしまった。
そんな毎日だった。
ただしマシカは旅団中の参加者全員の健康管理をする《薬師代表》という役職も兼ねていたので、日中も合間合間に行列のすべての人と動物の様子をチェックしに廻ったり、体調の悪い人がいれば薬草の調合をしたりしていて、なかなか忙しかった。
数百人規模の旅団中に二十人ぐらいいる薬師の集団は、日によっては本隊よりも先に行って地元の村々の移動健診会みたいなことをして日暮れ後の遅い時間に追いついて来たりもしたし、時には沿道の住人から往診の依頼があったりして、夜中でも大鹿にまたがって急いで出かけて行ったりする。
リツコも始めのうちはそんなマシカについて一緒に行ったり簡単な作業なら手伝ったりもしてみたのだが、どうやら薬師の才能はまったく無いようだった。
大体、血をみるのがけっこう苦手で、治療の手伝いをしようと思っても、どうしても傷口から目をそらしながらの作業になってしまうので、うまく出来るわけがない。
針と糸で大きな怪我を丁寧に縫い合わせたりまでするマシカは若いのに凄いなぁとリツコは心底尊敬したが、たいがいの薬師は今のリツコくらいの年齢には助手から一人立ちして一つの街や村を預かり、プロの薬師として働き始めるものだという。
ちょっとそれはリツコには無理そうな職業だった。
6-2. リツコ、司書になる。
そんなわけでむしろ邪魔になるだけだと自覚してからは往診について行くのはやめたので、時々リツコは夜更けに一人でとり残された。そんな時は鋭が自分の天幕に呼んでくれて淋しくないように気を使ってくれたが、旅のあいだも多忙を極めている鋭の天幕に泊まると、しばしば真夜中に皇女サマ本人や重臣や近衛隊の人達などが訪ねて来るので、『言葉の魔法』が切れた後で一言も理解できない面倒くさそうな話し合いの気難しい声だけをBGMに眠るはめになったりするのが、少々の難点だった。
こちらの世界では「マダロ・シャサ」(雄々しく輝ける者)と呼ばれている雄輝が旅団の警備の責任者なら、「リレクセス」(鋭利な短剣)とか「リレキエイセス」(鋭い切れ者)と呼ばれていることが多い鋭のほうは、行列全体の食糧や資材の調達と管理と支払いとか、現地の人たちの応援要請の手配とその返礼品の用意とか、諸々の雑用全ての総責任者らしくて、行路と旅程の管理表とつきあわせて天気予報?まで自分で観測した挙句、必要とあらば皇女サマに「天気を良くする魔法」まで頼みに行ったりするのが、担当の範囲らしい。
さらにはヨーリア学派の長としては医術と薬学の心得もあるそうで、しばしばマシカたち薬師集団と一緒に出張検診に行ったり、地元の街の急病人や怪我人の治療もしていた。ほんとに忙しそうだった。
リツコは移動の間ただ遊んでいる自分が申しわけなくなったので何か手伝えることがあればやってみるけどと申し出てみた。
「ほんと?じゃあ、やってみてほしいことがあるんだ。無理ならいいけど。」
まんざら嘘でもなさそうに喜んだ鋭に連れられて、「ヨーリア学派」と呼ばれている学者さん風の集団の大荷物を積んだ箱馬車隊のところへ案内された。
『オルレア・ソウ! 異文書庫の鍵はどこにやったっけ?』
『私が管理してますが?』
『ちょっとこのコ使ってみてくれないかな?』
『リツコ殿を、ですか?』
呼ばれて鍵を持ってきてくれたのは、いつも鋭のそばで帳簿付けや出納の手伝いをしている、よく似た服装とよく似た髪型の、ちょっとかなり美青年なところまで含めて雰囲気がよく似ている、つまりたぶんマシカが言う「典型的なヨーリア学派風」の…まっすぐな黒長髪で白い肌に金色の瞳の、鋭より少し年上に見える青年だった。
二人して箱馬車の中の古い木箱を幾つか開けてまわる。沸き起こった埃にリツコは少し咳き込んだ。どうやら、しばらくかなり、長いあいだ?…開けていなかった箱らしい。
「これ読める? いや、読めなくてもいいんだけど、どれとどれが同じ文字で違う文字か、判る?」
言いながら鋭が試しにと差し出してきたのは… たぶん英語?の…ものすごく古そうな… 本だった。
「地球の?」
驚いてリツコは尋ねる。
「うん。大昔のダレムアスと地球の行き来があった頃の記録らしいんだけど。ボルドムとの戦乱で前の皇都の書庫と研究者もみんな焼かれちゃったんで、誰にも読めなくなっちゃってて…今ね、全土のヨーリア学派で連絡しあって、残った古文書をかき集めて整理しなおしてるところなんだけど。この旅の間に少しでも分類しておこうと思ってたのに、ちょっとそれどころじゃなくなっちゃってさ。」
「何をすればいいの?」
「とりあえず、文字の種類別に本を分けてほしいんだ。もし日本語があれば、古すぎて読めなくても、なんとなく日本語って判るよね? 英語とか英語じゃないとか、中国語っぽいとか違うとか…判る範囲で、いいんだけど…」
言われてとりあえず何冊かの革拍子の本や布や竹の巻物や石板などを、リツコは手にとってみた。
地球上の色んな国の文字の、絵づらだけなら…
亡くなったおばあちゃんの友達が見せてくれた絵本やビデオで… 目にしたことなら、ある。
