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涙の跡(おもいで)

 
 石割桜のある盛岡地方裁判所を離れ、裁判所前の中央大通りをさらに南へ向かって歩いていくと突き当たりになっている。正面は盛岡市役所で、市庁舎の向こう側を中津川が流れていた。
 遠く北上山系に発し、北東方面から市内を貫流するこの中津川は、この先500メートル程のところ、奥羽中央山脈に発する雫石川が北西方面から北上川に合流する地点に流れ込んでいる。市街地の真ん中を流れているにもかかわらず、川底が見えるほど澄んだ清流で、春には川辺に花が咲き乱れ、夏には鮎が泳ぎ、秋には北上から鮭が遡上して、冬には白鳥など様々な水鳥がその水面に飛来してくるという。人々は四季折々の表情を見せる川辺に憩い、その折々の変化に北国の美しい四季を知る。岩手を代表する川は北上川だが、仙台の広瀬川、京都の加茂川などと同様に、市民にとって盛岡で川といえばこの中津川だろう。
 ここを少し西へいくと中津川沿いの北に面して盛岡城址がある。盛岡城は北上川と中津川に囲まれ、市を縦貫する北上川を中津川と雫石川が東西から挟みこむようにして合流する地点の北東側の丘陵地帯に築かれた。盛岡の街はお城と城下町が築かれた当初から川とともにあり、緑豊かな杜の都であるとともに清き流れる水の都でもある。
 中津川には盛岡城築城とともに上の橋・中の橋・下の橋のいわゆる〝盛岡三橋〟が架けられ、その際に京都の三条大橋を模して欄干に青銅製の擬宝珠(ぎぼし)が取り付けられた。擬宝珠とは、橋の欄干や神社・仏閣の階段などに取り付けられる、ねぎの花の形を模した伝統的な建造物の装飾だ。本来は天皇が住まう京都の橋にしかこの装飾は許されていなかったのだが、一三三六年、当時の南部藩第12代藩主南部政行(まさゆき)の詠進した和歌が後村上天皇の御心に叶い、その恩賞の一部として賀茂川の橋を模したものを南部藩城下に架けることが許された。それに伴い、1500年代末から始まった築城とともに城下の橋にもこの擬宝珠が付けられるようになったという。
 現在も上の橋と下の橋に当時のものが18個も残り、往年の城下町の面影を今に伝えている。盛岡は戦災がなかったので紺屋町(こんやまち)の伝統的な建造物「ござ九」など古くて美しい町並みが残り、中津川を加茂川に、擬宝珠のある上の橋と下の橋を三条大橋に観立て、陸奥(みちのく)の小京都とも呼ばれている。
 中央大通りの突き当たりである正面の盛岡市役所を右に曲がり、細い道をしばらく行くと、盛岡城址のある岩手公園にぶつかる。


   不来方(こずかた)のお城の草に寝転びて
   空に吸われし
   一五の心


 これは石川啄木の歌で、岩手公園の二の丸にその歌碑がある。啄木が学んだ盛岡中学がこのすぐ近くにあり、授業中に教室を抜け出してはよくここに来て、一人文学の夢を追っていたという。不来方のお城とは盛岡城の別名で、本来はこの二つのお城は別の城なのだが、不来方城跡の上に盛岡城が築城されて場所も一緒のことから盛岡城の雅称(がしょう)としてそう呼ばれているらしい。
 岩手公園にぶつかって左手南に折れると中津川に架かる中の橋を渡り、右手北に折れて岩手公園沿いを行くと、先ほどまで歩いてきた中央大通りと平行して盛岡で最も人通りの多い大通り商店街へと続いていた。大通り商店街をしばらく行くと開運橋から北上川を渡って盛岡駅まで通じている。
 観光客が盛岡駅を降りてほど近くの開運橋の北面に立つと、豊かな清流を湛えた北上川両岸の濃い緑に溶け込んで、遠く北の空にその影(すがた)を広げて聳える岩手山を望むことができる。それは、杜と水の都・盛岡がまるで旅人を「お帰りなさい」と出迎えるかのような光景で、初めて訪れる人々の胸に郷愁にも似た深い旅愁を刻むことだろう。

