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虎尾三宝

 虎尾三宝

台湾が好きだと言ってもほとんどの人は虎尾に行ったことがないと思います。なぜ虎尾?にと、言えばここに日本時代からの建物があると知ったからです。台中から南下し斗六駅で下車し台西バス乗ること約半時間、虎尾の繁華街に着きました。虎尾三宝と呼ばれている目指す建物は降りたバス停の目の前にありました。

 

 

1 雲林布袋戲館(旧虎尾群役所)
「雲林布袋戲館」は日本統治時代の西洋建築の建物で、日本統治時代の建物が多く残る台湾ですが、このような建築が残されているのは稀です。こちらの前身は大正11年に落成した「虎尾郡役所」であり、昭和6年にはイギリスビクトリア時代の赤レンガ建築で増設しています。布袋戯とは、わかりやすく言えば指人形劇のこと。布袋戯の故郷と言われている雲林県では、布袋戯の普及を願い設立したそうです。建物の中には代表的な劇団の歴史などや布袋戯の人形などが展示してありました

  雲林故事館(虎尾郡守官邸)
こちらは布袋戯館の並びにあり、日本時代は虎尾郡守官邸だったところです。終戦後は雲林地方裁判所の官舎として使用され、2005年の全面的な改修を経て翌年2006年に雲林故事館としてニューリアルオープンし、当時の文化や生活が展示再現、文化イベント館として利用されているのです。

雲林故事館  http://www.ylstoryhouse.org.tw/index.php -3 旧虎尾合同庁舎(誠品書店&スターバック)
旧虎尾合同庁舎は昭和14年(1939年)に落成し、虎尾郡役所直属の派出所と消防組聯合事務所として使われ、2階は公会堂として使われていました。4階建ての建物で中央の塔の頂部には見晴台があり、虎尾の町を見渡すことができたため、糖廠の煙突、大崙脚水塔とともに虎尾の三大高層建築と称されていました。虎尾合同庁舎の建物は5階建ての高さで、かつては虎尾一の高さでした。これは
、当時電話がまだ発達していなかった時代、消防組がここから町を一望することで火事が起きた際すぐに出動できるようにしていたためです。

           現在、建物の右側がスタバ、左側が書店になっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


幸福駅と合興駅

  幸福駅と合興駅

 

北海道帯広からの情報です。北海道にある「幸福駅」は縁起のよい名前を持つことから全国的に高い人気を誇り1987年に広尾線が廃線となった後も多くの観光客が訪れています。2008年には恋人の聖地にも選ばれました。一方の台湾、内湾線(新竹県)にある合興駅も無人駅、1960年ごろに男子高校生が、思いを寄せる女子高校生の乗った列車を同駅から走って追いかけたという話が有名になり、愛情駅と呼ばれるようになったそうです。そして廃駅の危機を乗り越え関係者の働きによって保存が決まり、今では「恋人の聖地」として有名観光地になっているとか。日台双方の恋人の聖地が201610月に姉妹駅になったのでした。

 

 

 

 

 

 

    

          (幸福駅)                        (台湾/内湾線にある合興駅)

 

  

友好駅協定が結ばれたことを記念して「合興駅が愛情駅と呼ばれているわけは?」とか「合興駅」についての詳細な説明文を書いた看板が幸福駅舎の前にある二両の列車内に展示してあります。しかし幸福駅を見に来た観光客はここで記念写真を撮ったり、トイレに行ったり、お土産屋を覗いたりして限られた時間内でわざわざ列車内に入って何があるか見てみようなどとする人は少ないのです。事前にガイドさんから「列車内に日本と台湾の二つの駅が友好協定を結んだときの紹介があるよ。」とでも事前に案内があればいいのですが-------。また観光客の目につくような場所に友好駅協定の看板を置いてくれたらもっと台湾のPRになると思います

 