「…これは有名なクサビ文字よね? 教科書にも載ってるやつ。それからエジプトの絵文字。それとこれは…たぶん… 手書きのタイ語じゃないかな…。これはインド語? …これも似ているけど、ちょっと違う文字よね? …たぶん、近い場所の言葉よ。ヒマラヤの山の中とかの… これは北欧神話の絵本で観たことある、占いとか魔法とかに使う古い時代の神様の文字。それからアラビア語。 …たぶんインカとかアステカとかの南アメリカの絵文字。 …それと、古い時代の中国語と… 日本語と… ラテン系の言葉と… ギリシャ文字!」
「やった! さすが『適任者』ッ!」
鋭が快哉を叫んだのでリツコは嬉しくなった。
『読めるのですか?』ソウが期待し過ぎていたので、ちょっと申しわけなく思った。
『訳すのは無理。でも国別に分類できるって。』
『それは素晴らしい。』
それから、リツコは毎日(じゃなくてもいいから)、馬車隊が宿営地に着いてから夜宴が始まるまでの時間、ソウから鍵を借りて古文書のホコリをはたいて陰干しして、国別に分類して整理して収納しなおすのが、担当の仕事になった。
「あ、ついでにその国について、リツコが知ってることだけでいいから、簡単にメモして、なにか説明のイラストもつけてくれる?」
リツコはもう嬉しくなってしまって思いっきり『はい解りました!』と、いつもソウが鋭に言っているのを真似して、ヨーリア学派の言葉で応えた。
戻って夕飯の時にマシカにそう言うと、目を丸くした。
『すごいわリツコ。あたしなんか薬師文字しか読めないのよ。』
「そうなの?」
『官僚文字や知水神(ヨーリア)文字は簡単なのしか解らないし、ニホンゴときたらヒラガナとカタカナの区別もつかないわ!』
ちょっとリツコは得意な気分になった。
『でも心配。古い本の埃って、すごく体に悪いのよ…?」
そう言って、薬師仲間が疫病除けに使う頬かぶり布を一枚くれた。
試しに着けてみたら地球の銀行強盗かイスラム教の女の人みたいになったので、リツコは鏡をのぞいて笑った。
6-3. リツコ、話せるやつになる。
それにつけても皇女サマはいつ見ても機嫌が悪かった。
せっかく超のつく美女なのに、眉間にシワを寄せて誰かれなく睨みつけ、ちょっとしたことで色白な肌が真っ赤になるくらい喚いたり怒鳴りつけたり。いつもイライラしていて、「ヒステリー」としか言いようがない。
こんな性格では、いくら戦争に強くて敵に勝てても、平和になったら国民は誰もついて来ないんじゃないかしら。だから後継者問題とかでモメてるのかしら?とリツコは疑ってみたが、その割には鋭や雄輝やマシカも含めて、すべての部下たちからの信頼というか人望というやつは、ものすごく厚いらしい。
「今日もまた機嫌が悪い―!」という嘆きと愚痴は毎日のようにあちこちで飛び交っていたが。
(道中の各地から出向いて来る歓迎係や領主の面々などは、「噂に名高い皇女サマの八つ当たりとはコレかー!」などと、もはや一種のアトラクションとして楽しみにされていた…)
楽しい旅の毎日でも、皇女サマの天幕まわりの侍女や従者の人たちだけは、いつもなんだか戦々恐々として落ち着かない、そわそわした空気が漂っていた。のだが…
ある午後。
よく晴れた西の空はるかに鳥や雲とは違う小さい細長い影がくっきりと視え始めた。
『………龍だ! …フェルラダル様も居らっしゃる!』
誰かが叫んだ。
『皇女殿下にご報告を!』
『…聴こえたわ!』
すごい勢いで皇女サマがお茶休憩の簡易天幕からすっ飛んで出てきた。
あれあれ? とリツコは見守った。
空のむこうの影のうちひとつは、自分ひとりで飛んでる?らしい人間の姿で、もう一つは、出発式の日に挨拶して西の空へ消えていった、あの伝令役の二頭の龍のうちの若い銀色のほうのように思える。
『…お兄様! 伯父様!』
びっくりしたことに《大地世界》の皇女殿下サマはいつも身に着けていた重そうな腰帯を放り捨てると、いきなりふわりっと空に浮かびあがった。
そのまま文字通り「飛ぶように」すっとんでいって、空の真ん中で『お兄様』と『伯父様』を交互に抱きしめて嬉しそうに挨拶している。
『遅くなって済まなかった。出立式までには戻りたかったのだが。』
鋭とはりあうぐらいのものすごい美形の、鋭と同じような斜めわけのまっすぐな長髪だけど、かなりな年輩の落ちついた感じの男性が、そう言いながらふわりと地面に降りてきた。
年齢が上だから、こちらが皇女サマの『伯父様』だろうとリツコは推測した。
『…フェルラダル様ッ!』
皇女と同じくらいのすごい勢いでもう一人すっ飛んできたのは…マシカだ。
『…御無事で!』
皇女サマの伯父様に、飛びつくように抱きついて、伸び上がってキスしてほおずり挨拶している。
あれあれ…とリツコはすぐに解った。マシカが言ってた『鋭とちょっと似ている雰囲気の一番好きな人』…って、この人だ…!
『…マシカ…。…わたしも居るんだけどなー…』
白龍にまたがって運んでもらってきていたもう一人の男の人が、なぜかそうぼやきながら龍の背中から降りて来る。
『…あら、ごめんなさいミヤセル様? 御無事で何よりですわ?』
…ミヤセル様?
…皇女サマの『お兄様』ってことは、たしか名前は、マリシアル皇子って言わなかったっけ…?
