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前書き

キャラ文庫「俺サマ吸血鬼と同居中」の無料配布本やペーパーをまとめました。

本編終了後のアルノルトと啓太です。

お楽しみいただければ幸いです。


2013夏コミ無料配布本

 棺の蓋を内側から押し開ける。むくりと躯を起こして、アルノルトは目を閉じる。――屋敷の中はシンとしている。アルノルト以外に気配のあるものはいない。

『やはりケイタはまだか』

 夏が終わり、季節はゆるやかに秋から冬へと移っている。日没は五時頃だ。啓太の仕事はまだ終わってもいない。アルノルトは軽く溜息をつくと棺から出た。

 

   *   *   *

 

 吸血鬼であるアルノルトが四百年を越える闇の命に倦み果てて自殺しようとしたのは一年と半年ほど前のことだ。その自殺を止めたのが草間啓太という大学生だった。

「高貴なる俺の自殺を邪魔した、その償いだ。下僕として俺に仕えろ」

 言いながら、アルノルト自身にもそれがめちゃくちゃな理屈なのはわかっていた。わかっていたが、意を決した自殺の邪魔をされて、なにかに八つ当たりをせねばいられない気分だったのだ。怒ってみせながら、これで少しは退屈しのぎができるかもしれないというずるい算段もあった。

 その算段がほんの少し狂ったのは、草間啓太の匂いを確かめた時だった。啓太がかつて己が助けた子供が成長した姿だと知ったアルノルトは、「あの幼な子がどんなふうに育っているのか」と別の興味を持った。同時に、アルノルトはちょっとばかりうれしかったのだ。自分にしがみついていた小さな手が、もう一人前の仕事ができるようになっていることが。

 啓太が館に来るのが楽しみだった。バイトだレポートだと啓太が来るのが遅くなると、どこかで事故に遭っているのではないか、要領が悪そうだからどこかでトラブルに遭っているのではないかと心配になった。遅刻を咎めて怒るのは、その心配が裏にあったからだった。啓太にはそんなことは知りようもなかっただろうが。

 アルノルトは子供を持ったことがない。人間だった時にも。だからよけいに、自分に縁のあった小さな子供が一人前に大きく育っているのを目にしてうれしかったのかもしれない。

 敬語の使い方がなっていない、態度が悪いと啓太を叱り飛ばした。「育てる」感覚を疑似体験するのは楽しかったし、自分の本当の性格より、もう少しばかり短気で気難しい領主様を気取るのは面白かった。

 その啓太が、自分が啓太を守るために刻んだ波動のせいでひとり生き残ったと知った時には、もう鼓動のない胸が、それでもズキリと痛んだ。恩を売るような態度と屁理屈で啓太の部屋に強引に住み込むことにしたのは、あの幼な子がひとりでどんな暮らしをしているのか、心配でしょうがなかったからだ。

 啓太の部屋に移り住んだ日は、アルノルトは自分がらしくもなく浮かれているのを自覚していた。恋仲になった人間と最後に一緒に暮らしてからもう百年以上たっている。性格も行動も悪い高田は仲間ではあるが家族でもなければ友人でもない。

 「王様、王様」、目を輝かせて、高く澄んだ声でそう自分を呼んだ幼な子と共に暮らす――それはアルノルトにしても心躍るシチュエーションだった。

 浮かれていたアルノルトは啓太についつい無理をさせることになり、ついには疲れと睡眠不足で倒れさせてしまった。アルノルトにとってそれは痛恨事だった。苦しめたくて同居を望んだのではなかった。

 アルノルトは啓太に謝罪し、そして、浮かれていた気持ちを引き締めることにした。叱るばかりが育てることではない、見守るという育て方もある。

 そうしてアルノルトが啓太への態度をシフトチェンジして間もなく……啓太のアルノルトに向けられる視線が変わってきた。かすかな反発とあきらめから、親愛へと。

 暮らす日々が長くなり、交わした言葉が多くなるにつれ、啓太の視線はさらに変化した。親愛だけではない、憧れ、好意、そういった熱や甘さを含む視線へと。

「そんな目で俺を見るな」

 アルノルトは何度かそう言いそうになった。啓太自身も気づいていなさそうな恋心は、アルノルトにはくすぐったく、そして居心地の悪いものでもあった。

 もう誰とも恋をする気はなかった。

 吸血鬼の中には同じ種族同士で関係を持ち、パートナーとして長い年月を共にする者たちもいる。そういった者たちがうらやましくないわけではなかったが、吸血鬼同士でも、そうそう気の合う相手には巡り合えない。人間とちがって絶対数が少ない吸血鬼族の中で、アルノルトが心ひかれる相手はいなかった。

 ならば人間相手なら――。

 それこそアルノルトが自殺まで企図した遠因でもあった。四百年のあいだに心ひかれて恋仲になった人間は何人かいた。しかし、その誰もが、最後にはアルノルトを捨て、人間として生きることを選んでいったのだ。闇と血の中にアルノルトひとりを残して。

 もういい、もう十分だと絶望していなければ、自殺しようなどとは思わない。

 そんなアルノルトに、啓太は慕わしい視線を向けてくる。「やめてくれ、俺はもう誰にも期待なぞしたくないし、痛い思いもしたくないんだ」と、どれほど言いそうになったか。

「俺は絶対におまえの血を吸ったりなぞしない」

「おまえは俺の魔力に惑わされているだけだ」

 啓太を突き放す言葉を口にしながら、しかし、アルノルト自身、啓太を可愛く好ましく思うようになるのを止めることはできなかった。

 ついには、己に禁じていたにも関わらず、アルノルトは啓太を抱き、想いあふれるばかりに暴走して、危うく啓太を死なせる直前までその血を吸ってしまった。やはりダメだ、純粋で一途な啓太を闇の世界の住人にするわけにはいかない、アルノルトはついに啓太の記憶を消すという暴挙に出て姿を消した。

