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我が家の憲法

 我が家の憲法

  

今日本では憲法9条をめぐって護憲派、改憲派に分かれていろいろと論争がにぎやかですが、今日のテーマは台湾のある家庭で今もなお守られている憲法の話です。

 

 

あれは埔里に住む医師の陳慶祥先生と絹枝夫人(当時お二人は89歳)を訪ねた時のことです。奥さんはぼくと同じ山形出身で、何でも先生が戦前東京で学生生活をしていた頃知り合い結婚し終戦後先生が台湾に帰ることになり一緒についてきたとのこと。ぼくは奥さんと同県人だとわかって親近感を覚えたのでした。陳先生家族は3世代同居、即ち陳先生夫婦は日本語と台湾語、息子さん夫婦は台湾語、中国語、お孫さんは中国語と世代によって話す言葉が違います。こういうことは、陳さん家族だけでなく台湾の三世代家庭では珍しいことではありません。先生宅をお邪魔したが午後2時過ぎで、夕方近くになっておいとましようと思っているとお孫さんの「ただいま!」という元気のよい声。すかさず絹枝さんが「お帰りなさい!」と言ったので、
「お孫さんは日本語わかるんですか?」と聞いたら、
先生は、
「我が家では挨拶はすべて日本語で言うことにしている。
いわば我が家の憲法みたいなものだよ。朝起きたら『お早う』、食事の時は『いただきます』、食べ終わったら『ごちそうさま』、出かけるときは『行ってきます』、何か他人からしてもらったら『ありがとう』という風にね。
第一、声を聞いたら子供が元気かどうかわかるし、何よりもあいさつは生活の基本であり、我々が日本語教育を受けたので日本式にやっているだけだ。」と言われたのです。
陳先生夫妻は惜しいことに3年前に相次いで他界されてしまいましたが、この話がいつまでも耳朶に残っていて、昨日は憲法記念日で、皆さんにふと陳先生の家の憲法を話したくなった次第です。

 

 

 


虎尾三宝

 虎尾三宝

台湾が好きだと言ってもほとんどの人は虎尾に行ったことがないと思います。なぜ虎尾?にと、言えばここに日本時代からの建物があると知ったからです。台中から南下し斗六駅で下車し台西バス乗ること約半時間、虎尾の繁華街に着きました。虎尾三宝と呼ばれている目指す建物は降りたバス停の目の前にありました。

 

 

1 雲林布袋戲館(旧虎尾群役所)
「雲林布袋戲館」は日本統治時代の西洋建築の建物で、日本統治時代の建物が多く残る台湾ですが、このような建築が残されているのは稀です。こちらの前身は大正11年に落成した「虎尾郡役所」であり、昭和6年にはイギリスビクトリア時代の赤レンガ建築で増設しています。布袋戯とは、わかりやすく言えば指人形劇のこと。布袋戯の故郷と言われている雲林県では、布袋戯の普及を願い設立したそうです。建物の中には代表的な劇団の歴史などや布袋戯の人形などが展示してありました

  雲林故事館(虎尾郡守官邸)
こちらは布袋戯館の並びにあり、日本時代は虎尾郡守官邸だったところです。終戦後は雲林地方裁判所の官舎として使用され、2005年の全面的な改修を経て翌年2006年に雲林故事館としてニューリアルオープンし、当時の文化や生活が展示再現、文化イベント館として利用されているのです。

雲林故事館  http://www.ylstoryhouse.org.tw/index.php -3 旧虎尾合同庁舎(誠品書店&スターバック)
旧虎尾合同庁舎は昭和14年(1939年)に落成し、虎尾郡役所直属の派出所と消防組聯合事務所として使われ、2階は公会堂として使われていました。4階建ての建物で中央の塔の頂部には見晴台があり、虎尾の町を見渡すことができたため、糖廠の煙突、大崙脚水塔とともに虎尾の三大高層建築と称されていました。虎尾合同庁舎の建物は5階建ての高さで、かつては虎尾一の高さでした。これは
、当時電話がまだ発達していなかった時代、消防組がここから町を一望することで火事が起きた際すぐに出動できるようにしていたためです。

           現在、建物の右側がスタバ、左側が書店になっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


幸福駅と合興駅

  幸福駅と合興駅

 