リツコは聞きかじりの話とつなぎ合わせながら、興味津々に目を点にしてなりゆきを見守った。
「あ~、…また話が賑やかになった…」
苦笑しながら、いつのまに来たのか鋭がリツコの隣に立っていた。
「…さて、吉と出るか、凶と出るか… 吉かな?」
銀龍は近くの人間にだけ簡単に挨拶すると、また天空を悠々と飛んで西のほうへ戻って行った。それを手を振ってしばらく見送ってから、皇女サマは同じ碧の巻き毛と碧の瞳で双子のようにそっくりな雰囲気だけど体格だけ一回り大きい兄上や、あまり似ていない外見の茶色い髪に茶色い長髪の落ち着いた物腰の伯父上や、集まって来た重臣たちと額を突き合わせて話しはじめた。
それを鋭は自分は関係ないとばかりに離れたところから見守って、やがて笑った。
「…安心して、リツコ。これでマーシャの機嫌は直ったみたいだから…」
話のとおり、その日の晩に雄輝たち先行隊と合流した時の皇女サマは…
これが本当に昨日までのあの、嫌な性格のいぢわる女とほんとに同一人物?…とリツコが目を疑うくらい、にこにこして、上機嫌で、頬なんかピンク色で、みんなに親切で、歌まで歌っちゃって(しかもすごく巧くて!)、食欲も、ものすごく旺盛だった…。
側近の人たちがみんな嬉しそうににやにやして、後ろでこそこそと情報のやりとりをしていたが…
鋭はあまり気にしていなかった。食後のお茶まで飲み終わった皇女サマたち主賓席のところへ、おもむろにリツコを連れて訪ねた。
『お久しぶりです。御無事で何よりでした。フェルラダル様、マリシアル様。
こちらが地球から来たリツコです。最近はマリーツ(地栗鼠ちゃん)という愛称で呼ばれています。』
「…で、マーシャ? 機嫌が直ったところで… いい加減、この子、みんなと喋れないと不便なんだけどな? 諸侯会議で代表挨拶だってする、大事な貴賓なんだし…?」
「…………わぁかったわよ! もうッ!」
皇女サマはなんとも可愛らしく(リツコは目を点にした)ぷくっとふくれてすねた。
「ちょっと待っててリツコ。今まで八つ当たりしてたことは謝るわ。それで…」
すらりと立ち上がってこちらへ来る。
リツコは思わずびびって逃げかけた。
その肩を遠慮なくがしっと捕まえて、
「だから、謝るわ。って言ってるでしょう?」
ものっすごく高飛車に言い切ると、リツコの眼を真正面からしばらく見つめて、それからすぅっと息を吸い、大地を両手で抱えあげるような独特の舞のようなしぐさをして… 謡うように唱えた。
『…マレッタ! れとけぃえる、せるかろまろうでい、ぃええん!』…(汝がことば、皆に通じよ!)
それから急に、それまではマシカが毎日かけなおしてくれる《言葉の魔法》のおかげで相手が言ってる言葉の意味をリツコが「なぜか理解できる」ようになっていたのと同じように、リツコはごくふつうに日本語で喋っている言葉を、聞いたダレムアスの人が誰でもみんな「なぜか理解できる」ようになった。しかも半日とかで切れてしまうような時間限定の効力ですらなく、ずっとその魔法は続いた。
「…ありがとう!」
どんなに便利にしてもらったのかを理解したリツコが次の日に改めてお礼を言いに行ったら、
「だぁから、遅くなって悪かったわよッ!」…と、皇女サマはもう一度ふくれて、とっても偉そうに、拗ねた。
6-4. リツコ、取材する。
なにしろリツコは元々かなりのおしゃべりの質問魔で、好奇心旺盛だ。今まではダレムアスの人が勝手に言ってることをただ一方的に聞いてるだけで、こちらから質問できるのはマシカと鋭だけだった(日本語が通じるもう二人のうち雄輝は先行隊にいて不在だったし、そのせいで?なのか、皇女サマはいつも不機嫌で怖かった!)…が、今度からは、自分が知りたいことについて、こちらから聞いて回れる!
もう大喜びで鉛筆とノートを小脇に抱えて、キャラバン中を前から後ろまで朝から晩まで、もちろんちゃんと他の手伝いもしながらだったが、すべての人を質問攻めにしてはスケッチやメモをとってまわる姿が、旅の名物のひとつになった。
さて。
まず分秒刻みであちこちから色んな人に呼ばれている鋭よりは少し時間に余裕がありそうなソウの名簿整理の作業を手伝いながら、気になっていたことを聞いてみた。
「なぜ毎日次々に荷馬車隊の人が代わるの? ずっと同じ人に泊りがけで付いて来てもらったら、仕事がらくになるんじゃない?」
なにしろ大人数のキャラバンの食糧や大天幕やその他色々を運ぶ荷馬車隊はそれだけで大小百台近いのに、ごく少人数の馬番以外の荷積みや御者の人たちは毎日日替わりで地元の人がやって来て、朝に集合して点呼して名簿を作って担当する荷馬車を割り振って、一日仕事をすると、晩餐会の御馳走と美女たちの舞や歌をめいっぱい楽しんで、二日酔いになるほど呑んで、翌朝には日雇いの給金代わりのささやかな返礼品を受け取って、集まって来た今日の地元の人たちと交代して、家に戻ってしまうのだ…。
で、また最初から、点呼して名簿を作って荷馬車を割り振って…の作業を繰り返すソウたちの仕事量は、かなりの負担になっているはず。
『ああ、御存知ありませんでしたか? われわれ大地世界の住人のうち、生粋のダレムアト達は、自分の土地から遠く離れることを苦痛に感じるのですよ。女神の意志に反するという信仰で。』
「そうなんだ?」
『市井の庶民や農民たちだと、生まれた場所から歩いて日帰り…遠くてもせいぜい一泊か二日で帰れる距離より遠くへは行かずに、一生を終える者がほとんどですね。それより遠くへ旅することが出来るのは、大地世界全土を「我が家」と呼ぶ皇家にゆかりの皆様か、我々のように多かれ少なかれ地球系か《ボルドム》の血が入っているヨソ者か、《エルシャムリア》の子孫の方々です。あとは例外的に、好奇心にかられて知水神(ヨーリア)学派に属することに決めた出家者の人々。』
ん?とリツコは引っかかった。
「あれ? ソウさんてヨーリア学派の人じゃないの?」
『違いますよ? 服の色が違うでしょう?』
「…ごめんなさい。そこまで見てなかったー!」
言われてみれば動きやすくて優雅な形こそよく似ているものの、鋭たちがいつも着ているのは深い青か紺か水色を中心に差し色は白か灰色のいわゆる「マリンカラー」で、ソウさん達は黒か焦げ茶色をメインにして、差し色は黄土色とか赤土色とか、いわゆる「アースカラー」系だ。
『私どもは遠くへの移動が苦にならない点を活かして皇家や王家や領主家にお仕えしている外役人です。些細な用件での使者に立ったり、交易隊の管理をしたり。』
「そうなんだ。」
『特に私などは地球系だけでなく《ボルドム》の穢れた血もひいておりますからね。ヨーリア学派の方々のような篤いお志とは、無縁の者ですよ。』自嘲するように低くソウはつぶやいた。
「………」
リツコは目を点にして言葉に困った。ケガレタチ? ボルドムの穢れた血?…って…今の翻訳?…あってるのかな…??