 本当にもう二度と会わないかと問われれば、正直に言えば自信はなかった。かつて愛した人間たちの誰よりも、アルノルトは啓太が愛しかった。見守るのも愛、身を引くのも愛、頭ではわかっていても、胸にくすぶる熱は理屈ではなかった。近くにいたい、独占したい。

 そこで初めてアルノルトは気づいたのだ。今までの恋人たちが人間界に戻ることを許せたのは、そこまでの想いが自分になかったからなのだと。意思を尊重するといえば聞こえはいいが、ようは手放せるだけの余裕があったということだ。

 相手にもそれはわかっていたのではないだろうか。無理矢理にでも仲間にして同じ時間を過ごさせようとしないアルノルトに、相手もまた、すべてを捨てる決断などできなかったのではないか。

 すべてを知り、すべてを悟ったつもりでいたアルノルトは、啓太によってさんざんに心揺らされることになったのだった。

 

 

 その啓太と共に暮らすようになって一年と少し。春から社会人となって会社に勤め始めた啓太はいそがしい。残業もあれば、先輩や上司に誘われての「つきあい」というのもある。学生時代、ゼミだバイトだレポートだといそがしがっていても、サラリーマンとはやはり拘束時間がちがう。

 満員電車に揺られての通勤と慣れない仕事に疲れて帰ってきてから、啓太は自分ひとりの食事を用意する。着替えだけすませて、息つくヒマもなくキッチンに立つ啓太を見て、アルノルトがある決心をしたのは四月の末のことだった。

『ケイタに夕飯を作ってやろう』

 人間の食事の支度をするなど、それこそ四百年のあいだ、一度もしたことがない。

 アルノルトにはもう、人間としての味覚はない。パンを口にしても肉を口にしても同じに感じる。砂を噛んでも同じだろう。そんな、自分には味もわからず、必要もない人間の食事に、アルノルトはなんの興味もなかった。

 だが、啓太が相手となると話は変わる。疲れている啓太が自分で支度をしているのはかわいそうだったし、どんどん手抜きになっていく食事では心配だった。

『別にこれはあまやかすわけではない。そうではないぞ』

 アルノルトはそう自分に言い訳した。

 学生時代、シンプルといえば聞こえはいいが、貧相な食事をしていた啓太を叱ったことがある。以来、啓太は食卓の品数も内容も気をつけるようになった。いったんはできたことができなくなっているのはいそがしさのせいだ。啓太の能力やモチベーションのせいではない。ならば、不本意な食事内容を改善するのはあまやかしなどではなく、「対策」だ。

 そう結論づけて、アルノルトは自身でキッチンに立った。

「さて……」

 啓太が料理するところは見ている。焼く、煮る、炒めるといった火の使い方は見ているし、食材や調味料もだいたいのところはわかる。

 しかし。アルノルト自身が食事をしていた四百年前のヨーロッパに比べて、現代の日本の食生活のなんとバラエティ豊かなことか。食事といえば、パンとふかしたジャガイモ、焼いた肉、あるいは腸詰め、野菜や豆、肉などを煮込んだシチュー、そしてチーズにワインと決まっていたものだったが。毎日同じような献立でもそれを不満に思うこともなかった。

 それがどうだ。啓太はなんでも食べる。なんでもだ。中華料理の一種である炒飯の次の日は平気な顔でイタリア料理のパスタを食べる。そしてその次の日はインドのカレーだ。もちろん、どれも「本場」のものとはちがう、日本ナイズされたものだが、それでもその幅の広さは驚きだ。肉の調理法ひとつをとっても、塩と胡椒、ハーブで味をつけるしかなかった中世ヨーロッパにくらべ、カツだステーキだテリヤキだしょうが焼きだ、バラエティに富みすぎている。しかも和食には「ダシ」という恐ろしい調味食材があり、単に豆腐や大根を茹でる時にも「コブ」などという硬くて薄い海草を敷くことによって、「旨味」なるものを引き出すのだという。

 アルノルトは日本という国が好きだった。好きなもののことはいろいろ知りたい。だから、自分は食べられなくても、日本の食事についての本も何冊か読んだことがある。そして知ったのは、日本人が食にかける恐ろしい執念と手間ヒマだった。たとえば、味噌汁などという、日本人にとっては超ポピュラーなスープ。そのオーソドックスな作り方は、まずカツオだしをとることから始まるが、そのカツオだし自体、恐ろしい手間と時間をかけて、生のカツオを乾燥させ、わざわざカビをつけ、長時間寝かせ、そして薄く薄く削いだものを使うのだという。そしてダシをとったあとは、せっかくそれだけの手間をかけたものを捨てるのだという。なぜ、カツオをそのまま食べてはいけないのか、アルノルトにはわからない。次は具となる豆腐。豆の栄養を取りたいなら豆のまま食せばよいものを、日本人はわざわざ煮て、潰して、漉して、固める。それを綺麗な四角に切って、ダシをとった湯に放つ。それだけでも十分な贅沢だと思えるのに、さらに味付けは、豆や麦、米などを発酵させ、熟成させた味噌なる調味料だ。沸騰させるとせっかくの味噌の風味が飛ぶとかで、弱火で丁寧に味噌を溶かすのだという。

