(第4稿)
(添付挨拶状)
拝啓 時下貴社益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
以下拙作を添付させて頂きます。
なお、北海道地震(震度5弱)の被害により
プリンタに支障が生じてしまいましたが、
収入も激減したため、買い替える余裕がありません。
御見苦しい状態での提出となり、大変申しわけございません。
ご笑読いただければ幸いです。
敬具
2018年9月23日
きりぎ・りす (霧樹里守)
(あらすじ) (2018年9月23日)
『 リツコ冒険記 』 …夏休み・異世界旅行…
霧樹里守(きりぎ・りす)
(あらすじ)
高原リツコは家族の事情で、私立学園の寮に住んでる。
その学長から「夏休みの手伝い」を頼まれた。
なんと、「異世界への親善大使」!
えぇ?! …っと思ったけど大人たちや先輩たちはみんな忙しくて行けないらしい。
「行って、みんなと仲良くして、まわりをよく観察して、レポートを書いてきてくれれば、それだけでいいのよ。
行ってくれたら他の夏休みの宿題は、ぜんぶ免除してあげる!」
大好きな学長がそう言ってくれたので、喜んでひきうけた。
地球の《姉世界》と呼ばれる大地世界《ダレムアス》では、漫画かアニメの王子様?…かと思うような超美形!の、優しいお兄さんに世話してもらっちゃうしぃ ♡
食べ物は美味しいし、お祭りは楽しいし…、
…あいにくながら、残念な性格の皇女サマには、意地悪されたけど…。
もうひとつの異世界《ボルドム》との戦争終結のための講和準備会議?とか、
同じ大地世界のなかでも、民族紛争とか、皇位継承争い?とか…
そういう深刻な問題には、ショックを受けたけど…。
たっぷりのレポートを抱えて、友達と涙でお別れして、
リツコは夏休みの終わりとともに、元気に帰国しました。
序章 《 朝日ヶ森 》
『 リツコ冒険記 』…夏休み・異世界旅行…
霧樹里守(きりぎ・りす)
序章 《 朝日ヶ森 》
序章 1 (おもて)
朝日ヶ森学園。
知ってるかな?
「天才児が集まる」ので秘かに有名。
超のつく贅沢な校舎と独特の自由奔放なカリキュラムの秀逸さ、そして学費の高さでも知られていて、我が子を名門私立に進学させたい親たちにとっては、憧れの学園だ。
基本は全寮制だけど、都心から遠距離通勤・通学してくる生徒や先生もいる。
緑の豊かな地方の新幹線の停車駅から、自動車なら迂回ルートで二十分くらい。
歩くなら、県立公園のなかの遊歩道をまっすぐ抜けてくるほうが速い。
自転車? …まぁ、モトクロスを乗りこなせる人なら、抜けられる道だと思うよ…?
学園の敷地は広くて、一見すると壁とか塀とか柵とかの仕切るようなものは何もない。
でもセキュリティは万全で、目立たないところに監視カメラ網がばっちり。不審者は入り込めないけど、内部の見学とかは許可制の予約ツアーに参加すれば入れる。
校舎や講堂や寮の建物は、一見シンプルだけどしっかりお金のかかった造りで、見た目は繊細で温和な感じだけど、どんな災害にもまけない頑丈な耐震骨格なんだって。
もちろん、屋外と屋内の両方に冷水と温水の競技用プールがあるし、体育館とか柔道場とか剣道場とか弓道場とか、もちろんスケートリンクもテニスコートも、全天候対応型のやつが、それも学年別とかで、複数個所にある。
さすがにサッカーコートとラグビー場とスキー場は屋外だけ。らしいけど…
図書館ときたら外部の大人が泊りがけで調べものをしにくるほど、質量ともに充実した蔵書を誇る。
広大な敷地内にはゆるやかな起伏があって、四季折々の豊かな緑花がきちんと手入れされている。
天気のいい日はあちこちの芝生や木の下で、生徒たちが一人でゆったり寝ころがったり、賑やかにグループ課題を片づけていたりする。
もちろん複数ある学内食堂は合計すれば二十四時間営業で、メニューはもちろん各自で好きに選べる上に、無添加とか有機栽培とか産地指定とか、どんなにうるさい親でも納得させるだけの厳選素材を使って、健康管理やアレルギー対策には十二分に配慮されている。しかも調理法は一流シェフによる監修で、名門レストランなみに美味しいと評判だ。
時間割は自学自習に重きを置いていて、選択科目が多くて自由。
各学年のクラスは三つに分かれてる。
都心から新幹線で週1程度のスクーリングにくるだけでいい通信クラスに在籍しているのはテレビ撮影や映画出演で忙しい、超のつく有名子役やアイドルの卵が多い。学内では主に「タレ組」と俗称されている。
それから学園の売りの「天才組」は、その名のとおり生まれつきの知能指数が平均よりはるかに高い子どもが集まっていて、その分かなり変人が多くてつきあいづらい。
そして生徒のなかでも一番多いのはやはり、親が金持ちとか有名人とかセレブやVIPで、コネと金を使いまくってお受験競争を乗り越え、我が子をここに「押し込んだ!」と自慢してまわるような家の子たち。なんだけど…
…それ、本当はちょっとだけ、気の毒な話なんだ…
なんでかって…?
ここはあくまでも、関係者からは「おもて」と呼ばれている外向きの場所(学苑)で…
本当の朝日ヶ森「学園」は、「うら」とか「真」とか呼ばれていて、もっと別の秘密の場所にあるから。なんだ…
序章 2 (うら)
さて。
「うら」とか「真」とか呼ばれている「ほんとうの」朝日ヶ森について…説明するのは、難しい。
場所は秘密で、首都圏からは「裏日本」なんて蔑称されている地域の、辺鄙な山の奥にある。
こちらも敷地は広大だけど、目立たないように全域が頑丈な壁できっちり囲われていて、特殊な警護部隊が昼夜をわかたず厳重な監視をしている。
さらに一見はまばらに点在して見える贅沢な造りの低層建築群は、実は主に地下通路でつながっていて、むしろ地上より地下部分のほうが質量ともに広壮な、実質的な本体だ、とも噂されているが、実は在学生でも現職の職員でも、その全貌を把握できている人は、ほとんど居ないらしい。
ほとんど「秘密基地」という構えだ。
こちらに在学する生徒の種類も、おもに三つに分かれる。
ひとつは国内外の要人、つまり政治・経済的なVIPの子どもたちで、なんらかの事情で家族とは一緒にいられない者…生まれつき病弱とか、テロや誘拐の対象にされる心配があるとか、相続争いによる暗殺の危険を避けるためとか、はたまた、隠し子で正妻には内緒でないとまずい存在とか…そんな感じの。
だからちょっとひねた性格のやつらが多い。
ふたつめのグループは、もっと特殊で…
「ふつうの人間じゃない」能力や外見を持って生まれた、「特別な家柄」の跡継ぎとか、先祖返りとか…
角や牙があったり、鱗や翼があったり、魔術や呪術が使えたり、過去や未来や、人の心が読めたり、はたまた、操れちゃったり…
本人たちはそれでも「神でも悪魔でもないから、いちおう人間なんだけどー」と主張する場合が多いが、今の世の中ではうっかり一般社会を出歩くことができない。
それで、「一族だけしかいない隠れ里に閉じこもってばかりでは世間にうとくなるし、幼なじみと親戚以外は友だちも恋人も探せない人生なんて!」…という理由で「社会体験」と称して「朝日ヶ森学苑に遊学」しに来て、広い構内で文字通り「翼(はね)を伸ばして」学園生活を楽しんでいたり…する。
生徒の内の三つめのグループについては…
長くなるので、また後で説明しよう。
まぁそんなふうに、観た感じからして不思議な…秘密の、 「朝日ヶ森・学園」。
このお話は、そんな場所から始まる。
第1章 リツコ、異世界へ行く。
第1章 リツコ、異世界へ行く。
1-1.リツコ、呼ばれる。
朝日ヶ森「学園」生徒の第三のクラス・通称「ただびと組」に属する普通人のリツコは平凡な子どもで、セレブの子女でも天才児でもなく、美少女戦士でも子役アイドルでもないかわりに、妖怪変化の類でもなかった。(こう書いたら「失礼ね!」と、妖怪変化な学友たちから怒られた。)
しいて言うなら、特技は木登り。
親から習って育ったのでキャンプとか大好きで、野外炊飯なら得意。
虫とか蛇とか平気で、まぁ女子からは引かれるけど、いざって時のサバイバルには向いてる。
見た目は十人並み?
顔はのっぺりしてハナはちんまりして黒目はキョロっとでかくて、日焼けしてソバカスだらけで、へろへろのくるくるの天パの髪がコンプレックス。歯並びだけは自慢で真っ白で、まぁ時々「笑うと可愛い」くらいは褒めてもらえる。
ご飯はよく食べるけど、それ以上に暴れてる。…から、まだそんなに太ってはいない。…たぶん。
前の学校では野球部で、三年生にして県大会優勝投手。(全国は初戦敗退)。
投げたら当たる。これはけっこう、…長所?
まぁそんな程度のただのおてんば娘のリツコが「うら」の朝日ヶ森にいるのは… 事情があった。
そんな事情のひとつ、「大叔母様」からの呼び出しがあったので、とある七月の昼下がりに学長室までとことこ歩いて行った。
全寮制の学園はすでに夏休みに入っていて、家のある生徒たちの大半は帰省か家族旅行に行ってしまった。
今を盛りと鳴きすだくセミ時雨のほかは静かな構内の、広壮な芝生と緑の濃い木立ちと、英国庭園風のベンチをしつらえた花壇や迷路の中を、小汗をかきながら十数分ほど歩いて、ようやくレンガ造りの事務棟に辿りつくと、勝手知ったる建物内には無言のまま入って、こんこんと学長室のドアを叩いた。
「はい。どうぞ!」
若々しい声の大叔母様の返事を聞いてからドアを開け、一応「失礼します」と頭を下げる。
大叔母様というのは都合上の呼称で、本当は、祖母のイトコだ。
「なんですかー?」
「お願いがあるのよ!」
元気な声でいきなり言われて、リツコは面食らった。
「欠員が出ちゃってね! 代わりに行ける人がいま他にいないの。バイトと思って引き受けてくれないかな? お礼として、夏休みの宿題はぜんぶ免除するから!」
…この「大叔母様」の名前は清瀬律子という。リツコと同じ「りつこ」だ。
やはり美女でも妖怪でも天才でもない「ただびと組」のはずだが、朝日ヶ森の卒業生で、なぜか今では学園長まで務めてる。
リツコの母はこの気さくな美人叔母(ほんとうはリツコの母の母の従妹だ)が大好きで、たまたま彼女が事故で行方不明になってもう死んだかと思われていた頃にリツコを身籠ったので、思わず名前をもらって付けてしまった。という話…(そしてその後けろっと本人が生還したので、親族一同は呼び名の区別に困った。)
…まぁその話はいいけど。
「朝日ヶ森『学園』の生徒の、欠員の代理って… それ、『ただびと』のあたしでも務まる用事?」
そっちのほうが当面の問題だ。
「だいじょうぶよ! なんて言うか…そう! 親善大使! みたいな役目だそうなの。行って、滞在して、まわりの皆さんと仲良くして… 最後の会議で、コレを私の代理で音読してくれればいいの!」
渡された手書きの便せんにざっと目を通して、それから声に出して読んでみた。
「…゛みなさん、おまねきありがとうございます。今日のこの会議の”…」
ちょっと長いけど、読めないほど難しい漢字とかは、無いよね…?
「…行っても、いいけど… どこ…??」
「異世界よ!」
ちからいっぱい無邪気に宣言した大叔母さんの予想外なセリフに、リツコは「はぁ?」と口を開け、目を点にした…。
1-2. リツコ、出かける。
「…あ、あらっ? …ウケなかったかしらっ? イマドキの『ただびと』…いえっ、『普通世界』で育った子どもには、こういう言い方のほうがウケる…いえ、判りやすいかな~? と、…思ったんだけど…っ?」
いつも穏やかで余裕ありげにニコニコしている大叔母様が、真っ赤になってわたわた取り繕うという珍しい光景を、リツコは口をあけたままあんぐり眺めた。
「…べつに危ないことは無いと思うのよ? 戦争は終わったっていうし、和平会議なんだし、おばさまの初恋の人とか、向うに行ってるしっ」
「…は?」
「だからねっ! …だからっ、私と同じ名前の、血のつながったあなたが、向うでっ …あの人に、…会ってきてくれたら… 本当に、わたし、…嬉しいのよ…っ!」
真っ赤になって、照れながら、なにやら意味不明に身もだえしている。
…え~と…。…ハツコイの、ひと…?????
…とりあえず、何も解らないけど、断れそうにないらしい。ということだけはリツコにも判った。
「…………わかった。とにかく、行ってくるから…………。」
「ほんとっ?」
小さい子どもみたいに身を乗り出して喜色満面になった大叔母様(たしか七十歳は過ぎているはずだ…)は、それから慌てて咳払いなんかしながらやっといつもの調子を取り戻して、色々と説明してくれた。
「…持って行ってほしいものは、もう購買に頼んで取り寄せてもらってあるから、部屋に戻る前に受け取って行ってね。それから、旅仕度に必要なものは何でも『おばさまの支払いで。』って言えば、好きなだけ買えるようにもう伝えてあるから。」
そう言いながら渡されたのは「絶対に!持っていくもの」と書いてある買い物リスト。
・計算尺 1つ (購買にもう頼んであります。)
・ノギス 1つ 〃
・大学ノートかリングノート(リツコの好きなほうで)10冊くらい
(持てて書けるだけ、なるべくたくさん!)
・鉛筆(ポールペンやシャーペンじゃなくて) 1ダース(1箱)か、もっと。
なるべくたくさん。
・色鉛筆(カラーペンじゃなくて) 1セット以上、欲しいだけ。
・消しゴム(多めに)
・鉛筆削り(忘れないで!)
「…この計算なんとかと、ノギスって…なに?」
「それは向こうからのお土産のリクエストなの。着いたら渡してあげてね。」
「…わかった。…ねぇねぇ。色鉛筆って、二十四色のやつ買ってもいい?」
思わず目をきらっと光らせながら聞くと、
「四十八色のでもいいわよ!」
大叔母様が笑って言い切ってくれたので、リツコは大いに気をよくした。
(自分のおこづかいだけじゃ買えないやつだー!)
それからこまごまと書いてくれてあった、行先への道順の説明をよーく読んで、解らないところは質問して、細かいところの打ち合わせもして。
その後ひとりで購買に寄って、言われたものを忘れずに全部と、リュックとか下着とか、要りそうなものをよく選んで買って。
それから夜遅くまでうんと考えて、必要最低限の着替えと小物だけを揃えてしっかりリュックに詰めて、翌朝、列車内で食べるお弁当と飲み物を、予約しておいた食堂で受け取って、お気に入りの籐製の手提げバスケットに詰めて…
用意した荷物を念のため大叔母様にもチェックしてもらってOKをもらって出発の挨拶してから、駅まで向かう朝一番の路線バスに、リツコは飛び乗った。
1-3.リツコ、一人旅する。
最寄駅から普通切符を買って鈍行に乗って、乗り換え駅から特急に乗り換えて、検札に来た車掌さんに目的地までの特急券を頼んだら、
「小学生が一人で?」と、やっぱり不審がられたから、大叔母様から教えられた通りに、
「ママのお墓参りに行くんだけど、パパは夏休みが取れなかったのー!」
と無邪気なふりしてにこにこ返事して。
「降りる駅に着いたらちゃんとおばあちゃんが迎えに来てくれてるから。」と言ったら車掌さんは安心して向こうへ行ってしまった。
それから慣れない長距離列車にちんまり座って揺られていたら半袖ではクーラーが寒くてこごえてしまい、鼻水垂らしてぐずぐず言いながら、ちょっとだけ、うとうと眠って。
乗り降りの仕度を始めた他の乗客たちのざわめきに、はたと目が覚めると、もうすぐ、降りる駅で…
慌てて起きて、乗り換えて、また乗り換えて、乗り継いで…
日暮れ前にようやくたどり着いた二面戸町駅のホームの待合室でくるりと三回転半してから振り向いて、後ろの正面の七つと三番目の教えられたとおりの秘密のドアを、特別なやりかたでひねって開けると。
「高原リツコ様ですね? 多元旅行社の送迎サービスの者です~!」
…どう見ても二足歩行の巨大なカエルの人?がいて、曲がりくねった不思議な山道を、おかしな形の、タイヤのない変な車で案内されて…
教えられた森の中のこぶこぶした不思議な形の大木に、よじよじと必死で登って。
「…今ですよ!」
『地球の大地の端から、太陽の端っこが、完全に沈んで消える瞬間』…ちょうどに!
教えられた通りの大木の幹の空洞から、えいっと、勇気を出して…
目を閉じて、しっかり荷物を抱えて、真っ暗な穴のなかに…
飛び降りて、どすんと…
…いえ、ふわっと…
なにか柔らかいものの上に、落ちて…
目を開けたら、そこは、異世界?
だった…。
第2章 リツコ、異世界で目覚める。
第2章 リツコ、異世界で目覚める。
2-1. リツコ、仔猫につかまる。
ちょっとの間だけ、気絶していた?らしい。
はじめ何も視えなかった。とにかく眩しかった。
(…太陽…? あれ? だって「陽が沈む瞬間に!」って、飛びこんだよね…?)
変だなと思いながら、明るすぎて何も視えなかったので、とりあえず薄目だけ開けて、
両手で自分のからだとまわりの様子を探ってみる。
…怪我はない。まわりは…もふもふ? もこもこ? …している…???
しばらくしてようやく、自分が何か柔らかくて丸っこいものの山の中に、かなり高いところから落ちた勢いのまま、ぼふーんと埋もれこんでいる…? ことが判った。
その何かふかもこしたものが、落ちて来たリツコを受け止めた衝撃で弾け跳んだらしい綿埃? …らしいものが、ほぼ真上から降り注いでくる金色の陽光の中を、ぶわぶわと舞い飛んでいる。
触ってみた感じでは、リュックもバスケットも、壊れたりはしていない。
とにかく眩し過ぎたので、薄目だけ開けながらもっそもっそと動いて姿勢をかえて腹這い向きになり、それから手探り膝さぐりで、1mほどのふかもこの斜面をのそのそとよじ登る。
ちょうどその頃から、まわりのあちこちから、声が聞こえ始めた。
「…ま~るめる! まるった! えら。えららう。まるる~ん…???」
「えるった!らう!」
「あらえ!」
「まるぇ? えら。あらぅ。…あろ、…あっかせっか!」
「か~ぃせ! えのっかあるっか、らぅらぅらぅ。あごん!」
「あうのいあ!」
…そんな感じの、まるまるした声の、可愛い響きのコトバで…
もちろん、ひとっことも、解らない…!
(………ほんっとに、異世界…? …来ちゃった~…???)
そう思いながら、もこもこの山の上からようやく顔を出すと。
「…えらっ! あまっ! あまま、ままま? あまま、あそっ?」
可愛い仕種で、どうやら
『だいじょうぶ~?』と心配してくれているらしい声が、あちこちからかかった。
(…か、………かわいい…っ ♡ ♡ ♡ )
目じりが思わずハート型になってしまうような生き物たちが、いた。
全体的に、白っぽくてもこふわ。サイズはかなり小さそうだ。一番大きいコでも、リツコの膝までぐらい?
うさぎのような、モヘアのような、ふわふわ毛並みの、横長のまるい顔立ちの、大きな吊りあがりぎみの、黒くて丸い眼の…見た目は、むしろ、猫…?
エプロンドレスのような…巻きスカートのような…きんたろさんのような…形はそれぞれ違うけど、手織りの手縫いらしい可愛いパッチワーク模様の、色とりどりの服を着た…
二足歩行の…、仔猫…??
「…あいにゃ! うにゃう?」
心配してくれているらしい、表情豊かな大きな瞳が、とてもとても、愛らしい。
(これ、意味、たぶん、『だいじょうぶ? けがはない?』って聞いてる感じかな…?)
リツコはとりあえずぱたぱたと手を振ってみた。
「ごめん! コトバわかんない! ケガはないよ~。だいじょぶ!」
それからちょっと心配になって、体の下のもふもふを手にとってよく見てみた。
白猫? たちとよく似た色だから、生きてる仲間を下敷きにでもしたかと思って。
(…違うみたい。…これは…毛玉? …繭…???)
なにかカイコのような形の肉まんくらいの大きさの、毛玉?のようなものが、いかにも「落ちて来くるもの受けとめ用クッション」という形に、高さ数メートルくらいにもりもりと盛り上げられている。
その小山を取り囲む(…風から護っているのかな…?)ふうに張り巡らされた、屋根はないテントのような…幔幕のような…場所の、前は大きく開いていて、見晴らしが、すごく良いことにリツコはやがて気がついた。
おそらくとても高い山の斜面に広がっている森のなかの大樹の、節くれだった太い幹の上にのほうに開いている大きな空洞の、その真下にリツコは落ちたのだった…
2-2. リツコ、白ウサギに挨拶する。
『何かが木の洞から落ちてきたら』受けとめられるようにと、平屋建ての小さな家くらいの勢いで積み上げられていた『もこもこ』の山の斜面をずるずると滑り降りてみて、そこでしばらくリツコは困り果てていた。
二本足で歩く『しゃべる猫にんげん?』…としか思えない、白っぽくてふわふわの小さい生き物の群れに、わらわらと取り囲まれて…
「まうまうまう!」
「あうれ?」
「あっかのおっか?」
「おねぅおねぅ!」
「まうまうまう! …まうまうまう! まうまうまうーっ!」
などなど…まるっきり解らない言葉で、おそらくたぶん質問責めに?されたあげく、とりあえず適当に日本語で受け答えをしている間に、よじよじとリツコの脚や腕に登り始めて、頭の上にまで座っちゃったりされて埋もれてしまって、うかつに身動きできない…
(………えーとぉ。これは~………っ☆)
ふかふか自体は可愛いので、思わずもふもふと撫でてみたり、へろへろと笑いながらも、ちょっとかなりこれからどうしたらいいのかと困り果てていると、すこし離れたところから、いくらか低めの声が響いた。
「…えっけれねん! あうら! かなりっこさる!」
とたんに、リツコを取り囲んでいたチビ猫さんたちが、慌てて散って逃げた。
「あけーーーーーね!」
なんとなくリツコにも意味が分かった。
『あんたたち何やってるの、だめでしょ! 離れなさい!』
『ごめんなさーい!』
…くらいの意味じゃないかな? たぶん…
ちびさん達がどいてくれた隙に慌てて立ち上がると、後からやってきた人?たちの姿がようやく見えた。
(…あれ…?)
膝丈ほどのちびさん達は、どうやらとにかく『子どもの』猫(?)だったらしい。
やってきたのはたぶん大人?で…、ちびさん達よりだいぶ大きい。とはいえ、地球の日本の小学生高学年としては標準サイズのリツコと、同じくらいしかない。
子どもたちは横丸な顔で耳も短くて、地球の猫によく似て見えるのに、やってきた何人かの大人?たちはおそらく、育つにつれて顔も体も縦長になり…とくに耳が長くなっていったん立ち上がり…やがてもっと長くなると重さで垂れて…地球でいう「垂れ耳うさぎ」が巻きスカートのようなエプロンドレスのような手織りの服を着て、荷物を手で持って、二本の足で立って歩いてやって来た。…としか、思えないのだった。
(…えーと!)
リツコはとりあえず大叔母様から「皆さんと仲良くしてね。」と言われて来た、自分の『親善大使』という役割を思い出して、ピシッと「気をつけ!」の姿勢をとった。
「こんにちは! はじめまして、高原リツコっていいます。よろしくお願いします!」
きちんとした大人たちがきちんとした時にきちんとやるみたいに、きちんと前に手をそろえてきちんと頭を下げて、きちんとした挨拶をしてみた。
おとなウサギ?たちは、一瞬キョトンとした後、やおらそれぞれの長い耳をゆっくりと頭上に掲げてぱたぱたと左右にうちふり、両手はいったん体の横に垂らして手のひらをリツコのほうに向けてから、なにかを持ち上げるような仕草で左右に開きながら上げて、同時に膝をちょっと折って前かがみになって、
「…まうまうまう!」と声をそろえた。
(まうまうまう?)とリツコは慌てて考える。
(さっきから何度もちびちゃんたちから聞いてたコトバだな~、アイサツだったのか!)