何度かまばたきをして、よく考えてみる。
…自分が生まれ育った国に、ご先祖様の国が、一方的に攻め込んで来たら、どんな気分になるのかな…?
「…えーとそれで… エルシャムリア…って、昨日の夜、宴会の時にお芝居してたやつ?」
『そうです。今はもう滅びた天宮界ですよ。』
「神話じゃなくて、実話なんだー。」
『?』
「じゃ、遠くまで行ける人たちに、ずっと付いて来て、って頼めば?」
『そんなに人数が居ないのですよ。外役人として勤めている者以外は、皆、独立した商人や遊牧民ですからね。これほどの大人数に長期間の仕事をまとめて頼めるとしたら、長旅には向かない冬の積雪中ぐらいでしょう。』
「そうなんだー。」
それからリツコはこの世界の神話について、昨日の宴会芝居だけでは解らなかったことを色々質問して教えてもらった。
世界は初め四つあって、姉・兄・妹・弟の神様がそれぞれ治めていたが、何やら壮絶な姉兄げんか?が起きて、姉は殺されて死んじゃって天宮界も滅びて、兄はその罪で捕まって偉い神様にボルドム世界の奥の牢屋に閉じ込められてて、姉の死を嘆き悲しみながら争いごとの後遺症で死んじゃった?らしい妹の神様が遺した世界が、このダレムアス。その兄姉ゲンカをみていてグレて家出しちゃった?らしい弟の神様が遺した世界が…地球。
おなじ遺された世界同士、昔はもっと仲良しで、地球の時間で数万年くらい前までは、ところどころに残った通路で思い出したように行き来があったらしい。今でも地球世界の各地に翼のある人や毛むくじゃらの雪男や狼男?とかの伝説があったりするのがその名残。リツコがいた朝日ヶ森学苑とかも、たぶん、その流れ。
でも何かで通路がずれ始めて、通りにくくなって、行き来が途絶えて… お互い、忘れかけていた。らしい。
そのズレの原因がボルドム世界からの攻撃?のせいで。地球に繋がっていたはずの通路の遺跡から、あるとき突然、ボルドムの鬼人たちが大量にダレムアス世界に攻め込んできた。らしい。
それで当時のダレムアスの首都だった《白都》というところが攻撃されて滅びて。今のあの皇女サマの両親も戦死しちゃって。それでボルドムの追手から逃れて皇女サマは地球に亡命していて。しばらく朝日ヶ森で暮らして、たまたまそこで知り合った雄輝と鋭と一緒に(鋭の言い分では「まきこまれて」)ダレムアスに戻って来て…
長い長い戦争を戦い抜いて、ようやくボルドムの鬼人たちを、元いた世界に追い返して、封印して…
で?
この旅の一行が何のために西へ向かっていて、なんでリツコはここに呼ばれて来たのか?
そこまで聞く前に、ソウは忙しくなってしまった…。
6-5. リツコ、野球を教える。
途中から合流したり大きな街道の分岐点で手を振って別れて行ったりで増えたり減ったりしながら常時何百人もの規模で動き続けている旅の一行の内訳はといえば、《西方諸国》とくに《西皇家》を相手に太湖のほとりで開催されるという諸侯会議に《白王家》代表として出席する戦勝皇女とその兄と伯父上と、鋭やマシカやソウなどの側近や幕僚や重臣たち。
旅を手伝うために参加している侍女や従者や料理人や職人や、食料や資材の調達係の商人たちと、旅の仲間を護衛するために参加している雄輝たち武将が率いる一隊。そして荷馬車隊の馬番までが「ずっと一緒に」行ける人たちで、荷運び人たち百人くらいが地元密着型の応援部隊の「日雇い」。
それとは別に、見るからにとても家柄の良さそうな、超のつく豪奢な服装で着飾って旅をしている謎の美女軍団のお姫様たちと、そのまた美形ぞろいの侍女たちと侍従たちと専属の護衛の兵士たちとでこれまた合計が二百人くらいいる。
このお姫様たちは何故こんな場違いな野宿の長旅に参加しているのか? リツコは前から不思議でしかたがなかったので、話せるようになるとさっそくお茶に呼ばれて行って質問してみた。するとお姫様たちは一様に笑って、『さて、何故でしょうね?』と答えをはぐらかす。
夜ごとの宴会でみごとな歌や踊りを披露してくれるし、それを目当てに詰めかける地元の人たちが大層多かったので、最初は諸侯会議に華を添えるためのプロの芸人さんたちなのかとも思ったけれども、聞いてみたらお姫様たちはみんな皇女様のイトコとかハトコとか…
つまりほぼ全員が「皇族ゆかりの」やんごとなき深窓の御令嬢たちだった。
それに、旅の間ずっと着飾るばかりで何の仕事もしていないのかと思ったら、そうでもない。
鋭やソウたちが地元の歓迎係や荷運びの人たちにせっせと配りまくっている「返礼品」…かわいらしい小さい装飾品かと思ったら、「お守り」で…「皇族ゆかりのやんごとなき血筋の」お姫様たちが、旅のあいまにせっせと手作りして「神力」を込めている、御利益のある品物だった…。