 確かに味噌汁それ自体の制作時間は五分もあれば十分だろう。しかし、しかしだ。その各食材がどれほどの手間と面倒をかけられているのかを思うと、アルノルトは空恐ろしくなる。

 キッチンに立ったアルノルトは、そんな食生活を当たり前のものとして享受してきた青年に、いったいなにを作ってやればよいのかと悩むことから始まったのだった。

 

 

 初日は無難に、アルノルトは自身の記憶に馴染みのあるもので、かつ、レシピが簡単なものにしてみた。

 まず、ジャガイモを蒸してみた。綺麗に洗って芽の部分だけていねいに取り除いたジャガイモを塩をつけた手でこすり、蒸し器に入れる。少し小さめだったせいか、二十分ほどで竹串がすーっと通るようになった。

 次はキャベツだった。一枚一枚はがして洗い、ざっくりと切る。包丁など使うのは初めてだったが、これは大きな四角になればいいだけなので楽だった。三センチ角ほどにざっくり切り、熱湯にさっと放つ。一分足らずで火が通ったら、ざるにあけて水気を切る。ボールに酢と塩、胡椒と少量の砂糖、さらにサラダ油を混ぜてフレンチドレッシングを作っておき、そこにまだ熱いキャベツを入れて味をなじませる。酢漬けキャベツは時間がかかるが、これならその日のうちにできると書いてあったとおりだった。

 次にウィンナーを焼いてみた。フライパンに薄く油を引いて中火でころころ転がす。ウィンナーからも油が出て、キツネ色になればOK。粒マスタードというものが冷蔵庫に入っていたので、それを添える。蒸した塩ジャガイモとキツネ色のウィンナーと粒マスタードを一枚の皿に盛ると、なかなか美味しそうだった。はっと気づいて庭に降りる。隅のほうにあったパセリを摘んで戻って添えてみた。――完璧だった。

 欲を言えばもう一品、なにかスープを作りたかったが、そこまで作ったところで、啓太が「ただいまー」と帰ってきた。

「おかえり」

 急いで食堂のドアを開いて、玄関ホールで上着を脱いでいた啓太を出迎える。

「あれ?」

 いつものリビングのドアではないドアから出て来たアルノルトに、啓太は目を丸くした。

「アルノルト、食堂にいたの? ……あれ? なんかいい匂い……?」

 ふふん、とアルノルトは腰に手を当てると胸をそらした。

「おまえの夕食を用意してやったぞ」

「え、夕食? え、アルノルトが? え、ウソ」

 啓太は目を丸くしたまま、早足で食堂に飛び込んできた。

 テーブルに並んだ皿に、その目がさらに丸くなる。

「うわ、美味しそう! え、これ、どうしたんですか? 誰かに……あ、ケータリング?」

 矢継ぎ早に質問する啓太の目が洗いものの溜まった流しに止まる。

「……え、まさか……」

「俺が作った」

 アルノルトはさらに胸をはった。啓太の驚き具合ですでに十分に報われた思いだ。

「アルノルト様が?」

 今でも時々、啓太はアルノルトに「様」をつける。敬語も使ってしまう。本人も、もうその必要はないとわかっていても、ついクセで出てしまうのだという。

「え、まさか……ぼくのために? ぼくのために、アルノルト様が……?」

「おまえは毎日いそがしいだろう。……まあ、その、なんだ。夕飯ができていたほうが、おまえも夜、少しはゆっくりできるだろうからな」

 じっと食卓を見つめていた啓太の目がうるうると潤みだす。アルノルトはぎょっとした。

「ど、どうした! なにを泣く!」

「だ、って」

 早くも涙声になって、啓太はアルノルトを振り返った。

「アルノルト様……アルノルトは、人間みたいに食べたり飲んだりできないって……」

「できなくはないぞ? 口にすることはできる。味がわからないだけだ」

「…………」

 啓太は感極まったように口をおおった。

「なのに、なのに……ぼくのために……?」

「あ、味の保証はせんぞ? なにしろ味見ができんのでな」

 傲慢に言い放つ。なのに、啓太はその傲慢さに怒るどころか、涙をこぼした。

「うれしい……うれしいです、アルノルト……!」

 想いがあふれたのか、啓太は珍しく自分からアルノルトに抱きついてきた。冷たく鼓動もない胸に、啓太の涙が沁みてくる。

「ありがとう、ありがとうございます……!」

 アルノルトは啓太の背後で手を開いては閉じた。――抱き締めたい。だが、今キスしたら止まらなくなるのもわかっていた。

「その……なんだ。冷めるとまずくなる、らしいぞ。早く食べろ」

「……はい」

 涙を指でぬぐいながら、啓太は笑顔になった。

「アルノルトの手料理なんて。もったいないけど、しっかり味わっていただきます」

「……おう」

 テーブルにつく啓太に、アルノルトは小さく息をついた。――可愛い。とにかく可愛い。アルノルトの手料理を食べる啓太を見るのではなく、啓太を食べてしまいたい。

「いただきます」

「口に合うといいがな」

 手を合わせる啓太にうなずいてそう言えたのは、やはり年の功の理性のおかげだった。

 

   *   *   *

 

 こうして始まったアルノルトの夕食作りは、もともと凝り性なのもあって、日々進化した。半年たち、さらに夏至を過ぎて短くなってきた陽のおかげで啓太の帰宅までの時間が増え、ずいぶんと凝ったものも作れるようになってきた。啓太が疲れていれば消化がよく、かつ精がつくものを、大きな仕事が終わったあとはどっしりした肉料理を、風邪気味ならば躯を温めるものをと、啓太の体調や状況に合わせた献立も立てられるようになった。