了解したので慌ててまねっこをして両手を耳のかわりに頭の両脇にたてて左右にふってみて、それから手のひらを相手側に向けておすもうさんみたいに広げて。膝をぴょこんと折って前かがみもまねして。
「まうまうまう?」と、首をかしげながら挨拶をしてみた。
おとな兎たちはリツコの発音の悪さにウケたらしくて笑いながら、元気に声をそろえて「れいまうまう!」と返事をしてくれた…
ので、リツコは嬉しくて、えへへと笑った。
2-3. リツコ、『王子様』にあう。
「…えっけれねん、あうりっこさるれぅある?」
「あっかいおす、おっかいねん?」
…再び意味が解らない…
えへえへと頭をかく仕草でごまかしながら困り笑いをしていると、おとな兎たちのうしろから、新たな声が響いた。
「…ごめんごめん! 遅れた! やっぱりちょっと時間の計算に誤差があったね!」
(…………日本語だぁ~……!!!!)
生まれて初めての『ことばの壁』に疲れて、早くもホームシックになりかけていたリツコは、自分がものすごく安心して気がゆるんだことに気がついて、むしろ驚いた。
「ミキーレ!」
「ミキーレ! あうのぁさるのみぇ、えれ?」
おとな兎たちは歓迎しているらしい声で、ふりむいて何かを説明?している。
『あうれりぁ、おうのおうあえら。』
少しだけ違う発音で、だけどごく流ちょうなウサギ語?で受け答えをしながら斜面を登ってきて、リツコの視界に現われたのは…、ものっすごい…美青年! だった…
リツコと同じくらいの体格のおとな兎たちの背後からひょいと胸半分ほど出る背丈の、すらりとした細身で、薄茶色のさらりとしたまっすぐな髪は肩にかかるくらい長くて、薄い水色のメガネをかけている瞳も澄んだ明るい茶色で、優しそうな笑顔に、ものすごく賢そうな白い額がきれいに広くて、三国志みたいな青い上衣と長めの外衣を羽織って、動きやすそうな細めの水色の袴?を履いて、さりげないけどセンスのいい服装をしている。
…なんだか雰囲気全体がきらきらしていて…少女漫画かアニメの美形キャラのようだ…と、リツコはこんなに綺麗な青年をリアルで見たことがなかったので、呆然と見惚れる。
ぽかんと口を開けたまま固まったリツコに、美青年はちょっと困った笑顔で、
「…リツコだよね? 遅れてすいません。迎えの者です。」
「…はいっ! 高原リツコですっ! 高天原から天を抜いたタカハラ! リツコはぜんぶカタカナっ!」
リツコは思わず大声のフルサイズで自己紹介をしてしまった…。
「…どうぞよろしく? ぼくは、清峰鋭(きよみね・えい)といいます。」
ウサギたちからは『ミキーレ!』と呼ばれていた青年の自己紹介に驚いて、
「嘘っ?」…リツコは思いっきり大声で反応してしまった。
「…え?」
「…だって! …それ大叔母さんの同級生の人! 七十歳は過ぎてる筈でしょっ?」
「…あ~、聞いてないかな? 向うとこっち、時間の流れも、トシのとりかたも、違うんだよ~?」
「…聞いてないっ!」
断言したら、美青年なお兄さんは、困ったような顔で、にっこり笑った。
「…じゃあ、解らないことは何でも聞いてくれていいから、とりあえず、移動しようか?」
なんだか有無を言わさない迫力ある笑顔に気圧されて、リツコは、ハイと頷いた…
2-4. リツコ、異世界の村へ行く。
「この世界は《ダレムアス》と呼ばれていてね。意味は《大地の世界》。いま僕らがいるのは世界の真ん中の《大地の背骨》山脈の端っこで、あの大河を渡ったところにあるのが、これから行く《仮皇都》」
見晴らしのいい山腹の草原の道を並んで歩きだしながら、リツコが質問するより速く美青年が教えてくれる。
空は地球と同じような色の澄みきった青で、流れる白い雲と乾いた風がとても気持ち良くて、リツコがよく知っている地球の日本の森とは少し違う樹木が密生している大森林には色とりどりのたくさんの蝶や小鳥がたくさん飛び交っている。
「…きれ~い!」
リツコは思わず深呼吸して叫んだ。
「最初は地球と似て見えると思うけど、空と太陽と星だけが共通項って言われてて、けっこう違う点があってね。まず電気製品とか電子機器とかが一切使えないんだけど、それは聞いてるかな?」
「あ、それは聞いてた。…あ、ほんとだー!」
言われて思い出して歩きながらリュックから端末をとり出してみたが、『圏外』どころか画面も真っ暗なままで、何度スイッチを押しても、うんともすんとも言わない。
「金属加工の技術はあるんで、水力発電施設なんかも造ってみたんだけど、全く反応しなくてね。まず何しろ魔法なんて非科学的なものが存在してるくらいで、根本から物理法則が地球と違ってるんだ。」
「…そうなの? 見て目は似てるのにねー?」
(…ブツリホウソク…って、電気とか重力?とかの仕組みとか、そういう話だよね…?)
リツコはこっそりと頭のなかでおさらいをして、慌てて相槌を打った。
「それから生き物がそうとう違ってる。…まぁ、見れば判ると思うけど…」
わきゃわきゃと賑やかに足元に絡みついてくる子猫?なこどもたちと、垂れ耳ウサギなおとなの女性たちと、その中間で立ち耳ウサギみたいな、リツコと同年代か上?くらいの少女?と一緒に、山腹の平地に開けた村まで降りて行くと、そこにいた垂れ耳の犬?そっくりなひと?たちは、どうやら、おとな兎な女性たちと同じ一族の男性?らしかった。
子ども時代はみんな横長の丸い顔に短くとがった三角耳で、色はオフホワイトやアイボリーとか「だいたい白系」のもふもふ毛並みなのが、ちょっと育ってくると耳と顔と胴体が長細くなってきて、色は薄くなるのと濃くなるのに分かれて、毛の長さも短くなるのと長くなって巻くのに分かれて。それがもっと育つと、短い真っ白い毛の垂れ耳うさぎ似のおとなの女の人?と、濃色の長めの巻き毛の垂れ耳の犬に似たおとなの男の人?に、なる。という種族であるらしかった。
その他に、なんとなく鹿似のひと?とか、どう見ても丸ごと犬だけど喋ってる?みたいな人?とか、服を着て立って歩く熊?っぽい人とか、歩く観葉植物人?とか樹木な人?とか、とか…が、村の中心らしい街道を賑やかに行き交っている。
それから地球人と言っても通る『普通の人間』に見える人たちや、目や耳の形や色彩がちょっと違うけど『ほぼ地球人と同じ』な人たちや、角や牙や尾っぽがあるけどだいたい人間に近いような形、という人なんかも、本当に色々と、たくさんいるようだった。
街道沿いになんとなくの等間隔で並んでいる家々は丁寧な細工の木造で、まるで白雪姫の小人の家みたいな可愛らしいサイズ。なので、体格的に、うさぎいぬねこ人の家には入れない大きさのひと?たちは、村のまんなかの広場や、わざわざ大きめに造ってあるらしい休憩所風のあずま屋とかに座って、なにか飲んだり食べたりしていた。
2-5. リツコ、観察する。
そんな人?たちが、降りてきたリツコたち一行に気づいた。
「ミキーレ!」
「リール!」
「イーキレ!」
「リレク!」
地球の日本人の清峰鋭と名乗ったはずの美青年に、親し気に何種類もの名前?で呼び掛けながら、わわっと群がってくる。
「まうまうまう!」
「ぐわーごっぱ、うわぅ~」
「アマルカッシュッ! パキャワシュ」
「ギャギャギャガノキュ、ギギュィユギギ!」
「ゴワーガ! ヴォ~ノ”マーレ!」
…なんだかとても多種類の、それぞれぜんぜん違う言語に聴こえる…。
リツコは混乱して固まった。
それにまた平然と、それぞれの言葉を使い分けて返事をしている?らしい隣の地球人を見上げて、リツコはまた困り笑いを浮かべて、ちょっとかなり、後ずさってしまった…。
「…えーとあのう…、清峰サン…?」
思わず敬語付きになってしまった。
「鋭でいいよ? リツコって呼んでいい?」
「いいデスけど…」
「ですじゃなくていいよー?」
にっこり笑う顔にまた思わず見惚れてしまいながら、
「いい、…けど?」と、リツコは言い直した。
「…この世界って、言葉が何種類くらいあるの? で、鋭は、何ヶ国語が喋れるの…?」
美青年がちょっと驚いた顔をして、ふわりと嬉しそうに笑った。
「…今のを聴いただけで、ちがう言葉が何種類もあるって判った?」
「…うーんとね。」
リツコは説明をしてみる。
「もちろん意味は全然わかんないんだけどー。…昔ね、おばあちゃんがまだ生きてた頃、近所におばあちゃんの友達で、翻訳の仕事の人がいたの。で、おばあちゃんと一緒に遊びに行くと、大人たちが喋ってる間、子ども向けの色んな言葉のビデオとか観せてくれたの。…だから、地球にも、色んな国の、色んな言葉があって、色んな挨拶とか習慣とか、違う考え方とかがある。…ってことだけは、解るの。」
「…それは、貴重な体験だったね。」
きれいに笑って美青年が言う。
「…だけど、この世界の言葉が全部で何種類あるかって、たぶん誰も数えられたことないんじゃないかなー? なにしろ《朝日ヶ森》では『天才組』のトップにいた僕でも、まだ習得してない言葉のほうが多いし? 本人たちは同じ言葉を話してるつもりでも、お互いすごい訛ってて、全然通じてない。なんてこともよくあるし…。みんな言葉が通じないのに慣れてて、あんまり気にしないで何とかしてるから、リツコもとりあえず日本語で喋ってていいよー?」
「…うん解った…。」(ていうか、それしか出来ないし―。)とリツコは苦笑した。
2-6. リツコ、歓迎される。
どうやら目的地に着いたらしくて、村で一番大きな家の前の大きな木の下の地面と同じ高さに、敷く…というか張られた? 地球のウッドデッキのような木の床に、鋭はリツコを案内しながらすたすたと靴のまま上がった。
「靴は履いたままでいいからね? こうやって、床の上にじかに座って、片膝を立てて片アグラをかくが、こっちの世界での正座。…これきみの食器。各自で持って歩くのが習慣だから、なくさないようにして。で、立てたほうの膝のうえにこう『膝敷き』を乗っけて、その上にお皿かお椀を乗せて左手で支えて、右に置いた小盆から食べるものに合わせて箸か匙を選んで、使い分けて食べるのが、こちら式。」
「…へ~え。お箸なんだ…」
渡された小さなお椀とお皿とその蓋にもなるお盆と、お箸とお匙のセットの木彫りの丁寧さや、鍋敷きならぬ膝敷き?の刺繍の細かさを眺めて感心している間に、鋭は代表者っぽい貫禄の人としばらく話して。
「…ごめん。実はぼくの計算ミスで、きみが予想より二時間ほど早く着いちゃったもんだから、お昼ごはんの仕度がまだ出来てないって。それでお茶とお菓子の略式の歓迎会になっちゃうんだけど、ごめんね?」
「お昼ごはん?」
リツコはちょっとびっくりして言った。
「あたしあっちで太陽が沈む瞬間に飛びこんだのに?」
「…うーん…。時差がやっぱり昔の記録とずれてるなぁ…まぁ遅くなるよりは、早く来てくれてよかったよ?」
鋭の言ってる意味がリツコにはまったく解らなかったが、さっきの人たちや初めての人たちが色々、わらわらと同じ木の床の上に集まってきて、何やらそれぞれの言葉で今度はリツコに、あらためてきちんと挨拶をしてくれている雰囲気だったので、とにかく日本語で一生懸命、「こんにちは! よろしくお願いします!」と挨拶をしまくった。
それからリツコは、こんなに色んな種族のたくさんの外見の人?たちが一堂に集まっているのだから、てっきりこれが挨拶をしなくちゃいけない『講和会議』なんだと思って、挨拶ぜめがちょっと途切れたすきに、こっそり聞いた。
「ねぇ、鋭。大叔母様からの手紙は、どのタイミングで読んだらいいの?」
「えっ? …あぁ、違う違う。その会議は、もっと先の、ずっと西へ行った後の話だよ? 今日のこれは、はるばる来てくれたきみに挨拶がしたいって地元の人たちが主宰の、たんなる歓迎会。」
「…あ、そうなんだ…。」
気負っていたリツコは、勘違いが恥ずかしくて赤面した。
それから乾杯の音頭みたいな全員一緒の挨拶?があって、その後、木の床の真ん中に敷かれた清潔な敷布の上に、冷たい果汁や温かい香草のお茶や飾り切りの果物や、木の実を潰して焼いたお好み焼きみたいなお菓子?だか軽食だか等々が、色々と次々に出てきた。
もちろんリツコは勧められるままに「いただきます!」と手を合わせてからきれいに全種類たいらげて、「ごちそうさま! おいしかった~!」と、もう一度手を合わせて言った。
2-7. リツコ、誉められる。
「もひとつごめん。質問たくさんあるとは思うけど、ぼく先にこの人たちと色々打ち合わせしなくちゃなんだ。ちょっと待っててくれる?」
「うんわかった。」
そう返事して、食べ終わった後もかなりゆっくりお茶を飲んでても、隣の席の鋭はまだ反対側を向いて、入れ替わり立ち代わり座りにやってくる大勢の人たちと次々に「打ち合わせ」とやらを続けている。
…のを見て、暇になったリツコはやおらリュックの中から大学ノートとペンケースと、古い小さな日本語の辞書を取り出して開いた。
まずは一頁一行目に日付と時刻を書こうと思ったけど、携帯が使えないので判らない。
仕方がないので『訪問1日目。昼?ご飯のあと。』と書いて。ざっと報告の文章は箇条書きでメモだけ書いて。
それから「四十八色!」入りの色鉛筆の缶をわくわくしながら広げて、子猫とおとな兎とおとな犬を家族風に並べて、簡単なスケッチ風の落書きを、丁寧に手早く描いて。
「…ねぇねぇ、このひとたちは、なんていう名前?」
ちょっとだけ暇ができたらしいタイミングをねらって鋭に聞く。
「…本人たちは《マウレイレイ》って名乗ってる。《賢く礼儀正しい一族》みたいな意味かな。まわりからはもっぱら《兎犬猫族》とか《森中族》とか… リツコ、イラスト巧いね?」
「あ、ほんと?」
えへらっと笑う。
「うん。簡単な線なのに、特徴をよくつかんでる。」
「わーい褒められたー ♪ ♪ 」
素直に喜ぶリツコのへしゃっとした笑顔に、美青年もつられて笑った。
「…適任者が行くわよ!って、清瀬のほうの律子さんが手紙に書いてきた意味が分かったよ。」
「なんてー?」
「前に来たオトナの人は、電波が通じなくてもソーラーで充電しながら、デジカメとパソコンで記録は撮って帰れるだろ。って思ってたらしくて…記録用の機械が全滅で、報道マンとやらのアイデンティティーが崩壊してた。」
「…うーん…」
リツコは苦笑する。
アイデンティティーって言葉は解らないけど、オトナって…たしかにときどき、「アタマが硬くて使えない」時があるよね…。
2-8. リツコ、空を飛ぶ。
「ところでリツコ、きみは馬には乗れる?」
ひと段落したらしい鋭が唐突にそう聞いてきた。
「…ウマ? …動物園とか観光地とか、10分1000円とかの体験乗馬しか乗ったことない…」
「じゃあやっぱり、運んでもらったほうがいいねー。」
「?」
リツコがきょとんとしている間に、鋭はまた他の人たちとそれぞれのネイティブ言語で会話して、何かの伝言を追加すると、しばらくして、
「…そろそろ、行くよ?」とリツコに声をかけて、どうやら「ごちそうさま」に相当するらしいお礼のコトバを言って、席を立った。
リツコも慌てて同じコトバを真似して挨拶して、忘れ物がないように気をつけながら手早く荷物をまとめて後を追う。
「…ねぇ! 今日って、ここに泊まるんじゃないの?」
「うん。地球に帰る時は別の道を通るから、もうここへは戻って来ないよ?」
「えー! もっと猫ちゃんたち、モフりたかったー!」
「………もふる? …って、なに?」
鋭は『モフる』という日本語を知らなかった!
鋭が地球にいた頃には、まだ無かった言葉。らしい…。
それから、ちょっともじもじしながらトイレの場所と使い方を、鋭に通訳してもらって女のひとに聞いてもらって。 その後。
集まっていたみんながぞろぞろ見送りについて来てくれるなか、来た方向とは逆の、もう一段下の崖の上の広場につくと、そこに待っていたのは…
翼の生えた…鳥? ただの鳥じゃなくて… 喋るから、鳥人間? …の、人たちで…
なんだか見た目が怖い上に、…槍? …剣かな? …で、武装?していて…
…なにか、運動会の球入れのカゴのような、でかい入れ物?が置いてあって…
「…リツコ、高所恐怖症じゃないよね?」
にっこり笑って超絶美青年が指示するのでやむなく、リツコは恐る恐る、その籠に乗りこんで…
ことばを喋る大型猛禽類?たちが4人?がかりで、そのロープをそれぞれの両脚の手?で、ガッシリ掴んでやおら舞い上がり…
(………………きゃーーーーーーーーーーー…っ!)
見送ってくれる人たちに挨拶をする余裕もあらばこそ。
必死で絶叫を呑みこむリツコだけを乗せて、カゴはどんどん空高くに上がって行き…
…ようやく揺れが収まってきてから、恐る恐る見下ろしてみると…
清峰鋭は随行の騎馬の一団とともに、はるか下の草原を駆けているのが…
遠目に見えた…
(嘘つきーーーーっ! 「道中、何でも聞いて?」って言ってたくせにーーーっ)
心中で絶叫すること数時間。
強い風にも、怖い顔の猛禽類たちにも、だんだん慣れてきて…
広い広い《大地世界》を上から見下ろして…いや、背後に広がる《背骨山脈》とやらの山頂は、それよりまだまだ、はるかに上に霞んでそびえたっているのを眺めて…
眼下は草原と森、丘陵と谷、畑地と街と村と荒野と…
少し風が寒いけど、この世界は平和で。平和で。平和で…
…地球の日本の日没とともに異世界行きの穴に飛びこんだ後、まだ午前中だった異世界に着いてからさらにまた半日以上も、がんばって起き続けていた、小学四年生のリツコは…
いつのまにか、深く深く…寝入ってしまって…いたのだった…。
第3章 リツコ、皇女様にあう。
第3章 リツコ、皇女様にあう。
3-1. リツコ、悪夢をみる。
リツコは、うなされていた。いつもの夢だ。
懐かしい家。山のふもとの、ちょっと不便な、だけど緑が豊かな南向きの斜面にある…温かい木の壁の家。
いつものように休みの日の朝には家の裏の土手を登って、日当たりのいい上の畑からお昼ごはんに使う野菜や果物を採ってくるのが、リツコの当番だった。その日はお母さんのリクエストで、小ネギとラディッシュとミニトマトを沢山と、葉レタスを1株採った。
ちょっと重たくなった収穫カゴを抱えて、崖道を降りようとすると…
村はずれの集落へと向かってくる行き止まりの一本道を、見慣れない車の集団が、凄い速さでやってくる…
……見慣れない車……
…だけど、あの色は…!
リツコは急斜面をころげるように横切って走りながら、叫んだ。
「お母さんッ! 大変ッ! 逃げて!」
「…リツコ? どうしたの?」
お母さんとお父さんがのんびりした顔で、台所の窓から一緒に顔を出す。
「……お姉ちゃんっ! 緑衣隊よ、逃げてッ!」
家の下のほうの斜面で洗濯物を干していた5歳上の姉にリツコは叫んだ。
…もう遅い。
妖しくてらてらと光る変な緑色の特別な自動車の一群は、家の前の小道にがっと乗り入れて次々に急停車するなり、ばたんばたんと音を立ててドアを開け、ばらばらと降り立って来た妖しくてらてらと光る変な緑色の特別な制服の男たちが、びっくりして動けないままシーツを握りしめて立っていた姉を、数人がかりで乱暴に捕まえた。
「………きゃあッ!?」
「エツコ!」お母さんが叫ぶ。
「何をするッ!?」お父さんが怒鳴る。
「高原ワタルとシズカだな?」
男たちのリーダーらしいヤツが、すごく嫌な声で怒鳴った。
「反政府罪で逮捕する。逃げたら…」
「きゃああッ!」頭に銃をつきつけられて、お姉ちゃんが絶叫した。
「…エツコ! …やめて! やめてッ!」
「…わかった! 頼むからやめてくれ! 娘は関係ないッ!」
「ふん。反逆者の娘は、しょせん反逆者の娘だ。」
「お父さん! 逃げてッ!」
なおも崖の上から叫んだリツコをめがけて、男達の何人かが、ばらばらと走り始めた。
「リツコ! 逃げなさい!」
「お父さん! 逃げてよッ!」
「エツコを置いて逃げられない。おまえは逃げなさい! おばさんの所へ行くんだ!」
「リツコ! 逃げて! あたしは平気!」捕まったままエツコが叫んだ。
「逃げなさい、リツコ! …きゃあ!」
叫んだお母さんが乱暴に殴られた。
「…やめろ! 抵抗してないだろう!」
怒鳴ったお父さんも殴られた。何度も… 何発も。
「お父さん…ッ!」
リツコは、叫びながらそれをただ見ていた。何も出来なかった…
絶望した。
そして崖を駆けあがって来る大人の男達の、動きの速さを悟った…
…急がないと、逃げ遅れる!
「………おばさんの所で待ってる!」
叫んで、あとはもうふりむかずに、一目散に、山の中に逃げ込んだ。
勝手知ったる裏庭山だ。大人には通れない深い崖の上の細い枝をするすると渡り、ターザン顔負けの軽業で幹から幹へ飛んで、とりあえず秘密の場所に逃げ込んだ。
隠しておいたお菓子と缶ジュースで一息ついて、様子を見ていたのだけど…
妖しい制服の男たちがリツコを探して山狩りを始めたらしいので、陽が沈む間際を狙ってこっそり逃げて、今までは「子どもだけで入っちゃいけません!」と言われていた、奥の奥の神山のふもとへ逃げ込んだ。
そこから、月明りだけを頼りに、山伝いに、歩いて、歩いて…
…おなかが空いて、でも見つかるから、街へは降りられなくて…
何日も、山の中で眠って、歩いて…歩いて… おなかがすいて…
雨が降って、寒くて…
…いつもの夢だ。怖い夢…
もう、起こってしまったこと。
リツコは、何もできなかった…。
ただ自分ひとり逃げるばかりで…
家族を… 救えなかった…。
「…逃げてよ、お母さんッ! 逃げてぇ……ッッ!」
眠っているのに、涙が出てくる。
リツコは、叫んだ…。
3-2. リツコ、起こしてもらう。
「…………リツコ! リツコ! …起きて! …夢だよ、起きて…!」
「…………お母さんッ!?」
リツコは飛び起きて、声をかけてくれた人に、必死でしがみついた。
「…あぁ、良かった… 無事だったのねっ!」
「……リツコ…… 大丈夫だよ…。」
優しく抱きしめて背中をぽんぽんしてくれた人に、ぎゅぎゅぎゅ~…っと、抱きつきかえしてみたら…
…………… ん?? ………違う…?
リツコはまだ半分寝ぼけたまま両腕で相手の背中を探ってみて、目をぱちくりさせた。
……細いし… なんか、硬い? し…??