一部の人の中には「市は中国の都市とも姉妹都市になっているので台湾の駅と協定を結んだことは人目につかない所においているんだよ。でも、どこと友好協定を結ぶのかは自由であり、いちいち中国に気兼ねをする必要はないのでは」と思っている人もいるのです。

 

 こんな小さな駅にも中国の意向が働いているのでしょうか。幸福の文字が色あせて見えてきますね。

 

 

 

 

 

 


台北市広報雑誌『TAIPEI』

 台北市広報雑誌『TAIPEI』

 

 日知人の書道家である渡辺さんが個展を開いている国父記念館に訪れた時のことです。そこ台北市発刊の広報機関紙『TAIPEI』が置いてありました。ここ台湾で一冊の本がすべて日本語で書かれている広報機関紙を手にするのは初めてであり、何気なくページをめくっていると、何と知り合いの人の紹介記事が載っていたのです。どんなふうに紹介されているのか興味深く読みました。以下はその内容です。

 


ごちそうさま! 幸せのひとときの味 料理研究家・長浜智子さん

ごちそうさま! 幸せのひとときの味 料理研究家・長浜智子さん         

            文 江欣写真 施純泰

 

20162月、旧台北城の城門のひとつ、北門「承恩門」がかつての姿を取り戻しました。百年の時を越えて変わらぬうららかな光を浴びるその姿に、台北の人々はふと、最先端を行く台北という都市にも奥深くに昔ながらの魂が秘められていることに気が付きました。この大地に暮らす人々は一日三食とともに日々の味わいをかみしめています。一食、一日、一年、ふだんの食生活が積み重なって歳月となり、味わいは時を越えて想い出を呼び起こし、心のふるさとを見つけます。結婚して台湾に住み十数年となる長浜智子さんはだしのうまみを通じ、子どものころの日本の家庭料理の味わいを再現します。忙しく動く手先がお鍋の音をお供に、台北の時間を細やかにゆったりとしたものに変えていく―こういった日々そのものが家というものなのでしょう。

 

想いのこもった味わい、味わいへの想い      

 「故郷の味を伝える」、これは海外で暮らす母が子供のためにできる最も奥深い文化の伝承でしょう。

 

長浜さんは2002年に台北で新生活をスタート。何度も台湾を旅して素晴らしいイメージを抱いていたことに加え、ひとりで中国、香港、台湾で学んだり働いたりした経験から台湾に移り住むことには抵抗がなかったといいます。台湾の食べ物や人々の親しみやすさと温かさが大好き。でも出産してからというもの、自分と社会とのつながりが希薄になる一方で、子どもが大きくなるにつれ、急速にふるさとという概念を持つようになり、長浜さんはあらためて考えざるを得なくなりました。海外で暮らす母親として、子どもに何がしてあげられるだろうか、と。

 長浜さんは著書で、料理教室の一回目はまずおにぎりとみそ汁を教え、ご飯を炊く、だしを取る、という基礎の基礎から食べ物本来の味を知ってもらうと説明します。 (写真/Mini Cook

 

「子供の味覚は10歳までに培うべきということが言われますが、外食ばかりだと母の味は記憶に残りませんよね」。母親とはほぼすべての人々の味の啓蒙者。食が人に与える文化の洗礼は形、色、香りを備えたものです。そこで長浜さんは料理の研究に打ち込みます。味の基本であり真髄である昆布、かつお節、いりこ、シイタケの四大だしから始め、「智子さん家の食卓」を豊かにしていきます。すると自然と母のことを思い出したといいます。「子供のころは外食をするのは不便で、毎食母が作っていましたし、あたり前だと思っていました。仕事で香港に住んだときにはじめて、毎日誰かがごはんを作ってくれるということはありがたく、容易ではないことに気付きました」。