「アルノルト、本当に毎日ありがとうございます。今日もとても美味しかったです」

 毎日、啓太はにこにこ笑顔で感謝の言葉をくれる。だが……。

「でも……毎日美味しいものを食べてるせいかな……なんか最近ちょっと、ベルトがきつくなったみたいな……」

 啓太は最近そう言って、顔をくもらせることがある。

 大丈夫だ。抱き心地はよくなっているぞ。それにおまえの可愛さにも変わりはないしな。

 アルノルトはいつそう伝えようかと考えながら、今日も料理本のページをめくるのだった。

 

 

end


2014春J庭無料配布本

  *このお話は「高田氏の歪んだ愛情」より前のお話です

 

 

 

 

「へええ、これが草間の家かあ。ずいぶんと雰囲気あるなあ」

 真夜中の、招かれざる客は無邪気な声を上げた。

 

 

 夜中の電話に、草間啓太は恋人アルノルトとのキスを中断させられた。

「鳴ってるぞ?」

 アルノルトに抱擁の腕を緩められて、啓太は軽くがっかりした。誰だよ、と思った。邪魔しないでよ、と。

 夏の夜は短い。仕事を早めに切り上げて帰ってきても、夜七時を過ぎるまでアルノルトは起きて来ないし、朝はもう四時ごろには棺に戻ってしまう。吸血鬼であるアルノルトと人間のままの啓太の生活時間は夏のあいだ、すれちがう。

 秋になってようやく、アルノルトが出てきてくれるのは早くなり、休みに行くのは遅くなってきた。今日はせっかくの金曜日だし、夏のあいだの寂しさを埋めるつもりでいたのに。

 啓太にしてみれば、さっさとアルノルトの仲間にしてもらって同じ時を過ごせるようになりたいし、そうでなければ、せめて、アルノルトと同じ生活時間帯で過ごしたいのだが、アルノルトは許してくれない。

「普通の人間の若者として、きちんと働き、きちんと休め。俺に合わせることはない」

 そう言うのだ。

 同じような理由で、アルノルトは啓太を吸血鬼の仲間に加えてくれない。吸血鬼になれば、人間の血とバラの精以外のものは受けつけなくなる。人間として日の光を浴びて遊び、美食や美酒を愉しめ、人間としての生活を享受しろという。そのアルノルトの気持ちはうれしいし、それがアルノルトの愛情だということもわかっている。わかっているが……。

「電話だろう」

 出るようにうながされて、啓太は携帯電話の電源を切っておかなかったことを後悔した。時計を見るともう十二時をまわっている。

『誰だよ、こんな時間に……』

 最初から気が重かったが、携帯電話の表示を見て、さらに気が重くなった。職場の先輩である斉藤からの電話だった。

 斉藤はしつこい。ここで出なくてもまた掛け直してくるに決まっているし、月曜、出社してから、電話に出なかった理由をしつこく問いただされるのは見えていた。

「……はい」

 しぶしぶながら、啓太は電話に出た。

『おー草間ぁ?』

 いつも元気だが、酔いのせいだろうが、さらに押しつけがましい、勢いのある声が流れてきた。

『今さぁ、おまえんちの近くに来てんだよ。終電乗り損ねちゃってさあ、タクシーで家まで帰ったら万札飛ぶじゃん? おまえんちなら三千円ぐらいでいけんじゃねーかって思ったら、ホントに三千円でお釣り来たよ! おまえ、いいとこ住んでんなあ』

 こちらの都合はおかまいなく、好きなことをしゃべる。

『ひばりが丘三丁目だろ? おまえんち。近くまで来てんだよーなー迎えに来てよ』

「は? なに勝手なこと……」

『なんか。角にクリーニング店? あるとこ。わかる? わかるよな? そこの前にいるからなあ』

 なにがいるからなあ、だ。啓太の憤りをよそに、斉藤は勝手に電話を切った。

 斉藤は啓太が内定をもらったあとの新入社員向けのオリエンテーションの時に司会担当だった。『ま、敬語とかいいんで。ぶっちゃけ俺も二年前まで大学生やってたわけだし? もう会社の悪口とかホントのことどんどん話してくつもりでいるし? なんでも聞いちゃってよ』と切り出した時には、少々うざそうだけれど、ざっくばらんないい人かと思ったが、入社予定者たちのランチを言い出したあたりから、もしかしたら面倒な人かもしれないという印象があった。その印象は入社して同じ総務部に配属されて、「もしかしたら」という危惧から、「やっぱり」という確信に変わった。面倒見がよく親切そうでも、啓太はぐいぐい来る斉藤が苦手だった。

 こんなことをされたら、苦手どころか嫌になる。が、

「どうした」

 と聞いてくるアルノルトに説明すると、

「ならば早く迎えに行け」

 と言われてしまった。

「会社の先輩なんだろう。言うことは聞いておけ」

「でも……終電逃したとか言ってるから、たぶん、ここに泊めろとか言い出しますよ?」

「……一晩くらいしょうがないだろう。高田もいないし、ゲストルームもあるしな」

 アルノルトと啓太はそもそもの最初、アルノルトの強引な決め付けによって、「ご主人様と下僕」という関係から始まった。恋人になってからのアルノルトは優しいし、逆に啓太にあれこれしてくれることも多いが、もともとの貴族体質というのか、「こう」と決めた時には相手に逆らうことを許さないなにかがある。