…これ、お母さんじゃないし… お父さんでもないし…
お姉ちゃんでも、大叔母様でもないし…
「………… あ!? 鋭? ……ごめんねっ? …あ、あたし… 寝ぼけて…っ」
ようやく頭がはっきりして… びっくりして飛びすさったら、
「ううん~?」と、美青年は優しく笑ってくれた。
…やっぱり美形すぎて、思わずまた目をハートにして、見惚れる…。
鋭はまた困った顔で苦笑して、
「…それにしても、度胸がいいねーぇ? 気がついたら天荷籠のなかで爆睡してたって。鳥人のみんな、呆れて笑いころげてたよ?」
寝ぼけたことはとりあえず無視してくれて、にやにやと揶揄ってくる。
「 …え? ……えぇ?」
リツコは慌ててあたりを見回した。
…知らない部屋だ。
「 ……ここ……?? どこ…?」
「うん。日が暮れる前に《仮皇都》に着いたんだけど。いくらゆすっても起きないからさ。失礼ながら運んじゃった。」
「 ……うわーっっ?? ごめんねっ??」
「ううん~? 軽かったし。」
「え~? …軽くないよ~?? あたしけっこう重いよ~??」
リツコはぱたぱたと意味もなく暴れ、顔とか髪とかに慌てて手をやって赤面した。
…こんな美形のお兄さんの前で、もっと小さなコドモみたいに、寝こけて寝ぼけるなんて……っっ
「…だってさっ! だって、向う側の地球の木の穴から、えいって出発したのは夕陽が沈んだ時だったのにっ! こっち着いたらまだお昼前で! だからお昼ご飯二回も食べて、しかもたくさん食べたでしょっ? 飛んでるあいだ、あたしは暇だったしぃ…っ!」
とりあえず必死で言い訳なんかしてみる。
「…うん。きみが環境適応能力のとっても高い、度胸のいい大物だ。ってことは、よく解ったよ?」
意味は解らない単語が入っていたが、なんだか皮肉られていることは判る。
「いや~んっ!」もっと赤くなって身もだえしながら叫んだ。
「…知らないところでさ。一人で目が覚めたら、いやでしょ? お腹もすいてるだろうと思って。」
ふっとまじめな顔に戻って優しい声で言うと、リツコが寝かされていたベッド?を脇から覗き込んでいた鋭は、ひょいと背筋を伸ばして向うへ歩いて行き、部屋の中央に置いてあった食卓と椅子らしい家具のほうに戻った。
机の上には色々な…分厚い本らしいもの?とか大きな紙?の図面?とか、地図のようなもの?…なんかが色々と広げてある。
部屋のようすは何というか…和モダン風? 木と紙と竹?…と、布や皮や毛皮かなにかで出来てて…落ちついた感じの、優しい色調だ。
明かりは小型の竹の灯篭?のようなものが何か所かに置いてあって、開け放した窓からは月明り?も射してる。
風はないけど暑くはないし、半袖一枚でも寒くもない。
…秋の初め? …かな? とリツコは思った。
「ごはん用意しておいたから、食べられそうだったら食べて? …あ、手と顔が洗いたかったらそっちね。トイレもそっちの奥。」
「…ありがとっ!」
リツコは気持ちのいい木の床に敷かれた模様入りのゴザのようなものの上をぱたぱたと裸足まま駆けていって、教えられた場所でトイレと洗手洗顔を急いで済ませてから、またぱたぱたと走って戻った。
「あのね! それでね! 大叔母様からおみやげ? …預かってたのに、渡すの忘れてたー! ごめんなさい!」
タオルを出し入れしたおかげで思い出したので、購買部で受け取ったままの状態でリュックに入れっぱなしだった包みを二つ、急いで鋭に渡した。
「…あ、持って来てくれてたんだ? ありがとう!」
「…これでいい、の? …ていうか、それ、なに?」
「ノギスと計算尺って言ってね… こっちの世界には無い道具なんで、あったら便利だろうな~って思ってたんだけど、ぼくの記憶だけじゃうまく作れなくって。…これなら関数電卓とかと違って電気は要らないから… うん。やっぱり、使えそうだね!」
「…ふうん…?」
なんだか分らないけど、すごく嬉しそうにして鋭が早速あれこれいじくり回して試しに使ってみたりしているので、リクエスト通りの正しいお土産だったらしい。…よかった。
とりあえず一つくらいは役に立てたと安堵したリツコは、急におなかが空いた。
「これ食べていいの? …いただきます!」
今度は木の床ではなくて木製の椅子に腰かけて座るとちょうどいい高さの木の卓の上に置いてあった箱形の木製のお盆? …日本語だと時代劇とかに出てくる『箱膳』に似てるかな? …の蓋をとると、ふわりと優しい香りが立った。
「…わぁ、美味しい!」
「そぉ? 良かった。」
何種類かの野菜と山菜?とキノコと、何かの柔らかい肉と、小海老?みたいなの…を、香草と一緒に蒸して、ふんわりと優しい味の餡でくるっと和えてある、簡単だけどすごく美味しいおかずが山盛りと、濡れせんべいと焼き味噌おにぎりの中間のような、しっとりした噛みごたえの、何かの穀物の粉を練ったのかな?…平たく焼いた、主食らしいもの。
浅漬けみたいな感じの薄味の生野菜の色どりのきれいな盛り合わせと、箸休め的なコリコリした何か。それから、食べやすいように綺麗に切ってくれてあった、汁けたっぷりの…甘酸っぱい…香りのいい、果物!
もう夢中になって猛然とがっついている間に、七輪というか炭火の卓上コンロ的なもの…日本語だと『火鉢』って言うかな…? の上でしゅんしゅん沸いていた鉄瓶からお湯を注いで、鋭が温かいお茶を淹れてくれていた。
3-3. リツコ、情報交換する。
「………ふ~ぅ。おなかいっぱーい! …ごちそうさま!」
「落ち着いたら、もう一度眠るといいよ。まだ朝まで時間があるから。」
「………もしかしなくても、あたしのために起きててくれたの?」
リツコはちょっとぎょっとして、それは申しわけなかったなと思いながら聞いてみた。
「まぁやることも色々あったし。『夜中に寝ぼけますからよろしく』って、清瀬の律子さんからの手紙にも書いてあったし。」
「…えぇ?!」(…はっずかし~っ!) …と、頬に両手を当てて身もだえしてみせると、鋭はまたふふっと笑った。
「まぁフツウ組のひとが朝日ヶ森に保護されてるからには、何か事情があるとは思ってたけど」
「鋭は、地球のジジョウについては、どれぐらい知ってるの?」
リツコは聞いてみた。なにしろ知らないことだらけだ。
「う~ん? 清瀬さんからは何も聞いてないの?」
「そんな暇なかったもん。鋭のこと『初恋の人なの~!』とかノロケ始めちゃったし。」
「…えぇ? それ初耳!」
「え、うそ? しまった!」
リツコは慌てて口をふさいだ。遅いけど…。
「………言っちゃったこと、内緒ね…?」片目で様子をうかがうと、
「う~ん、まぁ時効だし…? なにしろぼくはこんな見た目のまんまだけど、地球の時間だと、あれからもう五十?…六十年くらいかな? 経っちゃってるし…。
でも清瀬さんとは、ほんと喋ったこともあまり無かったんだよ? 数十年ぶりにやっと地球と連絡がとれて、手紙の返事に当代の朝日ヶ森の学園長が清瀬律子サンって署名してあっても、最初は同じ人だとは思わなかったくらいで。」
「そうなんだ?」
「うん。…そもそもなんで彼女が朝日ヶ森にいるのさー?」
「え? 同級生だったんじゃないの?」
「その前にいた全く普通の地元の小学校でだよ。今のキミと同じ、4年生の時にね。清瀬サンは転校生だったし。そのころ口がきけなくて挨拶も筆談だったし」
「あ、それは聞いたことある。子どものころ一族みんな死んじゃった時に、心因性ナントカってショックで、しばらく喋れなかったんだって。」
「そうだったんだ…」
『一族』という単語が出たところで何か納得してくれたらしく、鋭は話題を換えた。
「それで僕は、IQ高かったんで普通の学校から《センター》に誘拐されて。」
「えぇ?」
「《センター》は、まだある?」
「あるよ!」
「緑軍のために安く効率的に人を殺せる強力な武器を開発しろー!…なんて勉強をさせられてさ? 人体実験とかやらされるの厭だったんで逃げ出して、山ン中で生き斃れかけてたらマーシャに拾われて、朝日ヶ森に保護されて… そしたら何故か清瀬さんも朝日ヶ森に保護されてて… まぁ色々あって僕は天才組だし彼女はフツウ組だし、あんまり喋る機会もなくてさ? 結局そのすぐ後に僕はマーシャの… あ、あした挨拶につれてくけど、こっちの世界の皇女サマのことだけど。ごたごたに巻き込まれてこっちに飛ばされちゃったから、以来まったく数十年間? お互い音信不通。」
「…そうなんだー?」リツコはちょっと目を丸くして混乱した。
話の全体像がよく解らないけど、そんなに長く時間がたっても、大叔母様は『初恋の人なの~!』…が、忘れられなかった? のかー…。(…もしかして、それで独身?)と思ったが、それはいま鋭にいう話でもないと、慌てて考えなおした。
「あたしはほんとにフツウなのー。お父さんとお母さんが反政府って地下活動やってて目ぇつけられちゃって。緑衣隊が逮捕に来たから『逃げて!』って言ったけど遅くて。
あたしだけ走って逃げて山ん中でサバイバルしてたら大叔母様に頼まれたって朝日ヶ森の魔法組のひとが保護しに来てくれて。家族もみんな無事に救出されてたんだけど、あたしより先に亡命しちゃってたんだ。で、次の亡命船が確保できるまで、朝日ヶ森で待ってなさいって。」
「…そこまでは、ほぼ僕と同じ状況らしいけど…。…それを『普通』って言っていいのかなぁ…。」鋭が苦笑して遠い目をする。
「…それでか。『こっちとそっちの行き来を兼ねて、地球の別の場所に出られないか』って、清瀬さんからの質問」
「…え?」
「聞いてない? リツコこっちに来たあと、またすぐ朝日ヶ森に戻すか、このままこっちで暮らすか、もし可能なら、地球上の別の場所に戻してくれてもOKって。」
「そうなんだ…」それは聞いていなかったなと思いながらリツコはうなずいた。
「日本から外に出さえすれば、まだわりと移動の自由はあるって? ストリームラインと連絡さえ取れれば、お母さんたちと合流させられるって。でもキミの今回の二時間ずれた件もあるし、こっちとあっちの昔の通路はほんとに、ほとんど埋もれたり忘れられたりしてたから、まだ調査が足りてなくてね。情報が、かなり不確実なんだ…。うっかり抜けたら下に受け止めるクッションがなくて地面に激突とか、時代がもっとズレて浦島太郎になっちゃったりとかしたら、嫌でしょ? 絶対安全って保障できる通路が用意できるかどうか、もうちょっと待っててね。」
「うん。わかった。」
それからしばらくは主にリツコの方が、地球と日本のここ最近の事件について…小学生のリツコにも解る範囲の話だけ、だったけど…説明をして。
うとうとしはじめたら鋭が抱っこしてくれて、布団に入れてもらって。
…最後にみた大きな満月が、地球より大きいな~と思ったところまでで、リツコの記憶は途切れた…。
3-4. リツコ、寝坊する。
再び目が覚めると、どうやらもうすっかり朝も遅い、という時間帯の雰囲気だった。
大小色々いるらしい鳥の声が賑やかで、人の声や犬らしいものや馬?の吠える声とかのざわめきも遠くから聴こえる。
「…んんん…… よっく寝た…? …あれ…??? ここ、どこ…???」
あたりを見回して家でも学校の寮でもない部屋だと再確認して、それから、昨日なぜか異世界とやらに本当に来てしまってたんだった。…ということをぼんやり思い出し、
「…夢じゃなかった!」
…と、慌てて起き出した。…鋭の姿はすでにない。
服のまま寝てしまっていたので、急いでトイレと洗面を済ませて、ちょっと冷たかったけどついでに水浴びして髪も洗って、とにかく新しい服に着替える。
…そうだ。脱いだ服の洗濯は、どうしたらいいのかな…?
必要最低限の荷物しか持って来られなかったから、こまめに洗濯しないと、すぐに着替えがなくなる。
電気がないんだから、洗濯機だって無いよね…?
井戸水はたっぷりあったし天気も良かったので、水場の脇にあった大きな盥がたぶんそれ用だろうと考えて借りて、じゃぶじゃぶ手と石鹸で洗濯して。邪魔にならないかなー?と思いながら、土間のすみの植え込みの端っこの枝を選んで紐をかけて干した。
昨日と同じように卓の上に用意されていた箱盆の朝食を勝手にたいらげる。
「いただきます! ………ごちそうさまでした!」
3分でがつがつ平らげて手を合わせて礼をしてからふぅと目を上げると、旅館の中居さんのような動きやすそうな服を着た知らない女のひとが、物音を聴きつけてやってきたのか、にっこり笑って部屋の前に立っていた。
「あんによんまるにえん、えなら?」
「…あっ! おはようございますっ! …ごあん! 勝手にいただきましたッ!」
おもわずもごもごと噛んじゃいながら慌てて日本語で挨拶すると、にっこり笑って
「えんえん。」と返事をしてくれた。
「まによ、えんにえんね?」
リツコが食べ終えた食器を手早くまとめて箱盆ごと持って『ついて来て下さいな?』という風に首をかしげるので、リツコは急いでリュックをひっかけ、慌ててついていった。
気持ちのいい明るい長い廊下を何度か折れ曲がって、案内された先には鋭がいた。
広くて天井も高い大きな部屋で、鋭と同じような青と水色系の優雅だけど動きやすそうな服と、長めに伸ばして後ろでまとめた髪型の同じような雰囲気の…頭が良さそうで性格が穏やかそうな、でもちょっと頑固そうなところもある…学者さんタイプ?みたいな大人たちがたくさん(ほとんどが普通の人間タイプと、毛皮や耳つきも何人か)いて、大きな布や皮製の地図だの表だのを広げて賑やかに、打ち合わせか何かの準備をしている感じ。
真ん中の大きな机の上には昨日リツコが渡した「お土産」のノギスと計算尺が置いてあって、みんなでその寸法を測ったり絵図に写したり、興味津々で観察したりしている。
「…リレキセース。まるにえん。…えーらんてーい。」
案内してくれた女のひとが戸口から声をかけると、すぐに鋭が降り向いた。
「あるっくあーい。…あ、リツコ起きた? おはよう。」
「おはようございますっ。寝過ごしてごめんなさいっ!」
「い~よ~?」
それから鋭は周りの人に声をかけ、自分の見ていた書類などは簡単に片づけて、なんだか昨日着ていたものよりずいぶん高級そうな?かしこまった感じの?上衣を手にとった。
「じゃ、行こうか。」
「どこへ?」
「皇女サマにご挨拶~。」
「えぇ!?」
「…あれ、ゆうべ言わなかったっけ? ここの皇女サマって前は地球に亡命して朝日ヶ森に居たんだよ。『霧の校庭・運動会行方不明伝説』って、今じゃ学園七不思議になってるって書いてあったけど。」
「え~っ? …何十年か前の、障害物競走の途中で生徒がイキナリ消えたって謎の話? …あれ実話だったんだ…」
「そうそう。そん時に巻き込まれてダレムアスに来た僕が、ここに居るからねぇ。」
…つくづくあの学校はフシギと謎だらけだ…とリツコがあきれながら鋭と一緒に歩いて行くと玄関らしき場所に出て、その先の気持ちの良い小さな木立ちのなかの小径を歩いていくと、すぐに大きな道に出た。
「うわ…」
市場だった。いや…大きな町?…商店街?…と、見慣れないものだらけの景色に、リツコはきょろきょろしてしまう。
「…とりあえず質問と観光は後にしてー。皇女サマは怒らせると怖いからー。」
どこから観察したらいいかと立ち止まってしまったリツコの肩を押して鋭が苦笑する。
「それでなくてもキミ、きのう寝ちゃったからさ? 歓迎パーティーすっぽかしたんだよー?」
「…きゃーーーーーっ! ごめんなさいっ!?」
リツコは恥ずかしくて悲鳴をあげた。
3-5. リツコ、右将軍にあう。
街道を右に曲がってまっすぐ歩いて行くとやがて活気のある市場から広い庭のお屋敷が立ち並ぶ区画に変わって、いきあたった四辻でまた右に曲がると、開放的な感じの大きな高い門があって、特に検問とか見張りとかは何もなくて、わいわいと行き交う人たちと一緒にひょいとくぐると、入ってすぐに大きな男の人たちがなにか話しあいながら立っていて、そのうち一人が振り向きざまに、すごく嬉しそうな声の日本語で話しかけてきた。
「おう鋭! 来たか! そのコか?」
背が高くて筋肉もりもりで肩幅が広くて日焼けしていて、ばさりと無雑作に伸びっぱなした感じのすこしクセのある髪はつやつやした真っ黒で、笑った歯は真っ白だ。
赤と黒の派手なデザインだけど動きやすそうな服に、大剣と短剣と投げ矢?とか弓とかなにかの武器をたくさん、いかにも扱い慣れている感じに、隙なく身に着けている。
「うん雄輝。この子だよ~、高原リツコ嬢。」
手のひらで紹介して気軽そうに喋ってるけど、まだ若い青年の鋭よりは十歳くらい年長に見える。とても偉そうなマントを羽織った、大人の男のひとだ。
「こんにちわっ! タカハラですっ! よろしくお願いしますっ!」
近づいて来た相手をかなりのけぞって見上げながら、リツコは精一杯、元気に挨拶してみた。
「リツコ、これが『校庭行方不明事件』で消えた三人のうちのもう一人。翼 雄輝。」
「おう、よろしくな。ところでリツコって何県のタカハラ家?」
リツコは質問されてる意味がわからなくて返事ができなかった。
それに、紹介された人の背中には、焦げ茶色のまだら紋様のある、大きな翼があった。
「………羽………!」
昨日リツコを運んでくれた『ほぼ鳥に見えるけど服を着て喋って脚の手?で道具を操る人』たちとは違って、『ほぼ人間』な姿で、背中にだけ大きな翼があるタイプだ。
「…ん? 珍しいか? 《朝日ヶ森》なら今でも居るんじゃないか?」
「居るけど… すごく怖い人たちで…、近くで見たことなかったから…」
「あ~、天狗系のやつらか? あいつらは気難しいからな~…」
うんうんと勝手に納得している。
「おれはオオノのタカバの谷のモトシュケの『ツバサ』一族の最後の一人のユウキ。
…って言って解るか?」
「ごめんなさい。わかんないです。うちは分家の分家のまた分家とかで、本家の一族ってずいぶん前に滅んじゃてて、誰も詳しい人が残ってないそうです。…お父さんなら、もうちょっとは知ってるかもだけど…」
「あ~気にすんな。そんなもん、そんなもん。」
からからと笑って男の人はリツコの肩をぽんと叩いた。
地球には、古くからの伝説を語り伝えて来た、いくつかの「一族」に属する「遠い場所から来た人々」の子孫と、それとは別の「新しい土地で生まれた人々」という、区別がこっそりあるという。
ものすごく漠然とした話だけしか、リツコは知らない。
「マダロ・シャサ!」
広場の向うから呼ばれたのは、翼が生えてる地球人の、こっちの世界での名前らしい。
「…じゃな。…マーシャ怒ってるからな~。せいぜい庇ってやれよ?」
「うへぇ…」
リツコには謎の言葉を残されて、鋭が、ものっすごい嫌そうな声を出した…(リツコはびっくりした。)
3-6. リツコ、皇女サマに会う。
心なしか鋭は少し早足になって歩いて行く。リツコの身長だとすこし小走りにならなくちゃいけないくらいの歩調だ。
そこはとても大きな広場で、馬?車や人が曳くリヤカーのような荷車や、きのう乗せてもらった鳥の人が使うカゴに似たものなどがところ狭しと並べられ、ひっきりなしに人や獣や植物の人?たちが荷物を運び込んできては、移し替えたり、積み上げたりしている。
何かで同じような光景を観たことがあるなとリツコが思い出してみると、前にテレビでやっていたシルクロードとかの隊商の出発準備に似ていた。
…どうやら、大勢で旅に出る?仕度をしているらしかった。
その慌ただしく雑然とした前庭を抜けるともう一つの門があってくぐるとまた広場があって、こちらはまだ比較的すいている感じで、少し伸びすぎた芝生のような、昼寝したら気持ちが良さそうな、ふかふかした草がびっしりと生えた植えこみが両脇に長く伸びている幅の広い道を抜けた正面に、宮殿?らしいものがあった。
リツコが知っている範囲でいうと一番似ているのは奈良とか日光とか鎌倉とかいわゆる古都にある八幡宮とかの寺社。鮮やかな紅朱と金や緑の曲線的な木彫り細工で華麗に丁寧に飾られた木造建築で、広大な敷地内に渡り廊下や欄干でつなげて点在していて、屋根がとても高いけれども全体的に平屋建て。せいぜい部分的に二階屋もあったり火の見櫓みたいな塔がところどころにあるくらいで、全体的に平べったい。広場から続いている屋外の道の床は関帝廟みたいな石張りか玉砂利の部分も多くて、建物の中も地面と同じ高さの床は石。階段を上がると木の床。
鋭は案内も請わずにすたすたと敷地の奥の奥に進んで、そのまま最寄りの脇玄関をくぐって内廊下にまで入っていくので、リツコも遅れないようにがんばって後を追う。
驚いたことに、通りすがりの偉そうな役人らしい服の人たちが、鋭を見つけると皆すぐに頭を下げる。
「マウレィディア!」
「マウレィディア、リレク、エイセス!」
「マウレィディア!」
「アノネ、カイエ。」
鋭は軽くうなずくだけで短く返して、どんどん歩いて行く。
やがて着いた場所の開け放たれた大きな扉の前の廊下の、壁沿いに並んだたくさんの椅子の列に座って何かの順番待ちをしているらしい人たちの前は挨拶だけしながらすたすたと通り抜け、扉のすぐ脇にある先頭の椅子で待っていた人にだけ、
「…アウレクセス、マルニエン、エネ?」
と、頭を下げて片手でちょっと拝むようなしぐさで遠慮がちに声をかけると、
「マウレニエン、エネ、エネ!」
(どうぞお先に!)と言っているのだろう仕草で、相手の人は喜んで順番を譲った。
その大広間のなかで拝謁の最中だった人が、その声にふりむいて、慌てて自分の場所を譲ろうとする。
「…アウネ、ソノ!」
若い女性の高飛車な声が鋭く響いて、その人はちょっと困った顔をして、また前に向かいなおした。
(…構わない、続けて!…って、言った?)と、リツコは推測する。
どうやらそこが謁見の間で、真ん中の大きな椅子に偉そうに座っているのが、これから挨拶する「皇女サマ」とやら、らしかった。
色が白くて唇が真紅で、ものすごい美女だけど、かなり性格がキツそう。碧緑色の華麗な巻き毛を肩のまわりにふわっと広げて、瞳も同じ碧緑色だ。朱色と金色の豪奢だけどすっきりと洗練された意匠の繊細な装束。
まだ若いめだけど、おとなの女の人だ。さっきの男の人…翼雄輝…と同じくらいか、ちょっとだけ下くらいの年齢に見える。つまり、まだ青年の鋭より五歳か十歳くらい上? と推測してから、(まぁ地球人の感覚で、だけど…)と、七十歳は過ぎているはずの大叔母様と鋭が、六十年前の地球の小学校で同級生だった、という話を思い出して、うーんとうなった。
その、きつそうな性格の美女が、ちょっとかなり苛苛した感じで眉をしかめながら、目の前に座っている人の報告をそれまで最後までちゃんと聴いていたらしい感じで、いくつか短く指示を出して、またその返事を得てから、仕種と声とで偉そうに退出を命じる。
「…遅いわよ、あなた!」
次にいきなり日本語でビシッと怒鳴りつけられて、リツコは思わず首をすくめた。
「… は、はいッ! …ごめんなさいッ!」
「昨夜は歓迎の宴を用意したのにすっぽかすし! 今日は私もう出なくちゃいけないのにいつまでも待たせるし! …それになに? チビな上にタダビト組なの? …なんで清瀬律子が自分で来なかったのかしら!」
…これはもう…挨拶とか自己紹介とか、マトモにさせてもらえる状況ではない…?