そんなお姫様たちは移動の間も忙しく手と口を動かし続けていたので滅多に馬車から出られず、たまに降りて遊び始めると後衛隊から安全確保のために本隊から離れないでくれとせっつかれるしで、ろくに息抜きもできない。
お姫さまたちのなかでも一番身分の高いらしいソノ姫…『マミア・ソノワ・エリエリ!』(世界で一番たっとい姫様!)と侍女たちが恭しく呼ぶ、戦勝皇女と兄皇子よりも唯一年上の従姉姫…に、
キャラバン唯一の子どもであるリツコは、
『わたくしたち退屈しておりますの。なにか地球の楽しい遊びを教えていただけません?』と、折り入って、頼まれてしまった。
うーんと、リツコは困った。
トランプやウノやオセロは持って来なかったし、実はほかの人に教えられるほどルールに詳しくないし、そういう手札遊びはこっちの世界にもちゃんとあって、わざわざ「地球の遊び」として教えてみてもあんまりアリガタミがなさそう。
地球でいつも自分がやっていた遊びというと、こういう女の人むけのお手玉とか綾とりとかお上品なのは苦手で、もっぱら泥だらけになって泥警とか、缶蹴りとか…
「あ、そうだ。」ちょっと聞いてみた。「この世界に、野球とかの球技って…ある?」
『キュウギ?』
音だけしか聴こえなくて意味が判らなかったらしい。つまり…こっちには存在していない言葉。
あれだけ踊りが巧いんだから、きっと運動神経は良さそう…と思って、
「道具を用意するから明日まで待って!」と言ったら、お姫様たちはすごく嬉しそうに期待に満ちた目になった。
リツコはちょうど通りかかった市場で、「なんでも好きに買っていいよ!」と鋭から渡されていたお小遣いを使って、分厚い皮の端切れをたくさんと、羊の毛のもしゃもしゃした固まりを一山買って来た。
お姫様たちが作るのを見ていたので真似して、型紙を造って、皮を切って、穴を開けて、綴じ合わせて、綿をしっかり詰めて…。
休み休み三日ほどかけて出来上がった不格好なしろものを見てマシカがちょっと絶句した。
「リツコ、その…鍋つかみ?のおばけみたいな手袋と、毛玉のおばけみたいな丸いの…何?」
「グローブとミット!…とボール!」
バットにちょうどいいものも見つけて買ってあった。料理の時に練粉を伸ばすのに使う、地球のやつと見た目も使い道もそっくりの…麺棒だ。
「鋭ー! 時間あったら野球やろうよー!」
「えぇ?」
「お姫様たちと! 人数少ないから三角ベースでー!」
なんだなんだと、お昼休みで馬車を停めていた人たちが、わらわらと寄って来た。
6-6. リツコ、勝負する。
驚いたことに、鋭は野球がヘタだった。運動神経はいいのに!
「うーん。地球に居た小学生の頃は、本ばっかり読んでる科学小僧だったからねぇ…」
みごとに三振からぶりをかました後、苦笑して仕事が忙しいと言って逃げてしまった。
代わりにリツコが打って見せようとしたが、今度は打てる球を投げられるピッチャーがいない…。
「…誰か投げてみたい人―?」
衛兵の誰かなら立候補するかと思って訊いてみたら、今度はソノ姫が名乗りをあげた。
『その丸い球を投げて、その革の的に当てればいいんですの?』
キャッチャーミットはマトじゃない…と説明する暇もなく、ちょっと風変わりなモーションで、ひらひら服のお姫様はみごとに「球を的に当てて」いた…。
「えっうそ! すごーい!」
『わたくし剣や馬はからきしですけど、当てものなら少しは得意ですの』
「なによ、なに面白そうなことやってるの?」
「リツコ、交ぜて交ぜてー!」
なぜか皇女様とマシカもやってきた。
地球で育った皇女様は野球のルールくらいは大体知っていたので、リツコが投げた。
………ぽーーーーーーーーーん!
変な音だったけど、みごとにバット代わりの麺棒の真ん中にヒットして…
三日がかりの労作のへろへろボールは、街道脇の小川の流れに、ぽちゃんと消えた…。
「…あ”~!」リツコはちょっとぐれた。
『それでは、当てもの競争にいたしましょう!』
ソノ姫がリツコの頭を撫でて慰めてくれながら、景品に一番美味しいおやつを賭けると言った。
女性群がわれもわれもと、河原の石を拾ってきてキャッチャーミットに投げた。
ミットもあっという間にぼろぼろになってしまったので…的もまた適当なものを用意して。
情け容赦なくビシビシと実戦場の大剣で鍛えた剛腕を披露する皇女サマは、距離は飛ぶけど意外にノーコンだった。
マシカは「弓なら負けないんだけど!」と悔しそうに云いながら中盤ぐらいで敗退した。
少しずつマトを遠くへずらしていって、腕に覚えのある人が順々に投げていって…
近衛兵で狩人出身という男の人と、リツコが決勝戦になった。
リツコが勝った。
だてに小学生リーグで、県大会優勝まで行ったピッチャーだったわけではないもーん!