「……じゃあ、気は進まないけど迎えに行ってきます」

「うむ。気をつけてな。俺は奥の部屋に引っ込んでいるから」

 ちぇ、と思いながら、斉藤を迎えに出た啓太だった。

 

 

 ヨーロッパの古城をイメージさせる洋館に、斉藤は喜んだ。

「へええ、これが草間の家かあ。ずいぶんと雰囲気あるなあ」

 無邪気な声を上げる斉藤に、先に鉄の門をくぐりながら、啓太は振り返って口の前に指を立てた。

「もう真夜中なんで。声をひそめてください」

「おーわりーわりー」

 それからは大声こそ出さないものの、斉藤は「おーライオンのドアノッカー!」「うわ、玄関ひろっ」「すっげえ、なんかまんま映画のセットみたいだなーおまえんち」と、いちいちうるさく感想を口にした。

「あの」

 眉をひそめて啓太は振り返った。

「もう親戚の人、寝てるので。とりあえずゲストルーム案内しますから、勝手に出歩かないでくださいね」

「おう、わかってるわかってる」

 斉藤はうなずくが、本当にどこまでわかっているのか。啓太は溜息をつきたい気分だった。

 案の定、朝になって啓太とともに食堂のテーブルについた斉藤は、とんでもないことを言い出した。

「映画やってるダチがいんだけどさ。いや、大学ん時のツレでさー、映画とってコンペとか出してんだよ。なんか中世のヨーロッパイメージした映画撮りたいって前から言ってて、なんかいい脚本(ほん)があるんだって。でもヨーロッパとか行く金ないだろ? 困っててさ。けどおまえ、ここんちすごいじゃん? 朝写メ撮って部屋の様子とか送ったら、もう頼む頼む言われちゃってさあ」

 トーストにバターを塗る手を止めて、啓太は険しく斉藤を見た。

「……斉藤さん、なに勝手なことしてるんですか。写メ撮って送ったって……頼むってなに頼まれてるんですか」

「いやだから、この家ちょっと貸してもらえないかなあ」

「そんなことできるわけないでしょう。ここはぼくの家じゃありません」

「知ってるよ、親戚の人の家なんだろ? 俺さ、ついでだからちょっと挨拶してくよ。俺が直接頼んだって形にすれば、おまえ、別に立場悪くなったりしないだろ。だーいじょーぶだって! 俺、こういう交渉ごと、得意だからさあ」

 殴ってやりたいと本気で思った。

 もちろん、口喧嘩ですらまともにやったことがなく、自分が謝って丸く収まるならそれでいいという主義でやってきた啓太に、暴力などふるえるわけがなかったが。

「斉藤さん。この家にはぼくも、この家の主人である叔父の好意で同居させてもらってるんです。他人の趣味に使わせてくれなんて、口が裂けても言えません」

「他人の趣味って、おまえ、言い方きついなあ。趣味って言ったって映画だよ? フィルムに残るんだよ? まあ今はデジタルだけどさあ。家だって喜ぶんじゃないのかなあ。映像にしっかり残るんだから」

「とにかく。お友達にはしっかり断ってください。困ります」

 啓太にしてはしっかり言い渡したが、斉藤は「ええー」と口を尖らせていた。

 

 斉藤はぎりぎりまで「家の人に挨拶していく」と粘ったが、「自分の生活を絶対邪魔されたくない人だから」と啓太は突っぱねた。

――突っぱねるしかない。吸血鬼であるアルノルトを日が出ている時間につまらない挨拶のために叩き起こすなど、できるわけがない。

 だが、斉藤のしつこさというかずうずうしさは、毎日の会社勤めで身に沁みている啓太だ。

 斉藤のことだ。強引にカメラを持った友人たちと押しかけてきかねない。その時にはとにかく家に入れないぞと、斉藤が出て行ってすぐ、啓太は家中のドアと窓の鍵を閉めてまわった。

 よほどアルノルトを起こして、斉藤が言っていたことを告げようかと思ったが、まだなんのアクションもないからと自分をなだめた。だから夜になってアルノルトが下りてきてすぐ、啓太は「ごめんなさい」と切り出した。

「きのう泊めた先輩、やっぱり面倒くさい人で……」

「ああ。夜中にあちこちごそごそしていたようだな。リビングやら食堂やら見ていたようだ」

 アルノルトはなんでもないことのように言ったが、啓太はげんなりした。

「もう……出歩かないでくださいって言ったのに……」

 そして啓太は斉藤が映画を撮っている友人にこの屋敷を使わせたがっていることを話した。

「一度、アルノルト、ぴしっと断ってもらえませんか。そしたらもう、しつこく言ってこないと思うんですけど。それともいっそ、記憶を消しちゃうとか……」

 だが。アルノルトは真逆のことを言い出した。

「使いたいなら使わせたらいい」

「えっ……あ、アルノルト、そんなこと言ったら、あの人、どんどんずうずうしくなって……」

「しかしおまえの職場の先輩なんだろう」

「い、いくら先輩でも……」

 啓太はアルノルトの白皙の美貌をきつく見つめた。アルノルトはわざとだろう、視線を合わせようとはしない。

「――アルノルト。ぼくは別に今の会社にいづらくなったってかまわないんです。もう辞めてしまったって…」

「ケイタ。仕事は大事だ。男ならなおのこと」

『ぼくにとって大切なのは、アルノルト、あなたです』

 そう言いたいのを啓太はこらえた。この会話は今までに何度もした。吸血鬼になりたい、アルノルトとともに生きたいという啓太と、人間として生きてほしいというアルノルトは平行線だ。