リツコは震えあがり、あやうく涙目になりかけながら必死で言い訳をした。
「あのぅ…ゆうべと今朝はすいませんでした…あたし時差ボケで、寝ちゃって… それに大叔母様たちは今すごく忙しいんです。最近かなり大掛かりなテキハツがあったせいで、大勢タイホされちゃったんで…」
「…あら、そう…。」
美人皇女は、素早く眉をしかめた。
「鋭、その報告は後で聞くわ。今日はとにかく忙しいのよ。その御チビさんで大体揃ったし。明日もう出発するわよ! 正午発! あなたも準備急いで!」
「らじゃ。」
鋭はちょっとふざけた感じで地球式の挙手の礼をすると、あわあわしているリツコの肩を反対回りに押して、とっとと逃げ出そうとした…。
第4章 リツコ、仲良しができる。
第4章 リツコ、仲良しができる。
4-1. リツコ、案内される。
さっき順番を譲ってくれた先頭の人にだけ軽く挨拶して、とっとと退出しようとした時。鋭は、急に気がついた風に「おっと!」と言いながら立ち止り、慌ててふり向いた。
「…マーシャ。今の。…決定事項でいいんだよね?」
「え? あぁ。…日本語で言っちゃったわね。」
「伝令まわすよ?」
「えぇ。お願い。」
鋭は広間の内外とその前の大廊下に並んでいる人たち皆に聴こえるよう、すぅっと息を整えて大声で呼ばわった。
ぴんと張った声だ。
「…アウレイメイ! ミウンテア! …ソンナイ!」
列をなしていた人たちの間にざわ!と波がはしる。
鋭は繰り返して言った。
「アウレイメイ! ミウンテア! ソンナイ! …ディウンディアーイ!」
「アワッ! ディエンディアーイ!」
短く返事をして走り出していく、何かの制服を着て剣や槍を帯びている人たち。
並んでいた椅子の列からもほとんどが慌てて立ち上がって、がやがやと話しながら一斉に宮殿の外へ去って行く。
「…いま、何て言ったの?」おそるおそる鋭に聞いてみると、
「マーシャが言ってたことだよ。出発は明日に決定! 正午! …伝令ッ!」
それから今度はさすがにリツコの歩調を気遣う余裕は取り戻しつつも、鋭も足早に歩き始めた。「行こうか。…怖かったでしょう?」
苦笑している。
「ううん。あたしこそごめんなさい。きのう寝ちゃったりしなければよかった。」
「いや~、彼女は最近ずっとあの調子だから。きみが悪いわけじゃないんだよ。」
「そうなの?」
「きみとは全然関係ない理由で、ずっとものすご~く機嫌が悪いんだ。八つ当たりされてるだけなのに、かばってあげられなくて、ごめんね?」
ほんとにお手上げで~。と言う風なジェスチャーをまじえて謝る。
「ううん。それならいいけど…」
宮殿の外に出ると先ほどの広場の荷駄や人のざわめきが、さらに騒然と加速していた。
「ミウンテア! ソンナイ! ディウンディ!」
「ミウンテア!」
「ミウンテア~!」
大声で伝達しながら駆けて行く多人数の声がどんどん遠ざかり、周囲に復唱され、また広がっていく。
「…ねぇ、もしかして、鋭ってかなり偉い人なの?」
いっせいに動きだした人々や動物たちの騒ぎをきょろきょろ眺めながら気になっていたことを聞いてみる。
「…なんでそう思った?」
「だって若いのにみんなが膝を曲げてあいさつしてたし。順番もすぐに譲ってもらえたし。とってもエラそ~な、あのお姫さまのことも名前で呼んで、ため口きいてたし。」
「うーん、そっか。いい観察力だね。」
鋭はまた苦笑した。
「まぁ偉いっていうか… 皇女サマの地球時代からの友人? …というか。今は側近とか幕僚って扱いかな? …最近じゃ、なんかヨーリア学派の… あ、さっきのあの家にいた連中だけど、代表者? ぽくなってるし…」
「…やっぱり、かなり偉いの?」
「…うーんまぁ、さっき会った雄輝ほどの有名人ではないよ。まぁぼくは、たんなる雑用係だねぇ…」
「そうなんだ?」
「そう。それで、明日出発ってことはぼくも準備で忙しくなっちゃったんで、その前に、旅のあいだキミのめんどうを見てくれる人のとこに連れてくからね。」
「そうなの?」
リツコは旅と聞いてもずっと鋭と一緒だろうと思っていたので、びっくりして目を丸くした。
「うんそう。だって昨日はもうしょうがなかったからぼくの部屋に泊めたけど、旅のあいだずっと男のぼくと女のコのきみが同室ってわけにいかないでしょ? ほんとは昨日からそっちに泊めてもらうはずだったんだけど… あ、いたいた!」
広場のすみのほうに妙にたくさんの生き物で混みあっている一画があって、鋭がかまわずその雑多な群れの中に突っ込んでいくと、小鳥たちや猛禽たちや小さい動物や大型の四足獣や、それに人間の子どもや大人が一斉に、わっと散って通り道をあけてくれた。
4-2. リツコ、マシカにあう。
「…マシカ!」
「リレク!」
呼ばれて振り向いて鋭の名前?を嬉しそうに呼びかえしたのは、鋭と同じくらいの年齢に見える…大人になったばかりな感じの、まだかなり若い、綺麗な女の人だった。
秋の紅葉と黄葉をまぜまぜにしたような華やかな色彩のくるくるした巻き毛を首の後ろでぎゅっと結んで、緑と茶色の動きやすそうな服に、歩きやすそうな柔らかい皮の長沓。
瞳の色は皇女サマとよく似た碧だ。色が白くて額の広い、すっきりした美人なところも似ているけど、でもずっと優しくて親切そうな、すてきな笑顔だ。
手には草の束?のような道具を持って、大きな黒馬の世話をしていたらしかった。
「動物たちの調子はどう?」
鋭はそのまま日本語で話しかけ続けた。
「モンダイないわ。あしたシュッパツですって?」
驚いたことにその人は、ちょっと発音が怪しかったけど、なめらかな日本語で答えた。
「そう。で、この子が例の子。頼める?」
「わかったわ。よろしくね、リツコ? あたしは、マシカよ。」
「こんにちわ! …びっくりした。日本語が話せるんですね!」
「リレクやマーシャたちからナラッタのよ。」
「そうなんだー!」
リツコはほっとして笑った。さっきの怖い皇女サマと違ってだんぜん優しそうだし、こっちの人なのに、言葉が通じるなんて!
「マシカこれから時間ある? リツコを市場に連れて行って、着替えとか旅に必要なものを一式買ってあげてほしいんだ。これ予算。足りるかな? 諸侯会議にも出るからさ、ちょっと豪華っぽい、正式な服も必要なんだけど。」
「えぇ。足りると思うわ。知り合いの店が安くしてくれるのよ」
マシカは渡された袋の中身をかるく確認して、白い歯でにこっと笑った。
「あと例のあの…、言葉の術も、頼める?」
「…あら? 先にマーシャに会いに行ったんじゃなかった?」
「ものっっすごい機嫌が悪くてさー。頼むどころじゃなかった。」
「あらあら…」
マシカも、よ~くワカッタ、という感じの、身内に特有の仕種で肩をすくめた。
「わかったわ。あたしの神力じゃ弱いけど。全然ないよりマシでしょ。」
「じゃ、ごめん、リツコ。また明日ね。もしぼくに用がある時はマシカにそう言ってくれれば、すぐに連絡がつくから。」
「うんわかった! ありがとう!」
リツコが慌てて手を振るうちにも、鋭はどんどん歩いて行ってしまった。
それを後ろから追いかけてきていた人たちがわっと取り囲んで、次々に話しかけたり、書類らしいものを渡したり、左印をもらったりしている。
…やっぱり、本当に偉い人で、ほんとうに忙しかったらしい…。
リツコは、うっかり寝こけてしまったせいで二日間もあたしみたいな子どもの世話なんかさせて、悪いことしたなー?と、ちょっと反省した。
「ちょっと待っててくれる?」
鋭を見送っていたリツコにそう言って、大きな立派な黒い馬の世話を最後まで仕上げたらしいマシカは、まわりの人間たちや動物たちに挨拶らしい言葉をかけてから、リツコをつれて広場のすみの水場に行って手と顔を洗い小布で簡単に拭いて、髪をほどいた。
ふわりと広がった朽葉色の巻き毛は、とても華やかでよく目立つ。
「きれ~い!」
リツコが思わず誉めると、マシカはにこっと笑った。
「そう? ありがとう。リツコの髪もすてきよ?」
「えぇ? あたしのなんか焦げ茶色でクセ毛でへろへろで~。全然ダメ」
「そうなの? ダレムアスでは《大地の色》って言って、一番いい色だけど?」
「そうなの?」
「えぇそうよ。ほら可愛い。あたしたち姉妹みたいね?」
マシカはそう言ってリツコの固く縛っていた癖毛もほどいて、ふわっとおそろいな感じに広げてしまった。
リツコは初対面の人にいきなり『姉妹みたい』とか親しくしてもらえたのが嬉しくて、
「えへ~」と照れた。
マシカはそんなリツコを見てにこっと笑って、それからちょっと後ろに下がった。
何をするのかな? とリツコがキョトンとして見ていると、リツコのことを上から下までじっくり観察している感じで、それから深呼吸してもう一度にこりと笑い、また近づいてきたと思ったらリツコの両頬に両手を添えて、そぅっと額と額を合わせて、息を整えて、…歌うように、小さく叫んだ。
「ま~りえった! れっと、せっと、えッ!」…(ことばよ、通じよ!)
「え?」
「まうれいにあ、あむにや、あむねえむね?」…(わたしの言うこと解る?)
「えっ? …解る! ?? …あれ……???!」
リツコは目を丸くした。
何がどうなったの…??
「マーシャは《神力》って訳してるけど、鋭は魔法って呼ぶわね。あたしは血の力は弱いから、マーシャがやるみたいに自分の言ってることを相手に解らせる術まではむりなの。効き目も弱いし、時間も短いと思うんだけど…とりあえず、それでやってみましょう?」
リツコはむしろ日本語で説明された内容のほうがまったく理解できなかったが、とりあえず「うん。」とうなずいた。
4-3. リツコ、市場へ行く。
ついて来ようとした小鳥たちや小動物たちには『ちょっとあっちへ行ってて!』と言いつけて追い払ったマシカは、とても楽しそうな顔でリツコと手をつないで、ずんずん市場の奥に分け入っていく。
リツコはとにかくもうきょろきょろしてしまって大変だ。質問したいことを全部聞いていたら一歩も前に進めなくなるくらい、見るものすべて珍しい。
使いこまれて黒光りしている太い木彫りの柱の大きな天幕の店や、竹の柱に布の屋根を張っただけの簡単な屋台。二階建ての立派な木造の飲食店もあるし、屋根と柱だけあって壁がない建物の、安くて大盛らしい賑やかな食堂もある。
色とりどりの布地屋、服屋、仕立て屋、小物屋、高そうな装飾品の店、細かい革細工の店。皿の店、壺の店、石や木材の店、野菜の店、果物の店、ちょっとだけぎょっとする眺めの、生肉の量り切り売り?の店…
占い屋さんかしらと思う地べたに座った賢そうなお婆さんや、兎の人や羊の人たち相手におしゃれな毛刈りや毛染めを施している店。
ひたすらまわりじゅうを見回しながら歩いていたリツコは、少し遅れて、自分のほうも周囲の人たちから、びっくりした顔で眺められていることに気づいた。
「…ティケット?」…(地球人?)
「テーイケットィ? アナン?」…(地球人か?)
「あ~やけった、ていか!」…(おっとびっくり! 地球人じゃないか!)
市場を行き交う通りすがりの人々が、リツコのTシャツと短パン姿を見て目を丸くして声をあげる。
(………え? なんであたし、言ってる意味が解るの? ティケット…ってチケット? 切符? …じゃないよね…?? こっちの言葉だと《地球人》って意味になの…??)
まったく解らないはずの言葉が、ちょっとだけ遅れてだけど、だいたいの意味が判る。
まるで頭の中で映画の字幕でも読んでるみたいな感じだ。
(?? …これが、さっきマシカがかけてくれた《言葉のマホウ》とかいうやつ…??)
目を丸くしたまま混乱しているリツコをしりめに、はぐれないように手だけはぎゅっとつないで、すたすたと前を歩いていたマシカが、ひょいと曲がって一軒の店に入った。
ので、続けて敷居をまたごうとしたリツコを睨んで、鋭い声をあげた男がいた。
「エベルディン、スレイガ!」…(出て行け、敵め!)
「えっ? 敵? なに??」
「…あんま、のうでぃあ、あーろんでーぃ。」…(なにか御用で? お客さん?)
隣にいた店員らしい人も、怪しい奴め、という嫌そうな顔で、リツコを見ている。
知らない人から突然『敵め!』と言われた事に心底びびって固まっていた。
「まるまっかあれ。」…(あたしの連れよ。)
どうやら鋭と同じくらい周りの人たちに顔が知られているらしいマシカがぴしりと言うと、周囲のざわめきが一瞬で収まった。
「ジョルディイリヤン、ダレッカ。リレキセース、オルディイイン。」…(諸侯会議に出るお客様。リレク様からお預かりしたの。)
出て行けと言った男は不機嫌そうに口をつぐみ、自分のほうがさっさと出て行った。
「あんに~や、マシカ!」…(いらっしゃい、《星の娘》!)
奥から店主らしい人が急いで出てきてにこにこと挨拶してくれて、あとはもう買い物が大変だった。
マシカがかけてくれた言葉の魔法?とやらのおかげで、相手が言っていることは何語であれ、なんとなくリツコには意味が解るけど、リツコが喋ってる日本語は、相手には全く通じてないらしい。
半分はマシカに通訳してもらいながら、マシカにもうまく翻訳できない時はとにかく身振り手振りで、好きな形だとか嫌いな色だとか、肌触りがどうとか色々説明しまくって、それから厳選したものだけ試着してみて、さらにあーだこーだと、似合うとか似合わないとかみんなで品定めをして。
あれやこれやと出してきてくれる衣類や旅行用品がどんどん山になっていくのを見て、
「ちょっと待ってマシカ! こんなにたくさん買っても背負いきれないよ?」
リツコが悲鳴をあげると、
「馬車で運ぶから大丈夫よ」とマシカは余裕で笑った。
一通りの品物がようやく決まってマシカが鋭から預かってきた財布の中身で支払いも済ませて、配達まで頼んで店を出た時には、リツコはもうかなり疲れてしまって、おなかもぺこぺこだった…。
マシカが気を利かせて、道すがらの屋台で甘いものを食べさせてくれる。
色とりどりの豆を甘く煮たものの中に何かぷにっとした食感のものが入った、あんみつとぜんざいが混ざったような味の、見た目も可愛らしい女のコ御用達なスイーツだ。
「…おいしーーーい!」
叫んだリツコに、マシカは笑った。
4-4. リツコ、宿に戻る。
「元気でた? じゃ、ちょっと遠いけど私のテントまで歩きましょう。」
「あ、ちょっと待って! あたし今朝、洗濯物を干してきちゃったの!」
「センタクモノ?」
なぜかこれがマシカに通じなかった。リツコは身ぶり手ぶりで説明してみた。
「服を洗って~、干して~、こう…。昨日泊めてもらった部屋の中に、干して、置いてきちゃったの!」
「…あぁ。洗った。干した。で、…乾いた?」
「そう。洗濯物。」
「センタクモノ。」
マシカはうんとうなずいた。
「リツコ、わたしのニホンゴまだまだみたいだわ。旅のあいだ、たくさん教えてね?」
「うん! こっちの言葉も教えてね?」
じゃあセンタクモノを取りに一度戻ろうという話まで進んで、リツコは困った。
「どうしよう! あたし帰りも鋭と一緒だと思ってたから、道を覚えてない!」
「ヨーリア学派の宿坊でしょ? わかるから大丈夫よ。」
「ほんと? よかった~!」
しばらく歩いて、なるほど見覚えのある植え込みの門のちかくまで案内してくれると、マシカはその手前の薬草の店で買い物をしてくるから、その間にセンタクモノをとってきて、と言う。
うん解った! と、ひとりで門を入って、見覚えのある玄関まで行って、そこには誰もいなかったので、無断で勝手に上がるのもまずいかと思って、声をかけてみた。
「すいませ~ん! …誰かいませんかー?」
「…もうどれいやなっ? えんにやえん。」…(*********)
(??? …あれ…! ???) リツコは困った。
さっきまでは、相手の話す声と一緒になんとなく判っていた「ことばの意味」が…
また、解らなくなってる…!
魔法?をかけてくれた時にマシカが言ってた「時間も短いと思うんだけど」という言葉の意味のほうが判ったー!…と思って焦りながらも、幸いにして最初に出てきたのが今朝リツコを案内してくれたあの女の人だったので、もう一度「センタクモノ!」という身振り手振りをして、「取りに行きたいので部屋に入ってもいいですかー?」と許可を得るのは、そんなに難しくもなかった。
鋭の私室だったらしい今朝の部屋にもういちど案内してもらい、洗濯物がきれいに乾いていたのをこれ幸いと、急いで畳んでリュックに詰め直す。
「どうもすいません! ありがとうございました!」
ぺこりと頭を下げてお礼を言って退出すると、
「まぅれいでぁ~。」
女の人はにこにこして、手を振って見送ってくれた。
それからまた教えられてた薬草店に戻って、誰かと談笑していたマシカと合流して歩きだしながら、もう言葉がわからなくなってしまったことを伝える。
「…う~ん、半日モタナイのね…」
マシカはちょっと悔しそうな顔をした。
すぐにまた術をかけなおしてくれるかなと思ったけど、そういうわけでもないらしい。
「もしかして、実はすっごく難しいとか、マシカがものすごく疲れるとか…する?」
「そんなことはないけど。だってもともとはあの三人と一緒に旅してた頃に、あたしだけ言葉が通じなくて不便だったから覚えようと思って、意味が解るようにって、自分で自分に毎日かけてた術なのよ。…でもあれ、かかっている間、アタマが疲れるでしょう?」
「…そう言われてみれば、そうかも…。」
頭というより、ものすごくおなかがすいたけど。と思いながらリツコはうなずいた。
「今日はもう眠るだけだから、また明日にしましょう?」
それから日本語で色んな話をしながら《仮皇都》の街の外に向かって歩いて、沈み始めた夕陽と夕焼けと一番星を眺めながら三十分くらいで、マシカと仲間たちが寝泊まりしているという旅天幕の臨時の村?に着いた。
4-5. リツコ、天幕に泊まる。
マシカの仕事は《薬師》と言って、医者と獣医と薬剤師と看護師と産婆さんと保健婦さんと学校の先生と地域の戸籍係と生活委員とカウンセラー?…まで兼任しているような、けっこう大変な職業らしい。
着いたのが日暮れの後だったし、リツコは言葉が通じなくなっていたし、みんな明日の出発に向けて忙しそうに飛び回っていたので、ちょうど通りすがった人たちにだけ簡単に挨拶して、大天幕のすみで温かい夕飯を食べさせてもらって、さっきの店から早馬で配達されていた小山のような荷物を受け取って二人で手分けして抱えて、リツコたちはすぐにマシカの天幕にひっこんだ。
何枚かの革と布をじょうずに張り合わせて笹と木の枠で支えた一人用の天幕は、二人で入るとちょっと手狭になったけど、居心地よく乾いて清潔で暖かくて、きちんと整理整頓の行き届いた、いかにもマシカの部屋! という感じがする、すてきな隠れ家だった。
「マシカは用意はしなくていいの?」
「たぶん明日出発になるだろうというのは昨日のうちに解っていたので、もう準備は済んでるの」
「そうなんだ」
「でも明日は早起きしなくちゃだから、今日はもう寝ましょう?」
寝間着に着替えて、くせ毛の髪の梳かしっことかして、くすくす笑いながら内緒話なんかして。それからマシカとリツコは本当の姉妹よりも仲良しになって、一つの寝床で寄り添って一緒に眠った。
ただし問題は、リツコのために追い出されてしまったマシカの沢山の同居動物…マシカが言うには「押しかけイソウロウ」…さんたちだった。
ぶぅぶぅきゃぁきゃぁぴぃぴぃと、それぞれの鳴き声で文句を言いながら脇の長椅子に移動させられた、栗鼠や仔猫や小型犬や小鳥やフクロウや翼の生えた小さい蛇や…その他いろいろ…が、朝になってリツコが目を覚ましてみると、二人の少女のあいだとまわりじゅうにぎっしり詰まって乗っかって、一緒に眠っていたのだった…。
第5章 リツコ、旅に出る。
第5章 リツコ、旅に出る。
5-1. リツコ、早起きする。
翌朝、天幕のすぐ上で鳴く鳥たちの声がすごくて、リツコはびっくりして目が覚めた。
すでに開けてあった天幕の戸布の向うに見える星空はまだ夜明け前で、外に出てみると東?の山並みの上の薄い金色の線から、反対側のまだ暗い空の色と最後の星の瞬きまで、雲ひとつない見事なグラデーションだ。
…う~ん、地球と同じに見えるんだけど…と、伸びとあくびと深呼吸を同時にしながらリツコは思った。
一番の違いは空気だ。
すごく何というか…すがすがしくて…さらりとして…深いけど透明な感じで…とにかく美味しい。
昨日そう言ったら鋭が、「この世界には公害も原発もないんだよ!」と笑ってた。
「…あら、起きた?」
広い空の下で美しい髪に櫛をかけてふんわりとまとめていたマシカがふりむいてにこりと笑った。「今日もお寝坊さんなのかと思ってたわ」
「うーん。だって昨日は早く寝たし。マシカがいてくれたから嫌な夢も視なかったし。」
「うん。よく寝てたわね。ミーボナンにほっぺた踏まれてるのに全然起きなかったもの」
寝ている間にベッドの上は動物だらけで、まだ寝こけているやつもたくさんいて、先に目を覚ました連中は今もマシカの髪にまとわりついたりして、仕度の邪魔をしている。
リツコは苦笑して、自分も起きる仕度を始めた。
まわりの天幕の人たちも皆すでに起きだしているようで、あちこちで出発の準備を始める賑やかな物音や声がしている。
寝間着のまま教えられた川辺に降りて手と顔を洗い、その水場よりちょっと離れた下流に用意された木造のトイレ!(川の流れの上に付き出していて、床に穴が開けてあって、全自動?水洗式? だ…)で用をたす。
言葉が判らないまま、すれ違う薬師の人達にはとりあえず「おはようございます!」と挨拶しておく。
戻ってきて、はたと悩んだ。
「ねえ? マシカ。今日って何を着たらいい?」
「あ、そうねぇ…、どれにしましょうか…?」
昨日買ってきた装束類の小山と、自分が持ってきた少しの着替えを並べて、天気と気温を考えて、マシカの意見も聞いて、結局「地球式」の略礼装?が良いだろうということになった。
白いTシャツに動きやすい七分丈の水色のガウチョパンツを合わせて、その上から、おしゃれな私立校の制服みたいな襟の形のギンガムチェックの夏ワンピを羽織って。前ボタンは適当にはずして開けて、ちょっと「こなれた感じ」におとなっぽく、着崩してみる。
靴はやっぱり履きなれたスニーカーのままにした。だって相当、歩く?らしいから…
「…きゃー、リツコ可愛い~ ♪ 」
そう褒めてくれながら、マシカのほうは以前から決めてあったらしい衣装にさっさと袖を通している。
やっぱり昨日の仕事着?と同じような、日本で言うと作務衣?みたいな動きやすそうなデザインだけど、超新品で、手織りらしい深い緑色のつやつやした布地の模様がすごく手が込んでいて、民族調っぽい刺繍とか金色の星型飾りとか色々付いていて、軽くて薄い布の同色のスカーフみたいなマントもふわりと羽織ったら、とても上品で華やかだ。
「きゃー! マシカすてき! とっても綺麗!」
リツコが手放しで誉めると、うふふんと得意そうに笑った。
「そうでしょう? この布を織るのは苦労したのよ! …リツコ、髪型はお揃いにしましょうよ!」
可愛い髪飾りも貸してくれたりして普段の自分よりもずっといい感じに仕上がったのでリツコがすっかり満足して小さな手鏡に映して見ていたら、「こんなに薄くて小さな鏡! こっちには無いわ!」とマシカがすごくびっくりしていた。
もうそれだけで盛り上がりながらの賑やかな身支度がやっと終わると、マシカは昨日の昼にやってくれたように、ちょっと気分を改めるしぐさをして息を整えてから、リツコの頬に手を添えてぴったりと額を当てて、唱えた。
「…ま~りえった! れっと、せっと、…えっか、…ろう! …ぐん!」
(あれ?昨日と少し違う…)とリツコが思う間もなく、
…( ことばよ、通じよ! …せめて日暮れまで! …もつように! )
…という意味が、頭のなかに字幕が映るような感じで、急に流れ込んできたのだった…。
5-2. リツコ、紹介される。
ちょうどその頃に朝日が眩しく射しこんできた。からりと晴れた秋の初めの上天気だ。
『朝ごはん出来てるよー、早く食べちまっとくれ!』と、食堂の人から声がかかったので大急ぎで出かけて行った。
『おはよう!』とか『よく眠れた?』とかそれぞれの言葉で色々と声をかけてくれる大人の薬師の人たちに、リツコは日本語と手振り身振りで元気に挨拶を返しながら昨夜と同じ大天幕に行って、色々な野菜とか豆とかキノコ?やハンペン?のようなものがどっさり入った温かいスープと、穀物の粉をこねて焼いたクレープのような薄焼きに塩味のあんこや栗きんとん?のようなジャムをはさんだ主食を、おなか一杯食べさせてもらった。
食器は各自で持参制で、ダレムアスに着いた時に鋭からもらった一式を忘れずに持っていった。地べたに敷いた絨毯の上に片アグラで座って、ちゃんと膝敷を使った。
それからリツコが二人分の食器を洗って戻って拭いて片づけてしているうちに、マシカは手早く整然と自分の天幕の中のものを幾つかの大きな木箱と布袋に詰めて行き、リツコもがんばって出来ることは手伝ってみて、最後に一緒に天幕を畳むと、うんうんと担いで何往復かして、少し離れたところに停めてあった木製の荷馬車に運び入れた。
それからマシカが小型の馬のようなロバのような、ずんぐりして大人しい四足の動物を連れてきて荷馬車に繋ぐと、出発の準備は完了だった。
『ごめんなさい。先に行くわねー!』
マシカがそう声をかけると、まだ準備中らしい薬師の皆は口々に返事をして、手を振って見送ってくれた。
荷物満載の台車を牽いた小型馬の手綱を引いて、人間二人はその横をとことこ歩く。
「これは《白の街道》というのよ。日本の言い方だと《国道》なんですって。」
マシカが教えてくれる。
夕べはもう薄暗くなった中を星を見上げながら来たので気がつかなかったが、歩きやすいように白い大きな石畳で丈夫に舗装された、幅は四メートルほどのしっかりした道だ。
気持ちの良い朝の景色を眺める余裕もなく慌ただしく人馬が行き交う街道沿いの、目につくものをあれこれ教えてもらいながら、昨日歩いてきた道を戻ってまたあの《仮皇宮》前の大門に着いた。
「あ、いたいた、鋭!雄輝!」
「マシカ、おはよう!」
「お! 似合うぜそれ。綺麗だな!」
「ミア・モルラ・マシカ! マウレィディア! アノネエル、ソナ・カイネティケア?」
…(《星の娘》殿、おはようございます。そちらのかたが地球からの御客人ですか?)