と、勝ち誇って、優勝賞品の「いちばんおいしいお菓子」に、がぶりと喰いついた…。
おとなたちはそんなリツコを楽しそうに、優しく笑って、見ていた。
6-7. リツコ、聞き書きする。
仮皇宮の都を出てからずっと広大な平野となだらかな丘陵地が続いて、畑と森と牧場が交互に広がる穏やかな土地を進んできたが、小高い峰が幾つか連なる《屏風山系》からは少々難所で、中腹をうねうねと折り返しながら峠越えする《白の街道》の道幅も少し狭くなっていて、数日かけてゆっくり越えるしかないらしい。
その山間から右手はるかに見える《北平原》という場所は、先のボルドム軍との最終決戦の場だったそうで、遠目にもいまだに大地が変にえぐれたりして赤剥けて、数年たっても植物がまだ生えてこない、おかしな状態だと判る。
皇女マーライシャ以下、雄輝や鋭やマシカたちもみんな、その合戦に参加した武人たちは「追悼と慰霊のために」と本体から離れ、馬を早駆けさせてそこまで往復してくるという。
走る馬にはまだ乗れないリツコは残念ながら留守番組に振り分けられて、その間はミソノワ姫が預かってくれることになった。
山道は重い荷を曳く馬たちにとってはきつい勾配なので、姫君たちもみんな丈夫な沓と動きやすい服に着替えて、車列から降りて歩いて登った。
この山間地には住人が少ないので、両脇の街道口に常駐している荷運び関係の仕事の人たちが、三泊四日?くらいの間、ずっと馬車と一緒に移動してついてきてくれるそうだ。
毎日大量の「返礼品」作りに忙殺されていた姫君たちは三日間も!解放されることをむしろ喜んでいて、巫女舞の修練で鍛えた脚力を発揮して、文句も言わずにせっせと歩いて登った。
リツコも、これは良い機会だと喜んでミソノワ姫に話をねだった。
「あのね、そもそもどうして皇女サマは、あんなにものすごく機嫌が悪かったのに、いっぺんで治っちゃったの??」
なにしろ、この世界に来てからもうずいぶん経ったというのに、いまだに自分が何故この世界に呼ばれて来たのか、何をすればいいのか、状況がまるで判っていないのだ…。
『…それは少しばかり長い話になりますけれど…』
あいまあいまにたくさんの雑談や脱線やその神話にまつわる有名な歌や遊びや、食事やお茶休憩で中断しながらも、姫様は律義に、山越えの間中かけて、だいたいの話を説明してくれた。
『そもそもこの《大地世界》ダレムアスが《初めにありし四界》のうちの一つ、《妹女神》と呼ばれるマライアヌ様の創始した界というのは、もう聞いていますか? 女神マライアヌ様が戦に倦んでお隠れ遊ばした後、そのお子、女神と人王との間に生まれた《半神女》マリステア様が世界の統治を引き継ぎされました。
そのマリステア様は半神であられたゆえ、ただ人に比べればとても長い寿命でいらっしゃったので、その生涯の間に何人もの夫や恋人や情人を持ち、たくさんの子どもを産んで増やされました。マリステア様が亡くなられた後も、しばらくの間は、そのたくさんの姉妹兄弟たちの子々孫々は、それぞれの血族ごとに分かれて暮らしながらも、ほぼ穏やかな間柄を保っていたそうですが…
やがてこの世界の始めの中心であった《始原平野》マドリアウィが手狭になると、争いを好まなかった始原の人々は外輪の山のあちこちの谷筋から抜けて、《大地の背骨山脈》の山間から裾野へ、ふもとから四方八方へと、どんどんと勝手に増え広がり続け、気の合わない部族同士はすっかり疎遠になって、物心ともに離れ、ばらばらに散っていきました。
もう今ではマドリアウィ野に戻る道さえ失われてしまった時代。お互いの言葉すらも遠く異なってしまって、誰ももう、世界全体のありようが把握できなくなった時代に…
それでは何かおかしいと、旅に出て世界と人々を繋ぎ直した、勇敢な姫がありました。
姫はこの《大地世界》をくまなく四度めぐって領主や国主を説得して回り、今この私たちが歩いている《白の街道》のもといを作り、宿場と貨幣の制度を整え、またそれまでは冷遇されていた地球やボルドムからの移民の子らを取り立て、外役人という大事な仕事に就かせました。
その功績をもって、生まれは《血の薄き姫》と蔑視されていた《尊称なきミトル様》は人々から《女神の遠き孫》という美称を授けられ、今はなき《白の都》ルア・マルラインを皇都と定めて、《大地世界》の再統一を宣言しました。
ところが、既にあった《聖皇家》モルナスの、女神マライアヌ様の血をより濃く受け継ぐ方々が、移民族の子孫や血の薄き者らによる《大地世界》の統治には、異を唱えられたのです。
当時のモルナス皇が、その後継の長子を夫とするようミトル姫に要請しました。
それによって濃き血筋の古木の株に、若枝を接ぎ木となすおつもりだったのですわ。
ミトル姫はそれを退けられ、旅の仲間であったアステト・アルラを男皇と定めました。
わたくしやマーライシャ姫が、この御二方の子孫にあたります。
モルナス皇はこの縁組から生まれる《女神の血の薄い》皇家を快く思わず、一時は戦乱になるかと危ぶまれました。
なんとか戦は回避され、《濃き血の力》を誇るモルナス皇家は、血の薄き者らには棲みづらい《西の荒野》に居を移しましたが、それ以来…
何十代の長きに渡って、《西皇家》は《白皇家》の後継者に、婚姻によって二つの皇家を統一するべきだと、説得と求婚を、し続けてきたのですわ…。』
…一体いつ「当代の」皇女サマの話にたどりつくのかと、必死で聞き書きのメモをとりながら、リツコは少々不安になったいた。
『そしてもはや数十年も昔のこととなりましたが、わたくしもマーライシャ姫も、今のリツコよりももっともっと幼く無力であった頃。この世界に異変が相次ぎ、間もなくボルドムの悪鬼らが界壁を破って攻め込んでくることが判りました。