「……とにかく、この話は断ります。……昼間、あなたが起きられない時に、無神経な人間たちがこの屋敷に出入りするなんて……ぼくはイヤです」

 啓太がそうきっぱりと告げると、アルノルトは無言のまま指先でテーブルを叩いた。

 

 

 啓太の心配が当たったのはすぐその次の日の日曜日だった。

「こんにちはー! すみませーん!」

 斉藤のほか、三人の男女が鉄柵の向こうから大声を上げる。

「ホントに来た……」

 カーテンの陰から外をのぞいて、啓太は溜息をついた。類は友を呼ぶというが、家人の許可もないのに、柵ごしに館に向けてデジカメでぱしゃぱしゃやりだしている。とりあえず、門の鍵も掛けておいて正解だった。

 あきらめてくれないかと見ていると、携帯電話が鳴り出した。斉藤からだ。

「はい」

『今さーおまえ、どこにいるー? おまえんち来てるんだけど、門、閉まっちゃってるんだよ』

 いかにも困ったふうに言われる。カチンときた。

「おまえんちってなんですか。あの家はぼくの叔父のもので、ぼくのものじゃないって言いましたよね?」

『あの家ってなに? 今、おまえ、出掛けてるの?』

 窓ごしに、斉藤がカメラを持った友人たちを呼び寄せるのが見えた。

『もしかしておまえの叔父さんも外出中?』

 どうしようと思ったが、これは賭けだと思った。

「そうですよ。だから中に入ってもらうわけにはいきません。申し訳ありませんけど、帰ってください」

『そうかー留守なら仕方ないなー。わかった。帰るわー』

 そう言いながら、門の前の集団はこちらを見上げたままだ。ばかりか、柵をよじ登り始める。

「なにやってくれてんだよ……」

 腹立ちを通り越して脱力しそうになるが、こんなところで脱力しているわけにはいかない。

「どうしよう」

 昼でもアルノルトを起こすことはできるが、そもそも撮影に反対していなかったアルノルトが斉藤たちを叱るとは思えない。魔力を使っておどかしてもらうわけにもいかないだろう。

 外の斉藤たちは、ドアをがちゃがちゃやったあと、屋内に入るのはあきらめたのか、外で勝手にカメラを回し始めている。女性のひとりは女優役らしい。庭先で踊りだした。

「っとにもう……」

 これはもう、居留守を使っていたのがバレてもいいから、怒鳴るしかないだろう。警察を呼ぶといえば、斉藤はともかく友人のほうはあきらてくれるかもしれない。

 仕方ないと啓太は部屋を出て廊下に出た。そこで、

「ねええええ」

 後ろから低く震える声で呼ばれて、啓太は心臓が止まりそうになった。

 

 

 振り返ると、黒い布を頭からかぶった奇妙な物体が廊下にうずくまっていた。

「な、なに……」

「なにって、こっちのセリフだけどー」

 ようやく聞き覚えのある声になった。

「た、高田さん……?」

 黒い物体にかがみこんで、そっと端をめくる。高田の眠そうな白い顔があった。館の廊下はふだんから鎧戸を下ろしてあり、日光は入らず暗い。

「いつからここに?」

「ゆうべ遅く? っていうか、今朝?」

 高田は気が向いたときにふらりと館にやってきて、またふらりといなくなる。

「なんなのもう。休みたくて来たのに、うるさいったら」

「すみません、ぼくの会社の先輩なんです」

 啓太はかいつまんで事情を話した。

「あー…アルノルトねえ…おまえが人間として生きて、できれば吸血鬼になりたいとかって望みがなくなるぐらい、人間として幸せになってほしいんだよねえ、彼は」

「そんなの!」

 つい大声を出して、あわてて声をひそめる。

「ぼくはアルノルトともうずっと一緒にいるって決めてるのに」

「おまえがそういうけなげなこと言うからさ。アルノルトもおまえが可愛くなっちゃって、おまえの幸せを本気で望んじゃうんだよ」

「なんか……それって、矛盾というか……」

「真心と真心だねえ。俺にはよくわかんないけど」

 そこで高田はふわあっとあくびをした。

「とにかく表のあれ、なんとかしてよ。うるさくって寝てられない」

「……アルノルトも気がついてると思うんだけど、起きてくれる気はないみたいで……」

「ふーん」

 黒い布の下で、高田の目が光った。

「なあなあ。ちょっと思いついちゃった。おまえ、乗る? うまくいけばあいつら追っ払えるし、アルノルトにもおまえの本気が伝わるかも、だけど?」

 啓太はほんの一瞬、考えた。

「……乗ります」

 答えはほかにはなかった。

 

 

 高田が言い出した案は、さすがというか、らしいというか、エグかった。

 一箇所、裏口の鍵を開け、彼らを中に入れる。それだけずうずうしい集団なら、家人の留守をいいことに中に入って撮影を始めるだろう。しばらく好きにさせてから、高田が魔力を使って音を立てたり、物を動かしたりする。昼間だからたいしたことはできないが、ドアの開閉ぐらいは大丈夫だろう。相手がビビったところで、「叔父さん、叔父さん、ごめんなさいーッ」という啓太の悲鳴を響かせる。そして彼らは奥の浴室で血だらけになった啓太を発見し、動揺したところで、「次は誰だ?」と血だらけの包丁を持った高田が現れる。彼らは逃げ出すだろうが、そのあと「もしかして見ちゃいました?」と啓太が斉藤に電話を入れ、怪奇の館を印象づける――。