 

 
 公園沿いの道端の石垣に座り、暮れなずむ町並みを行き交う人波に視線を傾けていた。太陽の薄明かりが残る夕暮れ、全てがすみれ色に染まり、人がまるで影絵のように慌ただしく動いていくのを目で追いながらも、静まり返ったような静寂さに身を包まれていた。その風景の一つとなって人影を見つめていた私の心には、その人影がまるで映画の映像のように映り、地の底へと沈み込むような静寂さに身を包まれながらも、街の灯りに映し出された淡いシルエットは華やいで見えた。
 一日中人恋しさに盛岡の街を歩き回った疲労感が甘い虚脱感となって全身を包み、不思議な安らぎへと誘っていた。彼女が盛岡からの転校生でもなく、あの制服も後ろ姿はよく似ていても明らかに異なるという事実を、目の前の人波の流れを見つめるように、今はただ素直に見つめているだけだった。感情の動きを止め、淡い人影の流れにこの身を投じるように、目の前を往来する人並みを流れるままに眺めていた。
        ―・・―・・―・・―・・―
 時間が停止してしまったかのような静寂さを破る一つの後影があった。俄かに鼓動が高鳴り、「まさか、まさか」と心の中で叫びながらその後影を追っていた。後ろ姿が似ているというだけで、現実的にこのような場所で出会うはずがないということを嫌という程わかりながらも、甘い鼓動の高鳴りに胸が締め付けられていた。
 しばらく後影を追って歩いていくと、しかし、その女性は他人の横顔を見せて本屋へと入っていった。甘い期待が一挙に萎み、感情のない操り人形のように、女性の後をついて一緒に本屋へと入っていった。
 その女性の横に立ち、私も本を探すような顔を俄作(にわかづく)りして一冊の本を取って、ページをめくった。

 

 