当時の男皇がマーライシャ姫の父君ですが、その皇妹であるわたくしの母が西皇家への使者を務め、西からは三皇子率いる援軍が遣わされました。そしてその長子クアロス様が、両家縁組の話を蒸し返したのですわ。
マーライシャ姫はまだ本当に幼かった。恋も婚姻もなんのことやら解らぬうちに、はるかに年上の、すでに成人していらしたクアロス様に言いくるめられ、求婚に承諾をしてしまったのだそうです。
幼いとは言え、皇家直系の神力ある姫が言葉で約定してしまったのであれば、正式な婚約。大人になってから考えなおしたからといって、断ることは難しくなります。
ところがマーライシャは… そのぅ…』
「…あ、やっぱり、雄輝のことが好きなの?」
『…やはり、リツコの目から見ても、はっきりそうと解りますか…。』
少々困ったように、ミソノワ姫は言いよどんだ。
『そのこと自体はあまり問題にはならぬのです。正式な政治上の男皇はクアロス様と定めた上で後継の子を産んで、それとは別にマダロ・シャサ殿は武人として誉れ高いかた。堂々と女皇の情人と誇示して愛すれば、姫の名誉にこそなれ、誰も咎めることなどありません。こちらの世界では特に問題になることではないのですが。そう言って、まわりの者みなで説得を試みたのですが、』
「そうなんだ…」
リツコはちょっとびっくりして聞いていた。
『ただ… マーライシャ姫はその後、ボルドムの追っ手を逃れて地球で育ちました。今リツコが驚いたように、その考え方はできぬと。望まぬ子は産めぬと』
「…そりゃそーだよね~…?」
『あのように荒れて荒れて…』従姉姫は深いため息をついた。
『いっそ、マダロ・シャサ殿と相愛の仲であれば、地球で言う駆け落ちでもなんでも、させてやりたいところでしたが。』
「…あれ、やっぱり、皇女サマの片想い…??」
おそるおそるリツコが質問すると、ミソノワ姫は深くうなずいた。
『このことばかりは他人にはどうにもなりませんが、ただ』
「ただ?」
『西皇家が婚姻の日限を迫ってきたのですよ。戦も終わったことゆえ、昔の約定を疾く果たせと。』
「え~★」
それはひどい。リツコは初めて、皇女サマのあの荒れっぷりを理解して同情した。
『それゆえ伯父上と兄上がご心配なさって。本当に、幼き頃のマーライシャ姫が神力をこめた《婚約の誓言》を口にしてしまっていたのかどうか… 探りに行かれていたのですわ。』
「それって…」
『えぇ。クアロス様のハッタリに過ぎない可能性が大きいと。その他に、マーライシャ姫が生死不明であった時期に、すでに正式に近く娶っておられる妃女も子息もおられると。』
ちょっとリツコはあっけにとられた。…そんなんで、よく、あの皇女サマを、騙して結婚させようとか、思うなぁ…!
『それで、婚約無効と断ることが出来ると判明したので、機嫌がすっかり直ってくれたというわけですわ。』
そんな噂話をこっそりされているとは知らず、山越えの後半、皇女サマたち別動隊の一行は、無事に予定通りに、本隊に合流しなおしたのだった。
第7章 リツコ、囚われてはいないお姫様にあう。
第7章 リツコ、囚われてはいないお姫様にあう。
7-1. リツコ、訪問する。
侵略者ボルドムの主力軍を元の世界へ追い返すための最終決戦がおこなわれたという合戦場の跡地へ、戦没者の追悼と慰霊の式を行うと言って出かけた皇女サマたちの別働隊が、山越えを終えた本隊と反対側の山裾近くで無事に再合流した後。
それまで使われていなかった、ずっと何かの予備用なのかと思っていた、特別大きくて立派な馬車に、お客人が増えているらしいことに、リツコはすぐに気がついた。
いくら行列の中で一番偉い皇女サマとは言っても従者や侍女の数が少し多すぎじゃないかと思っていたうちの半分くらいが、その箱馬車の世話や護衛の係にまわされている。
ところが、そんな大事なお客様なら当然、夜の宴の時にでもみなに紹介されて、歓迎されるべきだと思うのに… 何日たっても、その馬車の中から出てきたところを見たことがない。
鋭とマシカと皇女サマだけは毎日何度か様子を見に寄っている感じだが、その他の人は、姫君や重臣たちまでも含めて、むしろその存在自体も公然の内緒というか、「いないふり」「気がつかないふり」をして、避けているような… おかしな雰囲気だったので。
リツコはまず、こちらの世界での自分の行動の管理責任者、ということになっているらしい鋭に、お伺いを立ててみた。
「…ねぇ鋭? あの馬車の中の人には、話しかけてはダメなの?」
「うーん。悪いってことはないよ? 彼女も退屈しているだろうし… ただ。」
「なに?」
「ボルドムのね。敵国のお姫様なんで…見た目がちょっと。こっちの人たちには怖いらしくって。」
「…見た目ー? だってこっちの人って普通に、毛皮だったり四つ足だったり羽が生えてたり…」
「まぁ、ぼくら地球人からすると、区別が判らないんだけどねー?」
苦笑してうんうんとうなずきながら、
「きみのいう《モフモフ系》の人たちは、見た目が爬虫類の人って本能的に苦手みたいで。ソウもあの金色の眼のせいで、なんとなく避けられてたりするでしょ? それに、家族をボルドムに殺されてる人とかも多いしいさ? やっぱり仲良くは、しにくいみたいで。」
「…あ、そうか…」リツコは自分が鈍かったことを反省する。
それでも鋭が、「挨拶したければ行ってもかまわないけど、もし怖くても、悲鳴をあげたりはしないであげてくれる?」と言うので「うんわかった!」と元気に返事して、リツコは早速、昼ごはんが終わった頃にゆっくり動き始めた目あての馬車に、正面から訪問してみた。
「…こんにちわー!」
先日まで皇女サマ付きだった顔見知りの侍女の人たちに取次を頼むと、
【…だれか?】
それまで聞いたことのないシュウとかグウとかガ行の音が多い言葉で、馬車の中から、女のひとらしい低い声がきこえた。
「リツコっていいますー! あのね、退屈じゃないかと思って、遊びに来たんですけど!」