 そんなにうまくいくだろうかと思ったが、斉藤たちは面白いように高田の筋書き通りに反応し、最後の殺人鬼・高田の迫力はさすがに本物の吸血鬼だけあって鬼気迫ったものがあって、無断闖入者たちは悲鳴を上げて逃げ出した。

 が、高田の思惑では、その後、「アルノルト、啓太が大変だ!」とアルノルトを叩き起こして、「アルノルトがなかなか仲間にしてくれないから、啓太が……」となって、アルノルトも「ケイタ、すまない!」となるんじゃないかということだったが、さすがに血の匂いと絵の具の匂いのちがいはすぐにわかるらしく、出て来たアルノルトは、「なにをやっているんだ、おまえたちは」と呆れたような顔だった。

「高田はわかるが、おまえまで……」

 絵の具で真っ赤に染まったバスタブから啓太を引っ張り出してくれながら、アルノルトは溜息をついた。

「こんなことまでしなくても……」

「アルノルト。大事なことだから、ちゃんと聞いて」

 啓太は半裸でアルノルトに向き合った。

「ぼくはアルノルトとの生活をおびやかされてまで、会社でうまくやっていきたいとは思ってない。アルノルトがぼくの人間としての命を大事にしてくれるのはうれしいけど、でも、ぼくにとって大事なのはアルノルトだから。アルノルトと一緒にいる時間だから」

「……おまえは……またそういう……」

 少し苦しげにつぶやき、アルノルトは服が汚れるのもかまわず啓太を抱き締めた。

「あーエッチするならシャワー浴びてからにしたほうがいいよー」

 後ろから高田の茶化すような声がかかり、アルノルトが「高田!」と怒鳴る。

 啓太はアルノルトの胸の中で吹き出した。

 

 

「高田の言うことに乗るなんて」

 と、ベッドの中で、まだシャワーの雫の残る啓太の胸に口づけを落としながら、アルノルトは叱る口調だった。

「でもアルノルトは全然驚いてくれなくて……ちょっと残念」

「……何年吸血鬼をやってると思う。血の匂いと絵の具の匂いぐらいすぐわかる」

 そう言って、啓太の腕をとるとその内側に唇を這わせてから、アルノルトは小さく苦笑を浮かべた。

「そうは言っても、バスタブの中で真っ赤な液体の中で目を閉じているおまえを見た時は……心臓はないが、どきりとしたな。おまえが本当に……」

 自分で自分の命を危うくしてまで、吸血鬼になろうとしたのではないかと。アルノルトが口にしなくても、その言葉は伝わってきた。

「さっさとぼくを仲間にしてくれたら……そんな心配しなくてすむようになりますよ?」

 アルノルトの手に求められるまま、脚を開きながら啓太は言ってみる。

「脅す気か?」

「いいえ。お願いです」

 ぼくの全身の血を捧げてもいいほどの。想いはあえて口にせず、啓太はアルノルトを見つめる。やはり、アルノルトにも啓太の言葉は伝わったらしい。その瞳に切なげな光が浮かぶ。

「ケイタ……」

 アルノルトがかがみこんでくる。同時に広げた脚をアルノルトの腕に支えられた。

「……んッ……」

 口づけを与えられるのと同時に、アルノルト自身が体内へと入ってきた。

 深く、深くへとアルノルトを受け入れながら、啓太はいつの日にか、体内の血を一滴残らずアルノルトに吸い尽くされる夢想に溺れたのだった。

 

 

 

end

 

 

 


2016秋J庭無料配布ペーパー

 人は変われば変わるものだと高木は思う。いや、「人」ではないか。髪も伸びない、成長もしなければ老化もしない。銀の玉で撃ち抜かれるか、木の杭で鼓動のない心臓を貫かれるか、日光で炙られるかして灰になって消え去るほかに、「変化」などないはずの吸血鬼。そんな吸血鬼でも性格や行動は時に従ってきちんと変化していくものらしい。

 アルノルトだ。

 元は貴族で軍人だったアルノルトは根は優しくまっすぐな気性なのはいいことだが、他人にも厳格で、常に上から目線で、人が己にかしずくのが当たり前だと思っているところがあった。たとえば、縁のあった人間が体調不良になれば、「そもそも鍛え方が足りんのだ! 自己管理がなっとらんからだ!」と叱り飛ばしていたのだ。

 それが――啓太という、これまた素直で頑張り屋で孤独な青年と出会って愛し合うようになってからというもの……。

 高木はそっと台所をのぞく。長いあいだずっと、用なしとして放置されていた広い台所が最近では大活躍だ。今もガスコンロに置かれた鍋からは白い湯気が立ち上り、備え付けのオーブンもゴオッと燃焼の音を立てている。

 アルノルトは……レースのふんだんについた白いブラウスの袖をまくり、あろうことか、うさぎのアップリケのついたエプロンをつけて鼻歌まじりでお玉を手にしている。そのエプロンは先日、啓太が「可愛くて。つい買っちゃいました」と買ってきたものだ。エプロンは可愛い、エプロンは可愛いが、中世の貴族然としているアルノルトが着用することを啓太は考えなかったのだろうか……。