  『(二人もの女性を死に追い込んだ〝生への罪〟を切り捨てることができず)※1 ぶざまな生きざましかできないぼくには、しあわせなんて、志向できない。だから、他人をしあわせにすることだって、考えられない。しかし、しあわせになってほしいと思う人は、存在する。』
        ―・・―・・―・・―・・―
  『6ヶ月ほど前、いちこから電話があった。』
  『いちこは、僕の書いた文章を読んで、逢いたくなったらしい。しかも、それだけではなく「ずっと、そばにいたい」という。24歳で、ファッションデザイナーの女にしては、あまりにも子供じみている。
 「冗談じゃあないのです。私は、そう決めたのです」と、真剣な表情で、僕の目を見つめる。ぼくは少し気味が悪くなった。なぜなら、その不気味さは、(自殺した)※2 沢田明子のときに感じたそれと、よく似ていたからだ。』
        ―・・―・・―・・―・・―
  『(もう逢わないでおこうと思ったが、たびたび勝手に訪ねてくる)※3 いちこは、ぼくの部屋にくると、ひとりで喋った。ぼくは、最初のうち、レコードを聴いたり、本を読んだりして、相手にしなかった。それでも、いちこは喋っていた。しかし、やがて、ぼくは、いちこという一個の生に、関心を持つようになった。いちこの感性を分かっていたから (自殺した沢田明子のように、いつでも女として命を捨ててしまえるという強い印象を抱かせる)※4 こわい女〟だと思っていたのだが、その感性の背景みたいなものを知るにつれて〝やさしすぎる女〟なのだなと思えるようになった。』
  『いちこの母親は、24年前、ちょうど現在のいちこと同じ年齢の時、桑名で、妻子ある男と恋をした。そして、裏切られ、捨てられた時、お腹の中のいちこは、4ヶ月になっていた。
  いちこの母親は、好きでつくった子供の命を、処理するのは罪だと言い、両親の反対を押し切って、裏山の廃墟になった木こり小屋に、一人籠もったという。』
  『6ヶ月後の、午前六時ごろ、朝陽のさしこめる小屋のなかで、母親は、たったひとりで、いちこを産みおろした。
 その日からは、たったふたりで、いちこが一歳になるまで、その小屋で暮らした。』
  『山を下りてからは、家政婦をしたりしながら、いちこを育て、再婚の話にも「いちこの父親は、ひとりだけでいいから」と、断りつづけた。』
  『いちこという名には、母親の願いが込められていた。〝わたしの命は、ひとつだけ。わたしの愛は、ひとつだけ。わたしの子供は、ひとりだけ〟
   いちこは愛の子だった。』
        ―・・―・・―・・―・・―
  『僕は、いちこが、しあわせになって欲しいと思うようになった。しかし、僕とは、かかわりあいなく、そうなって欲しかったのだ』。
  『いちこがしあわせになって欲しいという気持ちと、(二人の女性を死に追い込んだ〝生への罪〟を未だに切り捨てていない)※5 僕はしあわせになりたくないという気持ちの間を、僕は、ゆれていた。苦しかった。だから、また、酒を飲んだ。』
        ―・・―・・―・・―・・―
  『ぼくは、海が見たくなった。途方もなく広く、途方もなく暗い、内灘の海が見たくなった。
 金沢に発つ日の午後、ぼくは、いちこに電話した。ぼくは「海を見に行く。」と言った。いちこは「わたしが重荷になったのでしょう。」と、尋ねた。ぼくは、驚いた。いちこが、そこまで、ぼくの心を見抜いているとは想っていなかった。ぼくは「そうだ。」と、答えてしまった。「どうしたらいいの。わたし、わからない。」というような言葉を、まるで泣いているような声で言った。』
  『金沢駅には、夜の9時21分に着いた。』
  『改札口を出て、ぼくは、一瞬、立ち止まった。改札口の前には、地元の人間らしい五、六人の若者がじっと、柱にもたれたり、煙草を吸ったりして、人待ち顔で、立っていたのだった。おそらく、仲間や恋人が、その改札口から出てくるのを待っているのだろう。
 ぼくは、おかしな話だけれど、その光景にみとれてしまい、涙ぐんでしまった。』
  『(沢田明子は、遺書のなかで「待っています」と告げたが)※6 沢田明子や野々村悦子は、ひょっとしたら、そういう格好で、待っていてくれたのかもしれない。しかし、ぼくは、わかってやれなかった。幼かった。』
  『ぼくは、改札口の前で、だれかを待っている人たちの真似をして、ロビーの柱にもたれかかって見た。そして、しんせいに火をつけてみた。
 そうやって、ぼくは、まるで、ほんとうに、だれかを待っているような、ふりをした。そうしているうちに、ぼくは、ほんとうにだれかが、ぼくを捜して、その眼の前の改札口から出てくるのではないか、という錯覚にとらわれていた。
 そして、その、〝だれか〟とは、ぼくの頭の中で、いちこひとりしかいなかった。
 ぼくは、いちこに、行き先を告げなかった。告げなかったけれど、いちこには、わかっているのではないか、追いかけてくるのではないか、とぼくは思い込んでいた。 それは、たしかに、異常な感情だった。
 実際、もし、その改札口から、いちこが出てきても、ぼくは、決して驚かなかっただろうと想う。
 ぼくは、待ちつづけた。立ちつづけた。
 11時着の列車を待ち、11時3分着の〝しらさぎ〟を待ち、11時31分着の〝雷鳥〟を待ち。11時43分着の〝日本海〟を待ち、11時58分着の〝くずりゅう5号〟を待ち、12時47分着の最終臨時列車を待った。
 しかし、だれも、ぼくに、声をかけなかった。』

    ー立風書房刊―岸田淳平著「犯罪的放浪」より
※ 文中の( )※1※6 の文は筆者(小出)による捕註です。


 