「エウネア、ソレラアウグ。モレラディン・エラ。」
…(えぇそうですモレラ様。先日は失礼しました。)
「リツコーニャ。モレラエヘネ。アノデソウスラエネ。オレラノ、ソディラ。」
…(リツコ殿、モレラと申します。こたびは無理を聞いて頂き感謝にたえません。)
門を入ってすぐの昨日と同じところに鋭と雄輝と、他にもたくさんの重臣ぽい人たちが集まっていた。
みんなきちんとしたおしゃれというか、礼服とか正装らしい仕度で、ばりっと格好良く整えている。
「ミアマリツコ、マウレソイディア。オルレア・オルレ・ドラウグ。」
…(リツコ殿、お初にお目にかかる。それがしドラウグと申す者。)
「あじょれ・りつこうにゃ。あにのれの、そな。」
…(はじめまして、リツコ姫。わたくしはソナですわ。)
「あいどれーが! だれむあすーな!」…(《大地世界》へ、ようこそ!)
「アイドレーガ! アルラ!」…(ようこそ! 歓迎しますぞ!)
初めて会う偉そうな大人の人たちもみんなマシカにだけでなくリツコにまで腰を下げてきちんとした挨拶をしてくれるので、リツコも一生懸命「おはようございます! 一昨日はごめんなさい! 地球から来た高原リツコです! よろしくお願いします!」と日本語で頭を下げた。
「リツコ、おはよう。それ可愛いね」
「おー、地球式の服にしたんだ?」
鋭と雄輝がお世辞でなく本気で誉めてくれたので、リツコは照れて、えへへと笑った。
マシカがちょっとだけ心配そうに二人に聞く。
「どうかしら? 一応こっちの服もちゃんと用意してるんだけど。『地球からの御客人が諸侯会議に参加する』ってことは、宣伝したほうが良いのよね?」
「うんそうなんだー。この服なら一目で地球人て判るね。さすが! ぼくじゃ思いつかなかったよ。やっぱり女の人に任せてよかった。」
「…あら… 褒めても何も出ないわよ?」
マシカがすこし照れて頬を赤くしたので、リツコはちょっとあれっと思って眺めた。
それから少し打ち合わせがあって、せっかくだからと、リツコはなるべく目立つように、後方の荷馬車隊ではなく先頭に近い鋭の馬の鞍の前に乗せてもらうことになった。
「じゃ、私はマブイラに騎せてもらうことにするわ」
そう言ってマシカがどこかから連れてきたのは…なんと! 見事に枝分かれした角を堂々と掲げた、ものすごく立派な… 銀灰色の雄鹿だった。
「……マシカが……鹿に乗る……。」ついつい小声で言ってしまうと、
「ね、やっぱりそこちょっと笑っちゃうよね?」と、鋭がこっり相槌を打ってくれた。
牽いて来た荷馬車は雄輝たちの部下の人が列の後方の商人隊に預けに行ってくれた。
5-3. リツコ、式典に参加する。
それからどんどん広場に人が増えてきて、中央に列をなした着飾った旅装束の人たちと周囲に並んだ見送りらしい服装の人たちとで、ぎっしりと隙間もないくらいになった。
(昨日の山のような荷馬車や荷駄隊は後方と脇に順序良くきちんと寄せられていた。)
『…刻限!』
『まもなく!』
『刻限!』
もうこれ以上は広場に人が入れない…という頃、ドンドンドドーン!と威勢よく大鐘と太鼓が打ち鳴らされた。
居並んだ人たちが、ざっと威儀を正す。
『みな、御苦労!』
例のおっかない皇女サマが碧緑の髪を豊かになびかせ、みごとに華麗な金と朱色の正装で着飾って、昨日マシカが世話をしていたあの特別に大きくて立派な黒馬にまたがり、堂々と広場の中央を分けて進み出てきた。
『少し長い旅になりますが、皆すべて無事であちらへ着くように! 留守の者たちは不安もあろうが、必ず和平を為して来るゆえ、安んじて待つように!』
それに対して、留守役の代表らしい身分の高そうな衣装の年輩の女性…さっきモレラ様と呼ばれていた人だ…が、門の脇から進み出て来て、深々とお辞儀した。
『道中、御無事で!』
みな、唱和する。
『道中、御無事で!』
『…出発!』
雄輝が、みごとな金鹿毛の馬にひらりと飛び乗り、皇女のすぐ後ろ右脇にぴたりと並べて号令を発した。
『出発!』
『…出発!』
伝令が次々と声を並べて叫び伝えていく。
「…行くよ? 笑って!」
鋭は白銀色の優雅な馬に身軽に騎乗すると、鞍の前にリツコをらくらく引き上げて乗せてくれ、皇女殿下のすぐ後ろ、雄輝と並ぶその左側の位置に、するりと当たり前のように並んだ。
(…………………! えーーーーーーーーッ!!!!?)
つまり、リツコの位置するところは、一国の代表として和平会議とやらの旅に出る皇女サマの、すぐ左うしろ。という重要な場所だった。
そのまた後ろに、偉そうな重臣らしいお爺さんとか、ものすごく賢そうな顔立ちの年輩の女官たちとか、着飾った姫君たちの集団とか、武装した兵士の隊列とか商人旅団とか…何百人もいそうな大行列が、堂々と居並んで続く。
( ……… 嘘っ! 聞いてなーーーーーーーい………ッ!)
心の中で絶叫してみても後の祭り。リツコはとにかく(場違いすぎる!)と内心で絶叫しながらも、鋭たちに恥をかかせてはいけない!と… 必死で愛想笑いを、してみた…
伝令や先導役らしい護衛の兵たちがまず門を出て、押し寄せてきていた見送りと見物の人たちに鋭く声をかけてもう一歩下がらせる。
続いて堂々とした歩みで皇女サマと雄輝と鋭とマシカの四人が門前に出る。
瞬間、ものすごい、歓喜の声が爆発した。
さらにゆるゆると前に進むと、ますます興奮が高まった。そして。
その歓声とはまた別のどよめきが、背後からわっと起こったので、リツコは思わず振り向いた。
…龍だ…!?
きのう見たふかふかの芝生状の長い草壇に金銀の巨大な龍が二匹、長々と横たえられてあるのはさっきから人波の向うに見えてはいたが。てっきりお祭りの縁起もの飾りだと思っていた…ら。
二頭が揃って音もなくふわりと宙に舞い上がり。
テレビで見た長崎のお祭りの龍のようにくるりくるりと旋回しながら、悠々と天高く昇っていく…!
『…我は西皇家よりの使者マフイラ。』
『おなじくミフイラ。』
『…出立を、見届けたり!』
『見届けたり!』
そう天から呼ばわって、ふわーっと一回転ひねりな感じで舞い、さらに高く昇った。
『西皇家皆々様によしなに!』
皇女が高い声で返礼して見送る。
青い天空に舞う金銀の華麗な龍の美しさに、居並ぶ人々は、歓呼と絶叫と噂話で、もうハチの巣をぶちまけたような有り様だった。
5-4. リツコ、誇大広告される。
後から思い出してもつくづく、前から二番目なんて身の程知らずの大それたポジションに強制参加じゃなくてただの沿道の観客でいたかった、というのがリツコの感想だった。
豊かな碧緑の巻き毛を風になびかせて朱紅に金糸の刺繍織のあでやかな衣装をまとい、その腰には同じ意匠で飾った壮麗な大剣を佩き、美しい無紋の黒毛の戦馬にまたがった、華麗なる《戦将皇女》殿下を先頭に。
右後ろに並ぶ金馬は真紅と漆黒の戦士装束の背中に鷹の両翼を堂々と掲げている雄輝。
左後ろに並ぶ白銀の馬には青と水白色の礼装をきちりと整えた絶世の美青年参謀の鋭。
二人のすぐ後ろにぴたりとつけて、堂々たる枝角をそびえ立たせた大鹿に騎る薬師装束の美女マシカ。
『…見ろよ! あのかたがたが戦を終わらせてくれた四軍神だ!』
『なんてお美しいのかしら皇女様!』
『きゃーーーーーーっ! リレク(鋭)様、すてきっ! お凛々しいッ!』
(…その鋭の鞍にちょこんと載ってるあたしみたいな小荷物なんか、この際この絵づらの中では絶対的に邪魔だ。…と、リツコは真剣に思った…。)
『ちょっと何よ、あのチビ?』
『泥球界(地球)からのお客人らしいよ。何でもさる有力な部族の長の縁者とか』
『泥球界の? 王族? 皇族?』
『お使者様なんだから、皇族なんじゃないかぃ?』
(えぇぇぇぇっ!)と、沿道の声の内容まで聴こえてしまったリツコは内心で絶叫した。
「…鋭ッ? なんかあの人たち、すっごい大誤解してないッ?」思わず小声でささやく。
いくらちょっとだけオシャレめなワンピを着てみたからって、実は通販のしかもタイムセールのバーゲンで買った安物だ。『さる有力な部族の皇族』…ってなに~ッ?!
たしかに大叔母様は陰の実力者で朝日ヶ森の学長だけど、それって別に王家でもなんでもナイわよ!?
…むしろ今この国の言葉が喋れなくて良かったと、つくづく思った。
話が出来たら絶対に、必死になって噂を否定しにまわっていただろうから…
リツコの赤くなったり青くなったりの百面相を、ひとのわるい笑顔でにやりと無視して、行列が街から出るまでの間中、鋭はとにかく、
「笑って! ほら笑って! …ほら手を振って!」しか、言ってくれなかった…。
その鋭自身も率先して、まわりじゅうに手をふって愛想をふりまき、観るひとすべてをその超絶美青年な笑顔でうっとりさせていた…。
そんなこんなで街から出るだけでもしばらくかなりの時間がかかり。
その間、金銀二頭の龍たちは上空でゆったり旋回して「出立を見届けて」いるようで、街から行列が出るころ、挨拶のように尾を振って、西の空へとすうっと飛び去った。
「…ねぇ鋭…。もう笑うのやめていい…?」
ようやく道沿いの見送りの人が少なくなってきて、やっとそう聞けたころには、リツコの顔の皮膚と筋肉は、ばりばりに強張っていた…。
5-5. リツコ、爆睡する。
「うんもういいよ。お疲れ様? ちょっと水でも飲むかな?」
鋭は自分も「あ~疲れた!」とぼやきながら普段の雰囲気に戻って、馬上で揺られながらだけど竹筒の水をリツコに先に飲ませてくれて、自分も仰向けになってあっという間に一滴残らず飲み尽くしてしまった。
それからまたゆっくり移動し続けて《白の街道》沿いを朝に歩いて来た西の方角に戻ると、途中の河原でたくさんあった移動用の天幕はすべて畳み終えて待っていた薬師のおばさんたちが、一行のために元気の出る休憩用のお茶やお菓子を整えて待っていてくれた。
やっとリツコはひと息ついて、その後はマシカの大鹿に一緒に乗せてもらって進んだ。
薬師集団のうち、半分くらいが荷馬車隊に混ざって皇女の行列の最後尾に入る。
あとの半分くらいは列には入らず流れ解散するらしくて、手を振って見送ってくれた。
夕暮れ前にその日の宿営地らしい場所に着き、地元の人たちが出迎えの野外宴会の用意をしてくれていて、先頭が(…いちばん凄い勢いで皇女がまっさきに!…)焚火のまわりで飲み食いを始めてひと段落した頃に、ようやく列の最後尾の荷馬車隊ががらごろと追いついてきて大量の食糧や天幕をせっせと降ろし、さらに追加の大きな炎をいくつも起こして、出迎えてくれた地元の人たちへの返礼を兼ねた大人数分の晩餐の仕度を始める。
荷を降ろし終え、早目の夕餉をふるまわれた後は、そのまま手を振って別れて元の街へと戻る人たちも百人くらいいた。
「リツコ、今日もあたしと一緒の天幕だけど、いいわよね?」
やっぱり追いかけて来た小鳥や小動物たちに囲まれながらマシカにそう言われた頃、ちょうどリツコの「聞いた話が解る魔法」は解けてしまったのだった…。
マシカの小天幕をがんばって一緒に張って、寝床の仕度が整ったとたん、また着替えもせずに爆睡してしまったことしか、覚えていない…。
そんな風にして、この旅は始まった。
第6章 リツコ、旅をする。
第6章 リツコ、旅をする。
6-1. リツコ、看護助手をしてみる。
そこからの旅の日々は最高だった!
夜は毎晩マシカと一緒に天幕で動物たちに囲まれてぐっすり眠って、朝は鳥たちや動物たちの騒ぐ声で賑やかに起こされて、マシカに《言葉の魔法》をかけてもらってから冷たい川や泉の水で女性陣みんなときゃあきゃあ一緒に水浴びして身支度を済ませ、大天幕で出来立ての温かいご飯を交代で食べて、えいやっと自分たちの天幕を畳んで荷物を荷馬車に乗せて、準備の出来た者から順にぱらぱら出発して、歩いたり馬の乗り方を練習させてもらったり、疲れたら荷馬車に便乗して昼寝しながら運んでもらったり。
お昼ご飯はそれぞれ勝手に適当に、停まって休憩したり荷馬車でのんびりと進みながらだったり、朝に配ってもらったお弁当と各自で用意してあるお菓子や副菜や果物なんかも食べて、午前と午後に二度ずつあるお茶休憩もだいたい同じ感じで、必要な時は街道沿いに一時間おきくらいの間隔で用意されている手水屋(トイレ)にかけこんで。
珍しい皇女行列を一目見ようと街道沿いで宴会しながら待っていた地元の人たちにお茶に呼ばれたり、とれたての果物をもらって返礼に都のお菓子をあげたり。
途中に街があれば市場や宿屋をのぞいてあれこれ買い込んだり、別腹と決め込んでご飯をもう一回食べたり…
遊んだり喋ったり歌ったり競争ごっこしたり色々しながら、とにかく西へ向かって何百人かの隊列が前になり後ろになりしつつ《白の街道》をのんびり進み続けて、行列がすっかりばらけきって前後がお互いに見えなくなった状態で陽が傾きはじめる頃にばらばらと宿営地にたどりつく。
街道沿いの警備を兼ねて常に半日分ほど先を進んでいる雄輝たち先行隊が、近在の町や村から手配されて来る係の人たちと一緒に早めの夕飯というか午後の遅いお茶?の支度をして待っていてくれるので、この時だけは先行隊と一緒に卓を囲んで、皇女や重臣や警備や経理の人たちは食べながら打ち合わせや何かを済ませて。
いつもかなり遅れてたどり着く商人隊や姫君隊が、それより半日遅れで出発したはずの後衛隊の人たちにお尻をせかされながら慌てて追い着いてきて急いで天幕を張り、夕焼けが華やかに燃えあがる頃、ようやく今晩の集合と点呼が終わる。
待っていた先行隊は後衛隊との情報交換だけ済ませるとまた出発してしまうので、手を振って見送って。
それから残った面子は毎晩のように、『地元の人が用意してくれた歓迎夕飯への返礼』という名目で、豪奢な野外晩餐会の仕度を始め… 昼の仕事を終えてから皇女たちを一目見ようと駆けつけてくる地元の人たちで、参加者は見る見る膨れ上がり…
日が暮れると同時に大きな篝火が焚かれて盛大な酒宴というか、中央に一段高い舞台が出るのでむしろ盆踊りのようなお祭り騒ぎが始まり…、飲んだり歌ったり笑ったり踊ったり、大人のひとたちは口説いたりフラレたり、よい仲になって二人で姿を消したり、その噂話をして盛り上がったりで大賑わいになる。
リツコもいつも眠くなるまでは果汁とお菓子で興味津々でつきあって、《言葉の魔法》が切れる頃にマシカと一緒に天幕に引き上げて、あとは眠くなるまで二人でお喋りして、色々なことを教えたり習ったりしあった。
「あ、そうだ。ねぇねぇ! マシカって、鋭のことが好きなの?」
大人たちが盛り上がっていた地元の有名な恋話についての詳しい話をマシカに教えてもらって、そのついでの勢いを借りてリツコは聞いてみた。
「…まさか! 違うわよ!? あたしが一番好きな人は別にいるもの…っ! なんでそう思ったの?」
「このあいだ、鋭に褒められた時に、ちょっと赤くなってたから…」
「やーねー。それだけ? あのね、鋭って髪が短かった頃はそんなでもなかったんだけど、最近、典型的なヨーリア学派風の髪型になっちゃったでしょ? それで… 笑ったりすると… ちょ~っとだけ… 似てるのよね~、…………雰囲気が!」
「…そうなんだ~w」
リツコはにやりと笑って、もっと詳しく聴きたかったが、
「こどもは早く寝なさーい!」とか叫んだマシカに布団蒸しにされて、きゃあきゃあとふざけっこになって、そのまま眠ってしまった。
そんな毎日だった。
ただしマシカは旅団中の参加者全員の健康管理をする《薬師代表》という役職も兼ねていたので、日中も合間合間に行列のすべての人と動物の様子をチェックしに廻ったり、体調の悪い人がいれば薬草の調合をしたり付き添って看病していて、なかなか忙しかった。
数百人規模の旅団中に二十人ぐらいいる薬師の集団は、日によっては本隊より先に行って地元の小さな村々の移動健診会みたいなことをして日暮れ後に追いついて来たりもしたし、時には沿道の住人から往診の依頼があったりして、夜中でも大鹿にまたがって急いで出かけて行ったりする。
リツコも始めのうちはそんなマシカについて一緒に行ったり簡単な作業なら手伝ったりしてみたのだが、どうやら薬師の才能はまったく無いようだった。
大体、血をみるのが苦手で、治療の手伝いをしようと思ってもどうしても傷口から目をそらしながらの作業になってしまうので、うまく出来るわけがない。
針と糸で大きな怪我を丁寧に縫い合わせたりするマシカは若いのに凄いなぁとリツコは心底尊敬したが、たいがいの薬師は今のリツコくらいの年齢には一人立ちして一つの街や村を預かり、プロの薬師として働き始めるという。
ちょっとそれはリツコには無理そうな職業だった。
6-2. リツコ、古文書係になる。
そんなわけでむしろ邪魔になるだけだと自覚してからは往診について行くのはやめたので、時々リツコは夜更けに一人でとり残された。
そんな時は鋭が自分の天幕に呼んでくれて淋しくないように気を使ってくれたが、旅のあいだも多忙を極めている鋭の天幕に泊まると、しばしば真夜中に皇女サマ本人や重臣や近衛隊の人達などが訪ねて来て話し込んだりするので、『言葉の魔法』が切れた後で一言も理解できない面倒くさそうな話し合いの声だけをBGMに眠るはめになるのが、少々の難点だった。
こちらの世界では「マダロ・シャサ」(雄々しく輝ける者)と呼ばれている雄輝が旅団の警備の責任者なら、「リレクセス」(鋭利な短剣)とか「リレキエイセス」(頭の鋭い切れ者)と呼ばれることが多い鋭のほうは、行列全体の食糧や資材の調達と管理と支払いとか、現地の人たちの応援要請の手配とその返礼品の用意とか、諸々の雑用全ての総責任者らしくて、行路と旅程の管理表とつきあわせて天気予報まで自分たちで観測した挙句、必要とあらば皇女サマに「天気を良くする魔法」まで頼みに行ったりするのが、担当の範囲らしい。
さらにはヨーリア学派の長としては医術と薬学の心得もあるそうで、時にはマシカたち薬師集団と一緒に出張検診に行ったり、地元の急患や戦傷後遺症の人の治療もしていた。ほんとに忙しそうだった。
そんな日々をしばらく観察していたリツコは遊んでいる自分が申しわけなくなってきたので、何かできることがあれば手伝うと申し出てみた。
「ほんと?じゃあ、やってみてほしいことがあるんだ。無理ならいいけど。」
まんざら嘘でもなさそうに喜んだ鋭に連れられて、ヨーリア学派の荷物を積んだ箱馬車隊のところへ連れて行かれた。
『オルレア・ソウ! 異文書庫の鍵はどこにやったっけ?』
『私が管理してますが?』
『ちょっとこのコ使ってみてくれないかな?』
『リツコ殿を、ですか?』
呼ばれて鍵を持ってきてくれたのは、いつも鋭のそばで帳簿付けや出納の手伝いをしている、よく似た服装とよく似た髪型の、ちょっとかなり美青年なところまで含めて神秘的な雰囲気がよく似ている、つまりたぶんマシカが言う「典型的なヨーリア学派風」の…まっすぐな黒長髪で白い肌に金色の瞳の、鋭より少し年上に見える青年だった。
二人して箱馬車の中の古い木箱を幾つか開けてまわる。沸き起こった埃にリツコは少し咳き込んだ。どうやら、しばらくかなり、長いあいだ? …開けていなかった箱らしい。
「これ読める? いや、読めなくてもいいんだけど、どれとどれが同じ文字で違う文字か、区別は判る?」
言いながら鋭が試しにと差し出してきたのは… たぶん英語?の…ものすごく古そうな… 本だった。
「…地球の?」
驚いてリツコは尋ねる。
「うん。大昔の、ダレムアスと地球の行き来がもっと頻繁にあった頃の記録らしいんだけど。ボルドムとの戦乱で前の皇都の書庫と学者もみんな焼かれちゃったんで、誰にも読めなくなっちゃって… 今ね、全土のヨーリア学派で連絡しあって残った古文書をかき集めて、整理しなおしてるところなんだけど。この旅の間に少しでも分類しておこうと思ってたのに、ちょっとぼくそれどころじゃなくなっちゃってさ。」
「何をすればいいの?」
「とりあえず、文字の種類別に分けてほしいんだ。もし日本語があれば、古すぎて読めなくても、なんとなくこれは日本語かなって判るよね? 英語とか英語じゃないとか、中国語っぽいとか、それとは違うとか… 判る範囲で、いいんだけど…」
言われてとりあえず何冊かの分厚い革表紙の本や布や竹の巻物や乾燥した木の葉や石盤などを、リツコは手にとってみた。
地球上の色んな国の文字の、絵づらだけなら… 亡くなったおばあちゃんの友達の家の絵本やビデオで… 見たことだけなら、ある。
「…これは有名なクサビ文字よね? 歴史の教科書にも載ってるやつ。それからエジプトの絵文字。こっちはインカとかアステカとかの古い時代の絵文字。それとこれは…たぶん…手書きのタイ語じゃないかな? これはインド語? …これも似ているけど、ちょっと違う文字よね? たぶん近い地域の言葉よ。ヒマラヤの山の中とかの… これは北欧神話の絵本で観たことある占いとか魔法に使う神様の文字。それからアラビア語。ロシア語。 …それと、古い時代の中国語と… 日本語と… ラテン系の言葉と… ギリシャ文字!」
「やった! さすが『適任者』ッ!」
鋭が快哉を叫んだのでリツコは嬉しくなった。
『読めるのですか?』
ソウが期待し過ぎていたので、ちょっと申しわけなく思った。
『訳すのは無理。でも国別に分類できるって。』
『それは素晴らしい。』
それから、リツコは毎日(じゃなくてもいいから)、馬車隊が宿営地に着いてから夜宴が始まるまでの夕方のまだ明るい時間、ソウから馬車の鍵を借りて古文書の埃をはたいて陰干しして、国別に分類整理して新しい箱に収納しなおすのが、担当の仕事になった。
「あ、ついでにその国について、リツコが知ってることだけでいいから簡単にメモして、なにか説明のイラストもつけてくれる?」
リツコはもう嬉しくなってしまって思いっきり『はい解りました!』と、いつもソウが鋭に言っているのを真似して、ヨーリア学派の言葉で応えた。
戻って夕飯の時にマシカにそう言うと、目を丸くした。
『すごいわリツコ。あたしなんか薬師文字しか読めないのよ。』
「そうなの?」
『官僚文字や知水神(ヨーリア)文字は簡単なのしか解らないし、ニホンゴときたらヒラガナとカタカナの見分けもつかないわ!』
ちょっとリツコは得意な気分になった。
『でも心配。古い本の埃って、体に悪いのよ…?』
そう言って、薬師仲間が疫病除けに使うというマスク代わりの布を一枚くれた。
試しに着けてみたら地球の銀行強盗かイスラム教の女の人みたいになったので、リツコは鏡をのぞいて笑いころげた
6-3. リツコ、魔法にかかる。
それにつけても皇女サマはいつ見ても機嫌が悪かった。
せっかく超のつく美女なのに、眉間にシワを寄せて誰かれなく睨みつけ、ちょっとしたことで色白な肌が真っ赤になるくらい喚いたり怒鳴りつけたり。いつもイライラしていて「ヒステリー」としか言いようがない。
こんな性格では、いくら戦争に強くて敵に勝てても、平和になったら国民は誰もついて来ないんじゃないかしら。だから『後継者問題』とかでモメてるという噂なのかしら?とリツコは疑ってみたが、その割には鋭や雄輝やマシカも含めて、すべての部下たちからの信頼というか人望というやつは、ものすごく厚いらしい。
「今日もまた機嫌が悪い―!」
という嘆きと愚痴は毎日のようにあちこちで飛び交っていたし、道中の各地から出向いて来る歓迎係の役人たちや領主の面々に至っては、「噂に名高い『皇女サマの八つ当たり』とはコレかー!」などと、もはや一種のアトラクションとして楽しみにされていた…
楽しい旅の毎日でも、皇女サマの天幕の侍女や従者の人たちだけは、いつ怒られるかとびくびく戦々恐々として落ち着かない、そわそわした空気が漂っていた。のだが…
ある午後。
よく晴れた西の天空はるかに鳥や雲とは違う小さい細長い影がくっきりと視え始めた。
『………龍だ! …フェルラダル様も居らっしゃる!』
誰かが叫んだ。
『皇女殿下にご報告を!』
『…聴こえたわ!』
すごい勢いで皇女サマがお茶休憩の簡易天幕からすっ飛んで出てきた。
あれあれ? とリツコは見守った。
空のむこうの影のうちひとつは、自分ひとりで飛んでる?らしい、でも翼はない人間の姿で、もう一つは、出発式の日に挨拶して西の空へ消えていった、あの伝令役の二頭の龍のうちの若い銀色のほうのように見える。
『…お兄様! …伯父様!』
びっくりしたことに《大地世界》の皇女殿下サマはいつも身に着けていた重そうな腰帯を放り捨てると、いきなりふわりっと空に浮かびあがった。
そのまま文字通り「飛ぶように」すっとんでいって、浮かんだまま『お兄様』と『伯父様』を交互に抱きしめて嬉しそうに挨拶している。
『遅くなって済まなかった。出立式までには戻りたかったのだが。』
鋭とはりあうぐらい整った顔立ちの、鋭と同じような斜めわけのまっすぐな長髪だけど、かなりな年輩の落ちついた感じの男性が、そう言いながらふわりと降りてきた。
年齢が上だから、こちらが皇女サマの『伯父様』だろうとリツコは推測した。
『…フェルラダル様ッ!』
皇女と同じくらいのすごい勢いでもう一人すっ飛んできたのは… マシカだ。
『…御無事で!』
皇女サマの伯父様に、飛びつくように抱きついて、伸び上がってキスしてほおずりして挨拶している。
あれあれ… とリツコはすぐに解った。マシカが言ってた『鋭とちょっと雰囲気が似ている一番好きな人』って…、この人だ…!