 和食の世界、世界の和食

 毎食手作りするのはどんな時代でもとても気力を使うものです。このファストフードの時代ではなおさら。時は金なり、されど背に腹は代えられぬ。長浜さんによれば、20年前の晩ごはんは、焼き魚、煮もの、みそ汁、ご飯と、まだ伝統的な和食のスタイルでした。けれども今ではハヤシライスにサラダなどワンプレート料理が増えています。通常の日本料理は伝統的な和食に加え、ヨーロッパやアメリカ、アジア、中華などが含まれますが、手早く簡単に済ませられるということで、スプーンやフォーク一本または手づかみで食べられるような、サンドイッチ、パスタ、ピザ、カレーライスなどが日本の家庭料理に取って代わられるようになっています。このような変化を感じた長浜さんは、長年にわたる料理の経験をまとめ、台湾の人の好みに合わせて味を変えない、日本の家庭料理教室を始めました。

今年の3月、長浜さんが発起人となり、台湾大学と日本の龍谷大学、特定非営利活動法人日本料理アカデミー、エバー航空の間を取り持ち、台湾大学の集思会議センターで講座を開催。「味わいで知る日本料理」と題し、『うま味』を出発点に日本料理入門の手ほどきが行われ、最も代表的な懐石料理を切り口に、和食文化が追求する五感の究極の美について話し合われました。

日本の食の歴史において、19世紀、20世紀、戦後と大きく変わり、21世紀に入り和食がまた衰退し変化の時を迎えています。日本の各方面の取り組みにより2013年、「多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重、健康的な食生活を支える栄養バランス、自然の美しさや季節の移ろいの表現、正月などの年中行事との密接な関わり」という4つの特徴を持つ和食がユネスコ無形文化遺産に登録されました。中でも日本料理アカデミーの村田吉弘理事長の尽力には目を見張るものがありました。衰退のピンチをチャンスに変え、日本料理はここ10年ほどで世界を席巻するようになっています。2018年、先ごろ発表されたばかりの「台北ミシュランガイド」でも星に輝いた20のレストランのうち6つが日本料理店です。また、世界のミシュラン星付きレストランの中でも日本料理店の数は他国に引けをとらないほどの数で、世界から愛されていることがうかがえます。

料理のこころ、こころの料理

和食はいま、さまざまな形で世界で花開き、漆器に描かれた蒔絵のようにきらきらと、人々の命に輝きを添えています。けれど思い出の中のセピア色の食卓を思い浮かべると、家庭料理は柔らかい布団のように、家族の緊張をほぐし、疲れを癒し、暮らしの中の断絶を埋めてくれるものでした。2人の男の子を持つ母である長浜さんは休みになるとサッカー場や郊外の山と自然に足を運んで過ごします。今年初めには公館から桃園大渓まで往復80キロメートルのサイクリングを敢行しました。「子供たちには料理ができるようになってほしいです」と語る長浜さん。ちょうど愛情のこもっただしのうま味のように、料理の秘密を教えてくれます。食卓を囲む面々はそれぞれ違っても、私たちにはご飯を作ってくれる人のことがいつも心のどこかにあるのでしょう。

(長浜智子さんのプロフィール

日本の大阪出身、2002年から台湾在住。長年にわたり料理を教える。天然、素材本来の味、シンプルを原則に台北の各地で日本の家庭料理教室を開く。だしで伝統的な和食の真髄を表現し、料理への情熱を呼び覚ましてほしいと願う。著書に料理本『鮮味高湯的秘密:掌握四大高湯食材熬煮關鍵,做出道地的日式家庭料理(おいしいだしの秘密―4大だしの取り方のコツをつかんで本場の日本料理を作ろう)』がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


移民共生先進国・台湾に見る「お手伝いさん」のススメ

 

 移民共生先進国・台湾に見る「お手伝いさん」のススメ

 

                 栖来ひかり(台湾在住ライター) 

 

 「猫の手でも借りたい」という言葉がある。

 そして、実際に猫の手を借りた『きょうの猫村さん』ほしよりこ/マガジンハウス)という漫画がある。家事全般に長けたネコの「猫村ねこ」さんが、とある富裕で事情持ちな家庭に家政婦として派遣される話だ。この猫村さん、料理もお掃除もパーフェクトなのに、緊張して爪を研いだり毛を舐めたり猫舌だったりと何とも愛くるしい。猫だけに人間の事情にもちょっと疎いので、かえって雇い主にとって気の許せる存在だ。