 
 文を読みながら、顔も知らぬいちこの後姿を思い浮かべていた。思い浮かべるといっても、その後姿は想像上に霞む淡い後影でしかなかった。そして、いちこの後影を見つめながら、遺書の中で「待っています」と告げた女性を逆に待っているような、改札口の前で幻のいちこを待ち続ける作者の後姿を見つめていた。
 あたかもいちこの目を通して見つめるかのように、金沢駅の改札口でひとり佇む徒労の後姿を見つめていると、幻の影を追って盛岡の街をひとり彷徨い歩いた己が徒労の姿が次第にその後姿の上に重なっていくのだった。そして、同時にいちこの後影の上に追憶(ついおく)の影が二重写しとなって、そのまま後影を求めて佇む男の後姿の上に二重三重に折り重なっていった。
 幾重にも重なったその影は、街の灯りに映る昨夜の母の後影にも似て、私の心に淡いシルエットとなって映し出され、いつしか溢れる涙に霞んで、重なりあい離れあい、浮かんでは消え消えては浮かぶ、それは、遥か遠く現実を離れて乱舞する儚き陽炎のようだった。
        ―・・―・・―・・―・・―
 ただ涙が頬を伝って流れるに任せながら、私を包み込む大きな存在に対し何の躊躇(ためら)いもなく甘えていた。心細さに耐えていた迷子の幼子が母を見つけた途端に泣き出すように、それまで心の底に押さえてきた感情が涙となって押し止めようもなく溢れ出してくる。母の胸に抱かれてもなお泣きじゃくる幼子のように、溢れ出る涙とともに幼く甘い感傷に浸りながら次第に不思議な安らぎに包まれていった。
 全てはただ涙に溶け、止めどなく溢れ出る涙とともに悲しみや寂しさも含めて全ての思いが押し流されていき、空っぽながらも心の底から癒されるような甘い透明感で身も心も満たされていく、そんな思いだった。
 それは突然でもうどうすることもできないほどの滂沱(ぼうだ)の涙だったが、またこらえようと想う気が起こらない自然な涙の流れだった。隣に立つあの女性も驚いたのか振り向くようにこちらを見つめていたが、もはや涙を見られて恥ずかしいという思いも消え、気にもならなかった。止めどない大粒の涙とともに頑なに構えたように張りつめた体と心の力も次第に抜けていき、寂しさに暗く屈折した私の思いを押し流していくように、あとからあとから涙は溢れ、流れていった。
        ―・・―・・―・・―・・―
 大粒の涙は頬を伝わり、滴となってぽたぽたと本の上にいくつかの涙の跡を残した。あとから流れ続ける涙は、その跡に重なって落ち、ひとつひとつの涙の跡は次第に拡がっていった。
 一滴(ひとしずく)の涙が紙面にその跡を残した。そこに一粒また一粒と続けて滴(したた)り、「い」の字の近くにできた涙の跡は、「い」の字を滲ませ、「ち」の字から「こ」の字へと拡がって、いつしか「いちこ」全体を覆っていた。
 いちこの思いが私に伝わり、私の思いと溶け合い、涙となって流れ、また「いちこ」へと還っていく。
 人は涙と伴に思い出を重ね、私の涙に溶けたいちこの思いは紙面に跡を残して涙の跡(おもいで)を重ねていく。改札口でひとり佇む男を見つめる後影のように、街の灯に映し出されたシルエットのように、紙面の「いちこ」は、いちこの思いが溶けた私の涙に濡れ、ひとり静かに鈍色(にびいろ)に滲んでいた。

 

  昭和47年 15歳・早春
 ながれ「その一 後影」-了-
  


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 「ながれ-一会-」の内容

 若者にとって未来が宝物であるように、人生の半ばを過ぎた人にとって、思い出はかけがえのない宝なのだろう。
 忘れ得ぬ思い出を、岩手山の残雪を光源とした走馬灯の影絵のように映す、追憶という名の物語。

 

  その1 後影

青春の日の忘れ得ぬ思い出を、岩手山の残雪の影に重ねた後影越しに追想する。

  その2 刹那

17歳における大阪での再会の日。別れの時が次第に迫る限られた時の中で、一秒一秒の時間の刻みはそれだけでただ哀しいほど愛おしかった。写真がその一瞬一瞬を時の流れに刻み込んで永くその映像を留めるように、二人が紡ぐ刹那刹那の時の重なりは思い出というセピア色の写真として胸の奥深くに刻み込まれていく。

  その3 影絵

10年ぶりに盛岡を訪れ、走馬灯のように心に浮かんだ岩手山の残雪に映る10代の日の思い出。 

 

 


この本の内容は以上です。


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