『…マシカ…。…わたしも居るんだけどなー…』
白銀の龍にまたがって運んでもらってきたらしいもう一人の男の人が、なぜかそうぼやきながら龍の背中からするりと降りて来る。皇女サマとよく似た碧の巻き毛と碧の瞳で、一目で兄妹だと判る。体格は雄輝と鋭の中間くらいで、優しそうな雰囲気だ。
『…あら、ごめんなさいミヤセル様? 御無事で何よりですわ?』
…ミヤセル様? …皇女サマの『お兄様』ってことは、たしか名前はマリシアル皇子って言わなかったっけ…?
リツコは聞きかじりの話とつなぎ合わせながら、興味津々になりゆきを見守った。
「あ~、…また話が賑やかになった…」
苦笑しながら、いつのまに来たのか鋭がリツコの隣に立っていた。
「…さて、吉と出るか、凶と出るか… 吉かな?」
銀龍は近くの人間にだけ挨拶すると、また天空を悠々と飛んで西へ戻って行った。それを手を振ってしばらく見送ってから急いで振り向くと、皇女さまは兄上と伯父上と急いで集まって来た年上の重臣たちと、額を突き合わせて何か真剣に話し合いを始めた。
それを鋭は自分は関係ないとばかりに離れたところから見守って、やがて笑った。
「…安心して、リツコ。これでマーシャの機嫌は直ったみたいだから…」
話のとおり、その日の晩に雄輝たち先行隊と合流した時の皇女サマは…
これが本当に昨日までのあの、嫌な性格の意地悪女とほんとに同一人物?…とリツコが目を疑うくらい、にこにこして、上機嫌で、頬なんかピンク色で、愛想良くて、みんなに親切で、歌まで歌っちゃって(しかもすごく巧くて!)、食欲も旺盛だった。
側近の人たちがみんな嬉しそうににやにやにこにこして、後ろでこそこそと情報のやりとりをしていたが…
鋭はあまり気にしていなかった。食後のお茶まで飲み終えて歓談している皇女サマたち主賓席のところへ、おもむろにリツコを連れて訪ねた。
『お久しぶりです。御無事で何よりでした。フェルラダル様、マリシアル様。
こちらが地球から来たリツコです。最近は皆からマリーツ(地栗鼠ちゃん)という愛称でも呼ばれています。』
「…で、マーシャ? 機嫌が直ったところで… いい加減、この子、みんなと喋れないと不便なんだけどな? 諸侯会議で代表挨拶だってする、大事な国賓なんだし…?」
「…………わぁかったわよ! もうッ!」
皇女サマはなんとも可愛らしく(リツコは目を点にした)ぷくっとふくれてすねた。
「ちょっと待っててリツコ。今まで八つ当たりしてたことは謝るわ。それで…」
すらりと立ち上がってこちらへ来る。
リツコは思わずびびって逃げかけた。
その肩を遠慮なくがしっと捕まえて、
「だから、謝るわ。って言ってるでしょう?!」
ものっすごく高飛車に言い切ると、リツコの眼を真正面からしばらく見つめて、それからすぅっと息を吸い、大地を両手で抱えあげるような独特の舞のようなしぐさをして…
謡うように唱えた。
『…マレッタ! れとけぃえる、せるかろまろうでい、ぃええん!』
…(汝がことば、皆に通じよ!)
それから急に、それまではマシカが毎朝かけなおしてくれる《言葉の魔法》のおかげで相手の言葉の意味をリツコが「なぜか理解できる」ようになっていたのと同じに、リツコは普通に日本語で話しているのに、聞いた人は誰でもみんな「なぜか理解できる」ようになった。しかも半日で切れてしまうような時間限定の魔法ですらなくて、ずっとその状態は続いた。
「…ありがとう!」
どんなに便利にしてもらったのかを理解したリツコが後から改めてお礼に行ったら、
「だぁから、遅くなって悪かったわよッ!」…と、皇女サマはもう一度ふくれて、とっても偉そうに、拗ねた。
第7章 リツコ、取材する。
第7章 リツコ、取材する。
7-1. リツコ、神話を知る。
なにしろリツコは元々かなりのおしゃべりの質問魔で好奇心旺盛だ。今までは相手が言ってることを聞いて理解するだけで、自分から質問できるのはマシカと鋭だけだった(日本語が通じるもう二人のうち雄輝は先行隊にいて不在だったし、そのせいで?なのか皇女サマはいつも機嫌が悪かった!)…が、今度からは、知りたいことについて、こちらから聞いて回れる!
もう大喜びで鉛筆とノートの束を小脇に抱えて、キャラバン中を前から後ろまで朝から晩まで、もちろんちゃんと他の手伝いもしながらだったが、すべての人を質問攻めにしてスケッチやメモをとってまわる姿が、旅の名物のひとつになった。
さて。
分秒刻みであちこちから色んな人に呼ばれている鋭よりは少し時間に余裕がありそうなソウの名簿整理の作業を手伝いながら、気になっていたことを聞いてみた。
「なぜ毎日次々に荷馬車隊の人が代わるの? 同じ人たちにずっと泊りがけで付いて来てもらったら、仕事がらくになるんじゃない?」
なにしろ大人数のキャラバンの食糧や大天幕やその他色々を運ぶ荷馬車隊はそれだけで大小百台近いのに、ごく少人数の馬番以外の荷積みや御者の仕事の人たちは毎日日替わりで地元の人が来て、朝に集合して点呼して名簿を作って担当の荷馬車を割り振って、一日仕事をすると、晩餐会の御馳走と美女たちの舞や歌をめいっぱい楽しんで二日酔いになるほど呑んで、翌朝には日雇いの給金代わりの小さな返礼品を受け取って、新しく集まって来た今日の地元の人たちと交代して、家に戻ってしまうのだ…。
で、また最初から、点呼して名簿を作って荷馬車を割り振って…の作業を繰り返すソウたちの仕事量は、かなりの負担になっているはず。
『…ああ、御存知ありませんでしたか? われわれ大地世界の住人のうち、生粋のダレムアト達は、自分の土地から遠く離れることを苦痛に感じるのですよ。女神の意志に反するという信仰で。』
「そうなんだ?」
『市井の庶民や農民たちだと、生まれた場所から歩いて日帰り…遠くてもせいぜい一泊かそこらで帰れる距離より遠くへは行かずに、一生を終える者がほとんどですね。それより遠くへ旅することを楽しめるのは、大地世界全土を「我が家」と呼ぶ皇家にゆかりの皆様か、我々のように地球系か《ボルドム》の血が入っているヨソ者か、滅びた《エルシャムリア》の末裔の方々。あとは例外的に、知水神(ヨーリア)学派に属することに決めた人たち。』
ん? とリツコは引っかかった。
「あれ? ソウさんってヨーリア学派の人じゃないの?」
『違いますよ? 服の色が違うでしょう?』
「…ごめんなさい。そこまで見てなかったー!」
言われてみれば動きやすくて優雅な形はよく似ているものの、鋭たちがいつも着ているのは深い青か紺か水色を中心にして差し色は白か銀鼠色を使ういわゆる「マリンカラー」で、ソウさん達のは黒か茶色をベースにして飾りに使うのは黄土色とか赤土色とか萌黄色とか、いわゆる「アースカラー」系だ。
『私どもは遠方への移動が苦にならない点を活かして皇家や王家や領主家にお仕えしている外役人です。些細な用件での使者として往来したり、交易隊の管理をしたり。』
「そうなんだ。」
『特に私などは地球系だけでなく《ボルドム》の穢れた血もひいておりますからね。他の仕事に就くことなど出来ないのです。リレキス様やヨーリア学派の方々のような高いお志とは、無縁の者ですよ。』
自嘲するように低くソウはつぶやいた。
リツコは目を点にして返事に困った。…穢れた血? …マグルのこと? …ボルドムの穢れた血? …って言った? …今の翻訳? …あってるのかな…??
何度かまばたきをして、考えてみる。
…自分が生まれ育った世界に、ご先祖様の国が、一方的に攻め込んで人を殺しまくったりしてたら、どんな気分で暮らさなくちゃいけなくなるのかな…?
いくらなんでも好奇心だけであれこれ質問しまくってはいけない問題だということだけは、リツコにも判断がついた。
「…えーとそれで…《エルシャムリア》って、昨日、宴会の時にお芝居してたやつ?」
『そうです。今はもう滅びた《天宮界》ですよ。』
「神話じゃなくて、実話なんだー。」
『?』
「…じゃ、遠くまで行ける人たちに、旅のあいだずっと付いて来て、って頼めば?」
『そんなに人数が居ないのですよ。すでに外役人としてどこかの家に勤めている者以外は、皆、独立した商人や遊牧民ですからね。これほどの大人数に長期間の仕事をまとめて頼めるとしたら、長旅には向かない冬の積雪期ぐらいでしょう。』
「そうなんだー。」
それからリツコは《エルシャムリア》とこの世界の神話について、昨日の宴会芝居だけでは解らなかったことを色々質問して教えてもらった。
世界は初め四つあって、姉・兄・妹・弟の神様がそれぞれ治めていたが、何やら壮絶な姉兄げんか?が起きて、姉は殺されちゃって《天宮界》も滅びて、兄はその罪で捕まって偉い神様に《ボルドム》世界の奥の牢屋に閉じ込められてて、姉の死を嘆き悲しみながら争いごとの後遺症で死んじゃったらしい妹の神様が遺した世界が、この《ダレムアス》。その兄姉ゲンカをみてグレて家出しちゃった?らしい弟の神様が遺した世界が《地球》。
おなじ遺された世界同士、昔はもっと仲良しで、地球の時間で数万年くらい前までは、ところどころに残った通路で思い出したように行き来があったらしい。今でも地球世界の各地に翼のある人(天使とか天狗とか)や毛むくじゃらの雪男とか狼男の伝説があったりするのがその名残。リツコがいた朝日ヶ森とかも、たぶん、その流れを汲んでる。
でも何かでいつの間にか通路がずれ始めて、通りにくくなって、行き来が途絶えて…
お互い、忘れかけていた。らしい。
そのズレの原因が《ボルドム》世界からの攻撃?のせいで。地球に繋がっていたはずの通路の遺跡から、あるとき突然、《ボルドム》の鬼人たちが大量に《ダレムアス》に攻め込んできた。
それで当時の《大地世界》の首都だった《白都》というところが奇襲攻撃を受けて滅びて。今のあの皇女サマの両親もその時に戦死しちゃって。それで占領軍の追手から逃れて皇女サマは地球に亡命して。しばらく朝日ヶ森で暮らして、たまたま知り合った雄輝と鋭と一緒に(鋭の言い分では「まきこまれて」)戻って来て…
長い長い戦争を戦い抜いて、ようやく鬼人たちを元いた世界に追い返して、封印して…
…で?
この旅の一行がいま何のために西へ向かっていて、どういう理由でリツコはここに呼ばれて来たのか?
そこまで聞く前に、ソウは忙しくなってしまった…。
7-2. リツコ、野球を教える。
途中から合流したり大きな街道の分岐点で手を振って別れて行ったりで増えたり減ったりしながら常時何百人もの規模で動き続けている旅の一行の内訳はといえば《西方諸国》とくに《西皇家》を相手に北西太湖で開催されるという諸侯会議に《白王家》代表として出席する戦勝皇女とその兄と伯父上と、鋭やマシカやソウなどの側近や幕僚や重臣たち。
それを手伝うため付いて来た侍女や従者や料理人や職人や、食料や資材の調達係の商人たちと、護衛のために参加している雄輝たち武将の一隊。そして荷馬車隊の馬番までが「ずっと一緒に」行ける人たちで、荷運び人足や御者たち百人くらいが地元密着型の応援部隊で「日雇い」。
それとは別に、見るからにとても家柄の良さそうな、超のつく豪奢な服装で着飾って旅をしている謎の美女軍団のお姫様たちと、そのまた美形ぞろいの侍女たち従者たち専属の近衛兵たちでこれまた合計が二百人くらいいる。
このお姫様たちは何故こんな場違いな野宿の長旅に参加しているのか? リツコは前から不思議でしかたがなかったので、言葉が通じるようになると早速お茶に呼ばれて行って質問してみた。するとお姫様たちは一様に笑って、『さて、何故でしょうね?』と答えをはぐらかす。
夜ごとの宴会でみごとな歌や踊りを披露してくれるし、それを目当てに詰めかける地元の人たちが大層多かったので、最初は諸侯会議に「華を添える」ためのプロの芸人さんたちかとも思ったけれど、聞いてみたらお姫様たちはみんな皇女様たちのイトコとかハトコとか… つまりほぼ全員が「皇族ゆかりの」やんごとなき深窓の御令嬢たちだった。
それに、旅の間ずっと着飾るばかりで何の仕事もしていないのかと思ったら、そうでもない。
鋭やソウたちが地元の歓迎係や荷運びの人たちにせっせと配りまくっている「返礼品」…かわいらしい小さい装飾品かと思ったら、「お守り」で…「皇族ゆかりのやんごとなき血筋の」お姫様たちが、旅のあいまにせっせと手作りして「神力」を込めている、御利益のある品物だった…。
そんなお姫様たちは移動中も箱馬車の中で忙しく手と口を動かし続けていたので滅多に外に出られず、たまに見晴らしの良い場所などで降りて遊び始めると後衛隊から安全確保のために本隊から離れないでくれとせっつかれるしで、ろくに息抜きもできない。
お姫さまたちのなかでも一番身分の高いらしいソノ姫…『マ・ミア・ミ・ソノワ・エリエリ!』(世界で一番たっとい姫様!)と侍女たちが恭しく呼ぶ、戦勝皇女と兄皇子よりも唯一年上の、《皇家長姉》(皇太女)という立場らしいイトコ姫…に、
『わたくしたち退屈しておりますの。なにか地球の遊びを教えていただけません?』と、キャラバン唯一の子どもであるリツコは頼まれてしまった。
うーんと、リツコは困った。
トランプやウノやオセロは持って来なかったし、実はほかの人に教えられるほどルールに詳しくないし、よく似た感じの手札遊びはこっちの世界にもちゃんとあって、わざわざ「地球の遊び」として教えてみても、あんまりアリガタミがなさそう。
地球というか日本の地元でいつも自分がやっていた遊びというと、こういう女の人むけのお手玉とか綾とりとかオトナシイのは苦手で、もっぱら泥だらけになって泥警とか、缶蹴りとか、屋外の遊びばかりで…
「あ、そうだ。」
思いついて、ちょっと聞いてみた。
「この世界に、野球とかサッカーとかの球技って…ある?」
『キュウギ? 玉の、技の、遊び。ですか…?』
発音と漠然とした意味しか通じなかったらしい。つまりこっちには存在してない言葉。そういえば通りすがりの街とかでも子どもがボールを持ってるところを見たことがない。
…あれだけ色んな踊りが巧いんだから、運動神経は良さそう…とリツコは思って、
「道具を用意するから明日まで待ってー!」
と言ったら、お姫様たちはすごく嬉しそうに、期待に満ちた目になった…。
リツコはちょうどその日の午後に通りかかった街の市場で、前に鋭から「なんでも好きに買っていいよ!」と渡されていたお小遣いを使って、分厚い皮の端切れをたくさんと、羊の毛のもしゃもしゃした固まりを一山買って来た。
お姫様たちが細工物を作るのを見ていたのでやりかたを真似して、まず型紙を書いて、皮を切って、穴を開けて、綴じ合わせて、綿をぎゅうぎゅうと、しっかり詰めて…。
夜更かしして何時間もかけてようやく出来上がった不格好なしろものを見て、マシカがちょっと絶句した。
「リツコ、その… 鍋つかみのおばけみたいな手袋と、毛玉のおばけみたいな丸いもの…何?」
すごーく、遠慮がちに、質問してくる。
「グローブとミット! …とボール!」
バットの代わりにちょうどいいものもちゃんと見つけて買ってあった。料理の時に練粉を伸ばすのに使う、地球のやつと見た目も使い道もそっくりの…大きな麺棒だ。
翌日さっそく、
「鋭ー! 時間あったら野球やろうよー!」
「えぇ?」
「お姫様たちと! 人数少ないから三角ベースでー!」
と、声をかけて場所を確保していたら、なんだなんだと、お昼休みで馬車を停めていた人たちが、わらわらと寄って来た。
7-3. リツコ、勝負する。
驚いたことに、鋭は野球がヘタだった。運動神経はいいのに!
「うーん。地球に居た小学生の頃は、本ばっかり読んでた科学小僧だったからねぇ…」
みごとに三振からぶりをかました後、苦笑して仕事が忙しいと言って逃げてしまった。
代わりにリツコが打ちかたを実演して見せようとしたが、今度は打てる球を投げられるピッチャーがいない…。
「…誰か、投げてみたい人ー?」
衛兵の誰かなら立候補するかと思って訊いてみたら、また驚いたことに、ミソノワ姫が名乗りをあげた。
『その丸い毛玉を投げて、その革製のマトの凹みに当てればいいんですの?』
慣れない人が投げる場合はキャッチャーが危ないので、代わりに地面に突き刺した棒の上にはめこんだミットは、マトじゃない…と説明する暇もなく、風変わりなモーションで、ひらひら服のお姫様は一発でみごとに「玉を的に当てて」いた…。
「えっうそ! すごーい!」
『わたくし剣や馬はからきしですけど、当てものなら少しは得意ですの』
「なによ、なに面白そうなことやってるの?」
「リツコ、交ぜて交ぜてー!」
なぜか皇女様とマシカもやってきた。
地球で育った皇女様は野球のルールくらいは見知っていたので、リツコが投げた。
………ぼふーーーーーーーーーん!