北海道帯広からの情報です。北海道にある「幸福駅」は縁起のよい名前を持つことから全国的に高い人気を誇り1987年に広尾線が廃線となった後も多くの観光客が訪れています。2008年には恋人の聖地にも選ばれました。一方の台湾、内湾線(新竹県)にある合興駅も無人駅、1960年ごろに男子高校生が、思いを寄せる女子高校生の乗った列車を同駅から走って追いかけたという話が有名になり、愛情駅と呼ばれるようになったそうです。そして廃駅の危機を乗り越え関係者の働きによって保存が決まり、今では「恋人の聖地」として有名観光地になっているとか。日台双方の恋人の聖地が201610月に姉妹駅になったのでした。

 

 

 

 

 

 

    

          (幸福駅)                        (台湾/内湾線にある合興駅)

 

  

友好駅協定が結ばれたことを記念して「合興駅が愛情駅と呼ばれているわけは?」とか「合興駅」についての詳細な説明文を書いた看板が幸福駅舎の前にある二両の列車内に展示してあります。しかし幸福駅を見に来た観光客はここで記念写真を撮ったり、トイレに行ったり、お土産屋を覗いたりして限られた時間内でわざわざ列車内に入って何があるか見てみようなどとする人は少ないのです。事前にガイドさんから「列車内に日本と台湾の二つの駅が友好協定を結んだときの紹介があるよ。」とでも事前に案内があればいいのですが-------。また観光客の目につくような場所に友好駅協定の看板を置いてくれたらもっと台湾のPRになると思います

 

一部の人の中には「市は中国の都市とも姉妹都市になっているので台湾の駅と協定を結んだことは人目につかない所においているんだよ。でも、どこと友好協定を結ぶのかは自由であり、いちいち中国に気兼ねをする必要はないのでは」と思っている人もいるのです。

 

 こんな小さな駅にも中国の意向が働いているのでしょうか。幸福の文字が色あせて見えてきますね。

 

 

 

 

 

 


台北市広報雑誌『TAIPEI』

 台北市広報雑誌『TAIPEI』

 

 日知人の書道家である渡辺さんが個展を開いている国父記念館に訪れた時のことです。そこ台北市発刊の広報機関紙『TAIPEI』が置いてありました。ここ台湾で一冊の本がすべて日本語で書かれている広報機関紙を手にするのは初めてであり、何気なくページをめくっていると、何と知り合いの人の紹介記事が載っていたのです。どんなふうに紹介されているのか興味深く読みました。以下はその内容です。

 


ごちそうさま! 幸せのひとときの味 料理研究家・長浜智子さん

ごちそうさま! 幸せのひとときの味 料理研究家・長浜智子さん         

            文 江欣写真 施純泰

 

20162月、旧台北城の城門のひとつ、北門「承恩門」がかつての姿を取り戻しました。百年の時を越えて変わらぬうららかな光を浴びるその姿に、台北の人々はふと、最先端を行く台北という都市にも奥深くに昔ながらの魂が秘められていることに気が付きました。この大地に暮らす人々は一日三食とともに日々の味わいをかみしめています。一食、一日、一年、ふだんの食生活が積み重なって歳月となり、味わいは時を越えて想い出を呼び起こし、心のふるさとを見つけます。結婚して台湾に住み十数年となる長浜智子さんはだしのうまみを通じ、子どものころの日本の家庭料理の味わいを再現します。忙しく動く手先がお鍋の音をお供に、台北の時間を細やかにゆったりとしたものに変えていく―こういった日々そのものが家というものなのでしょう。

 

想いのこもった味わい、味わいへの想い      

 「故郷の味を伝える」、これは海外で暮らす母が子供のためにできる最も奥深い文化の伝承でしょう。

 

長浜さんは2002年に台北で新生活をスタート。何度も台湾を旅して素晴らしいイメージを抱いていたことに加え、ひとりで中国、香港、台湾で学んだり働いたりした経験から台湾に移り住むことには抵抗がなかったといいます。台湾の食べ物や人々の親しみやすさと温かさが大好き。でも出産してからというもの、自分と社会とのつながりが希薄になる一方で、子どもが大きくなるにつれ、急速にふるさとという概念を持つようになり、長浜さんはあらためて考えざるを得なくなりました。海外で暮らす母親として、子どもに何がしてあげられるだろうか、と。

 長浜さんは著書で、料理教室の一回目はまずおにぎりとみそ汁を教え、ご飯を炊く、だしを取る、という基礎の基礎から食べ物本来の味を知ってもらうと説明します。 (写真/Mini Cook

 