「お。高木か」

 のぞいていることに気づいたアルノルトが機嫌よく声をかけてくる。

「どうだ。味見をしてみないか。なかなか美味いぞ」

「はあ? 吸血鬼が味見してどうなるんだよ。味なんてわかんないのに」

 わざと顔をしかめて言い返すが、アルノルトは「ふふん」と笑う。

「それがちがうんだ。こうして毎日少しずつ口に含んでいると……退化していた能力が戻ってくるのか、だんだん味がわかってくるようになるんだぞ」

「はいはい、じゃあそのうち啓太とレストランにでも行ったらいいんじゃないの。味がわかるなら楽しめるだろ」

「おお! それはいい案だ! おまえもたまにはいいことを言う」

 け、と高木は思う。血とバラの精を糧にする自分たちが人間たちに混ざって人間の食べ物を食べてなにが楽しい。

 けれど――会社勤めで疲れて帰ってくる啓太に少しでも美味しいものを食べさせてやりたい、日々の食事で彼の健康を支えてやりたいと、みずから啓太の食事作りをするようになったアルノルトの横顔は幸せそうだ。誰かのために、己の労働を提供し、尊大な態度で恩を売り感謝を求めるのではなく、「美味しい!」と素直に漏れる感想だけで「そうか、うまいか」とニコニコできるなんて……。

(人も吸血鬼も変われば変わる、か)

「信孝」

 後ろから柔らかい声で呼び掛けられて高木は振り返る。隆一が立っていた。

「これ、この前、信孝が言ってた本じゃない? 書庫を探したらあったんだけど」

「わざわざ探してくれたのか?」

 歩み寄って高木は本と一緒に隆一の手を握る。

「わざわざっていうか……ぼくも、読んでみたいと思ったから」

 はにかむように言う隆一は、外見こそ五十だが、中身は高木が愛した十代の頃のまま。優しく、控え目で、そして高木を大事に想ってくれている。

「ありがとう。俺もおまえの感想が聞いてみたいんだ」

 素直に告げて、高木は隆一の額に唇を押し当てた。

(俺も人のことは言えないか)

 人を人とも思わず、一時の快楽を求めて浮気も平気だった自分が。今度こそ、二度と隆一を傷つけたくない、手放したくないと思うようになるなんて。

「それが、幸せー」

 台所からアルノルトの歌声が聞こえてきて、高木は思わず吹き出した。

 

 

   ****

 

 

 愛されていると思う。

 自分が食べるわけではない食事を毎日用意してくれることからも、夜の営みの時にどんなに感極まり、快楽に溺れても、決して一定以上の血を吸わないことからも……啓太はアルノルトの愛を感じる。

 ……そう。愛されている。

(ああ、これ、まずくないかな。そんなに怒ったら……)

 日中ならいい。いくら怒ってくれても。けれど今は残業中、日没後なのだ。

「どうしてもっとちゃんと確認しないんだ! 誰かがやってくれる、これは自分の責任じゃない、そういう気持ちが一番いかん! 草間君! わかっとるのかね!」

「はい、すみませんでした。ぼくの不注意でした」

 上司の叱責を早く切り上げさせようと、啓太は丁寧に深く、頭を下げた。が、上司の口は止まらなかった。

「不注意は仕方ない、誰にだってミスはある。私が言ってるのはそうじゃなく……」

 怒鳴る上司の背後の窓を、一瞬、黒い影がさっとよぎる。

(あ!)

 ほら。やっぱりまずい。最近、料理の腕の上がったアルノルトは一時間ほどで夕食の支度を終えてしまう。余った時間に彼がなにをするか。

 職場まで様子を見に来なくても大丈夫、飲み会もつきあい程度しか呑まないし、気をつけているから大丈夫、通勤も心配ないよ、と何度も伝えているのだが……。

『だからおまえは危なっかしいんだ!』

 とアルノルトは怒る。

『最近はパワ、パワハラとか言って、理不尽に部下を責めて自殺まで追い込む上司もいるんだぞ! ストーカーとかいう、相手のプライバシーを平気で踏みにじる輩も増えている! 外は危険に満ちているんだ!』

 と。

「聞いているのかね、草間君!」

 また窓の外を黒い影がよぎった。今度はやけにゆっくりとよぎり、窓の上の雨避けに止まったのか、黒い影が窓の隅に落ち着いてしまう。

「あ、はい!」

 ちらちらと視線を横に流してしまったせいで、上司のねちねち度はさらにアップしたようだった。

「すみません、すみません」

 とにかく早く叱責をやめさせないとまずい。啓太は米搗きバッタのように何度も頭を下げ、ひたすらあやまる。もちろん、もう視線は決して窓のほうへ投げたりしない。

 しかし――そんな啓太の低姿勢にもかかわらず、しつこい上司の叱責は続き……次の日、出社した啓太は、その上司が帰宅途中の駅の階段で足を滑らせ骨折したと同僚に聞かされた。

(だからぼくを叱るなら日中にしてくれればいいのに……)

 啓太はそっと溜息をついたのだった。

 

 

   ****

 

 

「アルノルト。ぼくのことを心配してくれるのはわかるけど、会社までのぞきにくるのは……おまけに上司のこと、転ばせたでしょう」

「転んだ? ああ、あれだな。『不注意は仕方ない』ってやつだな」

 しれっと上司の言葉を引用して横を向くアルノルトに、啓太ははあっと肩を落とす。

「……アルノルトって、心配性だよね……」

「なにを言う。俺が心配性なんじゃない。おまえが無防備過ぎるんだ。だいたい……」

 パワハラ。ストーカー。あれ、誰の話だっけと、思わず考えてしまう啓太だった。

  

 

 

end

              

 

 


奥付

 

ご主人アルノルト様と下僕啓太のその後のお話


http://p.booklog.jp/book/122920
 
【俺サマ吸血鬼と同居中】イベント無料配布関連再録


著者 : 楠田雅紀
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/kusuda-masaki/profile
 
 
表紙素材:pixiv前後不覚様(ID23443879)


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