変な音だったけど、みごとにバット代わりの麺棒の真ん中にヒットして…
手作りのへろへろボールは一発で縫い目が裂けて羊毛をまき散らしながら、ほぼホームランな飛距離をかっとんだ挙げ句、街道脇の小川の流れに、ぽちゃんと沈んで消えた…。
「…”あ~!…」
リツコは、ちょっとかなり、ぐれた。
『それでは、当てもの競争にいたしましょう!』
ミソノワ姫がリツコの頭を撫でて慰めてくれながら、景品にとっておきの一番美味しいおやつを賭けると言った。
それを聞きつけた女性群が大勢と甘いものが好きな男性陣も集まって来て、われもわれもと、河原の石を拾ってきてはキャッチャーミットに投げた。
ミットもあっという間にぼろぼろになってしまったので、代わりのものを用意して。
当てものは得意だと自慢したミソノワ姫はしかし飛距離がなくて、こちらのルールに従ってだんだん的を遠くしていくうちに残念ながら敗退した。
情け容赦なくビシビシと実戦の大剣で鍛えた剛腕を披露する皇女サマは、距離は飛ぶけど意外にノーコンだった。
マシカは「弓なら負けないんだけど!」と悔しそうに云いながら中盤ぐらいで消えた。
少しずつマトを遠くへずらしていって、腕に覚えのある人が順々に投げていって…
近衛兵で狩人出身という男の人と、リツコが決勝戦になった。
僅差の接戦で、リツコが勝った。
だてに小学生リーグ最年少の県大会優勝投手じゃないもーん!と勝ち誇って、優勝賞品の「いちばんおいしいお菓子」に、がぶりと遠慮なく喰いついた…。
おとなたちは楽しそうに笑って、そんなリツコを優しく見ていた。
7. リツコ、聞き書きする。
《仮皇都》を出てからずっと広大な平野となだらかな丘陵地が続いて、畑と森と牧場が交互に広がる穏やかな土地を進んできたが、小高い峰が幾つか連なる《屏風山系》からは少々難所で、中腹をうねうねと折り返しながら峠越えする《白の街道》の道幅も少し狭くなっていて、数日かけてゆっくり越えるしかないらしい。
その山間から右手はるかに見える《北平原》という地域は先の《ボルドム》軍との最終決戦の場だったそうで、遠目にも大地が変にえぐれたりして赤剥けて、数年たってもまだ植物が生えてこない、おかしな状態だと判る。
皇女マーライシャ以下、雄輝や鋭やマシカたちみんな、その合戦に参加した武人たちは「追悼と慰霊のため」と本体から離れ、馬を早駆けさせてそこまで往復してくるという。
走る馬にはまだ乗れないリツコは残念ながら留守番組に振り分けられて、その間はミソノワ姫が預かってくれることになった。
山道は重い荷を曳く馬たちにはきつい勾配なので、姫君たちも丈夫な沓と動きやすい服に着替えて、車列から降りて歩いて登った。
この山間地には住人が少ないので、両脇の街道口に常駐している荷運び関係の仕事の人たちが、三泊四日?くらいの間、ずっと馬車と一緒に移動してついてきてくれるそうだ。
毎日大量の「返礼品」作りに忙殺されていた姫君たちは三日も解放されることを喜んでいて、巫女舞の修練で鍛えた脚力を発揮して、文句も言わずにせっせと歩いて登った。
リツコも、これは良い機会だと喜んで姫君たちに話をねだった。
「あのね、そもそもどうして皇女サマは、あんなにものすごく機嫌が悪かったのに、いっぺんで治っちゃったの??」
『…それは少しばかり長い話になりますけれど…』
あいまにたくさんの脱線や雑談や、そのときの話題にまつわる神話を謡った有名な歌や遊びや、食事やお茶休憩で中断しながらも、姫様たちは律義に、山越えの間中を使って、だいたいの話を説明してくれた。
『そもそもこの《大地世界》ダレムアスが《初めにありし四界》のうちの一つであり、
《妹女神》と呼ばれるマライアヌ様の創始した界だというのは、もう聞いていますか?
女神マライアヌ様が愚かな戦乱に倦んでお隠れあそばした後、その御子、女神と人王との間に生まれた《半神女》マリステア様が界の統治を引き継がれました。
そのマリステア様は半神であられたゆえ、ただ人に比べればたいそう長い寿命でいらっしゃったので、その生涯に何人もの夫や恋人や情人を持ち、何十人ものお子を産んで増やされました。
マリステア様が亡くなられた後もしばらくの間は、そのたくさんの姉妹兄弟たちの子々孫々は、それぞれの血族ごとに分かれて暮らしながらも、ほぼ穏やかな間柄を保っていたそうですが…
やがてこの世界の中心《始原平野》マドリアウィが手狭になると、争いを好まなかった人々は新たな土地を求め、野をかこむ山のあちこちの谷筋から抜けて《大地の背骨山脈》の山間から裾野へ、ふもとから四方八方へと、どんどんと散らばり広がり続け、仲の悪い部族同士などはすっかり疎遠になって物心ともに離れ、ばらばらに別れていきました。
もう今ではマドリアウィ野に戻る神の道さえ失われてしまった時代。お互いの言葉すら遠く異なってしまって、誰ももう世界全体のありようが把握できなくなった時代に…
それでは何かおかしいと、旅に出て世界と人々を繋ぎ直した、勇敢な姫がありました。
姫はこの《大地世界》をくまなくめぐって領主や国主を説得して回り、今この私たちが歩いている《白の街道》のもといを作り、宿場と貨幣の制度を整え、またそれまでは冷遇されていた地球やボルドムからの移民を取り立てて外役人という仕事に就かせました。
その功績をもって、生まれは《血の薄き姫》と蔑視されていた《尊称なきミトル様》は人々から《女神の遠き孫》という美称を授けられ、今はなき《白の都》ルア・マルラインを新皇都と定めて、《大地世界》の再統一を宣言しました。
ところが、既にあった《聖皇家》モルナスの、女神の血を最も濃く受け継ぐと誇る方々が、移民の子孫や血の薄き者らによる世界の統治には、異を唱えられたのです。
当時のモルナス皇が、その後継の長子を夫とするようミトル様に要請しました。
濃き血筋の古株に、白き若枝を接ぎ木として利用するおつもりだったのですわ。
ミトル姫はそれを退けられ、旅の仲間であった平民の出のアステト・アルラを男皇と定めました。わたくしやマーライシャ姫がこの御二方の子孫にあたります。
モルナス皇はこの縁組から生まれる《女神の血の薄い》皇家を快く思わず、一時は戦乱になるかと危ぶまれました。
戦は回避され、《濃き血の力》を誇るモルナス皇家はそれを誇示するために、血の薄き者らには棲みづらい《西の荒野》の向うに都を移しましたが、それ以来…
何十代の長きに渡って、《西皇家》は《白皇家》の後継者に、婚姻によって二つの皇家を統一するべきだと、説得と求婚を、し続けてきたのですわ…。』
一体いつ当代の皇女サマの話にたどりつくのか、必死で聞き書きのメモをとりながら、リツコは不安になった。
『そしてもはや百年近くも昔のこととなりましたが、わたくしもマーライシャ姫も、今のリツコよりもっともっと幼く無力であった頃。世界に異変が相次ぎ、間もなくボルドムの悪鬼らが界壁を破って攻め込んでくることが判りました。
当時の男皇を務めていたのがマーライシャ姫の父君ですが、その皇妹であるわたくしの母が《西皇家》への使者を務め、西の三皇子が率いる援軍が遣わされました。そしてその長子クアロス様が、両家縁組の話を蒸し返したのですわ。
マーライシャ姫はまだ本当に幼かった。恋も婚姻もなんのことやら解らぬうちに、はるかに年上の、すでに成人していらしたクアロス様に言いくるめられて、求婚に承諾をしてしまったのだそうです。
幼いとは言え、皇家直系の巫女姫が神力をこめ祝詞を唱えて誓約したのであれば、正式な約定。大人になってから考えなおしたからといって、断ることは難しくなります。
…ところがマーライシャは…、そのぅ…』
「あ、やっぱり、雄輝のことが好きなの?」
『…やはり、リツコの目から見ても、はっきりそうと解りますか…。』
少々困ったように嘆息してミソノワ姫は言いよどんだ。
『そのこと自体はあまり問題にはならぬのです。正式な政治上の男皇はクアロス様と定めた上で先に後継の子を産んで、それとはまた別に、マダロ・シャサ殿は武人としても誉れ高いかた。堂々と女皇の情人と誇示して愛すれば、姫の名誉にこそなれ、誰も咎めることなどありません。こちらの世界では特に問題になることではないのですが。そう言って、まわりの者みなで説得を試みたのですが、』
「そうなんだ…」
リツコはちょっとびっくりして聞いていた。
『ただ… マーライシャ姫はその後、《ボルドム》の追っ手を逃れて地球で育ちました。
今リツコが驚いたように、その考え方はできぬと。望まぬ子は産めぬと』
「…そりゃそーだよね~…?」
『あのように荒れて荒れて…』
従姉姫は深いため息をついた。
『いっそ、マダロ・シャサ殿と相愛の仲でさえあれば、地球で言う「駆け落ち」でもなんでも、させてやりたいところでしたが。』
「……あれ、やっぱり、…皇女サマの片想い…??」
おそるおそる質問すると、ミソノワ姫は深くうなずいた。
『このことばかりは他人にはどうにもなりませんが、ただ』
「ただ?」
『西皇家が婚姻の日限を迫ってきたのですよ。戦も終わったことゆえ、昔の約定を疾く果たせと。』
「え~★」
それはひどい。リツコは初めて、皇女サマのあの荒れっぷりを理解して同情した。
『それゆえ伯父上と兄上が大層ご心配なさって。本当に、幼き頃のマーライシャ姫が神力をこめて《婚約の誓言》を唱えてしまっていたのかどうか…
そこのところを、探りに行かれていたのですわ。』
「…それって…」
『えぇ。幼いころのマーライシャ姫が理詰めで婚約を迫られて、その説得には首肯したとしても、その場で誓言まで唱えたと言うのはクアロス皇子のハッタリに過ぎない可能性が大きいと。
その他に、マーライシャ姫が生死不明であった時期に、すでに正式に近く娶っておられた妃女もその子女も複数おられると。』
…ちょっとリツコはあっけにとられた。
…そんなんで、よく、あの皇女サマを、騙して結婚させようとか、思うなぁ…!
『それで、婚約無効と断ることが出来ると判明したので、機嫌がすっかり直ってくれたというわけですわ。』
そんな噂話をされているとは知りもせず、山越えの後半、皇女サマたち別動隊の一行は、無事に予定通りに、本隊に合流しなおしたのだった。
第8章 リツコ、囚われてはいないお姫様にあう。
第8章 リツコ、囚われてはいないお姫様にあう。
8-1. リツコ、訪問する。
侵略者《ボルドム》軍を元の世界へ追い返す決戦がおこなわれたという合戦場の跡地へ、戦没者の追悼と慰霊の式を行うと言って出かけた皇女サマたちの別働隊が、山越えを終えた本隊と、反対側の山裾近くで無事に合流した後。
それまで使われていなかった、ずっと何かの予備用なのかと思っていた、特別大きくて立派な馬車に、お客人が増えているらしいことに、リツコはすぐに気づいた。
いくら行列の中で一番偉い皇女サマとは言っても侍女や従者の数が少し多すぎじゃないかと思っていたうちの半分くらいが、その箱馬車の世話や護衛にまわされている。
ところが、そんな大事なお客様なら当然、夜宴の時にでも皆に紹介されて歓迎されると思っていたのに… 何日たっても、その馬車の中から出て来ない。
鋭と皇女サマだけは毎日様子を見に寄っているが、その他の人は、姫君や重臣たちまで含めて、むしろその存在自体も公然の内緒というか「いないふり」「気がつかないふり」をして、避けているような… おかしな雰囲気だったので。
リツコはまず、こちらの世界の自分の行動の管理責任者ということになっているらしい鋭に、お伺いを立ててみた。
「ねぇ鋭? あの馬車の中の人には、話しかけてはダメなの?」
「うーん。悪いってことはないよ? 彼女も退屈しているだろうし… ただ。」
「なに?」
「ボルドムのね。敵国のお姫様なんで… 見た目がちょっと。こっちの人たちには怖いらしくって。」
「…見た目ー? だってこっちの人って普通に、毛皮だったり四つ足だったり羽が生えてたり…」
「まぁ、ぼくら地球人からすると、区別が判らないんだけどねー?」
苦笑してうんうんとうなずきながら、
「きみのいう《モフモフ系》の人たちは見た目が爬虫類の人って本能的に苦手みたいで。ソウもあの金色の眼のせいで、なんとなく避けられてるでしょ? それに、家族や友だちをボルドムに殺されてる人も多いしいさ? やっぱり仲良くは、しにくいみたいで。」
「…あ、そうか…」
リツコは自分が鈍かったことを反省する。
それでも鋭が、
「挨拶したければ行ってもかまわないけど、もし怖くても、悲鳴をあげたりはしないであげてくれる?」と言うので「うんわかった!」と返事して、早速、昼ごはんが終わった頃を見計らって、ゆっくり動き始めた目あての馬車に、正面から訪問してみた。
「こんにちわー!」
先日まで皇女サマ付きだった顔見知りの侍女の人たちに取次を頼むと、
【…だれじゃ…?】
それまで聞いたことのないシュウとかグウとかガ行の音が多い言葉で、馬車の中から、女のひとらしい少しかすれた低い声がきこえた。
「リツコっていいますー! あのね、退屈じゃないかと思って、遊びに来たんですけどー!」
【…おや? あの地球人の子どもか? 我の話し相手に?】
声の感じはむしろ嬉しそうだった。
【…マーライシャにでも言いつけられたか? 我が怖くないのであれば、上がっておいで。】
リツコはむろん大喜びで超豪華な大型の箱馬車に上がり込んだ。
どのくらい豪勢かというと、皇女サマ用のやつより高そうに見える外見で、見れば内装も見事で、細かい細工の繊細な飾りで、綺麗に整えてある。
敵のお姫さまはリツコが馬車の扉を開けたとたん、それまでは脱いでいたらしい大きな黒っぽい布を頭の上からするりとかぶって全身を隠してしまった。
「…えーと…」
リツコは面食らって固まった。何かの宗教の衣装のような気もする。
「…お顔を見ちゃったら、なにかまずいのかしら…?」
ちょっとだけ遠慮しながら聞いてみる。
「…あたし、《ボルドム》の人って、まだ見たことがなくて~…」
【…大地世界人と同じで、《焔洞界》の者の姿も、千差万別なれど。】
するりと布がはずされた。
【怖くなければ見るが良い。】
真珠光沢の七色に光る華麗な鱗に覆われた貌の、縦長に切れた大きな金色の瞳の、なんというか…巨大なトカゲな感じのする外見の、だいたいは人型?で、美しい黒いたてがみ付きのお姫様だ。白虹色の肌に金青色のきらきらした爪が長くて鋭くて、何て言うか…ネイルアート?のような複雑な紋様が描いてある。
怖いか?と聞かれればその眼に睨まれたり爪で脅されたりすればかなり恐いかもだったが、こちらの世界には横長に切れた山羊目の人だっているし、地球にだってもっととんでもない真っ赤に尖った恐い爪をしている人は多い。
「…キラキラして、きれいなウロコね!」
すなおにリツコは褒めた。お姫様は嬉しそうだった。
それから侍女の人たちがお茶菓子を持ってきてくれたので、ゆったりと進む居心地良い大きな馬車の中で、色々とおしゃべりをした。
「じゃあ敵国のお姫様でも、捕虜とか人質とかじゃないのね?」
【我はみずから来た。あちらに捕らわれていたマーライシャを救け出して、こちらへ送り還すついでにな。我は我が《焔洞界》ボルドガスドムの後継公主であるが、あの界の今の有り様は好かぬのじゃ】
「どういうこと?」
【我は弱い者虐めを好かぬ。娯しみのためと小者をいたぶり殺すがごとき愚行をなす帝は厭じゃ】
「ふーん…。あたしも、弱い者いじめは嫌い。」
【気が合いそうじゃの】
「そうだね!」
敵国ボルドムからの亡命姫さまは、リツコが気に入ったようだった。
【我が名は《焔洞界》ボルドアレイ・ガースダルム帝国が後継長公主、ディ・デュイ・リジューディー・ディーディイーリヤという】
改めて正式に名乗ってくれたのはよいが、
「…でぃ… でじゅ… りじゅー・でぃー… 」
リツコは絶句した。何度か練習してみたけれども、どうしても、滑らかに発音するのは無理だった。
【…我のことは愛称の《ダーモレア》(黒姫)で呼ぶが良い。】
そう苦笑して言ってくれて、別れ際には美味しいお菓子をおみやげに持たせてくれた。
それから旅の間よく一緒にお昼ごはんを食べておしゃべりをする仲になった。
8-2. リツコ、事情を聴く。
「じゃあ今までは、その合戦の跡地のそばに居たの?」
【大地世界の余の者には、投降して来た捕虜らの一団であると説明されておるらしいの。いささか不名誉なことではあるが。侵略軍である我らボルドムの者がよく思われぬという事情は解る。したが我々とて大地世界の国々が諍いあうと同じく。一枚岩ではない。】
「どういうこと?」
【我が小叔父であるボルドムの現帝は歴代の中でもとりわけ暗愚にして暴虐。嫌われておっての。気に入らぬと言うては小者をいたぶり殺してゆくがゆえに界の補修が立ち行かなくなり、このままでは遠からず、ボルドムは界ごと滅びる。】
「えぇ?」
【それを苦言した者も殺されて、界が壊れるなら隣の《大地世界》を攻め取って移住すればよいと。それ故こたびの攻略戦とあいなった訳だが。…愚行を苦々しく思う者も多くてな。世継ぎの姫である我のもとに、密かに参集しておった。】
「そうなんだ…」
【したが現帝に感づかれての。神の血の濃き姪である我に、己が卵を産まさしめて、その仔を新たな世継ぎとなし、我のことは処分してしまおうと。】
「えぇっ」
【我は次の排卵の刻が来るまでの命、虜囚の身であった。その獄へたまたまマーライシャも放り込まれて来ての。…つれづれに話をしておったら、何やら境遇が似ておると、意気投合し。…現帝への造反をなすならば力を貸すと、同じ虜囚の身でありながら放言しおるのが面白うてな。つい、我が配下がわれを救出しに来た折に、同道させてついでにこちらへ戻してしまった。】
「それで?」
【最終決戦の際、ボルドム帝軍の後背より奇襲をかけ猛攻によりダレムアスを勝利に導いたは、我が配下の者らよ。惜しくも現帝めは討ち漏らしたが、戦傷癒えず病の床にあると聞く。我はいましばらく身を隠し、数百年のうちにはボルドムの新帝となる。
したがあの界にはもはや人数は棲めぬ。戦ではなく講和を請うた上で、こちらの世界に我が民らの移住の許可を求めるつもりじゃ。】
そのために皇女に頼んで、諸侯会議に参加しに連れて行ってもらうのだと言う。
「…ちゃんと、自分の役割が、解ってるんだ…」
状況に振り回されてばかりで、いまだに何のために自分がここに居るのか判っていないリツコがそう愚痴をこぼすと、黒姫は面白そうな顔になった。
【…知らぬのか? あのマーライシャはたいした大物ぞ? 伝説のミトラ姫とやらが大地世界を再統一したが如く、今ある大地界と焔洞界と泥球界とを、いにしえのように親しく往来しあう一つの世界となすが夢だそうな。】
「…え~っ??」
【そがために地球世界とは密に連絡をとりあいたいと、その使者役を務める者が欲しいというのが、そなたの召喚されし理由であろうよ。】
8-3. リツコ、まきこまれる。
そんな風に旅は終りに近づき、もうあと数日で、会議開催地の北西太湖のほとりに着くはずだった。
ところが、なにか様子がおかしいと、沿道の街の様子や森の隙間から垣間見える広大な湖面と岸辺の街並みを眺めて、誰もがなんだか落ち着かなくなった。
港町に着いた。困惑した顔の太守が出迎えた。
会議に参集しているはずの諸侯らの姿はどこにもなく、街はなにやら荒れている。
三日前に突然の酷い嵐があり都邑の半分は一時水没したという。そしてその直後になぜか手回しよく災厄見舞いの品々と共に、宿営地の仕度が間に合わなくば議場を《西皇都》に変更せよと、諸侯らを案内する使者と船と大軍とが、遣わされて来たという。
『それゆえ先に来ておられた皆々様はすでに昨日までのうちに西へ向けて移動を開始されました。』
『…聞いてないわ!』
皇女サマが激昂した。
『それ故、いまこのわたしめが、こうしてお迎えに参った次第で。』
湖畔の船まで案内された一行に慇懃無礼な挨拶のまねごとだけして出迎えながら、新たに現われた男が云った。
『マデイラ皇子!?』
皇女サマが…ものすごく嫌そうに…叫んだ。
「…げ…。」
鋭と雄輝がハモり、マシカも顔をしかめた。
『わが長兄クアロス皇子が誓婚者であられるマルア・ライシャ戦勝皇女殿下には、御機嫌うるわしく。』
『うるわしくないわよ!』
『あいかわらず、そちらの色魔将軍殿からは、ふられておられるそうで。』
がん!と無言のまま拳で情け容赦なくマデイラ皇子とやらを殴り飛ばした皇女サマを、リツコは呆然と見ていた。
(…平手じゃなくて、グゥなんだ~!)
『……ここは任せた! リツコ通訳に来い!』
『雄輝!?』
『嫌な予感がする! 公主の様子を見てくる!』
『あたしも行くわッ!』
リツコがまだ唖然としているうちに、ぽん!と雄輝の鞍の前に乗せられて、あっという間に大型馬は本疾走にうつった。すぐ後ろから大鹿マブイラにまたがったマシカが追って来る。
「どういうこと!?」
「黙ってな。舌噛むぜ!」
全力疾走で駆けに駆けて、長くだらだらと延びた車列の後方、まだ森の中の難所の手前にいた、ボルドム公主の箱馬車隊のそばまで着いた。
『…ちぃ! やっぱりッ!』
雄輝が舌打ちして唸った。
『マシカ! リツコ頼む!』
いきなり人形のようにポン!と投げ上げられてリツコは焦ったが、マシカが難なく受け止めて、大鹿の後ろに乗せかえてくれた。
『…きさまらぁ…ッ!』
今まさに公主の馬車を襲おうと森の中からわらわらと走り出してきた武装した歩兵たちに向かって、雄輝が騎乗のまま突っ込んでいく。すぐ後から側近の部下たちと、逆走していく雄輝の姿を見て異変を感じて追ってきた商隊護衛兵の一団が続く。
「マシカ、どういうことなの?!」
『公主を暗殺しようとしてるんだわ!』
「えぇ!?」
鋭く剣がぶつかり合う音が響く。
『マ・ゴリゴ! 何のつもりだ!』
激しく斬りあいながら雄輝が怒鳴る。
『色魔将! キサマも一緒とは都合が良い! まとめて始末してくれるわ、汚物め!』
敵騎士は憎しみのこもった声で負けじと怒鳴り返した。
『わが主の許婚者を面妖な術で誑かした卑劣漢が! やはりキサマら地球人はボルドムと結託して大地世界を蹂躙するつもりであろう!』
激しく打ち込んでくる相手の剣を、まだまだ余裕でかわしながら応戦している雄輝は、むしろ一方的に決めつけられたせりふのほうに、おもいっきりげんなりとして返した。
『…ち~が~う~って。おれは文字通り背中の羽根も自由に伸ばせないような地球に戻る気はもうないの! こっちに帰化して骨を埋めるつもりなんだよ!