 

 

 この作品を読んだら誰もが「ああ、猫村さんが家にきてくれたら」と夢想するに違いなく、老若男女を魅了して大ベストセラーとなった。

 

 働き手の減少と共に女性の社会進出が叫ばれるなか、仕事・家事・育児の一極集中による女性の負担は「ワンオペ」と揶揄され、少子化の進む日本の社会問題になりつつある。介護分野の人手不足も深刻で、世界中のどこの国よりも早く高齢化社会をむかえた日本はまさに「猫の手でも借りたい」ぐらい切迫した状況といっていい。


 今年になって日本政府は、外国人に対して新たな在留資格を新設することで、移民によって農業や介護現場に対応していく方針を固めた(出入国管理及び難民認定法に関する改正案)。これまでの「技能実習」という実質を伴わない制度に比べて日本の移民政策は大きく進歩したといえるが、またこれによって様々な問題も予想される。

台湾のリアルな「お手伝いさん事情」とは

  

 筆者が暮らしている台湾も、日本を上回るスピードで高齢化が進んでおり、家事や介護の分野でも早くから外国人労働者の 手を借りている。台湾政府によると、現在は25万人以上の外国人労働者が家事や介護に携わっているそうで、人口2350万人の台湾ではかなり高い割合だ。不法滞在や偽装結婚など裏のルートもあるので、実際の人数は更に多いだろう。当然ながらトラブルも少なくないが、概してメリットの方が大きいから、これだけ数が増えたといえる。こうした台湾でのお手伝いさん事情を、身近な例から紹介したい。

 

 台湾の介護社会において外国人労働者は欠かすことの出来ない存在。街中や交通機関、

公園などあちこちで見かけることが出来る(写真:筆者提供)

 

女性の社会進出が進んでいる東アジアの多くの都市で、外国人労働者のお手伝いさんが受け入れられているが、周囲をみる限りでは、住環境が劣悪といわれるシンガポールや香港に比べ、台湾は比較的マシな労働環境ではないかと思われる。実際、自宅介護などで公的な機関に雇い入れを申請する際に、お手伝いさん用の個室があるかどうかもチェックされ、契約の際にも休日や労働時間について話し合われる(そうではないブラックな雇い主も勿論いる)。

 

 筆者が直接に交流をもった外国人労働者の女性はこれまで15人ほどいるが、その中の多くがインドネシア人女性、続いてフィリピン人女性だった。

 

 近年台湾に働きに来ているのは、東南アジアからのムスリムの

人々が多い(写真:筆者提供)

 

  

筆者の以前の職場でお手伝いさん及び高齢者の介護をしていたフィリピン人女性は、大卒で教員免許も持っていると言っていた。フィリピンでは、こうした高学歴の女性でも海外に家事・介護労働で働きに出ている例が多い。英語と中国語を流暢に操り、頭がよくて働きぶりも真面目だったので、相場より高い給与をもらい、故郷が台風による水害で大変だった時も、雇い主である社長が見舞金や飛行機代を出すなど、かなり大事にされていた。

 

「貧しさゆえに仕方なく働かされている」は勝手な思い込み

 

外国人お手伝いさんを、家族同然に大切にする家庭は少なくない。働きぶりがよく能力のあるお手伝いさんは引く手あまたなので、出ていかれると困るという事情もある。相性の良いお手伝いさんにめぐり合うのは大変なことで、15人以上とっかえひっかえして、結局は雇う事自体を諦めてしまった台湾人マダムもいる。

 

 実際、筆者も事情があってお手伝いさんと暮らした事があるが、1人目は2週間でふらりと居なくなり、2人目・3人目も一か月ずつで辞めて、別の職場へ行ってしまった。筆者としては、思いやりをもって応対したつもりだけにショックだったが、当初自分が彼女たちに対して抱いていた「貧しさゆえに故郷の夫や子と引き離され、仕方なく働かされている」ようなイメージが、じつは他者への尊重をはき違えた勝手な思い込みに過ぎず、そうした同情や憐みは逆に失礼だと思い知らされた。