【…おや? あの地球人の子どもか? 我の話し相手に?】
声の感じはむしろ嬉しそうだった。
【…マーライシャにでも言いつけられたか? 我が怖くないのであれば、上がっておいで。】
リツコはむろん大喜びで超豪華な大型の箱馬車に上がり込む。
どのくらい豪華かというと皇女サマ用のやつより手が込んでいるぐらいの丁寧な細工の外見で、見れば内装も見事で、ものすご~く値段が高そうだ。
お姫さまはリツコが馬車の扉を開けたとたんに、それまでは脱いでいたらしい大きな黒っぽい布を頭の上からするりとかぶって全身を隠してしまった。
「…えーと…」
リツコは面食らって固まった。何かの宗教の衣装のような気もする。
「…お顔を見ちゃったら、なにかまずいのかしら…?」
ちょっとだけ遠慮しながら聞いてみる。
「…あたし、《ボルドム》の人って、まだ見たことがなくて~…」
【…大地世界人と同じで、《焔洞界》の者の姿も、千差万別なれど。】
するりと布がはずされた。
【怖くなければ見るが良い。】
真珠光沢の七色に光る華麗な鱗に覆われた貌の、縦長に切れた大きな金緑の瞳の、なんというか…巨大なトカゲな感じのする…外見の、だいたいは人型?で、美しい黒いたてがみ付きのお姫様だ。白虹色の肌に金青色のきらきらした爪が長くて鋭くて、何て言うか…ネイルアート?のような複雑な紋様が入れてある。
怖いか?と聞かれればその眼に睨まれたり爪で脅されたりすればかなり恐いかもだったが、こちらの世界には横長に切れた山羊目の人だっているし、地球にだって、もっととんでもない真っ赤っかに尖った爪をしている人は多い。
「…キラキラして、きれいなウロコね…!」
すなおに思ったとおりにリツコは褒めた。お姫様は嬉しそうだった。
それから侍女の人たちがお茶とお菓子を持ってきてくれたので、ゆったりと進んで行く居心地の良い大きな馬車の中で、色々とおしゃべりをした。
「じゃあ敵国のお姫様でも、捕虜とか人質として捕まってるわけじゃないのね?」
【我はみずから来た。あちらに捕らわれていたマーライシャを救け出して、こちらへ送り還すついでに、な。我は我が《焔洞界》の後継の公主であるが、あの界の今の有り様は好かぬのじゃ】
「どういうこと?」
【我は弱い者いじめを好かぬ。娯しみのためだけに小者をいたぶり殺すがごとき愚劣な行為は厭じゃ】
「ふーん…。あたしも、弱い者いじめは嫌い。」
【気が合いそうじゃの】
「そうだね!」
敵国ボルドムからの亡命姫さまは、すっかりリツコが気に入ってしまったようだった。
【我が名は《焔洞界》ボルドアレイ・ガースダルムが長公主、ディ・デュイ・リジューディー・ディーディイーリヤという】
「…でぃ… でじゅ… りじゅー・でぃー… 」
リツコは絶句した。何度か練習してみたけれども、どうしても、滑らかに発音するのは無理だった。
【…我のことは愛称の《ダーモレア》(黒姫)で呼ぶが良い。】
そう苦笑して言ってくれて、別れ際には特別あつらえの美味しいお菓子をおみやげに持たせてくれた。
それから旅の間、しょっちゅう一緒にお昼ごはんを食べておしゃべりをする親友の間柄になった。
7-2. リツコ、事情を聴く。
「じゃあ今までは、その合戦の跡地のそばに居たの?」
【大地世界の余の者には、投降して来た捕虜らの一団であると説明されておるらしいの。いささか不名誉なことではあるが。侵略軍である我らボルドムの者がよく思われぬという事情は解る。したが我々とて大地世界の国々が諍いあうと同じく。一枚岩ではない。】
「どういうこと?」
【我が叔父であるボルドムの今上帝は歴代の中でもとりわけ暗愚にして暴虐。嫌われておっての。気に入らぬ小者をことごとくいたぶり殺してゆくがために界の補修が立ち行かなくなり、このままでは遠からず、ボルドムは界ごと滅びる。】
「えぇ?」
【それを苦言した者も殺されて、界が壊れるならば隣の《大地世界》を攻め取って移住すればよいと。それ故こたびの攻略戦とあいなった訳だが。…愚行を苦々しく思う者も多くてな。世継ぎの姫である我のもとに、密かに参集しておった。】
「そうなんだ…」
【したが今上に感づかれての。神の血の濃き姪である我に己が卵を産まさしめてその仔を新たな世継ぎとなし、我のことは処刑してしまおうと。】
「えぇっ」
【我は次の排卵の刻が来るまでの命、虜囚の身であった。その獄へたまたま、マーライシャも放り込まれて来ての。…つれづれに話をしておったら、何やら境遇が似ておると、意気投合し。…今上への造反をなすのであれば力を貸すと、同じ捕虜の身で放言しおるので面白うてな。つい、我が配下がわれを救出しに来た際に、同道させてこちらに戻してしまった。】
「それで?」
【最終決戦の際、ボルドム帝軍の後背より奇襲をかけダレムアスを勝利に導いたは、我が配下の者らよ。惜しくも今上めは討ち漏らしたが、戦傷癒えず病の床にあると聞く。我はいましばらく身を隠し、数百年のうちにはボルドムの新帝となる。したがあの界にはもはや大人数は棲めぬ。戦ではなく講和を請うた上で、こちらの世界に我が民らの移住の許可を求めるつもりじゃ。】
そのために皇女に頼んで、諸侯会議に参加しに連れて行ってもらうのだと言う。
「…ちゃんと、自分の役割が、解ってるんだ…」
状況に振り回されてばかりで、いまだに何のために自分がここに居るのかが判っていないリツコがそう愚痴をこぼすと、黒姫は面白そうな顔になった。
【知らぬのか? あのマーライシャはたいした大物ぞ? 伝説のミトラ姫とやらが大地世界を再統一したが如く、今ある大地世界とボルドムと地球とを、いにしえのように統一した世界とするが夢だそうな。】
「…え~っ??」
【そがために地球世界とは密に連絡をとりあいたいというのが、そなたの召喚されし理由であろうよ。】