…でもマーシャを嫁にもらう気はないけどな!』
『雄輝いまそれ言ってもこいつらには通じない!』
いつの間にか参戦していた鋭がやはり真剣で切り結びながら茶々を入れている。
『…あいつは! おれにとっちゃ! 妹なんだよ! …あくまでっ!
それに俺は! 胸がでかくて! 気立てのいい女が! 好きなの! 美人より!』
懲りずに勝手なことを言いながらばったばったと左右の歩兵を薙ぎ払う。
数で勝る敵は懲りずに次々と斬りかかり、金属音が鳴り響き、日暮れ近い薄暗い森の中の細い街道で、敵味方ともに入り乱れての激戦が始まった。
背中にリツコを乗せたマシカと、後から駆けつけた先行隊の兵たちが、公主の箱馬車を囲んで護る。
『…マッレ・エッタ! ボグン! エ! カ!』…(撥ね飛べ!)
どうやら向こうの皇族関係者らしい将の呪文が響く。
激しい衝撃音がして切り結んでいる何人かが馬ごと吹っ飛んだ。
…見たかんじ…味方のほうが…苦戦を強いられている…?
リツコは生まれて初めて間近で見る本物の戦闘に震えながら、マシカの背中にかばわれていることに焦った。
《四軍神》の一人に数えられているマシカは油断なく剣を構えていて、たぶん積極的に戦列に加われば、もっと力になるはず…。
リツコが、背中に乗って邪魔していなければ…。
足手まといになっていることにリツコは落ち込んだ。
「あたしを公主の馬車の中に入れて! そうしたらマシカも戦えるでしょ!」
【…良い案だが、少し無駄じゃな。】
そう言って、公主自身が箱馬車の扉を中から開いた。
【仔細が判らぬが、我も闘おう。】
箱馬車の外側に、装飾品のように高々と取り付けられていた見事な細工の槍剣の鞘からぎらりと抜き身をひき払う。
【誰ぞ! 我が敵手を務めよ! 我が狙いであるなれば、直截に我を攻めるが良いぞ!】
リツコは目を丸くする。
箱馬車や天幕の中ではいつもずっと膝を抱えるようにうずくまっていたけれども…
外に出て獣脚と背すじをすべて伸ばすと、公主はとてもとても、長身なのだった…
馬に乗った大地世界人と、対等に、渡りあえるほどに…
『まぁびっくり。』
リツコと同じく、知らなかったらしいマシカが呟いた。
8-4. リツコ、投げる。
乱戦。
敵の動きを観察すると明らかに「殺すつもり」で襲われているのはボルドム公主と地球人の二人だけで、同じ大地世界人には怪我を負わせる程度で済むよう加減している。
しかしそれは雄輝たちも同じで、殺す気で攻撃されてもなお相手を殺しかえす気はないらしい。手加減しながら、敵のほうが人数が多い分、こちらが不利だ。
しかも…
「…雄輝! 危ない!」
敵の一人が手近の樹に登り、短矢に何かを塗りつけた上で、雄輝に向け弓を構えた。
雄輝は敵隊長マゴリゴと数人の加勢を相手に激しく斬りあっていて、リツコの声には気がつかない。
動きが激しいので弓兵は狙いをつけるのに苦労をしているらしい。
マシカは今は大鹿の上から弓で敵を射ていて、その高さからでは間にある枝が邪魔で、狙撃兵を狙えない。
リツコは必死であたりを見渡し、一旦地面に飛び降りて、目当ての石を握ると、すぐにその向こうの樹上に身軽に駆けあがった。
大枝にまたがった不安定なポーズだったけれども、なんとか一瞬だけ上体を固定して、短いフォームで…
投げた!
『ぐわッ!』
頬に石の直撃を受けた射手が叫びながら、毒矢を落とした。
『…キサマぁッ!』
こうなれば子どもでも戦闘員と見なして、敵の一人が下から短剣を投げつけてきた。
『…リツコ!』
血を流しながら真っ逆さまに墜ちるリツコを見て、マシカと鋭が悲鳴を上げる。
そこまでの騒ぎが、実際にはほんの数分のことだった。
『…慮外者どもッ! 剣を引けッ!』
皇女サマの厳しい怒声が響いた。
『マ・ゴリゴ! あるじが許婚者の賓客と白皇総将軍を相手と知っての狼藉ッ? ならばこの私を先に斃してからにしなさいッ!』
『…リツコ! …リツコ! …大変!』
…マシカの悲鳴を聴きながら、リツコは、気を失った…
第9章 リツコ、役に立つ。
第9章 リツコ、役に立つ。
9-1. リツコ、夢をみる。
リツコは夢を見ていた。また、あの夢だ。
お母さんとお父さんが、捕まりかけている。
お姉ちゃんが泣いている。腕をガッチリ掴まれて逃げられない。
「逃げて!」
リツコが叫ぶと、お母さんとお父さんが首をふった。
「エツコを置いては行けない…。おまえは逃げなさい!」
「逃げて!」
…あの時、リツコは何も出来なかった。何も…
うなされているリツコの額の汗を拭いてくれているのは、マシカだ。
ぼんやりと目を覚ますたびに、それは鋭だったり、ミソノワ姫たちだったりした。
リツコが投げた石は当たった。みごとに命中した。
雄輝を狙っていた奴はギャッと悲鳴をあげて毒矢を取り落とした。
それは、覚えている…
「逃げて!」
夢の中で、リツコは投球動作に入った。
もちろん、あの時は敵の数が多すぎた。ボールもグローブも、持ってはいなかった。
でも、もし…
狙いすまして、呼吸を整えて、放つ。放つ。放つ!
ギャッと悲鳴を上げて、緑の制服のやつらが次々と倒れる。次々と…そう、全員だ。
「逃げて!」と、また叫ぶ。
「ありがとう、リツコ!」
お母さんもお父さんもお姉ちゃんも、一斉に走って逃げていく。
一目散に、逃げ出す…
逃げて、逃げて、無事で…
「おばさんのところへ行くんだ!」お父さんが叫ぶ。
「お願いがあるのよ!」目をきらきらさせて、大叔母様がいう。
「すごいわリツコ!」マシカが褒めてくれる。
「さすが!適任者!」鋭が快哉を叫ぶ。
「…リツコ! …リツコ!」
うなされている。
夢をみている。
そうだった… 雄輝を狙っていた敵を倒した瞬間。
「キサマぁッ!」
別の奴から、短剣を投げられて… 左胸に、真っ直ぐ刺さりそうになったのを、危うく避けたら、首の脇が切れて、血が出て、驚いて倒れて、滑って、落ちて…
墜ちる途中で木の枝に後頭部を打った。それから真っ逆さまに、地面に落ちた…
「リツコ!」
首筋の深い切り傷による出血多量と全身の打撲で、リツコは何日も、熱を出して眠っていたらしい。
はっと目が覚めると、枕元で心配そうにのぞき込んでいたのは… ずっと交代でついていてくれたマシカでも鋭でも姫様たちでも、薬師の人たちでもなくて…
驚いたことに皇女サマ、その人だった。
「…………っ あぁ良かった! 起きたわね!」
「…あたし… 死にかけた…??」
かすれた声で、ぼんやりきいてみる。
「…危ないところだったわね、かなり。もう大丈夫よ。鋭たち交代で、ずっと付き添ってたんで、もういい加減に寝かせたわよ!」
半分涙目でにやりと笑いながら、皇女サマが答える。
「悪かったわね? 目が覚めたら私で!」
ううん。とリツコもにやりと笑った。案外、この性格、可愛いかも…?
「…雄輝は?」
「無事だったわ。あなたのおかげよ。猛毒でね。矢に塗ってあったの。いくら雄輝でも、
あれが当たってたら、私でもマシカでも、治療をする暇もなく死んでるとこだったわ。」
「そうなんだ。」
リツコは安堵した。
「あたし、役に立った?」
「えぇ! とても!」
ずっと苦手に思っていた皇女サマが、ぎゅぎゅぎゅっとリツコの手を握ってくれた。
「彼を救けてくれてありがとう!」
「…………えへ~。」
照れて笑うと、リツコは、再び眠った…。
9-2. リツコ、龍にのる。
それからまた何日か眠ったり起きたりして、熱が下がって傷の腫れもひきはじめたら、とたんに食欲がもりもり湧いてきたので、とにかくがつがつ食べた。
「…よかった~!」
マシカがどんどんお代わりをよそってくれながら、それにしてもすごい勢いねと、ほっとした声で涙を拭きながらけらけら笑った。
鋭も雄輝も何度も様子を見にきてくれた。
ようやく起き出して、少しずつ歩きまわれるようになったころ。
何だかんだでずいぶん行列に遅れてしまっていた。
「足ののろい連中は先に行かせたわよ!」
皇女サマがにやりと笑って言う。
「要するに白皇家の血をひく姫が誰か一人でも西皇家の婿をとればいいわけなんだから!
私が着く前に皆でまとめて西の三皇子を攻略しておいてくれると良いんだけど!」
「……あ、あの人たちって、そーゆう目的で~……??」
「そうよー、玉の輿狙いよ!」
皇女が意味もなく堂々と宣言するので、リツコは納得した。
なるほど。それで、家柄のいい美女ばっかりあんなにたくさん、同行してたのか…。
「だって白皇家の血縁の適齢期の男の人って兄様以外はみんな白都で死んじゃったのよ? 嫌がってる私と無理に結婚するより、西の皇子を射止めた姫が、皇位を継ぐことにしたらいいのよ!」
…皇女サマをめぐる謎の『後継者問題』って…
…つまり『ムコと皇位の押し付け合い』争いだったのか…。
リツコはなんだか疲れて、もう一回眠った。
姫君たちと荷駄隊と商人旅団と外役人たちも先に行かせて、最後まで待機していたのは皇女と雄輝の一番の側近の武人たち数十名ばかりで、その人たちもリツコが命をとりとめたと確認できるとすぐに徒歩での砂漠越えに出発した。
リツコの体力では、まだ歩いたり駱駝に乗ったりの砂漠の旅は無理なので…
行程をはしょって、残った一行はみんなで空を飛ぶことにしたという。
そう聞いて、またあの鳥の人の籠で運んでもらうのかと思っていたら、なんと!
先日のあの金の龍が背中に載せてくれた!
鋭が一緒に乗ってくれて、リツコの後ろからしっかり背中をささえていてくれる。
《飛仙族》と呼ばれる《エルシャムリア》の末裔だそうなフェルラダル様にしっかりと手をつないでもらったマシカはとても嬉しそうに宙に浮いて飛んでいく。それを悔しそうな横目で見ながら兄皇子マリシアル様は妹皇女と手をつないで飛び立った。
銀の龍の背中には、雄輝と副官の人たちがまとめて乗せてもらった。
その後ろから、公主リジュイディーリヤが美しい漆黒の鱗翅を広げる。
「きゃーーーーー! 最高ッ!」
はるか眼下の広大な砂漠の美しい砂紋と点在する岩山とオアシスの煌めきと、どこまでも平らに続いて視界の果てまで霞んで見える(地平線が…丸くない!)《大地世界》全体を眺め渡して叫んでいるうちに、わずか半日ほどで、半月前に出た本隊に追いついた…。
「…今度は、寝なかったね?」と、鋭にからかわれながら…。
9-3. リツコ、会議にでる。
砂漠のほとりの大きな隊商都市の郊外で先行して待機していたみんなと合流し、衣装と体調を整えて、そこからは順調に数日の駱駝行で、《西皇家》の都についた。
出発してきた《仮の白都》の雑多な民族が賑やかに行き交っていた開放的な雰囲気とは何もかも違って、長い時代を経た西の皇都は重厚で、荘厳で、格式ばっていて、威圧感のある石造りの建物が多かった。
皇宮に上がる前に庶民の市場に寄って買い物と観光がしたい。と、迎えに来た使者たちに仰せつけられた皇女サマの『わがまま』は、『とんでもございません!』の一言でがんとして却下に付された。
まぁとにかく会議開催の期日にぎりぎりで滑り込んだ形なので、さすがの破天荒な皇女サマも物見遊山は帰りの楽しみにとっておくことにして、白皇家の代表者たちは西皇家の本宮に、まずは到着の挨拶をしに行った。その儀式にはマシカや鋭やリツコたちのような『平民と余所者』は参加が許されなかった。
その代わり白皇家の一行との旅のあいだは居心地が悪そうだったボルドム公主は改めて《公主殿下》と恭しく呼ばれて、白の皇女と同格に厚遇された。
何故かと聞いたら「ボルドム世界の創造主たる男神グアヒィギルの血を濃く引く一族の聖なる世継ぎの姫だと判明したから。」だそうだ。
そのほか、各方面から《大地世界》諸勢力の代表者たちが続々と集まって…
いよいよ、ほぼ百年ぶりとなる《諸侯会議》が開催された。
リツコは初日と最終日に『地球から来た地球人の代表』(代理)ということで一言ずつ挨拶をするのが役割だった。また一生懸命マシカと相談して、今度は初日はユカタを着て出た。可愛いと好評だった。
大叔母様から出発前に渡されていた挨拶状を、心を込めて、声に出して呼んだ。
それは会議の開催を祝し地球からも友好を祈って挨拶を送りますという簡潔な内容で、朝日ヶ森というのは国とか民族ではなく、こちらの世界のヨーリア学派と同じように世の中のため色々な働きをする有力な学者の集団だ。ということにしておいた。
それから会議は地域ごとや問題別とか産業別とか、つまり「流域別の渡河税法についての検討会」とか「統一交易貨幣再発行開始における各国通貨との両替手数料率の統一可否にかかわる意見交換会」などなど。難しそうなものから馬鹿々々しく聴こえる内容のものまで沢山の分科会に分かれて、あちこちで紛糾したり白熱したり和合したり盛り上がったり場外乱闘したり、満場一致で拍手喝采のあと早々と大宴会になったり、色々していた。
皇女サマや鋭たちは手分けしてありとあらゆる会合に顔を出して挨拶したり意見を交換したりしなければならないので、寝る暇もないほど忙しそうだった。
リツコやマシカやおつきの人々の大半は、終りの日までは暇になった。
市場に繰り出して買い物と食べ歩きと物見遊山に明け暮れた。
9-4. リツコ、自分で話す。
西の第一皇子と白皇女マーライシャの何十年も前の婚約の誓言がどうのこうのという件は、うやむやのうちに無かった話にされつつあるらしい。ミソノワ姫たちは会議の合間にせっせと西の皇子たちを追いかけ回して誘惑していた。遠くから眺める限りでは西の皇族はイケメン揃いだったので、うまく恋人がみつかるといいなとリツコは思った。
黒姫公主リジュイディーリヤは堂々と交渉して、一緒に亡命して来た部下たちとともに《大地世界》の片すみで争わず暮らせるように、荒野のはずれの一角に、移住用の領土を譲ってもらえそうな感じになっていた。
会議はあちこちで継続していたが、積み残した分科会はそのまま延長戦へと日程と会場の調整が続いて、ひとまずは当初の予定通り、次の満月の夜までで、全体会議は終了の運びとなった。
うんと考えて、リツコは、最後の挨拶は自分の言葉で言わせてもらった。
(どちらにしても大叔母様から預かってきた手紙は一通しかなかったので。)
今度は出発の時に来たのと同じ私立の制服風の夏ワンピのボタンもきちんととめて、ちゃんとした「正装」に見えるように気をつけて、靴もサンダルに変えて出席してみた。
「あたしは、まだ子どもですが、これから地球に帰って、今回の旅で見聞きしたことを、大人の皆に伝えます。昔々の《四界時代》の始めが平和で豊かであったように、これからの《三界時代》が、またみんなの行き来の盛んな、お互いに戦争をしない、平和で豊かな時代になったらいいなと思います。そのために、あたしにできることを探して、がんばりたいと思います。」
…あまりにも短すぎたかしら、と一瞬不安になったけれども、大人たちは満場の拍手で応援してくれた。
終章 リツコ、地球に帰る。
終章 リツコ、地球に帰る。
1. リツコ、呼ばれる。
全体会議の無事終了を祝ってこれから徹夜で宴会だというその晩、リツコは慌ただしく呼ばれて西の皇宮内に設けられていた皇女サマの部屋へ案内された。
鋭もマシカも皇子様たちも公主女、今夜は忙しいはずなのに、なぜか、みんないた。
「…なあに?」
「リツコあなた案外有能だから。このままこちらに居てもいいのよ?」
いきなり不機嫌丸出しの声で皇女サマがぼそっとのたまう。
「へ?」
目を点にすると、鋭が言い出しにくそうに苦笑しながら補足した。
「地球の西側に出られる通路がもしあったら、朝日ヶ森に戻すよりもそちらに亡命させてほしいって、清瀬律子さんから頼まれてた話は、前にしたよね?」
「あ、うん。…聞いた。」
「西皇領のヨーリア学派とも連絡とってたんだけど。君が整理してくれてたおかげで異界文字の解読をできる人がすぐに見つかってね。それによると。どうやら確実に通れる通路が、今夜だけ、開く。」
「今夜!?」
「…急だから… みんなびっくりしててさ。」
「うん。」
リツコもびっくりして、うなづく。
「それを逃すとしばらく地球の西側に出られる通路は確定できてない。へたすると数年先とかになるかもしれない。」
「そうなんだ…」
「それで、今夜、地球に帰るか、でなければ、数年先くらいまで、こっちに居てくれるかな? …って」
「…………そうなんだ………?」
「きみこっちでけっこう楽しそうにやってたし。」
「もっとずっと居てくれたら、あたしは嬉しい。けど…」
マシカが真っ赤な目になって言い澱む。
「言わないのは卑怯でしょ!」
また唐突に皇女サマが、ぶすくれた声で継ぎ足す。
「…実は、リツコのお父さんとお母さんと、連絡が、取れたよ。」
「ほんとッ!?」
声が、うわずった。
「うん。…今夜、行くなら、…迎えに来てくれるって…、」
鋭がメガネをはずして拳で乱暴に涙をこするのを、リツコはびっくりして見ていた。
マシカも泣き出してしまった。
リツコも泣き出した。でも、言った。
「うん。…急だけど… あたし、帰るよ!」
もう一回、声に出して、自分に確認してみた。
「地球人だから… 地球に帰る。」
…うん。
「あたしね。ずっと…自分のこと…天才でも魔法使いでもないし…一番肝腎な時になんの役にも立てないやつで、残念だな! …って、ずっと思ってた。
…でもね、こっち来て、ほんとの天才の鋭とか、魔法が使える王女様のマーシャとか、見たけど… べつに天才じゃなくてもね。凡才でも、マホウも使えなくても… あたし、
結構、…役に立つよね…?」
「えぇ。かなりとても、役に立ってくれたわよ!」
皇女サマが悔しそうに涙をにじませながら言う。
「だから… こっちの世界は、これから、もう、平和になるから…」
マシカが声をあげて泣き出してしまった。
「あたしの世界は… 戦争とか、独裁とか、これからが、いちばん大変なんだから…。
自分の世界に帰って、あたしにがんばれることを、探して、やってみる!」
「…そうだね。」
雄輝がちょっとそっぽを向き、鋭がうん。とうなずいた。
2. リツコ、帰り仕度する。
慌ただしく、来た時のリュックとバスケットに荷物を詰めて、来た時の服に着替える。
背負って抱えて歩けるもの以上は運べないという話だったので、こっちでマシカと買ったばかりの服や小物や甘いものの大半は、残念だけど諦めるしかなかった。
「リツコ…! あたし本当に妹みたいだなーって、…思ってたのに…!」
マシカはもう泣いて泣いて大変で、手伝いは期待できない。
やっぱりぐすぐす鼻を鳴らしながらでも、鋭はさくさくと荷造りを手伝ってくれた。
とにかく書き貯めた記録ノートは全部と、足りなくなって買い足したこっち式の巻き布や葉綴じもぜんぶリュックにむりやり押し込む。
入りきらなくなった二十四色の色鉛筆とペンケースはまるごと鋭に、「薄くて小さい」と驚かれていたアニメキャラ柄の手鏡と、ぼろぼろになったけど日本語の辞書はまだ使えると思うからマシカに、記念にもらってもらった。
「なによ! わたしには?!」
皇女サマが子どもみたいに拗ねたので、やっぱりちょっと笑ってしまいながら考えて、籐のバスケットに入れてた中身をぜんぶ出して適当な布で風呂敷包みにして持ってくことにして、「これ気に入ってたんだけど、あげる。」と言ったら「じゃあ大事にするわ。」と素直に受け取るので、やっぱりちょっとその性格には笑った。
挨拶を出来るかぎりの人たちには慌ただしく挨拶をして回って、会議の打ち上げ宴会であちこち賑やかな皇宮のすみから地元のヨーリア学派の人たちの案内でそっと抜け出す。
皇女サマと公主様は宴会から長くは抜けられない立場なので、門の中で最後のお別れをした。二人とも眼が赤くなっていた。
篝火のともる夜の道を歩き、寺院のような場所から地下の伏流水の井戸に入る。
小さい祠があって、それを動かすと短い洞窟があった。
『入って。』
ヨーリア学派の人が言う。
『リツコ! …リツコ行かないでッ!』
マシカがうしろからしがみつく。
『マシカ…! ごめんね! ごめんねぇッ!』
リツコも涙で前が見えなくなる。
『…あまり時間がない。すぐに通路が塞がってしまう。』
「リツコ、」
鋭がそっと肩を押す。
「…鋭。また… いつか… どこかで、会えるかな…?」
「…手紙を書くよ。小さいものなら、定期的にやりとりできる通路は確保してあるから」
「うん…」
動けない。やっぱり…行きたくない!
帰りたくない!
リツコは思った。
「あたし! …やっぱり…ッ!」
すると洞窟の向うから、真夜中なのに、太陽の光? らしいものが射しこんできた。
「…リツコ! …リツコ? 居るの?!」
「リツコ!?」
リツコは叫んだ。
「…お母さんッ? …お父さんッ!」
…マシカが、抱き着いていた腕を、はげしく嗚咽しながら、放した…
「ごめん! マシカ! あたし、行くね!」
『…リツコのお母さん! リツコとっても良いコでした! ありがとう!
…大事にしてあげてね!』
マシカが洞窟の奥に向かって叫ぶ。
「…リツコ!? …そこに居るのよねッ?!」
「いま行くよッ!」
「リツコ!」
リツコはがんばって一歩踏み出し、それから目をつぶって駆けだした。
後ろを振り返る暇もなく、あっと思う間もなく、ステン! と、
何もないのに転んで…
慌てて目を開けると、明るい場所に、お母さんとお父さんが、立っていた…
「リツコ! …元気で…ッ!」
最後に、喉に絡んだような、鋭の半泣きの声が聴こえて…
それで終わりかと思ったら、
「…待ってッ! リツコごめん! 《言葉の術》! 解くの忘れたわ!」
息せききって追いかけてきたらしい皇女サマのそんな、またしばらく笑えそうなセリフがかすかに、…うんと遠くから、聴こえて…
それっきり。
その後、リツコが、《大地世界》を訪れる機会は、二度と、なかった…
3 リツコ、その後。
お母さんがぎゅっとしがみついてきた。
お父さんが泣いていて、
お姉ちゃんが泣きじゃくっていた。
そこは知らない場所で、でも地球の建物だった。
リツコも泣いてしまって、しばらく何も言えなかった。
それからリツコは独裁国家となって戦争を始めてしまった日本帝国へは戻れず、家族と一緒に外国に亡命して暮らすことになったが。
なぜか? 言葉が通じないはずのリツコが日本語で喋ると、言葉が通じないはずの相手の人の頭の中に、その言葉の意味が字幕のように、ぽかりと浮かんでしまう…。
それは地球世界では「ありえないこと」で、不思議な力はテレパシーと誤解され、その後まもなく始まった《超能力者大迫害時代》のせいで地球にさえ居られなくなって宇宙へ移住するハメになったりしたが…
それはまた、別のお話です。
fin.