 

 我が家に来た2人目のインドネシア人女性は、国に夫と小さな子供がいたが、台湾にもインドネシア人の彼氏がいて、毎晩9時頃に仕事を終えた後はベランダで小一時間ほど電話で彼氏と喋るのを日課にしていた。また毎週末の休日には、インドネシアの人々が集まる郊外のダンスホールへ出かけていった。

 

  大抵、どの女性もお洒落に関心を持っていて、露天で流行の洋服を買うのを楽しんでいた。日々アイロンがけしたり、高齢者の車いすを押しながらハンズフリーの携帯電話で仲間と喋り、色んな情報交換をしながらより良い労働環境を手にしていく彼女たち。物心がついたら何となく結婚して早く子供を産むのが一般的な封建的な田舎で育った女性達にとって、台湾に来て働くことは、自由の獲得であり一つの自己実現の形でもあるのだろう。

 

 

日曜日の台北駅には台北近郊から多くの外国人労働者の人々が集まり、思い思いの休日を楽しむ(写真:筆者提供) 

 

 

「一緒に良い社会を作っていく」という意識が大事 

 

 台湾にも、制度上の改善の余地はまだまだある。現在の問題は、現場で培われたノウハウが帰国や職場の移動によって引き継がれず、場当たり的になってしまっていることだ。また今後は中国など他所の給与水準が上がることで台湾離れが進み、新たな人手不足が起きる事も考えられる。そういう意味でこれから、多くの人材受け入れを予定している日本も、どうすれば彼女たちにとって日本が「魅力的な働き場所」となるかを考えることは不可欠だろう。

 

 今や自らの意志で色んな選択ができる彼女たちが、もっと高いレベルで自己実現できるような環境、例えば経験やノウハウの蓄積によって給与が上がったり、キャリアを積んで資格を取得することで家族も一緒に暮らせるような滞在ビザが発給されるなど、来日して働くモチベーションが上がるシステムを整えていく必要がある。そうすることで、仕事上起こりうるトラブルを未然に防ぐことも期待できるし、優れた人材が残っていくことで結果的に日本人社会にとってプラスに繋がっていくとおもう。こうしたことは、家事・介護に携わる人材に限らない。

 

 一世を風靡するような漫画のキャラクターとは、時代の要求の投影でもある。高度経済成長期に求められた原子力政策のなか「鉄腕アトム」が生まれ、平和憲法のもと武力が必要とされる矛盾の中で「ウルトラマン」「巨大ロボット」といった正義の味方が誕生した。現代において「猫村さん」が多くの日本人を魅了するのは、家事・介護労働を担う人材について、日本社会が待ったなしの切実さを抱えている反映だと思えてならない。

 

 かといって、日本人の気質を考えても、すぐさま外国人の「お手伝いさん」に馴染むのは難しいと思われる。幸いお隣の台湾には、そうした外国人労働者問題に関しての経験やノウハウ、社会研究の蓄積がある。そうした台湾の先例に学んで日本に合った制度設計を進めていくと共に、外国人労働者を「働かせる」のではなく、その力を借りて一緒により良い社会を作っていくのだという意識を、日本人はもっと理解していく必要があるように思う。

 

 

(筆者紹介)栖来ひかり(台湾在住ライター)
京都市立芸術大学美術学部卒。2006年より台湾在住。日本の各媒体に台湾事情を寄稿している。著書に『在台灣尋找Y字路/台湾、Y字路さがし』(2017年、玉山社)、『山口,西京都的古城之美』(2018年、幸福文化)がある。 個人ブログ:
『台北歳時記~taipei story

 

 (注)出所:「WEDGE Infinity」(2018年6月18日掲載)  

 

 

 

 


 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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