「子供の味覚は10歳までに培うべきということが言われますが、外食ばかりだと母の味は記憶に残りませんよね」。母親とはほぼすべての人々の味の啓蒙者。食が人に与える文化の洗礼は形、色、香りを備えたものです。そこで長浜さんは料理の研究に打ち込みます。味の基本であり真髄である昆布、かつお節、いりこ、シイタケの四大だしから始め、「智子さん家の食卓」を豊かにしていきます。すると自然と母のことを思い出したといいます。「子供のころは外食をするのは不便で、毎食母が作っていましたし、あたり前だと思っていました。仕事で香港に住んだときにはじめて、毎日誰かがごはんを作ってくれるということはありがたく、容易ではないことに気付きました」。

 和食の世界、世界の和食

 毎食手作りするのはどんな時代でもとても気力を使うものです。このファストフードの時代ではなおさら。時は金なり、されど背に腹は代えられぬ。長浜さんによれば、20年前の晩ごはんは、焼き魚、煮もの、みそ汁、ご飯と、まだ伝統的な和食のスタイルでした。けれども今ではハヤシライスにサラダなどワンプレート料理が増えています。通常の日本料理は伝統的な和食に加え、ヨーロッパやアメリカ、アジア、中華などが含まれますが、手早く簡単に済ませられるということで、スプーンやフォーク一本または手づかみで食べられるような、サンドイッチ、パスタ、ピザ、カレーライスなどが日本の家庭料理に取って代わられるようになっています。このような変化を感じた長浜さんは、長年にわたる料理の経験をまとめ、台湾の人の好みに合わせて味を変えない、日本の家庭料理教室を始めました。

今年の3月、長浜さんが発起人となり、台湾大学と日本の龍谷大学、特定非営利活動法人日本料理アカデミー、エバー航空の間を取り持ち、台湾大学の集思会議センターで講座を開催。「味わいで知る日本料理」と題し、『うま味』を出発点に日本料理入門の手ほどきが行われ、最も代表的な懐石料理を切り口に、和食文化が追求する五感の究極の美について話し合われました。

日本の食の歴史において、19世紀、20世紀、戦後と大きく変わり、21世紀に入り和食がまた衰退し変化の時を迎えています。日本の各方面の取り組みにより2013年、「多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重、健康的な食生活を支える栄養バランス、自然の美しさや季節の移ろいの表現、正月などの年中行事との密接な関わり」という4つの特徴を持つ和食がユネスコ無形文化遺産に登録されました。中でも日本料理アカデミーの村田吉弘理事長の尽力には目を見張るものがありました。衰退のピンチをチャンスに変え、日本料理はここ10年ほどで世界を席巻するようになっています。2018年、先ごろ発表されたばかりの「台北ミシュランガイド」でも星に輝いた20のレストランのうち6つが日本料理店です。また、世界のミシュラン星付きレストランの中でも日本料理店の数は他国に引けをとらないほどの数で、世界から愛されていることがうかがえます。

料理のこころ、こころの料理

和食はいま、さまざまな形で世界で花開き、漆器に描かれた蒔絵のようにきらきらと、人々の命に輝きを添えています。けれど思い出の中のセピア色の食卓を思い浮かべると、家庭料理は柔らかい布団のように、家族の緊張をほぐし、疲れを癒し、暮らしの中の断絶を埋めてくれるものでした。2人の男の子を持つ母である長浜さんは休みになるとサッカー場や郊外の山と自然に足を運んで過ごします。今年初めには公館から桃園大渓まで往復80キロメートルのサイクリングを敢行しました。「子供たちには料理ができるようになってほしいです」と語る長浜さん。ちょうど愛情のこもっただしのうま味のように、料理の秘密を教えてくれます。食卓を囲む面々はそれぞれ違っても、私たちにはご飯を作ってくれる人のことがいつも心のどこかにあるのでしょう。

(長浜智子さんのプロフィール

日本の大阪出身、2002年から台湾在住。長年にわたり料理を教える。天然、素材本来の味、シンプルを原則に台北の各地で日本の家庭料理教室を開く。だしで伝統的な和食の真髄を表現し、料理への情熱を呼び覚ましてほしいと願う。著書に料理本『鮮味高湯的秘密:掌握四大高湯食材熬煮關鍵,做出道地的日式家庭料理(おいしいだしの秘密―4大だしの取り方のコツをつかんで本場の日本料理を作ろう)』がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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