目次
第1章 あ行
あいいん 合印
いけん 意見・異見
いそのかみ 石上
うえぶし 上臥
うらしょうや 浦庄屋
うんじょうぎん 運上銀
えび 海老・蝦
おうばん 椀飯・埦飯・垸飯
おに 鬼
第2章 か行
かいしょ 会所
かけや 掛屋
かたかな 片仮名
かちゅう 家中
かっこ 羯鼓
かな 仮名
かみ 上
からもの からもの
かりょう 過料・科料
かんじん 勧進
きじます 木地枡
きせん 木銭
きちん 木賃
きちんやど 木賃宿
きょうこう 向後
きょうます 京枡・京升
きんじゅう 近習
ぐそく 具足
くちまい 口米
ぐんだい 郡代
こい 小以
こおり 郡
こしょう 故障
第3章 さ行
さしまい 差米
しおき 仕置
じずつ 地筒
しちしゅつさんふきょ 七出三不去
しもじも 下下・下々
しゅげんどう 修験道
しゅごしき 守護職
しゅっせい 出情・出精
じゅんたつ 順達
じょうだいよう 上代様
しょうや 庄屋
じんこうさい 神幸祭
そうごう 僧綱
そうしょうや 惣庄屋
ぞうに 雑煮
第4章 た行
たなご 鱮
たのもし 頼母子
ちぎょう 知行
ちぎょうしょ 知行所
ちご 稚児
ちごこしょう 稚児小姓
ちんぜいぶぎょう 鎮西奉行
つるかけます 弦懸枡・鉤掛枡・弦掛枡
てんどく 転読・轉讀
どうぼう 同朋
どうぼうしゅう 同朋衆
としごいのまつり 祈年祭
第5章 な行
にゅうめん 煮麺・入麺
ねんぐ 年貢
ねんごう 年号
第6章 は行
はしらまつ 柱松
はぜのき 櫨木 ウルシ科ウルシ属の落葉高木
はやしばらびじゅつかん 林原美術館
ひき 疋・匹
ひぜんとりい 肥前鳥居
ふくいさくざえもん 福井作左衛門
ふくいはん 福井藩
ぶくりゅうかん 伏龍肝
ふらち 不埒
へいけものがたり 平家物語
へいけものがたりえまき 平家物語絵巻
ぼうじくい 榜示杭
ぼっくり・ぽっくり 木履
第7章 ま行
まぐろ 鮪
ます 枡・升・斗
ますあらため 枡改め
ますとり 枡取・升取
ますまわし 枡廻・升廻
めざし 目刺
もんちゅう 問注
第8章 や行
やきだち 焼太刀
やまぶし 山伏・山臥
第9章 ら行
れきし 歴史
れきしがく 歴史学
第10章 わ行
わうはん 椀飯・埦飯・垸飯
奥付
奥付

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あいいん 合印

合印 あいいん。「あいじるし」とも読む。

 近世から近代にかけて、金銭や米穀などの諸品の支出・収納の額・数量の正誤を確認するために使用された〇に合のかたちの印形。おもに幕府・藩の、財政・年貢収納関係、農村の年貢徴収・小作料収納、漁村の漁税徴収・漁獲物売買、都市の地子銭・家賃の徴収や、商品取引・金銀貸借などの元帳・台帳・決算簿のような帳簿や証文類に記載されている金額・物品数量と、個々の金銭・物品の出納関係文書の記載額・数量を照合し、合致した時、この印形を前者の記載数字の上部に押した。

 また、勘定所が起印した米金支払証文に対して、村方三役が印を押して、再び勘定所へ差出し、留帳と合せ、そのうえで確認の印として丸に合の字の小さな印形を押すこと。これは、確認の手続きとして必要な印判であった。


いけん 意見・異見

意見 いけん。 異見とも書く。

 

 ①天皇の詔によって、律令官人から徴される政治上の問題についての見解。こうして上奏される密封の意見書を意見封事という。

 ②中世では、一般的な個人的見解をいう。

 ③室町幕府訴訟制度上の判決原案作成手続。室町時代中期以降、幕府の訴訟決済は将軍親裁であったが、将軍は判決原案を右筆衆に諮(はか)った。その答申を意見、記述文書を意見状という。

 ④惣庄、惣村、あるいは領主などの間での二者の相論に対する中人(ちゅうにん)の調停。

 ※中人は、仲人とも書き、中世には、とくに争論の仲裁をする人をさした。江戸時代以降は、結婚の仲介をする媒酌人をさすようになった。

 ⑤近世では、諫戒・忠告の意に用いられた。


いそのかみ 石上

石上 いそのかみ。

 「ふる」(旧る・降る・振る)にかかる枕詞。

 奈良県天理市石上辺の郷名「石上」に布留(ふる)という所があることに因る。

 


うえぶし 上臥

上臥 うへぶし・うえぶし 「うはぶし・うわぶし」とも読む。

 

 禁中の宿直・禁中に宿直することの意。


うらしょうや 浦庄屋

浦庄屋 うらしょうや。 浦名主。

 江戸時代の漁村は、一般に、農村と同様に郷村制をとり、村方三役と五人組をおき、領主の支配・年貢諸役徴収と、村民の生産・生活の単位をなしていた。

 中世には、すでに、漁民に、難破船の救助・公儀の荷物の運搬などの公事(くじ)が賦課されていた。

 戦国大名は、海浜の住民を浦百姓と呼び、その漁業と舟運を支配した。

 中世末期には、商品経済の発達した中国地方西部では、漁業・農業の経営が分離し、漁業専門の村民を浦方(浦百姓)と呼び、一般の農民(在方、本百姓)と区別するようになった。

 江戸時代には、一般に、浦方には、難破船の救助や幕府の荷物の海上運搬などに対する労力の提供が、浦役(浜役・浜ガカリともいう)・賦役または小物成の一種として課せられていた。

 江戸時代に、浦名主・浦庄屋をおいていた地方の文書は、一般に、浦名主文書・浦庄屋文書といわれているが、その内容は、幕府・藩の役所・役人が浦方へ下達した文書、逆に浦方から差上げた文書、隣村と互通した文書、および浦名主(浦庄屋)が浦方村民と授受した文書などの各種の原本・控・案文の文書からなっていて、文書の種類・表題は多様である。しかし、村内に田畑・山林などをもつ、いわゆる半農半漁村が圧倒的に多かったため、漁村が作成・授受した浦方文書の大半は、種類・表題・性格などが、その地域の同領の農村の村方文書と同じだとも指摘されている(領政・田畑・年貢・戸口・宗門改など)。浦方特有の文書としては、漁政・漁税・漁船漁夫調達や漁業・漁場利用・海難救助・海防などに関するものがある。



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